と言っても、別段こいしは忍者とか素破とか草とかいう類のものではない。
ましてや「微塵隠れの術でござる」などと敵もろとも半径百メートルを爆砕するようなジャパニーズNINJAでも当然ない。
古明地こいしは、姉と同じく「さとり」と呼ばれる妖怪であり、その能力は他者の心を読む力であった。
だが、その力を封じた彼女は代わりに無意識を操る力を手に入れた。
その能力により、こいしは誰にも気付かれることなく行動できる。
カンの鋭い巫女の横で一日中ゴロゴロしていたとて気付かれることはないのだ。
「師匠」
こいしは人里へ続く道をふらふらと歩いていた。
今は能力を使っていないので、こいしの姿はそこらの人妖と同様に誰の目にも映る。
だから声をかけられることがあってもおかしくはない。
だが、こいしは自分のことではないと聞き流した。
生まれて何年……経ったかは忘れたが、生まれてこの方、弟子など持った覚えはないのだし。
「おーい、こいし師匠」
覚えが無くとも、名前を呼ばれては自分のことと認めざるを得ない。
「私……? って漫才師みたいな呼び方しないでよ」
声の方へと振り向いてみる。
黒白のエプロンドレスに映える金の髪と青いケープ。
顔を見て、すぐに思い出した。
山の神社近くで会った、人形をいっぱい引き連れていた人間の魔法使いだ。
名前は……そう、霧雨魔理沙だ。
「で、何でいきなり師匠? あなたとは一度会っただけだと思うけど」
しばらく前のこと、こいしは神様に会うため山の神社を訪れたことがあり、そのときは件の神は見付からなかった。
ただ空振ってしまったのもつまらないと思っていたところに、タイミング良く居合わせた魔理沙と一勝負をすることに。
実際それだけの関係で、大した話すらもしていない。
師匠と弟子どころかただの知り合いレベルだろう。
「うむ。お前って能力を使ったら他人に見付からず行動できるそうじゃないか。
私もそいつを身に付けたいと思ってな。ちょいと話を聞きに来た次第だ」
「はぁ?」
なるほど。押し掛け弟子というわけだ。
しかしそんなこと言われても。
持ってる能力を教えろ。それも妖怪の能力を人間に。
それは鳥の飛び方を犬に教えろと言ってるようなものではないのか。
「お前も元々持ってたのはさとりと同じ、心を読む能力だったんだろ。
後天的に変わったって言うんなら何か秘密があるんじゃないのか。もしかしたら私でも真似できる要素があるかもしれないと」
確かに後天的に得た能力ではある。
よしんばこの能力が他人に伝授できる物、さらに人間が習得可能な技能だったとしてもだ。
こいし自身、訓練を重ねて手に入れた力ではないのだから、どう教えていいかすらわかりはしない。
どうしたものか、とこいしは考えた。
考えるまでもなく、結論はあっさりと出た。
「さすが──他人のスペルを盗むのが得意なだけあって、なかなか鋭いところを突いてくるわね。
確かに秘密があると言えばあるわ」
「ホントか!? いや、言ってみるもんだな」
「でも、そうおいそれと教えるわけにはいかないわ。
その資格がある人にしか伝えられないもの。つまりはあなた次第ってこと」
おほん、と一つ咳払い。
そして魅惑の流し目で魔理沙を見やる。
「……私の修行は厳しいよ。付いてこれるかしら?」
「押忍、師匠! まかせとけ!」
今日のこいしはとても暇だった。
「と言うわけで、妖怪の山に来てみました」
どわどわとやかましい音が響き渡る。
妖怪の山は九天の滝。その大瀑布を眺める崖に二人はやって来ていた。
「まず、何すればいいんだ?」
きらきらと期待に満ちあふれる魔理沙の目。まさしく星のような瞳と言っていい。
