Coolier - 新生・東方創想話

スターダスト

2008/12/05 00:53:42
最終更新
サイズ
26.55KB
ページ数
1
閲覧数
1324
評価数
6/41
POINT
2240
Rate
10.79

分類タグ


星に手が、届かない。










『スターダスト』










自分の家だというのに庭に出るのが随分と久しぶりだったものだから、まず私は辺り一体のあまりの白さに肝を抜かれた。冬には雪が降るものだとは分かってはいたものの、こうも全てが覆い尽くされてしまうなんて思ってもいなかったのだ。
夏の間、ずっと咲き誇っていたあの真っ赤な花々はどこへ行ってしまったのだろう。正直な所、熟しすぎたラズベリーが滲んだような赤色は私はあまり好きではなかったけれど、それでも美鈴がとても嬉しそうな顔で「毎日世話をしてるんですよ」と言っていたものだから、私にとって彼女たちは壊してはいけない大切なものに分類されていた。それがこうも真っ白に埋まってしまうなんて酷い話だ。花の命は短いから、彼女らは夏の終わりと共にその花弁を散らしてしまっただろうということを理解はしていても、それでもやっぱり理不尽に思う。

「冬って、嫌だなあ」

小さく口に出してみると、美鈴は首を傾げて「何がです?」と私に問うてくる。
説明するのが面倒臭かったので「なんでもないよ」と私は首を横に振った。美鈴はそれを違う意味で受け止めたらしく「ああ」と大きく頷く。

「寒いんですね、妹様」
「寒くないことはないけどさ、違うよ。…まあいいや」
「違うんですか?あ、でも、それはともかく、あんまり薄着だと風邪ひいちゃいますよ」
「美鈴に言われたくないー」
「私は頑丈ですし」

というかそもそも妖怪はほぼみんな頑丈な身体を持っているのだから、ちょっとやそっとの寒さじゃ風邪なんてひくはずもなかった。吸血鬼という種族である私は尚更、そういった病の類にはかかりにくい。けれども、薄着では寒さを感じることには変わりはなく、日々の大部分を暖かい部屋の中で過ごしていたせいで冬の寒さを甘く見ていた私は今ちょっと寒い。
美鈴はホットチョコレートみたいなブラウニーと臙脂色のチェック柄のマフラーを首に巻いて、手には暖かそうな毛糸の手袋を嵌めていた。私に比べればまだ暖かそうな彼女の格好も、この雪景色の中ではひどく寒そうに見える。
まあそれでも、雪が降っていないだけましなのだろう。地面や紅魔館の屋根、赤いレンガ塀に結構な量の雪は積もっているけれど、今日の天気は雲ひとつない快晴だった。きんと冷えた冬の空気に、穏やかな太陽の光が染み渡っている。

「そのマフラー、いいね。あったかそう」

私は塀に寄りかかりながら、同じように立っている美鈴を見上げた。美鈴と私の身長では高さがだいぶ違うので、必然的に私が美鈴を見上げるかたちになる。

「暖かいですよ。妹様は薄着ですし、これ、貸しましょうか」
「ほんと?やったー。それ、美鈴が編んだの?すごく綺麗に編めてるけど」
「いえ、これは咲夜さんが。貰ったものなんですよ」

なんてことをマフラーを解きながら平然とした顔で美鈴が言うので、私は「はい?」と声を上げて美鈴を見上げる。
美鈴は少し不思議そうな顔をした。駄目だこいつ、分かってない。

「それって私が借りたらまずいじゃん。大切なものでしょ?」
「いや、確かに大切ですけれど、お貸しするだけなら特に何も」
「駄目だよ。咲夜は美鈴に付けてほしかったから美鈴に上げたんだよ、そのマフラー。私が巻いてちゃ駄目だって」

これだから美鈴は鈍いだとか抜けてるとか言われるのだ、言ってるのぜんぶ私だけど。ともかく、私には美鈴が咲夜から受け取ったマフラーを巻いてまで暖を取りたいという気はない。咲夜は美鈴のこんな性格を充分に知っているだろうから、私の首に巻かれたこのマフラーを見ても別に何も思わないかもしれないけど、それでもやっぱり嫌なものは嫌だ。
美鈴もそこらに少しは気を使えばいいと思うのだ、いざというときには信じられないくらいに人の感情に聡いのに。
…それに、少し気を抜いただけで何かを壊してしまうような私が、美鈴の大切なものを預かるのはなんだか気が引けた。もし間違えてこのマフラーを壊してしまったら、きっとそれこそ取り返しが付かないから。

