Coolier - 新生・東方創想話

みんながいるのが今ならば。

2008/06/08 15:43:21
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 朝日が昇る。その気配に、紅魔館の一室に住む老女は目を覚ました。紅魔館に住む唯一人の人間、十六夜咲夜である。
 窓の外から、水と光の匂いを抱いた風がふんわりと咲夜の頬と髪を撫でる。風は感覚の鋭敏でなくなった肌に触れ、その温かさを心の内へと浸透させていく。

「今日も、良い天気」

 柔らかな寝台の上で上半身を起こし、窓の外を見やる。
 春の息吹は過ぎ、夏の鼓動が感じられる外の景色は若々しく、反射する光が草木の青々とした香りを目から流し込んでくる。
 晴れた朝を窓から眺め、深呼吸をして満喫すると、咲夜は寝台の横に置いてあった台を自分の足の上に置き、品の良い装訂の本と使い古されたペンを用意する。
 表紙には、少し派手目なアルストロメリアの花。栞には涼しげな星桔梗。本も栞も、互いに強く主張をし合いながら、けれど優しく溶け合っては、まるで一枚の絵のように慎ましやかに収まっている。

「さて、と」

 本を開くと、紙の匂いが部屋の空気に溶けて広がっていった。古いが、丈夫でしっかりとした紙。開いた本は白紙で、これより咲夜が文字を綴っていく。

 これは、物語を記していく本。ただのノートとは違い、色褪せず残るよう作られた本。それに向かい紙を撫でるようにペンを走らせていく年老いた咲夜の姿は、数十年前、まだ彼女が若く活力に満ちていた時、文章の書き方を習った女性のそれに似ていた。
 その女性の名は稗田阿求。彼女は、もう随分前に亡くなっている。阿求は死ぬ数年前から転生の儀式が忙しく、咲夜は転生の準備前に会って一刻ほどの会話をして、次に阿求の顔を見たのは葬式での写真となった。判っていたことではあったが、少しでも良いからもっと話を聞いておけば良かったと、泣きはしなかったが悔やんだものだ。
 何故文章の書き方などを習ったのかと言えば、咲夜の書く文章はあまりに簡素過ぎた。ある日に咲夜の手帳を堂々と盗み見た主が、その記号的な文字の羅列に目眩と頭痛を覚え、咲夜に文章の書き方を誰かから習ってこいと命令をした後、阿求に白羽の矢が立ったのだ。
 それほど忙しくない時、実に多忙な時と、生活に波のある阿求であったが、暇な時には親身に文章の書き方を教えてくれた。『真実を嘘で彩りながら、嘘は決して真実を曲げないものにする』というのが、読み手を楽しませる真実の書き方なのだと教わった。
 またそれ以外、例えば妖怪についてなども、多くのことを咲夜は教わった。礼に、咲夜が自慢の紅茶を御馳走すると、阿求はとても幸せそうにそれを口にした。実に、良き友であった。

 そんなかつてを思い出しながら、咲夜はペンを動かす。書いているものは過去。自分の歴史。それに、自分の考えや感情を添えた、所謂自伝というものになる。
 これを記そうと思い書き始め、意外に長い月日が経った。また、物語調に書いてくれと言う我が侭な命令が主から下された為、咲夜は持てるユーモアを枯れるほど組み入れて、読み物としての面白さも追求した。これは阿求直伝のものに、自らの好みを加えて独自に考えた文章の書き方であり、読んだレミリアが何と言うか、咲夜は不安と期待を胸に言葉を選んでは文章を組み立てていった。
 そしてその結晶が、もう少しで完成しようとしている。
 最近では寝る間も惜しみ、起きている時間のほとんどをこれに費やしている。
 足腰の弱くなった肉体では、この広い屋敷での労働が辛いようになってしまっていた。故に、現在はほとんどメイドらしい仕事をこなしてはいない。だというのに、メイド長を決める権利を持つレミリアが次のメイド長を指定しない為、名目上はまだ咲夜がメイド長であった。

