Coolier - 新生・東方創想話

ぬいぐるみ

2008/09/20 17:42:55
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 小さな女の子が笑っている。
 楽しそうに、僕を抱えて笑っている。
 それは幸せそうに。
 その笑顔を見るだけで、僕も幸せだった――。



 箒から、トンっと地面に降り立つ。一連の動作で、箒を肩に担ぎ魔理沙は目の前にある扉を開いた。
「いらしゃ……魔理沙か」
「いらっしゃい位まともに言ったらどうなんだ?」
 いつも通り、お茶を飲みながら本を読む霖之助を見て、魔理沙は苦笑する。
「今日は珍しく客としてきてやったんだぜ」
「なんだ、いつも客じゃないのは自覚していたのか」
 乱雑に散らかり、店とは言えそうもない店内に踏み込む。まるで物置だ。いや、その認識はおそらく間違ってはいないのかもしれない。ここ、香霖堂と言う店は彼の、霖之助の趣味以外の何物でもないと魔理沙は思っている。
「また散らかってきたんじゃないか? 品探しなんてできるような状態じゃないぜこれは」
「かまわないよ。僕は大体把握してるし。お客さんの要望があれば探すさ」
 そのお客さんが来ることがないがな、と魔理沙は心の中で付け加える。
 それでも最近は紅魔館のメイドがたまに来て何か珍しいものを買っていくらしい。香霖堂にとっては上客だ。
「それで? 今日は何の用だい?」
「ああ、火炉の調子がちょっと悪くてな。見てもらいたいんだがいいか?」
 エプロンのポケットから火炉を取り出して、霖之助の前におく。霖之助はお茶の代わりに火炉に手を伸ばし、こねくり回すように火炉を見回した。
「別にかまわないけど……お客としてきたのだからお代は払ってくれるんだよね?」
「ツケといてくれ」
「……魔理沙。そのツケがいったいどれくらい溜まってるかわかるかい?」
 眼鏡の奥から責めるような目を向けられ、魔理沙は僅かにたじろいだ。
「さ、さあどれくらいだろうな? 猫の餌くらいにはなるか?」
 それでも負けじと、憎まれ口を叩く。
「猫の餌どころか、人間数人三ヶ月くらい養えるくらいには溜まってるよ」
「へぇ、そりゃすごいな。じゃあ今更そのツケが増えても変わらないよな。じゃ、よろしくたのむ」
「待ちなさい」
 背を向けて、颯爽と去ろうとする魔理沙の襟を掴んで霖之助は引き止めた。
「条件さえ飲んでくれればツケをチャラにしてあげよう」
「……なんだよ、条件って」
 聞く気になったのか、魔理沙は胡散臭そうに霖之助へ目を向ける。
「うん。僕はこれからこの本と、君の火炉を直さなきゃならない」
 ぽんぽんと、机に積みあがった重厚な本を叩く。
「本を読む前に、私の火炉を見てくれよ」
 魔理沙の言葉を霖之助は無視した。
「で、僕は忙しい。その間に店のものを補充しないといけない。そこで君に何か売れそうなものを持ってきてほしいんだ」
「なんだ、そんなことでいいのか」
 だったら、適当にいらない物を家から見繕ってくればいいと考える。ごみも消えて、ツケもなくなって一石二鳥だ。
「ただ、価値のないものを寄こされても困るから。モノによってツケがなくなるかどうか判断させてもらうよ」
「なんだそりゃ。つまりツケの分だけ売れってことじゃないか」
「何を言う。これはチャンスだよ? 別に僕がこれまで通り仕入れてもいいんだけど……それをちょっとの間だけ代替わりしてくれればいいだけなんだ」
「でも、ツケが消えるかどうかは香霖が判断するんだろ? ダメって言われたらそれまでじゃないか」
 納得いかない表情の魔理沙に、霖之助は苦笑を返す。
「そこまで捻くれてはないよ。ちゃんと評価するとも。それとも、魔理沙は僕のことが信用ならないのかい?」
「それは……」
 苛立たしげに眉をひそめ、魔理沙は腕を組む。しばし、その状態で俯いていたが、顔を上げると盛大にため息をついた。
「何年の付き合いだと思ってるんだ。わかったよ。引き受けるよ。ただし、納得できないような評価ならこっちもツケ払わないからな」
「それじゃよろしく頼むよ」
 満足したように頷き、霖之助は再び本へ手を伸ばした。
 魔理沙は箒を壁に立てかけると、そのまま台所のほうへと足を向ける。もちろん、霖之助が気がつかないはずもなく、戸惑いの声を投げられた。
「何を、してるんだい?」
「何って、茶を飲むんだよ」
「……えっと」
 何か言いたげにする霖之助に、魔理沙は手を振って止めさせる。
「大丈夫だって。ただ、火炉が直らないことにはこっちも不便なんだ」
 そう言い残して、魔理沙は台所のほうへと消えた。
 その背を見送りながら、霖之助はため息をつく。しぶしぶ本を置き、重い腰を上げた。


 何時からだろう。
 彼女は僕に見向きもしなくなった。部屋の片隅で、鞄を背負って意気揚々と出て行く姿を見つめる日々が続く。
 それでもいいと思った。彼女を見守れるならそれでもいいと。
 でも、そんなことは無理だったんだ。
 ある日、彼女は忙しそうに部屋の整頓をし始めていた。あれは、雪の振る寒い日だったと思う。部屋の隅々まで雑巾や掃除機で掃除をし、いらない本を片付けていく。
 そして、彼女は僕にも手を伸ばした。
 その日を境にして僕は暗い空間に閉じ込められた。
 何も見えない空間。何も聞こえない空間。光が差し込む事も無く、誰の息遣いも聞こえない。
 そんな時間が長く……永く続いた。
 そして――それは訪れた。
 一瞬の暗転。いや、元から暗闇だったのだからそう言うのは適切では無いかもしれない。ただ何かが切り替わった。たったそれだけで、僕はその場所に放り出された。
 暗から陽へ。一瞬あまりの眩しさに、目を覆いたくなるが残念ながら自分で動くような手足は持っていなかった。だが、眩しいのもやがて慣れ、あたりの景色が見えてくる。
 太陽が出ていた。辺りは一面の桜模様だ。桜が乱れ咲き、花弁を落としている。
 暗闇から正反対の光景が、夢と間違えるような光景が広がっていた。
 綺麗だな、と思う。桜を見たのはいったい何時振りだっただろう。
 しかし不思議なことがある。今は昼だ。こんなに見事に桜が咲いているのなら誰かしら花見に来てもいいはずである。だが、あたりに人の気配はしない。風が梢を揺らす音だけが聞こえるこの空間では、狂ったように桜が咲いているだけだ。
 恐らくここはそう言う場所なのだろう。
 忘れ去られ幻想となったものが、最後にたどり着く墓場。ここで朽ちるまで、放置されるのだ。ならば、ここで果てるのが運命なんだろう。
 僕は目を閉じれない。意識もまた同じ。ただ暗闇が桜景色に変わっただけ。
 今までがそうであったように、僕は朽ち果てるまでこの世界を眺め続けるのだろう。
 そう、諦めて僕はその場所に居続けた。
 桜が散る。
 葉が生い茂る。
 その葉も色を失い、だんだんと枝から離れていく。
 そんな日月が経ち、僕はそこで初めて人の声を聞いた。
「まさか、墓泥棒をしなきゃならないとはな……」




