『○月×日 曇天 九日月
彼の娘のことが頭から離れない。
興奮して殆ど寝られなかった。
今日は仕事も休みだったので、朝からあの匣を持つ女性を探した。
里の中にはいなかった。もう旅立ったのか。
里の人にも聞いたが、今の里の人は別の事件を噂している。
善くは聞かなかった。関係の無いことだった。
女性と出会った場所に行くと、ふと、女性の姿が思い出された。
服装は矢張り思い出せないが、その全身は夕焼けの所為か、赤く紅く染まっていた。
そして。
耳だ。耳が飛び出ていた。
赤い体に長い耳。それは。
見たことがある。その姿はどこかで。
あれは人ではない。妖怪だ。ある本に描かれていた妖怪だ。
急ぎ家へ帰り、本を探したがどこにも無い。
これでは確認できない。
だが、その妖怪の名は覚えている。忘れぬうちに書き記そう。
あれは――そう、『魍魎』という妖怪だ。
妖怪ならば、もう人里にはいないだろう。明日はもっと遠くを探そう。
何としても探さねばならない。
彼の匣の娘が必要だ。』
その日、紅魔館メイド長十六夜咲夜は、酷くうんざりしていた。
メイド長という称号は、人材不足の紅魔館ではかなりの権限がある。しかし、その分仕事量も責任も半端ではない。
主人の吸血鬼姉妹の世話、喘息気味の図書館長の看病、役に立たない門番長への説教、侵入者の撃退などなど、挙げていけばきりが無い。
並々ならぬ体力と精神力、そして『時を操る程度の能力』を持つ咲夜だからこそなせる重大な役目なのだ。
しかし、その咲夜をして、この朝からの『現場検証』は大掛かりなものだった。
今現在、咲夜と彼女が率いる妖精メイド館内雑用部隊、そして紅魔館外警備部隊は、共同で広い紅魔館の領地を捜索しているのだった。
だが、大掛かりとは云ってもそれは単なる規模のことであり、その作業自体は遅々としてはかどっていない。
元々仕事に精を出すことが少ない妖精メイド達は、朝早くからの肉体労働で更に動きが鈍くなり、あろうことか公然とさぼったり遊んだりしているのだ。
最初こそ叱ったり注意したりしていた咲夜だが、一時間も経つと流石に睡魔が襲ってきた。
主人の特性上窓が殆ど無い館なので、そこに篭って仕事をする咲夜達は、久々の日光浴に気力を次々と奪われていったのだった。
本来、門の外にいるべき門番長――紅美鈴が朝っぱらから館内に侵入して来たのが、そもそもの始まりだった。
正門が開く音で半ば反射的に起床した咲夜は、すぐさま時を止め、玄関ホールに向かった。そして侵入者の姿を確認するや、得物であるナイフでその体を壁に縫いつけた。
時を動かしてその姿を再確認すると、それは魔法使いでも巫女でもなく自分の同僚だったものだから、咲夜は心地よい寝床を離れたことを酷く後悔した。
「さて、外にいるべきあなたがどうしてこんな早朝に、堂々と、正門から、しかも土足で侵入してきたのかしら?」
「咲夜さあん、私、一応この紅魔館の住人なんです。なんで『侵入』って云うんですかあ?それに理由も聞かずにナイフで壁に留めないで下さいよお」
美鈴は情けない声で抗議するが、その姿はまるで昆虫標本の様に壁に貼り付けられている。かなり滑稽なポオズなので、咲夜は吹き出しそうになるのを必死で堪え、あくまで冷静に切り返した。
「まあ、確かにこんなことをするのなら、それなりの理由ってやつがあるわよね?聞いてあげるから三十字以内で纏めて報告なさい」
「え、そんなあ――じゃあ『先程、湖のほとりに近い所で人の腕らしき物体が見つかったんです』」
「うまいこと三十字で纏めたわね――って、人間の腕ですって?」
「はい、見つけたのはチルノなんですが、それこそ大騒ぎしてたんですよ。あ、後からブン屋も来てましたね」
