朝、まだ寝惚けて意識も朦朧としながらもやっとの事で上半身だけを起こす。
だが瞼を少し閉じれば燕尾服にウサミミバンドに編みタイツ、所謂バニーガールの格好をした小悪魔がおいでませと言わんばかりの笑顔で夢の世界へ誘うかのように手招きをしている。ああ、この誘惑を如何にして振り切るものか。バニーガールなら鈴仙が適役だろうに、いやまて悪魔がウサミミってのも中々通なんじゃないのかな。等と、そんな下らない事を15分程みっちりと考え、目が覚める。
ここで違和感を覚えた。
何時もなら身体を弄られ触られた感触が残っている筈なのにそれが無い。『ああ、姫様のつるぺたな御身体ハァハァ』やら『ムッハァーーー!! もーーーう、たまりませんなぁっ!!』と聞きたくも無い雑音――――主に荒い吐息やらシャッター音やら――――が聞こえてくるのだが、八割方寝ている私はされるがままにするしかない。眠いし殆ど覚えて無いので気にしない事にしているのだ。……気にしたら多分永遠亭から逃げ出しそうだから。
ともあれ何もされずに、されども着替えはきちんと済まされている。どういう事なのだろう。
あの変態も自分の大変で変態な性癖に気がつき更生したのだろうか。うん、それはまずありえない。千年以上も続けてきたセクハラを今更止めるとは到底思えない。
「姫様、おはようございますー」
「ふぁ……、おはよう。えいり……ん?」
やけに間延びした口調。私の知っている永琳はこんな口調じゃなかったはず。
「どうかしましたか?」
「……永琳?」
「姫様、まだ寝惚けていますか?」
赤と紺に星座を思わせる刺繍を施した怪しさ満点の服とそれに合わせるかのような帽子。
私とは違って凹凸のはっきりとした羨ましい身体。腰まであるだろう紅い髪は三つ編みに纏められ――――紅い髪?
「…………あれ? 永琳? あれぇ?」
「あー、やっぱりまだ寝惚けていますねぇ。
姫様、私の名前をお忘れですか?」
「だって……昨日まで。うぇ? 名前?」
えっと……、確かメガネのガキンチョ魔法使いと中華帝国みたいな、そんな感じの名前だったかしら。
紅魔館には数えるほどしか出向いた事がないので思い出すのも一苦労。
紅えいり、じゃ無かったメイリン。そうそう美鈴だったわね。
「美鈴、紅美鈴よね。うん、今思い出したわ」
「違いますよ」
「あれ? じゃあ国名の方?」
「それも違いますー。私は八意、八意美鈴です」
「……ワンモアプリーズ」
「八意美鈴ですよ」
「……はぁ? え? 何これ? もこたん企画のびっくりどっきりもっこもこテレビ?
また私を嵌めようとしているの?」
「びっくりでもどっきりでもびっくりどっきりメカでもないですよ。
あ、ちなみにびっくりとどっきりは連携しません」
超ヴァーミリオンびっくりどっきりスターライトシャワー。
嗚呼、夢の全体攻撃5連携。これができれば花火の君も大絶賛間違いなし。
「…………えーと、じゃあ」
「私は輝夜様の従者、八意美鈴です」
腕を組み右手を頬に沿えあらあらうふふと笑う美鈴。
あー、まあいいか。考えるのもめんどくさい。
こうして何故か紅魔館の門番が此処永遠亭で暮らす事になった。
しかしながら名前まで変わっていたのは誰かの仕業としか思えない。
おそらくどこぞのスキマババァが暇潰しに『め』と『え』の境界でも弄くったのだろう。
と、言うことは紅魔館の門番は『紅永琳』になっている訳か。
『八意美鈴』と『紅永琳』。
うん、語呂は悪くない。
重箱の隅を突っつくのなら問題はあるけれど、気にするほどでもないか。
