足袋越しに伝わる床の冷たさ、白く姿を変える吐息の揺らめき。
片や純白の扇、片や緋扇を携えて、巫女は三歩離れて見つめ合っている。滑るような摺り足の向こう側に、互いの瞳を見つめていた。
囃子の無い、静かな巫女神楽の祭殿。混ざり合う二つの吐息と窓外、明々と燃え盛る篝火の灯り。押し黙った二人の巫女の間に、聞こえぬ神楽囃子が流れていた。
下げていた腕をゆっくりと上げ、ゆっくりと扇を閉じる。しゃらんと鈴の音、風の泣く声。
外にそぼ降る氷雨は、間もなく雪に変わるであろう。遥か遠き空、雪起しの大きな声が告げている。
巫女は、ただ無言で見つめ合っていた。
二人の処女の舞が紡ぎ出す静謐という名の清さを、神の供物として献ずる。巫女神楽、そのほんの一時が、只管悠久の物となる。
雄麗な剣士のように互いの眉間に据えた、扇という想いの切っ先。
白衣に金色の簪。鮮やかに差した紅。薄化粧を通り抜けて桜色に染まる頬。そして、白息の冷たさだけが揺らめいている。
「行こうか」
「行くよ?」
情感を伴いすぎた。眼前の少女の姿がとても美しくて、夢のようだと想うそのことが私を現に連れ戻してくれる。心地よい矛盾だった。
叶わぬ夢を描こう。その夢が、百年を千年を、駆け抜けてゆけば良いと想い乍ら。
私は願い続ける。
二人の足は音も無く床を蹴った。静から動への転換。動き出した巫女神楽の窓の外はいよいよ冷たい。音を奏でるのは二人の巫女だけという夜。暫し止まチていた時が、雪のように足許へ降り積もってゆく。摺り足の足運びから滑るように交差する身体と身体、冬の涼気に仄か纏われる体温の温もり。
駆け抜けて場所が入れ替わり、再び互いに正対する。
腰を落とす。
扇を開き、縦に構え、私は貴方の半分に切れた表情を見つめた。
化粧じた貴方は、本当に、儚いほどの美しさだった。
「……かみさま」
声にならない声で呟いた。唇も喉も動かさぬ、白い息だけの言葉。
高鳴る遠雷と死にゆく静寂、どこからか呟くような除夜の鐘が聞こえた。遠き山寺に集いし年の瀬の村人達の笑顔、弾ける安寧の願い。
鐘の音がまた一つ。ご神体を前にした二人の巫女は見つめ合ったまま、ひとつだけ、うんと頷いた。
衝立一枚を挟んで、夢と現とが揺れている。
雷が確かに近づいている。
雨は間もなく、雪に変わろうとしている。
――りん、と、鈴の房を強く鳴らした。
それはまるで焦躁に追われるようであった。消え去ってゆく年に、誰もがさながら追われるようであった。
すれ違いし時、過ぎ去ったその背中を追い掛けようとした。貴方が離れてゆくときの寂しさ。胸を締め付けるような怖さ。視界より外に消えゆくその一瞬が怖くて、私の胸が高鳴り続けている。
また一つ消えてゆく年と、時の流れの儚さの中に貴方が泳いでいるようで。
貴方に見つからぬよう、私は目を瞑る。
貴方に見つからぬよう、貴方に見つからぬよう、
私は神楽を踊り続けている。
鈴をもう一つ鳴らした。
右の手の扇を、左の掌で閉じた。
互いの眉間に向けて、私達は扇を差し合った。
――はっ、という掛け声一閃。
袴の裾をはためかせ、私は駆け出す。
……時の狭間で巡り逢った貴方の横で、ただ何事もなき時間を紡ぎたかった。
時の砂時計が返るとき、貴方の想いまでもが砂に埋もれてしまわぬよう私は願った。願い続けていた。
今日という、今年という、戻らぬこの日々を私は駆け抜けた。壁際まで走り抜けたそこで再びすっと振り向き、私達は互いの表情をまた見つめ合った。
扇をはためかせる。鈴がまた、りんと鳴った。根付けより垂れた紅白の二房が脈動の余韻に揺れ、一瞬の激しき動きは乱れた吐息を遺し、而して唯一瞬で再び静寂へと没してゆく。
貴方が愛おしい。
狂おしいまでに愛おしい。
額に汗まで浮かべて、化粧じた白い頬を上気させ、微かに開いた唇から零れるその白い吐息さえ愛おしくて、私は短すぎた一年を駆け抜けて来たのだろう。
神遊びに似た享楽と、ひどく蠱惑的な背徳に溺れ乍ら――それでも貴方を想う気持ちを、清らかと信じ乍ら。
「畏み畏み……」
「御神に、白さく」
――哀しく踊る巫女舞の行方に、ただ私と貴方の二人だけの幸せがあればいいと願った。
再び、私は駆け出す。
少女も駆け出す。
囃子も無きこの静かな神楽は、私の大切な神様に届いただろうか。二人だけの巫女神楽が時を舞う。硝子のような儚き日々と、篝火の如き刹那の夢を孕み込んだ一夜の舞。
年が逝く。
貴方との一日が、またこうして逝ってゆく。
早すぎた一年が、神様の目の前で今、逝ってゆこうとしている。
除夜の鐘の、百七つめが今、終わった。
中央に駆け寄ったその摺り足が、同時に止まる。
息がかかるほどの近くに立った。はぁはぁと乱れし吐息の向こうに、貴方のやさしいお化粧の匂いがした。
扇を開き、胸の前にぴたっと据えた。二人で祭壇に向き直り、畏まって頭を垂れる。
巫女舞は、これにて終わる。
神楽の如き一年が、これで終わるのだ。
扇を閉じて――二人同時に横を向いて、正対した。
そして、ほんの少しだけ――笑った。
今日はきれいだよ、と、恥ずかしかったけどそう言った。
嬉しそうに貴方は、はにかんでくれた。
さぁ――私達は、更に舞い続けよう。
「……あけましておめでとう、早苗」
「……おめでとうございます、霊夢」
いずれ終わってしまうこの神楽の果てに、終わり無き永遠の夢を信じ乍ら。
二人の舞をする美しい姿が浮かんでくるようでしたよ。
>さぁ――私達は、更に舞い続けよう
このままひめはじm(ryにとつにゅうってことですかー!
が、印象を焼き付けられるほどの感動が無かった。
掌編故の面白さを感じた気がします。
美しいです。思わずため息をつきたくなるくらいに。
短い作品ですが、むしろその短さを逆手に取ったような印象的な物語の切り出し方、余韻の残し方が素敵。
デフォルトのゴシック体も読みやすくていいですけれど、この作品は明朝体が似合いますね。雰囲気が引き締まるというかなんというか。