「クリスマス! そう、クリスマスは唾棄すべき存在なのよ!」
紅魔館定例会議――季節ごとにどう騒ぐかを決める会。
その会議中に、おぜう様が机に身を乗り出して演説をはじめた。
どうもおぜう様は、腋から産まれた腋太郎が大層嫌いらしく、その誕生日にパーティーをするのは許せないんだそうだ。
お嬢様が突発的にわけのわからない言動をするのはいつものことだった。
咲夜さんもニコニコと笑っていたが、耳栓が飛び出しているし、パチュリー様は口を三角にしてカタカタ震えている。
妹様は姉の言葉を微塵も聞く気がないらしく、四人に分身して口笛でセッションしていた、これがまたえらい上手い。
私の視線に気づいた妹様は、少女らしい無邪気な笑顔を見せてくれた。
こうしていれば本当に、愛らしいだけなのに。
「鼻にワリバシを刺してこれができたら、魔理沙が毎日遊びにきてくれるんだって!」
よし、あの魔法使いには私自ら鉄槌を下してやろう。
こんなに純粋な子に変なことを吹き込んで、一体何が目的だこんにゃろうめ。
「というわけで私は、対クリスマスパーティーを開きたいと思います、異論はないですかー!」
結局私しか話をマトモに聞いていないのだから、答えられるのも当然、私しかいなかった。
「まぁ、いいんじゃないですか、私はお嬢様の意見を尊重しますよ」
「ありがとう美鈴、さすがは私が見込んだイエ……門番だわ!」
イエスマンばかり置いていると、組織が腐りますよ。
咲夜さんを見てください、どう考えても話を聞いていないのに、嬉しそうに頷いています。
パチュリー様に至っては「腋太郎……風祝も侮れないわ……」と呟いているだけ。
大丈夫なんでしょうかこの館。
マトモなのはこの、妹様だけじゃないですか。
単に話しを聞いていないだけみたいだけど、ほら、こんなにも愛らしい。
「美鈴、がんばってね!」
「何がです?」
「どうせお姉様のことだもの、無茶振りするに違いないわ」
大体めんどくさいことは私がやらされる。
おぜう様が突然豆大福が食べたいと言ったら、咲夜さんが門までやってきて私に使い走りをさせる。
私は門番じゃないのか。門を守るのは豆大福を買いに行くこと以下なのか。
その通り、以下だったりするから余計に手が負えない。
そもそも幻想郷は平和そのもので、ケンカを売りにくる妖怪も滅多にいない。
こっそり多く渡されたお小遣いで、芋羊羹を食べて帰っても何も問題がないし、物欲しげにしていた妖精に豆大福を1個渡しても……。
一食抜きぐらいで済む程度には、平和だった。
「というわけで美鈴!」
「はい、お嬢様」
「どでかーい、かぼちゃを持ってきて」
ほらまた始まった。
しかしこの館には絶対のルールがあるので、逆らえるはずもない。
レミリアお嬢様のワガママは、絶対叶えられるように努力してみること、だ。
お嬢様の瞳は運命を見通す目、実現不可能なことは、決して振ってこないのだ。
しかし隙間妖怪の尻を触って生還しろだの、天狗の宴会に顔馴染みのフリをして混ざってこいだの無理難題が多すぎる。
そういった無理難題を完璧かつ瀟洒にこなすのが咲夜さん。
あの人のポテンシャルは本当に計り知れない。
ただ咲夜さんは、危機管理能力にも長けている。
今日こうして耳栓をしているということは、事前に情報を掴んでいたに違いないのだ。
侮れない、もとより侮れる相手ではないけれど。
それにしたって、でかいカボチャを持って来るというのは無理にもほどがある。
どこかの姫の出した五つの難題にも匹敵するんじゃないだろうか。
「大丈夫、そんな顔をしなくたって当てはあるから。
風見幽香のところにいって、あいつにやらせれば問題ない」
ほらきた。
プライドの高そうなあの妖怪が、はいそうですかと簡単に頷くわけがない。
あの手の強妖はうちのお嬢様と同じで、無理難題を吹っかけて遊んでくるか、そもそも相手にしてもらえないことが多い。
口説き落とすのがめんどくさいと睨んだ咲夜さんは、そこで優雅にお留守番タイムを決め込んだのだろう。
「といってもお嬢様? 今は冬ですよ? 雪はそんなにないっていっても、花なんてどこにも咲いていないじゃないですか」
効果は期待していないけれど、一応の反抗を試みた。
風見幽香は花のある場所を求めて常に移動をしている。
夏ならば太陽の畑に行けば大抵会えるし、他の季節も花の名所と呼ばれる場所に行けば、大抵その姿を見ることができる。
しかし、冬だけは別だ。
冬に咲く花など一握りに過ぎず、それらは大輪の花を咲かすわけでもない。
結局風見幽香と会うには、ぼんやり傘を回して歩いているのを捕まえるぐらいしかないのだ。
しかも、この季節の風見幽香は大層機嫌が悪い。
先ほど述べた通り、花の咲かない季節で彼女が機嫌良さげに歩いていたところを、幻想郷の全住民が見たことがないと断言できるほどに。
彼女は、無差別に他人に迷惑をかけるほど愚かではなかったが、機嫌の悪いときに冗談が通じるほど優しくもない。
冬に隙間妖怪が挨拶をしたらなぜか殴り飛ばされたらしい。
一番いやなのが、八雲紫から挨拶したら殴り飛ばされてもしょうがない気がしてくることなのだけど。
この振りを簡単に纏めると、虎穴に入らんば虎子を得ずという言葉を軽くルナティックにしたレベル。
あえて言うならば、「娘が欲しくば、まずは俺を倒してもらおうか」って父虎が言い出す感じ。
「大丈夫、あなたならいけると信じてるわ……なんせ、この紅魔館の門番ですもの!」
こんなしょうもないことに、紅魔館の看板を持ち出していいんだろうか。
いいんでしょうね、なんせ持ち出してる本人が紅魔館の主なんですから。
「まぁ、あんまり期待はしないでください。私も自分の身が大事ですし」
「私はカボチャが大事よ!」
「がんばってきーてねー」
妹様だけですよ、私の事をそうやって優しく送り出してくれるのは。
相変わらず咲夜さんは笑顔を崩さないで首を縦に振ってるし、パチュリー様の首は、かくんと折れ曲がっている。
この紅魔館のために、私は命をかけることができるんだろうか。
外出用の防寒具を着込み外に出ると、小さな雪の結晶が、緩やかに風に吹かれていた。
雪が積もりはじめるのはまだ先のことだろう、まだ寒気は本腰を入れてはいない。
不幸中の幸いというべきか。
この季節は氷精たちが活気づいていて、それらに近づかれると気温と相まってとっても寒い。
しかし、風見幽香の居場所を知るためには、妖精たちに話しかけないといけないのが辛いところだった。
「うー、さぶ」
ざっと見渡しても、周りに妖精の姿は見えない。
立ち止まっていても体は温まらないし、いっちょ走ってみることにした。
急に走り出せば、筋肉も萎縮してしまっていて体に悪いから、まずは早歩きから粛々と。
ただの一滴からが、至れば大河を生み出すように、何事も下準備をしっかりとこなすことが大事なのだ。
枯れ木をパキパキ踏み折る音が小気味良い。
秋もとうに過ぎると、あれだけ幻想郷中を彩っていた紅葉もどこかへ消えうせてしまった。
いまはこのように、乾燥して踏み折れてしまう木々の屍骸ばかりが転がっている。
踏み折れて細かくなった木片は、土に還って新たな命を育み、あるいは虫や動物たちの布団となるのだ。
そう考えると、暖かな居場所を与えられている私はやはり恵まれているのだと思う。
在野の妖怪たちの中には、冬を疎ましく思っているものたちも少なくはあるまい。
各々力を合わせて、家でも建てているんだろうか。
ようやく、凍えて縮こまっていた筋肉が柔らかくなりだした。
一つ大きな息をついて、まずは踊るように柔らかく、第一のステップを踏み出す。
目的地はとくに定めない。
霧深い湖の周辺は、この季節はあまり近寄りたくはないので、そこは避けて駆けていく。
次第に濃くなっていく森には、パキパキと規則正しく踏み折られていく枝の音だけが響く。
虫も動物たちも静かな冬では、皆がヒソヒソ話をしているぐらいのようなもので、騒がしい秋とはもっとも対照的。
ほんの数週間前までが一番騒がしかったからこそ、この静けさは一際趣き深い。
まるでお祭り騒ぎが去ったあとの片付けの時間のような――私は裏方としての仕事が大好きだった。
皆が楽しんでくれたあとで、のんびりと思い返しつつ片付けていく。
ああだから私は今、ワクワクしているのかもしれないな。
確かに風見幽香に頼みごとをするのは厄介なことだけど、彼女だって話が通じない妖怪でもあるまいし、誠意を見せればどうにでもなるはず。
何事もポジティブに考えていけば、悪いようには転がってはいかないはず、たぶん。
楽天的すぎるかもしれないけど、この幻想郷でネガティブに過ごしてたって楽しくない。
時にはお嬢様ぐらいはっちゃけていたほうが、笑う角には福来るなのだ。
妖精を探すということもすっかり忘れて、いつのまにか人間の里の入り口にやってきていた。
時折ここまで足を伸ばすこともあったけれど、あまり中に入ったことはなかった。
いたずらに人間と交友を深めてもしょうがない、一応私は妖怪なんだし。
さて、どうしたもんかと腕を抱えていると、馴染みのお豆腐屋さんが通りかかった。
「こんにちはっ」
「おぉ、美鈴ちゃんじゃないか。珍しいね人間の里にいるだなんて」
「ええ、ちょっとおつかいを頼まれましてね、お嬢様に」
「ははーん、どうせ甘いお菓子か何かが食べたいって言うんだろう。ほら、丁度ここにあるからもって行ってあげな」
そういってお豆腐屋さんは、棒付きの飴を投げてよこしてくれた。
「残念ながら違いますよ、大きなカボチャをご所望なんですって」
「そーなのか、変わってるなーあんたんとこのお嬢さんは。まぁ飴はあんたが食べればいいさ」
「いただいておきます、それじゃあ私から話かけておいてなんですが、ちょっと探し人がいるので」
「へぇー、誰をだい?」
「人っていうか、妖怪なんですけどね。風見幽香っていう」
「風見幽香……あぁー、花屋が知ってるかもな、よくその妖怪が買いに来てるって聞くよ」
「そうなんですか?」
「ああ、相当なべっぴんさんだっていつも聞いてるよ」
「はぁ……」
まさか人間の里で、手がかりが手に入るとは思わなかった。
花の妖怪とお花屋さん、考えてみれば単純な符号だけど、それよりもまず、風見幽香の妖怪像が先に浮かぶもので。
いやでも、お花を愛してるのだから、心優しい妖怪なのかな?
