青空が恨めしい。
太陽は幻想郷を満遍なく照らし、神域たる博麗神社を相手どっても手を緩める気配はない。蝉も便乗しているのか、短い生涯を満喫せんと、さながら騒音じみた音を境内に提供していた。
ぐてーっとなるのも無理はない。巫女だって人間だもの。暑がるさ。
縁側に寝そべりながら、足をちょろっとはみ出して、うーうー唸るのは博麗の霊夢。いい具合に縁側は影になっていたけれど、気温の方は自重しない。
せっかく垂らした風鈴も、先ほどから一向に鳴ろうとはしなかった。控えめな性格なのか。出る杭が打たれるのは人間同士の話であり、風鈴の世界では関係ないだろうに。愚痴ったところで、無機物が反応してくれるわけもなし。彼は霊夢以上にマイペースなのだ。
「あーうー」
どこぞの蛙様みたいな鳴き声を漏らし、ごろりと寝返りをうつ。年代を感じさせる天井が一転、夏の風景とタイトルを付けられそうな光景が広がった。
遙か遠くには青々とした山。立ち上る入道雲。眼下には水田、そして水田。鬱蒼と茂る林さえも、今日は夏の彩りに感じられる。これで気温が低ければ、いと風流なりと目を細めるのだが、人間余裕が無いと何だって腹立たしく思えるから不思議だ。
見慣れた黒い衣装だって、今日見れば暑苦しくてしょうがない。
「だらしない巫女だな」
「あるがままに振る舞ってるだけよ。黒づくめの格好をしてるよりマシでしょ」
またがった箒から降りたのは、居るだけで気温が二度上がりそうな服を着た魔法使いだった。霧雨魔理沙という名前の割には、雨より晴れの似合う少女だ。
「ルーミアなんかは涼しそうだぜ」
「黒いからって暑いとは限らないのよ」
「矛盾だな」
「暑さのせいよ」
ああ何と便利な言葉か、暑さのせいよ。この夏は、この言葉だけで乗り切りたいところ。さしもの霧雨魔理沙だって、この言葉の前にはあきれ顔しか出来やしない。
箒をゆっくり立てかけて、だらしない巫女の隣に座る魔理沙。心なしか影が強くなった気がして、霊夢の機嫌が二あがった。百溜まるとハートが一つ増えるらしい。
「ところで、何しに来たの。今日は神社も休業中。お祈りやお祓いなら別の神社に行って頂戴」
「職務怠慢にも程があるぜ。まあ、茶を飲みにきただけだがな」
「悪いわね」
「本当に、今日は駄目な巫女だな」
そう言いながら、お茶を入れようとしない辺りはさすがの魔理沙。こうなると、先に動いた方が負けのパターンだけど、いつだって先に折れるのは霊夢だった。お茶は飲みたい。でも魔理沙が動かないのだから、自分が動く。
面倒くさそうに起きあがり、炊事場に向かった。
やかんに水を入れて、火にかける。後は急須に茶を投じ、お湯が出来るのを待つばかり。本当は湯飲みを温めたりするのだが、そこまで拘ることもないだろう。
湯飲みと急須を盆に乗せ、戻ってみるとベストポジションが占拠されていた。これに茶を振る舞うのは些か気乗りしないけれど、せっかく入れた茶を無駄にするのも惜しい。仕方なく、霊夢は茶を二杯用意した。
「あなたは今日も駄目な魔法使いね」
「駄目じゃない魔法使いを見たことがあるのか?」
言われて納得。見たことないわ。
「熱いから気をつけて」
起きあがった魔理沙に、湯飲みを手渡す。結構熱めにしたつもりだが、難なく魔理沙はそれを飲み干した。一気飲みと言っても差し支えはない速さだ。
「熱くないの?」
「暑いのも熱いのも平気な方だからな。その分、寒いのは苦手だ」
よく見れば、これだけ暑苦しい格好をしているのに汗一つかいていない。魔法によるものなのかと思っていたが、単なる体質らしい。熱中症になっても気づかれにくそうだけど、羨ましい体質である。
一口一口、火傷しないよう気を付けながら霊夢は喉を潤した。胃の中がほんのり温かくなり、汗の出が早くなる。しかしそれも一瞬のこと。その後は、清涼感が身体中を優しく撫でていく。
ふう。二人して、幸せそうな顔で溜息をついた。
「これでスイカがあれば完璧なんだがな。そういや、鬼はどうした? 姿が見えないようだけど」
いつのまにか居着いた萃香は、我が物顔で神社をゴロゴロしている姿がしばしば目撃されている。参拝客の中には、あれが狛犬に変わる新しい眷属かと拝む者すらいた。大丈夫か、人間の里。
「さあ、なんだか知らないけど最近は姿を見ないよ。多分、スイカ割りと言って自分を割られるのが怖くて逃げたんじゃないかしら」
「今時、そんなネタを使う奴なんていないのにな」
その頃、紅魔館では主人とメイドが「ねえねえ咲夜、面白いこと考えたんだけど」「萃香割りならしませんよ」というやり取りを繰り広げ、主人が軽く涙目になっていた。
閑話休題。
お茶を飲んだ二人は、まるで姉妹のように仲良く縁側で横になっていた。足は外に向けられて、視線は鳴らない風鈴に集まる。昔気質の風鈴は、鳴ったら価値が下がるとばかりに口を割らない。いっそ本当に割ってやろうかと、霊夢の心で物騒な炎が燃え上がろうとしていた。
