皆様、お早うございます。藍です。
突然のことで何を言っているのか分からないとは思いますが、私にも分かりません。
ある朝起きたら、橙が金髪になっていました。藍でした。
「な…、なんで…? 橙が…、橙がグレた!?」
当の本人は居間で朝食をとっています。そして私はそれを覗き見しています。
その様子はいつもと変わりないように見えるのですが、いかんせん金髪です。怖い。
「どうしてこんな事に…。まさか反抗期というやつか…?」
いや橙に限ってそんなことは…、ないと信じたい今日この頃ですが、現に金髪です。恐ろしい。
「しかしあの橙が何の前触れもなくこんなことするだろうか…?
昨日の夜だって仲良くお風呂に入ったし、何も変わった様子は無かったのにどうして?」
そこで私はふと思いつきました。
橙に原因が無いのであれば他にあるはず。そして悲しいかな、私にはその心当たりがあるのです。凄く身近にあるのですよ。
というわけで、橙に気付かれないように忍び足で原因と思しき人の元へ向かいます。
そして今私はその人物の枕もとに立っているわけですが、その人は幸せそうに惰眠を貪っているわけで、起こすのが申し訳なく……はならないのです。
「起きろ紫様あああぁぁあぁああッ!!」
「う~ん……あと5――」
やはりこれくらいでは起きる筈もありません。なにせ我が主は万年寝太子なのですから。
それにしてもあと5分とでも言うつもりでしょうか。
しかし、私の橙をあんな不良娘に仕立て上げておいてそんな悠長な事は言わせないし、そんなベタなことも言わせません。
「――ヘルツ……」
「よぉっし、ナイス変化球! 紫様は王道を歩まないと信じていましたよ!
アレですか、ラジオでも聞きたいんですか? だがその前に起きろコラああぁぁぁああぁぁあッッ!!」
「ん~……、もぅ何よう…。朝っぱらからうるさいわねぇ…」
私に大声を出させているのは橙の変化の所為です。もっと言えば、あなたの所為です。と、声を大にして言いたいところです。
朝っぱらからこんな大声を出すのは、私としても大変疲れるわけで……
それはまあいいとしまして、今はとにかく橙を元に戻して貰わなければなりません。でなければ、私の気が休まりません。
「そんなことはどうでもいいんです! 私が言いたいのは橙の事ですッ!」
「朝から元気ねぇ…おはよう、藍」
「何をそんな悠長に構えているのですか! 早く橙を――」
「朝はおはよう、よ」
「いや、ですから紫さ――」
「おはよう、よ?」
「あの――」
「おはよう」
「……おはようございます」
「よろしい」
こういう時の紫様はニコニコしていて、言い知れぬ迫力に満ちています。何と言いますか、たまに逆らえない空気を出すのですよ。
今回もその例に漏れず、私は大人しく朝の挨拶を交わさずにはいられませんでした。だって、逆らったら何が起こるか分かりません。これまた怖い。
でも今は、それよりも恐ろしい事態が起きているのです。
「少しは落ち着いた?」
「はい、少々取り乱してしまいました」
「それで、朝から何を騒いでいたのかしら?」
「そうです! そのことで紫様にお話があります!」
「だから声が大きいわよぉ…。耳が痛くなっちゃうわ」
「そんな悠長な事を言ってる場合じゃないんです!」
「要領を得ないわねぇ。何があったのよ?」
よくもまぁぬけぬけとこんな台詞が吐けるものだと思います。
私の愛しい橙にとんでもない悪戯を仕掛けた張本人の言葉とは思えませんよ、まったく。
「単刀直入に申し上げます。橙を元に戻してください」
「橙を元に…? 何を言っているの?」
「惚けないで下さい! もうホント、後生ですからお願いしますって!」
「だからぁ、何を言っているのよ。そもそも橙がどうしたの?」
私の必死の懇願にも紫様は知らん振りします。温厚で通っている私でも、これは容認できません。
なので、証拠を見せることにしましょう。何の因果か、スーパーサ○ヤ人と化してしまった橙を。
「それならばこちらに来て下さい。さぁ早く」
「引っ張らないでよ~。自分で歩けるからぁ」
