向日葵畑~現在~
向日葵畑がゆらゆら揺れる。
黄色い花がゆっくり波打つ。
向日葵の間からは青空が見える、そこを妖精が飛び回っていた。
何事もない午後の向日葵畑。のんびりと空をゆく太陽の下、時間はゆっくりと過ぎていた。私の周囲には遊び疲れた妖精達が横たわり、すやすや寝息を立てている。
ついついいじめたくなる位可愛いのだけど、あんまり無防備なものだから、いじめる気にもならないわ。
向日葵以外に何があるわけでもないこの場所には、そうそう荒らしに来る者などいない、まして私とやりあう危険を冒してまで…
来るとしたら、余程の物好きか、怖い者知らず。そして、そんな連中は滅多に来ないのだ。
…今日もまた何事もなく過ごせそうね。側で幸せそうに寝ている妖精の頭を撫でながら、私も目を瞑る。
そういうときに限って、妙な連中が色々来たりするのだけど、まぁその時はその時だ。
やはりここは気持ちがいい。とても居心地がいい…私は、大切な場所で、大切な向日葵の匂いをかぎながら、ゆっくりと眠りに落ちた…
じー
「?」
どれくらい経ったのかしら?
あらぬ視線を感じて私は目を覚ました。向日葵達も何かを感じている…
一瞬、何か既視感…ずっとずっと昔、ここでこんな事があった気がする。
「まぁ…いいけどね」
今はそんなことを考えている場合じゃないし…
見れば向日葵の向こうから何かが覗いている。隣にいた妖精はもういない、今頃空を飛び回っているんだろう。視線から敵意は感じない、でも…
「私の向日葵畑に入った者を、見逃しておくわけにはいかないわね…」
念のため確認しておこう。そう、そしてもし私の可愛い向日葵たちをいじめるつもりなら容赦はしない。そうじゃないのなら…ええ、まあそのときどきで考えましょう。
ゆっくりと起きあがり、向こうから来る視線にこちらからも視線を送り返す。二つの視線が交差し、揺れた。誰?
「いやまあ、隠れて観察していただけです」
「どこかで聞いたわね、その科白」
出てきた。営業スマイルに記憶がある。そう、こないだの異変の時の記者ね、大蝦蟇の池で出会った…
「売れない新聞記者射命丸文だったわね」
「売れるようになる新聞記者射命丸文です」
相変わらず笑顔のまま、しかし額を汗が伝っていく。現状では変わらないじゃない、まぁ将来も変わりそうにないけど。
「私を取材したところで別に面白くも何ともないでしょう?花の異変ももう終わったわ」
そんな新聞記者に私は言った。
そう、自分で言うのもなんだけど、最近の私は非常におとなしい。この向日葵畑に侵入したりしない限り、こちら側から他者を襲うことなどあんまりなかった。いや、たまにいじめたりはするけど、まぁそれは日課だから。
「まぁ…そうなんですが…」
「そうでしょう」
歯切れが悪い記者を威圧しながらも攻撃態勢は解く。この記者なら、突然暴れ回ったりすることもないでしょうし。
「いえ、まぁその…最近は他に事件もなくて」
そして、てへりとばかりに舌を出す天狗娘。わざとらしいわね、やめなさい。
「呆れた、事件を探しに私の所に来たの?」
それはもう見当違いも甚だしい、この子の新聞が売れないのも納得できるわね。
「なんか非常に失礼な視線を感じるんですが…」
「別に失礼なんかじゃないわ」
そう、当然の事を考えてるだけだし。
「む…まぁいいです。それでですね、別に新聞というのは今起こっている事件ばかりを記事にするのではないのです。過去に起こった事件を記事にするのもいいですし、事件ではない、ちょっとした出来事を記事にするのもいい。あとは、貴女みたいな有名人へのインタビューを記事にするのもまたありなのですよ」
「へぇ」
したり顔で言う記者に、あいまいに頷く。有名人…ね、どういう方向で有名人なのかは聞かないわ。大体見当がつくし…
「で、私に何を聞きたいの?」
傘を差して日射しを遮る。
幸いにして今日は機嫌がいいし、時間はもとよりたっぷりとある、少しばかり、この天狗に付き合ってあげるとしましょうか…
「話せますね、どうです?ついでに新聞も購読しませんか?今ならサービスで一月無料…」
「いらないわ。新聞紙じゃ肥料にもならないし」
「新聞紙じゃありません…新聞です…」
あ、少し笑顔が崩れた。何かトラウマでもあるのかしら?今度つついてみましょう。
「みんなして新聞紙新聞紙って…やたらたくさん欲しがると思ったら、竈の焚き付けにされてるし、宵闇の妖怪なんて読まずに食べてもう一枚なんて言うし…」
あ、少し崩れた笑顔のままで地面にのの字を書き出したわ。やめて欲しいわ、地面が荒れるじゃない。
