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荷物持ちが居て良かった。そんな事を思いながら、並べられた本の背表紙へと視線を向ける。正直なところ、興味を惹かれる本が数多くあるのだけれど、今はそれを手にとって読む気分ではなかった。予定通り、目的の本だけを本棚から引き抜いていく。
「まだですかー」
という小悪魔の声が聞こえるけれど、今は無視。ゆっくりと一冊ずつ、鞄の中へと本を詰め込む。焦って本を間違えたりしたら大変だからだ。
「でも……こんな所かしら」
合計三十二冊。予想よりも少ないそれに少々驚きながらも、私は小悪魔を呼びつけた。そして彼女に重くなった鞄を任せると、そのまま外へ。
暗い室内から表に出れば、そこは明るい神社の境内だ。八雲・紫の采配でこうなったという話だけれど、確かにまぁ、悪くない趣向だとは思う。……それでも、もし本が直射日光に当たっている状況だったとしたら、確実に文句を言っていたけれど。
「……それにしても、思っていた以上に賑わっているわね」
今、境内には私が出てきた小屋――八雲・紫が作ったらしい、外見と内部の広さが一致しない真っ黒な建物。中には大量の本棚がある――の他にも、大きな茣蓙の上に並べられた数々の日用品、或いはマジックアイテムと思われるものが、暖かい日光の下に広げられている。そして、そんな物品を求めてやってきた数々の人間や妖怪、更には引き取り手の居ない品を頂こうとする者まで現れていて、博麗神社は大賑わいを見せていた。
とはいえ、流石に巫女の姿は見えなかった。今日という日に関しては容認していたようだけれど、流石にこうも大賑わいになるとは思っていなかったのだろう。普段の仕事もほっぽりだして、自室にでも引っ込んでいるに違いない。
「それじゃあ、私は先に紅魔館に戻りますけど、パチュリーはどうします?」
「もう少し見ていくわ」
「解りました」
答えと共に踵を三回鳴らすと、彼女はそのまま霧となって姿を消した。悪魔である以上そういったギミックは不必要だと思うのだけれど、まぁ本人が好き好んでやっている以上、私には何も言えない。
そうして、一人雑踏の中を歩いて行くと、正面から見知った顔が歩いてくるのが見えた。それは向こうも同じだったらしく、彼女の周囲に居る人形がぺこりと頭を下げ、それに続くように彼女が儚げに微笑み、
「久しぶりね、パチュリー」
「そうでもないわ、アリス」
「そう、だっけ?」
「ええ。まだ一ヶ月ぶりぐらいだもの。でも……」
妖怪という生き物は長命であり、人間とは違う日付感覚で生きている。しかし、私が住んでいる紅魔館の主であるところのレミィは――毎日やって来る『夜』という時間に活動を始める吸血鬼は、長命であるものの、他の妖怪に比べて一日の概念が人間のそれと似ているのだ。その為、必然的に紅魔館の一日は人間のそれと同じになる。
対するアリスは、元々人間だったというまだ若い妖怪だ。六十年スパンで生きているような妖怪の生活に、まだ馴染めていないのだろう。
とはいえ、私達が妖怪であるという事実には変化が無い。だから、一ヶ月という時間は、長くもあり短くもあるのだ。
「……やっぱり、久しぶり、なのかしらね」
「かもしれないわ」言って、アリスが私の背後に建っている小屋へと視線を向け、「それで……あれが、例の『書斎』?」
「ええ。個人の日記から外の世界の雑誌、用途不明の怪文書に至るまでかなりの数があったわ。単純にその質だけを見れば、私の図書館を越える」そこで一息吐いて、そしてアリスと共に『書斎』を見つめ、「……私は彼女を過小評価していたわ。ただ無差別に集めているようだったけれど、その観察眼には相当なものがあった」
