『――あの娘をよろしくお願いね』
『いえ、あの、お願いされても、私は雇用されているだけの部外者みたいなものですし、そういった事は親戚とかに――』
『……お願いね』
『うー、はい、首をへし折ろうとしないで下さい、お嬢様』
『最初から素直に、はい、と言ってくれないのが悪いのよ』
『そうですか?』
『そうなのよ』
『うーん、まっ、できる限りの事はしますよ』
『うん、ありがとう、ほんとうに感謝するわ』
『……止めてくださいよ、素直な態度とか気持ち悪、いえ、怖いし』
『アハッ♪』
『グギュッ、まるで腹筋が貫き手で貫かれたかのようです……』
『うん、貫いたからね』
『酷いですよお嬢様~、誰が掃除すると思っているんですかぁ』
『えっ、貴女の仕事でしょ?』
『自分の腸の掃除をしないとダメだなんて……仕事辞めようかな』
『辞職届は拒否されました』
『受理じゃないんだ』
『当然でしょ』
『当然ですか』
『ええ、そうよ、私の――』
春の香りが鼻腔をくすぐる五月の半ば、昼の陽気が気持ち良過ぎて寝入ってしまったらしい。名前から連想されるとおりに赤を基調とした洋館の前に影一つ、紅魔館の正門に立つ女は欠伸をかみ殺しながら背筋を伸ばした。
――立ち寝している間に何時間ほど経過したのだろうか。
すでに門柱は闇の中に溶け込んでいる。
メイド長が見回りにきたのが午後一時頃だとして――。見上げる形となった空には星の海が広がり、半月に照らされた時計台の針が頂点でピタリと寄り添っていた。
――深夜十二時。
反り過ぎた骨がミシミシと鳴り、年老いた猫のようなため息が体内から漏れ出す。
中休みの時間に起きられた事だけは僥倖か。時計台の鐘が威嚇するかの如く空気を揺らし、紅色の洋館内が騒がしくなってきた。
脚線美が誇れるように、と言う訳では無いけれどスリッドの入った衣服を揺らし、女は仰け反った体勢から直立姿勢に戻る。そして周囲の気配を念入りに探ってから、屋敷内にある門番屯所より此方に向かって来る足音の数を数えた。
一 二、三、四……――。今日の晩御飯も美味かっただの、妖精以外の誰かが来ないかだの、お喋りしながら門前に現れるのは同一のメイド服を着た門番隊の面々である。
「あっ、門番長おつかれさまッス」
「うん、あんた達も夜勤がんばってね。今日は館内にお嬢様が居るからシフトB。手に負えない相手と同じ土俵で戦っても意味は無いし、そういう奴等が来たら派手に騒いで撤退するんだよ」
「うぃす」
片手をパタパタと振った女は、お気楽ご気楽な様子で部下達に指示を出す。
門番隊の知能に合わせた指示は二種類しかない、シフトAは全力阻止でシフトBは流れ作業だ。
盗品回収などの複雑なものもあるにはあるが――。
元より吸血鬼に護衛が必要なのは太陽が輝いている時間帯だけであり、起きて活動中の彼女達に対抗できる存在なんて幻想郷でも片手で足りる。
ならば、館の主人に“活きのいい食料”を横流しにするのも門番の嗜み。
ここ紅魔館は化け物達の園である。
外壁に沿って散らばって行く部下を見送った女は頷き、自らは寝床に帰ることにした。
「あっ、流れ星……半月…メロンパン」
女の名前は紅美鈴。
地味に紅魔館における最古参の妖怪なのだが、その事を知っている者は少なく、現在の雇用主ですら名前を知っている程度の存在である。
まあ、それも仕方がない。
彼女は大妖怪と言われる者達より長く生きているくせに力が弱いのだ。
生まれた、と言うより発生したときの妖力からして貧弱そのものであり、限界であろう現在でも中の上と中の中の間程度の力しか持っていない。
自分は弱い。
その事を自覚できる程度の知性も併せ持っていたので、強力な妖怪に気を遣って生き長らえる処世術をあみ出し、幻想に至るまで存在し続けてきた。
「今日はパチュリー様にマッサージをする日だったような…………まあいいか、呼び出しも無かったし」
そのせいで、“気を遣う程度の能力”を持っているなんて嫌味を言われた時代もあったけれど、それも今は昔の御話である。
闇夜に向かって軽く拳を振るうと空気が、パンッ、と鳴った。
とある喘息持ち魔女の言うことには音速を超えている証拠らしい。
一年目で半人前になり、十年目で一人前になり、百年も功夫を詰めば意かな凡才でも達人となる。
それは肉弾戦闘術に限らず、あらゆる分野に言える事で……。
大妖怪達に気を使って生きるのにストレスを感じたとき、自分より弱い人間達の中で生活し収得した技術。武術やら料理やら華道やら音楽やら大工業、妖怪である事とあまり関係のない分野だけ達人の域に到達している自分は一体なんなのだろう。
そんな哲学的なことを考えている内に、寝床の扉が見えてきた。
「あっ、めーりん!」
「えっ、お嬢様?」
激しく瞬きをした。
半分ほど寝惚けていたのか、そこに居るのが当たり前すぎて気が置けなかったのか。門番隊屯所入り口前に座っていた小さな影が立ち上がり、トテトテ、そんな擬音が付きそうな小走りで近寄って来た。
その姿を見て混乱する。
彼女は、だって、もう、迫る影に美鈴の思考は過去と現在の間で揺れ動いた。
けれども、とても嬉しい。怒られてしまうのだろうか、嘆かれてしまうのだろうか、愚痴を洩らされてしまうのだろうか、それとも寂しげに苦笑されるのだろうか。
複数の宝石で形創られているような異形の翼が闇夜に舞う。
月夜に輝く金髪が目に映って、腹筋に衝撃を感じた。
「めーりんめーりん、聞いてよめーりん!!」
「ゴホッ、ど、どうかなされたんですかフランドール様? よく解りませんがその拳を振り下ろすのだけは勘弁してくださいね」
「うん、お姉様が酷いの! えいっ!」
「ひゅっ!?」
タックルから馬乗りに移行した小さな影を見ながら、美鈴は冷や汗を垂れ流す。
姿形も赤色の目も、行動すらも本当に似ている。けれども、懐かしい誰かとは別人という事は顔を見なくても解る。
解っていたことだ。
もう彼女は――ドスッと鈍い音と共に思考は中断され、耳を掠った小さなお手手は地面に対して垂直に突きたてられていた。
「めーりん避けちゃダメでしょ! お姉様たちはお花見で、わたしだけなかま外れで、パチェは子悪魔マッサージで動かなくなったんだよ!」
「な、なるほど、それはたいへんですねぇ。ああ、俺の拳が真っ赤に燃えるなテンションで殴ろうとしないで下さい」
「うん、わたしだって魔理沙とあそびたかったのにぃ! やっ!」
「おおっ!? 見える、私にも見えるぞ!」
お腹の上で跳ね回りながら勢いだけで殴りかかってくる影の正体。彼女こそが紅魔館の悪魔の妹ことフランドール・スカーレットであり、カリスマ溢れる姉に対する鬱憤を叫びながら拳をぶんぶんと振るう。
最近、敷地内を自由に出歩く事を許された彼女は消去法で美鈴に会いに来る。
