部屋の外を自由に歩かせてもらえるようになって、わたしは愉快でしかたがなかった。
「おはようございます、妹様!」
「おはよ、美鈴。門番の仕事はいいの?」
「はは……実は、花壇のお花が綺麗に咲いていたので、活けに行こうと」
いつもお勤めご苦労様。
美鈴は優しくてかっこ良い。だから私は美鈴の事が大好きだ。
胸の前にはお花が一束ほど。
白くて、とがった真っ直ぐな花弁をしている。
「綺麗。わたし、こういうお花好きだな」
「そうですか、ですよね! このお花、私も前から好きだったんです。けど、レミリアお嬢様がお気に召さなかったらしくて」
「あいつはね。『もっと紅くて禍々しくて強そうなのがいい』とか言ったんじゃない?」
「凄い。今の、一字一句そのままでしたよ」
笑いが起こった。わたしも笑った。
今のわたしは、前とは違う。
なにかを言えば、笑ってくれるものがある。
「妹様は、吸血鬼らしくないですよね」
「そう?」
「だって、翼は作り物みたいですし、白い花が好きだし、今だってほら、朝じゃないですか」
「んー、まあ、姉様と比べたらね。形から入りすぎなのよ、あいつ」
「けど、フランドール様が出て来られるようになってから変わりましたよ、この吸血鬼の館は」
当たり前だよ、と私は思った。
屋敷というのは入れ物に過ぎなくて、この紅魔館というのは、結局は住んでる者の集合体だ。
一人、このわたしという構成員が加わったんだから、変わらないなんてありえない。
「調子良さそうじゃない、フラン」
「お陰様で、お姉様」
でもやっぱり真っ赤なのは変わらない廊下を行くと、件の姉と鉢合わせた。
姉様は、今からお休みのようだった。
「最近はみだりに物を壊す事もなくなったようで何よりね」
「私は別に変わってないよ」
「何言ってるの。最初のうちフランと来たら、何かある度にあちこち被害を出して、みんな心配しっぱなしだったじゃない」
けど今じゃ立派な紅魔館の一員。私の判断の正しさを、皆今になって身に染みているわ。
そう言って、ちっぽけな胸と自尊心を張る。
けどね、姉様。
残念ながら、私は姉様が思うほど、いい子でもないの。
「姉様。わたしは何も変わってないよ。壊すものはきっちり壊してるし、だから毎日楽しいわ」
姉様は少し考える素振りをして、適当に結論を出したのか、
「ま、処世術よね、そういうの。皆に迷惑を掛けなければ、良い事だと思うわ」
と結んだ。
なんか、変なストレス解消法を止められない現代人、みたいな扱いをされたっぽい。
別にいいけど。
「それで、今日はどこへ遊びにいくのかしら?」
「んー、そうだな、森へ。今決めた」
「そう。あまり遅くならないようにね」
「はーい」
霧になって家に入り込む。
魔理沙は机で書き物をしていた。
一つの体に戻ると、こっそり後ろから忍び寄り、肩に手を置く。
「おい、誰だよ。不法侵入は……」
「魔理沙、あそぼっ!」
減らない口を叩き終わる前に、背中から魔理沙に抱き付いた。
魔理沙はとてもびっくりした様子だった。
「ふ、フランか。悪い、今ちょっと手が」
「もち、弾幕ごっこでいいよね」
「いや、待て待て。人の話を」
「わたしと遊ぶのが嫌なの?」
「そうじゃない。そうじゃないから、そうだな」
魔理沙は抱き付いたわたしの身体を剥がし、椅子から立って帽子を被った。
「遊び、付き合うよ。だけど場所を変えよう。神社がいいな。広いし」
やった、と私は魔理沙に従った。
いざ神社の境内にて、尋常に勝負。
なのはいいのだけど、向こうは何故か人数が増えていた。
箒に跨がる魔理沙の傍には、神社では見慣れた紅白の装束。
「これくらいのハンデ、いいだろ」
「まったく、一人じゃ何も出来ないのね、あんた」
魔理沙は笑い、霊夢はかったるそうに玉串を構える。
まあ、いいや。人数は多い方が楽しいよね。
「うん、魔理沙も霊夢も、一緒に楽しもう。いっせーの!」
私の掛け声が、終わるか終わらないかの瞬間。
「先手必勝、」
ガンマンの早抜きみたいに、魔理沙は懐からミニ八卦炉を取り出した。
「マスタースパーク!」
反則ギリギリ、いきなりの必殺技。
だけどその動きも、私の目には止まって見えた。
パワー、スピード、反応速度。悪いけど、人間と吸血鬼では全てにおいて、能力に雲泥の差がある。
魔理沙はそのうちパワーだけは、がむしゃらな努力によって私たちとタメを張り、下手をすると凌駕するまでのものを手に入れた。
けど、所詮そこまで。スピードは、直線を飛べばそこそこ勝負になるけど、実戦で大事なスピードはむしろ小回りや加速。そして、生まれ持ったものがダイレクトに反映される反応速度に関しては、ほとんど溝を埋める術を持ってない。
私は悠悠、マスタースパークの死角となる真後ろへ回り込んだ。
「ほら、魔理沙、こっち……」
「だな。そこしか、無いな」
「!」
予想外。魔理沙は、私に話し掛けている。
魔理沙の反応力じゃ、私の動きを捉える事なんて。
「後ろしか無いんだよ。この技を避けて反撃するなら!」