すぐにでもスキマ妖怪に文句をつけに行きたい所なのだが、敢えて放っておく事にする。正直な話、永遠亭が抱える変態がいなくなったのでセクハラ、薬の実験体その他諸々の行為に怯える事が無くなったからだ。
具体的に数値――――変態スピリット指数で表すならば軽く1000は超えるだろう。200もあれば大福将軍に勝てるし、250を超えれば千生将軍と同レベルだ。1250まで跳ね上がればガンキラーを圧倒したサラマンダートップの千生将軍の出来上がり。永遠亭の変態スピリット指数=永琳の変態度。詰まる所永琳がいないと永遠亭は平和そのものになる。
その代わり紅魔館がどうなっているのかは知らんぷい。
着替えが終わり顔も洗い目が覚めたところで朝ご飯の時間になる。
永琳……じゃなくて美鈴と二人並んで廊下を歩く。しかしながら美鈴も永琳に負けず劣らず背が高い。
途中何人かのイナバの子達とすれ違うが誰一人として不審に思わず、何時も通りに朝の挨拶をしてくる。
挨拶、だけで済むと思いきや美鈴に飛びついてくるイナバの子供もいた。
飛びつかれる美鈴も嫌な顔一つせずあらあらと笑い、イナバの子を背中におぶり何事も無いように大広間へと歩き出す。
驚きだ。
「姫様、どうかなされましたか?」
「あ、いや、何でもないのよ。うん、何でもないの」
「そうですかー」
イナバの子達も懐いているし、そこまで気にするほどでもないか。
鈴仙やてゐがどのような反応を示すのかが楽しみではある。
私と同じく戸惑うか、イナバの子供達のように何事無く接するのか。さあどちらだろうか。
結果から言うと後者だった。
鈴仙もてゐも普段通りに美鈴に話かけるし、美鈴もさも当然のようにあらあらうふふと二人の会話に相槌をうち受け答えをしている。
しかしながら何だろう、美鈴と話をしているときのこの二人の安堵感に満ち溢れた表情は。
ああそうか、毎朝恒例のセクハラタイムが無いからだ。
てゐは兎も角として、鈴仙は何かと言いくるめられて性的な意味でのお仕置きを受けている。
鈴仙も学習すればよいのにね。……私も人のこと言えないか。
「鈴仙」
「何でしょうか? 姫様」
「んー、何だか楽しそうだなって思ってね」
「そうですか?」
「そう見えるわねぇ。永琳のお仕置きがないから?」
「はいっ。……あ゛っ!!」
馬鹿正直に返事しちゃって。
ま、これが鈴仙の良い所であり悪い所でもあるのだけれどもね。
朝食が終わると里に配達をする薬の準備と処方なのだけれど……。
大丈夫なのかしらねぇ。
ま、今更慌ててもどうにもならないのは百も承知。一応大丈夫なのかと美鈴に聞いてみる。
意外や意外、大丈夫ですよときたもんだ。鈴仙もいるから安心は出来なくも無い、かな……。
鈴仙もよく失敗をやらかして永琳にお仕置きを受けていたけれども。あー、安心は出来ないわねぇ。あの子も生粋のどじっ娘だから。永琳曰く『だがそれが良い』らしいが、薬剤を扱うのにドジのスキルは少し、いや、とてもまずいんじゃないかしら?
今までは最終的に永琳がきちんと確認をしているから何ともなかったのよね。じゃあこれからは、と言うと。
永琳の代わりにやってきた美鈴が見ることになるのだろう。うーん、不安だ。少し様子を見に行こうかしら。
永琳の使っていた部屋は永遠亭の離れにある自室兼研究室。薬の処方や実験、研究などの為永遠亭内の部屋に構えるには向いていない。
もっとも永遠亭は里の人たちの為に診療所を開いているのでそちらの方は屋敷内の部屋を改装して使ってはいるけれどもね。
元永琳の部屋に向かう途中、中庭で和気藹々とイナバの子供達が洗濯物を干している姿を見かけた。
楽しそうに洗濯物を干しているイナバの子供たちを見ると心が和む。
私も洗濯物を干すのを手伝おうかしら?