姉とその従者のコンビは彼女曰く「ダメダメ尽くし」だし、図書館長は冷静に妙な事を吹き込んでくるので、殴ってよし、愚痴を吐いてよし、そんな使用人を捜し求めていたらしい。
殴られる立場としては微妙な話だが――。
昔の事が思い出されて、少しだけ嬉しい気持ちもあるのも事実だ。
「ヒッ、ヒャッ、フッ、つまり、お嬢様と咲夜さんが、フランドール様を地下室に閉じ込めて、自分達はほろ酔い気分でお花見から帰ってきたのが、不満なんですね!?」
「わたしには外出するなって言うのにあいつばっかりズルイ! 魔理沙や霊夢と自分ばかり遊んで私だけのけ者なんてズルイ!」
「そう、ですか。よっと」
「うにゅ、おもち」
フランドールの拳を全て回避するという神業を見せた美鈴は、下っ腹に力を込めて自分の胴体を抑える小さなお尻が跳ね上がった瞬間を見計らって立ち上がり、両手で吸血鬼の身体を抱っこした。
「レミリア様は妹様が心配で心配で仕方が無いんです。可愛くて可愛くて仕方が無いんですよ。だから、もう少しだけ相手をしてあげてください、ねっ、フランドール様」
「むー、いやいやいやっ!」
「うーん、それじゃあ飴玉あげますから機嫌を直してくださいよぉ」
「子どもあつかいしないで、立派なれでぃよ!」
「なるほど、それは申し訳御座いませんでした」
胸をペチンペチンと叩いてくるフランドールの金の髪を撫でて、美鈴は苦笑した。
フランドール・スカーレットは情緒不安定である。それは、数百年ほど地下室に閉じ込められた結果、幼年期の人格と幽閉された数百年の長き間に構築された人格、その二つが分裂してしまったからではないだろうか。そのように美鈴は考えているので、ヤバイ、と思ったら自分の胸を囮に気分を落ちつかせる事にしている。
失敗すれば災厄の杖で叩き壊される可能性もあり、無駄に命懸けなのは如何ともしがたいが……。
冷たい風が頬を撫でた。
そして、時間に直せば三分ほど経過した頃であろうか。「お姉様のバカ、子供舌、世界地図おもらし――」等と真実と虚言が混ざり合っている悪口をフランドールが呟き始めたので、何でもないという顔をしながらも美鈴は胸を撫で下ろした。
地下室に居るときや発狂する前に表れる四百年の孤独と狂気の集大成な精神は、中級妖怪の手には余るのだ。
そのレッドゾーンは“お姉様”が“あいつ”に変わる瞬間だと美鈴は睨んでいる。だから、後は幼女の不満を軽減させればよいだろう。
しかし、一つの疑問が脳裏を過ぎった。
何時もなら気にしない程度の疑問だが妙に気になった。
金髪を撫でる。
「こんなにイライラしてらっしゃるのに、どうして鬱憤晴らしに門の方に来なかったんですか? フランドール様が来てくれると刺激が増えて嬉しいんですけど……」
美鈴はふにゃりと笑う。
自分の部下が何も言わなかった。という事は彼女達が屯所から出る時は居らず、自分が帰ってくる時刻に合わせてフランドールは屯所前に座り込んだと考えるのが自然であろう。
「……わたしがくると嬉しいの?」
「ええ、フランドール様は可愛らしいですからね。行動も突飛で面白いですし」
「なんか子供あつかいしてる」
「そんな事はありませんよ」
「そうかなー」
「そうですよ。で、なんで門の方には来なかったんですか?」
「それは――」
腑に落ちない様子のフランドールがもぞもぞし始めたので腕から降ろし、「お仕事の邪魔をしたくなかったの……」という呟きを聞いた瞬間、美鈴はちょっとだけ泣きそうになった。
最近、黒白魔砲使いに門を突破され続けている事によって、まだ若いメイド長に自分を含めた部下達の存在意義を否定されがちなのだ。
例えば門前で――
『今日もまた侵入を許しましたね、門番長?』
『ええ、まあ、初っ端からマスタースパーク撃たれたらどうにもなり、ヒャッ!?』
『その諦めの姿勢が気に入らないわ……』
『だって、あんなの相手に正面戦闘なんて無理があるんですって、盗まれた図書館の本はうちの子達が回収してますし問題無い、フッ、ハァ、ホァ――』
『当館の威厳の問題です』
『あの、何の迷いもなくナイフ三連発とか止めてくれません? 特に顔面狙いなんて恐ろしいとかを通り越して引きますよぉ』
『…………そこまで言う必要は無いじゃない』
『えっ、いや、なんで傷ついた顔なんてしてるんですか!? う、あ、すみません、殺人ドールとか止めてください』
『……私をどこの殺人鬼だと思っているのよ、罰なら用意してあるわ』
『えっ、なんです、それ……嫌な用意周到ですね』
『口の減らない娘ね。無駄口を叩く暇があるなら、その、この食堂で出た残飯の処理をしなさい! 残したらひどいわよ』
『はぁ、すみません。がんばります……』
『ふん、一度で良いから私をギャフンと言わせたいとは思わないのかしら』
サンドイッチはたいへん美味しかったけれども事務的なトップがそんなのだから、内勤メイドの中にも門番隊に対して無用な優越感を持つ者が現れて、自分以外の部下達が不当な扱いを受ける事もある。
例えば食堂において――
『え~、マジでまた門を破られたの』
『人間にやられていいのは野生の妖精までだよねぇ』
『キャハハ、あいつ等雑魚いからしかたないよ~』
『中国とかきも~い』
そのような会話を目の前でされたと部下達が言っていた。
完璧なメイド長は、“内勤メイド達の丁度いいガス抜き”程度に考えているのかもしれないけれど、ガス抜きの獲物にされる方は堪ったものではない。
そんな現状で、館の主の妹君が自分達の仕事に敬意のような物を払ってくれるとは――
誰がこの子を狂っているなどと言ったのだろうか。癇癪さえ起こさなければ姉より理知的で暖かい一面もあるというのに。
「あれ、雨、かな?」
「めーりん、それが涙というものなの?」
「えっ、あ」
「ん?」
片手間で門番をやっている自分がこんなに嬉しいのだから、馬鹿素直で馬鹿正直な部下に報告してやればお祭り騒ぎの如く喜ぶであろう。
「す、すみまぜん、フランの、いえ、フランドール様のお気遣いに心打たれて……適当にお話を流して館に帰っていただこうと愚考していましたが、ええ、そこまでご立派に成長なされているなら花見の予行練習をしましょう、今直ぐ、早く、即行で」
「よこうれんしゅう?」
「はい、きっと近い内にフランドール様は自由に外出できるようになりますし、外で恥を掻かない様にする練習が必要だと思うんです!」
「……なんだか遠まわしにバカにされてるようなきがする」
「えーっ、そんな事はありませんよぉ。で、やりますか、やりませんか?」
「うーん」
むむ、とフランドールが眉を顰める。
実に可愛らしい。答えの成否がどちらでも一晩中遊ぼうと美鈴は心に決めた。
がんばれフランドール! 負けるなフランドール! お前の明日はどっちだ!