この手の視線にはよく見覚えがある。例えばおやつを待ってるお空の目とか。
その純粋な視線を一身に受けて、こいしはたじろいだ。
考えてなかったとは言えない。
修行と言えば山だよね、などと適当な考えで来たとは言い出しづらい。と言うか言えない。
正直、退屈してたのでちょっと遊び相手になってもらおうと思っただけだ。
面白半分で引き受けてしまったことを今さらながらに後悔し始める。
二分ほどの熟考の後、こいしはくわっと目を見開いた。
──とりあえずは、坐禅だろう。
その考えに従い、魔理沙を地べたに座らせ結跏趺坐に足を組ませる。
「んで、これには何の意味があるんだ?」
そら来た。
だが侮る無かれ。先の二分の間に、こいしは抜かりなく回答を用意しておいたのだ。
「まずは肝心なところから説明するわ」
こほん、と一つ咳払い。
いかにももったいぶった感じで、大事なことだよ的な印象を与える。
こいしは辺りを見回し、手のひらに載るほどの大きさの石ころを手に取った。
「これは何?」
「石だろ」
「そうね。この石ころは何かを考えているかしら」
「考えるも何もないだろ。石なんだし」
「そうね。石なのに意志がない。ここ大事よ」
では次の質問、とこいしは手にした石をぽとりと落とす。
「例えば、道端にこの石が落ちていたとして──あなたはそれを気に留める?」
「いや、別に……。ただの石だし」
「そう、そこよ!」
ずびし、と魔理沙の額に指を突き付ける。
「石ころが転がっていたところで誰も気に留めないわ。
無意識で動くとはまさにそういうことなの!」
「おおっ!」
「つまり、まずは心を空っぽにして石のようになることを目指すのよ」
「なるほど、ちゃんと意味があったんだな。
てっきり適当に連れ回してると思ってたぜ。疑ってごめんな」
「ううん、わかってくれればいいの」
こいしは激しく流れ落ちる滝に顔を向けた。
魔理沙の視線から隠れた頬には、一筋の汗が流れていたからだ。
「ふぁ……、へくちっ!」
「かーっつ!」
びしぃ、と警策が魔理沙の肩を打ち据える。
坐禅を始めてしばしのこと。
座った魔理沙の顔に虫が留まり、鼻先をくすぐられて思い切りくしゃみをしたのだ。
「いってぇ……」
「石ころは虫が留まっても何も感じない!
例え台所の黒いアレが手の上をかさかさしても意識してはいけないの!」
「くっ……、道のりは険しいぜ……」
こんなことを言ってるが、少なくともこいしは黒いアレを見かけたらダッシュで逃げる。
アレを顔色一つ変えずスリッパで仕留める姉は偉大にも見え、かつ恐ろしくも見えた。
アレをくわえて持って来たりする猫などはもはや論外である。
「さあ、続けましょ。今のあなたは人間ではなく石、よ」
「石……、石……」
「そう。石となった自分はどういう存在か。
もしも自分が石ならば、毎日自分の上で真っ赤なビビンバが熱されてるはずだ……って」
「何じゃそりゃ!?」
「え? わかんないなら石焼き芋や石狩鍋でもいいよ」
「誰が料理の詳細がわからないっつったよ。余分なこと考えさせるなってんだ」
そもそも石狩鍋は石と関係ない。
にわかに増した空腹感を主張するように、魔理沙のお腹がくぅと鳴った。
「…………」
「……へぇ」
それから小一時間ほど。
魔法使いの集中力は常人よりもはるかに優れている。
動いてないと死んでしまうとでも言いたげな魔理沙だが、こうして精神集中し、心を落ち着けることもできるのだ。
ふむ、とこいしは魔理沙の気を散らそうと周りをうろうろしながら口を開く。
「そう言えば、魔法の森にはあなたの他にも住人がいたわよね」