「とりあえず、花屋さんに会ってみたいんですが」
「それならそっちの角を曲がって真っ直ぐいきゃぁ、すぐに見つかるよ」
「ありがとうございます!」
お辞儀をして、豆腐屋さんの背中に手を振る。
やっぱり、あの人はいい人だ。もう少し親しくなってもいいかもしれないな。
そんなことを考えながら通りを行くと、すぐに目的の花屋は見えてきた。
今の季節に似つかわしくない花が、ひっそりとではあるがちゃんと並んでいた。
店の前には、エプロンを付けた青年が花を丁寧に選り分けていた。
きっとこの人が、お豆腐屋さんが話していたお花屋さんだろう。
「こんにちは、お花屋さん」
「あ、はい。どうも」
エプロンで手を拭いている青年にはのっぽなところ以外には特筆すべく所もなく、しいて言えば若干青白いぐらい。
少し病弱なのかな? 体の気が少し、乱れているみたい。
「何かご入り用でしょうか?」
「あ、ええ、少し尋ねたいことがありまして、風見幽香さんのことなんですが」
「ああ……幽香さん、ですか」
青年は少しだけ、懐かしむような表情をした。
「最近は、会っていませんね」
「あら……」
いきなりあてが外れてしまった。
残念ながら、また一から手がかりを漁りなおさないといけないかもしれない。
「でもあの方は、とても優しい方ですよ。花を見ているときはすごく穏やかですし……」
「はぁ……その風見幽香さんに会いたいんですけど」
「そうですね……まぁ心当たりがないこともないんですが」
「本当ですかっ!?」
「え、ええ……秋の終わりに会ったとき、毒人形がどうたらこうたらって話してましたから」
「毒人形……」
毒人形といえば、十中八九でメディスン・メランコリーのことだろう。
とすれば、無名の丘か? ここから行くのは若干骨だけど、当てなく彷徨うよりはよっぽど賢明だ。
一体無名の丘に何の用事があるのかはわからないし、そもそも毒人形と風見幽香が親しい間柄だというのも初耳だ。
「じゃあ、ちょっとそこに当たってみますね、ありがとう」
「あ、ちょっといいですか」
「はい?」
歩き出そうとしていたのを止めて振り返ると、青年は顔を上げて、ハッキリと言った。
「次はいつ来れるのかを、幽香さんに聞いておいてくれませんか」
「は、はぁ……」
「よろしくお願いします!」
頭を下げるあたり、青年は「本気」なのだろう。
まったく、人間の男を誑かすだなんて、風見幽香も罪深い妖怪だなぁ。
「確かに伝えておきますよ、その余裕があればですが」
「お願いします」
青年が、上げた頭をまた下げた。
淡い恋心っていうか、成就するとは到底思えないんだけど……がんばれ?
花屋の青年へと手を振って、プレゼント用にと渡された造花を眺める。
一本一本丁寧に作られていて、彼女への想いがたっぷりと詰まっているのが見て取れた。
「幸せもんだなぁー」
恋はしたことはないけれど、女として生まれたからには興味がないわけでもない。
好かれている、恋をしているとうのは、一体どういう気持ちなんだろう。
空を眺めていても答えは降ってこなかったけど、代わりに雪が降ってきた。
ふわふわと、小粒の雪が舞い降りてきた雪を手のひらで受け止めると、体温で水滴へと変わる。
「積もるかな?」
積もらないだろう、私は自らの疑問に自分で答えた。
せいぜい薄く地面を覆う程度にしかならないが、チルノ辺りはおおはしゃぎしているだろう。
もしかしたらお嬢様も、窓から身を乗り出しているかもしれない。
咲夜さん辺りが日傘を慌てて用意して、パチュリー様は疎ましげに空を睨んでいるのかもしれない。
妹様はどうするだろう? 雪をマトモに見たことなんて、もしかしたらないかもしれない。
興味を持つかな? そっぽを向いて、地下室へと帰って行ってしまうかな?
歩いている私の横を、手を繋いだ小さな子供たちが駆け抜けて行った。
その姿を見送っていると、なんとなーくだけど、手のひらが冷たくなった気がした。
「うー、寒。さっさとお仕事済ませてかえろーっと」
そう、私には寄り添う相手がいなくたって、帰る場所と暖かい(?)家族がいる。
人間の里を後にして、向かうは勿論無名の丘。
妖怪の山のちょうど正反対、小さな山がぽつんと立っている、その中腹に目的地の草原があった。
この場所は何度か着たことがあるが、日はロクに当たらず風が良く通るため、独特の薄寒い空気が漂っている。
それもそのはず、この場所は間引き――いわば人間たちの負を担う場所だったと聞いている。
痛ましいとは思うが、人の命を糧にする妖怪には、この空気は食料が手に入る懐かしきものでもあった。
在野の一匹の妖怪であった頃には、このような場所で人間の子供を奪い合ったものだ。
捨てられた子供たちは口減らしのほかに、妖怪たちへの供物として捧げられる側面もあったため、罪悪感などは沸かない。
彼らは死ぬのが役目であり、妖怪に食われることで短き人生に華が添えられる。
脳裏に焼きついている、幼き子供たちの最期の表情。
今は遠い忘却のかなたで、確かに糧になったその子らに手を合わせてから、風見幽香の姿を探す。
「あ……あれだな、きっと」
鈴蘭は花を咲かせてはいないが、枯れもしない。
のにも関わらず、眼を細めてようやく視認できる向こうでは、花をつけているのだ。
そこには、うちのお嬢様と同じぐらいの身長しかない子供と、腰を下ろし日傘を差している女性。
間違いなく彼女らが、メディスン・メランコリーと風見幽香だろう。
何を話しているかはわからなかったが、メディスンのほうは機嫌よく跳ね回っている。
風見幽香に頼み込んで冬に鈴蘭を咲かせているというのが真相だろうが、風見幽香とはそんなに聞き分けのよい妖怪だったのか。
なら、私の頼まれごとも引き受けてくれるだろう。いや、引き受けてほしい。
「どうしたの幽香? 具合でも悪いの?」
「いいえ、少し面白そうなことが舞い込んできたから嬉しいのよ」
毒人形のメランコリーの相手をしているのも退屈凌ぎにはよかったが、冬の寒さは億劫だった。
丁度体を暖めたいと思っていたところに、向こうから遊び相手がやってきた。
紅魔館の門番といえば体術に優れ、その技は自らよりも妖力腕力を強いものをも制すと聞く。
どこまでが真実かは眉唾ものだったが、暇潰しにはもってこい。
いずれにせよ、散々にからかってやる――できるだけ愉快な方法で。
このような凶暴な感情は、冬が深くなればなるほど強くなる。
ただたんにイラついてるだけとも言えるけれど、この幻想郷ではなかなか退屈凌ぎの相手も見つかりやしない。
花を愛でて気を紛らわそうにも、無理に花を咲かせてしまえばそれは花を苦しめることになる。
いまも、毒人形のためという大義名分があるから鈴蘭は咲いており、都合のいい言い訳に心は痛む。
「こんにちは、風見幽香さん」
「御機嫌よう、紅魔館の門番さん」
メディスンがそっと、背中へと隠れた。
見知らぬ妖怪が怖いのだろう、この風見幽香を怖がることはしないくせに。
慣れてしまえば態度が大きくなるメディスンの性格に苦笑しつつ、紅美鈴の全身を品定めしていく。
紅美鈴に膂力はハッキリ言って、そこまであるようには感じられなかった。
しかし、その実体の中には、しっかりと気が練られている。
――へぇ、ただのちゃらんぽらんじゃないのね。
普段から気を抜くことなく修練に務めていなければ、穏やかで力強い気は練れはしない。
特殊な力やズバ抜けた妖力がなくとも、一目ぐらい置いておいても損はないかもしれない。
「な、なんですかそんなにジロジロ見て……」
「別に。それで何の用かしら、手合わせにきましたとかなら話は早いんだけど」
「あいやその、うちのお嬢様が……ちょっと風見幽香さんに頼みたいことがあるということで」
「レミリア・スカーレットが?」
最近幻想郷にやってきた、新参者の吸血鬼。
直接闘り合ったことはまだなかったけれど、いつかは叩いてみたい相手だ。
決闘の申し入れならば、喜んで受けるが。
「実は、その……どでかいカボチャを作ってほしいらしいんです」
「はぁ?」
「だからその、カボチャを……」
呆れた。
あの吸血鬼のお馬鹿さんは、この私を便利屋扱いしようとしているのだ。
まったく、どこまで私は舐められているんだ。
「話にならない、とっとと消えうせろ」
しっしと、犬でも追い払うようにして、門番に背を向ける。
やれやれ、最近の妖怪は最低限の礼儀すら持ち合わせていないらしい。
「あのー、どうしても持って帰らないといけないんです、お願いします」
何かと思えば、門番は持っていた造花を傍らに置き、両膝をついて土下座をしていた。
「何? あなたはなぜそこまでしてレミリア・スカーレットに尽くそうとするの?」
「はぁ、なんででしょうね。ただ、持って帰らないとお嬢様がたぶん、悲しむので」
「わがままなお嬢様の言うことぐらい、無視して捨て置けばいいじゃない。
というか、この幻想郷でわざわざ誰かの下に付くなんて一体何のメリットがあるの?」
「あー、持ち帰ったらお嬢様たちは喜んでくれるので、それだけで十分ですよ」
答えになっていない――この妖怪は、パシりとして扱われていることに何の疑問も抱いていないのだ。
そこまで低級の妖怪ではないはずなのに、さも当然のように土下座をしている。
自らのプライドを、投げ打って。
「わかった、引き受けてあげるわよ」
「本当ですか? よかったぁ、これでお嬢様に怒られなくて済みますよ」
そう言って門番は破顔する。
その顔が、どういう風に歪むのかが楽しみだった。
「ただし……そうねぇ、私の顔面に一撃でも入れられたら、ってルールにしようかしら。
どうせ、ロクにプライドも持ってない低俗な妖怪なんでしょう? あなたは」
「はぁ」
「何? ちょっと難しすぎたかし――」
ビュオン! という風切り音とともに、爆発的に膨らんでいく殺気。
ただ拳を前に突き出しただけのそれに怯え、メディスンは一目散に駆けていってしまった。
「歯が折れても怒らないでくださいね。ちょっと、手加減できそうにはないですから」
「上等」
頬が自然と緩んでくる。
今目の前にいるのは、紅魔館の看板を背負っていないただ一人の武人。
全身から発せられるオーラが、ビリビリ痛いぐらいに伝えてきていた。
「行きますよ、最初から飛ばさせてもらいます」
紅美鈴は、防寒着を脱ぎ捨て、ギラギラとした眼を向けてくる。
その視線に反応して、全身が歓喜の武者震いを起こし始めた。
やけに唇が乾く――獲物を前にした肉食獣のように舌なめずりをして、体を闘いのために作り変えていく。
枯れない花で出来た日傘を、巻き込まないように思いっきりに放り投げ、挑発のために親指で首を掻っ切ってみせる。
「行きますよ――!」
◆
来る。美鈴の気勢が膨れ上がるのを感じ取った幽香は目を細めて美鈴の出かたを伺った。
走ってくるか、飛んでくるか、跳ねてくるか。どうやって接近する、どうやって牙城を崩す、どう来る、どう出る。
わくわくする。まるで新しい玩具を前にした子供だな、と客観的に自分を鑑み、自然と笑いが込み上げてきた。
ずしゃり、と美鈴が若干雪の混じった土を踏みつけながら第一歩を踏み出す。走るなり飛ぶなり、勢いに任せて突っ込んでくるか。