そうか。
極太のレーザーは、空間のかなりの部分を埋めている。マスタースパークの怖さは威力だけじゃない。
その、行動制限力。
たとえこちらの動きに反応出来なくても、こっちが取る行動、取れる行動を、一つだけに絞る事が出来たら。
反応力の差は、用を為さない。
そして、スピードは。
「いくぜ、ラストワード」
青白い光が、目の真ん前で展開した。
「ブレイジングスター!」
真っ直ぐ突っ込むだけなら、魔理沙のスピードは一級品だ。
至近距離から放たれた突進技。
しかし、私は避けた。
ちょっとひやっとしたけど、わたしを倒すにはまだ足りない。
あの大技、ブレーキなんて利くはずもない。勢いそのままに、魔理沙は遥か彼方へと飛んでいった。
見送ってわたしは、霊夢の方に目をやる。
片方に気を取られてパートナーに打ち落とされる、なんてのは、いくら1対2でも格好が付かないから。
霊夢はというと、注意はこちらに向いてはいなかった。それどころか、攻撃の素振りすら見せていない私から、一目散に距離を取ろうとしていた。
そして、視界の隅に、光。
霊夢が呟く。
「あの、馬鹿」
光が膨張した。
迫りくる圧力から、何とか芯をかわす。
ようやく全てが理解できた。最初のマスタースパークだけじゃない。ブレイジングスターも、捨て技。
私との間に、距離というアドバンテージを確保するための。
知ってる。超アウトレンジからのマスタースパーク連打、この技はドラゴンメテオだ。
けど。
しのいだと思った光が、さらに膨らんだ。
「あうっ!」
灼かれた。翼の先が触れただけのはずなのに、全身が引きずり込まれそうになって、抗いきれなかったら落とされてた。
「ファイナル、スパーク?」
通常の反則パワーと比べてもさらに段違いのビームが、続けて何発も照射される。
その太さのせいで、こちらは回避のためにかなり大きな動きを余儀なくされる。
いっぽう、魔理沙は僅かに射角をずらすだけで、こちらのどんな動きにも対処できる。
「凄い、本当にパワーで全部を補っちゃった!」
乱射の間隔が、どんどん短くなっていく。
エンジンの回転数が上がっていくみたいに。
あるいは、どんどん自棄になっていくみたいに。
「やめなさい魔理沙、それ以上はあんたが危険よ!」
霊夢が声を張り上げる。
大声を出してる霊夢って、初めて見た。
けど、ビームは止む気配がない。
霊夢は苦虫を噛み潰したような顔をして、懐から符の束を取り出した。
凄い枚数だ。
「今度は霊夢が凄いのを見せてくれるんだ?」
返事の代わりに、霊夢は大量の符を空中にばらまき、複雑な印を次々に結んだ。
符がひとりでに宙を舞って、界をわかち、区切り、作り替えていく。
一心不乱に印を結ぶたび、霊夢の世界が広がるのが分かった。
ファイナルスパークが止んだ。結界が魔理沙のところにまで届いたみたい。
あるいはこの結界、全世界すら覆うの。
世界の全てが、様相を変える。
「夢想天生。制限時間は――あなたが倒れるまでよ、フランドール・スカーレット」
そうしたら、重力の代わりに、無重力が全てを支配した。
いろいろなものが、法則もなにもない出鱈目な動きで迫ってきた。
ティーカップが銃弾並みの速度で襲ってきたかと思えば、紙屑のように洋館が宙を舞う。
「きゅっとして」
とてもじゃないけどまともに避けていられない弾幕を、私は代わりに破壊した。
四方八方で、物体が弾けた。
しかし、意味がない。
「ぐっ」
何度も右手を握って、開く。けれど弾幕は無尽蔵で、いつまで壊しても終わりが見えない。
無重力、無価値。
無意味なものを破壊して、無意味に帰すという無意味。
そんな絶対性を前にして、私は。
「ふ、はは、あはははは」
どんどん高揚していくのが分かった。
「凄い。凄いよ、霊夢!」
ぴしり。
結界がきしむ。
壊す。壊す。もっと。
この結界の中では、何をどれだけ壊そうが自由なんだ。
壊す物にも、壊した物にも、等しく価値が無くっても。無いからこそ。
わたしは壊すのを止めない。
無意味な世界に、わたしが意味を見出したんだ。
ぴしり。ぴしり。
結界にひびが入って、全体に広がっていく。
ぱあん。
ついには、世界が壊れてしまった。
「霊夢っ!」
私の真横を抜けて、魔理沙の箒が急降下する。
その先を見ると、霊夢は四肢をだらりとさせて、重力に囚われ落下していた。
霊夢は飛べない。
空を飛ぶ程度の能力は、私が壊した。
地上まで間一髪、魔理沙は霊夢を抱えられたけど、そこから上昇に転じる事が出来ない。
大技の乱打で、もう魔力が残っていないんだ。
なんとか浅い角度で地面に突っ込み、そのまま二人同体になって転がった。
「こ、降参だ!」
その台詞がようやく口から出る頃には、わたしは髪の毛ひとつ乱さないままに、霊夢と魔理沙の傍に立って二人を見下ろしていた。
微笑み、口を開く。
「うん。今日は機嫌がいいから、ここまでにしておいてあげる。リベンジはいつでも受け付け中だよ」