私はそんなにゆっくりしていられないのです。
橙の異変を思うと、私の胃は現在進行形で穴が開いてゆきます。そろそろ血を吐きそうです。
「ここです。ここに橙がいます」
「ここって居間じゃない。そりゃあ橙がいてもおかしくないでしょうね」
「そういうことを言っているのではありません。とにかく居間を覗いてみて下さい。そ~っとお願いします。怖いので」
「わかったわよぉ。へんな藍ね…」
そうして紫様は襖を少し開けて、中の様子を覗き見ています。その瞬間、紫様は固まりました。
5秒……10秒……1分と、どんどん時間が過ぎてゆきますが、紫様は微動だにしません。
たっぷり3分は固まったままだったでしょうか、紫様は一つ頷くと襖を閉め、私の手を引いて自室に戻られました。
そして、一つ大きなため息をついて一言。
「ちょっ、あれ誰!? マジで怖いんですけど!」
「でしょう!?」
橙の変化はさすがの紫様もビビるほどでした。我が式ながら恐ろしい子です。
ですが、それを仕掛けた張本人がそれを言うくらいなら早く戻して欲しいと思いました。
「というわけで、もう充分楽しんだでしょう。お願いします、紫様」
「橙を更生させろって言うの!? 無理無理、絶対無理だって! 怖すぎるもん!」
「何を仰るのですか! 紫様が橙を戻してくれればすべて丸く収まるのですよ!?」
「そんなのあなたの仕事でしょ!? 橙はあなたの式なんだから、あなたが責任を持ちなさいよ!」
「ええい、このすきまはこの期に及んで…。そもそも、紫様が橙にあんな悪戯しなければよかったんです!」
「あんな悪戯って何よ!?」
「惚けるのもそこまでです! 橙を金髪にしたのはあなたでしょうが!」
「知らないわよ!」
「……はい?」
「あなたが何を言ってるのか分からないし、知らないの! 私は本当に無関係よ!」
「マジすか…?」
「大マジよ!」
紫様は必死に弁明をしています。自分は無関係だ、と……。
私にはどうしてもそれが信じられませんでした。というか、信じたくありませんでした。
なぜなら、紫様の言葉が真実ならば、橙は本当に――
「グレちゃったのかしら?」
「紫様! それだけは言わないで下さい!」
私の心の平穏の、最後の砦を崩さないでもらいたいです。いや、本当に勘弁して下さい。
しかし、いくら目を背けても事実は変わらないのです。橙は金髪になり、紫様は関与していないと来れば、これはもう答えは一つだけしかありません。
なんということでしょう。私がたっぷりの愛情でもって接していた橙が、グレてしまいました。
「紫様…、ドッキリなら今ここで言って下さい。本当に心臓に悪いです」
「いつまでも理想に浸っていては駄目よ。残念だけど、これは真実なのだから」
分かっていますよ、そんなこと。
でもそこは嘘でもいいから言って欲しかったです。今なら泣いて許せる気がします。なんなら土下座もします。
そんな自分が、ちょっとだけ好きです。
「というわけで、藍。わかってるわね?」
「…何を言わんとしているかはわかります。わかりますが勘弁して下さい」
「ダメよ。早く橙をいつものいい子に戻しなさい」
「えっと…、あれも個性だということにしませんか?」
「ダメ。怖い」
「私だって怖いですよ! まさか橙があんな……」
「だから早く戻せって言ってるの! ほのぼの八雲家はもはやセピア色の思い出よ!」
「でも…、怖いものは怖いんですもん…」
ああ、偉大なるすきま妖怪の式であり、九尾の狐であるこの私がまさか自分の式に怯える日がこようとは、夢にも思いませんでした。
だって仕方無いじゃないですか。こんな状況の対処法なんて私は教わりませんでした。
ということは、紫様にも当然責任が発生するのではないのでしょうか。そう思わずにはいられません。
というか、橙が怖いです。一人では立ち向かえそうにありません。
「あの、紫様…」
「なにかしら?」
「二人で説得しません?」
「嫌よ! 絶対、イヤッ!」
「私だって嫌なんです! だから助けて下さいよ!」
「私が口出ししたらあの子はなんて言うと思うの!?