暗夜の空に輝く半月を後方に背負い、幼女は金髪を揺らして頷く。
「やる!」
「素晴らしい判断力です、フランドール様。今ので外の世界へ一歩前進ですね!」
「そうなんだ」
「はい、そうなんです」
「じゃあがんばる!」
えいえいおーとし始めたフランドールを見て、美鈴の内に眠る嬉し恥かしイヤンイヤンなモノが疼く。
「あー、なんだか、咲夜さんの気持ちがちょっとだけ解りました。幼女を愛でたくなる特異な感情とはこう言うモノなんですね……」
「ん?」
「失礼、では準備をしましょう」
夜寝る前の賢者的な精神で美鈴が額を押えていると、フランドールは小動物のように小首を傾げていた。
可愛い、可愛いじゃないか。しかし、忘れてはならない。
相手は百獣の王を素手で引き千切れる小動物であるという現実を――。
脳内妄想時間を操る力なんて持ち合わせていない美鈴は頭を振り、片足を心なしか大きく上げて門番屯所方向に打ち下ろす。
黄震脚。
本来は、地面に対する反発力を応用して一撃の破壊力を上げる技術である。
だが、年月と共に少しずつ成長していった美鈴の妖力は、“気を使う程度の能力”の名に相応しく大地に広がる気脈をかき乱し、一定空間に置いて大地震を起こすほどの物になってしまった。
隣でフランドールの身体が浮き、門番屯所が大きく揺れ、地面に亀裂が生じる。
一,二,三,四秒の空白。窓ガラスに僅かながら罅が入り、慌しい物音が聞こえ始めてきた。
――いやぁ、マスタースパークはいやぁー!!
――光、光が見える……。
――死んじゃうのね、私達。
何だかとっても阿鼻叫喚。
「魔理沙がきたの!?」
「いえ、違いますよ。あれはマスタースパーク恐怖症候群、その患者の叫びです。この手の病は魔王に吹き飛ばされた雷神様も完治することが出来ない不治のものですからねぇ、とても厄介です」
「たいへんなんだねー」
「ええ、そこに友情は芽生えませんし、圧倒的な力というモノは持主も孤独にしますから、うん、少し位の手加減というものおぼえて欲しいものですね、強者の方々には」
何気ないやり取り。しかし、屋敷から飛び出してくる門番隊十数匹を見ず、フランドールのあらゆる物を破壊できる魔眼は美鈴を唯の物として映す。
「……なにそれ、わたしに説教しようとしてるの? そんなのは弱いのいけないだけじゃない! 弱肉強食なんて野生の獣でも知ってるよ」
「私はまだ何も言ってませんよぉ。それに、弱い私に出来る事はフランドール様に期待する事だけですし、説教なんてしようとは思いません」
「期待?」
「ええ、何時か誰からも尊敬される夜の支配者になってくださるだろう、そんな期待です」
「なんで? そんなのお姉様にすればいじゃない?」
「まあ、それもそうなんですけど、私はフランドール様の方が好きなので、勝手に期待してるんですよ」
「……よくわかんない」
プイッと視線を逸らしたフランドールが、「でも、壊す気が失せたから感謝しなさい」とカリスマ姉を真似た様な口調で言い放ったので、美鈴としては微笑ましく思った。
十を超える視線さえなければ、命懸けで頭とかを撫でていたかもしれない。
整列完了して此方を凝視している集団――。
視線の持ち主達が、「誘拐乙」とか、「ロリペドですか、最低です」とか、「メイド長がかわいそう」とか、意味のわからない言葉を羅列していなければ、手触りの良さそうな金髪を撫でていたであろう。
先頭に立っていた一人が一歩だけ前に出てくる。
ニヤニヤしている顔をぶん殴りたい、そんな自分を自重させたのは偉いと思う。
「緊急招集により、休憩中の門番隊の全員集合を確認いたしました……。んで、用件は嫁の紹介ですか、ウエッエ」
「違いますよ。お花見をするので暇な者を叩き起こしただけです」
「えっ?」
フランドールに背中を上り始められた美鈴は、やる気が有るのか無いのかよく解らない妖怪であるが、身内は大事にするし融通の利かないタイプでもない。
だから、休憩中の部下をそんな理由で起こすとは……。
微妙な空気が流れる中、全くもって空気を読まなかった美鈴は上体を屈め、右肩に顎を乗せてきたフランドールを一回転させながら前方に差し出す。
「この子を主賓に一本桜の下で花見をします。全ての責任は紅魔館門番長紅美鈴が持ちますので、食料及び酒を準備して移動開始」
「えっと、それは、演習か何かですか?」
「いえ、唯の花見です」
「うーん、それはしたいんですけど、でも――」
「五秒待ちます。参加を拒否する者は私が背中を向けている間に屯所に戻りなさい」
幼女を前方に差し出しながら無茶苦茶な事をいう上司。
昔の自分なら帰るかもしれないな。内心で苦笑した美鈴は、「めーりん、降ろしてー」とフランドールに言われたので、丁寧に吸血鬼の身体を地面に降ろした。
後ろは向かない。
唯、部下の報告を持つ。
「門番長、参加拒否者はいません。むしろイケイケです」
「うんうん、あんた達のそういう所は最高だね」
「ありがとう御座います門番長。しかし、酒と食料は本館の意向で残量がコッペパン三つです」
「……それは、悲しい事だねぇ」
「門番隊の食糧事情を忘れてましたね? 去年は大寒波のせいで時期を逃がしましたし、貯えがあるなら私達が門番長を花見に誘いますよ……」
「…………うん」
美鈴は大袈裟にうな垂れた。
一ヶ月前から嗜好品としての食料や酒、その手の供給をストップされていたことを忘れていたのだ。部下も含めて「三食食えれば文句は無い、いや、二食でも良いよ」という剛の者ばかりなので、すっかり現状に慣れていた。
これは片手間とは言え門番長失格かもしれない。
高速で頭を下げる。
「めーりん?」
「フランドール様、申し訳ございません! 花見という楽しく陽気な場に酒も食べ物を用意出来そうにありません!!」
「えー、お花見ってお花を見るだけじゃないの?」
「風流を愛でる心がある者ならそれで良いのですが……」
チラッと美鈴は部下達を見た。
門番隊は不器用な者、いや、陽気な馬鹿の集まりである。
内勤メイドにもなれなかった者、強い奴に会いに着てボロ雑巾にされた者、進んでなった者も居るが、基本は爪弾き者の集まりだ。
それを一人一人教育し、交渉術から対象の無力化まで教育したのが美鈴である。
