「ふぅ・・・。」
レミリア・スカーレットは窓の外に輝く月を見上げながら、
物憂げにため息を漏らした。
「悩み事ですか、お嬢様?」
「ん、まあ、ね・・・。」
珍しい、と言わんばかりの従者、十六夜 咲夜の表情に、
曖昧に返事を返した。
そんな顔をするのは正直失礼だと思うが、
まあそれはいいだろう。
そこまで従順でも面白くない。
「妹様のことですね?」
「・・・・・・ええ。」
また、なのだ。
最近、あの台風一過のような闖入者たちの来訪以来、
フランドールに会いに行くたびにこう言われる。
『外に出たい』
それは、当然といえば当然だろう。
400年以上も地下室に閉じ込められていれば、誰だってそう言いたくなる。
確かに、フランドールはこれまでそう言ったことをたびたび口にしていた。
だが、それは余り頻繁なことではなかったのだ。
それは、フランドールにとって外の世界というのものが、
余りに漠然としたイメージにすぎなかったからだろう。
なんとなく、地下室に飽きていたから出てみたかっただけ。
それがあの闖入者たちのせいで、確固たるイメージとなってしまったのだ。
いままでフランドールは外の世界がなんなのかを知らなかった。
いや、知る機会が与えられていなかった。
物語の世界に入れないのと同じ。
どこか自分とは別世界だという諦めのような感情もあったのだろう。
しかし、それが彼女たちのせいで変わってしまった。
物語の登場人物が突然自分の目の前に飛び出してきたのだ。
自分にも物語の中にいけるのかも。
そう考えてしまうのも無理はない。
フランドールに遊び相手ができるのは好ましいことではある。
だがこれでは釣りがくる。
フランドールを館から出すわけにはいかないのだ。絶対に。
少なくとも、フランドールが自身を完全に制御できるようになるまでは。
「・・・どうしたものかな。」
何気なく、傍に控えている咲夜を見る。
そばに、まるで忠犬のように大人しく控えている咲夜を見て。
「ふむ。」
レミリアのなにかを思いついたような視線。
それを感じて、咲夜は首を傾げる。
「はい?」
「なるほど。そういう手もあるか。」
一人納得しているレミリア。
フランドールの外に出たいという欲求は、つまりは退屈しているから出てくるわけだ。
適当な遊び相手がいればいい。
ただし、私自身は紅魔館当主ということもあり、四六時中フランドールに構ってやることはできない。
唯一の遊び(?)相手の霊夢と魔理沙も、さすがにそこまで暇人ではあるまい。
なら、遊び相手を用意してやればよいのではないか。
「そう、たとえば、犬とか。」
「・・・無礼を承知で申し上げますけど、私を見てそれを思いついたのなら失礼ですわ。」
「ならさっきのとでおあいこね。」
そうしよう。
我ながら悪くない案だ。
レミリアは早速、それを実行に移すべく行動を始めた。
つまり、フランドールに犬を飼わせようという考えである。
* * *
「フラン? 入るわよ。」
ギィ、と重苦しい鉄の扉を押し開ける。
薄暗い地下室。
そこに、自らの妹であるフランドールが居る。
・・・閉じ込められて、居る。
「お姉さま?」
部屋の半分ほどを覆い隠す闇の中から、
かわいらしい小柄な体が飛び出した。
フランドール・スカーレット。
『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』をもつ、無邪気な悪魔。
フランドールは開口一番、
「今日こそは外に出たい! いつも出たいけどいつにも増して!」
やはり、そうきたか・・・。
レミリアは頭を抱えようとして、
ようやく両手がふさがっていたことを思い出す。
「わんっ!」
「うわっ!? なに・・・?」
手のうちにすっぽり収まった毛玉が突然声を上げた。
否、毛玉ではない。
犬である。
「犬よ。」
「・・・犬だね。本でしか見たことないけど。」
フランドールは小首をかしげる。
本当にわかっていないのだ。
どうしてその犬とやらを抱えてここを訪れたのか。
「あなたの遊び相手にね。可愛がってあげなさい。」
ぽんっ、とフランドールの腕の中に収められる犬。
それにフランドールは、不服そうに口を尖らせる。
「いらないよ。そんなことより外に出たいんだってば!」
「わかってるわ。わかってるからあなたもわかりなさい。」
フランドールが外に出たいのはわかっている。
だから、外に出せないということもわかれ。
そう言っているのだった。
「むぅ~・・・。」
ぷぅ、と膨れるフランドールの頬。
それが美味しそうにでも見えたのか、
腕の中の犬がぺろぺろと舐めだして。
「わっ、ちょっ、くすぐったいってば!」
「なんだ、気に入られてるじゃない。大事にしなさい。」
そう、レミリアは一方的に告げて、
鉄製の重い扉を後ろ手に閉めた。
その扉の隙間から、フランドールの楽しそうな笑い声が漏れてきて、
「案外、簡単にうまくいくかもしれないな。」
一人、胸を撫で下ろすのだった。
心配しすぎだったかもしれない。
このまま、あの犬を通してフランドールが命の大切さを学んでくれれば。
そして、自身の力を制御することを学んでくれれば。
そう遠くない未来に、フランドールは外の世界を堪能できることだろう。
そう、レミリアは信じていた。
翌日、フランドールの部屋を再び訪れるまでは。
* * *
翌日、
レミリアは再びフランドールの部屋へと向っていた。
あの犬はフランドールと仲良くやれているだろうか。
フランドールは、はたしてどんな名前をつけてやったことやら。
正直、自分もあの犬をちょっと可愛いと思っていた。
自分も飼うか?
いや、犬は一人で結構。
一人、そんなジョークを思い浮かべながら、
フランドールの部屋にたどり着いた。
とたん、レミリアの表情が、すっと冷めていく。
・・・かわいそうなことをしたな。
レミリアは思う。
扉の隙間から漏れ出す、嗅ぎ慣れた臭い。
血の臭い。
死の臭い。
落胆とともに、扉を開けた。
そこには、予想通り・・・。
「あ、お姉さま!」
闇の中からフランドールが飛び出す。
赤いワンピースが闇に映えた。
紅く、染まった腕も。
「・・・フラン。犬はどうした?」
「ああ、うん。あれね―――」
フランドールが体を横に避けると、
部屋の中央に広がった『それ』が視界に映りこんだ。
形容、するまでもないだろう。
「壊れちゃった。」
けろっ、とフランドールが答える。
まるで、なんの罪悪感も感じていないように。
いや、罪悪感どころか、それを残念にすら思っていない。
ただ、事実を述べただけの表情。
それに、レミリアは、
「・・・・・・何故殺した。」
「ちょっと遊んだだけ。そんなことより外に出してよ!」
そんなこと・・・?
「・・・・・・何故、殺した。」
再び、レミリアが問う。
その声に、僅かな怒気が含まれていることに、
フランドールは気付いた。
それに、フランドールは理不尽な怒りを感じる。
私のせいだというのか。
一方的に押し付けてきただけじゃないか。
私は悪くない。
「それがもろすぎるのが悪いのよ!」
フランドールの考えていることが手に取るようにわかる。
レミリアはひどく落胆した。
結局、一つ命が無駄に散っただけの結果に終わったか。
悪いことをした。
やはり駄目なのだ。
フランドールは、根本的な部分で間違っている。
「フラン。お前を外に出してやることは出来ない。」
そう、一方的に告げて、再びフランドールを鉄の扉に閉じ込めた。
フランドールの抗議の声も、耳に入ってこない。
レミリアは足早に地下室を去る。
早々に離れなければ、妹に手を上げてしまいそうだった。
* * *
館の掃除をして周っていた咲夜は、レミリアの姿を見つけた。
丁度、地下から上がってくるところだった。
「あっ、おじょう―――」
お嬢様!
