Coolier - 新生・東方創想話

フランドール

2009/01/17 18:38:13
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太陽と月を見間違える人間はいない。もちろん獣も妖怪も、そして吸血鬼も間違えるわけがない。
ただし、例外というものが世の中には存在する。
もし、暗闇の夜に太陽が出ていたらそれは月に見えるかもしれないし、
もし、明々の昼に月が出ていたらそれは太陽に見えるかもしれない。
そんな日があれば、太陽と月を見間違える生き物がいても不思議ではない。
しかし、そんな例外はこの世に在りえない話だ。
在りえる話というのは、その生き物が太陽も月も知らない場合しかない。

その例外な生き物は今、蝋燭の炎に照らされて、うつらうつらと顎を泳がせながら絵本を進めている。
ここ数百年の間にこの絵本は何万回と読み返され、その生き物の着ている服と同様にボロボロにくたびれていた。
地下室独特のカビの生えたような匂いは、たった一人の住人の鼻を異臭で突く事も飽きて、暇を持て余している。
いつもと変わらない日常の、そんな時だった。
不規則に水が滴り落ちる音を掻き消して、重厚な扉が開いた。空気が入り乱れて、蝋燭の炎が大きく揺らめく。
「この度、この館の使用人となりました十六夜咲夜と申します。本日は妹君に挨拶をと思い、参上いたしました」
蝋燭の炎に炙られて、精悍な一つの影が揺らめいている。事務的な口調ではあったが、冷たい印象はない。ハキハキと咲夜が挨拶を述べる中、妹君と呼ばれた生き物は一瞬だけ見返した。
その深く赤色の瞳が咲夜の目と合った時、咲夜は無意識に一歩下がった。
まるで心を、心臓を手掴みされているような嫌な感覚が咲夜に纏わりつく。
そんな感情を少しも出すことなく、平然を装って咲夜は無駄に長ったらしい挨拶を続ける。
「フランドール」
咲夜の演説を遮って、以外にも透き通った声で妹君と呼ばれた生き物は言った。
「はい。妹君のお名前ですね。心得ております」
「そうじゃなくって、その妹君って言うのをやめてって事」
何度も咲夜の口から繰り返される妹君という言葉は、この生き物には好ましくないものだった。
妹君? 誰の妹? あの悪魔の妹なら当の昔に死んで、地下室の一部になってしまった。
顔も名前も思い出せない姉など、姉ではない。自分はたった一人の吸血鬼、可哀想な地下室の人形…… と、心の中の荒れた庭でフランドールは呟く。
口にこそ出さないものの、その怒りは頭に被ったヒラヒラとした帽子を掻き毟る事によって表現された。
荒れた庭を手入れする訳でもなく、いつもそうやってフランドールは本心を表に出すことはしなかった。
「申し訳ありませんでした。フランドール様」
帽子を掻き毟るフランドールに咲夜は深々とお辞儀をすると、帽子の下のフランドールの顔が少し笑ったように思えた。
実際には笑ってはいないだろうが、心臓を締め付けてくる感覚が薄れていったからだ。
蝋燭の炎が大きく揺れ始める。フランドールと絵本以外には何もない部屋が、風に曝されて消えてしまいそうだった。
咲夜は開きっぱなしだった扉をやっとの事で閉めると、本題に入ろうと少し緊張した顔になる。
本題とは館の主であるレミリア・スカーレットから、使用人としての初仕事の代わりに命令されたものだった。
―――妹を地下室から出して、外に連れて行きなさい。
たったそれだけである。
咲夜は楽な仕事だと思い込み、地下室の扉を開ける。
そこには絵本を眠そうに読んでいる可愛らしい吸血鬼が一人居ただけであった。
やはり予想通り、簡単な仕事になりそうだと咲夜は一層楽に考えた。
しかし、一瞬目が合っただけで、その楽観的な考えは一変する。
というよりも、この館の異常性に気がついた。この可愛らしい吸血鬼の着ている服や、部屋の様子から察するに、まさしく監禁であった。
それに咲夜は知る由もないのだが、レミリアは最後にもう一言付け加えるはずだった。
―――妹は気が違っているから気をつけなさい。
これが作為的になのか、ただの物忘れなのかは分からない。
それに咲夜がそれを知ったからといって、フランドールに対する態度が変わることもなかっただろう。
ともかく、緊張しつつも毅然とした態度で咲夜はフランドールに本題を述べようとしていた。