「と、まぁそれはまたの機会ということで」
でも、彼女はすぐに立ち上がる。
立ち直りが速いわね、もう笑顔でペンとメモ帳を持っているわ、聞く気満々ね。まぁ次の機会なんてないわけだけど。
「それで、何が知りたいの?気が向けばなんでも答えてあげるわよ、ただし一つだけ」
「気が向けば…っていうのが気になりますね。あと一つだけっていうのはみみっち…」
「気になるならやめる?私はどちらでもいいのだけど」
「あ、いえ聞きます聞きます、聞かせて下さい」
「寄るな、暑苦しい」
食い付くようにこちらに迫る記者を手で押しのけながら、私は問い返した。
「どんなことが聞きたいのかしら?」
「そうですね…うーん」
悩み出す。新聞記者というものは、何を聞くかを考えもしないで取材に来るものなの?ずいぶん適当ね。
「最近の出来事っていったって面白いのはなさそうですし、色恋沙汰なんてそれ以上になさそうですし、もしあったら殺されますし…う~んと…そうだ。この向日葵畑の由来なんかはご存じですか?」
「向日葵畑の由来?」
問い返す私に、彼女は続ける。
「ええ、こんなに向日葵が群生している所なんて、幻想郷には他にありません。どうしてこの場所にだけこれほど咲いているのですか?敵味方に分かれた恋人が相手への目印に向日葵を植えて逢瀬を重ねたとか、悪徳高利貸しに追われた親子がここで力尽きて、その時に非常食に持っていた種から向日葵畑ができたとか、誰がこの地で向日葵を大きく育てることができるか勝負した豪傑達が、この窪地で覇を競い、最後はお互いを認め合って義兄弟の契りを結んだとか、そんなロマンチックだったり悲劇的だったり熱血だったりする由来はないのですか?」
色々と突っ込み所は多いけど、そんな三文文士…ではなく、三文ブンヤが喜ぶような愉快な由来はないわね。
そう、ここに向日葵畑が出来た理由は一つだけ。
「残念だけどそんな由来はないわ、ここに向日葵畑ができたのは…」
「え?」
一瞬間を置く、好奇心丸出しでこちらをみつめる新聞記者、あさましいわね。
「私がそれを望んだからよ」
「はい?」
一転、わけがわからず首を傾げる記者へと、私は続ける。
「単にこの場所を向日葵で一杯にしたかったからそうしただけよ。ずっと前…夏なのに向日葵畑がないなんて嫌でしょう?だからつくったのよ、この向日葵畑を」
「あの…それだけですか?」
言いきった私へと、記者が情けない顔で尋ねる。ずいぶん残念そうな表情、周りで見ている向日葵も笑っているわよ?
「それだけよ」
断言。記者は面白いぐらいに凹んで、再び地面にのの字を書き始めた。だからそれはやめなさいと…
「うう…面白い記事にできそうな予感があったのですが…こんなのを記事にしたら発行部数増どころか廃刊の危機ですよ…」
嘆く新聞記者だけど、まぁ知ったことではない。
「いいじゃない。新聞紙はなくても困らないし」
「新聞です!」
抗議する視線にも元気がない。
しょうがないわね…陽気な向日葵の畑なのに、このままじめじめ居座られたら嫌ね、そう、なら一つばかり記事になりそうな話でもしてあげましょうか。
そう、今の問答でいい話を思い出したのだ。この新聞記者におあつらえ向きのある話を…
「昔々…」
「はい?急にどうしたんですか?」
「仕方がないから一つ昔語りをしてあげようとしているんじゃない、ここが太陽の畑と言われるようになったその訳を。そして、この向日葵畑で妖精達が遊び、はしゃぐようになったきっかけを。明るい向日葵畑にいじける天狗は似合わない、話を聞いたらとっとといなくなりなさい、向日葵も嫌がってるわ」
言われて記者は周囲を見回す。
「うわぁ…ほんとだ。向日葵に視線をそらされるなんてショックですよ」
さっきまで侵入者を見ていた向日葵達はあからさまに視線をそらし、青空を見ている。当たり前だ、私だってあんなのを見たくはないもの。
「向日葵は夏の象徴、太陽を見る花よ。じめじめしている貴女なんて、いるだけで嫌がられるわ」
「く…何か非常に失礼な事を言われている気がするのですがまぁいいです。それではその話を聞かせて頂きますか?」
「ええ…本当は貴女なんかに話す事ではないのだけど…」
一呼吸置く、ああ、あの時もこんな感じだった。さっきの既視感はこれね…すっかり思い出した。向日葵の間から視線を感じて…
「そう、あれは私が道ならぬ恋に落ちた時の話。大切なひとと、この向日葵畑で出会った時の話です」
「って変なナレーションを入れないでもらえるかしら?実力で排除するわよ?」
勝手に続きを入れてきた三文ブンヤを睨む。誰が恋に花咲く乙女の話をしようとしたのか!