そう、声をかけようとして、
とっさにそれを飲み込んだ。
レミリアの顔には、地下に降りていく前のどこか楽しげなものとは、
まったく正反対の色が浮かんでいたからだ。
それだけで、咲夜は全ての事情を察した。
「・・・・・・後始末はお任せください。」
「ああ。」
短く斬るような返事だけを残して、
レミリアは自室へと戻っていった。
バタン、と勢いよく扉が閉められる。
勢いがよすぎて、蝶番が若干ひしゃげた。
「・・・くっ。」
自分でやっておいて、しかしそれすら苛立たしい。
失敗した。
やはり、フランドールに深く根付いてしまった価値感は、
そう簡単に矯正することはできないのだ。
それは当然かもしれない。
400年以上もの時間をかけて根付いたその価値観が、
いまさら一瞬の出来事でひっくり返ったりなどしない。
フランドールのせいではない。
原因は、彼女の強大すぎるその力。
「・・・・・・なんとかならないものかな。」
フランドールの『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』。
どんなものでも、フランドールは簡単に破壊できてしまう。
まるで、積み木を崩すかのように。
まるで、シャボン玉を突いて割るかのように。
フランドールにとって、あらゆる命はもろすぎるのだ。
だから、フランドールは命と物を変わらぬものとして扱う。
その価値が理解できない。
・・・いや、それだけじゃない。
フランドールが命の価値を理解できない原因。
それは、私だ。
400年以上も彼女を地下室に閉じ込めていた私にある。
地下室に閉じ込めたりなどせず、もっと沢山の命と触れ合わせていれば、
あるいは、今のような歪んでしまった価値感にはいたらなかったかもしれない。
なんて身勝手な姉だろう。
妹を400年以上も薄暗い地下室に閉じ込めて、
自分はそれにもっともらしい理由をつけて正当化しようとしている。
「最低だな、私は。」
レミリアは身投げするかのように、ベッドに倒れこんだ。
* * *
理不尽だ。
フランドールはベッドの足を蹴飛ばした。
ぼきっ、という乾いた音を立てて、ベッドが傾く。
私のお願いをごまかすように、一方的にあんなものを押し付けてきて、
それが壊れたから怒るだなんて。
大体、あれがもろすぎるから悪いのだ。
ちょっと捕まえようとしただけで簡単に壊れてしまった。
それはさっき、咲夜が片付けていってしまったが。
床に若干残っている黒い染みを忌々しげに睨む。
「・・・出たい。」
外に出たい。
どうしても出たい。
突然魔理沙の家に押しかけたら、魔理沙はどういう顔をするだろう。
そう思うとわくわくする。
もっとも、魔理沙の家の場所なんて知らないけど。
魔理沙も最近会いに来てくれないし。
退屈だ。
すこぶる退屈だ。
しかし、それでも外には出られない。
あの扉は内側からは開かないのだ。
いや、開かない程度ならば出ることはできる。
簡単だ。破壊してしまえばいい。
だがそれをやっても、地下室から出られるだけ。
館の外には出られない。
騒ぎを聞きつけた居候の魔女が雨を降らせるからだ。
雨は吸血鬼の天敵。
雨を降らされたら、結局館からは出られない。
姉に大目玉を食らって、それで終わりだ。
力づくだけでは解決できないこともある。
出るならば、誰にも気付かれずに、こっそりと脱出しなければならない。
無理だ。
あの扉は内側からは開かないのである。
あの扉が唯一開くとすれば外側から―――
「・・・・・・あはっ♪」
なんだ、開くじゃないか。
外側から開けられれば開くのだ。
絶対に、決して開くことのない扉ではない。
ならば、出ることはできる。
こんな簡単なことならもっと早く気付くべきだった。
邪悪そうな笑みを浮かべるフランドールの体が、少しずつ薄れていく。
吸血鬼の能力の一つである、霧化。
吸血鬼であるフランドールも、当然それを扱うことができる。
フランドールの体がどんどん空気と一体化していって、
『そして誰もいなくなるのか』
* * *
鬱だ。
紅魔館で働く名もないメイド妖怪。
彼女に数あるメイドの仕事の中でも、最悪の仕事の当番が回ってきたのだ。
完全当番制なので、どのメイドにもいずれは回ってくる役回りなのだが、
そう割り切れないのが人情である。・・・人ではないが。
とにかく、彼女はこれから死地に向わなければならないのである。
大げさか?
確かに大げさな表現かもしれない。
8割くらいは無事に戻ってこられるのだから。
そう、8割くらい。
「・・・・・・2割は帰ってこれないのか。」
うぐぅ、言わなきゃよかった。
ますます足取りが重くなる。
2割が重いか軽いかは、内容によると強く感じたのだった。
そういうわけで、彼女はすこぶる鬱だった。
この料理の載ったキャスターを、地下室の妹様の部屋まで運ばなければならないのだ。
これがまた意外に重い。
つまり、手元が狂いやすいのである。
手元が狂ったらどうなるかは、まあ言うまでもないだろう。
先の2割のうちの何割かである。
だがしかし、こうしてのんびりとろとろ運んでいくのもまずい。
料理が冷めてしまったら、やはり2割のうちの何割かに含まれてしまう。
だから、憂鬱な気分にさいなまれながらも、
その元凶に早足で向わなければならないという、なんとも矛盾した行為を要求されているのであった。
で、あっさり着いてしまった。
もう少しくらい、心の準備をする余裕が欲しかった。
できれば、あと3時間くらい。
が、贅沢ばかり言ってはいられない。
なんとか、覚悟を決める。
「ひ、ひつれいしましゅ!」
・・・噛み噛みだった。
おまけに声音が3回転半くらい裏返った。
断じてわざとなどではない。
いまので妹様のご機嫌を損ねたりなんかしたら、
きっと自分は2割のなかでも相当間抜けな少数派に分類されてしまうに違いない。
・・・中からの返事はない。
これは別に珍しいことではない。
中にいることをわざわざ確認するまでもなく、妹様は必ず中にいるからである。
また、妹様のほうから扉が開けられることもない。
この扉は内側からは絶対に開かないのである。
なので、自分が開けるしかない。
そっと、覗うように扉を開けた。
すぅ、と冷たい空気が流れ出た。
それに小さく悲鳴を上げる。
顔だけ覗かせて、中を覗う。
・・・暗くてよく見えない。
むぅ。
じぃっと、目を凝らして。
目が慣れてきて、暗い部屋を見渡せるようになったころ、
ようやく、彼女は状況を把握した。
顔面を真っ青に染め上げた。
卒倒しないのが不思議なくらいの顔色。
やがて、たっぷり10分は経過したところで、
ようやく彼女は悲鳴を上げた。
* * *
「お嬢様ぁ!! 妹様が、妹様がぁ!!」
レミリアの自室に、メイドが一人飛び込んできた。
本来なら、ノックもせずに入ってくるなど言語道断だが、
「どうした?」
あまりの慌てように、レミリアはそれを叱りつけるという行動すら思いつかなかった。
なにしろ、顔面蒼白。息も絶え絶え。
とてもまともな状態ではなかったのである。
「妹様が、お部屋におられないのです!!」
瞬間、レミリアは自室を飛び出した。
通りがかった館の者達が目を丸くするほどの速度で駆け、いや、飛びぬけていく。
目的地は、図書館だ。
「パチェ、大至急雨を降らせて。」
図書館で静かに読書に耽っていた友人のパチュリー・ノーレッジは突然の来客に驚き、
しかしすぐに事情を察した。
吸血鬼であるレミリアが雨を好むはずがない。
それでもなお雨を降らせろといえば、理由は一つしかないのだ。
フランドールが、館を抜け出した。
「あまり強く降らせなくていい。小雨程度で十分だ。
おそらく、フランはとっくに外にいるだろうからな。」
通常ならば、豪雨と呼べるほどの勢いで雨を降らせる。
それはフランドールがまだ館内にいる場合だからである。
「動きを鈍らせるくらいにしかならないわよ?」
「死なせるよりはいい。」
パチュリーの指先に、ぽぅ、と光が灯る。、
ぽつぽつと水滴が窓に張り付き始めた。
気付くのが遅れた。
フランドールはすでに外だろう。
そこでようやく、先ほどのメイドが追いついてきた。
「説明しろ。咲夜は捜索隊の手配だ。」
「はい、お嬢様。」
いつの間にか傍に控えていた咲夜が、図書館を出て行った。
本当にいつの間に、と思うのだが、無限の時間を持つ咲夜にとっては愚問だろう。
それはいい。
そんなことより、
「それが、私が妹様にお食事をお持ちしまして、地下室の扉を開けたのですが、
そのときにはすでに地下室はもぬけの殻になっていたんです。」
このメイドが地下室を訪れたときには、すでにフランドールはいなかった?
