注意。
中二病全開。
二次要素有り。
ある種キャラ崩壊も有り。
軽い(?)グロ描写も有り。
……事の発端はと言うと、年末年始のこの忙しい時期に限って、キャノ子だのみさえだのオンバシラーだのの奇抜なあだ名で呼称され続けた末に鬱病となって自室から出てこなくなってしまった八坂神奈子並びに冬眠と称して炬燵から出てこない洩矢諏訪子のおかげで博麗神社同様に人々からの信仰がゼロに等しくなるという絶望的な状況へと陥ってしまった事だった。
そしてそれは信仰されなくなり、つまり彼女たちが主な収入源としていた賽銭を当てにする事が出来なくなるという事態に繋がった。
ただ一人残された守矢神社の風祝こと東風谷早苗は「自分がどうにかしなければいけない」と立ち上がる。
外の世界の言葉で言うならば、バイトを始めるのだ。
とにかく彼女はこの危機的状況を乗り切るため、神奈子と諏訪子の覚醒の時まで何とか生活費を稼ぐ事に決めた。
まず早苗は以前は神社を乗っ取ろうと企てたが返り討ちにあった末、どういう訳だか友人同志のような関係になってしまっていた博麗神社の巫女、博麗霊夢に良い働き口を紹介してくれないかと尋ねてみたが、「そんなものを知っていたらこんなひもじい思いはしていない」と一蹴された。
出鼻を挫かれ肩を落とす早苗の前に、両目をらんらんと輝かせながら何やら一枚の紙きれを両手で持った白玉楼の庭師、魂魄妖夢が颯爽と現れた。
そして何故だか彼女の整った髪形は乱れぼさぼさに伸びていた。
曰く、「幽々子様の散髪係のお抱え幽霊が死に別れた嫁と再会したとかなんかで成仏してしまったので臨時バイト募集中」との事だった。
つまり私に床屋、いや美容院の仕事をやって欲しいという事か…。
幼少時の憧れだったその職のイメージに酔った早苗は迷う事無くその仕事を引き受けた。
霊夢も参加すると妖夢に鬼のような形相で迫ったが、妖夢は「こんな飢えた野獣に幽々子様の散髪を任せたら散髪中に幽々子様が食われる」と言って霊夢の申請を断った。
その言葉を聞くなり我を失って襲い掛かってきた霊夢から妖夢に連れられ命からがら早苗は白玉楼へと逃げ込んだのであった。
まだ息も整わない内に妖夢に案内されながら白玉楼の中を進んでいくと、一際大きな和風の室内にくるくるしたピンク色の塊が転がっているのを発見。
妖夢曰く、それこそが正真正銘白玉楼の主、西行寺幽々子であるらしい。
聞けば彼女の髪が伸びている事に気づいた妖夢がお抱え散髪師を呼びに行った時には既に成仏した後で、幻想郷中を飛び回って臨時バイトを募集したものの「白玉楼の主の髪を切るなんて恐れ多くて出来ない」「白玉楼の主は人をとって食うと聞いているので行きたくない」と言って断られてしまったりし、そんな事をしている内に主の髪は今まで際限なく貪ってきた食事の栄養素が今になって身体ではなく髪の毛に集中して効果を発揮し始めたのではないかと思うほどに凄まじい勢いで伸びだした。
彼女に言わせると、幻想郷を脅かす新たな異変と言っても良い程だったという。
やっとの事で「鋏の扱いには少し自信がある」という人形遣いを連れて着た頃には既に主は桃色の髪の化け物と化しており、流石に無理だと言う事で人形遣いは帰ってしまった。
そこで藁にもすがる思いで仕事を探している最中だった早苗をスカウトしたという事だ。
一つ気になったが、庭師としても剣士としても一流な妖夢が散髪すれば良いのではないのかという疑問を投げ掛けたが、どうも彼女も同じ事を以前に一度考えた事があるらしく、試しに人里の床屋で早苗同様にバイトをさせてもらった事があるが、一体何が起きたのか、妖夢の担当した男の滑らかなストレートヘアーは太陽の如く輝く砂漠と化していた。
刃物の扱いには覚えがあったので、さして練習もせずに散髪に挑んだものであるからそれは酷いものだった。
今でも彼女は毎月、その男に仕送りしているらしい。
律儀で誠実な人だと思ってたがかなり無謀というか大胆な一面もあるんだな、と早苗は思った。
もちろん、そんな忌まわしき過去を持つ彼女が主の散髪などできるはずもない。
納得していると、既に妖夢は幽々子の散髪の準備を終えていた。
白い布の上に置かれた椅子の上に座る桃色のわたあめに多少の不安を感じながらも早苗は手渡された鋏とくしを握り締め、心を決めた。
猛然と彼女は、桜の木を思わせるわたあめに立ち向かっていった。
約6時間にわたる壮絶な死闘の末、白玉楼当主の奇怪な髪型は元通りのくるくるヘアーへと戻っていた。厳密に言えば元よりはやや短く仕上がったが、これほどの再現率は稀に見る天才が切ったとしか思えない出来だった。
その戦いをずっと手に汗を握りながら見守り続けた妖夢は驚愕と感動のあまり泣きながらこれからもここで働いてくれと早苗に握手を求めてきた。
自分の意外な才能に酔い痴れていた早苗は、心に何か熱いものを感じ、つられて泣きながら「はい」と返して、妖夢の握手を受け入れた。
………思い返せば、そこで調子に乗ったのが間違いだったのである。
腕を買われた早苗は白玉楼に住み込みで、幽々子を散発したあの部屋で美容師として働く事になった。
直後、妖夢自身も散髪をして欲しいと神を崇めるような目をしながら頼んできたので、幽々子同様長らく切っていなかったのであろうぼさぼさの銀髪を綺麗に切りそろえてあげた。
それからは妖夢の呼び込みと、お客様第一号の幽々子の絶賛により瞬く間に白玉楼の亡霊たちが早苗の腕を求め集った。
よくよく考えてみると、亡霊なのになんで髪が伸びるのか、と疑問に思い妖夢に問いただしてみた所、幽々子の髪の毛が伸び始めた事自体がおかしい事であり、以前雇っていた散髪師もその時に臨時で雇った亡霊だったらしい。
結局は仕事を殆どする事無く成仏してしまったらしいが。
そしてそれを境に、伸びるはずのない幽々子を含めた亡霊の、幽霊の髪の毛が伸びるという不可解な現象が現在の冥界で起きていたらしい。
これも異変の一つであると考えて異変解決のエキスパートの霊夢に相談しに行くべきか、と考えた事もあったが意外にも亡霊たちは「ヘアースタイルを気軽に変えられるようになって嬉しい」などと言っている者が大多数であるため、あえて相談には行かなかったらしい。
それに、早苗としても客が来てくれるのはありがたい事だったので、その事については深く考えない事にした。
…商売は大繁盛。特にこれといって早苗の美容室に名前などはないが、その内可愛らしい名前でも名付けたいな、と心の中で早苗は考えていた。
その時早苗は既に自分が守矢神社の巫女である事など完全に忘れ去っていた。
繁盛して店に訪れる客の数は早苗一人でさばくにはなかなか辛いものがあったがそれでも早苗は持ち前の責任感の強い性格のおかげかきっちりと全ての仕事をやり遂げた。
いつしかそこへやってくる客は亡霊のみに留まらず、噂を嗅ぎつけた、飛行して訪問可能な妖怪や妖精までもがやって来るようになっていた。
「こんなすごいびようしつを知ってるあたいったらさいきょーね!」
そして今日。今年最後の、外の世界で言う大晦日。
朝一番で早苗の美容室に訪れたのは氷精を筆頭にした人間の子供の姿をした妖怪たちだった。
どうもお金は持っていなかったようだが、折角なので特別に、という事で早苗は彼女たちを散髪してあげる事にした。
氷精、夜雀、蛍の妖怪、と次々と手馴れた鋏使いで彼女たちの頭を切り整えてゆく。
どの子も鏡を見るなり「すごい」だの「かわいい」だの言って、早苗にお礼を言うと喜び勇んで仲間に自慢しに行く。
その光景が微笑ましくて微笑ましくて、頬が緩みっぱなしだった。
と、そこに早苗の裾が下から引っ張られた。
「ねえねえ、私の髪も切ってー」
白と黒の服装に身を包んだ金髪の妖怪だった。あの氷精たちの仲間らしい。
「もちろんいいよ、それじゃあそこに座って」
早苗はにこにこ笑いながらその可愛らしい妖怪に椅子に座るよう促した。
わーい、と微笑んで金髪の妖怪がちょこんと椅子の上に乗っかった。
その妖怪に、白い前掛けをかけてあげると、早苗は鋏を握り─そこで彼女の金色の髪に白い淵のある紅いリボンが巻かれているのに気づいた。
「リボン、外すね」
そう言って、先程の青いリボンを結んでいた氷精を散髪する時と同じようにしてそのリボンを解こうと手をかけた。
…が。
「…解けない?」
その金髪の妖怪のリボンはどう見てもただ髪に括りつけているだけだ。解こうと思えば簡単に解けるはず。
なのにいくら引っ張ろうがリボンが外れることはなかった。
本人に聞いてみると、自分でも何故解けないのか分からなく、いつから髪に結ばれていたのかも知らないそうだ。
疑問に思いながらそのリボンを良く見てみると、早苗はとんでもない事に気がついた。
…札だ。
これはリボンなどではなく、神力の込められた紅色と白色の札だったのである。…そう、紅と白の札。
そこまで考えて早苗ははっとして顔を上げた。
紅白の札…考えられるのは…博麗霊夢!?
更にその札が解く事が不可能と来た。となるとこれはもしや、札による呪いの類だろうか。
一体なんでこんなか弱そうな女の子にこんなものを。
まさか、この子がここに髪を切りに来るという事を予め知った上で私への嫌がらせとして散髪の妨害となるような呪いの札をこの子の頭に縛り付けたというのか。
あの女ッ!なんて性悪な!!少し前に友人とか言ったが撤回するッ!!
とにかく早苗は凄まじい勘違いを起こし、その怒りは一瞬にして頂点にまで達してしまった。無理もない、楽しんでいたとはいえ、ろくに体力もない少女であるというのに、毎日何十人もの頭をたった一人で切り刻んでいたのだ。
疲労のあまり冷静さを失っていたのだ─…、早苗は一人で金髪の妖怪の札を博麗霊夢による嫌がらせだと本気で信じたまま、その呪いを断ち切るべく、ありったけの神力をその鋏に注ぎこんだ。
「だが博麗霊夢ッ!これしきの呪いで私を止められると思うなぁぁーーーっ!!」
すぱん、と心地良い音が室内に響くと共に、その妖怪から真っ黒な何かが凄まじい勢いで噴出した。
その黒い何かは早苗を、周りの氷精たちを吹き飛ばし、美容室の壁を天井を突き破った。
「……な、なにが…どうなってるの?」
早苗は目の前の光景にしばらく絶句した後、思わずそう洩らした。
仕事道具がきちんと整頓され、塵一つない綺麗な店内は今や見る影もなく、半壊した部屋のあちこちに吹き飛ばされた蛍や夜雀が泣きながら「それ」を見つめている。氷精は頭を打って気絶していた。
突然、目の前で蠢く黒い塊が雄叫びを上げた。
その塊の中に光る紅い眼光が早苗の姿を捉えた、気がした。
「い…いやああああぁぁぁっ!!」
気づけば早苗は、パニックのあまり飛ぶ事すら忘れて、鋏を握り締めたまま美容室から一目散に逃げ出していた──。
『守矢神社の巫女、東風谷早苗 幻想郷に怪物を解き放つ』
鴉天狗に渡された号外の見出しはそれだった。
新聞の内容を読み進めている内に、あの後妖夢に連れられていった早苗が白玉楼で美容師として大成功した事、それをきっかけに美容室を開き、頭に止めた札によって強力な力を封印をなされた妖怪を呼び込み、散髪と称して封印の札を切り落とした事─…そしてその時、恐ろしい形相で博麗神社の巫女、博麗霊夢の名を叫んでいた事など、信じられない事が次々と判明した。
この新聞の編集者である射命丸文がこれらの事柄から導いた推測によると『以前の博麗神社を乗っ取ろうと企てた事件の時の事を未だ強く根に持っていた容疑者が封印されていた妖怪を博麗霊夢を殺すために復活させたのではないか』と記していた。
最後にこれはあくまでも推測である、と記述されていたが、もはやそんな事はどうでも良かった。
わなわなと震え、呆然としたまま口を開けっ放しの霊夢の両手からその新聞が地面へはらりと抜け落ちる。
後ろからその記事を一緒に読んでいた霊夢の友人である魔法使い、霧雨魔理沙もあんぐりと口を開いていた。
「……れ、霊夢…どういう事だ? あいつが…早苗が?」
「………………」
やっと発せられた魔理沙の言葉に、霊夢は固まったまま反応を返してこない。
「……ま、まあどうせあの文屋の事だ…こ、こんなもん、が、ガセに決まってるさ」
「…残念ながら、ガセじゃあないのよ…」
「!?」
慌てて取り繕おうとした魔理沙の脇から、不意に声がした。
驚いて振り向くと、ぼろぼろの着物に身を包んだ、しかし桃色の髪の毛だけは綺麗に整えられた幽々子がそこに居た。
「幽々子じゃないか。何でこんな所に居るんだ?」
「…あなたたちに、異変を解決して貰いにきたの」
「…なんだって?」
淡々とした調子でそう言った幽々子に魔理沙は、一瞬彼女が何を言っているのか分からずに戸惑った。
が、先の新聞の内容を思い返し、すぐに納得した。
その封印を解かれた妖怪とやらは確か白玉楼の一部分を倒壊させた後、幻想郷の何処かへと飛び立っていったらしい。
そして幽々子は白玉楼の当主だ。
「この件で、もう私も妖夢もろくに動けないのは知っているでしょう。
強烈なとばっちりを食らってね、見ての通り無残にやられたわ。
…そうなると、残念だけど、あなたたちぐらいしか頼れそうなのが居ないのよ」
「…じゃあ、やっぱりこの記事は…」
「ええ、そうよ。真実。そしてれっきとした異変なのよ。
大体その新聞の記者に取材されたんだもの。私の場合はたまたま美容室の前を通りかかったからどうしてるかなーって思って覗いてみたらまさに早苗ちゃんが宵闇の妖怪のお札を切り落とす瞬間だったわ。
宵闇の妖怪の頭のお札は、スペルカードルールの制定前にその強力な力と凶暴な心を封じ込めるため結わえられたものだ…って紫に聞いた事があってね」
「そうだったのか…全然知らなかったぜ」
恐らくその封印の理由はどちらかといえば後者の凶暴さが大きいのだろう。
幻想郷には力の有り余っている妖怪など山ほど居るからだ。
しかしその多く…というよりはほぼ全て、確かな知性を持ち合わせ、基本的に暴力的な振る舞いはしない。
したものは霊夢と魔理沙に弾幕ごっこによってしこたま痛めつけられて反省させられる。
「それでね…その封印が解かれた証拠として、この新聞にはまだ載っていないけれど…既に封印を解かれた宵闇の妖怪は、その紫のマヨヒガをも襲っているわ」
「な、何ぃ!? マヨヒガまでっ!? 紫の奴は一体何してたんだ!」
「寝てるわ。今も」
「……まあ、そんな事だろうと思ったよ」
呆れ帰った魔理沙がやれやれと首を振った。
しかし、住処を襲撃されて尚も寝ていられるとは、紫こと、八雲紫は色んな意味で只者ではないと魔理沙は実感した。
また、幽々子によると被害を被ったのはマヨヒガそのもののみであり、そこの住居者たちはなんら被害はないとの事だ。
「とにかく、ね。このままあの妖怪を放っておいたら確実に幻想郷は滅茶苦茶にされるのよ」
「…そのようだな。しっかし、金髪の宵闇の妖怪って…あいつだろう? ルーミア。
あのちびっ子がそんな力を持っていたとは…夢にも思わなかったぜ。なあ、霊夢?
そろそろ話に混ざってこいよ?」
「…いいえ」
「ん?」
「問題はそこじゃないのよ。早苗は…あいつは、何でルーミアが力を封印されている事を知っていたのかしら?」
いきなり喋りだしたと思うと、霊夢は魔理沙と幽々子に向き直り、二人を睨みつけるかのようにして問いかけてくる。
魔理沙も幽々子もさあ、という風に首を傾げるや否や、霊夢は再び話し始めた。
「早苗が私に復讐をしようとする動機は十分にあるわ。私だって心当たりは沢山ある」
「自分で言ってどうする」
「早苗は、私に一度負けているわ。だから強力な力を持つ妖怪を復活させ、それを自分の代わりに私を潰させようと企てた。そこまではいいの。
問題は…どうやって早苗がそんな妖怪を知るに至ったのか。よ」
魔理沙は見当もつかないという顔をした。隣の幽々子も同様だった。
というのも、既にこの時点で、あえて問いかけてきた霊夢の表情にはその問いの答えを見つけたかのような、確信の色が見えていたからだ。
予想通り、霊夢は魔理沙と幽々子からの無言の返答を受け取ると同時に、口を開いた。
「早苗は、きっと誰かにそそのかされたのよ。ルーミアが封印されている事を知っていて、尚且つ、幻想郷を滅茶苦茶にしてやろうと考えている、誰かに」
「誰か…ねぇ」
首を傾げながら呟く幽々子に、うん、と霊夢は頷いた。
「大体あの子は自分の意思で、幻想郷全土を巻き込む異変なんて起こそうなんて考えられる子じゃない。
…だとしたら、誰かに騙されたのよ。
あの子はこの世界に来て日が浅い。遠い過去に封印された妖怪にスペルカードルールなんて言葉が通用するかどうかなんて分からないの。
だから、そこを付け込まれて…例えば、私をあくまでスペルカードルール上で叩き潰すために封印された妖怪を解き放って、けしかけるように言われたとか…」
霊夢がまくし立てた持論に、幽々子はそれも一理あるわねえ、と穴の開いた扇子で口元を覆いながら呟いた。
しかし魔理沙は、納得はしていなかった。むしろ、霊夢の考え方に疑問を抱いた。
心の中に浮かんだ疑問を、自分の胸の内のみにしまっておけるほど魔理沙は内気な性格ではない。
「随分と早苗の事を擁護するんだな? …いつものお前なら、四の五の言わずに速攻で犯人を潰しに行くはずだが」
「………それは」
「それは?」
「…………まあその、…一悶着あったけど、まあ今でも時々あるけど……でも、やっぱりね、一応、…友達みたいなものだし」
しばらく押し黙った末、霊夢はどこか恥じらいのようなものを見せながら、そう言った。
魔理沙は腰を抜かした。
「何よその反応」
「いいいいいいやそのだな、まさかお前の口からそんな言葉が飛び出すとは夢にも思わなかったっていうか霊夢が友達って言って良いのは私だけっていうか」
「…は?」
「あ、ああすまん、取り乱していたみたいだ。まあ、仕方ないよな…同じ巫女だもんな…。
…分かったよ。うん、お前が早苗の事を友達だからかばいたいってのは分かった。
だがな霊夢、今、その友達はやっちゃいけない事をしちまったんだ。
その理由が、真相がなんであれ、ここでごちゃごちゃ言ってないで、まずは会いにいかなきゃならねえ。
それからじっくり話を聞いて、もしもお前の言うようにあいつをそそのかした誰かが居るのであれば、それからそいつをぶちのめしに行きゃいい。
……だが、もしもあいつが、自分の意思でこの異変を起こしたって時は、…私が」
「ちょ、ちょっと待って。何で私が宥められてるのよ。別に私は…」
「どうせ本心はあいつは悪くないから、それなのにこんな新聞に載っちまってるからそっとしておいてやりたいとかそんなんだろ。私には分かるぜ」
「………」
どうやら図星のようである。
魔理沙はそれに寂しさを感じたが、こんな事をしている間にもまたどこかで早苗によって封印を解かれてしまったルーミアが暴れているかもしれないのだ。
一刻も早く、早苗とルーミアをどうにかせねばならない。
「な、霊夢。これはいつも通りの異変解決さ。大体幽々子だって異変解決の依頼って事で私たちに頼みに来たんだ。
友達が、知り合いが黒幕かもしれないからって、異変解決を渋るような奴じゃないはずだぜ! お前は!」
「…そうね。私とした事が…大の親友に恥ずかしい所を見せたわね。
魔理沙、今の弱気だった私の事は忘れて頂戴。…行きましょう、早苗を見つけに、ルーミアを止めに…異変の解決に!」
友の言葉を聞いた瞬間、魔理沙は相槌を打つことも忘れて、先程ちらと見せた下心を恥じた。
そうか、霊夢は私の事も、今だって友達だと思ってくれていたんだ。
…良かった。
早速、今夜は霊夢と夜伽だ。
そんな事を考えながら、魔理沙は持ち前の笑顔を浮かべそして霊夢の手を引いて、箒に跨ると同時に空へと飛び立った。
そうして二人はいつも通りに、異変を解決しに空を翔ける。
幽々子はというと、場の空気を読んで神社の中に退避し、ただ一人せんべいを貪っていた。
白玉楼から逃げ帰ってきた早苗は妖怪の山の山中を守矢神社目指してのろのろ飛んでいた。
既に昼時で、いつもならお腹がすく頃だが、今は全く空腹など感じられる余裕など無かった。
神社のためにバイトしにいったというのに、肝心の神社は放りっぱなし。
更にそのバイト中に何かとんでもないものを目覚めさせてしまった。
しかもただ怖かったというだけで自分で引き起こしたそれに背を向けて逃げ出して来たのだ。
早苗は押し寄せる罪悪感と自己嫌悪に苛まされながら、そしてやっとの思いで目的地にまで辿りついた。
妙な事に、その道中、山のあちらこちらから怪しげなものを見るような無数の視線を感じたが、自分が泣いているせいなのだとばかり、その時早苗は思っていた。
靴を脱いで、神社に無言で上がると、まず早苗はふらふらと未だに自室に引き篭もっているのであろう神奈子の元へ向かった。
入りますよ、と覇気のない声で断ってから、早苗は神奈子の部屋へと足を踏み入れた。
自棄酒でもしたのだろうか、あちこちに空瓶が転がっている。
…しかし、そこに居るはずの神奈子の姿はなかった。
酒の勢いで鬱も吹き飛んだのだろうか、もしそうだとしたらこんな事になる事なんてなかったのに、などとぼんやり考えながら居間に向かった。
居間の真ん中には諏訪子が自称冬眠してるという炬燵が置いてあるが、もう中身を確かめようとする気力も残っていなかった。
大きなため息をついて、早苗は炬燵の前に座り込んだ。
ぐったりと上半身を炬燵に投げ出して、そこでもう一つため息をついた。
─これからどうしよう。謝ったら、許してもらえるだろうか?
…そんな、甘い訳がないよね…ああ、どうしよう…どうしよう……。
…色んな言葉が、感情が頭の中を駆け巡る。
言い訳、不安、悲しみ…とうとう早苗の目元から涙が溢れ出し…。
「早苗」
「…神奈子様……?」
突然、後ろからかけられた言葉に、反射的に身体を起こして振り向くと、守矢神社の神が目を丸くして立っていた。
「早苗!」
そして同時に、相手が早苗だと分かった途端に神奈子は早苗に抱きついてきた。
「良かった…探したんだよ、早苗…」
「か、神奈子様…ごめんなさい…私、私…」
「何も言わなくていいよ、早苗…いいんだよ、もう…」
ぐいと頭を早苗の胸に押し付けてくる神奈子に早苗は大声で神奈子様、と泣き叫びそうになった。
…ああ、しばらくぶりに感じる母のようなぬくもり…なんて、暖かいの。
ただ天国からどん底に突き落とされていた早苗は、そのぬくもりという天使を再びこの手に掴もうと、神奈子を抱きしめ返すべく腕に力を入れた。
「オッケー、八坂様、そのまま離さないで下さいね…」
「え?」
不意に、早苗でも神奈子のものでもない声が響いた。
がたがたと騒々しい音を鳴らしながら何者かの足音が早苗と神奈子の世界に上がりこんでくる。
「え、…え?」
足音の主は二人の天狗だった。
守矢神社も取っている、文々。新聞記者、射命丸文とその部下の犬走椛。
どちらも見知った顔の天狗だが、どうもいつもと様子が違う。
両者とも、何か恐ろしいものを見るような目で早苗を睨み付けている。
大体、彼女らが新聞記者とはいえこうもずかずかと無許可で人の家に入り込んできた事があっただろうか。それ自体おかしいのである。
そう、そして何よりも先程の、恐らく烏天狗の方の言葉。八坂様、そのまま離さないで下さい?どういう事だ。
しかも神奈子はその言葉通りに早苗の事を強く抱きしめたまま離そうとしない。
代わりにうずめていた顔を僅かばかり上げて、涙ぐんだ眼で早苗を見つめてきた。
「ごめんね、早苗…。早苗があんな事をするなんて夢にも思わなかった。でも、それだけ辛かったんだよね。
分かって上げられなくてごめんね。だから…今度は、もうこんな事が起きないように、私も、あんなつまらない事で鬱病なんかにならないように頑張るから…。
… 諏訪子と、私と、早苗で、また一緒にやり直そう。あの天狗たちに協力してもらって、新聞を通して守矢神社の悪評を幻想郷中にばら撒いてもらう。そうやって幻想郷の住人達から守矢神社という存在を抹消させるんだ。
でも、その前にやっぱり、三人で幻想郷のみんなに謝らないとね。その為にあの天狗たちを呼んだんだ。諏訪子だって冬眠から叩き起してやった。
あとは早苗を探し出すだけだったんだけど、丁度良かった」
「ちょッ…い、いきなり何を言ってるんですか神奈子様!?」
更にこの状況でいきなり神奈子が決心のついたような、けれども弱々しい表情でとんでもない事を言ってきたので早苗は混乱しつつも顔だけ二人の天狗に向き直る。
すると、もう片方の天狗、椛が何やら灰色の紙を懐から引っ張り出して、突き出してきた。
「…早苗さん。これを読んで下さい。先輩の書いた、号外記事なんですが…」
「いいや椛。読ませるために手を使わせて、逃げられたら困るわ。読み上げなさい」
「分かりました。早苗さん、そのままの状態でいいですから、聞いてください」
烏天狗とのやり取りの後に、椛は突き出していた新聞紙の表面を自身に向けると、こほんと咳払いをしてから、その内容を口にした。
「…………私が封印されていた妖怪の封印を霊夢を殺すために解いた? ど…、どういう事ですかっ!」
「…母代わりの主に抱かれたままでも尚、とぼけられますか。確かにこの結論は私の推測です。
ですが、髪飾りによる封印を施された妖怪を、わざわざ髪を切るのが仕事の美容室まで始めて、そこに呼び込んだ…
その上、その場に居合わせた妖怪と妖精、亡霊などの証言によると封印を切り落とす瞬間あなたは博麗霊夢の名を叫んでいる。
どう考えても、これらの事から考えられるのは─」
「違うっ!!」
思わず早苗は射命丸の言葉を遮り、否定した。
早苗を抱きしめる神奈子の力が強まる。
椛は思わず肩を震わせ、射命丸は冷めた目で早苗を睨んだ。
「違う…では、何が違うというのです? 言ってみて下さい。
貴方の言葉と、事実に何か矛盾が生じれば、もっと効果的な攻撃を加えられる記事が書ける。
私どもとしても、この山が危機に晒されるのは望んでいないのでね…早い所、この異変の二人の主役を潰しておきたいのです」
そう言って、射命丸はにやりと口元に笑みを浮かべると、胸ポケットからメモ用紙とペンを取り出した。
が、目は笑っていない。
早苗は神奈子に拘束されたまま、そんな射命丸の瞳に恐怖しているのを感じつつも、彼女を睨み返した。
「…確かに私はこの異変を引き起こした張本人になるのかもしれません。
でも私は、霊夢を殺そうとして封印を解いた訳じゃない、いや、そもそも、あんな凶悪な力を封印するためのものだとさえ思っていなかった!」
「ほう。では、何だと思った?」
「私がこれからの生計を立て直すべくあそこでバイトを始める直前に、そのバイトを巡って霊夢と喧嘩…というよりは、あっちが襲い掛かってきたのですけれども。
それが原因で、霊夢が私の客の髪の毛に、散髪に邪魔になるような呪いとも思える、解けない札を、私への嫌がらせのために縛り付けてきたと思ったんです。…札、霊夢の札と似たような配色だったし。
…だから…霊夢の嫌がらせに負けまいと思って…能力の力を鋏に込めて…その、封印の札を」
「……彼女の名を叫んだのも、それで?」
「はい」
「………」
「文さん…」
早苗は自分の記憶にある真実を全て目の前の烏天狗に語った。
ペンを止めて、無言で考え込んでしまった射命丸に、隣の椛が心配そうに呟く。
…分かって、貰えるのだろうか。
早苗はこの異変が起きたのは、自分のせいではない、とは考えなかった。
でも、それでも決して自分で望んでこの異変を引き起こした訳ではない、という事だけは分かって欲しかった。
だから早苗はじっと射命丸を見つめたまま、心の中でそう願った。
……数分ほどたった後、やっと、射命丸が顔を上げて、何か言葉を発そうと口を開いた。
早苗も椛も、神奈子も、射命丸の言葉に耳を傾けようとして─、それを中断した。
「あなたたちは……食べられる、人類?」
渦巻くような瘴気がその場の全員を襲った。
気づけば居間の中心の炬燵の上に、─髪飾りを失った宵闇の妖怪が、両腕を開いて、立っていた。
「お二人とも! 話は後です、逃げますよ!」
そう言った射命丸が隣で硬直していた椛を引っ掴んで羽を広げ、早苗も抱きついたまま唖然としていた神奈子と共に転がるようにして炬燵から離れた。
開け放しの障子から天狗二人が飛び出し、神奈子を立ち上がらせた早苗もその後を追った。
一人残されたルーミアが、よどんだ瞳にその光景を見つめたまま至極ゆっくりと炬燵から降りた。
どんどん彼女たちの姿が遠ざかってゆく。
ルーミアは、開け放された障子を潜って、縁側に立つ。
「なんで、みんな、逃げるの? …食べられるの、嫌だから?」
無機質な声で疑問を呟きながら、ルーミアは自分から逃げてゆくモノたちに、黒い瘴気が溢れ出ている手のひらを向けた。
「させないよ」
「?!」
幼げな声が耳元で囁かれると同時に、早苗たちに向けていた腕に鈍く、しかし鋭い痛みが走る。
突然の痛みにルーミアはバランスを崩して縁側から落っこちた。
ルーミアはもう一方の腕を振り回し、黒い霧状のものを撒き散らして囁きかけてきた何者かを払い除ける。
払われた、やたら特徴的な帽子を被った自分と同じ金髪の少女が一歩、二歩と後退したが、それ以上さがる事はせずに、美しく発光する、赤と青の弾丸を飛ばして─…。
…あれは、何だっけか。
弾。弾。弾幕。…そうだ、弾幕…。
ぐるぐる回るルーミアの思考がその結論を出した瞬間、少女の放った弾幕に次々と被弾する。
避ける暇もなく、最後の一撃を腹部に貰い、ルーミアはよろよろと両膝を床についた。
「ふふん。この守矢神社新の神様、洩矢諏訪子様の超絶弾幕の味はどうよ。
神奈子の言ってた、早苗が解いちまった封印された妖怪ってのは未知の力を持ってるって言うから、ずっと炬燵の中で隙を窺っていたのさ。
…け、決して寝過ごして出遅れた訳じゃないんだからね!
とにかく、早苗たちがあんたから逃げるって言うなら、私があんたをここで足止めしてやるわ!」
いまいち決まらないが、炬燵の中から現れた洩矢諏訪子は縁側からひょいと飛び降りて、びしりとルーミアを指差して勇ましくそう叫んだ。
「すわこ」
「え? あ、うんそう諏訪子諏訪子。流石封印されてた妖怪、神たる私の名を真っ先に覚えてくれるとはね」
「るーみあちゃ…ん…ふういん…ようかい…? …あなたは……人類、…かみさま? 食べられるもの…さなえ、弾…弾幕…すわこ、すわこ、すわこ、食べられるもの、さなえすわこ」
「え、ちょ……な、何さ、いきなり…気味の悪い」
ぶつぶつと呟きながらルーミアは真っ赤な目で諏訪子を見つめた。
いきなり頭の中が真っ白になって、何も思い出せなくなってから、見て、聞いて、覚えた言葉がそれらのものだった。
何か、色々な分からないものが頭の中に入ってくると、勝手に意味を自己解釈して、自分の頭の中に出来上がっているそれぞれの近い意味同士に分けられたカテゴリーに分別する。
そしてその過程を、リアルタイムで口に出してしまうのが、昔の、まだこの世に産み落とされたばかりの頃のルーミアの癖だった。
…昔の、自分?
それは一体、なに?
昔から、の癖じゃない。
昔の、私は、なに?
今までの、私とは、違うの?
「違うの?」
「い、いや何が違うの?」
「違うの…違うの…私はるーみあ、あなたは食べられるすわこかみさま」
「…!?」
狂ったように呟き続けるルーミアが諏訪子を見つめたまま立ち上がった。
流石の諏訪子も身の危険を感じて、自分の周りに無数の赤と青の札による弾幕を出現させる。
対してルーミアも、両腕をまた広げ、どろどろとした黒い塊を複数、自分の身に纏わせるようにして生成した。
「くっらえぇ!!」
「……」
諏訪子の掛け声を合図に、周りを旋回していた赤と青の札が一斉にルーミア目掛けて発射された。
迫る無数の札を回避しながらルーミアも纏わせていた黒い塊を諏訪子へと飛ばす。
塊は、ルーミアから離れるや否や弾け飛び、その破片が綺麗な球状へと変化して、弾幕として諏訪子に襲い掛かった。
…ああ、この感覚。
こうやって、この弾幕で、敵と戦うんだっけ。
…なんで?
なんで、わざわざ、弾幕で戦うんだっけ?