「…そう、ですかね」
「そうだよ」

美鈴は少し考え込むような顔になって、自分の頬に手を当てる。その鼻の頭と頬がいつもよりも少し赤くなっていた。種族柄である、私の血の通っていないような青白い手と比べると、ひどく綺麗な色をしていると思う。やがて、何かを考え付いたように美鈴はぽんと手を合わせた。

「分かりました。じゃあ、こっちはどうでしょう」

美鈴はおもむろに手に着けていた手袋を外し、重ねて私の鼻先へと差し出した。一瞬躊躇してからそれを受け取る。美鈴の髪と同じ、鮮やかな朱色をしていた。

「…ん」

私はまじまじと受け取った手袋を眺めた。なんというか、マフラーに比べて縫い目がちょっといびつだし、緩かったのかほつれかけている部分もある。けれども、とても丁寧に作られたのが分かる手袋だった。一目で美鈴が不器用ながらに編んだものなのだと分かった。

「あげます。サイズは合わないしあんまり上手に出来てないんですけど、あったかさは保障しますから」
「…うん、じゃあこっち貰う。ありがとう」
「あんまりお身体を冷やさないようにして下さいね」

美鈴が柔らかい微笑を浮かべた。ありがとう、ともう一度そう言って、私は美鈴の腰に抱きつく。美鈴は背が高いから、私が首に手を回そうとしてもちょっと届かない。けれども、美鈴はそんな私の髪を撫でるようにして優しく漉いてくれた。
私は受け取った手袋をそっと両手に嵌めてみる。今まで美鈴の手に触れていたせいか、微かな人肌のぬくもりを感じた。今まで真っ白で冷たかった指先に温かな血が通う。私と美鈴では文字通り大人と子供ほどに手の大きさが違うから、手の甲の部分はぶかぶかだったし、指先も余って仕方がない。それでも、とても暖かかった。
一見ちょっと間抜けな見た目になってしまった右手を撫でながら、間違ってもこの手を握り締めてはしまわないようにとかたく心に刻み込んだ。紅魔館のひとたちと話し、彼女たちに何かを与えられる度に、私には壊したくないものが増えていく。与えられたのが物だろうが感情だろうが、絶対に壊してはいけないものばかりだ。私はどれくらいの間、それらを大切に、傷つけないままに抱きかかえていることが出来るのだろうか。





―――





部屋に戻った私を待っていたのは、温かな湯気をほこほこと立ち上らせているホットミルクだった。外は寒かったでしょうと咲夜が持ってきてくれたもので、私は素直に礼を言ってそのマグカップを受け取った。私のこのマグカップは私にしては随分と長く使っているものなのだが、咲夜が時間を止めて保管してくれているのかあまり傷や傷みは見受けられない。
一口ミルクを口に含むと、程よい甘い温かさが口の中に広がる。

「おいしい」
「ありがとうございます」

この甘さと風味を見るに、どうやら少量の蜂蜜とブランデーが加えられているらしい。夜中に飲めば次の瞬間には即効ベッドに向かいたくなるほどに眠気を誘うような飲み物だったが、まだ午後になったばかりである。もっとも、お姉様は今もずっと自分のベッドの中で寝ているのだろうし、吸血鬼社会の常識で言えばそちらの生活の方が正しいと言えるのだろうけれど、残念ながら私は昼型の吸血鬼なのだ。
ミルクと一緒に持ってきたらしいミルフィーユの皿をテーブルに置きながら、咲夜が訊ねる。

「お外はいかがでしたか」
「ん、寒かった。すごいね、あんなふうに一面真っ白になるんだね、冬って」

多分今までにも冬の時期に外に出たことがないわけではないのだろうが、多分あったとしてもずっと昔のことだろう。少なくとも今の私の頭の中にはそのような記憶はない。パチュリーに聞いていた雪だるまというものを作ってみたい気持ちもあったけれど、結局今日の私は雪に触れた程度で中へと戻ってきてしまった。
マグカップに両手で包み込むようにして触れると、指先がじいんと温まってゆく。直手で雪を掬い上げたために指先はそこそこに冷えていた。それでも、美鈴がくれた手袋のおかげで、部屋に戻る頃には少しは温まっていたのだけれど。

「また明日も外に行こうかなあ」
「遊びに行かれるのは結構ですが、寒さには気をつけてくださいね。クローゼットの中にコートを入れておきましたから、外へ行かれる際はお召しになってください」
「そんなしょっちゅう外へ出るわけでもないし、気にしなくていいのに」