「もう少しで完成しますよ、お嬢様」

 そう、笑いかけるように呟く。主であるレミリアは、今頃は眠りに就いている。起きるのは夕刻の後になるだろう。だから、それまでには完成させることができないものか、と咲夜は考えていた。

 実のところ、本文の方は既に完結している。残っているのは、後書き。これが実に難しい。けれど、手を抜くわけにもいかず、咲夜はうんうんと唸る。
 この自伝を書いた感想、この自伝を読んでくれた人……というか主にレミリアに対しての言葉。以下諸々、言葉がなかなか浮かんでこなかった。だが、この本の期限は今日まで。なんとしても書き上げなくてはならなかった。この期限、咲夜が決めたものではなく、主が勝手に定めたものである。それは、今から一ヶ月前のこと。
 

 
 
「咲夜。あれはもう完成しそうなの?」
「あれといいますと、私の書いている自伝ですか?」
「そうよ」

 レミリアは眠そうな咲夜を訪ね、開口一番から質問で会話を始める。親しき仲には礼儀なし、がスカーレット家流であった。これは、親しいはずなのに何もわざわざ距離を作る必要はない、という考えによる。 

「まだしばらく掛かりそうです。なにぶん不慣れなものですから、文章に纏めるという作業が手間取っておりまして」

 眠そうな顔を引き締め、咲夜は周囲に漂っていた睡魔の雰囲気を払う。辺りに漂っている空気が凍るように変わっていく感覚が、レミリアは結構好きだった。

 この咲夜の自伝についてだが、レミリアは咲夜が書き始めた当初からその存在を知っている。誰に話したわけでもないのに、レミリアはその存在をさも当然のように理解していたのだ。これは十中八九、咲夜が部屋を開けた時に咲夜を訪ねてきたレミリアが、目的の人物がおらず暇になり、適当に部屋の中を探索した際に発見したからであると推測される。
 この行動はレミリアにとっては普段通りの行動だが、この屋敷にたまに泊まった客や新しく入ったメイドたちから良く文句を言われる。基本的に、咲夜が。
 そんな行動で発見した書きかけの自伝をちらりと読み、書き上がったら読みたいから読み易く作れ、物語調にしろ、厭きない工夫をしろ、という注文を出した。そして、完成までに結構時間が掛かると判るや、後はただまだか、まだか、まだか、という感じである。

 さて、咲夜の言い分を聞くと、レミリアは少し思案する顔を作り、言葉を選んで再び質問をぶつける。 

「それで、あなたのそれはいつ頃完成するの?」
「もう少しです」
「具体的に」

 珍しく、ずいっと顔を寄せて質問を繰り返す。長寿な所為か、急かしはするものの、まだなのなら別に良いという感じが普段であった為、咲夜は少しだけきょとんとしてしまった。
 それから、部屋の天井を見上げ、これから書こうと思っている部分を考えて数字を計算する。そして、三十秒ほどの思案の末、咲夜は期間を推定した。

「あと……二から三ヶ月、といったところでしょうか」
「そんなに待てないわ。あと一ヶ月で書き終えなさい」

 折角の計算は意味を持たずに霧散して、その霧散に伴い咲夜はまたもきょとんとした顔を作る。確かに色々と余裕を持った計算ではあったが、一ヶ月はなかなかに困難な予定となることが考えるまでもなく明らかだったからだ。
 そもそも、書きたいことは多くあるが、書きたくないことは少ない。現時点の作業量を考えると、時間が延びることはあっても、時間が縮むことは難しい。

「……無理を仰いますね」
「主を待たすのろまなメイドを置いた憶えはないわ」

 こう言われては、これ以上の否定はできない。何せ、咲夜はメイド長なのだ。

「判りました。できる限り早く仕上げます」
「睡眠時間を減らすことなんて苦でもないでしょ?」
「尽力いたします」

 これからの睡眠時間を考えると、少しだけ苦笑いが浮かんでしまう。
 その返事を聞くと、満足そうにレミリアは咲夜に背を向けて退室をしようとする。そして、体が部屋を出る前に一言だけ咲夜に向けて言葉を残す。