それとも死角に回りこんで攻撃の機会を伺うか。いずれにせよ、動きはよく見ておくに越したことはない。
が、幽香の予測は完全に的を外れた。ざくざくと土を踏み鳴らしながら、美鈴はただ悠然と歩いてくるだけだった。
いくらなんでもそれはないだろう。馬鹿正直に正面から殴らせて下さいと歩んできた相手に、はいどうぞと無抵抗を貫くものなどいるわけがない。
特攻でもするつもりで正面から突っ込んでこられた方が、よほど相手のし甲斐がある。そもそも飛ばしていくのではなかったのか。
一歩踏み出した傍から、周囲を吹き抜けた殺気も随分と萎んでいるように思えた。元々気が張っていたとは言えなかった幽香が、落胆に気を緩める。
気の緩みは大気を伝わる。美鈴の中にスイッチが入った。鋭かった目付きが、獲物を狙う獣のようにさらに鋭くなり、幽香に狙いを定める。
鋭い動作で地面に向かって爪先を蹴り込み、ショベルのように土の塊を足の甲に乗せると、それを幽香に向かって蹴りつけた。
「なっ―――」
土を浴びせかける目潰し。気を緩めていたところに突然のこれだ。倫理だの美学だのの観点から言ってしまえば卑怯と言えるだろう。
別にやってはいけないと定められているわけではないが、紳士的ではあるまい。が、これはスポーツでもなければ、ルールに則った試合でもない。
早い話がただの喧嘩だ。卑怯? 勝てばいいんだよ。普段は穏やかな美鈴ではあるが、こと戦闘ともなれば手段を選ばない冷徹さを持ち合わせている。
大抵、突然物が飛んでくれば、反射的に重要器官である眼球を守ろうと目を閉じてしまう。よく出来た防衛本能であると同時に、欠陥とも言える隙である。
しかし、幽香も相当に肝が据わっているようで、一瞬土塊に気を取られた程度、怯んだ様子もない。多少は驚いてはいたか。
大きな効果などもとより期待していない、ほんの瞬き程度の行動制限。
その一瞬だけ怯んでくれさえすれば、充分だった。美鈴は持ち前の瞬発力を活かして幽香の懐に潜り込む。狙いは顔面。
奇妙な形に握られた美鈴の右拳が幽香を襲った。
「ていっ」
「あたっ―――」
ぴんっ、と幽香の額に何か弾かれたような衝撃が走った。思わず閉じてしまった目を開けた先には、いつの間に現れたのか、美鈴が立っていた。
幽香の目の前に突き出されている手は、中指だけを弾き出したように幽香の額を指差している。正拳突きでもなければ平手打ちでもない。
デコピンの名で親しまれる、子供でも使用することが出来る技であった。その名の通り、おでこを指でぴんっと弾くものだ。
何がなんだか判らない。いや、やられたことは判っている。しかし、判っているからこそ判らなかった。コイツハイマナニヲシタ。
「あっさり決まっちゃいましたね」
中指を親指で弾き、空虚に向かってデコピンのジェスチャーをしながら、にっこりと美鈴が微笑む。幽香はただただその様子を感情の無い目で見つめる。
美鈴は動かない幽香に上半身を少しだけ屈ませて下から見上げるように顔を近づけた。相変わらず人の良さそうな笑みを浮かべている。
幽香の眼球だけが美鈴の動きを追っているのを確認して、三日月のような笑みを顔に貼り付けて、美鈴は言った。
「あらら、幽香さんは土いじりがお好きそうに見えたんですけどねぇ。まさか土が怖かったんですかぁ?」
舐めきった態度に加えて、皮肉たっぷりの美鈴らしからぬ挑発。普段から美鈴は笑顔を絶やさない。それは彼女が慈母神だから、なんてことはありはしない。
穏やかなのは間違いないだろう。しかし、年がら年中笑顔でいられるだろうか。美鈴は、ただ笑顔でいることで己の感情を悟らせないようにしているのだ。
一種のポーカーフェイスとも言える。戦闘において、感情を読まれるだけで戦況が一変するなんてことは幾らでも起こりうるのだ。
生き抜いてきた知恵。そんな美鈴だからこそ、憤りという感情を笑顔で覆い隠すことなんぞ、朝飯前もいいところであった。
自身を馬鹿にされてへらへらと笑っていられるほど、美鈴は器用ではない。
憶えておくがいい。普段から笑顔を振り撒いているものほど、腹に抱えた一物が大きいということを。
「ふ、ふふ、ふは、あはっははははははははははははははははは!」
突如、幽鬼のように佇んでいた幽香が天を仰いで哂い出した。その溢れ出したかのような笑い声は、まるで堰を切ったダムを思わせる威圧感がある。
美鈴も当然の結果に、この後起こり得ることを想定し一歩退く。こうなることは判っていた。こうなるように仕向けたのだから。
正直、やっちまった感が強いのだが、馬鹿にされて終わるほど矮小ではないつもりだ。目にものを見せてくれる。
「―――ふぅ……、一発でも顔面に入れたら、って話。あれなし。なかったことにして頂戴」
「それは困りましたね。頂けないと戻るに戻れないんですけれど」
一頻り笑い終えたかと思うと、幽香は一つ息を吐き出して少し離れたところにいる美鈴に、とても柔らかな笑みを向ける。
デコピンとは言えども、顔面に一発入れれば、という契約を立派に履行したはずである。だというのに、今になって契約を破棄するという。
それはないだろう、と美鈴は形だけの落胆を見せた。この結果は予測済みだ。元々、幽香もくれてやるつもりなんてなかったのだろう。
出来やしないと思ったから突きつけた条件。仮に本当に入れられたとすれば、それは結果として今と同じ場所に至ったはずである。
「あぁ、いえ、ね。違うのよ」
「違う、とは?」
「条件を変えさせてもらうわ」
「とりあえず聞きましょう」
では、と一つ咳払いをした後に、幽香は嬉しそうに手を合わせながら微笑んだ。しかし、身体から溢れる威圧感を誤魔化すことはできない。
柔らかな眼差しは、段々と鋭さを帯びてゆき、美鈴を身構えさせるに充分足る変化だった。だだ洩れの殺気に身震いする。
刹那、檻より解き放たれた獰猛な獣が如く、幽香は歓喜に身を震わせながら美鈴に向かって迫出した。
「私が満足するまで、立っていられたらそれだけでいいわ」
幽香の拳が唸りを上げた。比喩表現などではない。本当に轟々と風を切る、否、弾き飛ばしながら打ち付けんとする鉄槌だった。
たとえ素人から見ても普通でないと思わせるに足る打撃だ。その道の玄人である美鈴にして見れば、是が非でも避けねばならない攻撃だった。
幸い、技術もへったくれもない、ただ打ち付けるというシンプルな打撃ゆえに、回避だけは非常に楽。上体を反らして掠めるようにかわした。
普段の美鈴であれば、回避の後、すかさずカウンターを放ったことだろう。しかし、回避と同時に、美鈴は後方へ飛び退った。
「あら、どうしたのかしら。今のは反撃のチャンスだったんじゃあないの?」
宙を引っ掻くだけに終わった拳をゆっくりと引き戻して、余裕とも取れる笑顔を浮かべたまま、幽香は自然体に戻る。
美鈴が待ちの型を得意としていることは、幽香もそれとなく知っていた。所謂カウンタースタイルだ。相手の攻撃をかわして、その隙を穿つ。
相対する者のレベルに比例して回避の難度が上がってはくるものの、格闘術に至っては達人クラスの美鈴にして見れば、誰が相手だろうと然程変わりはない。
こちらは一切のダメージを被らず、逆に相手には攻撃時の運動エネルギーを上乗せさせて反撃できるいいとこ取りのスタイルだった。
先の攻防も、美鈴の反撃のチャンスは確かにあった。しかし、美鈴は反撃に出ることはなく、まるで避難でもするかのように距離を取る。
その様子に、幽香も挑発半分、不思議そうに首を傾げて微笑む。
「攻撃して躯体を崩してくれるのなら、喜んで反撃していたんですけど、ね」
「あの距離では微動だにしないと踏んだ? ふふ、いい判断」
自然体の幽香とは対極的に、構えを崩さずに美鈴がぼやくように口に出す。いかに技術のある美鈴と言えども、腕を振り切れない至近距離では
上手く威力を拳に乗せることが出来ない。そこかしこにいる雑魚妖怪ならばいざ知らず。目の前に居るのは、大妖怪風見幽香。
全力の一撃ですら効力が怪しいというのに、体勢を崩して放った攻撃が一体どれほどのダメージになるというのか。
突きのインパクトの強さは腕が完全に伸びきった状態が最も強力である。関節が曲がっていれば、そこが緩衝材となって衝撃を逃がしてしまうからだ。
そんな中途半端な打撃だ、正面で平然と受け止められでもすれば、カウンターに対するカウンターを頂戴するという笑えない結末が待っている。
近接戦闘において、間合いは非常に重要な要素である。美鈴には美鈴の間合いが、幽香には幽香の間合いが、各々得意としている間合いが存在した。
美鈴は肌で感じる、幽香の規格外の身体能力を。単純な力比べで正面から衝突すれば、一瞬後にボロ雑巾になっている自分が容易に想像できる。
しかし、だからといって幽香の全てが美鈴の上を行くわけではない。一合目の単純な直突きを見て確信したが、幽香には技術がない。
いや、正確には技術が要らないのだろう。そんなものがなくとも、彼女の能力は常軌を逸している。まるで自分の主人を見ているようだ。
付け入る隙は恐らくそこしかあるまい。幽香の攻撃は鳥肌が立つほどに恐ろしい、が、いくら腕力があろうとも、当たらなければどうということはないのだ。
美鈴は自身が最も得意としている間合いを常に把握している。一方の幽香は、己の得意な間合いなど、存在はしていても意識したことなどないだろう。
近付く者はなんであれ、その理不尽に足る暴力で叩き潰せばいいだけなのだから。
「様子見なんて退屈の極み。愉しませてくれなきゃ、約束のものは差し出せないわよ」
微笑を絶やさなかった幽香が、急に口を尖らせて不満を顔に表した。それも当然か、硬直状態が長く続くようでは、少なくとも楽しくはあるまい。
まるで幽香の出かたを伺うようにひたすらに凝視する美鈴は、先ほどから微動だにしない。攻めあぐねているというよりはカウンター狙いか。
幽香としても、それはつまらない。自身から攻めることにはなんの問題もないが、パターン化してしまえばマンネリとした惰性任せの戦闘になる。
やるなら、派手にドンパチだ。幽香は身体の横にだらりと垂らしていた腕を、すうっと広げて見せた。
まるで、美鈴を腕の中に招き入れるかのようなジェスチャーに見えなくもない。いや、確実に誘っている。攻撃して来い、と。
その様子を、美鈴は目を細めて見る。攻撃するか否か。出来ることなら、自分が得意としている待ちの型でペースを掌握したいところだ。
しかし、そんなスタイルは幽香のお気に召さないようである。機嫌を損ねてしまえば、交渉は決裂。そんなことになれば本末転倒だ。
なればこそ、と美鈴は静かに重心を下げ、目の前の幽香を真っ直ぐに見据えた。
「あら、ようやくやる気になった? いつでもいらっしゃいな」
「では、お言葉に甘えて」
待ちに徹したかった美鈴ではあったが、ついには観念して前へ迫出る。深く落とした重心を一気に引き上げて、まるでスプリングのように弾けた。
しなやかなで柔軟な肢体と、自重をものともしない強靭な体躯を併せ持って生まれる瞬発力。数メートルの距離を一足で詰め寄る。
接近と同時に美鈴は中段への回し蹴りを放った。速度を殺さずに、その運動エネルギーを上乗せさせた鋭い蹴りだ。