 無縁塚に魔理沙は来ていた。霖之助との約束のためである。
 霖之助の条件とは、代わりに商品となるもの――つまりは霖之助の心を刺激するアイテムを見つけてくることである。ならば彼がいつも縄張りとしているここにくれば、何かしら見つかると思ったのだが、やはりいい気はしない。
 ……別の場所を探すべきだったかなぁと、無縁塚の片隅で後悔する。探そうにも舎利ばかり出てきて埋めるのが大変だ。
「なんまいだなんまいだ」
 遺骨を見つけてしまっては仕方ない。放って置くのも気が引けるので、一応は集めて土に埋めておく。
 暫くうろついて見ても残念ながら何も見つからなかった。いい気分のする場所でもないし、さっさと退散しようと思う。
 桜の樹に立てかけておいた箒をとろうと、歩き出したとき何かが足に当たった。ここは雑草も多いところでもある。誰も整備する人がいないのだから当然だ。
 髑髏曝頭でも蹴ってしまったかと、恐る恐る足元を見てみる。
「ぬいぐるみ……?」
 そこにあったのは、くまのぬいぐるみだった。外の世界から紛れ込んできたモノだろうか。主のいないそのぬいぐるみは薄汚れていて、ガラスとは違う質の目はどこか寂しそうに見える。
「こんなものでも香霖は受け取るのかね」
 とりあえず拾うことにする。人形ではないとは言え、放置して妖怪化する事だってある。
 だから別に墓泥棒ってわけじゃない。と、心の中で言い訳しつつ魔理沙は香霖堂へと飛び立った。

 結果的に言うと、引き取ってもらえなかった。ただのぬいぐるみではツケは消え去らなかったらしい。
 今はベッド近くの窓際の所にくまのぬいぐるみを置いていた。ちょっと洗っただけで汚れも落ち、部屋のインテリアの一つとなっている。
 魔法の研究にはまったく必要のないものだが、まあ、こういう物があってもいいだろうと魔理沙はぬいぐるみの頭を撫でる。そうしながら、魔理沙は明日は霊夢のところへ言ってみようと考える。何か珍しいものがあるかもしれない。一応あそこは神社なのだ。
 そう明日の予定を立て、魔理沙は眠りについた。



 博麗神社の境内には二人の巫女がいた。別に霊夢が分裂したとかそんな面白い展開ではない。
 赤と青と言う対称的な巫女二人だ。
 赤い巫女――霊夢は魔理沙に気がついたのか、手をかざして空を仰ぐと、上空からでもはっきりわかるほど「また来たのか」とため息をついた。霊夢につられ、空を見上げた早苗はにこやかに手を振っている。
 参道を滑るように滑空し、魔理沙は地面に足をつけた。だが勢いをころしきれず数歩たたらを踏んむ。そのままつんのめる様にして二人の前に躍り出、魔理沙は転ばなかったことに一つ息をついた。
「滑りが悪くなったんじゃないのか? この神社」
「もともと滑らないわよ」
「で、何してたんだ?」
 霊夢のツッコミを無視し、魔理沙は疑問を投げかける。
「普段どんな事をしてるのか教わりに来たんですよ」
 答えた早苗の言葉に、魔理沙は眉をしかめる。
「こいつの巫女としてのか? それとも幻想郷の暮らし方としてのか……? やめておけ、どちらにしろろくな事学べないぞ」
「何よ。何か文句あるの?」
 霊夢は両手を腰に当てて唇を尖らせる。そんな霊夢に魔理沙は得意げに言ってやった。
「ぐーたらで。日々お茶を飲んでサボってるだけで、毎日毎日暇そうにしてる霊夢のいったいどこを見習うって?」
「巫女としての勤めよ!」
 胸を張る赤い巫女に魔理沙は白い目を向ける。
「お前が巫女らしい事をしてたなんてほとんどないじゃないか」
「そんなことないわよ。最近は修行だってしてるんだから」
「修行って、神様の力を借りるってアレか」
 ここ最近霊夢が熱心……と言うほどでも無いが紫と共に行ってる稽古のことだ。
 しかし、素直に紫の言いつけを守っているのだなと関心にも似た不思議な気持ちに襲われる。ぐうたらな霊夢が真面目に修行していることに釈然としないものを感じる。
 いや、これでいいのだと、魔理沙は思いなおした。この巫女は今までだらけ過ぎたのだ。少しくらい苦労してもいい。
 それに、霊夢のことだから自分がしたいがために動くんだろう。
「霊夢さんも、修行するんですね」
 驚きと尊敬を含んだような声を早苗が上げる。
「それに魔理沙さん。私が教わってたのはこっちでの礼儀とか作法ですよ。あと日常生活周りですね」
 続く声で、早苗は魔理沙の言葉を否定した。
 まだ幻想郷に来て日の浅い早苗は、色々と慣れて行かなければならないことが多いのだろうと言う事を魔理沙は思い出す。
「なるほど」
 取り立てて面白そうでもない。すぐに興味はなくなった。霊夢を頼っているのだから霊夢に任せて置けばいいのだ。
「それはいいんだが、霊夢よぅ。なにか物珍しいものはあるか?」
「ないし、あったとしてもあげないわよ」
 さりげなく持ちかけた魔理沙の話を霊夢はばっさりと切り捨てた。その見事な即答に、魔理沙は一瞬固まり、だがすぐ不満の声を上げる。
「何? ゴミ蒐集屋にでもなったの?」
「まさか! 何かしら役に立つかもしれないだろ?」
 一末の望みにすがるが、霊夢は首を振るだけだった。
 駄目元だったが、こうもあっさりと拒否されてしまうと流石に落胆を隠せない。元から気前のいい性格とも言えないし仕方がないのかもしれない。
 隙を見て何かくすねてやろう。
「……何か盗んだらただじゃ置かないわよ?」
「ははは、そんなことするはずないじゃないか」
 冷や汗が垂れる。いつもいつもあまりの勘の鋭さに驚かされるが、こちらの思考が読まれてるようで何か不公平だった。
「まったく、いつもいつもろくでもないわね」
 妙に感心したような声を出して、霊夢は背を向けた。
 あまりにも唐突の事に、魔理沙はその背に慌てて声をかける。怒らせてしまったと思ったのだ。
 それを機敏に感じ取ったのか、霊夢は振り返り苦笑いを浮かべる。
「お茶を淹れに行くのよ」
「あ……」
 不安を悟られたことに恥ずかしさを覚え、赤く染まった頬を魔理沙は帽子で隠した。