「……」
「この前、何となく行ってみたんだけど」
「…………」
「家の中に入ったら偶然着替え中で」
「…………っ」
「つい写真に撮ってきちゃった」
「何やってんだお前!?」
「かーっつ!」
ばちぃ、と再び警策が振り下ろされる。
肩を狙ったが、魔理沙が写真に飛び付こうとしたため、脳天を唐竹割りにひっぱたいてしまった。
強かに打たれた頭をさすりながら魔理沙が写真を引ったくる。
魔理沙に背を向け、鼻息荒くぷんぷんと怒るこいし。
「まったく……このくらいで心を乱してどうするの。
私はドアを開けたら全裸のお姉ちゃんがいても平静を保てるわ」
「どこを驚けばいいのかわかりづらいんだが。だいたい身内の裸と一緒にされても困るぜ」
こいしが背を向けている間に、魔理沙の目がちらりと写真に落ちる。
白いレースの下着姿で服に袖を通そうとしているアリスの姿。
警戒心の強いアリスがカメラを向けられていることにまったく気が付いていない、完全無欠の盗撮写真だ。
まったくけしからん。
こんな物はちゃんと処分しておいてやる、と魔理沙はそれを丁寧にポケットへと収めておいた。
またも何やら考えていたこいしは、くるりと振り向き閻魔よろしく鼻先に警策を突き付ける。
「あなたはアレね……。雑念が多すぎる!
まずはそれを払わないと明鏡止水に至ることはできないわ」
「どうすりゃいいんだよ。年の瀬じゃないが鐘でも撞いてくるか? それとも錆びた刀で大木斬ったりするのか?」
「何のためにこんな場所に来てると思ってるの」
「……マジ?」
轟々と流れ落ちる大瀑布。
その莫大な水量を直下で受けるのは無理があるので、棚状になって勢いを弱めた支流を探し出す。
見付けた一本は、足下も具合良くくるぶしがつかる程度の浅さであった。
「くぁぁ……、冷てぇ……」
「さあ、心を落ち着けて雑念を払う!」
バケツをひっくり返したような水の中に体を晒す魔理沙。
天然のシャワーと呼ぶにはかなり過酷だ。
言われた通り、目を閉じて精神集中に入る。
水流に激しく体を叩かれる中では、雑念が湧く余裕が無く精神統一がしやすい。
魔理沙は余計なことを考えるのを忘れ、だんだんと心が落ち着いていくのを感じていた。
「にしても、頑張るなぁ……」
「まあ魔理沙はあれで熱心な方だからねぇ」
ぱりんとキュウリをかじりながら、滝に打たれる魔理沙を眺める二人。
修行は二日目に入っていた。
一日目、魔理沙が滝に打たれ始めてから程無く。
侵入者を感知した哨戒の天狗がやって来た。
増援を呼ばれたら面倒になるが、言っても聞いてくれないだろうし、この場は追い払うしかないか。
そう考えていたところを収めたのは、この近くをねぐらにしていた河童のにとりだった。
友人の魔理沙とその知り合いということで、後をにとりに任せて天狗は持ち場へと戻って行った。
一応監視の名目で残ったにとりだが、魔理沙を肴に話している内に次第にこいしと意気投合することに。
そして日が暮れる頃。
こいしは適当に野宿するつもりであったが、せっかくだからとにとりに勧められ、一晩の宿を借りることにした。
一方、休みながらも滝行を続け、疲労の色が濃かった魔理沙は早々に自宅へと戻っていった。
翌日──すなわち今日。
起きた二人が滝まで来てみると、すでに魔理沙は滝行を再開していたのであった。
こいしは、魔理沙が昨日家に帰った時点でもうあきらめただろうと思っていた。
滝で修行などと言いだしたのも、本当は魔理沙の方から音を上げるように仕向けるためだ。
聞けば、体温が下がるのは命に関わるので、付け焼き刃だが保温の魔法を覚えてきたとか。