柔らかなミルフィーユにフォークを差し込みながら私は返事をした。最近は少しずつ美鈴と話すがてら外へと出る機会も増えてきたけれど、それでもやっぱり紅魔館の敷地から出てみようという気は起きない。外の世界を知りたくないわけではなかったけれど、なんだか、私には分不相応な気がしてならなかった。
第一、外へ出たとして、私はなにをすればいいというのだろう。きっと私は紅魔館にいるときと同じように簡単にいろんなものを壊してしまうだろうということは分かっている。だからこそ、外に出てみようという気が起きないのだ。門から飛び出した途端にぐっと近くに感じられるであろう暖かな太陽も、青々とした木々も、爽やかな風も、私のようなやつが壊してしまうにはあまりにも勿体無いくらいに輝いているに違いないから。
けれども、こんな私でも、庭で大人しく美鈴と話すくらいならきっと神様も許してくれるだろう。所詮ぜんぶ私の勝手な想像に過ぎないけれど。もくもくとミルフィーユを頬張りながら私はそんなことを考える。

「でもさあ、なんで冬ってこんなに寒いんだろうね。嫌いじゃないけど、私はやっぱり春や秋が好き」
「冬には冬でいいところがあるのですよ。温かい甘いものが美味しくなる季節ですし、何より夜が綺麗ですから」
「夜がきれい?」

私は聞き返す。暑い寒いは置いておくとして、季節ごとに夜が綺麗かそうじゃないかなんてあるのだろうか。
さっきも言ったように私は昼型の吸血鬼だし、外にも滅多に出ないから、幻想郷の夜がどんなものかなんてのはほとんど知らない。しかし、咲夜は頷くと柔和な微笑を浮かべる。

「ええ。空気が澄んでいるから、星がとても綺麗なんですよ。まるで宝石みたいにきらきら光って」
「宝石ねぇ」
「妹様の羽根にも似ていますね」

私は肩をすくめる。安っぽく輝くだけのこのいびつな羽根が私は嫌いだ。こんなことを言うと咲夜が悲しそうな顔をすることは分かりきっているから、間違っても口には出さないけれど。
けれども、咲夜の言う「綺麗な夜」に私は少しばかりの興味を持った。咲夜は否定的な意見こそ口に出しはしないけれど、思ってないことだって同じように口には出さない。その咲夜がとても綺麗だと言うのだから、きっと本当に綺麗なのだろう。ここは神々だって恋をするくらいに美しいと謳われる幻想郷なのだから、その夜もやはり幻想的で美しいものなのだろうか。分厚いガラス越しに館の中から天涯を眺めるばかりだった私が知っているはずもなかった。

「ねえ、咲夜―――」

今晩、星を見に行こうよ。そう誘おうとしてやめた。
咲夜はきっと快く付いてきてくれるだろうけれど、彼女はメイドの仕事やらお姉様のお守りやらで忙しいだろうから。
それによく考えれば、私にとっては知らない冬の空は咲夜にとっては充分に見慣れたものであるはずだ。わざわざ咲夜に寒い思いをさせてしまうというのは心が引けた。

「はい、なんでしょう」
「…んー、なんでもないや。ごちそうさま」

食べ終わった皿の上にフォークを置く。いつもながらに美味しかった。咲夜はお菓子を作るのが上手いんだねと感心しながら言うと、「パチュリー様から頂いた秘密の隠し味を混ぜてありますので」と意味ありげに笑う。咲夜がこんなふうに言うときは大抵冗談なのだけれど、稀に本気で言っている場合もあるので油断できない。秘密の隠し味ってなんだろうと頭を巡らせようとしたが、ろくな想像にならなそうだったので中断する。冗談の方だったと信じたい。
私は脱いだ後向かいの椅子の上に置いておいた、美鈴から貰った手袋に手を伸ばす。ホットミルクと暖かな部屋の空気のおかげで手はすっかり温まっていたけれど、ちゃんと自分でしまっておこうと思ったのだ。
私が手に取った朱色の手袋を、咲夜は不思議そうな顔でしげしげと眺める。

「サイズが違うようですが、どうされたんです?」
「ん、貰ったの。ちゃんと新しい手袋付けるように言っといて」

私の言葉にぱちりと瞬きをし、やがて意味が分かったらしい咲夜は呆れたような表情を浮かべる。
「あの子は凍傷でも起こしたいのかしら」と小さく呟き、けれどもまったくしょうがないなあというように微笑んだ。