しかし、基本的に緩いので内面までは変えられない、変えるつもりも無い。
だから、自分も含めて彼女達は花より団子な者達ばかりであり、花を見ても涎を垂らすのが関の山である。
――やるからには全員楽しく、フランドール様にもその雰囲気を教えて差し上げたい。
無力な自分を嘆く。
「めーりんめーりん、それじゃあ在る所から取って来れば良いんだよ」
肩をポンッと叩いてきたフランドールは小さな胸を張って、エッヘンとばかりに解決案を提示してくれた。その様は、無駄なカリスマを垂れ流す姉吸血鬼を連想させ、寝ていた虎を起こしてしまったのだろうか――顔を上げた美鈴は内心で戦慄した。
部下達も徐々に騒ぎ出す。
それはいい考えだとか、主賓の方針に従いますとか、頭良いなお前とか、内勤メイドに一泡吹かせてやるぜとか。明らかに日頃のストレスを発散させる気満々なのは如何なものであろうか。
「ごはんのありかはどこなの?」
「あっ、あっちです」
「よし!」
下心無く褒められたフランドールはとても嬉しそうだし、何の問題も無いのかもしれない。
そんな気分になってしまう光景であった。
だが、腹が痛くなってくる。
中間管理職としての美鈴の内臓は痛み出し、身体だけが大きく後退してしまった。そして、カリスマフィールドから逃れた肉体は全員の行動を制止しようと片手を上げたけれど、部下達の目を奪うプチ夜の支配者が天に拳を突き上げたので意味はなし。
「いくよー!」
「おお!!!!」
吸血鬼特有、いや、スカーレット特有のカリスマを垂れ流すフランドールに続いて、美鈴が鍛え抜いた門番隊の精鋭が闇夜を走り出す。
――勢いだけで落とせるほど吸血鬼の根城は甘く無い。
方向からして紅魔館食堂に向かう集団の後を追いながら、その事を良く知っている美鈴は相手戦力の攻略方法を考え始めていた。
まだ、カリスマに引き摺られている自覚はあった。
だから、きっと自分では止められない、自覚はあった。
半月の輝きが世界を照らす。
『あら、誘拐でもするつもりかしら?』
『まあ、お願いされちゃってますからね。皆さんがいらないと言うなら貰っちゃおうかなー、なんて思っちゃいまして』
『フフッ、あなたのような弱小妖怪の手に負える者では無いわよ、スカーレットは』
『えー、そうですか? 五年間は上手くいってたんだし、元より子守りには自信があるんですけど』
『その自信が砕かれる運命が見えるわ』
『だったら、何度も立ち上がる運命も見えるでしょ? そう言う事で道を開けてくれませんか』
『いやよ。身内が攫われる現場に居合わせてしまったんだから、止めるに決まっているでしょ』
『地下室、いえ、地下牢に閉じ込めるのは止めなかったくせに? 自らが見た未来に恐怖している餓鬼のくせに? 運命を破壊する程度の能力を持ったお嬢様の娘のくせに、運命に翻弄されているあなた程度が私を止める? 笑わせないでくださいよ』
『……口だけの雑魚って嫌いなのよね。もう死になさい【神槍】――』
『あまり騒がないで、フランが起きるから』
強襲し強奪し即行でとんずらし、ボスはツープラトンで倒す。前方の施設制圧のための指示はひどく単純で簡単であった。
それをやれるかやれないかは別として――美鈴は眼を細める。
その視線の先にあるのは、窓が少な目の本館の中で異彩を放つ区画。紅魔館食堂は十年程前に増築されたメイド達の憩いの場だ。
休憩中なので妖精メイドの数は多いが――
「――我々ならば突破は容易です。怪我しないようにさせないように日頃の訓練の成果を存分に発揮してください。あー、あとボスキャラは私とフランドール様が抑えるんで近寄らないように」
「ように!」
食堂を除き見る事が出来る庭園の中、静かに待機している門番隊一同に視線を移し、一人だけ恐ろしい波動を撒き散らしているフランドールも見た美鈴は溜息を吐き、ゆっくりと“やっちゃったZE”な雰囲気をまとい始めた。
――仕方がなかったのだ。
カリスマ的な勢いに乗った集団を理屈で止めても禍根を残すだけであり、出来る限り穏便に済ます戦術を提案するしか美鈴には出来なかったのだ。
食糧奪取計画の概要を説明しちゃったので、もう彼女達を止められない。元より、フランドール・スカーレットを主賓にした時点で敗北は許されないし……。
微妙に肩が重い。
「それでは桜の木の下でまた会いましょう、フランドール様」
「うん、がんばってねー」
「はい、その言葉だけでご飯が三杯食べれます」
「へー」
ダメだこいつら、早く何とかしないと……。
自分の部下達が知り合って七~八分のフランドールの応援を聞いて、それはもうやる気満々になる姿は新たな頭痛の種になるやもしれぬ。
美鈴は天を仰いだ。
基本的に門番隊の面々は、主であるレミリア・スカーレットの姿を遠見でしか知らない者が多いし、十六夜咲夜がトップだと誤認している者もいる。
ぶっちゃけ、紙の様に薄っぺらな忠誠心の者も多いというのに、この無駄な熱さは……。運命を如何こうする程度の能力は持ち合わせてないけれど、見える、厄介な未来が美鈴には見える。
だから、不吉な事を考えたくない頭を振って意識を戦闘用に切り替えた。
精神が尖り始める。
「最大の難関になるかもしれない二人は部屋で優雅なティータイムですか……。咲夜さんに距離は関係無いし、騒いだから五秒程度で来ますね、これは」
「ふーん、わたしがいるから大丈夫だよ。めーりんごー」
「はぁ、それでは作戦通りに動いて下さいよフランドール様。本気で頼りにしてますからね」
「うん、まかせて!」
フランドール様も楽しそうだからもう多くは考えまい。素敵に無敵に思考を手放す美鈴は表情を引き締めた。
「……では門番隊、状況を開始します」
「かいしー」
シュッシュッと拳を突き出していたフランドールを抱え、妖力を解放した美鈴は走り出す。同時に走り出した仲間達は全員バカである。命知らずの門番バカばかりで在るが大事な部下だ。
とりあえず死者が出ないように注意しようと思い、美鈴は速度を上げていく。
そして、後数歩の距離まで近付いた紅魔館食堂。お喋りをしていたメイドの一人と目が合った。彼女に笑いかけながら跳躍した美鈴はフランドールを片手で守りながら食堂の窓を蹴破る。
「――十秒で無力化せよ!!」