「魔理沙さんと霊夢さんって仲いいですよね」
「あー……?」
 帽子で顔を隠したまま魔理沙は振り返りもしない。
 隣に早苗が並ぶ気配がして、ようやく魔理沙は帽子を外して顔を見せた。
「顔、赤いですよ?」
「やかましい」
 楽しそうに笑う早苗に、苦虫をかみ締めたような表情で応える。
 帽子を被りなおして、霊夢の後を追うように歩きだす。本堂を横切り、母屋の方へ。物干し竿しかない庭に面した縁側へ行くと、その縁側にごろりと寝転がった。その拍子に帽子が宙を舞い、再び顔を隠すように被さった。
「こっちに来ていいんですか? 向こうで待ってたほうが」
「いいんだよ。多分わかるだろ」
「いい加減ですねぇ……」
 そう言いつつも、早苗は魔理沙の隣に腰掛ける。
「でも、それだけ霊夢さんの事を信頼してるって事ですよね」
「…………」
 帽子を顔からどけ、お腹の上に乗せる。帽子の下から現れた表情は、無表情で瞳は天井を眺めていた。
「そうだな。それだけ付き合いが長いつもり……だからな」
 含みのあるいい方に、早苗は首をかしげる。それを回答を望む仕草だと判断し、魔理沙は口を開いた。
「時々、あいつが何を考えてるかわからない時があるよ。理解出来ないって言うのか……」
「掴みどころがないって感じですか? そんなミステリアスな人には見えないんですけど……」
「ああ、違う違う。まさに理解できないんだ」
「???」
 小首を傾げる早苗に、魔理沙は苦い笑いを漏らす。
「まあ、わからないかもな。きっと、私以外にも同じような気持ち抱えてる奴はいるかもしれないけど」
「あら、なにやら寂しいお話をしてるのね」
 空中に逆さ首が生えていた。
「ひゃ……」
 早苗が驚きの声を上げる。何事かと、魔理沙も目を向けるが、その顔を見て脱力したように息を吐いた。
「なんだ紫か」
「なんだとは失礼ねぇ」
 今度は魔理沙の隣、早苗とは反対側から声がした。
 気がつけば、そこに紫は立っていた。扇で口を隠し、さもおかしそうに早苗を見ている。
「え……ええ?」
 早苗は何がなんだかわからず、先ほど紫が居た場所と、目の前に居る紫を何度も見比べる。
「いつもこれくらい反応があればかわいいのにねぇ」
「あ、こんな所にいた」
 紫の嘆息と同時に霊夢の声が聞こえた。魔理沙は起き上がって振り返ると、居間のちゃぶ台にお茶と和菓子を乗せたお盆を置いている霊夢の姿があった。
「お、羊羹か。珍しいな。こんなものが霊夢の家にあるなんて」
 魔理沙はあがりこむと、早速お盆を覗き込んで黄色い声を上げた。
「失礼ね! まあ、紫が持ってきたものだけど……」
 それぞれ四方にお茶と羊羹を配りながら、霊夢はぼそりと付け加える。
 魔理沙としては食べられればそれでいいので、霊夢の言い分は聞き逃すことにした。
「そういえば、早苗はこの胡散臭いのを知らなかったのか?」
「え? あ、はい……」
 羊羹を切る楊枝で紫を指し示す。早苗は戸惑いの目を紫へと向け、しかしどうしていいかわからずとりあえず頭を下げた。
「なかなか礼儀正しいわね。私は八雲紫。まあよろしくね」
「あ、はい。東風谷早苗と申します。よ、よろしくおねがいします」
 紫の笑顔に対し、早苗は恐縮したように再び頭を下げた。
「そんなに畏まらなくたっていいわよ。紫だし」
 お茶を片手に、霊夢が苦笑する。
 魔理沙と霊夢の扱いが酷いと思ったが、当の紫は笑みを浮かべている。
 それくらい軽口の言える仲なのだろうと早苗は判断した。
「まあ、こうして妖怪と馴れ合うのも、今の幻想郷の流儀ですわ」
「別に馴れ合ってるつもりは無いけどなぁ」という霊夢のつぶやきは早苗には届かず、
「流儀……」
 そうつぶやいて、その言葉に早苗は驚きに目を見開いた。その表情に、紫は満足そうに微笑む。
「なんで知ってるのかっていう顔ですわね」
「どうせ盗み聞きしてたんだろ」
「早苗。紫の言う事をいちいち間に受けてたら駄目よ」
 羊羹を切り分けながら魔理沙が鼻で笑い、霊夢は澄ました顔でお茶をすすった。そんな二人の冷たい反応に紫はショックを受けたように畳に崩れ落ち、扇で顔を隠して「よよよ」と胡散臭い泣き声を上げはじめた。。
「あ、あの、べ、別に不自然だなんて思ってませんから! 怪しいとも思ってませんから!」
 流石に不憫に思ったのか、紫の傍まで近づき早苗は焦ったようにフォローをした。
 紫はと言うと、扇の下から舌を出して悪戯っぽく笑い近づいてきた早苗を羽交い絞めにする。
「素直ねぇ。そういう子、嫌いじゃないわ」
「わ、わわわ……!」
 予想外のことに驚き、早苗は助けを求めるように手を伸ばすが、それを二人は無視し、お茶と羊羹に舌鼓を打つ。
 これも、幻想郷の流儀だと言わんばかりの放置っぷりだった。
「わっ! なんで胸触ってるんですか!?」
「よいではないかー。よいではないかー」
「災難ね」
「災難だねぇ」
 霊夢が助けの手を出したのは、それから丸々二十分経ってからの事だった。