修行や特訓などとは無縁で飽きっぽいこいしには、魔理沙がそこまで熱心になるのはなかなか理解しづらいことだった。
ぽりんとこいしの口がキュウリをかじる。
隣に座るにとりはキュウリを肴におちょこを傾けている。
話も合うし気も合ったが、味覚はあまり合わないなとこいしは心中でぼやく。
さすがにキュウリの味がするお酒は口に合わなかった。
「そう言えばさ。あなたの……高額の領収書、じゃない……明細書……」
「光学迷彩?」
「そう、それ。それ貸してあげれば、気付かれずに行動なんてすぐにできるんじゃないの?」
昨夜にとりの家で実際に見せてもらっていたが、姿を見えなくさせるには十分な物だった。
音を立てないように注意すれば、すぐに見付かることもないだろう。
少なくとも、修行して能力を得ようなどという必要は無くなるはずだ。
「んー、ロクなことしないから貸すなってキツく言われてるんだよね。
魔理沙が見付かったら貸したのバレるから私が怒られちゃう」
ふーん、と気のない返事をするこいし。
こいし自身、知らない家への無断侵入やつまみ食いはよくやってるのでとがめる立場ではない。
特に悪いとも思っていないのだし。
「あっ、あれ!」
何かに気付いたにとりが鋭く声を上げる。
指さす滝の方へと目を向けると、一抱えほどの流木が今まさに魔理沙へと落ちてゆくところだった。
にとりの上げた声も、滝の轟音の中にいる魔理沙には聞こえない。
だが、魔理沙は目を閉じたまま、すっと一歩動い──てもかわせないので真上にレーザーを放って迎撃した。
刃のようなレーザーに真っ二つにされ、分かたれた流木は派手なしぶきを上げて魔理沙の左右へと落水する。
ざばり、と滝の中から出てくる魔理沙。
「よく撃ち落とせたもんね。ちょっと肝を冷やしたわ」
「ああ、何となく落ちてくるのがわかったんだ」
かっと魔理沙の目が開く。
金の瞳は自信の光に満ちあふれている。
「これはアレだろ。自然と一体になったってやつだろ」
わはは、と無意味なほど自信満々に薄い胸を反らす魔理沙。
集中しすぎてちょっと神経が鋭敏になってるだけな気もするが。ついでに弾幕慣れ故の反射的な危機感知力の高さとか。
まあこれはこれで、ここいらでやめさせるにはちょうど良い。
──そろそろ眺めるだけにも飽きてきたし。
「よーし、じゃあいよいよ最終段階に入るよ!」
「よっしゃ来い!」
水辺から上がり、タオルで水気をぬぐう魔理沙。
その間に、にとりがからからと何やら引っ張ってきた。
ここは服屋の一角か。ハンガーに掛けられた服が、ラックにずらりと吊されている。
「その魔法使いルックはあなたの印象が強すぎて、どうしても『霧雨魔理沙』を意識されてしまうわ。
もっと目立たない格好に変えましょ」
「いや、そう言うお前も結構目立つ格好だと思うが」
「何言ってるの。入り口をくぐったばかりのあなたと私を比べるなんて、それこそ百年早い」
「そ、そうか」
腕を組み、説教を垂れるように偉そうに弁舌を振るうこいし。
「この道は入り口も狭いけど奥も深いわ。途中には進みを阻む壁だってある。
でもそれを破って最奥まで辿り着けば、とっても気持ち良くて悦びに満ちあふれ──」
「ちょいと、ちょいと」
くいくいとにとりが袖を引っ張る。
「何? 今大事なとこなんだから」
「魔理沙は純って言うか鈍いから、その手のジョークはわかんないよ」
見れば、魔理沙はすでに服の物色を始めていた。
何となく間が悪くなってこいしの方が恥ずかしくなったり。
若干赤くなった顔を、こいしはごほんと大きく咳払いしてごまかした。
「おい、何か見たことあるような服も混じってんだが」