「急ぎなさい。いい加減、完成が待ち遠しいわ」

 そして、咲夜の返事を聞かずに、そのまますたすたと歩み去ってしまった。

「判りましたよ、お嬢様」

 そう呟き、咲夜は微笑む。主の我が侭に応えるのがメイドの仕事なのならば、自分に今できる唯一の仕事はこれじゃないか。そう思い至れば、後は持てる限りを尽くすだけであった。

 
 
 
 そんなわけで、咲夜は本当に一ヶ月で、その作業を終えてしまった。
 老体になったとはいえ、案外無理は利くものだと面白くなってしまう。
 と、突然部屋の戸が開く。

「咲夜。今日の朝食はどうする?」

 これまた挨拶もなく人が踏み入る。日常的なことなので、もうどうとも思っていないが。

 その人物は、紺のメイド服と金色の髪とのコントラストが鮮やかな少女、アリス=マーガトロイドである。
 彼女は、現在紅魔館で住み込みのメイドをしている。その理由は咲夜の老化による人手不足になり、急遽誰かを雇うことにした結果、良く紅魔館の図書館に訪れる魔女を雇い入れたわけである。これは実に数ヶ月に渡り断られ続けた結果、図書館の本の貸し出しと禁書の閲覧をパチュリーが渋々認めたことでようやく首を縦に振らせることができた。
 住み込みと言っても、一定周期で自宅に帰るので、以前の家を廃棄したわけではない。
 現在、名目上のメイド長が咲夜であるが、実質的な仕事面でのメイド長はアリスである。アリスの仕事振りは、人形を用いた大がかりな掃除に手早い調理、また計画立てての徹底した妖精メイドの管理・指示・教育など、咲夜も認める一級品であった。
 アリスは雇い入れた時から目を見張るほどの仕事効率を見せたが、既にメイド歴が四十年近くなっているだけあり、現在の紅魔館はアリスによって回されていると言って過言ではなかった。

「そうね。今日は」
「おはよ、咲夜、アリス。それで咲夜、今日は朝飯どうする? また部屋に持ってくるか?」

 答えようとする咲夜の声を遮り、同じく金髪のメイドが忙しそうに廊下を駆けてきた。アリスに比べるといくらか年上に見えるが、その雰囲気は少女らしさを残している。

 霧雨魔理沙。彼女もまた、紅魔館で住み込みのメイドをしていた。
 彼女がここで働くことになった経緯は、アリスよりも色々と込み入った事情があるので、それについてをいくらか省略して説明を。




 事の発端は、霊夢の失踪。
 二十になるかならないかという歳の頃、霊夢は突然その姿を消した。

 事態が発覚したのは、魔理沙が霊夢を訪ね、そこがもぬけの殻だった時。最初はどこかへ行ったものだと思っていたのだが、それ以後に幾日幾月経とうと、霊夢が再び姿を見せることはついになかった。
 霊夢失踪の噂は、霊夢の姿を最後に魔理沙が見てからおよそ一週間後には幻想郷中に広がり、様々な混乱を呼んだ。そしてその混乱の中で、霊夢の行方不明に最も衝撃を受けたのが魔理沙であった。
 魔理沙はしばらく幻想郷中を飛び回り、食事も睡眠も疎かにして、霊夢の痕跡を一ヶ月の間捜し続けた。体が堪えきれなくなり動けなくなるまで、魔理沙は霊夢を捜し続けた。けれど、影一つ見ることはなかった。
 アリスの看病を受け肉体の健康を取り戻すと、その翌日から魔理沙は自室に篭もった。肉体の弱さを補う為に、食事や睡眠に左右されない為に、魔理沙は自らを本物の魔法使いにする為の研究を始めたのだ。
 その結果、魔理沙は本物の魔法使いへと変わった。誰の手も借りずに研究を重ね、五年という歳月を経て。
 自らを魔法使いに変えると、魔理沙はすぐに幻想郷を飛び出した。それというのも、霊夢は幻想郷の外に行ってしまったのではないか、という噂があったからだ。手掛かりなどはその噂だけ。だが、それでもその情報に魔理沙は縋った。他にも、どこかで死んでしまったのではないかという噂もあったが、それを魔理沙は頑なに否定し続けた。
 もしかしたら外に出て戻れなくなったのかも知れない。もしかしたら幻想郷を捨てて外で暮らしているのかも知れない。前者ならどうにかする。後者なら殴り飛ばして連れ戻す。そんな気合いを込めて、魔理沙は外の世界へと向かっていった。