「宴会をしようか」
 開放された早苗を見て、魔理沙は唐突に呟いた。
「……なんですって?」
 小さな声だったにもかかわらず霊夢の耳は魔理沙の言葉をしっかりと捉えていた。
 だから魔理沙はもう一度、はっきりと宣言をする。
「宴会をやろう」
「それも流儀なんですか……?」
 神も妖怪もお酒が好きだ。お酒が苦手な、というよりまだ慣れない早苗にとって宴会と言うのは少しだけ気が引ける。
「ああ、そうだ」
「やるって軽く言うけど、どうせ準備するのは私なのよ?」
「その点は大丈夫だ。早苗にも手伝わせればいい。もちろんそれも流儀だ」
「魔理沙さん……流儀って言えばなんでも済むと思ってません?」
 そんな事はないと魔理沙は首を振る。
「しかし何でまた……宴会?」
「ほら、最近ご無沙汰だろ? たまにはいいじゃないか」
 それに――と魔理沙は心の中で付け加える。
 新入りの少女にも知ってほしいのだ。
 この、霊夢と言う少女を取り巻く環境を。
「と、言うわけでよろしく! 結構大人数にするつもりだから。早速参加者を募ってくるぜ」
「あ、待ちなさい! まだ許可するなんて――」
 霊夢の声を無視して、魔理沙は箒を片手に外へ飛び出す。許可はとってないが、こうやって無理やりにでも推し進めれば宴会の場として貸してくれるだろう。
 暫く神社の上空で霊夢が追ってくるかどうか待っていたが、一向に霊夢が出てくる気配はない。これは暗黙の内に許可したと考えていいだろう。文句があるなら追ってくるはずだ。
 毎度毎度悪いなぁと思ってるが、霊夢の所じゃないとまともに集まらないのだ。
「人望があると言うかなんと言うか……」
「あら、あなたの疑ってるそれは紛れもなく人望と言えるものよ」
 背後からの声に振り返る。紫だ。笑みを浮かべ、日傘を差して当然のごとくそこに居た。
 だから魔理沙も疑問を持たない。そこに居るのが当然のように話しかける。
「人妖構わず惹きつける。カリスマでもなく、畏怖でもなく……天然って言ったらいいのか?」
 眼下の博麗神社に視線を落とす。瓦が太陽の光を反射して、魔理沙はわずかに目を細めた。
「それなのに、あいつはそれを気にもしないんだろうな」
「何をそんなに怒ってるのかしら?」
 紫の問いかけに、魔理沙は首を振る。
「怒ってるわけじゃないさ。怒ってるわけじゃない……」
 怒ってないと……二度繰り返し、魔理沙は目を伏せた。
「ただ、それはちょっと寂しい事なんじゃないか?」
 本当に悲しそうに、魔理沙はそう漏らした。
「……それはあなたの独りよがりではなくて? 自分の寂しいと言う感情を押し付けるの?」
「違うさ」
 顔を上げる。眼前には試すような笑み。
「私が言いたいのは、霊夢がかわいそうって事だよ」
「ふぅん……」
 紫は目を細め、日傘をくるりと一回転させる。
「それで、あなたはどうしたいのかしら?」
「知るか」
 憮然と魔理沙は言い放った。その即答っぷりに紫は目を丸くする。
 問うたのに。答えを求めたのに。
 彼女は一蹴した。それは予想外でありながらも、なんとも彼女らしい答えであった。
 だから紫は笑い出す。それが当然のリアクションだと思った。
「なんだよ。文句あるのか?」
「無責任ねぇ。どうにかしたいのに、どうするかわからず、変化を待ち望むの?」
「だから言っただろ? 知るかって。私は私のやりたいように、自由にやるさ。どうにかするかもしれないし、どうにもしないかもしれない」
 お茶の席で、楽しく談笑するかのように魔理沙は言う。
「ま、やりたいようにやるさ」
「そう」
 魔理沙の答えに満足が言ったのか、それとも諦めたのか。いつも笑みを浮かべる紫の表情からは魔理沙は何も掴めなかった。
「そう言えばあなた探しものをしているわね」
「なんで知ってるんだよ……」
「香霖堂の店主から聞きましたわ」
 あの野郎と心の中で悪態をつく。ツケを払うためにあくせくしてるなんて恥ずかしいじゃないかと、魔理沙は苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。
「まあいいや。事情を知ってるならなんかくれ」
「不躾ねぇ。悪いけど、それはできないわよ?」
「……ケチ」
 唇を尖らせる魔理沙に対し、紫は愉快そう笑う。
「ったく、何もくれないならわざわざ話題に出すなよ。私は忙しいんだ。行くぜ」
 余計な事をしゃべったかなと後悔に似た気持ちが浮かんだがすぐにかき消した。
 きびすを返す。
 その背中に、一つの声が投げかけられた。
「あなたの探しモノ、見つかるといいわね」
 その声を無視し、魔理沙はその場を離れる。
「探し物が簡単に見つからないから頼んだんだがなぁ」
 幻想郷の空を飛びながら魔理沙は一人ごちる。なかなか霖之助の目に止まるブツを探すのは難しい。
 まったくわがままな奴だと、魔理沙は苦笑する。
 だが魔理沙はすぐにその笑いを引っ込めた。
「探しモノ……か」
 独り言は風にかき消され、どこにも残らない。
 当ての無い探しモノは、途方に暮れさせるに十分だった。



「ふぅ……」
 大きく息を吐いて彼女ははベッドに倒れこんだ。すでに外は暗く、しかし、月が出ているのか部屋の中はわずかに月光が差し込んでいる。
「つかれた……な。あちこち飛び回って宴会の知らせして来たもんなぁ」
 そう言って彼女はだるそうにベッドに深く身を沈ませた。けど、頭の居心地が悪いのか、手探りで枕を探り当てると頭の下に置く。彼女はしばし、僕の背にある窓から月を眺めていたが、やがて月から僕へと焦点を合わせると、手を伸ばし僕を掴んだ。
 あまり慣れたとは言えない手つきで、僕の頭を撫でてくれる。
「そういえば、お前も一人だったんだよな」
 幻想入りするくらい忘れられた僕。独りとなり、誰の記憶の中からも消え去ったのが僕だ。
 彼女の言葉に共感すると共に、彼女は苦笑を浮かべる。
「独りを自覚するものと、そうであろうとするものを比べるのは筋違いだよな」
 彼女はここにはいない、誰かの話をする。ぬいぐるみ相手へ独り言を彼女は弱音のように漏らす。
 彼女の言葉の意を考える。
 独りであろうとするもの。それはその誰かが皆と居て――それでもなお独りである事を望んでいると言うことだろうか。
「私の感情は押し付けなんだろうなぁ。あいつの心に踏み込もうなんてすることは。あいつは現状に不満に思っていないし、変わる事も望んでいない。あいつの心を揺さぶるのは愚行だよな。勝手に決めつけてそうすればいいなんて思い上がりにも程がある」
 その『あいつ』は独りであろうとし、彼女はそれを止めたがっている。そのことに迷いを持ちながら、それが間違いだと自覚しながらも彼女はどうにかしたいと考えている。
「でも――どうにかしたいんだよなぁ」
 僕と、彼女の言葉がシンクロする。
 どうにかしたい想いと、踏みこむべきではないというジレンマが彼女の心を揺さぶっているのかもしれない。現に彼女は眉根を寄せ、難しい顔で僕の背後にある月を眺めている。
「あ―――――っ」
 突然、放り投げられた。ベッドの上でバウンドし、彼女の手を離れた僕は彼女が苛立たしげに頭を掻いているのが見えた。
「らしくない」
 体を起こし、最初につぶやいた言葉はそれだった。彼女は不機嫌そうに眉根を寄せ、
「悩むなんてらしくない。後の事なんてやってから考えればいいさ」
 今までの鬱憤を吐き出すようにそんな言葉を吐き出した。
「まあ何をするかなんてわからないんだけどな。やれるだけやるだけさ」
 そう言って、彼女は再び枕に顔をうずめる。
 きっと、それは彼女なりの強がりなのだ。
 正解が分からない答えが見つからないことに対する、不安だ。
 でも、恐らく、彼女は進むことしか知らないから、強がってでも前へ進もうとする。
 僕は思う。それが彼女の生き方なんだろう。
 じゃあ、物言わぬ、動けぬ僕の生き方とはなんだろうか?
 そんなもの、存在するのだろうか?