「新しい手袋、作ってあげた方が良さそうですね」
「それがいいと思うよ。下手くそだし、これ」
「ええ、本当にそうですわね」

可笑しそうに笑いながら、けれどもその手袋を撫でる咲夜の手の優しいこと。
かなり温くなってしまったホットミルクを飲みながら、咲夜は本当に美鈴が大切なんだなあと感心して見ていた。いとおしさだとか、慈しみだとか、そんな柔らかな感情がその手と表情から静かに滲み出ている。きっと自分の手が冷えるのも構わずに私に手袋を渡してしまうようなひとだからこそ、咲夜は美鈴を好きになったんだろう。
そんな咲夜を見るのはなんだか微笑ましくて嫌ではなかったけれど、純粋に、少しだけ羨ましいなと思った。誰かのことが好きで、相手も自分のことを好きでいてくれて、そんなことがただ心から羨ましく思える。例えそれがどんなに短い時間であっても、その2人にとってはいっとう幸せで平穏な時間に違いないだろうから。





―――





パチュリーに声を掛けてみようかとも思ったけれど、それもやめた。彼女の虚弱体質はこの真冬の外気に触れるにはあまりにも向いてなさすぎる気がしたから。第一、パチュリーは面倒臭がって図書館から出ようとしないだろう。一見神経質なように見えても、パチュリーは意外とずぼらだったり面倒臭がりだったりする。
そんなわけで、地下にある自分の部屋から出た私は適当な窓を探して一人で廊下を飛び回っている。外へ出て門前を訪れる、もしくはテラスから見るという手もあったけれど、どうせ空を見るのだったら、やっぱり高い位置で見てみたい。要は屋根にでも上るのが一番だろう、という結論に私は至ったわけだ。適当な窓から出て屋根へと飛び上がればいい。
紅魔館は窓が少ない上にやたらと広いから、窓を見付けるだけでも一苦労なのだけれど。…ああ、あったあった。咲夜を筆頭としたメイド達の日々の努力により、シンクに埃ひとつ積もっていない綺麗な状態が保たれている。
辺りに誰もいないことを確認すると、私はなるべく音を立てないようにして窓を開き、そこから空中へと飛び上がった。
外気に触れた途端に、張り詰めた冷たすぎる空気が頬をぴりぴり刺激する。思わず声が漏れた。

「…寒う…」

咲夜が用意してくれてあったコートを着てはいたのだが、それでも寒いことには変わりなかった。手袋はしていない。屋根に積もった雪をかきわけるときに、雪で濡れてしまうのが嫌だったから、部屋に置いてきたのだ。ちょっとだけそれを後悔しながら、私は今にも凍てつきそうな指先に息を吹きかける。
いつまでもこうしていても仕方がない、私は星を見ると決めたのだ。私は静かに窓を閉めると、一気にそこから飛び上がる。なるべく上へ、上へ。冷たい風を切りながら、羽根を羽ばたかせることなく私は飛ぶ。
やがて紅色と白色が層のように積み重なっている屋根が見えたので、私はスピードを落とし、そっとそこに足を着けた。
ざくりと昼間のときと同じような音を立てて、雪は私のぶんの体重を受け止めた。

(はー…)

さっさと手で雪を払いのけ、そこにゆっくり腰を下ろして、私は初めてここで息を吐いた。なんというか、とんでもなく寒い。
昼と夜でこんなに気温が違うものだなんて思ってもいなかった。あまり長居は出来そうにないなと内心で呟きつつ、さて、と意気込んで上を見上げる。
結構な期待感を胸に秘めて、それを抑えつけながら仰ぎ見た空は。

息を、飲んだ。

「うわあ」

思わず声に出してしまう。真っ暗な空には本当にぎりぎりしか見えない眉月、そして星があった。
飛んでいたときは屋根ばかり見ていて分からなかったけれど、私が初めて見た冬の星空は、私が今までに見たどんなものよりも眩く、光り輝いている。

(…すごい)

私は今までの寒さも忘れて、ただにその夜空に見入ってしまう。
星空とは、こんなにも綺麗なものだったのだろうか。幾千億もありそうなその白い光の粒は、幻想郷を見下ろすかのようにずっと遠くまで続いていて、まるで終わりというものを知らないようだった。満天の星空、なんて今まで本で読んだことしかなかったけれど、私の頭の中で思い描かれていたそれを、目の前の光景は遥かに超えてしまっている。
どこまでも暗く深い冬の夜空に浮かんでいる星は、まるで黒い湖の水底にばら撒いた小さなガラスの欠片のように見えた。咲夜は星のことを宝石に喩えていたけれども、あいにく宝石なんてほとんど見たことがない私にはそれが正しい表現なのかどうかどうか分からない。つくづく自分は知らないことだらけで嫌になる。
やっぱり閉じこもってるだけじゃ分からないことってたくさんあるのだ。そう思った途端、うちにいる本の虫の魔女のことが真っ先に思い出されて、私は噴き出しそうになってしまった。もっとも、彼女の頭の中には本で得た知識以外にもちゃんといろんなことが詰め込まれているのだろうけれど。

