縁側には三人で座りましょう 前編
とろんととろけるような夕日が地平線の彼方に沈んでいき、今にもぐしゃりと潰れて中身がどろりと流れ出てしまいそうだ。
橙色に輝くそれは針で刺してくるように眩しくて、見ていると目を悪くしてしまいそうだけれど、誰もが思わず立ち尽くし見とれるくらい艶やかなものだった。
けれども今、ここにどれだけの人がいようと、この夕日で目を悪くする者は誰一人としていないだろう。
八雲紫も同じであった。
優美な夕日を背に受けて、見つめているのは彼方だけである。
見つめていた、と言うのは適当ではない。
睨み付けていた。
不気味で不恰好な化け物に相対するがごとく、飄々とした普段の彼女からしたら考えもつかないほど厳しい目つきで遥か前方へと視線を投げかける。
彼女の周囲には草木一本生えてはいない、不自然なほど自然の無い荒野が広がっており、当然彼女以外には誰もいない。
ただ、もしもこの場に誰かいたとしても、その誰もが遥か彼方の光景を、紫がそうしているように、茫然自失とした面持ちで仰ぎ見ることだろう。
見えるのは、黒い塊。
地面から垂直に生えているそれは、遥か空高く、果ては白い雲にまで達して混ざり合い、黒や白や灰色がごちゃまぜになって何かを形成していた。
それは一見するとキノコに見えた。
茎が黒くて傘の部分が白黒灰色。
普通のキノコであれば茎が白くて傘が黒い。しかしこれは違った。上に行けば行くほど黒さを失っている。
これが普通と異なる点は大きさや色だけではない。ほぼ完全にキノコの形を作っていたそれは、風に煽られ、ほどけるようにゆるゆると流されていた。少し時間が経ってみれば、もうそれがキノコの形をしていたことなど判別つかなくなってしまうだろう。
まるでキノコの形をした雲のようであり、そして大勢の人達はそれが雲ではないことを知っていた。
雲は地面から生えたりしない。地上から立ち昇ったりしない。
あれはキノコ雲という名の雲ではない何かだ。
黒いのは煙。
吸う者を容易に死に至らしめる疫病の塊。
これがいつどうやって発生したのか、紫は初めからじっと見ていた。
賑やかな都市であった。
市場に大勢の人々が行き交い、今日のリンゴは取れたてだよと威勢の良い掛け声が飛び交う。広場には大きな噴水が備え付けられ、休日には大勢の家族連れで賑わっては、我が子の水遊びを親達は緩んだ顔で眺める。
広場の中央には時計塔がそびえ立ち、それが奏でる鐘の音は、この町に暮らす人々の生活リズムを軽やかに形作っていた。
全て消えた。
一瞬だった。
上空を目視ができないくらい速く戦闘機が飛び過ぎたと思ったら、次の瞬間には町は眩いばかりの光に包まれた。直後、光は消失してあの黒いキノコ雲がでんと構える。
たったさっきの事であった。つい今起きた事だと言ってもいい。
そして今、音が遅れてやってきた。
耳をつんざく轟音を浴びても、紫は顔をしかめるわけでもなく、体をぴくりとも動かさない。
風はそれより更に遅れてやってきた。
突風に髪を煽られ、夕日を浴びて輝く長い金髪は後ろに大きくなびいた。ばさばさと体に対してほとんど直角にはためいていたそれは、しばらく経ってから、左右を確かめるようにおずおずと紫の背中へと再び張り付く。その時にはもう、ストレートに揃えられていたそれはボサボサに乱れてしまっていた。
「…………」
紫は風を邪魔とも思っていないのか、乱れた髪を直そうともせず、ただじっと遥か前方の光景を眺めていた。
紫のいる位置からは相当離れた場所であるので、キノコ雲がとてつもなく巨大であることが見て取れる。
その巨大なキノコ雲ができる前、その場所にあったそこそこ大きな都市。黒い煙に覆われたそこがどうなったのか、今は確認する事が不可能である。
しかし確かめるまでもなく、誰が見ても分かることではあった。あそこは、あそこにあった建物は、人々は、文字通り蒸発するように消え失せたのだと。
「…………」
幾千の命が一瞬で消え失せる光景を、ただただ無言で、睨むようにじっと見ていた紫はやがて、吐き出すように、心底呆れるように、誰かに問いかけるように呟いた。
「いつまで経っても変わらないのね、人間は」
紫の横の空間に人一人楽に通れるくらいの裂け目が出来た。その中では不気味な目が無数にぎょろぎょろと覗いており、人間達の行いを可笑しそうに見下しているようであった。
「好きにすればいいわ」
もうここには用は無いとばかりに、さっさと帰りたいかのように、紫はその亀裂へとすっと半身を踏み入れると、強い意志のこもった片目でキノコ雲をきっ、と仰ぐ。
「何があろうと、私は守ってみせる。私の愛する幻想郷を」
そして紫は亀裂へと消えていった。
直後、更にいくつものキノコ雲が空高くそびえ立ち、夕日を瞬時に覆い隠した。
◇◇◇
「……ふう」
縁側でお茶を啜りながら、紫はほっと溜息をついた。
「ここはいいわねえ……」
傍らに置かれた盆の上の煎餅を一枚取り、ばりぼり。
「ん、美味しい」
「あんたには遠慮ってものが必要だと思うのよね」
湯飲みを持ってきた霊夢が呆れた口調で言葉を投げかけた。盆を挟んで座り、紅葉で色づく境内の樹木を眺める。
昼下がりの日差しを受け、樹木は黄色や橙の光を縁側に座る二人に向けて跳ね返していた。
つい先ほど、境内の掃除も終わってさあ一息つこう、と箒を放り投げ、大きく伸びをしている時にやって来た紫は当然のようにお茶を要求してきたのだ。仕方なく湯飲みをもう一つ取ってくると、そこには既にお茶を淹れて勝手に煎餅を齧る紫の姿があった。
「大体あんた、その湯飲みは私のよ。来客用はこっち」
そう言って、霊夢は手に持っていた地味で単調な波模様の湯飲みを、ずいと紫の鼻先に突き出した。
今は紫が手にしている霊夢愛用の湯飲みは、縦に達筆で「一寝入り」と書かれたもので、先代の博麗の巫女も使用していた由緒正しき(と霊夢は思っている)湯飲みである。もう十年も前からこの湯飲みは霊夢の物だ。
それは、十年前に先代が死んだということでもあった。
「いいじゃない。細かいことは言いっこ無しよ」
そうして紫はお茶を一口含む。口の中でほうじ茶を舌に染み込ませながら、ゆっくりと惜しむように少しずつ飲み干していく。
そして一息、
「はあ……」
今にも目を閉じてしまいそうなくらい幸せそうに顔を緩めている彼女を見ると、霊夢はもう文句を言う気も失せてしまう。
「全く……」
口では悪態をつきながらも、その顔はどこか微笑んでいた。
霊夢も仕方なく来客用の湯飲みにお茶を淹れて両手の平でそれを包みこむと、熱を伝え始めた湯飲みがじわじわと冷えた手を温めてきて、思わず目を閉じて感じ入ってしまう。
湯飲みを持ち上げ一口飲むと、紫と同様、自然ととろけるような声が零れ落ちた。
秋も深い今日この頃、紫はすっかり紅く色づいた木々を眺めながら、どこか遠い外の世界を見るようで、しかし確かにこの幻想郷を眺めながらぽつりと呟いた。
「平和ね……」
紫の脳裏には、あの黒いキノコ雲がぽうっと浮かんでいた。あんな外の世界の俗事など、楽園のようなここにいればすっかり忘れてしまえる。
「そうね……」
紫が何を考えているかなど微塵も知らず、霊夢もまた別のことを思い浮かべて幻想郷の風景を眺めながら呟いた。
昔とこの幻想郷の風景は幾分か変わった。いくつか大きな事件も起きた。
霊夢にとって最も大きな事件は、先代が妖怪との戦いの中で死んでしまったことか。
それは事故のようなものだったという。相手の妖怪も、何も本気で博麗大結界の要である博麗の巫女を殺す気は無かった。
ただ古くからの慣習だから。
妖怪は人を襲い、人は妖怪を退治する。それを形だけでも維持しないと、人と妖怪とのバランスが崩れてしまうから。だからその日も先代は妖怪退治に向かった。何も本当に消し払ってしまう訳では無く、ちょっと懲らしめてやって終わりにする。
相手の妖怪も同じであった。適当に負けるために戦い、すぐに治るような傷を受けてから「参りました」で終わりである。
しかし何事にも手違いはある。
ちょっと掠めてやるつもりであった妖怪の爪が、手元が狂い、彼女の急所を抉ってしまった。
慌てたその妖怪自身の手によって彼女は人里へと運ばれ、霊夢は知らせを受けてすぐに駆けつけたが、二度と会う事も無く既に彼女は息絶えていた。
幼かった霊夢は先代が神社を出る前、最後にどんな会話を交わしたのかも覚えてはいない。そしてその事実がどうしようもない絶望感を霊夢に与えていた。
先代を殺めてしまった妖怪はその後他の妖怪達のリンチに遭ったのか、幻想郷の外れで細切れになって見付かった。博麗の巫女を殺めることは、幻想郷では最もやってはいけないタブーになっていたから。
幸いにも今回は霊夢がいたが、もしも跡継ぎがいなかったら博麗大結界が消滅する事になる。それは幻想郷全体が危機に陥るという事であった。
幻想郷は、たった一人の博麗の巫女というひどく危ういバランスの元に成立しているのだ。
先代を殺めた妖怪が死んだという知らせを受けても、霊夢は特に何の感情も抱かなかった。その妖怪の顔も知らない。気付いたら先代は死んでいて、気付いたら先代を殺した妖怪は死んでいた。
その妖怪は自身が殺されるときに抵抗しなかったんだろうなあ、と霊夢はぼんやりと思った。自殺のようなものだったのだろう。
ではこの煮えたぎる激情を誰に向けたらいい?
幼い霊夢の中で、絶望や憤怒といった行き場を失った負の感情がぐるぐると渦巻き、それは螺旋のように形を変えて彼女の心の奥深くにざくりと侵入していった。
自暴自棄。全てがどうでもよくなり、死すら恐れぬ心持ちを得た。
そんな霊夢に、人間の里の里長から妖怪退治の依頼が舞い込んできた。
里長は昔から何かと博麗神社との付き合いも深く、霊夢の世話を焼いてくれていた存在であった。
そんな彼の頼みを断るのも億劫なので、霊夢は里の外れにある問題の廃屋へと力の抜けた体で赴いた。
これで自分が死ぬのならそれでいい。
中にいたのは一匹の妖怪だった。
妖怪は霊夢を見るなり飛び掛り、組み付いて彼女を押し倒した。霊夢の手からお札がばさりと落ちてしまう。
ああ、終わるんだ。
先代に会えるのだろうかと思うと、心持ちはどこか穏やかになった。
そっと目を閉じる霊夢。
しかし妖怪の鋭い爪が彼女の体を抉ることはなかった。
不審に思って目を開けると、そこには目から涙を流す妖怪の姿があった。
なぜ泣くのか、眉をひそめる霊夢に向けて妖怪は言った。
『申し訳ございません』
なぜ謝られるのか分からなかった。首をかしげる霊夢に妖怪は続けた。
『先代の博麗の巫女を殺した妖怪、その者こそ我が夫でございます。どうか私にもあなた様の手により裁きを下さいますよう、お願い申し上げます』
そして妖怪は霊夢の上からのくと、その足元へと頭を下げた。
どうか殺してくださいと。そう言っていた。最初霊夢に飛びついてきたのも、反撃で殺してくれれば、と思っての事だった。
霊夢は落ちたお札を拾い、哀れな妖怪を眺めた。
死のうとしている。自分と同じように。
握り締めたお札は、しかし使われることも無かった。
先代から教えられていた。妖怪を退治するけど、あくまで表面上のことだと。実際に殺したりしてはいけないのだと。
では本当に殺されてしまった先代はどうなのだと、不慮の事故だという事で納得しろというのかと、しかし先代を殺した妖怪の成れの果てを知る霊夢にとっては、そんな子供の議論をする気にもなれなかった。
『あなたを……殺しません』
告げられ、妖怪ははっと顔を上げた。
そんな彼女を見て霊夢は思った。
同じだ。
人も、妖怪も。
姿は違うけど心が同じだ、とか、そういう事とはちょっと違うような気がする。何かよく分からないけれど、本質、みたいなものが同じだと思ったのだ。
そのまま何も言わず、霊夢は背を向け歩き出す。背後で一際大きくむせび泣く妖怪の声が響いた。
しばらく歩くと、道の途中で里長が待ち構えていた。彼は霊夢を見つけると万遍の笑みを浮かべて近寄り、痛いくらい元気よく霊夢の背中を叩いた。
『よくやった』
里長は目に涙を浮かべ、髭でもじゃもじゃの口を動かして笑いかけた。
どうやら随分な気の使われようだったらしい。
しかし悪い気はしない。
霊夢の中でない交ぜになっていた暗い感情が、箱詰めされてすとんと整理されていくのを感じた。
そして霊夢はもう、死にたいなどと思う事はなくなっていた。
先代が死んだ頃から、妖怪達の間にはどこか焦燥感が広がっていた。博麗の巫女に手を出してはいけないのだと、彼らは再認識させられた。
自分たちは妖怪なのに。人を襲う存在なのに。博麗の巫女には進んで道を譲らないといけない。なんて弱い存在なのだろう。
そんな時だった。
霊夢はスペルカードルールを提案した。本当の命のやり取りではなくて、あくまで擬似的なもの。正式な決闘。それで勝負を決めようではないか、と。
だから。
殺し合いは、もうやめよう。
スペルカードルールはやがて妖怪達に受け入れられた。博麗の巫女を打ち負かすことができるそれは、妖怪達にとっては僥倖だったろう。今では幻想郷のそこかしこで、派手で綺麗な弾幕バトルが繰り広げられている。
弾幕勝負は例え仮初であろうと殺し合いのような肩肘張ったものではなく、あくまでスポーツをやる感覚であった。
だから戦った後に仲良くなることもそれほど難しいことではない。そのおかげか、以前では考えられないほど多くの妖怪たちがこの博麗神社に遊びに来る。
平和になった。
紫とは別のものを見ながら、縁側に座る霊夢はそっと目を細めた。
そんな時だった。
ぐらり、と空が揺れた。
揺れたのは空ではなく幻想郷に張られた結界なのだと、結界に関しては専門家である縁側で茶を啜る二人には分かった。
「紫」
「ええ」
それでも慌てず、紫はお茶を一口。
そんな彼女に若干呆れながらも、まあこいつが落ち着いてるなら大丈夫なんでしょと、霊夢も大きく息をついて気を取り直した。
「結界の歪み、最近多いわよね」
「そうね」
「外の世界で何か起きてるのかしら」
「……さあ。どうかしらね」
幻想郷には二つの結界が張られている。
一つは『幻と実体の結界』。
もう一つは『博麗大結界』。
二つに共通して言えるのは、外の世界とのバランスをもって幻想郷を保っているというものだ。
もしも外の世界で大きな変革が生まれれば、幻想郷にもそれがある程度、時には明らかな形で反映されることになる。博麗大結界の方は一層その影響を強く受けてしまうのだ。
そして恐ろしいのは、一体どういった影響が出るのか誰にも予測がつかないことだ。
最近は結界の歪みが多い。それは外の世界での戦争が原因だと、しかし知っているのは紫くらいであった。そして紫は、それを誰かに話したところでどうにもならないことを知っていた。
「後で一緒に直しに行きましょう」
「そうね……」
結界の修理は二人の仕事である。別にあれくらいどちらか一方がいれば楽に(紫であればより簡単に)直せるのだが、一緒に仕事をするのが楽しいのか、紫は頻繁に霊夢を誘って結界修理に繰り出していた。
「…………」
暢気に紅葉を眺める紫の横顔を、霊夢はじっと見つめた。
平和。
ずっと続くと思っていたもの。
本当にそうだろうか?