 宴が始まる。
 神も妖怪も幽霊も人間も今この時だけは境界などない。それはどこぞの巫女のような平等さだ。
 皆同じ物を食らい、同じ酒を酌み交わす。
 今ここに居るのはただの酒飲み仲間だけだ。
「すごいですね……」
 近づいてきた魔理沙を見上げ、早苗は辺りを見渡した。早苗の手には透明な液体が入ったコップが握られているが、その中身が酒ではなく水だと言う事を魔理沙は知っている。それでも多少は頬が上気していると言う事は誰かに飲まされたのだろう。ちなみに魔理沙が持っているグラスにはきちんと酒が注がれていた。
 魔理沙も早苗につられ、博麗神社の境内を見渡す。
 誰もが思い思いの場所で鍋を囲み、あるいは酒を飲み交わし、または雑談に興じていた。
「全員、お二人の知り合いなんですよね……?」
「さてなぁ」
 笑みを浮かべて誤魔化す。恐らく早苗は信じちゃいないだろう。
 レミリアは霊夢に張り付いているし、咲夜はその後ろで苦笑している。正面では幽香が霊夢の愚痴でも聞いているのか愉快そうに笑っている。紫も霊夢の近くで幽々子と談笑をし、藍はその隣で静かに杯を傾けている。妖夢は橙の相手をしているようだ。
 少し離れたところでは、永遠亭の面子と慧音、妹紅、阿求に守矢の二柱がなにやら話し込んでいた。話の内容はわからないが、妹紅、慧音、阿求が中心だと言う事は里のことを話していると推測する。
 階段の方ではアリスとパチュリーは二人でなにやら話をしている。妖怪の山からも天狗や河童が来ていた。
 要するにいろんな妖怪がごっちゃになって集まり各々飲み明かしている。
 ただ、ただ飲み明かすだけ。
 三日も経てば、大昔の思い出に変わるだけ。
 人間である魔理沙はそれが少し寂しい。隣で物珍しそうに宴会を眺めている早苗も、いつかは似たような感情に駆られるのかもしれないし、もっと別なことを考えるかもしれない。
「よくこんなに集まりますねぇ……」
「皆、ただ飲んで騒ぎたいだけさ。誰かが主催して集めれば寄って来るだろうよ。でもまあ……」
 レミリアと言い争いをし始めた霊夢に向けた目を細める。魔理沙は視界の端で早苗が自分を見上げるのを捕らえ、口を開く。
「全員、霊夢に何かしら惹かれた結果だと思うんだよな。ここに居ることが、な」
「霊夢さんに……ですか?」
「ああ、あいつと相対して、知り合って、それからだよ皆。こうして集まって、騒いで。なーんか不思議な縁ができちまってた」
 肩をすくめ、しかし嬉しそうに魔理沙は笑う。
「昔っからなんだ。来るもの拒まずだからなのか、昔から人妖構わずに好かれてなぁ」
 なのに――。
 なのに――彼女の心の奥に入り込んだ奴は居ない。
 近づけば近づくほど、見えない壁が全てを阻む。
 それはいっそ、拒絶に近いほどに。
「……魔理沙さん?」
「――ん? おお。悪い悪い」
 下から顔を覗き込まれ、魔理沙は自分がぼぅっとしていることに気がついた。
「と言うわけで、霊夢は人気があると言うことさ。まああれでも博麗の巫女だしな」
「――魔理沙さん……どうしてそんなに悲しい顔をしているんですか?」
「――」
 ハッ、っと魔理沙は頬を押さえた。その見開かれた目で、どこか悲しそうに見上げる早苗に視線を移す。
 その顔を見て魔理沙は苦笑したつもりだった。
 実際は口の端がピクリと動いただけだ。それを自覚して、魔理沙は笑うのを止める。
 グラスに入った酒に目を落とす。
「納得が行かないだけさ……」
 そして浮かんだのは自虐の笑み。
「私は贅沢で自己中心的だからな。自分が納得いかないことはどうしても認められないんだ」
「納得がいかなことって……?」
「誰かが一人でいる事」
 神社を、境内を見回す。
 孤独でいるものなど一人も居ない。
 少なくとも、表面上は。
「一人ってのは寂しいことだからさ。出来れば手を差し伸べてやりたいんだ。たとえ、そいつがそれを望んで無くても。これは押しつけさ。傲慢で、我侭で、馬鹿らしい私の願望だよ」
「…………」
 早苗に視線を戻すと、何か考え込むように俯いていた。魔理沙からは頭の鉄片が見えるだけでその表情まではわからない。だが俯くと言う事は、なにかしら通じるものがあったのだろうか。
 魔理沙にそれはわからない。聞いてみようとしたが、開いた口から出る言葉を酒と一緒に飲み下した。簡単に他人の領域に踏み込むべきではないと思ったからだ。
 踏み込む時は覚悟とともに。
「魔理沙さんは、そのれ……いえ、その人に振り向いてもらいたいんですね?」
「……そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。ああそうだ違うな――」
 振り向いてもらいたいと言う感情は恋慕だ。
 それは違う。
 魔理沙が感じているのは――。
「横っ面引っぱたいて突きつけてやりたいのさ」
 にやりと魔理沙は笑う。
 魔理沙は拒絶の理由を知らない。
 どうして拒絶するのか? そんな事正面から聞いたって答えてはくれないだろう。だから魔理沙はやるようにやるしかない。
 それはきっと愚行で、お互いを傷つけるだけかもしれない。答えの片鱗すら見えないかもしれない。
 だが魔理沙にはそうすることしか出来ない。
 不器用だなと、つくづく思う。だがそれが自分なのだと言う思いもある。
「過激ですね……」
 早苗は魔理沙を見上げながら苦笑していた。
「私には正面突破しか出来ないからな。たまに回り道はするけど」
 胸を張って答える。
「届くといいですね」
「届くさ」
 顔を上げ、星空を見上げる。雲ひとつない空には満天の星が輝いていた。
「いつか、あの星にも――あいつにも――」
 口元には笑み。それも自信満々のだ。
 せめて虚勢であっても、魔理沙は信じる心をなくしたくはない。
 それは可能性を潰すことだから。
「結局、私には話しが見えてこなくて不明瞭な点が多いんですけど……」
 星空から視線を戻すと、早苗が困ったように笑っていた。
「なんだ。わかってたから問いかけたんじゃないのか?」
「いえ、まあ、誰の話をしているかはわかってたんですけど……魔理沙さんの言ってる事と現状がどうも噛み合わなくて」
「そっか」
 そりゃそうだなと魔理沙は頬を掻く。すぐに見抜けるほど早苗が勘のいい人間だとは魔理沙は感じなかった。勘がいいかどうかなんて、近くに馬鹿みたいに勘が鋭い人間という比べる対象がいればなんとなくわかる。
「わかんなきゃ、それでいいのさ」
「んー……なんかはっきりしないと気持ち悪いです」
 眉根を寄せて不満そうに早苗は不満を表すが魔理沙は言う気は無い。
「知りたきゃ、自力で気づけ。じゃないと意味が無いからな」
 笑みを浮かべて魔理沙は早苗に答えた。早苗は唇を尖らせて抗議をするが、魔理沙は無視してグラスに口をつける。
 いつかこの少女も気づくときが来るのだろうか。
 なるべくなら、そんな日が来なければいいと思った。
「さぁて、そんなことより飲め! 泥酔するまで飲ませてやるぞ」
 魔理沙はエプロンのポケットに手突っ込み、そこからウィスキー、ワイン、焼酎と次々に早苗の前に酒瓶を置く。
「どっからそんなに出てくるんですかっ!? そ、それに私まだ未成年ですしお酒はあんまり……って人のコップ!」
 魔理沙は問答無用で早苗のコップを奪い取ると、手首を捻って逆さにした。
 コップに入っていた水は一瞬にして地面に吸い込まれ、自然へと帰った。
 そして空けたコップに魔理沙は問答無用でワインを注ぐ。
「さあ、飲め」
 笑顔で、笑顔を引きつらせている早苗の前に突き出した。
「いえ、だからその……私飲めませんってばっ! 弱いの知ってますよね!?」
「あー? つい五秒ほど前にそんな情報忘れたなぁ。私の酒が飲めないのかぁ?」
「なんですかその酔っ払いの言い分っ。魔理沙さんそこまで酔っ払ってないですよねっ?」
「そんな事は関係ないぜ」
 コップを片手ににじり寄る。それにあわせて、早苗も後退しようとするが、前進と後退どちらに分があるのか比べるまでもない。
「こーら、早苗をいじめるな」
 後ろからコップを奪われ、魔理沙はちょっとだけ不満そうな顔をして振り返った。
 そこには変な帽子を被った金髪の少女が、まるで悪戯をした子供を見た母親のようにちょっとだけ困った笑顔を浮かべていた。
 洩矢諏訪子だ。
「酒飲めない子に無理やり飲ませちゃダメでしょ。ほら早苗、ここは任せて向こういってるといいよ」
「宴会なんだがなぁ。それに飲まなきゃ強くなれないぜ」
「おいおい飲めるようになりますよ……せめて成人してからにしてください……」
「元服は一五なんだがなぁ」
 そそくさと逃げる背中にそう言葉を投げかけ、魔理沙は、やれやれとでも言うかのようにグラスに口をつけた。
「なかなか興味深い話をしていたね」
「地獄耳だな。たいした話じゃないぜ?」
「誰も踏み込ませない少女の話ね……」
 聞いても居ないのに、諏訪子は勝手に話を進める。仕方なく、魔理沙は諏訪子に向き直り諏訪子の言葉に耳を傾ける事にした。
「周りに理解者がいるだけで幸せだと思うけどね。――早苗はそれが叶わなかったから……」
「叶わなかった?」
「私たちが理解者だからいいんだけど。あの子、外の世界では特殊な子だったし、あまり受け入れられなかったの」
 その時、見ていることしか出来なかったしねと諏訪子は付け加える。
 そうかと魔理沙は気がつく。先ほど俯いていたのは自分が一人だったときを思い出していたのかもしれない。
 そして早苗は気がつき、受け入れた。自分を見守ってくれる存在を、だ。
 同じ巫女なのに、霊夢とは正反対だ。
「そうか……。わざわざそんな事言ってもいいのか?」
「さぁてねぇ。出来れば早苗には内緒にしておいて欲しいだけど?」
 唇に人差し指を立てて、諏訪子は悪戯っぽく笑った。
「聞かなかったことにしておくぜ」
 苦笑して魔理沙は答える。
 宴会はまだ始まったばかりだ。月はまだ昇ったばかりで、満月に近い上弦の月が周囲を照らしている。
 夜が明けるまでまだまだ時間がありそうだった。