ああ、それにしても。冬の夜空がこんなにも綺麗だなんて知らなかった。

頭上で光っているそれに、どうしてもこの手で触れてみたくて私は手を伸ばす。何かを壊すためではなく、何かを掴もうとして右手を掲げるのは随分と久しぶりのことだった。
しかし、星に手が届かない。大粒の星たちは、私の手よりもずっと高いところで、笑うように光り続けていた。

もし今私が意識してこの手を握り締めれば、あの星たちはきっと一瞬で爆ぜて、ばらばらになってなくなってしまうのだろう。目では到底見えないような、細かなガラスの破片だけを残して。
そんなのは嫌だな、と思った。どんなにきらきら光っていても、どんなに美しい破片であっても、見えなくなってしまうのは嫌だ。
けれども、このまま私がどんなに手を伸ばしていても、あまりにも高いところにあるあの星々に手が届くことはきっとない。飛べようが飛べまいがそれはきっと同じことだ。私のこんないびつな羽じゃあ、とてもあんな高い場所まで飛んでいくことは出来ないだろう。

捕まえることは出来ないのに、壊すことはあまりにも容易く出来てしまうんだな。

「……」

…気が付くと、がち、と奥歯が嫌な音を立てていた。ひどく冷たい冬の空気は、いつのまにか私の周りにまた戻ってきてしまっている。それは今にも私の頬を凍てつかせようとしていた。すうっと、高揚していた体が冷えていく。
…つまらない。掲げていた右腕を、ゆっくりと下ろす。

その右腕に、私のものではない誰かの冷たい熱が触れた。

「隣いい?」
「…どーぞ」

どうしてここにいるのだろうとか、どうしてここが分かったのだろうとか、考えることは色々あるけれども、私はとりあえず返事をして、自分の右手に重なっているお姉様の左手に目を向けた。
レミリア・スカーレットは私と同じようなコートを着て、名をもじったような真紅のマフラーを巻いた出で立ちでそこにいる。お姉様は「よいしょ」というなんだか年寄り臭い掛け声と共に、けれどもやっぱり洗練された優雅な動きで、私の隣に腰を下ろした。
私は自分の手に触れたままのお姉様の手に目を落とす。

「…お姉様、手」
「ん」
「爆ぜてもしらないよ」

私の右手になんて、誰も触りたがらないのに。
ちょっと手を引きながら私が言うと、お姉様は笑って「爆ぜないわよ」とそう言った。どこから出てくるんだろう、その自信。腕を吹っ飛ばされてからじゃ遅いのに。
星に手を伸ばすなんてなまじ恥ずかしい場面を見られてしまったため、咄嗟に言葉が浮かんでこない。何かを喋ろうと思って一度口を開くけれど、やっぱり何も言わないまま私は口を閉じてしまう。
黙ったままの私の顔を見て、お姉様はまた可笑しそうに笑った。

「フランも年頃になったものねえ。この夜空の美しさが理解出来るようになったのね」
「咲夜が綺麗だって言ってたから、気になって来てみただけ。お姉様、私がここにいるって咲夜から聞いたの?」
「さあ、どうかしら」

お姉様はそう言ってわざとらしく肩をすくめてみせる。きっと、咲夜の仕業なのだろう。でなければ、普通はこんなところまで妹を探しにくる姉なんていない。
私はひとつ息を吐く。白く凍てついたその息は、やがてぼけるように夜の闇に溶けていった。

「冬の星、初めて見たよ」
「あら、そうだったの」
「綺麗なのね。見上げたときにびっくりしちゃった」

お姉様の表情からはいつの間にか笑顔が消えていた。
けれども、とても穏やかな表情で、私の声にただ耳を傾けてくれているようだった。悪魔だなんて信じられないくらいに優しい色の瞳で、お姉様は私を見ている。どこかで、見たことのある瞳の色だった。
お姉様は頬杖を突くと「そうね」と小さく呟くように言う。

「その割には、さっきは冴えない顔していたけれど」
「……」
「美しい星に心打たれているって表情じゃなかったわよ」

お姉様が小さく笑うと同時に、私と同じような白い息がほうっと立ち上った。私は「…ん」と小さく唸って、頭上の星から自分の膝に視線を落とした。若干どう言おうか迷ってから、口を開く。

「…なんだかさあ、ちょっと悔しくなっちゃって」
「悔しい?」
「あんなに綺麗だから、自分でも触ってみたくなったんだけど、…はは、やっぱり、それはさすがに無理みたい。でもさ、何も欲しがってるわけじゃないんだし、触るくらいは許されてもいいと思うんだよね。でも手が届かなくて」
「だから悔しいのね」
「そう」