吊された服の多くは里でよく見るような地味めな物だった。
が、一部には見覚えのある巫女服やメイド服、ブレザー等も見受けられる。
「あなたが滝に打たれてる間に色々まわってちょっと拝借してきたの」
「盗品かよ。私も人のこと言えた義理じゃないけどさ」
「大丈夫。後でACが責任持って持ち主へ返しておくから」
「ふーん、ならいいか」
あっさり納得し、魔理沙は再び服の確認に戻っていく。
一方、にとりはこいしが口にした謎の単語が気になったので聞いてみることにした。
「ねぇ、ACって何?」
「AssistantのCopper」
「それじゃ銅でしょ。って私かよ」
魔理沙が並んだ服の中から一着を引っ張り出す。ずるりと。
「……何だこりゃ」
出てきたのは他のものよりひとまわり「重い」服。
アンティークドールの衣装十着くらいを煮詰めて固めたようなフリルの塊だった。
命名、フリルの煮こごり。勝手に名付けてみる。
一応服の名誉を尊重するために断言しておくが、茶色い所など一切無い、妥協のカケラも無き純白である。
「それ着れば誰の目にも留まらないようになれるわよ」
「……そりゃ目を逸らされてるだけだろ」
「まあそうだけど。そんなの着るのが許されるのは十代前半までだよね」
「こんなの堂々と着られるのはよっぽどの勇者か、面の皮が厚いかだよ」
ひょい、とこいしが魔理沙の手から服を取り、元あった場所へと掛け直す。
その隣には白と青の導師服、そして大陸風の赤い服が並んでいた。
結局、目立たない格好と言うことで村娘風の地味な色合いの物をチョイス。
にとりが枝と布切れで適当にこしらえた簡易更衣室の中で着替えを済ませ、出てきたところで二人が感想を述べる。
「うーん、服と金髪がかなりのミスマッチね……」
「むしろ逆に目立ちそうだね」
太陽の光を浴びてきらきらと輝く蜂蜜色の髪は、素朴な服からは明らかに浮いていた。
「染めるのはやだぞ。この髪、褒めてくれるやつがいるんだから」
「そこまでしなくていいでしょ。編んで帽子に詰めちゃえば」
お下げも解き、背中くらいまである魔理沙の髪を櫛で梳いて頭の後ろで丸く編む。
大きめの帽子をかぶせれば金色のほとんどは隠れてくれた。
先ほどまで着ていたいつものエプロンドレスは丸めてスカートの中へ収納してある。
女の子のスカートの中は魔法の隠し場所なのだ。まあ実際に魔法使ってるが。
ちなみに写真は皺になってはいけないので、着替えた服のポケットへと移しておいた。
「あとは、これを身に付ければ修了よ」
そう言ってこいしが取り出したのは、姉、そしてこいし自身も持つ第三の目。
「これは極秘事項なんだけど、ここまで到達したあなたには教えてあげるわ。
実は……、この第三の目はさとりの種族に伝わる能力の増幅装置なのよ!」
「な、何だってーー!」
魔理沙が定型通りに驚く。
その後ろでは、にとりが発電機を回して控えめながら雷を演出していた。
「これが無かったら、お姉ちゃんはらぶらぶバカップルを前にしたときのパルスィの心くらいしか読めなくなるわ」
「もはや別もんだな」
「私のをあげるわけにはいかないから、こっそりお姉ちゃんのスペアを借りてきたの。
これを身に付ければ、今のあなたなら……」
袈裟懸けのように魔理沙の体へ第三の目を巻き付ける。
「これで私も見付からずに行動ができるってわけか」
「心を平静に保つことを忘れないで。あと、声出せばさすがに意識を向けられるから」
「ああ、そんじゃ早速試してくるぜ」
意気揚々と、魔理沙は箒を片手に飛び出していった。
「……あんなのでごまかせんの?」
「ほら、鰯の頭も信心からって」