しかし、狙いが余りにもあからさま過ぎる。正面からなんのフェイントもなくただミドルキックを放っただけ。ハッキリ言ってお粗末だ。
幾ら速かろうとも、正面から一部始終を見据える幽香には通用しない。凄まじい反射を以って、幽香は美鈴の足を掴もうと左手を伸ばした。
「え―――」
瞬間、幽香の左側頭部が弾けた。意図せぬ、予測できぬ衝撃に、流石に幽香も上体をぐらつかせる。何が起こった。当然の疑問だ。
間違いなく美鈴は幽香の脇腹付近を狙って蹴りを放っていた。だというのに最終的に蹴りが飛んできたのは上段である側頭部。
疑問の答えを出す暇もなく、正面に対峙する美鈴が、蹴りを放った右足を以って跳ねるように身体を反転、一回転の後にそのまま右足を軸に、左の後ろ回し蹴り。
今度は最初から上段狙いだ。幽香は腕で側頭部の防御に移る。しかし、衝撃は防御に用いた腕にではなく、無防備だった腹部にこそ走った。
上段の回し蹴りは結果的に中段の前蹴りへと変わり、幽香の腹部に鋭い衝撃となって突き刺さった。意識の外にある部位を攻撃されるのは格段に効くものだ。
そのまま蹴りの反動を利用して距離を取る美鈴。並みの人間なら一発目で即死、並みの妖怪なら二発目で悶絶、では、幽香ならどうなるか。
なんということはない。服に付着してしまった土を払い落としながら、多少の驚きを感じながらも、しかしやはり平然としている。
「驚いた。どんな手品を使ったの?」
「手品じゃあありませんよ」
興味深そうに幽香は美鈴に尋ねる。割と本気で打ち込んだ蹴りだというのに、幽香にとっては手品程度の驚きに過ぎないらしい。
しかし、あれは手品なんかじゃない。タネもなければ仕掛けもないのだから。技術という点においても強ち的外れでもないか。
原理は単純にして明快。蹴りのインパクト直前で強引に打撃の軌道を変え、無防備な箇所に打ち込む。種を明かしてしまえばその程度のことでしかない。
が、言うは易し。どれだけの脚力があれば、どれだけのセンスがあれば成し得る業だというのか。無理を通して道理を消している。
仕掛けられる者にして見れば、それはまさに手品以外の何者でもなかった。
「中段にくると思えば上段に、上段にくると思えば中段に。なかなかびっくり。手品でなければなんなのかしら」
「手じゃあないですからね、今のは足品ですよ」
「あらやだ、からかわれてる?」
「憂さ晴らしです」
美鈴にだって自負はある。普段は腰が低く、自分よりも他人を立てる彼女ではあるが、これだけは、というものは勿論持っていた。
それは格闘術であり、積み上げた功夫であり、徒手空拳での戦闘経験であった。それらを自負とともに思いっきり叩き付けた。遠慮なんてしなかった。
だが、そんな自負は幽香の変わりない自然な佇まいを前にして、完全に否定されているかのようだった。
毒づきたくもなる。当然だ。どれだけ努力をしても越えられない壁が目の前にあるのだから。思わず言葉という爪先で小突いてしまう。
しかし、ものは考えようだ。越える必要なんぞない。折角だ、今ここで実践してみてもいいだろう。
越えられないのなら、己の拳を以ってぶち壊す。美鈴は呼吸と共に、振り上げた脚を地面に向かって叩き付けた。
「おかげさまで、ノってきちゃいましたよ」
「ふふ、それはそれは、重畳の極みですわ」
どこかしら腰が退いていた美鈴の気勢が、見違えたように膨れ上がるのを感じると、幽香は今まで見せたこともない最上の笑みを浮かべた。
ここからが本番。びりびりと肌に突き刺さる美鈴の気迫がこの身に心地よい。闘争の空気だ。一体どんな戦いを見せてくれるのか。
未だ見ぬプレゼントを目の前にした子供のような心境で、幽香は心を躍らせる。瞬間、幽香が待ちきれないとばかりに飛び出した。
「踊って頂戴! 紅魔の門番!」
轟々と唸りを上げる右ストレート。狙いは美鈴。当然のことではあるが、美鈴にして見れば割と厄介であった。
美鈴に自ら接近戦を挑むような者は、大抵が武の修行を積んだものである。
それらは概ね生き物の弱点となる部位を判っての上での攻撃が主体として繰り出してきた。
つまるところ、有効部位を狙う急所攻撃が自然と多くなる。打点のポイントが毎回同じというわけではないが、しかし限定は出来た。
当たれば確かにダメージはでかいが、読みやすいがゆえに、回避も防御も比較的楽なのだ。
しかし、今現在対峙している幽香は、全くの素人。強さのレベルは一線を画してはいるが、技術という点では程遠い。
とにかく狙っているのは美鈴という人間大の的全てだ。事前の予測は難しく、下手に速度があるだけに、目視での対応も危険極まりなかった。
だからと言って、当たってやるわけにはいかないのだが。
「打点が高すぎますよ!」
「!」
短く言い放った美鈴は、ぐんと屈み込みながら幽香の右ストレートに合わせて、振りかぶるような左のブローを放つ。
カウンターではあるが、左拳の狙いは幽香の身体ではない。放たれている右拳に向かって叩きつけられていた。
まともにぶつかれば、お互い、若しくはどちらか一方の拳は無事では済むまい。瞬きをするよりも早く、お互いの拳が触れ合った。
その瞬間、幽香の右拳が上に向かって弾かれた。美鈴の左拳が、幽香の右拳と接触した瞬間に上方へと受け流したのだ。
当然、幽香は懐が無防備になる。その動きを活かしたまま、美鈴は左腕を折り畳むようにして踏み込み、幽香の鳩尾に向かって左肘を叩き込んだ。
「っ……」
先刻、美鈴の前蹴りを叩き込まれた場所に、今度は幽香が前へ出た際の勢いも加えられての一撃。さしもの幽香も苦痛をもらす。
打撃の勢いに押されて、二メートルほど後方へ吹き飛んだ。それでもしっかりと踏み止まるのは流石と言うほかない。
上半身を屈折させたままの状態で、ぎょろりと、美しいがひどく澱んだ双眸だけを以ってして美鈴を睨め付けた。
先の構えよりもずっと重心の低い構えを取った美鈴が視界に入る。身体の前に伸ばした右手が、くいっと幽香に向けて鉤状にくねった。
紛う事なき挑発行動。かかってこいとばかりに、美鈴は幽香を手招きする。幽香は哂う。淑女を思わせる嫣然な笑みではない。狂気を孕んだ妖怪の笑みだ。
「上等ぉ! ご褒美にズタにしてあげようかしらねぇ!」
急所へのダメージを物ともせず、幽香は再び美鈴に向かって迫出した。そもそも人間の急所が妖怪にも当てはまるかどうかは定かではないが。
不自然に体勢を低く待ち構えている美鈴に向かって、先程と全く同じ右ストレートを放つ。ただ違う点は、美鈴の姿勢に合わせたためか、打点が低いことだ。
馬鹿の一つ覚え、というわけではあるまいが、半ば意地になっているようにも思える。
それを見越しての挑発であったか、申し合わせたかのように美鈴は上体を起きあげつつ、右に身体を反らしながら見切った。
その際に、幽香の伸ばした腕を脇に抱え込むように挟み込む。そのまま、まるで蛇が絡みつくかのように左腕を内側へ巻き込み、幽香の肘を極めた。
さらに右手で幽香の胸倉を逆手に鷲攫み、自身の身体を急速に右回転。逆関節を極めながら、幽香を頭から投げ落とした。
これが人間相手ならば、ここで勝負あり、だ。逆関節を極めたまま投げたのだ、間違いなくかけられた相手の肘は砕けている。
その上己の打撃の勢いも上乗せされた高速回転を以って頭から叩き落されたのだから、堪ったものではない。下手をせずとも死んでいる。
しかし、相手は人間でもなく、ただの妖怪でもない。規格外の大妖怪なのだ。投げ終わった瞬間に、美鈴は凄まじい勢いで距離を取った。
確かに幽香は頭から落とした。それは間違いない。しかし、それは単に受身が取れないように完全な逆さ状態で投げただけのこと。
幽香には完全にフリーになっている部分があったのだ。美鈴が退いた後も、逆さま状態になっている幽香。
頭が地面に突き刺さっている、だなんて漫画チックな状況ではない。ただ、左手の指を地面に食い込ませつつ、自ら逆立ちをしていたに過ぎない。
あれだけの衝撃を左腕一本で完全に耐え切っていた。バケモノというほかにない。妖怪である美鈴から見てもそう思うほどに。
さすがに、苦笑いの一つも堪えられない。
「もしかして、なんとも無かったりしますか、右腕」
「そうねぇ、少しばかり軋むかしら」
束縛から解放されて自由になった右腕をぷらぷらと振ってみせる。肘から先も自由に動かせているため、折れてはいないのだろう。
幽香は逆立ち状態で腕立て伏せをするようにぐっと肘を曲げると、左腕の力だけで軽く跳躍し、ふわりと音も立てずに地に足をつけた。
ダメージは殆どない、か。カウンターの要領で拘束した腕を投げ始めと同時に折り、そのまま頭から叩き落す逆関節の投げ技。それがこの技の本来の型だ。
一度の攻撃で二箇所に決定打を与える高等技。しかし、それを以ってしても幽香には微塵もダメージを与えられない。
判っている。そんなことは知っている。幽香は強い。それくらい、対峙しただけでイヤと言うほど伝わってくる。正直、逃げ出したくてしようがない。
だけど、どうしても退きたくは無かった。ちっぽけなプライドだが、それが自分の最後の砦、いや最後の門だ。
それにしたって、今のままでは埒が明かない。全くの無傷ということはあるまいが、それでも幽香の負ったダメージは微々たるものだ。
勝った負けたの勝負ではないにしても、今のような戦いを続けるのであれば、いずれは押し切られてしまうことは必死だろう。
受けてばかりでは攻撃手段も限られる。幽香も無敵ではあるまい。必ず弱点はあるはずだ。ないにしても不思議ではないのが困ったところだが。
幸いにして美鈴は無傷に等しい。コンディションは万全。冷え切っていた身体も随分と温まってきた。そろそろ、こちらから動くのもいいか。
「それでは、こちらから攻撃させてもらいます」
「いい心構えじゃないの」
両の手を自身の正中線上においた防御主体の構えから、右半身の自然体に近い構えに変える。
その瞬間、美鈴の気質は堅牢な鎧を思わせる重厚な雰囲気から一変、鋭利な刃物を思わせる殺気にも似た底冷えするような気を纏った。
思わず幽香は口元がつりあがる。受けに徹していた美鈴が自ら攻撃を仕掛けるという。先は己が挑発をしたゆえに出てきたが、今度は訳が違う。
幽香にとっては求愛行動にも似た感情を抱かせた。そのプロポーズ、受け取らせたければ相応の実力を示して見せろ。
「クリティカルヒットしたら大袈裟なリアクションお願いします!」
「あらやだ、痺れちゃうかも」
美鈴が前へ出たのを合図に、幽香も前へ出る。正面から衝突したのではまず美鈴に勝ち目は無い。地力が違いすぎる。
幽香にあって、自分にないものは沢山ある。そして、その逆も然りだ。自分にあって幽香にないもの、それこそが活路を開く。
現状において美鈴と幽香の決定的で顕著な差はフットワークにある。幽香も決して遅いわけではないが、戦闘においては、速ければいいというものでもない。
先の攻撃を鑑みてもそうだが、幽香の突進力は確かに凄まじいものがある。しかし、どうしようもなく直線的過ぎるのだ。
直線的な動きは軌道が単純なだけに見切りやすい。今度の攻撃もそうだ。正面から殴りつけんとばかりに真っ直ぐに美鈴に飛来する。