「あはは…かけおちとか道ならぬ恋とかは読者からの受けがよいので、そういう話だといいなぁとか?そういう話はありませんか?」
「はぁ…」
悪びれもせずにこちらを向く記者にため息を一つ。そして…
「ないわ、でも代わりにもう一つ面白いお話があるのだけど?」
意味深な表情で彼女を見る。
「え、何です何です?」
一方、私の言葉に、好奇心一杯でこちらを覗き込む記者。
なんかこの表情にも覚えがあるわ。やっぱり似ている…
「ええ、向日葵畑にやってきた天狗が向日葵にされる話。身体中に弾を撃ち込まれてまるで向日葵みたいになるの?聞きたい?」
そこまで言って、私はにっこりと向日葵みたいな笑顔を向けた。
周囲の向日葵達も彼女を向く、私の指示でこの畑にある向日葵が一斉に種を吹けば、いくらあの記者が速くても、逃げ延びる事などかなわない。
四方から集中砲火を浴び、飛び立つ間もあればこそたちまち撃墜される。
「え…遠慮します。是非さっきのお話の続きを聞かせて下さい」
自分が今置かれている状況を把握したのだろう。記者は冷や汗を垂らしながら、それでも必死に笑顔を向けてくる。
よろしい、最初からそうやって素直にしていればいいのよ。
「今度は話の腰を折らないこと、二度目は無警告射撃よ」
「はい、もちろんです、絶対断固天地神明に誓って!」
必死に頷く新聞記者へ、私はゆっくりと話し始めた。ここであった、私の思い出の物語を。
「そう、あれはずっと昔、私が向日葵畑を作ってすぐの頃だったわ…」
向日葵畑~過去~
「こんなものかしら…」
私はそう言って周囲を見回す。
小さな盆地の真ん中には、さらに小さく黄色い丸が出来ていた。
そこは小さな向日葵畑、ここに初めて大輪の花を咲かせた向日葵達は満足そうに見える。空高くゆく太陽を見て、のんびりと風に揺れている。
幻想郷に向日葵の畑がないのはつまらない、そう思って作った向日葵畑がここ。
里からは遠く離れ、傾斜地にぽっかりとあいた小さな盆地。
人にも、そして妖怪にもそうそう気づかれることはないはず。この場所なら、誰かに荒らされることもないでしょう。
向日葵達は、これからずっと、巡る季節と共にのんびり花を咲かせてくれるはずだ。
「いい…場所ね…」
独語して腰を下ろす。
向日葵畑の中央部、四囲を向日葵に囲まれたこの場所を、私の夏の居場所にしましょう。
遠く聞こえる蝉の声、彼方で揺れる林の音色。近くにいればうるさいだけのその音も、向日葵畑の中で聞けばなかなかいい音色に聞こえる。
視線を上げれば夏の空、雲と一緒に時間はゆっくりと過ぎていく…
傘を畳んで寝転がった。
私の背よりも高い向日葵達が、夏の日射しの中に涼しい空間を作ってくれる。今日はここでのんびりと寝ることにしましょう。
季節の花の中で、誰にも邪魔されない、静かな時を過ごす。そのなんと幸せなことか。
幻想郷には騒がしい連中が多くて、楽しむのは宴会だの弾幕ごっこだの言っているみたいだけど、本当に充実した時間というのは、こういうものだと思う。
私はきゃあきゃあ言って駆け回る落ち着きのない人妖達とは違うのだ、大人の時間を過ごすことにしましょう。
私は、ゆっくりと幸せな眠りの中へと落ちてゆく…
じー
「…ん?」
どれくらい時間が過ぎたのかしら…私は、視線を感じて目を覚ました。
「誰?私の向日葵畑に入ってきたのは…」
問いかける。向日葵が…いえ、その影に隠れていた小さな影がびくりと揺れた。
少なくとも強い魔力も、敵意も感じない。妖精かしら?今はいじめるほど暇じゃないんだけど…
「出てきなさい。出てくれば多分何もしないから」
多分ね、多分。
「ホント?」
問い返された。妖精みたいね、小さな影、人間がこんな所へ来るとは思わないし…まぁ、妖精もそんなに数は多くないのだけど。
「本当よ、私は嘘はつかないわ」
実はそれが嘘だったりするけど。
迷っているようなそんな空気が伝わってくる。私はゆっくりと返事を待つ。
「んーじゃあ出る」
出てきた…
「あら?」
驚いた。人間じゃない…それも小さな女の子。おかっぱ頭が向日葵の間からこちらを覗き込み、そしてひょこひょこと歩いてきた。
「こんにちわ、お姉さん」
「ええ、こんにちわ」
こっちを向いたその子へと返事をして、様子をうかがう。少なくとも、危険はないようだから、適当にあしらっておけばいいでしょう。
まぁ、こんにちわおばさん、とか言われていたら、問答無用で向日葵の肥やしにしてやろうかとは思っていたけど。
「ここお姉さんの向日葵畑?」
きょろきょろ、きょろきょろと周囲を見回す少女。まぁ私のものかと言われても困るけど…
「私が作った…という意味ではそうなるわね」
「?」
私の言葉に彼女は小首を傾げ、わからないという答えを返す。これじゃあ妖精に説明するのとあまり変わりないわ。
…それにしても、そんな表情をされると少しいじめたくなる。
「ええ、ここは私の向日葵畑。だから荒らしてはダメよ?」
脅迫の意味を込めてにっこりと笑う。並の人妖なら、この迫力に裸足で逃げ出すだろう。
「うん、私向日葵さん大好きだから荒らしたりなんかしないよ?」
素直に頷かれた。
相手は並の人妖ではなかったらしい。
「まぁ…いいわ、貴女、向日葵が好きなの?」
毒気を抜かれた私は、彼女に問いかけた。少女の表情は変わらない。
「うん、お散歩してたら、向日葵さんがいっぱい見えたから来たの。びっくりしちゃった、こんな所に向日葵畑があるなんて…」
微妙に会話がかみ合っていないような気がするけどまあいいわ。相手は人間の子どもだし。
「そう、一人で?」
「うん」
すっかり警戒心を解いたのか、少女はこちらへと寄ってきた。他の人妖に寄ってこられるのは一体何年ぶりか…
それにしても、里から遠いこんな所に、どうして子どもが一人でやってきたのかしら?捨て子?
そう思って彼女を見たのだけど、着物は相当いいもののようだし、ふにふにした頬からは、食事に事欠いている風にも思えない。
…不思議ね。
「ふにぇえひゃん、ひゃんひぇひっひゃひゅの?」
「あら、ごめんなさい…」
不思議な声に、頬から手を放す。つい引っ張ってしまったらしい…
「伸びちゃった…」
頬をさする少女は、いつの間にか私の膝の上に座っている。この子…私が妖怪だと気づいてない?
「あまり出歩いていると、妖怪に食べられるわよ?」
無警戒な少女へと、私は言った。
そうそう、あなたが乗っかっているのも、結構名の知れた妖怪なのよ?