ふうん、と声をあげた咲夜は、取り敢えずナイフを抜き取って美鈴を解放した。地べたにべしゃりと墜落した門番長を冷ややかな目で睨み、咲夜は静かに云った。
「それで?それのどこが『それなりの理由』なのよ?」
「へ?だ、だって腕ですよ?もし本物なら、こりゃ殺人事件ってやつですよ?」
「それなら聞くけれど、もし人殺しだとして、そんなことが私達に関係あるっていうの?殺人犯がこの館に侵入するなんて有り得ないし、そもそも私もあなたも防衛のために人なんか何人も殺してきたじゃない。第一、私達の主人からして人間の天敵なのよ。今更腕の一本や二本、何だって云うのよ」
少なくとも館中を叩き起こすような事件じゃないわね、と云い切り、咲夜は踵を返して玄関ホールから出て行こうとする。
「じゃあ、あの腕らしき物体は放置しとくんですか?あれじゃあ腐っちゃいますよ」
美鈴の声を背中に受け、咲夜は振り返って冷たく云った。
「馬鹿ね。放っておく訳ないでしょうが」
「え?でも今、私達は関係無いって」
「関係無いのは殺害事件云々よ。自分の領地に生ゴミが捨てられてたなんて、お嬢様が知ったらいい気分になるはずがないでしょう?まだあるかもしれないし」
「まだ――ありますかね?」
「可能性はあるわ。脚とか頭部とか。もしその腕が捨てられた物だとしたら、普通一箇所に纏めて捨てるでしょう?そんなの放っておいたら、この辺りまで腐臭が来るかもしれないわ」
咲夜が手を打ち鳴らすと、あちこちから寝ぼけ眼の妖精メイドがぞろぞろと集まってきた。
そしててきぱきと指示を出し、すぐに紅魔館領地の一斉捜索が始まったのだ。
少しづつ高くなってくる太陽を見つめ、咲夜は本日十八度目の溜息をついた。
朝早くから動員された妖精メイド達は、だらだらと飛び回るか、きままにふざけ合ったりしている。
これでは見つかるものも見つからない。早ければ腐敗も始まっているだろう。
「――何だか馬鹿らしくなってきたわね」
そもそもあの腕が本物なのか、もしそうでも本当に人間の物なのか、そのあたりは確実では無い。
咲夜がその目で確認した限りは本物だと感じたのだが、どこか作り物のような感じもしたのだ。
「だけど、そんな趣味の悪い人形、あの人形遣いでも作らないか」
そんな独り言を呟いていると、遠くからこちらに近づく影が二つ、確認できた。
影の姿は見る見る内にはっきりして、咲夜の目の前に綺麗に着地した。
「おう、咲夜か。朝っぱらから災難だな」
「あやや、やっぱり美鈴さんの云った通り、この辺の捜索をしてるみたいですね」
「ああ、また騒がしい連中が増えたわね。これは見世物じゃないのよ。野次馬はさっさと帰りなさい」
「残念ながら野次馬なんかじゃあないぜ。事件捜査に協力してやるんだから、少しは感謝しろよ」
霧雨魔理沙と射命丸文。こちらに後から来るらしいことは美鈴から報告を受けていた。
咲夜は取り敢えず二人と挨拶がわりの応酬をし、もう一人――博麗霊夢がいないことに気づいた。
「いつもの紅白巫女の姿が見えないわね。一緒に来るものと思っていたけど?」
「あいつはパスだってさ。最近、妖怪研究に嵌まってるんだと」
それはまた奇態な趣味である。ある意味この幻想郷にはぴったりの研究課題ではあるが。
「それじゃあさ、さっさとその問題の右腕、見せてくれよ」
「あなたも負けず劣らずの変人ね。あんなの好んで見たいだなんてね」
「いやいや、記事のネタになるなら、どんなにグロテスクな物も観察出来る自信がありますよ、私には」
どうやら、自分の周囲の知人など殆どが変人らしい。常識的な人のほうが少ないようである。