「この場合は無い袖は振れぬ、だと思うよ」
魔理沙に渡したものは、昨夜にとりが五分で作ったハリボテである。
普段の魔理沙なら疑ってかかるだろうし、あんな適当な作り話をそのまま真に受けたりもそうそう無い。
だが、無駄に増長した自信、そして余計なことを考える余裕のない滝行は頭を空っぽにするのに十分であった。
「まあどうでもいいや。とりあえず協力ありがと。それじゃ、またね」
ばいばいと手を振って、魔理沙の後を追うように飛び立つこいし。
見上げる空で、その背中がだんだん小さくなっていく。
どうせ怒られるのは私じゃないし、とにとりは家に帰ることにした。
そう思ってくるりときびすを返した先には、ずらりと並ぶ服の列。
どうしたもんかと悩みながら、にとりは迷彩スーツを取り出した。
◇ ◇ ◇
昼下がりの博麗神社。
魔理沙が実験場所として選んだのはここだった。
野生の獣より鋭い霊夢のカンをごまかせるなら、他の誰が相手でも大丈夫だろう。
こそりと障子を開けて中へ侵入する魔理沙。
居間ではコタツに入った霊夢が湯飲みを傾けていた。いつもの風景だ。
魔理沙は静かに障子を閉め、コタツに入る。霊夢は炭酸の抜けたコーラのような顔でだらりとだらけている。
(……本当に気付かれてないのかな?)
ただ気にしてないだけかもしれない。
そんな疑念が湧いた魔理沙は、卓に置かれた湯飲みを少しだけ遠ざけてみた。
「……あれ?」
首を傾げ、湯飲みへ手を伸ばす霊夢。
続いて煎餅の入った菓子皿を、手を伸ばしただけでは届かない端っこへと置いてみる。
「……何よ一体。紫? セコい悪戯しないでよね」
悪態を吐きながら、霊夢は卓に乗り出すようにして菓子皿を引き寄せる。
ぷりぷりと頬をふくらませ、その怒りをばりばりと煎餅へ叩き付ける。
(……これならどうだ!)
唐突に霊夢の真ん前三十センチで、んべ、と変な顔してみた。
にらめっこなら即噴かせる程度の破壊力。魔理沙が好きな方にはおすすめできないほど。
だが、それを真正面にしながら、霊夢は何ら気にすることなく平然とお茶をすすっている。
(……おお、こりゃホントに気付いてないみたいだぜ)
修行の成果を見て取った魔理沙は、ぐっとガッツポーズしながら神社を後にした。
「ふぅ……危なかった。乙女のわりに捨て身の攻撃してくるんだから……」
魔理沙が見えなくなったのを確認し、大きく安堵の息を吐く霊夢。
それを合図にしたように、こいしがコタツに出現する。
今来たのか、前からいたのかは霊夢にはわからなかったが。
「協力してくれてありがとね」
「いいわよ別に。どうせロクでもないことしかしないだろうし。
見付かって怒られるのはお約束みたいなもんよ」
よくあることだから、とぼやくように言ってお茶をすする。
霊夢のカンの良さ、そして見付かっても大事にはならないだろうと言う魔理沙の目算。
それを読んだこいしは、事前に霊夢に話を付けておいた。
「変な格好の魔理沙が来たら、何があってもいないものとして無視してくれ」と。
霊夢としては協力してやる義理など特に無かったが、美味しそうな煎餅をちらつかされてはちょっと心が揺れる。
そして魔理沙自身、見付かるないしは効果が無かったときのリスクを考えて大したことをしなかったため、霊夢も最後まで許容できた。
あとは何かやらかして痛い目見ても、それは霊夢の知ったことではない。
「ところで、他に何か変わったこととか無い?」
煎餅をかじりながら尋ねるこいし。
ふらふら歩き回るのがこいしの趣味だが、ここのところ楽しそうな事件が少なくてやや退屈していた。
「なんと急須の中身が変わったわ」