紫は何でも知っている。少なくとも霊夢はそう思っている。途方もなく長い時を生きる、霊夢の知る限り最も賢く、最も強い大妖怪。幻想郷の守護者。
今まで何かについて紫に聞いて、「分からない」と帰ってきたことは無いと記憶している。時にすらすらと答えを言ってのけ、またある時には何か意味深なヒントを出されて霊夢自身で考えることを促してくる。まるで霊夢を成長させたいかのように。
霊夢が初めて紫に会ったとき、それは弾幕勝負であった。
そこで霊夢は全くなす術も無く敗れ去った。ここまで圧倒的に強い相手は初めてであった。
自分は吸血鬼を相手にしたって勝った事があるのに、このスキマ妖怪には全く勝ち目がなかった。
それでも霊夢は諦めずに何度も弾幕勝負を挑み、心底楽しそうに相手をする紫に腹を立てながらも、何十回目でようやく勝つ事に成功した。
「あなたの勝ちよ」と言ったその時のからかうような紫の微笑みが、今でも霊夢の頭の片隅でちらついている。
わざと負けてくれたのではないのか。駄々をこねる子供に仕方なく折れてやる大人のように。
それが悔しくて今でも霊夢は時々、紫相手にはつっけんどんな態度を示してしまう。
それでも紫は余裕の表情で笑っているので、霊夢は自分がひどく子供だということを実感させられてしまうのだ。
この大妖怪に認めてほしいと、霊夢が思うようになったのはいつからだろうか。霊夢自身それをはっきりと自覚しているわけでもなかったが。
それはさて置き、この結界の歪み。
以前、「何でこんな事態が起きてるの?」と紫に聞いてみても、「さあ、何でかしらね」と、紫自身分かってないかのような答えではぐらかされるが、本当はその原因についてはっきりと分かっているのではないのか。
それを言わないのは、別に言うべきではないということか。
少なくとも紫がそうして黙っているのなら、別に知らなくていいことなのだろうか。正直、隠し事をされていい気分はしないが。
結界の一部がまた揺らめいた。
「…………」
それを見ると、霊夢はいつも得体の知れない不安な気持ちに苛まれる。
ずっと続くと思っていた平和な今。
それがもしかしたら、まやかしかもしれないと思わされる。
いや、永遠に続く事などあり得ない。分かっていたのだ。何事にも終わりはある。変化は来る。
今のこの生活だってそうだ。
もしも自分がいなくなったら、先代のように今死んだら、一体どうなるのだろうか?
「……ねえ、紫」
「なあに?」
霊夢はぽつりと、聞いてみた。
「私の次の博麗の巫女って、どうやって生まれるの?」
いつか霊夢は成長し、次の代の博麗の巫女を育てる事になる。先代がそうしてきたように。
今までは特に考えた事も無かった。どうやって博麗の巫女は選ばれるのだろう?
霊夢は物心付いたときからここ博麗神社で育ってきた。そのことに疑問も抱かなかった。自分の親は一体誰なのだろうか?
遠い昔、霊夢は先代の事を母と呼んでいた気がする。いつしか名前で呼ぶよう指導されて、母とは呼ばなくなったのだ。
先代が自分を生んだのだろうか? だとしたら父親は一体誰?
今紫にした質問を霊夢は昔、先代に問いかけた事がある。
先代は「その時が来れば分かるわ。だからそれをじっと待てばいい」と具体性に欠けることを言ってそれだけだった。
当時十にも満たなかった霊夢は深く追求はしなかった。ただ「ああそうなんだ」と疑問も抱かず頷いただけである。
しかし今、霊夢は同じ質問を紫に投げかける。
結界が歪み、永遠だと思っていた平和な幻想郷に陰りを感じたから、何だかこういった大切な事を知っておかないと気が落ち着かない。紫であればまず間違いなく知っているという確信にも似た予測があった。
「…………」
しばしの間、ぱちくりと霊夢を見ていた紫はやがて、微笑むように小さく息を吐いた。
「その時が来れば分かるわ」
先代と同じ事を言われ、霊夢は拗ねたように口をとんがらせた。
「もう。あんた知ってんでしょ? 教えてくれたっていいじゃない」
「教えても意味が無いわ。知っても知らなくてもその時はやって来る。知ったところで何も変わらない」
なんとなくこう言われる事は分かっていたのかもしれない。重要な事ならとっくに話してくれているだろう。
でも霊夢は自分が蚊帳の外に置かれているようで、何だか不満を感じずにはいられない。自分は間違いなく当事者だというのに。
「そうやって子供みたいに拗ねてる間は、あなたに跡継ぎは与えられないでしょうね」
「何よそれ」
「ふふふ」
からかうように笑う紫に、霊夢はますます顔を曇らせた。
いつもの事ながら、自分は遊ばれている。
そうなると無性に腹が立ってくる。
ぷいとそっぽを向いた霊夢を見て、紫はまた一段と含み笑いを強めた。
――いつからだろう。
紫はまだ子供っぽさの残る霊夢のことを眺めながらすっと微笑む。
自分はいつだって適切な距離を取ってきたはずである。
式神の藍や、その式神の橙とだって、主人と従者という立場をずっとわきまえてきたし、わきまえさせてきた。
今までの博麗の巫女とだってそうだったし、一番親交が深かった先代の博麗の巫女の場合も、彼女が死んだ時に泣くような事もなかった。
しかしいつからだろうか。
この少女と、博麗霊夢といると距離を忘れそうになる。この子との適切な距離とはどんなものだったろうか。
それが分からなくなり、つい手を貸し過ぎてしまったり、からかい過ぎてしまったりする。
紫はそれがたまらなく不満であった。不安でもあった。
自分は賢者と呼ばれる大妖怪である。誰にだって毅然として振る舞い、適切な言葉を投げかける。
しかし何故かこの博麗霊夢に対しては言わなくてもいい事を言ってしまう。わざと怒らせるような事を言ってしまう。
今だって彼女はこうして拗ねているではないか。無闇に人の感情を逆撫でするような愚かな行為を自分はしないはずなのに。博麗の巫女の生まれ方くらい教えてやればいいのに。
霊夢はそれを知らなかった。
先代も霊夢には教えなかったということだ。
それはもしかして、紫も先代と同じ気持ちだということか。
――教えてしまうと、何だかこの子が自分から離れていってしまうような気がするから。
あなたにはまだ早い。
自分の子を持つのはまだ早い。
もっと私の霊夢でいてほしい。
紫は隣の霊夢に気付かれないように、静かにかぶりを振った。
自分は何を考えている?
今日は何だかおかしい。結界の歪みの影響が自分にも及んでいるのだろうか。
紫は内心の動揺を悟られないように「さあて」と気を取り直すように立ち上がった。
「結界の修復に行きましょう」
「そうね」
やがて二人は空高く飛び立っていった。
幻想郷は紅葉が真っ盛りである。
怒涛の勢いで迫る秋に抵抗しているかのように色を変えない緑の木々の間を縫うように黄や橙の樹木が立ち並び、時に縞模様を、時にいびつな円を山肌に描いている。一日経つごとに刻々と色を変える幻想郷の風景は、いくら見ていても飽きる事はない。
「これ……」
上空に来た二人は、結界の歪みが思っていたより酷い事に気付いた。結界と一緒に空間が歪み、それは上空にばら撒かれるように途切れ途切れに広がっている。
紫はすっと目を細めた。
――外の世界の戦争がひどくなっているみたいね。
だからといって何ができるわけでもない。こちらから外の世界に干渉する事などできない。いくら幻想郷の中では最強に近い力を持っているとしても、世界全体に比べれば自分は矮小な存在である。
紫はそこの所をきちんとわきまえているつもりであった。
「私はこっちをやるわ。あなたはあっちをお願い」
真剣な表情の紫に指示され、霊夢は案外素直に「分かった」と言って歪みの修復にあたった。
一体、この幻想郷で何が起きているのかしら。
と霊夢は考える。
いや、何かが起きているのは外の世界? その影響が幻想郷に伝わってきてる、ということだろうか。
まあ何にせよ、いい加減紫には何が起きてるのか教えてもらわないといけない。
この後ちゃんと問いただそうと決めた。
いつもは飄々としている紫だったが、真剣に聞けばちゃんと答えてくれるだろうとは思っていた。
ぐにゃぐにゃした結界の歪みに力を注ぎこみ、ならすように平坦にしていく。
「……ふう」
最近はこんな事も多く、もはや慣れたものである。
一箇所の修復を終えるとちらりと紫の方を見やった。遠くの方にいる彼女は、もう数箇所の結界を直している。
「……むう」
その速さに舌を巻きそうになりながら、じりじりと対抗心を燃やし、霊夢も次の歪みへとあたることにした。
霊夢が結界の専門家だとしたら、紫は結界そのものみたいなものだ。対抗するだけ無駄なのかもしれないが、何だか紫を自分より上位の存在としたくなかった。なぜなのかは分からないが。
「うわあ……」
目の前の歪みは一段と酷い。
ぼろぼろになって一部が剥がれて消えてしまっている。
結界の剥がれた場所は障子を突き破ったような穴が空き、外の世界のどことも知らない光景が僅かにちらりと覗いている。
これはどうやら造り直さないといけないようなので、この部分の結界を一旦切り取ってしまうことにした。
面倒くさいなあ、などと思いつつ、一メートル四方くらいの結界をそっくり切り取り、消し去った。
さあ新しい結界を張りなおしましょう、とした時のことだった。
「え……」
その剥ぎ取った空間からテレビのように外の世界の光景が飛び込んできて、霊夢は顔を強張らせた。
そこは町だった。
どこの国かは知れない。結界と一緒に空間が歪んでいるので、外の世界の日本以外の場所が見えるのかもしれない。
上空の切り取られた空間から、霊夢はそれを見下ろしていた。
白く立派な住宅地。綺麗に揃えられた石畳。整然と切り揃えられた庭先の樹木。
町の側には青く透き通るような湖が広がり、休日には町の人々で賑わうのだろう、ボートもいくつか岸に寄せられている。
遠くには山々が聳え、見晴らしの良い地点に展望台のような建物がちょこんと建っていた。
全て破壊されていた。
家は細切れになって破片しか残っておらず、石畳は剥がれて下の土が覗く。
樹木は焼けて炭になっており、山は所々消し飛んで山肌が無残にも抉り取られていた。展望台であったものはもう跡形も無い。
「な……に……これ……」
霊夢が呆然と呟く中、大きな衝撃音が響いた。
「――!」
見ると町の一部で爆発が起きて、僅かに残った建造物を無情にも消し飛ばしていた。
「あ……」
空を見ると、黒い何かが無数に飛んでいた。あれが爆発を生んだようだ。
――人? いや、違う。
あんなに無機質なのは生き物じゃない。あんなに重くて冷たそうなのは生物じゃない。
それらは何か灰色の円柱形の物体を産み落とし、次々と地上へとばら撒いている。
接触した場所が弾け、爆発が生まれた。
「これ……は」
噂に聞いた事がある。外の世界は幻想郷より遥かに文明が進んでいるのだと。これがそうなのだろうか。
幻想郷に住む人間のいくらかが憧れる外の世界が、外の文明が、これなのだろうか。こんなものなのだろうか。
町には大勢の人々が倒れていた。ぴくりとも動かない人が大勢倒れていた。
「え……」
死んでる?
現実感は無かった。これは外の世界の出来事であるし、自分はこんなに高い場所から見下ろしている。
でも、歴史の本を読んで「こんなに人が死んだんだ」と思うほどの非現実感ではない。
今、そこで、人が死んでいる。たったさっきまで生きていたはずの、人が。
先代の姿が記憶をかすめる。
先代の死体が脳裏をよぎる。
「あ……え……」
ふと、
湖が目に入った。
湖らしきものが目に入った。
大量の何かが浮いていて、流しに詰まった生ゴミのように、それは湖が見えないほどに水面を埋め尽くしている。
浮いているのは――
人が。
仰向けに、うつ伏せに、だらんと、力無く、湖を漂う事もできずにひしめき合う。
その隙間から僅かに覗く湖の水は、どす黒く、赤く染まっている。
今も多くの人々が、熱いと、喉が渇いたと、次々に汚れた湖へと飛び込んでいる。そしてそのまま動かなくなる。
「あ……ああ、あ……」
霊夢の目が限界まで見開かれ、体は震えて手はどれだけ強くぎゅっと握り拳を作っているのか分からない。半開きになった口からは、喘ぎ声とも叫び声ともつかない苦しげな音が断続的に零れ落ちる。
「何、が……」
幼い時に聞かされた地獄の話を、当時の霊夢は恐ろしく、その夜は震えて眠れなかったけれど、この光景のほうがもっと冷徹で、地獄のように教訓に富んだものでも何でもない。
どれだけ泣き喚いても容赦なく死んでいく、情も何もない無機質な情景がそこにはあった。これでは地獄の方がよっぽどマシである。
吐き気がする。
見る事が怖い。
しかし見ずにはいられない。目を逸らせなかった。この現実を確かめずにはいられない。
身を乗り出すようにしてもっと見ようとした。
その時だった。
あっという間に結界が張られ、空間の切れ目が消え去り、後には幻想郷のいつもの空が戻ってくる。
「あ……!」
思わず伸ばした手は何も無い宙を掴んだ。
霊夢の肩に手が置かれた。
紫が隣に立ち、力の抜けた霊夢の肩を抱くようにして強引に引き寄せる。
「紫……」
紫は僅かに目を伏せ、無言のまま、安心させるように優しげな顔を霊夢に向けていた。
「今のは……?」
「…………」
紫の胸に触れるくらい近くで彼女を見上げて問いかける。
紫はそっと目を閉じ、やがて開けたその瞳には、諦めるようなどこか悲しげな色が揺らめいていた。
「外の世界よ」
「あれは……戦争……?」
「私達には関係の無いことよ」
「関係無い、って……あれが、あれは……」
「霊夢」
紫はぎゅっと霊夢のことを抱きしめた。
知られたくはなかった。ずっとこの楽園の暢気な巫女でいてほしかった。
外の世界でどれだけ辛い事があろうとも、酷い戦争があろうとも、ここに戻ってくればいつもと同じ笑顔で迎えてくれる。
そんな彼女に僅かな陰りでも持ってほしくなかった。くだらなくて汚い人間達の戦争など、この子にとっては知る必要の無いことだ。
自分にとって濁りの無い宝石のような存在でいてほしかったのに。
その感情がどれだけ自分勝手か分かっている。霊夢は望まないかもしれない。
でも外の世界の現実を知らせて何になろう? 何が出来る?
どうせ何も変わらないならいいではないか。
自分のわがままの通りにしていいではないか。それくらいの自由は許してほしいと、そう思うのだ。
呆然としたままの霊夢は、紫の肩口から頭を出した状態で呟いた。
「紫……なんで、黙ってたのよ……」
その問いに、紫は本心を口にする事はなかった。
「……どうにもならないことって、あるのよ」
「そうかもしれない!……だけど――」
後に続く言葉は出てこなかった。
確かにどうにもならない事なのだろう。
それでも知りたかったと、教えてほしかったと思うのは何故なのか。
重大なことをただ知りたかっただけなのか。
黙っていられたのが嫌だった?
のけ者にされていたのが嫌だった?
何故だか分からないけど、紫が一人でこんな事実を知っているのが、一人で抱えようとしているのが、たまらなくもどかしかった。
そんな時だった。
――あれ?