その台詞を聞いても、しばらく霊夢を庇うようにして、じっとこちらから目を離さなかった魔理沙だけど、私が踵を返すと、ようやく口を開いた。
「本当に……機嫌がいいみたいだな」
私はわざとらしく振り向いた。
魔理沙の顔から絵に描いたように血の気が引くのが、見ていて面白い。
「本当。今日も、明日も、毎日が楽しくて仕方ないよ」
そう言い残して、私は帰途に就いた。
「おはようございます、妹様!」
言う美鈴の手には昨日とまったく一緒で、白い花があった。
図書館前のホールで、妙な光景を見た。
居るのは姉様と、あの黒い服に赤い髪の小悪魔は、確かパチュリーの眷属だ。
小悪魔は、位は姉様よりもだいぶ下のはずなのに、その姉様に向かって何やらまくし立てている。
それに対し、姉様は困惑の表情を浮かべていた。
「だから、パチェが図書館籠もりなんていつもの事じゃない」
「いいえ、異常です。まず期間が長すぎますし、何をやっているのかも分かりません。少しも私の言葉に取り合ってくれないので、書いたものをちょっとくすねてみたのですが、やはり内容は支離滅裂としか。パチュリー様が何十年前かにクリアした課題、あるいは捨てたアイデアの反復と、あとは全くの意味不明な文字の並び。もうすぐ真理に達すると本人はおっしゃってるんですが、正直、正気の沙汰とは思えません」
「土台、ああいうののやっている事を私たちが理解するのは不可能ではなくて?」
「そのレベルではないんですってば! しかも、パチュリー様は変ですけど、それは私が感じている事の一部でしかありません。他には例えばですね、妖精メイド。一匹もいませんが、どうしたんですか?」
「さあ。妖精って気まぐれじゃない?」
「一番不可解なのは、フランドール様が出歩いてる事です。ありえないじゃないですか。段々慣らしていけば大丈夫、なんてレベルではないでしょう。あの方は……」
「わたしがどうかした? 小悪魔さん」
「ひっ」
楽しそうに話していたので、わたしもまぜてもらう事にした。
小悪魔は露骨にたじろぐ仕草をしたけど、意を決したように、わたしに向き直った。
「そう、そもそも、フランドール様が出て来られるようになってから、全てがおかしくなり始めたんです」
「おやめなさい、小悪魔」
姉様が横から諭す。
けれど、小悪魔は聞かなかった。
「原因は、あなたではないですか?」
正直、聞くのがめんどくさかった。
わたしは、小悪魔のこわれやすいところを、わたしの掌の上に持ってきた。
「何を考えて……うっ」
言葉の途中で小悪魔は胸を押さえると、何かが詰まったように喉を鳴らして、そのまま両膝を突いてうつぶせに肢体を投げ出した。
仔山羊みたいに震えながら、顔だけ起こしたその鼻先に。
わたしは右手を差し出した。
で。
ドカーン。
「ひ、ぎ、あぅ、あっ、ああああああああああああああああああああっ、い、痛、ぐう、何を、やめ、あああああああ、て、ひいあああああああああがああああああああああぐあグううううっぎあぁああああああああアアあっあっあああああああああああああああいああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアヒィアアアアアガアアアアアアアアッ!!!!!!!!!!!」
なれのはて、それは、絨毯の上にただ転がっていた。
姉様もそれをしばし見下ろして。
「行きましょ、フラン」
そのまま、その場所を後にした。
廊下を歩いていると、前を美鈴が横切った。
さっきのお花がもう手に無かったので、多分どこかに活けて来た帰りだろう。
でも、参ったな。この辺、少し殺風景かもしれない。そう思ったら無性に、ここにも花を活けて欲しくてたまらなくなってしまった。
そう思った時には、わたしは右手を握っていた。
美鈴の行った先を追うと、程なく美鈴が廊下に倒れてるのに行き当たった。
その耳元に、一言。
「できれば、ここにもあのお花が欲しいな」
美鈴は、ちょっと不自然な動作で立ち上がると。
「お花、お花」
と呟きながら、小走りに去って行ってしまった。
お勤め、ご苦労様。
やっぱりわたしは、美鈴の事が大好きだ。
「近ごろめっきり運命が見えなくなったと、お嬢様がぼやいておられます」
咲夜はそう言って、カップに紅茶を注いだ。
ティータイムは姉妹が揃う事もあるし、今回みたいに一人だけの事もある。
揃っても揃わなくても、咲夜の淹れる紅茶は私専用で、とても美味しいから、どうでも良かった。
「姉様は、ちゃんと運命を見ているよ」
一口つけたカップを置いて、わたしは見解を述べた。
「わたし実は、姉様自体は一切壊してないの。だから、今の姉様は至って正常。運命を操る能力も健在よ」
「はあ。しかし、最近のお嬢様といえば、元気がないというか、死んだ魚のような目をしておられます」
「そのたとえ、酷くない?」
「酷いですが、気になさらず続けて下さい」
「うん。……いいのかな。で、姉様は運命を見えてる。けど読めないの。なぜならその読まれる方の運命が、ズタズタになって形を為してないから」
