見れば、ヨダレの海だ。
私が分泌したものだ。
明太子とトパーズを足して二で割ったように秀麗な私の下唇からは、ヨダレが滝のように流れ、人んちの部屋を勝手に埋め尽くしている。
ゴボゴボ、いやドバドバ? まぁどっちでも良いさ。
まったく迷惑な話だとは思うけど、生理現象なのだから仕方ないじゃないか。
ばっちいだって? それは浅慮というもんだ。
幻想郷の裏番長、今を時めくトリックスター、霧雨魔理沙様の乙女エキスだぞ? 瓶に詰めて、出すとこに出してみな。
こんな寂れた神社より、よっぽど立派な屋敷が建つ。
庭付き一戸建て4LDK、プール付き――は厳しいかもしれないけど、立派な松の二本や三本をちょいと植えるぐらいなら余裕だ。
なんでそんなバカみたいに垂らしてるんだい? と聞かれたら、そうだな、いまさら感は拭えないが、ツンデレっぽく答えてやろうか。
「ぽえっ、べぺっっこぽぽぽかぽぽ!(べっ、べつに大福を食べたいわけじゃないんだからっ!)」
使い古されたネタですら、私にかかれば珠玉と化す。
ああまた、ファンクラブの会員がメガ単位で増えたとアリス(FCゴールド会員)から連絡が入った。
自分でも、罪作りな乙女だと思う。
私は掌中の苺大福を眺めた。
聞けば、この大福はめちゃくちゃ美味いらしい。
餅米はミレニアム物の超高級古代米、さらに精米歩合五十パーセント以下の純米大吟醸であるとか。
「極めつけは餡。数十年に一度、ほんの少ししかとれない幻の小豆を使っているのよ。それを一粒一粒、専門の職人が蜜に漬け込んでから、丹念にこした餡なの」と紫は言った。
たしかに、小豆らしい控えめなフレーバーと共に、芳醇な蜜の香りが鼻に届く。
いったいどれだけの糖度を有しているのか。
私の脳内の糖度カウンターは勢いよく右へ一回転、さらに逆へと二回転、あげくの果てに針が振り切れ半壊した。
やっべえ超うまそう。
クレオパトラはこの大福に釣られて、エジプトを捨てカエサルの愛人になっただとか、楊貴妃はこの大福を一日二十個食って若さを保っただとか。
眉にツバを塗りたくった話を、紫を聞かせてくれた。
「小野小町はどうだったんだ?」と訊ねてみたら「餅アレルギィだったのよ」と愉快なことを言った。
気の毒だ。
残念なことに、衣と餡が過保護すぎるせいで、中心に位置する至玉、イチゴちゃんを目にすることはできない。
真っ二つにすれば、キメ細やかな白、慎ましやかな黒、地味な二色によって引き立てられる華々しい赤を目にすることが出来るのだろうが、それは無粋だ。
貴種の、奥ゆかしい子女の部屋をのぞき見するようなものだ。
彼女は見えないからこそ美しい。
想像力によって一層際立つ美というものは、確かに存在する。
味もまた然り、だろう。
前置きが長引いた。
それだけ、私がこの大福に並々ならぬ期待を寄せているということだ。
私の口はさっきから開きっぱなしだ。
しかも垂れ流しだ。
立ち並ぶ白い歯は、王の凱旋を待ち望む民衆さながらであろう。
震える赤い舌は、兵役にとらわれた夫の帰りを待ち望む妻さながらであろう。
待っていろ、今お前達の望むものを与えてやる。
私の手、筋肉、さらにはその細胞の全霊を持って届けてくれよう!