「…………」
何だか分かった気がした。なぜ彼女が外の世界の異変を黙っていたのか。
紫はもしや、心配していたのだろうか。
こんな衝撃的な光景を見せて、誰かにショックを与えてしまうことを避けようとしたのだろうか。
そんなに自分は子供扱いされているのか。
――でも。
それでも、自分は幻想郷の一員としてちゃんと心配されているのだろうと、そう思うと、何だか怒る気も失せてくる。
なぜだろう。
あの死と破壊が充満する光景が、あまり怖くない。
霊夢の中で、さっきまでの凄惨な景色がやんわりと握りつぶされていく。
自分の知る地獄の話よりも恐ろしいあの景色を、今になってちゃんと見る事ができた気がする。向き合えた気がする。
だから霊夢は言った。
紫の耳元に囁くように。安心させるために。
「大丈夫だから」
言われ、紫はそっと霊夢を離し、その目を正面から見つめた。
「……霊夢?」
それはどこか穏やかで、遥かに年長者である紫を心配し、安心させるような笑顔であった。
そんな霊夢を見て、紫は素直に驚いた。凄惨な光景にショックを受け、怖がって震えているかと思ったが、それは違った。
この子はいつからこんなにも大人の顔をするようになったのだろう。いつまでも子供だと思っていたのに。
先代の博麗の巫女とは近づきすぎた。だから霊夢が生まれたのを区切りにして姿を消した。私のことは決して口にしないように言い残して。
いや、違う。
距離を取りたかったのではない。怖かったのだ。
いつかいなくなってしまう彼女が怖かった。失う悲しみに恐怖した。自分が冷静な判断が出来なくなりそうで怖かった。だから離れた。
そして死という別れは現実になった。
幻想郷の守護者である紫であれば、例えどんな妖怪であろうと、幻想郷の住人であれば守るために手を尽くす。
そのはずであった。
しかし、先代を殺した妖怪が他の妖怪達によってリンチに遭っている時、紫はそれをただ眺めているだけで止めなかった。
踏み出せ、止めろという頭の声を、体が石のように固まって無視をした。
なぜ止めなかったのか。
そんな事は分かりきっている。余りにも分かりきったことだからそれが何なのか考えなかった。考えたくなかった。
そしてそんな自分が恐ろしかった。
自分という存在が自分の意思を離れ、独りでに歩き出してしまう。賢者と崇められている事など笑ってしまうくらい自分は不完全な存在だ。
それなのになぜ、霊夢とはこんなにも近づいてしまったのか。
霊夢といると、そんな恐怖とかが何だかどうでもよくなるのだ。いつも暢気なこの少女といると、そんなことで悩んでいる自分が馬鹿らしくなる。
なぜなのか。
今気付いた。
そんなことではない。
紫は今ようやく気付いた。
霊夢といると親しい人を失うことへの恐怖が馬鹿らしくなるとか、そんな事ではない。
一緒にいたいから。
いなくなってしまう恐怖より、一分一秒でも一緒にいられる喜びが勝ったから。だから自分は霊夢と一緒にいるのだ。
いつか霊夢はいなくなってしまう。こんなにも距離を近くに取っていると、いずれ失った時に激しく悲しむ事になる。
それが分かっていても離れる事ができない。
どうでもよくされたのはその事だ。
――今楽しいんでしょ? なら後で悲しむのは当然じゃないの。それでいいじゃないの。
そう思わされてしまった。
だから紫は霊夢の側にいるのだ。
「私は大丈夫だから。だから話しなさいよ。一人で抱えたりしないでさ。言ってくれなきゃ……」
霊夢は今まで紫には見せた事もない優しい笑顔を浮かべた。
「寂しいじゃないの」
「…………」
この子はいつからこんなにも大人になったのだろう。これではまるで自分の方が子供のようだ。妖怪の中で賢者と崇められる自分が、別れるのが嫌だと駄々をこねる八雲紫があやされているようだ。
紫はそこで、思わず盛大に吹き出してしまった。
自分の子供さ加減に笑ってしまう。そして、いつの間にか大人になっていた霊夢に。
「ふっ、ふふふ……くく」
途端、霊夢はさっきまでの大人の表情はどこへやら、顔を耳まで真っ赤に染めて詰め寄ってきた。
「ちょ、ちょっと、紫! 私は真面目に言ってるのよ!」
「分かってる。分かってるから……ふふ、ふふふ」
「分かってないでしょあんた!」
幻想郷の上空。
今ではすっかり歪みも直された綺麗な秋空の下、二人の押し問答は地上に戻ってからも日が傾くまで続いたという。
◇◇◇
「ねえ、紫」
とある時間のとある博麗神社の縁側。
霊夢は隣に座る紫に向けて、少し憂いの残る表情で言った。
「平和って、なんなのかしら」
「あら哲学的ね」
「茶化さないでよもう……」
霊夢はそう言って、紫の膝の上にちょこんと座って暖かな陽射しを受け、幸せそうな顔ですやすやと寝息を立てている女の子を見やる。
五歳くらいだろうか、黒髪でおかっぱ頭がよく似合う、起きているときはさぞ活発に走り回りそうな可愛らしい童女だ。
「私、ずっと幻想郷で暮らしてきて、外の世界の事なんて全然考えもしなかった。多くの人が死んでいる現実を見て、私の普段の生活がいかに恵まれていたか、いかに平和なのかを思い知らされたの」
「……そう」
「ねえ紫。私はどうすれば良かったのかな」
「どう、って?」
「多くの人が苦しんでるのに、自分だけ平和な幻想郷で暮らすなんて、そんな贅沢はいけないことなんじゃないかって、そう思うの」
紫は膝の上で眠りこける女の子の頭に優しく手を乗せた。
「そんな事はないわ」
「……なんでよ」
「ここは平和で、あなたも平和でいてほしいの」
「それは、あんたの願いじゃないの」
「そうよ。誰もが自分の平和のために戦うわ。それは肉体の平和のためだけじゃなく、心の平和のためにも戦うの」
「心の、平和……?」
「あなたやこの幻想郷が平和でいてくれると、私の心が平和になるから。だから私は守るのよ。この幻想郷を」
「…………」
「だから、お願い。あなたは平和でいて。いや、平和を求めていてほしいの」
「それは……質問の答えになってないわよ」
「なってるわよ。人の願いで世界は作られているのだから」
「それは……この世界も?」
「ええ」
◇◇◇
「なあんかさあ」
神社の一室。
炬燵にもぐり込んで頭だけ出した状態の魔理沙が、ジト目になって向かいに座る霊夢を見やってくる。
「最近、お前ら仲良いよな」
今ここにいるのは霊夢と魔理沙二人だけである。
思わず蜜柑を剥いていた手を止め、霊夢は目をぱちくりさせた。
「お前らって誰のことよ」
「だからあ」
魔理沙はもこもこと花柄の炬燵布団を膝で押し上げ、顔を半分隠して続けた。
「お前と紫だよ。最近いつも一緒にいないか?」
別に魔理沙も大した意図があるわけではない。
嫉妬だとかそういう面倒くさいものではなく、最近やけに仲睦まじく見えるあの二人をちょっとからかってやろう、という気の入った、単なる好奇心に近いものから来た言葉であった。
そして確かに事実としてそうであった。
あの歪んだ秋空で外の世界を垣間見たあの日から、紫は神社に来る頻度を一層増していた。霊夢はもう毎日のようにお茶菓子を用意して待つようになり、半ばそれが習慣のようになってしまっていた。
そんな事について指摘され、しかし霊夢はさらりと、
「そうね」
それだけ言ってまた蜜柑を食べ始める。
魔理沙は思わずあんぐりと口を半開きにしてしまった。
そうね? まるで何も気にしていないような反応ですっと流された。
てっきり躍起になって「紫の方から勝手に来るだけよ」などと反論されるのかと思っていた魔理沙は、霊夢がどこか変わってしまっていることに今気付いた。
――こいつ、こんなに大人だったっけ?
これではからかうしまも無い。
何だか質問した自分が小さな存在になったみたいで恥ずかしくなり、魔理沙はとうとう炬燵に潜り込んでしまった。
「ちょっと、そんなに布団引っ張らないでよ。寒いわよ」
魔理沙は返事のつもりなのか「むう~」と呻り、ウェーブのかかった長い金髪だけを炬燵からはみ出させ、どうやら内部で丸くなったようだ、その部分だけ炬燵布団がぽこりと盛り上がっている。
「まったく……」
炬燵の内部が一層狭くなった。げしげし蹴ってやろうかしらなどと考え、霊夢は呆れ混じりに溜息をついた。
しかし霊夢はそこで、
「――あ」
思い出したように声を発した。
「どーした?」
炬燵の膨らみと化した魔理沙が身をよじったのか、布団をわさわさと揺らしながら聞いてくる。
それは捨て置いて霊夢は考える。
紫と言えば。
博麗の巫女の生まれ方について教えてもらってない。
そもそも博麗大結界の管理者としての博麗の巫女というシステムはおかしなものである。博麗の巫女がいなくなれば博麗大結界は消滅する。
その基礎的な仕組みについては先代から教えられてもちろん知っている。
なぜ存在するだけで結界を保つ事ができるのか。博麗の巫女にどれだけ特別なものがあるのか。
それとは別に、霊夢は結界の存在を生まれたときから知っていたような気がする。少なくとも、結界の感じ取り方、みたいな感覚的なことを先代に教えられた記憶は無い。
それは要するに、生まれた時から博麗の巫女としての運命にあった、ということだろう。
一体どのようにして博麗の巫女は生まれるのか。
自分が誰かとの子を身篭ればいい? そんな事は考えた事も無かった。
しかし自分に父の記憶は無い。先代もそんな事は言っていなかったし、父親がいた痕跡も感じられない。
ではコウノトリが運んできたりするのだろうか。あながち絶対違うとも言い切れない。
まあ、先代や紫が言うようにただ待てばいいのかもしれないが、心の準備とかはしておきたいものである。
今度聞いてみようと思い、霊夢はよっこいしょと勢いをつけて立ち上がった。
「霊夢、どこか行くのか?」
炬燵の膨らみが問いかけてくる。
何ともだらしないそれに心底呆れながらも、ぶっきらぼうに答えてやる。
「境内の掃除よ。あんたもくつろいでばかりじゃなくて、たまには手伝ったらどう?」
すると膨らみは抗議するかのようにもこもこっと突き動いた。
「客人はもてなされるのが仕事だぜ」
「招かれてもないのに客人を名乗るか」
「人ん家に入った時点で客人なんだぜ」
「はあ……」
深く溜息をつき、霊夢は境内へと出て行った。
境内は紅く色づいた無数の葉っぱが敷き詰められるように撒き散らされており、よく見ないと木の葉の切れ目から僅かに覗く白い石畳を確認することはできない。
地面は紅く、木々も紅い。今は昼過ぎだけれど、これがもし夕方であったら空すら紅く染まり、世界の全てが紅葉で色付けされたみたいに染まってしまうことだろう。まるで別の世界のように。
別の世界。
霊夢の脳裏に、以前見た外の世界の光景がのそりと這い出てくる。人が大勢死んでいた地獄のような光景。
霊夢は大きくかぶりを振った。
私にはどうしようもない事だ。
そうして境内の掃除に精を出していた時のことだった。
――博麗の巫女
「え?」
誰かに呼ばれた気がした。
どこか懐かしいような、昔から知っているような、いつも側にいるような、そんな声だった。
この声、どこで聞いたのだろうか?
しかし周りをきょろきょろ見渡してみても、それらしき人も妖怪もそれ以外もいない。
「…………」
――気のせいかしら。
でも、どこか無視する事ができない。そんな気がする。しかしどうすればいいのかは分からない。
霊夢はおずおずと再び地面に視線を落として掃除を続けた。
そして次の瞬間、変化は起きた。
「え……」
足元の橙色の落ち葉が、抜けるように色を失っていく。
「これは……」
顔を上げると、変化は落ち葉だけではなかった。
世界全体が色を失っていく。
綺麗に紅く色づいていた落ち葉が、樹木にまだくっ付いている輝くような橙色の葉っぱも、昼下がりの突き抜けるような青い空も、背後の博麗神社も、太陽光までも、全てが白へ、白へと色褪せていく。
「なに……?」
とうとう見えるものは皆白になり、ただ影だけがくっきりと黒く浮き上がっていた。
全てが色を抜かれた白と黒の世界で、ただ霊夢だけが全ての色を持ったままで立ち尽くしていた。
白黒テレビの世界に一人だけカラーテレビの住人が紛れ込んだような、そんな鮮烈な違和感を覚える異様な光景。
「…………」
何となく、霊夢は慌てなかった。
なぜかこの事態を素直に受け入れている自分を感じる。こんな事を昔、遠い記憶の彼方で知っているような。
次の瞬間、白と黒の世界の空で一際白く輝く太陽がその光をぼっ、と強めた。
「――!」
思わず手でひさしを作り、霊夢は目を閉じた。
「…………」
まぶたの裏側で光が収まったのを感じ、恐る恐る霊夢は目を開けた。
そして、改めて言葉を失う。
霊夢は見知らぬ空間に立っていた。
周りは白い。
空は白く、雲一つ無いというより、例え雲があったとしても、この白い空に紛れて判別がつかないだろう。太陽は無く、空全体が白く光っているようであった。
その空からは白い光の粒が雪のように無数に降り注ぎ、地面に吸い込まれては消えていく。
もはや影の黒すら無く、何も無い白い大地が延々と彼方まで広がっている。地平線が見えないので、この空間は球体ではなく、どこまでも平面の空間が続いているのかもしれない。
そしてその無の大地に一つだけ存在しているものがある。
木が聳え立っていた。
幹も枝も葉も、全てが白く淡くぼうっと光っている。
それほど大きい木でもなく、頂上の葉を含めたら高さは四メートルほどか。その木がたたえる光はどこまでも優しい。
導かれるように、霊夢は一歩、一歩と光る木に向かって歩みを進めた。
知っている。私はこれを、ずっと知っていた。
どこか懐かしい空間。
私はかつて、ここにいた。
「ただい、ま……」
木のすぐ側まで来て見上げながら、霊夢は呟いていた。
歓迎するかのように、風も吹いていないのに木がさあっとその葉を揺らす。
霊夢はその幹にこつんと額をつけた。そのまま目を閉じる。
――ああそうか、ここが博麗の――
博麗大結界の中枢。聖樹の力によって制御されている奇跡の空間。
霊夢は自然と微笑んでいた。自分の体の中に温かい湯が注がれていくような満ち足りた感覚。
帰ってきたんだ、私は。
うっとりと目を閉じ感じ入っていた霊夢に、聖樹は一層その光を強めた。
「……なに?」
目を開け、見上げると、聖樹が何か言っているような気がする。葉と葉の間から覗く空はどこまでも白い。
聖樹を取り巻く光がその範囲を広げ、それはすぐ側に立つ霊夢にまで移ってきた。
「…………」
そっと自分の手を見つめる。今や霊夢の全身が聖樹と同じ淡い光に包まれていた。
心地良い光。
その光が霊夢の中へと吸収されていく。
霊夢の中、体の奥深くへと――
「あ……」
お腹の所に光が集まっていくのを感じ、霊夢はそっとへその下の辺りを両手で押さえた。
どくんどくんという鼓動を感じる。自分のものではないその生命に感じ入り、霊夢はふっと目を閉じて微笑んだ。
――そっか。
聖樹を見上げる。
このためにこの木は自分を呼んだのだ。
「ありがとう」
そう伝えると、聖樹は再び葉を揺らして答えてみせた。
聖樹のたたえる光がその勢いを強める。
もう目を開けていられなくなり、霊夢はそっと目を閉じてまぶたの裏でその光に感じ入っていた。
この空間はいつだって自分の側にあるのだろう。
やがてどこまでも白い世界は、聖樹の放った光で再び白く塗りつぶされていった。
「…………」
目を開けると、霊夢は博麗神社の一室にいた。
見覚えのある風景。色を失ってなどいない。あの現象は霊夢にだけ起きたものであったようだ。
しばらくぼんやりとしていた彼女だったが、やがてきょろきょろと辺りを見渡し、さっき自分がいた居間へと行くと、もはや炬燵に魔理沙の姿は無かった。突然いなくなった霊夢を探しに出て行ったのだが、そんな事に気が回らない霊夢からしたら、家に帰ったのかしら、などと興奮冷めやらぬ頭でぼーっと考えるだけだった。
そしてふと目を向けると、紫が縁側に腰掛けていた。
こちらに背を向け、もう色を失ってなどいない艶やかな紅葉に目を向け、また勝手にお茶を淹れて飲んでいる。
霊夢はゆったりとした足取りで紫の側まで歩くと、その隣にすっと座った。霊夢の手はまだお腹を押さえている。ずっとそうしていたかったから。
あれが夢や幻などではないことは、霊夢自身はっきりと分かっていた。自分の中で確かに新たな命を感じることができる。
紅葉を眺めていた紫は、やがて心底嬉しそうに微笑んだ。
「おかえり、霊夢」
「……ただいま」
つられて笑顔をこぼす。
紫は視線を落とし、霊夢の両手が優しく押さえるそのお腹を、穏やかな瞳でじっと見つめた。
「もう後継者が生まれるのね」
「……ええ」
霊夢は少し眉を寄せて微笑んだ。
「やっぱり知ってたのね。博麗の巫女の生まれ方とか、あの空間のこととか」
「そうよ」
紫は悪びれる様子も無く、小さく肩をすくめてくすりと微笑んだ。
「博麗大結界ができた百数十年前から、聖樹によって博麗の巫女に新たな命が宿され、結界の力が絶えず注がれながら、お腹の子供は大きくなっていく。そういうシステムが作られた」
たった一人の、博麗大結界渾身の命に全てを託す。
「後継者は博麗の巫女一人につき、生涯ただ一人しか授けられないわ。大切に育てましょう」
「……もちろんよ」
いつもは霊夢が淹れているというのに、今は珍しく紫が淹れてくれたお茶を飲み、霊夢も境内の紅葉へと目を向けた。
紫と二人、お茶を飲みながら静かに縁側に座る。
いや、二人ではない。
霊夢は何度も自分のお腹に視線を落としては微笑み、その上に手を重ねる。
この時間が、今までで一番幸せ。そう思えた。
しかしそんな時は長くは続かなかったのだが。
「れーむう!」
境内に散らばる落ち葉を盛大に巻き上げ、魔理沙が肩で息をしながら慌てた様子で舞い降りてきた。
魔理沙は縁側に暢気に座る二人を見つけ、どこか唖然とした様子でよろよろと歩み寄ってくる。
「魔理沙……?」
首をかしげる霊夢に魔理沙はざざっと歩み寄り、その肩を掴んでがくがくと揺らしだした。