「フランドール様、この地下室からお出かけしましょう」
オブラートに包むやり方もあっただろうが、あえて咲夜は直言した。
フランドールは何も答えなかった。しかし、本を閉じて、ゆっくりと立ち上がる。
ここ数百年の間で、同じような事を言った使用人は何人かいた。フランドールが気を許したと思い、咲夜と同じように直言した者や、オブラートに包んで何気なく示唆した者もいた。
しかし、その使用人達はその言葉を発した後、すぐさま地下室の片隅で骨になり、塵となって消えていった。
フランドールはゆっくりとした足取りで、咲夜の方に向かう。
帽子を深く被り直し、まるで敬虔な信者が教会の神父に近づくように、ゆったりと咲夜の目の前にまで来た。
フランドールは顔を上げると、その赤い瞳で少し戸惑っている咲夜の瞳を見つめた。
「なぜ?」
地下室のカビ臭い匂いが急に咲夜の鼻を突く。
まるで待っていましたと云わんばかりに規則正しいリズムで、水滴は水溜りに落ち始めた。
絵本は薄汚れているが何処かが壊れているといった様子もなく、大切に扱われているように思える。
不思議と色のない地下室で、咲夜ただ一人が色のある存在だった。
以前は様々な調度品があったのかもしれない。それらは何らかの理由でこの世から消えてしまった。咲夜は部屋を見渡して、あまりにも殺風景な事に疑問を持っていた。事実、この部屋には以前は、といっても百年以上前のことだが、日常品からベッド、鏡台など様々なものが存在していた。しかし、時が経つにつれそれらは消えた。自然消滅するわけではない、フランドールが塵にしたのである。彼女の娯楽は破壊のみだった。
どう答えるか、咲夜はしばらく考えていた。しばらくと言ってもほんの数秒程度だったが、それがまるで永遠のように感じる。
この場所は時間もない。日に照らされることも、月を愛でることもないのだ。
咲夜は唐突にそう感じると共に、確信した。この部屋は少女を生かすためでも殺すためでもなく、彼女の世界そのものなのだと。
「失礼ながら、フランドール様は太陽をご覧になったことはありますか」
「……そんなもの聞いたことが無いわ」
フランドールは咲夜の意外な質問に、驚きながら答えた。
「では月は?」
「それも……無い」
フランドールは咲夜の目からその深く赤い瞳を背けた。自分の世界に引篭もるしかなかった少女には、外の世界の存在さえ考えたことがなかったのかもしれない。瞳の奥に隠れていた破壊の衝動は力なくどこかへ行ってしまった。
「フランドール様が地下室から出られる理由。それはそれらを見るためです」
咲夜はしっかりとフランドールを見て言った。
フランドールは逃げるように元の位置に戻り、座り込んだ。顔を伏せて、絵本をパラパラと捲る。ある場所で手を止めると、咲夜に見えるようにそのページを掲げた。色が無くなっているそのページには、三日月が描かれている。おそらく文字もあった筈だが、ほとんど消えてしまっていた。
「はい、それが月です。夜の暗闇を明るく照らす、夜の太陽ですわ」
咲夜はフランドールに近づき、しゃがみ込んだ。気がつけば咲夜はフランドールに対して不必要に接近していた。この小さな吸血鬼の少女と友達にでもなろうとしたのだろうか。それとも館に使える身としての正直な行動だったのだろうか。それは咲夜にも分からなかった。
「昼に昇る太陽は、眩しすぎて直接見ることはできません。だからそこの水溜りに写った部屋のように、水に映った姿を見るのです」
「でも、とても大きいものなんじゃないの? お空が明るくなるほどだもの」
フランドールは絵本の三日月をなぞりながら言った。
「はい、想像もできないほどの大きさだと聞いています。でも、この館の側にはとても大きな湖があります。そこでなら見ることができると思いますよ」
「そう……」
自分の知らないことを咲夜は色々知っている。フランドールはそれがもどかしくもあり、羨ましくもあった。だが、同時に自分がこの部屋から出て何になるのだろうという気持ちが体を巡る。
フランドールは部屋の隅にできた小さな水溜りに、情けない顔をした自分の姿が映っているのを見た。
「では、新しい服をご用意致しますので、明日またお迎えに伺います」
フランドールは返事をしない。ずっと水溜りを見つめていると、不安げな表情をした自分と目が合う。
それを振り払うように顔を逸らし、後ろを見た時には咲夜はすでに消えていた。



