小さな祠があった。
そして、そこを守る少女がいた。
名を美鈴。その小さな祠の守護をする妖怪である。
その祠に奉られているものは美鈴の先祖。大陸から安息の地を求め旅を続け、この地を探し出した先祖の魂。そしてその末裔が美鈴なのである。
守護をするといっても、生憎のことに美鈴は弱い。だから、強い者が気紛れを起こして祠を破壊しようとすれば、それを防ぐ術を持たない。その為、美鈴の守り方は実力による排除ではなく、周囲を常に見張り、自分自身を絶え間なく高め続けること。
自己を高めることは本能であるが、それをことさら見せつける意味は、倒せるだろうが厄介な奴と思わせる為だったのだろう。自分には毒があると見せつける昆虫のそれに近い。
勿論、それだけでは守れぬことを知っているので、近くに住む妖怪たちとは親しい付き合いもしていた。全てが計算の上ではなかったが、そういう打算合っての付き合いであったことは否定できない。それは、美鈴の心に僅かな罪悪感を日々積もらせていた。
しかしそれは、完全に心を許せる相手がいないながら、平穏な生活であった。
けれど、それは壊される。たった一人の吸血鬼の手によって。
美鈴は構え、鋭い目付きで相手を睨みつける。怯えはない。
向き合う、一人の吸血鬼。彼女はこの地を奪い、自分の館を置こうと考えてここに現れた。その強大な力を持って周囲の妖怪を吹き飛ばし、恐怖を振りまく破壊の権化。それに対峙するには、美鈴は遙かに弱い存在であった。
「次々とここらの妖怪が逃げていく中で、どうして残る。逃げた奴らよりも弱いくせに」
嘲る笑顔を浮かべ、美鈴の眼前に立つ吸血鬼の少女。名を、レミリア=スカーレットといった。
抗う者を笑うのは、不機嫌だからである。自分の邪魔をされたのが、気に食わないのだ。
「ここを守りたいから。それに、ここは私の居場所ですから」
その真剣な答えを、その吸血鬼は鼻で笑う。だが、笑いが引くと同時に、空気が凍る。
「ねぇ……死ぬって、判らない?」
僅か、声に怒りが混ざった。
取るに足らない弱者が道を阻む。それはレミリアにとって、堪え難い程の屈辱であった。
「死ぬことよりも、守れない方が辛いんです」
だが、そんな怒りに気圧されることもなく、毅然と美鈴は返す。
「そう」
溜め息混じりの呆れ。レミリアには、美鈴の思いが理解できない。
「なら、死になさいよ。鬱陶しい」
レミリアが羽ばたき、そこから生まれる風で美鈴は吹き飛ばされる。地面にぶつかり、全身に擦り傷を負っていく。
「あはっ、弱いじゃない。本当に」
吸血鬼はその無様な姿を見て、けらけらと笑う。
美鈴は風が止むと見るや、すぐに立ち上がり構えを取る。その様に、面白くないものをレミリアは感じた。
「弱いとか強いとか、そんなのはどうだっていいことでしょう」
真っ直ぐな瞳で、美鈴は吸血鬼を睨む。レミリアの中で、ドロドロとした不快感が広がっていく。
美鈴は隙を覗うが、攻め入れるような隙は見えてこない。それならばと、美鈴は一気に踏み込み、拳を叩き込む。攻めず負けるくらいなら、いっそ攻め抜こうと思ったのだ。
それは速い拳であったが、レミリアには酷く鈍重なものに映った。
「ふん、くだらない」
余裕を持ってレミリアはそれを避けると、擦れ違い様に美鈴は腹部を強く蹴りつける。
「かはっ!」
一瞬だけ呼吸が止まる。意識が飛びそうになるのを懸命に堪え、地面に激突しながらしっかりと受け身を取り、すぐに跳ね起きて再度構え直す。
「呆れるわね。弱きは死に、土に還るものでしょ」
「だから、何ですか!」
レミリアの言葉を、美鈴は一蹴する。
不快。自分の言葉に従わない、毒にさえならない弱い存在。チリチリと、レミリアの頭の中で苛立ちが積もっていく。
「本当に……鬱陶しい」
奥歯を噛みしめる。けれど、本気では力を振るわない。弱い本気を出すことが悔しいのだ。
「行きますよ! 吸血鬼!」
地面を踏み締め、再び飛び掛かる。