『うるせぇ、ババァ』とかいう言葉が飛び出すに決まってるわ!」
「でも、二人で頑張れば…!」
「いいえ、あなたはわかってない。橙くらいの思春期の子供から、ババァと言われることのダメージの深さを…」
紫様は遠い目をしています。過去に経験があるのでしょう。私にはありませんがね。
でも、今それを構っている余裕は私にはありません。なにしろ、橙が戻らない限りは八雲家に平穏は戻らないのです。
なので、是が非でも紫様には手伝ってもらわないといけません。昨日までの八雲家をセピア色の思い出にしない為にも。
「わかった? 私はこれ以上傷付きたくないのよ」
「心中お察ししますが、この際気にしていられません。何としてもお手伝いして頂きます」
「なんでよ!? あなたの式じゃない!」
「正直申し上げまして、私では力不足かと思われます」
「それを何とかするのがあなたの責任でしょうが!」
「ですが私が失敗した場合、平穏はいつまで経っても戻らないのですよ? それに一人より二人、です」
「う…、それは確かにそうだけど…」
よし、喰いつきましたね。これで後はひたすらゴリ押しするだけです。
ここはたたみかけるのが一番でしょう。
「さぁさぁ紫様。ご決断を」
「でも…、橙怖い…」
「紫様ほどのお方が何を恐れることがありましょう。大妖怪であり、賢者であらせられるあなた様がご自分の式の式に恐れるなどあっていいのでしょうか?」
自分の式に怯えている私はどうなんだ、という突っ込みは無しの方向でお願いします。
「良くないと思うけど…」
「ならば立ち上がりましょう。大丈夫です。紫様がビシッと言って頂ければ、どんな悪人だって更生するというものです」
「…そうかしら?」
「そうですとも! それに、紫様は一人ではありません。私が傍にいます。
二人で力を合わせれば、さしもの橙もたちまちいい子に戻り、私達は平和に暮らすことができるのです!」
「そう…、ね……。そうだわ。ごめんなさい、藍。私どうかしていたみたい」
「紫様…!」
「もう大丈夫よ。心配かけてごめんなさい。この私が逃げ腰なんて、似合わないわよね」
「その通りですとも!」
内心ニヤリですとも。
紫様を説得することに成功したばかりか、紫様に説得させる流れにもっていけたのですから、万々歳です。
ああでも本当に良かったです。私一人で橙と話をしろなんて言われた時は半泣きでしたからね。助かりましたよ。
「それじゃあ橙の元に向かうわよ。ついていらっしゃい、藍」
「どこへなりとも」
「頼もしいわね。あなたが私の従者で良かったわ」
「私も…、紫様に従うことが出来て幸せです」
「藍…」
「紫様…」
「……何やってるんですか、二人とも?」
そんな事をやっていると、突如声が掛かりました。言うまでもなく、橙です。
その後の行動はとても速かったです。脊髄反射でした。
まず紫様がすきまを開き、私たちは二人揃ってそこに飛び込む、ただそれだけの行動でしたが、驚くなかれ。確実に1秒は切ったと断言しましょう。
そんな訳で、現在地はどことも知れない森の中です。とりあえず、言いたいことは山ほどあります。
「いきなり何逃げてんですか!? めちゃくちゃ逃げ腰じゃないですか!」
「だって突然来るんだもん! ビックリしたし怖かったんだもん!
そもそも、ついてくるんじゃないわよ! 一人残って橙と話してれば良かったのに!」
「ついて来いって言ったの紫様じゃないですか! なんで私を生贄にするんですか!?」
「時には犠牲も必要なの! 失うものがあれば、そこには必ず得るものがあるんだから!」
「なにちょっといいこと言ってんですか! 少しは犠牲者の心も考慮して下さい!」
「私の代わりに潰えるなら従者冥利に尽きるというものでしょう!?
な~にが、『紫様に従うことが出来て幸せです』よ。口ばっかりじゃない!」
「紫様こそ、『頼もしいわね。あなたが私の従者で良かったわ』なんて言ってたくせに!