・・・そんなはずはない。
あの扉は内側からは絶対に開かないのだ。
最後に扉を開けたのは、おそらく咲夜だろう。
咲夜は何事もなかったような態度だったので、その時にはフランドールは部屋にいたはずだ。
まさか、咲夜の目を盗んで部屋を出るなんて芸当はできまい。
そして、次にこのメイドが扉を開けたときには、部屋にはフランドールの姿はなかった。
「抜け出したのはその間?」
「違うな。それはやはり無理だ。」
パチュリーの考えを即座に否定する。
ならば、やはり部屋からフランドールは出ていなかったのだ。
消去法で考えるなら、メイドが部屋を訪れたときにフランドールは部屋にいたはずである。
・・・そうか、やはりフランドールは部屋にいたのだ。
フランドールが本当に部屋を出たのは、
(この、メイドが扉を開けた直後か。)
食事を持ってきたメイドが扉を開けた直後に、その扉から出たのだ。
自身の体を霧状に変化させて。
咲夜ならともかく、名無し妖怪では気付かなくても無理はない。
賢くなるのは喜ばしいが、悪知恵がつくのも考え物だな。
レミリアは図書館の椅子に腰を落とした。
だが、フランドールはまもなく見つかるだろう。
咲夜率いる捜索隊は優秀だ。人手もある。
それに雨まで降らされれば、フランドールは逃げ切ることはできないだろう。
だから、レミリアはそれほどこの状況を危険視してはいなかった。
レミリアの唯一の誤算は、
このメイドが部屋の前で、たっぷり10分は呆けていたことを知らなかったことである。
結局、捜索隊はフランドールを発見することができなかった。
* * *
「ふぅ~、危ない危ない。」
フランドールは小さな物見窓の外を眺めながら息を吐いた。
さらさらと、静かに小雨が降り注いでいる。
まあ、大方予想通りの反応である。
自分が館を脱走すれば、おそらく雨を降らせて動きを鈍らせるはず、と考えていた。
強引に扉を破らなかったのは、そのために少しでも時間が稼ぎたかったからだ。
果たして、その目論見は成功した。
人里の気配のするほうへ一直線に飛んでいき、
適当な、無人の小屋に飛び込んだのだ。
うまいこと距離が稼げたので、さすがの咲夜率いる捜索部隊も追いついてはこれまい。
自分は館から一直線に飛べばいいが、捜索は館から円形に捜索しなければならない。
距離を開ければ開けるほど、状況は圧倒的に有利になるのだ。
あとは、雨が上がるまでこの小屋でのんびり雨宿りでもしていればいい。
なぜか妙にリアクションが遅れたような気がしたが、なんにしてもラッキーだった。
人里があっさり見つかったこともあり、様々な偶然が重なってようやく成功だったが、
結果よければ全てよし。
「ふあ・・・あぁ~。」
眠い。
結構頑張って飛ばしてきたので少し疲れた。
初めての外出ということもあり、少々興奮しすぎたのもある。
それと、安堵だ。
もう強引に連れ戻される心配はないのだから。
それらのものが急に鎌首をもたげ始めて、
「ちょっと、寝ようかな。」
フランドールはぱたりと倒れこむと、すやすやと眠りについてしまった。
* * *
誰かいる。
少女は目を丸くした。
見覚えのない女の子だ。
なぜ、我が家の物置にこのような子が寝ているのだろう。
それより異様だったのが、その容姿だ。
綺麗だった。
綺麗過ぎる。
人間ばなれしているといっても言い過ぎではないように思える。
まるで作り物の人形のような少女だった。
いや、作り物なのだろうか。
さっきからぴくりとも動かないし、なにより、
・・・背中からなにか生えている。
よく見ると、スカートの裾からも。
・・・・・・本物だろうか。
羽や尻尾だけでなく、その少女そのものが。
そりゃ、羽とか尻尾とか生えた人間なんかいるわけがないのだから。
いや、妖かなにかなのだろうか。
そうだとすれば納得も・・・、
いかない。
どうにも人間臭すぎる。
妖怪とか悪魔とか、そう言った類のものにはどうしても見えなかった。
だって、その、
かわいらしすぎるのである。
「・・・・・・ごくっ。」
触ってみることにした。
人形ならばそれでよし。
人間だったら、どうしよう・・・。
人外だったら、もっとどうしよう・・・!?
きっと触ってみればわかる。
まず、羽を触ってみた。
・・・わからない。
そもそもこれは羽なのだろうか。
とりあえず背中から生えていたので羽と称してみたが、
見た目は枝から果物のように宝石みたいな石がぶら下がっているかのよう。
こんなので、果たして飛べるのだろうか。
やっぱり作り物の人形なのかもしれない。
別のところを触ってみる。
―ぷにっ
ほっぺたを触ってみた。
・・・気持ちいい。
いつまで触っていても飽きないくらい触り心地のいいほっぺたである。
―ぷにぷにぷにっ
調子に乗って触ってみる。
まるで魅入られたかのように、手が止まらない。
このままいつまでも触り続けていたい―――
「・・・んっ。」
びくっ、と少女の肩が跳ね上がった。
う、動いた!?
人形なんかじゃなかった。
本物だったのだ!!
さらに、背中に付いていた羽がぴくぴくと動いて、
最悪だった。
おまけに、人間でもなかったのだ。
少女は全身を総毛立たせて硬直した。
「ん~、誰よこんな時間にぃ。まだ日が出てるじゃない・・・。」
その人外は、不機嫌そうに目をこすりながら体を起こした。
ルビーのような真紅の瞳が小屋の中をめぐり、少女に合わせてぴたりと止まる。
『・・・・・・誰?』
二人が同時につぶやいた。
「私はフランドール・スカーレット。で、こんな時間に私を起こしたアンタは誰?」
その、フランドールと名乗った人外の少女は、どうやら怒っているようだった。
睡眠を妨げられて不機嫌らしい。
理不尽だ。
ここは私の家の物置なのに・・・。
が、少女はそんなことを気後れなく口にできるほど心も体も強くない。
「えっと、私は、小雨・・・です。」
とりあえず、名乗っただけ。
小雨と名乗った少女は、蚊の泣くような声で呟いた。
「ふぅん。」
フランドールは適当に相槌を打つと、じろじろと無遠慮に彼女を眺めた。
13か14くらいの年齢か。
おかっぱ頭に、ひどく着古された簡素な着物。
黒目がちな大き目の瞳は、今はちょっと泣きそうに伏せられていて。
フランドールはその少女を一目見て、
いきなり、嫌いになった。
嫌いなタイプにド真ん中に的中したような少女だった。
おどおどしたような態度といい、
自分のことを化物かなにかを見るような目といい。
・・・いや、事実自分は化物なわけだが。
それに、そう、
名前が気に入らない。
雨は吸血鬼の天敵だ。
どんなに力が強くても、雨には敵わない。
まるで、自分がこの小雨という少女より格下みたいじゃないか。
こんな、もろくてちっぽけな命。
「・・・あう。」
小雨は首を縮めながら、わずかに距離をとった。
フランドールが睨みつけるような剣呑な視線を送ってきているからだ。
眠りを妨げたくらいでそこまで嫌われるいわれはないはずだが・・・。
早く出ていけ、と言わんばかりのフランドールの眼光に、
小雨はビクビクしながら、立てかけられた農具を手に取ると、
そそくさとその物置を後にしたのだった。
っていうか、ここはうちの物置なんですけど・・・。
これが、フランドールと小雨という少女の最初の出会い。
お互いの第一印象は、最悪だった。
* * *
フランドールと小雨の再会は、意外にも早く訪れた。
・・・その日の夕方である。
だって、しょうがないじゃないか。
出した農具は片付けなければならないのだから。
あのフランドールという少女が物置に居座っているかぎり、
嫌でも毎日2回は顔を合わせなければいけないのである。
「・・・はぁ。」
小雨は憂鬱そうにため息をついて、自分の身なりを確認した。
フランドールは綺麗な格好をしていた。
いいところのお嬢様かなにかだろうか。
それに比べて自分はどうだ。
一段と土にまみれてしまった自分の着物を見る。
普段は特別気にしたりはしないのだが、
やはりどうしても比べてしまう。
気休めにしかならないのはわかっているが、ぱんぱんと着物をはたく。
「けほっ、けほっ!」
土ぼこりが舞った。
なにをやっているのだろうか自分は。
ここは自分の家の物置なのだから、堂々と入っていけばいいのだ。
「・・・うぅ。」
それができないから悩んでいるのである。
自分も少しは、あの自己主張のはっきりした人外の少女を見習ったほうがよいのだろうか。
・・・・・・無理。
そうこうしているうちに、日はすっかり沈んでしまって。
―ガラララッ
「わっ!?」
突然、物置の戸が開いた。
フランドールである。
「・・・なにしてんの。」
なにしてるって、そりゃあ。
・・・・・・なにをやっているのだろうか自分は。
「えっと、農具、しまわなくちゃいけないから。」
「ふぅん。」
フランドールは納得いかなさそうに首をかしげた。
「その農具とかいうやつをしまうのには、戸の前に何時間も立ってなくちゃいけないわけ?」
「あぅ!?」
バレてた。
っていうか、そんな何時間も突っ立っていたのだろうか自分は。
「入れば?」
「あぅ、あの、・・・お邪魔します。」
なんでお邪魔しますなど言わなくてはならないのか。
なんども言うようだが、ここは我が家の物置で、
むしろ異分子はフランドールのほうなのに。
他人の家のように遠慮がちに進み、
奥に農具を立てかける。
「けほっ、けほっ!」
ほこりっぽい。
ちょっと掃除くらいしたほうがいいだろうか。
なんか、居候とかできちゃったし。
その居候をちらりと見やる。
フランドールは窓の外の月を眺めていた。
「・・・なに?」
「あ、えっと、その、・・・月、好きなの?」
「うん。吸血鬼だからね。」
は?