「読むべきモノの方が破損しているから、見えるけど読めない、ですか。ロジックとしては分からなくもありません」
「今の姉様って、目の前の現実が認められてないじゃない? 当然、運命のビジョンにも、今の紅魔館と同じようなのが映るわけだから、同じように認められない、ってなるわよね。実際には逆に、運命が見えなくなったのが先なの。元々運命は混濁してはっきりとは見えないものだから、余りにとんでもないビジョンはノイズとして無意識に弾いちゃうように、姉さまの脳みそは元から出来てる。あ、脳みそ無いんだっけ。でまあとにかく、現実まで見えなくなってるのはその副作用でね。姉様は目先を見ず、ただ運命だけを見て生きてる人だから、今は常時目隠しをしてるのと同じ状態なわけ」
「なるほど。ではお嬢様が運命を読めないのは、フランドール様があちこち壊しまくっているから、という事になりますね。現在に何かを壊せば、それは当然未来においても壊れているという事になりますから。ついでに、未来にさらなる破壊活動をする事も保証されているようなものですし」
「そゆこと」
「待ってください、という事は。近頃フランドール様の壊し癖が絶好調、無秩序にあらゆるモノを破壊しているように見えるのも、実はただ一つ、運命を破壊するため……」
わたしは言葉の終わりを待たず、空になったカップを差し出した。
大変失礼しました、と昨夜は話し止め、カップに二杯目が注がれる。
「ただ一つ、するため、ね。何かをする動機が、あるたった一つの事だけ、ってわたしは嫌いだな。視野狭窄っぽくない? わたしは壊すのが大好きで、だから毎日楽しいわ。けど、姉様も好き。それは咲夜の言う通り」
「申し上げましたか、そのような事」
「言ったの」
二杯目の紅茶に口をつけると、それは一杯目とは僅かに風味が違っていて、美味しかった。
悔しいかな、咲夜はどこまでも、完全で瀟洒なメイドだ。
「咲夜だけは、壊すところ何処も無いのよねえ」
ぼやいた。咲夜も、どこも壊していないのだ。
「壊して頂いても宜しいのですよ?」
「必要ないの。っていうのもね、咲夜」
十六夜咲夜。完全で瀟洒なメイド。紅魔の狗。って世間では呼ばれてる。
「さくやは、どうして私について来てくれるの?」
その名前は、姉様から与えられた名前。銀の髪に銀のナイフが、悪魔のために振るわれる矛盾。
「私は一生死ぬ人間として、スカーレットにお仕えする事に決めておりますわ」
「そっか。咲夜は元々壊れてたんだね」
「お褒めに預かり光栄ですわ、フランドールお嬢様」
姉様が、先にベッドに入った。
ちょっと、どうかと思う。
いや、もちろん、姉は妹より後にベッドに入るべし、なんて理は世の中にはない。
そっちの方が自然だと思うけど、必ずそうでなきゃ駄目って訳でもない。
けど、この場合、考えて欲しい要素は他にもあって。
具体的には――ここが、わたしの部屋であるという事、とか。
「狭い、わね」
姉様は私のベッドに仰向けになって、天井を見上げて言った。
「壁が迫ってくるみたいで、ちょっと落ち着かないわ」
「貴方がわたしにあてがった部屋だよ、姉様」
そう、ここは紅魔館の地下室。
495年の間、わたしがただ時間だけを過ごした部屋だ。
「フラン」
姉様はベッドから体を起こして、こちらを見ていた。
「どういう感じだったの? 来る日も来る日もここで目を覚まして、ここで一日を過ごして、また明日同じこの部屋の風景を見るために眠りに就くのって」
「言う程のものじゃないよ」
「本当に?」
姉様はじっとわたしを見つめていた。
わたしの奥にある何かを、なんとか見いだそうと必死になっている。
けどね。その目はもう、何も映さない。
わたしは姉様の許まで歩み寄って、その身体を元通り横にさせた。
絹みたいな髪を、一撫で。
「何も刺激がない。何もしなくていい。何も見なくて、感じなくていい。とっても楽ちんで、最高に幸せな事よ。今までは、姉様がわたしにそうさせてくれていた。これからは、わたしが姉様をそうしてあげる。あなたの目に入る、あなたを煩わす全ての物を、きゅっとしてドカーンって、してあげるの」
「フラン、やっぱり、あなたは私の事を……ふ、んっ」
姉様の口を、ふさいだ。
わたしの唇を、上から覆い被せるようにして。
横に目をやると、なだらかな胸が規則的に上下するのが、たまらなく愛おしかった。
「わたしは、あなたを愛してる。あなたをわたしのものにしたいの。あなたをわたしの宝箱に入れて、ぜったい壊さないように置いておくわ。他の物は、全部壊してしまっていい。二人っきりになろうよ、姉様」
キスが終わると、姉様はお祈りする、あるいは棺桶に入るみたいに、胸の前で手を重ねて、その瞼を閉じてしまった。
その肢体はひどく小さくて、手足はすごくか細く見えた。
「姉様」
もう一度だけ、そう呼ぶと。
胸の底から何かが止めどなく溢れ出してきて、涙をたくさん流しながら、わたしはすべてが満たされたのを感じた。
「おはようございます、妹様!」