「どこ行ってたんだよお! いきなりいなくなるし境内に箒が落ちてるしで何かあったんじゃないかってずっと探してたんだぞお! それなのにいつの間にかここで紫とお茶とか飲んでるし!」
「ちょ、ちょっと魔理沙」
戸惑う霊夢。乱暴に揺する魔理沙の手を、しかし隣の紫が掴んで引き離した。
「駄目よ魔理沙。お腹の子に何かあったらどうするの」
「……え?」
怪訝な表情で見つめてくる魔理沙に、霊夢はくすりと笑いかけた。
「魔理沙、私、子供ができたの」
そうしてお腹をそっと押さえる。
魔理沙はそれを見て、霊夢の顔に視線を上げ、隣で可笑しそうに微笑む紫に視線を移し、また霊夢のお腹に目を移して、混乱する頭のままで大きく口を開けて叫んだ。
「え、ええええええええー!?」
博麗大結界の中枢。
霊夢の去ったその場所で、聖樹が一瞬ぞろりと揺れた。と思ったら、ぎしぎしという何かが軋む音と共に、その枝が一本千切れて落ちた。
かつては白く光っていた一本の枝は、今は茶色く変色し枯れ果てていた。
◇◇◇
霊夢の身に後継者が宿ったというニュースは、瞬く間に幻想郷中を駆け巡った。
いち早く情報を聞きつけた天狗が猛烈な取材攻勢をかけに来て、吸血鬼やら亡霊やら鬼やらその他大勢の妖怪やらがお祝いの品と共に神社を訪れる。
「赤ちゃんってお腹蹴るんでしょ?」
お腹に耳を当てている氷の妖精に、霊夢は苦笑いを浮かべた。
「あのね、もっと大きくなってからよ」
人間の里からは里長もやって来て祝いの言葉をかけていった。
里長は人間の里に住む者の中で一番霊夢と接する機会が多い人である。よく各種お札を買ってくれるし、お払いを依頼される事もある。霊夢が小さい頃は何かと面倒を見てくれていた、彼女にとっては頭の上がらない存在であった。
「君が母親とは……時が経つのは早いものだよ」
すっかり長くなった白い髭をもさもさと動かしながら里長は祝いの言葉を述べた。
「里長さんには色々とお世話になりました」
「……もう母親の顔だな。先代を思い出すよ」
「そうでしょうか……」
自分はそんなに立派になっただろうか。
子供を育てる自信がばっちりあるとは言い切れない。何しろ自分はまだ二十にも満たないのだ。
気が早いとは思いつつも、助産師を頼むと永遠亭の永琳は快く引き受けてくれた。
「いいの? お願いしちゃって」
永琳は肩をすくめて頷いた。
「あなたには色々とお世話になったしね。それに、無事生んでもらう事は私や姫様にとっても重要なことよ」
「養生してるわ」
「無理な運動は駄目よ。何か異変が起きても他の人に解決させること」
「はいはい」
「……と言ってもまあ、博麗の巫女を診るのは私も初めてだから、私より紫のほうが詳しいかもしれないけど」
永琳は空を見上げ、霊夢もつられてそれに倣った。
遥か上空では、ここからでは点ほどに小さく見える紫が結界の修復作業にあたっている所であった。
相変わらず結界の乱れは多い。最近では毎日のように紫は結界修復に奔走していた。
「私もやるって言ってるんだけどね」
若干不満そうに霊夢は口を尖らせる。
「休んでなさい、ってうるさいのよ」
「いいじゃないの、心配されてるんでしょ?」
霊夢は一瞬言葉を詰まらせた。
「……多分」
永琳がくすりと笑みをこぼしたので、霊夢は頬を紅潮させて眉を寄せる。
「何よ」
「何でもないわ」
「むう……」
定期的に様子を見に来るから、と言って永琳は去って行った。
「……全く」
頬を膨らませながらも、上空で仕事に励む紫のことを、霊夢は少し嬉しそうに仰ぎ見ていたという。
「新たな博麗の巫女に、かんぱーい!」
博麗神社では早速宴会が開かれる事となった。
魔理沙が友人代表として勝手に音頭を取り、博麗の後継者を祝う会と言っても、始まってみればいつもの宴会のように飲めや歌えやの大騒ぎが繰り広げられた。
机の合間を忙しそうに妖夢と咲夜が動き回っている。
宴会にこの二人が来ると、面倒くさいとかあんたがやれとか、なんだかんだ言って結局は料理やらの手伝いをしてくれる。従者根性が染み付いているのだろう。霊夢としては大いに助かる所存である。何しろ妖怪たちは自分勝手なのが多く、準備どころか片付けもせずに帰るのが常である。魔理沙のように人間でも手伝わない者もいるが。
「はあ……」
どんちゃん騒ぎを眺めながら霊夢はジト目で溜息をつく。
「全く騒がしいんだからもう……」
「皆あなたをお祝いしてるのよ」
料理を持った咲夜が隣にやって来て言った。
霊夢は呆れたように肩をすくめて、
「飲む口実が欲しいだけでしょ」
神社にはかつて無いほど多くの宴会客が集まっていた。霊夢の知り合い全てがいると言っても過言ではないだろう。
「何であんたが来てるのよ」
輝夜は向かいにどっかりと乱暴に座った妹紅をじろりと睨みつけた。妹紅もそれに負けじと睨み返す。
「それはこっちの台詞だ」
「あんた、お祝いの一つも持ってきたっていうの?」
「もちろん。人に刺客を送りつけるような非常識な人間じゃないんでな」
「ふんっ。何を持ってきたっていうのよ」
「はっ。見ろ」
妹紅は風呂敷から布の束を取り出して見せ付けた。輝夜が「何それ」と呟く。
「おしめだ。一年はもつぞ」
「ぷっ。貧乏臭いわね」
「……なんだと。そういうお前は何持って来たんだよ」
「ふふん。見て驚きなさい。これよ」
「……なんだよそれ」
「月の技術の結晶。どんな赤ん坊でも一発で泣き止む至高のガラガラよ」
「……お前って馬鹿だったんだな」
「なんですってえ!」
ガタンと立ち上がった二人の隣に、どこからともなく紫が現れ、喧嘩するなら出て行けとたしなめた。
目が本気の紫に言われ、流石の二人もすごすごと座りなおしたという。
「それにしてもさあ」
酔っ払っているのか、魔理沙がからみつくように霊夢の肩に手をやってきた。
「まっさか博麗の巫女がそんな生まれ方をするなんてなあ。知らなかったぜ」
それを普通に払いのけながら、
「私も博麗大結界の中枢に行くまで知らなかったわよ」
「そうそれ、その結界の中枢とやらについてもっと教えてくれよ」
「私もそれには興味あるわね」
向かいに座るアリスが身を乗り出すようにして聞いてくる。
「あそこはねえ……」
「れーむ! 飲んでるかあ?」
「あら、飲み比べしてたんじゃないの?」
「あんなん負けるわけないじゃあん。ほら、れーむは主役なんだからあ、飲んだ飲んだ」
「ちょっと萃香。今霊夢から博麗大結界について話を……」
「いーからいーから」
この鬼の酒を断るのは至難の業である。杯いっぱいに注がれた酒を「しょうがないわね」と言って霊夢が受け取ろうとした時、横から伸びた手が杯を掻っ攫っていった。
「ああ! ちょっとお!」
萃香が抗議の声を出して見上げると、そこには憮然とした面持ちの紫が杯を取り上げて立っていて、めっ、と叱るように萃香を睨む。
「駄目よ。お酒の飲みすぎはお腹の子に障るわ」
「いーじゃんかー。赤ん坊にも今からお酒の味を分からせてやらないと……」
ぶーぶー文句をたれる萃香に、紫はぴしゃりと言い放った。
「駄目だって言ってるでしょう。何なら私と飲み比べしましょう」
そう言って一気にぐいっとお酒を飲み干して見せると、萃香の目が怪しくきらりと光った。
「いいねえ。幻想郷に名だたる大妖怪の腕前、見せてもらおうか」
「ふふふ」
「…………」
霊夢は苦笑いを浮かべ、周囲が囃し立てる中、飲み比べを始めた二人を見やっていた。
萃香相手に飲み比べで勝つなどいくら紫でも不可能だろう。おそらく飲んだお酒をスキマ送りにしているのだ。そうすれば絶対に負けない。
せこい。とは思いつつも、お酒の飲みすぎは控えるよう永琳に言われているので、紫をありがたいと思って黙っておくことにした。
「それで霊夢。博麗大結界の中枢について聞かせて頂戴」
気を取り直したアリスが促してきた。
「分かったわよ。まず聖樹が私のことを呼んだのよ」
「聖樹?」
「それは後で話すわ。それで世界が色を失っていって……」
その日、宴は夜遅くまで続いた。
飲み比べなど滅多にしない紫の策謀によって、酔い潰された萃香という世にも珍しいものが披露されると、宴会客全体から笑い声が上がった。
数日後。
お祝いの来訪者達もようやく数が減ってきて、連日開かれていた宴会も昨日で一応打ち切りとなった昼下がり、霊夢は久し振りに縁側に腰掛けてのんびりと過ごす時間を作ることが出来た。
「はあ……」
お茶を飲み、ほっと一息つくと、境内の樹木をぼんやりと眺める。
最近はこうして落ち着いて眺める事が出来なかった。宴会客の中には昼と夜との区別もつかず、一日中神社の中で酔っ払って泊り込んでいた者もいた。主に二本角の鬼だが。
お祝いの品は案外多く届けられ、神社の一室に溢れんばかりに放り込まれていた。その内の食料については大部分が宴会の中で消費されたのだが、それでもオムツやら子供服やらの気の早い赤ちゃん用品が沢山積まれている。
気付いてみると紅葉の大部分が落ちて、幹から突き出た槍のような枝が幾重にも折り重なり、ほうぼうに伸びきっていた。
「もうじき冬ね……」
「そうね……」
紫が音も無く霊夢の隣に座っていた。神出鬼没はもはや慣れたものであるが、毎度のごとく突っ込みは入れておく。
「独り言にいちいち返事するのやめてくれない?」
紫は肩をすくめて、
「ちゃんと拾ってあげないと言葉がかわいそうよ」
「あっそ……」
気を取り直し、霊夢はしばらくの間、紫と一緒に境内の樹木を眺めていた。
「ねえ紫」
「なあに?」
「戦争、まだ続いてるの?」
「…………」
紫は少し困った様子になった。
あまりこの子に悲惨な外の世界について考えてほしくない。人間達の勝手な振る舞いについて心を痛める必要は無い。霊夢には大丈夫だと言われたけれど、どうしてもそう思ってしまう。
「そうね」
紫は諦めた様子で溜息をつく。
「まだ続いてるわ」
「そう……結界の歪み、いつまで経っても収まらないから……」
「いずれ争いは終わるわ。あなたはお腹の子のために休んでなさい」
「分かってるわよもう……」
霊夢は自分のお腹をじっと眺める。一月も経っていないので、妊娠が目立つようなこともない。
自分はまだ二十にも満たない少女である。そんな未熟な自分が子供など育てられるのだろうか、と不安になることもある。
しかし――
「…………」
霊夢は紫の横顔をじっと眺める。
このスキマ妖怪が側にいて何かと助けてくれると思うと、安心できるような気がする。頼りになる、と言ってやってもいい。
最近だって結界修理に走り回ってくれている。
改まって言うのは照れくさいけれど、子供が生まれた時にでもちゃんとお礼を言ってやろう。
「もうすぐ冬ね」
霊夢の視線に気付いたのかそうでないのか、紫がぽつりと呟く。
「そうね」
「ちゃんと体は温めないといけないわよ。食事も冷たいものは控えて……」
「分かってる、分かってるってばもう……」
霊夢がおかしそうに笑うので、紫は珍しく憮然とした表情になって小さく頬を膨らませた。こんな顔の紫を見られるのは自分くらいだと、霊夢は知るよしもなかったのだが。
それから月日は流れた。
冬の間も来訪者は多く、子供が生まれるのはまだかまだかと口々に言ってくる。そんな彼女らに、霊夢はいつも苦笑いと共に、気が早いのよもう、などと応対してやっていた。
紫も毎日のようにやって来て、やれもっと厚着をしろだの、食事の量が少ないだのと世話を焼いてきた。
その度に霊夢は、はいはい分かってますよ、といなすように答える。
これではどちらが年上か分からない。
お腹に子供がいる霊夢に負担を強いる事を暗黙の内に避けたのか、妖怪達もこの間は比較的大人しく、特に異変も無いままに冬も終わりを迎えようとしていた。
「はあ……」
まだ寒さの残る昼下がり、縁側に腰掛け、境内の名残雪を眺めながら霊夢はお茶を一口飲むと、いつのように惚けるような息を吐いた。
そのお腹は、もう傍目にも分かるほど大きくなっている。
「…………」
そっとお腹をさすると、自然と笑顔がこぼれてくる。
魔理沙などがそんな霊夢を見ると、あまりに母親らしい穏やかな笑顔に愕然とするものだ。
最近では赤ん坊がお腹を蹴る回数も増えてきた。ここへの来訪者たちも、しきりにこのお腹に耳を当てるのを目当てにやって来るものだ。
そして霊夢は、その赤ん坊の胎動を感じるたびに、体の中心からとても穏やかな気持ちがぽうっと込み上げてくるのだ。
「霊夢」
紫がやって来て、すっと霊夢の隣に座った。突然現れたようだが、ちゃんと名前を呼ぶあたり、いつもいきなり会話を始める彼女にしては手順を踏んでやって来た方である。霊夢をびっくりさせてしまって体への負担をかけないように、などという過保護も過ぎることを紫が考えているとは霊夢は夢にも思わない。
霊夢は何も言わずに微笑むと、用意していたもう一つの湯飲みにお茶を淹れてやった。いつからか、紫が来ようが来まいが二つの湯飲みを準備するようになっていた。
「ありがとう」
紫もお茶を飲むと、同じくうっとりとした息をほうっと洩らした。
「すっかり大きくなったわね」
霊夢のお腹を眩しそうに見つめる。
「最近はお腹を蹴る回数も増えてきたのよ」
「そう」
とそこで、霊夢はくすりと笑った。
「聞いてみる?」
「え?」
紫がきょとんとする中、霊夢はお腹をやさしくさすった。
「赤ちゃんの音よ。ほら」
そう言ってお腹に耳をあてる事を促すと、紫は戸惑ったように目をしばたたかせた。
今まで多くの人やら人外やらが霊夢のお腹に張り付いてきたが、紫はそういう柄じゃないと思っているのか、無闇に霊夢に触れようとはしてこなかった。
霊夢も紫の人柄を知ってはいるが、こんな時くらい別にいいじゃないの、と思っていた。
「…………」
少し霊夢の顔とお腹とを見比べていた紫は、やがておずおずとした様子で「じゃあ……」と言って、霊夢の膝の上にころんと頭を乗っけた。そしてお腹に耳をあてると、その中の音をよく聞き取れるようにそっと目を閉じた。
そのせいか、お腹に耳をあてている紫を見る霊夢が、これまでに無いくらい幸せそうな笑顔を浮かべたのに、紫が気付く事も無かった。
「…………」
僅かに残った雪に音が吸い込まれ、境内はしんと静まり返っていた。木々にはそろそろ春だろうといくつもの緑の芽が生え出ており、春が来ると共にいち早く咲いてやろうと助走をしている最中であった。穏やかな風が僅かにその枝を揺らす。
「あ、今蹴ったわ」
嬉しくはしゃぐように言う紫に、霊夢はくすりと唇で笑った。
そのまま紫は、じっと霊夢のお腹に耳をあてたまま、うっとりと目を閉じていた。
静かなこの空間で、紫に聞こえるのは霊夢の体の中の音だけである。
もしもこの時間を邪魔する者がいようものなら、容赦無く見知らぬ彼方へとスキマ送りにされるだろう。幸いにもそんな被害者が出る事はなかったが。
やがて紫はそっと体を起こす。
自分でも慣れない行動をしたと思っているのか、その頬には少し赤みが差していた。
「ねえ紫」
霊夢はそんな彼女を見て、悟られないように内心くすりと微笑む。
「なに?」
「博麗の巫女って、ずっと女手一つで後継者を育ててきたのよね」
「博麗大結界ができた時からはそうなったわね」
「それで私、考えたんだけど……」
境内に目を移して霊夢は続けた。
「やっぱり父親って、いたほうがいいかしら」
紫はぎょっとした様子で霊夢の横顔を見やった。
「霊夢……?」
「私も小さい頃、他の家族に父親がいるところを見ると、いいなあって思ったりしてたのよね」
「…………」
「別に博麗の巫女だからって、所帯を持っちゃいけないってわけじゃないわよね? この子のためにもなるかな、って」
「ちょ、ちょっと、霊夢」
紫は慌てた様子で詰め寄り、その顔をまじまじと覗きこむ。
「……本気なの?」
「…………」
しばしじっと紫と向き合っていた霊夢は、
「ぶっ」
突然吹き出し、腹を抱えて笑い出した。
「あはははは。冗談よ、冗談。私にそんな人いないわよ」
「な……」
からかわれたと分かり、紫は頬をひくつかせる。
「あんたのそんな顔、初めて見たわよ。あっははは……」
「…………」
額に手をあて、考え込むような仕草で紫はぷるぷると震え、自分の行動を省みていた。
この巫女は最近、私をからかう余裕すら滲ませてきた。
「あはは……それで、紫」
ひとしきり笑い転げていた霊夢は、まだ笑顔を残したままで言った。
「あなたにお願いがあるのよ」
「……何かしら」
少しぶすっとした紫が応じると、そんな彼女を気にせず霊夢は続けた。
「父親はいないんだけどね……」
すっと穏やかな笑顔に戻る。
「あんたに、この子の名付けの親になってほしいのよ」
遠くで鳥が鳴き交わす。
からかわれた事への不満もどこへやら、紫は目をまん丸に見開き、霊夢のことを見つめていた。
「私、が……?」
「そう。なんだか、この子もあなたが名付けの親なら嬉しがるんじゃないかって、そう思うの。博麗の巫女になるんだから当然女の子よね。だから女の子の名前を……」
「…………」
「紫?」
不思議そうに顔を覗きこまれ、どこか考え込んでいた紫ははっと我に返った。
「いいのかしら? 妖怪なんかに名前を決めさせて」
「そういう硬いこと言わない。引き受けてくれる?」
「…………」
しばらくまじまじと霊夢を見つめていた紫は、やがて小さく溜息をついて微笑んだ。
「……ええ、いいわよ。名前、考えておくわ」
「ありがと、紫」
上機嫌になった霊夢は、縁側から投げ出した足をぶらぶらさせた。
「…………」
そんな霊夢を見て、紫はどこか遠くの日々を、強烈なデジャヴと共に思い出す。
『紫、お願いがあるの』
「…………」
いつか言おうと思っていた。
――霊夢、あなたの名付けの親は私なのよ。
そう、言ってやろうと思っていた。
しかし今霊夢から、お腹の子の名付けの親になってほしいと言われた。
「…………」
紫は目を閉じ、小さく微笑んだ。
そして彼女は、霊夢の名付けの親が自分だと、もう決して名乗り出ないことを心に決めた。
「どうしたのよ、紫」
肩を震わせて笑う紫を不審に思ったのか、霊夢が怪訝な表情を向けてくる。