キュウケツキ?
キュウケツキというと、やっぱり漢字に直すと吸血鬼なのだろうか?
ひょっとして、自分は今、とんでもない化物を相手にしているんじゃなかろうか。
「・・・・・・なにしてんの?」
「はぅ!?」
隅で体を縮こまらせている小雨を、怪訝な顔つきで眺めている。
「だ、だって、吸うんでしょ?」
「なにを?」
「に、人間の血を。」
「なんで?」
「いや、だって、吸血鬼なんでしょ?」
「うん。」
フランドールは小首をかしげた。
フランドールはわかっていないのだ。
吸血鬼が、人間の血を吸う生き物だということを。
なぜなら、フランドールは人間の血を吸ったことがないのだから。
力の強すぎるフランドールは、人間の血を吸おうとしてもうまくいかない。
その人間を、血の一滴も残さず吹き飛ばしてしまうからだ。
彼女にとって人間は、いや、あらゆる生物はもろすぎるのだ。
かといって、人間の血を摂取していないわけではない。
普段は、紅茶やケーキなどの形でフランドールに出される。
だから、フランドールは吸血鬼が人間の血を吸って生きる生物だということを知らなかった。
「・・・血、吸わないの?」
「そんなことよりお腹空いたんだけど、なんかない?」
「なんかって・・・。」
吸血鬼って、なにを食べるんだろう。
人間と同じものでいいんだろうか。
「お昼の残りのおにぎりがあるけど。」
小雨はがさがさと、なにかの包みを取り出した。
はい、とフランドールに包みごと渡す。
フランドールはその三角形の白い物体を、ものめずらしそうに眺め、
「なにこれ?」
「なにって、普通のおにぎりだけど。」
「ナイフとフォークは?」
「な、ないよそんなの。」
「じゃあどうやって食べるのよ?」
「・・・・・・。」
人におにぎりの食べ方を教えるなんて、多分人生最初で最後の機会だろう。
掴んでかぶりつく。ただそれだけである。
それすら知らないとは、やっぱり箱入りのお嬢様なんだろうか。
フランドールはそのおにぎりに、かぷっとかぶりつく。
具はない。
海苔だって巻いてない。
申し訳程度に塩だけ振った、ただそれだけのそっけないおにぎり。
もくもくと、それを食べる。
小雨は、おいしい?と聞こうとして、やっぱりやめた。
特別おいしいわけがない。
だって、ただのおにぎりなのだ。
オリジナリティの欠片もない。
それはおにぎり以上でも以下でもない。
いいところのお嬢様の舌を満足させることなどできるわけがない。
「ごちそうさま。」
食べ終わったフランドールは、おにぎりの包みをぶっきらぼうに突っ返した。
やっぱり、フランドールは不機嫌そうだった。
そりゃまあ、おにぎり程度で満足できるわけないけど・・・。
「・・・その、じゃあね。」
そそくさと退場しようとする小雨。
やっぱり、嫌いだった。
物ははっきり言わないで黙り込むし、逃げるときだけ足速いし。
やっぱり小雨のことは嫌いだ。
でも、
「・・・ねえ。」
「ふぇ!?」
「また、おにぎり持ってきてよ。」
小雨のおにぎりは、小雨ほど嫌いではない。
* * *
それから、毎日二回。
野良仕事を終えた後と、夜寝る前。
小雨は物置におにぎりを持っていくことが習慣になった。
朝農具を取りに行くときはフランドールは起きていないのである。
やっぱり、吸血鬼だからだろうか。
夕方、野良仕事を終えた小雨が物置に入る。
「おはようおにぎり。」
「うぅ、私はおにぎりじゃない・・・。」
そして、いつものようにおにぎりをフランドールに手渡す。
ぱぁ、と顔を晴れさせてフランドールはおにぎりに齧り付く。
なんでこんなにフランドールはおにぎりが好きなんだろう。
味もそっけもないただのおにぎりなのに。
いいところのお嬢様の御眼鏡にかなうようなしろものではないはずだが。
「ごちそうさま。また持ってきてね。」
ひょっとして、私の存在価値はそれだけなのだろうか。
時々不安になる。
おにぎりの付属品程度にしか思われていないのではないだろうか。
もしおにぎりを持ってこなかったら、おにぎりの代わりに私がぱっくんちょ・・・、
(や、やりかねない。)
「なに?」
「な、なんでもないよなんでもない。」
慌てて、取り繕うような愛想笑いを浮かべる小雨。
それにジトーっとした視線を送ると、
小雨は話題を切り替えようとするように切り出した。
「ね、ねぇ、フランドールは外に出たくないの?」
「へっ?」
フランドールは不意打ちを食らったようにぽかんと呆けた。
出たくないかって、出たいに決まってる。
そのために館を抜け出してきたのだ。
どうしていまさらそんなことを・・・。
「だって、フランドール、物置から全然出てこないでしょ。」
言われて、フランドールははっと気付いた。
そう言えばそうだ。
物置からまったく出ていない。
そりゃ、昼間は太陽が出てるから出られないに決まってる。
だが、よくよく思い返してみると、
夜だって物置から一歩も出ていないのだ。
もういつだって外に自由に出られるのだ。
なのに、自分はそのとき何をしていたのだろう。
明日小雨が訪れるのを、いや違う、小雨のおにぎりが来るのを心待ちにしているだけだ。
あれほど出たかった外なのに。
どうしてだろう。
「そうだ! あとでおにぎり持ってくるから、今日は外でお月見しながら食べよっか。」
「えっ? ああ、うん。そうする。」
いつもとは逆に、フランドールのほうが歯切れ悪く答える。
小雨は嬉しそうに微笑むと、あいかわらずけほっけほっとむせながら農具をしまうと、
ぱたぱたと足早に物置を出て行った。
フランドールはなんとなくもやもやした気持ちでそれを見送ったが、
「ま、いっか。」
一人そう呟くと、ころんといつもの定位置に寝転がった。
そんなこと、別にどっちでもいいや。
小雨が来て、おにぎりが食べられればそれでいい。
* * *
「けほっ、けほっ!」
もはや聞きなれた、小雨のむせる声。
そんなにほこりっぽいだろうか、この物置は。
自分は吸血鬼だからわからないだけかもしれない。
ひとしきりむせた後、小雨は何事もなかったかのように、
「さ、行こ?」
フランドールの手を引っ張った。
小雨はこんなに積極的な子だっただろうか。
初対面のときとは、ちょっとだけだが、印象が違う。
ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、
小雨に対する評価を上げてあげてもいいかも知れない。
小雨と並んで夜道を歩く。
月明かりのお陰で、それほど暗くはない。
目的地は、特にない。
適当に散歩して、
適当に開けた場所を見つけたらおにぎりを一緒に食べる。
呆れるほど無計画だが、それでも二人は構わなかった。
「ねえ、フランドールはホントはどこに住んでるの?」
「えっ?」
「多分、その、家出してるんでしょ?」
その考察は至極当然だった。
身なりといい、物腰といい、フランドールはどう見ても周辺の村娘などではない。
どこかのお屋敷に住むお嬢様のはずだ。
「・・・ずっと向こうの、紅魔館ていうお屋敷。」
フランドールは、はるか彼方を指差すように向けた。
実際、かなりの距離が離れている。
「・・・帰らないの? きっと家族の人とか心配してるよ。」
「帰らない。あんなところ戻らない。」
心配してる、だって?