「おはよ、美鈴。門番の仕事はいいの?」
「はは……実は、花壇のお花が綺麗に咲いていたので、活けに行こうと」
いつもお勤めご苦労様。
美鈴は優しくてかっこ良い。だから私は美鈴の事が大好きだ。
胸の前にはお花が一束ほど。
白くて、とがった真っ直ぐな花弁をしている。
「綺麗。わたし、こういうお花好きだな」
「そうですか、ですよね! このお花、私も前から好きだったんです。けど、レミリアお嬢様がお気に召さなかったらしくて」
「あいつはね。『もっと紅くて禍々しくて強そうなのがいい』とか言ったんじゃない?」
「凄い。今の、一字一句そのままでしたよ」
笑いが起こった。わたしも笑った。
今のわたしは、前とは違う。
なにかを言えば、笑ってくれるものがある。
「妹様は、吸血鬼らしくないですよね」
「そう?」
「だって、翼は作り物みたいですし、白い花が好きだし、今だってほら、朝じゃないですか」
「んー、まあ、姉様と比べたらね。形から入りすぎなのよ、あいつ」
「けど、フランドール様が出て来られるようになってから変わりましたよ、この吸血鬼の館は」
当たり前だよ、と私は思った。
屋敷というのは入れ物に過ぎなくて、この紅魔館というのは、結局は住んでる者の集合体だ。
一人、このわたしという構成員が加わったんだから、変わらないなんてありえない。
「調子良さそうじゃない、フラン」
「お陰様で、お姉様」
でもやっぱり真っ赤なのは変わらない廊下を行くと、件の姉と鉢合わせた。
姉様は、今からお休みのようだった。
「最近はみだりに物を壊す事もなくなったようで何よりね」
「私は別に変わってないよ」
「何言ってるの。最初のうちフランと来たら、何かある度にあちこち被害を出して、みんな心配しっぱなしだったじゃない」
けど今じゃ立派な紅魔館の一員。私の判断の正しさを、皆今になって身に染みているわ。
そう言って、ちっぽけな胸と自尊心を張る。
けどね、姉様。
残念ながら、私は姉様が思うほど、いい子でもないの。
「姉様。わたしは何も変わってないよ。壊すものはきっちり壊してるし、だから毎日楽しいわ」
姉様は少し考える素振りをして、適当に結論を出したのか、
「ま、処世術よね、そういうの。皆に迷惑を掛けなければ、良い事だと思うわ」
と結んだ。
なんか、変なストレス解消法を止められない現代人、みたいな扱いをされたっぽい。
別にいいけど。
「それで、今日はどこへ遊びにいくのかしら?」
「んー、そうだな、森へ。今決めた」
「そう。あまり遅くならないようにね」
「はーい」
霧になって家に入り込む。
魔理沙は机で書き物をしていた。
一つの体に戻ると、こっそり後ろから忍び寄り、肩に手を置く。
「おい、誰だよ。不法侵入は……」
「魔理沙、あそぼっ!」
減らない口を叩き終わる前に、背中から魔理沙に抱き付いた。
魔理沙はとてもびっくりした様子だった。
「ふ、フランか。悪い、今ちょっと手が」
「もち、弾幕ごっこでいいよね」
「いや、待て待て。人の話を」
「わたしと遊ぶのが嫌なの?」
「そうじゃない。そうじゃないから、そうだな」
魔理沙は抱き付いたわたしの身体を剥がし、椅子から立って帽子を被った。
「遊び、付き合うよ。だけど場所を変えよう。神社がいいな。広いし」
やった、と私は魔理沙に従った。
いざ神社の境内にて、尋常に勝負。
なのはいいのだけど、向こうは何故か人数が増えていた。
箒に跨がる魔理沙の傍には、神社では見慣れた紅白の装束。
「これくらいのハンデ、いいだろ」
「まったく、一人じゃ何も出来ないのね、あんた」
魔理沙は笑い、霊夢はかったるそうに玉串を構える。
まあ、いいや。人数は多い方が楽しいよね。
「うん、魔理沙も霊夢も、一緒に楽しもう。いっせーの!」
私の掛け声が、終わるか終わらないかの瞬間。
「先手必勝、」
ガンマンの早抜きみたいに、魔理沙は懐からミニ八卦炉を取り出した。
「マスタースパーク!」
反則ギリギリ、いきなりの必殺技。
だけどその動きも、私の目には止まって見えた。
パワー、スピード、反応速度。悪いけど、人間と吸血鬼では全てにおいて、能力に雲泥の差がある。
魔理沙はそのうちパワーだけは、がむしゃらな努力によって私たちとタメを張り、下手をすると凌駕するまでのものを手に入れた。
けど、所詮そこまで。スピードは、直線を飛べばそこそこ勝負になるけど、実戦で大事なスピードはむしろ小回りや加速。そして、生まれ持ったものがダイレクトに反映される反応速度に関しては、ほとんど溝を埋める術を持ってない。
私は悠悠、マスタースパークの死角となる真後ろへ回り込んだ。
「ほら、魔理沙、こっち……」
「だな。そこしか、無いな」
「!」
予想外。魔理沙は、私に話し掛けている。
魔理沙の反応力じゃ、私の動きを捉える事なんて。
「後ろしか無いんだよ。この技を避けて反撃するなら!」
そうか。
極太のレーザーは、空間のかなりの部分を埋めている。マスタースパークの怖さは威力だけじゃない。
その、行動制限力。
