「と、いうわけで犬を飼うことになりました」
「わんわん!」
博麗神社は昼下がり。縁側で湯飲み片手に『博麗 霊夢』はそう言った。
「あやあやあやあやいやいやいやいや霊夢さんおかしい。全てがおかしい。それ以上に
わんわん、ってそこが一番おかしい!!」
そこに『射命丸 文』、すかさずつっこむ。ツッコミを一瞥して霊夢はお茶をすすった。
その横には飼うと宣言された犬、いや、それは犬であろうか。
「椛、一体何をトチ狂ったんですか」
犬、と宣言されたはずのその娘、白狼天狗の『犬走 椛』に文は厳しい言葉を投げかける。
その返答は、
「がるるるる」
威嚇された。ものっそ可愛い棒読み声で威嚇された。
本来、白狼天狗は天狗の戦闘部隊にして、特に椛はその千里先まで見通す程度の能力に
よって哨戒役として重宝がられている。時に文は生真面目な彼女を、悪い言い方をすれば
舌先三寸で丸め込んで部下のようにして使いっ走りさせたりしてるが、その分可愛がりも
してきた。そう、文は思っていた。
だがしかし今、文の目の前にいる椛は白狼天狗としての誇りも、哨戒天狗としての
凛々しさも全てどこかに打ち捨て、それこそ人里で飼われている犬のように霊夢に
嬉しそうに懐いている。何故か心の中に妙な嫉妬心がパルっと沸いてきた。
「それにしてもほんと、貴女は可愛いわ。このまま番犬として頑張ってくれる? ウチには
ろくでもない妖怪とかろくでもない魔法使いとかがろくでもない事しにやってくるからね」
「もっちろんです霊夢さん! わんわん!」
物凄い慈しみを込めた目で椛の頭を優しく撫でる霊夢。にへらっとした笑顔の椛は、
文を視界に入れると途端にぷいと顔を背けた。パルっ。
「じゃ、そういうことだから」
「そういうことじゃ私の立場もないんです!!」
文が山を降りたのはいつものような取材からではない。上からの命で持ち場を離れた椛の
探索こそ今日の仕事だ。そして博麗の神社に至りそこで霊夢に懐く椛を発見して、という
状況である。
再三の文のツッコミに霊夢は半眼を投げかけてくるが、流石の文もここではいそーですかと
退くわけにはいかない。ともあれ霊夢相手では暖簾に腕押しと知って文は声をかける相手を
変える。
「椛」
「は、はいッ……じゃない。 わ、わんわん!! がるるるる」
冷たい声にパブロフの犬の如く反応しかけた、むしろしてしまった椛は、それでもしかし
霊夢の番犬よろしくがるるるる。しかし文の冷たい表情は変わらない。
「何を馬鹿なことをやってるのよ。とっとと帰るわよ。これ以上私の手を煩わせるなら
多少怪我する羽目になるけど?」
既にいつもの敬語混じりの口調ではない。そもそも格下の天狗に敬語などかける必要は
ハナからないのだ。脅しめいた文の言葉に、しかし椛はきっぱりと、
「嫌です。帰りません。文さまはお一人で帰ってほとんど読者のいない新聞でも寂しく
作ってればいいのです」
そう宣言した。ついでに宣言した後もう一度思い出したようにがるるるるって言った。
ここで瞬間に頭の血を沸騰させていちびった哨戒天狗をブチのめすのは、文には確かに
簡単なことではある。しかし、椛のような娘のこうまで頑なな態度には訳があると感づき、
まずはそこから知る必要があると思考する。
「何があったの、椛。よければ話して」
少しだけ口調を和らげて文。交渉ごとの機微は椛より遥かにあるつもりである。
「……ヤです。話したくありません。……それに、文さまだって悪いんですよ」
むぅと文は思い悩む。自分が椛に何かしただろうか。24時間不眠不休で新聞の添削作業を
させた時も怒った節はなかったというのに。ちなみにその時文は仮眠をとりますと言って
しっかり6時間ほど爆睡したらしい……誰か妖怪の山に労働基準局を置いてやってくれ。
それはさておき。
「……もし、私が椛にとんでもない事をしてしまったのなら、謝るべきは謝るわ。けれど、
訳も知らずに居るのは私の性分では耐えられない。そこは貴女も分かっているでしょう?