 それから更に十年の年月が経った頃に、魔理沙は幻想郷へと戻ってきた。そして、結局霊夢を見つけることはできなかったと、彼女は悲しげに語った。
 幻想郷へ戻ってきた翌日。魔理沙はアリスとパチュリーに魔法についての教えを乞うた。自分が立派な魔法使いになれるよう、色々なことを教えて欲しいと。そしてその時にアリスが出した条件が、メイドの手伝いをしろ、というものであった。

 こうして、魔理沙はメイドになり、今へと至る。




 最初は色々と危うかったメイドの仕事も、数十年の経験ともなる現在では、アリスには及ばないまでも随分と慣れてきた。だが、週に二回はする寝坊と、図書館の本を自室に積み上げて返さないという点は、最初の時からあまり変わってはいない。また、本来の目的である魔法に関しても、仕事の休み時間、仕事後などに熱心に学んでいる。
 ちなみに、週一で家に戻っては霧雨魔法店の依頼箱を覗き、そこに依頼があるとメイドの仕事を休んでそっちをこなしているので、どっちが本業かと問われれば霧雨魔法店と答えるに違いない。

 そんな魔理沙は、先輩に当たるアリスの肩に腕を乗せて咲夜に向かっている。不遜な態度ではあるが、これにも慣れたようで、今ではアリスも怒らない。
 成長期を越えただけあり、魔理沙はアリスの頭に目の位置がくるほど身長を伸ばしていた。だから、腕を乗せるのにアリスの肩の高さは丁度良かったりするのだ。

「今日は部屋で食べるわ。持ってきてもらえるかしら」

 朝食はトーストにコーヒー。それ以外は気紛れに。ここのところは、ずっとそんな食事を続けている。
 その返事を受けて、魔理沙はポンと手を打つ。

「そういえば、締め切りが今日なんだっけ?」
「えぇ」

 そう答えると、やや人の悪い笑みをアリスが浮かべる。

「私たちも楽しみにしてるから、退屈させないでよね」

 それに続き、魔理沙もにししと笑う。

「あぁ。かなりお預け喰らってるしな」

 重圧を与えつつ応援をする、素直じゃない二人。そんな変わらない二人に、咲夜はいつも、ずっと前の二人の姿を重ねてしまう。

「努力はしたわ。期待してて」

 対する咲夜の言葉は不敵であった。その強気な言葉に満足したようで、二人は静かに部屋を後にした。




 後書きを書き進めながら、咲夜は何度も自分の自伝を読み返した。
 自伝の中には、いくつかの咲夜自身の解釈が書かれている。その部分だけは、どうしても昔の咲夜の文章になりがちで、ユーモアがどこかへと姿を隠してしまう。
 しばしば顔を見せるそんな面白みに欠ける文章の中に、自分の持っていた能力についてと、霊夢失踪に関する考察が書かれていた。ただ、どちらも想像の枠は越えず、霊夢失踪に関しては不安定な結論で締め括られている。