「なんでもないわ」
紫はそっと目を細める。
あなたは私が守るから。
だから先代のようにはさせない、絶対に。
紫は強い視線で空を見上げた。いつしか空には厚い雲が立ち込め、陽の光も二人に届いては来なかった。
◇◇◇
雨の中、紫は普段持ち歩いている愛用の傘を差して立っていた。
時刻は昼下がりである。しかし暗い。分厚くどす黒い雲が見渡す限りどこまでも広がっていて、太陽光が洩れる余地など一片もありはしない。
びちゃびちゃと汚い音を立てて雨粒が紫の傘を叩き、かつては桜色をしていたそれは、今は墨で塗りつぶしたような黒に染まってしまっていた。
黒い雲から黒い雨が降り注ぐ。その身に浴びれば肌は焼け、目は窪んで髪は抜ける疫病の雨。
地面も黒く染まっているので判別しにくいが、紫が立っているのはどうやら荒野のようだ。いや、もしかしたら荒野などではないのかもしれない。しかし建物も何も見当たらないので、そう言うしか適当な言葉が見付からない。
「…………」
息をするのも嫌だというように、紫は唇を固く結んでぼんやりと立ち尽くしていた。
最初いくつかの国で始まった争いは、今では世界全体に広がってしまっていた。最も大きな国が壊滅状態に陥り、その他多くの国でもその中枢を担う人々が破壊され、止める者もいなくなり、もはやどの国と、なぜ戦っているのかも分からないで、手当たり次第に爆弾を放り投げていく。
ほんの一年前まで地上で自分たちの支配と繁栄を謳歌していた人間達の、一体誰が信じることが出来るだろう。この星の人間が半分に減ったことを、誰が予想できただろう。
「…………」
無表情のようでいて、その瞳の奥では確実に失望の感情がゆらゆらとたゆとう。
――変わりはしない。私のすることに、幻想郷を守るということに、何も変化は無い。
もはや何も言うことは無いのか、紫はやがてその場から消え去った。
◇◇◇
「うーん……」
神社の一室、霊夢のぽっこり膨らんだお腹をしきりにさすりながら、永琳は微妙に首をかしげた。
今日は定期健診の日である。
「…………」
少し険しい表情で霊夢の目を見つめる。
「体調、悪いみたいね」
霊夢は諦めたようにふっと息を吐いた。
「……やっぱり分かっちゃうのね」
最近何だか体調が悪いのである。だるいような、お腹が妙に重くなるような。そこまで深刻なものでもないし、あまり心配をかけたくないので黙っていたのだが、この腕利きの医者の目を欺くのは無理があったらしい。
「無理な運動していたり、食べ過ぎたり食べなさ過ぎたりしてない?」
「言われたとおりに養生してるわ。紫もうるさいし」
「最近暖かいって言って、気を抜いて薄着していたりしない? 布団は厚いのを使ってる?」
「ちゃんとしてるわよ。この子に悪いことはしたくないし」
と言って自分のお腹をさする。
「そう……」
博麗の巫女はやはり特別なものがあるようだ。医者をして長いが、どう処置してよいのか判断しかねるのは久し振りだ。ここは紫に詳しく聞くのがいいか。
そう思っていた矢先、紫が縁側の襖を開けてやって来た。
「あ、紫。丁度良かったわ。霊夢の調子があまりよろしくないようなのよ」
紫は顔を曇らせる。
「調子が悪い……」
永琳は紫に、霊夢の症状などを説明して意見を求めていた。
一方霊夢は、紫の姿を見ておや、と思う。
何となく、紫が疲れているように見えたのだ。最近は寝る間も惜しんで結界修理に奔走しているので、流石に疲れが溜まっているのかもしれない。
かと言って霊夢が手伝いを申し入れてもぴしゃりと断られてしまう。気遣われているのは嬉しいが、任せっきりにするのも悪い気がするのだけれど。
「…………」
永琳の話を聞いていた紫は、いつになく余裕の無い様子で言った。
「お腹の子は博麗大結界の力によって作られたもので、母体共に絶えず結界から力を供給されているわ。それが今、結界が歪んだりその力が弱まったりしているから、負の影響が出ているのかもしれない」
「負の影響……?」
永琳の問いに、紫は小さくかぶりを振った。
「こんな事初めてだから、具体的にどんな、とは分からないわ……」
紫につられ、永琳も霊夢へと目を向けると、二人に注目されて落ち着かないのか、霊夢は気恥ずかしそうに目をきょろきょろと泳がせた。
霊夢が不調を訴えている。恐れていた事が起きてしまった。毎日必死になって結界を直しているのも、霊夢のお腹の子への影響を最小限に抑えるためだというのに。
外の世界の戦争が激しくなるにつれて結界の損傷も激しくなり、修復をしてもきりがない状況であった。
いや、分かっていたのだ。結界の修復など気休め程度に過ぎない。外の世界が壊滅状態に陥れば、問答無用でこの幻想郷も深刻な状況に至ってしまう。それこそ、終わってしまうくらいの状況に。
それでも何かせずにはいられない。自分は幻想郷の守護者なのだから。
「とにかく、今は結界の修理に全力を尽くすわ。霊夢、あなたは永遠亭に泊り込んだほうがいいわね」
「ちょ、ちょっとお」
霊夢は慌てた様子で立ち上がり、不満そうに頬を膨らませた。
「入院しろっていうの? これくらい大丈夫よ」
こうなるから体調不良を言うのが嫌だったのだ。
「でもね……」
「心配しすぎなのよ。永琳にもどうにもならない事なんでしょ? だったらここにいるわ。住みなれた神社の方が落ち着くしね」
「…………」
確かに、ここ博麗神社にいたほうが比較的博麗大結界の力が及びやすいかもしれない。
溜息混じりに「そう……」と呟くと、その身を翻して縁側へと歩いて行った。
来た早々に行ってしまうのを見て、霊夢は慌ててその後姿へと呼びかける。
「ちょっと、紫? お茶でも飲んでいきなさいよ」
「結界の綻びは予断を許さないわ。また修復に行ってくるわね」
さっさと空へと飛び上がって行った紫に、霊夢は急いで呼びかけた。
「ねえ、たまには休みなさいよお!」
曇り空へと昇っていきながら、紫は微笑みと共に会釈を返した。
「まったく……」
ぶつくさ言いながら部屋へと戻ると、永琳が可笑しそうに笑いをこらえていた。
なんとなく、霊夢は頬を赤らめ不満そうに口を尖らせる。
「何よ」
「何でもないわ」
「むう……」
永琳は肩をすくめて、
「結界の歪みの原因は、外の世界の戦争だったかしら? それなら、私達がどうこう出来る事じゃないわね」
「そうなのよね……」
途端、永琳はどこか遠い目をする。
「ここだけ平和っていうのは、贅沢過ぎるのかもしれないわね」
「そうね……」
霊夢は溜息をついて空を見やる。
もしかしたら罰が当たっているのかもしれない。
外の世界では地獄のような光景が繰り広げられているというのに、自分は暢気に平和な幻想郷で暮らしている。
――でも。そうだとしても。
私は後でどんな罰でも受けるから、この子だけは無事に産ませてください。
霊夢はじりじりと痛むお腹をそっと両手で押さえ、祈るように目を瞑った。
その翌日のことだった。
今にも雨が降りそうな薄暗い曇天の中、紫はもう今日で一週間も不眠不休で結界修理にあたっていることになる。
それでもまだ余力を残しているのは、流石はスキマ妖怪といったところか。
「く……」
苦々しい表情で目の前の結界を塞ぎきる。
この日は一際結界の綻びが多かった。
――まだ……終わりなどではないわ。
気休め程度にしかならないなら、気休め程度のことをすればいい。諦める気など毛頭無かった。
――しかし。
紫自身、結界が、いや、幻想郷自体が危機的状況に置かれていることは分かっていた。そしてそれを自分の力でどうにかする事は不可能であることも知っていた。
外の世界の戦争が終われば、平和になれば全て良くなるはず。
しかし先日見た光景が頭に浮かぶ。黒い雨の降る世界。
世界は良くなるだろうか?
やり直しがきくのだろうか?
ひょっとしたら、世界はもう――
「…………」
淀んだ思考を振り払うように首を振った。
そんな事を考えて何になるというのか。今はただ、自分にできる事をするしかない。
そんな時だった。
何かひび割れるような不気味な音が、幻想郷全体に聞こえるくらい大きく響き渡った。
それはどこか得体の知れない虫が鳴いているのに似ていた。キシキシとしたその音は聞き慣れなくて、それでいて発砲スチロールを擦ったみたいに思わず耳を塞ぎたくなる不快感を覚えるものだった。
「何が……」
紫が呟いたすぐ後、変化は起きた。
不気味な音を振りまきながら、結界の一部が剥がれた。
適当に一メートル四方くらいに手で千切られたように、所々の綻びと共にそれは幻想郷の地上へと落ちていった。
それだけではない。
それと連鎖しているのか、まるで揃えられたパズルを持ってひっくり返したように、周囲の結界もぼろぼろと容赦無く剥がれ落ちていく。
剥がれた所からは、黒い雲に覆われた外の世界がのそりと覗き、どす黒いもやがそこからもくもくと入り込んでくる。
「あ……ああ……」
呆気もなく、容赦もなく――
幻想郷が、終わりを迎えようとしている。
それが運命だと言うならば、それに抗う者は何だというのか。虫けらみたいに無力なのだろうか? そうだとしても、虫けらにもできる事はあるはずだ。
「……させない、わよ」
紫の体の中の最も深いところから金色の光が湧き出て、体からたぎるように迸る。それは暗い雲に覆われた幻想郷を儚く、しかし強く照らし出していた。
「まだ、終わりなんかじゃない」
誰かを説得するように、自分に言い聞かせるように、紫は震える体で終わろうとする幻想郷を見やっていた。
幻想郷に住むあらゆる者達が空を見上げ、不安に体を打ち震わせる。空が剥がれ、漆黒色の地獄が覗くその中で、上空に輝く金色の光を、ある者は見たという。
――例え私の命が果ててでも。
守ってみせるから。
幻想郷を。
紫の脳裏に、暢気な巫女の姿がちらついた。
私が本当に守りたいのは――
紫は無理矢理思考を途切れさせる。
そんなはずはない。
私は幻想郷の守護者だ。幻想郷を守るのだ。
紫の体から発せられる命の光は勢いを増し、太陽よりも眩しく強く――
そして空は、眩いばかりの金色で覆われた。
◇◇◇
「ねえ、あんたって、幻想郷の守護者なのよね?」
とある時間のとある博麗神社の縁側。
霊夢は隣に座る紫に問いかけた。
すると彼女は膝の上でまだぐっすりと眠りこける少女を見やり、やがて肩をすくめる。
「私が勝手にここを守ってるだけよ」
「それでも、昔から幻想郷を守ってるわけよね。それって守護者ってことじゃないの?」
「まあ、そうね。どうしたの? いきなりそんな事言い出して」
「……ねえ」
「なあに?」
「自分の命と幻想郷なら、どっちを取る?」
「どうしたの? そんなこと聞いてくるなんて」
「答えてよ」
紫は薄い笑みを浮かべて溜息をついた。
「……そうね。幻想郷を取るわ」
「…………」
「どうしたの?」
「……なんでも、ない」
「霊夢、どうしてあなた――」
――そんな悲しい顔をしているの?
◇◇◇
「全く、無茶してくれますね」
ほとんど力を使い果たした紫をおぶって空を飛びながら、式神の藍は呆れたように溜息をついた。
「迷惑かけるわね」
薄く笑いながら紫は言った。あの後、上空からぐらりと落下していく紫をなんとか藍が抱きとめたのだ。
上空を見ると、結界はなんとか落ち着きを取り戻し、綻んだ箇所も今のところ見当たらない、幻想郷にはいつもの空が広がっていた。
何とか危機は去った。それでもまた時間が経てば結界の歪みは出てくるのだろう。紫が全力をとして直したといっても応急処置に過ぎなかった。
「無理しすぎですよ」
「こんな事態だから仕方ないわ」
「全く……今日はもう休んでくださいね」
どうやら紫の家に向かっているようだ。
「ふー……霊夢が健在なら紫様の負担もいくらか減るんですけど……」
「――あ」
紫は藍の首に回した手の力をぎゅっと強めた。
霊夢。結界の状況によってお腹の子に影響が出るのだとしたら、先ほどの大崩壊で何か酷い悪影響が出ているのではないか。
焦燥が紫の体をぐいぐいと急かす。そもそも、なぜこんな大騒ぎで霊夢が飛び出してこないのか。彼女であれば紫が止めていても慌てて出てくるだろう。もしや飛び出して来ないのではなく、飛び出して来れないのではないか。
「藍、博麗神社へ向かうのよ」
二人の前にスキマが生まれた。
「また無理をして……」
「いいから早く」
「分かりましたよ、もう……」
主人をおぶった藍は、ぶつくさ言いながらするりとスキマへと入っていった。
「霊夢ー!」
境内に現れた紫が呼びかけても、返事は帰ってこなかった。
「霊夢……?」
言いようの無い不安が、紫の体中をひたひたと練り歩く。それが背筋へと差し掛かったとき、一際ぞくりと寒気が襲ってきた。
紫は藍と共に、走って神社の裏手へと向かった。
霊夢はここ最近、いつも縁側にいて上空で結界修理に励む紫を眺めているのだ。
そしてこの時も霊夢はそこにいた。
しかし座っているのでも横になって寝ているのでもなく、お腹を押さえ、体をくの字に折って倒れていた。
「霊夢!」
悲鳴のような声を上げ、紫は霊夢の側へと猛然と駆け寄った。
結界の崩壊のせい? 直すのが遅かった?
紫の頭の中で様々な感情がぐるぐると巻き上がり、暴風を成して心を乱雑に掻き乱す。
「霊夢、霊夢!」
混乱する頭のまま必死に呼びかけると、霊夢は身をよじって呻き声を上げた。
「う……」
霊夢の額には玉のような汗がびっしりとこびりつき、苦しげに顔を歪ませている。紫の声を聞いて僅かに目を開け、安心したように笑顔になる。その顔は、痛々しいほどに青ざめていた。
「ゆ、かり……さっきの、は……?」
「もう収まったわ。だから安心して」
「そ……か……」
紫は早口で問いかけた。
「痛いの?」
霊夢は肩で息をしながら頷いた。
「あ……赤ちゃん、を……」
愕然と震える紫に対し、藍がなんとか冷静に呼びかけた。
「紫様、早く永遠亭に」
「え、ええ」
隣にスキマが発生し、二人は霊夢を永遠亭まで運んでいった。
鈴仙と共にいた永琳は、突然やって来た三人に一瞬驚いた表情を見せたが、藍に抱えられた苦しげな霊夢を見て目を見開くと、事情を察したのか、真剣な表情で「こっちよ」と治療室を案内した。
「うどんげ、治療箱の五番から八番を全て持ってきて」
「はい!」
「紫は側にいて頂戴。博麗の巫女に関してはあなたの方が詳しいわ」
「分かった。藍もいて頂戴」
「はい」
治療台に載せられた霊夢は、息も絶え絶えに焦点の合っていない虚ろな目で天井を見つめていた。
うわ言のように「赤ちゃんを……赤ちゃんを……」と繰り返す彼女の手を、紫はぎゅっと力強く握ってやる。
「霊夢……ごめんなさい。私がもっとしっかり結界を直していたら……」
ひとしきり診察を行っていた永琳は、険しい表情で紫を見やった。
医師として患者の前で言っていいものかと思いつつ、隠しても仕方の無いことなので口を開く。
「さっきの崩落しかけた結界の影響だと思うけど、母体の衰弱が著しいわ」
「…………」
「紫……このままだと――――もたない」
「――!」
紫は霊夢の手を握る力を強めた。
藍が恐る恐るといった具合で聞く。
「もたない、とは……?」
――どっちが? とは言えなかったが、永琳は察していたようだ、難しい表情のまま首を振る。
「……両方よ」
「な……!」
それでは、このまま博麗の巫女は終わってしまうということか。
しかし手が無い訳では無い。
永琳の考える方法としては、お腹の子供を諦めて手術によって取り出し、母体の健康を図るというもの。子供は今生んでも早すぎて、常識的には望みが無い。
博麗の巫女が途絶えることになってしまい、ひいてはいずれ霊夢が寿命か何かで死んだ時には幻想郷が終わってしまう事になるが、今終わるよりはマシである。
「紫、何か方法は無いの?」
すがるように永琳に言われ、しかし紫は愕然と霊夢を見つめるだけで答えない。
「ちょっと、紫?」
「…………」
とその時、霊夢が目の前に立つ面々に焦点を合わせ、震える声で呟くように言った。
「だい、じょうぶ」
「霊夢!」
皆が霊夢の側へと駆け寄り、その顔を覗きこむ。
「この子を、助ける方法、あるから……」
「それは本当?」
紫は震える声で霊夢に言った。
「霊夢……何を考えてるの……?」
「紫……」
霊夢はそこで、明らかに無理をしているのだと分かる、苦しげな笑みを見せた。
「博麗大結界の、力を、この子に全て、注ぎ込めば、助かる」
「そんな事が可能なの?」
永琳の問いに、霊夢は頷いてみせた。
「あなた……それがどういう事か、分かってるの?」
紫が目を見開いて震えている。
「分かってる、わ。私が死ねば、全ての力が、この子に向かう。それでこの子は、助かる」
「――な!」
永琳と藍が揃って驚きの声を上げる中、紫だけが眉をしかめて霊夢の手をぎゅっと握り締めていた。
分かっていた。それをすれば恐らく子供を助ける事は可能だろう。現在、ただでさえ弱まっている博麗大結界の力は、霊夢とお腹の子とに分散して注がれている。それをどちらか一方に集中させれば、一方は助かるだろう。しかし、それをするにはもう片方が死ぬしかない。
「それしか……ない。博麗の、巫女を、終わりに、するわけには、いかないから……」
霊夢は自分の命を我が子に捧げると言っている。博麗の巫女としての行動か、それとも母親としての行動か。おそらくその両方なのだろう。
永琳と藍は、問いかけるように紫を見つめた。
「…………」
紫はじっと霊夢のことを見つめていると、やがて呟いた。
「……二人にして頂戴」
「紫様……」
「…………」
「お願い」
その口調が断固したものだったので、やがて永琳と藍は部屋を出て行き、後には苦しそうに喘ぐ霊夢と、霊夢を見下ろして立ち尽くす紫が残された。
これは罰なのだろうか? 外の世界が地獄へと景色を変える中、ただ平和と安寧を謳歌していた自分達への罰。
「紫……」
霊夢は握られている手に力を込め、紫の手を握り返した。
「お願い……」
「…………」
紫は愕然と、ただ唖然と霊夢のことを見つめていた。
この子は何を言っているのだろう。
死ぬ?
