四季映姫は不審がっていた。
ここ最近、やたらと小町の働きが良いのだ。いや、働きが良いというか、サボらなくなり、仕事に一所懸命になっている。
……それが本来は当然の姿であることは言うまでもないのだが。
けれど、暇さえあればサボるチャンスを伺うような、力の入れ所を間違えている小町が真剣に働いていると、何か手放しで素直に喜ぶことができなかった。
「……何か、あったのでしょうか」
ぽつりと呟く。
勤勉だからミスがないというわけでもなく、説教をする機会はある。けれど、サボりがなくなるだけで、説教の回数は恐ろしく減った。普段どれだけサボっているのかが良く判る瞬間だ。
ふぅと、映姫は大きく溜め息を吐いた。
考えても仕方のないことだし、働いている分には問題がない。そうは思ってみるものの、気になることには変わりがなかった。
今日はたまの休日。実に面白みのない休みの使い方であった。
「お困りの様子ですわね、楽園の閻魔様」
「帰りなさい、八雲紫。ここはあなたの来るべき所ではない」
声の掛かった瞬間に、相手の顔も見ずに映姫は応えた。
「あら、つれない」
声を掛けた女性は八雲紫。幻想郷に住む大妖怪である。
「何故あなたがこんなところにいるのです」
「暇を持て余しておりまして」
「帰りなさい」
紫の返答を聞いて、映姫は理由を訊ねたことさえ後悔した。
このままでは埒が開かないと見ると、紫は大きく話を変える。
「推理して判らないのでしたら、浄玻璃の鏡で死神を映せば解決しますよ」
「あれはそんなことに使用する道具ではありません……紫、あなた判って言ってますよね」
「とんでもないですわ。私はただ、閻魔様の心煩いを取り除こうと思っているだけです」
そう言いつつもにやにやと笑う。紫の口にする言葉はほんの建前であり、それが建前であることを隠す気はこれっぽっちもないようである。
映姫は、また大きく溜め息を吐いた。
「それで、用件は何ですか」
このままでは話しが終わらないと見て、渋々と映姫は訊ねた。
「既に言いましたわ。私はあなたの心煩いを取り除こうと思っているだけ」
どこまでが本気でどこまでが冗談なのか判らない表情を作り、紫は優しげににこりと笑う。
「死神がサボらなくなった理由。そのヒントを差し上げようと思いまして」
「……あなた、理由を知っているのですか」
疑わしげな閻魔の表情。けれど、この妖怪なら知っていてもおかしくないと思うと、一蹴することもできなかった。
「浄玻璃の鏡を使わない閻魔とでしたら、遙かに私の方が情報には通じているでしょうね。何せ、あなたは仕事に時間を割かれますが、私は日がな趣味で情報を集めているわけですから」
何か無性に説教をしたくなってくるのを感じたが、とりあえず映姫はそれを堪えた。
「それで、そのヒントとは何です」
「ヒントは『たましい』。この一言に尽きますわ」
口元を扇で覆いつつ、流し目で紫は閻魔を見る。その様子が、言葉に含まれる言葉通りではない思いを映姫へと伝え、閻魔を僅かに震わせた。
「……魂?」
思わず聞き返してしまう。けれど、紫はそれを斜に受けて、話を終えようとし始めた。
「このヒントが全てを物語っています。これに、もうすぐ夏だということを加えて考えれば、自ずと答えは出るでしょう」
最後に夏であることも重要だと語ると、紫は映姫の前でクルッと回ってみせる。それは、もうここを去りますという意思表示であった。
「それではご機嫌よう。存分に悩んで暇を潰してくださいな」
「……私はあなたと違って、常日頃、暇を持て余しているわけではないのです」
そんな文句をにやにやと受け止めつつ、紫はスキマへと入り姿を消した。
紫が姿を消すと、ぽつりと静かな部屋に映姫は一人になる。そうなると、自然と映姫は思考の中に身を委ねた。
紫の言ったヒント。そもそも、それの真偽が判らない。あれは嘘を吐き人を騙すことを罪悪感を抱かない。むしろ、それを嬉々としておこない暇を潰すような性格をしている。そんな相手の言葉を、疑いなく信用しろという方が無理であった。