たとえこちらの動きに反応出来なくても、こっちが取る行動、取れる行動を、一つだけに絞る事が出来たら。
反応力の差は、用を為さない。
そして、スピードは。
「いくぜ、ラストワード」
青白い光が、目の真ん前で展開した。
「ブレイジングスター!」
真っ直ぐ突っ込むだけなら、魔理沙のスピードは一級品だ。
至近距離から放たれた突進技。
しかし、私は避けた。
ちょっとひやっとしたけど、わたしを倒すにはまだ足りない。
あの大技、ブレーキなんて利くはずもない。勢いそのままに、魔理沙は遥か彼方へと飛んでいった。
見送ってわたしは、霊夢の方に目をやる。
片方に気を取られてパートナーに打ち落とされる、なんてのは、いくら1対2でも格好が付かないから。
霊夢はというと、注意はこちらに向いてはいなかった。それどころか、攻撃の素振りすら見せていない私から、一目散に距離を取ろうとしていた。
そして、視界の隅に、光。
霊夢が呟く。
「あの、馬鹿」
光が膨張した。
迫りくる圧力から、何とか芯をかわす。
ようやく全てが理解できた。最初のマスタースパークだけじゃない。ブレイジングスターも、捨て技。
私との間に、距離というアドバンテージを確保するための。
知ってる。超アウトレンジからのマスタースパーク連打、この技はドラゴンメテオだ。
けど。
しのいだと思った光が、さらに膨らんだ。
「あうっ!」
灼かれた。翼の先が触れただけのはずなのに、全身が引きずり込まれそうになって、抗いきれなかったら落とされてた。
「ファイナル、スパーク?」
通常の反則パワーと比べてもさらに段違いのビームが、続けて何発も照射される。
その太さのせいで、こちらは回避のためにかなり大きな動きを余儀なくされる。
いっぽう、魔理沙は僅かに射角をずらすだけで、こちらのどんな動きにも対処できる。
「凄い、本当にパワーで全部を補っちゃった!」
乱射の間隔が、どんどん短くなっていく。
エンジンの回転数が上がっていくみたいに。
あるいは、どんどん自棄になっていくみたいに。
「やめなさい魔理沙、それ以上はあんたが危険よ!」
霊夢が声を張り上げる。
大声を出してる霊夢って、初めて見た。
けど、ビームは止む気配がない。
霊夢は苦虫を噛み潰したような顔をして、懐から符の束を取り出した。
凄い枚数だ。
「今度は霊夢が凄いのを見せてくれるんだ?」
返事の代わりに、霊夢は大量の符を空中にばらまき、複雑な印を次々に結んだ。
符がひとりでに宙を舞って、界をわかち、区切り、作り替えていく。
一心不乱に印を結ぶたび、霊夢の世界が広がるのが分かった。
ファイナルスパークが止んだ。結界が魔理沙のところにまで届いたみたい。
あるいはこの結界、全世界すら覆うの。
世界の全てが、様相を変える。
「夢想天生。制限時間は――あなたが倒れるまでよ、フランドール・スカーレット」
そうしたら、重力の代わりに、無重力が全てを支配した。
いろいろなものが、法則もなにもない出鱈目な動きで迫ってきた。
ティーカップが銃弾並みの速度で襲ってきたかと思えば、紙屑のように洋館が宙を舞う。
「きゅっとして」
とてもじゃないけどまともに避けていられない弾幕を、私は代わりに破壊した。
四方八方で、物体が弾けた。
しかし、意味がない。
「ぐっ」
何度も右手を握って、開く。けれど弾幕は無尽蔵で、いつまで壊しても終わりが見えない。
無重力、無価値。
無意味なものを破壊して、無意味に帰すという無意味。
そんな絶対性を前にして、私は。
「ふ、はは、あはははは」
どんどん高揚していくのが分かった。
「凄い。凄いよ、霊夢!」
ぴしり。
結界がきしむ。
壊す。壊す。もっと。
この結界の中では、何をどれだけ壊そうが自由なんだ。
壊す物にも、壊した物にも、等しく価値が無くっても。無いからこそ。
わたしは壊すのを止めない。
無意味な世界に、わたしが意味を見出したんだ。
ぴしり。ぴしり。
結界にひびが入って、全体に広がっていく。
ぱあん。
ついには、世界が壊れてしまった。
「霊夢っ!」
私の真横を抜けて、魔理沙の箒が急降下する。
その先を見ると、霊夢は四肢をだらりとさせて、重力に囚われ落下していた。
霊夢は飛べない。
空を飛ぶ程度の能力は、私が壊した。
地上まで間一髪、魔理沙は霊夢を抱えられたけど、そこから上昇に転じる事が出来ない。
大技の乱打で、もう魔力が残っていないんだ。
なんとか浅い角度で地面に突っ込み、そのまま二人同体になって転がった。
「こ、降参だ!」
その台詞がようやく口から出る頃には、わたしは髪の毛ひとつ乱さないままに、霊夢と魔理沙の傍に立って二人を見下ろしていた。
微笑み、口を開く。
「うん。今日は機嫌がいいから、ここまでにしておいてあげる。リベンジはいつでも受け付け中だよ」
その台詞を聞いても、しばらく霊夢を庇うようにして、じっとこちらから目を離さなかった魔理沙だけど、私が踵を返すと、ようやく口を開いた。
「本当に……機嫌がいいみたいだな」