感傷と共に呟くと、しかし返って来た答えはあっさりとしたものだった。
「偶然じゃない?」
見れば、そこには少しだけ目の下に隈があるアリス・マーガトロイドの姿。
「だって、魔理沙だもの」
■
私が『書斎』から出てから一時間ほど。アリスも同様に『書斎』へと進み、目的の本を人形に持たせていた。他にも彼女には見る物があったようで、私も一緒に境内を廻っていく。
とはいえ、境内に並べられた物品は少しずつ、しかし確実にその数を減らしつつある。それは今日だけでこの催しが終了してしまう事を意味していて、だからこそ物悲しさを感じる。これで全てが終わってしまうと、目の前の状況が物語っているからだ。
「どうしたのパチュリー、難しい顔をして」
「八雲・紫は、どうしてこんな事をしたのかしら」
「ああ、そういえば、今日のこれは彼女の提案だっけ」
「そうよ」
言葉と共に境内を見回してみても、紫の姿は無い。それでも、どこからか、この状況を眺めているのだろうと思えた。
「私には理解出来ない。まぁ、しっかりと足を運んでおいて、何を言うんだと言われそうだけれど」
「あの八雲・紫のことだからね。まぁ、その心情を想像するのは難しいけど……」言いながら、アリスは境内の一角へと視線を向け、「でも、その目的の一部は解る気がする」
その視線を追うように目を向ければ、そこには境内の様子を書き留めている阿求の姿と、その隣で何事かを話している慧音の姿があった。
「さっきまで天狗も居たわ。……もしかして、気付いてなかった?」
「ええ、全く気付いてなかったわ」
アリスの言葉に、私は深く溜め息を吐き、
「駄目ね。日常に回帰したつもりだったけれど、まだ足を引っ張っていたみたい」
「私もよ。でも、それも紫の狙いなのかもね」
妖怪の暇つぶしで異変が起こるこの場所では、大概の出来事はすぐに忘れ去られてしまう。何より、歴史の生き証人である妖怪は能天気な者ばかりだから、それは更に顕著になる。それでも一部の人間や妖怪によって記憶は記録され、そして書物などの形で歴史に残っていく事になる。次の六十年目が訪れた時、失われていく記憶の基礎とする為に。
それを踏まえての、今日だ。初めは記録に残らないような出来事だったとしても、こうして記憶を揺り起こす事でその印象は深くなる。更に歴史を記録していく稗田家の人間と白澤、天狗の新聞にもなれば、それは今後数百年に渡って残る記録――つまり、歴史になるだろう。
「まぁ、何故、という疑問は晴れないけれど……」
「そこはほら、素直に感謝……っていうのもおかしいけど、有り難く思っておけば良いんじゃないかしら。どうせ、私達に紫の真意なんて測れないもの」
「思考停止は愚者のする事よ? でもまぁ、彼女が相手じゃ仕方ないか」
今日生まれた歴史が、どれほどの年数語り継がれていくのか、といった事すら計算出来るのだろう存在だ。その脳内は興味深いけれど、それを理解しようにも、百年程度の知識と経験ではスペックが足りない。規格外過ぎるのだ、八雲・紫という存在は。
「それでも、敢えて想像するならば……約束を果たしたのかしら」
そう呟くアリスの言葉に、私は苦笑と共に、
「あら、アレはもう契約じゃない?」
「かもしれないわね。だからこそ、あの八雲・紫が、ただの人間の為に行動したのかもしれない」
或いは、彼女を感傷的にさせるだけの力を、あの霧雨・魔理沙が持っていたか。……まぁ、流石にそれは無いだろう。
「それじゃあ、そろそろ帰りますか」
「そうね」
アリスの言葉に頷いて、それでも最後に境内を見回す。
活気はある。けれどやはり、そこには物悲しさがあるように感じられた。
■
境内から続く階段を下りながら、これからの予定を考える。すると、すぐ隣から声が来た。
