―――春、夏、秋、そして冬。この世界には四季がある。
季節は、必ず巡るもの。神様ですらそれを捻じ曲げる事は出来ない。
――― 一つの季節でしか表に出られない、少女がいた。
そんな彼女の、親友がいた。
二人は互いが大好きだった。
だが、その季節が終われば、二人は離れ離れ。
それは抗う事の出来ない、自然の摂理。
―――そんな事、分かっていた。当たり前の事だった。
だけど―――それでも。
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「レティ、大ちゃん!はやくはやく!」
二月も終わりに近づいた幻想郷の、湖のほとり。
新雪に足跡をつけながら、チルノが後方の二人に手を振る。
「待ってよ、チルノちゃん……」
息を切らせた大妖精の言葉。
「まったくもう、そんなに急がなくても雪は逃げないわよ」
苦笑いしながら言うのは、冬の妖怪、レティ・ホワイトロック。
彼女は冬の妖怪ゆえ、冬の間しか人前に姿を現す事が出来ない。
春の訪れは冬の終わり、即ちレティとの別れを指す。
毎年冬になれば再び現れる事が出来るとは言え、彼女の友人、殊更レティに懐くチルノにとっては辛い別れだった。
レティ本人にしても、毎年後ろ髪を引かれる思いで彼女達と別れたものだ。
「ねえねえ、何して遊ぶ?」
全力疾走していたにも関わらず元気なチルノ。
「ぜえ、ぜえ……ちょ、まっ、て」
息が上がって上手く喋れない大妖精は、必死に呼吸を整える。
「チルノったら元気ねぇ。とても敵わないな」
クスクスと笑うレティ。いつも無邪気で無鉄砲なチルノを見守る彼女の眼差しは、どこか母親のような温かさを感じさせる。
「何して遊ぶって、三人で何が出来るかしら。他の皆はどうしたの?」
「リグルは寒くて寝ちゃってるし、みすちーは何か用事があってダメだって。ルーミアも風邪引いてるし……」
指折り数えながらそう答えるチルノの声色はどことなく残念そうだ。
と、その時だった。
「よ~う、寒いのに元気だな!」
上空からかかった声。箒に乗って降りてきたのは霧雨魔理沙だった。
普段と同じ衣装だが、首にはマフラーを巻いている。防寒仕様だ。
「魔理沙さん、どうしたんですか?」
大妖精が訊くと、魔理沙は笑ってみせる。
「暇だったからちょっかい出しに来た。はっはっは!」
「ねえ、暇なら一緒に遊ぼうよ!」
早く遊びたくてたまらないチルノが魔理沙を誘う。
「まったく、お前はホントーに元気だな……いいぜ、どーせ暇だったしな。何するんだ?」
押し負けた感もあるが、魔理沙も承諾。
「偶数だし、雪合戦でもする?」
「さんせー!」
レティの提案で、雪合戦に決定。
ジャンケンの末、レティと大妖精、チルノと魔理沙に分かれて対決する事に。
特に細かいルールは無く、雪玉を相手に向けて投げまくるシンプルなものである。
「早々に沈めて、新雪に顔型でも作らせてやるぜ」
言いながら魔理沙が雪を素早く掬い上げ、球形に固めたまさにその瞬間。
バシッ!
「うおっ!?」
軽快な音を立てて、魔理沙の顔面に雪玉直撃。そのまま大きく仰け反ったが、寸での所で体制を立て直す。
見れば、レティは早くも十個近い雪玉を手に持っていた。冬の妖怪ゆえ、雪を操るのはお手の物といった所か。
「顔型を作るのはあなたの方かしらね」
ニヤリと笑うレティに対し、顔の雪を払い落とした魔理沙も不敵に笑い返す。
「ったく、最早チートだな……まあいい、顔型はやめだ。雪でその綺麗な顔をパックしてやるぜ」
言い終わると同時に、二人の間で凄まじい雪玉の応酬が始まった。
ガトリング砲の如き勢いで雪玉を投げまくるレティと、一発一発に鉄板だって貫きそうなくらいのパワーを込める魔理沙。雪合戦はパワーだぜ。
恐るべき雪玉生産能力を誇るレティも凄いが、冬の妖怪相手に互角に戦う魔理沙もまた恐ろしい。
「すごい……」
あまりに凄まじい雪玉戦争に、とても参戦して援護など出来ない大妖精がぽつりと呟く。
「わー、すご~い!どっちも頑張れ~!!」
それはチルノも同様だったが、彼女は既に応援する立場に回っている。
「はっはっ、どーしたどーした!そんなもんじゃ、冬の妖怪が聞いて呆れるぜ!」
「口開けてると、シロップ無しのカキ氷をお腹いっぱい食べる事になるわよ!?」
軽口を叩きながら冷たくも熱いバトルを繰り広げる二人。傍観者二人も大盛り上がりだった。
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―――十数分後。先程まで壮絶な雪合戦を繰り広げていた二人は、互いの頭を向けるようにして、雪の上に仰向けになっていた。
「へへ、効いたぜ……お前の雪」
「あなたもね……この私と互角に戦ったのはあなたが初めてよ」
そして起き上がり、がっちりと握手。奇妙な友情が芽生えていた。
「何か、漫画みたいな展開だね……」
パチパチと拍手しながらも、大妖精はデジャヴを覚えそうな目の前の光景に苦笑い。
その時、風が吹いた。しかし、冬特有の冷たい北風ではなく、何だか暖かい、次の季節を思い起こさせるようなそよ風。
「お、何かあったかいな」
気付いた魔理沙が、風を浴びるかのように思いっきり伸びをする。
「春も近いんだな……」
何気ない一言だった。
だが、大妖精もレティも見逃さなかった。
魔理沙のその一言が、今まで楽しそうに笑っていた筈のチルノの顔を、確かに曇らせたのを。
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―――それから数日が経った。
今日もまたチルノは、レティと大妖精を連れて遊びに出る。
だが―――
「……雪、なんか少ないね」
残念そうにチルノ。
彼女の言葉通り、数日前は一面雪景色だった遊び場も、雪が融けて地面が露出している部分が大分目立った。
一昨日の夜を境に、雪も降らなくなった。
「もう、二月も終わるものね……春が近いのよ」
「春、かぁ……嬉しい筈なのに、素直に喜べないよ」
レティの言葉に、大妖精が困ったような顔をする。
と、その時。
「よう、またか。お前ら本当に仲いいな」
先日と同じように、魔理沙が箒に乗って現れる。
「今日はどうしたんですか?」
大妖精が訊く所も同じだ。
「あ~、その……今日の私はメッセンジャーだ。お前らにお知らせだぜ」
「お知らせ?」
それだけでは何のことか分からないチルノ。だが、大妖精は薄々気付いていた。
多分、良い知らせではない。
「お知らせ、ねぇ。良いニュースだといいんだけれど」
レティの言葉に、魔理沙も顔を曇らせた。
「……残念だが、悪い知らせだ。少なくとも、お前らにとってはな」
「え……?」
どきり、とした表情を浮かべるチルノ。大妖精の勘は、見事に的中した。
勘というものは、どうして当たって欲しくないときに限って的中するのだろう。
「……もったいぶってないで、教えてくれる?」
「分かった……チルノ」
レティの促しに魔理沙は頷き、チルノの方を向いた。
そして、指を三本立てて『3』の合図をする。
「……?」
チルノが首を傾げるのを見て、魔理沙は言い辛そうながらも言い切った。
「……あと三日だ。そいつと遊べるのはな」
「!?」
チルノは驚き、目を見開いた。レティは悲しそうにかぶりを振る。
(やっぱり……)
大妖精の勘は、嫌らしいまでに的中していた。自分のせいでは無いのに、何故か申し訳無い気持ちになる。
「ど、ど、どういうことよ!レティと遊べるのが、あと三日って……」
明らかに動揺したチルノは、魔理沙に詰め寄った。
「落ち着け。落ち着いて聞くんだ。いいか?」
そんな彼女を手で制しながら、魔理沙は言葉を続ける。
「昨日の事だ。紫だとか幽香だとか、その辺りの奴らが集まって『後どれくらいで春になるか』を調べたんだ。春度の調査とかでな。
その結果、三日後には幻想郷の冬は終わり、春が訪れるという事が分かった」
「そ、そんな……そんなのって……」
聞き終えたチルノの顔にありありと浮かぶ、焦燥感と悲しみの色。今年もまた、別れの時はやって来たのだ。
仲の良い二人を引き裂く要因は『四季の移り変わり』という、何者にも止める事の叶わない自然の摂理。
―――なんて残酷なのだろう。
「嘘だと、言いたいのか?気持ちは解るが……事実だ。何ならリリーホワイトに訊いてみるか?」
返事は無い。それが何よりの返答だった。
「まあ、何だ……せめて、残された日数を楽しむ事にした方がいい。こればっかりは、どうしようもねぇよ」
魔理沙はチルノを諭すように言った後、大妖精を向く。
「……チルノの事、頼む。レティが去ったら、あいつの心の穴を埋めてやれるのはお前だけだ」
神妙な面持ちで、大妖精は頷く。
それを確認してから、今度はレティに囁いた。
「……因果だよな、季節の妖怪って」
「仕方ないわよ……これが運命。受け入れる他ないわ」
「……強いんだな、お前。まあいい、とにかく残り三日、出来る限りチルノの傍にいてやってくれ」
「頼まれなくてもそのつもりよ……ありがとう」
それを聞いた魔理沙は安心したように頷き、未だ呆然とするチルノをもう一瞥してからその場を辞した。
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残された三人は、暫しその場に立ち尽くすばかりだった。
沈黙が流れる、湖のほとり。
その沈黙を破ったのは―――
「ごめん、二人とも」
チルノだった。
突然の発言に驚きつつ、二人が彼女の方を向く。
「先に帰っててくれるかな?用事思い出しちゃった」
「ちょっと、用事って」
言いかけたレティに構わず、チルノは素早く飛び去ってしまった。
「チルノちゃん!」
大妖精が追いかけようとするのを、レティが制した。
「いつものあの子なら、時間を惜しんで遊ぼうとする筈―――本当に大事な用なのよ、きっと。行かせてあげましょう」
「レティちゃん……」
大妖精には、頷く事しか出来なかった。
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―――数時間後。チルノは、空を飛んでいた。ひたすら上を目指して。
手には、これから会いに行く人物に宛てた、お土産のお菓子が沢山入ったバスケット。
結界の上を通り抜け、大きな門を潜る。
長い長い石段の果てに辿り着いた、大きな庭園。中央に聳え立つ楼閣。
庭を掃き掃除していた少女が、チルノの姿を目に留めた。
「……チルノさん?どうしたんですか、何か御用でも……」
「……うん。あのね……」
それから二言三言、会話を交わす二人。
「……お願い、あたいにとってすごく大事なの」
「……わかりました。こちらへ」
少女はチルノを楼閣へ案内した。
その一室で、チルノは目的の人物と対面する。