だからお願い、話して」
椛の眉が下がる。悪くない兆候と文は思う。さてもう一押し。
「霊夢さん。あなたも全くの訳を知らないまま彼女をここに置いててもよろしいんですか?」
「ん?」
文と椛のやりとりの最中もお茶と煎餅をいただいていた霊夢に会話のベクトルを向ける。
文にとって霊夢はよき第三者意見となりうるだろうと踏んでのことだ。
「私は別にどうでもいいけどー……」
気の抜けた言葉。しかしこれも文の予想範囲内。そのまま霊夢に無言で視線を向け続ける。
「……ま、あんたの言うことももっともかもしれないわね。ただでさえウチには訳の
わからない連中が住み着くし」
そういって霊夢はお茶をもうひとすすり。縁側の遥か向こうで伸びていたお燐(猫形態)が
すっごい微妙な顔をしたが、はて、猫の微妙な顔ってどういうものだろう。それはさておき。
上手いこと文の望む流れになったようだ。自称飼い主が喋っていいよと言われたら、
不安顔の椛もわけを喋らないわけにはいかない。しばらくもじもじと逡巡していたよう
だったが意を決したように口を開いた。
「……のです」
「のです?」
いきなり聞いた事もない単語。文は記憶の中からその単語を模索するがしかし何も
思いつかない。色々あってラスボスとして暗躍するも最終話しかまともに戦ってなくしかも
あっさり沙織おじょーさまに倒された、ってそれはハーデスか。そんな思考の迷宮に
迷い込んだ文をよそに、椛は話を続ける。
「天魔様も、大天狗様たちも皆様酷いんです……」
「……どういうことです?」
脳内での紫龍×聖矢派の文と聖矢×氷河派の文の抗争に、一輝×聖矢派の文
(脳内文は全員ディフォルメバージョン)が突如殴り込みをかけた状況を
ひとまず闇に放り捨て、椛に次の言葉を促す。
「この間の事です。哨戒任務中に良くない妖怪と出合ったんです。戦って追い返し、
その報告をしに行ったのですけれど……。その時なんて言われたと思います?!」
当然文には思いもつかないが、椛を出奔させるほどの事。それとハーデス、じゃない
”のです”と何か関係あるのだろう。文は耳を傾ける。
「”役目ご苦労。……それにしてもアレだな。お前のはないよのは。のって。のって。
の、のはないわープフリプスークスクス”、ですよ!? 酷すぎませんか!?」
あっ、と文は合点する。”のです”ではない。”の”だ。いつしか天狗の社会の中で、
椛の弾幕をその形から”の”と称する流れができていた。それか。
「私だって色々考えて相手から避け辛くするため、血の滲む思いをしてあの弾幕を考えたのに
あんまりな言葉! 確かに……確かに”の”の形ですけど、私だって頑張って戦ってるのに……」
いつしか椛の目には大粒の涙がひとふたつ。真面目だからこそ、投げかけられた言葉を
真剣に受け止めすぎて心に傷ができたのだろう。それも幾つも。
「文さまも文さまです……」
「……確かに私もそんな事を言った気がしますね。貴女は良く頑張ってるけど”の”だけは
正直笑いが出ます。だって”の”、ですよ? ”の”はないわーププスクスーモペフ、とかなんとか」
天狗って妙な隠し笑いをするらしいとかそういうことはともかく、文の言葉に椛は
こくりと頷いた。
「幾ら頑張ってもそれで笑いものになるのは耐えられません。それで、霊夢さんは
そんな事にはこだわらないお方だと聞き知っていたので、もうこうなったら霊夢さんに
飼われてしまおうかと。それで、山を降りました」
椛が霊夢を見やる。霊夢は優しく椛の頭を撫でた。
「そういうことだったのね。私もいきなり”飼って下さい”って言われたときには驚いた
けど。んー、確かに”の”だろうと”ね”だろうと”ゑ”だろうと私はそんな事構わないし
笑いにすることもないからなぁ」
どんどん弾幕の難易度が上がることにちょっとだけ椛はぞっとしつつ、しかし霊夢が
思ったままの人間であることは嬉しかった。
「椛、ごめんなさい」
謝罪の声。その声に椛が、そして霊夢ですら目を丸くする。視線の先には深々と頭を
下げた文の姿。取材のためなら痴話喧嘩の間に入って二人の感想を聞きだそうとし、
相手の性癖をあることないこと並び立てた新聞を幻想郷中にばら撒くほど強引な
マイウェイを疾駆する文が、物凄く素直に、物凄く神妙に謝っている。
「あ、あの。文さま?」
「私たちの心無い言葉が貴女をそんなに傷つけていただなんて思いもしなかった。
驕り高ぶるのは天狗の悪いところ。天魔様にもきちんと報告はするわ。だから、
ごめんなさい」
自らの組織のトップに、
「アンタがいらん事言うからうちの下っ端がやる気出さねーんです。自重しろ」
などと(上の文が意訳であろうと)告げる事は己の進退すら危うくする。その覚悟をも
して文は椛に頭を下げている。
「あ、頭を上げてください文さま! も、もう私怒ってなんかいませんから!」
慌てた椛の声にようやく文は首をもたげる。唇を少し噛み締め、自分達のした事を
