「ここに、吸血鬼が居るのね……」
日が昇り始めた朝。吸血鬼が眠りに就く、最も無防備な時刻。
少女は懐に銃とナイフを隠し、目深に茶けたマントを被る。
硝煙と鉄と血の臭い。マントに染み付いたそれは、どうにも落ちそうにない。
少女は、気付いた時にはここにいた。ここがどこかなのか、皆目見当が付かない。ただ、自分が生まれ育った場所とは違う。そういう気配だけは感じていた。
「……関係ない」
だが、そんなことなどはどうでも良かった。自分のすべきことは、化け物を狩ることだけ。世の異形を狩り、異端を滅ぼす。子供が安心して眠れる夜の為に。
ここがどこであろうと、気にしてなどいられない。
師が言っていた。妖怪を狩るのではない。闇を狩るのだと。その意味は、まだ少女には判らない。いつか化け物を狩り続けていたら判るかも知れない。そういう思いから、少女はひたすらに化け物を追った。
そして今、この見慣れぬ異境の地で、少女は吸血鬼の館をみつけた。
「……行く」
時を止め、巨大な門をくぐると、駆ける。
化け物の気配はない。ただ真っ直ぐに館の戸へと駆け寄ると、一瞬だけ時を動かして戸を開けると、また時を止め中に転がり込む。
時間操作。少女が生まれた時から持っていた、異端な力である。少女はこの力を隠して生き続けてきたが、これが必要とされるということを知り、彼女は今の道を歩んだ。彼女の人生は、この力によって成されていると云っても過言ではないのかも知れない。
「……おかしい。吸血鬼の館にしては……手薄」
吸血鬼は強い。ただし朝日を嫌う為に、日中はほぼ眠っている。それだから、特に日中を警護する化け物がいるのが自然なのだ。だというのに、なんだこの屋敷は。たまに妖精が掃除をしていたりする。
『……本当に、こんなところに吸血鬼が居るのか?』
人里で聞いた話ではあったが、もう少し疑っておけば良かった。少女は今更、そんなことを感じていた。
「とにかく……探ってみるか」
そっと、近くにあったドアに手を掛ける。内側に生き物の気配はないが、それでもそっと開けて、まずは中の様子を窺う。
「あら。ノックをしないで入るなんて、礼儀がなっていないわよ」
「なっ!」
少女は咄嗟に銃を引き抜き、部屋の中にいた少女を狙った。吸血鬼相手に、戸も壁も盾にはならない。むしろ人間の自分にとって、それは目隠しになる。だからこそ、少女は堂々と身を晒す格好で銃を構えたのだ。
部屋の中にいた少女は、戸の方を向いて座り、優雅に紅茶を啜っていた。
「貴様! 吸血鬼か!」
「えぇ、そうよ。綺麗な翼でしょう。妹には負けるけれど」
くすりくすり。吸血鬼は笑う。
『馬鹿な! もう日は昇っている! なのに、何故こんなに自然なんだ! ……それに、こちらを向いて座っていた……最初から、捉えられていたいたということかっ!』
血の気が引き、嫌な汗が流れる。
「ふふふ。良い顔ね」
と、吸血鬼が、机に紅茶を置くと、代わりになにかを持ち上げた。
「動くな!」
それが何か判らず、怯えた色を混ぜつつ少女は叫ぶ。
「そんな玩具で何発撃っても、私は死なないわよ」
「中に入っているのが、十字架を溶かして作った弾丸だとしてもか!」
「あらおしゃれ。でも私、十字架好きよ。別の妖怪と、勘違いしているんじゃない?」
「なっ!? ……強がりを!」
少女の手は、とうとう震え始めてしまった。
「綺麗な顔したハンターね。マントは腐った血で臭い癖に、あんたからはほとんど血が匂わない。経験浅いの?」
「………」
「あら。怯えすぎよ」
どう倒す。どう逃げる。二つの気持ちが混ざり合う。やはりまだ、吸血鬼相手は早かったか……そういった後悔が、ぐるぐると胃の中を渦巻いた。
そんな少女を見ながら、吸血鬼はよいしょと目的の物を手に取り、ぐるぐると掻き混ぜ始めた。
「っ! なんだそれは!」
二つの棒で、ぐにぐにと器の中の何かを掻き混ぜる。
ねちょりねちょりと、重く粘性の音が響く。
「あら、知らない? あなたこの辺りの人間じゃないのね」
楽しげに、吸血鬼は棒を動かし続ける。
「く、臭い……魔術か何かか!」
「何を呆れたこと言ってるのよ。よく見なさい、これを」
吸血鬼は器の中から、二つの棒を巧みに操って、容器の中にある粘ついた物体を少女に見せつけた。
「ぎゃーーーー!」
少女はその物体の見た目と香りに、思わず悲鳴を上げてしまった。
『吸血鬼狩り~十六夜~』 完
ここからは『お願いですからもう勘弁してください。』をお送りいたします。
少女は、鼻を押さえて後ずさる。
「く、臭い!」
「何よ、失礼ね。良い香りじゃない」
「近づけないで! 何ソレ、悪魔の食べ物!?」