「あらあら。わざわざいらっしゃい」
目的の少女が、ニコニコ笑ってチルノを出迎えた。
「あのね、これ。おみやげだよ」
チルノは少女に、バスケットを差し出す。
案内をした少女は、二人が向かい合って座るテーブルに一つずつ湯気を立てる緑茶入りの湯飲みを置き、再び庭に戻る。
「あらあらぁ。嬉しいわぁ、ありがとね。こんなに沢山、いいのかしら」
嬉しそうに笑う少女を見据えて、チルノが切り出す。
「……その代わり、ってわけじゃないんだけど……あたいにね、教えて欲しい事があるの」
少女はチルノの眼差しに真剣さを感じ取り、チルノに向き直った。
「いいわよぉ。言ってみて」
「……あのね……」
チルノはゆっくりと話し始めた。
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―――更に二日が過ぎた。
冬の終わりまで、後一日。明日には冬が終わり、春が訪れる―――その日の朝。
博麗神社内の一室で眠りから覚めた博麗霊夢は、妙な違和感を感じ取った。
身体にダイレクトに伝わってくるこの違和感―――その正体を早くも掴み取った霊夢は呟く。
「……寒いわね。最近やっとあったかくなってきたのに」
そう、寒いのだ。とても、明日には春になるとは思えない気温。昨日と比べて、明らかに空気が冷たい。
はっとした霊夢は、布団を跳ね除け、障子を開ける。
彼女の目の前に広がる光景に目を見開いた。
「……うそ」
白かった。一面が真っ白。
そう。幻想郷は再び、白銀の雪に覆われていた。
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「……驚いたわね、また雪だなんて」
レティは手で一片の雪を受けながら、そう言ってため息。
「明日には、春になるんじゃなかったっけ……?」
大妖精もしきりに首を傾げる。
「そんなのどうでもいいって!せっかくまた雪が降ったんだし、遊ぼうよ!ね?」
チルノがそう言って二人を急かす。
レティはそんなチルノの様子を見て微笑んだ。
「……そうね。原因なんて考えてもしょうがないし、そうしましょう」
「うん、うん!」
嬉しくてたまらないといった笑顔を見せるチルノ。彼女は本当に楽しそうだった。
しかし大妖精は、何か違和感を感じ取っていた。何かはわからない。
(……なんだろう?チルノちゃんの近くにいると、何だか……)
「大ちゃん、なにボーッとしてるのさ!はやく、はやく!」
彼女の思考はそこで断ち切られた。見ればチルノとレティは早くも走り出して、大分距離を離されてしまった。
「あ、待ってよ!」
(……まあ、いっか。レティちゃんの言う通りだよね)
彼女も深く考えるのは止め、素直にこの状況を楽しむ事にしたのであった。
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「……どう見る?魔理沙」
博麗神社の一室で、霊夢と魔理沙は向き合っていた。
「どうったってなぁ……明日にゃ春の筈が、冬に逆戻りだろ。明らかに異変だぜ」
やれやれ、といった感じで答える魔理沙。
「何か知らない?心当たりとか」
霊夢が更に尋ねると、魔理沙はさらりと言った。
「あるぜ」
あんまり平然と言うもんだから、身を乗り出していた霊夢は拍子抜けてがくっとテーブルに突っ伏した。
「あるって……誰よ」
「さっき見てきて、心当たりが確信に変わった。聞き込みで裏付けもとってる。犯人の目星はついてるぜ」
「見てわかるの?」
「鋭い奴はな。私は鋭いぜ」
はあ、とため息の霊夢。異変解決は自分の仕事。久々に出動しなければならないようだ。
「行くわよ、魔理沙」
「……私も行くのか?」
「二人でやった方が早いわよ」
「……ああ」
何故か気が乗らない様子の魔理沙。霊夢はただ面倒だからだろう、くらいにしか考えなかった。
犯人の正体は、行く途中に聞けばいい。霊夢は立ち上がり、支度を始めた。
(……残酷すぎるぜ、こんなの。でも、だからってほっとく訳にはいかねえ)
魔理沙は内心で、『犯人』の顔を思い浮かべる。
(恨まないでくれよ……)
考えながら、魔理沙は帽子を少し深く被り直した。
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「はあ、はあ……チルノちゃん、少し休もうよぉ」
またも息を切らせた大妖精が、チルノに休憩を持ちかける。
「もう、大ちゃんったら。だらしないぞ、そんなんじゃ」
パタパタと腕を振るチルノ。彼女はまだまだ元気そうだ。
「少し休みましょうよ。朝からずっと遊び回って……体を壊しては元も子も無いわよ」
レティが優しく言うと、チルノも頷いた。
「……レティがそこまで言うなら」
その言葉で、大妖精は傍の切り株の雪を払い落とし、腰を下ろした。ふう、と息をつく。
手持ち無沙汰なチルノは、空を見上げていた。雪がちらつく曇り空。
(……そういえば、以前も似たような事があった)
レティは木にもたれ掛かりながら、思考を巡らせる。
(あの時の原因は、確か……)
レティの思考が、過去を遡り始めたその時。
「……あんたってば、本当にトラブルメーカーなのね」
上空からいきなり声が掛かった。
驚いた三人が声の方向を見上げてみると、赤い影と黒い影。
その『影』が、雪の上に降り立った。
「正直あんたが異変起こしたなんて信じられないけど……」
腰に手を当て、やれやれといった様子の赤―――霊夢。
一方、黒―――魔理沙は、何も言わずにチルノの方をじっと見ている。その顔は、どこか悲しげだ。
「……な、なんのこと?」
突如現れた二人の視線が自分に向いてる事が分かり、チルノはたじろいだ。頬を冷や汗が伝う。
彼女は、嘘がつけないタイプだ。
「……わかりやすいわね。絵に描いたような、図星を突かれた顔してるわよ」
「えっ、えっ!?どういうこと、チルノちゃん……異変って……」
展開が早すぎてついていけない様子の大妖精。視線をあっちこっちに走らせ、おろおろしている。
「……話が見えないわね。どういう事かしら?」
一方レティは、あくまで冷静に説明を求める。
だが、内心は感づいていた。
(……この子、まさか……)
「……いいわ。説明してあげる。
―――『終わらない冬』の事、覚えてる?」
「え、ええ……白玉楼の二人が、春を集めて桜を咲かせようとした……」
答えたレティは、はっとした表情を浮かべる。
(まさか、やっぱり!?)
その僅かな表情の変化を見て取り、霊夢はニヤリと笑う。
「気付いたみたいね。今回も、それと同じ―――そこにいるチルノが、春を奪ったのよ。そのせいで、こんな天気」
「……そうなの、チルノちゃん?」
大妖精が『驚愕』そのもののような顔で尋ねる。
「……しょ、証拠はあるの?」
あくまで認めないチルノ。だが、その表情は焦りに満ちている。
「……残念だが、ある」
と、今まで黙っていた魔理沙が口を開いた。
「……まず、一つ。私な……行ってきたんだ。白玉楼」
「!?」
チルノが驚いて魔理沙の方を向く。
「確かに聞いたぜ……お前が『春の集め方』を、幽々子に尋ねたってな」
「………」
チルノは俯いてしまう。それを見て眉をひそめる魔理沙。さらに続けた。
「……二つ。足元見てみな」
「あ、足……あっ!?」
「こ、これって……」
「……なるほど、ね」
言われた通り足元を見たチルノは、またも驚愕の表情を浮かべる。大妖精、レティも同様だ。
チルノの足元―――彼女の靴の周りの雪が融け、濡れた地面が露出していた。
「……人はな、大事な物を隠す時、どうするか。特にそれが、大きくなく、そしてあまり見られたくない物なら?
……私なら、肌身離さず身に付ける。そしてお前もそうだった」
「………」
「お前は、今も持ってるんだ。集めた『春』をな。んなもん持ってりゃ、当然お前の周りは暖かくなる」
(……そういえば)
大妖精は、今朝感じた違和感を思い出していた。チルノの傍にいる事によって感じた違和感。
(あれは、『春』をチルノちゃんが持ってたからなんだ)
多くの『春』を凝縮して所持していたチルノ。その傍にいれば、その温もりを感じ取る事が出来る。
辺りの寒さに対する、不自然な暖かさ。それが『違和感』となって大妖精に伝わった。
「……以上よ。何か反論は?」
「………」
霊夢からの質問に、何も返せないチルノ。その沈黙は、二人の論証が事実である事を何よりも雄弁に物語る。
「……さて、どうする?このまま大人しく春を返すならそれでよし。それとも……」
じりっ、と霊夢が一歩、チルノに踏み出す。
チルノが、ゆっくり口を開いた。
「……レティ、大ちゃん。下がってて」
「チルノ、あなた……」
「そ、それって……」
言葉を続けようとした二人を手で制し、チルノは首を振って―――笑った。
そして彼女は霊夢と魔理沙に向き直る。
「……勝てないなんて、わかってるよ。けど、あたいは引き下がれない」
「ま、あんたはそんなタマじゃないって分かってたけどね」
霊夢がポケットから札を取り出し、身構える。
(……チルノ……)
魔理沙も同様に八卦炉を取り出したが、どうにもモーションが遅い。その顔は、迷っていた。
チルノの周囲に、冷気が徐々に集まってゆく。
「―――いくよっ!雹符『ヘイルストーム』ッ!!」
チルノは二人に向かって飛び出した。鋭い氷の刃が拡散し、傍観する二人の視界を覆いつくした。
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―――十分後。勝敗は、決した。
「……立てるかしら……って、無理そうね」
霊夢が、札をしまった。
その視線は、数m前方でうつ伏せになり、雪の上に伏すチルノに向けられている。
チルノは殆ど動かない。肩で息をする彼女からは、抗戦の意思は見受けられない。少なくとも、見た目上は。
魔理沙も霊夢に倣って八卦炉をしまう。だが、彼女はチルノから顔を逸らし、目を伏せた。
辺りには、魔法で雪が融けた跡や、チルノが放った氷が散らばっている。
「あんた、こんなに強かったかしら?まあいいわ」
霊夢の言葉通りだった。以前のチルノなら、霊夢と魔理沙二人がかりという点を考慮しても、ものの数分で片が付いた筈だ。
十分という時間は、明らかに二人が多少なりとも苦戦を強いられた証拠でもある。
「さて、と」
霊夢はチルノに歩み寄る。チルノは動かない。
そのまま霊夢は屈んで手を伸ばし、チルノのスカートのポケットを探った。
やがて手ごたえを感じ、霊夢が手を引き抜く。
その手には、淡く光を放つ桜の花弁。これこそが、チルノが奪った『春』のかけら。
「今日のあんた、強かったわよ。暇な時、また相手になってもいいわ。じゃ、これは―――」
言いながら、彼女が『春』を持ち去ろうと踵を返しかけたその時。