「うーん…でもお姉ちゃんもここにいるよ?」
彼女は頬から手を放し、こちらを見上げる。会話がかみ合っていないようで…かみあっているわね。
「そうね…」
私は、それに生返事で答えた。少女の瞳が、私を見つめてくる。
やっぱり気づいてないみたいね。
ここで私が妖怪と明かすのも面白そうだけど、まぁ花を愛でに来た人妖には、その目的を果たさせてあげましょう。
「この場所は安全なのよ」
「そうなの?」
何で?という視線を投げかけてきた少女へと、私はもったいぶって説明する。
「ええ、向日葵畑は明るいでしょう?多くの妖怪は闇を好むから、こういう所には近づかないのよ、あんまり」
そう、あんまりね。私みたいに向日葵畑に棲んでいるのもいるわけだし。
「そだね、おひさまの畑だもんね♪」
私の言葉に納得したのか、少女は笑顔で言う。まるで夏の太陽みたいな笑顔、そう、貴方に似合いそうなのは向日葵ね。
それにしてもお日様の畑とはよく言ったものだ。力強く咲く大輪の花は、確かに太陽というにふさわしいわ。
これからここは太陽の畑と呼びましょう。視界を埋める向日葵達は、そう呼ばれるにふさわしい。
「ええ、そうね、だからここは安全なの」
私の言葉にこくこくと頷く少女。
まぁ安全なのは確かだけどね、妖怪はその強弱に敏感だから、私ほどの力を持った者に喧嘩を売ってくるような連中はほとんどいない。それに、強い者は容易に争おうとはしないのだ。
だから、ここに私がいる限り、寄ってくる妖怪は少ないでしょう。危ない妖怪が住処にしているから。
「じゃあもうちょっと向日葵さんを見ていてもいい?」
「ええ、いいわよ。いくらでも見ていなさい」
少し時間が過ぎて、彼女は言った。私は答える。
本当は自分の場所にあまり入り込まれたくはないのだけど、名付け親には便宜を図ってあげましょう。
今日はとても気持ちがいい。向日葵畑もできて、いい名もついた。
ならば今日は少しだけ、人間の子と一緒に、向日葵を眺めるのも悪くない。
ゆっくりと、見知らぬ少女と共に時を過ごす。夏の日射しを全身に受けて、向日葵達は青空を見る。
空行く太陽地の太陽、二つの太陽の真ん中の、空はきれいな夏の空。
虫がすいすい飛んでいき、雲はゆっくりと流れてる。
そんな中、私は一人の少女を膝にのせ、静かに向日葵達を眺めていた。
「あ…カラスが鳴いてる…」
どれくらい経ったのかしら?少女の声で、ふと我に返る。
気づけば空はほんのり茜色、カラスの声が空に流れる。もうすぐ夜か…
「ありがとうお姉ちゃん。私そろそろ帰るね」
ぴょんと…そんな音がしそうな位軽快に、少女は私から降りた。気づけば膝がしびれていた。
「ええ、気を付けてね」
不思議な事に、気遣う言葉が自然に出てきた。慌てて言い直すほどのこともない、言葉紡いだ自分に驚きながら、彼女を見る。
「うん、でもお姉ちゃんは帰らないの?」
「ええ、だからここでお別れね」
不思議そうにこちらを見た少女へと、別れを告げる。この子ともう会うことはないでしょう、妖怪と人間の偶然の邂逅、偶然に二度目はないのだから。
「うん…」
寂しそうに言う少女を、夕陽がほんわりと照らす。私はふと気がついた。
「この花畑の事は内緒よ?あまり知られて荒らされたくはないから…」
「あ、うん、わかった。内緒だね」
口元に手を当て『内緒』と言うと、少女も笑って同じ仕草で答えてくれた。
「それじゃあさようなら。危ないから早く帰りなさい。それと、これからは一人であまり遠くへ出ては駄目よ、妖怪に襲われるから」
そうそう、次に会ったら思わず食べてしまうかも知れないわよ?