だが、美鈴が拳を突き出す前に、レミリアは美鈴の眼前に飛び出して拳を突き出す。
「があっ!?」
見えなかった一撃に、頭が空白になる。内臓を殴られ、酸素を全て奪われた。
そのまま拳を振るい、美鈴を突き飛ばすと、転がる美鈴を見下ろしながらレミリアは吐き捨てる。
「そろそろ自分の弱さは見えたかしら?」
何かを言い返したかったが、美鈴は言葉が出せない。息が詰まり、全身が痛む。
……勝てない。
冷静な頭が、そう答えを出す。それに力なく笑うと、美鈴は痛む体に鞭打って、また立ち上がる。
「……殺さなければ、判らないのかしらね」
奥歯が砕けそうなほど、レミリアはその顔を歪め、睨む。
美鈴だって、実力差など判っている。むしろ、レミリア以上に正確に力量の差を理解している。なにせ、美鈴は誰よりも相手の実力を理解する力を持っている。勝てないことも、それ以前に相手にならないことだって判っている。それでも、退くことはできなかった。祠を守る以外の生き方を、知らないのだから。
挑み、弾かれ、挑み、弾かれる。
一度毎に、怒りの分威力が増す攻撃をされるが、それでも美鈴は一歩も退かずに立ち向かう。
呆れと共に、レミリアの中に、自分の知らない感情が顔を出し始める。それがなんなのか、レミリアは僅かな不安を覚える。
「いい加減に諦めなさい。弱い者が強い者に勝てる世界なんてないのよ」
「ここはあらゆる世界を肯定する場所です!」
心に浮かぶのは、人に似た姿でありながら、妖怪ということで迫害された先祖の無念。そして、ここに辿り着くまでの苦難の道。その果てにあった、この理想郷。
「倒す!」
駆けて挑む。挑む相手は、雲よりも高い位置の存在。その背中さえ見えないほどの存在。
「……弱い奴が、強そうに吼えるな」
怒気で空気が爆ぜる。
「耳障りだ!」
苛立ちに任せ、レミリアは腕を振る。それに顔を打たれ、美鈴はレミリアから遠く吹き飛ばされた。
そしてまた、美鈴は立ち上がる。
言葉にできない苛立ちに、レミリアは牙を剥く。
「いい? 鬱陶しいのよ。あなたが私に勝てる理由なんてない。そんな運命はここにない。それを知って、いい加減に死になさいよ」
そう叫ぶレミリアの手の中に、魔力の槍が生み出される。
レミリアの目の奥に映る、挑み来る少女の死。美鈴の死ぬ運命をレミリアは見た。この手に握られた紅い槍が美鈴の胸を貫き、その瞬間に美鈴は終わる。
「ふん」
レミリアは、この懲りない相手の死を知り、気を抜いた。
一瞬の油断。それにより矛先が、僅かぶれる。
槍は的からは外れることはなく、美鈴の胸の中へと沈んでいった。
「かはっ!」
それは、真っ直ぐに美鈴の胸を突き刺さっている。その勢いに押され、美鈴は後へと傾いていく。
だが、美鈴は踏み止まる。
「……え?」
レミリアは、その気配に気付く。
運命が……外れていた。
次の瞬間、美鈴は踏み込みレミリアの眼前に飛び出す。
「なっ!?」
レミリアの顔を、初めて驚愕が彩る。
傷を負ってなお自分が生きていること、レミリアが油断をしていたこと、その二つを瞬時に悟っての行動だった。
「ちぃ!」
美鈴の突き出す拳をギリギリ顔に触れる前に受け止めると、そのままレミリアは掴んだ腕を振り回した。
「うあぁぁぁ!」
そして、力任せに地面に叩き付ける。
「はぁ、はぁ、はぁ」
驚きに息が上がる。
「くっ、油断して運命が曲がったのね……まったく、驚かせて」
ただ、生きる時間が少し延びただけ。そう、レミリアは思った。
しかし、また裏切られる。
「……馬鹿な」
胸に巨大な傷を負い大量の血を流しながら、ヨロヨロと、美鈴が立ち上がった。骨も内臓も、壊れていない場所があるのかというほどの満身創痍だというのに。
呼吸は荒く、とても戦えるようには見えない。目には光が薄く、濁っている。だというのに、その眼光は不思議と鋭く、ただジッとレミリアを睨んでいた。
ゾクリと、背筋が震える。
「馬鹿な……私が……」
……私が、震えただと?