…こうすれば…簡単に、やっつけられるのに。
「ぐうッ!?」
そう思った次の瞬間にルーミアは行動に出ていた。
赤と青の札を食らうのを恐れずに、諏訪子の元まで一直線に突っ込んでいったのだ。
予想だにしなかった体当たりを受け、よろめいた諏訪子の首を闇を纏った両手が掴む。
ぎぎぎ、と諏訪子の首が締め上げられ、苦しみに悶える諏訪子の弾幕である札が次々と力を失い床にはらりはらりと落ちてゆく。
「っあ゛…かっ、くぁあ゛!」
どんと腹に衝撃を加えられたルーミアが手を離して諏訪子から遠ざかる。
辛うじて諏訪子が、首を絞めてくるルーミアを蹴飛ばしたのだ。
「こ、この…!」
涙目になりつつ、左手で締められていた首を押さえる。
荒い息を吐きながら、諏訪子が右手を高々と振り上げた。
同時に、掲げられた右腕にいくつもの、鉄の輪が出現した。
「─神具! 「洩矢の鉄の輪」!!」
そう言うなり諏訪子は腕に通した輪を、右腕を勢い良く振るう事によってひゅんひゅんとルーミアへ飛ばしてきた。
…スペルカード。そんな言葉が、ルーミアの脳内に浮かび上がった。意味は─何だったか。
そして、風を切って襲い来る鉄の輪が赤い光へと変化する。
輪状の光が分裂し、輪を象った配列の弾幕へとその姿を変貌させ、複数の輪っか弾幕がルーミアをぐるりと囲んだ。
「我が神具の歯車に引き裂かれるが良い、下衆!!!」
幼く透き通った声は今やほとんど涙声だ。
それでも、彼女の操る弾幕は確実にルーミアを逃がさぬ完璧な配置だった。
配置は、完璧だった。
「夜符「ナイトバード」──」
ルーミアが、本能に身を任せただけだった。
ただ、それだけで─諏訪子の神具は力を失った。
ルーミアから噴出した、闇を纏ったその中で、緑に、青に光る弾幕が諏訪子の弾幕の配列を大きく崩したのだ。
「そんな」
呆然とその一部始終を見ていた一人の神は、あまりの驚きに、いつの間にか目の前に迫っていた黒い弾丸を回避する事が出来なかった。
「もうお終いだ…私たちは死ぬんだ…人々から忘れ去られたまま…」
豊穣の神、秋穣子は体育座りをしながら、生気のない表情で呟いた。
「むしろいっそ死にたい」
その姉の紅葉の神、秋静葉が同じく体育座りでそう返した。
彼女達の視線の先にはへし折られた木々に、穴だらけの地面。
先程、この山に侵入してきた、新聞にも取り上げられていた封印を解かれたという宵闇の妖怪の仕業だ。
その強大な力は神である彼女たちでも食い止める事は叶わなかった。
それどころか、その妖怪は神である彼女たちを喰らおうとしてきたのだ。
秋ではない為本来の力を発揮できなかった、という事もあるが、それでも種族としての圧倒的な差を逆転させたその妖怪に二人は恐れをなして退避。
結果がこれだ。妖怪は飢えていたのか、別の食物を探しに山を登っていった。
秋姉妹は自分達の不甲斐なさに失望し、打ちひしがれていた。
「まさか封印された妖怪って言うのがあんなに強いなんてね…封印されるのも分かるよ」
「なんであんなのを地底に閉じ込めないで地上に野放しにしておいたのよ…」
「地底って、地霊殿がどうのこうのってやつだっけ? なんか早苗が霊夢に武勇伝を聞かされたとかで言ってたけど」
「そうだよ早苗だよぉ。何であの子はあんな恐ろしいもんを解き放ったのよ…」
静葉があああ、と声をあげながら抱えた膝に顔をうずめる。
姉の背中をさすってやりながら、穣子はふと前方に何か二つの浮遊物体がこちらへ向かってきているのに気づいた。
目を凝らしてよく見てみると…それは、時折山を訪れる、霊夢と魔理沙の二人組。
向こうも負のオーラを放ちながら体育座りしている姉妹に気がついたようで、僅かに方向転換して、二人の下へと飛んできて、でこぼこした地面に降り立った。
「ああ、博麗と白黒じゃない。どうしたのよ、二人揃って」
「この惨状は? ルーミアが…宵闇の妖怪がやったの?」
「私のあいさつはスルーですか、そうですか。馬鹿にしやがって。
どうせ私たちは妖怪に負ける、力もない信仰もない情けない神様ですよーだ…そーですよ、そいつの仕業ですよ」
自棄になった穣子が投げやりな言葉を返すと、やっぱり、と言ったような表情で二人は顔を見合わせた。
「なあ、そいつはそれから、どこに向かった?」
「……上」
魔理沙の問いに黙っていた静葉がぼそりと呟いた。
それを聞いた二人は再び宙に浮かぶ。
「まさか早苗んとこか…? それとも単純に、気まぐれで上を目指してみただけか…」
「どっちでもいいわ。早く追いかけるわよ!」
「おうよ! 飛ばすぜ! ああ、そうだ。教えてくれてサンキューな、えーと…何とか姉妹!」
そう残して、霊夢と魔理沙は山肌に沿うようにして飛んでいった。
…何とか姉妹ってなんだよ。覚えとけよ。
穣子はそう心の中で毒づいた。
しかし、残念ながら、これももはや慣れた事だった。信仰も知名度もない二人にとってはよくある話だ。
何だか馬鹿馬鹿しくなって、穣子は体育座りをやめて両足を投げ出した。
「全くあの二人、一体何しに行くんだか。もしかしてあの化け物を退治するつもりかなぁ」
「霊夢と魔理沙っていうと、あっちの方じゃよく異変の解決してるらしいわよ」
「うっわ…じゃあ本気ですか。でもいくら異変を解決してたってどうせスペルカードルール上で落とし前をつけてやってるだけでしょ。
あんな常識を知らない怪物に挑んだら、絶対に死ぬって。二人とも人間でしょ?」
「……ねえ、穣子」
「ん…何?」
脈絡もなく、不意に姉に名前を呼ばれたので、穣子は相変わらず体育座りな姉に顔を向けた。
その小さな口から放たれた言葉は、あまりにも予想外なものだった。
「これってもしかして私たちの名を広めるチャンスじゃね?」
「は?」
「ここまで逃げれば大丈夫…でしょうか」
「多分ね」
部下の言葉に、射命丸は短く答えた。
どういう訳だかあの妖怪が追いかけてくる様子はないし、椛の言う通りだろう。
後ろを振り返ると、案の定神奈子と早苗が息を切らせていた。
それを見やり射命丸は近くに生えていた木の一番太い枝に腰掛け、先程のメモ用紙とペンを取り出した。
「で、早苗さん。先程の話の続きですが」
「あ…はい」
「確かにあなたの話は筋が通っていると言えば通っている。
私としては新聞の信頼がやや失われる事になるのであまり気は進みませんが、…いや、これは記者として確認もせず、自分の勝手な推測を載せてしまった私の責任ですね。
考えておきます。あの妖怪が鎮圧された後の新聞にあなたの言葉を記しておく事を」
「…ありがとうございます」
そう返す早苗の表情は一瞬のみ明るさを取り戻したものの、すぐに沈んでしまった。
…まあ、無理もない。知らなかったとはいえ、結局の所はあの化け物の封印を解いてしまったのは事実。
せめて、次の作る事になるであろう新聞を配る時に先程配った号外を誤りがあった為、という名目で回収しておくべきだろう。こればかりは自分で言った通り自分の責任だ。
かなり大きくなりそうな事件だったので、つい悪い癖が出てしまっていたのである。実際、大きくなっている。
大体朝から昼までにかけての時間で現場に直行し取材し僅かな文章ではあったとしても新聞を書き上げるなどいつもの自分には到底出来そうにない。
幸い妖怪の山、博麗神社、と配った所で山から飛んできた椛から神奈子の呼び出しの為の伝言を預かり守矢神社に戻ったため、まだ大した数を配った訳ではない。
なので、回収に時間は掛からないだろうし、幻想郷全土からの自分の評価が下がるという事でもない。恐らく早苗へのバッシングも少ないとは思われる。
と、そう早苗に教えてやっても彼女の表情が晴れる事はなかった。
「…さて、これからどうしましょうか?」
埒が明かないので無理にでも話を進める事にした。
射命丸の言葉に真っ先に反応を示したのはさっきから喋っていなかった神奈子だ。
何やら様子がおかしい。顔色が優れない─のは、元より、どこか焦っているように見えた。
「す、諏訪子」
「え?」
「諏訪子…神社に忘れてきた」
とんでもない事実を口にした神奈子に三人は絶句。
あの妖怪が自分たちを追いかけてこなかった訳だ。
全員が全員諏訪子の存在を忘れていた事の方がとんでもないが、とにかくそれは彼女の危機を示していた。
一応神だし、やられてはいないだろうが…聞く所によれば諏訪子はずっと炬燵の中で冬眠していたという。
そんな鈍った身体で、強大な力を解き放たれてしまった妖怪に太刀打ちできるのだろうか。
「と。とにかく。神社に戻って、洩矢様をお助けしなければならないんじゃあ?」
慌てふためく椛がそう言った。余計な事を…。
そう思った時には既に遅く、それに早苗と神奈子が強く頷いた。
「…しかし、それじゃあ一体何のためにここまで逃げてきたのか分かりませんよ?
もしも神社に戻る道中奴と出会ってしまったら? 神社までいけたとして、そこで待ち構えていたら? いいや、むしろそのどちらかの可能性が高い。
確かに八坂様、あなたは神だ。ですが鬱病でしょう。話によれば信仰も今は大してなく、本来の力の十分の一も発揮できない状態。まともに戦えるんですか?
確かに早苗さん、あなたは現人神だ。ですが所詮は人間、相手は破壊活動を繰り返している事から恐らくスペルカードルール制定前に封印された妖怪。殺されますよ?
椛は論外」
「先輩ひでえ!」
椛が射命丸の言葉に悲鳴をあげる。
早苗と神奈子は押し黙ってしまった。
そうそれで良い、命は大事にするものだ。
あの妖怪はきっと博麗霊夢や霧雨魔理沙がどうにかしてくれる。
その間我々はどこか安全な場所で身を潜め…。
「わ、私は─戦います」
─え?
目を丸くする射命丸を見つめ返す瞳の主は早苗だった。
話を聞いていなかったのか、と再び射命丸は彼女を諭そうと口を開きかけたが、早苗がその言葉を発する方が早かった。
「全部私のせいでこうなってしまったんです!
私があの子の封印を解かなければ、あの子自身だって…こんなの望んでいなかった!
だから、私が…私が止めなくちゃいけないんです!」
「! ………」
「早苗…」
「……」
…ああ、言われてしまったか。
早苗のその言葉に、神奈子も椛もすっかり同情してしまっている。同調、とも言える。
この様子じゃ…もう一度、私の意見を突き通すのは難しいですねぇ…。
………。
「…仕方ない。分かりました。戻りましょう、神社に。
まあまだ諏訪子さんが宵闇の妖怪に見つかって戦っている、って決まった訳じゃあないですしね…。
ええ、そうですとも、必ずしも物事が悪い方向に進む訳ではないのです、きっとそうだ」
半ば諦めた顔で、射命丸は三人にそう言った。
…こうなってしまってはもう何を言っても無駄だ。
射命丸の、記者としての経験がそう結論付けた。
紅魔館のフランドール嬢の撮影以来に感じた恐怖感がまだ拭いきれないが……仕方あるまい。
「あ、ありがとうございます!」
「さすがは天狗、話が分かる…助かるよ」
「そこに痺れる憧れるゥ!」
…まあ、いいか。
その三人の言葉で、不思議な事に射命丸はその気になってしまった。
守矢神社に到着するまで、そう手間は掛からなかった。
というのも、この場に来るまで、何者からの邪魔を一切受けなかったからだ。
以前この山を訪れた時は妖精は勿論、厄神や河童、天狗に突っかかって来られたものだが、今回はその様な様子はない。
どうもルーミアの襲来はこの山に住まう者達にとってかなりの衝撃だったらしい。
証拠に、山道のあちこちに気絶した妖精たちが転がっていて、厄神などに至っては何が起きたのか、頭から地面に突き刺さっていた。
…そして辿りついた、守矢神社の境内に降り立った霊夢と魔理沙はその場で展開されていた光景を見て、やっとこれが異変である事を実感せざるを得なかった。
「何よ、これ」
案の定、そこには宵闇の妖怪が居た。
それよりも、ルーミアの周辺の石畳の隙間から真っ黒な何かが溢れ出している事に霊夢の意識は向いた。
それはルーミアの立っている位置に近ければ近いほど、強く、濃く噴出している。
ルーミアの足元から噴出す闇の中に何か人影が横たわっていた。
…目を凝らして良く見てみると、その黒い霧の中に、八百万神の内の一人の姿が埋まっている。
そんなとんでもない状況に置かれた彼女はぴくりともしない。
霊夢は背中に冷たいものを感じた。
─突如として、闇の中で呆けていたルーミアの赤い目玉がぎょろりと二人の方を向いた。
その目から発せられる狂気と、それが一斉に自分たちに向けられたのとで、二人は同時に肩を震わせた。
「……………」
ルーミアはしばらく、二人を見つめたまま動かなかった。
霊夢と魔理沙は、動けなかった。
…数秒間の沈黙の後、不意にルーミアがにやりと笑みを浮かべた。
それはもう、本当に、本当に心の底から喜んでいるような表情で──。
ぐいと、足元に転がっている諏訪子の髪の毛を掴んで、彼女の身体を持ち上げ、二人に見せ付けるように掲げて見せた。
「かみさまって、食べられないみたいね」
ルーミアはそう言い放つなり、諏訪子の髪を離した。
どさりと小さな身体が闇の噴出す石畳の上に転がった。
「でも、あなたたちは、食べられそう。人間だから」
とんとルーミアが石畳を蹴った。
次の瞬間、霊夢の目の前に、金髪の少女が─。
「夢符「二重結界」ッ!!」
ルーミアの振るった爪が霊夢の喉を掻き切るよりも早く、霊夢の宣言したスペルが発動される。
名の通り、瞬間的に二重に張られた結界は見事ルーミアの攻撃を遮り、そして彼女をばちりと弾き飛ばした。
己が生み出した幾多の小さな闇の噴水の中へとどしゃりとルーミアが吹き飛ばされる。
起き上がろうとした矢先、その腹に魔理沙の発射したイリュージョンレーザーが捻り込まれた。
がはっと少量、血を吐いたルーミアがその場にくず折れる。
しかしそれで終わるはずがない。
血を滴らせるルーミアの口元が釣り上がっていたのに気づいた頃には、既に霊夢と魔理沙の足元の石畳が砕け散り、そこから他の石畳の隙間を伝い溜まらせていたのであろうルーミアの闇が噴出して来ていた。
このような使用方法をするからにはこれに当たれば少なくとも良い結果はもたらされないだろう。
霊夢は地を蹴り横へ跳び、魔理沙はその場から跳躍し、そのまま箒に飛び乗って飛行体勢へと入り牙のように襲い掛かってきた闇を回避した。
標的を失った闇はそのまま二人の元居た場所を切り裂くなり霧のように分散し消えていった。
「…やっぱり。こいつ、スペルカードルールの事、忘れてるわね」
「……これ、本当に死ぬ気で掛からないとやばいじゃないのか?」
闇の噴水の中で絶え間なく声のない不気味な笑みを浮かべ続ける少女を見やり、霊夢も魔理沙もそれらの事実に戸惑っていた。
確かに、強力。
しかしそれは、妖怪としての純粋な力だ。
それだけで言ってしまえば、彼女は、例えば紫やレミリアなどには及ばない程度の“強力”。
…しかし、今述べた二人のように、今のルーミアはスペルカードルールの事を覚えていない。
弾幕を行使せずに人間である自分たちを殺そうとしてくるあたりそうだろう。
ルール上の決闘で初めて妖怪と対等に渡り合ってきた霊夢と魔理沙にとって、その妖怪との戦闘は非常に危険なものとなる。
恐らく彼女と戦い、敗れたのであろう諏訪子も同様だ。
諏訪子はきっとあくまでも弾幕で勝負を挑んだのだろう。
そこを予想だにしない、ルールを無視した攻撃の数々に敗北を喫したという所か。
…そうして、神さえも打ち破ってしまうほどの危険性を持った彼女をここで止めなければ一体どうなるか。
その内彼女より強い妖怪によって鎮圧される事になるのだろうが、それまでに一体どれほどの被害が出るか。
うっかり里への侵入を許そうものなら、それこそ大量の死人が出る事になるだろう。
だからこそ、二人は逃げようとなど考えは起こさなかった。
「ったく、幽々子の奴…能力で殺ろうと思えば殺れただろうに、こんな危険なのを逃がしちゃって。
依頼人として、報酬は大量に出させてやらないとね」
「まあ、そいつは私と仲良く山分けと行こうじゃないか」
箒に跨ったまま、ミニ八卦路を懐から取り出した魔理沙がそう言った。
どこまでもがめつい友人にやれやれと首を振りながら、霊夢は紅白の札を構えた。
こちらがなかなか動き出さないのを良い事に闇の中でゆらりと立ち上がったルーミアに、二人は攻撃を再開した。
真っ赤な目を見開いたルーミアは、そんな二人を見ながらずっと笑っていた。
「─人間のくせに。おばかさんね」
静葉と穣子は霊夢たちを追って山を登っていた。
登っていたと言っても、勿論飛んで、だ。
霊夢たちがあの宵闇の妖怪を退治しに山にやってきたのはわかった。
だが今ここで彼女たちを追いかけるというのはその妖怪とまた会わなければならない事になる。
何故わざわざ彼女たちはそんな事をしようとしているのか。
静葉の目論見はこうだった。
あの妖怪の様子を見るに、彼女はスペルカードルールを知らない妖怪だ。
そんな妖怪に人間である霊夢たちが戦いを挑めば十中八九、ただではすまないだろう。
しかし妖怪の方も異変解決のエキスパート二人を同時に相手に回すとなれば彼女の方も満身創痍の状態に陥るはず。
そこを通りすがりの神である(という設定の)自分たちが霊夢たちの助けに入り、妖怪にとどめを刺して信仰並び知名度を荒稼ぎするのだ。
それを静葉が穣子に言ってみた所、流石は妹、姉の考えに共感できる部分が多々あったと見て、それは良い早速巫女たちを追いかけようと賛成してくれ、今こうして二人で先行した霊夢たちをほどほどの速度で追っているのだ。
あまりにも神らしかぬ考え方だが、このまま信仰されない日々が続けば、姉妹共々消滅の危機に晒されるのもそう遠くないのだ。
命が掛かっているのだ、いくら普段は大人しい静葉だろうとこんな血迷った考えを起こしてしまうのも無理はなかった。
「でもお姉ちゃん、本当にそんなに上手くいくかなぁ…私たち、一回負けてるんだよ? それはもう哀しいほど簡単に」
「きっと上手くいくわよ。霊夢たちだって伊達に異変の解決をして来た訳じゃあない…と、思うもの。
今頃は良い具合に宵闇の妖怪の力を削り取ってくれているわ」
「そうだよね! 上手くいくよね! うっわあテンション上がってきた」
「穣子は、有名になって信仰も集まったら、まず何がしたい?」
「んんとね、まず、信仰してくれた人たちを私とお姉ちゃんの力で喜ばせてあげるの!
あ、でもそれは秋にならないとちょっと難しいから、やっぱり最初は、お姉ちゃんと一緒に何か美味しいもの食べたいな!
例えば、鍋とか!」
「そうね、鍋かぁ…うふふふふ、ほんと夢のような話ね。
でももうすぐそれも夢じゃなくなるの、もう毎日鍋パーティ開いちゃるわうふふふ」
そんな会話を延々と続けている内に、いつの間にか二人は守矢神社に到着していた。
早速静葉と穣子は、一際大きな、葉の落ちた木の枝に身を隠して神社の様子を隠れ見る。
…居た。
境内の方で、あの宵闇の妖怪と、霊夢と魔理沙が戦っている。
見る限り、霊夢たちの方が敵を圧倒している。見た限りでは。
気になるのは、相手の妖怪が不気味な笑い声を上げ続けている事ぐらいだ。
「少し早く着きすぎたみたいね。ちょっと様子を見てましょうか」
「そうだね」
そう、静葉と穣子が交わした瞬間だった。
ずどんと鈍く大きな音が辺りに響き渡る。
境内からだ。
驚いて二人は見合わせていた顔を境内の方に向けると、いつの間にやら境内のど真ん中に、抉り取ったような、巨大な穴が開いていた。
そしてその穴の傍に、霊夢と魔理沙が倒れている。
魔理沙の高威力の魔砲ではないようだ。
では、何が起きたのか? …考えるまでもない、宵闇の妖怪の攻撃だろう。
あの不気味な笑いの原因はこれか。
一気に形勢逆転を図ろうとは。
…霊夢と魔理沙はぐったりと横たわったまま動く素振りを見せない。
けらけらと笑う宵闇の妖怪が静葉たちから見ても良く分かるほどに鋭く光る爪を振り上げ、彼女たちの元へ歩み寄っていく。
「……お、お姉ちゃん。不味くない? あれ……」
「…………」
穣子が心配そうな目を向けてくる。
静葉は、息を飲んで妖怪の歩みを見ている事しか出来なかった。
…このまま放って置けば人間である霊夢も魔理沙も無抵抗なまま殺されるのだろう。
だからといって、今ここで自分たちが出て行けば…確実に負ける。
妖怪は今の二人の力でどうこう出来るほど十分なダメージを負っていない。
勝てる訳がない。もちろん命は大事だ。
妖怪などに、神の命をくれてやる筋合いはない。
そして人間などのために、神の命をくれてやる筋合いもない。
頭の中では分かっていた。
あの妖怪が、信仰もなく、秋でもなく、力を失っている自分たちが敵う相手ではないという事ぐらい。
だというのに、身体の方はてんで駄目だ。
何故自分自身の言う事を聞けない──?
静葉は半ば混乱しつつも、身を隠していた木にわずかばかり残っていた葉の力を搾取し─自分自身の力へと、転じた。
「葉符──「狂いの落葉」ッ!!!」
初め、頭から何か重いものが取り払われた時、どういう訳だか酷く気持ちが良かった。
同時に、それより前の記憶が吹き飛んだようだったが、そんな事は気にならない程、とにかく気持ち良かったのだ。
その快楽は一瞬にして絶頂へと達し、どうも体中に有り余る力を撒き散らしながらその部屋を飛び出した。
…ルーミアちゃん、待って! …いやあああぁ、たすけてぇ!! …あの妖怪の封印が解かれる事になるなんて、どうしましょう…。
後ろで、色んな言葉が飛び交った。
自分も何か言葉を発してみようと思ったが、なかなか上手くいかなかったので、諦めた。
自分が空を飛ぶ事が出来るというのは、本能とも言うべきものか、外に飛び出て、青空を見上げた途端に理解した。
それがどうしようもなく嬉しくて、訳も分からず自分は青空へと飛び立った。
あちこち飛んでいる内に、今度は何やら急にお腹がすいた。
丁度良い事に、沢山の家が連なっているような場所の上空を飛んでいたので、降り立って、家の壁をはがして噛り付いた。
それが空腹である事も、自分が家の上を飛んでいる事も、何故だか理解していた。
もしかしたら吹き飛んだ記憶の中の部分部分が心の中にしつこくこびりついていたのかもしれない。
とにかく、口にしてみた壁はほんの少しだけ、自分の空腹を満たしてくれた。
この際味は気にしない。壁を噛み砕き飲み込む矢先、どんどん空腹感は募っていくのだから不思議なものだった。
そうしている内に、一枚の壁を丸々食いつくし、更にもう一枚、もう二枚と次々壁を破り、はがし、貪っていった。
と、そこにずかずかやってきた狐が、この白蟻妖怪め成敗してくれるそこになおれなどと叫んできたので、
「白蟻妖怪って何?」
そう聞いた。やっと、言葉の発し方を思い出した瞬間だった。
先とは違って狐の唇の動いている様を眺めながら言葉を発するのを見たのがきっかけとなったのか。
きっかけとなったその狐は答えず、代わりに目にも止まらぬ速度で何か光るものを私にぶつけてきた。
今考えてみると、それも弾幕だったのかもしれない。
その時は何をされたのかも良く分からず、その場から逃げ出した私は、また空を飛んでいた。
今度は、大きな山があったので、食べ物にありつく為に、賑やかな様子を見せるその山へと向かい─…。
ルーミアは、この日の出来事を思い出しながら、同時に次々と言葉を、力を思い出しながら、ついに今日初めてまともな食事にありつける事を心の底から喜んだ。
目の前に転がる人間二人。
…かみさまと同じように弾幕で攻撃をして来たけれど、ついさっき、何となく思い出した感覚を掴んだ途端、真っ黒な何かが目の前で爆発して、人間たちを吹き飛ばした。
これが私の力なのかな?
だとしたら、凄いなあ。
何だか凄く疲れちゃったけど、こんな凄い力が使えるんだもの。別にいっか。
…でも今はそれよりご飯だよね。
ああ、色々あったから、とってもお腹すいたなあ。
美味しそうなお肉。
材木なんかより、やっぱり人間だよね。
……それじゃあ早速。
いただきまあす。
「葉符──「狂いの落葉」ッ!!!」
「!!?」
目の前のご馳走に爪を立てようとした瞬間、あらぬ方向からルーミアに弾幕が襲い掛かった。
落ち葉を模したような弾幕が次々とルーミアに直撃し、よろりとバランスを崩してその場に尻餅をついてしまった。
「行くわよ、穣子!!」
「ちょっ、お姉ちゃん!?」
紅葉のようなスカートの裾をなびかせルーミアの目の前にルーミアの食事を妨害した少女が着地する。
慌てたようにそれを追って、もう一人、良く似た顔立ちをした、葡萄のついた帽子を被った少女が現れた。
「だあれ、あなたたち。この人間のお友達?」
「ふん、もう忘れたのかい? まあ仕方ないわよね、無知で横暴な妖怪だものね。
私の名は秋静葉! 紅葉を司る、季節外れで信仰も知名度も力も無い哀れな神様! そしてこっちが妹の豊穣を司る神、秋穣子よ!
あんたをやっつけて一儲けしようと思っていたけれど、そこで転がっているお友達があまりにも不甲斐ないせいで一生哀れな神のままだわ!
ねぇ、穣子! こいつら、後で落ち葉攻めにしてシバきましょう!!」
「はえ!? あ、ああうんそうだねお姉ちゃん、でも秋になったらね」
…どういう訳かそのかみさまは怒っているようだった。
……何でだろう?
分からない。
「何でかみさまの、しずはとみのりこが怒る必要があるの?
ご飯の邪魔されて、怒りたいのはこっちなのに…。
ねえ、かみさまは食べられないの。
だからあなたたちは食べないよ。
でも、代わりに怒ってもいい?」
「相手の名前をちゃんと覚えるのには感心ね。
でも私はあんたの名前は覚えてあげない。
そんな余裕、多分ないもの」
「………」
肝心の話を無視してずけずけとものを言う静葉とやらにいささかルーミアは怒りを覚えていた。
その少女の後ろで穣子が不安そうな目でルーミアと静葉を見比べているが、もう関係ない。
…あいつらをやっつけなくちゃ。
そうしなくちゃ、人間を食べられない。
かみさまなんて、簡単にやっつけられる。
すわこかみさまをやっつけた時みたいに、戦えばいいんだ。
「闇符…「ディマーケイション」 」
ずばばばばばばばばっ!
そう宣言すると同時に、ルーミアを中心として緑と、赤の弾幕が噴出した。
更に、ルーミアを取り巻く闇の噴水が途端にルーミアを囲う壁のような形状へと変化し、更にその闇の壁から真っ黒な弾幕が吐き出される。
緑と、赤と、黒の弾幕が波打ち、秋姉妹へと襲い掛かる。
それだけで終わらせる訳もない。ルーミアはそのまま両腕を突き出して、そこから闇を纏った青白い弾幕を連射した。
それは先に撃った三色の弾幕のどれよりも速く、青の弾幕は秋姉妹の行く手を塞ぐ弾幕の波を突き破り、波状の陣形を描いて彼女らに迫った。
「…ルールは忘れても、スペルは使うのね。
でもね、そんな卑怯な攻撃で神を破れると思わない方がいいわよ! やっちまいな穣子!!」
「お、お姉ちゃんテンションがさっきから変だよ…?
まあ…確かに、妖怪の癖に、あなたちょっと調子に乗りすぎだよね!
─秋符「オータムスカイ」!」
妹の方が叫び、両手をかざすと同時にそこから円状に並んだ弾幕が放出された。
弾幕の円盤が姉妹を囲むルーミアの弾幕を相殺し、配置の崩れた弾幕の隙間を縫って静葉の落ち葉弾幕が迫り来る。
…かみさまの弱々しい悪あがきだね。
口ではあんな強がっているけれど、本当はいっぱいいっぱいに違いない。
─かみさまなんて、簡単にやっつけられるんだ。
向かってくる弾幕目掛け、ルーミアは黒に包まれた右腕を突き出し、そして闇で生成した巨大な弾丸を撃ち込んだ。
弾は次々に秋姉妹の弾幕を蹴散らし、最後には二人の弾幕の深部まで切り込んだ所で破裂し、闇をぶちまけた。
…撒き散らされた黒を浴びた二人のかみさまは、すわこかみさまをやっつけた時と同じようにして悲鳴を上げた。
弾幕が止んだ。
さあ、これで、終わりにしてあげる。
今まで放っていた弾幕を止めて、ルーミアは代わりに、先程人間たちへと放った一撃を神たちへのとどめとして見舞おうと考えた。
食べられもしない、生意気な奴等が自分の力でばらばらに吹き飛ぶのだと考えると笑いがこみ上げてきて仕方が無い。
…そうして、かみさまをやっつけたら、今度こそご飯にしよう。
舌なめずりをして、ルーミアは心を躍らせながら自分の力から何とか脱出したばかりの姉妹を見た。
どちらも、荒い息遣いをしながらルーミアを睨みつけてくる。
…あの様子じゃあ、逃げられないよね。
そう悟ったルーミアはついに、あの時、人間たちを吹き飛ばした時と同じようにして、両手を掲げ─。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
人間でも、かみさまのものでもない、何者かの声が後ろから響いた。
何事かと振り向いたまさにその瞬間、白銀の太刀がルーミアの身体を貫いた。
…………何で。
きつねも、すわこも、しずはも、みのりこも、…そして、こいつも。
何で、みんな、いつも、私の邪魔ばかりするの…?
封印を解かれた事で敵がスペルカードルール制定前の記憶を持つ妖怪へと変わってしまっているのならば、その妖怪の記憶に残っている戦闘方法で相手をするのが一番。
つまりルールを完全に無視した上での戦いを挑むのだ。
ここに来るまでに、上司と守矢神社の神と巫女たちとでそう決めあった。
…文先輩曰く、「博麗の巫女とスキマ妖怪にバレなければ良い」との事。
自称真実を報道する新聞記者の癖に何を、と思ったが、椛自身その作戦で行く方が良いと思っていた。
いくら規定通りの決闘法で勝負を挑んでも、相手がその決闘のルールを知らなければそれは成り立たない。
ルールを守って戦っても、相手がルールを破った攻撃を加えてくれば負けるに決まっている。
ならば、相手の知っている遊びで勝負を挑んでやるのに尽きる。
…だから、私はそいつを殺す勢いで剣を突き刺した。
「ぁぁぁあああああああああああッッッ!!!!」
「ぐぅっ…!!」
境内に辿り付くなり先陣を切って全力疾走で特攻を仕掛けた椛の一撃は、封印されていたという妖怪に予想以上の結果をもたらした。
痛みのあまり悲鳴を上げた宵闇の妖怪の蹴りを腹に受け、妖怪に太刀を突き刺したまま吹き飛ばされてしまったものの、それは妖怪にとって深刻なダメージとなった何よりの証拠となった。
「良くやったわね、偉いわよ、椛っ!」
「!!?」
場違いにも椛への労いの言葉を叫びながら射命丸が疾風の如く宵闇の妖怪の背後に現れた。
ずどんと鈍い音と共に宵闇の妖怪が吹き飛んだ。
腹に太刀を突き込まれ、続けて零距離からの弾幕に流石の奴も耐え切れなかったと見える。
真っ赤な血と、真っ黒な闇をばら撒きながら地面に倒れ伏せると同時に何やら石畳の隙間から溢れていた黒い霧が大きく揺らぐ。
霧と霧の間に垣間見えたものとは、他でもない洩矢諏訪子の姿だった。
「八坂様! あそこに、今っ! 洩矢様が!」
椛は叫んだが、既にそれよりも早く神奈子と早苗はその場へと直行していた。
…よし、洩矢様の事はあの二人に頼もう。
出来ればどちらか一人はこちらに回して欲しいものだが、二人にとって洩矢様は家族の一員だし、無事かどうかを確かめずに戦わせる方が無理というもの。
それに冬眠していたとはいえ彼女も神だ。死んでいるなんて事はない、と思うが…。
…それよりも今は戦闘のほうに集中しなければ。
洩矢さんを発見したのだから、後はあの妖怪を叩くだけ…。
その内二人とも戻ってきてくれるだろうし、勝ち目は十分にある、と思いたい。
武器はまだ妖怪に突き刺さったままだ。私は弾幕で文先輩のサポートに…。
「あの…すいませーん」
「うぇ!?」
思考中に突然後ろから声が掛かったので、心底驚いて振り返ると、息も絶え絶え、立つのもやっとに見える少女たち──否、二人の神が立っていた。
「……秋、静葉さんと穣子さん?」
「素晴らしい、感動したわ。…まあ、今はそれは置いておいて…ありがとうね助けてくれて」
「えっ? 助けたって…? ええ、と…もしかして、今まで、あの妖怪に襲われて…?」
「いいわよもう…どうせみんな秋でもないのに命がけで私たちが博麗の巫女たちを護ってる所なんて見てくれちゃいなかったのよ…哀しいわ、穣子…」
「そうだね、お姉ちゃん…」
「い、いや! 見てました! 見てましたとも、お二人の勇姿! 素晴らしかったです!」
「「ですよねー!!!」」
ここで見ていなかったなどと答えたら二人して首でも吊りかねない勢いだったので慌てて椛はそう答えた。
目を輝かせながらハモる姉妹に椛は場違いにもあっ、なんか可愛いちょっと悔しい、などと思ったが本当に場違いな上にそんな事を言える身分でもないのですぐにその言葉を胸の内に押し留めた。
それに早く先輩に加勢しなければ、持ち前の速度で手負いの敵を圧倒しているようだが、なかなか決定打を与えられていない。
彼女の放つ弾幕を、宵闇の妖怪は腹に椛の太刀を引っ提げたままにも関わらず博麗の巫女の如く回避テクニックを披露し、巧みに避けているのだ。
なので、命がけで戦っていたというこの二人にも加勢を頼もうとして、やっと気づいた。
…この二人、さっきなんと言っていた?