前から言おうと思ってましたけど、紫様にそんなシリアスな台詞なんて全然似合いませんよーだ!」
「この…、言ったわね!?」
「何度でも言って差し上げます。紫様にシリアスは無理なんですよ!」
「誰が専らお笑い担当よ! 私だってやる時はやるのよ、この油揚げ女!」
「な…、私だけじゃなく油揚げまで馬鹿にしましたね!」
「そんなこと言ってないわよ。あーやだやだ、被害妄想でもあるんじゃなーい?」
「いーえ、今の言葉には間違いなく油揚げを貶すニュアンスが含まれてました。もう許せません!」
「だったら何よ、私とやろうって言うの!?」
「やらいでか!」
こんな感じのやり取りが小一時間続きます。終わった頃には二人とも疲弊しきっていました。
ここまで大声を出して紫様と喧嘩をしたのは久し振りです。何かスッキリして、清々しい気分ですらあります。
紫様もどこか満足した表情で地面に大の字で寝そべっています。私も同じですが。
「はぁ…、はぁ……。とりあえず、これ以上言うことは無いわ」
「私も…、です…」
「私達はもはや運命共同体よ。これからどうすべきかを考えましょう」
「同感です。ですが、どうしたらいいのでしょう?」
「そうねぇ…、とりあえず私たちだけでは答えは出せない問題だわ」
「それならばどうするのですか?」
「橙も言っているでしょう。わからなかったら――」
「――人に聞く!」
・
・
・
・
・
・
「それで、私の所に来たという訳か」
「そうなんです」
「どうか助けて下さい。けーね先生」
誰に聞いたものだろうかと悩んだ私たちが選んだ人物は、人里の守護者でワーハクタクの慧音さんでした。
彼女が里の子供たちを相手に寺小屋を営んでいるというのは知っていたので、そんな彼女ならば子供の扱いには長けていると考えたのです。
紫様まで敬語で話していて、なんというかもう二人揃って必死です。
「そんなこと相談されてもなぁ…。じっくり時間をかけて話すしかないんじゃないか?」
「でもいきなり金髪なんですよ!? 怖いじゃないですか!」
「そうよ! 怖いのよ!」
「そんな胸張って言われても…」
「とりあえず、一緒にどうしたらいいか考えてくれないかしら? 切実なんです」
「うん、それは何となくわかる。わかるんだが…、難しいなぁ」
やはり慧音さんでもいきなり金髪は難しいらしいです。というか紫様、口調が安定していません。相当参っているようです。
でもそうなると困ったことになります。なにしろ一番当てにしている人材なわけですから、彼女でも無理となると私たちは途方に暮れてしまいます。
そして、橙に罵声を浴びせられながら怯える日々が続くのです。想像するだけでも恐ろしいですね。
「とにかくだ、どうしてそうなったのか思い当たる節は無いのか?」
「それは…、きっと藍の教育が至らなかったからだと…」
「ここで全責任を私に押しつけますか!? 絶対紫様の悪影響ですって!」
「悪影響って何よ! まるで私が駄目な風に聞こえるじゃないのよ!」
「駄目な風じゃなくて駄目だから言ってるんですよ!
それに私の教育は愛情たっぷりなんですぅー。それでグレるなんてあり得ませんー」
「はんっ! 案外それが鬱陶しかったんじゃないの?
そもそも、私だってあの子には愛情を持って接していたわよ。悪影響なんて考えられないわ」
「私の愛が悪いって言うんですか!? それを言うならやっぱり紫様が原因だと考えるのが自然でしょう!」
「なんですって!? またやろうっての!?」
「望むところです!」
「やめんかーーーっ!!」
本日二回目の喧嘩が勃発したところで慧音さんの一喝が入りました。凄い音量で、私も紫様も竦み上がってしまいます。
そしていつの間にか、自然と正座をして彼女に向き直っています。無意識の行動でした。紫様も同じのようです。
「くだらないことで喧嘩している場合じゃないだろう。どちらも橙を愛していることは分かったから、仲直りしなさい」
「ふーんだ」
「つーん」
「さっさとしろ…。さもなくば…」
「藍、私が悪かったわ。ごめんなさいね」
「いえ…、私も随分ひどい事を言ってしまいました。お許しください、紫様」
「それでいい」
やっぱり喧嘩は良くありませんね。円満な主従関係が一番だと実感した今日この頃です。
いくらギリギリの精神状態だとしても喧嘩は駄目です。絶対反対です、うん。
でも、私としては『さもなくば…』の続きが気になって仕方がありません。何をされるところだったのでしょう…?
心なしかお尻がムズムズしますが、多分気のせいでしょう。紫様も頻りにお尻を気にしています。
「ともかく、ここで話し合っていても埒が明かない。本人に聞くのが一番だろう」
「ええっ!? 本気なの!?」
「そうですよ、いきなりなんてキツイじゃないですか! 何かワンクッション挟みましょうよ!」
「だまらっしゃい!