「うーん…うん」
なんか歯切れの悪い言葉だけど、まぁそこまで面倒は見きれない。
「さよなら、お姉ちゃん」
「ええ、さようなら」
少女は、それでもしばらく名残惜しそうに向日葵を見ると、別れを告げてくるりと向きを変える。
向日葵と向日葵の間、偶然できた花畑の小道。小さくくねるその道を少女は駆けていく。
一度彼女は振り返り、笑って大きく手を振った。
「さようなら」
聞こえるかどうか知らないけれど、小さな声で別れを返し、手に持つ傘をかすかに揺らす。少女も笑って何かを言った。
夕陽に向日葵が映える中、カラスはまだ鳴いていた。
向日葵畑~現在~
「ふむふむ、それがここが太陽の畑と言われるようになった理由なわけですね」
記者は、メモメモと言いながら私の話を書き留める。あのメモが噂に聞く文花帖ね…
「ええ、太陽の畑…なかなかいいネーミングセンスよね。『文々。新聞』とかいうローカルマイナーゴシップ新聞よりははるかにいいでしょう?」
そう、文々。新聞が、幻想郷縁起に比べて知名度がいまいち低い理由がわかる気がする。そもそも名前がねぇ…野暮ったい感じがぷんぷんしてるし。
「む…ぐ…そこまで徹底的に言われるとむしろ気持ちがいいですよ…もう。本来なら色々と言い返したい事はあるのですが、正直、話の続きが非常に気になるので、訂正を要求するのはやめておきます」
私の視線に気づいたのか、言い返す三文ブンヤ、でも…
「あら?訂正の必要はないわ、事実だもの」
悔しそうに言う記者へと、私は言い返す。彼女の顔がますます曇る。
「く…絶対にいつか大手新聞社になって見返してやります」
「ええ、待っているわ」
絶対に無いだろうけど。
「こほん、こほん。まぁいいです、続きを話して下さい。まさかここで終わりじゃないでしょう?これじゃあ三面記事の隅っこに、豆知識みたいな扱いで載せる位にしかできませんよ?」
わざとらしく咳をして、記者は再び陽気に言う。聞く気は十分みたいね、でもまぁ…
「私は別にそれでもいいのだけど…」
宣伝するつもりもないしね。
「わ、私が困るんですよ!このところ本当に事件がなくて…このままでは記事不足で廃刊なんていう事態に陥りかねないんです!」
「それ事件になるじゃない。文々。新聞廃刊!いい見だしでしょう」
「あ、そうですね。それは確かに大ニュース…ってそんなのになったら困るんですよ!だから続き、続きを話して下さい~」
「ああ、もうわかったわ、仕方がないわね…」
袖にすがりつくなうっとうしい…
「あ、ありがとうございます。では早速びしびしと次の話にいってください、是非」
今泣いたカラスがもう笑った…か。
「はぁ…わかったわ、それでは続きにいきましょう」
私はそう言って再び過去へと思いをはせた。再開しましょう、向日葵畑であった、昔々の物語を。
向日葵畑~過去~
向日葵の葉陰でゆったりとまどろむ。
向日葵の匂い夏の匂い、季節を感じる花の匂い。
向日葵畑で静かに時は流れている。
この場所は気に入った。妖精達をいじめるよりも、ここで昼寝をしている方が楽しいような気がする。
さらさら
しばらくはここにいて、夏の気分を楽しむことにしましょうか…
さらさら
ここならば騒がしい連中が来ることもないはず…って何の音?
何かしら?聞き慣れない音に、私は起きあがる。向日葵畑の中央、小さな空き地に佇む少女、そう、昨日の子だ。
「あ、お姉ちゃんこんにちわ」
「………」
笑顔の挨拶で一瞬思考停止、すぐに再開。考えよう、記憶を辿る。昨日は昨日今日は今日、確かに時は進んでいる。彼女は昨日帰ったはず、じゃあ…
「…なぜいるのかしら?」
昨日一日じゃなかったの?首をかしげる。
「だってお姉ちゃんいくらでも見ていけって言ったよ?」
逆に首を傾げられた。昨日の、数少ない自分の言動を思い出す。あ、言っていたわ…
「まぁ…言っていたけど…」
確かにそんな記憶はある。ある、あるのだが、そういうつもりで言ったんじゃなかったんだけど…
「来ちゃダメ?」
見つめられる。まぁいいか、その内この子も飽きるだろうし…
そう、たまには…人間と話すのも悪くない、長い人生暇なのだ。
この子より先に私が飽きたのならその時はその時、こんなに小さな存在、潰す必要すらない。
きっと、私が妖怪であることを示せば、彼女もすぐに来なくなる。それまでの暇つぶし…
大体、花の美しさがわかるのなら、他の人妖よりは相当話せる人間と言っていいしね。
「…ええ、いいわよ。向日葵畑を荒らさないのなら」
しばしの思考の後、少女へと言った。
「うん!荒らさないよ!ありがとう、お姉ちゃん」
彼女は元気一杯に返事をして、私に笑顔を向ける。本当、向日葵みたいな明るい笑顔。
「それならまぁ…」
言いかけて、ふと気づく。少女の手元には絵筆と和紙、ああ、さっきの音は…
「絵を描いていたの?」
さらさらさらさら…あの音は絵筆が滑る音だったのね。
「うん」
少女はそう言ってにっこりと笑う。
「何を描いていたの?見せてもらってもいいかしら?」
「うん」
私の言葉にもう一度、にっこり笑って紙を差し出す少女。素直なのはいいことね。
少女はごそごそと紙をこちらに向け…向け…!?
「てやっ!」
「あっ!?何するのお姉ちゃん!?」
びりびりと紙を破いてまき散らす。和紙が舞って向日葵にかかった。
「他人の寝顔を勝手に描かないこと」
笑顔で威圧する。
もう、敵意も力も感じないから気づかないでいたら、いつの間にかこんなのを描かれていたなんて…一体いつから描いていたのかしら?
「ばかーっ!せっかくかわいく描けたのにっ!!」
威圧効果無し。
案外図太いのか、はたまた極めつきに鈍感なのか…少女は私に悪態をぶつけ、くるりとまわって駆けだしていく。
一瞬で少女の姿が向日葵の中へと隠れる。
「あ…まぁ…いいか」
呼び止めかけて、思い直す。
結局、別れるのが少し早くなっただけだ。これからは花と過ごす時を邪魔されることもないでしょう。
むしろ、なぜ一瞬でも呼び止めようとしたのかが疑問だった。
そう思う間にも少女は向日葵の中を駆けて…止まった?