………博麗の巫女たち、だって?
「もしかして…霊夢さんが来てるんですか?」
「そうよ、白黒の魔法使いも一緒ね。
でもやっぱり人間だからねぇ…、相手は神な私たちを悶絶させる程の力を持った妖怪よ、結局気絶させられてあそこに転がってるわ」
そう言って静葉が指差した方向を向いてみると、なるほど確かに宵闇の妖怪の仕業であろう石畳の隙間から溢れ出す闇の霧の後ろに二人の人間と、その脇に抉られたような穴が隠れていた。
「幸い、あの黒い霧はあいつらに掛かっちゃいないし、今のあなたたちの攻撃のおかげであの妖怪を割とあそこから離れさせたし、放っといて大丈夫だと思うわ。
人間だけれども、気絶してるだけだし、異変解決のエキスパートだし」
「やはりあの黒い霧は人体に影響を?」
「人体のみならず神体にもね。私たちもそれにやられて、もう戦えな」
「っぐあああああぁぁ!!」
「いぃっ!?」
穣子の言葉を遮って、爆音と共に勢い良く烏天狗が三人の元へと吹き飛ばされてきた。
驚きに秋姉妹は顔を見合わせ、そして椛はすぐさま飛ばされてきた射命丸に屈み込む。
「先輩! 文先輩! 大丈夫ですか!? 先輩!!」
「う、うう…ぐ……ゆ、…油断、した…わ…」
…かなり強烈な一撃を見舞われたらしい。
椛が彼女を抱き起こしたが、途切れ途切れにそんな言葉を紡ぐだけで、彼女をそれ以上起き上がらせる事は叶わなかった。
「…お姉ちゃん、い、今の音って…」
「……霊夢と魔理沙を一発でのした力…かしら」
そう呟いた二人の言葉に椛は射命丸を抱いたまま姉妹を見上げる。
…巫女と魔法使いを一発で? そんなものを文先輩に?
焦る椛を見下ろす彼女たちの顔には確かな恐怖の色が窺えた。
「…もう戦えない…なんて言ってる場合じゃないわね、穣子」
敵を一人撃墜した事に喜んでいるのか、血を滴らせながらけらけら笑う妖怪は、ずぶりと腹に突き刺さっていた椛の太刀を引き抜いた。
びちゃびちゃと赤と黒が落ちる不快な音が響く。
そして開いた大きな傷口をじゅくじゅくと闇が蠢くようにして塞ぎ始める。
静葉はそんな化け物を見ながらも、何か決意に満ちたような声でそう言った。
「……そう…だよね。やっぱり…もう逃げられないんだよね」
穣子が、静かに返した。
…そう、もう逃げられないのだ。
博麗も白黒も文先輩もやられた。
頼りになる者達が次々と離脱していくこの境内で、果たして止まる事を知らないあの妖怪を止める事が出来るのだろうか。
「…止めないと、いけないんだ」
椛は一人そう呟いて、抱いていた射命丸を静かにその場に横たわらせる。
そして、すくりと立ち上がり──…守矢神社をバックに、血塗れで笑う宵闇の妖怪を見据えた。
「行くぞ…魔物め。例えどんなに強大でも、強力でも! 私は、お前を止める!!」
そう叫び、椛は石畳を蹴って、宵闇の妖怪目掛け走り出した。
「へーぇ…そうなのかー…
……止められるかな?」
赤く染まった髪の下に隠れた赤い瞳が、ぎょろりと三人に向いた。
結論から言うと、諏訪子は生きていた。
神奈子と早苗に抱き起こされた時、やっと暗い闇の中から開放され、目を覚ましたのだった。
「か…神奈子…早苗…」
「諏訪子!!」
「諏訪子様…!」
なんとか二人の名前を搾り出した瞬間、二人とも泣きながら諏訪子の事を抱き締めてきた。
…私はそんなに心配をかけていたのか。
信仰もなく、神奈子に冬眠から叩きこされた直後でろくに力も発揮できない身体で、封印される程の妖怪に不用意にも勝負を仕掛けた自分がどうしようもなく愚かに感じられた。
「諏訪子、立てるかい?」
涙目の神奈子がそう問いかけてきたので、もちろんさ私を誰だと思っているお前の永遠のライバル兼人間たちの永遠のアイドル諏訪子様だよ、とちょっとした軽口を叩こうとしたが、胸の辺りが締め付けられるように苦しくなって声が出ない。
それに、動くと全身が火で炙られているかのように痛むので、結局何も言わなかった。
神奈子と早苗が諏訪子の両肩を持ち、闇の充満する境内より離れた所へと運び始める。
その行動と、闇がまだ残っている事からあの妖怪がここに存在している事は間違いない。
そしてこの二人は、わざわざこの場所へと戻ってきて、せっかく私が死にかけてまで足止めしてやったあの化け物と戦うつもりでいるのだ。
「何か、…策はあるの?」
神社の離れの大きな木の傍に寝かせられた諏訪子は屈みこんでいる二人にそう問いかけた。
…何で戻ってきた、など野暮な事は聞かない。
私の愛する家族は、あの妖怪を打ち倒す為に戻ってきたのだ。
そして二人のその決意を今の私が、いや、普段の私であろうと、揺るがす事さえ出来はしない。
だから諏訪子は弾幕で撃たれた肺が苦しくて仕方が無くても、ただ一つ、それだけ聞いた。
力を失っていようとも、神を昏倒させる程の力を持つあの妖怪は無策で倒せるほど甘くはない。
その為、これだけは聞いておかなければなるまいと諏訪子は考えた。
もしも二人とも無策であろうものなら、例え死んでもこの二人をこの場から逃れさせようと思っていた。
だが、どうやらその必要は無かったらしい。
神奈子も早苗も、諏訪子の目を真っ直ぐに見つめて、首を縦に振ってくれたのだ。
「心配無用さ、諏訪子」
「集団で、スペルカードルール無視…それが私たちの作戦です」
果たしてそれは作戦と言えるものなのか。
一瞬そんな疑問が脳裏を掠めたが、よくよく考えてみれば人間以外は必然的に力を制限されるスペルカード戦のルールを無視する事によって、確かにかなりの効果をもたらす事になるだろう。
…だが、現在信仰を失っている状態にある神奈子にはあまり意味が無い。
信仰を失うと、神としての力は発揮できない。
「言いたい事は分かるよ、私にとっちゃあスペルカードルール無視なんて意味は無い、けど…」
「先程集団、と申しましたように、他にも協力していただける方たちが居ます」
「ああ。だから心配する事は無いさ、諏訪子。お前はここで休んでるといい。大丈夫さ、私と早苗と、他の仲間と一緒に、あの化け物を懲らしめてきてやる」
「すぐに戻ります、諏訪子様」
口々にそうまくし立てる様に言って、神奈子と早苗は諏訪子に背を向け戦地へ赴いていった。
…全く…私の返事も聞かずに。
まあ、いいや。
頑張ってくれよ、二人とも……。
…思い返せば、この短い間に色々な事があった。
今考えると馬鹿馬鹿しい理由で鬱病になっていた私だが、鬼気迫るような顔で部屋の中に不法侵入してきたあの烏天狗が居なければ私は今ここでこうして早苗と共に戦場へには向かっていなかった。
天狗に見せ付けられた新聞を読んで鬱病に更に拍車が掛かりそうになったものだが、天狗の強い一押しで早苗を説得するべく私は部屋の外に出る事にした。
天狗に言われるまま神社に戻ってきた早苗を捕まえていた私だが、早苗の心中をこの耳で聞いた時、本当に私は涙が溢れ出そうになった。
早苗の言う事を、信じよう。
そう心の中で強く願った後で、烏天狗のほうも納得してくれたみたいで、新聞記事を書き直してくれると言ってくれた時、またもや泣きそうになった。
たった今、諏訪子の無事を確認できた時にはとうとう早苗と一緒に泣き出してしまった。
全く柄にも無い。恥ずかしい事だ。
でも、おかげさまで、もう鬱病なんて言葉は私の脳内から吹き飛んでくれた。
私にはこんなにも素晴らしい家族が居るのだ。
何が鬱病だ。こんなに贅沢な事はあるまい。
そしてその素朴な贅沢を守る為に私と早苗はとうとう境内の入り口へと舞い降りた。
そこにはあの烏天狗の部下が血塗れの剣を振り回す妖怪からうまく立ち回り攻撃を回避しながら弾幕をばら撒き、いつの間にかやって来ていた紅葉と豊穣の神の姉妹がそれの援護射撃をしていた。
既に烏天狗は妖怪にやられたのかそこから少しはなれた場所に横たわっていて、それよりも更に離れた場所には巫女と魔法使いが仲良く倒れていた。
「さ、行こうか。…早苗!」
「分かりました!」
神奈子の言葉に覇気のある声で早苗が返事した。
にっと早苗に笑いかけてやると、早苗もまた笑顔で返してきてくれた。
力を失った神々とそれに仕える人間。そして協力者の天狗の五人で、封印されし妖怪にどこまで太刀打ちできるのか?
いいや、違う。
─倒すのさ!
ぎゅんと振り回した剣が椛を薙ぎ払い、姉妹の援護弾幕も一気に打ち消され、妖怪の周りに何も無くなる。
そこを突いて、神奈子と早苗の弾幕を滑り込ませ、持っている剣と同様に血塗れの妖怪を吹き飛ばした。
「八坂様、早苗さん! 洩矢様は無事でしたか!?」
「ああ、死にかけていたが、ばっちり生きていたよ!」
椛の問いににやりとはにかんでそう返すと、彼女の表情が安堵の色を見せる。
だがもちろん、今は安堵などしている場合ではない事を自覚しているらしく、すぐに緊張した面持ちに戻って吹き飛ばした宵闇の妖怪の方を向く。
妖怪は早くも剣を支えに立ち上がり、こちらを見て不気味に笑い続けていた。
「……武器を奪われてしまいましてね。腹に突き刺してやったのですが…本当に化け物ですよ、あれは」
「だろうね。でなきゃあ封印なんてされやしないさ」
「…ごめんなさい」
「謝らなくていいさ、早苗。元を辿れば私のせいなんだからね」
「でも」、と抗議しようとした早苗を手で制して、神奈子はもう片方の腕を妖怪へと伸ばした。
標的を定め、神奈子は叫んだ。
「神祭! 「エクスパンデッド・オンバシラ」!!」
スペルカードルール無視が作戦とはいえ、スペルを全く使わないという訳ではない。
弾幕を、スペルを織り交ぜ、どんな手を使ってでもあの妖怪を倒さねばならないのだ。
そして神奈子のスペルの力が発揮される。
立ち上がったばかりの妖怪の両脇を幾多の太い光線で挟み逃げ場を奪う。
そこに、何十何百と連ねた札を、妖怪目掛けて一直線に弾幕として放った。
「──月符「ムーンライトレイ」」
対して妖怪の方もスペルカード宣言。
勿論ルールなど覚えてはいないだろう。
だとすれば、条件反射か、本能か、はたまたうっすら思い出してきているのか。
何にせよ、そのスペルカードの効力に神奈子も早苗も驚きを隠す事は出来なかった。
妖怪から放たれた青白い二つの光線が、一挙に全ての神奈子の札を焼き払う。
そしてそれだけに留まらず、青白い月の光は神奈子の身体を貫いた。
「──がああっ!」
「神奈子様!!」
神奈子はそれ以上弾幕を維持する事を諦め、喉の奥から湧いて出てきた血を吐き出した。
よろめいて、倒れそうになった所を早苗に支えられ、何とか堪える。
…不味い。思ったよりも消耗が激しい。
妖怪の攻撃一つでこれ程とは…、こちらの世界へやってくる前の事を思い出すな。全く、懐かしい。
と、そこに後ろからぽんと肩を叩かれる。
振り向くと静葉が居た。
「八坂さん、無理は良くないよ。もう早苗と一緒に退いときなさい」
「…静葉」
「もうねー、あなたたちがここに来た時はほんと驚いたもんだけど、もう読めたよ。
早苗を使ってあの妖怪を仕向けて、退治して名声を轟かせようって作戦なんでしょう。
なかなか奇抜な信仰集めに出たみたいだけど、そううまくはいかせないよ。
あれは私たちの獲物なんだから、あなたたちは後ろに引っ込んで大人しくしてなさい」
そう言うと、静葉は既に椛と穣子が応戦している妖怪の元へと飛んでいった。
一瞬神奈子は静葉の言葉の意味を理解しかねたが、すぐに「ああ」、と納得して、心配そうな早苗をよそに頬を緩ませた。
元々信仰の少ない秋姉妹は一時期信仰を得ていた守矢神社を妬んでいる所があった。
しかし静葉はそれにも拘らず、攻撃を受けた神奈子の身を案じて、身を引いた方が良い、と言うような言葉を言ってくれたのだ。
…つまり、静葉は隠れツンデレだったのである。
全くあの娘ときたら…なかなか可愛い一面を持っているじゃないか。
それが世間に露見すれば信仰などその手のものが好きな者たちによってあっという間に集まる事だろうに。
どくどく血が流れ出しているというのに、隣で早苗が本気で心配そうな顔で見上げているというのに、神奈子はそんな事ばかり考えていた。
そう、神奈子は、今まで鬱という名の栓に押し込められていた感情が、栓が抜けた事によって一気に爆発し、軽い躁病へと陥っていた。
「か、神奈子様!? 何故笑っているんです! しっかりしてください!!」
「え? ああ、しっかりしてるさ。勿論このまま引き下がる訳には行かないよ」
「しかし、その傷では…今も意識が変な所に飛んでいたでしょう」
「なあに、私は神だ。これしきの事、なんてこたあないさ」
そう言って、神奈子は早苗の頭をくしゃりと撫でてやる。
「こんな時に、何を…」
「いいじゃあないか。さあ、そろそろ攻撃の再開だ。
天狗と秋の姉妹っ子たちが上手く立ち回って、あの妖怪を足止めしてくれている。
私らも早い所援護してやらないとねえ…!」
早苗の頭から手を退けて、神奈子は力強くそう言い放った。
いつもの神奈子の姿にようやく安心したのか、早苗は優しく頷いた。
「無理だけはしないで下さいよ」
「早苗に心配される時が来るとはねぇ…分かってるさ、たとえこの身滅びようとも、あいつは倒してやる!」
分かっていないじゃないですか、と落胆したような表情で首を振りながら早苗が周囲に弾幕を出現させる。
気にせず神奈子も弾幕を生成し、標的を見据えた。
─さあ、法無き戦いの始まりだ。
…何故か妖怪は、突然狂ったように笑い出した。
…私は戦っている。
無力な神々と、無力な天狗と、無力な人間どもと。
よくもまあこんなにも集まったものだ。
暴れまわったのはこの山の中だけなのだし、こいつらの内の大半はこの山の住人だろう。
そいつらと、今私は戦っている。
私は人間を喰う為に戦っている。
奴らは私に人間を食わせぬ為に戦っている。
何で別の種族の人間のために、貧弱で役に立たない人間の為に神が天狗が立ち向かってくるのか。
どうにも解せない。
昔もそうだった。
私が人間を喰っていたら、私と同じ妖怪が歯向かってきた。
そいつに何故、自分と同じ人間を喰らう妖怪の癖に邪魔をするのか問い質した。
私と同じ金髪の大妖怪は、私は人間を食べないから、と言った。
何故喰わないのか、と聞いたら、そいつは人間は友達だから、などと抜かした。
そうか。
こいつらも同じか。
人間が友達の、奇妙な存在だったのだ。
─ああ懐かしい。
きっと、私は今、あの大妖怪と同じ主張をするのであろう人ならぬ者どもと戦っているのだ。
そう、懐かしいのだ。
ついに私は全てを思い出したのだ。
人間に、紅白の巫女に封印と言う屈辱的な戒めを受け、この意識封ぜられし時の記憶を。
他ならぬ人間に、緑色の巫女に封印を解かれ、思い出すことが出来たのだ。
だから復讐する。喰ってやる。そろそろ空腹も限界だ。喰ってやる。復讐だ。腹が減った。減った。お腹が空いた。
何で神様は食べられないの?
人間を喰う事が従来の妖怪の本職だからだ。
馬鹿め。私はそこまで落ちていたか。
ならば喰ってやる。昔の私が、平和ぼけした今の私を喰ってやる。私が今の私になってやる。
人間じゃなきゃ喰われない?
馬鹿め。高を括っていられるのも今の内だ。
人間も天狗も神も私も喰ってやる。
喰ってやる。喰ってやる。喰ってやる。
ああ懐かしい。
私は喰う為に戦うのだ。撃つのだ。撃たれるのだ。斬るのだ。斬られるのだ。殺すのだ。
昔と一つも変わりはしない。
だから私は思い出したのだ。
私のルーツの全ては戦う事に、喰う事にあった。
そしてこれからも戦う事を、喰う事を私の存在意義としてゆく。
だから。
「さあ雑魚どもめ。これからの私の、糧となるが良い…!
─あははははあははははははあははっ!!」
「!!?」
先程とは一転し、突如として狂気染みた笑声を上げたルーミアにたじろいだ穣子に辺りを漂う黒い霧が爪のように変貌し、穣子を斬り付ける。
背後から至近距離で弾幕で狙い撃とうとしてきた静葉の額に振り向きざまに剣の柄を叩き付け、身体を捻りながら回し蹴りを右肩に食らわせる。
よろめき、完全に無防備になった静葉に剣を突き立てようとしたが、剣を握り締めていた右腕に焼ける様な痛みが走った。
確か烏が言っていた。その天狗の名前は椛だったか。
その椛は、静葉に突き立てようとした剣の代わりに、鋭い爪をルーミアの二の腕に突き立てていた。
「だああっ!!」
そのまま椛はルーミアの腕を切り裂いて、もう一方の手を振り上げ、至近距離から、たった今つけたルーミアの腕の傷口に弾幕を捻り込んだ。
「っァァぁあああああアあぁァ!!!」
想像を絶する激痛に思わずルーミアは悲鳴を上げ、持っていた剣を取り落としてしまった。
どんっと今度は前方からの落ち葉の弾幕の直撃に激しく倒れ込んだ隙を突かれ、取り落とした剣を椛に奪い返される。
剣を振り上げ、ルーミアを切断しようとする椛の足を自身の足で素早く払う。
バランスを崩した椛に倒れたまま無数の弾幕を浴びせ掛け、椛が吹き飛ぶのを見届ける事もせずにすぐに弾幕を放出し続ける左腕を振り回しながら立ち上がる。
思惑通り、椛も静葉も穣子もその弾幕によって一掃したが、それでもまだルーミアの弾幕が行き届いていない者達が居た。
幾重にも重なるようにして札だの光弾だのの弾幕が離れから飛来してきたのだ。
…人間と、神だ。どちらがどちらかなど知らぬが、諏訪子の言っていた、早苗と神奈子だったか。
確か人間の方が私の封印を解いた張本人だ。
なかなか愚かで見る目のある人間だ。これは礼をくれてやらねばなるまい。
だんと力強く地面を蹴ると、ルーミアは二種類の弾幕の波を潜り抜け、瞬時に早苗と神奈子の目の前へと迫った。
「─開海「海が割れる日」!!」
「ごぱっ…!!?」
驚く事に人間の方が咄嗟にスペルを発動させルーミアに大量の水をぶちまける。
塩水が腹の傷を塞いでいた闇を削ぎ落とし、再び開いた腹の傷と先程つけられた右腕の傷に、冷たいのに火で炙るような痛みを走らされる。
一刻も早く水の中から脱出しようともがくも、全方向から押し込めるような水圧の中に閉じ込められ全く身動きが取れない。
その状態のまま勢い良く後方へと流された末に、創り出された水が割れ、やっと開放された。
と思いきや、既にルーミアの眼前には弾幕が迫り来ていた。
どぐっ!!
「ぐむぁ!!」
顔面に一撃を見舞われたルーミアはもんどりうって地面に倒れこんだ。
なんとか立ち上がろうとした矢先、神の方が放ったのであろう札が次々にルーミアの身体を斬り付けてゆく。
転がるようにして早苗と神奈子の弾幕の嵐から逃れたルーミアを待ち構えていたのは、椛。
左腕を地面に叩き付け、その反動のみでその場から飛び退いたルーミアより一瞬遅く振るわれた剣が、ルーミアの左肩を抉り飛ばす。
走った激痛に怯んだその瞬間を突いてか、いつの間にか背後に回りこんでいた静葉がルーミアの着地と同時に血塗れの両腕を羽交い絞めにした。
─神の癖に、愚かな真似を!
「ッ…あ…!!!!」
ベキ、ボキと続けざまに骨の折れる音が響く。
…無力な神など私にとって弱小妖怪に類する。
それが私を羽交い絞め? 馬鹿め。逆にそのか細い腕をへし折ってやる事など造作もないというのに!!
「みっ、みのっ…り、こぉ!!」
反射的に、倒せ伏せた静葉の叫んだ名前の主を探し見た瞬間、その愚かな神の行動に私は踊らされていたという事実に嫌でも気づかされる羽目になった。
スペルカードを掲げた穣子は、私の頭上に居た。
…奴は、妹のこの一撃の為に時間稼ぎしていた訳だ。
「豊符! 「オヲトシハーベスター」ぁぁっ!!!」
「ぐぅっ──!!」
避ける事すら叶わず、穣子の放った稲穂の様な金色のレーザーが次々にルーミアを焼き切り、貫く。
続いてばら撒かれた弾幕になぶられつつも、ついにルーミアは四つ目のスペルを血を吐きながら叫んだ。
「闇符「ダークサイドオブザムーン」 !!!!」
ごぼごぼとルーミアの周りに溢れかえっていた闇がルーミアの傷口を隠すように、しかしそれでも足りず全身へ纏わりつくようにして集ってゆく。
同時に月を模した巨大な黄色の弾幕を周りに生成し、赤と黒の小さな弾をルーミアを包む闇からばら撒き始める。
倒れ伏せた静葉はもちろん、真上でスペルを展開していた穣子をいくつもの月をぶつけて吹き飛ばした。
吹き飛ばされた穣子は思い切り頭を打ち、静葉は弾幕を食らった事によって更に肥大化した両腕の激痛に失神し、両者とも、その場から動かなくなった。
…やはり力を失った神などこの程度なのだろうか。つまらない。
「静葉さん、穣子さん!!」
…悲痛な声で叫んだのは人間だった。
今潰した秋の神よりも、未だ健在で飛び回る天狗よりも高度な弾幕を操り、私の作り出す闇と同様に大量の水を生み出すなどと人間離れした力を使う。
あれはなかなか厄介だ。
だが、それで良い。
封印される以前に戦った大妖怪はそれ以上に強かった。
より死に近い戦いの中で、私はより私を取り戻せる。構築できる。
記憶の彼方へ失くした私のルーツは完全に揃った訳ではない。
だから私は、より強い者を求めた。
その人間はルーミアの弾幕の雨を避けながら、自身も弾幕を放ちながら接近してきた。
にやりと闇の下でルーミアは口元を歪めた。
…私の封印を解いて何をするのかと思えば仲間を率いて私を殺しに掛かってくる。
きっとこの人間も私と似たような戦闘狂か。だとしたら気に入った。
唯一つ、軟弱な仲間の協力を仰ごうなんて考えは、気に入らないが。
背後から風を切る音と共に振り下ろされてきた剣と私の間に弾幕を出現させて、剣を弾く。
私は驚く人間の仲間の、天狗の首を、椛の首を素早く掴み取る。
確かこいつには腹に穴を開けられ腕を裂かれ肩を抉られた。
そこで転がっている神より下等な生物だというのに、あちらの人間同様、良くやる。
先に倒した烏天狗の事を慕っていたようだったが、という事はあちらの天狗の方がこいつより強かったのだろうか。
だとしたらもったいない事をした。あの能力は温存し、代わりに烏天狗を泳がせてみるべきだった。
もしそうしていれば、もっと私は死に近い接戦をこいつらと行う事になったろうに、…こいつらだけでは少し物足りない感がある。
ただこうして血を流すだけでは足りない。私が今求めているのは、常に死のちらつく壮絶な戦いだ。
そんな戦いの中、私はあの大妖怪の前に敗れた。
思い出す限りその戦いをしている最中が最も自分の本質を感じられていた時間だったように思える。
だからその戦いに近いものを再現し、私は私を取り戻そうと考えていた。
なのに、私ときたら長年封印されてきたせいか何も考えずに大技であの烏の可能性を潰してしまった。
全く、愚か愚か愚か。
まあ良い。あの時はまだ知能が現時点ほど発達していなかった。
あの力は強力な分、体内の闇を大きく消費する事になるので丁度良いハンデという事にしておこう。
それにこいつらを殺せば、もう一つの私のルーツ。食事の時間が待っている。
さてこんな事を考えている間にも人間はすぐそこまで迫ってきていた。
ぶぉんともがき苦しむ椛をそいつ目掛けて投げつける。
弾幕に遮られていて私たちの様子が見えていなかったらしく、椛の首を私が掴み取っていた事すら知らなかったと見える。
人間は大いに驚いて椛をその身で受け止める。
…馬鹿め。隙だらけだ、…見込み違いだったか?
身に纏っていた闇を一斉に槍の様な形状へと変化させ、それら全てを弾幕として、椛を抱えた人間目掛けて撃ち出す。
まだまだこの闇で傷口を固めている最中だったが、別に構わない。
椛を抱いたままのその状態で、この弾幕をどう切り抜ける気か? そんな興味だけが自己防衛反応に勝っただけだ。
そしてルーミアは気づいていなかった。
その人間よりも後方に控えていた神が、スペルを宣言していた事に。
「筒粥「神の粥」!!」
直後、ルーミアの周りを無数の弾幕が包囲する。
黒い槍は全てその弾幕に相殺され、霧状になって四散した。それ所か先程発動した闇符の弾幕までもが消し飛ばされる。
…小賢しい! 補助役とでも言う気か? そんな卑怯な手助けをこの人間にしようというのか。
私はこの人間が私の弾幕をどう対処するのか見たかったのだ。
いくら神といえども先の一撃で対して力を残していない事は明白。
このまま遠距離からねちねちと小技で邪魔をしてくるというのならば、酷く目障りだ。
ならば奴を先に潰してやる。私が求めるのは強き者との、極限まで死の淵に近い戦い。
だから中途半端な強さなど、要らない!
そしてルーミアはたった今打ち落とされた闇を全て一箇所に収束させた。
神の眼前に集ったそれらを極限まで凝縮させ、ほんの拳一つ分の球体へと姿を変化させる。
この一撃で体内に宿っていた闇を一気に爆散させる事になるが、それに十分見合う威力がそれにはある。
…例えば神を一瞬で屠れるぐらいの威力はなッ!!
「なっ…!!」
人間の背後で、鼓膜を突き破らんほどの轟音が響き渡る。
…これこそが人間の二人組を、烏天狗を一撃で潰した荒業。
─これが今の私の闇を操る程度の能力。
人間が神奈子様、と叫びながら振り返る。
つまり、あの人間の名前は早苗というらしい。
なるほど早苗か。では早苗よ、私の封印を解いた人間よ。
お前の仲間たちは次々に倒れ、早くも残るはその天狗一匹のみ。
丁度いい、今の神奈子にくれてやった一撃で、もう私はしばらく闇を行使する事は出来ない。
さあてどうする? これがお前達の最後のチャンスだ。
私をもっと苦戦させてみろ。私を焦らせてみろ。私を追い詰めてみろ。私を殺してみろ。
そして惨たらしく、私に喰われるが良いっ!!
…私は泣きそうになって、しかしそれを何とか堪えた。
神奈子様は敵の弾幕にやられそうになった私を救ってくれた、もう一度だけ、最後の反撃の機会をくれたのだ。
すぐにでも神奈子様の安否を確かめに行きたいけれど、目の前の宵闇の妖怪はそんな事を許してくれそうも無いし、それでその機会を失ったら神奈子様に、皆さんに申し訳ない。
…神奈子様、諏訪子様、文さん、静葉さん、穣子さん…多くのこの山の住人たちが傷つき、倒れていった。
それ所じゃない、この戦いを異変として、解決しに来たのであろう霊夢さんと魔理沙さんまでも。
確かに彼女たちのおかげで、既に宵闇の妖怪はぼろぼろだ。
だが、対してこちらは私と椛さんの二人しか残っていない。
いくら二対一で、相手も満身創痍であるからと言っても、勝機は限りなく薄い。
あの、私が封印を解いてしまった妖怪は、とんでもなく強い。
それでもここで諦める訳には行かない。負ける訳にはいかない。戦わない訳にはいかない。
この事件が起きたのは全て私のせいだから。
そんな私の起こした事件に関わった人たちの想いを背負っていかなければいけないのだから。
「早苗さん、来ますよっ!」
先程早苗が受け止めた椛が、片手で首を押さえながら叫んだ。
よほど強く締められていたらしく、まだ痛みを感じているようだ。
そしてその痛みを与えた張本人が、神奈子への一撃を見舞う直前までの姿とは打って変わって一切闇を纏わぬ格好で、二人に向かって浮遊したまま突っ込んできた。
「くっ…!」
ばら撒かれる月の弾幕。直後、血のように赤い小さな弾も噴出される。
先程の闇を模した黒い弾幕は消えたようだったが、それでも危険なのには変わりない。
身を翻して迫り来る弾幕を回避しながら、剣を構えた椛が向かってきた妖怪に突っ込んでゆく。
…彼女は何て勇敢なんだろう。
あそこまで傷つけられて、どうして椛があの化け物に何度でも立ち向かっていけるのかと、早苗は羨ましく思った。
椛さんだけじゃない。静葉さんだって、穣子さんの一撃の為だけに、あえて両腕を失うような真似を自ら行った。
神奈子様だって、自分が標的に変更される事を承知の上で、私を助けた。
文さんも、私たちが諏訪子様の元へ行っている間、あの妖怪と命がけで戦っていてくれた。
霊夢さんと魔理沙さんはここに来た時にはやられてしまっていたけれど、それでも、私と同じ人間だと言うのにあの妖怪に勝負を挑んだ。
諏訪子様もきっとあの時、逃げ出した私たちの為に時間稼ぎしてくれていたのかもしれない。
そして─…その、勇敢な仲間たちによって、いくつもの傷を負わされても尚、襲い来る宵闇の妖怪に早苗はこれ以上に無く恐怖した。
だけれども、早苗は逃げようとは考えなかった。
…これは私の、償いなのだ。
「準備「サモンタケミナカタ」──」
早苗を中心に、赤と青の弾幕によって星を象った魔方陣が展開される。
早苗の周りの敵の弾幕が打ち消される。
いつの間にか地上戦に移行していた宵闇の妖怪も、椛も、当然早苗が行動を起こした事に気づいた。
ただならぬ早苗の様子に妖怪は早苗に攻撃を仕掛けてこようとしたが、椛がそれを許さない。
彼女はもう、早苗のしようとしている事に勘付いていたようだった。
一瞬、早苗に向けた期待しているような眼がそれ物語っていた。
…そう私はこの儀式によって、私と、私の神様の、能力を─奇跡を起こす。
「八坂の神風」。
私のラストワード。八坂神奈子様の力をお借りする、この東風谷早苗、最大のスペル…!
先程あの妖怪は自らの傷を闇で無理矢理塞ごうとしていた。
だがその行動は全く無理矢理で滅茶苦茶な行為ではなく、彼女にとっては至極当然の行為なのだ。
彼女は宵闇の妖怪。きっと己の本質である闇で自己再生を試みる事など彼女にとって、この幻想郷において当然の事なのだ。
放っておけばまたあの妖怪は折角与えたダメージを回復させてしまうだろう。
ならば…相手が回復しきっていない今、この大技で一気に決めるしかもはや手は無い。
妖怪の後ろにある神社もただでは済まないだろうが、この際気にしている程の事ではない。
─さあ、準備は整った。
かっと早苗は目を見開いた。
…椛さんが残ってくださっていなければこんな悠長な儀式などやっていられなかった。
彼女に感謝の念を込めながら、椛さん、下がってください。そう言おうとして、その言葉は喉から出かかったまま静止させられた。
最後の最後で宵闇の妖怪の一撃を食らってしまったらしい。
早苗の目に膝から崩れ落ちる椛の姿が映る。
「も……椛…さん」
「八坂の神風」の射程内には偶然にも今までに倒れていった者たちは居なく、あとは宵闇の妖怪を残してその場から椛に離脱して貰うだけだった。
…だというのに。…そんな。ここまで来て…。
ここでスペルを宣言すれば、それは傷だらけの椛を─殺す事を宣言するようなものだ。
……そんな真似を、早苗にする事は、出来なかった。
「いやいや…ここまで来たんですから、諦めちゃ、嫌ですよ早苗さん」
「!?」
ぶしゅっ。
宵闇の妖怪の左足から赤黒い液体が噴出した。
驚愕の表情で、痛むそぶりを見せる訳でもなく、妖怪はがくんと膝からくず折れる。
倒れ伏せたままの椛は、更にまだ傷の少なかった妖怪の左腕に真っ赤な剣をあてがうと、叫んだ。
「私はもう動けません! ですから、遠慮はいりません、私ごと吹き飛ばしてくださいっ!」
「なッ…遠慮がいらない理由になってませんよ! 椛さんごと…なんて、で、出切る訳が」
「…ここでこの機を逃がす気ですか!? もうチャンスは無いんです、もし逃げられたら…山は、人里は、幻想郷は滅茶苦茶にされる!」
「で、でもっ!」
「早くッ!! 私の心配はいいです!