「ひゃほおほおあーっぽぺ!(いただきまーす!)」
ガチンと、私の歯は固い湯のみにさえぎられた。
―――
「紫は私に持ってきたのよ?」
「まんまとハメられたな」
乙女が二人、ちゃぶ台の上には苺大福が一つ。
そんな状況になったらどうだろう。
血は血で洗われ、ヨダレとヨダレは混ざり合い、汗と涙は宙に舞う。
挙句の果てにはベロを引っこ抜いた方が勝ち、なんてバトルロワイアルに発展しかねない。
友情など甘味の前ではかくも脆いものだ。
これは紫の姦計だ。
「良いものが手に入ったわよ」とスキマからひょっこり現れ、とつとつと二時間ほど前口上を述べた挙句、この苺大福を置いていったのだ。
私はたいへん興味深く紫の話に聞き入っていた。
聞けば聞くほど、熱を持ったヨダレが後から後から溢れ、自分は干からびてしまうのではないかと心配したが、空気中の水蒸気を取り込むことで事なきを得た。
甘味を求める乙女のパワーを持ってすれば、この程度のことは赤子の手を捻るがごとくである。
霊夢はあまり興味が無かったのか、私が作った唾液のプールに包まれ、寝ていた。
それはもう、ぶくぶく、こぽこぽ、ぐっすりとだ。
知ってるか 巫女にはエラが ついている。
思わぬところで良い句が出来た。
だから、バレやしないと思ったのだ。
胃袋におさめてしまえばなんとでも言える。
文句を言ってきたとしても、「結局あーだこーだ語るだけで帰ってったぜ」とでも答えれば済む。
「えぇ、そうなんだぁ。ざんねんなのぉ……、れいむ悲しぃ」と目をこすりながら母なる唾液の海へ帰っていくことだろう。
寝起きのこいつは三の段の掛け算も出来ないほどのおバカさんだと、私はよく知っている。
箒をウィンナーと間違えてかじりついてきたこともあった。
しかし、霊夢は目を覚ました。
そしてコントロールピッチャー顔負けの内角高めストレート、球威も申し分のない球、すなわち湯のみを私の口にフィットインさせた。
あと数秒、いやコンマ数秒目覚めるのが遅れていたら、大福の所有権は私に移っていただろうに。
所有権を得るとは、ツバをつけることと同義だ。
ツバに漬けるといった方が正しいか。斬新だ。
「そんなに食べたいわけ?」
「食べたいとか、食べたくないとか、そういう問題じゃない。その質問はナンセンス、答えるまでもない。あるべきところへ、あるべきものをおさめる、それだけの話だ」
「半分にすりゃ良いんじゃないの」
「おいおいおい? 何を寝ぼけてるんだ。冗談も休み休み言え。餅とアンコは大恋愛の末に結婚して、かわいいかわいいイチゴちゃんを産んだんだぜ? そして家族三人幸せに暮らしましたとさ。そこで劇はおしまい。ハッピーエンドで終幕だ。それをお前は引き裂こうってのか? エピローグでの一家離散を誰が望む? 誰も望まないさ」
「じゃあどうしろってのよ。あたしも食べたいんだけど」
「こうしよう。ここに都合よくも原稿用紙とペンがある。五十枚以内でお前の大福に対する思いの丈をぶちまけてみろ。それで私を唸らせることが出来たら大人しく身を引こうじゃないか。ああ引いてやる、引いてやるとも」
べつに私も鬼や悪魔じゃない。
ただ、甘味に関しては哲学のようなものがある。
味蕾を経て感覚神経線維を通りG蛋白共役受容体によって云々ってまぁつまり、どっちが甘いもの好きとして格上なんだよって話。
「めんどくさいわね」
とか言いつつも霊夢はペンを取って書き始めた。
よろしい、顔はなんだかやる気なさげだが、ちゃんと手は動かしている。
ほとばしる熱いパトスをぶちまけるが良い。
私は全てを受け入れる。
しかし、私ならどう書くだろう。
餡! アン! あんっ! それは砂塵舞う荒野にたたずむ少女の背に忍びよる狂猛の牙。
ときにツブツブ、ときにコシコシ、されど敏なるかな! 舌に有りては有象無象の限りなし――。
「できたわよ」
「はやっ! ……まぁいい。量を書けば良いというもんじゃないからな。私が見たいのはお前がどれだけ甘味を愛しているか、ひいてはこの大福をどこまで愛することが出来るかということが知りたいんだ。熱意はときに欲望をも凌駕する! さあ見せてみろ!」
「はいはい」
ほう! こんな短時間でこれだけの量を書いてきたか。
二十枚ぐらいはあるか? なんだかんだ言ってこいつも甘いもん好きなんだな、女の子だもんな。
ん? いや待てよ。一枚に一文字しか書いてないぞこいつ。
どうりで速筆過ぎると思ったんだ。
まぁいい、そういう表現方法も有りといえば有りだ、アバンギャルドで結構なことじゃないか。
ひょっとしたら私は原稿用紙のマス目という枠にとらわれていたのかもしれないな。
心ひらかれた思いだ、大事なのは形式ではなく中身、そう中身なのだ。
さあ霊夢! お前の甘味哲学を存分に披露してくれ!