だってねぇ、あんなに楽しそうにしていたら混じりたくなるじゃない。
二人の様子を見て本当に大丈夫そうなら後で手伝いましょうかね。
中庭を通り過ぎ、少し薄暗い廊下を抜けると元永琳の部屋がある離れに辿り着く。
元永琳の部屋は防音対策や衝撃を外に伝えない為の結界――――永琳の力で空間を隔離している為か辺りはしんと静まり返ってはいる。
これは永琳が夜遅くまで研究や薬の調合をする事が多いので、万が一の事を考えての措置だとか。
あの永琳が失敗をするとは到底考え難いけれども、絶対は無いのでこれぐらい慎重な方が良いらしい。
「美鈴、鈴仙。中に入るわよ」
「あ、はい、どうぞー」
間延びした口調の返事が返ってくる。美鈴の声だ。
襖を開け、部屋に入ると、白衣に身を包んだ美鈴と鈴仙がいた。
何と言うかこの光景がとてつもなく新鮮だ。まずお目にかかれない組み合わせ。
冥界の庭師・魂魄妖夢との組み合わせなら世間一般ではうどみょんとか言われているが、この二人だとメイセン、若しくはレイリンと呼べばよいのだろうか。
漢字で書くと美仙と鈴鈴。
……途轍もなく微妙になった気がする。特にレイリン。
大多数の人たちはリンリンと読んでしまうに違いない。何故か上野動物園で優雅に笹の葉を食べるプリティーな仕草のパンダが脳裏をよぎる。
永夜返しなど足元にも及ばぬ破壊力抜群のその仕草。さすが百獣の王の二つ名を持つ動物よね。
今はパンダの話じゃないわよね。美鈴と鈴仙の組み合わせの話よね、うん。
……白衣姿の美鈴にデジャヴを覚えるのは何故だろうか。初めて見たはずなのに。
白衣を着た鈴仙は幾度か見たことはある。永琳が荒い吐息のオマケつきなのだけれども、ね。
「師匠、仕分け終わりました」
「はい、ご苦労様です。
……んー」
鈴仙から受け取った配達先の書かれた紙と薬の一覧表をじっと眺めしばし沈黙。
何かミスしたのかと少々不安げに美鈴を見つめる鈴仙。
鈴仙の表情の意味を汲み取ったのか、よく出来ましたとにっこりと和やかに笑い頭をなでこなでこする美鈴。
和み系お姉さん兼お師匠様と言った所かしら。
おーおー、美鈴の仕草に鈴仙が戸惑っている。
永琳の笑みは確実に裏がある為に安心出来ないのだが、美鈴にはそれが感じられない。天然かこれは。
しっかしこれだけ見ると幼稚園や保育園の保母さんにしか見えないわねぇ。
とても薬剤を扱っているとは思えない。
「ねえ美鈴。さっきも聞いたけれど本当に大丈夫なの?」
「あー、姫様信用していませんね?
私はこれでも結構長い間生きているので武術以外にも色々とかじっているのです。
独学ですが医学もそれなりに勉強してきてますよ」
「それなりにねぇ。どれぐらい?」
「ざっと数百年程ですね」
さらっと数百年という言葉を出すあたりはさすが妖怪と言うべきか。寿命も半端ない。
独学とは言え数百年も勉強してきているのなら永琳ほどではなくとも知識は十分すぎるほどに蓄えられているのだろう。
ああ、そっか。美鈴は紅魔館の門番。確か紅魔館には七色もやしの魔女が館長を務めている馬鹿でかい図書館があるって聞いた事がある。
そこなら医学書も豊富にあるだろうし、勉強するにはもってこいかもしれない。
「それ以外にも針治療や気孔マッサージもできるんですよー」
「針や気孔……。気孔マッサージ?」
「はい、気孔マッサージです。
陽の気を身体に送り込むことで、身体のコリをほぐし、麻痺も取り除く気を使ったマッサージですよ。
麻痺していると戦車から強制的に降ろされて危険ですからねぇ。あ、マッサージは評判良かったんですよ?」
戦車と書いてクルマと呼ぶらしい。何のこっちゃ。
ルート99という単語が浮かんだのだけど何故かしら?
それにしても気孔マッサージか。今度やって貰おうかしら。気持ちよさそうだし。
ま、それは置いておいてこと薬剤関係についてはそう心配するほどでもないようね。
医学の知識が永琳に比べると劣るのは仕方が無い。
だが、彼女には人が辿りつけない長い時間の中で培われてきた知識に加え、彼女の気を操る能力のおかげかそこいらの医者よりも知識や技術は信用出来るだろう。
診療所も薬の配達もしばらく休止にすることはなさそうね。
今日配達分の薬は美鈴が処方したものなのだし、薬の調合に関しても手馴れた手つきでこなしているのをこの目で見ているから納得するしかない。
「これなら大丈夫よね」
「だから言ったじゃないですか。大丈夫だって」
「そうは言っても、俄かに信じられなくってね。
鈴仙もそう思うでしょ?」
「え? わ、私ですか?」
話をふられて驚く鈴仙。この流れなら自分にも話をふられると思っておかないと。ほら、そんなあたふたしているから永琳に弄くられるのよ。 もっとも今は永琳がいないけどね。
美鈴は、と言うと。鈴仙を弄くるわけでもなく、その様子をあらあらと笑って見ているだけ。
何時も笑顔を絶やさないお隣のお姉さんって言葉がしっくり来るような来ないような。
永琳はよく怒るけれど、美鈴が怒ることってあるのかしら?