これでも私、天狗の中でも鉄壁の守りを誇る白狼としてちょっとした有名人なんですから!
それぐらいで、死にはしませんよ!!」
「う……っ!」
…大丈夫なものか…あの傷で? 血もあんなに流しているのに…?
嘘だ。椛さんの言っている事は…でも……。
「早苗さん!! 早くッ!」
い…嫌だ…。
そんな…そんな…事…。
「…くっくっくっ。きゃはははぁははは。
ここまできて怖気付いたか?
そんなに死にたいのならば殺してあげる。 この天狗と一緒にね!」
血だらけの妖怪がそう、私を嘲笑う。
…やめろ。
殺すのならば、私だけを殺せ!
…私を殺してっ!
…早苗の悲痛な思いも空しく、妖怪は腕に剣をあてがわれているにも拘らず力ずくで椛を突破しようとし始める。
力の残っていない椛は容易く組み伏せられた。
それでも、椛は諦める素振りも見せずに妖怪にしがみ付く。
そんな光景を見せられる内に再び、早苗の頬を涙が伝い始めた。
─自分で引き起こしておいて、自分の力で解決する事も出来ない。
─大勢を巻き込んで、それでも私の力不足で解決する事が出来ない。
─神社も仲間も人間も、大切なものを何一つ守れやしない。
早苗は、震えながら頭を抱える。
…私は─…私は……。
「…何、考えてるのよ。
あんたの大切なもの…守る手があるんでしょ?」
「!!? れいっ…!?」
早苗は、突如として現れたその人物に、開いた口が塞がらなかった。
…─この騒動を引き起こしてしまった、原因。
違う。原因は、私だ。
彼女は何も悪くない。
私が弱いから、情けないから、彼女を疑ってしまったんだ。
そしてこの異変を引き起こしてしまったんだ。
「……折角準備は整ってるんだから…やるんならさっさとやりなさいよ。
…あんたの神様の力でしょ? あんたの仲間の頼みでしょ?
ここで信じないで、いつ信じてあげるのよ」
そう言う彼女は、ほんの数日前に会った巫女とはまるで別人のようだった。
しかし、彼女は紛れもなくその巫女本人なのだ。
…弱いが故に、愚かであるが故に、私は彼女を裏切った。
きっとそれは、絶対に許されない事なのだと思う。
だというのに。…彼女は、こんな私に…たった今、言ってくれた。
不思議な事もあるものです。
たった一言、それだけで今まで馬鹿みたいに頑固だった私の心は何故突き動かされたのか。
…もう、分からない。もう、考えない。もう、迷わない。
だから。
汚れきったこの私の最後の一撃、私が引き起こした異変に、くれてやる。
ありがとう椛さん。絶対に、死なないで。
「大奇跡──」
ありがとう私の愛する神様。絶対に、勝ってみせます。
「「八坂の神風」」
…ありがとう、私の…友達。
早苗の仰いだ空の中で、最後の弾幕が展開された。
「あははははははははははははっ!!」
…私は、ただ笑っていた。
しつこくしがみ付いてきた天狗を何度も殴って気絶させ…、やっとの思いで振り解いてみたらこれだ。
あの人間、やはりこれ程の力を隠し持っていたか。…面白い。
ごうごう唸る風が次々と石畳を引き剥がす。
それに乗って、大小様々な弾幕が嵐の如く吹き荒れる。
「はははははっ、きゃはははははは」
勝てない──、笑いながらルーミアは思った。
だが、苦労して敵の最大の一撃を引き出したのだ。
封印されしこの大妖の力がどこまで通用するか。
いいや、違う。
勝てる気がしない、それは私個人がそう思っただけだ。
まだまだ結果はやるまで分からない。
ならばやってやろうではないか。
人間よりも妖怪が強者である事を思い知らせてくれる。
「あはっ、あははははは、はははっ」
…いやいやこれには語弊がある。
人間よりも、じゃない。早苗よりも、だ。
妖怪よりも、じゃない。私よりも、だ。
喉が枯れる。でも私は笑う事をやめない。
今まで記憶や本能に従って、「ナイトバード」 「ディマーケイション」 などと言った力の名称を口にしてから攻撃に転じていた。
「ふふふっ、はっ、あはは、はあっ、はは…は…!」
今度はわざわざ口にはしない。
私の口はただ笑うだけ。
怖いのだ。
早苗の力に恐怖し、私はただ笑う事しか出来なくなっていたのだ。
──夜符「ミッドナイトバード」。
私は抗った。
早苗よりも、私が強者である事を思い知らせてやる為に。
私は最後の力をもって、人間に抗った。
「はぁ…はは…はははっ…あーっはっはっはっ!!!!」
…強力である上に凶暴。加えてこの異様なまでの執念深さ。
なるほどこれは封印される訳だ。
きっと彼女は食事の際、獲物を捕らえ喰らい尽くすまで地の果てまで追いかけるだろう。
それ程、彼女は執念深かった。
あの傷で、あの出血で。ルーミアは早苗の全てを込めた一撃を凌ぎ切ったのだから。
早苗は立ち尽くしている。
後ろからでも、絶望している表情が見て取れ…は、しない。
むしろ早苗は安堵の表情を浮かべている事だろう。
何故ならルーミアは早苗の弾幕を喰らい尚も生き続けていたが、生き続けていただけなのだ。
ルーミアを止め続けていた椛も無事だった。
流石に意識はもう残っていないようだが、自称鉄壁の守りというだけはある。
その鉄壁の守りが身体の硬さを意味していたとは思わなかったが。
………。
……さて、ここからは私の出番。
まさかこの私が気絶なんてさせられるとは思ってもいなかったけれど、終わり良ければ全てよし、だ。…ああ、頭ががんがんする。
つかつかと霊夢は半壊した境内を歩いてゆく。
倒れ伏せ、荒い呼吸を続けているルーミアの元にしゃがみ込んで、一枚の札を取り出した。
無言で霊夢は、ルーミアのどす黒い血で汚れた、しかし流れるような美しい金髪をすくいあげ、札を結わえ始める。
…彼女を封じ込めていた髪飾りは、先代の博麗の巫女の札である事を霊夢は知っていた。
幽々子も言っていたが、紫から直接聞いた事があったのだ。
だから、彼女を再び封印するのは、現博麗の巫女の、私の役目。
「…封印するだけ、ですよね?」
「そうよ、封印するだけ。…安心して、とどめを刺す訳じゃないから」
「…良かった」
ルーミアも自ら封印を解いた訳じゃない。
このルーミアが何を考えているのかは知らないが、少なくとも氷精たちと遊んでいた時のルーミアはこんな事は望んでいなかっただろう。
もちろん、封印を解いてしまった早苗も同じだ。
色々と彼女がルーミアの封印を解いた理由について推測もしてみたりしたが、きっとそれは全て外れている。
博麗としての勘がそう告げている。
そうでなくても、彼女の様子を見ていれば、一目瞭然だった。
だから、幻想郷を危機に追いやりかけた妖怪は殺さない。
幻想郷を危機に追いやりかけた巫女は咎めない。
神力を込めた紅白の札を、霊夢は宵闇の妖怪の金色の髪の毛にしっかりと結び付ける。
既に妖怪は大人しくなっていた。
…ああ、これでやっと異変、解決か。
私は何も、これだけしかしていないのだけれど。
不意に、後ろで音がした。
安堵のあまり、全身から力が抜けてしまったらしく、その場にへたり込んでいる早苗が居た。
「…情けないです」
「情けないわね。それでも本当に私の友達? そんなんじゃあこの幻想郷でやっていけないわよ」
「…ははは…これは…友達の前だからこそ、ですよ」
ったく……まあ、いいわ。
早苗も、自分の引き起こした事に自分で終止符を打てた訳だし、ね。
彼女を責める者も居るかもしれない。
それは仕方ないけれど、まあいいじゃないの。仕方ないんだから。
だから、この話はこれで終わり。
……報酬は、守矢神社にも出すよう、幽々子に伝えておかないとね。
いや、勿論私だって貰うけどね。元は私への依頼なんだから。
それにしても…倒壊した神社の後ろに綺麗な夕焼けが昇ってるもんだから、何だか複雑な気分ね。
別にいいけど。私の神社じゃないし…。でも、巫女としてはやっぱりこんなの見せられても良い気分は…。
……ああ、もう!
せっかく異変を解決したっていうのに、すっきりしないわね!
これも全部、早苗のせい!
ええい、こうなったら前言撤回! たまにはこの神社で宴会でも開いてもらうわよ!!
「あ…あの、私はそろそろ神奈子様たちの所へ行きますので…」
「おおっと、逃がす訳にはいかないぜ、早苗さんよぉ…へへへ」
「そ、そんな。もう勘弁してくださいよぉ…魔理沙さん…」
「そう言うなって、早苗ぇぇ。ほれ捕まえた、やっちまえ魔理沙!!」
「よし来た! 早苗覚悟っ!」
「ちょっ…お二人とも、やめっ…ごぼぼぼぼげぽげほっ!
む、無理れす! もう飲めましぇん! お願いだから許してー!」
顔を真っ赤に染めた鬼、伊吹萃香が羽交い絞めにした東風谷早苗の口に、顔を朱に染めた人間の魔法使い霧雨魔理沙が笑いながら酒瓶を突っ込む。
鬼を振りほどいて地面に転がり込んだ早苗は、案の定次ぎ込まれた液体を全て地に還した。
異変の原因を見つけ出すにはそれとは何の関係もない妖怪や妖精、幽霊だろうが同じ人間だろうが構わずとっ捕まえては叩き潰す普段の霊夢からは考えにくい「お咎め無し」だったらしいが、現在の早苗の状況を見れば本当にそんな事を言われたのかどうか怪しい。あれではただの拷問だ。
まあ、萃香も魔理沙も悪意は無い様だしあれもまた鬼や人間にとっての一つの友好を深める儀式のようなものなのだろう。
そう思う事にして、妖怪の山の河童、河城にとりはのん気にきゅうりを貪りながらその様を眺め続けることにした。
他人の不幸は蜜の味というが、一向にきゅうりから蜜の味が滲んでくる様子はなかったので、これを食べ終えたら他の場所へ移ろうかな、とにとりは思った。
…現在、夜にも拘らず賑やかな宴会を開かれているここは、守矢神社。
「せっかくだからお前も来いよ」と声をかけてきた魔理沙に連れられて来てみれば、もう驚きの連続だ。
この神社が宴会を開く事自体珍しい事だというのに、その上神社が半壊していた事にも驚かされた。
何でも数刻前、私が人里にまできゅうりを売り広めに降りていた間に、この山はある一人の妖怪によって滅茶苦茶に荒らされていたらしい。
聞く所によればその妖怪は昔に封印された力の強い妖怪らしく、山に住まう神々をも手こずらせるほど。
その妖怪と戦ったのは、最近神社に引きこもりっぱなしでめっきり信仰されなくなっていた八坂神奈子と洩矢諏訪子並びに冬であり、あまり名の知れていないせいもあって信仰の少なかった秋静葉と穣子。
はたから見ればそりゃあ手こずるよな、と思ったものだが、どうも新聞記者の天狗二人組に霊夢や魔理沙、そして早苗もそいつと戦っていたという。
いくら神々が力を失っていようと、それだけの勢力で妖怪一人に挑めば楽勝だったんじゃないのか、と本人達に聞いてもみたがどうやらそうでもなく、やはりかなり苦戦した。
更に驚く事に、あの霊夢と魔理沙、神奈子や烏天狗なんぞは妖怪の一撃二撃で倒れ伏せたらしい。
一番頼りになりそうな奴等がそんなにも呆気なく敗れる程の相手をよく残りのメンバーで倒せたものだと疑問にも思ったが、子の件について突っ込んだ事を聞くのは止めにしておいた。
詳しい事は知らないが、何でもその化け物のような妖怪の封印を解いてしまったのは目の前で大量の酒を摂取させられている、他ならぬ早苗だったというのだ。
…だから私は彼女の名誉の為にも、それ以上の事は何も誰にも聞く事はしなかった。
当人たちもそれについては重々承知しているらしく、あの烏天狗などは「この件の事はもう記事にしない」などと天地がひっくり返るような事を言っていた。
その事をあの生真面目な早苗がどう受け止めているかは知らない。だけど、それについても私は深く考えない。
私はその異変を知らないけれど、結局はこうやってみんなで楽しく騒げているのが一番だから、私は今の状況を壊してまで知ろうとはしない。
「博麗神社だろうと、白玉楼だろうと、守矢神社だろうと…、どこへ行っても災難続きですね、早苗さんは」
そんな事を言いながら白玉楼庭師、魂魄妖夢がにとりの隣に酒瓶を持って腰掛けた。
どうやらこの山の関係者以外もこの宴会に参加しているらしい。
宴会の参加者といえば、神奈子は鬱病で神社の奥に引きこもっていた時とは一転し、酒が入っているおかげか、あろう事か鳥居の真上に立って、誰に向かってかは知らないが神を信仰する事について説いていた。
冬眠中だったのをたたき起こされた諏訪子は半壊した神社の中で生き残っていた炬燵の中に潜り込み、天狗たちは流石にまだ傷が癒えていないようで、帰る事もままならず、この境内にある柱の傍で寝息を立てている。
酒の匂いを嗅ぎ付けてやって来た鬼と、異変解決に乗り出していた魔理沙は言わずもがな目の前で早苗を酒で殺しに掛かっている。そういえば秋姉妹の姿が見えないな。
ともかく、その他の貴重な大人しい参加者勢の中からやってきた妖夢だが、どうも彼女は一緒に騒ぎに来ただけではない様だ。
何か言葉を返してくれるのを待っている風だったので、にとりは思った事をそのまま口にする事にした。
「最初の二つは知らないけれど、こうやって見てるとほんと不幸を呼び寄せる子だよね。主に自分自身に」
「…私が早苗さんを白玉楼に呼び込まなければ、その不幸は主に自分自身に降り掛かるのみで済んでいたのかもしれません」
「お前さんも関わっていたのか」
そう言うと、妖夢は持っていた酒瓶の中身をぐいと飲み込んで、顔を真っ赤にして転げまわる早苗を見ながら、口を開いた。
「……関わっていた所か…この異変の発端は…突き詰めれば、恐らく、私。
いえ、結果的とは言え、早苗にあの妖怪の封印を解かせてしまったのは確実に私なのです。
私はその事を幽々子様にも、霊夢にも、八坂さんにも天狗にも言った。悪いのは私であると。
しかし、みんな口を揃えて言うのです。あなたのせいではないと。気にする事ではないと。
何故でしょうか。私は早苗に謝っても謝りきれない。なのに、みんな私に贖罪させて下さらない。
いや…これは贖罪すらさせないという、罰を与えるという事を意味しているのでしょうか」
溜め込んでいた言葉を一気に吐き出した妖夢がため息をついた。
にとりも口内で砕いたきゅうりを飲み込むと、ネガティブフェイスな妖夢の肩にぽんと手を乗せた。
「私にゃ詳しい事は知らないけどさ。幽々子さんも霊夢も八坂様も天狗も、そんな回りくどい事しないと思うよ。
第一、お前さんが贖罪なんてもんをしたいのなら、早苗本人に言ってくればいいじゃないか」
「…出来ればそうしたいのですが。魔理沙も萃香さんもまるで隙が無い。あれでは早苗さんを救出する事は不可能です」
「まあ…そうだね。酔ってなきゃあちゃんと訳を話して早苗を開放させてやれるんだが」
「あの状況で酔ってない方がおかしいです」
「…だね」
結局彼女の悩みを何一つ解決してやれず、にとりはどこか歯痒い思いだった。
この件については突っ込んだ事は聞かないと決めたばかりだというのに、どうしてこう河童は簡単に情に流されてしまうのだろうか。
半ば自虐的にそう考えながら、まだ半分ほど残っている酒瓶を握り締めるとすくりと立ち上がる。
目を丸くして妖夢がにとりを見上げている。
にやりと口元を吊り上げて見せると、目の前で繰り広がられている酒盛りという名の処刑場へとにとりはずかずかと足を踏み入れていった。
吐いた早苗の背中を優しくさすってやりながら片手に酒を持って「何でそこで諦めるんだ! お前ならいける! 大丈夫! やればできるって!」的な事を大らかな笑い声を上げながら言う萃香の背後ににとりは回り込む。
早苗に夢中で萃香も魔理沙もにとりの存在に気がついていない。
にとりは酒瓶を思い切り振り被った。
…妖夢が驚愕の形相で腰を浮かしたが、もう遅い。
「喰らえー!! 漂溺「光り輝く水底のトラウマ」!!!」
「ぐぼはあっ!!?」
凄まじい殴打音と共に瓶が割れ、倒れ込んだ萃香に入っていた酒がぶちまけられる。
頭から酒を被って咳き込みながら、光の反射を受けてきらきら輝く瓶の破片がいくつも突き刺さった後頭部を抱えて悶え苦しむ萃香。
まさに光り輝く水底のトラウマ。さすが私。
まあ鬼なら死なないだろうし、別にこれぐらいどうという事はないだろう。
あんぐりと開いた口が塞がらない魔理沙をこれ幸いと言わんばかりに、しかし死に物狂いで振り払って早苗はその場から逃げ出した。
…さあ妖夢。早苗に、言ってやりな。
にかっと彼女にそう笑いかけてやると、妖夢は物凄く困ったような表情をしていたが、すぐに決意したような面持ちへと変わって力強く頷いた。
それでいいんだ、と更にガッツポーズを取ろうとしたら、萃香の渾身の一撃を喰らった。
「げほっげほっ、ひ、酷い目に遭った…」
…私は、胸をさすりながら神社の柱に背中を預ける。
これ程の地獄が博麗神社では宴会の度展開されているというのか。末恐ろしい。
何でにとりさんが殴り込みにやってきたのか全くと言って良い程分からなかったが、おかげで助かった。
「お疲れ様です」
…後ろから声をかけられたので、振り向いてみると妖夢さんが立っていた。
「あっ…妖夢さん。…その。ごめんなさい、私のせいでこんな…」
「いえ、全て私のせいです。私のせいであなたに辛い思いをさせてしまいました。
…本当に、申し訳ない」
「い、いやいや…こちらこそ」
頭を下げようとしたら向こうが先に思い切り頭を下げてきたので、早苗はどうすれば良いか分からず、結局自分も頭を下げた。
両者とも、頭を下げ合ったまま譲らない。
…妖夢はなかなか頭を上げてくれない。私も何だか謝っても足りないような気がして、なかなか頭を上げられない。
そんな異様な光景を酒を飲みながら眺めていた霊夢と幽々子が溜まらず噴出した。
「「何故笑う!!!」」
早苗と妖夢は見事にハモりながら二人を睨み付けた。
くつくつ笑いながらその二人は口々に言ってのけた。
「だって面白いんだもん」
「二人とも馬鹿みたいに頭下げ合っちゃって、んもーかーわいいわぁー」
早苗と妖夢が顔を見合わせる。
そこには確かにある種の友情が芽生えていた。
同時に、彼女に謝罪しようなんて気持ちはどこかへ吹き飛んだ。妖夢も同じようだった。
「ところで妖夢さん、こんな所にあなたから借りたままの鋏があるのですが」
「それはあなたにプレゼントします。その鋏であやつらの髪の毛全部削ぎ落として頂けると持ち主としても本望です」
「あらあら妖夢、あなた私を裏切るのぉー?」
「ふふん。この博麗霊夢に敵うと思ってるのかしら」
…構えた私と妖夢に対して霊夢と幽々子が笑いながら立ち上がった。
全く、後ろでもにとりさんたちが殴り合う、というか弾幕ごっこをし始めているというのに、私たちまでこんな事をしていたらいい加減神社が持たない。
でも、あんな事があった後でもこうやって、何もかも無かった事のように、楽しく、賑やかに接してくれるこの人たちはとても素晴らしい方々だな、と思う。
そんな方々と友達である私は、これ以上に無く、幸せ者なんだ、そう心の底から思った。
……そして、乱れ飛ぶ弾幕に耐え切れずに、ついに神社は倒壊した。
半壊した神社の中の炬燵で冬眠を再会するという暴挙に及んだ諏訪子の存在が一瞬早苗の脳裏を掠めたが、妖怪を封印したあの後、流石は神と言うべきか、神奈子も諏訪子も驚異的な回復力で立ち直っていたようだったので、とりたて彼女を心配する事は無かった。
…全く、今日は朝から厄だらけだ。
いつものように山で厄を集めていたら凄まじい厄の奔流を感じて、その発生源へと赴いてみた所、そこには真っ黒な闇を纏った妖怪が居た。
妖怪は私を見るや否や、「あなたは食べられる人類ッ!?」そう叫んであろう事か神である私を食い殺そうと襲い掛かってきた。
仕方が無いので穏やかに弾幕で追い払おうとしたのが間違いだった。
その妖怪は弾幕などを使わずに、自身を纏っていた闇で私の力を奪い噛み付いたり蹴っ飛ばしたりした挙句私は人間で無いので食べられないと考えたのか私は妖怪に力いっぱい上空から叩き落され山の表面に頭から突き刺さるという恥辱を味わった。
全く、本当に厄い厄い。何て厄過ぎるのかしら。
数刻掛けて、やっとの事で頭を引き抜いた私は心も身体もズタボロで、何も考えずに山を下りていた。
厄ばっかり溜め込んでるよりも、今は何か心安らぐ場所に行きたかった。
そうしてやって来たのがこの屋台。
八目鰻と書かれたのぼりが闇夜に灯る屋台の明かりに照らされてるのを見つけると、私はよろよろとおぼつかない足取りでその屋台ののれんをくぐった。
「……いらっしゃい」
屋台に入るなり、出迎えた店主の夜雀から、既に客として入っていた蛍やら妖精やらから朝の妖怪に匹敵しかねない程の厄が感じられた。
どうにも落ち着かないが、入ってしまったものだから仕方が無い。
それに厄を溜め込むのが本職なのだから、むしろこの場が心地良く感じられないといけないのだ。いつもの私ならば。
「お客さん、ルーミアっていう、闇を操る金髪の妖怪の女の子、知ってる?」
鰻の蒲焼と焼酎を店主に頼むと、品を用意しながら生気の無い顔でそう尋ねてきた。
「名前は知らないけど、金髪の妖怪の女の子なら、朝見たわ。
すっごく強くてあっさり負けちゃった。闇も使ってきたわ。
それで私はこんなにもブルーなの。私厄神なのに、情けないわ」
「! そ、その子、どこに行ったか知ってる?」
「いいえ、知らないわ」
「…そう」
店主は再び俯いた。見回せば、他の席に座っていた氷精たちも表情を更に曇らせていた。
「あなたたち、何か事情がありそうね?」
「……その金髪の女の子は、私たちの友達なの。
何だか良く分からないけど、流行の美容院に行ったら急に暴れだして…どこかに行っちゃって…」
「ルーミアは、食いしん坊だから、こうやってみすちーに屋台を開いてもらっていれば、鰻の匂いを嗅ぎ付けて戻ってきてくれるかなって思ったんだけど…」
「あたいがびよういんなんかにみんなを連れて行かなかったら、ルーミアは居なくならなかったんだ…あたいのせいだ…うぇぇ」
「チルノちゃんのせいじゃないよ! きっとルーミアちゃんは戻ってくるよ!」
店主と、蛍と、氷精と緑の妖精が口々にものを言う。
話が読み辛いが、どうやらこの子たちは私を完膚なきまでに叩きのめしたあの化け物とお友達らしい。
まあ、そんな化け物の友達だろうと困っているのを放っておいては帰れない。
私は、今までの落ち込んだ自分を奮い立たせて、幼い少女達のために一肌脱ぐ事にした。
「直接的な手助けは出来ないけれど、あなたたちの厄を吸い取ってあげる事ぐらいはできるわ。やってあげる」
「厄を吸い取るって?」
「うーん、不幸を失くしてあげるようなものかしら?」
そう言って、厄神、鍵山雛は椅子からおりると、手を広げてぐるりと一回転。
緑色の長い毛を浮かせながら、もう一回転。更にもう一度。更にもう一度。もう一度回って、回って、回って彼女たちを取り巻く厄を自分の周りへと引き寄せる。
「せっかく私たちが死ぬ気で戦ってやったって言うのに、その勇姿を一枚も写真に収めてないってどういう事よ!
しかも記事にすらする気が無いって、何よ!? うわーん!! 私たちの命を掛けた努力は何だったのよー!!」
「ちょッ、姉さん! め、迷惑だよ! 落ち着いて!」
何やら騒ぎながら、二人の少女─紅葉と豊穣の神が屋台ののれんをくぐった事によって、一瞬にして屋台の中の空気が凍りついた。
「……すみません、帰りま…」
「穣子ッ! ここで帰ったら私たちは永遠の負け犬よ!!
どんな手段を使ってでも私たちはこの子たちの注目を集めなければいけない!
私たちが、最後の希望をこの手にする為には!」
「…えーと、あの…」
二人とも雛には見覚えがあった。
同じ神々に属する秋静葉と穣子だ。その二人が何故ここに?
それは雛にも言えた事だが、やはり疑問に思うものは思う。
しかし雛は一人暴走する静葉の勢いに気圧されてうまく言葉を発する事が出来なかった。それは屋台の店主たちも同じらしい。
自分がひかれている事に気づいた静葉は、はっと何か我に返ったような様子を見せると、やっといつもの静葉に戻っていき、常時の自分からは考えられないような行動に自ら赤面して押し黙ってしまった。
「…穣子。バトンタッチ」
「は!? ちょ、ちょっとお姉ちゃーん…勘弁してよぉ」
「あの…言いにくいんだけど、お二人さん。その、一体何しに…?」
どんどん自分達の世界を広げていく姉妹に、おどおどした様子で店主がついにそう尋ねた。
「穣子お願い、私もう外を歩けない生きてけない」
「ほんとお姉ちゃんって気象の変化が激しすぎるよ…。
…えっと、皆さん。突然お騒がせしてすいません。
私たちは秋の神様の姉妹ですが、今は冬なので神としての尊厳はさしてありませんし、力がある訳でもありません。
なので、皆さんどうか緊張せずに聞いて下さい」
「どうせこの人たち私たちが神様だなんて気づいてないに決まってるよ…」
「そ、そうかな…。じゃあ、前置きは無しで、単刀直入に言うよ!
信仰されない神である私たちは例え妖怪からだろうが妖精からだろうが、ほんの少しでも多く信仰を得る為にッ!
あなた方の探し人、連れてきちゃいましたー!!!!」
ばさりと穣子が後ろののれんをかき上げる。
そして現れた人物に雛は驚きのあまり椅子から転げ落ちた。
他の少女達も驚愕の声を上げたが、雛とは違ってすぐに安堵、そして歓喜の声を上げて姉妹の連れてきた少女に駆け寄った。
「お帰り、ルーミアちゃん!!」
「お帰りっ!」
「お帰りなさい!」
「うわあああん、ルーミアが帰ってきたよぉ良かったよぉぉうひぇぇぇん」
「……」
目の前で繰り広げられる急な展開に雛は椅子から転げ落ちたまま固まっていた。
これはまさかあれか。
私がせめてもの思いとして彼女らから厄を吸い取ったからこんな事になっているのか。
とにかく雛はそう考える事にした。
無理矢理そう解釈でもしないとあまりの出来事に追いついていけそうになかったからだ。
…まあ、何にせよ彼女たちに笑顔が戻って良かった。
だから私はにこりと秋姉妹に微笑みかけた。
彼女たちもまた、笑い返してくれた。
…お腹が空いたので永い眠りから覚めた私はまず疑問に思った事がある。
…何故マヨヒガがあちこち破壊されているのか。
その理由を従者である藍から、そしてそろそろ新年を迎えるというのにまだ寝ているつもりかと私を起こしに訪れた幽々子から聞いた私は、さあっと顔から血の気が引いていくのを感じた。
藍がまずマヨヒガ妖怪によって襲撃されていた事を私に伝えた。
そして、何故かずたぼろの幽々子が守矢神社の巫女があの妖怪の封印を解く事になった経緯を話した辺りからだった。
私はすくりと立ち上がり、二人に言い放つ。
「調子が悪いから、二度寝するわ。ごめんなさい」
呆然とする二人を尻目に八雲紫は布団が敷きっぱなしの自室へと飛び込むようにして入り込むと後ろ手で素早くふすまを閉めた。
はああっ、と大きく息をついて紫は頭を抱える。
…ああ、どうしよう。これ絶対私が原因じゃないの。
額に汗を滲ませながら紫は思わず唇を噛む。
それもこれも、ほんの数日前の出来事が原因だったのだ。
外の世界で言うクリスマス・イブのその日、幽々子はいつもよりやや伸びていた妖夢の髪の毛を見て一人呟いた。
「妖夢はいいなあ、髪が伸びて。
…私は伸びないから、髪のおしゃれが出来ないのよね」
こっそり幽々子の姿をスキマから覗き見していた紫にその言葉を聞いた瞬間電流が走った。
─私の境界を操る力で、幽々子の髪の毛を伸びるようにしてあげようかしら。
せっかく明日はクリスマスなんだし、粋にクリスマスプレゼントって事でね。
そうだ、幽々子だけ伸びるのも変に思われるかもしれないし後で他の亡霊たちの毛の境界もいじってあげて伸びる仕様にしちゃおうか。
…そしてそんな冗談のような作業を私は寝る前に行った。
何故わざわざ寝る前にそんな事をしたのか、と言われれば勿論サンタは夜に子供達にプレゼントを渡すものとされている。
だからそれを真似て私もサンタ気取りで眠いのを我慢して亡霊たちが寝静まった頃にその作業を一人で行い、そしてそれが終わると同時に布団に倒れ伏せた。
その結果がこれだ。
…どうも眠いのを堪えながらの作業だったため、幽々子の髪の毛の境界の調整にミスがあったらしい。
奇しくも他の亡霊たちは上手くいっていたというのに。幽々子に気合を入れすぎたせいか。
幽々子が語るには幽々子は凄まじい勢いで毛が伸び始め、数日足らずでただの毛だるまと化したというのだ。
その毛だるまをどうにか元通りの彼女へと戻すために守矢神社の巫女を連れてきて…。
予想外にその巫女は散髪師として天才的な才能を発揮し、名を上げ、ついには髪飾りと言う封印をなされた妖怪がやってきて…。
…滅多な事はするもんじゃないな、と紫は思った。
すぐに幽々子と白玉楼の亡霊たちの髪の毛の境界をいじり元に戻す。
これでやれる事はやった。
それに話によれば既に妖怪は…ルーミアは、再び封印されたらしいしもう大丈夫なはずだ。
紫は誰にもこの事を勘付かれたりしませんように、などと考えながら布団の中に潜り込む。
…残念ながら、既にふすまの間からこっそり紫の様子を窺っていた藍と幽々子には勘付かれていたが。
……奴等は私を完全に封印できたと思っているらしいがそれは違う。
私に札を結わえた紅白の巫女は、まだまだ以前私を封印した人間ほどの力に達していなかったのだ。
私はここは封印されたふりをし一度身を引いて、力を蓄えた上で再び奴等を襲撃しようと考えていた。
正確に言えば目的は早苗だ。今度は一対一で、全力でぶつかり合ってみたい。
そして次こそは私が勝ち、早苗を殺して、骨まで貪り尽くしてやる。
だから私は、封印されていた私が付き合っていた妖精妖怪たちの元へ戻って機を窺う事にしたのである。
その為私への警戒を解いた巫女たちに私は仲間たちの元へ戻りたいと伝えた。
何やら秋姉妹が私を仲間たちの元へと送迎する事を進んで引き受けていた。
一応は神らしく、傷ついた私をここまで送る道中に、私がへし折ってやった静葉の両腕はいつの間にか元通りになっていた。
…さて、それでやっと私は私の仲間たちとやらに屋台の中で対面した。
対面するや否や私は屋台の中に居た者達に一斉に飛びつかれ抱きつかれ泣きつかれ…
……全く拍子抜けだ。私はこんな奴等と付き合っていたというのか。
みなが私を恐れ仲間もつくる事さえままらなかったあの頃とは本当に封印後の私は変わっていたらしい。
だというのに今は誰もが私を恐れ逃げてゆく様子など微塵も見せない。
…喜ばしい事だ。
…?