「くっ!」
汗が頬を伝う。呼吸が苦しくなる。
こんな形で汗をかくのはいつ以来のことだろう。教会が送ってきた精鋭たち相手に戦った時は、確かに危うくて汗も流した。だが、それならこれはどういうことだ。相手は弱く、自分は無傷。誰が見ても、自分が圧倒しているはず。だというのに、何故自分が気圧され、汗などをかかされているている。
そう思い、レミリアは軽く錯覚する。意識を外した直後に、自分の心臓をあれに抉られるのではないか、と。
そんな自分の思いに、レミリアは怒りを爆発させる。
「巫山戯るなぁ!」
怒りに任せ、怒鳴る。唇を噛み破り、血がこぼれ落ちた。
「もういい、全力だ! これでお前は、その鬱陶しい運命ごと消え失せろ!」
先程よりも、遙かに巨大な紅の槍。怒りに任せて制御が整っていないが、確かに強大な力の固まりである。対して、美鈴は腰を落とし、構える。
レミリアは槍を振りかぶると、それを放り投げる。
全身がひび割れたように痛む美鈴に、避ける術はない。だが、美鈴は拳を引き、正拳を打つ構えを取る。そして、槍と接触する瞬間、美鈴は拳を突き出した。瞳の濁りは吹き飛び、ただこの一撃に、その全身全霊を込めて。
刹那、爆発が起こる。
レミリアの放った槍が、美鈴に触れて炸裂した。
「……ふん」
自分は何を本気など出しているのだろう。そう思うと、少しばかり恥ずかしい気がした。そして同時に、安堵の息を漏らす。
だが、その安堵は吹き飛ぶ。
「……なっ!」
粉塵の中……美鈴は立っていた。
「馬鹿な……」
その右腕は、既に人体と呼べる形状を保ってはいない。だが、その一本の腕で、美鈴はレミリアの槍を相殺したのだ。
「あ、あぁ……」
レミリアは、初めて恐怖した。弱いくせに死なず、何度やられても怯えない相手。それは、未知の敵であった。
もう、一歩たりと美鈴には動く力は残っていない。だが、それでもなお、美鈴は倒れなかった。虚ろな瞳でレミリアを睨みながら、美鈴はそこに立ちはだかり続けている。
レミリアの顔が恐怖に歪む。
しかし、無情。ほんの僅かに、風が吹く。今の美鈴に、それに耐えるほどの力は残っていなかった。
ドサッと、倒れ込む。拳を突き出す寸前から自我など失っていた意識が、急速に白み、失われていった。
「……うあ」
目が覚める。と、同時に全身が痛む。
「いたたたた……」
今まで味わったことのない様な温もりの中で、美鈴はゴロリと転がった。すると、眼前に吸血鬼の顔が現れる。
「……起きたみたいね」
「………!?」
呆れた顔で覗き込むレミリアと、驚きのあまり声のでない美鈴。
「お、おぉぉ!?」
驚きのあまり、自分の眠っていたベッドから跳ね起きて距離を取る。それにより、ボロボロの肉体に衝撃が走り、全身を激痛が襲う。
「あぁぁぁ!」
今度は痛みの悲鳴である。
「……何やってるのよ」
呆れ顔。
美鈴は自分の肩を抱きながら、周囲を見渡す。そこは見覚えのない屋敷の一室であり、自分の眠っていた場所は、一度も眠ったことのない様なしっかりとして装飾の凝ったベッドであった。
様々な驚きがあるが、とりあえず目の前にいる相手を警戒して、構えを取る。
「別にもう、あんたをどうこうしたりしないから、とりあえずその敵意を解きなさい。殴りたくなるじゃない」
視線を逸らしながらレミリアは言う。その様とその言葉に、本当に敵意がないものと感じると、美鈴はふぅと息を吐いて警戒心を解いた。
「ここは、どこなんでしょうか?」
警戒心を解くや、美鈴は問い掛ける。
「ここは私の屋敷よ。戦う前に言ったでしょ、私の目的はこの館をここに移す」
言われて思い出す。そして同時に、自分は守り抜けなかったということに気付いた。
全身から重みが抜け落ちるように力を失い、美鈴は倒れ込む。意識がどこかへ飛んでしまいそうだった。
「……勘違いしているみたいだから言っておくけど、あんたの守りたかったのって、小さな祠でしょ? それなら壊してないわよ」
「……え?」
思わぬ言葉に、美鈴は耳を疑う。
「まったく、一カ所を残しての館の転移っていうのはかなりの重労働らしくてね、ウチの魔法使いがベッドでうんうん唸ってるわ。後で感謝しときなさい」
「ま、まさか、そんな」
吸血鬼は傲慢で、他者を気に掛けない。それが、美鈴の認識であった。
「……信じなさいよ。何なら、見に行く?」
その言葉に、首がもげそうなほど美鈴は頷き、レミリアについてその場所へと向かう。その途中、美鈴は初めて自分の体が無事であることに気付き、同時に腕が壊れていてそれを治されたとレミリアに聞かされた。最後の正拳突きに関して、美鈴は何も憶えていなかったのだから、レミリアは盛大に溜め息を吐いた。
二人が話ながら歩いていると、じきに目的の場所にたどり着く。館と図書館との境に、祠はポツンと残っていた。傷さえ負わず、元のままで。