しかし、魂という言葉は気になる。何せ、それが死神が働く理由となれば、何か深いことがありそうに思える。
そういくらか考えてから、映姫は決断する。もしも冗談だとすれば、後で紫に説教をしよう。今はとりあえず、先ほどのヒントを真実として考えることにしますか。
そう決めるや否や、映姫は目の前に白紙を広げ、考えを書いてまとめていくことにした。
夏。夏に魂といえば、十中八九お盆。あるいは肝試しということも考えられなくはないが、真面目に働く理由としては不的確な気がするので、それは除外することとする。
それで、お盆だとすれば……
そこまで考えてから、映姫はハッとする。夏前だから働くというのであれば、それは何も今年に限るというわけではないのではないだろうか。
思いつくとすぐに、映姫は引き出しから「小町叱り帖」を引っ張り出した。これは、小町を叱った日付、叱った内容などを記述してあるものだ。
それをパラパラとめくり、映姫は気づく。そして、同じ引き出しから今度は算盤を取り出すと、かなり高速でパチリパチリと珠を弾き、それを追うように叱り帖をめくっていく。
やがて叱り帖が閉じられると、映姫はふぅと一息吐いた。
「……二割近く、減っている」
夏。その前の時期になると、それ以外の時期と比べ二割近く叱る回数が減っていた。今の叱り帖はまだ三年分の情報しかないが、どれも一様に、この時期だけ叱る回数が少なくなっている。
「……くっ。こんなことがあるのなら、先代や先々代の叱り帖も残しておくべきでした」
ちなみに、現在の叱り帖は五十八代目。
叱り帖は書き終えられると、帳簿供養というものをおこない燃やされる。その供養内容というのは、叱り帖の最初から最後までを小町と読み、一日を掛けて改めて説教をするというものである。これは映姫と小町の休日におこなわれるので、折角の休日を丸一日潰される小町は泣きたい思いに充ち満ちる。
だが、それでも相変わらず叱られる行動を慎まない辺り、小町は大きな人物であると言えよう。
「……夏前、か」
さて、この情報から、紫の言葉も単純に疑えるものではなくなってしまった。
「肝心の魂の方はまだ疑わしいが……それでも、夏前に何かあることは間違いでもなさそうですね」
となれば、やはりお盆ではないかと思える。死んだ知人を思ってか、あるいは知人を失った誰かを思ってか……どちらにしても、触れてはいけないことのように思えた。
「……気にしなければ済む話ではあるのですが」
それでも、気にはなる。もしも何かつらいことだとすれば、手を添えるくらいはしてあげたいと思うからだ。
悶々とする。どうすべきかが定まらず、何もできなくなってしまっていた。
が、突然映姫は立ち上がり、悩んで答えがでないのなら、実際に行動して謎を解こうとした。
映姫は、少し優しすぎる。相手を思うと、その行動に歯止めが利かなくなってしまうのだ。
こうして映姫は、しばらく小町のことを注意深く観察してみた。
実際に働きぶりを見てみると、小町の真剣さは疑いようのないものであった。額に汗をかき、それを笑顔で拭いながら、ろくな休憩もせずに仕事をこなしていく。食事の時間も惜しいのか、食事さえあっという間に片付けての働きである。
何がどうして、ここまで小町を仕事に駆り立てるのか。小町を見ていると、それを悩むのはもうどうでもいいのではないかという思いと、どうにか知らねばまずいのではないかという思いが交差する。
そんなある日のことであった。
いくら冥界といえど、日差しの強い日はある。そしてそんな日に、小町は遂に倒れてしまった。
「小町!」
岸から霊を運び終えてのことだったので、すぐに映姫は倒れた小町に気づくことができ、気を失った小町を医務室へと運ぶことができた。
発見と同時に、倒れたのが船の上であったのならと、映姫は僅かにゾッとした。