「お姉ちゃんのいじわるっ!!」
くるりと反転、大声、そしてまた反転。今度こそ少女は向日葵の間へ消えていく。
まぁ意地悪だけどね、私。
少女が見えなくなった頃、私はふと気になってさっき破いた紙を手に取った。二枚、三枚と集めると、絵は元の姿を取り戻した。
「まぁ…上手いけどね」
思わず独語する。
そこに見えたのは向日葵達を背後に、無防備に、幸せそうに眠る私の姿。
淡い色遣いで、そこまで丁寧ではないにしろ確かに可愛く描けている。あんまり可愛いので、正直なところ、一瞬自分の姿とは思えなかった。
…私も見方によってはこう見えるのね。喜ぶべきか悲しむべきか悩むけれど。
「でも…可愛いかぁ…」
もう一度独語。甘えるような声を出してしまい、自分が少し不安になった。
考えてみたら、絵を描かれるなんていうことはついぞなかったし、多分、描かれるにしてもろくなものじゃないだろう。いいとこ『いじわるお姉さん』の黒い笑みがせいぜいだ。
こういう絵を描かれるのは、この先ないだろう。別にいいのだけれど。
とはいうものの、困ったことにこの絵が少しだけ気に入ってしまったので、絵を手にとって本格的につなぎ合わせた。向日葵畑に眠る美少女の図、復活。ホント、可愛いじゃない私。
…一応、とっておくことにしましょう。
空を見上げれば雲が少し速く流れている。明日は雨かしら?
向日葵は雨にはあまり映えない。燦々と輝く夏の太陽を、真っ向からにらみ返し、強い日射しを跳ね返す位強烈に輝いてこその向日葵の花。
雨にうなだれ、地を向くのは向日葵に似合わない。
少しだけ暗い気持ちになりながら、私は雲を見送っていた。
向日葵畑~現在~
「うわぁ…さすがは極悪妖怪ですね。子どもの描いた絵を容赦なく破り捨てるなんて」
「あら?いじめるのは私の日課だし、それに私の寝顔を勝手に描いたのよ?殺さなかったほうに感謝して欲しい位だわ」
記者の言葉に澄まして返し、私はふと空を見る。
空の色はあの時と同じ、真っ青な空に断雲が漂う。向日葵畑の真ん中のこの場所も、一見なにも変わらない。
でも季節は間違いなく巡っている。くるくるくるくると、年を重ねて変わっている。向日葵畑は大きくなって、小さな少女はもういない。
あの絵も、すっかり色あせてしまっていた。
「まぁ貴方と会って死ななかったのは運がよかったんでしょうね。どうしてその子に手を出さなかったのです?普段の貴方なら、花との時間を邪魔する者には容赦しないはずでしょう?」
「え?」
考え事をしていたので、思わず問い返す。何故あの子に手を出さなかったか…ね。
「…それは、あの時の私がそれを望んだからよ」
「わ、またそれですか」
呆れる記者へと曖昧に頷く。
実際の所何故かはわからない、たぶん気紛れ、ちょっとした遊びのつもりだったのかもしれない。
「まぁいいです。それでその時の絵はまだ持っているんですか?極悪非道冷酷無比、見る者全てをいじめなければ気が済まない最強最悪のフラワーマスター風見幽香!そんな貴方が子どもからもらった絵を大切に持っているなんて記事にしたら、それはもう読者さんからの大反響は目に見えています。是非、是非その絵を見せて下さい、幻想郷住人の、貴方を見る目が変わりますよ?ついでに文々。新聞の発行部数は大幅増間違いなし、明日の一面トップは決まりです!」
興奮したのか、あらぬことを口走っているのに気づかない新聞記者。そんなことばかり言っているから、いつまでも三流紙の三文ブンヤなのよ?仕方がないわねぇ、現実に戻してあげましょう。
「自殺願望があるなら叶えてあげるけど?」
「はっ!?」
私がとびっきりの微笑みを向けると、彼女の動きが止まる。どうやら、自分の発言を頭の中で再生しているようだ。
…あ、だんだん顔色が変わってきたわね、青っぽく。
「あ、あはは…あのですね、新聞記者というものは読者へのインパクトを考えて、表現を誇張する傾向がありまして…」
しどろもどろに話す記者へと、私はあっさり言葉を返す。
「つまり自殺願望があるんでしょう?」
「そ、そういうわけではなくてですね!ほら、世の中にはちょっとした行き違いだとかが…」
死に瀕した新聞記者、必死の弁解。冷や汗がだらだらたれているわね。
まぁあれね、軽々しい言動は避けなければならないっていう好例ね。
一度口にしてしまった言葉は、形になって外へと出て、二度と元へは戻らない。
弁解を受ける気もない、だって私極悪非道冷酷無比、見る者全てをいじめなければ気が済まない最強最悪のフラワーマスター風見幽香だし♪
「彼岸花を見せてあげるわ。彼岸花の花畑っていうのもきっと綺麗よ?」
「あ…あはは、彼岸花ってあんまり好きじゃないんですよ、できればその…チューリップとかがいいなぁ…とか」
「喜んでくれて嬉しいわ、じゃ」
「じゃって…ストップ!白旗!撃つな降伏するっ!?」
なんか言っているようだけど気にしない♪
力を集める。花畑を荒らさないように、攻撃は一点集中…さぁ、行きなさい。
地から幾本もの太い蔓が生え、新聞記者へと向かう。地が揺らぎ、記者の表情が変わる。向日葵は素知らぬ顔で空を見る。
「わ、ちょ…って足に何かからまってる!?」
危機を感じ、飛び立とうとした記者の足にも細い蔓がからまり、文字通りその足を止めた。そこを本命が直撃する。