「あ、あぁ……!」
「これで信用したわね。さ、まだあなたの体はボロボロなんだから、部屋に運ぶわよ」
そう言うと、レミリアは美鈴を抱き上げ、美鈴の部屋へと飛んでいった。
部屋に戻り、美鈴をベッドに放り投げる。
「痛っ!」
「贅沢言わない」
その柔らかなベッドの上で、美鈴は夢見心地になる。祠が壊されずに済んだということとを始めとして、判らない温かさが全身に溢れていく。
と、突然レミリアが口を開く。
「私はレミリア=スカーレット。あなた、名前は?」
「え?」
「名前。あるでしょ」
「私は、美鈴といいます」
「美鈴ね」
レミリアは、その名前を噛み締める。
「美鈴。あなた、これからもあの祠を守るんでしょ?」
頷く。
「だったら、ここに住んで守りなさい。それから、ついでにここの家事や色々なことを手伝って貰おうかしら」
それは、命令。だというのに、あまりに優しいものであった。
頭の中が白紙になった。が、返答が遅く苛立ち始めたレミリアに気付き、慌てて美鈴は聞き返す。
「い、いいんですか?」
「私はやれと言っているのよ」
ふぅと呆れる。自分を震わせたのがこんなのだと思うと、少し悲しくなる。
けれど、気に入った。初めて自分をあそこまで震わせた存在として、レミリアは美鈴に興味を持っていた。
「あぁ、そうそう。ねぇ、美鈴。私は紅という字をスカーレットと読むわ。あなたならこの字、なんと読むのかしら」
意図の判らぬ問い掛けに、美鈴はきょとんとして応える。
「私は、ホンと読みます」
「そう」
その発音をしっかりと頭に刻むと、改めて口を開く。
「それなら、あなたはこれから紅美鈴を名乗りなさい」
それは、契約であった。自分の名を相手に与える、強い契約。
だが、そんなことをレミリアは考えていない。ただ、気に入ったものに自分の名を刻みたかっただけであった。
美鈴は、温かな感情に包まれ、瞳を潤ませながら応える。
「は、はい! レミリア様」
美鈴にとって、それは初めての居場所であった。
「……途端『様』付けっていうのも不思議な気持ちね……まぁ、いいけど」
苦笑いを浮かべ、頭を掻く。
美鈴にとっても、レミリアにとっても、これは不思議な出会いであった。
「さて、と。言うことも言ったし……」
するとレミリアの顔に、突然ニタリと笑みを浮かべる。
「……れ、レミリア様?」
「うふふふふふ」
よからぬ気配に、美鈴はベッドの上で後ずさる。
そしてそんな美鈴に、レミリアは飛び掛かった。
「わっ!」
驚く美鈴にレミリアは密着して、腋を、脇腹を、そのしなやかな手でくすぐっていく。
「あははははは!」
そのくすぐったさに、美鈴は笑い声をあげる。
「私を威かした罰よ。盛大に苦しみなさい」
「あはははは、駄目、駄目です、傷に響く、あははははは!」
体の痛む美鈴に、逃れる術はない。涙目になり、痛みとむず痒さを味わい続ける。
「ほらほら、逃げないの」
「か、勘弁してくださ、あはははははは! 痛い痛いですって、本当に、あはははは!」
紅魔の館に、二人の少女の楽しそうな声が響いていた。
もうちょっと「倒しても立ち上がり続けるメイリン」の辺りがだらけてしまっている様な気がします。テンポを良くするかもう少し二人の内面を描いてくれたらな、と思いました。
早くスランプを越せるよう応援します。
ところで「最後の正拳突き関して」って「最後の正拳突きに関して」でしょうか?(「に」ぬけてますよ
自分の中の美鈴もそんなイメージ。
そこが格好良いw
それだけにお嬢様の恐れが伝わりづらく、なんだかかっこ悪いなぁと見えてしまいました。
あくまで自分の意見ですがねー。
あ、あと
『美鈴は風が止むと見るや、すぐに美鈴は立ち上がり構えを取る。』の一文、美鈴が重複しちゃってますので報告をば。
でも、なんとなく戦闘描写に迫力が欠けているかな・・・と思います。
そこがちょっと残念だったかなぁ・・・というのが私の意見です。
・二人の内面……そういえばそこが書けていませんでしたね。以後注意します。
・レミィ格好悪い……無意識に美鈴を上げるためにレミリアを落としてしまったかもしれません。これは駄目ですね。次回以降は気をつけます。
・迫力に欠ける……できる限り努力します。
戦闘描写、および心象描写が今回は若干考慮しないといけないようですね。
またシリアスな戦闘ものを書こうと思っているので、その時までにスキルアップを目指します。アドバイスありがとうございました。
それから、楽しんでいただいた方々もありがとうございました♪
で、いらついてギガデイン使ったのに生き残ってたと。
そんなスライムに出会ったらそりゃ怖いわ。
それにしてもラストのお嬢様は可愛いw
これぞ美鈴です。