空いている手でガラス片を散らした美鈴はフランドールを下ろし、四肢の届く範囲にいたメイド達を小旋風の如き動きで無力化し周囲の気配を探り始めた。
時間に直せば二秒弱の早業――。
ほぼ同時に突入していた部下達も活発に動き、内勤メイド達を床に這わせていく。
素晴らしい手際のよさだ。
逃げ出そうとしたメイドの首筋に手を伸ばし、ゆっくりとテーブルの上に寝かした美鈴は満足げに頷いた。
「食料及び酒の類の運び出し開始! 抵抗する気の無い者は床に伏せて下さい!!」
「なっ、門番長!? 如何いうつもり、ガッ?!」
「うちのボスにタメ口聞いてんじゃねぇよ、妖精メイド風情が……」
「そこ、安いチンピラみたいな事やってないで食料の確保! 瓶詰めの血液の確保も忘れないようにね」
「ういっす」
美鈴は指示を出してから、自分自身は“気を使う程度の能力”を駆使して気配を完全に消していく。
完璧なメイド長の気配が僅かに動いたからだ。
なので、扉方向にトテトテと小走りで寄って行くフランドールを見て、ギョッとした内勤メイドにフォローを入れることが出来ず、調理場の方から「ケーキがいいんスよね、フランドール様は」という声に機嫌を直したようなのでほっとする。
そして、そんな時に彼女は現れた。
時間に直せば気配がぶれて三秒弱――
「これは一体?」
「あっ、咲夜だぁ」
「妹様!?」
時空間を操作したのだろう。
手元に数本のナイフを持った十六夜咲夜は、現状をフランドールの所業にするべきか、他の原因を探索すべきか、僅かに考えている。
そう美鈴は推察し、襲撃のタイミングを見計らう。
気配を消しているときの美鈴は相手の目の前に立っても、その存在を気取られる事はない。けれどもそんな状態でも人間の首をへし折る程度の腕力を有しているので、対人戦闘において絶対的な強さを持っている妖怪なのだ。
だが、十六夜咲夜の止まった世界では感知されるかもしれない。
それゆえに、美鈴は必勝の策をフランドールに授けていた。
「咲夜好きー、けっこんしてー」
「えっ、あ、な、なにを言っているんです妹様!? 私はお嬢様に忠誠を誓う、あっ、抱きつかないでください――あああ、幼女のいい香りが私をエデンへと、ごめんなさい美鈴……」
「なんでめーりんに謝ってるの?」
「それは、私が妹様に人として間違った道へ、アンッ」
フランドールと同じ疑問を感じながらも、わざとではないかと思わすほど隙だらけの背中に接近した美鈴は右手を伸ばし、あたふたしている咲夜の首筋に手刀を落とした。
十六夜咲夜は神の如き能力を行使するが、耐久力は人間でしかない。
彼女の軽い身体がゆっくりと前方に沈み、あっさりと意識を手放してくれた。
抱きついていたフランドールが両手をジタバタさせていて実に可愛らしい。
「胸が硬い。めーりんぱす」
「おっ、はい、ふむ、咲夜さんはこの場に放置したら危険ですし、如何しますかフランドール様?」
「どうして咲夜があぶないの?」
「メイド達を力で従わせている一面もあるので、頭の悪い輩に食われてしまうかもしれません」
「うーん、困る?」
「困りますね」
「それじゃあ一緒にもって来て」
「了解致しました」
倒せたのは当たり前の結果である。
そのような感じで喋りながらも周囲を牽制し、気を失っている咲夜の身体を小脇に抱えた美鈴は床の上を跳ぶように移動した。
……拙い。館の主の部屋で気配がぶれた。
窓の前に立つと一礼してから捨て台詞も吐いて置く。
「これは食堂に賊が忍び込んできた時を想定した演習です! 休憩中の一時にお邪魔してまことに申し訳御座いませんでした!!」
十六夜咲夜を撃破して数分後に動くと予想していた気配。遠くからでも解る巨大な何かが動き出した。けれど、逃げ足の早さにも自信があるので、キャイキャイ言っているフランドールの後姿を確認してから、美鈴は両脚を動かす。
そして、離脱し始めた部下達の――頭上に赤色の膨大なエネルギーの塊が無数に降り注がれていた。
ああ、あれは、予想通りに動いてくれない紅魔館当主の仕業であろう。
今日に限って如何して最高速で現場に来るのか。あまりに突然で理不尽な攻撃である。僅かに眉を顰めた美鈴の反応は遅れ、羽虫を殺すかの如く部下達は蹂躙される、筈であった。
右前方から熱風が吹き荒れ、世界が潰される。
咄嗟の判断で咲夜の身体に覆い被さった美鈴の目に、数百は合ったであろう魔弾が一振りの魔杖によって消滅させられる光景が焼き付けられた。
禁忌「レーヴァテイン」
それは傷つける魔の杖の名を冠したスペルカードの効果であり、そのカードの持主は世界に一人しか居ない。 全てを焼き尽くすかのごとき一閃は夜空を薙ぎ払うと、不可思議そうに首を傾げている彼女の手に収束していく。
「あれ、なんで、わたし?」
フランドールは自分の行動を良く解っていないようであったが、手塩にかけて育てた部下を救って貰った美鈴としては、直ぐ様に駆け寄って抱き締めてキスをしてやりたいくらいだ。
しかし、そんな事をすれば命はないだろう。
半月であった月を満たすように夜空に滞空する小柄な影。幼きデーモンロードことレミリア・スカーレットがこの場に居るのだから、彼女の妹に妙な事をすれば地獄に行く事無く消滅させられる。
「――フラン、どういう事かしら」
全てを睥睨する視線で自らの持ち物を確認したレミリア・スカーレットは、血よりも紅い目を輝かせながら端的な質問を直下の妹にした。
ティータイム中の彼女が十六夜咲夜とほぼ同時に来るなんて計算違いもいいところだ。
空気が重い。ここで答えを間違えば鉄板を引裂く桜貝にような爪の餌食になるのであろうか。
この距離、このタイミング、現状で自分は何も仕掛けられない。
美鈴は咲夜の身体をお姫様抱っこしながら息を呑んだ。
手元で「あっ、う、ん、らめぇ」等と言う艶のある声が聞こえた気がするけれど、緊張のために生じた幻聴であろう。
うん、絶対にそうだ。
お嬢様への忠誠心で復活♪ なんて理不尽は許さない。
美鈴は改めて息を呑んだ。
「あっ、お姉様! わたしも今からお花見するの、羨ましいでしょ!」
素敵だ、幼女は空気を読まなかった。
いい笑顔のフランドールは、わーい、とばかりに両手も振り始める。
――……ちゅうごく?