 彼女が帰ってきた。ふらふらと足取りおぼつかなく、所々壁にぶつかりながら僕のいるベッドの方へ歩いてくる。大丈夫だろうか?
「あー……悪酔いしたかな。気分悪いぜ……」
 月明かりに照らされた彼女の顔は紅く上気していて、顔をしかめて口を押さえていた。
 彼女は帽子をベッドのヘッドボードに置き、ふらふらと奥に消えてしまった。
 けど、数分もしないうちに彼女はコップを片手に戻ってきた。どうやら水を取りにいっていたみたいだ。でも二つも持ってくる必要があったんだろうか?
 彼女はベッドの縁に座ると、まず片方の手に持っていた水を飲み干した。空いたコップとともにもう片方もベッド横の台に置き、彼女は脱力したかのように背中から倒れこむ。
 彼女は暫く、眉根を寄せて目を瞑っていたが、ゆっくりと瞼を上げる。彼女の目が僕を捕らえた。
「……忘れ去られたぬいぐるみ」
 その言葉から一呼吸置いて、次の言葉が吐き出される。
「壁を作ったあいつ……」
 かみ締めるように彼女は言葉をつむぐ。
「違うのに、何もかも違うのに――どちらも独り……」
 彼女は手を伸ばし、僕を掴んだ。そのまま腹の上に乗せ、手足をいじって弄ぶ。
「あいつは、人間以外だったら心を開くかな?」
 彼女の口から出たのはそんな呟き。
 僕には彼女の考えが読めた。
 僕と彼女の言う『あいつ』って人に引き合わせるつもりなんだろう。
 僕は彼女と離れるのが少し寂しかったが、我慢することにした。どちらにせよ僕には拒否権はないのだ。なにせ物言わぬぬいぐるみだから。
 彼女だって、『あいつ』だって、僕を忘れ去らないとは限らない。
 それがきっと僕の運命って奴なんだと思う。
「ものは試しだな……。よしおまえ、ちょっとあいつとの仲を深めてくれないか?」
 やっぱりこうなるかと僕は諦めにも似た気持ちになった。息をしていればきっとため息をついていたはずだ。
 僕に出来ることはせいぜい、次の主人がいい人である事を願うだけだった。