「ねぇパチュリー、今夜は暇? なんなら夕飯をご馳走するけど」
「良いの?」
「元からそのつもりだった……のかな。自分の事だけど、ちょっとあやふや」言って、アリスは苦笑し、「まだ、本調子に戻れていないから」
そんなものよ、と慰めなのかどうなのか自分でもよく解らない言葉を返して、私は彼女の屋敷へと向かう事にした。
そうして階段を下りると、人里に背を向けるような形で薄暗い道を進み、暗く沈んだ香霖堂を見ながら魔法の森へと入っていく。
一年中薄暗いこの場所は、しかし魔力に呼応して光り輝く特殊な茸などが生息している。その為、月光によって大気中の魔力が高まる夜の方が明るかったりするのだ。――そんな、いつか魔理沙から聞いた話を、今更ながらに目の当たりにする。確かに森の中は淡い光に満ちていて、一見幻想的でもあった。
「でも、茸なのよね」
「そう。茸なのよ」
ロマンもムードもありはしない。まぁ、魔法使いしか住み着かないようなこんな森に、そんな物を求めるのが間違っているのだろう。
そんな事を思いながら森を奥へと進み、アリスの屋敷へと辿り着いた所で、しかし家主は足を止めなかった。
「どうしたの、アリス」
「……ちょっと、魔理沙の家に行っても良いかしら」
「良いわよ。というか、私もそのつもりだったから」
一休みしたあとにでも、と思っていたけれど、このまま彼女の家に向かうのも良いだろう。
霧雨邸は、アリスの屋敷からそう離れてはいない。けれどこの森は迷いやすく、知識の無い者ではすぐに道を間違えてしまう。正直私は、アリスが一緒ではなければ霧雨邸に辿り着けないような気がした。……感傷なのかも、しれないけれど。
そうして辿り着いた霧雨邸は、いつものように茸に埋もれていた。それに一瞬嫌な顔をしながらも、アリスが玄関の扉を開け、中へと入っていく。あとに続いて玄関を通ると、一瞬だけ、懐かしい匂いがした。
と、そんな時だ。
「……誰」
遠く。照明の点されていない廊下の奥から、小さな声が響いてきた。それに驚く私とは対照的に、アリスが廊下を進んでいく。すると、
「魔理沙?」
そんな、期待と喜びと、絶望に満ちた声が響いて――現れたのは、白の衣装を纏った霊夢だった。以前よりも痩せたように見える彼女は私達の姿を把握すると、露骨に視線を逸らし、
「……なんだ、アリスか」
「ごめん」
「どうしてアンタが謝るのよ」
「……ごめん」
言って、アリスが霊夢を抱き締めた。
二人の付き合いは、もう十年以上になるという。だから、霊夢も何も言わず、なすがままにされていた。けれど、例えその付き合いが長くなかったとしても、彼女は反応をしなかったかもしれない。
そこに立っていたのは、博麗の巫女ではなく、博麗・霊夢という無力な少女だったのだから。
■
小さく響き始めた二つの嗚咽を聞きながら、私はがらんどうとした部屋の中心に立ってみる。
何も無い。
魔道書も、それを納める本棚も、研究道具で埋まっていた机も、唯一の空きスペースだったベッドも、似たような色の服で埋まっていた箪笥も、床や廊下に転がっていたマジックアイテムも――何もかも、無くなっている。
綺麗さっぱり。
霧雨・魔理沙という少女と共に、この屋敷から消えてしまったのだ。
「何もかも、か」
もう一ヶ月前だ。
呆気なく、ひっそりと、まるで死期を悟った猫のように、霧雨・魔理沙は死んでいった。
彼女の死は、数多の異変を解決してきた英雄の死であり、同時に数多の家々から盗みを働いた泥棒の死でもあった。そう、彼女はある言葉を残していたのだ。
『死ぬまで借りてくぜ』
それは約束であり、そして契約でもあった。誰もが気にしていなかったその言葉は、けれど誰もが忘れていない言葉だった。