ガシリと、何者かが霊夢の足首を掴んだ。
「……ないで……」
囁くような声が、霊夢の耳に届いた。驚いた彼女は視線を足元に移す。
足を掴む手の正体は、チルノだった。
「もって、かない、で……」
途切れ途切れに紡がれる、チルノの言葉。
「も、持ってくなって言われても……これ返さなきゃ、春来ないわよ?」
突然のチルノの行動に困った顔をする霊夢。このままでは身動きも出来ない。
「……だ、め……はるが、きたら……レティが……レティが……」
チルノの声は、震えていた。
「え、あ、ああ……なるほど」
霊夢はポン、と手を打った。ここに来てようやく、彼女はチルノが春を奪った真意を理解する。
「……友達がいなくなるから、寂しいのね。その気持ちは解るわよ。でも……」
「―――霊夢」
言いかけた霊夢を制したのはレティだった。
彼女は霊夢に笑いかけると、二人の傍にしゃがみ込む。
「……チルノ」
レティはチルノに話しかけながら、霊夢の足首を掴む彼女の手を優しく―――だが、強い力で解いた。
「……まったく、バカね。私のために、わざわざこんな大掛かりな事までするなんて」
「………」
チルノに語りかけるレティの口調や表情は、あくまで優しい。
「凄く、すごく嬉しいわ。ありがとう、チルノ」
「………」
誰も、何も言わない。レティの語りは続く。
「……けどね。冬から春に変わる―――これは、当たり前の事。誰かの意思でそれを捻じ曲げてしまうなんてのは、絶対に許されない」
「………」
レティの口調は優しい中にも、一切の反論を許さないような厳しさが含まれていた。
「だからね、チルノ……」
「……ってるよ」
ここで、とうとうチルノが口を開いた。
「わかってるよ、そんなのっ!」
強い口調で言い切り、彼女はそのまま体を起こし、立ち上がる。
彼女の目には、涙が滲んでいる。
「あたいはバカだけど、冬が春に変わるのは当たり前だって、そのぐらいわかるよ!!」
「………」
あまりの剣幕に、今度はレティが黙る番だった。
「だけど、だけど……そのせいで、レティがいなくなっちゃうのまで『あたりまえ』にされちゃうなんて……」
「……チルノ、だけど」
「なんで!?どうしてレティだけは『冬』の間しかいられないの!?他の人はみんないつでも会えるのに!!」
―――ぽろり。
今までずっとこらえていたのだろう。だがついに、チルノの目から涙がこぼれて落ちた。
「……こんな……ひっく……こんなの、おかしいよ……なんで……」
必死に言葉を紡ぎながら、袖で涙を拭うチルノ。だが、その行為はあまりに無駄であった。涙はいくら拭っても止まる気配は無い。
『何故、レティは冬の間しかいられないのか?』
―――答えはあまりに単純明快だ。『レティ・ホワイトロックは冬の妖怪だから』。
だが、チルノの幼い心はそれを受け入れられない。
会いたい時に会える、そんな当たり前の事もレティに対しては許されない。
大好きなのに、会えない。その事実に対して、この答えはあまりに説得力が無かった。チルノはそこまで強くない。
「……あたいは……あたいは、あとちょっとだけ遊びたかった……ひっく……それだけなの……」
チルノはしゃくりあげながら、それだけを何とか言い切った。
そして次の瞬間、彼女はいきなり走り出した。魔理沙に、霊夢に、大妖精に、そしてレティにも背を向け、彼女はこの場を走り去った。
「……チルノちゃん!!」
暫く呆然としていた大妖精だったが、慌ててかなり小さくなったチルノの背中を追う。
三人は、それを止めなかった。
「……ごめんなさい」
暫く押し黙ったままの三人だったが、レティが口を開いた。
「殆ど、私のせい。あの子は悪くないわ……迷惑かけちゃったわね」
「そんな」
魔理沙が何か言おうとしたが、続く言葉が見つからない。
「……これで、良かったのかな」
続く言葉の代わりにそれだけ言って、魔理沙は開いた口を閉じる。
「………」
霊夢は最後まで押し黙ったまま、チルノから取り返した『春』のかけらを握り締めていた。
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―――日は暮れ、夜の帳が下りた幻想郷。
レティは冬の間、チルノの要望でチルノの家に泊まっている。この時期は大妖精もよく泊まっていた。
チルノの家の居間で、レティは大妖精に訪ねた。
「―――あの子は?」
大妖精は黙って、チルノの部屋の閉ざされたままのドアを指差す。
レティがそっと近付き、聞き耳を立ててみる。
「……うぅ……ひっく、ひっく……ぐすっ」
すすり泣く声が聞こえる。
「帰ってから、ずっとああなの」
大妖精はそう言ってため息。
「……全部、私のせいよね。あの子が、大ちゃんが、こんなに辛い思いをするのも」
レティはそう言って、壁に寄りかかったまま俯く。
「私なんて、いなかった方が良かったのかもね……」
ぽつり、と呟いたその言葉に、大妖精が反応した。
「そんな……そんな事ないよ!!」
大妖精は、自分自身がこんな大声を出した事に自分で驚いていた。
「レティちゃんがいない方がいいなんて、そんな事ない!!そんな事を言う人がいたら、私が絶対許さない!!」
レティの肩を両手で掴み、大妖精は捲し立てる。その目には、うっすらと涙。
「だから……そんな事、言わないで。そんな寂しい事言ったら、チルノちゃんがもっと泣いちゃうよ」
「……大ちゃん……」
今の会話は、部屋に篭って泣き続けるチルノの耳にも届いただろうか。
夜は、更けていく。
―――春は、すぐそこだ。
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―――東の空に上る太陽が、朝を告げる。
明るんだ窓の外。明るくなった室内で、チルノは目を覚ました。いつの間にか、泣き疲れて眠ってしまったようだ。
今日から、春。もう朝になってしまっているから、きっともう、レティはいない。
妙に重く感じる体を起こし、チルノはドアを開け、部屋を出た。
外の空気でも吸おうかと、チルノは玄関に近付く。春の空気なら、さぞ美味しいに違いない。少しでも、この暗い気持ちを吹き飛ばしてくれるかも知れない。
握ったドアノブが、やけに冷たい。
そのままチルノは、ドアノブを捻る。ドアを押し開けて―――
「―――えっ?」
―――硬直した。
目の前の光景が信じられない。まだ夢を見ているのだろうか。
一歩外へ出てみる。ざくり、と足元から音がした。
ホワイトアウトしてしまったかのような視界の中で、チルノは暫し立ち尽くす。
――― 一面の銀世界。吹き抜ける冷たい風。抜けるような青空。
―――幻想郷は、まだ冬だった。
「だ……大ちゃん!!大ちゃん!!」
混乱した頭のまま、チルノは大妖精と、レティが使っていた部屋へ。
ドアを開けると、そこには―――
「……レティ……」
大妖精の横で穏やかな寝息を立てる、レティの姿があった。
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「……信じられないわね。何か目が覚めないと思ったら、まだ冬だなんて」
チルノに起こされたレティは、一面の銀世界を見渡して呟いた。
「……どういう事なんだろう、まだ冬なの?でも、『春』は昨日霊夢さんが……」
大妖精も驚きの表情で雪原に見とれるばかりだ。
と、その時。
「お呼びかしら?」
三人の前に、霊夢が突然降り立った。
「ね、ねえ。これはどういうことなの?」
チルノが尋ねると、霊夢は肩の高さで両手を広げる『わからない』のポーズをとって見せる。
「……けど、これだけは言えるわ」
霊夢はチルノの目を見ながら言った。
「あちこちの妖怪やらに確認をとったから間違い無いわ。幻想郷は、今日まで『冬』よ」
「……えっ!?ってことは……」
チルノはレティの顔を見る。
「……そ。今日一日は、そいつと好きなだけ遊べるってコト。原因はわからないけど、楽しんでおくのが吉じゃないかしら」
それを聞いた瞬間のチルノの顔―――まるで日を浴びてきらめく雪の結晶のように、輝いた。
「や……やったー!!レティ、大ちゃん!!遊びに行こっ!!みんなも呼んでくる!!」
たまらず、雪原に飛び出すチルノ。
「……まあいっか。せっかくだし、そうしましょう」
言いながら、レティも外に出る。
「チルノちゃん、みんなって……」
大妖精の言葉に、チルノは腕をブンブン振りながら答える。
「え、えっと、ルーミアでしょ、みすちーでしょ、リグルに、にとりに、てゐ……あーもう!!みんなはみんなよ!呼んでくるっ!!」
ワクワク感を抑える事が出来ないチルノは、友人を呼び出そうと飛び出しかけた―――が立ち止まり、立ち去ろうとしていた霊夢の背中に声を掛ける。
「ねえ、暇だったら一緒に遊ぼうよ!」
霊夢は振り返らず、片手を挙げた。
「……今すぐは無理だけど、後で行くわ」
「ほんと!?約束だよ!!」
喜色満面のチルノはその答えに喜び、そのままのテンションで友人達を呼び集めに飛び出した。
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―――博麗神社。
縁側に腰掛け、霊夢は湯飲みを両手で包むように持ち直した。
「雪を見ながらお茶を飲むってのも悪くないわね」
ひとりごちる霊夢の頭上から、接近する影。
「よーう、霊夢!」
魔理沙だった。彼女は箒を降りると、霊夢の横に腰掛ける。
「あら、魔理沙。お茶いれる?」
「うんにゃ、お構いなく」
その会話を交わす間、魔理沙はニヤニヤと笑ったままだった。
不審に思い始めた霊夢は、尋ねてみる。
「……何なの?さっきからニヤニヤして、気持ち悪いわよ」
すると魔理沙はニヤニヤ笑いを強めて、霊夢の肩に組みかかりながら言った。
「……霊夢。お前やっぱ、いい奴だよな」
「なっ……!?」
突然の言葉に、顔を赤くする霊夢。
「な、な、何よいきなり」
魔理沙は笑いながら言った。
「……この、謎の冬延長。お前の仕業だろ?チルノの為に……優しいねえ」
「な、何の事よ」
「昨日、お前がチルノに言った通りだ。図星そのまんまの顔だぜ」
さらに顔を赤くした霊夢は、魔理沙に呟く。
「……しょ、証拠はあるのかしら?」
すると魔理沙は、黙って霊夢の腕を掴んでブンブンと上下に振る。
―――はらり。
霊夢の服の袖からこぼれ落ちた、淡く光る桜の花弁。
「お前も同じだな」
再びニヤニヤ笑う魔理沙。
動かぬ証拠を発見され、霊夢は真っ赤になって俯いた。
「……ま、いいんじゃねえの」
魔理沙は寝転がりながら言った。
「……私もそう思う」
霊夢は綺麗な青空を見上げながら呟いた。
「幻想郷の歴史だって長いのよ。たまには……一日くらい冬が長くたっていいじゃない。
長い歴史の、ほんの一回くらい―――人間と妖精のワガママで、季節の節目が動いたって、さ」