ああ、心配してるだろう。
いつ自分が大暴れするか冷や冷やしてるに違いない。
それが怖いから、自分は閉じ込められていたのだから。
今もきっと、躍起になって自分の事を探している。
自分を連れ戻して、再び館に閉じ込めようと。
「なによ、小雨は私に帰れっていうの?」
フランドールの声音が剣呑になる。
「・・・・・・。」
小雨は答えない。
答えられなかった。
帰ったほうがいいに決まってる。
でもそう言えなかった。
それは多分、もう少しフランドールと一緒にいたいからだ。
とても、自分勝手な話だが。
「それを言うなら小雨だってそうなんじゃない? 小雨の家族見たことないもん。」
「違うよ。私の場合は。」
「どう違うのよ?」
「家出してるわけじゃないの。家族がいないだけ。」
小雨の両親が他界したのは、もう数年も前になる。
それから数年間も、ずっと一人ぼっちで暮らしてきたのだ。
だからかもしれない。
フランドールと離れたくないのは。
今度はフランドールが黙る番だった。
家族が、いない。
ひとりぼっち。
その境遇は、自分と似ているようで、実はまったく違う。
確かに、自分は400年以上も館に閉じ込められていた。
年数からすれば、自分のほうがはるかに長い。
でも違うのだ。
自分は、一人ぼっちじゃなかった。
レミリアがいた。
咲夜がいた。
パチュリーも、美鈴もいた。
使用人のメイドもたくさんいた。
レミリアは自分を閉じ込めていた元凶だ。
でも、優しかった。
館を出ようとさえしなければ、誰よりも優しかったし、誰よりも自分のことをわかってくれていた。
まるで、自分を館から出してあげられないことを埋め合わせするかのように。
だから、なんだかんだ言っても自分はその姉のことが好きだった。
なんだ。
結局、自分は一分一秒だって一人ぼっちなんかじゃなかったのだ。
「そろそろ食べよっか。」
「・・・・・・うん。」
いつの間にか、2人は見晴らしのいい土手にたどり着いていた。
そこで、もそもそとおにぎりをほおばる2人。
会話はない。
静かな夜だった。
そこに、
―がさっ
小さな音が混ざった。
草を掻き分けるような音。
すぐ後ろの茂みからだ。
「な、なに!?」
驚いた小雨が飛び跳ねるように距離を取った。
その茂みから顔を出したのは、
「・・・くぅ~ん。」
犬だった。
やせ細った小さな犬。
「・・・な、なんだぁ。」
ほっと、小雨が小さな肩を落とす。
それから、すぐに優しい笑顔を浮かべて、
「お腹、空いてるの?」
「くぅ~ん。」
「・・・しょうがないなぁ、半分だけね。」
ただでさえ小さいおにぎりの半分を、
手のひらに乗せて差し出した。
その犬は警戒するように、その手の臭いを嗅いで、
―ぱくっ
おにぎりを食べた。
「あはっ、かわいいね。」
「・・・・・・。」
よくわからない。
かわいいのだろうか、あれは。
フランドールには理解できなかった。
でも、同じことをしたら理解できるかもしれない。
フランドールも自分のおにぎりを半分に割って、
その犬に差し出してみる。
やはり、その犬は警戒するようにフランドールの手の臭いを嗅ぐ。
嗅いで、
―がぶっ
「った!」
噛んだ。
フランドールの手に噛み付いた。
その手に染み付いてしまった血の臭いを、本能的に嗅ぎ取ったのかもしれない。
小さなおにぎりが、ぽとりと地面に落ちて、
フランドールの僅かに期待の混じった顔が、一気に冷めた。
―ぶんっ!
フランドールが噛み付かれたままの腕を一閃させる。
遠心力に振り回された犬が、数メートル先の地面に叩きつけられた。
きゃいん、と小さく鳴く。
「ふ、フランドール!?」
小雨の驚いたような声。
フランドールはそれを無視。
「痛いじゃない。」
本当はそれほど痛くなかった。
だが、それ以上に腹が立った。
人の好意を棒に振って。
生意気だ。
もろくてちっぽけな命のくせに。
「壊れちゃえ。」
フランドールが手をかざすように、それを倒れた犬に向けた。
虹色の光が生まれた。
小雨にもわかった。
おそらく、フランドールはその光を犬に向けて放とうとしている。
そしてその光はきっと、あの犬を完膚なきまでに殺すだろう。
そしてなにより、フランドールがそれについて何の感慨も抱いていないだろうことを。
「だ、駄目!!」
フランドールの目の前に小雨が飛び出した。
「・・・なんの真似よ。」
手を広げて立ちふさがる小雨に、フランドールは怪訝な顔でたずねた。
本当に理解できない、というフランドールの表情を、
小雨は、きっ、と睨み返す。
「駄目だよ、そんなの。」
「なにが?」
「だって、フランドールはその子のこと、その・・・。」
「殺すつもり?」
びくっ、小雨の肩が跳ねる。
「だから? 小雨には関係ないでしょ。」
「な、ないけど・・・。」
「なら邪魔しないでよ。」
「だ、駄目!」
「どいて。」
「嫌!」
「一緒に殺すわよ。」
「あうぅ、それも嫌・・・。」
小雨は情けないほど体をがくがくと震わせて、
目には零れそうなほどの涙を溜めて、
声だって蚊の鳴くような小さな声で、しかも震えている。
それでも、足だけはそこを動かない。
「どうして、どうしてそんなことするの・・・?」
「どうしてって、そいつ噛み付いたじゃない。先に手を出したのはそっちでしょ?」
「だからって、殺すことない。」
「なんで? 別に構わないじゃない、そんな知りもしない犬のこと。」
「・・・!!」
かっ、と小雨の顔が赤く染まった。
震えが止まる。
「フランドールは、命のことなんだと思ってるの!?」
「なにって、命は命でしょ? 硝子細工と一緒よ。
壊れやすくてちっぽけな存在。」
―ぱぁん!
フランドールの視界が唐突に横にぶれた。
なにが起きたのかわからなかった。
ゆっくりと顔を正面に戻して。
小雨の睨みつけるような顔と、
その振りぬかれた位置にある腕を見て、
ようやく理解した。
自分は、頬を張られたのだ。
「命は、そんなに軽いものじゃない!!」
小雨が叫ぶように言った。
水を打ったように静まり返る。
虫の声すら聞こえなくなった。
そして、
「痛いじゃない。」
本当はそれほど痛くなかった。
だが、それ以上に腹が立った。
あの時と同じ。
犬に噛み付かれたときと同じ。
フランドールの表情が、絶望的なほど冷め切った。
「どかないのね、小雨。」
小雨は答えない。
だが動かない。
それが答えだ。
「そう、じゃあ―――」
再び、フランドールの手に虹色の光が灯った。
「―――一緒に死んじゃえ。」
小雨は歯を食いしばって、目をきつく閉じた。
殺される。
フランドールは力の強い吸血鬼だ。
自分なんかひとたまりもない。
きっと、盾にすらならないだろう。
それでも小雨は動かない。
死にたくはない。
死にたい奴なんかいるもんか。
けど、この犬を死なせたくない。
・・・いや、違う。
この犬を、フランドールに殺させたくないのだ。
そんなフランドールを、見たくないのだ。
なんだ。
自分はそれほど、この犬のことを重視してはいなかったのか。
なんて、薄情者なんだろう。
小雨は、そんな場違いなことを考えて。
そしてフランドールの放つ虹色の光が、
消えた。
「・・・バカみたい。」
ぽつり、とフランドールの呟く声が聞こえて。
小雨は目を開けた。
そこにフランドールの姿はなかった。
ぺたん、とへたり込むように尻をついた。
しばらく呆然として、
ようやく、犬のことを思い出した。
「・・・あ、助かってよかったね?」
小雨はぱっと後ろを振り返って。
居なかった。
とっくにその犬は逃げ出していた。
「あ、あははは、薄情だなぁ、もう。」
ひどく疲れたように、乾いた笑みを浮かべる。
最悪だった。
いまので、フランドールには致命的なレベルで嫌われただろう。
せっかく、勇気を振り絞って誘ったのに。
せっかく、最後だからと思って誘ったのに。
「けほっ、けほっ!」
むせる。
極度の緊張が、小雨の体に負担をかけてしまったのだ。
「けほっ、ごほっ!!」
いつもならすぐに収まるのだ。
だが、今回のは収まらない。
「ごほっ!! ごほっ、っく!!」
止まらない。
息ができない。
「ごほっ、ごほっ、げほっ!!」
濁った音が混じった。
口の中に鉄の味が広がって、慌てて口を押さえた。
「ごほっ!! ごほっ!!」
指の隙間から、紅い液体があふれ出す。
彼女の名前を呼ぶ。
堰のせいで、言葉にならなかった。
小雨は、そのまま倒れて意識を失った。
* * *
それから、3日ほど経過した。
フランドールは寝転がりながら月を見上げる。
退屈だった。
小雨が来ない。
小雨のおにぎりがこない。
もう3日も経ったのに、小雨はあれから一日も顔を見せていない。
フランドールはあいかわらず小雨の物置で寝泊りしていた。