私が短くそう言うと、お姉様は私から視線を外して空へと向ける。呆れられちゃったかな、少なくとも私がお姉様の立場だったら、妹に突然こんなことを言われたら困惑してしまうだろう。私は何か言葉を続けようかとも思ったけれど、結局浮かびかけた単語を全て飲み込んでから、お姉様と同じように星を見る。
透き通るような紺色の空の中で、眩い光を放っている星の存在はやっぱり圧倒的だった。白一色のように見えて、赤、青、黄、緑。目を凝らしてみると、それぞれがひとつひとつ違った色をしていることが分かる。あれはそれぞれが今の私にとっての太陽であり、木々であり、風であり、外の世界のすべてなのだろうか。目が眩んでしまいそうなくらいに輝いているそれに触れてみたいと願うけれども、どうあがいたって手は届かないし、無理に捕まえようとしても間違って壊してしまうだけ。結局のところ私は、こうして紅魔館の中からただじっとそれを見上げることしか出来ないのだろう。出来なくて、それで良かったはずだったのに、いつから、それだけじゃ足りなくなってきしてまったのだろうか。こんなに高い場所から星を見ているというのに、どうして手が届かないことが不満に思えるのか。
別に全てを投げ打ってでも星に触れてみたいとか、そこまで強く願うことじゃない。ただ、やっぱり、ちょっとだけ悔しい。
紅魔館の高い屋根から星を見るのが嫌なわけじゃない。けど、紅魔館ではない別の場所からこの幻想を見上げていたいという思いも、少しはあるわけで。

「…ねえ、フラン」

お姉様が何かを言いかけ、一度そこで言葉を切る。考えるときに顎に手をやるのは、ずっと昔からのお姉様の癖だった。薄い唇に指を当てながら、お姉様は静かな口調で言う。

「本当に星に触ってみたいって、そう思う?」
「思うよ。けどさあ、笑わないでよ、幼い妹の戯言だと思って聞き流してね。笑ったら私怒るからね」
「分かってるわよ、笑わない」

そう言いながらお姉様はふっと柔らかな表情になった。さっきまで私を見ていた穏やかな瞳が、また私の目をしっかりと見据えている。不意にその手が伸ばされて、帽子の上からくしゃりと頭を撫でられた。

「わふ」
「よし、じゃあ、あれよ。あのロケットってやつをもう一回作って、今度こそそれで星まで行けばいいんだわ」
「はあ?あれ失敗したんじゃなかったっけ」

いきなり何を言い出すんだ。しかしお姉様はふふんと鼻を鳴らし、少し得意そうに胸を反らせて言う。

「失敗は成功の元なのよ、フラン。今度こそ上手くやればいいの」
「なんというか、無謀だね。そしてロマンの欠片もない」
「魔法によって作り出されるロケット、そこにロマンはあるのかしら、ってね。それにね、」

お姉様は私の頭から手を離し、再びその手で頬杖を突く。
にやりと笑ったその顔は、いつも通り実に悪魔らしいお姉様の顔だった。

「完成があんまり遅かったら、飛んでいけばいいだけの話よ。私たちの背中についているものは飾りじゃないでしょう」
「いやそれ無理だって。いくらなんでも私らがあんなとこまで飛べるはずないって」
「飛べるよ」

お姉様が不意に真剣な口調になったものだから、私は言葉を詰まらせた。冷たい手が私の頬にひたりと当てられる。冷たいけれど、確かなひとりの吸血鬼の体温が、そこにあった。
お姉様の顔付きが、さっきまでのふざけが含まれた笑顔ではなくなる。
どこかで見た綺麗で柔らかな感情でいっぱいの表情になる。


「私たちが二人で飛んだなら、あんな高さどうってことないわ。私があそこまでフランを引っ張ってってあげる」


ああそうか、今のお姉様は、昼間の咲夜とおんなじ目をしているんだ。
やさしい優しい、綺麗な紅い瞳を見ながら思う。

私には茶化すための言葉が見付けられず、何も言わないままにその双眸を見返していた。
あの星たちまで飛んでいくだなんて馬鹿馬鹿しいにも程があるかもしれないけれど、お姉様の羽根は私と違ってとても綺麗なかたちをした漆黒の羽根だから、もしかしたらあそこまで飛んでいけるのかもしれないなんて本気で思った。私の片手を引いて、あの綺麗な星に触れられるくらいに近くまで。お姉様なら、きっと出来るに違いない。本当に、そう思ってしまったのだ。
ぎゅうっと胸の奥に何かの感情が集ってくる。それを悟られたくなくて、私は小さく笑い声をこぼした。