そして霊夢は、クスッと笑う。
「―――リリーホワイトには悪いけど、ね」
そう言うと、霊夢は湯飲みを置いて立ち上がった。
「お、どこ行くんだ?リリーホワイトに謝りに行くなら、私も行くぜ」
「違うわよ。それはもう行ってきた」
「じゃあ、どこに?」
すると、霊夢はまた顔を赤らめる。
「……チルノんとこ。一緒に遊ぶって、約束したから……破るのも悪いし」
ははは、と笑って、魔理沙も立ち上がる。
「……やっぱお前、いい奴だよ。私も行くぜ。こないだの決着を付けてやる」
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―――幻想郷に住まう多くの人々も、今回のおかしな季節については『たまにはこんな事もあるだろう』と、深くは考えなかったようだ。
一方、いつもの遊び場では。
チルノ、レティ、大妖精に、チルノが集めた友人達。そして霊夢と魔理沙、さらに通りがかった者達まで飛び入り参加し、大規模な雪合戦が繰り広げられていた。
『三回当たったら抜ける』というライフポイント制の基、雪玉を投げあう両チーム。
そして、やはりと言うべきか、互いのチームの大将―――レティと魔理沙が残った。
「今度こそ、マスクを作ってあげようかしら?」
「遠慮しとくぜ。それより、雪だるま体験コースなんてどうだ。全身コーティングしてやるぜ」
「あら、素敵ね。お礼に、シロップ無しカキ氷、食べ放題コースをご案内するわ」
そして、凄まじい雪玉の応酬。とばっちりを受けないように、観客は全員ある程度退避した。
局地的に荒れ狂う大嵐の如き雪合戦に、熱狂的な声援が飛ぶ。
「そこだ、撃ち込め~!」
「魔理沙、上だ、上!」
「横から来るぞ、気をつけろ~!」
「これが弾幕……」
沸きに沸く傍観者達。当の本人達も、好敵手が現れたとばかりに雪玉で弾幕合戦。
試合は、大いに盛り上がった。
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この大規模な雪合戦の結末は、『クロスカウンターの如く二人同時に雪玉がヒット』という絵に描いたような漫画的形で引き分けた。
「またしても引き分けね……また戦いましょう」
「ああ、決着は来年だな。楽しみにしてるぜ」
がっちりと握手する二人に、温かい拍手。
そんな中、大妖精はレティに近付き、囁いた。
「レティちゃん、見てみて。みんなの顔」
言われた通りレティは見渡してみる。
霊夢も、魔理沙も、ルーミアも、ミスティアも、リグルも、にとりも、てゐも、鈴仙も、アリスも、雛も、ルナサも、メルランも、リリカも、萃香も―――そしてチルノも。
誰もがみんな、笑っていた。
「みんな、すごく楽しそう。レティちゃんがいてくれたからだよ」
そう言ってにっこりと笑う大妖精。レティは何だか気恥ずかしくなり、顔を赤くした。
暫くの間、拍手が絶える事は無かった。
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楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまうものだ。
とっくに日は暮れ、日付も変わろうかという時間。
チルノの家の一室で、大妖精とレティは寝る準備をしていた。
並んだベッドの片方に寝転がるレティ。
「チルノは?」
レティが尋ねると、大妖精は短く答える。
「お風呂」
耳を澄ますと、シャワーの音が聞こえて来る。
枕の位置を直している大妖精は、何故かレティの方を向こうとしない。
不自然さを感じたレティは尋ねてみた。
「どうしたの、大ちゃん」
「なんでも……ないよ」
小さな声で言う大妖精。その肩が、若干だが震えていた。
「じゃ……おやすみっ!またね!」
大妖精はそのまま布団に潜り込んでしまった。顔まですっぽりと布団を被り、レティに背を向ける。
(……どうしたんだろう)
違和感を拭いきれないレティは、背を向けたまま寝る大妖精にそっと忍び寄る。
よく見てみると、やはり肩が震えていた。そして―――
「……ぐすっ……ひっく、ぐす……レティちゃん……」
―――大妖精は、泣いていた。
チルノだけじゃない。寂しくないわけが無かった。
けれど、レティを心配させまいと、必死にその感情を押し殺していた。
そんな彼女を愛おしく感じたレティは、クスリと笑う。そして、布団の上から大妖精に覆いかぶさるように身を寄せた。
「……大ちゃん」
突然の接触に驚き、ビクリと体が動く。
「……な゙……げほっ、な、なに?」
涙声を咳払いでごまかし、大妖精が答える。
「……大ちゃんはね、頑張りすぎだよ。自分がしっかりしなくちゃって、いつも」
「………」
「我慢する必要なんかないよ。泣きたい時は、泣いていいんじゃないかな」
「レティちゃん……」
大妖精が動いたので、レティは少し離れる。
ゆっくり体を起こし、大妖精はレティを向いた。
目元の涙を拭って、笑いかける。
「……ありがとう。でも、もう大丈夫だよ。来年また会えるって、わかってるし……私がめそめそしてたら、チルノちゃんも暗くなっちゃう」
「もう、またそうやって自分で背負い込むんだから……でも、大ちゃんらしいね」
笑いあう二人。
「チルノのこと、よろしくね。いい子だけど、いつも危なっかしいから」
「大丈夫、任せて!来年また、レティちゃんに安心して会えるように……頑張るから」
また自分が頑張るつもりなんだ、とレティは思ったが、言わない。きっと大丈夫だ。
「じゃあ、おやすみ……また、次の冬にね」
「うん、またね……」
笑顔のまま、大妖精は布団の中へ戻った。
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大妖精の寝息が聞こえ始めて、暫く経った頃。
ガチャリ、と部屋のドアが開いた。
「レティ……」
声の主はチルノ。
「どうしたの?」
「あのさ……一緒に寝てもいい、かな?」
チルノの腕には枕が抱えられている。
レティは笑って言った。
「いいわよ……おいで」
チルノが寄って来て、嬉しそうにベッドに寝転がる。
「あ、待って」
レティは二つのベッドの間の辺りまで動く。すぐ横では大妖精が穏やかな寝息を立てている。
「大ちゃんも一緒に、ね」
チルノはレティの横に寝転ぶ。二人がレティを挟む形だ。
天井を見上げながら、チルノが呟く。
「びっくりしちゃった、冬がもう一日伸びるなんてさ」
「本当ね」
「おかげで、レティともう一日一緒にいられた。あたい、本当に楽しかったよ」
「そう、良かったわ。私も嬉しかった」
並んで寝転び、語り合う二人。
「でも、私がもっと驚いてるのはね」
「なぁに?」
「チルノが今日は泣かない事、かな」
レティはチルノの顔を見つめた。
「去年はさ、ずっと泣いてなかったっけ」
「あ、う~……」
顔を赤らめるチルノ。
「だってさ、また冬になれば会えるって、わかってるし。それに、もう一日一緒にいられたんだし。あと……」
「あと?」
「大ちゃん。大ちゃんは強いから、泣いてない。あたいも見習わなきゃ」
「ふふ……」
思わず笑ってしまうレティ。さっきまで大妖精も泣いてた事は、内緒にしておこう。
「チルノ、春は楽しみ?」
「……うん。冬だとあんまり遊べなかったリリーとも遊べるし、お花見も出来るし……」
「そう、良かった」
「……でも」
チルノは顔を曇らせた。
「レティと会えないのは、やっぱ寂しいかな……」
「もう、さっき自分で言ったでしょ。冬にはまた会えるって」
「……そうだよね。あたい、強くなる。寂しいからって泣いてたら、レティや大ちゃんに笑われちゃう」
「うん、偉い!」
レティはチルノをそっと抱きしめると、その頭を撫でてやる。
居心地良さそうに笑うチルノは、そのままレティの胸に顔を埋める。
「……あったかい……」
そう呟いて、チルノは目を閉じた。
レティは暫くの間、チルノの頭を撫でていたが、やがてチルノの寝息が聞こえてくると、手を頭から離す。
チルノを離そうかとも思ったが、起きてしまう恐れもある。
そう思ったレティは、チルノを抱きしめたまま目を閉じた。
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うっすらと、空が明るみを帯び始めた。
レティは目を覚ますと、そっとチルノを離し、体を起き上がらせた。
ベッドから離れると、いつもの服に着替える。脱いだパジャマは綺麗に畳んで、枕の上に置いた。
ドアを開ける直前、レティは安らかに眠る二人を振り返り、呟いた。
「またね……チルノ、大ちゃん。いい春を迎えてね」
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チルノの家を出たレティは、歩き始めた。
辺りを見渡すと、濡れた部分こそあれ、もう雪は残っていない。
時折吹き抜ける風も、心地よい春の匂いを運んでくる。もう冬は終わったんだと、レティは実感した。
そのまま木々を抜け、どんどん東の方角へ。段々行く先の空が白くなる。日の出ももうすぐだ。
と、レティは行く先から誰かが飛んでくるのを見た。
白い服でわかる。春を告げる妖精、リリーホワイトだった。
リリーもレティの姿に気付いたようだ。
二人の距離が狭まり、もうすぐすれ違う、そんな時。二人は目線で会話を交わす。
(……ごめんね)
(ううん、いいよ)
いざすれ違うその時、レティは左手を上げた。
リリーもそれに倣う。
―――パチン!
すれ違いざまのハイタッチ。渇いた音が、辺りに響き渡る。
冬から、春へ。
少し歩いた後、ふと視線を感じたレティが振り返ると、リリーが笑顔で手を振っている。
レティも笑顔で手を振り返した。
リリーはひとしきり手を振ると、再び背を向け、レティが来た方向へ飛んで行く。
それを確認したレティも、再び前を向いた。
―――その時。レティの正面から、一陣の風が吹いた。
そよ風ではない。暖かく、それでいて強く吹き抜ける風。春一番だ。
レティは風を抱きしめるように、両手を広げた。
暖かくて、心地よい。
(……ああ、春なんだ……)
レティはそっと、目を閉じた。
風は暫くの間止む事は無く、レティの体を包み込む。
そして、その風が止んだ時―――そこにはもう、誰もいなかった。
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リリーホワイトは、湖の近くまで辿り着いた。大体この辺が、幻想郷の中心部だ。
少し高度を上げ、辺りを見渡す。
雪は融けた。北風も吹かない。吹くのは心地よいそよ風。
その時、眩しい陽光がリリーの目に飛び込んできた。日の出だ。
長い冬は終わり、春の夜明け。
(さあ、お仕事、お仕事!)