このままだとまた喧嘩するだろうし、それに早くいつも通りに戻りたいのだろう?」
「それはまぁ…、そうなんだけど」
「だったら直接対話で一発解決だ。それに、私だってそんなに暇じゃない」
「でも…、そんないきなり…」
「というか、ぶっちゃけお前たち面倒くさい」
「ひどい!」
慧音さんも思わず本音がポロリですね。
それにしても酷い言い草だと思います。私達はこんなに真剣に橙の事を考えているのに、それを面倒くさいだなんてあんまりですよ。プンプン、です。
「プンプン!」
紫様は声に出して憤慨を表現しています。正直この人がやるとキツイものがありますね。色々と。
よく見ると慧音さんも少し引いてます。それも仕方のないことでしょう。
「ま…、まぁ私もついていってやるから少しは安心しなさい」
「本当!? あぁ…、助かるわぁ」
「ありがとうございます、慧音さん」
「よし、そうと決まれば今すぐ行くぞ。案内しなさい」
「え…、今すぐ…? お茶でも飲んで一息つきませんか?」
「さんせーい」
「今すぐだ…。これ以上もたつくようなら…」
「こちらです、慧音先生。お足下にご注意くださいませ」
「最初からそうしていればいいのだ。ほう、これが噂のすきまか」
「慧音先生のお耳に入れるほど大したものではございません」
「では慧音先生、お手を引かせていただきます」
「ああ、頼む」
すごいです。ここまで謙った紫様を見るのは初めてです。ついでに言うと私もここまで媚びるのは初めてです。
だって慧音さんが凄んだ瞬間に、またお尻がピリピリしちゃったんですから仕方ありません。橙も怖いですが、慧音さんはリアルに身の危険を感じます。
それはさておき、とうとう橙との直接対決が現実のものとなってしまいました。正直勝てる気がしません。
なので、三人で協力して説得する体で、ほとんど慧音さんにやってもらいましょう。
紫様とアイコンタクトを交わし、頷き合います。意思疎通はバッチリです。
「ああ、私は傍にいるだけで口出しはしないからそのつもりで」
「「そんなッ!!」」
呼吸もピッタリでした。
~ ~ ~
「ちぇ…、橙ー。橙さんー、いないのー?」
「橙さまー。いらっしゃいましたら返事をしてくれー」
「…二人とも、喋り方がおかしいぞ」
「だって、機嫌を損ねたら大変じゃない!」
「そうです! わかって下さい、この気持ち!」
「まぁそれはいいとして、返事が無いな」
「そうねぇ。遊びに行っちゃったのかしら」
「そうかも知れませんね。では出直しましょう。お茶でも飲みませんか? 慧音さんの家で」
「それいいわね」
「許さん」
里の先生さんはとても厳しいお方です。誰かもっと私たちに愛を下さい。
あ…、目から心の汗が…。
「いないならば帰ってくるまで待つしかないだろう。それじゃあ私はこれで」
「ちょっと待って! もう帰るの!?」
「そうですよ! もっとゆっくりしていって下さい!」
「ええい、しがみつくな! 私は暇じゃないって言っただろう!」
「ならせめて橙が帰ってくるまででいいから! お願いしますって、本当に!」
「わかった、わかったから離せ! 服が伸びる!」
私たちの必死の説得に慧音さんは帰らずに済みそうです。よかったです。
そうと決まればお持て成ししなければいけませんね。今日は泊まっていってもらうくらいの気持ちでお持て成ししましょう。
だって、慧音さんには橙を更生してもらわなければ困ります。それまでは引き留めますよ、どんな手を用いようともね。
「ならとりあえず居間に入りましょう。そこなら落ち着けるでしょ」
「そうですね。ちょっと休憩したいです」
そう言って紫様は居間に続く襖を開けました。すると、そこには橙がいました。閉めました。
そして、三人揃って家の外まで走りました。光になりました。
「いるじゃん、橙いるじゃん!」
「知りませんよ! 私に当たらないで下さい!」
「心臓に悪いのよ! なんで不意打ちなのよ!?」
「だから知りません…! って、どうしたんですか、慧音さん?」
「い…、いや、金髪になったとは聞いていたが、あそこまで迫力があるとは思わなかった…」
「だから言ったでしょう!? 怖いって!」
「そうだな。身をもって実感したよ。うん、帰る」
「逃がさん!」
「な…! 離せ、離すんだ! お前たち家族の問題だろう!」