私は今何を考えた。
喜ばしい? 馬鹿な、こんな奴等が仲間である事の何が喜ばしいというのか。
…そう、何も喜ばしい事などない。
氷精が泣きながら私の腕にしがみつく。
夜雀が顔を胸に埋めて抱きついてくる。
蛍が笑顔で私を見つめてくる。
隣で緑の妖精が頬を伝う涙を拭った。
…私は。
良い仲間を持っていたらしい。
………。
私は、一度身を引く事にした。それは先程も述べた。
だが私は今から、それとは別の意味で身を引く事にする。
私の記憶に無い私がこの仲間たちを作り上げたというのならば私がその仲間たちに介入してはならない。
そう、私は考えた。
…良いだろう。私は私に私を演じさせてやる。完全に封印されてやる。
早苗…次に会う時は私が再び封印を解かれた時だ。
それまでの間、私はこの私の中で完全なる私を構築する。
もう私はお前に恐怖しない。
そしてお前を喰らう為、いつか必ずお前に殺し合いを挑んでやる。
だからしばらくは、さよならだ。…早苗。
「ルーミアちゃん、酷い怪我。大丈夫なの?」
「大丈夫だよー。痛いけどー」
ずっと黙っていたルーミアは、仲間たちの言葉についに返事を返した。
ルーミアの友人たちは、彼女を抱き締める力を強めた。
屋台ののれんの間から、眩い光が差し込んでくる。
それは夜明けを、同時に新たな年の始まりを告げていた。
中二病全開。
二次要素有り。
ある種キャラ崩壊も有り。
軽い(?)グロ描写も有り。
……事の発端はと言うと、年末年始のこの忙しい時期に限って、キャノ子だのみさえだのオンバシラーだのの奇抜なあだ名で呼称され続けた末に鬱病となって自室から出てこなくなってしまった八坂神奈子並びに冬眠と称して炬燵から出てこない洩矢諏訪子のおかげで博麗神社同様に人々からの信仰がゼロに等しくなるという絶望的な状況へと陥ってしまった事だった。
そしてそれは信仰されなくなり、つまり彼女たちが主な収入源としていた賽銭を当てにする事が出来なくなるという事態に繋がった。
ただ一人残された守矢神社の風祝こと東風谷早苗は「自分がどうにかしなければいけない」と立ち上がる。
外の世界の言葉で言うならば、バイトを始めるのだ。
とにかく彼女はこの危機的状況を乗り切るため、神奈子と諏訪子の覚醒の時まで何とか生活費を稼ぐ事に決めた。
まず早苗は以前は神社を乗っ取ろうと企てたが返り討ちにあった末、どういう訳だか友人同志のような関係になってしまっていた博麗神社の巫女、博麗霊夢に良い働き口を紹介してくれないかと尋ねてみたが、「そんなものを知っていたらこんなひもじい思いはしていない」と一蹴された。
出鼻を挫かれ肩を落とす早苗の前に、両目をらんらんと輝かせながら何やら一枚の紙きれを両手で持った白玉楼の庭師、魂魄妖夢が颯爽と現れた。
そして何故だか彼女の整った髪形は乱れぼさぼさに伸びていた。
曰く、「幽々子様の散髪係のお抱え幽霊が死に別れた嫁と再会したとかなんかで成仏してしまったので臨時バイト募集中」との事だった。
つまり私に床屋、いや美容院の仕事をやって欲しいという事か…。
幼少時の憧れだったその職のイメージに酔った早苗は迷う事無くその仕事を引き受けた。
霊夢も参加すると妖夢に鬼のような形相で迫ったが、妖夢は「こんな飢えた野獣に幽々子様の散髪を任せたら散髪中に幽々子様が食われる」と言って霊夢の申請を断った。
その言葉を聞くなり我を失って襲い掛かってきた霊夢から妖夢に連れられ命からがら早苗は白玉楼へと逃げ込んだのであった。
まだ息も整わない内に妖夢に案内されながら白玉楼の中を進んでいくと、一際大きな和風の室内にくるくるしたピンク色の塊が転がっているのを発見。
妖夢曰く、それこそが正真正銘白玉楼の主、西行寺幽々子であるらしい。
聞けば彼女の髪が伸びている事に気づいた妖夢がお抱え散髪師を呼びに行った時には既に成仏した後で、幻想郷中を飛び回って臨時バイトを募集したものの「白玉楼の主の髪を切るなんて恐れ多くて出来ない」「白玉楼の主は人をとって食うと聞いているので行きたくない」と言って断られてしまったりし、そんな事をしている内に主の髪は今まで際限なく貪ってきた食事の栄養素が今になって身体ではなく髪の毛に集中して効果を発揮し始めたのではないかと思うほどに凄まじい勢いで伸びだした。
彼女に言わせると、幻想郷を脅かす新たな異変と言っても良い程だったという。
やっとの事で「鋏の扱いには少し自信がある」という人形遣いを連れて着た頃には既に主は桃色の髪の化け物と化しており、流石に無理だと言う事で人形遣いは帰ってしまった。
そこで藁にもすがる思いで仕事を探している最中だった早苗をスカウトしたという事だ。
一つ気になったが、庭師としても剣士としても一流な妖夢が散髪すれば良いのではないのかという疑問を投げ掛けたが、どうも彼女も同じ事を以前に一度考えた事があるらしく、試しに人里の床屋で早苗同様にバイトをさせてもらった事があるが、一体何が起きたのか、妖夢の担当した男の滑らかなストレートヘアーは太陽の如く輝く砂漠と化していた。
刃物の扱いには覚えがあったので、さして練習もせずに散髪に挑んだものであるからそれは酷いものだった。
今でも彼女は毎月、その男に仕送りしているらしい。
律儀で誠実な人だと思ってたがかなり無謀というか大胆な一面もあるんだな、と早苗は思った。
もちろん、そんな忌まわしき過去を持つ彼女が主の散髪などできるはずもない。
納得していると、既に妖夢は幽々子の散髪の準備を終えていた。
白い布の上に置かれた椅子の上に座る桃色のわたあめに多少の不安を感じながらも早苗は手渡された鋏とくしを握り締め、心を決めた。
猛然と彼女は、桜の木を思わせるわたあめに立ち向かっていった。
約6時間にわたる壮絶な死闘の末、白玉楼当主の奇怪な髪型は元通りのくるくるヘアーへと戻っていた。厳密に言えば元よりはやや短く仕上がったが、これほどの再現率は稀に見る天才が切ったとしか思えない出来だった。
その戦いをずっと手に汗を握りながら見守り続けた妖夢は驚愕と感動のあまり泣きながらこれからもここで働いてくれと早苗に握手を求めてきた。
自分の意外な才能に酔い痴れていた早苗は、心に何か熱いものを感じ、つられて泣きながら「はい」と返して、妖夢の握手を受け入れた。
………思い返せば、そこで調子に乗ったのが間違いだったのである。
腕を買われた早苗は白玉楼に住み込みで、幽々子を散発したあの部屋で美容師として働く事になった。
直後、妖夢自身も散髪をして欲しいと神を崇めるような目をしながら頼んできたので、幽々子同様長らく切っていなかったのであろうぼさぼさの銀髪を綺麗に切りそろえてあげた。
それからは妖夢の呼び込みと、お客様第一号の幽々子の絶賛により瞬く間に白玉楼の亡霊たちが早苗の腕を求め集った。
よくよく考えてみると、亡霊なのになんで髪が伸びるのか、と疑問に思い妖夢に問いただしてみた所、幽々子の髪の毛が伸び始めた事自体がおかしい事であり、以前雇っていた散髪師もその時に臨時で雇った亡霊だったらしい。
結局は仕事を殆どする事無く成仏してしまったらしいが。
そしてそれを境に、伸びるはずのない幽々子を含めた亡霊の、幽霊の髪の毛が伸びるという不可解な現象が現在の冥界で起きていたらしい。
これも異変の一つであると考えて異変解決のエキスパートの霊夢に相談しに行くべきか、と考えた事もあったが意外にも亡霊たちは「ヘアースタイルを気軽に変えられるようになって嬉しい」などと言っている者が大多数であるため、あえて相談には行かなかったらしい。
それに、早苗としても客が来てくれるのはありがたい事だったので、その事については深く考えない事にした。
…商売は大繁盛。特にこれといって早苗の美容室に名前などはないが、その内可愛らしい名前でも名付けたいな、と心の中で早苗は考えていた。
その時早苗は既に自分が守矢神社の巫女である事など完全に忘れ去っていた。
繁盛して店に訪れる客の数は早苗一人でさばくにはなかなか辛いものがあったがそれでも早苗は持ち前の責任感の強い性格のおかげかきっちりと全ての仕事をやり遂げた。
いつしかそこへやってくる客は亡霊のみに留まらず、噂を嗅ぎつけた、飛行して訪問可能な妖怪や妖精までもがやって来るようになっていた。
「こんなすごいびようしつを知ってるあたいったらさいきょーね!」
そして今日。今年最後の、外の世界で言う大晦日。
朝一番で早苗の美容室に訪れたのは氷精を筆頭にした人間の子供の姿をした妖怪たちだった。
どうもお金は持っていなかったようだが、折角なので特別に、という事で早苗は彼女たちを散髪してあげる事にした。
氷精、夜雀、蛍の妖怪、と次々と手馴れた鋏使いで彼女たちの頭を切り整えてゆく。
どの子も鏡を見るなり「すごい」だの「かわいい」だの言って、早苗にお礼を言うと喜び勇んで仲間に自慢しに行く。
その光景が微笑ましくて微笑ましくて、頬が緩みっぱなしだった。
と、そこに早苗の裾が下から引っ張られた。
「ねえねえ、私の髪も切ってー」
白と黒の服装に身を包んだ金髪の妖怪だった。あの氷精たちの仲間らしい。
「もちろんいいよ、それじゃあそこに座って」
早苗はにこにこ笑いながらその可愛らしい妖怪に椅子に座るよう促した。
わーい、と微笑んで金髪の妖怪がちょこんと椅子の上に乗っかった。
その妖怪に、白い前掛けをかけてあげると、早苗は鋏を握り─そこで彼女の金色の髪に白い淵のある紅いリボンが巻かれているのに気づいた。
「リボン、外すね」
そう言って、先程の青いリボンを結んでいた氷精を散髪する時と同じようにしてそのリボンを解こうと手をかけた。
…が。
「…解けない?」
その金髪の妖怪のリボンはどう見てもただ髪に括りつけているだけだ。解こうと思えば簡単に解けるはず。
なのにいくら引っ張ろうがリボンが外れることはなかった。
本人に聞いてみると、自分でも何故解けないのか分からなく、いつから髪に結ばれていたのかも知らないそうだ。
疑問に思いながらそのリボンを良く見てみると、早苗はとんでもない事に気がついた。
…札だ。
これはリボンなどではなく、神力の込められた紅色と白色の札だったのである。…そう、紅と白の札。
そこまで考えて早苗ははっとして顔を上げた。
紅白の札…考えられるのは…博麗霊夢!?
更にその札が解く事が不可能と来た。となるとこれはもしや、札による呪いの類だろうか。
一体なんでこんなか弱そうな女の子にこんなものを。
まさか、この子がここに髪を切りに来るという事を予め知った上で私への嫌がらせとして散髪の妨害となるような呪いの札をこの子の頭に縛り付けたというのか。
あの女ッ!なんて性悪な!!少し前に友人とか言ったが撤回するッ!!
とにかく早苗は凄まじい勘違いを起こし、その怒りは一瞬にして頂点にまで達してしまった。無理もない、楽しんでいたとはいえ、ろくに体力もない少女であるというのに、毎日何十人もの頭をたった一人で切り刻んでいたのだ。
疲労のあまり冷静さを失っていたのだ─…、早苗は一人で金髪の妖怪の札を博麗霊夢による嫌がらせだと本気で信じたまま、その呪いを断ち切るべく、ありったけの神力をその鋏に注ぎこんだ。
「だが博麗霊夢ッ!これしきの呪いで私を止められると思うなぁぁーーーっ!!」
すぱん、と心地良い音が室内に響くと共に、その妖怪から真っ黒な何かが凄まじい勢いで噴出した。
その黒い何かは早苗を、周りの氷精たちを吹き飛ばし、美容室の壁を天井を突き破った。
「……な、なにが…どうなってるの?」
早苗は目の前の光景にしばらく絶句した後、思わずそう洩らした。
仕事道具がきちんと整頓され、塵一つない綺麗な店内は今や見る影もなく、半壊した部屋のあちこちに吹き飛ばされた蛍や夜雀が泣きながら「それ」を見つめている。氷精は頭を打って気絶していた。
突然、目の前で蠢く黒い塊が雄叫びを上げた。
その塊の中に光る紅い眼光が早苗の姿を捉えた、気がした。
「い…いやああああぁぁぁっ!!」
気づけば早苗は、パニックのあまり飛ぶ事すら忘れて、鋏を握り締めたまま美容室から一目散に逃げ出していた──。
『守矢神社の巫女、東風谷早苗 幻想郷に怪物を解き放つ』
鴉天狗に渡された号外の見出しはそれだった。
新聞の内容を読み進めている内に、あの後妖夢に連れられていった早苗が白玉楼で美容師として大成功した事、それをきっかけに美容室を開き、頭に止めた札によって強力な力を封印をなされた妖怪を呼び込み、散髪と称して封印の札を切り落とした事─…そしてその時、恐ろしい形相で博麗神社の巫女、博麗霊夢の名を叫んでいた事など、信じられない事が次々と判明した。
この新聞の編集者である射命丸文がこれらの事柄から導いた推測によると『以前の博麗神社を乗っ取ろうと企てた事件の時の事を未だ強く根に持っていた容疑者が封印されていた妖怪を博麗霊夢を殺すために復活させたのではないか』と記していた。
最後にこれはあくまでも推測である、と記述されていたが、もはやそんな事はどうでも良かった。
わなわなと震え、呆然としたまま口を開けっ放しの霊夢の両手からその新聞が地面へはらりと抜け落ちる。
後ろからその記事を一緒に読んでいた霊夢の友人である魔法使い、霧雨魔理沙もあんぐりと口を開いていた。
「……れ、霊夢…どういう事だ? あいつが…早苗が?」
「………………」
やっと発せられた魔理沙の言葉に、霊夢は固まったまま反応を返してこない。
「……ま、まあどうせあの文屋の事だ…こ、こんなもん、が、ガセに決まってるさ」
「…残念ながら、ガセじゃあないのよ…」
「!?」
慌てて取り繕おうとした魔理沙の脇から、不意に声がした。
驚いて振り向くと、ぼろぼろの着物に身を包んだ、しかし桃色の髪の毛だけは綺麗に整えられた幽々子がそこに居た。
「幽々子じゃないか。何でこんな所に居るんだ?」
「…あなたたちに、異変を解決して貰いにきたの」
「…なんだって?」
淡々とした調子でそう言った幽々子に魔理沙は、一瞬彼女が何を言っているのか分からずに戸惑った。
が、先の新聞の内容を思い返し、すぐに納得した。
その封印を解かれた妖怪とやらは確か白玉楼の一部分を倒壊させた後、幻想郷の何処かへと飛び立っていったらしい。
そして幽々子は白玉楼の当主だ。
「この件で、もう私も妖夢もろくに動けないのは知っているでしょう。
強烈なとばっちりを食らってね、見ての通り無残にやられたわ。
…そうなると、残念だけど、あなたたちぐらいしか頼れそうなのが居ないのよ」
「…じゃあ、やっぱりこの記事は…」
「ええ、そうよ。真実。そしてれっきとした異変なのよ。
大体その新聞の記者に取材されたんだもの。私の場合はたまたま美容室の前を通りかかったからどうしてるかなーって思って覗いてみたらまさに早苗ちゃんが宵闇の妖怪のお札を切り落とす瞬間だったわ。
宵闇の妖怪の頭のお札は、スペルカードルールの制定前にその強力な力と凶暴な心を封じ込めるため結わえられたものだ…って紫に聞いた事があってね」
「そうだったのか…全然知らなかったぜ」
恐らくその封印の理由はどちらかといえば後者の凶暴さが大きいのだろう。
幻想郷には力の有り余っている妖怪など山ほど居るからだ。
しかしその多く…というよりはほぼ全て、確かな知性を持ち合わせ、基本的に暴力的な振る舞いはしない。
したものは霊夢と魔理沙に弾幕ごっこによってしこたま痛めつけられて反省させられる。
「それでね…その封印が解かれた証拠として、この新聞にはまだ載っていないけれど…既に封印を解かれた宵闇の妖怪は、その紫のマヨヒガをも襲っているわ」
「な、何ぃ!? マヨヒガまでっ!? 紫の奴は一体何してたんだ!」
「寝てるわ。今も」
「……まあ、そんな事だろうと思ったよ」
呆れ帰った魔理沙がやれやれと首を振った。
しかし、住処を襲撃されて尚も寝ていられるとは、紫こと、八雲紫は色んな意味で只者ではないと魔理沙は実感した。
また、幽々子によると被害を被ったのはマヨヒガそのもののみであり、そこの住居者たちはなんら被害はないとの事だ。
「とにかく、ね。このままあの妖怪を放っておいたら確実に幻想郷は滅茶苦茶にされるのよ」
「…そのようだな。しっかし、金髪の宵闇の妖怪って…あいつだろう? ルーミア。
あのちびっ子がそんな力を持っていたとは…夢にも思わなかったぜ。なあ、霊夢?
そろそろ話に混ざってこいよ?」
「…いいえ」
「ん?」
「問題はそこじゃないのよ。早苗は…あいつは、何でルーミアが力を封印されている事を知っていたのかしら?」
いきなり喋りだしたと思うと、霊夢は魔理沙と幽々子に向き直り、二人を睨みつけるかのようにして問いかけてくる。
魔理沙も幽々子もさあ、という風に首を傾げるや否や、霊夢は再び話し始めた。
「早苗が私に復讐をしようとする動機は十分にあるわ。私だって心当たりは沢山ある」
「自分で言ってどうする」
「早苗は、私に一度負けているわ。だから強力な力を持つ妖怪を復活させ、それを自分の代わりに私を潰させようと企てた。そこまではいいの。
問題は…どうやって早苗がそんな妖怪を知るに至ったのか。よ」
魔理沙は見当もつかないという顔をした。隣の幽々子も同様だった。
というのも、既にこの時点で、あえて問いかけてきた霊夢の表情にはその問いの答えを見つけたかのような、確信の色が見えていたからだ。
予想通り、霊夢は魔理沙と幽々子からの無言の返答を受け取ると同時に、口を開いた。
「早苗は、きっと誰かにそそのかされたのよ。ルーミアが封印されている事を知っていて、尚且つ、幻想郷を滅茶苦茶にしてやろうと考えている、誰かに」
「誰か…ねぇ」
首を傾げながら呟く幽々子に、うん、と霊夢は頷いた。
「大体あの子は自分の意思で、幻想郷全土を巻き込む異変なんて起こそうなんて考えられる子じゃない。
…だとしたら、誰かに騙されたのよ。
あの子はこの世界に来て日が浅い。遠い過去に封印された妖怪にスペルカードルールなんて言葉が通用するかどうかなんて分からないの。
だから、そこを付け込まれて…例えば、私をあくまでスペルカードルール上で叩き潰すために封印された妖怪を解き放って、けしかけるように言われたとか…」
霊夢がまくし立てた持論に、幽々子はそれも一理あるわねえ、と穴の開いた扇子で口元を覆いながら呟いた。
しかし魔理沙は、納得はしていなかった。むしろ、霊夢の考え方に疑問を抱いた。
心の中に浮かんだ疑問を、自分の胸の内のみにしまっておけるほど魔理沙は内気な性格ではない。
「随分と早苗の事を擁護するんだな? …いつものお前なら、四の五の言わずに速攻で犯人を潰しに行くはずだが」
「………それは」
「それは?」
「…………まあその、…一悶着あったけど、まあ今でも時々あるけど……でも、やっぱりね、一応、…友達みたいなものだし」
しばらく押し黙った末、霊夢はどこか恥じらいのようなものを見せながら、そう言った。
魔理沙は腰を抜かした。
「何よその反応」
「いいいいいいやそのだな、まさかお前の口からそんな言葉が飛び出すとは夢にも思わなかったっていうか霊夢が友達って言って良いのは私だけっていうか」
「…は?」
「あ、ああすまん、取り乱していたみたいだ。まあ、仕方ないよな…同じ巫女だもんな…。
…分かったよ。うん、お前が早苗の事を友達だからかばいたいってのは分かった。
だがな霊夢、今、その友達はやっちゃいけない事をしちまったんだ。
その理由が、真相がなんであれ、ここでごちゃごちゃ言ってないで、まずは会いにいかなきゃならねえ。
それからじっくり話を聞いて、もしもお前の言うようにあいつをそそのかした誰かが居るのであれば、それからそいつをぶちのめしに行きゃいい。
……だが、もしもあいつが、自分の意思でこの異変を起こしたって時は、…私が」
「ちょ、ちょっと待って。何で私が宥められてるのよ。別に私は…」
「どうせ本心はあいつは悪くないから、それなのにこんな新聞に載っちまってるからそっとしておいてやりたいとかそんなんだろ。私には分かるぜ」
「………」
どうやら図星のようである。
魔理沙はそれに寂しさを感じたが、こんな事をしている間にもまたどこかで早苗によって封印を解かれてしまったルーミアが暴れているかもしれないのだ。
一刻も早く、早苗とルーミアをどうにかせねばならない。
「な、霊夢。これはいつも通りの異変解決さ。大体幽々子だって異変解決の依頼って事で私たちに頼みに来たんだ。
友達が、知り合いが黒幕かもしれないからって、異変解決を渋るような奴じゃないはずだぜ! お前は!」
「…そうね。私とした事が…大の親友に恥ずかしい所を見せたわね。
魔理沙、今の弱気だった私の事は忘れて頂戴。…行きましょう、早苗を見つけに、ルーミアを止めに…異変の解決に!」
友の言葉を聞いた瞬間、魔理沙は相槌を打つことも忘れて、先程ちらと見せた下心を恥じた。
そうか、霊夢は私の事も、今だって友達だと思ってくれていたんだ。
…良かった。
早速、今夜は霊夢と夜伽だ。
そんな事を考えながら、魔理沙は持ち前の笑顔を浮かべそして霊夢の手を引いて、箒に跨ると同時に空へと飛び立った。
そうして二人はいつも通りに、異変を解決しに空を翔ける。
幽々子はというと、場の空気を読んで神社の中に退避し、ただ一人せんべいを貪っていた。
白玉楼から逃げ帰ってきた早苗は妖怪の山の山中を守矢神社目指してのろのろ飛んでいた。
既に昼時で、いつもならお腹がすく頃だが、今は全く空腹など感じられる余裕など無かった。
神社のためにバイトしにいったというのに、肝心の神社は放りっぱなし。
更にそのバイト中に何かとんでもないものを目覚めさせてしまった。
しかもただ怖かったというだけで自分で引き起こしたそれに背を向けて逃げ出して来たのだ。
早苗は押し寄せる罪悪感と自己嫌悪に苛まされながら、そしてやっとの思いで目的地にまで辿りついた。
妙な事に、その道中、山のあちらこちらから怪しげなものを見るような無数の視線を感じたが、自分が泣いているせいなのだとばかり、その時早苗は思っていた。
靴を脱いで、神社に無言で上がると、まず早苗はふらふらと未だに自室に引き篭もっているのであろう神奈子の元へ向かった。
入りますよ、と覇気のない声で断ってから、早苗は神奈子の部屋へと足を踏み入れた。
自棄酒でもしたのだろうか、あちこちに空瓶が転がっている。
…しかし、そこに居るはずの神奈子の姿はなかった。
酒の勢いで鬱も吹き飛んだのだろうか、もしそうだとしたらこんな事になる事なんてなかったのに、などとぼんやり考えながら居間に向かった。
居間の真ん中には諏訪子が自称冬眠してるという炬燵が置いてあるが、もう中身を確かめようとする気力も残っていなかった。
大きなため息をついて、早苗は炬燵の前に座り込んだ。
ぐったりと上半身を炬燵に投げ出して、そこでもう一つため息をついた。
─これからどうしよう。謝ったら、許してもらえるだろうか?
…そんな、甘い訳がないよね…ああ、どうしよう…どうしよう……。
…色んな言葉が、感情が頭の中を駆け巡る。
言い訳、不安、悲しみ…とうとう早苗の目元から涙が溢れ出し…。
「早苗」
「…神奈子様……?」
突然、後ろからかけられた言葉に、反射的に身体を起こして振り向くと、守矢神社の神が目を丸くして立っていた。
「早苗!」
そして同時に、相手が早苗だと分かった途端に神奈子は早苗に抱きついてきた。
「良かった…探したんだよ、早苗…」
「か、神奈子様…ごめんなさい…私、私…」
「何も言わなくていいよ、早苗…いいんだよ、もう…」
ぐいと頭を早苗の胸に押し付けてくる神奈子に早苗は大声で神奈子様、と泣き叫びそうになった。
…ああ、しばらくぶりに感じる母のようなぬくもり…なんて、暖かいの。
ただ天国からどん底に突き落とされていた早苗は、そのぬくもりという天使を再びこの手に掴もうと、神奈子を抱きしめ返すべく腕に力を入れた。
「オッケー、八坂様、そのまま離さないで下さいね…」
「え?」
不意に、早苗でも神奈子のものでもない声が響いた。
がたがたと騒々しい音を鳴らしながら何者かの足音が早苗と神奈子の世界に上がりこんでくる。
「え、…え?」
足音の主は二人の天狗だった。
守矢神社も取っている、文々。新聞記者、射命丸文とその部下の犬走椛。
どちらも見知った顔の天狗だが、どうもいつもと様子が違う。
両者とも、何か恐ろしいものを見るような目で早苗を睨み付けている。
大体、彼女らが新聞記者とはいえこうもずかずかと無許可で人の家に入り込んできた事があっただろうか。それ自体おかしいのである。
そう、そして何よりも先程の、恐らく烏天狗の方の言葉。八坂様、そのまま離さないで下さい?どういう事だ。
しかも神奈子はその言葉通りに早苗の事を強く抱きしめたまま離そうとしない。
代わりにうずめていた顔を僅かばかり上げて、涙ぐんだ眼で早苗を見つめてきた。
「ごめんね、早苗…。早苗があんな事をするなんて夢にも思わなかった。でも、それだけ辛かったんだよね。
分かって上げられなくてごめんね。だから…今度は、もうこんな事が起きないように、私も、あんなつまらない事で鬱病なんかにならないように頑張るから…。
… 諏訪子と、私と、早苗で、また一緒にやり直そう。あの天狗たちに協力してもらって、新聞を通して守矢神社の悪評を幻想郷中にばら撒いてもらう。そうやって幻想郷の住人達から守矢神社という存在を抹消させるんだ。
でも、その前にやっぱり、三人で幻想郷のみんなに謝らないとね。その為にあの天狗たちを呼んだんだ。諏訪子だって冬眠から叩き起してやった。
あとは早苗を探し出すだけだったんだけど、丁度良かった」
「ちょッ…い、いきなり何を言ってるんですか神奈子様!?」
更にこの状況でいきなり神奈子が決心のついたような、けれども弱々しい表情でとんでもない事を言ってきたので早苗は混乱しつつも顔だけ二人の天狗に向き直る。
すると、もう片方の天狗、椛が何やら灰色の紙を懐から引っ張り出して、突き出してきた。
「…早苗さん。これを読んで下さい。先輩の書いた、号外記事なんですが…」
「いいや椛。読ませるために手を使わせて、逃げられたら困るわ。読み上げなさい」
「分かりました。早苗さん、そのままの状態でいいですから、聞いてください」
烏天狗とのやり取りの後に、椛は突き出していた新聞紙の表面を自身に向けると、こほんと咳払いをしてから、その内容を口にした。
「…………私が封印されていた妖怪の封印を霊夢を殺すために解いた? ど…、どういう事ですかっ!」
「…母代わりの主に抱かれたままでも尚、とぼけられますか。確かにこの結論は私の推測です。
ですが、髪飾りによる封印を施された妖怪を、わざわざ髪を切るのが仕事の美容室まで始めて、そこに呼び込んだ…
その上、その場に居合わせた妖怪と妖精、亡霊などの証言によると封印を切り落とす瞬間あなたは博麗霊夢の名を叫んでいる。
どう考えても、これらの事から考えられるのは─」
「違うっ!!」
思わず早苗は射命丸の言葉を遮り、否定した。
早苗を抱きしめる神奈子の力が強まる。
椛は思わず肩を震わせ、射命丸は冷めた目で早苗を睨んだ。
「違う…では、何が違うというのです? 言ってみて下さい。
貴方の言葉と、事実に何か矛盾が生じれば、もっと効果的な攻撃を加えられる記事が書ける。
私どもとしても、この山が危機に晒されるのは望んでいないのでね…早い所、この異変の二人の主役を潰しておきたいのです」
そう言って、射命丸はにやりと口元に笑みを浮かべると、胸ポケットからメモ用紙とペンを取り出した。
が、目は笑っていない。
早苗は神奈子に拘束されたまま、そんな射命丸の瞳に恐怖しているのを感じつつも、彼女を睨み返した。
「…確かに私はこの異変を引き起こした張本人になるのかもしれません。
でも私は、霊夢を殺そうとして封印を解いた訳じゃない、いや、そもそも、あんな凶悪な力を封印するためのものだとさえ思っていなかった!」
「ほう。では、何だと思った?」
「私がこれからの生計を立て直すべくあそこでバイトを始める直前に、そのバイトを巡って霊夢と喧嘩…というよりは、あっちが襲い掛かってきたのですけれども。
それが原因で、霊夢が私の客の髪の毛に、散髪に邪魔になるような呪いとも思える、解けない札を、私への嫌がらせのために縛り付けてきたと思ったんです。…札、霊夢の札と似たような配色だったし。
…だから…霊夢の嫌がらせに負けまいと思って…能力の力を鋏に込めて…その、封印の札を」
「……彼女の名を叫んだのも、それで?」
「はい」
「………」
「文さん…」
早苗は自分の記憶にある真実を全て目の前の烏天狗に語った。
ペンを止めて、無言で考え込んでしまった射命丸に、隣の椛が心配そうに呟く。
…分かって、貰えるのだろうか。
早苗はこの異変が起きたのは、自分のせいではない、とは考えなかった。
でも、それでも決して自分で望んでこの異変を引き起こした訳ではない、という事だけは分かって欲しかった。
だから早苗はじっと射命丸を見つめたまま、心の中でそう願った。
……数分ほどたった後、やっと、射命丸が顔を上げて、何か言葉を発そうと口を開いた。
早苗も椛も、神奈子も、射命丸の言葉に耳を傾けようとして─、それを中断した。
「あなたたちは……食べられる、人類?」
渦巻くような瘴気がその場の全員を襲った。
気づけば居間の中心の炬燵の上に、─髪飾りを失った宵闇の妖怪が、両腕を開いて、立っていた。
「お二人とも! 話は後です、逃げますよ!」
そう言った射命丸が隣で硬直していた椛を引っ掴んで羽を広げ、早苗も抱きついたまま唖然としていた神奈子と共に転がるようにして炬燵から離れた。
開け放しの障子から天狗二人が飛び出し、神奈子を立ち上がらせた早苗もその後を追った。
一人残されたルーミアが、よどんだ瞳にその光景を見つめたまま至極ゆっくりと炬燵から降りた。
どんどん彼女たちの姿が遠ざかってゆく。
ルーミアは、開け放された障子を潜って、縁側に立つ。
「なんで、みんな、逃げるの? …食べられるの、嫌だから?」
無機質な声で疑問を呟きながら、ルーミアは自分から逃げてゆくモノたちに、黒い瘴気が溢れ出ている手のひらを向けた。
「させないよ」
「?!」
幼げな声が耳元で囁かれると同時に、早苗たちに向けていた腕に鈍く、しかし鋭い痛みが走る。
突然の痛みにルーミアはバランスを崩して縁側から落っこちた。
ルーミアはもう一方の腕を振り回し、黒い霧状のものを撒き散らして囁きかけてきた何者かを払い除ける。
払われた、やたら特徴的な帽子を被った自分と同じ金髪の少女が一歩、二歩と後退したが、それ以上さがる事はせずに、美しく発光する、赤と青の弾丸を飛ばして─…。
…あれは、何だっけか。
弾。弾。弾幕。…そうだ、弾幕…。
ぐるぐる回るルーミアの思考がその結論を出した瞬間、少女の放った弾幕に次々と被弾する。
避ける暇もなく、最後の一撃を腹部に貰い、ルーミアはよろよろと両膝を床についた。
「ふふん。この守矢神社新の神様、洩矢諏訪子様の超絶弾幕の味はどうよ。
神奈子の言ってた、早苗が解いちまった封印された妖怪ってのは未知の力を持ってるって言うから、ずっと炬燵の中で隙を窺っていたのさ。
…け、決して寝過ごして出遅れた訳じゃないんだからね!
とにかく、早苗たちがあんたから逃げるって言うなら、私があんたをここで足止めしてやるわ!」
いまいち決まらないが、炬燵の中から現れた洩矢諏訪子は縁側からひょいと飛び降りて、びしりとルーミアを指差して勇ましくそう叫んだ。
「すわこ」
「え? あ、うんそう諏訪子諏訪子。流石封印されてた妖怪、神たる私の名を真っ先に覚えてくれるとはね」
「るーみあちゃ…ん…ふういん…ようかい…? …あなたは……人類、…かみさま? 食べられるもの…さなえ、弾…弾幕…すわこ、すわこ、すわこ、食べられるもの、さなえすわこ」
「え、ちょ……な、何さ、いきなり…気味の悪い」
ぶつぶつと呟きながらルーミアは真っ赤な目で諏訪子を見つめた。
いきなり頭の中が真っ白になって、何も思い出せなくなってから、見て、聞いて、覚えた言葉がそれらのものだった。
何か、色々な分からないものが頭の中に入ってくると、勝手に意味を自己解釈して、自分の頭の中に出来上がっているそれぞれの近い意味同士に分けられたカテゴリーに分別する。
そしてその過程を、リアルタイムで口に出してしまうのが、昔の、まだこの世に産み落とされたばかりの頃のルーミアの癖だった。
…昔の、自分?
それは一体、なに?
昔から、の癖じゃない。
昔の、私は、なに?
今までの、私とは、違うの?
「違うの?」
「い、いや何が違うの?」
「違うの…違うの…私はるーみあ、あなたは食べられるすわこかみさま」
「…!?」
狂ったように呟き続けるルーミアが諏訪子を見つめたまま立ち上がった。
流石の諏訪子も身の危険を感じて、自分の周りに無数の赤と青の札による弾幕を出現させる。
対してルーミアも、両腕をまた広げ、どろどろとした黒い塊を複数、自分の身に纏わせるようにして生成した。
「くっらえぇ!!」
「……」
諏訪子の掛け声を合図に、周りを旋回していた赤と青の札が一斉にルーミア目掛けて発射された。
迫る無数の札を回避しながらルーミアも纏わせていた黒い塊を諏訪子へと飛ばす。
塊は、ルーミアから離れるや否や弾け飛び、その破片が綺麗な球状へと変化して、弾幕として諏訪子に襲い掛かった。
…ああ、この感覚。
こうやって、この弾幕で、敵と戦うんだっけ。
…なんで?
なんで、わざわざ、弾幕で戦うんだっけ?