『だってはらぺこなんだもの はくれいれいむ』
「ふざけんなあ!」
言うが速いが私は前方へ宙返り、そのまま勢い良く霊夢の肩へと太ももで一撃を叩きこむ! 重力に任せ背を反らせた後ちゃぶ台をひっつかみ、それから首を引き絞る! さあここからが仕上げだ! 背筋へ七割、両手指へ三割の力を送り込み、肉体のありとあらゆるパーツをユニゾンさせ、流麗なる孤を描きつつ霊夢の脳天を畳みに叩きつけ――。
「そぉい!」
刺さった! 霊夢が畳みに刺さった! 頭からウッヒョーイ!
直立するは紅と白、我が目下に輝くはドロワーズ、ミコミコトーテムポールの完成だ!
「見たか! 霧雨式フランケンシュタイナー!」
「抜いてちょうだいよ」
「ふざけんな! 二回言ったがまだ足りん。もっかい言うぞ! ふ・ざ・け・ん・なあ!」
「なによー。ちゃんと書いてやったじゃない」
霊夢は畳みに突き刺さったまま不満げに言う。
視線はおそらく私のスカートのなかだ。
ちゃっかりしてやがる……。
まぁ私もガン見だから、おあいこだけどな!
「ちゃんと……、これでちゃんと書いただと!? おま……、いや貴様! 甘味を、ただ、ただ腹が減ってるという理由だけで食うのか? それは冒涜だ。相手が私だったからその程度で済んでるんだぜ!? 紫や幽々子にでも言ってみろ! お前の体はマッハ5を超える超音速でバラバラに空中分解された挙句にワキだけ持ってかれてたところだ!」
「そんなこといっても、はらぺこなんだもの」
「二度も言ったね!? 甘いものは別腹という格言を知らんのか! あれは甘いものならいくらでも食えるという意味じゃないんだぞ。甘いものはそれだけ神聖に扱うべきだ、という乙女教のドクトリンに端を発するんだ。現に私の胃袋は三つに分かれている! 小倉用、カスタード用、チョコレート用だ。分割するときめちゃくちゃ痛かったけど、些細なことだ!」
「今川焼きみたいね」
「だいたいなんだよこれ。自分の名前ぐらい漢字で書けよ」
「画数多くて書けないのよ」
「初耳だぜ……」
「あーもう、めんどくさいわね」
霊夢はハンドスプリングの要領で跳ね上がり、着地した。
あと二時間でも三時間でもそのままでいて反省してもらいたかったところだ。
ちょっとお前そこ座れ、と説教を始めようとしたのだけど、それは霊夢の提案にさえぎられた。
「勝負しましょ」
「勝負? 弾幕勝負か? 言っとくが、その程度の熱意じゃどうあがいても私には勝てないぜ。断言できる。全ての弾の道筋、さらにはお前の思考、ボムりたくなるタイミングまで、今の私には見えている」
「この寒いのにわざわざそんなことしないわよ」
「じゃあなんだ? ウノか? 麻雀か? 将棋か? 何にしたって負ける気はしないぜ。今の私の脳細胞は構成自体が通常の人間とは異なるからな。オールウェイズ前頭葉の西日だぜ」
「たかが大福ぐらいで頭を使うのもバカらしいわ」
「たかが!? たかがだと、貴様また――」
「寒いんだから、頭じゃなくて身体を使いましょ。暖かくなって一石二鳥じゃない」
「身体? 暖かくって?」
「そうよ。身体をめっこり動かして、身も心もすっきりしましょう」
霊夢はそう言ってから、寝室に続く襖を開いた。
薄暗いその部屋には、布団が一つ、枕が二つ……。
夜の帳が下りた。
まだ日は高いというのに、私はなぜかそう思った。
―――
「はぁっ! はっ、あっ、んん!」
情けない声を挙げてしまった。
背中にはヘビが這い回るようなねっとりとした感覚が走り、汗がしたたるのを感じる。
不快感と快感がいっしょくたになって襲ってくるようで、頭のなかがぐちゃぐちゃになる。
「ふうっ! はっ、情けないわね! まだ二セット目だっていうのに!」
霊夢はエビのように背をそらしながらも、決して私から目を離さない。
私は捕食される生き物の心持ちになった。
玉のような霊夢の汗が肌を伝い、布団に落ちて染みを作る。
見るときに見れば蠱惑的なのかもしれないが、今の私は、身体中に走る気だるさを耐えることに必死で、それどころじゃなかった。
「くっ! お前が底なし過ぎるんだよ! はっ、ひゃあん! あっ、もっ! むりぃ!」
私の肉体が、いや脳が限界を告げる。
我慢というのはこんなにも切なくなることだったか。
「あら? はっ! ギブアップ? 情けないわね! んっ! 私はまだ全然いけるわよ?」
くそっ……! こいつは余裕しゃくしゃくの顔だ! なんでだよ、私だって頑張ってるのに!