咲夜は二人を伴って、すぐ近くに設置した休憩用テントに向かった。真っ赤な屋根のテントの横には、下手糞な字で『そーさほんふ』と書かれた板切れが看板のように立っていた。
テントの日陰には、暑さで少しぐったりした様子の妖精が一人、ぽつんと座っていた。
「お、チルノか。大丈夫か?そろそろ溶け始めるんじゃないか?」
魔理沙がからかうと、氷の羽を持つ妖精――チルノが魔理沙を睨み付けて云った。
「ふん、こんな厚さでさいきょーのあたいが解けるわけないでしょ?バカにしないでよね」
「チルノちゃん、漢字があちこち間違ってますよ」
うるさいうるさいうるさい、とチルノは弱弱しく喚いた。いつもより勢いが無い。あんなものを見た所為か、それともただ単に暑いだけか。後者だと思うのだが。
「テントの横の板切れ、あなたが書いたの?捜査本部なんて言葉よく知っていたわね。というかまだ事件って決まってないでしょうが」
「ふん、あたいはにんげんのうでを見つけちゃったのよ?これがじけんじゃなくって何だと云うのよ」
「そう、その腕なんですが、ちょっと私達にも見せてもらえませんか?」
文の言葉にチルノは自慢げに頷くと、近くに置いてあった紙袋を引き寄せ、慎重な手つきで開いた。
そこにあったのは――正に『人の腕』としか表現できないような、そんな凡庸な右腕だった。普通の腕と唯一の違いは、肩の関節から先、つまり体と繋がっていないという所だけである。
「うわ――こりゃ確かに腕だな。右腕だ」
魔理沙が自らの腕と見比べてそう云うと、文は興味深げに顔を近づけた。
「保存状態はいいですね。チルノちゃんの隣にあったお陰なのか、とても綺麗ですよ」
「あなたたち、よく直視できるわね。切断面なんか凄いわよ」
「そうですか?私はむしろ、かなりスマートに切っているように見えますがね」
全く物怖じしない文を呆れたように見やってから、咲夜はもう一つの紙袋を魔理沙に渡した。
「それは腕のそばで壊れてた箱の残骸よ。これも見たかったのでしょ?」
「おう、サンキュ」
紙袋の中には、原型がかなり壊れた箱が、欠片と共に入っていた。見る限りでは竹製、それもかなり精巧な作りである。
「ううん、竹なら迷いの竹林か?でも竹なんてあちこちに生えてるし――よく解らんな」
魔理沙は残骸を文に渡すと、チルノにこう聞いた。
「この箱、お前が腕を見つけた時からこうなってたのか?」
「うん、あたい、大ちゃんの所にあそびにいこっかな、なんて考えてとんでたら、ちょうどそこ――」
チルノは、湖のほとりから多少離れた草むらを指差した。
「あそこをふって見たの。そしたらこれが落ちてたの。さいしょは人形かと思って近づいたんだ」
「あの草むらは、見る限りでは物を隠すには適さない場所ですよ。空からチルノちゃんが発見できたぐらいですからね」
「それってどうゆういみよ」
「それに、最初っから箱は壊れてた。隠して捨てるなら、もっと巧妙にやるだろ?そこに隠したって訳じゃ無いんじゃないか?」
「それなら何故そんなところに、さも見つけてくださいと云うかのようにこれは落ちてたのよ?」
「これは隠した訳でも捨てた訳でもない、落としちまったんじゃないのか?」
そう云うと、魔理沙はその草むらに近づいてしゃがみこみ、地面に触った。
「ほら、この辺りの地面はごつごつしてる。もし夜中に此処を走ったなら、高確率で転ぶか躓くかするんじゃないか?」
「ああ、もし誤って落としたのなら、箱が壊れてるのも納得ですね。この箱、装飾も綺麗だけど壊れやすそうですし」
そうかもしれない。夜中に侵入したなら落としても善く探せないだろうし、長居してると紅魔館の住人に見つかる可能性も高くなる。落としたことに気付いてもそのままにしてとっとと退散するだろう。