そして、その言葉と笑顔を覚えていた一人の妖怪が、彼女の家にある物品を神社の境内へと移動させた。そうして今日、神社の境内には魔理沙の盗品が――ある意味では遺品なのかもしれないそれが、大量に並んだのだ。
屋敷に残されたのは少しの衣服と、使い続けていた箒と八卦炉。それと数枚のスペルカード。それらは全て、香霖堂の店主が引き取っていった。
時間が経てばこの家にも誰か新しい住民が住み着き、そして霧雨・魔理沙という人間の存在は消えていくのだろう。けれど中には、行動的に――紫のように魔理沙の存在を歴史に刻もうとした者も居れば、反対に、未だにその喪失から上手く立ち直れない者も居た。それが今の霊夢であり、アリスなのかもしれない。
霊夢は、人の営みを理解しているからこそ、最愛の友人を失った悲しみから抜け出せない自分に葛藤し、苦しんでいる。対するアリスは、こんなにも身近に居ながら、魔理沙の死を悟れなかった自分を責めてしまっている。こうやって冷静に判断している私だって、憎らしい筈の相手の死から上手く回帰出来ていない。例え百年の時を過ごそうと、身近な相手の死というのは、どうやったって慣れる事など出来ないのだ。
それでも、もう葬儀から一ヵ月経つ。喪失の悲しみは少しずつ薄れ始め、魔理沙を知る誰もが元の生活を取り戻しつつある。そう。どれだけ悲しみが深かろうが、人の営みは止まらず、そしていつしか喪失の記憶は過去のものになっていく。そうやって、人は悲しみを乗り越えていくのだ。
けれど、そう簡単に割り切れるほど、私達は強くない。
「……」
駄目だ。今日だけは泣かずに居ようと思っていたのに、どうしても視界が歪む。
嗚呼、
嗚呼。
どうして死んじゃったのよ、魔理沙。
■
そうして今日も、日常は続いていく。数多の変化を取り込みながら、非情とも言える速度で、取り残されたものを見捨てながら。
それでも生きていかねばならないのだ。悲しみも辛さも――当人にとっては非日常になってしまったそれすら、世界にとっては日常なのだから。
今日も幻想郷は此処にある。
彼女の居た日常は、もう戻って来ない。
end
正直、よくある死にネタ作品にすぎないという印象です。
霊夢が「少女」と描写されているので、魔理沙も十代の年齢のうちに逝ったようですが、死因等の
説明は一切無いんですね。
そういった状況が明らかにされていないせいか、読んでいてもアリス、パチュリー、霊夢の悲しみに
共感できませんでした。
自分が何か見落としているのでは? と考え、もう1度最初から読み直しもしたのですけど……。
何があったのかは存じませんが、貴方の実力はこんなものではない筈です。
次回作に期待しています。
タイトルと話の関係がわかりません。魔理沙の死から一ヶ月たった日ですよね?四十九日(49日後)には早いですし二七日(14日後)には遅いです。
しんみりした感じは好きでしたが、こういうのはオチが難しそうですね。
白澤とありましたが、白沢のことですか?ハクタクですね。
死ぬまで借りてくって約束までゆかりんは守ってくれるのか…
なんだか物悲しい
こうして物悲しさのある物語になって読むと、なんともいえない感じが胸をよぎりますね。
想像することも上手く出来なかった物語を読ませてくれたことに感謝。
少々気になった点
魔界から10年後で少女な霊夢…?
…逆に言うと曖昧過ぎる様な感じもしないでも…でも、こんなのもありなのかな?と私は思います
次回作も頑張って下さい
そして死んだという事実が確固たるものになった。
内容の大筋はちょっとありきたりな感じもしましたが、着眼点は面白かった思います。
ハクタクの表記について指摘されていますが、白澤も白沢も同じ意味で、どちらの字も正しいです。