リリーは自らに気合を入れ直した。
そして彼女は、胸いっぱいに春の空気を吸い込む。声が通るように、両手を口に当てた。
―――今こそ、幻想郷は―――
『 は る で す よ ~ ! ! 』
季節は、必ず巡るもの。神様ですらそれを捻じ曲げる事は出来ない。
――― 一つの季節でしか表に出られない、少女がいた。
そんな彼女の、親友がいた。
二人は互いが大好きだった。
だが、その季節が終われば、二人は離れ離れ。
それは抗う事の出来ない、自然の摂理。
―――そんな事、分かっていた。当たり前の事だった。
だけど―――それでも。
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「レティ、大ちゃん!はやくはやく!」
二月も終わりに近づいた幻想郷の、湖のほとり。
新雪に足跡をつけながら、チルノが後方の二人に手を振る。
「待ってよ、チルノちゃん……」
息を切らせた大妖精の言葉。
「まったくもう、そんなに急がなくても雪は逃げないわよ」
苦笑いしながら言うのは、冬の妖怪、レティ・ホワイトロック。
彼女は冬の妖怪ゆえ、冬の間しか人前に姿を現す事が出来ない。
春の訪れは冬の終わり、即ちレティとの別れを指す。
毎年冬になれば再び現れる事が出来るとは言え、彼女の友人、殊更レティに懐くチルノにとっては辛い別れだった。
レティ本人にしても、毎年後ろ髪を引かれる思いで彼女達と別れたものだ。
「ねえねえ、何して遊ぶ?」
全力疾走していたにも関わらず元気なチルノ。
「ぜえ、ぜえ……ちょ、まっ、て」
息が上がって上手く喋れない大妖精は、必死に呼吸を整える。
「チルノったら元気ねぇ。とても敵わないな」
クスクスと笑うレティ。いつも無邪気で無鉄砲なチルノを見守る彼女の眼差しは、どこか母親のような温かさを感じさせる。
「何して遊ぶって、三人で何が出来るかしら。他の皆はどうしたの?」
「リグルは寒くて寝ちゃってるし、みすちーは何か用事があってダメだって。ルーミアも風邪引いてるし……」
指折り数えながらそう答えるチルノの声色はどことなく残念そうだ。
と、その時だった。
「よ~う、寒いのに元気だな!」
上空からかかった声。箒に乗って降りてきたのは霧雨魔理沙だった。
普段と同じ衣装だが、首にはマフラーを巻いている。防寒仕様だ。
「魔理沙さん、どうしたんですか?」
大妖精が訊くと、魔理沙は笑ってみせる。
「暇だったからちょっかい出しに来た。はっはっは!」
「ねえ、暇なら一緒に遊ぼうよ!」
早く遊びたくてたまらないチルノが魔理沙を誘う。
「まったく、お前はホントーに元気だな……いいぜ、どーせ暇だったしな。何するんだ?」
押し負けた感もあるが、魔理沙も承諾。
「偶数だし、雪合戦でもする?」
「さんせー!」
レティの提案で、雪合戦に決定。
ジャンケンの末、レティと大妖精、チルノと魔理沙に分かれて対決する事に。
特に細かいルールは無く、雪玉を相手に向けて投げまくるシンプルなものである。
「早々に沈めて、新雪に顔型でも作らせてやるぜ」
言いながら魔理沙が雪を素早く掬い上げ、球形に固めたまさにその瞬間。
バシッ!
「うおっ!?」
軽快な音を立てて、魔理沙の顔面に雪玉直撃。そのまま大きく仰け反ったが、寸での所で体制を立て直す。
見れば、レティは早くも十個近い雪玉を手に持っていた。冬の妖怪ゆえ、雪を操るのはお手の物といった所か。
「顔型を作るのはあなたの方かしらね」
ニヤリと笑うレティに対し、顔の雪を払い落とした魔理沙も不敵に笑い返す。
「ったく、最早チートだな……まあいい、顔型はやめだ。雪でその綺麗な顔をパックしてやるぜ」
言い終わると同時に、二人の間で凄まじい雪玉の応酬が始まった。
ガトリング砲の如き勢いで雪玉を投げまくるレティと、一発一発に鉄板だって貫きそうなくらいのパワーを込める魔理沙。雪合戦はパワーだぜ。
恐るべき雪玉生産能力を誇るレティも凄いが、冬の妖怪相手に互角に戦う魔理沙もまた恐ろしい。
「すごい……」
あまりに凄まじい雪玉戦争に、とても参戦して援護など出来ない大妖精がぽつりと呟く。
「わー、すご~い!どっちも頑張れ~!!」
それはチルノも同様だったが、彼女は既に応援する立場に回っている。
「はっはっ、どーしたどーした!そんなもんじゃ、冬の妖怪が聞いて呆れるぜ!」
「口開けてると、シロップ無しのカキ氷をお腹いっぱい食べる事になるわよ!?」
軽口を叩きながら冷たくも熱いバトルを繰り広げる二人。傍観者二人も大盛り上がりだった。
・
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―――十数分後。先程まで壮絶な雪合戦を繰り広げていた二人は、互いの頭を向けるようにして、雪の上に仰向けになっていた。
「へへ、効いたぜ……お前の雪」
「あなたもね……この私と互角に戦ったのはあなたが初めてよ」
そして起き上がり、がっちりと握手。奇妙な友情が芽生えていた。
「何か、漫画みたいな展開だね……」
パチパチと拍手しながらも、大妖精はデジャヴを覚えそうな目の前の光景に苦笑い。
その時、風が吹いた。しかし、冬特有の冷たい北風ではなく、何だか暖かい、次の季節を思い起こさせるようなそよ風。
「お、何かあったかいな」
気付いた魔理沙が、風を浴びるかのように思いっきり伸びをする。
「春も近いんだな……」
何気ない一言だった。
だが、大妖精もレティも見逃さなかった。
魔理沙のその一言が、今まで楽しそうに笑っていた筈のチルノの顔を、確かに曇らせたのを。
・
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―――それから数日が経った。
今日もまたチルノは、レティと大妖精を連れて遊びに出る。
だが―――
「……雪、なんか少ないね」
残念そうにチルノ。
彼女の言葉通り、数日前は一面雪景色だった遊び場も、雪が融けて地面が露出している部分が大分目立った。
一昨日の夜を境に、雪も降らなくなった。
「もう、二月も終わるものね……春が近いのよ」
「春、かぁ……嬉しい筈なのに、素直に喜べないよ」
レティの言葉に、大妖精が困ったような顔をする。
と、その時。
「よう、またか。お前ら本当に仲いいな」
先日と同じように、魔理沙が箒に乗って現れる。
「今日はどうしたんですか?」
大妖精が訊く所も同じだ。
「あ~、その……今日の私はメッセンジャーだ。お前らにお知らせだぜ」
「お知らせ?」
それだけでは何のことか分からないチルノ。だが、大妖精は薄々気付いていた。
多分、良い知らせではない。
「お知らせ、ねぇ。良いニュースだといいんだけれど」
レティの言葉に、魔理沙も顔を曇らせた。
「……残念だが、悪い知らせだ。少なくとも、お前らにとってはな」
「え……?」
どきり、とした表情を浮かべるチルノ。大妖精の勘は、見事に的中した。
勘というものは、どうして当たって欲しくないときに限って的中するのだろう。
「……もったいぶってないで、教えてくれる?」
「分かった……チルノ」
レティの促しに魔理沙は頷き、チルノの方を向いた。
そして、指を三本立てて『3』の合図をする。
「……?」
チルノが首を傾げるのを見て、魔理沙は言い辛そうながらも言い切った。
「……あと三日だ。そいつと遊べるのはな」
「!?」
チルノは驚き、目を見開いた。レティは悲しそうにかぶりを振る。
(やっぱり……)
大妖精の勘は、嫌らしいまでに的中していた。自分のせいでは無いのに、何故か申し訳無い気持ちになる。
「ど、ど、どういうことよ!レティと遊べるのが、あと三日って……」
明らかに動揺したチルノは、魔理沙に詰め寄った。
「落ち着け。落ち着いて聞くんだ。いいか?」
そんな彼女を手で制しながら、魔理沙は言葉を続ける。
「昨日の事だ。紫だとか幽香だとか、その辺りの奴らが集まって『後どれくらいで春になるか』を調べたんだ。春度の調査とかでな。
その結果、三日後には幻想郷の冬は終わり、春が訪れるという事が分かった」
「そ、そんな……そんなのって……」
聞き終えたチルノの顔にありありと浮かぶ、焦燥感と悲しみの色。今年もまた、別れの時はやって来たのだ。
仲の良い二人を引き裂く要因は『四季の移り変わり』という、何者にも止める事の叶わない自然の摂理。
―――なんて残酷なのだろう。
「嘘だと、言いたいのか?気持ちは解るが……事実だ。何ならリリーホワイトに訊いてみるか?」
返事は無い。それが何よりの返答だった。
「まあ、何だ……せめて、残された日数を楽しむ事にした方がいい。こればっかりは、どうしようもねぇよ」
魔理沙はチルノを諭すように言った後、大妖精を向く。
「……チルノの事、頼む。レティが去ったら、あいつの心の穴を埋めてやれるのはお前だけだ」
神妙な面持ちで、大妖精は頷く。
それを確認してから、今度はレティに囁いた。
「……因果だよな、季節の妖怪って」
「仕方ないわよ……これが運命。受け入れる他ないわ」
「……強いんだな、お前。まあいい、とにかく残り三日、出来る限りチルノの傍にいてやってくれ」
「頼まれなくてもそのつもりよ……ありがとう」
それを聞いた魔理沙は安心したように頷き、未だ呆然とするチルノをもう一瞥してからその場を辞した。
・
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残された三人は、暫しその場に立ち尽くすばかりだった。
沈黙が流れる、湖のほとり。
その沈黙を破ったのは―――
「ごめん、二人とも」
チルノだった。
突然の発言に驚きつつ、二人が彼女の方を向く。
「先に帰っててくれるかな?用事思い出しちゃった」
「ちょっと、用事って」
言いかけたレティに構わず、チルノは素早く飛び去ってしまった。
「チルノちゃん!」
大妖精が追いかけようとするのを、レティが制した。
「いつものあの子なら、時間を惜しんで遊ぼうとする筈―――本当に大事な用なのよ、きっと。行かせてあげましょう」
「レティちゃん……」
大妖精には、頷く事しか出来なかった。
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―――数時間後。チルノは、空を飛んでいた。ひたすら上を目指して。
手には、これから会いに行く人物に宛てた、お土産のお菓子が沢山入ったバスケット。
結界の上を通り抜け、大きな門を潜る。
長い長い石段の果てに辿り着いた、大きな庭園。中央に聳え立つ楼閣。
庭を掃き掃除していた少女が、チルノの姿を目に留めた。
「……チルノさん?どうしたんですか、何か御用でも……」
「……うん。あのね……」
それから二言三言、会話を交わす二人。
「……お願い、あたいにとってすごく大事なの」
「……わかりました。こちらへ」
少女はチルノを楼閣へ案内した。
その一室で、チルノは目的の人物と対面する。
「あらあら。わざわざいらっしゃい」
目的の少女が、ニコニコ笑ってチルノを出迎えた。
「あのね、これ。おみやげだよ」
チルノは少女に、バスケットを差し出す。
案内をした少女は、二人が向かい合って座るテーブルに一つずつ湯気を立てる緑茶入りの湯飲みを置き、再び庭に戻る。
「あらあらぁ。嬉しいわぁ、ありがとね。こんなに沢山、いいのかしら」
嬉しそうに笑う少女を見据えて、チルノが切り出す。