 まずは、能力の考察。

 現在、咲夜は時間を操る能力を使えない。使おうとしても、能力は発動しなくなってしまったのだ。これについて、時間の流れを受け入れたことが原因なのではないか、と咲夜は考えた。
 親しかった者を二人失った。それは阿求と、生死は不明だがもう二度と会うことはないであろう霊夢。その他にも、里に暮らす人間や、この周囲に暮らす妖怪。そういったものは、少なからず死んでいった。寿命であったり、事故であったり、食べられたり、退治されたり。幻想郷は平和な世界だが、道を誤れば命を落とす危うさを持っている。だから、多くの死を見る機会が転がっていた。
 歳を経て成熟する内に、咲夜はその死を受け入れた。幼く死を否定していた部分の心を、いつの間にか納得させてしまったようだ。そしてそれと同時に、自分の中から能力は消えてしまったのではないか、と咲夜は考えている。
 つまり、能力とは否定なのではないか、と考えている。
 時間を否定するが故に時間を乱す能力。運命を否定するが故にそれを覆せる能力。花の枯れることを否定するが故に花を咲かせる能力。
 ややこじつけが無理やりになってしまう者もいるが、咲夜はそういった強く純粋な否定が、この幻想郷では力となっているのではないかと考えた。

 その能力の考察を元に、霊夢のことを考える。

 霊夢の能力は、空を飛ぶこと。重力に縛られない存在。それならば、何を否定したのだろう。何を否定したが故に、空を飛べるのだろう。
 そんな中で浮かんだものが、束縛である。霊夢は全ての束縛を否定した。その結果、重力を含む様々なものから外れるという力を持ってしまったのではないだろうか。
 そしてその能力の暴走か、あるいは自らの意志か、霊夢は世界の理から外れてしまったのではないかと考えた。
 それがどういうことなのか、咲夜自身にさえ想像が付かない。だが、恐らくは消滅になるのだろうと、面白くはない思考を面白くない結論で留めた。

 実は、この後には別の考察を書く予定だったのだが、咲夜はそれを破棄した。それは次のような内容である。
 霊夢の死亡。それを、咲夜は考えた。生きていると考えたいのは山々だったが、どうしても頭に宿ったその考えを否定しきれずにいる。
 霊夢から、誰も何も聞いていないということになっているし、白玉楼で霊夢の魂を見ていないということも妖夢から聞いた。だが、咲夜は二人を疑っている。八雲紫と、東風谷早苗。
 前者は元々食えない妖怪だから、何か知っていて隠している可能性は充分にある。だが、あれが隠すとなると、真実を暴くことは無理なのだろう。
 後者が疑わしい理由は簡単で、あれが霊夢の跡を継いだからだ。
 霊夢の失踪後、早苗は洩矢神社にいる時間の倍の時間を博麗神社で過ごすこととなる。そして、日々八雲紫の修行を受け、博麗の巫女としての実力を身につけていった。名はあくまで東風谷であったが、博麗の巫女といえば早苗という認識は、徐々にだがしっかりと広まっていった。
 もしかしたら、早苗は何も知れないかも知れない。だが、もしかしたら知っていたかも知れない。
 
 これが書かれなかった理由は、単純に紫と早苗を疑っているだけの内容だったので、いらぬ迷惑を掛けるのも悪いと思い書くのを止めたのだ。
 消えた霊夢の真実は、確かに気になる。だが、無理に暴き立てようとは、咲夜にはどうしても思えなかったのである。
 なお、数少ない人間の友人である早苗だが、彼女は今でも健在である。博麗の神社を次代に譲ると、自分は洩矢神社に戻り巫女を続けていた。
 最近では、神奈子と諏訪子を困らせていると聞く。なんでも、歳を経た結果、随分と狡猾になったのだそうな。咲夜としては、それは紫が原因なのではないかと思えてならなかった。