「さて、私は部屋に戻るわね」
「あ、はい。後でまたそちらに向かいますねー」
「私の部屋に? また何で?」
何か用事があったっけと思い返してみるが心当たりが何もない。
「姫様、気孔マッサージを受けたいのでしょう? 此方の目処が付いたらマッサージしますよ」
「……そんな事言ったっけ?」
「そんな気がしただけですよ。でも図星でしょう?」
「……そうね」
「それじゃあ決まりです。また後で」
何故そこまでわかるのか、疑問だ。ある意味永琳よりも怖い。
だけどマッサージを受けたいと思っていたのは事実だし、永琳と違い裏は無さそうだから別に良いかな。
「イナバの子供たちはまだ洗濯物を干しているのかしら?」
廊下で一人そんな事を口走りながら少し足早に歩き中庭を目指す。
まだ作業の終わっていないイナバの子供たちに混じり、一緒に洗濯物を干し、それが終わる頃には鈴仙が配達の準備を済まして出かける時間になっていた。
部屋に戻り、美鈴のマッサージを受け、昼食を取る。
今日は永遠亭の診療所はお休みなので昼食後は特に何もする事がなく、またもこたんがやってくる気配もないので縁側でのんびりとお茶を啜りながら日向ぼっこをして過ごす。
秋も本番。この時期は暑すぎず寒すぎず、四季の中で一番過ごしやすい。
とは言え、一月もたてばもう冬に近い気候になる。
一番過ごしやすい時期が一年の中で一番短いというのも儚いものだ。
ふと庭に目を向けるとイナバの子供たちが元気一杯に遊んでいる。
かけっこをしたり、鬼ごっこをしたりとその姿は里の子供たちと何ら変わりない。
「可愛いですねー」
と、相変わらずの間延びした口調の美鈴。
さっきから頬が緩みっぱなしなのは指摘するべきなのか放って置くべきなのか。
実に楽しそうにイナバの子供たちを見ている。そんな様子を見ると、放っておいたほうが良いか。
永琳の場合だとこうはいかない。その笑みの奥で何考えているのやら分からなくてホント不気味だった。
「ウドンゲにこの格好をさせるのも良いかも。……いやいや先に幼女化させないと駄目よね」
こんな感じでぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ延々と独り言を言っていたのを思い出した。
もちろん、私は何も言わなかったわよ? 言ったら矛先が私に向かうじゃない。
一度それで痛い目……、色んな意味で恐ろしい目にあったことを思い出して泣きそうになった。
その後、鈴仙の泣き声交じりの悲鳴が永遠亭に響き渡ったのは言うまでもない事よね。
「美鈴様ー。一緒に遊びましょうよー」
「めーりんさまー、あそぼー」
あらま、珍しい。イナバから声がかかるなんて。
今朝の事といい美鈴は子供に好かれる体質なのかしらねぇ。
「あー、姫様……」
「私の事は気にしないで、いってらっしゃいな。イナバたちのお誘いを断る理由も無いでしょう?」
「はいっ、ありがとうございます」
そう言ってイナバたちに混じる美鈴。背が高いので目立つわ目立つ。
両手をひっぱりだこ状態で、それでもやっぱり笑顔は絶やさずに、イナバもホント楽しそうに美鈴に寄り添っている。
……本当に保母さんの才能ありそうよね彼女。
気を使う程度の能力じゃなくて子供に好かれる程度の能力の持ち主じゃないのかしら?
そんな事を考え、庭で遊ぶイナバや美鈴の姿を見つつお茶を一啜り。ん、美味しい。
結局日が傾き、空が橙色に染まる頃まで美鈴はイナバと一緒に過ごし、私はお茶を飲みつつのんびりまったりと過ごした。
何処の誰とは言わないけれど某博麗の巫女みたいな過ごし方よねぇ。
さて、そろそろ配達を終えた鈴仙が帰ってくる時間だ。
「美鈴は……、あららイナバに連れて行かれちゃったみたいね。
それじゃあ私も部屋に戻るとしますか」
縁側に敷いた座布団を片付け、もこたん印の急須と湯のみを乗せたお盆を手に取り部屋に戻る。
日も完全に落ちると少し肌寒い。冬が近づいているのがひしひしと伝わる寒さである。
程なくして配達を終えた鈴仙が永遠亭に帰りつき、皆そろったのを確認して夕食をとる。
夕食後、鈴仙は薬学の勉強と薬の処方、美鈴は鈴仙に付き添い元永琳の部屋に。
私も暇なので邪魔にならないように部屋の隅で二人の様子を見ていた。
朝も見たのだけど、やっぱり手馴れているわねぇ。それに鈴仙に教える時も懇切丁寧かつ分かりやすくと非の打ち所が無い。
いや、永琳もこれぐらいは朝飯前か。違うとすれば鈴仙が間違えたりしたら性的な意味でのお仕置きがあるかないか、それだけかしら。
しかしこの二人を見ていると何故か和む。鈴仙がここまで安心しきった表情を見せるのはいつ以来だか。
何か起きるならばこんな時な訳で。鈴仙がお約束のドジをかましてくれるだろうと踏んでいたのだが、これが見事大当たり。試験管やらビーカーやら用具一式と薬の入った瓶をこれでもかと言うぐらいに豪快にぶちまけてしまった。ここまで来るともはや神業の領域。
(……あらら、こりゃお仕置きかしらねぇ。これはさすがに美鈴も怒るかしら?)