私はわざとらしく振り向いた。
魔理沙の顔から絵に描いたように血の気が引くのが、見ていて面白い。
「本当。今日も、明日も、毎日が楽しくて仕方ないよ」
そう言い残して、私は帰途に就いた。
「おはようございます、妹様!」
言う美鈴の手には昨日とまったく一緒で、白い花があった。
図書館前のホールで、妙な光景を見た。
居るのは姉様と、あの黒い服に赤い髪の小悪魔は、確かパチュリーの眷属だ。
小悪魔は、位は姉様よりもだいぶ下のはずなのに、その姉様に向かって何やらまくし立てている。
それに対し、姉様は困惑の表情を浮かべていた。
「だから、パチェが図書館籠もりなんていつもの事じゃない」
「いいえ、異常です。まず期間が長すぎますし、何をやっているのかも分かりません。少しも私の言葉に取り合ってくれないので、書いたものをちょっとくすねてみたのですが、やはり内容は支離滅裂としか。パチュリー様が何十年前かにクリアした課題、あるいは捨てたアイデアの反復と、あとは全くの意味不明な文字の並び。もうすぐ真理に達すると本人はおっしゃってるんですが、正直、正気の沙汰とは思えません」
「土台、ああいうののやっている事を私たちが理解するのは不可能ではなくて?」
「そのレベルではないんですってば! しかも、パチュリー様は変ですけど、それは私が感じている事の一部でしかありません。他には例えばですね、妖精メイド。一匹もいませんが、どうしたんですか?」
「さあ。妖精って気まぐれじゃない?」
「一番不可解なのは、フランドール様が出歩いてる事です。ありえないじゃないですか。段々慣らしていけば大丈夫、なんてレベルではないでしょう。あの方は……」
「わたしがどうかした? 小悪魔さん」
「ひっ」
楽しそうに話していたので、わたしもまぜてもらう事にした。
小悪魔は露骨にたじろぐ仕草をしたけど、意を決したように、わたしに向き直った。
「そう、そもそも、フランドール様が出て来られるようになってから、全てがおかしくなり始めたんです」
「おやめなさい、小悪魔」
姉様が横から諭す。
けれど、小悪魔は聞かなかった。
「原因は、あなたではないですか?」
正直、聞くのがめんどくさかった。
わたしは、小悪魔のこわれやすいところを、わたしの掌の上に持ってきた。
「何を考えて……うっ」
言葉の途中で小悪魔は胸を押さえると、何かが詰まったように喉を鳴らして、そのまま両膝を突いてうつぶせに肢体を投げ出した。
仔山羊みたいに震えながら、顔だけ起こしたその鼻先に。
わたしは右手を差し出した。
で。
ドカーン。
「ひ、ぎ、あぅ、あっ、ああああああああああああああああああああっ、い、痛、ぐう、何を、やめ、あああああああ、て、ひいあああああああああがああああああああああぐあグううううっぎあぁああああああああアアあっあっあああああああああああああああいああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアヒィアアアアアガアアアアアアアアッ!!!!!!!!!!!」
なれのはて、それは、絨毯の上にただ転がっていた。
姉様もそれをしばし見下ろして。
「行きましょ、フラン」
そのまま、その場所を後にした。
廊下を歩いていると、前を美鈴が横切った。
さっきのお花がもう手に無かったので、多分どこかに活けて来た帰りだろう。
でも、参ったな。この辺、少し殺風景かもしれない。そう思ったら無性に、ここにも花を活けて欲しくてたまらなくなってしまった。
そう思った時には、わたしは右手を握っていた。
美鈴の行った先を追うと、程なく美鈴が廊下に倒れてるのに行き当たった。
その耳元に、一言。
「できれば、ここにもあのお花が欲しいな」
美鈴は、ちょっと不自然な動作で立ち上がると。
「お花、お花」
と呟きながら、小走りに去って行ってしまった。
お勤め、ご苦労様。
やっぱりわたしは、美鈴の事が大好きだ。
「近ごろめっきり運命が見えなくなったと、お嬢様がぼやいておられます」
咲夜はそう言って、カップに紅茶を注いだ。
ティータイムは姉妹が揃う事もあるし、今回みたいに一人だけの事もある。
揃っても揃わなくても、咲夜の淹れる紅茶は私専用で、とても美味しいから、どうでも良かった。
「姉様は、ちゃんと運命を見ているよ」
一口つけたカップを置いて、わたしは見解を述べた。
「わたし実は、姉様自体は一切壊してないの。だから、今の姉様は至って正常。運命を操る能力も健在よ」
「はあ。しかし、最近のお嬢様といえば、元気がないというか、死んだ魚のような目をしておられます」
「そのたとえ、酷くない?」
「酷いですが、気になさらず続けて下さい」
「うん。……いいのかな。で、姉様は運命を見えてる。けど読めないの。なぜならその読まれる方の運命が、ズタズタになって形を為してないから」
「読むべきモノの方が破損しているから、見えるけど読めない、ですか。ロジックとしては分からなくもありません」