唸りを上げる幽香の拳を前方へ向かって踏み込みながら回避。交差すると同時に振りかぶっていた己の拳で、幽香の下顎を打ち抜いた。
普通なら脳震盪は確実だ。しかし、そんな様子が全く見られない幽香のバケモノぶりは凄まじい。
耐えるだけならまだしも、次の瞬間には攻撃に移っていたのだから。交差するようにお互い攻撃を繰り出したために、二人の立ち位置はほぼ背中合わせになる。
美鈴の拳が当たった次の瞬間には、幽香は美鈴の背中に向かって蹴り付けていた。攻撃後の硬直に加えて振り向く暇も与えぬ鋭い蹴り。
無茶苦茶な体勢から放った蹴りだというのに、余りにも速く重い、傍から見ても馬鹿げた破壊力を持っていると判る。
完全な死角からの若干上段へ向かう蹴りを、しかし美鈴は背後を向けたままで瞬時に上半身を這うように伏せて凌いだ。
蹴りを放ち残り一本になっている幽香の足を、両の手を軸にした足払いで明後日の方向へと掻っ攫う。
元々無茶な体勢から蹴り放っていたことが祟って、幽香は仰向けの状態で宙に舞う。幽香の身体能力があれば、地面に落下するよりも早く体勢を立て直すだろう。
しかし美鈴はそうはさせない。まるでバイクのアクセルターンで車体を引き起こすが如く、足払いの回転をそのまま活かして自身を引き起こした。
そのまま幽香の背中に向かってこれ以上はないインパクトで盛大に蹴り上げる。見惚れるほどの完璧な垂直線。
地に足がついていれば、まだ踏み止まれただろう。幽香はそれだけのスペックを有している。
しかし、踏ん張りの利かない空中ではどうしようもなく衝撃のベクトルに抗えない。さらに高く打ち上げられる幽香を追うように、美鈴はすぐさま跳躍。
打ち上げられる幽香よりも速く飛び上がり、大きく足を円運動させた後に、幽香に向かって踵を叩き落した。
下から上に向かう運動エネルギーと、下に向かって叩き付けられた踵落としの衝撃。衝突力は相乗効果も相俟ってなかなかにいい手応えとなって伝わってくる。
叩きつけられた幽香は地表に向かって真逆さま。そのまま無残に墜落するかと思った瞬間に、幽香は後ろ手で地面を殴りつけた。
大地に衝撃の爪痕を残しながらその反動でもう一度宙を舞う。華麗にムーンサルトを披露すると、全くの自然体で地に足を付けた。
「泣いてもいいですか?」
「構わないけれども、ますますイジメたくなっちゃうかも?」
これだけの手応えを以ってしても、なんともなかった相手なんてまるで例がない。本当に自分の全てを否定された気分だ。
思わず苦し紛れのジョークがぽろりとこぼれる。いや、もしかすると本心が無意識に飛び出たのかもしれない。
メンタルが非常に安定していることが強みである美鈴ではあるが、しかし、この状況において、彼女の精神は確かにぶれていた。
戦況を掌握することが勝利への鍵だ。相手を自分のペースへ引き込むことが肝要だった。底を見せずに余裕を振舞う冷静さが必要だった。
今の美鈴は、そのいずれも成せないでいる。泣きたくもなる。しかしそれは逃避以外の何者でもない。
前へ、前へ、ただひたすらに前へ迫出る。退路はない。振り向けば敗北だ。勝負にではない、己にだ。深く、深く深く息を吸う。
心を落ち着かせながら、ゆっくりと肺に溜まった空気を弱音とともに外へ追い出す。目を見開くと、再び美鈴は震脚を打ち鳴らす。
「これより、背水の陣を敷きます」
「へぇ……」
また一段と雰囲気が変わった美鈴を一目見て、これまで以上に幽香は胸を躍らせる。艶やかな唇が自然と綻ぶ。
確かに、美鈴は弱くはないが、強い方とも言えない。しかし、その戦い方は非常に興味をそそった。
妖怪が普通ならば持ち合わせてはいない武術を有し、思いがけない動き、手法を用いて必死に格上の相手に食い下がっている。
幽香は思う。面白い、と。性能という観点で見たとき、美鈴程度の妖怪の相手はいくらでもしてきた。
その上で全て叩き伏せてきたのだが、こと美鈴に至っては未だに健在。それどころか一発もまともに攻撃を入れられないでいる。
こんなタイプは初めてだ。わくわくする。見たこともない技、感じたこともない痛み、そして驚きの連続。それらを彼女は与えてくれる。
ぞくぞくするじゃあないか。目の前の妖怪は、もうやる気満々のようだ。さあ来い、さあ来い、さあ来い、さあ来い、さあ来い!
「下手な鉄砲なんとやら作戦!」
変則的な動きで美鈴は幽香に接近する。相手の虚をつき正確な距離感を把握させない独自の動き。幽香の目が慣れる前になんとしても攻撃の流れを作る。
迎撃しようと繰り出してきた幽香のジャブを掻い潜りボディにショートアッパーを叩き込む。即座に背面に回り込み脊髄に抉り込むような下段突き。
幽香がそれにも意に介さずに振り向きざまの反撃を繰り出すが、その軌道を予測し、紙一重で回避しつつ身体より少し遅れて振りかぶった拳を人中にぶち込んだ。
この程度では終わらない。左ブローを放った腰の回転をそのまま利用してすぐさま右肘を幽香の腹部、俗に言うレバーに押し込むように打ち落とす。
「ぐっ……」
「もう一丁!」
幽香の状態が若干ではあるがくの字に曲がったところへ、一度引いた肘を下がった顔面に向かって打ち付けた。
狙いは二度目の人中。鼻と唇の間に存在する人体の急所にぶち込む。下方から抉り込む一撃に幽香の上体が引き起こされた。
その一瞬の隙を逃さない。美鈴は全身のバネをフル稼働させ、その場で高速半回転、それと同時に左の上段浴びせ蹴りを幽香の顔面にぶちかました。
ついでに体重も乗せての一撃に、ウェイト差で勝っている美鈴に押されるような形で幽香が背後に向かって上体をぐらつかせる。
「歯ぁ食い縛れぇ!」
「…………!」
さらに美鈴は着地と同時に前へ迫り出し、突き出した右手で幽香の顔面を鷲攫み、後頭部を地面に向かって思いっきり叩き付けた。
それだけでも十分にえぐい攻撃方法ではあるものの、それで終わりではなかった。叩き付けた一瞬あとに、幽香の眼前を何かが覆った。
次に訪れたのは頭蓋が割れんばかりのふざけた衝撃。前頭部と後頭部、両方に今までにない損傷を負った、とそう確信した。
衝撃の正体は美鈴の左膝だった。幽香の頭部を地面に叩き付けた後に、少し遅れて圧し掛かるように膝蹴りが飛んできたのである。
全身の体重を乗せきった上に、下突き以上の攻撃力がある下方へ落とし込む膝蹴り。さすがの幽香もこれにはダメージを負う以外に道はなかった。
「少しは効きましたか?」
「えぇ、感じちゃったわぁ」
幽香に圧し掛かったまま、美鈴は効果の有無を確認する。相も変わらずの余裕に満ちた口調ではあるものの、しっかりとダメージは通っている模様。
あれだけの猛攻だ、ダメージがないほうがおかしい。並みの相手なら三回は三途の川の船頭に会っている。
ともあれ、美鈴は即座に幽香から離れた。マウントポジションに近い位置取りではあったものの、相手が幽香であれば密着しているだけでやばい。
とにかく常識が通用しないのだ。馬乗り中に片手で身体を引っこ抜かれて逆に押し倒されるなんてことも充分にありえる。
美鈴が飛び退ったのを確認するかのように間をおいた幽香はゆっくりと起き上がる。
「やぁねぇ、服がどろどろだわ。ひどいことするのね」
「随分と雪で湿ってますからね。というか、ひどいのは服に対してですか。貴女への加撃の方が随分えぐかったと思いますけど」
「私に対してひどいこと? ふふ、何を馬鹿な。最高に素敵なアプローチだったわよ」
「あちゃー、そっち系の人でしたか」
「やだ、なんだかとてもイラっとしたわ」
痛みよりも歓喜が身体中を駆け巡る。なかなかに危ない性質だと囁かれるが、果たして自分でもそう思う。
しかし、美鈴の膝落としの衝撃は人体から繰り出されるそれではなかった。妖怪の美鈴ではあるが、身体つきは人間と然したる差はない。
だというのに、まるで硬質な金属を叩き込まれたかのような感覚だった。ずきりと後を引く額の痛みを反芻する。
「いいわねぇ、この感覚。随分と久しいわ。とても素敵なクリスマスになりそうね」
「私は寝て過ごしたいものですよ」
「まぁ、色のないこと。あら、それとも、もしかして件のお嬢様がクリスマスはお嫌いだったのかしら」
「然もありなん、です」
「それはそれはご愁傷様」
クリスマスと言えば、かの有名なイエス・キリストの聖誕祭だ。悪魔に属するレミリアが彼の者の聖誕祭を厭うのは当然の極み。
しかし、対クリスマスパーティとは言うが、結局はやっていることは同じだ。無駄な苦労を背負い込まされているものだな、と美鈴は思う。
本当にご愁傷様ですよ、私。諦観の溜息が目の前を白く濁す。
「そろそろ愉しんでもらえましたか?」
無駄とは思いつつも、一握の希望を頼りに美鈴は幽香に尋ねる。件のかぼちゃを作ってもらう条件は、殺されずに幽香を愉しませること。
そろそろ満足してくれていればいいのだが、幽香にしてみれば久し振りにやってきた上質な玩具だ。そう簡単に手放しはすまい。
「まだまだ、もっと愉しませてもらうわよ。そもそも、まだ私が一発も入れちゃあないのだから」
「私は痛いのが苦手なものでして」
「ふぅん、勿体無いわねぇ。痛みも愉しめるようにならなきゃ、人生の半分は損してるわよ」
「私の人生設計には必要な損失ですよ」
痛みまで愉しめるなんぞ、贅沢の極み。持つものを持っている者だけの特権だ。そんな権利、羨むどころか欲しいとも思わないが。
それにしても幽香には困ったものだ。これだけやってもまだ満足してくれないという。当然といえば当然か。
一方的に攻撃されるだけで、自分の攻撃は掠めてもいないのだから。そろそろ幽香のフラストレーションも許容量を超えるか。
さて、どう動くか。美鈴が次の手を考えていたとき、突如、幽香が空虚に向かって拳を振るった。
「……こんな感じだったわよね?」
「…………ええ、型は良いです、ね」
「なるほど、ふふ、腰を入れるのねぇ」
幽香が正拳突きを放った。ただ拳を力任せに振るっていた、所謂拳を使っただけの打撃とは訳が違う、力強く鋭い一振り。
その正拳突きに用いたモーションに、美鈴はひどく覚えがあった。そして確信した。あれは、自分の型だ、と。
確かに美鈴は数度に渡って幽香に正拳突きを叩き込んだ。多少変形していたとはいえ、腰の回転、踏み込み、拳の乗せ方は然程変わりはない。
たった数回見ただけで、受けただけで、幽香は美鈴の正拳突きを盗んで見せた。技術には程遠いと思っていたが、とんでもない思い違いだ。
やはりこの妖怪、風見幽香はバケモノだ。これ以上学習させては不味い。美鈴の身体を戦慄が駆け抜けた。
「もう、これ以上悠長な攻めは致しません」
「あらあら、焦っては駄目よ? 愉しくいきましょう」
喋らせる暇も惜しい。美鈴は履いていた靴を脱ぎ捨てると、畳み掛けるかのように真正面から飛び掛った。
猛攻と呼ぶにもそれを表現するに足りない。吹き荒れる暴風雨の勢いの中に巧みにフェイントを混ぜ、水月を足指で固めた前蹴りで穿つ。
身体を右回転させながら流れるように幽香の左側面に回り込み、その回転を活かした右のバックブローをテンプルに叩き込む。