「あっ!?」
驚きの声と共に、悲鳴がやんだ。
青空をゆっくりとカラスが飛んで、その下で向日葵達が夏を楽しむ。太陽は相変わらず元気で、黄色い畑を照らしていた。
騒がしい里や魔法の森から遠く離れた向日葵畑、ここには騒がしい声や物音は聞こえない。
平和で、静かなこの場所は、花を楽しむのには最高の場所だ。
「平和ねぇ…ゆっくりと花を楽しめるわ」
向日葵の匂いが周囲を包む。その葉陰に身を寄せて一息、本当に幸せだ。
「あのーその平和な場所で、善良な新聞記者が死にかけているのですが助けて頂けないでしょうか?」
「あら、生きていたの?案外しぶといわねぇ」
巨大ウツボカズラの口から顔を出した記者を見る。まぁ手加減していたから、死ぬことはないとは思っていたけど。
それにしても、ウツボカズラの蓋を必死にこじ開けながらメモ帳を構える新聞記者というのはなかなか面白い光景ね。
「で、話の続きは聞きたい?」
そんな記者へと問いかける。
「はい!はい!是非に、絵はいいですから是非に!!あと助けて下さい!なんか液出てますって液!?」
蓋に押しつぶされそうになりながらも、必死にアピールする新聞記者。まぁ少し養分になってくれるみたいだから、話の続きはしてあげるわね。
「そう、じゃあ続けましょう」
私はまた思い出す。ずっとずっと昔の、ある向日葵畑の物語を。
向日葵畑~過去~
「雨はまだ降っていないみたいね、でも、もうすぐかしら」
空を見て独語する。
流れる雲はいつもより少しだけ多く、そして黒い。そして、その速度はだんだんと増していた。向日葵達は不安げに空を見つめている。
風が少し強い、傘を持つ手に力がこもる。黄色い波がゆっくり揺れる。
やがてぽつり…ぽつりと水滴が落ち始める。風上には真っ黒な雲、空からの滴はやがて数を増し、向日葵達へと降りそそぐ。
「降って…しまったわね」
寂しい独り言に答える者などどこにもいない。
聞こえてくるのは雨の音だけ、視界はやがて白く霞んでいく。
空の太陽はとっくに逃げ去り、逃げることかなわぬ地の太陽は、力無くうなだれていた。
雨はますます勢いを増し、昨日まであんなに青かった空は薄暗く、気持ちのいい匂いを発していた土も、すっかり雨に濡れている。
小雨降る中、紫陽花を見るのは風流だけど、土砂降りの中、うなだれる向日葵を見るのはあまり気持ちのよいものではない。
向日葵は青空の下でこそ映える。太陽と見つめ合ってこそ、その美しさを発揮しうる。
私はフラワーマスター、花の気持ちは私の気持ち、すっかり本降りになった雨の中で、私はぼんやりと空を見つめていた。
「ん…?」
少しだけ時が過ぎた頃、雨音の中に別な音が混じっている事に気づく。
水をはねる音、誰かが駆けてくる音、誰かしら?この花畑にやってくる者に心当たりはない。動物かしら?花畑を荒らされたくはないけど…向日葵の悲鳴は聞こえない。
あの子?一瞬絵描きの少女の顔が思い浮かんだのだけど、まさか昨日あれほど怒っていたのだから、来るはずはない。
でも、それ以外に心当たりはない。
そんな思考をしている間に、向日葵の間に見覚えのあるおかっぱ頭が見えてきた。
いつもより速い、泥をはねるのも気にせず、器用に向日葵の間を駆けながら、こちらへと向かってきた。
「おねーちゃんっ!入れてっ!!」
向日葵達の間、見覚えのある姿が見えたと思ったら、少女が飛び出してくる。っていうかこっちに突進してくる!?
「あ、こら!きゃっ!?」
そして衝撃、倒れそうになり私らしからぬ悲鳴を上げてしまうが、辛うじて転倒は免れた。見下ろせば雨に濡れたおかっぱ頭が、私にぎゅっと抱きついている。服を通して、湿り気と、少女の体温が伝わってきた。
「お姉ちゃんこんにちわ」
少しだけ時間が過ぎて、抱きついたまま少女が言った。
「…こんにちわ」
言葉を返す。
呆れすぎて怒る気にもなれない。びしょ濡れのまま抱きつかれたものだから、こっちまでしっかり濡れてしまった。
そして、いきなり飛びついてきた少女は、いつの間にかここが自分の場所だと言わんばかりに私の隣に立って、ぼんやりとどこかを眺めている。
私もつられるように外へと視線を向けた。
相変わらずの暗い世界、向日葵は物憂げに頭を垂れ、たわんだ葉からは水滴を垂らし、ひたすらに雨がやむのを待っている。
その姿には、青空の下太陽を見ている時の元気はない。
太陽の畑は、ただ静かに雨がやむのを待っている。
「ねぇお姉ちゃん」
「何かしら?」
隣から声が聞こえた。問い返す。
「…昨日はごめんね」
視線は遠くを見たままの、少女の謝罪。雨音は変わらずに響いている、小さな声は少し聞き取りにくかった。
「別にいいわ」
視線を合わせずに言葉を返す。
呆れた、こういう状況で貴女から謝るの?てっきりまだ文句を言い足りなくてきたのかと思ったのだけど…
妖怪には、私を含めて滅多に謝らない連中が多いから、尚更不思議だった。
また少しだけ時間が過ぎる。遠くの空が少しだけ白くなったように見えた。それでも雨足は変わらず、向日葵畑は重く沈んでいる。
「あのね、私絵を描くのが好きだから、絵の勉強もしたいから、あとお話を書くのもしないと、向日葵畑のお話書けたらいいなって思うの。でも内緒だから書かないよ、約束だから。あ、でもお姉ちゃんに見せるだけならいいのかなぁ」