誰が?
「紫……こんな時に言うの、なんだけど……」
「……なに?」
「今まで、色々、助けてくれて、ありがとう」
「…………」
呆然とした紫は、返事をするのを忘れてしまっていた。
何を言っているのだろう。
まるで遺言のようだ。
死ぬ前に言い残したいことを言うのが遺言だというのなら、これは遺言なのだろう。
誰が?
「……いい、のよ」
搾り出すように短く呟くと、それでも霊夢は満足したように笑みを浮かべた。その顔がすぐに苦悩に満ちる。
「あ……う……くっ……」
「れいむ……」
名前を呼ぶ事しかできない。
自分はなんて無力なのだろう。
どうすればいい? 分からない。こんな事は今まで無かった。こんな事を思う相手なんて今までいなかった。
どうして頭が回らないの? どうして頭が真っ白になるの?
分からないの、霊夢。ねえ、私はどうしてしまったの?
「紫……」
霊夢が今にも崩れ落ちそうな笑顔のままで言う。
「お願いが、あるの……」
「…………」
紫は無言で次の言葉を待つ。
「この子……」
霊夢は紫の手を握っていないもう片方の手でお腹を押さえている。
ああそうだ。まだ名前を付けていなかった。頼まれていたのに。生まれるのはまだ先の事だったから。
「あんた、が……」
「霊夢……?」
「あなたに、育ててほしいの……」
「――!」
震えているのが自分でも分かる。恐怖していた。この少女を失うことに。それを肯定することに。
「私、が……?」
「そう……お願い……」
「…………」
紫は頷く事ができなかった。頷いたらこの子が死ぬ事が決定してしまうから。
楽しみにしていた。
霊夢に子が生まれて、今度は自分も側にいてその成長を見守る。霊夢は小さい頃、先代がたびたび出かけては寂しい思いをしたという。なら霊夢が仕事で忙しい時は自分が赤ちゃんの面倒を見てやって、必要なら自らご飯を作ってやってもいい。霊夢の帰りを待って一緒に食卓を囲むのだ。
結界の管理方法については、自分と霊夢が一緒になって教えてやれば理解が早いだろう。あまり便利屋扱いされるのはいけないので他人に対してはあまり使わないスキマも、色々な所に出かけるのに使ってやってもいい。見聞を広めるのは良い事だ。
成長した赤ん坊にあなたは誰なのと聞かれたら、自信をもって名付けの親だと答えてやる。
そして時間が空いたらあそこで――
縁側に三人で座ってお茶を飲むのだ。
うららかな陽射しを浴びて心地良さそうに眠る子供を膝の上に乗せ、隣には霊夢がいて取りとめの無い会話に花を咲かせる。
そんな未来を思い描いていた。
なのに――
未来は一転した。
育てる?
私が?
一人で?
「紫、お願い……」
霊夢は悲痛な面持ちで喘いだ。
聞きたくなかった。
何も望まれたくなかった。
生きて。
ただ霊夢に生きてほしいのに。
「あなたに、お願いしたいの……」
何を?
聞きたくない。
お願いなど何もしてほしくない。
「私を……」
聞きたくない。言われたくない理解したくないやめて口を開かないで何も言わないで。
「――殺して」
叫んでいた。
全く声を出さないで、紫の心が耳をつんざく慟哭を上げていた。
いつだって冷静で適切な判断を下すはずなのに。そうしないといけないのに。
心のスキマにセメントを流し込まれて固められたようにがちがちになって動かない。
分かっていた事ではないか。いつか別れの時は来る。
明らかな事ではないか。
八雲紫。妖怪の中の賢者と言われる賢き存在。
博麗の巫女を途絶えさせるわけにはいかない。幻想郷を守らなければいけないのだ。
だから博麗霊夢を殺し、その子を取り上げる。それが常識であって、全く非常識ではない。
ではもしも、考えてみよう。
もし博麗霊夢を生かしたとして、一体どうする?
彼女が寿命を全うするまで何年だ? 百年も無いだろう。たったそれだけで、神にも匹敵する技巧と類稀なる英知を結集して作り出された奇跡の業、博麗大結界を終わりにするのか? 幻想郷を終わらせるのか? そんな訳にはいかない。
当たり前のことなのだ。
霊夢は死ぬ。博麗の巫女は存続していく。
それが常識なのだ。
『私は大丈夫だから。だから話しなさいよ。一人で抱えたりしないでさ。言ってくれなきゃ、寂しいじゃないの』
霊夢のかつて言った言葉が、紫の頭の中をぐるぐると駆け巡る。
死ぬ? 殺す?
霊夢を?
私が?
『あんたに、この子の名付けの親になってほしいのよ』
嬉しそうに、実に幸せそうに霊夢はそう言った。
霊夢。
博麗霊夢。
名前を呼ぶだけで嬉しかった。それだけで幸せになれた。
いなくなる。この世から。
「あ……ああ……」
霊夢の頬に、ぽたぽたと水が滴った。それが涙だと、気付いた紫は驚いた。自分が涙を流すなどいつ以来だろう。
「紫……」
霊夢が震える手を伸ばし、紫の頬をさすった。
「そんな顔、しないで……」
どんなひどい顔を自分はしているのだろう。しかし今は、涙を拭うこともできない。
そして霊夢は微笑む。紫を安心させるかのように。
――お願い、紫。
「あ……あ……」
霊夢を殺し、博麗大結界の力が赤子に集中するのを確認してから取り出すと、それは相当の未熟児であったが、結界の力でどうにか生き長らえる事ができた。
幻想郷を守るために自らの命を差し出した、博麗の巫女の鏡である博麗霊夢の葬式は盛大に執り行われた。
大勢の妖怪やら亡霊やら人間やらが出席し、彼女の遺体の前でわんわん泣く。紫はその横で何も分かっていない様子の赤子を抱き、そんな葬式をぼんやりと眺めていた。
涙は枯れ果てたのか、一滴も流れる事は無かったが、おそらく酷い顔をしていたのだろう、紫の顔を見た誰もがはっとして顔を逸らしていく。
赤子は霊夢の希望通り紫の家で育てることになった。異論は出なかった。
子育てには不慣れな紫だったけれど、藍と、紫は橙も家に住まわせて皆と一緒に育てていった。魔理沙が度々訪れ、子供をあやす、というより一緒に遊んで時々泊まり込んでいく。霊夢がいなくなった心の隙間を生めようとしているのだろうか。
結界の管理方法は紫直々に教えていった。師が良いせいか、この子は幼くして霊夢以上の術者になりそうだ。
しばらくは結界修理に奔走する紫だったが、やがてどうにか外の世界の戦争も収まり、幻想郷は以前の落ち着きを取り戻していった。
博麗神社の裏手の雑木林の中。
そこに歴代の博麗の巫女が眠る墓がある。
紫は毎年、ここに子供と一緒に墓参りに行く。
――この人があなたの母親よ。
墓の前で、親の顔も分かってない子供にそう呼びかけるけれど、自分に生みの親がいるということが子供には実感が沸かないようだ。親と言ったら紫のことなのだろう。
いつの日か、紫は「私があなたの母親を殺したのよ」と子に言うことになる。その時に子はどういった反応をするのだろうか。いっそ恨んでくれれば気持ちがはっきりして楽だけれど、子は紫を許すだろう。そして自責と後悔と悲哀の感情は細かな針となって飲み込まれ、百年二百年かそれ以上の間、それこそ博麗霊夢の存在を忘れるまで、紫の心をちくちくと蝕み続ける。
いずれ子が自立できるくらい大きく育った時、主のいなかった博麗神社に一人で住まわせることになった。
心配する事はない。紫はそれからもちょくちょく面倒を見に赴いて、色々と世話を焼いてやるのだ。
やがてその子も紫からしたらあっという間に大きくなり、その身に子を宿す時がやって来た。
今度こそ紫はずっと側にいて、二人で子を育てるのだ――
或いはそんな未来があるのかもしれない。
今はただ、紫は霊夢の前で打ち震えてぐるぐると思考を巡らせる。
子供の、この幻想郷の未来のためだから――
だから、
だから霊夢を殺して子供を助けて霊夢の葬式にはきっと大勢の妖怪達が集まって霊夢の遺体は丁重に墓に葬ってしばらくは毎日のように自分も墓参りをして花を手向けて子供は大切に育てていつか外の世界の戦争は終わって子供はあっという間に大きくなってまた次の後継者を身に宿してそうなればいいそうなるのが正常そうなるのが常識。
「紫……お願い」
「れい、む……」
打ち震える紫。愕然とする表情。自分がどれだけ首をかしげているかも分からない。
震える手を、霊夢へと伸ばした。
「紫……ありがとう」
霊夢がそっと、目を閉じた。
そして紫は――
一筋の線が、紫の横の空間に生まれた。両端にリボンの付いた、もはや御馴染みとなった線だ。
ぐにゃりとわななきながらスキマが開くと、中では無数の目がぎょろぎょろと蠢き、方々へと視線を巡らせている。
スキマは小さい。人ひとりの頭が通るか通らないか、といったくらい小規模のスキマ。
一転した未来は、二転する。
そもそもおかしな話なのだ。
紫の身の内で、ぼこぼこと何かが沸騰していく。
誰のせいでこんな事になった? 外の世界の人間達のせいだ。馬鹿で自分勝手な人間達が阿呆みたいな争いをしているせいで、今! この子は苦しんでいる。死にそうになっている。死ぬべきは愚かな人間達のほうなのに。
元々平和であった未来は一転し、ずたぼろに捻じ曲げられた。勝手な人間達の手によって。
じゃあ仕方ないから子供を取り上げ、人間達のせいで死んだ霊夢の代わりに博麗の巫女として育てる?
なぜそんな人間達の垂れ流した泥水のような未来を啜らないといけない?
私は妖怪、八雲紫。
幻想郷の守護者にして、人智を超えた存在。
未来は私が選ぶ。
紫は伸ばした手を、すいっとそのスキマへと向けた。
「紫……?」
霊夢が訝しげに目を開けると、何故かそこにはスキマがあり、紫の顔が――
目を見開き爛々と輝かせ、口をにいっと限界まで吊り上げて笑っている、口だけで笑っている紫がそこにはいた。
それを見て、霊夢は本能的に恐怖を覚えた。
妖怪。
確かに紫は妖怪だ。しかし彼女はもっと人間臭くて胡散臭くて、それでいて親しみやすい。そんな存在だったはずなのに。
この紫はまるで、本当の意味での妖怪のような――
「霊夢」
紫は嬉しくて嬉しくてたまらないといった具合で笑い掛ける。今にも笑い声をもらしても不思議ではない。そして目が全く笑っていない不気味な表情。
「ゆ、かり……?」
「あなたを、死なせはしない」
確かな声で、はっきりとそう言った。
すっと、手をスキマへと伸ばす。
母としての本能からか、霊夢の背筋を、ぞくっとするようなどうしようもない悪寒がわさわさと這いずり回る。
このスキマ妖怪は、一体何をしようとしているのか?
そのスキマはどこへ繋がっている?
今、紫は――
一体誰を、どうすると言った?
「ゆか、り……何を……」
「ええそうよ。絶対に」
すすっと、紫の手はスキマへと近づく。
霊夢は紫の手を振り払い、ぎゅうっと自身のお腹を守るように押さえ込む。
「や、やめて……」
紫の服に手を引っ掛けぎゅうぎゅうと引っ張り、霊夢は力無く首を振る。
それに構わず紫は笑う。
ねえ霊夢。
私はあなたに会って初めて、本当の意味での失う悲しみというものを知ったのよ? いずれは失ってしまうけれど、それでも大切な人をいくらでも好きになれることを知ったのよ?
ねえ霊夢。
私はあなたにそう教えられて、それを思うのはあなたにだけだったのよ?
ただそうしたいから。一緒にいたいならそうすればいいじゃないのと、私は教えられたのよ?