「魔理沙さん、あなた妙な所に色々と気付きますね。これが事件ならあなたはさながら名探偵ですよ。魔女探偵霧雨魔理沙、猟奇事件を見事解決、とか」
「やめろよブンブン、照れるじゃねえかよお」
頬を掻いて照れる魔理沙を見て、咲夜はふと別の問題を思い出した。
「でも、そしたら残り――左腕や脚、胴体とかはどうなったのかしら」
「それは――」
名探偵魔理沙、そこで詰まった。そこまでは解らないらしい。
咲夜はまた溜息をついた。これではこの『現場検証』もしばらく続行だ。そんな推理は今現在は無意味である。
その時。
絹を引き裂くような鋭い悲鳴が辺りに響いた。
「な、なに?なんだっていうのよ?」
「湖の向こうの方だ。何かあったのか?」
すぐに文が翼を広げて飛び出した。その後から咲夜、箒に乗った魔理沙、チルノと続く。
悲鳴があがったのは湖の上、波打ち際のすぐ近くだった。数人の妖精メイドが口を覆って上空に静止していた。
「1482番!何があったの?」
咲夜に呼ばれた一人の妖精が、手に持つ物干し竿のような棒を掲げた。
「め、メイド長!じ、実は私達、此処であそ――じゃなかった捜索をしてて、湖底をこれで突付いて探ってたんです!」
「そしたら変な手応えがあって、おかしいと思って強く突いたら――そ、それが」
もう一人の妖精が指差すその先には。
青白く日光を反射する、一対の脚が浮かんでいた。
「脚が――まさか、本当に?」
魔理沙が妖精から棒をひったくると、箒から身を乗り出して更に湖底を探った。
ややあって棒の先を引き上げると、その先には鎖の巻き付いた箱が引っかかっていた。
「魔理沙さん――それって、まさか」
「ああ、右腕の入っていた箱と同じやつだな」
その言葉と同時に、咲夜は墜落しかけたチルノの手を咄嗟に掴んだ。どうやら気絶したようだ。
そして咲夜は、本日二十度目の溜息をついたのだった。
彼の娘のことが頭から離れない。
興奮して殆ど寝られなかった。
今日は仕事も休みだったので、朝からあの匣を持つ女性を探した。
里の中にはいなかった。もう旅立ったのか。
里の人にも聞いたが、今の里の人は別の事件を噂している。
善くは聞かなかった。関係の無いことだった。
女性と出会った場所に行くと、ふと、女性の姿が思い出された。
服装は矢張り思い出せないが、その全身は夕焼けの所為か、赤く紅く染まっていた。
そして。
耳だ。耳が飛び出ていた。
赤い体に長い耳。それは。
見たことがある。その姿はどこかで。
あれは人ではない。妖怪だ。ある本に描かれていた妖怪だ。
急ぎ家へ帰り、本を探したがどこにも無い。
これでは確認できない。
だが、その妖怪の名は覚えている。忘れぬうちに書き記そう。
あれは――そう、『魍魎』という妖怪だ。
妖怪ならば、もう人里にはいないだろう。明日はもっと遠くを探そう。
何としても探さねばならない。
彼の匣の娘が必要だ。』
その日、紅魔館メイド長十六夜咲夜は、酷くうんざりしていた。
メイド長という称号は、人材不足の紅魔館ではかなりの権限がある。しかし、その分仕事量も責任も半端ではない。
主人の吸血鬼姉妹の世話、喘息気味の図書館長の看病、役に立たない門番長への説教、侵入者の撃退などなど、挙げていけばきりが無い。
並々ならぬ体力と精神力、そして『時を操る程度の能力』を持つ咲夜だからこそなせる重大な役目なのだ。
しかし、その咲夜をして、この朝からの『現場検証』は大掛かりなものだった。
今現在、咲夜と彼女が率いる妖精メイド館内雑用部隊、そして紅魔館外警備部隊は、共同で広い紅魔館の領地を捜索しているのだった。
だが、大掛かりとは云ってもそれは単なる規模のことであり、その作業自体は遅々としてはかどっていない。