「んっ、ひあっ……! いつの間にっ! そんなにタフに、んあっ! なったんだよ!?」
「乙女のっ、あんっ、たしなみってやつよ! うふっ、ふっ!」
「お前がっ! それを言うかっ! あっ、んあ! あああ! もっ、らめえ! ぎぶあっぷぅ!」
「ふぅっ、やっと観念したわね」
負けた……、完敗だ。精魂尽き果て布団に沈み込んだ。
首を横にして霊夢の顔を見ると、達成感に満ち溢れた顔をしていた。
「それじゃ次は腕立て伏せよ」
「すこし休ませてくれ……」
腹筋勝負で負け、そして今、背筋勝負で負けた。
これで五番勝負のうち二つを落としたことになる。
次を落とせば負けが確定してしまう。
腕立てか……。
正直いって自信が無い。
見ればわかるだろう、私の腕はこれでもかってぐらい細い。
筋肉の存在を疑いたくなるぐらいの細さだ。
まぁそれは霊夢も似たようなもんなのだろうが、どうやら私はあいつに身体能力ではずい分劣っているらしい。
霊夢は声を荒げてはいるが汗一つかいていないのだ。
動作には微塵のよどみもなく、スピードでも回数でも私を恐ろしく凌駕していた。
ああ見えて影ではプロポーションを保つために美容体操でもしているのかもしれない。
しかし、負けるわけにはいかないのだ。
餅が! 餡が! そしてなによりイチゴちゃんが! 私を待っている。
私の口の中で砕け、潰れ、そして唾液と混ざり合い、一つの芸術作品へと昇華されるその時を待っているのだ!
あれだけの逸品を、食糧のうちの一つ、コモンな存在としてしか解釈できないようなやつの胃袋におさめるわけにはいかない!
「――はぁ。よし、いいぜ。やってやる。後が無いからな。本気でやるから覚悟しとけよ!」
「へぇ、言うじゃないの。それじゃあ見せてもらおうかしら、あんたの本気とやらを!」
両手を畳みに張り付け、感触を確かめる。
よし、馴染む、この畳みはよく馴染むぞぉ! これはいける! と私は手ごたえを感じつつ、背水の陣を張って、挑んだ。
「いくぞっ! 壱! 弐! 参!」
いける! 私はやれば出来る子なんだ! 父さん母さん魔理沙は負けません!
「四! 五…、ろく……」
痛い、なんか上腕二等筋が超いたい。
すっげえプルプルしてる、なにこれどういうことマジしんどい泣きそう。
え、乳酸? もう乳酸たまってんの? 早くね? これだけ早朝出勤しておきながら、残業までしてくれるんだろう? 熱心なのは良いことだけど今は勘弁してくれよぉ。
「な、ななぁ……、ひゃひいい……」
なりをひそめていた汗がぶわぶわふき出してきた。
手が滑りそうになる。
遠慮して、マジで。
汗さんごめんなさい、もう二度と横着してシャツで拭いたりしませんから、お願いです。
「きゅうう、じゅ、じゅ、あっ、ううう、ひい」
いっ、今何回目だっけ……、もうわかんないよぉ……。
イレブンの次はなんだよ、誰か教えてくれよぉ。
トゥエッ、トッテ、トゥエンティかぁ? トゥエンティなんだろう!? れいむは、れいむはどうなってんだ? お前もさすがにもう無理だろ? 腕立てなんて乙女がやることじゃないんだよそもそも。な、そうだろう?