小町を運び終えてから映姫は仕事に戻ったが、それからしばらくは落ち着かないまま仕事をこなすこととなる。
やがて仕事が一区切りついて、改めて医務室へと足を運んだ。そこで医者に倒れた理由について聞くと、それは栄養失調とのことであった。
医者が退室し、映姫と小町の二人が医務室にいる。小町は既に目を覚まし、気まずそうにそっぽを向いていた。そんな小町に、映姫は小さな溜め息を吐く。
いくら頑張ることが素晴らしいとはいえ、こうなってしまっては仕方ない。と、訊くことを我慢し続けていた熱心に働く理由を、映姫は小町に訊ねることにした。
「小町。あなたは最近良く働いてくれていますね。私としても、それはとても喜ばしいことです」
「きょ、恐縮です」
小町はどこか後ろ暗いところがあるのか、映姫の方を見ようとはせずに応える。
「ですが、倒れてしまうのはいけません。いいですか、小町。健康に生きるいということ、体を思いやるということは、自らに対しての善行なのです。それを怠ってはいけません」
「は、はい」
「とはいえ、薬過ぎれば毒となると言うように、あまり体を甘やかしては善行も悪行と変わってしまうので、何事も適量でなくてはなりませんが」
「……あははは」
しっかりと心配が説教になる辺り、根っからの説教好きである。
そこまで言ってから、映姫は小さく咳払いをして、話を本題へと移す。
「ところで、小町。あなたがここ最近、やけに熱心に働く理由を、できれば教えてもらえませんか」
いくらか言葉を考えた末、映姫は真っ直ぐそのまま問い掛けることにした。
それに対して、小町はビクッと全身を震わせる。
「……言いづらい、ことなのですか?」
「いえ、あの……えっと」
心配そうに表情を曇らせる映姫。その表情を見て、むしろ心苦しそうな小町。
「……怒りませんか?」
「……はい?」
恐る恐る訊ねる小町に、映姫は一瞬唖然とした。何故真面目に働くのに怒るのか。それが判らなかったのだ。
「どんな理由があろうと、一所懸命に働く人を怒ったりはしません」
映姫はキッパリと断言した。それがまだどこか疑わしいと思っているのか、小町はそれから少しの間だけ逡巡してから、映姫の方を見ながら少しずつ口を開いた。
「えっとですね……今度、幻想郷の妖怪や人間たちと、外の世界の海に行くじゃないですか」
「そうですね」
企画実行・八雲紫。承認・博麗霊夢。
そんなお祭り企画に、毎度映姫と小町は招待されていたのである。
「それでその……お腹が、といいましょうか」
そこまで言われ、ふと映姫は理解した。
「……つまりあなたは、脂肪燃焼の為に真面目に働いていた、と?」
若干、映姫の周囲の温度が上がる。
「……そ、そういうことに、なるのかなぁ……なんて」
映姫の『神聖な仕事をダイエット代わりに?』という怒りの熱を感じ、小町は顔を引きつらせつつ冷や汗を流した。
しかし、映姫は先ほどの自分の言葉、を思い出し、やれやれと思いながらその怒りを静める。
急激な映姫の気配の変化に小町は驚き、表情が抜け落ちてしまった。
「はぁ。まぁいいでしょう。先ほど怒らないと言ってしまいましたからね」
「あ、あははは」
助かった。そんな気持ちが浮かぶが、まだ実感が湧かないのか、半笑いである。
「ですが。いいですか、食事は適度に摂取すること。肉体というのはですね、ある程度の栄養を摂取しなければ飢餓状態に陥り、むしろ脂肪を蓄えようとしてしまうのです。そうでなくても、栄養失調で倒れられては仕事に差し障ります。というかですね、普段からしっかり働き食事などに気を遣っていれば、夏前に焦って脂肪を落としたりする必要はないんです。いいですか小町」
怒りはしない。だが、普段通りの説教はある。だが、それにどこか安心して、小町は力が抜けたようにごろりと転がった。
「……申し訳ありませんでした。四季様」
「ええ。仕事中に倒れるなんて身体管理がなっていない証拠です」
それだけ言うと、映姫は横になる小町から少しだけ離れる。