「今の姉様って、目の前の現実が認められてないじゃない? 当然、運命のビジョンにも、今の紅魔館と同じようなのが映るわけだから、同じように認められない、ってなるわよね。実際には逆に、運命が見えなくなったのが先なの。元々運命は混濁してはっきりとは見えないものだから、余りにとんでもないビジョンはノイズとして無意識に弾いちゃうように、姉さまの脳みそは元から出来てる。あ、脳みそ無いんだっけ。でまあとにかく、現実まで見えなくなってるのはその副作用でね。姉様は目先を見ず、ただ運命だけを見て生きてる人だから、今は常時目隠しをしてるのと同じ状態なわけ」
「なるほど。ではお嬢様が運命を読めないのは、フランドール様があちこち壊しまくっているから、という事になりますね。現在に何かを壊せば、それは当然未来においても壊れているという事になりますから。ついでに、未来にさらなる破壊活動をする事も保証されているようなものですし」
「そゆこと」
「待ってください、という事は。近頃フランドール様の壊し癖が絶好調、無秩序にあらゆるモノを破壊しているように見えるのも、実はただ一つ、運命を破壊するため……」
わたしは言葉の終わりを待たず、空になったカップを差し出した。
大変失礼しました、と昨夜は話し止め、カップに二杯目が注がれる。
「ただ一つ、するため、ね。何かをする動機が、あるたった一つの事だけ、ってわたしは嫌いだな。視野狭窄っぽくない? わたしは壊すのが大好きで、だから毎日楽しいわ。けど、姉様も好き。それは咲夜の言う通り」
「申し上げましたか、そのような事」
「言ったの」
二杯目の紅茶に口をつけると、それは一杯目とは僅かに風味が違っていて、美味しかった。
悔しいかな、咲夜はどこまでも、完全で瀟洒なメイドだ。
「咲夜だけは、壊すところ何処も無いのよねえ」
ぼやいた。咲夜も、どこも壊していないのだ。
「壊して頂いても宜しいのですよ?」
「必要ないの。っていうのもね、咲夜」
十六夜咲夜。完全で瀟洒なメイド。紅魔の狗。って世間では呼ばれてる。
「さくやは、どうして私について来てくれるの?」
その名前は、姉様から与えられた名前。銀の髪に銀のナイフが、悪魔のために振るわれる矛盾。
「私は一生死ぬ人間として、スカーレットにお仕えする事に決めておりますわ」
「そっか。咲夜は元々壊れてたんだね」
「お褒めに預かり光栄ですわ、フランドールお嬢様」
姉様が、先にベッドに入った。
ちょっと、どうかと思う。
いや、もちろん、姉は妹より後にベッドに入るべし、なんて理は世の中にはない。
そっちの方が自然だと思うけど、必ずそうでなきゃ駄目って訳でもない。
けど、この場合、考えて欲しい要素は他にもあって。
具体的には――ここが、わたしの部屋であるという事、とか。
「狭い、わね」
姉様は私のベッドに仰向けになって、天井を見上げて言った。
「壁が迫ってくるみたいで、ちょっと落ち着かないわ」
「貴方がわたしにあてがった部屋だよ、姉様」
そう、ここは紅魔館の地下室。
495年の間、わたしがただ時間だけを過ごした部屋だ。
「フラン」
姉様はベッドから体を起こして、こちらを見ていた。
「どういう感じだったの? 来る日も来る日もここで目を覚まして、ここで一日を過ごして、また明日同じこの部屋の風景を見るために眠りに就くのって」
「言う程のものじゃないよ」
「本当に?」
姉様はじっとわたしを見つめていた。
わたしの奥にある何かを、なんとか見いだそうと必死になっている。
けどね。その目はもう、何も映さない。
わたしは姉様の許まで歩み寄って、その身体を元通り横にさせた。
絹みたいな髪を、一撫で。
「何も刺激がない。何もしなくていい。何も見なくて、感じなくていい。とっても楽ちんで、最高に幸せな事よ。今までは、姉様がわたしにそうさせてくれていた。これからは、わたしが姉様をそうしてあげる。あなたの目に入る、あなたを煩わす全ての物を、きゅっとしてドカーンって、してあげるの」
「フラン、やっぱり、あなたは私の事を……ふ、んっ」
姉様の口を、ふさいだ。
わたしの唇を、上から覆い被せるようにして。
横に目をやると、なだらかな胸が規則的に上下するのが、たまらなく愛おしかった。
「わたしは、あなたを愛してる。あなたをわたしのものにしたいの。あなたをわたしの宝箱に入れて、ぜったい壊さないように置いておくわ。他の物は、全部壊してしまっていい。二人っきりになろうよ、姉様」
キスが終わると、姉様はお祈りする、あるいは棺桶に入るみたいに、胸の前で手を重ねて、その瞼を閉じてしまった。
その肢体はひどく小さくて、手足はすごくか細く見えた。
「姉様」
もう一度だけ、そう呼ぶと。
胸の底から何かが止めどなく溢れ出してきて、涙をたくさん流しながら、わたしはすべてが満たされたのを感じた。
でも咲夜さんにはレミリアのための彼女でもいて欲しいなぁ、と
思ったりも。
「フランの日常」ってこういうのもあるのかもしれませんね。
面白かったですよ。