「121! 122! 123!」
桁が変わってるよお……。
ダブルスコアとかそんなチャチなもんじゃないよお。
なんでだよ、なんでそんな超スピードな上に超軽やかなんだよ。
お前のとこだけGが違うんじゃないのか? なあ?
「ううう、ひゃっ、ひゃめえ、もっ、もっ」
むりぃ……、なんて言えるものか! 私がここで諦めたら、あの大福の素晴らしさは「まぁまぁおいしかった」なんて背筋が凍る一言で表現されることになってしまうのだ! それだけはなんともしても防がなくてはならんのだ!
唇を強くかみ締めてしまい、鮮血が布団に飛び散る。超いてえ。
「ふっ! 200! ペース上げていくわよ! 201! 202! 203!」
「うぅう……、はぁっ、くっ、あぁっ……多分これでじゅうにぃ……、もう、サバよんでもいいよね? ひゃくじゅうにぃ……」
震える身体を両手で支えながら、それにしても霊夢は凄いな、と呑気なことを思ってしまった。
やっぱり私は、どこまでいってもお前には勝てないんだな、なんて嫉妬に駆られる。
でもな、べつにそれはそれで良いんだぜ。
お前の背中を追いかけるのは、なんだか楽しいからな。
思えば、そこが、私のあるべきポジションなのかもしれないな。
まだ負けちゃいないけど、完敗、そして乾杯だよ。
そうさ、お前は私の前を行け、そしてその背中を守るのは私の役目さ。
悔いは、無い。
「1201! 2! 3! 4! 5! 6!」
……いや待て。
それにしたって速すぎだろ。
おかしいだろその速度、そしてその動き。
速すぎてもはや何をしてるのかすらわからんぞ、残像か。
私は最後の力を振り絞って、身体を限界まで沈め、じぃっと目を凝らす。
やつの手を見てみろ、私の極彩色に輝く脳細胞がそう囁いていたのだ。
汗が目に入ってよく見えない。
身体が畳みについてしまわないよう細心の注意を払って、まばたきをした。
ぼんやりとしか見えない霊夢らしき残像の下に、うっすらと手が見えてってってうっ、う、う。
うわぁん……。
「ちょっと浮いてるぅ……」
私は泣いた。
ただ泣いた。
―――
「いくらなんでも酷すぎるよぉ……」
「悪かったって謝ってんじゃん」
私の涙は汗と一緒になってぽとぽとこぼれて、悲しげな模様を布団に描いている。
あんまりだ、いくらなんでもあんまりだ。
こっちはWIIでマリオテニスしてたつもりなのに、霊夢はロクヨンでやってたんだぜ? こっちが必死でWIIコン振り回してる横でさ、霊夢は手の中でスティックコロコロやってるだけなんだよ。
ヌンチャクなんてダッセーよなー! ってか? 友達にやることかよ!
私たちの友情の間には亀裂が入ってしまった、いや亀裂なんてレベルじゃないな。
ハンマーで叩き割ってから細かく刻んで豚肉を加え、そこに醤油とお砂糖そして少量のお酒を加えて甘辛く炒められた気分だぜ……あぁお腹すいた。
もう、ダメ。もう二人の関係は修復不可能。
さよなら霊夢、お前がそんな調子こいてる小学生みたいに小憎たらしいやつだとは思わなかったよ。
絶交絶交絶交よ。
エターナルあっかんべーだ。
「はぁっ、仕方ないわね。じゃあもう食べていいわよ、大福」
「え、マジで」
「そろそろ晩御飯の仕度しなきゃだし、食べていくんでしょう?」
「あ、うん。愛してる」
「は?」
やっぱこいつ良いやつ。
ワタシ、オマエ、トモダチ。
「いやいや気にしないでくれ。それじゃ、遠慮なく頂くぜ」
「食べきれなかったら貰ってあげるわよ」
未練はあるんだな。
だがしかーし! 全身の筋肉をぶちぶち断裂してまで手に入れた大福だ。
霊夢には悪いが、餅粉の一振り、小豆の一片、イチゴちゃんの種一粒だって残してやるものか。
霊夢は晩飯の仕度をしに、台所へ向かった。
私は寝室を出て、ちゃぶ台へ向かう。