「いーえ離しません! こうなれば死なば諸共、一蓮托生です!」
「く…、相談を持ちかけられた時点でデッドエンド確定か…! 自発的に移動する蟻地獄なんて性質が悪すぎるぞ!」
「恨むなら自分の人望を恨むのね。この手離してなるものか…!」
粘着質だろうが何だろうが知ったこっちゃありません。こっちだって必死なんです。
生贄は多いほど良く、赤信号だってみんなで渡れば怖くないのです。
絶対に逃がしません。仮に逃がしたとしても、私たちが地の果てまで追いかけることでしょう。
「わかった…、もう諦めるよ…」
「本当? もう逃げない?」
「あぁ…。そもそもお前達からは逃げられそうにない」
「分かって頂けたようで幸いです」
そう、こちらにはすきまという反則技があるのですから、どこに逃げようとも関係ありません。
ここで逃げおおせようものなら当分平穏な暮らしはできないでしょう。すきまからいつもあなたの事を覗いていますよ…? 紫様が。
「こうなれば私も腹を決めた。お前たちも腹を括りなさい」
「と…、言いますと?」
「橙から逃げるな。真正面から立ち向かうぞ」
ああ…、多分そんな感じなんだろうなー、とは思いましたがズバリでしたね。
しかしなんて男らしいお方でしょう。あの橙を目の当たりにしていながら凄い胆力です。惚れちゃいそうです。
「このまま逃げていては何も解決しない。勇気を持って愛ある態度で接すればこちらの真心は通じるはずだ!」
「おぉ~…。なんという熱血教師ぶり。感動したわ!」
「ふっ…、伊達で寺小屋を営んではいない、ということさ。行くぞ、二人とも!」
「はい、お供します!」
というわけで、私達は再び居間の前にいます。
襖を開いた向こうには間違いなくスーパーサ○ヤ橙がいるはずです。体の震えが止まりませんよ。紫様もビクビクしています。
「紫様…、お体が震えていますよ…?」
「…これは武者震いよ。そういう藍だって…」
「これはマナーモードというやつです」
「無駄話はそこまでだ。早く襖を開けなさい」
「そうね。藍、開けなさい」
「いえいえ、先陣は紫様にお譲りします。どうぞ私にお構いなく」
その瞬間、私と紫様の間に火花が飛び散ります。
ラウンド3、ファイトです。
「前々から思ってたけどさぁ、ほんとあなたってそういうとこあるわよねぇ。何て言うかさぁ――」
「いや本当はこんな事言いたくないんですが、紫様の為を思って言うんですよ? ぶっちゃけた話、紫様って――」
「ハヤクシロ」
「「はい」」
ラウンド3、終了です。慧音さんの一人勝ちでした。
妙な力関係が成立してしまい、私たちは慧音さんに頭が上がりません。
「じゃあ藍、せーの…、いえ、けーねで行くわよ?」
「おい」
「了解です。ところでけー『ね』、で行くんですか? それとも一呼吸置くんですか?」
「『ね』で行きましょう。逃げるのは無しだからね。振りじゃないわよ?」
「そちらこそ。もし逃げたら当分安眠はできないものと思って下さい」
「言ってくれるじゃない…。それなら、もしあなたが逃げたらその自慢の尻尾が2、3本減ることを覚悟しなさい」
「望むところですよ」
「…望むのか? いいから早くしなさい。なんか疲れた」
慧音さんの冷静なツッコミが入りましたがスルーします。
私と紫様は目を見合せて、一つ大きく頷きました。決意を秘めた澄んだ眼をしていらっしゃいます。
「じゃあ今度こそ行くわよ、藍…。けー――」
「――ねっ!」
スパーンッ、と小気味のいい音をたてて襖が開かれました。
その中には案の定といいますか橙がいました。しかし、何か様子が変です。金髪だということを言っているのではありません。
橙は卓袱台の前に鎮座して、そこに顔を伏せっていたのです。どうしたのでしょうか。キレてしまったのでしょうか。怖い。
私と紫様は顔を見合せて、どうしたものかと首をかしげます。とりあえず声をかけるしかなさそうですね。怖いですが。
「ちぇ…、橙…? どうしたんだ?」
「どうしたの…、橙? 怒っていらっしゃるのですか?」
私たちがいくら話しかけても返事はありません。よくよく見ると、橙は静かに肩を震わせています。
あれですか? 怒る前兆ですか、橙さん?
「橙さん、私たちに不手際があったなら謝るわ! どうか怒りを鎮めてちょうだい!」
「そうですとも! 誠心誠意謝罪させていただきますとも!