答えになっていない答え。望まぬ回答を提示されたレミリア・スカーレットは静かに息を吸い込み、ぼそりと呟きながら一度だけ此方に視線を向けてきた。
拙い、三回は殺された気がする。
「…………そう、朝になる前に帰ってくるのよ。世界には可愛い女の子を誘拐しようとする赤毛の妖怪がいるんだから」
「んん? えっ、いいの?」
「今日壊した物は窓ガラス数枚でしょ、ご褒美よ」
「うん、よくわかんないけどありがとう、お姉様!」
「ふぅ、あまり嵌めを外し過ぎてはダメよ。夜の王の血脈を常日頃から意識して――」
「はーい」
何やら姉妹間で話がまとまったらしい。
音もなく地上に降りてくる紅い悪魔は妹にしつこく注意してから、美鈴の前にわざわざ移動してくる。
「十年ぶりね、中国、いえ、紅美鈴」
「はい、お嬢様もお元気そうで何よりです。やはり人間の獲物を送ったのが良かったみたいですね」
「ええ、あの娘達は殺しちゃダメよ。私は自分のものを勝手に奪われるのが一番嫌いなの」
「お嬢様に殺されたくはありませんから、今日も明日も明後日もそんな事は私はしませんよぉ。それに、巫女に手を出すほど愚かでは無いし、フランドール様からお友達を奪うほど鬼畜ではありません、私は」
「……相変わらず喋り方が胡散臭いわ、長生きし過ぎるとそうなるのかしら?」
「どこかのスキマ様と一緒にしないでくださいよ。あんな神様級の妖怪と一緒くたにされていると思うと胆が冷えます、恐ろしい」
「へぇ、今の会話の最中に何度くらい嘘を吐いた?」
「一度も」
「あなたのそういうところが嫌いよ、私」
「私はレミリア様のことが好きですよ」
ニヤニヤと二匹で笑い合う。
鉢合わせにならないようにしていた紅魔館当主は相変わらずだ。
吸血鬼ハンターの捨て駒を鹵獲して全員で調教、もとい教育した時以来の会話だというのに楽しく可笑しく続けられた。
けれども、そんな邂逅を一晩中続けてはならない。
何故ならばフランドールの頬が膨れ始めていたからだ。
「お姉様もういいでしょ! どっかいって!」
「ひどい物言いねフラン。パチェが悶絶して暇な姉にどっかいけだなんて……、それは咲夜に全力でイタズラしろと言うのと同じ事よ」
「うん、犬耳」
「王道ね、王道が好きなのねフランは」
いらんところで分かり合った姉妹はふつくしい。
妹の成長を確認した姉吸血鬼は慈愛に満ちた笑みを浮かべると、美鈴の肩にもたれ掛かっていた完全で瀟洒なメイドのお尻をぺチンと叩き、その首筋を掴むと夜の空へと戻っていく。
「一晩だけフランの事を預けるわ……。何かあったら殺すけど」
「その信用に答えられるよう、粉骨砕身の精神でお花見をします!」
「そう……なんだか頭痛い。今晩を終えても生きていたら一緒にお茶でも飲みましょう」
「まあ、それは、私の名前をお嬢様が忘れていなければ……」
「忘れ無いわよ、紅美鈴」
月の光の中に消えて行く後姿からはカリスマが溢れていた。
その妹の背中の翼からは炎が吹き上がっていた。
ムギッと手を握られて身体が宙に浮く。
「ん、フランドール様?」
「……あいつはなんでも持っているくせに直ぐに他人の物を欲しがる。めーりんはわたしのものなのに!」
「はぁ、レミリア様が私を? それはないですよ」
「ぶー、あるもん」
何やら拗ねているフランドール。
半ば暴発しそうな雰囲気すらあるので、手を引かれた美鈴は自力での飛行に根性で切り替えて、如何にか幼女の小さな身体を抱く事に成功する。
さて、この後どうするべきか。
胸をペチンペチンし始めたフランドールから視線を外し、美鈴は数百年程前に自分が植えた桜の木を眼に映す。
ピンクにも赤にも見える花弁をつける桜の下には――。
何時の間にか、同じモノを見てワクワクしていたフランドールが、何の指示もしていないのにゆっくりと桜の方に下りていった。
何かに誘われるように。
『使用人を皆殺しにするなんて、思いっきりましたねレミリア様。館内に血の香りのしない場所が在りませんよ、これ』
『……あなたは、たしか誘拐犯の……死んでいなかったの?』
『頑丈なのも取り柄なんで、身体の三分の一ほど吹き飛ばされましたけど絶命には到りませんでした。というか、ここでずっと働いていたんですけど気がつきませんでした?』
『そう、どうでもいいわ。私の前に出てきたということは、今度こそ死にたいわけでしょ?』
『いえ、レミリア様が潰れそうなのでご飯を持って来ました』
『これだけ血が有るのよ、いらないわ』
『元から血に関しては小食なんですから身体に悪いですよ。あっ、でも毒殺が怖くて食事も喉に通らないというなら、この完熟トマトでもぶつけて差し上げましょうか』
『そんなの、怖くはないわ』
『なら、フランドール様にお食事を持っていくためにも御粥を食べてくださいよ。ほら、お口をあーんして』
『ちょっと、捻じ込もうとしないで、モグッ』
『あー、洋服だって殆んど血塗れじゃないですか、勿体無い! あっ、勿体無いと言うのは東方の島国にある価値観で――』
『……あなた、変な妖怪ね。私を殺せる運命が一つも無いなんて、そこらの階段以下よ』
『まあ、私は、スカーレットの血脈を殺す運命を壊されてますから。というか、それ、運命視ってやつですか? 何だかいやらしいですね。そんなことばかりしてるから運命に翻弄される程度の能力なんですよ』
『うん、殺す前に一つだけ聞きたいんだけど、あなたの名前は?』
『言ったところで弱小妖怪の名前なんて覚えられませんよ? 長命で強力な者の記憶中枢は単純に出来てますからね。強い者や気に入った者の名前は覚えられても、どうでもいい弱小妖怪の名前なんて一時間でお忘れになります』
『で、名前は?』
『無表情で首をへし折ろうとしないで下さい、ホンメイリンですよ! 字に書くと紅美鈴!』
『ふーん、スカーレットの前で紅を名乗るなんて、あなた正気?』
『いえ、先代頭首に名乗れと厳命されているので』
『知らない話だわ、詳しく話しなさい』
『えー、直ぐにお忘れになりますよぉ……。それより館内にある死体の処理はどうしましょうか?』
『私は、あなたの事を話せと命令したの』
『うえ――』
頭の中がグルグルするけれど、ゲロを吐くのは自重する。