「そんな当たり前のこと言われても」
「うちじゃ立派な大事件よ。替えたの一週間ぶりだから」
「……へぇ」
思いがけず哀愁を誘われてしまったこいしは、二枚目の煎餅へ伸ばした手を引っ込めた。
「成果はあったみたいだが……、念のためもう一回確認しておくかな」
箒の先を魔法の森へ。
木々の間、ぽっかり空いた敷地に洋風の家が見えてくる。
魔理沙は滝でのことを思い出し、心を落ち着けてから家の中へと足を踏み入れる。声を出せば気付かれるので無言のままで。
(お、いたいた)
ターゲット──アリスは午後ティーしながら魔導書を読みふけっていた。
ひょこひょこと近付き、隣の椅子に腰掛ける。
本に目を落とす横顔を何となく眺めてみるが、アリスは無反応だ。人形のようだと言う形容もうなずけるほどに。
皿に盛ってあったクッキーを二枚ほどつまんでもりもりと頬張る魔理沙。それでも反応はない。
かちゃり、とアリスが口にしていたティーカップがソーサーの上へ置かれた。
まだ中には半分ほど紅茶が残っている。魔理沙は横からカップを掴み、少しだけすすって元の場所へと戻してみた。
アリスはごく当たり前に再びカップに口を付けた。
そして空になったカップへ、ポットからとぽとぽと二杯目の紅茶が注がれていく。
(うーむ、間接キスだってのに普通に飲みやがったぜ……。やっぱアリスにも気付かれてないんだな)
そもそも魔理沙が口を付けた時点で間接キスになるのだが、そのあたりはすっぽり抜け落ちているらしい。
確認もでき、確信に至った魔理沙は次なる目的──へ移る前に、むくむくと悪戯心が大きくなっていく。
本当に気付かれないならもっと悪戯してみても大丈夫なんじゃないか、と。
それこそスカートの中に頭突っ込んでも、胸を鷲掴みにしたとしても石ころならバレはしない。
椅子の背もたれに体を預け、何をしてやろうかとしばしの瞑目。
結論が出た魔理沙は、アリスに近付き──ちゅ、とついばむように頬に唇を触れさせた。
素早く離れて様子をうかがう魔理沙。アリスは触れたあたりの頬をなぞり、首を傾げてはてな顔をしている。
(よっしゃ、これなら完璧だぜ……。っと無念無想無念無想……)
見付かっては大変だと、うきうきと弾む心をなだめながら魔理沙はマーガトロイド邸を後にした。
弾むようなスキップで出て行く魔理沙を見送り、アリスはもう一度首を傾げた。
「……何がしたかったんだろ」
勝手に入ってお茶飲んだりクッキーつまんだり。
妙な格好と口を開かなかったくらいで、いつもとやってることに大差無いとも言えるのだが。
「……まあいいか」
魔理沙がよくわからないことをするのはいつものことだ。
あまり気にしていては魔理沙と付き合うことなどできはしない。
それよりも優先すべきはこっちだと、アリスは残り数ページの魔導書に集中することにした。
「さーて、ここからが本番だぜ」
魔理沙の忍び込んだ先、紅魔館が誇るは大図書館。
存在を感知されない術を手に入れたならば、もはや宝物庫へのフリーパスを手にしたも同然である。
無数とも言える本棚から、適当に引っ張り出しては内容を確認する。
いつもなら不意打ちを気に掛けながらの作業だが、今の魔理沙は石ころなのだから心配無用だ。
五冊ばかりを選んでスカートの中へ収納完了。
(今日はこんなとこにしとくか)
機会はいくらでもあるのだから焦る必要も無い。
ふと目をやれば、本棚の間からデスクに向かう紫色の猫背が見える。
(……ついでだ、パチュリーにも『挨拶』してやんなきゃな)
近寄ってみれば、図書館の主は魔導書の執筆作業中であった。
一心に集中している今のパチュリーは、いつも以上に周囲から隔絶している。