「これは何?」
綺麗な服に着替え、地下室には似つかない上品な雰囲気のした日傘を持ち、フランドールは尋ねた。
「日傘ですわ。太陽の光は吸血鬼にとって有害なものだそうでして、それを防ぐための物です」
昨日と全く同じ姿の咲夜は、ニコニコとした顔持ちで、続けた。
「さあ、そろそろ参りましょう。丁度良い時間ですわ」
銀時計をポケットに仕舞うと、地下室の向こうへとフランドールを誘った。
自分でも不可解と思うほど従順に、フランドールは咲夜とくたびれた住処を後にした。
地下室の陰気な雰囲気は、色がないことで何とか均衡を保っていた。
何百年とそこで過ごしたフランドールは、一時の外出だとしても、不思議と何の未練も感じなかった。
色が無く時間もない空間は、住人の出立を祝うわけでもなく、悲しむわけでもない。
ただ、戻って来いとも言わなかった。
フランドールと咲夜は階段を上がる。一段また一段と上がるごとに、外の光が二人を包む。
手に持った日傘の心地よい重みが、フランドールに現実を実感させた。光が強くなるほどに、不安は消えていく。
階段を上りきれば、館の一階である。
館の主は未だ就寝中。今、館の主はその妹であるフランドールだった。
光がまぶしいほどに、目に入ってくる。咲夜はフランドールの歩く早さに合わせて、一緒に階段を上がっている。
フランドールは未だ知らない世界に、少しずつ期待に胸を膨らませる。
いつか見たかもしれない月、未だ見たことが無い太陽。どちらもどんな表情をしているのだろう。
もしかしたら、自分は太陽にも月にもなれるかもしれないと、漠然とした希望を胸に秘めて、フランドールは笑みをこぼした。
初投稿です。よろしくお願いします。
批評・感想くだされば嬉しいです。
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コメント



0.1150簡易評価
4.70名前が無い程度の能力削除
味のある文章でした。太陽と月のイメージとしての使い方もいい感じです。
あえて注文をつけるなら、もうちょっとじっくりボリュームを使って描写を期待したいところです。
深みをじっくり味わうにはわずかに簡素すぎる様な気がしました。
次回作をお待ちしております。
10.80煉獄削除
良いですね、フランと咲夜さんの扱いがとても上手だなぁ…と思いました。
ここでもう少しフランが外に対しての考えとかが出てきたら
良かったかな?とも思いますが、野暮でしょうね。
面白い作品でした。
17.80名前が無い程度の能力削除
悪くない。
18.70名前が無い程度の能力削除
欲を言えば物語としてもっと動いたところを見たかったです。
23.70名前が無い程度の能力削除
気分としてまだ序盤。先が読みたくなるね
26.無評価削除
コメントや評価どうもありがとうございます。
とても参考になりました。次回作に生かせればと思います。
大事な事なのでもう一度、どうもありがとうございました。