「……その代わり、ってわけじゃないんだけど……あたいにね、教えて欲しい事があるの」
少女はチルノの眼差しに真剣さを感じ取り、チルノに向き直った。
「いいわよぉ。言ってみて」
「……あのね……」
チルノはゆっくりと話し始めた。
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―――更に二日が過ぎた。
冬の終わりまで、後一日。明日には冬が終わり、春が訪れる―――その日の朝。
博麗神社内の一室で眠りから覚めた博麗霊夢は、妙な違和感を感じ取った。
身体にダイレクトに伝わってくるこの違和感―――その正体を早くも掴み取った霊夢は呟く。
「……寒いわね。最近やっとあったかくなってきたのに」
そう、寒いのだ。とても、明日には春になるとは思えない気温。昨日と比べて、明らかに空気が冷たい。
はっとした霊夢は、布団を跳ね除け、障子を開ける。
彼女の目の前に広がる光景に目を見開いた。
「……うそ」
白かった。一面が真っ白。
そう。幻想郷は再び、白銀の雪に覆われていた。
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「……驚いたわね、また雪だなんて」
レティは手で一片の雪を受けながら、そう言ってため息。
「明日には、春になるんじゃなかったっけ……?」
大妖精もしきりに首を傾げる。
「そんなのどうでもいいって!せっかくまた雪が降ったんだし、遊ぼうよ!ね?」
チルノがそう言って二人を急かす。
レティはそんなチルノの様子を見て微笑んだ。
「……そうね。原因なんて考えてもしょうがないし、そうしましょう」
「うん、うん!」
嬉しくてたまらないといった笑顔を見せるチルノ。彼女は本当に楽しそうだった。
しかし大妖精は、何か違和感を感じ取っていた。何かはわからない。
(……なんだろう?チルノちゃんの近くにいると、何だか……)
「大ちゃん、なにボーッとしてるのさ!はやく、はやく!」
彼女の思考はそこで断ち切られた。見ればチルノとレティは早くも走り出して、大分距離を離されてしまった。
「あ、待ってよ!」
(……まあ、いっか。レティちゃんの言う通りだよね)
彼女も深く考えるのは止め、素直にこの状況を楽しむ事にしたのであった。
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「……どう見る?魔理沙」
博麗神社の一室で、霊夢と魔理沙は向き合っていた。
「どうったってなぁ……明日にゃ春の筈が、冬に逆戻りだろ。明らかに異変だぜ」
やれやれ、といった感じで答える魔理沙。
「何か知らない?心当たりとか」
霊夢が更に尋ねると、魔理沙はさらりと言った。
「あるぜ」
あんまり平然と言うもんだから、身を乗り出していた霊夢は拍子抜けてがくっとテーブルに突っ伏した。
「あるって……誰よ」
「さっき見てきて、心当たりが確信に変わった。聞き込みで裏付けもとってる。犯人の目星はついてるぜ」
「見てわかるの?」
「鋭い奴はな。私は鋭いぜ」
はあ、とため息の霊夢。異変解決は自分の仕事。久々に出動しなければならないようだ。
「行くわよ、魔理沙」
「……私も行くのか?」
「二人でやった方が早いわよ」
「……ああ」
何故か気が乗らない様子の魔理沙。霊夢はただ面倒だからだろう、くらいにしか考えなかった。
犯人の正体は、行く途中に聞けばいい。霊夢は立ち上がり、支度を始めた。
(……残酷すぎるぜ、こんなの。でも、だからってほっとく訳にはいかねえ)
魔理沙は内心で、『犯人』の顔を思い浮かべる。
(恨まないでくれよ……)
考えながら、魔理沙は帽子を少し深く被り直した。
・
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・
・
・
「はあ、はあ……チルノちゃん、少し休もうよぉ」
またも息を切らせた大妖精が、チルノに休憩を持ちかける。
「もう、大ちゃんったら。だらしないぞ、そんなんじゃ」
パタパタと腕を振るチルノ。彼女はまだまだ元気そうだ。
「少し休みましょうよ。朝からずっと遊び回って……体を壊しては元も子も無いわよ」
レティが優しく言うと、チルノも頷いた。
「……レティがそこまで言うなら」
その言葉で、大妖精は傍の切り株の雪を払い落とし、腰を下ろした。ふう、と息をつく。
手持ち無沙汰なチルノは、空を見上げていた。雪がちらつく曇り空。
(……そういえば、以前も似たような事があった)
レティは木にもたれ掛かりながら、思考を巡らせる。
(あの時の原因は、確か……)
レティの思考が、過去を遡り始めたその時。
「……あんたってば、本当にトラブルメーカーなのね」
上空からいきなり声が掛かった。
驚いた三人が声の方向を見上げてみると、赤い影と黒い影。
その『影』が、雪の上に降り立った。
「正直あんたが異変起こしたなんて信じられないけど……」
腰に手を当て、やれやれといった様子の赤―――霊夢。
一方、黒―――魔理沙は、何も言わずにチルノの方をじっと見ている。その顔は、どこか悲しげだ。
「……な、なんのこと?」
突如現れた二人の視線が自分に向いてる事が分かり、チルノはたじろいだ。頬を冷や汗が伝う。
彼女は、嘘がつけないタイプだ。
「……わかりやすいわね。絵に描いたような、図星を突かれた顔してるわよ」
「えっ、えっ!?どういうこと、チルノちゃん……異変って……」
展開が早すぎてついていけない様子の大妖精。視線をあっちこっちに走らせ、おろおろしている。
「……話が見えないわね。どういう事かしら?」
一方レティは、あくまで冷静に説明を求める。
だが、内心は感づいていた。
(……この子、まさか……)
「……いいわ。説明してあげる。
―――『終わらない冬』の事、覚えてる?」
「え、ええ……白玉楼の二人が、春を集めて桜を咲かせようとした……」
答えたレティは、はっとした表情を浮かべる。
(まさか、やっぱり!?)
その僅かな表情の変化を見て取り、霊夢はニヤリと笑う。
「気付いたみたいね。今回も、それと同じ―――そこにいるチルノが、春を奪ったのよ。そのせいで、こんな天気」
「……そうなの、チルノちゃん?」
大妖精が『驚愕』そのもののような顔で尋ねる。
「……しょ、証拠はあるの?」
あくまで認めないチルノ。だが、その表情は焦りに満ちている。
「……残念だが、ある」
と、今まで黙っていた魔理沙が口を開いた。
「……まず、一つ。私な……行ってきたんだ。白玉楼」
「!?」
チルノが驚いて魔理沙の方を向く。
「確かに聞いたぜ……お前が『春の集め方』を、幽々子に尋ねたってな」
「………」
チルノは俯いてしまう。それを見て眉をひそめる魔理沙。さらに続けた。
「……二つ。足元見てみな」
「あ、足……あっ!?」
「こ、これって……」
「……なるほど、ね」
言われた通り足元を見たチルノは、またも驚愕の表情を浮かべる。大妖精、レティも同様だ。
チルノの足元―――彼女の靴の周りの雪が融け、濡れた地面が露出していた。
「……人はな、大事な物を隠す時、どうするか。特にそれが、大きくなく、そしてあまり見られたくない物なら?
……私なら、肌身離さず身に付ける。そしてお前もそうだった」
「………」
「お前は、今も持ってるんだ。集めた『春』をな。んなもん持ってりゃ、当然お前の周りは暖かくなる」
(……そういえば)
大妖精は、今朝感じた違和感を思い出していた。チルノの傍にいる事によって感じた違和感。
(あれは、『春』をチルノちゃんが持ってたからなんだ)
多くの『春』を凝縮して所持していたチルノ。その傍にいれば、その温もりを感じ取る事が出来る。
辺りの寒さに対する、不自然な暖かさ。それが『違和感』となって大妖精に伝わった。
「……以上よ。何か反論は?」
「………」
霊夢からの質問に、何も返せないチルノ。その沈黙は、二人の論証が事実である事を何よりも雄弁に物語る。
「……さて、どうする?このまま大人しく春を返すならそれでよし。それとも……」
じりっ、と霊夢が一歩、チルノに踏み出す。
チルノが、ゆっくり口を開いた。
「……レティ、大ちゃん。下がってて」
「チルノ、あなた……」
「そ、それって……」
言葉を続けようとした二人を手で制し、チルノは首を振って―――笑った。
そして彼女は霊夢と魔理沙に向き直る。
「……勝てないなんて、わかってるよ。けど、あたいは引き下がれない」
「ま、あんたはそんなタマじゃないって分かってたけどね」
霊夢がポケットから札を取り出し、身構える。
(……チルノ……)
魔理沙も同様に八卦炉を取り出したが、どうにもモーションが遅い。その顔は、迷っていた。
チルノの周囲に、冷気が徐々に集まってゆく。
「―――いくよっ!雹符『ヘイルストーム』ッ!!」
チルノは二人に向かって飛び出した。鋭い氷の刃が拡散し、傍観する二人の視界を覆いつくした。
・
・
・
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・
―――十分後。勝敗は、決した。
「……立てるかしら……って、無理そうね」
霊夢が、札をしまった。
その視線は、数m前方でうつ伏せになり、雪の上に伏すチルノに向けられている。
チルノは殆ど動かない。肩で息をする彼女からは、抗戦の意思は見受けられない。少なくとも、見た目上は。
魔理沙も霊夢に倣って八卦炉をしまう。だが、彼女はチルノから顔を逸らし、目を伏せた。
辺りには、魔法で雪が融けた跡や、チルノが放った氷が散らばっている。
「あんた、こんなに強かったかしら?まあいいわ」
霊夢の言葉通りだった。以前のチルノなら、霊夢と魔理沙二人がかりという点を考慮しても、ものの数分で片が付いた筈だ。
十分という時間は、明らかに二人が多少なりとも苦戦を強いられた証拠でもある。
「さて、と」
霊夢はチルノに歩み寄る。チルノは動かない。
そのまま霊夢は屈んで手を伸ばし、チルノのスカートのポケットを探った。
やがて手ごたえを感じ、霊夢が手を引き抜く。
その手には、淡く光を放つ桜の花弁。これこそが、チルノが奪った『春』のかけら。
「今日のあんた、強かったわよ。暇な時、また相手になってもいいわ。じゃ、これは―――」
言いながら、彼女が『春』を持ち去ろうと踵を返しかけたその時。
ガシリと、何者かが霊夢の足首を掴んだ。
「……ないで……」
囁くような声が、霊夢の耳に届いた。驚いた彼女は視線を足元に移す。
足を掴む手の正体は、チルノだった。
「もって、かない、で……」
途切れ途切れに紡がれる、チルノの言葉。
「も、持ってくなって言われても……これ返さなきゃ、春来ないわよ?」
突然のチルノの行動に困った顔をする霊夢。このままでは身動きも出来ない。
「……だ、め……はるが、きたら……レティが……レティが……」
チルノの声は、震えていた。
「え、あ、ああ……なるほど」
霊夢はポン、と手を打った。ここに来てようやく、彼女はチルノが春を奪った真意を理解する。
「……友達がいなくなるから、寂しいのね。その気持ちは解るわよ。でも……」
「―――霊夢」
言いかけた霊夢を制したのはレティだった。
彼女は霊夢に笑いかけると、二人の傍にしゃがみ込む。
「……チルノ」
レティはチルノに話しかけながら、霊夢の足首を掴む彼女の手を優しく―――だが、強い力で解いた。