元々仕事に精を出すことが少ない妖精メイド達は、朝早くからの肉体労働で更に動きが鈍くなり、あろうことか公然とさぼったり遊んだりしているのだ。
最初こそ叱ったり注意したりしていた咲夜だが、一時間も経つと流石に睡魔が襲ってきた。
主人の特性上窓が殆ど無い館なので、そこに篭って仕事をする咲夜達は、久々の日光浴に気力を次々と奪われていったのだった。
本来、門の外にいるべき門番長――紅美鈴が朝っぱらから館内に侵入して来たのが、そもそもの始まりだった。
正門が開く音で半ば反射的に起床した咲夜は、すぐさま時を止め、玄関ホールに向かった。そして侵入者の姿を確認するや、得物であるナイフでその体を壁に縫いつけた。
時を動かしてその姿を再確認すると、それは魔法使いでも巫女でもなく自分の同僚だったものだから、咲夜は心地よい寝床を離れたことを酷く後悔した。
「さて、外にいるべきあなたがどうしてこんな早朝に、堂々と、正門から、しかも土足で侵入してきたのかしら?」
「咲夜さあん、私、一応この紅魔館の住人なんです。なんで『侵入』って云うんですかあ?それに理由も聞かずにナイフで壁に留めないで下さいよお」
美鈴は情けない声で抗議するが、その姿はまるで昆虫標本の様に壁に貼り付けられている。かなり滑稽なポオズなので、咲夜は吹き出しそうになるのを必死で堪え、あくまで冷静に切り返した。
「まあ、確かにこんなことをするのなら、それなりの理由ってやつがあるわよね?聞いてあげるから三十字以内で纏めて報告なさい」
「え、そんなあ――じゃあ『先程、湖のほとりに近い所で人の腕らしき物体が見つかったんです』」
「うまいこと三十字で纏めたわね――って、人間の腕ですって?」
「はい、見つけたのはチルノなんですが、それこそ大騒ぎしてたんですよ。あ、後からブン屋も来てましたね」
ふうん、と声をあげた咲夜は、取り敢えずナイフを抜き取って美鈴を解放した。地べたにべしゃりと墜落した門番長を冷ややかな目で睨み、咲夜は静かに云った。
「それで?それのどこが『それなりの理由』なのよ?」
「へ?だ、だって腕ですよ?もし本物なら、こりゃ殺人事件ってやつですよ?」
「それなら聞くけれど、もし人殺しだとして、そんなことが私達に関係あるっていうの?殺人犯がこの館に侵入するなんて有り得ないし、そもそも私もあなたも防衛のために人なんか何人も殺してきたじゃない。第一、私達の主人からして人間の天敵なのよ。今更腕の一本や二本、何だって云うのよ」
少なくとも館中を叩き起こすような事件じゃないわね、と云い切り、咲夜は踵を返して玄関ホールから出て行こうとする。
「じゃあ、あの腕らしき物体は放置しとくんですか?あれじゃあ腐っちゃいますよ」
美鈴の声を背中に受け、咲夜は振り返って冷たく云った。
「馬鹿ね。放っておく訳ないでしょうが」
「え?でも今、私達は関係無いって」
「関係無いのは殺害事件云々よ。自分の領地に生ゴミが捨てられてたなんて、お嬢様が知ったらいい気分になるはずがないでしょう?まだあるかもしれないし」
「まだ――ありますかね?」
「可能性はあるわ。脚とか頭部とか。もしその腕が捨てられた物だとしたら、普通一箇所に纏めて捨てるでしょう?そんなの放っておいたら、この辺りまで腐臭が来るかもしれないわ」
咲夜が手を打ち鳴らすと、あちこちから寝ぼけ眼の妖精メイドがぞろぞろと集まってきた。
そしててきぱきと指示を出し、すぐに紅魔館領地の一斉捜索が始まったのだ。
少しづつ高くなってくる太陽を見つめ、咲夜は本日十八度目の溜息をついた。
朝早くから動員された妖精メイド達は、だらだらと飛び回るか、きままにふざけ合ったりしている。
