「仕事も一段落したわね。そろそろ休憩しようかしら」
ここは竹林の奥深くに存在する永遠亭。
そこで医者紛いの事をやっている私、八意 永琳は休憩をしようと部屋の外に出た。
外に出たところで、見慣れた顔のうさ耳少女がパタパタと走っている姿が目に付いた。その手には…熱燗?
「どうしたのウドンゲ、慌てているようだけど?」
「あ、師匠。いえ、輝夜様が……」
「姫がどうしたの?」
「大した事じゃないんですが、突然『お酒を飲む』と仰いまして…」
「それならいつもの事じゃない。何をそんなに慌てているというの?」
「それが、初めは『熱燗がいい』と仰っていたのが、いざ熱燗を持っていくと『今は冷酒の気分』と…」
ああ、成程。いつもの事といえばいつもの事だ。姫の気まぐれの様なわがままは今に始まったことではない。
それにしてもお酒か…休憩するにはもってこいかも知れないわね。
「姫は冷酒が飲みたいと言っていたのね?」
「あ、はい」
「それなら私がそれを飲むわ」
「そうですか? では、私は冷酒をお届けしなければなりませんので…」
「それも私がついでに持っていくわ。あなたは自分の仕事に戻りなさい」
「そんな、師匠のお手を煩わせるわけにはいきませんよ」
「今から姫と飲むつもりだったからその方が効率的よ。いいから、自分の仕事をなさい」
「はぁ…そう仰るのでしたら」
ウドンゲから熱燗を受け取ると、私は冷酒を取りに向かった。
まぁ…姫の事だからおつまみも用意しておいた方がいいのでしょうね。やれやれだわ。
「姫、やっぱりここにいたのね」
「あら、永琳じゃない。お酒なんて持って、どうしたの?」
姫はお酒を飲むときには必ず夜空が見渡せる場所に陣取る。夜空と言うよりかは、月を。
大体同じ位置で飲んでいるのは知っていたので、すぐに見つけることが出来た。
「はい、冷酒よ」
「どうして永琳が持ってきたの? 私は因幡に頼んだはずだけど」
「別にいいじゃない、そんなこと。それより隣、いいかしら?」
「あなたが今更、私に何を遠慮する必要があるのかしら?」
「親しき仲にも礼儀あり、よ」
私から冷酒を受け取った姫は『そんなものかしら』と言いつつ、早速それをコップに注ぎ飲み始めた。
そして私は熱燗をお猪口に注いで、まずはそれを一息に飲み干す。少し温くなってしまったが、それでも体の内からじんわりと温まる。
「珍しいわね」
突然、姫が私に向かって話しかけるが、彼女の言葉の真意が読めない。
「何が珍しいの?」
「特に取り立てて言う程の事でもないのかも知れないけど、永琳が私と一緒にお酒を飲むのが珍しいって思ったの」
「そう…ね。最近はご無沙汰だったかもしれないわね。でも、前はしょっちゅう一緒に飲んでたじゃない」
「そうだったかしら…? …いえ、そうね。確かにそうだったわ」
私の言葉に姫は少し考えるような仕草をして、すぐに納得したような表情になった。
『そうだ、そうだ』と頻りに頷きながら、初めに注いだお酒を飲み干してまた注いだ。
それは勿論冷酒で、私は彼女に一つ言っておかなければいけないことがあるのを思い出した。
「姫、あまり皆を困らせては駄目よ」
「困らせる? 私が皆を? いったい何時困らせたと言うの?」
「ウドンゲが言ってたわ。熱燗を注文したのに冷酒がいいって言ったそうじゃない」
「あぁ…そのことね」
それだけではないのだが、姫のわがままを数え上げていてはキリが無い。
それを諫める為に私の語気は少々強くなったのだけれど、当の本人は再び考え込むような仕草を取っている。
その表情に反省の色は見られず、それどころか私の言葉など聞こえていないかのように上の空だ。
「そうか…そうね…」
「ちょっと、私の話を聞いているの?」
「うん、確かにわがままだったかも知れないわ。反省はするわ」
姫は突然顔をあげてそんな事を言い始めた。どうしてしまったのだろう?
「姫がこんなに素直だなんて…すぐに医者に見せないと! 医者はどこ!?」
「医者はあなたでしょ。それとその言葉、どういう意味なのかしら、永琳…?」
「と…特に意味は無いわ。気にしないで」
「ふーん…あなたが私をどんな目で見ているかわかったわ」
『まあいいけどね』と一言呟くと、彼女は再びお酒に注意を向けた。
ただし、それは私の傍に置いてある熱燗だった。姫はそれをじっと見つめている。
「永琳、それちょうだい」
「冷酒が飲みたいんじゃなかったの?」
「今は熱燗が飲みたくなったの。ね、交換しましょう?」
「…まぁ、いいけど」
「ありがと。永琳が熱燗も持って来てくれて助かったわ」
本当に反省しているのだろうか?