ですから、どうか平にご容赦を!」
「……ひっ、ぐすっ……」
「…橙? 泣いて、いるのか…?」
「どうしたの…? なにがあったの、橙?」
橙が怒っていると思っていた私達は拍子抜けしてしまいました。
肩を震わせていたのは泣いていたからで、静かな居間に橙の嗚咽が響きます。
立ち尽くす私たちは戸惑うばかりで、橙はさらにぽろぽろと涙をこぼしてゆきます。本当に何があったのでしょう。
「橙、泣いてばかりじゃ分からない。何があったのか話してくれないか?」
「そうよ。ゆっくりでいいから話してごらんなさい」
「ら…、藍さまぁ…。紫さまぁ……。う…、うわぁぁぁん」
橙はとうとう声をあげて泣き始めました。そして、私たちに向かって飛び込んできたのです。
この子くらいの体格ならば難なく受け止めることはできますが、やはり驚いてしまいます。
ただひたすらに泣きじゃくる橙を抱きとめて、ゆっくりとその背を撫でることしかできません。紫様もそれは同じの様です。
私達は、いつも元気いっぱいの橙がここまで泣くのを見たことがありませんでした。
「ひっく……。私はぁ…、私はいらない子なんですか……?」
ようやく話をしてくれたかと思ったら、橙の口から予想もしていなかった言葉が飛び出しました。
橙がいらない子。どうしてそんなことを考えてしまうのでしょう…。
「橙…、どうしてそんな事を言うんだ…?」
「だって…、だって……!」
「焦らなくてもいいから。少しずつ話して…、ね?」
「…ぐすっ……。はい……」
二人で橙を宥めながら、静かに言葉を待ちます。
先程と同じように背を撫でながら、今は金色になってしまった髪を梳きながら、静かに待ちます。
少し落ち着いたのでしょうか、橙は再び口を開きました。
「あのね…、私は……、いつも仲間はずれだったんです…」
「仲間はずれ…?」
「うん……。私だけお二人と違って…、弱いし、八雲も名乗れないし…」
「そんなことないわよ…。橙は頑張ってるわ」
「それに…、お二人みたいに仲良くだってありません……」
「そんなこと…」
「あるんです! 私は…、甘やかされているだけです……。お二人の様な本当の絆が無いんです…」
それはきっと、私たちが気軽に口争いしたりじゃれ合ったりしていることを言っているのでしょう。
それを言われると正直、辛いです。私と紫様がここまでの関係になるのには、途方もない時間がかかっています。
私の式となってまだ日が浅い橙には、それが眩しく思えたのかも知れません。だからこそ、自分だけ仲間はずれという、疎外感を感じ続けていたのでしょう。
それに言われてみれば、私も紫様も、橙と喧嘩をしたことなんて一度としてありません。
それは幼い橙を想ってのことだったのですが、この子にしてみればそれが甘やかされていると感じられたのですね。
「それに…、今日だって二人とも、私の顔を見るなりどこかに行っちゃって……、それで…、私は本当にいらない子なんだって…」
「それは……、違うんだぞ? お前がいらない子だから、だからお前を避けていたわけじゃないんだ」
「そうよ、橙。それに…、あなたにまだ八雲を名乗らせないのには訳があるんだから」
「ぐすっ……。なに、紫さま…?」
「あなたは自分が弱いからまだ名乗れないって考えているみたいだけど、違うのよ。
あなたはもうそこらの妖怪に負けないくらいの力は備えている。だけどね、まだ心が幼いのよ」
「ここ…、ろ…?」
「そう、心。八雲の姓はとても重い。それは私という存在の所為かも知れないわ。
私達は八雲と聞けば、まず思い浮かべられる存在なの。望もうが、望むまいがね…」
「そうだ。そして、次に思われるのが『力ある妖怪』ということなんだ。
ただでさえ妖怪なのに強力ときたら、人の恐れはすさまじいものがある。それに――」
「人だけじゃない。くだらない妖怪からも妬まれるわ。そして、絶えず憎まれる。
なぜあいつらだけあんなに力を持っているんだ、ってね。誰からも羨望される代わりに、誰からも恐れられ、憎まれる者…、それが『八雲』よ」
「お前の心は、まだそれに耐えられないんだ…。幼すぎるから…」
「決してあなたを仲間はずれにしようとして、意地悪しているわけではないの…。わかってくれる?」
「……さま、も……」
「ん…?」
「藍…、さまも…、私と同じだった…?」
橙のその言葉に、懐かしい記憶が甦りました。
まだ幼かった私と紫様が、ちょうど今の様に…、橙と私たちの様に抱き合っている光景です。
あぁ…、本当に懐かしい。今思い起こせば、随分紫様を困らせたものでしたが、それでも苦笑交じりに優しく諭してくれたのを、今でも覚えています。