これでは見つかるものも見つからない。早ければ腐敗も始まっているだろう。
「――何だか馬鹿らしくなってきたわね」
そもそもあの腕が本物なのか、もしそうでも本当に人間の物なのか、そのあたりは確実では無い。
咲夜がその目で確認した限りは本物だと感じたのだが、どこか作り物のような感じもしたのだ。
「だけど、そんな趣味の悪い人形、あの人形遣いでも作らないか」
そんな独り言を呟いていると、遠くからこちらに近づく影が二つ、確認できた。
影の姿は見る見る内にはっきりして、咲夜の目の前に綺麗に着地した。
「おう、咲夜か。朝っぱらから災難だな」
「あやや、やっぱり美鈴さんの云った通り、この辺の捜索をしてるみたいですね」
「ああ、また騒がしい連中が増えたわね。これは見世物じゃないのよ。野次馬はさっさと帰りなさい」
「残念ながら野次馬なんかじゃあないぜ。事件捜査に協力してやるんだから、少しは感謝しろよ」
霧雨魔理沙と射命丸文。こちらに後から来るらしいことは美鈴から報告を受けていた。
咲夜は取り敢えず二人と挨拶がわりの応酬をし、もう一人――博麗霊夢がいないことに気づいた。
「いつもの紅白巫女の姿が見えないわね。一緒に来るものと思っていたけど?」
「あいつはパスだってさ。最近、妖怪研究に嵌まってるんだと」
それはまた奇態な趣味である。ある意味この幻想郷にはぴったりの研究課題ではあるが。
「それじゃあさ、さっさとその問題の右腕、見せてくれよ」
「あなたも負けず劣らずの変人ね。あんなの好んで見たいだなんてね」
「いやいや、記事のネタになるなら、どんなにグロテスクな物も観察出来る自信がありますよ、私には」
どうやら、自分の周囲の知人など殆どが変人らしい。常識的な人のほうが少ないようである。
咲夜は二人を伴って、すぐ近くに設置した休憩用テントに向かった。真っ赤な屋根のテントの横には、下手糞な字で『そーさほんふ』と書かれた板切れが看板のように立っていた。
テントの日陰には、暑さで少しぐったりした様子の妖精が一人、ぽつんと座っていた。
「お、チルノか。大丈夫か?そろそろ溶け始めるんじゃないか?」
魔理沙がからかうと、氷の羽を持つ妖精――チルノが魔理沙を睨み付けて云った。
「ふん、こんな厚さでさいきょーのあたいが解けるわけないでしょ?バカにしないでよね」
「チルノちゃん、漢字があちこち間違ってますよ」
うるさいうるさいうるさい、とチルノは弱弱しく喚いた。いつもより勢いが無い。あんなものを見た所為か、それともただ単に暑いだけか。後者だと思うのだが。
「テントの横の板切れ、あなたが書いたの?捜査本部なんて言葉よく知っていたわね。というかまだ事件って決まってないでしょうが」
「ふん、あたいはにんげんのうでを見つけちゃったのよ?これがじけんじゃなくって何だと云うのよ」
「そう、その腕なんですが、ちょっと私達にも見せてもらえませんか?」
文の言葉にチルノは自慢げに頷くと、近くに置いてあった紙袋を引き寄せ、慎重な手つきで開いた。
そこにあったのは――正に『人の腕』としか表現できないような、そんな凡庸な右腕だった。普通の腕と唯一の違いは、肩の関節から先、つまり体と繋がっていないという所だけである。
「うわ――こりゃ確かに腕だな。右腕だ」
魔理沙が自らの腕と見比べてそう云うと、文は興味深げに顔を近づけた。
「保存状態はいいですね。チルノちゃんの隣にあったお陰なのか、とても綺麗ですよ」
「あなたたち、よく直視できるわね。切断面なんか凄いわよ」
「そうですか?私はむしろ、かなりスマートに切っているように見えますがね」
全く物怖じしない文を呆れたように見やってから、咲夜はもう一つの紙袋を魔理沙に渡した。