負けじと美鈴を正面に捕らえるために振り向いた幽香の懐に屈み込みながら飛び込み、拳を自身の頭の上に預け、頭突きの要領で上体を起こす。
カウンターにも近しい接近に幽香も反応が遅れる。瞬間、幽香の下顎を拳が捉えると、天まで貫くかのような勢いで思いっ切り突き上げた。
「あはっ! いいわねぇ! くらくらきたわぁ!」
「そうは見えませんけど、ねっ!」
幽香を突き上げた後に、美鈴は右足を一歩大きく後ろに下げ、右手を腰付近に構え拳に気を集中させた。ほんの一秒にも満たぬ溜め。
高揚する幽香に向けて、鋭い踏み込みと同時に、全身全霊を込めた右正拳突きを浴びせた。
「がっ―――」
意図せぬ苦痛が幽香の口から漏れる。初めて聞く幽香の悲鳴。とうとう美鈴の攻撃は幽香の堅牢な装甲を打ち抜くに至った。
幽香の強靭な足腰を以ってしても美鈴の渾身の一撃の衝撃には抗えない。不沈艦を思わせるほどに不動を持した幽香が彼方へ吹き飛ぶ。
数メートル吹き飛んだかと思うと、幽香は地に向かって腕を突き出し、大地に抉り取りながら威力を殺して踏み止まった。
「―――っ効いたぁ……! まだ底を見せてなかったのかしらねぇ」
「本当の正拳突きを見せていなかっただけですよ」
「面白いわぁ。貴女本当に面白い。大して強くもないのに、なかなかどうして強いわねぇ。あは、自分で何を言っているのか判らなくなっちゃう」
「お褒めに預かり光栄です」
「心にもないくせに。じゃあ、そろそろ私の番かしらね!」
一気に美鈴に接近すると、幽香は見よう見まねの正拳突きを顔面に向かって放った。単純な攻撃だが、その実恐ろしいほどに鋭く、速い。
先のデモンストレーションよりも数段鋭さが増しているようにも思える。ふざけた学習能力だ。これ以上成長させてはならない。
美鈴は幽香の右正拳をぎりぎりの見切りで顔を反らして回避。それと同時に幽香の腕の外側から左のクロスカウンターを放った。
ただのクロスカウンターではない、ストレートではなくフックに近い打撃だ。幽香の顔面に抉りこむように打ち込む。
しかし、それはただのおまけだ。本当の目的は打撃ではなく、関節を極めることにあった。幽香の腕を掠めさせた自分の頭部を支点にする。
そこへ外側から打ち込んだ左腕を以ってして幽香の肘を叩き折りにいったのだ。折ってしまえば正拳突きも放てまい。
だが、それは失策であった。立て続けに起こった余りのことに美鈴は失念していた。幽香の尋常ならざる強靭な体躯を。
「うっ……」
「ざぁんねん。そのくらいじゃあ、折れないわよ」
誤算に気づいたときにはもう遅かった。捕らえたと思っていたが、逆に捕らえられていた。めきりと鳴るほどに力を込められる幽香の左拳。
美鈴のカウンターを顔面に受けたというのに微動だにしない幽香は、逆に狼狽している美鈴に向かって鉄槌が如き拳を振り下ろした。
避けられない。そう思った美鈴は硬氣功を展開。その一瞬後に、凄まじい轟音が辺り一帯に鳴って響いた。
「ぐ、うう……」
何が起こったのか一瞬判らなかった。振り下ろされた拳を受けたと思った次の瞬間には宙を舞っていた。
決して打ち上げるような打撃ではなかったのは間違いない。ならば何故。簡単なことだ。一度地面に叩きつけられた瞬間にバウンドしたのだ。
人間大の美鈴の身体を、まるでボールのようにバウンドさせる幽香の一撃。想像以上だ。ワンバウンドで軽く十メートルは吹き飛んだ。
重すぎる一撃。ただの打撃が、まるでそれは局所的に爆発を起こした火薬物。
頑強な美鈴の身体が、ただの拳の一発でぐらつく。余りにも重過ぎる。 単純なパワーだけなら、鬼にすら匹敵するのではあるまいか。
硬氣功を使用した上で、それごとぶち抜いてきた。しかも素手のままで。これをバケモノと言わずになんと言う。
美鈴は今にも崩れ落ちそうな身体に鞭を打って立ち上がり、眼前を睨め付けた。
「やっと当たったわね。当たらないと結構苛々しちゃうから困りものよね」
その苛々とやらも、一撃とともにぶちまけたのか、その表情は恐ろしいほどに可憐な笑顔で満ちていた。
身震いしそうになるほどのキレイな笑顔。その笑顔の奥底に、どれだけの狂気を携えていることか。 目の前の幽香を視界に捉えつつ、美鈴は分析する。
スピード、テクニック、およそ技術に関するものは美鈴に分があるだろう。 しかし、その圧倒的すぎるパワー。
机上でこつこつと戦略を練っているところを、その机ごとひっくり返されるかのような、理不尽とも言える差。
幾ら策を弄そうとも、地力が違いすぎる。まともにやって勝てる見込みは、一割にも満たないだろう。
しかし、だからといって拳を退くわけにはいくまい。 持てる力は全て出し切る。負けたとき、そのときはそのときだ。
いや、この戦い、勝った負けたはまるで関係ないのだったな。ならば、今自分がやるべきことは一つしかない。
今は、そう、今はただ目の前に向かって拳を突き出すのみ。 幸い、重い一撃と言えども、外傷はない。自身の回復力を今は信じよう。
油断しているのか、嘗めているのか、畳み掛けることもせずにただ悠然と立っているだけの幽香に向かって、一足で間合いを詰める。
予備動作なぞ無い。爆発的な瞬発力をもってして、まるで瞬間移動をしたかのように、幽香の眼前に現れた。
相手からして見れば、行き成り目の前に現れられたのだ。流石の幽香も、ほんの僅かだけ眼を丸くする。
しかし、その程度。不意を付いた美鈴の左上段蹴りを、首を傾げるだけで難なく回避した。
「なぁに? さっきに比べて随分と切れが悪いわ。あれだけでもう足にきたのかしら?」
不意打ちに近い一撃を、受けるまでもなく見切った幽香は、つまらなさそうに毒づいた。
美鈴の一発一発は、ダメージこそ微々たるものだったが、しかし、どうあっても回避することができなかった。
迅く、鋭く、変則的な、実に不思議な攻撃。 確かに、受けても問題はなかったのだが、しかし、受けざるを得ないという結果の上でのこと。
だからこそ、攻略のし甲斐があった。 だというのに、この度の蹴りは如何なものか。まるで魅力を感じない。
足が跳ねるのを見てからでも、充分に回避できた。面白みもくそもない。
しかし、この蹴りがただのフェイント。いや、何がしの繋ぎだったとしたら? 間違いなく、幽香の油断だった。
「!?」
跳ね上がっていた美鈴の左足が、鎌首を擡げる様に、幽香に襲い掛かった。
踵落としの要領で、幽香の延髄に左足を叩き落す。さしもの幽香も、これには体勢を崩させられた。 美鈴の攻撃はこれでは終わらない。
上半身を、僅かながら前のめりに崩された幽香を、叩き込んだ左足で押さえ込みつつ、自身の身体を捻り、右足を跳ね上げた。
「まさか―――」
幽香も気付いただろう。今から、己がどんな攻撃を喰らうのかと言うことを。 あんまり想像したくない、しかし、想像に難くない一撃が眼前に迫った。
跳ね上がった美鈴の右足は、左足によって押さえ込まれていた幽香の、その可憐な顔に向かって、容赦なく膝蹴りという形で叩き込まれた。
左足で押さえ込まれているせいで、後ろに向かって衝撃を逃がすことも出来ず、100%の力をそのままに叩き込まれる。
並みの妖怪なら、この時点で首から上が木っ端微塵に弾け飛んでいるところだろう。
しかし、今の相手は、あの大妖怪、風見幽香。この程度では多少効いても参るまい。 だからこそ、美鈴は気を抜かなかった。
己が空中にいる間に、叩き込んだ右足と、押さえ込んでいた左足で、幽香の首を極める。
そのまま自身の身体を捻り、地に付いた手を軸に回転、凄まじい速度を以ってして、足のみで幽香を頭から大地に叩き付けた。
「はぁ……、はぁ、はぁ」
滅多に呼吸を乱さない美鈴が息を荒くする。終わっただろうか。とにかく頭部を攻撃しまくってやった。これだけやればあるいは。
いや、それは甘い考えか。美鈴はうつ伏せに倒れて微動だにしない幽香からゆっくりと離れるように一歩足を動かそうとした。
その時―――
「―――動くな」
大きくはないが、しかし底冷えするような声色を以ってして美鈴の動きを止めた。目の前の幽香がだらりと上半身を垂らした状態で起き上がる。
来るか。美鈴が身構えるも、一向に幽香がかかってくることはない。しかし、不穏な空気は未だこの空間を覆っている。
そのとき、幽香がゆっくりと右手を前に向けた。思わず美鈴は身構える。が、何も起こらない。ただ、幽香は美鈴の足元を指差した。
「貴女の足元に小さな花が咲いているの。動けば踏んでしまっていたわ」
え、と美鈴は警戒を忘れぬように足元を見た。少しだけ雪が被っていたせいで判りにくかったが、ぽつんと小さく白い花が懸命に咲いていた。
植物だか花だかに関わる能力を持っているそうだが、戦いの最中でこんな小さな花の存在にも気付く感応力は凄まじい。
その上で踏まれないように気遣いもする。先程まで殴り合いを繰り広げた幽香と花を愛でる幽香。正直ギャップがありすぎて困る。
しかし、今そんなことはどうでもいい。ただでさえ美鈴の危険信号をかき鳴らしていた幽香の気質がさらに恐ろしいものへと豹変してゆく。
ゆらりと揺れる幽香。上半身をだらりと垂らしているために表情は見て取れないが、想像に難くない。
「……例えば」
幽香が小さくぽつりともらす。本当に小さな声。だというのに、背筋が凍るような錯覚に陥るほどぞっとする声色。
無意識に美鈴の危険信号が最大限に警報を鳴らす。顔を伏せたまま、幽鬼のような足取りで幽香が歩み始める。
ずしゃり、と雪と土が入り混じった大地を踏み躙りながら前へ一歩踏み出し、地獄から鳴り響く呪詛のように言った。
「貴女がその昔、幼き頃、ひっそりと咲いている花を愛でたとしましょう」
何を言っているのか到底理解できないが、一つだけ気付いたことがある。幽香から感じられていた陽気の一切がなくなっていた。
あるのは、ただただ己に向けて浴びせられる、逃げ出したくなるような重圧を持つ、殺気。
ゆったりと近づいてくる幽香。まるで恐怖そのものを体言したかのような彼女に心底身震いする。
動くに動けず、とうとうお互いの制空圏が重なった瞬間、幽香が伏せていた顔を美鈴に向かって睨め付けるように晒した。
刹那、幽香の身体が一瞬で加速。殺気をそのまま言霊として叩き付ける。
「でも、死ね」
吐き捨てるような科白、それと同時に、冗談のような衝撃を伴う蹴りを放った。
先程の正拳突きのように身体を使った体技ではなく、ただの脚力のみで美鈴を蹴り付ける。だと言うのに速すぎる。美鈴は反応するだけで精一杯だった。
横合いからまともに幽香の蹴りを浴びた美鈴は物凄い勢いで吹き飛ばされる。目測で軽く三十メートルは飛ばされたか。
半分は自分から蹴り付けられる方向へ向かって飛びはしたが、その程度で軽減されるような衝撃ではない。
ともかく、追撃が来る前に体勢を立て直さなくては。空中で姿勢を制御し、着地と同時に駆け出そうと思った矢先に、眼前を何かが覆った。
「やっぱり技に頼るのは性に合わないわねぇ!」
「なっ……」
美鈴が着地するよりも早く、幽香は美鈴へ接近していた。接近と同時に繰り出される前蹴り、通称ヤクザキック。
空中での回避は絶望的、体勢が崩れているせいで防御も難しい。どうすればいい、どうすれば。考えるもあまりにも時間がない。