今ならば、石ころどころか猫が目の前を横切っても気を取られはしないだろう。
だが、悪戯をするのはとりあえず中止だ。
魔導書の執筆は繊細な作業であり、魔法使いの端くれである魔理沙もさすがに邪魔をする気にはならない。
完成した本を手にする機会も失われてしまうのだし。
(代わりにこのあたりのをいただいてくかな)
デスクに積まれた魔導書を一冊、ひょいと取り上げる。
ペンを走らせるパチュリーは冷めかけたコーヒーを一口すすり、ふぅ、と一息吐いて魔理沙の頭を鷲掴みにした。
「あ、あれ……。何で気付いてんだ?」
「は? おちょくってるの?」
「いてっ、痛たた! ギブギブ!」
みしみしと魔理沙の頭が締め上げられる。
掴んだら指が余りそうな細腕とは思えない力だ。
片手を万力にしたままコーヒーを飲み終え、パチュリーは小さく、そして冷徹につぶやいた。
「……鼻フックとロイヤルフレア、どっちがいい?」
紅魔館の外壁に朱が塗られる頃、アリスが図書館を訪れた。
「パチュリー、借りた本を返しに来たわ。何とか期限に間に合ったわね」
「はいよ」
ハーブティー片手にくつろいでいたパチュリーは、受け取ったそれを適当に本の山へと積み上げた。
今日図書館へ来た用事はこれだけで、もう日も沈みかけて空は紺色に染まりつつある時刻。
長居することもないので帰ろうとしたアリスの目に、ぶら下がった何かが映る。
何でボロ切れを吊してあるのだろうか。
魔除けか何かだろうかと近寄ってよく見たら魔理沙だった。
服は焦げて顔は煤だらけ、まさに黒一色である。
「……何、これ」
「書いてあるとおりよ」
ぶらんぶらんと揺れる魔理沙の体に「霧雨 理沙」と名札が貼り付けてあった。
なるほど。魔除けと言うかまぬけか。
「持って帰って思いの丈をぶつけるといいわ。ケツバットとかで」
「そう言われてもねぇ……。今のところ、それほどつのってもないし」
吊されたままなのもかわいそうなのでロープを切ってやる。
支えを失い、重力に従って落ちる魔理沙の体をアリスの腕が抱き止めた。
と、ぺらりと服の隙間から何かが落ちる。それを拾ったアリスの表情がぴしりと凍り付いた。
「……やっぱりもらってくわ、これ。何だか急に二人っきりで語り合いたくなってきちゃった。
あふれてきた私の想いを全部受け止めてもらわないと」
「そう、一般的に見て恋ね。おめでとう」
「ええ、ありがとう。まな板の上に載るやつのことね」
目を覚ましたら話し合わなければならないことがある。場合によっては肉体言語で。
当人はボロボロなのに、魔法で防いだのか焦げ一つ無い写真のこととか特に。
次の日。
静寂の地霊殿を激しい爆音が揺るがした。
ドアは木っ端微塵に粉砕され、瓦礫の山に粉塵がもうもうと上がる。
その土煙を切り裂いて箒に乗った魔理沙が現れた。尻を浮かせた前傾姿勢で。
「こいしのやつはどこだぁっ!」
「修行の旅に出かけました」
関知→感知
魔理沙の初日の修行シーンで『ガラスの仮面』を思い出しました。
ベタな話ですが、面白かったです。
やはり悪いことをするキャラがきちんと罰せられると、読み終えてすっきりしますねw
クールなアリスと何だかんだで可愛い魔理沙。
このくらいが一番バランス良いのかも。
しかしこいしちゃんは盗撮し放題なのか……文と組ませたら最強じゃね?
文章もっと読みたくなる系だ。
ネタの扱いも軽すぎず重すぎず、それでいてキャラ個々がしっかりと執着&興じるあたり、実に東方らしいというか。
サブキャラの台詞回しも実にバランス感が良い。
そしてオチが素敵w 多分絶対に見つけられないよ魔理沙…