 次に日の昼、魔理沙はぬいぐるみを抱えて神社に降り立った。
 境内には居なかったので、縁側の方に回りこんでみると案の定霊夢はのんびりとお茶をすすっていた。
「よう相変わらず暇そうだな」
「魔理沙ほどじゃないわよ」
 霊夢の前に降り立った魔理沙に、一瞥もくれず霊夢はお茶をすする。
 その霊夢の眼前に魔理沙はぬいぐるみを突きつけた。
「プレゼントだ」
「……は?」
 突きつけられたぬいぐるみを反射的に受け取って、霊夢は魔理沙の言葉に目を丸くした。霊夢の視線は魔理沙と人形を交互に往復し、最後に思いっきり顔をしかめて人形を睨み付けた。
「いったい……何をたくらんでるの?」
 その発言に魔理沙はぎくりとしたが、表情には出さず何の事だとしらを着る。
「急にプレゼントだなんて。しかもぬいぐるみだし」
「ただプレゼントしたくなったのさ」
「や、だからなんでまた?」
 霊夢の言葉に、魔理沙は箒の柄で下がってきた帽子を押し返す。
「そのぬいぐるみ、無縁塚で拾ってきたんだ。大方幻想入りしたんだと思う」
「って、もしかしたら死人のかもしれないじゃない! 気味悪いわねぇ」
 霊夢は嫌そうな顔をして、人形を遠ざける。
「おいおい、そんな風に扱うなうよ。かわいそうじゃないか」
「かわいそう……?」
 怪訝な表情で、何を言っているのか分からないと言ったように霊夢は魔理沙に視線を向ける。
「そうさ。だってそうだろう? 誰からも忘れ去られたからここに在るんだ。それはかわいそうなことだろう?」
「……知らないわよそんなの。それになんで私にくれるのよ? そんなに哀れむのなら魔理沙が持ってればいいじゃない」
 プレゼント……というのは嘘では無いのだが、霊夢には押し付けられたと認識されたようだ。
「私じゃ、いずれどこかになくしそうだからな」
 苦笑を浮かべる。個人的に整理整頓はしているはずなのだが、誰もが皆首を振る。魔理沙としてもよく物をなくすのを自覚しているから、そう言うものなんだろうと諦めている。直す気はさらさらない。
「もう一度言うけどなんで私なの? アリスは?」
「あいつは、人形専門だ。ぬいぐるみにかまけると思うか?」
「パチュリーは?」
「本の虫だからなぁ……。貰った事すら忘れそうだ」
「ええっと……霖之助さんは?」
「論外すぎる」
「にとりはどう?」
「改造するだろあいつ」
「えっとえっと……もっとマシな奴はいないの!?」
「一番マシそうなので霊夢だぜ」
 どこか諦めたようなため息をつき、霊夢は手元のぬいぐるみに視線を落とした。
「愛着なんて持て無いわよ」
「構わないさ。ただ、出来れば見えるところに置いてやってくれ」
「勝手ねぇ」
「勝手さ」
 にやりと満足そうに笑って、魔理沙は箒にまたがる。
「もう行くの? お茶くらいなら出すけど?」
「いや、いいよ。まだやる事があるんでね」
 そう言って飛び立とうとする魔理沙の背中に霊夢の声がかかる。
「魔理沙! ちょっと、ちょっと待ちなさい」
 その声に反応して振り返ると、慌しく家の奥に消えていく霊夢の背中が見えた。なんだろうと首をかしげ、箒に乗ったまま待つ。
 数分で霊夢は戻ってきた。無造作に手に持ったそれを突き出してくる。
 それは、勾玉だった。紐が通され首から下げられるようになっている。
「これ……」
「あんたこの前ガラクタ欲しがってたでしょ。貰いっぱなしも気味が悪いし、あげるわ」
「あ、ああ……ありがと」
 霊夢に近づき、それを受け取る。大きな朱色の勾玉は、ちょっと珍しいものかもしれない。
「拾い物だからガラクタだけど、同じ拾い物だから構わないわよね」
「ああ、十分だぜ」
 わずかに笑顔を向ける霊夢に、魔理沙も笑顔で応える。
 最後にぬいぐるみにチラリと視線を向け、今度こそ魔理沙は飛び立った。



「やれやれ、慌しいわね」
 ため息が上から聞こえる。
 彼女は行ってしまった。今日から、この紅白の巫女が僕の新しい主人だ。
 彼女は再び縁側に座り、僕を巫女の目線の高さまで持ち上げた。彼女の黒い瞳に僕の顔が移る。
「何か仕込んであるんじゃ無いでしょうね?」
 そんな疑いをかけられ、あちこち弄られる。顔を押し込んだり、胴体を潰したり、手足を弄んだりとやりたい放題だ。
「何も無いわね……」
 諦めたのか、彼女は僕を膝の上に置いた。
「ぬいぐるみ……っていう歳でもないんだけどなぁ」
 そう言って彼女は頭を撫でたり、手足を弄ったりして来る。
 それは遠い日の、最初の主人の事を思い出させた。
「あ、霊夢さんここに居たんですね?」
 主人でも無い、黒白の彼女のでも無い別な声が聞こえる。
 地面をこする足音が聞こえ、やがてその人は僕の視界に現れる。
「あれ? どうしたんですそのテディベア」
 蛙と蛇の髪飾りをつけた、紅白の巫女とは対照的な青白の巫女――が僕を覗き込んでいた。
「テディベア……っていうの? このぬいぐるみ」
「ええ、外の世界じゃ結構人気なんですよ」
「ふぅん……」
 僕は知っている。人気があるから幻想に近く無いとは言い切れない。無いものも、在るものも等しく幻想は近いって事を。手にするものが多ければ、それほど忘れる人が出てくる。無いものは……言わずもがな。
 個人的に幻想となったものなどここにはいくらでも流れ着くのだろう。
「ぬいぐるみとか懐かしいですねぇ……」
「っても、ぬいぐるみと遊ぶような歳じゃ無いんだけどねぇ」
「いいじゃ無いですか。それにどうしたんですか? テディベアなんて」
「魔理沙から貰ったのよ。なんでぬいぐるみなのかしら?」
「魔理沙さんには魔理沙さんなりの意図があったんじゃ無いでしょうか?」
「意図ねぇ。かわいそうだから貰ってやってくれとは言われたけど」
「それですよ」
 主人の言葉に青巫女は手をあわせ、顔をほころばせた。しかし、主人はその後の言葉を出さず、黙り込む。不思議に思ったのか、青巫女は首を傾げると主人の顔を覗き込んだ。
「霊夢さん?」
「このぬいぐるみ……貰ってくれない? 私より、早苗の方が大切にしそうじゃない」
 黙り込んだ分、主人の口からはとんでもない言葉が漏れた。
 もう、主人交代といくのだろうか。
 主人の言葉に、青巫女は腰に手を当てると深くため息をついた。
「それは、魔理沙さんが、霊夢さんに、プレゼント、したものですよ?」
 一字一句力強く、諭すように、分からせるように青巫女は叱咤する。
「そうね……。うん、ごめん」
 あっさりと主人は前言を撤回した。後ろめたい部分があったのだろうと思う。
「――昔、私もぬいぐるみ持ってたんです」
 腰から手を離し、青巫女は前で手を重ね、どこか遠い日を思い出すように目を細めた。
「……?」
「でも歳を重ねるうちにだんだんと遊ばなくなって……子供の頃遊んでたぬいぐるみ達は十の歳になるときには一つも見当たらなくなってたんです。それである時、ふとそのぬいぐるみ達の事を思い出して、探して見たんです。そしたら――物置の隅で、ほこりを被ってました。日の当たらない場所で。誰の目にも届かない場所で。今にも幻想になりそうで」
 青巫女が、主人を正面から見据える。真剣な目で。真面目な瞳で。
「だから――大切にしてやってくれませんか? せめて、時々でいいからその存在を思いだす程度には」
 沈黙が降りる。
 青巫女は主人に視線を向けたままで、主人も恐らくは青巫女と視線をぶつけたまま。
 風が吹き、鳥の声が聞こえる。お互いの息遣いまでも聞こえそうなほど黙りこくった二人の関係を崩したのは主人だった。
「……魔理沙も早苗も、どうしてたかがぬいぐるみにそんなに入れ込めるのかしら」
 ため息と共に主人はそんな言葉を吐いた。
「でも、くだらない事に入れ込めるって凄い人間らしいですよ?」
「……」
 主人が僕の頭を撫でる。
「人間……ねぇ」
 主人が首を動かす気配がする。横ではなく縦へ。きっとそれは空を見上げる行為だ。その証拠に、声は僕へと落ちず青巫女――いや、空の向こうに向けて放たれる。
「私は、人でなしなのかしらね」
「霊夢さん?」
「冗談よ」
 青巫女の驚いた顔に、主人は笑いを含む声で応える。
 ――その一言は、彼女の何かを揺るがした結果なのかもしれない。僕が来たからか、それとも青巫女の力か、はたまたその両方か。
 彼女の思惑通り――いや、期待などしていなかった彼女にとっては思惑の外で――主人の心はあの瞬間、確かに揺れ動いたのだ。
 それはきっと決して大きくなく、だが小さいわけでもなく。
「で、あんたまた何しに来たの?」
「あ、それはですね――」
 誰も彼も気がつかないまま、日常は繰り返す。少し変わった事と言えば僕がいる事くらいだろう。
 いつかに繋がる楔を残して、日々はまた巡り始める。