あのときのことは、もう怒ってない。
そもそも本当に怒っていたのなら、あのとき小雨は生きていなかったはずだ。
もともと根に持つような性格でもないので、
フランドールはまったく気にしてはいなかった。
それより、小雨のおにぎりが来ないことのほうが一大事だった。
「・・・なにしてんのよ、小雨のやつ。」
小雨が来ないせいで退屈じゃないか。
おにぎりも持ってこないからお腹もぺこぺこだ。
腹が立った。
腹が立ったから、
「ちょっと、脅かしに行ってやろうかしら。」
フランドールはにんまりと笑みを作った。
今までずっとこの物置でしか会った事がなかったのだ。
突然小雨の家に訪問したら、きっと小雨は驚くに違いない。
それはいい。愉快痛快。
ついでにそこでおにぎりを請求してやろう。
小雨の家でおにぎりを食べるのも悪くない。
そう思い立ったフランドールは、早速小雨の家に向うことにした。
小雨の家は知らないが、物置がここなので近くにあるはずだった。
空を飛べば一目瞭然。
あっという間に小雨の家を発見したフランドールは、
うきうきした気分で小雨の家の戸を開けた。
小さな居間に布団が敷いてあった。
小さく盛り上がっている布団を見て、フランドールはにやりと笑う。
間違いない、そこに小雨がいる。
作戦決行だ。
フランドールは足音を忍ばせて接近すると、
「小雨!」
ぱっと唐突に顔を出した。
・・・・・・。
ノーリアクション。
小雨は寝ていたのだった。
「・・・残念。」
まあ、もう日はすっかり落ちているのだから、寝ていても別段不思議ではないのだが・・・。
んっ、と小雨が寝返りを打った。
そのまま、うっすらと目を開ける。
「んっ。・・・あ、あれっ、フランドール?」
「・・・ちっとも驚いてくれない。がっかりだわ。」
作戦失敗、とフランドールは肩を落とした。
それを見て、小雨は小さく笑う。
変わらないなぁ。
あんなことがあったのに、フランドールはまったく変わらない。
「どうしたの? 私の家まで来たことなんてなかったのに。」
「小雨がおにぎり持ってきてくれないからお腹空いたの。」
「あ、あはは、ごめんね。」
膨れるフランドールを見て、小雨はまた笑う。
それから、額に乗せていた赤いタオルを口に当てて小さく堰をする。
それに、フランドールが怪訝な顔でたずねた。
「・・・小雨、風邪でも引いたの?」
「う、うん。ほら、この間、夜寒かったから。」
「そっか。じゃあおにぎりの件は仕方ないね。」
「うん。ごめんね。」
「もういいよ。そうだ、私が看病してあげる!」
「えっ!?」
「・・・なによ、その不安そうな顔は。」
「あ、あはははは。そんな顔してないよぉ。」
小雨がごまかすように首を振ると、
フランドールはその手のタオルをぱっと奪った。
「洗ってきてあげる。」
「あ、うん。・・・ありがと。」
小さくお礼をいう小雨に、フランドールは満足げにうなずき返した。
そのタオルを持って流し台にむかう。
その赤いタオルは、汗でぐっしょりと濡れていた。
これじゃあ気持ち悪くて仕方ないだろう。
フランドールは流しの桶に水を溜めると、その中にタオルを突っ込んだ。
吸血鬼は流水を弱点とするが、溜まり水なら平気なのだ。
だから川や海、雨は苦手だが、風呂は入れる。
そういうわけで、フランドールはじゃぶじゃぶとタオルを洗い出して。
「・・・・・・なに、これ。」
洗いながら、フランドールは呟いた。
タオルの赤がどんどん落ちていって、白くなる。
ごしごしとこするように洗うと、タオルは見事なまでに真っ白になった。
もともと白かったのだ。
このタオルは、もともとは白かった。
赤く染まっていただけ。
変わりに赤く染まった桶の水を見て、フランドールは思いついた。
・・・血だ。
きっと、このタオルは血で赤く染まっていたのだ。
誰の血かって?
小雨のに決まっている。
「小雨!?」
フランドールが居間に飛び出してきた。
返事はない。
小雨は、再び眠りについていた。
いや、いくら呼びかけても起きる様子がない。
寝ているのではない。
意識を失っているのだ。
「か、風邪って言ったじゃない!!」
フランドールは苛立たしげに叫んで、
しかし気付いた。
風邪程度なわけがなかったのだ。
小雨には両親がいない。
自分が働かなければ食べていくことができないのだ。
だとすれば、風邪くらいで畑仕事を休んだりするはずがない。
3日も物置に顔を見せないはずがないのだ。
じゃあ、小雨は一体なんの病気で・・・。
「教えてあげましょうか?」
唐突に、気配が沸いた。
びくっ、とフランドールは振り返った。
そんな馬鹿な。
ここには小雨以外だれもいなかったはずだ。
気配を断つとか、そんなレベルではない。
本当に、突然この空間に沸いて出たとしか思えない。
そんな芸当をやらかした女は、こちらを静かに見据えている。
長い金髪に紫を基調とした衣服。
とっくに夜なのに日傘なんか持ち歩いている。
会った事はない。
何者なのかは知らないが、今はそんなことどうでもよかった。
「その子の病気がなんなのか、教えてあげましょうか?」
「教えて。」
フランドールは即答した。
こいつが人間だろうが医者だろうが化物だろうが関係ない。
今最優先にすべきなのは小雨だ。
その女は微笑む。
優しさなどまったく感じられない、妖しいだけの笑み。
「いいわ。教えてあげましょう。では単刀直入に事実だけを。」
ぱっと開いた紫色の扇子で、口元を隠すように、
「その子、死ぬわ。」
直球だった。
フランドールの表情が硬直する。
「もってあと3日。このままでは絶対に助からない。」
絶望的な宣告だった。
だが、そのなかに一片の希望が混じっていたのを、フランドールは聞き逃さなかった。
「このままでは、って言ったわね。」
そう、こいつはたしかにそう言った。
ならば、なにか手を打てば小雨は助かるかもしれないということだ。
「ええ。この病は赤汗病と呼ばれる、致死率100%と言われるウィルス性の疫病。
末期になると全身の毛穴から血液がにじみ出る様からそう名づけられた。
高熱と全身の激痛から、自ら命を絶つ人も少なくないわね。」
「そんな説明はどうでもいい。助かる方法はなに?」
「せっかちさんねぇ。この病はウィルス性だって言ったでしょう?
ウィルスを完全に体から駆除できれば助かるわ。
早い話が、ワクチンを打てば助かる、ということね。」
なんだ。それほど絶望的な状況でもないじゃないか。
3日もあればどこにだって飛んでいける。
幻想郷中のどこにあろうとも、ワクチンを持ち帰ることはできる。
自分は夜しか活動できないが、それを差し引いても十分余裕はあるはずだ。
「で、そのワクチンはどこで手に入れればいいわけ?」
「なにからなにまで人に聞くつもり?
・・・まあ、いいわ。今日の私は機嫌がいいし、特別よ?
答えが見つからなくてタイムオーバーじゃ余りにも救いがなさ過ぎるし。
赤汗病のワクチンは―――」
駄目なら力づくでも聞き出すつもりだったが、
素直に教えてくれるならそれに越したことはない。
フランドールはほっとした。
これで小雨は助けられる。
「―――ないわ。」
・・・・・・ない?
それは、どういう意味だろう。
「赤汗病のワクチンは存在しない。だって、まだ研究されてないもの。
言ったでしょう? 致死率100%だって。」
掴みかかった。
「ワクチンがあれば助かるって言ったじゃない!!」
「ええ、助かるわよ。あればね。」
そんなものはないけど、とそいつは付け足して。
フランドールはそいつを殺してやろうかと思った。
笑ってやがるのだ。
人のことを絶望させて、こいつは楽しんでいる。
フランドールはそいつを射殺すほど睨みつけて、
しかし殺さなかった。
こんなやつでも、きっと小雨は庇うだろうから。
「失せなさい。目障りよ。」
フランドールはその女を放すと背を向けた。
今、こいつに構っている暇はないのだ。
考えなければ。
小雨を救う方法を、考えなければ。
「自分が傷つくのが嫌なら帰りなさい。
その子のことがどうでもいいなら今すぐ帰りなさい。
そうすればあなたはその子が死んでも傷つかずに済む。
もしかしたら助かって、今も元気にしているかも、という希望に縋ってられる。
あなたがその子の死を目の当たりにしない限り、その子はあなたの中では死んだことにならないのだから。
その子は一人で寂しく死を迎えることになるでしょうけどね。
あなたがその子のことを思うなら殺してあげなさい。
今この瞬間にも、この子は死に匹敵するほどの苦痛を味わっている。
あと3日も苦しみ続けなければならないなら、いっそこの場で殺してあげなさい。
あなたなら苦痛を与えず、一瞬で殺してあげることができるはずよ。
あなたにとっても、人一人殺すくらい今さらでしょう?