「そうだな…、同じだよ。私も、紫様に同じことを言った」
「ふふ…、懐かしいわね。藍にもそんな頃があったのよ、橙?」
「そう……、なんだぁ…」
「橙の為と思って今まで傷つけないように接してきたが、それはお前の為になっていなかったのだな…。すまなかった、寂しい思いをさせてしまった…」
「私も…、ごめんなさいね」
「藍さま…、紫さ…、ま……。うわぁぁぁん!」
橙は先程よりも大きな声をあげて泣き出しました。まるで、今まで溜め込んでいたものを吐き出すかのように大きく。
いつかの私の様に、橙は泣きます。だから、それを受け止めるのが私たちの役目だと思いました。
それにしても、私は本当に自分が馬鹿だと思いました。橙はいつも通りのいい子だったのに、外見に惑わされるなんて。
それに、私だってこんな風に紫様と沢山ぶつかって、それで本当の絆を築いてきたのに、どうして橙にはしてやれなかったのか…。
「藍…」
「なんでしょう、紫様」
「これまでの事を悔いても意味が無いわよ」
「……はい」
やはりこのお方は凄いと思いました。私の考えなどお見通しの様です。
でも、その通りだとも思いました。私たちにはまだまだ時間があります。これから頑張っていけばいいだけの話です。
「なぁ…、橙…」
「ひっく……、ぐすっ………?」
「これから、いっぱい喧嘩しような」
「藍…、さま……」
「あら、もちろん私も混ぜてくれるわよね?」
「当然です」
「紫さま……。ありが……、と…。うわぁぁぁん」
私たちは、少なくとも私は今日という日を決して忘れないでしょう。
私たちが本当の家族としての第一歩を踏み出した今日を…。
~ ~ ~
「やれやれ、雨降って地固まる、とはこのことか。いや、雨はあの二人が勝手に降らせていたのか?
なんにせよ丸く収まって良かった。良かったとは思うのだが…、私の存在がちょっと空気過ぎないか…?」
少し長かったかなぁ……と。
紫様を「あと5ヘルツ」とかも面白かったし、二人のやりとりや、
慧音を巻き込んだのも良かったんですけどね。
でも、最後には染めた理由などが解って安心。
橙がやさぐれたのは見たくないよ、うん。
可愛らしい橙が好きです。
幻想郷で黒髪のほうが珍しいせいだよチクショー。
この二人のけんかは面白いです
ケンカが面白かったです。
途中のかけあいの軽妙さも楽しめただけでなく、後半の橙のセリフに説得力を
与えてましたし良かったと思います。
ただ最後がちょっと急だったかなという印象をうけました。
オチとしてはこれでいいんだと思いますし、どうしたらいいのかとかはわからないのですが
なんだかラストシーンに浸る前に終わっちゃった感じでした。
「骨折り損のくたびれけーね」
っていうやつですか?
日常系の。
それにしてもよく考えるまでもなく、けーね先生いらないような気がする。
八雲家の事情で済む話であればそうしたほうが物語的には締まるので、なんとかして欲しかった。
勘ですが、描写次第ではたぶん三人でよいし、三人でなんとかなりそう。
ああ、でもけーね先生がうまく書けてないわけではないので悩みどころですね。
いわば、意味性をとるのか、あるいはそういう冗長なところを楽しむべきなのか。
小説とは究極的には一行の真実のために百の言葉を尽くすものであり、冗長なものなのですから。
書きたいように書くのが良いのかもしれません。
あと、きっかけというべきか。なぜそんなに思いつめるようになったのかというのを書くか書かざるべきかというところでももしかして悩みどころなのかもしれませんね。書かないことによってなんだろうと思わせる効果があるのは確かです。謎は読み進める動力になりえます。
そうか、金髪=不良という等式が幻想入りしたんですね。
やっぱり…?
盛大にふいたwww
もっと慧音がはっちゃけて活躍してくれたらよかったなあ
ところどころに見られる絶妙なセリフでお腹が痛いです。
しかしオチがわかっているからこそ二人の親の会話が面白かったです。
しいて言うなら、もう少し橙の描写があると良かったかと。
次回作も期待してます。
>ところでけー『ね』、で行くんですか? それとも一呼吸置くんですか?
面白かったです。
強いて言えばもう少し表現に凝ってくれてもよかったかな、と
>謎の魔法使いM
m・・・マ・・・マーリンか!?(誰
>自発的に移動する蟻地獄
吹きました
確かに性質が悪すぎるw
なんというアグレッシブはトラップw
せーのじゃなくて「けー……ね!」
一言だけ感想を。
面白かった!!
GJ