「……まったく、バカね。私のために、わざわざこんな大掛かりな事までするなんて」
「………」
チルノに語りかけるレティの口調や表情は、あくまで優しい。
「凄く、すごく嬉しいわ。ありがとう、チルノ」
「………」
誰も、何も言わない。レティの語りは続く。
「……けどね。冬から春に変わる―――これは、当たり前の事。誰かの意思でそれを捻じ曲げてしまうなんてのは、絶対に許されない」
「………」
レティの口調は優しい中にも、一切の反論を許さないような厳しさが含まれていた。
「だからね、チルノ……」
「……ってるよ」
ここで、とうとうチルノが口を開いた。
「わかってるよ、そんなのっ!」
強い口調で言い切り、彼女はそのまま体を起こし、立ち上がる。
彼女の目には、涙が滲んでいる。
「あたいはバカだけど、冬が春に変わるのは当たり前だって、そのぐらいわかるよ!!」
「………」
あまりの剣幕に、今度はレティが黙る番だった。
「だけど、だけど……そのせいで、レティがいなくなっちゃうのまで『あたりまえ』にされちゃうなんて……」
「……チルノ、だけど」
「なんで!?どうしてレティだけは『冬』の間しかいられないの!?他の人はみんないつでも会えるのに!!」
―――ぽろり。
今までずっとこらえていたのだろう。だがついに、チルノの目から涙がこぼれて落ちた。
「……こんな……ひっく……こんなの、おかしいよ……なんで……」
必死に言葉を紡ぎながら、袖で涙を拭うチルノ。だが、その行為はあまりに無駄であった。涙はいくら拭っても止まる気配は無い。
『何故、レティは冬の間しかいられないのか?』
―――答えはあまりに単純明快だ。『レティ・ホワイトロックは冬の妖怪だから』。
だが、チルノの幼い心はそれを受け入れられない。
会いたい時に会える、そんな当たり前の事もレティに対しては許されない。
大好きなのに、会えない。その事実に対して、この答えはあまりに説得力が無かった。チルノはそこまで強くない。
「……あたいは……あたいは、あとちょっとだけ遊びたかった……ひっく……それだけなの……」
チルノはしゃくりあげながら、それだけを何とか言い切った。
そして次の瞬間、彼女はいきなり走り出した。魔理沙に、霊夢に、大妖精に、そしてレティにも背を向け、彼女はこの場を走り去った。
「……チルノちゃん!!」
暫く呆然としていた大妖精だったが、慌ててかなり小さくなったチルノの背中を追う。
三人は、それを止めなかった。
「……ごめんなさい」
暫く押し黙ったままの三人だったが、レティが口を開いた。
「殆ど、私のせい。あの子は悪くないわ……迷惑かけちゃったわね」
「そんな」
魔理沙が何か言おうとしたが、続く言葉が見つからない。
「……これで、良かったのかな」
続く言葉の代わりにそれだけ言って、魔理沙は開いた口を閉じる。
「………」
霊夢は最後まで押し黙ったまま、チルノから取り返した『春』のかけらを握り締めていた。
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―――日は暮れ、夜の帳が下りた幻想郷。
レティは冬の間、チルノの要望でチルノの家に泊まっている。この時期は大妖精もよく泊まっていた。
チルノの家の居間で、レティは大妖精に訪ねた。
「―――あの子は?」
大妖精は黙って、チルノの部屋の閉ざされたままのドアを指差す。
レティがそっと近付き、聞き耳を立ててみる。
「……うぅ……ひっく、ひっく……ぐすっ」
すすり泣く声が聞こえる。
「帰ってから、ずっとああなの」
大妖精はそう言ってため息。
「……全部、私のせいよね。あの子が、大ちゃんが、こんなに辛い思いをするのも」
レティはそう言って、壁に寄りかかったまま俯く。
「私なんて、いなかった方が良かったのかもね……」
ぽつり、と呟いたその言葉に、大妖精が反応した。
「そんな……そんな事ないよ!!」
大妖精は、自分自身がこんな大声を出した事に自分で驚いていた。
「レティちゃんがいない方がいいなんて、そんな事ない!!そんな事を言う人がいたら、私が絶対許さない!!」
レティの肩を両手で掴み、大妖精は捲し立てる。その目には、うっすらと涙。
「だから……そんな事、言わないで。そんな寂しい事言ったら、チルノちゃんがもっと泣いちゃうよ」
「……大ちゃん……」
今の会話は、部屋に篭って泣き続けるチルノの耳にも届いただろうか。
夜は、更けていく。
―――春は、すぐそこだ。
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―――東の空に上る太陽が、朝を告げる。
明るんだ窓の外。明るくなった室内で、チルノは目を覚ました。いつの間にか、泣き疲れて眠ってしまったようだ。
今日から、春。もう朝になってしまっているから、きっともう、レティはいない。
妙に重く感じる体を起こし、チルノはドアを開け、部屋を出た。
外の空気でも吸おうかと、チルノは玄関に近付く。春の空気なら、さぞ美味しいに違いない。少しでも、この暗い気持ちを吹き飛ばしてくれるかも知れない。
握ったドアノブが、やけに冷たい。
そのままチルノは、ドアノブを捻る。ドアを押し開けて―――
「―――えっ?」
―――硬直した。
目の前の光景が信じられない。まだ夢を見ているのだろうか。
一歩外へ出てみる。ざくり、と足元から音がした。
ホワイトアウトしてしまったかのような視界の中で、チルノは暫し立ち尽くす。
――― 一面の銀世界。吹き抜ける冷たい風。抜けるような青空。
―――幻想郷は、まだ冬だった。
「だ……大ちゃん!!大ちゃん!!」
混乱した頭のまま、チルノは大妖精と、レティが使っていた部屋へ。
ドアを開けると、そこには―――
「……レティ……」
大妖精の横で穏やかな寝息を立てる、レティの姿があった。
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「……信じられないわね。何か目が覚めないと思ったら、まだ冬だなんて」
チルノに起こされたレティは、一面の銀世界を見渡して呟いた。
「……どういう事なんだろう、まだ冬なの?でも、『春』は昨日霊夢さんが……」
大妖精も驚きの表情で雪原に見とれるばかりだ。
と、その時。
「お呼びかしら?」
三人の前に、霊夢が突然降り立った。
「ね、ねえ。これはどういうことなの?」
チルノが尋ねると、霊夢は肩の高さで両手を広げる『わからない』のポーズをとって見せる。
「……けど、これだけは言えるわ」
霊夢はチルノの目を見ながら言った。
「あちこちの妖怪やらに確認をとったから間違い無いわ。幻想郷は、今日まで『冬』よ」
「……えっ!?ってことは……」
チルノはレティの顔を見る。
「……そ。今日一日は、そいつと好きなだけ遊べるってコト。原因はわからないけど、楽しんでおくのが吉じゃないかしら」
それを聞いた瞬間のチルノの顔―――まるで日を浴びてきらめく雪の結晶のように、輝いた。
「や……やったー!!レティ、大ちゃん!!遊びに行こっ!!みんなも呼んでくる!!」
たまらず、雪原に飛び出すチルノ。
「……まあいっか。せっかくだし、そうしましょう」
言いながら、レティも外に出る。
「チルノちゃん、みんなって……」
大妖精の言葉に、チルノは腕をブンブン振りながら答える。
「え、えっと、ルーミアでしょ、みすちーでしょ、リグルに、にとりに、てゐ……あーもう!!みんなはみんなよ!呼んでくるっ!!」
ワクワク感を抑える事が出来ないチルノは、友人を呼び出そうと飛び出しかけた―――が立ち止まり、立ち去ろうとしていた霊夢の背中に声を掛ける。
「ねえ、暇だったら一緒に遊ぼうよ!」
霊夢は振り返らず、片手を挙げた。
「……今すぐは無理だけど、後で行くわ」
「ほんと!?約束だよ!!」
喜色満面のチルノはその答えに喜び、そのままのテンションで友人達を呼び集めに飛び出した。
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―――博麗神社。
縁側に腰掛け、霊夢は湯飲みを両手で包むように持ち直した。
「雪を見ながらお茶を飲むってのも悪くないわね」
ひとりごちる霊夢の頭上から、接近する影。
「よーう、霊夢!」
魔理沙だった。彼女は箒を降りると、霊夢の横に腰掛ける。
「あら、魔理沙。お茶いれる?」
「うんにゃ、お構いなく」
その会話を交わす間、魔理沙はニヤニヤと笑ったままだった。
不審に思い始めた霊夢は、尋ねてみる。
「……何なの?さっきからニヤニヤして、気持ち悪いわよ」
すると魔理沙はニヤニヤ笑いを強めて、霊夢の肩に組みかかりながら言った。
「……霊夢。お前やっぱ、いい奴だよな」
「なっ……!?」
突然の言葉に、顔を赤くする霊夢。
「な、な、何よいきなり」
魔理沙は笑いながら言った。
「……この、謎の冬延長。お前の仕業だろ?チルノの為に……優しいねえ」
「な、何の事よ」
「昨日、お前がチルノに言った通りだ。図星そのまんまの顔だぜ」
さらに顔を赤くした霊夢は、魔理沙に呟く。
「……しょ、証拠はあるのかしら?」
すると魔理沙は、黙って霊夢の腕を掴んでブンブンと上下に振る。
―――はらり。
霊夢の服の袖からこぼれ落ちた、淡く光る桜の花弁。
「お前も同じだな」
再びニヤニヤ笑う魔理沙。
動かぬ証拠を発見され、霊夢は真っ赤になって俯いた。
「……ま、いいんじゃねえの」
魔理沙は寝転がりながら言った。
「……私もそう思う」
霊夢は綺麗な青空を見上げながら呟いた。
「幻想郷の歴史だって長いのよ。たまには……一日くらい冬が長くたっていいじゃない。
長い歴史の、ほんの一回くらい―――人間と妖精のワガママで、季節の節目が動いたって、さ」
そして霊夢は、クスッと笑う。
「―――リリーホワイトには悪いけど、ね」
そう言うと、霊夢は湯飲みを置いて立ち上がった。
「お、どこ行くんだ?リリーホワイトに謝りに行くなら、私も行くぜ」
「違うわよ。それはもう行ってきた」
「じゃあ、どこに?」
すると、霊夢はまた顔を赤らめる。
「……チルノんとこ。一緒に遊ぶって、約束したから……破るのも悪いし」
ははは、と笑って、魔理沙も立ち上がる。
「……やっぱお前、いい奴だよ。私も行くぜ。こないだの決着を付けてやる」
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―――幻想郷に住まう多くの人々も、今回のおかしな季節については『たまにはこんな事もあるだろう』と、深くは考えなかったようだ。
一方、いつもの遊び場では。
チルノ、レティ、大妖精に、チルノが集めた友人達。そして霊夢と魔理沙、さらに通りがかった者達まで飛び入り参加し、大規模な雪合戦が繰り広げられていた。
『三回当たったら抜ける』というライフポイント制の基、雪玉を投げあう両チーム。
そして、やはりと言うべきか、互いのチームの大将―――レティと魔理沙が残った。
「今度こそ、マスクを作ってあげようかしら?」
「遠慮しとくぜ。それより、雪だるま体験コースなんてどうだ。全身コーティングしてやるぜ」
「あら、素敵ね。お礼に、シロップ無しカキ氷、食べ放題コースをご案内するわ」
そして、凄まじい雪玉の応酬。とばっちりを受けないように、観客は全員ある程度退避した。
局地的に荒れ狂う大嵐の如き雪合戦に、熱狂的な声援が飛ぶ。