…こうすれば…簡単に、やっつけられるのに。
「ぐうッ!?」
そう思った次の瞬間にルーミアは行動に出ていた。
赤と青の札を食らうのを恐れずに、諏訪子の元まで一直線に突っ込んでいったのだ。
予想だにしなかった体当たりを受け、よろめいた諏訪子の首を闇を纏った両手が掴む。
ぎぎぎ、と諏訪子の首が締め上げられ、苦しみに悶える諏訪子の弾幕である札が次々と力を失い床にはらりはらりと落ちてゆく。
「っあ゛…かっ、くぁあ゛!」
どんと腹に衝撃を加えられたルーミアが手を離して諏訪子から遠ざかる。
辛うじて諏訪子が、首を絞めてくるルーミアを蹴飛ばしたのだ。
「こ、この…!」
涙目になりつつ、左手で締められていた首を押さえる。
荒い息を吐きながら、諏訪子が右手を高々と振り上げた。
同時に、掲げられた右腕にいくつもの、鉄の輪が出現した。
「─神具! 「洩矢の鉄の輪」!!」
そう言うなり諏訪子は腕に通した輪を、右腕を勢い良く振るう事によってひゅんひゅんとルーミアへ飛ばしてきた。
…スペルカード。そんな言葉が、ルーミアの脳内に浮かび上がった。意味は─何だったか。
そして、風を切って襲い来る鉄の輪が赤い光へと変化する。
輪状の光が分裂し、輪を象った配列の弾幕へとその姿を変貌させ、複数の輪っか弾幕がルーミアをぐるりと囲んだ。
「我が神具の歯車に引き裂かれるが良い、下衆!!!」
幼く透き通った声は今やほとんど涙声だ。
それでも、彼女の操る弾幕は確実にルーミアを逃がさぬ完璧な配置だった。
配置は、完璧だった。
「夜符「ナイトバード」──」
ルーミアが、本能に身を任せただけだった。
ただ、それだけで─諏訪子の神具は力を失った。
ルーミアから噴出した、闇を纏ったその中で、緑に、青に光る弾幕が諏訪子の弾幕の配列を大きく崩したのだ。
「そんな」
呆然とその一部始終を見ていた一人の神は、あまりの驚きに、いつの間にか目の前に迫っていた黒い弾丸を回避する事が出来なかった。
「もうお終いだ…私たちは死ぬんだ…人々から忘れ去られたまま…」
豊穣の神、秋穣子は体育座りをしながら、生気のない表情で呟いた。
「むしろいっそ死にたい」
その姉の紅葉の神、秋静葉が同じく体育座りでそう返した。
彼女達の視線の先にはへし折られた木々に、穴だらけの地面。
先程、この山に侵入してきた、新聞にも取り上げられていた封印を解かれたという宵闇の妖怪の仕業だ。
その強大な力は神である彼女たちでも食い止める事は叶わなかった。
それどころか、その妖怪は神である彼女たちを喰らおうとしてきたのだ。
秋ではない為本来の力を発揮できなかった、という事もあるが、それでも種族としての圧倒的な差を逆転させたその妖怪に二人は恐れをなして退避。
結果がこれだ。妖怪は飢えていたのか、別の食物を探しに山を登っていった。
秋姉妹は自分達の不甲斐なさに失望し、打ちひしがれていた。
「まさか封印された妖怪って言うのがあんなに強いなんてね…封印されるのも分かるよ」
「なんであんなのを地底に閉じ込めないで地上に野放しにしておいたのよ…」
「地底って、地霊殿がどうのこうのってやつだっけ? なんか早苗が霊夢に武勇伝を聞かされたとかで言ってたけど」
「そうだよ早苗だよぉ。何であの子はあんな恐ろしいもんを解き放ったのよ…」
静葉があああ、と声をあげながら抱えた膝に顔をうずめる。
姉の背中をさすってやりながら、穣子はふと前方に何か二つの浮遊物体がこちらへ向かってきているのに気づいた。
目を凝らしてよく見てみると…それは、時折山を訪れる、霊夢と魔理沙の二人組。
向こうも負のオーラを放ちながら体育座りしている姉妹に気がついたようで、僅かに方向転換して、二人の下へと飛んできて、でこぼこした地面に降り立った。
「ああ、博麗と白黒じゃない。どうしたのよ、二人揃って」
「この惨状は? ルーミアが…宵闇の妖怪がやったの?」
「私のあいさつはスルーですか、そうですか。馬鹿にしやがって。
どうせ私たちは妖怪に負ける、力もない信仰もない情けない神様ですよーだ…そーですよ、そいつの仕業ですよ」
自棄になった穣子が投げやりな言葉を返すと、やっぱり、と言ったような表情で二人は顔を見合わせた。
「なあ、そいつはそれから、どこに向かった?」
「……上」
魔理沙の問いに黙っていた静葉がぼそりと呟いた。
それを聞いた二人は再び宙に浮かぶ。
「まさか早苗んとこか…? それとも単純に、気まぐれで上を目指してみただけか…」
「どっちでもいいわ。早く追いかけるわよ!」
「おうよ! 飛ばすぜ! ああ、そうだ。教えてくれてサンキューな、えーと…何とか姉妹!」
そう残して、霊夢と魔理沙は山肌に沿うようにして飛んでいった。
…何とか姉妹ってなんだよ。覚えとけよ。
穣子はそう心の中で毒づいた。
しかし、残念ながら、これももはや慣れた事だった。信仰も知名度もない二人にとってはよくある話だ。
何だか馬鹿馬鹿しくなって、穣子は体育座りをやめて両足を投げ出した。
「全くあの二人、一体何しに行くんだか。もしかしてあの化け物を退治するつもりかなぁ」
「霊夢と魔理沙っていうと、あっちの方じゃよく異変の解決してるらしいわよ」
「うっわ…じゃあ本気ですか。でもいくら異変を解決してたってどうせスペルカードルール上で落とし前をつけてやってるだけでしょ。
あんな常識を知らない怪物に挑んだら、絶対に死ぬって。二人とも人間でしょ?」
「……ねえ、穣子」
「ん…何?」
脈絡もなく、不意に姉に名前を呼ばれたので、穣子は相変わらず体育座りな姉に顔を向けた。
その小さな口から放たれた言葉は、あまりにも予想外なものだった。
「これってもしかして私たちの名を広めるチャンスじゃね?」
「は?」
「ここまで逃げれば大丈夫…でしょうか」
「多分ね」
部下の言葉に、射命丸は短く答えた。
どういう訳だかあの妖怪が追いかけてくる様子はないし、椛の言う通りだろう。
後ろを振り返ると、案の定神奈子と早苗が息を切らせていた。
それを見やり射命丸は近くに生えていた木の一番太い枝に腰掛け、先程のメモ用紙とペンを取り出した。
「で、早苗さん。先程の話の続きですが」
「あ…はい」
「確かにあなたの話は筋が通っていると言えば通っている。
私としては新聞の信頼がやや失われる事になるのであまり気は進みませんが、…いや、これは記者として確認もせず、自分の勝手な推測を載せてしまった私の責任ですね。
考えておきます。あの妖怪が鎮圧された後の新聞にあなたの言葉を記しておく事を」
「…ありがとうございます」
そう返す早苗の表情は一瞬のみ明るさを取り戻したものの、すぐに沈んでしまった。
…まあ、無理もない。知らなかったとはいえ、結局の所はあの化け物の封印を解いてしまったのは事実。
せめて、次の作る事になるであろう新聞を配る時に先程配った号外を誤りがあった為、という名目で回収しておくべきだろう。こればかりは自分で言った通り自分の責任だ。
かなり大きくなりそうな事件だったので、つい悪い癖が出てしまっていたのである。実際、大きくなっている。
大体朝から昼までにかけての時間で現場に直行し取材し僅かな文章ではあったとしても新聞を書き上げるなどいつもの自分には到底出来そうにない。
幸い妖怪の山、博麗神社、と配った所で山から飛んできた椛から神奈子の呼び出しの為の伝言を預かり守矢神社に戻ったため、まだ大した数を配った訳ではない。
なので、回収に時間は掛からないだろうし、幻想郷全土からの自分の評価が下がるという事でもない。恐らく早苗へのバッシングも少ないとは思われる。
と、そう早苗に教えてやっても彼女の表情が晴れる事はなかった。
「…さて、これからどうしましょうか?」
埒が明かないので無理にでも話を進める事にした。
射命丸の言葉に真っ先に反応を示したのはさっきから喋っていなかった神奈子だ。
何やら様子がおかしい。顔色が優れない─のは、元より、どこか焦っているように見えた。
「す、諏訪子」
「え?」
「諏訪子…神社に忘れてきた」
とんでもない事実を口にした神奈子に三人は絶句。
あの妖怪が自分たちを追いかけてこなかった訳だ。
全員が全員諏訪子の存在を忘れていた事の方がとんでもないが、とにかくそれは彼女の危機を示していた。
一応神だし、やられてはいないだろうが…聞く所によれば諏訪子はずっと炬燵の中で冬眠していたという。
そんな鈍った身体で、強大な力を解き放たれてしまった妖怪に太刀打ちできるのだろうか。
「と。とにかく。神社に戻って、洩矢様をお助けしなければならないんじゃあ?」
慌てふためく椛がそう言った。余計な事を…。
そう思った時には既に遅く、それに早苗と神奈子が強く頷いた。
「…しかし、それじゃあ一体何のためにここまで逃げてきたのか分かりませんよ?
もしも神社に戻る道中奴と出会ってしまったら? 神社までいけたとして、そこで待ち構えていたら? いいや、むしろそのどちらかの可能性が高い。
確かに八坂様、あなたは神だ。ですが鬱病でしょう。話によれば信仰も今は大してなく、本来の力の十分の一も発揮できない状態。まともに戦えるんですか?
確かに早苗さん、あなたは現人神だ。ですが所詮は人間、相手は破壊活動を繰り返している事から恐らくスペルカードルール制定前に封印された妖怪。殺されますよ?
椛は論外」
「先輩ひでえ!」
椛が射命丸の言葉に悲鳴をあげる。
早苗と神奈子は押し黙ってしまった。
そうそれで良い、命は大事にするものだ。
あの妖怪はきっと博麗霊夢や霧雨魔理沙がどうにかしてくれる。
その間我々はどこか安全な場所で身を潜め…。
「わ、私は─戦います」
─え?
目を丸くする射命丸を見つめ返す瞳の主は早苗だった。
話を聞いていなかったのか、と再び射命丸は彼女を諭そうと口を開きかけたが、早苗がその言葉を発する方が早かった。
「全部私のせいでこうなってしまったんです!
私があの子の封印を解かなければ、あの子自身だって…こんなの望んでいなかった!
だから、私が…私が止めなくちゃいけないんです!」
「! ………」
「早苗…」
「……」
…ああ、言われてしまったか。
早苗のその言葉に、神奈子も椛もすっかり同情してしまっている。同調、とも言える。
この様子じゃ…もう一度、私の意見を突き通すのは難しいですねぇ…。
………。
「…仕方ない。分かりました。戻りましょう、神社に。
まあまだ諏訪子さんが宵闇の妖怪に見つかって戦っている、って決まった訳じゃあないですしね…。
ええ、そうですとも、必ずしも物事が悪い方向に進む訳ではないのです、きっとそうだ」
半ば諦めた顔で、射命丸は三人にそう言った。
…こうなってしまってはもう何を言っても無駄だ。
射命丸の、記者としての経験がそう結論付けた。
紅魔館のフランドール嬢の撮影以来に感じた恐怖感がまだ拭いきれないが……仕方あるまい。
「あ、ありがとうございます!」
「さすがは天狗、話が分かる…助かるよ」
「そこに痺れる憧れるゥ!」
…まあ、いいか。
その三人の言葉で、不思議な事に射命丸はその気になってしまった。
守矢神社に到着するまで、そう手間は掛からなかった。
というのも、この場に来るまで、何者からの邪魔を一切受けなかったからだ。
以前この山を訪れた時は妖精は勿論、厄神や河童、天狗に突っかかって来られたものだが、今回はその様な様子はない。
どうもルーミアの襲来はこの山に住まう者達にとってかなりの衝撃だったらしい。
証拠に、山道のあちこちに気絶した妖精たちが転がっていて、厄神などに至っては何が起きたのか、頭から地面に突き刺さっていた。
…そして辿りついた、守矢神社の境内に降り立った霊夢と魔理沙はその場で展開されていた光景を見て、やっとこれが異変である事を実感せざるを得なかった。
「何よ、これ」
案の定、そこには宵闇の妖怪が居た。
それよりも、ルーミアの周辺の石畳の隙間から真っ黒な何かが溢れ出している事に霊夢の意識は向いた。
それはルーミアの立っている位置に近ければ近いほど、強く、濃く噴出している。
ルーミアの足元から噴出す闇の中に何か人影が横たわっていた。
…目を凝らして良く見てみると、その黒い霧の中に、八百万神の内の一人の姿が埋まっている。
そんなとんでもない状況に置かれた彼女はぴくりともしない。
霊夢は背中に冷たいものを感じた。
─突如として、闇の中で呆けていたルーミアの赤い目玉がぎょろりと二人の方を向いた。
その目から発せられる狂気と、それが一斉に自分たちに向けられたのとで、二人は同時に肩を震わせた。
「……………」
ルーミアはしばらく、二人を見つめたまま動かなかった。
霊夢と魔理沙は、動けなかった。
…数秒間の沈黙の後、不意にルーミアがにやりと笑みを浮かべた。
それはもう、本当に、本当に心の底から喜んでいるような表情で──。
ぐいと、足元に転がっている諏訪子の髪の毛を掴んで、彼女の身体を持ち上げ、二人に見せ付けるように掲げて見せた。
「かみさまって、食べられないみたいね」
ルーミアはそう言い放つなり、諏訪子の髪を離した。
どさりと小さな身体が闇の噴出す石畳の上に転がった。
「でも、あなたたちは、食べられそう。人間だから」
とんとルーミアが石畳を蹴った。
次の瞬間、霊夢の目の前に、金髪の少女が─。
「夢符「二重結界」ッ!!」
ルーミアの振るった爪が霊夢の喉を掻き切るよりも早く、霊夢の宣言したスペルが発動される。
名の通り、瞬間的に二重に張られた結界は見事ルーミアの攻撃を遮り、そして彼女をばちりと弾き飛ばした。
己が生み出した幾多の小さな闇の噴水の中へとどしゃりとルーミアが吹き飛ばされる。
起き上がろうとした矢先、その腹に魔理沙の発射したイリュージョンレーザーが捻り込まれた。
がはっと少量、血を吐いたルーミアがその場にくず折れる。
しかしそれで終わるはずがない。
血を滴らせるルーミアの口元が釣り上がっていたのに気づいた頃には、既に霊夢と魔理沙の足元の石畳が砕け散り、そこから他の石畳の隙間を伝い溜まらせていたのであろうルーミアの闇が噴出して来ていた。
このような使用方法をするからにはこれに当たれば少なくとも良い結果はもたらされないだろう。
霊夢は地を蹴り横へ跳び、魔理沙はその場から跳躍し、そのまま箒に飛び乗って飛行体勢へと入り牙のように襲い掛かってきた闇を回避した。
標的を失った闇はそのまま二人の元居た場所を切り裂くなり霧のように分散し消えていった。
「…やっぱり。こいつ、スペルカードルールの事、忘れてるわね」
「……これ、本当に死ぬ気で掛からないとやばいじゃないのか?」
闇の噴水の中で絶え間なく声のない不気味な笑みを浮かべ続ける少女を見やり、霊夢も魔理沙もそれらの事実に戸惑っていた。
確かに、強力。
しかしそれは、妖怪としての純粋な力だ。
それだけで言ってしまえば、彼女は、例えば紫やレミリアなどには及ばない程度の“強力”。
…しかし、今述べた二人のように、今のルーミアはスペルカードルールの事を覚えていない。
弾幕を行使せずに人間である自分たちを殺そうとしてくるあたりそうだろう。
ルール上の決闘で初めて妖怪と対等に渡り合ってきた霊夢と魔理沙にとって、その妖怪との戦闘は非常に危険なものとなる。
恐らく彼女と戦い、敗れたのであろう諏訪子も同様だ。
諏訪子はきっとあくまでも弾幕で勝負を挑んだのだろう。
そこを予想だにしない、ルールを無視した攻撃の数々に敗北を喫したという所か。
…そうして、神さえも打ち破ってしまうほどの危険性を持った彼女をここで止めなければ一体どうなるか。
その内彼女より強い妖怪によって鎮圧される事になるのだろうが、それまでに一体どれほどの被害が出るか。
うっかり里への侵入を許そうものなら、それこそ大量の死人が出る事になるだろう。
だからこそ、二人は逃げようとなど考えは起こさなかった。
「ったく、幽々子の奴…能力で殺ろうと思えば殺れただろうに、こんな危険なのを逃がしちゃって。
依頼人として、報酬は大量に出させてやらないとね」
「まあ、そいつは私と仲良く山分けと行こうじゃないか」
箒に跨ったまま、ミニ八卦路を懐から取り出した魔理沙がそう言った。
どこまでもがめつい友人にやれやれと首を振りながら、霊夢は紅白の札を構えた。
こちらがなかなか動き出さないのを良い事に闇の中でゆらりと立ち上がったルーミアに、二人は攻撃を再開した。
真っ赤な目を見開いたルーミアは、そんな二人を見ながらずっと笑っていた。
「─人間のくせに。おばかさんね」
静葉と穣子は霊夢たちを追って山を登っていた。
登っていたと言っても、勿論飛んで、だ。
霊夢たちがあの宵闇の妖怪を退治しに山にやってきたのはわかった。
だが今ここで彼女たちを追いかけるというのはその妖怪とまた会わなければならない事になる。
何故わざわざ彼女たちはそんな事をしようとしているのか。
静葉の目論見はこうだった。
あの妖怪の様子を見るに、彼女はスペルカードルールを知らない妖怪だ。
そんな妖怪に人間である霊夢たちが戦いを挑めば十中八九、ただではすまないだろう。
しかし妖怪の方も異変解決のエキスパート二人を同時に相手に回すとなれば彼女の方も満身創痍の状態に陥るはず。
そこを通りすがりの神である(という設定の)自分たちが霊夢たちの助けに入り、妖怪にとどめを刺して信仰並び知名度を荒稼ぎするのだ。
それを静葉が穣子に言ってみた所、流石は妹、姉の考えに共感できる部分が多々あったと見て、それは良い早速巫女たちを追いかけようと賛成してくれ、今こうして二人で先行した霊夢たちをほどほどの速度で追っているのだ。
あまりにも神らしかぬ考え方だが、このまま信仰されない日々が続けば、姉妹共々消滅の危機に晒されるのもそう遠くないのだ。
命が掛かっているのだ、いくら普段は大人しい静葉だろうとこんな血迷った考えを起こしてしまうのも無理はなかった。
「でもお姉ちゃん、本当にそんなに上手くいくかなぁ…私たち、一回負けてるんだよ? それはもう哀しいほど簡単に」
「きっと上手くいくわよ。霊夢たちだって伊達に異変の解決をして来た訳じゃあない…と、思うもの。
今頃は良い具合に宵闇の妖怪の力を削り取ってくれているわ」
「そうだよね! 上手くいくよね! うっわあテンション上がってきた」
「穣子は、有名になって信仰も集まったら、まず何がしたい?」
「んんとね、まず、信仰してくれた人たちを私とお姉ちゃんの力で喜ばせてあげるの!
あ、でもそれは秋にならないとちょっと難しいから、やっぱり最初は、お姉ちゃんと一緒に何か美味しいもの食べたいな!
例えば、鍋とか!」
「そうね、鍋かぁ…うふふふふ、ほんと夢のような話ね。
でももうすぐそれも夢じゃなくなるの、もう毎日鍋パーティ開いちゃるわうふふふ」
そんな会話を延々と続けている内に、いつの間にか二人は守矢神社に到着していた。
早速静葉と穣子は、一際大きな、葉の落ちた木の枝に身を隠して神社の様子を隠れ見る。
…居た。
境内の方で、あの宵闇の妖怪と、霊夢と魔理沙が戦っている。
見る限り、霊夢たちの方が敵を圧倒している。見た限りでは。
気になるのは、相手の妖怪が不気味な笑い声を上げ続けている事ぐらいだ。
「少し早く着きすぎたみたいね。ちょっと様子を見てましょうか」
「そうだね」
そう、静葉と穣子が交わした瞬間だった。
ずどんと鈍く大きな音が辺りに響き渡る。
境内からだ。
驚いて二人は見合わせていた顔を境内の方に向けると、いつの間にやら境内のど真ん中に、抉り取ったような、巨大な穴が開いていた。
そしてその穴の傍に、霊夢と魔理沙が倒れている。
魔理沙の高威力の魔砲ではないようだ。
では、何が起きたのか? …考えるまでもない、宵闇の妖怪の攻撃だろう。
あの不気味な笑いの原因はこれか。
一気に形勢逆転を図ろうとは。
…霊夢と魔理沙はぐったりと横たわったまま動く素振りを見せない。
けらけらと笑う宵闇の妖怪が静葉たちから見ても良く分かるほどに鋭く光る爪を振り上げ、彼女たちの元へ歩み寄っていく。
「……お、お姉ちゃん。不味くない? あれ……」
「…………」
穣子が心配そうな目を向けてくる。
静葉は、息を飲んで妖怪の歩みを見ている事しか出来なかった。
…このまま放って置けば人間である霊夢も魔理沙も無抵抗なまま殺されるのだろう。
だからといって、今ここで自分たちが出て行けば…確実に負ける。
妖怪は今の二人の力でどうこう出来るほど十分なダメージを負っていない。
勝てる訳がない。もちろん命は大事だ。
妖怪などに、神の命をくれてやる筋合いはない。
そして人間などのために、神の命をくれてやる筋合いもない。
頭の中では分かっていた。
あの妖怪が、信仰もなく、秋でもなく、力を失っている自分たちが敵う相手ではないという事ぐらい。
だというのに、身体の方はてんで駄目だ。
何故自分自身の言う事を聞けない──?
静葉は半ば混乱しつつも、身を隠していた木にわずかばかり残っていた葉の力を搾取し─自分自身の力へと、転じた。
「葉符──「狂いの落葉」ッ!!!」
初め、頭から何か重いものが取り払われた時、どういう訳だか酷く気持ちが良かった。
同時に、それより前の記憶が吹き飛んだようだったが、そんな事は気にならない程、とにかく気持ち良かったのだ。
その快楽は一瞬にして絶頂へと達し、どうも体中に有り余る力を撒き散らしながらその部屋を飛び出した。
…ルーミアちゃん、待って! …いやあああぁ、たすけてぇ!! …あの妖怪の封印が解かれる事になるなんて、どうしましょう…。
後ろで、色んな言葉が飛び交った。
自分も何か言葉を発してみようと思ったが、なかなか上手くいかなかったので、諦めた。
自分が空を飛ぶ事が出来るというのは、本能とも言うべきものか、外に飛び出て、青空を見上げた途端に理解した。
それがどうしようもなく嬉しくて、訳も分からず自分は青空へと飛び立った。
あちこち飛んでいる内に、今度は何やら急にお腹がすいた。
丁度良い事に、沢山の家が連なっているような場所の上空を飛んでいたので、降り立って、家の壁をはがして噛り付いた。
それが空腹である事も、自分が家の上を飛んでいる事も、何故だか理解していた。
もしかしたら吹き飛んだ記憶の中の部分部分が心の中にしつこくこびりついていたのかもしれない。
とにかく、口にしてみた壁はほんの少しだけ、自分の空腹を満たしてくれた。
この際味は気にしない。壁を噛み砕き飲み込む矢先、どんどん空腹感は募っていくのだから不思議なものだった。
そうしている内に、一枚の壁を丸々食いつくし、更にもう一枚、もう二枚と次々壁を破り、はがし、貪っていった。
と、そこにずかずかやってきた狐が、この白蟻妖怪め成敗してくれるそこになおれなどと叫んできたので、
「白蟻妖怪って何?」
そう聞いた。やっと、言葉の発し方を思い出した瞬間だった。
先とは違って狐の唇の動いている様を眺めながら言葉を発するのを見たのがきっかけとなったのか。
きっかけとなったその狐は答えず、代わりに目にも止まらぬ速度で何か光るものを私にぶつけてきた。
今考えてみると、それも弾幕だったのかもしれない。
その時は何をされたのかも良く分からず、その場から逃げ出した私は、また空を飛んでいた。
今度は、大きな山があったので、食べ物にありつく為に、賑やかな様子を見せるその山へと向かい─…。
ルーミアは、この日の出来事を思い出しながら、同時に次々と言葉を、力を思い出しながら、ついに今日初めてまともな食事にありつける事を心の底から喜んだ。
目の前に転がる人間二人。
…かみさまと同じように弾幕で攻撃をして来たけれど、ついさっき、何となく思い出した感覚を掴んだ途端、真っ黒な何かが目の前で爆発して、人間たちを吹き飛ばした。
これが私の力なのかな?
だとしたら、凄いなあ。
何だか凄く疲れちゃったけど、こんな凄い力が使えるんだもの。別にいっか。
…でも今はそれよりご飯だよね。
ああ、色々あったから、とってもお腹すいたなあ。
美味しそうなお肉。
材木なんかより、やっぱり人間だよね。
……それじゃあ早速。
いただきまあす。
「葉符──「狂いの落葉」ッ!!!」
「!!?」
目の前のご馳走に爪を立てようとした瞬間、あらぬ方向からルーミアに弾幕が襲い掛かった。
落ち葉を模したような弾幕が次々とルーミアに直撃し、よろりとバランスを崩してその場に尻餅をついてしまった。
「行くわよ、穣子!!」
「ちょっ、お姉ちゃん!?」
紅葉のようなスカートの裾をなびかせルーミアの目の前にルーミアの食事を妨害した少女が着地する。
慌てたようにそれを追って、もう一人、良く似た顔立ちをした、葡萄のついた帽子を被った少女が現れた。
「だあれ、あなたたち。この人間のお友達?」
「ふん、もう忘れたのかい? まあ仕方ないわよね、無知で横暴な妖怪だものね。
私の名は秋静葉! 紅葉を司る、季節外れで信仰も知名度も力も無い哀れな神様! そしてこっちが妹の豊穣を司る神、秋穣子よ!
あんたをやっつけて一儲けしようと思っていたけれど、そこで転がっているお友達があまりにも不甲斐ないせいで一生哀れな神のままだわ!
ねぇ、穣子! こいつら、後で落ち葉攻めにしてシバきましょう!!」
「はえ!? あ、ああうんそうだねお姉ちゃん、でも秋になったらね」
…どういう訳かそのかみさまは怒っているようだった。
……何でだろう?
分からない。
「何でかみさまの、しずはとみのりこが怒る必要があるの?
ご飯の邪魔されて、怒りたいのはこっちなのに…。
ねえ、かみさまは食べられないの。
だからあなたたちは食べないよ。
でも、代わりに怒ってもいい?」
「相手の名前をちゃんと覚えるのには感心ね。
でも私はあんたの名前は覚えてあげない。
そんな余裕、多分ないもの」
「………」
肝心の話を無視してずけずけとものを言う静葉とやらにいささかルーミアは怒りを覚えていた。
その少女の後ろで穣子が不安そうな目でルーミアと静葉を見比べているが、もう関係ない。
…あいつらをやっつけなくちゃ。
そうしなくちゃ、人間を食べられない。
かみさまなんて、簡単にやっつけられる。
すわこかみさまをやっつけた時みたいに、戦えばいいんだ。
「闇符…「ディマーケイション」 」
ずばばばばばばばばっ!
そう宣言すると同時に、ルーミアを中心として緑と、赤の弾幕が噴出した。
更に、ルーミアを取り巻く闇の噴水が途端にルーミアを囲う壁のような形状へと変化し、更にその闇の壁から真っ黒な弾幕が吐き出される。
緑と、赤と、黒の弾幕が波打ち、秋姉妹へと襲い掛かる。
それだけで終わらせる訳もない。ルーミアはそのまま両腕を突き出して、そこから闇を纏った青白い弾幕を連射した。
それは先に撃った三色の弾幕のどれよりも速く、青の弾幕は秋姉妹の行く手を塞ぐ弾幕の波を突き破り、波状の陣形を描いて彼女らに迫った。
「…ルールは忘れても、スペルは使うのね。
でもね、そんな卑怯な攻撃で神を破れると思わない方がいいわよ! やっちまいな穣子!!」
「お、お姉ちゃんテンションがさっきから変だよ…?
まあ…確かに、妖怪の癖に、あなたちょっと調子に乗りすぎだよね!
─秋符「オータムスカイ」!」
妹の方が叫び、両手をかざすと同時にそこから円状に並んだ弾幕が放出された。
弾幕の円盤が姉妹を囲むルーミアの弾幕を相殺し、配置の崩れた弾幕の隙間を縫って静葉の落ち葉弾幕が迫り来る。
…かみさまの弱々しい悪あがきだね。
口ではあんな強がっているけれど、本当はいっぱいいっぱいに違いない。
─かみさまなんて、簡単にやっつけられるんだ。
向かってくる弾幕目掛け、ルーミアは黒に包まれた右腕を突き出し、そして闇で生成した巨大な弾丸を撃ち込んだ。
弾は次々に秋姉妹の弾幕を蹴散らし、最後には二人の弾幕の深部まで切り込んだ所で破裂し、闇をぶちまけた。
…撒き散らされた黒を浴びた二人のかみさまは、すわこかみさまをやっつけた時と同じようにして悲鳴を上げた。
弾幕が止んだ。
さあ、これで、終わりにしてあげる。
今まで放っていた弾幕を止めて、ルーミアは代わりに、先程人間たちへと放った一撃を神たちへのとどめとして見舞おうと考えた。
食べられもしない、生意気な奴等が自分の力でばらばらに吹き飛ぶのだと考えると笑いがこみ上げてきて仕方が無い。
…そうして、かみさまをやっつけたら、今度こそご飯にしよう。
舌なめずりをして、ルーミアは心を躍らせながら自分の力から何とか脱出したばかりの姉妹を見た。
どちらも、荒い息遣いをしながらルーミアを睨みつけてくる。
…あの様子じゃあ、逃げられないよね。
そう悟ったルーミアはついに、あの時、人間たちを吹き飛ばした時と同じようにして、両手を掲げ─。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
人間でも、かみさまのものでもない、何者かの声が後ろから響いた。
何事かと振り向いたまさにその瞬間、白銀の太刀がルーミアの身体を貫いた。
…………何で。
きつねも、すわこも、しずはも、みのりこも、…そして、こいつも。
何で、みんな、いつも、私の邪魔ばかりするの…?
封印を解かれた事で敵がスペルカードルール制定前の記憶を持つ妖怪へと変わってしまっているのならば、その妖怪の記憶に残っている戦闘方法で相手をするのが一番。
つまりルールを完全に無視した上での戦いを挑むのだ。
ここに来るまでに、上司と守矢神社の神と巫女たちとでそう決めあった。
…文先輩曰く、「博麗の巫女とスキマ妖怪にバレなければ良い」との事。
自称真実を報道する新聞記者の癖に何を、と思ったが、椛自身その作戦で行く方が良いと思っていた。
いくら規定通りの決闘法で勝負を挑んでも、相手がその決闘のルールを知らなければそれは成り立たない。
ルールを守って戦っても、相手がルールを破った攻撃を加えてくれば負けるに決まっている。
ならば、相手の知っている遊びで勝負を挑んでやるのに尽きる。
…だから、私はそいつを殺す勢いで剣を突き刺した。
「ぁぁぁあああああああああああッッッ!!!!」
「ぐぅっ…!!」
境内に辿り付くなり先陣を切って全力疾走で特攻を仕掛けた椛の一撃は、封印されていたという妖怪に予想以上の結果をもたらした。
痛みのあまり悲鳴を上げた宵闇の妖怪の蹴りを腹に受け、妖怪に太刀を突き刺したまま吹き飛ばされてしまったものの、それは妖怪にとって深刻なダメージとなった何よりの証拠となった。
「良くやったわね、偉いわよ、椛っ!」
「!!?」
場違いにも椛への労いの言葉を叫びながら射命丸が疾風の如く宵闇の妖怪の背後に現れた。
ずどんと鈍い音と共に宵闇の妖怪が吹き飛んだ。
腹に太刀を突き込まれ、続けて零距離からの弾幕に流石の奴も耐え切れなかったと見える。
真っ赤な血と、真っ黒な闇をばら撒きながら地面に倒れ伏せると同時に何やら石畳の隙間から溢れていた黒い霧が大きく揺らぐ。
霧と霧の間に垣間見えたものとは、他でもない洩矢諏訪子の姿だった。
「八坂様! あそこに、今っ! 洩矢様が!」
椛は叫んだが、既にそれよりも早く神奈子と早苗はその場へと直行していた。
…よし、洩矢様の事はあの二人に頼もう。
出来ればどちらか一人はこちらに回して欲しいものだが、二人にとって洩矢様は家族の一員だし、無事かどうかを確かめずに戦わせる方が無理というもの。
それに冬眠していたとはいえ彼女も神だ。死んでいるなんて事はない、と思うが…。
…それよりも今は戦闘のほうに集中しなければ。
洩矢さんを発見したのだから、後はあの妖怪を叩くだけ…。
その内二人とも戻ってきてくれるだろうし、勝ち目は十分にある、と思いたい。
武器はまだ妖怪に突き刺さったままだ。私は弾幕で文先輩のサポートに…。
「あの…すいませーん」
「うぇ!?」
思考中に突然後ろから声が掛かったので、心底驚いて振り返ると、息も絶え絶え、立つのもやっとに見える少女たち──否、二人の神が立っていた。
「……秋、静葉さんと穣子さん?」
「素晴らしい、感動したわ。…まあ、今はそれは置いておいて…ありがとうね助けてくれて」
「えっ? 助けたって…? ええ、と…もしかして、今まで、あの妖怪に襲われて…?」
「いいわよもう…どうせみんな秋でもないのに命がけで私たちが博麗の巫女たちを護ってる所なんて見てくれちゃいなかったのよ…哀しいわ、穣子…」
「そうだね、お姉ちゃん…」
「い、いや! 見てました! 見てましたとも、お二人の勇姿! 素晴らしかったです!」
「「ですよねー!!!」」
ここで見ていなかったなどと答えたら二人して首でも吊りかねない勢いだったので慌てて椛はそう答えた。
目を輝かせながらハモる姉妹に椛は場違いにもあっ、なんか可愛いちょっと悔しい、などと思ったが本当に場違いな上にそんな事を言える身分でもないのですぐにその言葉を胸の内に押し留めた。
それに早く先輩に加勢しなければ、持ち前の速度で手負いの敵を圧倒しているようだが、なかなか決定打を与えられていない。
彼女の放つ弾幕を、宵闇の妖怪は腹に椛の太刀を引っ提げたままにも関わらず博麗の巫女の如く回避テクニックを披露し、巧みに避けているのだ。
なので、命がけで戦っていたというこの二人にも加勢を頼もうとして、やっと気づいた。
…この二人、さっきなんと言っていた?