悔やんでいるような、文が滅多に見せる事のない顔がそこにあった。きゅんと椛の心が
締め付けられる。そもそも文も他の天狗たちも悪気があって椛をからかったわけではない。
むしろそれを馬鹿みたいに真面目に受け止めて煩悶し、事もあろうに仕事を投げ捨てた
ことの重さを椛は実感した。
「……謝るのは私のほうです、文さま。お仕事をほっぽりだして、文さまにまで迷惑かけて。
申し訳ありません!」
先の文よりも深く深く頭を下げて椛。
「……帰りましょう、椛。皆怒ってないから。皆心配してるから」
「は、はい! あ、でも……」
ぴょこりと頭を上げた椛は、暫定飼い主である霊夢に向き直る。飼って下さい、まぁ
いいわよ、と口約束でもした以上、勝手に約束を違えるわけにはいかないと、やはり
椛は真面目である。その視線に霊夢は気付き、そっ、と湯飲みから唇を外した。
「別に、来る者拒まず去る者追わずよ。それに……よくよく考えたらうちの神社にあと
一人誰かを住まわせるほどの経済的余裕はなかった事を思い出したわ。できればその
状況を改善すべく今からお賽銭入れてくれてもいいんだけど、いやほんと、結構切実に」
「霊夢さん……っ。す、すみませんっ!」
照れ隠し交じりではあるが、好きに出て行ってもいいと言ってくれたと椛は感謝する。
もちろん照れ隠しでもなんでもないくらいに切実な事態には気付いていないのがまた
椛らしい。知ってか知らずか、縁側の向こうのお燐(猫形態)がニヒルな笑いを浮かべた。
「さ、椛。行きましょう。霊夢さん、お邪魔しました」
「ご迷惑おかけしました……」
「いいのよ別に。帰り道はあっち、素敵なお賽銭箱はそっち」
頭を下げるふたりの天狗に、そう霊夢は言葉をかけて見送る。うらうらと晴れた空の下、
お茶が美味い。お賽銭ほしい。既に霊夢の思考はいつものようなほがらかモードへと
移行していた。
「じゃあ文さん、帰りましょう!」
「そうね、でもその前に……」
にこりと微笑みあって、文は
「うりゃっ!!」
椛に見事な足払いをかけた。派手に顔からぶっ倒れる椛。
「ふぎゃっ!? あ、文さま、いったいにゃにを!?」
「何を、ってねぇ。怒ってないわよ、怒ってないわよ、仕事を抜け出したことは」
「じゃあ、な、なんなんですってぽぎゃあ!?」
がっすと椛の背に突き立つ一本歯。靴に歯のついた下駄というには微妙な物体、
仮に”射命丸スペシャル”としておこう。その射命丸スペシャルで思いっきり椛の
背というか尻というか、踏みつける文。しかも青筋は立ちつつもなんとも素敵な笑顔でだ。
「言ったわね、あなた。”ゴシップしか扱わないくせに嘘ばかり書いてて内容も紙ほど
薄っぺらいほとんど読者のいない正直産業廃棄物となんら変わりない、いわゆる
ゴミ屑ってやつですね、ゴミ。そういうゴミ新聞でも書いてろ、この空気を読む技能
ゼロの無神経でがさつでドスケベって言うか淫蕩って言うか、そのくせ知識人ぶった
三文ゴミ新聞記者かっこ年齢不詳、もちろん見た目ほど若いわけじゃないから
詐欺ですよね、もう新聞記者って言うか詐欺師ですよ詐欺師かっことじる”とかなんとか」
「へ!? そこまで言ってな……あきゃう!?」
「なーにー? なんかいったー? 私犬の言葉とかわかんないんだけどー?」
ぐぅりぐりと椛を射命丸スペシャルで踏みにじる文。えっらい楽しそうだ。
「ひにゃっ……! で、でも文さまもちょっとは自覚して、ひぎっ!? ふわぁぁぁんっ!?
たた、たすけて、助けて霊夢さぁぁぁぁぁんっ!!」
一瞬ではあったが元飼い主としての矜持があるならと、神社の縁側の方に救援の声。
「あーお茶が美味しいわ。それにしても、幻想郷は今日も平和ねぇ」
「なー」
完全にまったりモードに入った霊夢はもはや椛の存在などどうでもいいらしい。
ちゃっかり霊夢の膝に移動したお燐(猫形態)こそが、勝ち誇ったかのような鳴き声を
返してきた。さようなら椛。君のことはきっと、忘れないからな!!
「ちょっ、文さ……みゃぁぁはぁっ!! らっ、ダメれすっ、そこはぁぁうわぁぁん
らめぇへえええっ!? ぐりぐり、ぐりぐりしないれくらしゃぁぁぁあああぁぁぁいぃひん!!」
…… ど、どっとはらい。
"☆"はアリなのかどうなのかそこが問題だ。
椛っちゃんは文ちゃんをこき下ろし苛めいじくり散々遊んだ後ポイする黒さが有るとジャスティス。
若しくはカレー弐匙流(にとうりゅう)。
若干読みづらい部分があって読み返したりしました。
美味しいものでも喉に引っ掛かるとイガイガしますし、スルリと読みやすいものであったら、後味良くもっと楽しめたと思います。
最後に誤字発見?
『6時間ほど爆酔したらしい』は『6時間ほど爆睡したらしい』でしょうか。
も1つ、文どんだけ聖矢好きなんだよw
椛が可愛くてよかったです。あとお燐も。
しかしあの一本歯下駄で踏まれたら痛そうですよねえ。
他の新聞屋にとってはスクープじゃないかこれ?
>(上の分が意訳であろうと)
分→文?