思わず銃を取り落とし、少女は壁際まで下がってしまった。それでも、まだ臭いは届く。
「酷い言い様。これは納豆といって、歴史ある食べ物よ。チーズみたいな物」
「嘘! 絶対に嘘!」
「一口食べてみたら判るかも知れないわよ」
そう言うと、吸血鬼は立ち上がり、少女の方へと歩み始めた。
「いやーーーーー!」
その得体の知れない物体に恐怖を感じ、咲夜は思わず背を見せて駆け出してしまった。時を止めることさえ忘れて。
そこに、紅い髪の女性が駆けてくる。
「お嬢様、侵入者が」
二人は同じタイミングで角に飛び出し、正面からぶつかりあった。そして、恐慌状態でバランスを崩していた少女の方が吹っ飛ばされる形となった。
「きゃあ!?」
「おっと。ん、あんたか。侵入者は」
油断のない目で、美鈴と呼ばれた妖怪は侵入者を睨んだ。
「遅いわよぉ、美鈴。この子、私の部屋まで来てたんだから」
「うひゃ、そんなとこまで。それは申し訳ありません」
「弁解は?」
「夕飯の用意をしてまして」
「許しましょう」
「有り難きお言葉」
基本的に緩かった。
「きゅー……」
そんな二人に挟まれた少女は、ぶつかった衝撃と納豆への恐怖から、完全に気を失っていた。
「……ん?」
少女は目を覚ました。
「ここは……」
少し惚けている頭を振り、何があったのかを思い出そうとする。すると、目の前に見たことのある少女が現れた。
「おはよう」
「……なっ!」
それは、吸血鬼であった。
「まだ名乗ってなかったわね。私の名前はレミリア=スカーレット。この紅魔館の主よ」
「ど、どういうつもり……だ?」
叫ぼうとして、失敗する。
少女は自分の姿に気付いたのだ。椅子に腰を下ろしている。手と足は縛られている。それは良い。良くはないが納得できる。ただ一つ、どうしても納得できないポイントがあった。
「ど、どういうつもりだ!」
改めて叫ぶ。
少女は、メイド服だったのだ。
「ねぇ。あんたメイドになんなさいよ。住む場所と食事は提供するわよ」
レミリアは動じた様子もなく、にこにこと笑いながら言った。
「は、はぁ!?」
「またお嬢様は無茶苦茶を……それに、後者は食材の間違いですよ」
「何言ってるのよ。食事は提供するわ。コックと客が同一人物なだけ」
「……どう考えても詐欺以外には捉えられません」
「視野が狭いわねぇ」
「お嬢様が広過ぎなんです」
二人のやりとりを聞いていて、少女は気が遠くなる思いを感じざるを得なかった。
『なんなんだ、こいつらは……威厳もへったくれもない……恐怖も、なにもない……』
今まで見てきた妖怪とも、今まで聞いてきた妖怪とも違う。そんな二人に、少女の混乱はただ積もっていくばかりだった。
「それで、どうかしら?」
「……! 巫山戯るな! なんで私が、そんなことをしないといけないの!」
「決まってるじゃない。人手不足なのよ」
「ですねぇ」
「なっ!?」
実に穏やかで平凡な理由に、思わず顔が歪む。
「ふ、巫山戯ているのかお前らは!」
「失礼ね。大真面目よ」
「お嬢様の真面目はたまに頭痛ものです」
額を押さえ、ん~、と渋い顔を見せる美鈴。
「安心なさい。少し奇異に見えても、いずれは馴染む物ばかりだから」
「知ってますけど胃に悪い」
「胃に優しい料理でも用意させるわよ。この新しいコックに」
「やるなんて言っていないだろ!」
思わず怒鳴る。
「あらぁ、そんなこと言って良いのかしらぁ」
と、レミリアの顔がいやらしく歪んだ。
「な、何をする気……」
この避けられない体勢で拷問でもされるのか。そう思うと、先程と似た冷や汗がまた背筋を伝う。
「はい、これ」
吸血鬼は、満面の笑みで納豆を突き出した。
「ひやぁぁぁぁ!?」
悲鳴が上がった。
「また納豆食べてたんですか。言ってくれたらご飯炊きますよ」
「納豆は納豆だけで食べた方が美味しいわ」
「くっさい吸血鬼ですね」
「うっさい、従者」
穏やかでまったりとしたやりとりを、気が気でない少女は耳の端に聞いていた。
「さて」
くるりとレミリアが向き直る。びくりと少女が震える。
「はい、あ~ん」
「!?」
「あ~ん」
「ばばばばば馬鹿っ、よよ寄せるな!」
「これ出すと反応がかわいいわね。でも、食わず嫌いは感心しないわ。だから~」
「あ~ん」
口をぎゅっと結び、涙目で首を振るう。
「何がそんなに怖いのよ」
真っ青なお顔の少女を、理解できないものを見る目でジッと見る。
やがて、ふぅと溜め息を吐くと、吸血鬼は手を組んだ。
「勿体ないけど、仕方ないか」
そして、空を仰ぐ。
「あぁ、神よ。久々にくそ忌々しいあなた様に唾を吐きます。けれど、食べ物に罪はない。だから、大豆の豊穣を祈って」