独り言か私に話しかけているのか…少女は話にならないような言葉の羅列を続ける。私は黙ってそれを聞く。
「お姉ちゃんとお話すると面白いし、この向日葵畑は荒らされたくないなって思うの、向日葵さんは好きだし…」
いつもおとなしく向日葵達を見ているはずなのに、今日は妙に饒舌だ。
でも、言葉の数ほどには元気がない、向日葵達と同じく、俯き気味だ。少し気にくわない。
向日葵には空を見て欲しい、例え土砂降りの雨の中でも、空を向いて明るく咲いて欲しい。いつか来るはずの青空を、大輪の花で迎える為に。
私は、少女の方を向く。彼女もこちらを向いて、視線が交わる。
「…なら貴女が元気になりなさい」
「え?」
少女は、私の言葉に不思議そうな表情を作る。私はかまわず続けた。
「今日、向日葵達はみんなして下を向いてばかりでつまらないの。向日葵なら空を見て欲しいわ、だから貴女は元気一杯空を見て、暗い顔で俯かないで。そうすれば、他の向日葵達もきっと空を見る。ねぇ、小さな向日葵さん?」
私の言葉に、少女の顔がますます不思議そうになって、そして一瞬で明るく咲き誇る。
「うん!私向日葵?」
元気な声が雨音を飛ばす。私の傘の下、一輪の向日葵が再び元気を取り戻す。
「ええ、貴女は向日葵。だから明るくいて頂戴、そうすればきっと他の向日葵達も貴女についてくる」
言葉を続けながら、私はようやく気づいた。
何故かこの少女と話すのが嫌ではないのか…向日葵畑に入り込まれてもそれを受け入れてしまうのか…
そう、この少女は向日葵なんだ。だから話すのは嫌ではないし、向日葵畑に入り込まれても自然に受け入れてしまうんだ。
向日葵を向日葵畑に入れてはいけないなんて…そんな馬鹿な話はないでしょう?
「私は向日葵~向日葵~♪」
陽気な歌が隣から聞こえてくる。
少女は私に身体を預け、空を見ながら変な歌を歌っている。
「明るい向日葵向日葵向日葵~♪」
ネタがきれたのか、すぐにただ向日葵と連呼するばかりになっているけど、暗いよりは格段にいい。暗い向日葵なんてつまらない。
気づけば空から雲が去ってゆく、雨音が少しずつ弱まってゆく、雲の切れ間から、待ちわびた日射しが射し込んできた。
やがて雨がやみ、見事な夕焼けが空を埋める。向日葵の花や、葉にたまった滴達が、我が身をきらめく宝石と化して花畑を輝かせた。
やがて西日が姿を見せ、日射しは広がる。少しでも今日止められていた分を取り返そうとするかのような、そんな強い日射しが降りそそいだ。
「向日葵向日葵ひまわりんりん♪」
雨がやんだことにも気づかないのか、少女は歌い続ける。いつの間にか、完全に曲が変わっていた。
「向日葵くるくる向日葵く~るくる♪」
そう言いながら少女はまわる、くるくるまわる。
「あ…あわわ…」
「あら」
くるくるまわってまわりすぎ、倒れかけた少女を受け止めた。傘が揺れて滴が落ちる、夕陽の光と向日葵の花、二つを映し、滴が輝く。
ふと、面白い考えが浮かんだ。
「お姉ちゃんありがと…」
そういう少女に笑みを返し、私は傘を一回転。
「わぁ…」
傘はくるりとまわって滴を飛ばす。
周囲の彩りをその身に映した、色とりどりの水滴が空を舞う。
一瞬だけの華麗な宝石。それらはすぐに地面に落ちて消え去った。
「おしまい」
滴が地面に落ちたとき、私は傘を閉じてそう言った。
笑顔の少女は楽しげに、くるくるくるくる舞い踊る。着物の襟がふわふわと、向日葵畑で向日葵が踊る。
遮るものない頭上には、明日の天気を約束するような鮮やかな夕空。向日葵達が、少しずつ頭をもたげだす。
そう、青空が出るのを待ちわびるように。きっと来る青空を迎えるように…
「ねぇ、お姉ちゃん」
夕焼けを見ていたら、少女がおずおずと声をかけてきた。思考が中断する。
「何かしら?」
言葉を返す。いつも使っている言葉、なのに、今日は特別優しく言えた気がした。
「あのね、今度お姉ちゃんの絵を描いていい?ちゃんと起きている所を描くから…ね」
少女の言葉、小さな頼み事に、私はいつものままの表情で、いつもより少しだけ優しくこう言った。
向日葵の笑顔が枯れないように…
「いいわ。でも、ちゃんと美人に描くのよ?」
「うんっ!」
再び咲く少女の笑顔、太陽はもう沈み始める。今日が暮れる。
この子はもう帰らせないといけない、力のない人間の子。暗くなっては危ないのだから。
人間の子を心配する自分が少しだけおかしく、同じくらい心地よい。この子をもう少しこの場所にいさせたい、向日葵は向日葵の中にいて欲しい。
そんな気持ちを振り払い、私は別れを告げた。
「もうお別れの時間よ、早くお家に帰りなさい」
「あーうん、明日は絵筆を持ってくるね!」
一瞬の寂しそうな顔の後、すぐに元気になって少女は言う。心地よい。
「楽しみにしているわ、さようなら」
「うん、また明日っ!」
夕陽を浴びて彼女は手を振り、駆け出す。あっという間に向日葵の中へと駆け込んだ。
おかっぱ頭が向日葵の間を進んでいって、やがて消えていく。向日葵が彼女を見送る、日射しはもうやわらかい。
「また…明日」
私は呟き手を振った。少女が一瞬振り向き、笑った。空はもう暗かった。
『つづく』