「…うわあ、その台詞すごい臭いよ」
「あれ、かっこよく決めたつもりだったのに」
「かっこよくない。周囲の気温が2度くらい下がったわ」
「2度ならどうってことないわね。もう既に氷点下なんて超えてそうだもの」

寒いわね、と呟きながらお姉様がマフラーに顔をうずめる。この寒空の下ではよく映えて見える、スカーレットの色をしたマフラーだ。私は少しだけ躊躇したあと、思い切ってお姉様の方へ身体を寄せる。

「何」
「寒い。入れて」
「どうしてマフラーしてこないのよ。咲夜が用意しておいてくれたんでしょう?」
「こんなに寒いと思ってなかったのよ。誰かさんのせいで」
「悪かったわね」

それでも、はい、と差し出されたマフラーの片側を自分の首にそっと巻きつけた。長いマフラーだからまだだいぶ余裕があるけれど、それでも私はお姉様の近くへまた少し近づく。
ほとんど密着するような位置にきてから、私は自分が軽い眠気を覚えていることに気付いた。思えばいつもだったらとっくに寝ているはずの時間なのだ。お姉様にとって夜は活動の時間帯でも、私にとっては安眠の時間なのである。
ふわあと大きく欠伸をすると、お姉様が呆れたように私を見た。

「夜更かしするから。眠いの?もう中へ戻る?」
「やだ。…もうちょっと、ここにいたい」
「やけに甘えるわね」
「なんとでも。眠いから今はもうなんでもいいわ」

瞼の裏がゆっくりと痺れているようだった。普通の人間ならこの寒さで寝たら凍死するかもしれないなとは思ったが、私たちにはその辺りはあまり関係がない。すぐ隣にあるお姉様の身体がもぞりと動き、もう一度私の頭に小さな掌が触れた。

「寝てていいわよ。置いてくから」
「ひとごろし」
「吸血鬼殺し」
「どっちでもいいよ」
「どっちにしろ死にはしないでしょ」
「…寝ていい?」
「うん」

頭を撫でられる。くすぐったいような気持ちのいいようなその不思議な感覚は、私をまどろみの淵へと静かに誘ってゆく。
私はお姉様の頭に自分の頭をもたせかけた。こつん、と小さな音がする。

「じゃ、寝るよ」
「ええ」
「…おやすみ」
「ええ、おやすみなさい」





―――





自分が屋根の上にいて雪とかが積もってたらどうしようかと思ったのだが、さいわいにも私は自分の部屋のベッドの中で目を覚ました。
暖かい、やっぱり室内はいい。自分に引きこもり精神が染み付きかけていることに気付き、私は閉じかけた目を慌てて開くとベッドから飛び起きた。窓がないから外の様子は分からないけれども、時計に目をやるとそれは午前7時半を指していた。いつもならもうとっくに咲夜が起こしにくる時間を過ぎてしまっているのだが、今日はどうしてか咲夜がまだ来ていない。
おおかた、昨日私が夜更かししたことを知っているから、今朝は自由に寝かせておこうと思ったのだろう。

「…ふあ」

手で押さえながら小さく欠伸をすると、私は暖かいベッドを名残惜しく思いながらも行動を始めることにした。寝床は恋しいけど、いつまで経っていても寝ていたんじゃ、生活のリズムが狂ってしまう。昼夜逆転の生活も悪くはないと思うけれど、やっぱり私には昼型の生活の方が合っているような気がした。
着替えをすませ、遅めの朝食を摂ったなら、真っ直ぐに紅魔館の門前へ。
朝はいい。日傘がなくても肌が焼けない程度の陽の光が綺麗だし、だからこそ私が気軽に彼女の元を訪れることが出来る時間帯だから。
そこにはいつも通りの美鈴がレンガ塀を背にして立っていた。…いや、いつも通りじゃない。私が手を振ったときに、振り替えしてくれたその手に、昨日までとは違う色の手袋が嵌められていたから。

「おはよ、美鈴」
「ええ、おはよございます、妹様。今朝はちょっと眠たそうですね」
「ん、ちょっとね。でも起きてる」

美鈴の手袋は昨日までのいびつなものではなく、きちんと細かく編みこまれた、クリーム色のものに変わっていた。
よくもまあ、一晩でこれほどのものを編めたものである。時間を止めたりもしたのだろうけれど、それにしてもやっぱり咲夜は手先が器用だ。
美鈴は私の視線に気付いたのか、「ああ、これですか」と恥ずかしそうに笑って頭をぽりぽりと掻く。