「やあいら――魔理沙か」
 香霖堂の扉を空けた主に対して、霖之助はこっそりとため息を吐いた。
「相変わらずの挨拶だな。客だぞ? しかもお得意様だ」
「その台詞は商品をもっと買って行ってからにしてくれ。お茶は飲むわ、台所は勝手に使うわで冷やかしの方がよっぽどマシだよ」
 扉から定位置に至るまでの間、そのような会話が交わされた。
「まあまあ、今日は客だよ。たぶん」
「客である事にたぶんと言うことは、客では無いといっていることと同義だよ?」
「じゃあ客さ。ほれ、これでどうだ? 下取り相手も立派な客だろう?」
 そう言って魔理沙は霖之助がいつも本を読んでいる机――つまり霖之助の前に一つの物を置く。
 それは金属の輪に四つのリングがついたもの。輪はリングの中を通っており、リングがくるくると回せた。
 霖之助がそれを手に取り、眺めたり、リングを取ろうと引っ張ったりする。
「で、それはいったいなんなんだ?」
「ジターリングって呼ばれるものだね。装飾品かな?」
「なんだ。やっぱりその程度なのか……。まあそれならいいや。ツケの分、それでいいよな?」
「まさか、これだけじゃ足りないよ。もう少しって所だね。ところで魔理沙、何か首から提げてるのかい?」
 霖之助の目が、魔理沙ののど元へ注がれる。そこには服の襟からわずかに紐が覗いて見えた。
「ああ、これか?」
 服の中に手をいれ、それを取り出す。紅い勾玉を。
「これは……」
 霖之助が乗り出し、それを触った瞬間、彼の眉根がわずかに動いたのを魔理沙は見逃さなかった。
「魔理沙。これを譲ってくれないか? これなら今までのツケもなくなるよ」
 何て事も無げに霖之助は言う。だがツケが無くなるのは、いくらなんでも怪しすぎだろうと魔理沙は内心笑い、その笑みを実際に表に出した。
「やだね。これは大切なもんなんだ。そうそうあげられるかよ」
 舌を出して魔理沙は勾玉を守るように霖之助の手を払う。
 ステップを踏むようにくるりと身を翻らせ、魔理沙はドアの前に立った。
「それじゃ私はもう行くぜ。またどうでもいい物があったら持ってきてやるよ」
「うちはゴミ捨て場じゃ無いんだが」
「似たようなものさ」
 そう言って、魔理沙はドアを開け箒にまたがる。
 星の軌跡を残して、ドアを開け放ったまま魔理沙は青空の中を飛び出していった。





 ――和で統一された室内に一つだけ洋風のものがある。
 ――調律を乱す物ながら、そこに在るべき物のように鎮座している。
 ――時折普通の魔法使いが、元気かと頭を撫で。
 ――時折奇跡の巫女がいとおしむ様に抱き。
 ――毎日楽園の巫女が視線を向ける。
 そうして、彼は彼女らの日常を見守り続けた。


(完)
始めました。じゃなくて始めまして。
長い(のか?)くせに中身が無いものをここまで読んでくれて(もしかしたらあとがきから読む派もいるかもわかりませんが)ありがとうございます。
いくつか修正はしましたが、誤字脱字があるかも分かりません。その時はご容赦を。できる限り修正はしますがー。
なにぶん初投稿な物で見難かったり、読みづらかったりしますが諦めてください(ぇ
ほのぼのとした幻想郷のとある日常を目指して書き上げたこの作品。楽しんでもらえれば幸いです。
9/21 0:28:霖之助が霖乃助だった不具合を訂正。香霖が香林だった不具合を訂正。
訂正されてるはず・・・。
最低だ・・・俺ってorz
金田々々
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コメント



0.1590簡易評価
2.80名前が無い程度の能力削除
続きが読みたいです
4.100煉獄削除
面白かったです。
あの視点はぬいぐるみの視点・・・ですよね?
それがとても良かったと思いました。
15.90名前が無い程度の能力削除
面白いです…が、誤字…
霖乃助でなく、霖之助ねww

あと香林でなく香霖
21.80名前が無い程度の能力削除
なんと適応力の高いテディベアなんだ。

そんな事はおいといて。
簡潔な文章と構成が読みやすかったです。キャラもいい感じに原作の匂いがしますね。
幻想入りしたというテディベアの設定と、独白的な視点も中々。
最後はちゃんと「僕の生き方」を見つけられたようで、なんとなくほっとしました。
魔理沙は霊夢を動かす事に成功したわけですが、この後この二人はどうなるんでしょうね。

不満を上げてみると、もうちょっとメタファー的なポジションにテディベアを置いた方がよかったんじゃないかと思いました。ちと喋りすぎな感じが。
あと、早苗の外の世界でのあれこれを諏訪子との会話であっさり済ませちゃうのも、個人的には勿体無いかなあと。テディベアと、かつて独りだった早苗。ここでも何かエピソードが書ける気がします。
霊夢と魔理沙がメインになってるんで、ここもしょうがないっちゃしょうがないかもしれませんが。

と、つらつら書いてきましたが、楽しく読めました。
次回作も期待しています。
38.100名前が無い程度の能力削除
最後でじわっときました。
39.100名前が無い程度の能力削除
うちのぬいぐるみどこやったかな・・・
40.100名前が無い程度の能力削除
まさか霊夢から貰った勾玉は八尺瓊勾玉か?w