と手を解くと、器を左手に、棒を右手に、少女へと近づく。
「てい」
「え……?」
二本の棒に器用に挟まれた豆が一粒、咲夜の鼻先にちょこんと乗っかった。
「い、いやーーーーー!」
絹を裂くどころじゃない悲鳴が響き渡った。
「取って取って! いや、いやぁ!」
人目も気にしない本気の泣き叫び。
そんな少女を見てにやぁと笑いながら、また一粒、また一粒と、頬や額に貼り付けていく吸血鬼。少女は必死に顔を振るが、粘度が高すぎて少しも落ちない。
「やめてやめて! これ嫌らのぉ!」
泡を吹いて倒れる寸前になってきていた。
「ふふふふ……服の中に流し込んであげようかしら」
「お嬢様。そんなことしたら、その服の洗濯はお嬢様がやってくださいね」
「うっ」
レミリアはすんでの所で手を止めた。
「いやーーーー! もういやーーーーー! 早く取ってよぉ!」
「取ったらメイドになる?」
「もうメイドでもなんでもなるからぁ、は、早くとってよぉ!」
「交渉成立ね」
これでもかと言うほど嬉しそうないやらしい笑いに、美鈴は少しばかり人間の少女に同情をした。
れろん
「ひあうぅ!?」
気高い香りと高貴な粘度を持つ豆粒を、同じく気高い香りを放つ小さな悪魔の舌が舐め取った。
少女の全身に鳥肌が立つ。
「はい。これで目出度く、あなたは悪魔の犬よ」
その言葉に、咲夜はまた気を失った。
「……そうして、私は紅魔館のメイドに相成ったわけ」
「壮絶な理由ね」
博麗神社の布団の上、寝間着姿の咲夜と霊夢が話をしていた。今は明け方。二人揃って寝起きである。
なんで咲夜は納豆が苦手なのかという霊夢の問いに、咲夜が「そうね。あれはたしか、丁度今頃の時間に……」と話し始めた内容が、先程までの内容だったのである。
「お嬢様には礼儀や作法を厳しく仕込まれるし、美鈴には炊事洗濯掃除に水撒きとをみっちり叩き込まれるし……大変だったわ」
「想像付かないわね」
メイドへの道を突き進もうとする咲夜の図。面白おかしい雰囲気しか浮かばなかった。
「でも、酷いのよ。私が少しでも出来るようになったら、美鈴ったら私にほとんど任せて自分は門番一筋だ、とかって滅多に手伝ってくれないし。私泣きそうだったんだから」
「……もっと想像が付かない」
何か脳内の美鈴が老獪じみて思えてきた。
なお、何故咲夜が博麗神社に寝泊まりしているのかと言えば、今現在、紅魔館に納豆が溢れているからである。レミリアが急に納豆を一杯食べたくなったと、どこからともなく大量に仕入れてきたのである。それはもう、館中が香るほどに。
それに対して、咲夜が涙目で「納豆をどうにかしてください」と懇願したところ、しばらく暇を出されたわけである。そして行き場所のなかった咲夜を、里で偶然出会った霊夢が拾って今に至るわけだ。
「さて……」
と、途端に咲夜の可愛らしい寝間着がメイド服へと変貌する。
「霊夢~……お召し替えのお時間ですよぉ」
にこりと、咲夜が笑う。
霊夢の背筋が凍り、血の気が引く。
「……私、一人で、着替え、できるから」
「あら、メイドの仕事を取っては駄目ですよ」
そう言って、幽鬼のようにゆらゆらと咲夜が迫り、霊夢は少しばかり後ずさる。
次の瞬間、咲夜の手は、死に装束のように白い霊夢の寝間着に触れていた。
「初めてのメイド生活。慣れる為には、楽しむしかなかった」
遠い日を懐古するように、咲夜は呟く。時が止められているため、霊夢は逃げられない。
「……お陰で、今ではメイドしてないと落ち着かないのよ、お嬢様」
「お、お嬢様じゃないからぁぁぁぁぁ!」
紅魔館から納豆がなくなるまで、霊夢の受難は続く……かも?
ニヤニヤが止まりませんでした。
前に見たことがあったような……。
それも貴方の作品の中でだったかな?
まあ、それは置いておいて。
納豆に悲鳴を上げる咲夜さんが可愛い。
そして霊夢のとこでもメイドの仕事をする彼女は
もう職業病なんでしょうかね?
咲夜さんの気持ちがわかるぜ……。
さすがは我らの我儘レミリアさま♪
納豆登場前と後とのテンションの方向性の違いが堪りません!
楽しい作品をありがとうございます。
やられたわwwww
最後に思い出せました。
ぱっと見て「タグに騙された!?」と思ったのに、
後半から雰囲気が変わりすぎてニヤニヤしっぱなしでした。
面白かったです。ありがとう・・・と言うよりご馳走様でした。
それと、長編のほうもがんばって下さい。
前半の咲夜さんの過去話はよくあるパターンだなーと思って読んでましたが途中から…w
人間組が仲良い作品大好きです。もっと増えないかなぁ