ひょっとしたら無くなってたりとか、ほうれんそうに変わってて霊夢が『ポ○ーイ! 助けてー!』とか言ってくるんじゃないかとか心配したが、杞憂で済んだ。
今もしっかりと大福は輝く衣を携えて、ちゃぶ台の上で大人しくしている。
ああ……、良い子だ。
思えばここまで短いようで長かった。
千年の宝石に触れるがごとく、私はその肌に触れ、優しくつまみ上げた。
なんて耽美な形をしているんだろう。
思えばこの弾力は少女の肌のようでもある。
そう、私は今からそれを口の中でもてあそび、咀嚼し、あまつさえ己の体内へと取り込むのだ。
「フフフフ……」
陵辱、というと不穏な響きが混じってしまうのだが、今の気分は限りなくそれに近い。
ああ、なんという背徳感! 背筋に快感が走り、肌が火照ってくる。
きっと私は快楽に歪んだ顔をしているのだろう。
いつまでも見つめていたい思いに駆られたが、私はこの娘を食べるために、今日まで魔法使いをやってきたのだ。
ヨダレもまた勢力を増してきた。
出し尽くして、枯れ果ててしまう前に、食べてしまおう。
フフッ……、食べてしまおう!
「いららきまーふ!」
慎重に、されど大胆に放り込む。
今度こそ邪魔が入ることもなく、大福は私の口のなかへおさまった。
ははっ! これでもうお前は私のものだ! あらがっても! 泣き叫んでも! 誰も助けに来やしない! お前はこれから私の口に散々もてあそばれた挙句、嚥下され、食道を通って、胃酸の海を旅するのだ!
しかし私は、そこまで乱暴な魔法使いではない。
レディにはそれなりの手順を踏んでやろうじゃないか。そうだな、まずは軽いタッチから始めようじゃないか。
れろり。
ほっ、おっほう! やりおる! やってくれおるわい! この感触はどうだ! これは本当に餅なのか。
ただの餅とは思わせないなにかが含まれている。
あえて例えるなれば、真珠だ。
そう、大地だけに留まらず、この餅は海と、いや世界とリンクしている。
壮大な、ああ壮大なスケールの絵画が、舌を通して私の脳に描き出されるのだ! 貝と遊ぶべきボッティチェリのヴィーナスが、今私の舌の上で遊んでいるのだ!
こうしてしばらく感触を楽しんでいたが、あまりここで時間をかけすぎると、衣が湿気を含みすぎて食感を損ねるのではないかと心配になった。
バトンタッチだ、舌はサポートに回れ。
そう、お前の出番だマイトゥース! 鉄壁の衣の下に隠された甘さという宝石を、お前の暴力で白日の下にさらけだせ!
(えっ、ほんとにやっちゃっていいんすか?)
いまさら何を恐れることがある! 今が、その時だ! 天の時を逃してはならん!
(じゃあやりますけど、後悔しないで下さいよ)
後悔などするものか! 栄光はすでに我が口中に有り!
(いきまーす)
むにょり。
瞬間、私の脳内で化学式がフラッシュバックする。
フルクトース、グルコース、ガラクトーススクロースマルトースラクトースいやいやふざけんな!
「ぶじゃっげんな!!」
もはや見る影もなくなった大福が飛び散ったが知ったことか――知ったことか! なんだこれ! 許されるかこんなもん!
「紫ぃいいいい!! 紫っ、どこだ! 出て来い! どこにいる! 畜生っ! あのスキマニアどこにいる! 姿を見せろ! 来ないならこっちから行くぞ! お前は超純水よりもピュアーな乙女のハートを踏みにじった……。誰知吾苦難! 紫や紫や汝を如何せん! 私の命にかえてもぶちのめすっ!」
喚いていても仕方ない、有言実行だ。
乙女の怒りをもってすれば、スキマを開くぐらいのことはお茶の子さいさいサインコサインタンジェントだ。
我が右手に宿れイザナキノミコト……、我が左手に宿れイザナミノミコト……、我が身体にはアマツミナカノ――とかまぁなんかそんな感じの凄い神様力を貸してっ! お願いっ!