 もうじき、日の色が夕刻を差す。
 最後の締め括りが書けず、どうしたものかと首を捻っている。あと一文、何かを添えたいと悩んでいたのだ。

「……何か、一言ないかしら」

 そう思いながら外を見る。もうレミリアも起き出す時間だ。
 唸って頭を捻ってみるが、どうしても良い言葉が出ない。あと一日でも待って貰おうかと思うが、許してくれない気がしたので、それは止めることにした。
 結局、咲夜はその足りない一文を書くことを諦め本を閉じる。何かあれば後で足そうと、気楽に考えてのことだった。
 軽い息を吐きながら、咲夜は閉じた本の表紙を改めて見やる。

「……あら?」

 ふと、気になって、閉じた表紙をまじまじと見詰め、そして思い出した。

「……なんだ。そうか。書く必要、ないんだったわね」

 最後の一言は、この本自体が代弁しているのだと、咲夜は今まで忘れていた。
 それなら、これで完成。仕上がった。数ヶ月の結晶は、遂に形を成した。
 喜びが胸を越え、口から溢れて溜め息になる。大きな開放感、達成感、そして少しのやり終えてしまった寂しさを、その吐息で表現する。

「咲夜。そろそろ書き上がったかしら?」

 狙ったように、レミリアが戸を開けて侵入する。相変わらずノックもない。

「たった今、仕上がりましたよ」

 そう微笑む咲夜の顔は、とても幼ないものであった。

「ふぅ……長い時間が掛かったわね」
「……急いで書いたものですから、さすがに疲れました」
「主を待たすなんて、使えない従者だわ。メイド長失格ね」
「ふふふ、相変わらず手厳しい」

 ふと、全身の疲労感がのし掛かってくる。完成で、気が緩んだのだろうか。
 一眠りしよう。そう思い、咲夜はその旨を伝えようとする。

「さて、では私は」
「読書も良いけど、久しぶりにあなたの紅茶が飲みたいわ」

 が、言い終わる前に命令。
 この何でもない命令に、咲夜は唖然とした顔を作る。
 もうここ数年、咲夜は紅茶を淹れていない。老化が進み味覚と聴覚が衰え、紅茶の淡い風味や爽やかな渋味を、咲夜は嗜むことができなくなっていたのだ。だから、自分の淹れた紅茶の味に自信が持てず、既に紅茶を飲むことも、紅茶を淹れることも止めていた。

「でも、私は」
「紅茶が飲みたいの。淹れなさい、咲夜」

 強く言われれば、拒絶できない。
 仕方のないお嬢様だ。そう思いながら、咲夜はおかしそうに笑う。

「……はい、承知いたしました」

 そうして、ゆっくりと寝台から立ち上がると、二人は並んで台所へと歩んでいく。レミリアに並ぶ咲夜の背は、老いてなお真っ直ぐで、活力に満ちているように見えた。
 その道すがら、二人は何気なく会話をする。

「咲夜。あなたがもし、記憶を失っていくようなことになったら、私はあなたを殺すつもりだった」
「奇遇ですね。私も、記憶を失うようなら、自害をしようと思っておりました」

 何気ない会話にしては、内容は随分と重かった。

 だが、そんな会話をする度に、咲夜は実感をする。
 自分は、何も変わっていない。見た目は変わったかも知れないが、遠いあの頃から、自分は何も変わっていない。
 ふとぼんやりとすれば、咲夜は自分の容姿を誤認する。まだ若かった頃の自分を、今の姿に重ねてしまう。そしてまた、相手にも最も活力に満ちていた時代の姿を重ねてしまう。これは、自伝を書き始めてから益々顕著になった。
 時間とは、確かに過ぎ去って戻らない。だが、どうしたって残り続ける記憶がある。これは不確かなものだけど、それでも残り続けようとしている。
 あぁ、そうなのか。今とは、そういうものなのだ。
 ふと、咲夜は理解する。懐古して見た映像が、離別も、死も、自分はあまり悲しくなれなかった理由が判った。
 記憶にあるから。失った人も、新しく出会った人も、全て記憶に残っている。だから、咲夜は悲しまなかった。
 記憶はジグソーパズル。時間という枠組みを決めて、その時間内に居た人物のピースを置いていく。それが本来の楽しみ方。だが、咲夜はそれを否定した。
 咲夜のジグソーパズルは、不格好だった。背景のピースを退かし、過去、そして未来と、本来はその時間に居ないはずの人物のピースを埋め込んでいく。はまらなければ、ピースの形を変え、入りきらなければ枠を外し、ピースは繋がっていく。会ったことのないはずの二人が、さも親友のように肩を抱き合う絵にさえなっていく。枠がないから完成もせず、ただ広がり続けていくしかない。