「霊夢、今日の昼は何食べた?」
「素麺」
「昨日の夜は何食べた?」
「素麺」
「じゃあ、今日の夜は何食べるんだよ」
「ピンク色の素麺」
「贅沢な」
などと二束三文にもならない会話を続けること三十分。会話が途切れた。蝉の声との耐久レースは圧倒的大差で霊夢・魔理沙チームの敗北だ。トロフィーやるから土に帰れと言いたくなる。
もっとも、七年もの歳月を経てようやく地上へ出てきた彼らにそんな事を言えるのかと問われれば、首をどちらにも振れないだろう。無回答。知るか。
「あーうー」
ちょっと気に入ったうなり声を上げながら、霊夢は隣の魔理沙に視線を移す。暑さに強いというだけあり、この状況下でありながら、すやすやと心地よさそうに寝息を立てていた。
あどけない少女の姿に、ちょっとした嫉妬心が芽生えるけれど大地の底に放り投げておく。自分だって、横になってりゃそのうち寝られるだろう。
不思議なものだ。どれだけ暑くても、縁側では寝られる。
きっとここには、特殊な結界が張られているのだ。
そう決めつけて、霊夢も目蓋を閉じる。
その前に、魔理沙の頬をつついておくのも忘れない。
「……んぅ?」
子供のような反応を見せる。これで、気持ちよく夢の世界へ旅立てる。
空気を読まない風鈴は、ここでも音色を聞かせることは無かった。
蝉の声に混じり、虫の音と烏の鳴き声が聞こえ始める頃。山の向こうが橙色に染まり、文字面だけで藍が興奮し始める。
増長していた温度も少し控えめになり、夜の到来を間近に感じさせた。
ふと、霊夢は目蓋を開ける。縁側に橙色の光が差し込み、黒い魔法使いの色を薄く染めていた。自分より早く寝ておきながら、自分より遅く起きるとは。どれだけ人生を楽しんでいるのだろうか、この少女は。
身体を起こす。まだ若干寝ぼけ気味の四肢を伸ばし、眠気よ吹き飛べとばかりに欠伸を少々。ぼーっとしていた頭も、この頃には七の段が出来るくらいに覚醒していた。八の段は、まだ危うい。
「あーうー」
大して暑くもないのに唸ってみる。完全に気に入ったらしい。後日、この口癖を賭けて霊夢と諏訪子が対決することになるのだが、その話は早苗の心の中で永遠に生き続けているよ。
「ん……早いな」
うなり声に反応してか、魔理沙もようやく目を覚ます。頭の下から、つぶれた帽子が現れた。あれを枕代わりにしていたから、快眠爆睡できたのだろう。多分。
「さすがの夏も、夕暮れ時になると多少は自重してくれるようね」
「まあ、四六時中大暴れってわけにもいかないからな。太陽にも帰る家があるんだろ」
「魔理沙と違ってね」
「いや、私にも帰る家はある。ただ、帰らないだけだ」
迷惑な事を名言のように言えるスキルは、褒めるべきなのかもしれない。つけあがるから言わないけど。
「じゃあ、夕食もウチで食べていくわけね」
「どうしてもって言うなら仕方ない。ピンク色の素麺をご馳走になってあげるぜ」
家主の立場が反転したのかと思ったが、おかしいのは魔理沙の態度だったようだ。それなりに経験を積んできた霊夢なら軽くスルーできるのだが、パチュリー辺りはマトモに対応しようとしていつも苦渋を舐めさせられている。
悪びれた風もない魔理沙は、ひしゃげた帽子の修復に夢中だ。配膳ぐらいは手伝って欲しかった。
「ああ、暇なら蚊取り線香を出しておいて。そこ、網戸が無いから夜は虫が入ってくるのよ」
「窓を閉めればいいだろ」
「寝るときは開けて寝るの。頼んだわよ」
渋々、動き出す魔理沙。さすがにこれを断るほど馬鹿じゃなかったようだ。
ただ、寝るときの事を持ち出した途端に働きだすということは、寝床もココにするつもりかという若干の疑惑も生じる。できれば臨時査問会を開いて問いつめたいところだが、生憎と素麺を茹でなければいけない。素麺>査問会の数式は全世界共通である。
湯飲みを盆に戻し、炊事場へ戻る霊夢。
頑固で空気を読まない風鈴は、ここで一つ音色を奏でた。
涼しい音というには遅すぎたが、とても風流だ。
霊夢は満足した。
あれならば、明日も吊す価値がある。
夏の夕暮れ。一つの風鈴が、こうしてお蔵入りの悲劇を免れた。
あと網戸ってのがなんか違和感ありました。
我が家の風鈴はその内幻想入りしそうです、何かあったらその時は何卒
あー☆うー☆
kwsk
開けとく場合、網戸や蚊帳や簾なんかと併用しないと
そういえば、簾関連のネタがあったのに忘れてました。次の作品に活かせたら良いなと目下思案中。
さて、風鈴を出すか。
誤字かはわからんけど一応。
苦渋を舐めさせられ→苦汁を舐めさせられ
な気がする、どっちでもいいのかもしれないけど。
藍様が大変です、たぶん暑さのせいです。