数百年前に墓の代わりに植えた桜は、春を迎えると花弁を開く。
紅魔館移転時に土下座をして如何にかスキマ妖怪様に送って貰った代物なのだが、あのときの自分GJと花見をする度に思う。
紅いようで近くに寄ってみればピンク色の桜花――。
人を食ったようなこの桜を美鈴は嫌いではない。だから、樹齢数百年を誇る太い幹に背中を預け、高級赤ワインをグビリと飲むと非常に気分が良くなるというものだ。
彩符「彩光風鈴」
狼煙用に作成したスペルカードを低出力で放出し、明かり代わりにしている美鈴は、顔を紅くしながら桜の木を仰ぎ見る。
うん、実に良い夜だ。
手元の金髪をグシャグシャと撫でる。
うん、実に滑らかな触り心地だ。
「――それじゃあ、お姉様も能力に振り回されていたの?」
「ええ、それはもう、ある程度の制御が出来るようになったのが数十年前といったところでしょうか。知識豊富なパチュリー様と経験だけは無駄につんでいる私とでビシバシ鍛えましたからねー」
「そんな、知らないよ、わたし」
「そりゃあ、プライドの高いレミリア様ですからね。フランドール様に弱音を吐くわけありません。でもね、自分に力が無いと妹を外に出してやれないとか、妹の前に出るだけで足が震えるなんて情けないでしょとか、根性ある弱音を吐くんですよね、あの子は」
「嘘、御食事を持ってきてくれたときはそんな――」
「だから、プライドの塊なんですってレミリア様は……。何年か前に幻想郷を単独で襲ったのも能力の調整を兼ねていましたからね。そのおかげで安住の地を手に入れられたのは僥倖でしたよ、パチパチパチ」
お膝抱っこしているフランドールが幼くもなく狂気に飲まれている訳でもなく、ただ真剣な表情をしている。けれども、部下達が持ってくる酒を飲んでいる内に頭がグルグルし始めた美鈴には関係無い。
自分の前方で酒飲んだり飯食ったりしている部下達の中に、「あたいってばサイキョーだね!」とか「ちょっとチルノちゃん……」とか言っていた妖精達が転がっていても、もっと来いと言いたくなるほど気分が良いのだ。
花見が始まって二時間弱。
ノリだけで生きている可能性が高い門番隊の面々は数分でテンションを最高潮まで上げ、騒ぎに興味を示して近付いてきた野良の妖精を巻き込んでドンチャン騒ぎを始めた。
当初は――。
「ああ、フランドール様が本気で殴ったらチルノちゃんの首がもげますから――」
「ちょっと、杯を空けて――」
「えっ、弾幕を張ってもいいかって何処に!?」
等と世話を焼いていた美鈴であったが、皆にかまわれて嬉しそうにしているフランドールを見て、自分だけ真面目ぶって場を盛り下げるのはいかんと思ったのだ。
それからは、部下が吹っ飛ばされても無視し、チルノが地面に埋まっても無視し、今はぶっ倒れている大妖精と杯を交わしていた。
ああ、本当に、頭の中がグルグルして気持ちが良い。
気を使う程度の能力を使用すれば、体内に回っていくアルコールを分解するのも容易いが、ゲロを吐く寸前の気持ち悪さと精神が乖離しかける酩酊感の間の心地良さはどんなに生きようとも変わらず、部下の一人が得意の裸踊りを披露している姿をぼんやりと見ていた美鈴は、膝の上にフランドールがチョコンッと乗ってきても、オロッ、と言う反応しか示さなかった。
なぜならば、推定年齢四百九十五歳以上の幼女も酔っていたからだ。
誰が飲ました養命酒、誰が飲ました赤ワイン、酒瓶を片手に持ったフランドールは可愛いなんてもんじゃねぇぞ!
脳味噌が溶け始めていた美鈴はもうかなりダメだった。
だから、幼女の口から機関銃のように射出される姉の愚痴を聞いては黒歴史を語り、頬を膨らまされれば自分の知りえるいい加減な知識を語った。
ああ、本当に、今日の桜は綺麗だ。
妙に真剣な表情のフランドールが何かを言っているけれど、よく解らない。
本当に桜が――。
「なにをみてるの?」
「花を」
「ふーん、ピンクじゃなくて赤にも見えるんだね、桜って」
「これはちょっと特別ですからね。吸血鬼の心の一部が込められてるんです」
「心の一部?」
「深く考えなくて良いですよ、冗談ですから」
「んーっ」
「フフッ、おっぱいを全力でペチンペチンしないで下さい。行動が先代様とかぶりますよ」
「……ねぇ、美鈴は何時から家に仕えて――」
風に吹かれて桜花が散り逝く。
儚いものは美しい。
けれども、幼い声に乗せられた自身の名も風の中に消えてしまうのでは――。
それがとても怖い。
自分の名前は好きだ、自分の名前は誇らしい。
人間として生きても化生とされては追い出され、化け物として生きても名前すら覚えられぬ些末な存在。そんな自分が認められた証である紅美鈴の名は、自身が持っている唯一の宝物だ。
しかし、只の妖怪であった自分は手に入れてはならない物を手に入れたのかもしれない。
気を遣って存在し続ける生き方が染み付いた身体はそれしか出来ず、強者の前に出ると気配を消し存在を消し、名前すらも覚えられない己には“紅美鈴”は過ぎた宝物だ。
だから、名前を呼ばれただけで相手に情が湧いてしまう。
『――どうしてこんな所に立ってるの?』
『ん、おや、まあ、フラン、ではなくて妹様!?』
『うん』
『……ああ、いや、そうか、なるほど、地下室から出られるようになったんですね。久しぶりの外の空気は如何ですか?』
『わたしが先に質問したよ?』
『これは失礼しました。私はレミリア・スカーレット様より紅魔館の番人を命じられている者なので、休憩時間以外はここらで気を張っていなければダメなのです』
『ふーん、めーりんはたいへんだねー』
『……ええ、あの、あれ、名乗りましたっけ』
『ううん、でもめーりんはめーりんでわたしはわたしでしょ?』
『いや、まあそうなんですけど……』
フランドールに数百年ぶりに会った時は驚いた。
ある一定の魔力が無い者には開く事ができない扉の向こう、地下数百M下の地下室にフランドールは幽閉されていたので、力の弱い美鈴では如何する事も出来ず、外への興味を失わすために会いに行く事もレミリアに許して貰えなかった。
気配を消して付いて行っても、ほぼ無防備状態で狂気の渦に近寄るのは命を削る行為であり、無理してレミリアにぶっ飛ばされる経験を何度も何度も何度――。