コロコロとよく気持ちの動く子だとは思っていたけど、これでは先程の言葉が信じられない。
「姫、本当に反省しているの?」
「あら、もしかして熱燗が良かったの?」
「そういう訳ではないけど…」
「ならいいじゃない。大丈夫、ちゃんと反省はしてるわよ」
「そうだといいのだけどね」
「でもね…反省はするけれど、私が我侭を止めるというのは別問題よ」
「それでは本末転倒じゃない。反省するからには改善しないと意味が無いわ」
「そうなんだけどね…これが私の生き方だもの。改善しようが無いわ」
反省すると口にした矢先のこの発言に、少し呆れてしまった。
自由気まま、わがままに生きるというのが自分なのだと言い切るその度胸はある種尊敬に値する。
けれど、そうは問屋がおろさない。ここは私がしっかり注意しないと。
「そもそも、今もそうだけど、そんなに考えを変えられたら周りだって当然付いていけないわ。それを考えたことは無いの?」
「無いわ。私は、今、何をしたいか、それだけしか考えていないの」
「はぁ…今、ねぇ。先行きがどうなるか心配はしないのかしら?」
「しない。それは私には無意味だから」
心配することが無意味とは…我が主ながら何とも大胆な発言だろうか。
「どうしてそう言い切れるの?」
「永久に続く未来は、いずれ私の過去になる。いずれ消え失せる風の前の塵に、心煩わされることなんて、ありえないわ」
『永琳は違うの?』と問いかける言葉に、目の前が真っ暗になったような気がした。
過去は無限にやって来る……とはいつの言葉だっただろう。黙り込んだ私を見て、姫が話を続ける。
「そっか。永琳は賢いから、色んな事を考えずにはいられないのね。
でも私は違うの。私にとって過去も未来も同じ。いつかは埋もれてゆく記憶だから、私には興味が無い。
過去と未来を自由にできる力なんて私には無いから、私は唯一自分の意思で生きることのできる‘今’が一番大事なの。
それがわがままだ、って言われても私にはどうしようもないわ。他人を顧みることはできても、自分の生き方は変えられない。だって――」
――今ですら自由にできないのなら、私は死んでいるも同然だもの
淡々と語るその言葉は、間違いなく永遠を生きる者としての諦めが感じられる。
きっと姫は、未来の自分が何をしているかなんて考えたことが無いのだろう。
過去が無限に訪れて埋もれるなら、それは無意味な事と思っているのだろう。
知らなかった。いつもぽけぽけしている姫が、そんな事を考えているとは知らなかった。
「永琳が羨ましいなぁ。私と同じなのに悩みを抱えられる永琳が、とっても羨ましい。
私には、今どうするかしか考えられないから。例えば、今はおつまみが欲しいとかね」
「…それならここにあるわ」
「あら、やっぱり永琳は気が利くわね」
差し出されたおつまみを笑顔で口に放り込む姫を見ていると、先ほどの真面目な話が夢幻だったかのように感じられる。
恐らく彼女は、今、心に思っていることをそのまま口にしただけなのだろう。
そして、その話題は過去の事。既に興味の対象外になっている。今はおつまみを食べることが一番に違いない。
姫は何も考えていないのではない。何を考えても虚しいから、今以外を放棄したのだ。
一番身近にいる筈の私がそんなことにも気付けなかったなんて…
「美味しいわぁ。あれ、永琳は食べないの? なら私が全部…」
「食べるわよ」
「ちぇっ、残念ね」
「まったく姫は…」
「そうそう、その顔が一番永琳らしいわ」
「え?」
「私の事を心配してくれてたんでしょ? でもそれは無意味よ。
私はずっとこうして生きていくことを覚悟してしまったから、永琳がそれで何かを思う必要なんてないの。
だから永琳はいつも通り、ちょっと呆れた顔して私を叱るくらいが丁度いいのよ」
「姫…」
「私はこれからも迷惑をかけるわ。皆をたくさん困らせる。
だから、永琳は私の傍にいて、いつもそんな私を嗜めてくれればいい。私はそんな永琳を羨むけど、大好きだから」
「…その想いは、埋もれていかないの?」
「私は‘今’この瞬間も永琳が大好きなの。埋もれる筈が無いわ」
その言葉が意味することは、姫が私を想い続けているということ…
いつも何を考えているのか分からない人だし、しょっちゅう前言を撤回するいい加減な人だけれども、その言葉には何故だか疑問を感じなかった。
「ねえ、永琳」
「なにかしら、姫」
「永琳は、後悔してない?」
「後悔…? 何を?」
「私についてきたことよ。私って永琳に迷惑かけてばかりだし…」
…やっぱり姫はおかしな人だ。心配なんて無意味だと断言しておきながら、今こうして不安な顔をしている。
思わず口に出してしまいそうになったが、その理由を敢えて聞くのは意地悪というものだろう。
だから、私は姫を安心させてあげることにする。
「そうねぇ、確かにあなたは手のかかる人だし、沢山呆れさせられたわ。それはこれからも変わらないのでしょうね」
「む……随分な言い草ね。事実だけど…」
「だけどね――」
――私だって‘今’この瞬間にも、あなたの事を想っているのよ、輝夜…
「永琳……ありがとう」
「私の方こそ…ありがとう」
「どうして永琳がお礼を言うの?」
「姫も私を想ってくれている。そんなあなたに付き従うことができるからよ」
「そう……」
「それに……」
このわがままの癖に寂しがり屋な姫を独りにする方が、よっぽど後悔するというものだ。
あぁ……この人について来て本当に良かった。
「それに、何よ?」
「いいえ、何でもないわ」
「ふーん、まぁいいわ。そんなことより」
「どうしたの?」
「これからも一緒にいてね、永琳」
「…えぇ、これからも一緒よ、輝夜」
満天の星空の下、私達は静かに乾杯した。
~ 了 ~
短めで仰る通りサクッと読み切れましたが
なんかちょっと物取りないかなぁと思いました。
それは別に話が短いとかじゃなくて、もう少し二人の感情を掘り下げても良かったかなと思います。
あと話全体が性急と言うか、いい話に無理やりまとめた感がしました。
こういう話は案外、オチで落とすというのもアリかと思います。
それでは^^
俺のイメージに合う二人でした