「はぁああっ!」
ほらできた! 信じれば夢は叶う! 右手には鉄をも溶かす青白い炎が宿り、左手には紅蓮の炎が宿った。なにこれ恥ずかしっ!
両手を合わせ、なんかこう適当な感じにチョイチョイッと開く! 私の眼前に禍々しいスキマがポコンと開いたから、なんら躊躇することなくスキマに飛び込んだ! やっぱ乙女ってすっげえなあ。
「紫ぃいいいい!」
いた! しかし、少し距離がある。
こっちにはまだ気づいていないようだ。
エプロンのポケットから八卦炉を取り出して照準を――これ八卦炉ちゃう! フリスビーや!
くそぅ! どこへ行った、はいもう巻いていこう! ごそごそっと――あった!
さぁ紫よ年貢の納め時――これ八卦炉ちゃう! 鹿せんべいや! もういいだろ!?
落ち着きたかったので捨てずに食べた。
しっけてた。
あいつは、何をしてるんだあれは。
コタツに収まっているようだが、机の上には何か盤面が。
あれはモノポリー……、いや人生ゲームか。
人をこんな気持ちにさせといて呑気にゲームなんかしやがって!
――ん? いやでも……おかしいぞ。
紫だけだ。
あいつしか、私の目には映らない。
てっきりコタツの影に式神がいて、お相手してるもんだと思ったのだが、どう見ても一人ぼっちだ。
頬杖ついてルーレットを回している。
なんでそんなに悲しそうな目をしてるんだ? 私を罠にハメてスキマからニヤニヤのぞいてたんじゃないのか?
――あれは、まさか。
そんな、冗談だろ……。
一人で人生ゲームかよ……。
紫、紫よ、お前がナンバーワンだ。
ていうか何をやってもナンバーワンになっちゃうんだよそれは……。
「――チッ」
あ、舌打ちした。
野球選手になりたかったんだな……。
私はもうなんだかいたたまれなくなって、静かに、ただ静かにスキマを閉じて、紫の幸福を願った。
―――
一言で言うと、夕日だ。
二言で言うと、くそったれな夕日だ。
世界は私が嫌いなのか、それとも私が世界を嫌っているのか、それはわからない。
「うわっ、なに、どうしたのよ。アンコだらけじゃない」
私が縁側で膝を抱えて泣いていると、霊夢が片手にお玉、片手にしゃもじでやってきた。
そして、裸エプロンだ。
もはや脈絡も何もないんだな、うん、もうどうでもいいや。
「食べ方汚すぎでしょ――泣いてんの?」
「…………」
そりゃ涙も出るさ、出るだろうさ。
私はこの思いをどこへ吐き出したら良いんだ。
「何があったのよ」
「入ってなかったんだよ」
「何が?」
「イチゴちゃんだよ!」
「あ、そう……」
「――でも考えてみたらさ、あいつ一度も、苺大福だなんて言わなかったんだ。嘘みたいだろ……、思い込んでたんだぜ? 勝手に」
「そういうこともあるわよ、だって乙女だもの」
「大福っていったら、苺大福だろう?」
「私は豆大福も好きだけど」
「しくしく……」
「そうね、大福といったら苺だわ」
「それで紫がさ、一人でさ」
「もう、何も言わなくて良いの」
霊夢は私を優しく、ぎゅっと包み込んでくれた。
私は霊夢の薄い胸を借りて、ひとしきり声を挙げて泣いた。
それから一緒に晩御飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒の布団で寝た。
ああ、そうだよ。
霊夢は苺大福より甘かったんだ。
最初から最後までクライマックス全開で魔理沙を走らせきった文章に乾杯。ごちそうさまでした
ところでゆかりんの相手をしにマヨヒガに行きたいんだが…どうすればいいんだい?
社会とのつながりを全て絶ったあとに森で迷うんだ!!
魔理沙が甘いものにかける情熱と、霊夢の冷たさとのギャップが大変面白かった!!
ありがとう!!
紫の野球選手にかける微妙な情熱度合いが最高すぎる。
個人的にこの手の微妙でネガティブなネタが大好き。
面白かったです。
最初から最後までやられっぱなしだ。
…敢えて言うなら。
餡子だけの大福だっておいしいのに、出すなよ魔理沙の馬鹿ぁーっ。
とりあえず魔理沙がエロいのは決定事項ですよね!