永琳なら額に青筋を立てて、問答無用で三日三晩続くフルコースのお仕置きだったわね。
何をされたのかは想像したくない。間違いなくR指定認証されてしまう。
「す、すみません!! すみません!!
わざとじゃないんです!! だから、お仕置きは、お仕置きだけは……!!」
「…………鈴仙」
「ひぃっ!! す、すみません!!」
「手を見せて頂戴? 怪我は無いか見るから」
「え? は、はい」
恐る恐る美鈴に手を差し出す鈴仙。
美鈴は指だされた手をじっと見つめ、器具の欠片で傷が無いかどうか慎重に診ている。この様子だと怒っている様には見えないわねぇ。
「ん、特に怪我は無いみたいね。
よし、試験管やビーカーの破片に気をつけて片付けちゃいましょう」
「え? あ、あの……、師匠は怒ってないのですか?」
「何を?」
「いえ、今の事ですけれども……」
「あらあら、鈴仙は怒って欲しいのかしら?」
「い、いえ。決してそうでは……」
腕を組み右手を頬にあて、あらあらと笑う美鈴。今朝から何度かこの仕草を見ているけどホントさまになっている仕草よね。
「真剣に取り組む事で結果今のような事が起きても怒る理由にはならないわよ。
それにね、器具や薬は作り直せばいい。いくらでも代えが効く。でも貴女はそうはいかない。
物よりも貴女の身体の心配をするのは当然でしょう?」
「師匠……。すみません、すみません……」
美鈴の胸元で泣き出す鈴仙。美しき師弟の光景を見た。いや、仮の師弟だけれどもね。
しかしこれでも怒らないとは。今朝からずっと驚ろかされっぱなしだ。
「今日はこれまでにして、さっさと片しましょうか。
破片には十分気をつけてね」
「あ、はい」
「姫様も気をつけてください。
そちらまでは飛んでいないと思いますが、念のために」
「ん、分かったわ。折角だし手伝うわよ。
二人よりも三人の方が早く終わるでしょう?」
「あー、でも……。あ、いやお願いします、姫様」
部屋の隅に立てかけてある箒と塵取りを手に取り手際よく畳を掃き、破片とばら撒かれた薬を一箇所に集める。
薬は固形物ばかりだったのが不幸中の幸い。これが液状の薬なら畳に染み込んで後片付けが大変になる。
後片付けは予想以上に時間がかかり、昼の配達の事もあり疲れも溜まっているからと、鈴仙を先に休ませ、目処が立った所で『後は私一人で大丈夫ですから』と美鈴が言うので、その言葉に甘えて私も寝ることにした。
しかし、永琳がいなくてどうなる事かと思ったけれど……、案外大丈夫なものね。
これなら暫くはこのままでも問題ないと思うけれども。
寧ろ問題なのは紅魔館のような気がする。
永琳とあのメイド長――――咲夜だったかしら。あの二人に毎日つき合わさせる吸血鬼の事を考えると……。
考えようとして止めた。恐ろしすぎる。変態二人に毎日付け狙われる生活なんて肉体的にも精神的にも耐えられない。
一ヶ月もすれば永遠亭の世話になるわね、間違いなく。胃に穴があくか神経性胃炎になるかのどちらかでしょう。吸血鬼も胃炎になるのかしらと素朴な疑問が浮かぶが、ならなければならないでそれにこしたことはない。
永琳と美鈴が入れ替わってから、永遠亭は本当に静かになったと思う。
厳密に言えば少し違うのだけど、平和になったというか刺激のある出来事がなくなったというか。
まあ嫌いじゃないけれどもね、こういうのも。
何時もとは少し違う朝。
部屋の外から聞こえてくる間延びした口調の従者の声。
「姫様、おはようございますー」
美鈴の声だ。
この口調にもここ一週間ほど付き添っていたおかげですっかりと慣れてしまった。
癖のある、だけどもそれがまた和むというか。そんな気持ちになる。
「……んー。おはよう、美鈴」
油断すると眠気に負けそうになる。が、ここはぐっと堪え、一つ大きく伸びをする。
「今日も良い天気ですよー。
絶好のお洗濯日和です」
「……そうなの」
「はい。姫様のお召し物も綺麗さっぱりと洗っちゃいますよ」
「そうね……、お願いするわ」
襖を開けると冷えた空気が部屋になだれ込み、寝惚けていた思考を刺激する。
朝の空気は思っていたよりも冷たく、今の格好だと少し寒い。
「姫様、これをどうぞ。
これを羽織れば暖かいですよ」