「そこだ、撃ち込め~!」
「魔理沙、上だ、上!」
「横から来るぞ、気をつけろ~!」
「これが弾幕……」
沸きに沸く傍観者達。当の本人達も、好敵手が現れたとばかりに雪玉で弾幕合戦。
試合は、大いに盛り上がった。
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この大規模な雪合戦の結末は、『クロスカウンターの如く二人同時に雪玉がヒット』という絵に描いたような漫画的形で引き分けた。
「またしても引き分けね……また戦いましょう」
「ああ、決着は来年だな。楽しみにしてるぜ」
がっちりと握手する二人に、温かい拍手。
そんな中、大妖精はレティに近付き、囁いた。
「レティちゃん、見てみて。みんなの顔」
言われた通りレティは見渡してみる。
霊夢も、魔理沙も、ルーミアも、ミスティアも、リグルも、にとりも、てゐも、鈴仙も、アリスも、雛も、ルナサも、メルランも、リリカも、萃香も―――そしてチルノも。
誰もがみんな、笑っていた。
「みんな、すごく楽しそう。レティちゃんがいてくれたからだよ」
そう言ってにっこりと笑う大妖精。レティは何だか気恥ずかしくなり、顔を赤くした。
暫くの間、拍手が絶える事は無かった。
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楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまうものだ。
とっくに日は暮れ、日付も変わろうかという時間。
チルノの家の一室で、大妖精とレティは寝る準備をしていた。
並んだベッドの片方に寝転がるレティ。
「チルノは?」
レティが尋ねると、大妖精は短く答える。
「お風呂」
耳を澄ますと、シャワーの音が聞こえて来る。
枕の位置を直している大妖精は、何故かレティの方を向こうとしない。
不自然さを感じたレティは尋ねてみた。
「どうしたの、大ちゃん」
「なんでも……ないよ」
小さな声で言う大妖精。その肩が、若干だが震えていた。
「じゃ……おやすみっ!またね!」
大妖精はそのまま布団に潜り込んでしまった。顔まですっぽりと布団を被り、レティに背を向ける。
(……どうしたんだろう)
違和感を拭いきれないレティは、背を向けたまま寝る大妖精にそっと忍び寄る。
よく見てみると、やはり肩が震えていた。そして―――
「……ぐすっ……ひっく、ぐす……レティちゃん……」
―――大妖精は、泣いていた。
チルノだけじゃない。寂しくないわけが無かった。
けれど、レティを心配させまいと、必死にその感情を押し殺していた。
そんな彼女を愛おしく感じたレティは、クスリと笑う。そして、布団の上から大妖精に覆いかぶさるように身を寄せた。
「……大ちゃん」
突然の接触に驚き、ビクリと体が動く。
「……な゙……げほっ、な、なに?」
涙声を咳払いでごまかし、大妖精が答える。
「……大ちゃんはね、頑張りすぎだよ。自分がしっかりしなくちゃって、いつも」
「………」
「我慢する必要なんかないよ。泣きたい時は、泣いていいんじゃないかな」
「レティちゃん……」
大妖精が動いたので、レティは少し離れる。
ゆっくり体を起こし、大妖精はレティを向いた。
目元の涙を拭って、笑いかける。
「……ありがとう。でも、もう大丈夫だよ。来年また会えるって、わかってるし……私がめそめそしてたら、チルノちゃんも暗くなっちゃう」
「もう、またそうやって自分で背負い込むんだから……でも、大ちゃんらしいね」
笑いあう二人。
「チルノのこと、よろしくね。いい子だけど、いつも危なっかしいから」
「大丈夫、任せて!来年また、レティちゃんに安心して会えるように……頑張るから」
また自分が頑張るつもりなんだ、とレティは思ったが、言わない。きっと大丈夫だ。
「じゃあ、おやすみ……また、次の冬にね」
「うん、またね……」
笑顔のまま、大妖精は布団の中へ戻った。
・
・
・
・
大妖精の寝息が聞こえ始めて、暫く経った頃。
ガチャリ、と部屋のドアが開いた。
「レティ……」
声の主はチルノ。
「どうしたの?」
「あのさ……一緒に寝てもいい、かな?」
チルノの腕には枕が抱えられている。
レティは笑って言った。
「いいわよ……おいで」
チルノが寄って来て、嬉しそうにベッドに寝転がる。
「あ、待って」
レティは二つのベッドの間の辺りまで動く。すぐ横では大妖精が穏やかな寝息を立てている。
「大ちゃんも一緒に、ね」
チルノはレティの横に寝転ぶ。二人がレティを挟む形だ。
天井を見上げながら、チルノが呟く。
「びっくりしちゃった、冬がもう一日伸びるなんてさ」
「本当ね」
「おかげで、レティともう一日一緒にいられた。あたい、本当に楽しかったよ」
「そう、良かったわ。私も嬉しかった」
並んで寝転び、語り合う二人。
「でも、私がもっと驚いてるのはね」
「なぁに?」
「チルノが今日は泣かない事、かな」
レティはチルノの顔を見つめた。
「去年はさ、ずっと泣いてなかったっけ」
「あ、う~……」
顔を赤らめるチルノ。
「だってさ、また冬になれば会えるって、わかってるし。それに、もう一日一緒にいられたんだし。あと……」
「あと?」
「大ちゃん。大ちゃんは強いから、泣いてない。あたいも見習わなきゃ」
「ふふ……」
思わず笑ってしまうレティ。さっきまで大妖精も泣いてた事は、内緒にしておこう。
「チルノ、春は楽しみ?」
「……うん。冬だとあんまり遊べなかったリリーとも遊べるし、お花見も出来るし……」
「そう、良かった」
「……でも」
チルノは顔を曇らせた。
「レティと会えないのは、やっぱ寂しいかな……」
「もう、さっき自分で言ったでしょ。冬にはまた会えるって」
「……そうだよね。あたい、強くなる。寂しいからって泣いてたら、レティや大ちゃんに笑われちゃう」
「うん、偉い!」
レティはチルノをそっと抱きしめると、その頭を撫でてやる。
居心地良さそうに笑うチルノは、そのままレティの胸に顔を埋める。
「……あったかい……」
そう呟いて、チルノは目を閉じた。
レティは暫くの間、チルノの頭を撫でていたが、やがてチルノの寝息が聞こえてくると、手を頭から離す。
チルノを離そうかとも思ったが、起きてしまう恐れもある。
そう思ったレティは、チルノを抱きしめたまま目を閉じた。
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うっすらと、空が明るみを帯び始めた。
レティは目を覚ますと、そっとチルノを離し、体を起き上がらせた。
ベッドから離れると、いつもの服に着替える。脱いだパジャマは綺麗に畳んで、枕の上に置いた。
ドアを開ける直前、レティは安らかに眠る二人を振り返り、呟いた。
「またね……チルノ、大ちゃん。いい春を迎えてね」
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チルノの家を出たレティは、歩き始めた。
辺りを見渡すと、濡れた部分こそあれ、もう雪は残っていない。
時折吹き抜ける風も、心地よい春の匂いを運んでくる。もう冬は終わったんだと、レティは実感した。
そのまま木々を抜け、どんどん東の方角へ。段々行く先の空が白くなる。日の出ももうすぐだ。
と、レティは行く先から誰かが飛んでくるのを見た。
白い服でわかる。春を告げる妖精、リリーホワイトだった。
リリーもレティの姿に気付いたようだ。
二人の距離が狭まり、もうすぐすれ違う、そんな時。二人は目線で会話を交わす。
(……ごめんね)
(ううん、いいよ)
いざすれ違うその時、レティは左手を上げた。
リリーもそれに倣う。
―――パチン!
すれ違いざまのハイタッチ。渇いた音が、辺りに響き渡る。
冬から、春へ。
少し歩いた後、ふと視線を感じたレティが振り返ると、リリーが笑顔で手を振っている。
レティも笑顔で手を振り返した。
リリーはひとしきり手を振ると、再び背を向け、レティが来た方向へ飛んで行く。
それを確認したレティも、再び前を向いた。
―――その時。レティの正面から、一陣の風が吹いた。
そよ風ではない。暖かく、それでいて強く吹き抜ける風。春一番だ。
レティは風を抱きしめるように、両手を広げた。
暖かくて、心地よい。
(……ああ、春なんだ……)
レティはそっと、目を閉じた。
風は暫くの間止む事は無く、レティの体を包み込む。
そして、その風が止んだ時―――そこにはもう、誰もいなかった。
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リリーホワイトは、湖の近くまで辿り着いた。大体この辺が、幻想郷の中心部だ。
少し高度を上げ、辺りを見渡す。
雪は融けた。北風も吹かない。吹くのは心地よいそよ風。
その時、眩しい陽光がリリーの目に飛び込んできた。日の出だ。
長い冬は終わり、春の夜明け。
(さあ、お仕事、お仕事!)
リリーは自らに気合を入れ直した。
そして彼女は、胸いっぱいに春の空気を吸い込む。声が通るように、両手を口に当てた。
―――今こそ、幻想郷は―――
『 は る で す よ ~ ! ! 』
レティやチルノ、大ちゃんに霊夢と魔理沙。ほんとに良い人達ばかりで心の中まで春が広がってきました。
それにリリーもただ暢気に春を伝えてるだけじゃないんだなーと、去ってゆく存在にも気を使えるリリーに非常に好感が持てました。
大ちゃんもレティさんも霊夢も魔理沙も
こんな優しい幻想郷は大好きです
レティさんはまた次の冬に会いましょう
主にレティの
あまり関係ありませんが、一昨日自分の住む地域はいきなり大雪に見舞われたりと、冬日に戻ってました。
まさかチルノが本当に……と、妙なシンクロに感動致しましたw
>>2様
一年はあっという間に過ぎ去ってしまうものですね。はるですよ~。
かといって、先日のようにいきなり冬日に戻られてもビックリするのですが。
>>15様
その調子でどんどんレティを好きになって頂けると嬉しいです。
自分の小説が株UPに繋がっているとは、書き手冥利に尽きますな。
>>18様
貴方の心にもリリーホワイト。素敵な春になりそうですね。
リリーはせっかくタイトルにもなってるんだし、という事でしっかり締めて頂きました。
これからはリリーの季節ですしね……でも花粉だけは勘弁な!
>>19様
幻想郷の人々は皆あったかくて優しい人々だと自分は思ってます。いいなぁそんな世界。
レティは暫く充電の後、また今年の冬に元気な姿を見せてくれる事でしょう。個人的にもまた書きたいです。
>>22様
全面的に同意せざるを得ませんなこれは。最高ですとも。
>>25様
そう言って頂けると書いた甲斐があります。有難う御座います。
本小説に限らず、個人的にもっと活躍して欲しいキャラを多く書きたいな~などと考えてます。大ちゃんとか……
チルノもこうやって、ちょっとずつ成長していくんでしょうね。
優しい幻想郷、大好きです。
>>27様
強くなるというのは簡単な事じゃありませんけど、大切な人の為なら……という事なんでしょうね、きっと。
>>28様
チルノはいい子ですから、この経験を自らの糧としてさらに成長してくれる事でしょう。
成長し、何時の日か逆にレティを泣かせてしまうかも……?
自分も優しい幻想郷が大好きですw