 そんな時間を否定した記憶だから、咲夜は悲しくない。常にみんなが、そこにいる。

 泣けない理由が、初めて判った。

「ふふふ」

 思わず声が漏れる。

「咲夜?」

 突然笑ったものだから、レミリアが不思議そうに咲夜の顔を覗く。

「いえ、なんでもありません」

 にこにことした笑みに、かつての記憶を乗せて、咲夜は笑う。この笑顔に、レミリアもまた錯覚を起こすが、馬鹿げているとレミリアは視線を逸らしてしまった。
 
 

 
「どうですか」
「えぇ、とっても不味いわ」
「だから言いましたのに」

 久しぶりに淹れた紅茶を、咲夜は飾らぬ言葉で酷評された。
 実際には、それほど不味かったわけではない。だが、紅魔館の紅茶は普段の質があまりに高い為、平均以上の腕では、このように我が侭な主の舌を満足させられないのだ。

「でも、不味いものには毒抜きの効果があるのよね」
「それは春先の苦いものです」
「……なんだ、不味ければ良いってものじゃないのね」
「当然です」

 一瞬冗談かと思った咲夜だったが、恥ずかしそうにレミリアが目線を外したので、本気なのだと気付いた。そして浮かぶ、盛大な苦笑いと溜め息。

「苦いも不味いも似たようなものじゃない」

 と、どうしようもない屁理屈を述べ、レミリアは紅茶を一気に飲み干した。
 そして、他愛のない話を繰り返す。ここしばらくずっと寝台で自伝を書いていたので、誰かに話したいことは山とあったのだ。

 だが、その話の途中、睡眠不足の影響だろうか、咲夜は猛烈な眠気に襲われる。
 途端に眼がとろんとしたので、レミリアにも咲夜が眠気に勝てそうにないことに気付いた。

「眠って良いわよ。私が背負って部屋まで運んであげるから」
「そ、そんなことをさせるわけには」
「いいの。無理をさせたから、これはその無理の礼よ。たまには甘えなさい」
「でも」

 困惑するが、睡魔の方が幾分強く、思考は段々と薄れていく。

「眠りなさい、咲夜。そして、良い夢を見なさい」

 優しげな命令が、耳の中へ入り込み、思考を抱き締めていく。
 その温かな言葉の抱擁に、遂に咲夜の理性は屈し、咲夜は机に伏せるように倒れ込む。

「それでは、申し訳ないですが……お休みなさい、お嬢様」
「お休み、咲夜」

 こうして、咲夜は小さな寝息を立てて、そのままの姿勢で眠りに就いた。
 その咲夜の姿に、またレミリアの中で、かつての咲夜が重なっていく。

「……まったく。年老いていったはずなのに……いつまであなたは子供なんだか」

 そう口にしながら、レミリアは咲夜の頭を、頬を、優しく撫でた。

「お休み、咲夜」

 もう一度その言葉を繰り返し、咲夜の体を抱え上げて部屋へと向かっていく。そして咲夜の寝台に咲夜を置くと、横にあった自伝を手に取り、レミリアは静かにその部屋を後にする。

 咲夜が書き記した自伝。その題名は文字ではなく、表紙の花と、栞の花であった。
 長編書けよ、と友人に言われて短編を書いた、二十八回目になります大崎屋平蔵です。
 ……二日かけてしまった。
 次回は長編を……間に短編を挟んで、来週末までには上げます。