そう言って手渡されたのは杏色のカーディガン。成る程これなら暖かいし邪魔にならないわね。
昼になれば気温も上がるので、それまで借りようかしら。
「ありがとう、美鈴」
「最近はめっきりと寒くなりましたからねぇ」
「そうね。でも寒さはまだまだこれからが本番よ?」
「ですねー。此処だと雪も多く積もるんじゃないですか?」
「雪の多さに悩まされるのは今に始まった事じゃないからね。
毎年イナバたちが雪掻きをしたり、永琳がスキルを熱唱しながら雪掻きで集めた雪の山に鈴仙を放り投げて兎型を取ったり、石の入った雪玉でガチンコ雪合戦をしたり、札幌雪祭りを真似た永遠亭雪祭りを開催する為にガ・キ-ンから怪傑ズバットまで色々な雪の彫刻を作ったり。
まあ楽しくやっているわよ」
「あは、あはははは……。そうなんですか」
あら、珍しく戸惑った表情を見せたわね。
永遠亭じゃこれがごく普通で当たり前の冬の過ごし方なのだけれども、紅魔館は違うのかしら。
朝食をとった後、美鈴とイナバたちが洗濯物を干し、鈴仙と数羽のイナバが私と一緒に大広間と各部屋の掃き掃除。
永遠亭では家事は当番制で皆例外なく週に何回か食事や家事を担当する事になる。例外はないので私も当然含まれている。
とは言え、身体を動かすのは嫌いじゃないし、掃除に限らず家事全般は好きなので文句はない。
イナバたちと一緒に和気藹々と掃除をしたり、食事の献立を考えるのは結構楽しいものだったりする。
えらく庶民的だと思うけど好きなものは好きなのだ。
昼間は縁側に座ってイナバの子供たちを見ながらの日向ぼっこが最近の日課となってきている。
隣にはやっぱり頬を緩めながらイナバの子供たちを見ている美鈴。
「やっぱり子供たちは可愛いですねー。
……くぁ」
会話の終わりに欠伸を一つ。やっぱり少し寝不足みたいねぇ。
最近は夜遅くまで配達分の薬の処方、昼間は昼間で診療所で患者の診察や気孔マッサージ、時間が出来たならイナバたちの遊び相手をしてるのだから休む暇がない。もっとも本人は嫌な顔一つしないで楽しそうにやっているんだけれどね。
「美鈴」
「何でしょうか?」
「ほら、ここに頭をのせて、少し横になりなさいな。
最近忙しいみたいで寝不足なんでしょう?」
改めて正座をし直し、ぽんぽん、と膝の上を叩く。
「え? でも……」
「遠慮しないの。万が一もこたんが来てもこの状態なら手は出しやしないわよ」
「あ、いやそういう意味じゃ……」
「あら、それじゃあどういう意味かしら?」
少し意地悪く美鈴に尋ねてみる。案の定、美鈴はどうしたらよいものかと戸惑っていた。
「本当に、よろしいのでしょうか?」
「あーもう!! ほらっ!!」
「わひゃぁっ!?」
美鈴の頭を掴み、強引に膝の上へと持って行く。
「ほら、もっとリラックスさせる」
「は、はひっ」
「ん、よろしい」
紅魔館は永遠亭と事情が違うから仕方のないことかもしれないが、膝枕一つでこんな大げさに戸惑う事ないのに。
たかが膝枕、されど膝枕。自分でも何を言っているのかよくわからなくなってきた。
美鈴の頭を撫でてみる。
はらり、と指の合間から零れ落ちるようにとけてゆき、髪の毛の一本一本が秋の陽光に照らされ、紅が鮮やかに彩る。
深まる秋の昼下がり。心地よい風が通り抜け、頬を撫で縁側の目の前に広がる竹の葉を静かに揺らす。
竹の葉と葉が擦れあい、静かで心落ち着く音を奏で、また風がふいた。ふと膝元を見てみると、静かな寝息を立ている美鈴の寝顔。
「美鈴様ー」
「しー、美鈴は寝ているからまた後でにしなさい」
恐らく美鈴とまた遊んでもらおうと思ったのだろう。
人差し指を立て小声でイナバにあまり騒がないようにと注意をする。せっかく寝たばかりなのにすぐに起こすのもしのびない。
「あー、美鈴様いいなぁ。姫様の膝枕だー」
「いいなー」
「いいなー」
静かにしなさいと言ったばかりなのに……
まあ、美鈴も起きる気配がないからこれ以上騒がしくしなければ大丈夫でしょうね。
「あら、どうしたの?」
イナバの一人が手をモジモジと弄くり美鈴を見ている姿が目にはいった。
この子は子供たちの中でも一番幼く、それ故なのか美鈴にべったりと懐いている子供のイナバ。何やらこちらを羨ましそうに見ている。
予想としては美鈴と一緒に寝たいって所かしら?