だから――
「あなたを、死なせない」
「やめて! ゆかりい!」
そして――
紫の手が、スキマへと突き込まれた。
「いやあああああああああああああああ!」
博麗大結界の中枢。
白と光のグラデュエーションで描き出される広大な世界で、ぽつんと佇む聖樹はもはや見る影も無かった。
幹をいくらか上がると、そこからはもう痛々しいほどに茶色く変色しており、枝や葉に至るまでかさかさにひび割れている。
聖樹の周囲にはその身から振り落とされたのであろう、無数の枝葉が乱雑に撒き散らされており、かつて湛えていた光の一筋も湧き出す様子はない。
根に近い、僅かに白を残す部分から必死に生命力を放出していた聖樹が、一瞬ぞろりと揺れた。葉や枝の破片が無数に散らされ、はらはらと舞い降りる。
聖樹は泣いているのだろうか。悲鳴を上げているのだろうか。
その声を聞き分ける者はここにはいなく、風も無い空間でただ虚しく揺らめくだけであった。
永遠亭全体に響き渡るような、断末魔のような叫び声を聞きつけ、永琳に藍、それに鈴仙は慌てて治療室へと飛び込んだ。
そして――
「あ……」
呟いたのは、一体誰だったか。
八雲紫がいる。
全身に返り血を浴び、どこにも焦点を合わせていない虚ろな目でぼんやりと立ち尽くしている。
その腕の中には、血まみれの何かを抱えていた。
「紫……?」
目を見開き停止していた永琳が一歩、前へと進み出た。
そしてようやく目に付いた物事の処理に頭が働き始める。
紫が抱えているそれは、人の形をしていた。
小さな人間。赤ん坊。
ぴくりとも動かない。
治療台には霊夢が横たわっていて、股の所からじわりと滲み出る血で、ただでさえ赤い巫女服は更にその色を濃くしていた。気を失ってはいるが、しかしどうやら生きているようだ。
「紫、あなた……」
青ざめた永琳が呼びかけても、紫の表情に変化は無かった。怒っているような、呆れているような、唖然としているような、泣いているような、笑っているような――
判別できない顔つきでただじっとしている。
我に返った永琳が紫に駆け寄り、その腕から赤ん坊をひったくった。
――治療を。
しかし、
「――あ」
触れた瞬間に分かった。
死んでいる。
もう手の施しようの無いことが、経験豊富なこの医者は分かってしまった。
「ゆか、り……」
霊夢は赤ん坊を助けてほしいと、自分の命などどうなってもいいと言っていた。その様子に偽りや迷いなど無かった。ということは、これを行ったのは紫の独断。
愕然とした永琳が紫を見つめていると、彼女は無言のまま歩き出した。
引き止める者などこの場にはいなく、そのまま庭先まで歩いていく。
「ゆ、紫様!」
どうしたらいいのか分からず慌てていた藍が、とにかく主の後を追って行く。
紫は何も言わず、藍を伴って庭から空へと舞い上がって去って行った。
後には呆然とした永琳と鈴仙が残される。
「し、師匠……」
「…………」
息絶えた赤ん坊を抱えてしばしの間立ち尽くしていた永琳は、
「今はとにかく、霊夢の治療を行うわよ」
そう言って、赤ん坊を鈴仙に手渡した。
「隣の治療室に運んできて頂戴」
「は、はい」
険しい表情のまま、永琳は霊夢の治療に取り掛かった。
「…………」
藍は血まみれの主人を見つめ、何も言えなかった。何か言おうとすると、式神の自分からしたら出すぎたことが口を突いてしまいそうだ。だからただ黙って主人に付き従い、幻想郷の上空を上へ上へと昇っていった。
「藍」
思い出したように紫が呟いた。
「は、はい」
突然呼びかけられたことに慌て、いつになく動揺した返事をしてしまう。
「あなたは家に帰りなさい」
「え……」
「私は結界の修理をしているわ」
確かに言われてみれば、さっき大規模な修復を終えたところだというのに、もう新たな歪みがそこここに発生していた。
「そんな無茶ですよ! さっき力を使い果たしたところじゃないですか!」
それに、この状態の主人を一人にしておきたくなかった。
だが、紫が今度は一際強い口調で帰る事を再度促すと、藍は「しかし……」と呟きながらも、すごすごとそれに従うしかなかった。
「…………」
紫は遠ざかる式神をちらりと見やると、無言で結界の修復作業へと取り掛かった。
「あ……」
鈴仙が思わず声を洩らす。
あれから数時間もしない夕刻、霊夢が目を開けたのだ。てきぱきした永琳の治療は既に完了しており、幸いにも霊夢は峠を越したようだ。博麗大結界から供給される力が増えたおかげでもあるのかもしれない。
「霊夢!」
知らせを受けて駆けつけていた魔理沙が抱きつくと、ずきんとした痛みが体の芯から響いてきて思わず霊夢は顔をしかめ、そんな彼女を見た永琳によって慌てて引き離された。
霊夢は相変わらずの青い顔で周りをきょろきょろと見回し、自分を覗き込む魔理沙や永琳に焦点を合わせると、震える声を絞り出した。
「赤ちゃん、は……?」
「別室で治療を受けてるわ。あなたは安心して眠りなさい」
医師として、この状態の霊夢に赤子が死んだことを告げるのは、錯乱状態に陥って何をしでかすか分からず、極めて危険であると判断していた。
今はとにかく眠ってもらい、心身共に落ち着いてもらうのがいい。
しかし――
「ふふ……」
霊夢は笑った。
その笑みがどう見ても、自分にとっては馴染みの紛れもない狂気のものだったので、鈴仙は口から呻き声が洩れるのを必死に抑えた。
「霊夢……?」
思わず一歩後ずさりそうになりながらも必死に体を押し止め、魔理沙は呆然とその名を呼んだ。
乱れた黒髪を払う事もせず、霊夢は上体を無理矢理起こす。髪がばさりと前にかかり、奇怪な怨霊のようにその顔の大部分を隠した。
「霊夢! 寝ていなさい!」
「嘘よ」
霊夢はきっぱりと吐き捨てた。
「分かるわよ。結界の力が全て私に注いできてる。傷を治そうと必死になって流れてきてる。ねえ永琳」
ぐらりと勢いよく首を傾け、霊夢は斜めになった顔で目を見開き永琳を見つめた。湿気を帯びたぼさぼさの髪がだらんと下に垂れ下がる。
魔理沙は膝が笑うのを止められなかった。
これは一体誰だ? 本当に私の知る霊夢か?
「死んだんでしょ? 私の子は」
永琳は一瞬言葉を詰まらせた。
「……ええ、そうよ」
もはや嘘を言っても無駄だと分かったので、かろうじてそう呟くと、霊夢は「そう」と言って治療台から降りようとした。
「ちょ、ちょっと霊夢!」
慌てて永琳と魔理沙の二人で押し止めようとするが、
「――!」
息を呑む。
霊夢が睨むように目を細めながら懐からお札を取り出したのだ。思わず二人はさっと距離を取る。
今の霊夢であればやりかねない。それくらいの怒気が霊夢から溢れ、この部屋の中を圧迫するようにごうごうと吹き荒れていた。
「…………」
霊夢はお札を握り締めた手をだらんとぶら下げ、三人が表情を固まらせる中、ふらふらとした足取りで廊下へと出て行った。
そして何かに導かれるように隣の部屋の扉を開け放つ。
「あ……」
治療台の上に横たえられた、無残にも変わり果てた我が子を見て、霊夢は愕然としてぶるぶると打ち震えた。
もう血は拭われているそれは通常の赤子より小さく、もし無事生まれたとしても相当の未熟児であることが見て取れた。
それでも生まれれば。霊夢が死んで生まれてくれば、結界の力によって何とか生きられたであろう命である。
しかしその命はもう、無い。凍りついたように体が固まり、死んでしまっている。
霊夢はよろよろとした足取りで遺体へと歩いて行った。背後では、ただ呆然とそれを眺める永琳や魔理沙の姿がある。
やがて霊夢はぶるぶると震える手で赤子に触れ、今やすっかり冷たくなったそれを掴み、そっと抱き上げた。
「あ……」
動かない赤子の頬をぺちぺちと叩き、自然と呻き声が漏れ出していく。
「う……ああ……」
赤子の頬に大粒の涙がぼたぼたと零れた。
死んでしまった。
自分の人生でたった一つの命が。二度と赤子をこの身に宿す事などないのだ。いや、この子の命は一つしかない、代わりなど無い。
「ごめん、ね……」
――守ってあげられなくて。
何ヶ月もお腹の中にいたのに。ここにいたのに。
どうして?
なぜ死んだ?
死んだ?
違う。
この命は、
この子は――
殺された。
八雲紫。
人を殺し、むさぼり喰らう妖怪の一人。この幻想郷で最も強いとも言われる大妖怪。
あいつが殺した。
霊夢の脳裏に、先代が死んだ時の光景が浮かんでくる。
あの時も、今と同じようにベッドの上に先代の遺体が横たえられていて――
殺されていた。
妖怪の手によって。
今と同じ。あの時と同じ。
霊夢はそっと赤子を治療台の上に戻し、優しく呼びかけた。
「待ってて、ね……」
自分でも体力がそっくり削げ落ちているのを感じる。笑いそうになる膝を必死になだめ、扉の所に呆然と立っていた三人を押しのけるようにして廊下へと出て行った。そして庭を目指す。
「待て、霊夢!」
よく見てみると泣きはらした顔をしている魔理沙が進路を塞いだ。
「どいて」
「どこへ行く気だ」
「あんたには関係ない」
「あいつは、紫はお前のために――」
「うるさい!」
霊夢の背後では永琳が険しい表情で見つめ、どうしたものかと鈴仙が右往左往している。
霊夢は目を剥き、前方に立ちはだかる友人を睨みつけた。
「私のため? でたらめ言うんじゃないわよ! 私のためならあの子を生かす。それが私のためになってた。幻想郷のためでもあるし、私がそれを望んでた! 本望だった! 幸せだった!」
言葉が関を破ったように流れ出て止められない。
「それなのに紫は!………………殺したのよ。私の希望を、かけがいの無い命を! そんなの、全く全然私のためなんかじゃない。あいつは、本当は幻想郷のこともどうでもよかったのよ。所詮妖怪なんてそんなものなのよ。幻想郷の守護者? はは! 笑わせるわよ。自分で幻想郷を終わらせといて何が守護者よ。皆あいつに騙されてたのよ」
「霊夢……」
「邪魔よ」
悲痛な顔をする魔理沙を乱暴に押しのけ、霊夢は中庭へと出て行った。そして飛び上がり、空へと高く昇っていく。その飛翔はふらふらとしており、傍目にも力の無いことが見て取れた。
「師匠……」
鈴仙が心配を顔に溢れさせて、すがるように、何かを求めるように永琳へと呼びかける。
その鈴仙に、永琳はしかし、何も言わずに首を振るだけだった。
その隣では、打ちひしがれた魔理沙が目に涙を溜め、拳を血が出るほど強く握り締めていた。
結界を淡々と直しながら、紫はさっきまでの事に頭を巡らせていた。
自分は何て事をしてしまったのだろう。自分はこの幻想郷の守護者のはずなのに。それなのに自らの手で幻想郷を終わらせるようなことをしてしまった。
もしも外の世界の戦争が収まったとしても、いずれ霊夢が死ねば結界は消える。そうなれば幻想郷は終わりだ。
もう一度結界を作りなおすことなどできない。博麗大結界が作られた百数十年前、その時は特別であった。抜きん出た能力者が何人も同時に存在しており、ある者は紫に匹敵するくらいの能力者であった。そんな彼らと紫とが協力して出来たのが博麗大結界であり、悠久の時の中での強力な術者達の運命の結節点、まさしく奇跡の業であった。当時の術者は皆死んでおり、もう一度それをやれと言ってもどだい不可能なことであった。
だから、終わり。
幻想郷は百年もしないうちに崩壊する。そしてそうするようしたのは紛れも無い紫自身なのだ。
なぜあんな事をしてしまったのか。自分を責める気持ちや情けないという感情ならいくらでも沸いてきた。
しかし、後悔だけはなぜかいくら待ってもやっては来なかった。
むしろどこか晴れ晴れとした気持ちが紫の頭の片隅で燦然とふんぞり返っている。そして、そのことが紫を更なる自問の谷底へと突き落としていた。
なぜ霊夢を助けた?
なぜ幻想郷を捨てた?
なぜ子を殺した?
いや、分かっていたのだ。非常に単純で明確でありふれた理由なのだ。
そしてそんな自分を誇る感情が、紫の中でどうしようもなく煌いていた。
そうこうしているうちに、博麗霊夢がやって来た。
息も絶え絶えに肩が激しく上下し、顔は青ざめ、髪はぼさぼさ、しかしその瞳だけは業火が翻るように爛々と輝いていた。
「紫……」
震える声も意に介さず、霊夢は相手を睨みつけた。
紫は涼しい表情でそんな彼女を見やっている。
「聞いておくわ」
破れてしまうくらい強くお札を握り締める霊夢の手は、ぶるぶると震えていた。
なんで私を助けたの? などという問いは霊夢の頭の奥底でくすぶるだけで、外に出てくるはずもなかった。
「なんであの子を殺したの」
紫自身も自問自答の最中であったこと。まだ答えが出ないこと。
「自分でも分からないのよ」と言うのが彼女としては適切な回答だったのだろうか。或いは、「あなたのことが好きだから」とでも?
しかし紫はそこで、すっと目を細めて小さく微笑んだ。霊夢が愕然と目を見開く。なぜ笑っていられる?
「つい、よ」
何を言われたのか分からなかった。
つい?
何を指してそう言っているのだろう。
「何、それ……」
訳も分からず問いかけると、紫は事も無げに言ってのけた。
「だから、ついやっちゃったのよ」
何を、この妖怪は何を言っているのだろう。
「私は大妖怪と言われてるけど、何も完璧な存在じゃないわ。私だってミスくらいするわよ」
ミス?
あれが?
殺したのが?
あの子は、こいつのミスで殺されたの?
震えが止まらない。絶望と怒りがないまぜになって霊夢の体を殴りつける。
「ゆ、かり……」
「ほんと、失敗だったわねえ。あなたを殺しておくべきだったのに。博麗の巫女の後継の方を殺してしまうなんて。これで幻想郷も終わりね」
何を、何を言っているのだろう、この妖怪は。
何でもないかのように。あっけらかんと。
「まあでも、良かったじゃない霊夢」
「は……」
「だってあなた――」
そこで紫は、からかうように、見下すように、安心させるように、にいっと口の端を吊り上げ、笑ってみせた。
「命拾いしたじゃない」
霊夢の中で、今までずっと大切にしてきた何かがぶつりと切れて落ちるのを感じた。
「はは……」
がくがくと全身が震え、おそらく地上であれば膝を折ってしまっていただろう、手はぐしゃぐしゃとお札を握り締め、ぎゅっと噛み締めていたはずの歯ががちがちと鳴って曇天に響く。
「ははは……」
霊夢は笑っていた。涙も出ない。
そして気付いた。分かってしまった。
ああそうか。
なあんだ。
「あはは……」
私が間違ってたんだ。
表面上対立していても、実際では妖怪とも仲良くしなさい、と先代には教えられてきて、だからその意思を受け継いだ私は無秩序な戦いではなく、争いの定型化としてスペルカードルールを作り出したのだ。戦いつつ仲良くできる。そのために作り出した決闘方法。
間違ってたんだ。
仲良くする?
妖怪と?
そんなこと所詮無理なことだった。
先代はいい。いや良くはないけど、先代は納得していた。もしもその霊魂と話が出来るなら、自分を殺した妖怪のことも穏やかな表情で許すだろう。
私も同じだ。もしもスペルカードルールの中の不慮の事故で死んでしまったとしても、いや、そうでなくともただ妖怪の手にかけられて死んだとしても、私はその妖怪を恨まない自信がある。それが博麗の巫女としての信念。
しかしあの子は違う。
殺されるのなんて嫌だった?
生まれたかった?
生きたかった?