今まで、数え切れないほどの命を、なんの感慨もなく壊してきたあなたなら。」
「失せろ!!」
怒鳴った。
その声は、まるで幻聴のようにぱったりと聞こえなくなった。
「・・・・・・くっ!」
フランドールは歯を砕けるほどかみ締めた。
自分は、どうしたらいいんだろう。
どうするべきなのだろう。
一つの命にこんなにこだわるのは、初めてだった。
たとえば、このまま紅魔館に戻る。
数日間も無断で外泊した。
きっとお姉さまは激怒するだろう。
おそらく、もう二度と外に出られることはなくなる。
これまでとは比べ物にならないほど警戒を厳重にするだろう。
魔理沙たちとも会わせてもらえなくなるかもしれない。
だが、それでもいい。
外に出られれば、外から情報を得られれば、
自分はきっと小雨がどうしているか確認したくなる。
そして小雨の死を確認すれば、きっと自分は絶望する。
小雨が生きているかもしれないという希望に縋っていられれば、
少なくとも自分の中では小雨は生きていることになる。
自分の中では、小雨が助かったということになる。
だが、小雨はどうだろう。
ずっと一人で生きてきて、
最後もまた、一人。
それはどれだけ寂しいことだろう。
どれだけ悲しいことだろう。
自分にとっては、きっとそれが最良の選択。
そして、小雨にとっては最悪の選択だ。
たとえば、この場で小雨を、殺す。
小雨は今すぐにこの苦痛から開放される。
小雨はどう思うだろう。
私に殺されて、うらむだろうか。
私に殺されて、感謝するだろうか。
きっと後者だ。
お人よしの小雨は、ありがとう、とまで言うだろう。
たとえ前者だったとしても、きっとそういう。
それが小雨の性格だ。
私が小雨のためを思って小雨を殺すなら、
小雨は一人ぼっちで死ぬことにはならないと思う。
自分はどうだろう。
小雨を殺せるだろうか。
きっと殺せる。
いや、殺す。
自分がその後どう思おうと、小雨を殺してあげられる。
この答えがきっと、一番正解に近いと思う。
たとえば、このまま3日間、小雨と一緒に過ごす。
小雨は最後まで一人じゃない。
ずっと、最後まで一緒に居てあげられる。
きっと、小雨は最後まで寂しい思いをせずに済むだろう。
けど、これはきっと自分の願望だ。
小雨と少しでも長い時間を過ごしたいという自分の願望。
小雨に3日も苦しい思いをさせ続けて、
小雨は寂しくなかったと自分に言い訳する。
答えを先送りにして、結局何も選ばない。
仕方なかったと諦める。
最悪だ。
これがきっと、一番最悪の選択肢。
きっと、どれも正解ではない。
じゃあどうすればいいんだろう。
自分はどうするべきなのだろう。
考えろ。
考えろ考えろ考えろ。
フランドールは、きっと人生のなかで一番頭を使って考えている。
ここまで一つの物事に執着したことはなかった。
外に出ることすら、ここまで執着はしなかった。
フランドールの、『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』。
これが、フランドールの執着心を奪っていたのだろう。
どんなものでも、あっさりと自分の手を離れていってしまう。
自分には壊すことしかできない。
なにも守ることなどできない。
なにも救うことなどできない。
どれだけ自分がこの能力を憎んだことか。
こんな能力、なければよかったのに。
そうすれば、きっと自分は今頃、こんな風に悩んではいないはずなのに。
「・・・違う。」
そうだ、違う。
今はそんなことはどうでもいい。
小雨に自分がどうするか、考えなければ。
どうすればいい。
自分になにができる。
自分ができることは、破壊することだけだ。
なにかを壊すことしかできない。
それは事実。
その事実を認めた上で、自分になにができるのか。
「・・・・・・小雨。」
小雨の顔をタオルで拭ってやって、
そして決めた。
自分がどうすべきなのか、決めた。
小雨の体に手をかざす。
ぽっ、と虹色の光が生まれる。
やっぱり、自分にはなにかを破壊することしかできないのだ。
なら、破壊することで小雨を救ってやるしかない。
(さて、答えを見せてもらおうかしら。)
その場から退場したはずのそいつは、
誰にも気付かれることなく、その結末を傍観していた。
* * *
失敗は許されない。
自分の能力を完璧にコントロールしなければ、失敗する。
自信はなかった。
だが、成功させなければならない。
フランドールが選んだ答え。
それは先の3つの選択肢のうち、
どれでもなかった。
フランドールは新たな、第4の選択肢を選んだ。
ヒントは皮肉にも、
先ほどの得体の知れない女。
そして自分の能力にあった。
先ほどのいけ好かない女の言葉を思い出す。
「せっかちさんねぇ。この病はウィルス性だって言ったでしょう?
ウィルスを完全に体から駆除できれば助かるわ。
早い話が、ワクチンを打てば助かる、ということね。」
重要なのは、どういう状態になれば助かるのか、ということ。
あの女は、ウィルスを完全に体から駆除できれば助かるといった。
これだ。
小雨の体を蝕むウィルス。
これだけをピンポイントで『破壊』する。
不可能ではないはずだ。
『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』
これにウィルスごときが含まれないはずがない。
問題は、自分がこの能力を完璧にコントロールできるのか、ということ。
自信はなかった。
当然だ。
これができれば、最初から館に閉じ込められてなどいない。
そして、わずかでもコントロールが乱れれば、
きっと自分は小雨を殺してしまう。
病で死ぬのではなく、自分が殺すのだ。
病で助かる可能性がないからいっそのこと、とは違う。
助かる可能性があるのに自分のミスで死なせてしまう。
それはきっと、先の3つの選択肢の中でも最も最悪の結末。
だがフランドールはそれを選択する。
きっとそれが、一番正解に近いから。
「・・・・・・っ!!」
一瞬、集中が乱れる。
その瞬間、めちゃくちゃな方向に力が暴れだそうとする。
「このっ!!」
私の能力のくせに、
言うことを聞け!!
無理矢理押さえこむ。
ちょっとでも力を抜けば暴走する。
そんな、ひどく分の悪い賭けで、
「・・・・・・小雨。絶対、助けてあげるから!」
しかし、フランドールは力を解放した。
凄まじい閃光が小雨の家の中を塗り潰して―――
* * *
紅魔館。
館の前の広場に、住人達が勢揃いしていた。
全てのメイドたちが一列に並んで控えている。
美鈴や咲夜、パチュリーとその使い魔までもがそこに立ち並んでいた。
そしてその前、
彼女達に背を向けてレミリアが立っている。
腕を組み、目を閉じて、それを静かに待つ。
門番の美鈴から報告を受けたのは数分前。
フランドールが館に向ってきているということだった。
美鈴の『気を操る程度の能力』は、かなり広範囲の気配を感じ取ることができる。
それでフランドールがこちらに向っていることに気付いたのだ。
やがて、フランドールが姿を現した。
とぼとぼと、申し訳なさそうに歩く。
レミリアの目の前まで歩くと、立ち止まった。
水を打ったように静まり返る広場。
誰もが、息をするのすら控えている。
その静寂が、唐突に破られた。
―ぱぁん!!
風船が破裂するような音が轟いた。
衝撃で、フランドールがよろめく。
レミリアがフランドールの頬を張ったことを、ようやく理解した。
咲夜が思わず一歩踏み出して、
「お、お嬢様! 妹様はお疲れです! せめてお叱りは後ほど―――」
「黙れ、咲夜。」
押し殺したようなレミリアの声に、咲夜は金縛りにあったように動けなくなった。
誰もが、レミリアの圧倒的な気配に飲み込まれて、何も言えなくなる。
「本当は館の者達全員に一発ずつ殴らせようかと思ったんだが、やめた。
そんなことをしたら夜が明けてしまうだろうからな。」
レミリアの声は厳しい。
レミリアは本気でそうするつもりだったのだ。
本当に、そんな理由でそれをやらなかった。
「何故殴られたのか、わかるか?」
フランドールはややあってから、こくりと頷いた。
「お姉さまの言いつけを守らなかったから。」
「違う。」
レミリアは即座に否定する。
フランドールは言い方を変えた。
「勝手に、館を出たから?」
「違う。」
再び、レミリアは否定する。
「・・・館の者達に心配をかけたからだ。何故かわかるか?」
フランドールは答える。
「私が、暴走して幻想郷を壊しちゃうかもしれないって、思ったから。」
「違う。」
レミリアは一番厳しい声音で否定した。
「幻想郷のことなどどうでもいい。壊れたって知ったことか。
私達が本当に心配だったのは、お前だ、フラン。」
フランドールは呆けたように顔を上げた。
私が、心配・・・?