………博麗の巫女たち、だって?
「もしかして…霊夢さんが来てるんですか?」
「そうよ、白黒の魔法使いも一緒ね。
でもやっぱり人間だからねぇ…、相手は神な私たちを悶絶させる程の力を持った妖怪よ、結局気絶させられてあそこに転がってるわ」
そう言って静葉が指差した方向を向いてみると、なるほど確かに宵闇の妖怪の仕業であろう石畳の隙間から溢れ出す闇の霧の後ろに二人の人間と、その脇に抉られたような穴が隠れていた。
「幸い、あの黒い霧はあいつらに掛かっちゃいないし、今のあなたたちの攻撃のおかげであの妖怪を割とあそこから離れさせたし、放っといて大丈夫だと思うわ。
人間だけれども、気絶してるだけだし、異変解決のエキスパートだし」
「やはりあの黒い霧は人体に影響を?」
「人体のみならず神体にもね。私たちもそれにやられて、もう戦えな」
「っぐあああああぁぁ!!」
「いぃっ!?」
穣子の言葉を遮って、爆音と共に勢い良く烏天狗が三人の元へと吹き飛ばされてきた。
驚きに秋姉妹は顔を見合わせ、そして椛はすぐさま飛ばされてきた射命丸に屈み込む。
「先輩! 文先輩! 大丈夫ですか!? 先輩!!」
「う、うう…ぐ……ゆ、…油断、した…わ…」
…かなり強烈な一撃を見舞われたらしい。
椛が彼女を抱き起こしたが、途切れ途切れにそんな言葉を紡ぐだけで、彼女をそれ以上起き上がらせる事は叶わなかった。
「…お姉ちゃん、い、今の音って…」
「……霊夢と魔理沙を一発でのした力…かしら」
そう呟いた二人の言葉に椛は射命丸を抱いたまま姉妹を見上げる。
…巫女と魔法使いを一発で? そんなものを文先輩に?
焦る椛を見下ろす彼女たちの顔には確かな恐怖の色が窺えた。
「…もう戦えない…なんて言ってる場合じゃないわね、穣子」
敵を一人撃墜した事に喜んでいるのか、血を滴らせながらけらけら笑う妖怪は、ずぶりと腹に突き刺さっていた椛の太刀を引き抜いた。
びちゃびちゃと赤と黒が落ちる不快な音が響く。
そして開いた大きな傷口をじゅくじゅくと闇が蠢くようにして塞ぎ始める。
静葉はそんな化け物を見ながらも、何か決意に満ちたような声でそう言った。
「……そう…だよね。やっぱり…もう逃げられないんだよね」
穣子が、静かに返した。
…そう、もう逃げられないのだ。
博麗も白黒も文先輩もやられた。
頼りになる者達が次々と離脱していくこの境内で、果たして止まる事を知らないあの妖怪を止める事が出来るのだろうか。
「…止めないと、いけないんだ」
椛は一人そう呟いて、抱いていた射命丸を静かにその場に横たわらせる。
そして、すくりと立ち上がり──…守矢神社をバックに、血塗れで笑う宵闇の妖怪を見据えた。
「行くぞ…魔物め。例えどんなに強大でも、強力でも! 私は、お前を止める!!」
そう叫び、椛は石畳を蹴って、宵闇の妖怪目掛け走り出した。
「へーぇ…そうなのかー…
……止められるかな?」
赤く染まった髪の下に隠れた赤い瞳が、ぎょろりと三人に向いた。
結論から言うと、諏訪子は生きていた。
神奈子と早苗に抱き起こされた時、やっと暗い闇の中から開放され、目を覚ましたのだった。
「か…神奈子…早苗…」
「諏訪子!!」
「諏訪子様…!」
なんとか二人の名前を搾り出した瞬間、二人とも泣きながら諏訪子の事を抱き締めてきた。
…私はそんなに心配をかけていたのか。
信仰もなく、神奈子に冬眠から叩きこされた直後でろくに力も発揮できない身体で、封印される程の妖怪に不用意にも勝負を仕掛けた自分がどうしようもなく愚かに感じられた。
「諏訪子、立てるかい?」
涙目の神奈子がそう問いかけてきたので、もちろんさ私を誰だと思っているお前の永遠のライバル兼人間たちの永遠のアイドル諏訪子様だよ、とちょっとした軽口を叩こうとしたが、胸の辺りが締め付けられるように苦しくなって声が出ない。
それに、動くと全身が火で炙られているかのように痛むので、結局何も言わなかった。
神奈子と早苗が諏訪子の両肩を持ち、闇の充満する境内より離れた所へと運び始める。
その行動と、闇がまだ残っている事からあの妖怪がここに存在している事は間違いない。
そしてこの二人は、わざわざこの場所へと戻ってきて、せっかく私が死にかけてまで足止めしてやったあの化け物と戦うつもりでいるのだ。
「何か、…策はあるの?」
神社の離れの大きな木の傍に寝かせられた諏訪子は屈みこんでいる二人にそう問いかけた。
…何で戻ってきた、など野暮な事は聞かない。
私の愛する家族は、あの妖怪を打ち倒す為に戻ってきたのだ。
そして二人のその決意を今の私が、いや、普段の私であろうと、揺るがす事さえ出来はしない。
だから諏訪子は弾幕で撃たれた肺が苦しくて仕方が無くても、ただ一つ、それだけ聞いた。
力を失っていようとも、神を昏倒させる程の力を持つあの妖怪は無策で倒せるほど甘くはない。
その為、これだけは聞いておかなければなるまいと諏訪子は考えた。
もしも二人とも無策であろうものなら、例え死んでもこの二人をこの場から逃れさせようと思っていた。
だが、どうやらその必要は無かったらしい。
神奈子も早苗も、諏訪子の目を真っ直ぐに見つめて、首を縦に振ってくれたのだ。
「心配無用さ、諏訪子」
「集団で、スペルカードルール無視…それが私たちの作戦です」
果たしてそれは作戦と言えるものなのか。
一瞬そんな疑問が脳裏を掠めたが、よくよく考えてみれば人間以外は必然的に力を制限されるスペルカード戦のルールを無視する事によって、確かにかなりの効果をもたらす事になるだろう。
…だが、現在信仰を失っている状態にある神奈子にはあまり意味が無い。
信仰を失うと、神としての力は発揮できない。
「言いたい事は分かるよ、私にとっちゃあスペルカードルール無視なんて意味は無い、けど…」
「先程集団、と申しましたように、他にも協力していただける方たちが居ます」
「ああ。だから心配する事は無いさ、諏訪子。お前はここで休んでるといい。大丈夫さ、私と早苗と、他の仲間と一緒に、あの化け物を懲らしめてきてやる」
「すぐに戻ります、諏訪子様」
口々にそうまくし立てる様に言って、神奈子と早苗は諏訪子に背を向け戦地へ赴いていった。
…全く…私の返事も聞かずに。
まあ、いいや。
頑張ってくれよ、二人とも……。
…思い返せば、この短い間に色々な事があった。
今考えると馬鹿馬鹿しい理由で鬱病になっていた私だが、鬼気迫るような顔で部屋の中に不法侵入してきたあの烏天狗が居なければ私は今ここでこうして早苗と共に戦場へには向かっていなかった。
天狗に見せ付けられた新聞を読んで鬱病に更に拍車が掛かりそうになったものだが、天狗の強い一押しで早苗を説得するべく私は部屋の外に出る事にした。
天狗に言われるまま神社に戻ってきた早苗を捕まえていた私だが、早苗の心中をこの耳で聞いた時、本当に私は涙が溢れ出そうになった。
早苗の言う事を、信じよう。
そう心の中で強く願った後で、烏天狗のほうも納得してくれたみたいで、新聞記事を書き直してくれると言ってくれた時、またもや泣きそうになった。
たった今、諏訪子の無事を確認できた時にはとうとう早苗と一緒に泣き出してしまった。
全く柄にも無い。恥ずかしい事だ。
でも、おかげさまで、もう鬱病なんて言葉は私の脳内から吹き飛んでくれた。
私にはこんなにも素晴らしい家族が居るのだ。
何が鬱病だ。こんなに贅沢な事はあるまい。
そしてその素朴な贅沢を守る為に私と早苗はとうとう境内の入り口へと舞い降りた。
そこにはあの烏天狗の部下が血塗れの剣を振り回す妖怪からうまく立ち回り攻撃を回避しながら弾幕をばら撒き、いつの間にかやって来ていた紅葉と豊穣の神の姉妹がそれの援護射撃をしていた。
既に烏天狗は妖怪にやられたのかそこから少しはなれた場所に横たわっていて、それよりも更に離れた場所には巫女と魔法使いが仲良く倒れていた。
「さ、行こうか。…早苗!」
「分かりました!」
神奈子の言葉に覇気のある声で早苗が返事した。
にっと早苗に笑いかけてやると、早苗もまた笑顔で返してきてくれた。
力を失った神々とそれに仕える人間。そして協力者の天狗の五人で、封印されし妖怪にどこまで太刀打ちできるのか?
いいや、違う。
─倒すのさ!
ぎゅんと振り回した剣が椛を薙ぎ払い、姉妹の援護弾幕も一気に打ち消され、妖怪の周りに何も無くなる。
そこを突いて、神奈子と早苗の弾幕を滑り込ませ、持っている剣と同様に血塗れの妖怪を吹き飛ばした。
「八坂様、早苗さん! 洩矢様は無事でしたか!?」
「ああ、死にかけていたが、ばっちり生きていたよ!」
椛の問いににやりとはにかんでそう返すと、彼女の表情が安堵の色を見せる。
だがもちろん、今は安堵などしている場合ではない事を自覚しているらしく、すぐに緊張した面持ちに戻って吹き飛ばした宵闇の妖怪の方を向く。
妖怪は早くも剣を支えに立ち上がり、こちらを見て不気味に笑い続けていた。
「……武器を奪われてしまいましてね。腹に突き刺してやったのですが…本当に化け物ですよ、あれは」
「だろうね。でなきゃあ封印なんてされやしないさ」
「…ごめんなさい」
「謝らなくていいさ、早苗。元を辿れば私のせいなんだからね」
「でも」、と抗議しようとした早苗を手で制して、神奈子はもう片方の腕を妖怪へと伸ばした。
標的を定め、神奈子は叫んだ。
「神祭! 「エクスパンデッド・オンバシラ」!!」
スペルカードルール無視が作戦とはいえ、スペルを全く使わないという訳ではない。
弾幕を、スペルを織り交ぜ、どんな手を使ってでもあの妖怪を倒さねばならないのだ。
そして神奈子のスペルの力が発揮される。
立ち上がったばかりの妖怪の両脇を幾多の太い光線で挟み逃げ場を奪う。
そこに、何十何百と連ねた札を、妖怪目掛けて一直線に弾幕として放った。
「──月符「ムーンライトレイ」」
対して妖怪の方もスペルカード宣言。
勿論ルールなど覚えてはいないだろう。
だとすれば、条件反射か、本能か、はたまたうっすら思い出してきているのか。
何にせよ、そのスペルカードの効力に神奈子も早苗も驚きを隠す事は出来なかった。
妖怪から放たれた青白い二つの光線が、一挙に全ての神奈子の札を焼き払う。
そしてそれだけに留まらず、青白い月の光は神奈子の身体を貫いた。
「──がああっ!」
「神奈子様!!」
神奈子はそれ以上弾幕を維持する事を諦め、喉の奥から湧いて出てきた血を吐き出した。
よろめいて、倒れそうになった所を早苗に支えられ、何とか堪える。
…不味い。思ったよりも消耗が激しい。
妖怪の攻撃一つでこれ程とは…、こちらの世界へやってくる前の事を思い出すな。全く、懐かしい。
と、そこに後ろからぽんと肩を叩かれる。
振り向くと静葉が居た。
「八坂さん、無理は良くないよ。もう早苗と一緒に退いときなさい」
「…静葉」
「もうねー、あなたたちがここに来た時はほんと驚いたもんだけど、もう読めたよ。
早苗を使ってあの妖怪を仕向けて、退治して名声を轟かせようって作戦なんでしょう。
なかなか奇抜な信仰集めに出たみたいだけど、そううまくはいかせないよ。
あれは私たちの獲物なんだから、あなたたちは後ろに引っ込んで大人しくしてなさい」
そう言うと、静葉は既に椛と穣子が応戦している妖怪の元へと飛んでいった。
一瞬神奈子は静葉の言葉の意味を理解しかねたが、すぐに「ああ」、と納得して、心配そうな早苗をよそに頬を緩ませた。
元々信仰の少ない秋姉妹は一時期信仰を得ていた守矢神社を妬んでいる所があった。
しかし静葉はそれにも拘らず、攻撃を受けた神奈子の身を案じて、身を引いた方が良い、と言うような言葉を言ってくれたのだ。
…つまり、静葉は隠れツンデレだったのである。
全くあの娘ときたら…なかなか可愛い一面を持っているじゃないか。
それが世間に露見すれば信仰などその手のものが好きな者たちによってあっという間に集まる事だろうに。
どくどく血が流れ出しているというのに、隣で早苗が本気で心配そうな顔で見上げているというのに、神奈子はそんな事ばかり考えていた。
そう、神奈子は、今まで鬱という名の栓に押し込められていた感情が、栓が抜けた事によって一気に爆発し、軽い躁病へと陥っていた。
「か、神奈子様!? 何故笑っているんです! しっかりしてください!!」
「え? ああ、しっかりしてるさ。勿論このまま引き下がる訳には行かないよ」
「しかし、その傷では…今も意識が変な所に飛んでいたでしょう」
「なあに、私は神だ。これしきの事、なんてこたあないさ」
そう言って、神奈子は早苗の頭をくしゃりと撫でてやる。
「こんな時に、何を…」
「いいじゃあないか。さあ、そろそろ攻撃の再開だ。
天狗と秋の姉妹っ子たちが上手く立ち回って、あの妖怪を足止めしてくれている。
私らも早い所援護してやらないとねえ…!」
早苗の頭から手を退けて、神奈子は力強くそう言い放った。
いつもの神奈子の姿にようやく安心したのか、早苗は優しく頷いた。
「無理だけはしないで下さいよ」
「早苗に心配される時が来るとはねぇ…分かってるさ、たとえこの身滅びようとも、あいつは倒してやる!」
分かっていないじゃないですか、と落胆したような表情で首を振りながら早苗が周囲に弾幕を出現させる。
気にせず神奈子も弾幕を生成し、標的を見据えた。
─さあ、法無き戦いの始まりだ。
…何故か妖怪は、突然狂ったように笑い出した。
…私は戦っている。
無力な神々と、無力な天狗と、無力な人間どもと。
よくもまあこんなにも集まったものだ。
暴れまわったのはこの山の中だけなのだし、こいつらの内の大半はこの山の住人だろう。
そいつらと、今私は戦っている。
私は人間を喰う為に戦っている。
奴らは私に人間を食わせぬ為に戦っている。
何で別の種族の人間のために、貧弱で役に立たない人間の為に神が天狗が立ち向かってくるのか。
どうにも解せない。
昔もそうだった。
私が人間を喰っていたら、私と同じ妖怪が歯向かってきた。
そいつに何故、自分と同じ人間を喰らう妖怪の癖に邪魔をするのか問い質した。
私と同じ金髪の大妖怪は、私は人間を食べないから、と言った。
何故喰わないのか、と聞いたら、そいつは人間は友達だから、などと抜かした。
そうか。
こいつらも同じか。
人間が友達の、奇妙な存在だったのだ。
─ああ懐かしい。
きっと、私は今、あの大妖怪と同じ主張をするのであろう人ならぬ者どもと戦っているのだ。
そう、懐かしいのだ。
ついに私は全てを思い出したのだ。
人間に、紅白の巫女に封印と言う屈辱的な戒めを受け、この意識封ぜられし時の記憶を。
他ならぬ人間に、緑色の巫女に封印を解かれ、思い出すことが出来たのだ。
だから復讐する。喰ってやる。そろそろ空腹も限界だ。喰ってやる。復讐だ。腹が減った。減った。お腹が空いた。
何で神様は食べられないの?
人間を喰う事が従来の妖怪の本職だからだ。
馬鹿め。私はそこまで落ちていたか。
ならば喰ってやる。昔の私が、平和ぼけした今の私を喰ってやる。私が今の私になってやる。
人間じゃなきゃ喰われない?
馬鹿め。高を括っていられるのも今の内だ。
人間も天狗も神も私も喰ってやる。
喰ってやる。喰ってやる。喰ってやる。
ああ懐かしい。
私は喰う為に戦うのだ。撃つのだ。撃たれるのだ。斬るのだ。斬られるのだ。殺すのだ。
昔と一つも変わりはしない。
だから私は思い出したのだ。
私のルーツの全ては戦う事に、喰う事にあった。
そしてこれからも戦う事を、喰う事を私の存在意義としてゆく。
だから。
「さあ雑魚どもめ。これからの私の、糧となるが良い…!
─あははははあははははははあははっ!!」
「!!?」
先程とは一転し、突如として狂気染みた笑声を上げたルーミアにたじろいだ穣子に辺りを漂う黒い霧が爪のように変貌し、穣子を斬り付ける。
背後から至近距離で弾幕で狙い撃とうとしてきた静葉の額に振り向きざまに剣の柄を叩き付け、身体を捻りながら回し蹴りを右肩に食らわせる。
よろめき、完全に無防備になった静葉に剣を突き立てようとしたが、剣を握り締めていた右腕に焼ける様な痛みが走った。
確か烏が言っていた。その天狗の名前は椛だったか。
その椛は、静葉に突き立てようとした剣の代わりに、鋭い爪をルーミアの二の腕に突き立てていた。
「だああっ!!」
そのまま椛はルーミアの腕を切り裂いて、もう一方の手を振り上げ、至近距離から、たった今つけたルーミアの腕の傷口に弾幕を捻り込んだ。
「っァァぁあああああアあぁァ!!!」
想像を絶する激痛に思わずルーミアは悲鳴を上げ、持っていた剣を取り落としてしまった。
どんっと今度は前方からの落ち葉の弾幕の直撃に激しく倒れ込んだ隙を突かれ、取り落とした剣を椛に奪い返される。
剣を振り上げ、ルーミアを切断しようとする椛の足を自身の足で素早く払う。
バランスを崩した椛に倒れたまま無数の弾幕を浴びせ掛け、椛が吹き飛ぶのを見届ける事もせずにすぐに弾幕を放出し続ける左腕を振り回しながら立ち上がる。
思惑通り、椛も静葉も穣子もその弾幕によって一掃したが、それでもまだルーミアの弾幕が行き届いていない者達が居た。
幾重にも重なるようにして札だの光弾だのの弾幕が離れから飛来してきたのだ。
…人間と、神だ。どちらがどちらかなど知らぬが、諏訪子の言っていた、早苗と神奈子だったか。
確か人間の方が私の封印を解いた張本人だ。
なかなか愚かで見る目のある人間だ。これは礼をくれてやらねばなるまい。
だんと力強く地面を蹴ると、ルーミアは二種類の弾幕の波を潜り抜け、瞬時に早苗と神奈子の目の前へと迫った。
「─開海「海が割れる日」!!」
「ごぱっ…!!?」
驚く事に人間の方が咄嗟にスペルを発動させルーミアに大量の水をぶちまける。
塩水が腹の傷を塞いでいた闇を削ぎ落とし、再び開いた腹の傷と先程つけられた右腕の傷に、冷たいのに火で炙るような痛みを走らされる。
一刻も早く水の中から脱出しようともがくも、全方向から押し込めるような水圧の中に閉じ込められ全く身動きが取れない。
その状態のまま勢い良く後方へと流された末に、創り出された水が割れ、やっと開放された。
と思いきや、既にルーミアの眼前には弾幕が迫り来ていた。
どぐっ!!
「ぐむぁ!!」
顔面に一撃を見舞われたルーミアはもんどりうって地面に倒れこんだ。
なんとか立ち上がろうとした矢先、神の方が放ったのであろう札が次々にルーミアの身体を斬り付けてゆく。
転がるようにして早苗と神奈子の弾幕の嵐から逃れたルーミアを待ち構えていたのは、椛。
左腕を地面に叩き付け、その反動のみでその場から飛び退いたルーミアより一瞬遅く振るわれた剣が、ルーミアの左肩を抉り飛ばす。
走った激痛に怯んだその瞬間を突いてか、いつの間にか背後に回りこんでいた静葉がルーミアの着地と同時に血塗れの両腕を羽交い絞めにした。
─神の癖に、愚かな真似を!
「ッ…あ…!!!!」
ベキ、ボキと続けざまに骨の折れる音が響く。
…無力な神など私にとって弱小妖怪に類する。
それが私を羽交い絞め? 馬鹿め。逆にそのか細い腕をへし折ってやる事など造作もないというのに!!
「みっ、みのっ…り、こぉ!!」
反射的に、倒せ伏せた静葉の叫んだ名前の主を探し見た瞬間、その愚かな神の行動に私は踊らされていたという事実に嫌でも気づかされる羽目になった。
スペルカードを掲げた穣子は、私の頭上に居た。
…奴は、妹のこの一撃の為に時間稼ぎしていた訳だ。
「豊符! 「オヲトシハーベスター」ぁぁっ!!!」
「ぐぅっ──!!」
避ける事すら叶わず、穣子の放った稲穂の様な金色のレーザーが次々にルーミアを焼き切り、貫く。
続いてばら撒かれた弾幕になぶられつつも、ついにルーミアは四つ目のスペルを血を吐きながら叫んだ。
「闇符「ダークサイドオブザムーン」 !!!!」
ごぼごぼとルーミアの周りに溢れかえっていた闇がルーミアの傷口を隠すように、しかしそれでも足りず全身へ纏わりつくようにして集ってゆく。
同時に月を模した巨大な黄色の弾幕を周りに生成し、赤と黒の小さな弾をルーミアを包む闇からばら撒き始める。
倒れ伏せた静葉はもちろん、真上でスペルを展開していた穣子をいくつもの月をぶつけて吹き飛ばした。
吹き飛ばされた穣子は思い切り頭を打ち、静葉は弾幕を食らった事によって更に肥大化した両腕の激痛に失神し、両者とも、その場から動かなくなった。
…やはり力を失った神などこの程度なのだろうか。つまらない。
「静葉さん、穣子さん!!」
…悲痛な声で叫んだのは人間だった。
今潰した秋の神よりも、未だ健在で飛び回る天狗よりも高度な弾幕を操り、私の作り出す闇と同様に大量の水を生み出すなどと人間離れした力を使う。
あれはなかなか厄介だ。
だが、それで良い。
封印される以前に戦った大妖怪はそれ以上に強かった。
より死に近い戦いの中で、私はより私を取り戻せる。構築できる。
記憶の彼方へ失くした私のルーツは完全に揃った訳ではない。
だから私は、より強い者を求めた。
その人間はルーミアの弾幕の雨を避けながら、自身も弾幕を放ちながら接近してきた。
にやりと闇の下でルーミアは口元を歪めた。
…私の封印を解いて何をするのかと思えば仲間を率いて私を殺しに掛かってくる。
きっとこの人間も私と似たような戦闘狂か。だとしたら気に入った。
唯一つ、軟弱な仲間の協力を仰ごうなんて考えは、気に入らないが。
背後から風を切る音と共に振り下ろされてきた剣と私の間に弾幕を出現させて、剣を弾く。
私は驚く人間の仲間の、天狗の首を、椛の首を素早く掴み取る。
確かこいつには腹に穴を開けられ腕を裂かれ肩を抉られた。
そこで転がっている神より下等な生物だというのに、あちらの人間同様、良くやる。
先に倒した烏天狗の事を慕っていたようだったが、という事はあちらの天狗の方がこいつより強かったのだろうか。
だとしたらもったいない事をした。あの能力は温存し、代わりに烏天狗を泳がせてみるべきだった。
もしそうしていれば、もっと私は死に近い接戦をこいつらと行う事になったろうに、…こいつらだけでは少し物足りない感がある。
ただこうして血を流すだけでは足りない。私が今求めているのは、常に死のちらつく壮絶な戦いだ。
そんな戦いの中、私はあの大妖怪の前に敗れた。
思い出す限りその戦いをしている最中が最も自分の本質を感じられていた時間だったように思える。
だからその戦いに近いものを再現し、私は私を取り戻そうと考えていた。
なのに、私ときたら長年封印されてきたせいか何も考えずに大技であの烏の可能性を潰してしまった。
全く、愚か愚か愚か。
まあ良い。あの時はまだ知能が現時点ほど発達していなかった。
あの力は強力な分、体内の闇を大きく消費する事になるので丁度良いハンデという事にしておこう。
それにこいつらを殺せば、もう一つの私のルーツ。食事の時間が待っている。
さてこんな事を考えている間にも人間はすぐそこまで迫ってきていた。
ぶぉんともがき苦しむ椛をそいつ目掛けて投げつける。
弾幕に遮られていて私たちの様子が見えていなかったらしく、椛の首を私が掴み取っていた事すら知らなかったと見える。
人間は大いに驚いて椛をその身で受け止める。
…馬鹿め。隙だらけだ、…見込み違いだったか?
身に纏っていた闇を一斉に槍の様な形状へと変化させ、それら全てを弾幕として、椛を抱えた人間目掛けて撃ち出す。
まだまだこの闇で傷口を固めている最中だったが、別に構わない。
椛を抱いたままのその状態で、この弾幕をどう切り抜ける気か? そんな興味だけが自己防衛反応に勝っただけだ。
そしてルーミアは気づいていなかった。
その人間よりも後方に控えていた神が、スペルを宣言していた事に。
「筒粥「神の粥」!!」
直後、ルーミアの周りを無数の弾幕が包囲する。
黒い槍は全てその弾幕に相殺され、霧状になって四散した。それ所か先程発動した闇符の弾幕までもが消し飛ばされる。
…小賢しい! 補助役とでも言う気か? そんな卑怯な手助けをこの人間にしようというのか。
私はこの人間が私の弾幕をどう対処するのか見たかったのだ。
いくら神といえども先の一撃で対して力を残していない事は明白。
このまま遠距離からねちねちと小技で邪魔をしてくるというのならば、酷く目障りだ。
ならば奴を先に潰してやる。私が求めるのは強き者との、極限まで死の淵に近い戦い。
だから中途半端な強さなど、要らない!
そしてルーミアはたった今打ち落とされた闇を全て一箇所に収束させた。
神の眼前に集ったそれらを極限まで凝縮させ、ほんの拳一つ分の球体へと姿を変化させる。
この一撃で体内に宿っていた闇を一気に爆散させる事になるが、それに十分見合う威力がそれにはある。
…例えば神を一瞬で屠れるぐらいの威力はなッ!!
「なっ…!!」
人間の背後で、鼓膜を突き破らんほどの轟音が響き渡る。
…これこそが人間の二人組を、烏天狗を一撃で潰した荒業。
─これが今の私の闇を操る程度の能力。
人間が神奈子様、と叫びながら振り返る。
つまり、あの人間の名前は早苗というらしい。
なるほど早苗か。では早苗よ、私の封印を解いた人間よ。
お前の仲間たちは次々に倒れ、早くも残るはその天狗一匹のみ。
丁度いい、今の神奈子にくれてやった一撃で、もう私はしばらく闇を行使する事は出来ない。
さあてどうする? これがお前達の最後のチャンスだ。
私をもっと苦戦させてみろ。私を焦らせてみろ。私を追い詰めてみろ。私を殺してみろ。
そして惨たらしく、私に喰われるが良いっ!!
…私は泣きそうになって、しかしそれを何とか堪えた。
神奈子様は敵の弾幕にやられそうになった私を救ってくれた、もう一度だけ、最後の反撃の機会をくれたのだ。
すぐにでも神奈子様の安否を確かめに行きたいけれど、目の前の宵闇の妖怪はそんな事を許してくれそうも無いし、それでその機会を失ったら神奈子様に、皆さんに申し訳ない。
…神奈子様、諏訪子様、文さん、静葉さん、穣子さん…多くのこの山の住人たちが傷つき、倒れていった。
それ所じゃない、この戦いを異変として、解決しに来たのであろう霊夢さんと魔理沙さんまでも。
確かに彼女たちのおかげで、既に宵闇の妖怪はぼろぼろだ。
だが、対してこちらは私と椛さんの二人しか残っていない。
いくら二対一で、相手も満身創痍であるからと言っても、勝機は限りなく薄い。
あの、私が封印を解いてしまった妖怪は、とんでもなく強い。
それでもここで諦める訳には行かない。負ける訳にはいかない。戦わない訳にはいかない。
この事件が起きたのは全て私のせいだから。
そんな私の起こした事件に関わった人たちの想いを背負っていかなければいけないのだから。
「早苗さん、来ますよっ!」
先程早苗が受け止めた椛が、片手で首を押さえながら叫んだ。
よほど強く締められていたらしく、まだ痛みを感じているようだ。
そしてその痛みを与えた張本人が、神奈子への一撃を見舞う直前までの姿とは打って変わって一切闇を纏わぬ格好で、二人に向かって浮遊したまま突っ込んできた。
「くっ…!」
ばら撒かれる月の弾幕。直後、血のように赤い小さな弾も噴出される。
先程の闇を模した黒い弾幕は消えたようだったが、それでも危険なのには変わりない。
身を翻して迫り来る弾幕を回避しながら、剣を構えた椛が向かってきた妖怪に突っ込んでゆく。
…彼女は何て勇敢なんだろう。
あそこまで傷つけられて、どうして椛があの化け物に何度でも立ち向かっていけるのかと、早苗は羨ましく思った。
椛さんだけじゃない。静葉さんだって、穣子さんの一撃の為だけに、あえて両腕を失うような真似を自ら行った。
神奈子様だって、自分が標的に変更される事を承知の上で、私を助けた。
文さんも、私たちが諏訪子様の元へ行っている間、あの妖怪と命がけで戦っていてくれた。
霊夢さんと魔理沙さんはここに来た時にはやられてしまっていたけれど、それでも、私と同じ人間だと言うのにあの妖怪に勝負を挑んだ。
諏訪子様もきっとあの時、逃げ出した私たちの為に時間稼ぎしてくれていたのかもしれない。
そして─…その、勇敢な仲間たちによって、いくつもの傷を負わされても尚、襲い来る宵闇の妖怪に早苗はこれ以上に無く恐怖した。
だけれども、早苗は逃げようとは考えなかった。
…これは私の、償いなのだ。
「準備「サモンタケミナカタ」──」
早苗を中心に、赤と青の弾幕によって星を象った魔方陣が展開される。
早苗の周りの敵の弾幕が打ち消される。
いつの間にか地上戦に移行していた宵闇の妖怪も、椛も、当然早苗が行動を起こした事に気づいた。
ただならぬ早苗の様子に妖怪は早苗に攻撃を仕掛けてこようとしたが、椛がそれを許さない。
彼女はもう、早苗のしようとしている事に勘付いていたようだった。
一瞬、早苗に向けた期待しているような眼がそれ物語っていた。
…そう私はこの儀式によって、私と、私の神様の、能力を─奇跡を起こす。
「八坂の神風」。
私のラストワード。八坂神奈子様の力をお借りする、この東風谷早苗、最大のスペル…!
先程あの妖怪は自らの傷を闇で無理矢理塞ごうとしていた。
だがその行動は全く無理矢理で滅茶苦茶な行為ではなく、彼女にとっては至極当然の行為なのだ。
彼女は宵闇の妖怪。きっと己の本質である闇で自己再生を試みる事など彼女にとって、この幻想郷において当然の事なのだ。
放っておけばまたあの妖怪は折角与えたダメージを回復させてしまうだろう。
ならば…相手が回復しきっていない今、この大技で一気に決めるしかもはや手は無い。
妖怪の後ろにある神社もただでは済まないだろうが、この際気にしている程の事ではない。
─さあ、準備は整った。
かっと早苗は目を見開いた。
…椛さんが残ってくださっていなければこんな悠長な儀式などやっていられなかった。
彼女に感謝の念を込めながら、椛さん、下がってください。そう言おうとして、その言葉は喉から出かかったまま静止させられた。
最後の最後で宵闇の妖怪の一撃を食らってしまったらしい。
早苗の目に膝から崩れ落ちる椛の姿が映る。
「も……椛…さん」
「八坂の神風」の射程内には偶然にも今までに倒れていった者たちは居なく、あとは宵闇の妖怪を残してその場から椛に離脱して貰うだけだった。
…だというのに。…そんな。ここまで来て…。
ここでスペルを宣言すれば、それは傷だらけの椛を─殺す事を宣言するようなものだ。
……そんな真似を、早苗にする事は、出来なかった。
「いやいや…ここまで来たんですから、諦めちゃ、嫌ですよ早苗さん」
「!?」
ぶしゅっ。
宵闇の妖怪の左足から赤黒い液体が噴出した。
驚愕の表情で、痛むそぶりを見せる訳でもなく、妖怪はがくんと膝からくず折れる。
倒れ伏せたままの椛は、更にまだ傷の少なかった妖怪の左腕に真っ赤な剣をあてがうと、叫んだ。
「私はもう動けません! ですから、遠慮はいりません、私ごと吹き飛ばしてくださいっ!」
「なッ…遠慮がいらない理由になってませんよ! 椛さんごと…なんて、で、出切る訳が」
「…ここでこの機を逃がす気ですか!? もうチャンスは無いんです、もし逃げられたら…山は、人里は、幻想郷は滅茶苦茶にされる!」
「で、でもっ!」
「早くッ!! 私の心配はいいです!
これでも私、天狗の中でも鉄壁の守りを誇る白狼としてちょっとした有名人なんですから!
それぐらいで、死にはしませんよ!!」
「う……っ!」
…大丈夫なものか…あの傷で? 血もあんなに流しているのに…?
嘘だ。椛さんの言っている事は…でも……。
「早苗さん!! 早くッ!」
い…嫌だ…。
そんな…そんな…事…。
「…くっくっくっ。きゃはははぁははは。
ここまできて怖気付いたか?