すぐ後に襲った胴体を貫くような衝撃が世の中の厳しさを教えてくれる。押し出すように蹴り込まれた美鈴は豪快に地面を転がるように数回バウンド。
「がはっ……! げほっ……!」
抗いようのない痛みが全身を蝕む。やばい、本気でやばい。これ以上は身体が持たない。限界を超えて早い話が、死ぬ。
とにかく、今は回復に努めなければ。とてもじゃないが反撃なんてできやしない。できたところで攻撃力もたかが知れる。
その前を絶望が遮った。間違いなく、彼女は本気で殺しにきているのだろうと悟るには十分すぎる。
今まさに、サッカーボールを蹴り飛ばそうかと言うように足を背後に振り上げている幽香が眼前に映っているのだから。
「ほら! 遠慮しないでイっちゃいなさいよ!」
直後、幽香の蹴りが美鈴の身体に抉り込んだ。最早苦痛の声すら出ない。全身の神経が麻痺したかのような錯覚に陥る。
凄まじい激痛に耐え得るための生存本能だろうか。全く痛みを感じなかった。今の状態が非常にやばいことはイヤでも判る。
蹴り飛ばされ、無残にも大地へ落下した美鈴を、一瞬遅れて激痛が襲った。痛みを感じた瞬間、美鈴は思った。良かった、と。
自分は壊れてしまったのかもしれない。痛みを感じることが嬉しいとは。しかし、判った。痛いと言うことは、生きていると言うことだ。
少しだけ、本当に少しだけ幽香の気持ちが判った気がした。彼女は、痛みを通して自分が生きていることを実感しているのだ、と。
「はぁ……、がふっ……。は、ぁ、はぁ……。ぐぅ、ぅ……」
「あら、よく立てるものね。ふふ、でもそうでなくっちゃ」
全身を鈍器で殴りつけられているかのような痛みを堪えながら、美鈴は渾身の力で立ち上がる。膝はがくがくと笑っているし、目も虚ろ。
もう立っていることだけで精一杯にも見える。しかし、美鈴の闘気は今この状況において、少しも衰えていなかった。
ああ、素敵だ、とてもとても素敵な玩具だ。いや、玩具ならばとうに壊れてしまっている。美鈴の闘気を浴びた幽香の全身が、歓喜に支配される。
「いいわ! すごくいいわ貴女! 貴女は! 私が! 丁寧に丁寧に壊してあげる!」
餓えた獣のように、幽香は美鈴に飛び掛る。ほんの少しだけ体力を回復させた美鈴は辛うじて幽香の突撃を回避した。
だが、それで終わることは勿論ない。立て続けに幽香は腕を振るい、足を蹴り上げる。最早技ではない。単なる暴力の嵐だ。
避ける、ただひたすらに避ける。足がふらつき、頭も回らないが、ただ身体が反応するがままに任せて避ける。
力に任せて大振りを繰り出し続ける幽香の攻撃は、幸いにして避けやすかった。その上で隙もでかい。右の大振りを回避した瞬間に、美鈴は踏み込んだ。
「うあああああああああ!」
咆哮とともに幽香に向かって左拳を叩き付けた。今の美鈴に出来うる渾身の一発。こんなコンディションで、どれほどの威力が期待できるのか。
幽香はそんな美鈴の拳を、顔面を使って受け止めた。なんともなさそうに唇を吊り上げ哂いながら受け止める幽香。
その一瞬、美鈴の表情に悔しさが滲んだのを愉しげに観察すると、空振った右手をそのまま引き戻し、美鈴に叩き付けた。
「あぐっ……!」
バックブローもどきを食らった美鈴は地面に伏す。幽香はそんな美鈴に向かって容赦なく足を振り上げ、踏みつけた。
まるで虫けらでも踏み躙るかのような感情のない攻撃。いや、感情はある。歓喜と言う、この場には余りにも不釣合いな歪んだ感情が。
「うぐっ……! がっ……! あ、が……ぅ……」
「あはは! あははははは! あはははははははははは!」
美鈴を踏みつけながら狂ったように哂う幽香は、最早妖怪などと言う可愛い代物ではない。悪魔そのものだった。
このまま美鈴が死ぬまで踏み続けるつもりだろうか。嬉しそうに、愉しそうに、幽香はただただ足を振り下ろし続けた。
だが、美鈴もただやられるだけではない。踏みつけてきた幽香の足を、後ろ手に鷲掴んだ。
一体どこにそれだけの体力を残しているのかと疑問に思うほどの勢いを以って、幽香の足を引っ張り上げながら跳ね上がり、咆哮する。
「がああああああああああああああああああ!」
足を捕まえた幽香を空中において右手一本で振り回したかと思うと、その勢いをそのままに幽香を地面に叩き付けた。
小さなクレーターでも出来るんじゃあないかというほどの衝撃音とともに幽香が地面でバウンドする。
まだこれほどまでに動けるか。嬉しくなる。幽香は叩きつけられた際の痛みにひどく感動を覚えた。
何度遊んでもその度にギミックが変化する玩具。そんな表現が美鈴には似合う。多種多彩な攻撃を以って、何度も何度も立ち上がっては向かってくる。
本当に、本当に素敵だ!
「もっと! もっともっともっともっともっと感じさせて頂戴!」
腕を使って大地を跳ねる。地に足が着いた瞬間に幽香は駆けた。同時に美鈴も駆ける。双方がエリアに入るまで瞬きほどの時間もかからないだろう。
幽香は左腕を振りかぶり、型もくそもない、しかし余りにも強力なストレートを繰り出した。だが、美鈴はこれを避けるだろう。
受けるには余りにも余力がないはず。避けて瞬時にカウンターを繰り出してくる。幽香はそう睨んだ。
どこを打つにしても、幽香はそれを受け止められるだけの自信があった。そうした上で硬直状態を叩き伏せてやる。
それでもなお食らいついてくるならば良し、終わるようならば、所詮その程度の玩具だ。
期待に胸を膨らませつつ、幽香は放った拳にどう美鈴が対処するかを観察した。案の定、美鈴はそれを回避。読み通りだ。
さあ、どこを打つ。人中か、眉間か、こめかみか、水月か、どこでもいいぞ、遠慮なく打って来い。
しかし、美鈴の攻撃はいつまで経ってもやってこなかった。それどころか、目の前で回避したはずの美鈴がどこにも見当たらない。
今までの美鈴の回避は、必要最小限の見切りを以って行われていた。しかし、今回の回避は違った。立ち位置の確保を兼ね揃えた移動を目的とした回避。
幽香が訝しく思った時には、もう美鈴は幽香の背後に躍り出ていた。左ストレートを放って、そのまま遊ばせていた右手両手でがっちりと掴み掛かった。
なんの躊躇もなく、背中合わせの一本背負い投げ。それと同時に己の肩に幽香の肘を預けて極める。本日三度目の右肘への関節技。
きしり、と幽香が今までに感じたことのない違和感が右腕に走った。それが何なのか判らないうちに、幽香は逆さまになって投げられる。
このまま地面に叩き落すつもりだろうか。幽香がそう思った瞬間に、凄まじい衝撃が己の後頭部に走った。
逆関節を極め、受身の取れない一本背負いをかけた後に、逆さまになって落ちてくる幽香の後頭部を思いっ切り蹴り飛ばす。
残っている力を搾り出すかのような全身全霊の一撃は、幽香を彼方へ打ち上げる。まだこんな隠しだまを持っていたとは。
逆さまに回転しながら蹴り飛ばされた幽香は唇が裂けんばかりににやりと、実に愉しげに笑った。
「本当に愉しませてくれるわねぇ! じゃあ、こんなのはどうかしらぁ!?」
今までとはまるで違う気質が幽香の両の手に集められるのを感じた。これは闘気や生気のような気力のそれではない。
魔力だ。信じられないほど膨大な魔力が幽香に集う。逆さまに飛んだままの状態で、幽香は叫ぶ。
「死にたくなければ、避けてみなさい!」
突如、眼前を光が覆った。ふざけた規模の魔力の塊が飛来する。大砲とでも言えばいいのか。いやいや、こんなものは津波のほうがよっぽど合う。
圧倒的な絶望と化した魔力の狂瀾は、まるで壁がそのまま迫ってくるかのような重圧を与えてくる。
避ける以外に道はない。迷うことなく即決する。幸いにして規模はでかいものの、絶望的な速度じゃない。幽香の拳のほうがよっぽど速度があった。
どこに逃げる。一瞬だけ美鈴は周囲を見渡す。見渡した後、後悔した。いやなものに、気付いてしまった、と。
背後にあるものに、気付いてしまった。そして、それは美鈴が避ければ、間違いなくこの魔力の砲撃によって滅されてしまうだろう。
なんの義理もないものだ。でも、だけど、それでも。葛藤に表情を歪める。泣きそうな表情で、美鈴は喚いた。
「あああああああああ! もう! 私のばかああああああああああ――――――」
その叫喚を掻き消すかのように、光は美鈴を飲み込んだ。
◆
やってしまった。
徒手空拳の勝負のはずだったのに、ついつい盛り上がってしまって魔砲を放ってしまった。
言い訳が通用するのなら、使うなと明言されていなかったし、あの妖怪のスペックだったら問題なくかわせる速度でしかなかったはず。
だというのに、あの妖怪は正面から魔砲を受け止めた。
もしかしたら死んじゃったかな? どうだろう。
いくら熱くなっていたとはいえ、これは少しやりすぎたかもしれない。
地面は抉れているし、魔砲を受けた妖怪は欠片も見えなかった……粉々?
ポリポリと頬を掻いて反省したところで、やってしまったものはしょうがない。
やったことをいつまでも悔やむのではなく、これから反省を生かして生活していけばいいのだ。
さすが私、いつまでも細かいことは気にしないわ。
「にしても、これどうしたものかしら……」
右腕の関節が、いよいよ限界を超えてオーバーフローしてしまった。
執拗というか執念というか。水の一滴も石をも穿つを地で行かれてしまった。
すっかり自由の利かなくなった右腕、数日経てば治るだろうが、治ることが少し寂しくも感じる。
戦いの中で腕を折られるなんて久しく無いことだった。
それも、取るに足らない力しか持っていないと思っていたはずの妖怪に。
彼女よりも力の強かった妖怪は腐るほど屠ってきた。
小賢しい妖怪は、心をめちゃくちゃにへし折ってから晒し者に仕立て上げた。
しかし、あの門番はバカ正直で純粋で、強かった。
洗練された武は、力とは違った美しさを体現する。そのことを今日初めて私は知った。
先ほどまでの戦いを思い出すだけで、また、心がどうしようもなく高揚してくる。
「バカなことをしたわ」
それをわざわざ壊し尽くしてしまうだなんて勿体無いことをした。
そういえば、放り投げた日傘はどこにあるだろうか。
「幽香ー!」
「あら?」
メディスンが、日傘を持って駆け寄ってきた。
「凄かったね、妖怪同士の戦いってあんなに激しいんだ」
「うん、まぁ……」
日傘を受け取るとき、反射で右手を差し出そうとすると、ズキリと鈍い痛みが走った。
表情を変えずに左手で受け取って、落ちてくる雪を花弁で受け止める。
「そういえば、スーさん大丈夫かな。さっき幽香が魔砲を撃ったから心配で」
「え? スーさんって私が咲かせた鈴蘭のことよね」
「そう、幽香ったら後ろにスーさんがいるのに魔砲を撃つもんだから……」
冷や汗が体中から噴出してきた。
そういえば、さっき魔砲の轟音と一緒に、あの門番の叫び声が聞こえてきたような。
何と言っているのかは聞き取れなかったが、もしかすると、もしかしちゃったのかもしれない。
メディスンが、ぷりぷりと怒って鈴蘭畑のほうへと走っていった。
遠目から見ても、どうやら魔砲の威力は上手く逸れて無事だったようだ。
ただ一つ、不自然に鈴蘭たちが倒れている。
と、言うことは?