それは言い訳にもならない約束破りの記憶だ。
非常に苦々しい。
昔から裏切り裏切られ、そんな経験はたくさん積んできたのに胸が苦しかった。
だから、そんな役立たずでしかない乳母の事なんて忘れていると思っていたのだ。
けれど彼女は自分の名前を呼んでくれた。
それは、メイド長である十六夜咲夜に教えられていたから、鬱陶しいから私にも解るように気合入れて門番やれと命じてきたレミリアの気紛れ、たくさんの可能性が考えられたけれど、ただ覚えていただけ、そう考えると胸が熱くなった。
もしもそうならば、自分はいかな悪鬼も止める盾になってもいい。
もしもそうならば、自分は万軍を葬る矛になってもいい。
薄っぺらな紙の如き忠誠心が久方ぶりに燃えた。
「クシュンッ!」
「ん?」
しみじみと一年程前の出来事を思い出していた美鈴は視線を落とし、胸元で眠り始めていたフランドールの鼻に付着していた花弁を抓むと春風に乗せる。
冷気を含んだ風、あーあーあー、頭が冷えてきた。
どうやら酒を飲み過ぎたらしい。記憶と思考がごちゃ混ぜの状態というのは宜しくないので、気を使う程度の能力を使用して酒気を浄化する。
この能力の良いところは、二日酔いもなくなるという所であろう。
「ふぅ、これはヒドイね、ハハッ」
酔いが醒め始めて周囲を見回せば、なかなかの死屍累々っぷりであった。
裸で折り重なるように寝ている妖精もいれば、妙な関節技を掛け合ってぶっ倒れている門番隊数人と氷精の姿もあり、酒樽に首を突っ込んでピクリとも動かない大妖精には畏怖すら感じる。
何人かはまだ騒いだり、静々と飲み食いしたり、まともな者もいたりするので、門番隊の宴会地獄はまだこれからだぜ――なのだが夜明けまで騒いでフランドールが灰になってしまったらシャレにならない。
「門番長お帰りッスか」
「うん、主賓が寝ちゃったからね。放って置くと消滅しちゃうし館に帰るよ」
「そうッスか、お疲れッした」
部下の一人に声を掛けられたので左手をプラプラと振った美鈴は微笑み、右手のフランドールを抱え直してから歩き出す。
宴会はまだ終わらない。
自分一人で今日の門番シフトをこなす決意を胸に美鈴は――。
――私の紅、私の美鈴……。
振り向く。
春風にのって懐かしい声が聞こえた気がしたから。
けれども見えたのは、花弁を散らしながらも悠然とそこに在り続ける桜の木だけであった。
幻想郷に来て十年も経っていないのに、なかなかに図々しい。
「……めーりん、いっしょ」
「はいはい、さすがはスカーレットと言ったところでしょうか……」
律儀に寝言にも答え、美鈴は一礼してからその場を去った。
紅美鈴の本質は強者に縋りつく生き方しか出来ない弱小妖怪のそれである。
ただ、ほんの少しだけ情に厚い。
桜の木の下に眠る者=先代スカーレット家当主
美鈴=先代当主から仕える.他フランドールが幽閉されるまでの間乳母役を勤める
↑でいいんですかね?
発想や随所のコネタはとても面白いものと感じました!
ただ,2回ほど読み直さないと設定を理解できなかったので満点から20点
引かせてもらいました.
構成を工夫すればもっと作者様の作品の良さが伝わると思います!
上から目線になっているかも知れませんが本当に楽しめました.次回作も
待っています!
追記
こういう自分の弱さを自覚して戯言とか駆使し小賢しく生きる美鈴もいい
なと思いました.
全体に一本筋が入ってて読みやすかった。
ROM専に戻らずもっと書くんだ!
>「胸が硬い。めーりんぱす」
妹様何口走ってるんですか。
気が向いたら、また書いて下さい。
隠れ咲→美っていうのももはや定番ですねw
レミリアの階段ですら自分を殺せてしまう運命が勝手にみえてしまうというのは
とても恐ろしいことですね。フランと同じく、幼い身ではそれは辛いことだったでしょうね。
それが過去話だったり妹様が出たりとなればもう最高だね
誰にでも優しく素直な美鈴のイメージが良い意味で壊れました。
確かに弱ければ強いものに縋れなければ生けませんもんね。
このお話の美鈴は実際の強さは謎ですけど。
途中の過去話パートが若干判り辛かったりはしましたが、全体的に
話がだれる事無く楽しく読めました。
ROM専になられるのは勿体無く思いましたので、次を期待させていただきます。
細かい誤字が気になってしまうのも秀作ならでは~。
つーか階段めちゃtueeeee、お嬢様を殺す運命がゼロじゃないなんてw
次回作にも期待します
読んでてイライラするだけですが、何か?
ということで「ROM専に戻れる運命」を壊して早く続きを!!
妹に恐怖しながらも大切にするレミリア様も、美鈴大好きっぽい咲夜も、おなじく美鈴大好きなフラン様も平々凡々な妖怪な美鈴も、騒ぎが大好きな門番隊も、皆大好きです!
美鈴は過大評価されやすいですが、実は並み程度の強さだと思うんですよ、三面ボス的に考えて。
文中に、不慣れなのか多少解りにくい点がいくつか散見されましたがこれだけのものを書けるのなら書いてるうちに慣れていって欲しいです。
ってことで次の作品を書く作業に戻るんだ!
>薄っぺらな紙の如き忠誠心が久方ぶりに燃えた。
紙が燃えたらなくなっちゃうよ。だめだよ。
ROM専するのは俺にまかせろ!
って事で次の作品を(ry
個人的にはなんだかんだいって美鈴に執着してる
レミィが可愛いな、って思ったり。
強さ的には並の妖怪と変わらないと書かれてたはず
ただ、弱点が無いので対人戦においては最強に近い
というのがめーりんの公式設定だったかな
これはいいメイフラ
めちゃ強いめーりんもいいが、やはり弱いながらも健気に生きるめーりんもいいねっ!
今までにない味があると思うのでぜひ書き続けてもらいたいです。
>「その、この食堂で出た残飯の処理をしなさい! 残したらひどいわよ」
このツンデレ咲夜さんに惚れた。
先代スカーレットのキャラがお嬢様に被るのはやはり親子ゆえか。
それと、犬耳で通じ合える姉妹愛にふきましたw
最後に、この門番隊に入るにはどうしたらよかですか?
これはいいさくひんだ!
NGです、禁句です、ダメですwwwwwwwwwww
読んでツボったww
いつかお願いしますぞ!