当たり前だ。
博麗の巫女としての生き方も、信念も教えていない、ただの生を求める赤ん坊だ。死を納得するなんて事ができたはずがない。生きたいに決まっていた。それが殺された。
最初から無理だったんだ。妖怪と仲良くすることなんて。
私はかつて、妖怪は人間と同じだと思った。姿形や信条が違っていても、その本質は人間と同じだと悟った。
間違いだった。
仲良くしているように見えても、彼らは人間とは違う。あんなにか弱い命を平気で奪ってみせる残虐な生き物だ。
妖怪は退治するもの。昔は確かにそうであった。時が経つうちに、それは表面上の決まり文句になってきた。
しかし違うのだ。昔からの教訓は正しかった。
妖怪は退治するものだ。それが紛れもない真実だった。
自分が馬鹿みたいだ。こんな妖怪と仲良くしたばかりに。気を許したばかりにあの子は殺された。
もっと拒絶しておけば、神社に妖怪など一匹たりとも近づかせなければ、こんな事にはならなかった。私が代わりに死んで、この子が死ぬ事もなかった。
もう妖怪たちと馴れ合うのはやめよう。
妖怪は紛れも無く退治すべき存在なのだ。
私が馬鹿だった。
私が悪かった。
でももっと悪い奴がいる。
ああ、もう何も考えられない。
ただ自分の中の激情に身を任せるのをよしとする事しかできない。
「ゆか、り……」
かつて親しいと思っていた妖怪の名を呼ぶ。紫は相変わらずの涼しい表情で、哀れなものでも見るかのように薄く笑っている。それがたまらなく霊夢の心をかき乱し、一つの感情へと突き動かす。
「あああゆかりいいいいいいいい!」
そして霊夢はお札を握り締めた拳を振り上げ、紫へ向かって飛んだ。
「なあ、永琳」
魔理沙は永遠亭の廊下の壁に寄りかかってうな垂れていた。
「私は、一体あいつに何をしてやれるんだろう」
「さあね」
「冷たいな……」
「私は人生相談までやってないわ。自分で考えるしかないわね。まあ、話くらいは聞いてあげてもいいけど」
永琳は同じく壁に寄りかかった。
「人の想いは歪みを生み出すわ」
「……歪み? あの結界の歪みか?」
「あれもそう。人々の絶望という想いが歪みを生んだ。でもね、歪みを生み出すのは負の感情だから、というわけではないの」
魔理沙は何も言わず、永琳の言葉を待つ。
「例えば願い。こうあってほしいという未来への願いが、歪みを作り出すこともあるのよ」
「結界の歪みは、そんな願いも映し出してるっていうのか?」
「そうね。絶望は願いの一種とも言えるから。でも、何も歪みは結界だけに反映されるわけじゃないわ。もっとこの世の未来を一転二転させてしてしまうような、そんな歪みを生み出してしまうこともある」
それは人の営みによって戦争が起きたり、一人の選択によって幻想郷が終焉へと舵を切ったり、或いはまた別の――
「そしてそれはほんの小さな願いから生まれるものだったりするのよ」
「未来が、二転……」
未来が変わるごとにどんどん悪い方向へと進んでいるのだとしたら――
「もしも未来が三転するとしたら、それはもう、今すぐ世界が消えてしまうくらいの事じゃないかしら」
「……それは、誰の願いでそうなるんだよ」
「例えばの話よ」
その時、永遠亭の一角の空間がぐにゃりと曲がった。それは一瞬の事ですぐに元に戻ったので、この場の誰も気付くことは無かったという。
「はー……」
場面は上空に戻る。
紫は呆れたように息を吐き、肩をすくめた。
「あなたって本当に馬鹿ね」
そう言って可笑しそうに笑い掛ける先には、空中に現れた四つのスキマに手足を飲み込まれ、宙に張りつけにされたようにぶらんと力を失う霊夢の姿があった。
巫女服はぼろぼろになり、体の至るところに小さな火傷や切り傷が刻まれている。一方の紫は髪の毛一本ちぎれてはいない。
「ぐ……」
苦しげに顔を上げようとする霊夢の顎を人差し指でついと持ち上げ、その目を真正面から見つめる。
「弾幕勝負でもない、ただの戦いであなたが私に勝てるわけないでしょう?」
霊夢は憎たらしいものを見るかのような表情でぐぐっと力を込め、必死に紫を睨んだ。
「う……あん、た……」
スペルカードルールに基づく弾幕勝負であれば、霊夢にも勝ち目はあったのかもしれない。
しかし例えどんな力を持った存在であろうとも、ただの殺し合いでこの最強と言われる大妖怪に勝つのは、昼の砂浜で星屑を探すことより難しい。最悪、スキマに呑まれてはい終わりである。
そういった一方的な理不尽さを排除するためにも、スペルカードルールを霊夢は作り出したのだ。
しかし皮肉にも、紛れもないその決闘方法を作り出した当の本人によってそれは破られた。
「ゆか、り……」
「何かしら?」
息も絶え絶えに、霊夢は搾り出すように口を開いた。
「あんたを、許さない、から……」
「そう」
短く切り捨て、紫は少し離れて霊夢に手の平を向けた。
「――!」
霊夢が愕然と目を見開く。
――殺される。
「じゃあね、霊夢」
にこりと微笑み、紫の手の平から容赦なく弾幕が発射された。
避ける事もできず、それは霊夢に直撃し、両手足を飲み込んでいたスキマはするり離れ、霊夢は背後へと吹き飛ばされていった。
「あっ!」
呻き声を上げ、霊夢は背後に発生したスキマに飲み込まれていった。
そしてどこか冷たい壁にぶち当たってずるずると力無く床にへたり込む。
「あ……ぐ……」
必死に前に目を向けると、そこにはぎょろぎょろとした無数の目が蠢く不気味なスキマが見えるだけだった。それらは霊夢を見下し、げらげらと笑い転げるように震えてみせる。
「ゆ……か」
そして霊夢の意識は途切れて落ち、冷たい廊下にがくんと横たわった。
◇◇◇
「ねえ、紫」
とある時間のとある博麗神社の縁側。
霊夢は隣に座る紫に問いかけた。
「それじゃあ聞きたいんだけど」
「なあに?」
「私の命と幻想郷のどっちかしか助けられない、って言ったら、あんたはどっちを取る?」
紫は心底驚いた様子で目をしばたたかせた。
「どうしたの、霊夢? 最近のあなたって変よ?」
「いいから答えてよ」
「…………」
紫は「んー」と閉じた口から声を出し、顎をついと上げ、うららかな春の空を眺めていると、やがてにこりと微笑んで答えた。
「あなたを選ぶわね」
「――!」
霊夢は震える表情で「な、なんで?」と問いかけた。
すると紫はからかうような不敵な笑みを浮かべる。
「ふふ。分からない?」
「……分からないわよ!」
驚くくらい大きな声が出た。
そのせいか、紫の膝の上で寝ていた女の子がびくっとした様子で目を開ける。
「むにゃ……あれ?」
ごしごしと目を擦るその子に、紫が穏やかに笑い掛ける。
「何でもないのよ」
ぽんぽん優しく頭を叩いてやると、まだ寝足りないのか、女の子は再び暢気に紫の膝の上で眠りについた。
「…………」
霊夢はおもむろに、その女の子を見つめてから再度問いかけた。
「じゃあ聞くけど」
「はいはい。もう、なんなの?」
「私とこの子とだったら、あんたはどっちを選ぶ?」
◇◇◇
「紫様……」
幻想郷の上空、帰ることなどできず、ずっと陰から見守っていた藍は不安そうに顔をしかめ、呆然とした様子で霊夢が消えていったスキマを見つめている紫の側に寄っていった。
「…………」
紫はさっき霊夢に向けて弾幕を発射した右手をじっと見つめていた。その手をそこらに滅茶苦茶に叩き付けてずたぼろにしてしまうのではないか、と藍は不安に駆られた。しかし紫はそんな事もなく、だらんと手を垂れ下げる。
「…………」
そのまま何も言わず、紫は自分の屋敷へと飛んでいったので、藍もその後をついていった。
紫は憎まれ役になろうとしている。
もしもあそこで「あなたに死んでほしくなかった、ごめんなさい」などと涙ながらに必死に訴えていたのであれば、あんな戦闘にはならなかったのだろう。
しかしそうなると誰を責める事もできず、霊夢の中に渦巻く激情は行き場を失い、ずっと彼女の心を蝕み続けるだろう。
だから霊夢のため、恨まれ役に、感情の捌け口に紫はなろうとしている。
それだけではないだろう。
紛れも無い紫自身のために。
霊夢と二人、やりきれない傷跡を抱えたままこの先過ごしていく事に耐えられなかったのだろう。
ならばいっその事嫌われてしまえば気が楽になる。
そしてそれは逃げる事に他ならない。
妖怪、八雲紫はなんと弱い存在だろう。
「紫様……」
ずっと主の側にいよう。力及ばないことがあるかもしれない、自分なんぞ支えになりもしないのかもしれないが、それでも絶対に主の側を離れまい。
藍は紫に付き従い、夜のように暗い曇り空の中を飛んでいった。
廊下で衝撃音が響き、魔理沙や永琳が駆けつけると、そこには全身ぼろぼろで無数の小さい傷から血を流して倒れる霊夢の姿があった。
魔理沙が悲鳴を上げる。
急いで治療室まで運び、そこまで大した怪我ではないことに安堵し、治療を終えたのが丸二日前のこと。
霊夢は二日前と比べて全く良くならない顔色で起き上がった。
「霊夢……」
魔理沙がすがるように霊夢の横に立つ。この二日間、魔理沙は不要とは分かりつつ、永琳に頼み込んでずっと霊夢の看病をしていたのだ。
ずっと考えていたのに、何と声を掛けたらいいのか全く思いつかなかった。
「眠っていなさい」
無駄だと思いつつも永琳は呼びかけた。
博麗の巫女の特性なのか、鎮静剤の効果がどうやら無いようなのだ。
いざとなったら力ずくで……と考えていると、霊夢は青ざめた唇で呟いた。
「私の子、は……?」
「…………」
永琳は何も、我が子の死を乗り越えて歩き出すことなど、今の霊夢に求めてはいない。それはもっと時間の掛かることだろう。そして今のこの少女には、子の亡骸でも慰めになるのかもしれない。
「……隣の部屋よ」
ふらふらと歩き出す霊夢の肩を無理矢理担ぎ、魔理沙は一緒に隣の治療室へと歩いた。
「あ……」
ベッドの上に横たえられた我が子を見て、魔理沙を振り払い、よろよろと駆け寄った。
呆然とした表情で抱き上げ、二度と目を覚ますことのないその顔を覗きこむ。
「あ……」
二日も寝ているうちに涙は枯れ果てたのか、もう赤子の頬を濡らす事もなかった。
「う……」
自分も後を追って死のうかとも思った。しかし紫のあの人を見下したような笑い顔が脳裏をよぎる。
あいつを野放しにして死んでおけるものか。
殺してやる。そのために生きてやる。
この子の仇を討つために死に物狂いで生きてやる。
そしてあいつを殺したとき、私は大手を振ってこの子と同じ場所に行くのだ。
霊夢は博麗神社に戻り、以前では考えられないほど毎日退魔の修行に明け暮れ、ただ妖怪八雲紫を打ち滅ぼすためだけに技を磨いていった。
魔理沙はせめて霊夢の支えになれればと、毎日のように神社を訪れては世間話をして時々泊まっていく。
自分が作ったスペルカードルールなど無視した霊夢の手により、異変やその他面倒事を起こした妖怪たちはあっという間に退治され、消滅されてしまう。
そしていつしか、博麗神社に妖怪たちが寄り付くこともなくなった。
毎日のように開かれていた宴会もとんと催される事が無くなり、神社は元気を失ったように寂れていった。
それでも霊夢は修行を続ける。食事も満足に喉を通らず、日に日にやつれていく彼女に魔理沙は一人涙し、無力感に苛まれる。やがて時が経ち、疲れ果てた魔理沙はもう博麗神社を訪れなくなった。
霊夢は孤独の中、何度も何度も紫に戦いを挑み、時には奇襲などもかけ、もはや手段など選ばずに殺しにかかり、それでも倒せずにまた修行に明け暮れた。
そしてそう遠くない未来、霊夢は何が原因か死亡し、幻想郷は終わりを迎えるのだった。
或いはそんな未来が待っているのかもしれない。
今はただ、霊夢は赤子を抱いて打ち震える。
そんな時だった。
幻想郷全体が、ぐらり、と揺らめいた。
「紫様!」
「ええ」
上空で結界修理にあたっていた紫は、藍に言われ神妙な顔つきで頷いた。
空間の一部が捻じ曲がり、まるで紙に書かれた絵画を折り曲げたように、空も地上も歪んでいた。
「結界が……」
「違う」
「……え?」
藍は思わず紫の顔を覗きこんだ。主の表情はどこまでも硬い。
「これは……結界の歪みじゃないわ」
「え……結界でないなら、一体何が……?」
「……分からない」
この聡明な大妖怪が、本気で分からないと言っている。藍の体をかつてない緊張感がぴんと駆け巡る。
紫は険しい表情でこの異常事態を鋭く見やっていた。
霊夢はそんな異変に気付くことも無く、ただ我が子を掻き抱く。
異変を察知した後ろの魔理沙が霊夢の側に来て何かを呼びかけ、永琳が慌てて廊下に向けて何か叫んでいるが、そんな事も気にならない。
ただ我が子の亡骸を抱いて絶望に打ちひしがれる。
「うう……」
そこで――
――あ。
呼びかけようとして、
名を呼ぼうとして、
この腕の中の子に呼ぶ名も無いことに気付いた。
今では遠い昔のように感じる光景が、霊夢の頭にはっと蘇る。
『あんたに、この子の名付けの親になってほしいのよ』
ああそうだ。
自分がそんな事を言ったんだ。
そんな馬鹿なことを頼んだんだ。
笑ってしまう。あいつが名前を付けるだなんて。
おぞ気が走る。あいつが名付けの親だなんて。
そう、この子は、この子の、
――この子の名前は、私が付ける。
その瞬間だった。
異変は一気に広がった。
雲に覆われた空も、これから春を迎えようとしていた妖怪の山も、鬱蒼と生い茂る竹林も、瘴気漂う魔法の森も、人が活発に行き交う人間の里も、今は誰もいない博麗神社も、
人も、妖怪も、亡霊も、その他全ての幻想郷に存在する者達が、
全てが立体としての地位を奪われ、凹凸を無くして平坦に、平面にと沈んでいく。
「な……なに……?」
流石に霊夢も異変に気付いた。
腕の中の亡骸をぎゅっと抱きしめ、厚みを無くしていく周囲を、自分の体をしきりに見合わせる。
「霊夢、何かおかしい!」
魔理沙の呼びかけに、霊夢はようやく耳を傾けた。しかし何が起きているのか分からない。どうしようもない。
その時――
「霊夢!」
スキマからひどく慌てた様子の紫が飛び出してきた。
「なっ……!」
なぜ来たの?
しかし紫のその表情が必死を通り越して泣きそうだったので、霊夢は思わず毒づくことも出来なかった。
そして次の瞬間、ビデオの停止ボタンを押したように全てが動きを止める。
霊夢が赤子を抱き、紫がスキマから飛び出して霊夢にすがる様に手を伸ばしていて、魔理沙も紫の方を泣き顔で見やる。廊下では、周囲に目をやっている永琳に駆け寄る慌てた様子の鈴仙がいて、腕を振り上げ走る格好のまま空中で静止している。
一転二転した未来は――
三転する。
もはや厚みを無くしていく異変に対して身じろぎする事もできず、平坦に平坦にと異常は無情にも淡々と進行する。
そしてとうとう全ては立体から平面へと成り果て、幻想郷は一枚のぺらぺらの紙のように姿を変えた。
変化はそれだけではなかった。
その幻想郷の描かれた紙が縮んでいく。
ぐるぐると回転しながら圧縮するように幅を狭め、面は線に成り果てる。
一本の線となったもはや幻想郷とも何とも判別が付かないそれは更に変化が続き、両端から中心に向けてぐんぐん縮んでいくと、線はやがて点となり、そして――
幻想郷という存在は、この世から消失した。
続く
なにより、平凡な終末を描く作品ではないのが、引き込まれました。
無常で無情な運命に流されるだけの話ではない物語になると期待しています。
縁側に三人で座れる日が最後には来るんですよね?
そう期待して後編も読ませていただきます。
可能性、楽しみにしてます
期待して待たせていただきます。
頑張ってください。
話の内容自体は次回に期待したいところです。
単体でもこの点数出したいくらい
次も頑張ってください。
前準備もなしに行き成りオリジナル設定が出てきたため少し冷めてしまいました
面白みが薄れてしまうかもしれませんが注意書きは入れたほうが良いと思います
心の隙間を生めようと→心の隙間を埋めようと
ゆかれいむは、いいなぁ。
大好きです。後編まってます。
なるほど、ここで一転ですか。
情景や心情を強調するため句読点を多めにいれている所が多々ありましたが、かえってしつこく感じてしまったのは私だけでしょうか。強調せずとも情景は十分に伝わってますので、個人的には通常文体でも良かった気がします。
話の転換時の改行も統一した方がいいかと。
とはいえ、なかなか読み応えのある内容でした。
後半楽しみにしています。
最後はきっと3人とも幸せになれると信じてる
続き期待しています
上の方も言ってますが、大前提として博麗大結界の仕組みをオリジナルに改変してある時点で前書きをいれるべき
これはマナーだと思うなぁ
何より自作品の評価や感想にも影響してくるワケだし
話の内容自体は悪くなかったです
ちょっと置換が多い気がしないでもないけど、後編に期待ということでこの点数です
せめて救いがあってほしい。
続き待っています。
後半に願いをかけよう
何故こうも、お互いを求め合ってるのにすれ違ってしまうのか?
後編を楽しみにしてます
「カルネアデスの舟板」と言う言葉があります。
この言葉の意味をよく調べてからもう一度同じ事を言えるか考えて見て下さい。
動植物の犠牲の無い晩餐も、裏方のいない名作映画もこの世には存在しませんから。
まだ前半だけなので現時点での得点は80点で。
後半を楽しみにします。
お互いの幸せのあり方がほんの少し違うだけで惨劇が起きるというのは現実の世界でも同じことです。
それでも幻想郷でこれが起きてしまうとなんだかいたたまれなくなってしまいます。
縁側に三人で笑って座っていることを願いつつ後編を待ちたいと思います。
[作者さんには関係無い独り言]
いくら正しいことを言ったとしてもそれがルールに則らない形で発せられたのならそれは何の意味も成さないとは思いませんか?
そういう私もルール違反です。すみませんでした。
現状を打開出来そうな人物(妖怪)と言うと、解釈の仕方によっては紫よりよっぽどチートな紅魔組、あるいは早苗さんの『奇跡』くらいでしょうか?
流石に胡蝶の夢エンドは無いでしょうが、ここからの展開が全く見えないので点は付けられないですね。
一点、気になった事が。
或いはそんな未来も~等、置換表現が何回か有りましたが、その前の文に過去形が多く、どこからどこまでが「仮定」の話なのか、分かり難いです。多分狙ってやってらっしゃるのだとは思いますが、読み難さ等のマイナスが大きいと思ったので一応。
後編、待ってます。
作者のオリジナルとかそういうのを、すべてふきとばすほどいい設定だとおもいます。
後編、楽しみにしています。あなたの幻想郷を誇って下さい。
ただ、他の方のコメントにあるように時系列的な切り替えがわかりにくく残念。
以降の展開をいろいろ想像しながら、続編お待ちしております。
続き期待しています。
後編期待しています。
ただ、それだけに「或いはそんな未来もあるのかもしれない」
で読者がもてあそばれているように感じました。
でも、続きすっげーー楽しみにしてます!!
とはいえ、恐ろしく引き込まれる内容だったので続きを楽しみにしています。
最後まで見届けさせていただきます。
コメの方に現実と創作をごっちゃにしている変な人が多すぎてワラタw
次元を超えた紫に、正気と狂気の境界でもいじられたんですかね?
それだけの力を持った作品と言うことでしょうか。
前半だけでも文句なしに満点だけど、この展開だと、
書き溜めてから間髪入れずに後編出してくれたほうが良かったかな。
このレイニー止めだと、読者の期待や電波や妄想が止まらなっちゃってらめぇぇぇぇぇぇ!
自分は各種切り替わりなんざ読んでればわかりましたし
むしろこの雰囲気でそんな事を懇切丁寧に解りやすくしてたら興醒めでした
オリジナル解釈についても筆者毎に元々ハッキリと定義なんてされて無い部分の解釈やifで魅せてこその創想話だと思うので
この内容ならわざわざ注意書きも不要じゃないかなぁ、と
昨今のバカ親やお子様へクレーム防止策みたいになんでもかんでも細かく表示・解説されても邪魔だし美しくないと考えます。
さてさて一転二転三転、これからどうなるのやら。
ゆかれいむの終着点は如何に。