「あー! スーさんの上で寝るなー!」
案の定だった。
呆れたことにあの門番は、避けたら鈴蘭畑が吹き飛ぶと思って、受け止めようとしたのだ。
まったく、弱いくせに、かっこつけたがるから。
さっきまで散々甚振って遊んでいたくせに、今では愛しくさえ感じてしまうのが不思議だった。
いつのまにか、私はあの妖怪を心の底から認めている。
「起きろー! スーさんが潰れるー!」
メディスンが、倒れ伏している門番を散々蹴っ飛ばしていた。
死んでるかと思ったら、蹴られるたびに微妙に体が動いている。
よかった、あれで殺してしまったら三日は寝つきが悪いところだった。
のんびりと鈴蘭畑まで歩いていくと、奇跡的に(?)門番は大きな傷を負っていなかった。
メディスンがしていたように、体を蹴っ飛ばしてひっくり返すと、完全に目を回していた。
「まったく、呆れた。一体どこまでがあなたの矜持の問題で、どこまでがあんたのご主人様のためだったのかしら。
まさか、わざわざ鈴蘭畑を守ろうとするとはねぇ……私の機嫌を損ねると思った? それとも、本当に花を守りたかった?」
気絶しているのだから、返事なんて当然なかった。
メディスンが、うーんうーんと唸っているばかりの美鈴を枯れ枝でつっついている。
いまいち強気に出られないのは、反撃されることを怖がっているのだろう。
力はそれなりにあるとはいえ、メディスンは妖怪の日が浅い。
遠目から戦いを見ていたならば、洗練された技の恐ろしさが心に刻まれたのかもしれない。
簡単に言うならば、トラウマが植えつけられたかも。
「ま、今回は私の負けね、ここまでされて勝った気でいたら、私の尊厳に関わるわ」
「え? 幽香が負けなの? どうして?」
「メディスン、こういう戦いでの勝ち負けっていうのは最後まで立っていたことよりも、いかに相手の心をへし折ったかなのよ。
飛び道具まで出して、しかも相手に情けをかけられちゃったんじゃ……これじゃあもう大敗よ」
それに、右腕も折られてしまった。
「ま、約束通りカボチャは作るわよ。ちょっと骨が折れるけどね」
紅魔館前にどでんと置いておけば、嫌でも住人が気づいてくれるだろう。
季節外れに植物を作りだすのは相当魔力を使うけど、ここで目を回している門番への義理だ。
引き受けたからには、全力を出す。
「あ、ついでに」
鈴蘭を一本だけ引っこ抜いて、手を開かせて握らせる。
メディスンが何か言いたげにしていたけれど、文句は言わせない。
「さ、行きましょうかメディスン。どうせあなたも暇でしょう?」
「うん……わかった、待っててねスーさん」
もう日が暮れかけている。
早く行かないと、戻るころには真っ暗になってしまう。
「あら、綺麗な造花だわ。そういえば持っていたわね、こんなのも」
ご機嫌取りのためだったのかもしれないが、今となってはそんなことはどうでもよかった。
私が鈴蘭を贈ったように、この造花は私がありがたく受け取っておこう。
「それじゃあね門番さん、またアイマショウ」
メディスンの手を引いて、向かう先は紅魔館。
この門番がご執心するご主人様たちを、しっかり見ておきたかった。
◆
「うわぁ光が迫ってくるよ溶けちゃうよぉ…………あれ……生きてる」
くちゅんとくしゃみが出てしまった、どうしてこんなに寒いのに、私は外で寝てるんだろう。
自殺願望がどこかに眠っていて、それが突然発露してしまったのかもしれないが、それ以前に記憶を辿る。
えーと確か私はお嬢様たちに無茶振りをされて、それから風見幽香を探して戦って。
「あー……あれのせいだ、この悪夢は」
やっぱり私には自殺願望があるのかもしれない。
鈴蘭畑が後ろにあることを思い出して、どう考えても無茶だったのに魔砲に突っ込んでしまった。
バカだバカだ。風見幽香の姿はどこにも見えないし、もうすっかり日も落ちてしまっている。
幸い擦り傷が体中にあるだけで済んだけど、打ち所が悪かったら本当に死んでいたかもしれない。
この時ばかりは悪運と、丈夫な体に生んでくれたお母さんに感謝した。
あーでも、この分だとお嬢様に怒られること受け合い。
あれだ、このまま紅魔館に戻るのは自殺行為。
かといってこの寒空で寝るのもこんにちはお彼岸ってものだろう。
先ほど風見幽香と拳をあわせていたときも、何度も死神が手を振ってきたが、集中することでなんとか無視できた。
よく、五体満足でなんとかなったと自分を褒めてあげたい。
どうせお嬢様たちに叱られるのだ、これぐらいは自分へのご褒美って奴だろう。
「あー、疲れたー」
寝転がると、空には煌びやかな星たちが瞬いている。
なんだっけ、パチュリー様がこの前冬の大三角形がどうたらこうたら言っていたような。
「こいぬ座のプロキオン、おおいぬ座のシリウス、そしてオリオン座のベテルギウスを結んで三角形にするのよ。
そうやって寝転がっていると、よく見えるでしょう」
ははぁ、どうやら私はまだ夢の中にいるみたいだ。
猫は小さいところに入りたがるように、パチュリー様は本の中にまで入りたがる。
この前は、本を開いたまま顔を突っ伏して寝ていたらしい。
パチュリー様、本の中にはそんなことしたって入れないんですよ。
それぐらい引きこもり体質のパチュリー様が、わざわざ無名の丘まで来るはずがない。
きっと幻聴だ、そうに違いない。
「まったく非道い有様ですわ。風見幽香ってのは加減知らずなんですね」
ははぁ、リアルな夢だ。
けど私は騙されないぞ、咲夜さんは今頃お嬢様の機嫌をなおすのに必死のはず。
いまここに居るメイドさんは、きっと死神がコスプレをしているに違いない。
最近は冥界でも空前のメイドブームなのだ、きっと。
「まったく無様ねぇ。紅魔館の門番ともあろうものが地面に突っ伏すだなんて許されることじゃないわよ。
ま、今日はおめでたい日だから許してあげるわ。腋太郎との決着もついたし」
「わー、美鈴ボロボロ! 痛そう」
私はどうやら、怒られたくないために自らに幸せな幻覚を見せるにまで至ったようだ。
ここまでくればきっと、辛い現実からも全力疾走で逃走できるに違いない。
本物のお嬢様方ならば、きっと私の処断の仕方についてを語り合っている。
紅美鈴、ベリー苦しみマス。
「何呆けてるのよ、パーティーの準備は済んでるのよ? 主役が寝てたらいつまで経っても始まらないじゃないの」
「いざとなったらここまで運んでくればいいんじゃないの。私は運ぶの手伝わないけど」
「自分で歩けって言うのも、酷ですよねぇ」
「じゃあ私が運ぼっか。キュってしてどかーんってしたらきっと軽いよ」
「やめてください、死にたくないので」
動くと全身が引き千切れそうに痛んだけれど、何も苦にはならなかった。
「自分で歩けるでしょ? そんなに柔な門番を雇った覚えはないわよ?」
「勿論ですお嬢様、さ、ご心配おかけしました。この通り私は元気ですよ」
ブンブン腕を振り回すと、そのまま関節が外れて吹っ飛んでいきそう。
強がり以外の何者でもなかったけれど、それでもいいのだ。
「絶対痛いでしょ……強がっちゃって」
「痛いときは痛いって言わなきゃ、ダメだよ?」
「さ、館に戻ったらまずは、傷の消毒からしなくちゃいけないわね」
紅魔館の面々が、笑ってさえいるならば、私はそれだけでいい。
無名の丘。星のささやかな光だけが照らす薄気味悪い草原に、紅魔館の面々の笑い声が響き渡った。
さすがですねw 堪能させていただきましたw
そんなクリスマスもいいものである、勿論観客という前提で
最後を綺麗に〆れるあたりは作者さんの手腕といったところですかね
機会があればまた合作で出してほしいものです
戦闘シーンに坂本ジュリエッタが居るとは思いましたが、それはそれ!
ネコ輔さんならこの美鈴、納得です。
美鈴と幽香さんがイチャつく次回合作を是非に。
戦闘描写が相変わらずうまいなぁ
想像すると実に格好いい!
みょんに可愛らしいメディの仕草に萌えw
お二人ともが大好きな作家さんなので最高でした!
良いネタしこんどるでぇ・・・
若干シュールで温かい日常と技巧を凝らした熱いバトル、どちらも非常に楽しめました。
バトル最高。
勢いにのせられて最後まで一気に読ませていただきました。
すごすぎだ
楽しく読ませていただきました。
うん、読んでて楽しかった。
あー、やっぱ肉弾戦は読んでいて楽しい。
流石ゆうかりんとめーりん!
正直途中で飽きました。
×虎穴の入らずんば虎子を得ず→○虎穴に入らずんば虎子を得ず
最初に、誤字を報告させて頂きます。
さて、内容のほうはというと、とても面白かったです。
美鈴のバトルものは個人的に大好きなので。
戦闘描写に手に汗握って読みました。
・・・作者さん、もしや修羅の門とか好きですか?
あとタイトルはあの小説から取ったんですかね?
両人とも凄い出来だったんですが、読み終わってみると、後半のインパクトは絶大でした。読んでて脳内に戦闘画面が展開されるぐらい。
しかし前半の各人の反応は、日常パートならではの笑い所でした。魔理沙マジ外道。
ジャンルによる差が出ている上に、書き手の得意分野なので差が一層際立つのでしょう。これも合作の醍醐味。
それと腋太郎、分類にまで出てくるんじゃねえwww
誤字修正しました。
あとあれです。
エアマスターとあの小説が好きなのが俺。
ネコ輔が修羅の門大好きなんですよ。
いやぁ、見事
力の無さを小技でカバーしてる美鈴も圧倒的な幽香も素敵でした
しかし、そこ以外では、描写の全てが「一度は少なくとも遠くから見かけたことはあり、性格についてはそれなりに多くの人から情報を得ている」前提で描かれているように見えるのです。
幽香さんまじぱねぇっす
これは百点を入れさせていただきます
いや流れ的にめーりんがギャグ抜きで殺されちゃうんじゃないかと…
バトルもの好きなのでたまらんかったです
バトルシーンがとても鮮明に想像できました!
いいぞもっとやれ
何より、めーりんファンのオレにはたまらない作品でした。
言い訳が~使うなと名言されていなかったし→明言されていなかった
誤字報告させて頂きます。
もう一箇所有ったような気もするんですが、
勢いで一気に読んでいるうちに忘れてしまいました。
二人とも格好良すぎです!!
面白すぎだろあれwww
中国がめっt
中国がめっちゃかっこよかったです!!!
成程、エアマスターの影響か。美鈴のスタイルがそれらっぽいですね。
しかし、花屋の青年が報われないww
読み終わるまで全く気づかんかったwwwwww
俺もだいぶネコ輔さんの作風を理解できた瞬間でした
修羅×サイボーグ忍者×ドラゴンボール現象=この作品
なにを(ry
読めない……だと………
まさか消されてしまったんですか・・・
この作品は合作なので消さなかったそうです。