「今は休みなさい。それが、あなたの今できる善行です」
「……はい」
小町の返答を聞いて、満足した映姫は医務室を後にした。けれど、運び手がいなければ今日の仕事は進まない。
「さて、どうしたものでしょう」
そう呟きながら仕事場へと戻ると、来客が映姫を迎えた。
「お仕事ご苦労様です。閻魔様」
「……そういえばあなたに言いたいことがあったのでした」
来客とは、言うまでもなく紫である。
「優しいヒントに対する感謝の言葉かしら?」
「私を混乱させてくれたヒントをくれたあなたに対する説教です」
映姫がキッと睨むが、それをにこにこと紫は受け流す。
「あら、酷い。私は真実を伝えたまでですのに」
「……小町が働く理由は、ダイエットでした」
「知ってるわよ」
だからそういうヒントをあげたじゃない、と言わんばかりの表情で紫は笑う。
「それなら、どこが魂と関係しているというのですか」
「あらやだ。私は魂なんて言ってないじゃない。私が言ったのは『たましい』。生き物の魂ではなく、何かしらの文章を省略した『たましい』という単語」
自信満々に語る紫の話を、眉をひそめつつ映姫は聞く。
「何らかの文章?」
「えぇ」
それから、紫はこともなげに言葉を続けた。
「『た』るんだお腹が太『ましい』の略ですわ」
思わず、握っていた悔悟の棒を映姫はへし折ってしまった。
「判るか!」
折れた破片は壁に跳ね返って真っ直ぐに紫へと飛ぶが、それを紫はスキマで受け止める。
「それだけでは判らないからヒントなのじゃないですか」
「そのヒント自体が、一年経とうが理解できません!」
「あら残念。でも、嘘は言っていないでしょう」
「故意に歪めた事実は、嘘たり得ることをあなたは知るべきです! 否、あなたは既にそれを知っている。ならばそれは、まごうことなく嘘となります!」
八つ当たり気味に怒鳴りながら、映姫は折れた悔悟の棒で紫を指す。
「困っている閻魔様も、なかなか可愛らしかったですよ」
対して、紫は扇で口元を多い、目を細めて楽しげに笑った。
そしてその途端、周囲の温度が急速に冷えた。
「あ、あら?」
その突然の変化に、紫は何か嫌な予感を覚えた。
「……紫。私は一度、あなたを本気で説教しなければならないと常々思っておりました。本日はもうこれといった仕事もなく、ちょうど良い機会のようです」
小町への心配。自分の行動の正否。紫の言葉の真偽。ここ数日悩み続けたそれらと、あと夏の暑さに対する苛立ちとで、映姫は普段よりも、そして紫の予想よりも、随分と低い温度で沸点に達してしまった。
まずい、ちょっと遊びすぎた!
そう感じるや、紫はそそくさとスキマを開く。
「さぁて。それでは、私はこの辺で失礼させてもらいますわね」
そして映姫の方を見ずにそう口にすると、紫はスキマに逃げ込んだ。
「待ちなさい、紫!」
が、浄玻璃の鏡を用いて紫の場所を映し出すと、そこを目掛け飛びかかっていく。そして、力任せに紫の潜む境界を引き裂いた。
「ひぇ!」
普段はそうと思えぬほど人間らしくとも、映姫は神。全力を出せば、境界に逃げ込む紫を追うこともできる。
「くっ、ちょこまかと!」
境界を縫って高速で冥界を逃げる紫と、その紫を全力で追う映姫。
この大捕物の結果は、冥界の書物に記されてはいない。
ただ、至る所に青あざを負い、髪と衣服を乱した姿の紫を見て、式神とその式神が絶句の後に青ざめながら心配したという記録が、八雲家には残っているのだとか。
協会に逃げ込む紫を追うこともできる。
境界
映姫の小町に対する悶々とした気持ちが良かったです。
脱字の報告
>歯止めが利かなってしまうのだ。
→歯止めが利かなくなってしまうのだ。
本気の映姫、ホン・エーキ。中国の親戚みたい
ゆかりんは結局捕まって説教されたんでしょうか・・・
見た感じだとギリギリ逃げられたような印象を受けるのですが
でも「暇つぶしに肝試し感覚で怖いものにちょっかい出す」ということはありそうですね。