「……あのね、ひめさま。
わたしも、めいりんさまのとなりでいっしょにねてもいい?」
ビンゴ。全くもう、その仕草はかわいすぎるわよ。
「ええ、いいわよ。
ほら、こちらにいらっしゃい」
「ひめさま、ありがとう!!」
「あ、いいなー。姫様ー、私もー」
「私もー」
結局膝枕をしている私と横になっている美鈴の周りにイナバたちが集団で昼寝をする事になってしまった。
ちなみに言いだしっぺの幼いイナバは美鈴の隣ですやすやと寝ている。
偶にはこんなのも良いのかもしれない。
「姫様、師匠。ただいま戻りまし……た?」
「あら、お帰りなさい。鈴仙」
「えーと、これは一体……?」
「見てわからない?」
固まる鈴仙。これは予想範囲内。
膝枕で寝ている美鈴。美鈴にべったりとくっ付き引っ付き寝ているイナバたち。
場所が縁側という事もあって、端から見たら何だこりゃと思うのは当然。
こっちとしては何とも和む光景なんだけれどもね。
「あー、その、姫様。もうすぐ日も落ちるだろうし、毛布でも持ってきましょうか?」
「そうねぇ。お願いしても良いかしら?」
「はいっ」
鈴仙に毛布を持ってきてもらい、美鈴とイナバたちに毛布をかける。
それが終わると鈴仙は自分の部屋に行きますので何かあれば呼んでくださいと言い残し部屋に戻っていった。
特に何か起こるわけでもなく、座ってお茶を飲み、竹の葉の奏でる音に耳を傾ける。竹の葉の音に混じって聞こえる美鈴とイナバたちの寝息。すぅ、すぅ、と規則正しく、たまに不規則に。
「幸せそうに寝ているわねぇ」
思わず笑みがこぼれる。
何だかんだと言って、すっかりとイナバたちに懐かれてしまった彼女。
イナバたちが起きてからも、またべったりと引っ付かれるのだろうか。
間違いなくべったりでしょうねぇ。その内夜に寝るときもイナバと同じ布団で寝そうな気がする。
幸せそうに寝ている美鈴とイナバたちを見てふと思う。
この時間は何時まで続くのだろうかと。確かに平和で穏やかな日々。刺激が少ないと言えばそうなんだけど、別にそこまでして刺激が欲しいわけでもなく。その日その日がのんびりと過ごせればそれで良いと思っている。
だがこれがスキマ妖怪の気まぐれならば、そう遠くない日に元に戻るはず。それが何時になるのかはわからないが、今はこの平和な生活を満喫できたら良いか。
秋の夕暮れ時。夕焼けの光が竹林の葉の間から細々と射し込み、辺りを橙に染めていく。
毛布をかけているとはいえ、日も落ちれば肌寒くなるし、このままだと風邪をひいてしまうかも知れない。もう少ししたら起こそうかと、お茶を入れなおし一口啜る。
明日も一日何事もなく平和に過ごせますようにと沈み行く太陽に願いながら。
「「さあ、お嬢様。お着替えの時間です!!」」
「……おーけーおーけー。
わかった、わかったからハモるな。鼻血垂れ流すな。目を血走らせるな。息を荒げるな。
そもそも何でお前がここにいる? 門番の仕事はどうした?」
「あら、門番の仕事は午後5時まで。
今はプライベートの時間。理解したかしら?」
「……どこのリーマンよ。
で、咲夜」
「何でしょうか?」
「この服は、どうにかならないのかしら?」
「あら、お嬢さまはゴスロリは嫌いでしたか?