 しかし、今作は長いです。地の文が。
 そして、私があまり上手くないシリアスです……今度こそシリアスで千点越えてやる!
 文章の巧拙が未だに良く判っていないので、もっとシリアスものを読んで養わねば。

 本作含め、私咲夜を良く書きますね。次いで霊夢。ネタが浮かびやすいのが人間組ばかりなんですよね。今度妖怪で短編を書く努力をしてみようと思います。

 それでは、お読みいただきありがとうございました。

~~~6/9 追記~~~
※「魔法商店」を修正。

 わーい、千点越えた! でも感想を見る限り、未熟さが浮き彫りな結果!
 ……精進します。

 花言葉をネタにするのが好きな私。花言葉って良いですよね。

>>あと「霧雨魔法商店」 正確には商は不要で「霧雨魔法店」ですぜ(求聞史紀P117-118)
 きゃー! ずっと誤解してましたー! もうちょっとしっかり読んでおこう……
 
>>ゆうかりんの短編なんてどうかなーって思いました。
 ……考えついたけどまたシリアスっぽいなぁ。難しい。
 でも、面白そうなので次に書く短編が終わったら書きます。きっと。

~~~6/9 追記~~~
※ちょっと誤字修正

 ……2000点越えてた。やったー♪
大崎屋平蔵
[email protected]
http://ozakiya.blog.shinobi.jp/
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コメント



0.3870簡易評価
2.100りりり削除
こういうのも儚い感じでよいですね。霊夢が失踪するなんてまるで長編のようなスケールを短編にしてしまうとは脱帽です。ってことで、長編もすきですが短編の文章も味があってとても好きです。


今度妖怪で、とのことなので、一言。 平蔵さんの味のある文章はどことなく幽香っぽさ(自由奔放だけど、自信に満ち溢れている)を感じます。それゆえゆうかりんの短編なんてどうかなーって思いました。
3.90名前が無い程度の能力削除
能力が否定っていうのは何か納得してしまいました…
とても面白かったです。
10.80名前が無い程度の能力削除
「これも死にネタか。相変わらず多いな」と思いつつ読んでいたのですが、
面白かったです。
霊夢の消失、能力に関する咲夜の解釈が良いスパイスになっていました。
プライドの高いアリスがあの程度の条件でレミリアの家来になることを承諾
するか? 等の細かい疑問点がいくつかありましたけど、それでも上質な
作品と感じました。
13.90名前が無い程度の能力削除
うーむ、相変わらずすばらしい文章です。
けれどなんといったらいいのでしょう……肩の辺りに羽が生えているゴジラとでも言うべきでしょうか、なんともいいがたい。
決して蛇足ではないんですけど……うーん
17.90煉獄削除
面白かったです。
咲夜の自伝とはまた・・・・きっと濃厚でいてサッパリとしている内容なのでしょうね。
呼んでて穏やかになるような作品でした。
32.60名前が無い程度の能力削除
2008/06/08 21:04:38のななしさんの
>肩の辺りに羽が生えているゴジラとでも言うべきでしょうか、なんともいいがたい。
がいい表現だと思いました。
いい文章で面白くはあるんだけど何かが……
あと「霧雨魔法商店」 正確には商は不要で「霧雨魔法店」ですぜ(求聞史紀P117-118)
40.90からなくらな削除
なんか・・こう、続きが欲しい作品ですね
またはスピンオフでしょうか
作品そのものはとっっっっても読みやすかったです
48.100名前が無い程度の能力削除
能力が否定というのはなんだろう、納得できました。
霊夢失踪かぁ……。 予想としては消失してしまったんじゃないかと。
読みやすかったし、面白かったです。
74.100名前が無い程度の能力削除
不覚にも感動した…。
霊夢失踪とは意外。
多分、自らを封印(?)したのではないかと。
面白かったです。
80.90名前が無い程度の能力削除
過去と未来、そして今という時間をひとまとめにして生きる咲夜さん。
これもデフレーションワールドの一種なんですかね。