「やっぱり上手ですよね。素人がむやみに手を出さないほうが良かったみたいです」
「私はこの手袋も好きだけどな。色が鮮やかで綺麗」
「むう…。妹様、やっぱり咲夜さんに新しいの作ってもらった方がいいと思いますよ。それじゃでかいし、下手くそですし」

私は「いいよ」と笑って手を振った。私の手には、やっぱりどう考えてもサイズが違うだろうというようなぶかぶかの手袋が嵌まっている。美鈴の髪と同じ朱色の手袋は、朝の日の光を浴びてきらきらと光る白い雪にとてもよく映えた。

「宝物にするね」

私がそう言うと、美鈴は寒さのせいでただでさえ赤みがかかっていた頬をまた少し紅潮させて、「ありがとうございます」と私に向かってぺこりと頭を下げた。いつだって感情を素直に表してくれる美鈴を見ていると、私まで少し嬉しくなってくる。
頭を上げた美鈴は、まだ少し恥ずかしそうに、けれどもにこにこと笑っていた。「よーし」と声を上げ、美鈴は雪の上にしゃがみこんで私と同じ位置の目線から私を見た。

「今日はどんなお話します?」
「んー、どうしようかなあ。…あ、聞いてよ美鈴、私昨日星を見たんだよ!」
「ほう。星ですかぁ」

私が時々言葉をつっかえさせながらも昨日のことを話すと、美鈴は何度も相槌を打ちながらそれを聞いてくれた。語る口を止めないまま、私は頭の隅っこで別のことを考える。お姉様と一緒に星を見始めた辺りのくだりを話しながら、ふと思いついた。
今日の午後のお茶の時間は、久しぶりにお姉様の部屋へ行ってみよう。まだお姉様は寝ている時間かもしれないけれど、咲夜と一緒に叩き起こせばなんとかなるだろう。寝起きで不機嫌なお姉様は、私や咲夜への不満をぶつくさ言いながらも、なんだかんだで一緒におやつに付き合ってくれればそれでいい。
それから、美味しい紅茶を飲みながら、昨日の約束は忘れないでよねってそう言うんだ。守られるのがいつになるか分からない、途方もなくふざけた約束だけど、どんなに時が経っても、絶対に覚えていてくれるように。あのときに私が感じた嬉しいという気持ちを、これからずっと忘れずに、大切に、傷つけないまま抱きしめていられるように。
こっちでは初めまして、プチの方で前の作品を読んで下さった方には再びお目にかかります、柚季です。
また今回もプチに投稿するつもりで書いてたらちょっと長めになったのでこちらに。少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
フランちゃんは可愛すぎると思うのです。

5/26 追記、大変遅くなりましたがコメント返信
>>16様
他愛もない毎日が積み重なってこその幸せかなって思います。

>>和坊様
ありがとうございます。
よし、ところで飲み屋に行きませんか

>>23様
フランちゃんは文花帖での「あいつ」発言が可愛くて仕方がない今日この頃です。

>>29様
ありがとうございます!

>>過酸化水素ストリキニーネ様
結は苦手な部分なので、頑張って精進したいと思っています。
ありがとうございました。

>>32様
ありがとうございます。なんとなく空気が良い作品を目指したいのでそう言って頂けて嬉しいです。
柚季
http://yuzuhana01.web.fc2.com/
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.1660簡易評価
16.100名前が無い程度の能力削除
これはいい紅魔館。
俺もフランちゃんは可愛いすぎると思うww

こうやって他愛も無い日々を過ごして大事なものが増えていくんですね。
19.100和坊削除
温かくてハートフルな紅魔館でした。
ちょっとひねていながらも心優しいフランの描写もすごく良かったです。

>フランちゃんは可愛すぎると思うのです。

柚季さんとはいい酒が飲めそうだ^^
23.100名前が無い程度の能力削除
ちょっと反抗期気味のフランと包容力のあるレミリアの関係が素晴らしかったです。

>フランちゃんは可愛すぎると思うのです。
これには諸手を挙げて賛成しますよ!!
29.90名前が無い程度の能力削除
姉妹可愛すぎワロタ
30.90過酸化水素ストリキニーネ削除
どうして私はこの作品を今の今まで見過ごしていたんだ!
なんという温かな紅魔館。
どんなくさい台詞もお嬢様が言うとカリスマ全開だわ。姉妹らしい紅姉妹がとてもきゅんときました。
結が弱かった気もするので、この点数で。
32.100名前が無い程度の能力削除
この空気いいなぁ。
最高ですわ。