せっかく私と永琳の共同制作品ですのに……」
「嫌いじゃないけど、嫌いじゃないけどね……。
どうしてここまでサイズがぴったりなのかしら?」
「この天才にかかれば幼女のサイズを測るなんて、はらたいらに3000点突っ込む事より簡単な事よ」
「……あーそう。
って、また鼻血が出てる!! 目が血走ってる!!」
「「申し訳ございません、お嬢様」」
「私達」
「もう」
「「我慢なりません!!」」
「こっちに来るなぁぁぁぁぁぁッ!!」
まったりも上手なのですねぇ。ほのぼの永遠亭がテーマの作品が連続で並んだのは偶然なのか……。
ともあれ面白かったです、れみりゃに幸あれw
永琳=化学的な薬主体
美鈴=薬草や漢方主体なイメージが。
できれば紅魔館サイドも読んでみたいな~と思ってみたり。
まあ、それはそうとやっぱり永遠亭は和みますねぇ。
しかも、良い美鈴をありがとうございます。
次は紅魔館側を希望!!
つまり、永琳に被虐属性を付けると
美鈴になるんだよ!
きっと紅魔館でもお嬢様の逃げ込み先だったに違いないww
あの程度の量で留めたことにより、永遠亭側のお話が台無しにならずに済んだのも良かったです。
癒し系たる美鈴がとてもいい。あと微妙に引きこもってない輝夜さんがよかったかも。
たまには紫さんもいいことするじゃないですか(永遠亭に対して的な意味で)
後日談が読んでみたいです。
後日談を熱望します!!!
サガフロネタに吹いたw
できれば紅魔館サイドも読みたいですw
ところで、そろそろフランちゃんにも魔の手がアッー!
フランは、きっとレミリアより先に手篭めにされているに違いない
レミリアより純粋そうだし
…パーフェクトな従事者が少し信じられなくなったけど
夢の中で小悪魔と一緒にすごすんだ!!
私だったら、冒頭から進みませんね
こーりんと入れ代わらなくて本当によかった
紅魔館サイドも見てみたいですね。
そして懐かしい100番目のBB戦士ネタに吹きましたwww
>は、はひっ
作者さんもしかしてAR○A好き?w
ぜひ後日談と合わせて紅永琳編を!
レミリアとフランの身が持たないかもしれませんけどw
こう言うほのぼのしたの良いですね~^^
最後に二人が戻れたのかどうかが少しに気になりました。
戻れてないなら続編希望ですね^^
期待したオレは負け組。
庶民的な姫様も新鮮でよかったです。
その一方で、紅魔館側はどうなったんだ?と心配してたんですが、咲夜さんが二人いるにしかみえません…orz
(紅永琳が『門番服を着た咲夜さん』に見えてしまったのは内緒DEATHw)
紅永琳変も気になりますが、それと同じ位ぬるたさんのもこてるのお話も見てみたいです。
元祖カリスマはやはり違うw
短い間に色々詰ってて、例えるなら押し入れにしまったダンボールを引きずり出して、何を仕舞い込んだかと期待してひっくりかえすあの幼心。うん。意味が解らない。兎に角これは有難う御座いましたw
そしてコメントにメタルマックスツッコミがないことに絶望した!
そして何て地獄名絵図な紅魔館。
一文字違うだけで大きな差が・・・
そして各所にある小ネタにワロタw
永琳の変態スピリット指数がこのままふくれ上がると、
ゆくゆくは大暗黒帝デラーズ並の数値になってしまうのだろうかwww
和ませてもらいました。
美鈴は幻想郷最後の良心ですな。
このまま永遠亭が安穏とした日々を送ることを祈ります。南無。
・・・振り切れない・・・振り切れないよ!!
次回作も期待しますね( ^ω^)
れみりゃの苦労、お察しします…
えいりんは良い変態ですね。
こんな永遠亭もいいな~。紅魔館は大変だろうけど。
あと,気孔でなくて気功ではないですか?
吸血鬼の再生能力を持ってしても治らない胃炎で
永遠亭に運ばれるお嬢様が目に浮かぶwww
色々なところから勧誘がきそうwww
美鈴すげえ!もうずっとこのままでいいんじゃね?(永遠亭的には)
紅魔館側はまあ・・・
元に戻した時にお嬢が泣いて喜びそう