「本当のことですわ、妹様。
お嬢様は昼は捜索隊の指揮。夜は御自身自ら飛び回って、妹様を探しておられました。
もう8日も寝ておられません。」
余計なことを言うな、と肩越しに咲夜を睨むが、
そのレミリアの視線を咲夜は涼しい顔で受け流した。
それがただの照れ隠しだと気付いたからだ。
迫力はまったくなかった。
「フラン。」
再びレミリアはフランドールに向き直る。
まっすぐにフランドールを見据え、
「・・・・・・よく、戻った。」
きゅ、とフランドールを抱き寄せた。
館の者達が微笑ましげな視線を向けていることに気付き、
さすがに恥ずかしくなって姉を引き離そうとするが、
「・・・済まない、フラン。もう少し、このままで。」
フランドールだけに聞こえるように、レミリアが呟く。
その声と、小さな肩が僅かに震えていることに気が付いて、
「・・・うん。」
フランドールは姉を引き剥がそうとした手を、
そっとその震える背に回した。
* * *
それから数日後。
館はすっかり落ち着きを取り戻し、
平穏な日々に戻っていた。
あの日を境に、フランドールはもう外に出たいとは言い出さなくなった。
そっと、静かにお茶を注ぐ咲夜。
「ありがと。」
レミリアはいつものように、月を見上げながらそれを一口。
「・・・お嬢様。一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「・・・・・・ええ。」
咲夜の疑問はあの日、フランドールが帰ってきたときから、
ずっと燻り続けていたものだった。
あの騒ぎもようやく完全になりを潜め、
ようやくたずねてもいい頃合になったと思う。
「お嬢様は、なぜ妹様を閉じ込めておられるのですか?」
咲夜は、あの日初めてその疑問に気付いた。
それは、あの日までは自分なりにはっきりと納得できる理由があったからだ。
フランドールが暴走し、幻想郷を破壊してしまわないようにするため。
ずっとそうだと思ってきた。
しかしそれは違ったのだ。
あの時、レミリア自身がはっきりとそれを否定した。
幻想郷など知ったことか、と。
なら、本当の理由はなんなのだろう。
レミリアは沈黙したまま、静かに紅茶に映る月を見続けている。
「・・・申し訳ありません。分を弁えずこのような―――」
「いえ、いいわ。あなたには特別に話してあげましょう。」
レミリアはカップを置くと、咲夜に真正面に向き直った。
「まず、あなたはどうしてだと思っているのかしら?」
「妹様が幻想郷を破壊してしまわないように、だと思っていました。」
「思っていた?」
「はい。それはあの日、お嬢様自身が否定なされましたから。」
「・・・ああ、そうね。そうだったわね。」
「ではなぜ・・・?」
「そうね。あなたはそもそも前提が間違っている。」
「・・・はぁ。」
「フランは幻想郷を破壊することなどできない。」
「しかし、妹様の能力は『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』では?」
「そう。ありとあらゆるもの、にはおそらく幻想郷も含まれる。
確かにフランの能力なら可能なはず。理論上は。」
「理論上?」
「そう。たとえば、とある人物が私を殺そうとしている。
そのとき、あなたはどうするかしら?」
「殺します。そのとある人物とやらを、あらゆる手を尽くしてでも。」
「そうね。とある人物をフラン、そして私を幻想郷と置き換えると、
あなたは誰?」
「・・・・・・そういう、ことなのですか。」
「理解できたみたいね。」
フランドールが幻想郷を破壊しようとしたとき、
それを邪魔しに来るのは当然、幻想郷に住まうものたち全てだ。
いや、それはいい。
フランドールに敵うものなどそうそうは居ないはずだ。
しかし、その中でも危険なのが3人ほど居る。
黒白の魔法使い。
博麗の巫女。
それと、幻想郷の守護者。
霧雨 魔理沙。
彼女はもし本当にそうなったとしたら、
きっと事態を傍観するだろう。
幻想郷を破壊させるわけにはいかない。
だがそれ以上に、フランドールと本気で戦うなどできないだろうからだ。
博麗 霊夢。
彼女はおそらく、巫女としての本分を全うするだろう。
全力でフランドールを排除しようとする。
だがおそらく、フランドールが全力を出せばどうにか退けられる相手だと思う。
八雲 紫。
こいつだけは駄目だ。
いかにフランドールが全力を出そうと、
こいつに睨まれれば確実に殺される。
容赦なくフランドールを抹殺できる非情さと、それを確実に実行できる力がある。
これが、レミリアがフランドールを閉じ込めていた理由だった。
フランドールが幻想郷を破壊できる力があると八雲 紫に気付かれないこと。
レミリアがフランドールを、暴走しないようきっちりと管理していること。
フランドールが自身の能力を完璧にコントロールし、暴走しないこと。
この3つの条件のすべてが成立しなくなったとき、
フランドールは八雲 紫に抹殺される。
一つ目の条件は、おそらくすでに満たされていないし、この先満たされることもない。
八雲 紫には、フランドールの能力はとっくに見抜かれているはずだ。
二つ目の条件は、今は満たされている。
フランドールは、今こうして館に戻ってきたのだから。
三つ目の条件は、満たされるのはまだまだ先のことだろう。
フランドールが自身の能力を完全に制御できるようになるにはまだまだ時間がかかる。
現在は、二つ目の条件だけが満たされている状態だ。
フランドールが館を出ていた数日間は、
全ての条件が成立しない状態だった。
それはつまり、
八雲 紫に発見され次第、殺される危険性があったということ。
この数日間、フランドールがいつ抹殺されてもおかしくなかったということ。
今フランドールがこうして無事に戻ってきたのは、ただ運がよかっただけ。
運よく八雲 紫に見つからなかったか、それとも見つかった上で気まぐれに見逃されたのか。
だからレミリアは必死だった。
「では、お嬢様は本当に妹様のために・・・。」
「違うな。それは違う。」
レミリアは、ふっと自虐的な笑みを浮かべる。
「自己満足だよ。たった一人の妹を殺されたくないという、姉の独りよがりの自己満足さ。」
なぜなら、それをフランドールにまったく話さず、
フランドールに選択の余地をまったく与えていないのだから。
「妹様にそれを話されないのはなぜですか?」
「咲夜は、自分にナイフを突きつけている奴と仲良くできる?」
「・・・・・・無理ですわ。」
つまりはそういうこと。
もしも魔理沙や霊夢がフランドールのことを殺しに来るかもしれないとわかったら。
きっといまの関係は崩れてしまう。
フランドールの数少ない友人を、進んで失わせるようなことはしなくていい。
暗い話題はこれで終わりだ、というように、レミリアは紅茶を口に運ぶ。
「ところで、『小雨』はどうしている?」
「・・・ええ。今日も元気に妹様と遊んでおられますわ。」
「そうか。」
レミリアは満足げに、もう一口紅茶を飲んだ。
フランドールが紅魔館に戻った翌日。
フランドールはレミリアにあるお願いをした。
もう外に出たいと駄々をこねたりしない。
その代わり、一つお願いを聞いて欲しいと。
そのお願いの内容に、レミリアは驚いた。
『もう一度犬を飼いたい。』
一体フランドールに外でなにがあったのか、知る由もない。
だが、きっとなにか貴重な体験ができたのだろう。
レミリアはその日のうちに子犬を一匹調達し、
フランドールの元へ届けた。
名前はどうしようか。
咲夜たちも含めてみんなで考えようとしたが、
フランドールは、もう決めてあるのだ、とそれを聞こうとしなかった。
その日から、『小雨』は新しい紅魔館の住人となった。
雨は吸血鬼の天敵。
なぜフランドールがそんな名前をつけたのか、
レミリアたちにはわからない。
ただ一つだけわかること。
それは、
「フランが自由に外に出られるようになる日も、そう遠くはないかもしれないわね。」
「はい、お嬢様。」
今夜も、月が綺麗だ。
テンポも読みごたえも独自解釈もきっちりまとまってて素敵
冗長すぎず、単調すぎず、こちらを引き込む。
あえて人間小雨の生死をボカすあたりが、憎いねぇ、このぉ!
ごちそうさまでしたw
レミリアの妹に対する愛情やフランのちょっとした成長とか見てて楽しかったです
きっとフランに助けられたと信じています!
早く外に出れるようになるといいな!