「それは腕のそばで壊れてた箱の残骸よ。これも見たかったのでしょ?」
「おう、サンキュ」
紙袋の中には、原型がかなり壊れた箱が、欠片と共に入っていた。見る限りでは竹製、それもかなり精巧な作りである。
「ううん、竹なら迷いの竹林か?でも竹なんてあちこちに生えてるし――よく解らんな」
魔理沙は残骸を文に渡すと、チルノにこう聞いた。
「この箱、お前が腕を見つけた時からこうなってたのか?」
「うん、あたい、大ちゃんの所にあそびにいこっかな、なんて考えてとんでたら、ちょうどそこ――」
チルノは、湖のほとりから多少離れた草むらを指差した。
「あそこをふって見たの。そしたらこれが落ちてたの。さいしょは人形かと思って近づいたんだ」
「あの草むらは、見る限りでは物を隠すには適さない場所ですよ。空からチルノちゃんが発見できたぐらいですからね」
「それってどうゆういみよ」
「それに、最初っから箱は壊れてた。隠して捨てるなら、もっと巧妙にやるだろ?そこに隠したって訳じゃ無いんじゃないか?」
「それなら何故そんなところに、さも見つけてくださいと云うかのようにこれは落ちてたのよ?」
「これは隠した訳でも捨てた訳でもない、落としちまったんじゃないのか?」
そう云うと、魔理沙はその草むらに近づいてしゃがみこみ、地面に触った。
「ほら、この辺りの地面はごつごつしてる。もし夜中に此処を走ったなら、高確率で転ぶか躓くかするんじゃないか?」
「ああ、もし誤って落としたのなら、箱が壊れてるのも納得ですね。この箱、装飾も綺麗だけど壊れやすそうですし」
そうかもしれない。夜中に侵入したなら落としても善く探せないだろうし、長居してると紅魔館の住人に見つかる可能性も高くなる。落としたことに気付いてもそのままにしてとっとと退散するだろう。
「魔理沙さん、あなた妙な所に色々と気付きますね。これが事件ならあなたはさながら名探偵ですよ。魔女探偵霧雨魔理沙、猟奇事件を見事解決、とか」
「やめろよブンブン、照れるじゃねえかよお」
頬を掻いて照れる魔理沙を見て、咲夜はふと別の問題を思い出した。
「でも、そしたら残り――左腕や脚、胴体とかはどうなったのかしら」
「それは――」
名探偵魔理沙、そこで詰まった。そこまでは解らないらしい。
咲夜はまた溜息をついた。これではこの『現場検証』もしばらく続行だ。そんな推理は今現在は無意味である。
その時。
絹を引き裂くような鋭い悲鳴が辺りに響いた。
「な、なに?なんだっていうのよ?」
「湖の向こうの方だ。何かあったのか?」
すぐに文が翼を広げて飛び出した。その後から咲夜、箒に乗った魔理沙、チルノと続く。
悲鳴があがったのは湖の上、波打ち際のすぐ近くだった。数人の妖精メイドが口を覆って上空に静止していた。
「1482番!何があったの?」
咲夜に呼ばれた一人の妖精が、手に持つ物干し竿のような棒を掲げた。
「め、メイド長!じ、実は私達、此処であそ――じゃなかった捜索をしてて、湖底をこれで突付いて探ってたんです!」
「そしたら変な手応えがあって、おかしいと思って強く突いたら――そ、それが」
もう一人の妖精が指差すその先には。
青白く日光を反射する、一対の脚が浮かんでいた。
「脚が――まさか、本当に?」
魔理沙が妖精から棒をひったくると、箒から身を乗り出して更に湖底を探った。
ややあって棒の先を引き上げると、その先には鎖の巻き付いた箱が引っかかっていた。
「魔理沙さん――それって、まさか」
「ああ、右腕の入っていた箱と同じやつだな」
その言葉と同時に、咲夜は墜落しかけたチルノの手を咄嗟に掴んだ。どうやら気絶したようだ。
そして咲夜は、本日二十度目の溜息をついたのだった。