そんなに死にたいのならば殺してあげる。 この天狗と一緒にね!」
血だらけの妖怪がそう、私を嘲笑う。
…やめろ。
殺すのならば、私だけを殺せ!
…私を殺してっ!
…早苗の悲痛な思いも空しく、妖怪は腕に剣をあてがわれているにも拘らず力ずくで椛を突破しようとし始める。
力の残っていない椛は容易く組み伏せられた。
それでも、椛は諦める素振りも見せずに妖怪にしがみ付く。
そんな光景を見せられる内に再び、早苗の頬を涙が伝い始めた。
─自分で引き起こしておいて、自分の力で解決する事も出来ない。
─大勢を巻き込んで、それでも私の力不足で解決する事が出来ない。
─神社も仲間も人間も、大切なものを何一つ守れやしない。
早苗は、震えながら頭を抱える。
…私は─…私は……。
「…何、考えてるのよ。
あんたの大切なもの…守る手があるんでしょ?」
「!!? れいっ…!?」
早苗は、突如として現れたその人物に、開いた口が塞がらなかった。
…─この騒動を引き起こしてしまった、原因。
違う。原因は、私だ。
彼女は何も悪くない。
私が弱いから、情けないから、彼女を疑ってしまったんだ。
そしてこの異変を引き起こしてしまったんだ。
「……折角準備は整ってるんだから…やるんならさっさとやりなさいよ。
…あんたの神様の力でしょ? あんたの仲間の頼みでしょ?
ここで信じないで、いつ信じてあげるのよ」
そう言う彼女は、ほんの数日前に会った巫女とはまるで別人のようだった。
しかし、彼女は紛れもなくその巫女本人なのだ。
…弱いが故に、愚かであるが故に、私は彼女を裏切った。
きっとそれは、絶対に許されない事なのだと思う。
だというのに。…彼女は、こんな私に…たった今、言ってくれた。
不思議な事もあるものです。
たった一言、それだけで今まで馬鹿みたいに頑固だった私の心は何故突き動かされたのか。
…もう、分からない。もう、考えない。もう、迷わない。
だから。
汚れきったこの私の最後の一撃、私が引き起こした異変に、くれてやる。
ありがとう椛さん。絶対に、死なないで。
「大奇跡──」
ありがとう私の愛する神様。絶対に、勝ってみせます。
「「八坂の神風」」
…ありがとう、私の…友達。
早苗の仰いだ空の中で、最後の弾幕が展開された。
「あははははははははははははっ!!」
…私は、ただ笑っていた。
しつこくしがみ付いてきた天狗を何度も殴って気絶させ…、やっとの思いで振り解いてみたらこれだ。
あの人間、やはりこれ程の力を隠し持っていたか。…面白い。
ごうごう唸る風が次々と石畳を引き剥がす。
それに乗って、大小様々な弾幕が嵐の如く吹き荒れる。
「はははははっ、きゃはははははは」
勝てない──、笑いながらルーミアは思った。
だが、苦労して敵の最大の一撃を引き出したのだ。
封印されしこの大妖の力がどこまで通用するか。
いいや、違う。
勝てる気がしない、それは私個人がそう思っただけだ。
まだまだ結果はやるまで分からない。
ならばやってやろうではないか。
人間よりも妖怪が強者である事を思い知らせてくれる。
「あはっ、あははははは、はははっ」
…いやいやこれには語弊がある。
人間よりも、じゃない。早苗よりも、だ。
妖怪よりも、じゃない。私よりも、だ。
喉が枯れる。でも私は笑う事をやめない。
今まで記憶や本能に従って、「ナイトバード」 「ディマーケイション」 などと言った力の名称を口にしてから攻撃に転じていた。
「ふふふっ、はっ、あはは、はあっ、はは…は…!」
今度はわざわざ口にはしない。
私の口はただ笑うだけ。
怖いのだ。
早苗の力に恐怖し、私はただ笑う事しか出来なくなっていたのだ。
──夜符「ミッドナイトバード」。
私は抗った。
早苗よりも、私が強者である事を思い知らせてやる為に。
私は最後の力をもって、人間に抗った。
「はぁ…はは…はははっ…あーっはっはっはっ!!!!」
…強力である上に凶暴。加えてこの異様なまでの執念深さ。
なるほどこれは封印される訳だ。
きっと彼女は食事の際、獲物を捕らえ喰らい尽くすまで地の果てまで追いかけるだろう。
それ程、彼女は執念深かった。
あの傷で、あの出血で。ルーミアは早苗の全てを込めた一撃を凌ぎ切ったのだから。
早苗は立ち尽くしている。
後ろからでも、絶望している表情が見て取れ…は、しない。
むしろ早苗は安堵の表情を浮かべている事だろう。
何故ならルーミアは早苗の弾幕を喰らい尚も生き続けていたが、生き続けていただけなのだ。
ルーミアを止め続けていた椛も無事だった。
流石に意識はもう残っていないようだが、自称鉄壁の守りというだけはある。
その鉄壁の守りが身体の硬さを意味していたとは思わなかったが。
………。
……さて、ここからは私の出番。
まさかこの私が気絶なんてさせられるとは思ってもいなかったけれど、終わり良ければ全てよし、だ。…ああ、頭ががんがんする。
つかつかと霊夢は半壊した境内を歩いてゆく。
倒れ伏せ、荒い呼吸を続けているルーミアの元にしゃがみ込んで、一枚の札を取り出した。
無言で霊夢は、ルーミアのどす黒い血で汚れた、しかし流れるような美しい金髪をすくいあげ、札を結わえ始める。
…彼女を封じ込めていた髪飾りは、先代の博麗の巫女の札である事を霊夢は知っていた。
幽々子も言っていたが、紫から直接聞いた事があったのだ。
だから、彼女を再び封印するのは、現博麗の巫女の、私の役目。
「…封印するだけ、ですよね?」
「そうよ、封印するだけ。…安心して、とどめを刺す訳じゃないから」
「…良かった」
ルーミアも自ら封印を解いた訳じゃない。
このルーミアが何を考えているのかは知らないが、少なくとも氷精たちと遊んでいた時のルーミアはこんな事は望んでいなかっただろう。
もちろん、封印を解いてしまった早苗も同じだ。
色々と彼女がルーミアの封印を解いた理由について推測もしてみたりしたが、きっとそれは全て外れている。
博麗としての勘がそう告げている。
そうでなくても、彼女の様子を見ていれば、一目瞭然だった。
だから、幻想郷を危機に追いやりかけた妖怪は殺さない。
幻想郷を危機に追いやりかけた巫女は咎めない。
神力を込めた紅白の札を、霊夢は宵闇の妖怪の金色の髪の毛にしっかりと結び付ける。
既に妖怪は大人しくなっていた。
…ああ、これでやっと異変、解決か。
私は何も、これだけしかしていないのだけれど。
不意に、後ろで音がした。
安堵のあまり、全身から力が抜けてしまったらしく、その場にへたり込んでいる早苗が居た。
「…情けないです」
「情けないわね。それでも本当に私の友達? そんなんじゃあこの幻想郷でやっていけないわよ」
「…ははは…これは…友達の前だからこそ、ですよ」
ったく……まあ、いいわ。
早苗も、自分の引き起こした事に自分で終止符を打てた訳だし、ね。
彼女を責める者も居るかもしれない。
それは仕方ないけれど、まあいいじゃないの。仕方ないんだから。
だから、この話はこれで終わり。
……報酬は、守矢神社にも出すよう、幽々子に伝えておかないとね。
いや、勿論私だって貰うけどね。元は私への依頼なんだから。
それにしても…倒壊した神社の後ろに綺麗な夕焼けが昇ってるもんだから、何だか複雑な気分ね。
別にいいけど。私の神社じゃないし…。でも、巫女としてはやっぱりこんなの見せられても良い気分は…。
……ああ、もう!
せっかく異変を解決したっていうのに、すっきりしないわね!
これも全部、早苗のせい!
ええい、こうなったら前言撤回! たまにはこの神社で宴会でも開いてもらうわよ!!
「あ…あの、私はそろそろ神奈子様たちの所へ行きますので…」
「おおっと、逃がす訳にはいかないぜ、早苗さんよぉ…へへへ」
「そ、そんな。もう勘弁してくださいよぉ…魔理沙さん…」
「そう言うなって、早苗ぇぇ。ほれ捕まえた、やっちまえ魔理沙!!」
「よし来た! 早苗覚悟っ!」
「ちょっ…お二人とも、やめっ…ごぼぼぼぼげぽげほっ!
む、無理れす! もう飲めましぇん! お願いだから許してー!」
顔を真っ赤に染めた鬼、伊吹萃香が羽交い絞めにした東風谷早苗の口に、顔を朱に染めた人間の魔法使い霧雨魔理沙が笑いながら酒瓶を突っ込む。
鬼を振りほどいて地面に転がり込んだ早苗は、案の定次ぎ込まれた液体を全て地に還した。
異変の原因を見つけ出すにはそれとは何の関係もない妖怪や妖精、幽霊だろうが同じ人間だろうが構わずとっ捕まえては叩き潰す普段の霊夢からは考えにくい「お咎め無し」だったらしいが、現在の早苗の状況を見れば本当にそんな事を言われたのかどうか怪しい。あれではただの拷問だ。
まあ、萃香も魔理沙も悪意は無い様だしあれもまた鬼や人間にとっての一つの友好を深める儀式のようなものなのだろう。
そう思う事にして、妖怪の山の河童、河城にとりはのん気にきゅうりを貪りながらその様を眺め続けることにした。
他人の不幸は蜜の味というが、一向にきゅうりから蜜の味が滲んでくる様子はなかったので、これを食べ終えたら他の場所へ移ろうかな、とにとりは思った。
…現在、夜にも拘らず賑やかな宴会を開かれているここは、守矢神社。
「せっかくだからお前も来いよ」と声をかけてきた魔理沙に連れられて来てみれば、もう驚きの連続だ。
この神社が宴会を開く事自体珍しい事だというのに、その上神社が半壊していた事にも驚かされた。
何でも数刻前、私が人里にまできゅうりを売り広めに降りていた間に、この山はある一人の妖怪によって滅茶苦茶に荒らされていたらしい。
聞く所によればその妖怪は昔に封印された力の強い妖怪らしく、山に住まう神々をも手こずらせるほど。
その妖怪と戦ったのは、最近神社に引きこもりっぱなしでめっきり信仰されなくなっていた八坂神奈子と洩矢諏訪子並びに冬であり、あまり名の知れていないせいもあって信仰の少なかった秋静葉と穣子。
はたから見ればそりゃあ手こずるよな、と思ったものだが、どうも新聞記者の天狗二人組に霊夢や魔理沙、そして早苗もそいつと戦っていたという。
いくら神々が力を失っていようと、それだけの勢力で妖怪一人に挑めば楽勝だったんじゃないのか、と本人達に聞いてもみたがどうやらそうでもなく、やはりかなり苦戦した。
更に驚く事に、あの霊夢と魔理沙、神奈子や烏天狗なんぞは妖怪の一撃二撃で倒れ伏せたらしい。
一番頼りになりそうな奴等がそんなにも呆気なく敗れる程の相手をよく残りのメンバーで倒せたものだと疑問にも思ったが、子の件について突っ込んだ事を聞くのは止めにしておいた。
詳しい事は知らないが、何でもその化け物のような妖怪の封印を解いてしまったのは目の前で大量の酒を摂取させられている、他ならぬ早苗だったというのだ。
…だから私は彼女の名誉の為にも、それ以上の事は何も誰にも聞く事はしなかった。
当人たちもそれについては重々承知しているらしく、あの烏天狗などは「この件の事はもう記事にしない」などと天地がひっくり返るような事を言っていた。
その事をあの生真面目な早苗がどう受け止めているかは知らない。だけど、それについても私は深く考えない。
私はその異変を知らないけれど、結局はこうやってみんなで楽しく騒げているのが一番だから、私は今の状況を壊してまで知ろうとはしない。
「博麗神社だろうと、白玉楼だろうと、守矢神社だろうと…、どこへ行っても災難続きですね、早苗さんは」
そんな事を言いながら白玉楼庭師、魂魄妖夢がにとりの隣に酒瓶を持って腰掛けた。
どうやらこの山の関係者以外もこの宴会に参加しているらしい。
宴会の参加者といえば、神奈子は鬱病で神社の奥に引きこもっていた時とは一転し、酒が入っているおかげか、あろう事か鳥居の真上に立って、誰に向かってかは知らないが神を信仰する事について説いていた。
冬眠中だったのをたたき起こされた諏訪子は半壊した神社の中で生き残っていた炬燵の中に潜り込み、天狗たちは流石にまだ傷が癒えていないようで、帰る事もままならず、この境内にある柱の傍で寝息を立てている。
酒の匂いを嗅ぎ付けてやって来た鬼と、異変解決に乗り出していた魔理沙は言わずもがな目の前で早苗を酒で殺しに掛かっている。そういえば秋姉妹の姿が見えないな。
ともかく、その他の貴重な大人しい参加者勢の中からやってきた妖夢だが、どうも彼女は一緒に騒ぎに来ただけではない様だ。
何か言葉を返してくれるのを待っている風だったので、にとりは思った事をそのまま口にする事にした。
「最初の二つは知らないけれど、こうやって見てるとほんと不幸を呼び寄せる子だよね。主に自分自身に」
「…私が早苗さんを白玉楼に呼び込まなければ、その不幸は主に自分自身に降り掛かるのみで済んでいたのかもしれません」
「お前さんも関わっていたのか」
そう言うと、妖夢は持っていた酒瓶の中身をぐいと飲み込んで、顔を真っ赤にして転げまわる早苗を見ながら、口を開いた。
「……関わっていた所か…この異変の発端は…突き詰めれば、恐らく、私。
いえ、結果的とは言え、早苗にあの妖怪の封印を解かせてしまったのは確実に私なのです。
私はその事を幽々子様にも、霊夢にも、八坂さんにも天狗にも言った。悪いのは私であると。
しかし、みんな口を揃えて言うのです。あなたのせいではないと。気にする事ではないと。
何故でしょうか。私は早苗に謝っても謝りきれない。なのに、みんな私に贖罪させて下さらない。
いや…これは贖罪すらさせないという、罰を与えるという事を意味しているのでしょうか」
溜め込んでいた言葉を一気に吐き出した妖夢がため息をついた。
にとりも口内で砕いたきゅうりを飲み込むと、ネガティブフェイスな妖夢の肩にぽんと手を乗せた。
「私にゃ詳しい事は知らないけどさ。幽々子さんも霊夢も八坂様も天狗も、そんな回りくどい事しないと思うよ。
第一、お前さんが贖罪なんてもんをしたいのなら、早苗本人に言ってくればいいじゃないか」
「…出来ればそうしたいのですが。魔理沙も萃香さんもまるで隙が無い。あれでは早苗さんを救出する事は不可能です」
「まあ…そうだね。酔ってなきゃあちゃんと訳を話して早苗を開放させてやれるんだが」
「あの状況で酔ってない方がおかしいです」
「…だね」
結局彼女の悩みを何一つ解決してやれず、にとりはどこか歯痒い思いだった。
この件については突っ込んだ事は聞かないと決めたばかりだというのに、どうしてこう河童は簡単に情に流されてしまうのだろうか。
半ば自虐的にそう考えながら、まだ半分ほど残っている酒瓶を握り締めるとすくりと立ち上がる。
目を丸くして妖夢がにとりを見上げている。
にやりと口元を吊り上げて見せると、目の前で繰り広がられている酒盛りという名の処刑場へとにとりはずかずかと足を踏み入れていった。
吐いた早苗の背中を優しくさすってやりながら片手に酒を持って「何でそこで諦めるんだ! お前ならいける! 大丈夫! やればできるって!」的な事を大らかな笑い声を上げながら言う萃香の背後ににとりは回り込む。
早苗に夢中で萃香も魔理沙もにとりの存在に気がついていない。
にとりは酒瓶を思い切り振り被った。
…妖夢が驚愕の形相で腰を浮かしたが、もう遅い。
「喰らえー!! 漂溺「光り輝く水底のトラウマ」!!!」
「ぐぼはあっ!!?」
凄まじい殴打音と共に瓶が割れ、倒れ込んだ萃香に入っていた酒がぶちまけられる。
頭から酒を被って咳き込みながら、光の反射を受けてきらきら輝く瓶の破片がいくつも突き刺さった後頭部を抱えて悶え苦しむ萃香。
まさに光り輝く水底のトラウマ。さすが私。
まあ鬼なら死なないだろうし、別にこれぐらいどうという事はないだろう。
あんぐりと開いた口が塞がらない魔理沙をこれ幸いと言わんばかりに、しかし死に物狂いで振り払って早苗はその場から逃げ出した。
…さあ妖夢。早苗に、言ってやりな。
にかっと彼女にそう笑いかけてやると、妖夢は物凄く困ったような表情をしていたが、すぐに決意したような面持ちへと変わって力強く頷いた。
それでいいんだ、と更にガッツポーズを取ろうとしたら、萃香の渾身の一撃を喰らった。
「げほっげほっ、ひ、酷い目に遭った…」
…私は、胸をさすりながら神社の柱に背中を預ける。
これ程の地獄が博麗神社では宴会の度展開されているというのか。末恐ろしい。
何でにとりさんが殴り込みにやってきたのか全くと言って良い程分からなかったが、おかげで助かった。
「お疲れ様です」
…後ろから声をかけられたので、振り向いてみると妖夢さんが立っていた。
「あっ…妖夢さん。…その。ごめんなさい、私のせいでこんな…」
「いえ、全て私のせいです。私のせいであなたに辛い思いをさせてしまいました。
…本当に、申し訳ない」
「い、いやいや…こちらこそ」
頭を下げようとしたら向こうが先に思い切り頭を下げてきたので、早苗はどうすれば良いか分からず、結局自分も頭を下げた。
両者とも、頭を下げ合ったまま譲らない。
…妖夢はなかなか頭を上げてくれない。私も何だか謝っても足りないような気がして、なかなか頭を上げられない。
そんな異様な光景を酒を飲みながら眺めていた霊夢と幽々子が溜まらず噴出した。
「「何故笑う!!!」」
早苗と妖夢は見事にハモりながら二人を睨み付けた。
くつくつ笑いながらその二人は口々に言ってのけた。
「だって面白いんだもん」
「二人とも馬鹿みたいに頭下げ合っちゃって、んもーかーわいいわぁー」
早苗と妖夢が顔を見合わせる。
そこには確かにある種の友情が芽生えていた。
同時に、彼女に謝罪しようなんて気持ちはどこかへ吹き飛んだ。妖夢も同じようだった。
「ところで妖夢さん、こんな所にあなたから借りたままの鋏があるのですが」
「それはあなたにプレゼントします。その鋏であやつらの髪の毛全部削ぎ落として頂けると持ち主としても本望です」
「あらあら妖夢、あなた私を裏切るのぉー?」
「ふふん。この博麗霊夢に敵うと思ってるのかしら」
…構えた私と妖夢に対して霊夢と幽々子が笑いながら立ち上がった。
全く、後ろでもにとりさんたちが殴り合う、というか弾幕ごっこをし始めているというのに、私たちまでこんな事をしていたらいい加減神社が持たない。
でも、あんな事があった後でもこうやって、何もかも無かった事のように、楽しく、賑やかに接してくれるこの人たちはとても素晴らしい方々だな、と思う。
そんな方々と友達である私は、これ以上に無く、幸せ者なんだ、そう心の底から思った。
……そして、乱れ飛ぶ弾幕に耐え切れずに、ついに神社は倒壊した。
半壊した神社の中の炬燵で冬眠を再会するという暴挙に及んだ諏訪子の存在が一瞬早苗の脳裏を掠めたが、妖怪を封印したあの後、流石は神と言うべきか、神奈子も諏訪子も驚異的な回復力で立ち直っていたようだったので、とりたて彼女を心配する事は無かった。
…全く、今日は朝から厄だらけだ。
いつものように山で厄を集めていたら凄まじい厄の奔流を感じて、その発生源へと赴いてみた所、そこには真っ黒な闇を纏った妖怪が居た。
妖怪は私を見るや否や、「あなたは食べられる人類ッ!?」そう叫んであろう事か神である私を食い殺そうと襲い掛かってきた。
仕方が無いので穏やかに弾幕で追い払おうとしたのが間違いだった。
その妖怪は弾幕などを使わずに、自身を纏っていた闇で私の力を奪い噛み付いたり蹴っ飛ばしたりした挙句私は人間で無いので食べられないと考えたのか私は妖怪に力いっぱい上空から叩き落され山の表面に頭から突き刺さるという恥辱を味わった。
全く、本当に厄い厄い。何て厄過ぎるのかしら。
数刻掛けて、やっとの事で頭を引き抜いた私は心も身体もズタボロで、何も考えずに山を下りていた。
厄ばっかり溜め込んでるよりも、今は何か心安らぐ場所に行きたかった。
そうしてやって来たのがこの屋台。
八目鰻と書かれたのぼりが闇夜に灯る屋台の明かりに照らされてるのを見つけると、私はよろよろとおぼつかない足取りでその屋台ののれんをくぐった。
「……いらっしゃい」
屋台に入るなり、出迎えた店主の夜雀から、既に客として入っていた蛍やら妖精やらから朝の妖怪に匹敵しかねない程の厄が感じられた。
どうにも落ち着かないが、入ってしまったものだから仕方が無い。
それに厄を溜め込むのが本職なのだから、むしろこの場が心地良く感じられないといけないのだ。いつもの私ならば。
「お客さん、ルーミアっていう、闇を操る金髪の妖怪の女の子、知ってる?」
鰻の蒲焼と焼酎を店主に頼むと、品を用意しながら生気の無い顔でそう尋ねてきた。
「名前は知らないけど、金髪の妖怪の女の子なら、朝見たわ。
すっごく強くてあっさり負けちゃった。闇も使ってきたわ。
それで私はこんなにもブルーなの。私厄神なのに、情けないわ」
「! そ、その子、どこに行ったか知ってる?」
「いいえ、知らないわ」
「…そう」
店主は再び俯いた。見回せば、他の席に座っていた氷精たちも表情を更に曇らせていた。
「あなたたち、何か事情がありそうね?」
「……その金髪の女の子は、私たちの友達なの。
何だか良く分からないけど、流行の美容院に行ったら急に暴れだして…どこかに行っちゃって…」
「ルーミアは、食いしん坊だから、こうやってみすちーに屋台を開いてもらっていれば、鰻の匂いを嗅ぎ付けて戻ってきてくれるかなって思ったんだけど…」
「あたいがびよういんなんかにみんなを連れて行かなかったら、ルーミアは居なくならなかったんだ…あたいのせいだ…うぇぇ」
「チルノちゃんのせいじゃないよ! きっとルーミアちゃんは戻ってくるよ!」
店主と、蛍と、氷精と緑の妖精が口々にものを言う。
話が読み辛いが、どうやらこの子たちは私を完膚なきまでに叩きのめしたあの化け物とお友達らしい。
まあ、そんな化け物の友達だろうと困っているのを放っておいては帰れない。
私は、今までの落ち込んだ自分を奮い立たせて、幼い少女達のために一肌脱ぐ事にした。
「直接的な手助けは出来ないけれど、あなたたちの厄を吸い取ってあげる事ぐらいはできるわ。やってあげる」
「厄を吸い取るって?」
「うーん、不幸を失くしてあげるようなものかしら?」
そう言って、厄神、鍵山雛は椅子からおりると、手を広げてぐるりと一回転。
緑色の長い毛を浮かせながら、もう一回転。更にもう一度。更にもう一度。もう一度回って、回って、回って彼女たちを取り巻く厄を自分の周りへと引き寄せる。
「せっかく私たちが死ぬ気で戦ってやったって言うのに、その勇姿を一枚も写真に収めてないってどういう事よ!
しかも記事にすらする気が無いって、何よ!? うわーん!! 私たちの命を掛けた努力は何だったのよー!!」
「ちょッ、姉さん! め、迷惑だよ! 落ち着いて!」
何やら騒ぎながら、二人の少女─紅葉と豊穣の神が屋台ののれんをくぐった事によって、一瞬にして屋台の中の空気が凍りついた。
「……すみません、帰りま…」
「穣子ッ! ここで帰ったら私たちは永遠の負け犬よ!!
どんな手段を使ってでも私たちはこの子たちの注目を集めなければいけない!
私たちが、最後の希望をこの手にする為には!」
「…えーと、あの…」
二人とも雛には見覚えがあった。
同じ神々に属する秋静葉と穣子だ。その二人が何故ここに?
それは雛にも言えた事だが、やはり疑問に思うものは思う。
しかし雛は一人暴走する静葉の勢いに気圧されてうまく言葉を発する事が出来なかった。それは屋台の店主たちも同じらしい。
自分がひかれている事に気づいた静葉は、はっと何か我に返ったような様子を見せると、やっといつもの静葉に戻っていき、常時の自分からは考えられないような行動に自ら赤面して押し黙ってしまった。
「…穣子。バトンタッチ」
「は!? ちょ、ちょっとお姉ちゃーん…勘弁してよぉ」
「あの…言いにくいんだけど、お二人さん。その、一体何しに…?」
どんどん自分達の世界を広げていく姉妹に、おどおどした様子で店主がついにそう尋ねた。
「穣子お願い、私もう外を歩けない生きてけない」
「ほんとお姉ちゃんって気象の変化が激しすぎるよ…。
…えっと、皆さん。突然お騒がせしてすいません。
私たちは秋の神様の姉妹ですが、今は冬なので神としての尊厳はさしてありませんし、力がある訳でもありません。
なので、皆さんどうか緊張せずに聞いて下さい」
「どうせこの人たち私たちが神様だなんて気づいてないに決まってるよ…」
「そ、そうかな…。じゃあ、前置きは無しで、単刀直入に言うよ!
信仰されない神である私たちは例え妖怪からだろうが妖精からだろうが、ほんの少しでも多く信仰を得る為にッ!
あなた方の探し人、連れてきちゃいましたー!!!!」
ばさりと穣子が後ろののれんをかき上げる。
そして現れた人物に雛は驚きのあまり椅子から転げ落ちた。
他の少女達も驚愕の声を上げたが、雛とは違ってすぐに安堵、そして歓喜の声を上げて姉妹の連れてきた少女に駆け寄った。
「お帰り、ルーミアちゃん!!」
「お帰りっ!」
「お帰りなさい!」
「うわあああん、ルーミアが帰ってきたよぉ良かったよぉぉうひぇぇぇん」
「……」
目の前で繰り広げられる急な展開に雛は椅子から転げ落ちたまま固まっていた。
これはまさかあれか。
私がせめてもの思いとして彼女らから厄を吸い取ったからこんな事になっているのか。
とにかく雛はそう考える事にした。
無理矢理そう解釈でもしないとあまりの出来事に追いついていけそうになかったからだ。
…まあ、何にせよ彼女たちに笑顔が戻って良かった。
だから私はにこりと秋姉妹に微笑みかけた。
彼女たちもまた、笑い返してくれた。
…お腹が空いたので永い眠りから覚めた私はまず疑問に思った事がある。
…何故マヨヒガがあちこち破壊されているのか。
その理由を従者である藍から、そしてそろそろ新年を迎えるというのにまだ寝ているつもりかと私を起こしに訪れた幽々子から聞いた私は、さあっと顔から血の気が引いていくのを感じた。
藍がまずマヨヒガ妖怪によって襲撃されていた事を私に伝えた。
そして、何故かずたぼろの幽々子が守矢神社の巫女があの妖怪の封印を解く事になった経緯を話した辺りからだった。
私はすくりと立ち上がり、二人に言い放つ。
「調子が悪いから、二度寝するわ。ごめんなさい」
呆然とする二人を尻目に八雲紫は布団が敷きっぱなしの自室へと飛び込むようにして入り込むと後ろ手で素早くふすまを閉めた。
はああっ、と大きく息をついて紫は頭を抱える。
…ああ、どうしよう。これ絶対私が原因じゃないの。
額に汗を滲ませながら紫は思わず唇を噛む。
それもこれも、ほんの数日前の出来事が原因だったのだ。
外の世界で言うクリスマス・イブのその日、幽々子はいつもよりやや伸びていた妖夢の髪の毛を見て一人呟いた。
「妖夢はいいなあ、髪が伸びて。
…私は伸びないから、髪のおしゃれが出来ないのよね」
こっそり幽々子の姿をスキマから覗き見していた紫にその言葉を聞いた瞬間電流が走った。
─私の境界を操る力で、幽々子の髪の毛を伸びるようにしてあげようかしら。
せっかく明日はクリスマスなんだし、粋にクリスマスプレゼントって事でね。
そうだ、幽々子だけ伸びるのも変に思われるかもしれないし後で他の亡霊たちの毛の境界もいじってあげて伸びる仕様にしちゃおうか。
…そしてそんな冗談のような作業を私は寝る前に行った。
何故わざわざ寝る前にそんな事をしたのか、と言われれば勿論サンタは夜に子供達にプレゼントを渡すものとされている。
だからそれを真似て私もサンタ気取りで眠いのを我慢して亡霊たちが寝静まった頃にその作業を一人で行い、そしてそれが終わると同時に布団に倒れ伏せた。
その結果がこれだ。
…どうも眠いのを堪えながらの作業だったため、幽々子の髪の毛の境界の調整にミスがあったらしい。
奇しくも他の亡霊たちは上手くいっていたというのに。幽々子に気合を入れすぎたせいか。
幽々子が語るには幽々子は凄まじい勢いで毛が伸び始め、数日足らずでただの毛だるまと化したというのだ。
その毛だるまをどうにか元通りの彼女へと戻すために守矢神社の巫女を連れてきて…。
予想外にその巫女は散髪師として天才的な才能を発揮し、名を上げ、ついには髪飾りと言う封印をなされた妖怪がやってきて…。
…滅多な事はするもんじゃないな、と紫は思った。
すぐに幽々子と白玉楼の亡霊たちの髪の毛の境界をいじり元に戻す。
これでやれる事はやった。
それに話によれば既に妖怪は…ルーミアは、再び封印されたらしいしもう大丈夫なはずだ。
紫は誰にもこの事を勘付かれたりしませんように、などと考えながら布団の中に潜り込む。
…残念ながら、既にふすまの間からこっそり紫の様子を窺っていた藍と幽々子には勘付かれていたが。
……奴等は私を完全に封印できたと思っているらしいがそれは違う。
私に札を結わえた紅白の巫女は、まだまだ以前私を封印した人間ほどの力に達していなかったのだ。
私はここは封印されたふりをし一度身を引いて、力を蓄えた上で再び奴等を襲撃しようと考えていた。
正確に言えば目的は早苗だ。今度は一対一で、全力でぶつかり合ってみたい。
そして次こそは私が勝ち、早苗を殺して、骨まで貪り尽くしてやる。
だから私は、封印されていた私が付き合っていた妖精妖怪たちの元へ戻って機を窺う事にしたのである。
その為私への警戒を解いた巫女たちに私は仲間たちの元へ戻りたいと伝えた。
何やら秋姉妹が私を仲間たちの元へと送迎する事を進んで引き受けていた。
一応は神らしく、傷ついた私をここまで送る道中に、私がへし折ってやった静葉の両腕はいつの間にか元通りになっていた。
…さて、それでやっと私は私の仲間たちとやらに屋台の中で対面した。
対面するや否や私は屋台の中に居た者達に一斉に飛びつかれ抱きつかれ泣きつかれ…
……全く拍子抜けだ。私はこんな奴等と付き合っていたというのか。
みなが私を恐れ仲間もつくる事さえままらなかったあの頃とは本当に封印後の私は変わっていたらしい。
だというのに今は誰もが私を恐れ逃げてゆく様子など微塵も見せない。
…喜ばしい事だ。
…?
私は今何を考えた。
喜ばしい? 馬鹿な、こんな奴等が仲間である事の何が喜ばしいというのか。
…そう、何も喜ばしい事などない。
氷精が泣きながら私の腕にしがみつく。
夜雀が顔を胸に埋めて抱きついてくる。
蛍が笑顔で私を見つめてくる。
隣で緑の妖精が頬を伝う涙を拭った。
…私は。
良い仲間を持っていたらしい。
………。
私は、一度身を引く事にした。それは先程も述べた。
だが私は今から、それとは別の意味で身を引く事にする。
私の記憶に無い私がこの仲間たちを作り上げたというのならば私がその仲間たちに介入してはならない。
そう、私は考えた。
…良いだろう。私は私に私を演じさせてやる。完全に封印されてやる。
早苗…次に会う時は私が再び封印を解かれた時だ。
それまでの間、私はこの私の中で完全なる私を構築する。
もう私はお前に恐怖しない。
そしてお前を喰らう為、いつか必ずお前に殺し合いを挑んでやる。
だからしばらくは、さよならだ。…早苗。
「ルーミアちゃん、酷い怪我。大丈夫なの?」
「大丈夫だよー。痛いけどー」
ずっと黙っていたルーミアは、仲間たちの言葉についに返事を返した。
ルーミアの友人たちは、彼女を抱き締める力を強めた。
屋台ののれんの間から、眩い光が差し込んでくる。
それは夜明けを、同時に新たな年の始まりを告げていた。
意外にも真面目な話でしたね。
面白かったですよ。
ただ私の個人的な意見ですが人のセリフと地の文章は少し
空けたほうが見やすくなると思います。
正直早苗さんの床屋さんの話だけで良かったような気もする。
無理にシリアスにした感じが拭えないかな。
面白かったですよ。
幻想郷の神々に乾杯!!
シリアスくさい話ながらもところどころにちりばめられたギャグが面白い!
だけどこれは人によってはKY(もう死語か?)に思われて嫌われるのでお気をつけて。
あと視点がですね、前置きないまま変わりまくっていますよ。
ルーミア視点から三人称視点(って言うのか!?)そこからまたルーミア視点、
はたまた早苗視点など、右往左往してるので、
私は、私としてはですよ!?視点は統一するか、または前置きしてからかえるのがいいかと。
ただですね、私としては好きなんですよこういう作品。
楽しかったです。
ちょっと間を開けた方が良いと思います