玄関の戸を開けると、成る程、聞き覚えがあって当然だ。
「お早うございます。先日お渡しした衣服の事が気になりまして」
気になったって、何か問題あったっけ?
「何か問題でもあったの?」
「いえ。サイズが合ってるかどうか気になったものですから」
成る程。
「んっと、そうね――」
先ほど見たアヴァロン的光景を思い出す。
「問題ないわよ。それより、それを確認する為だけに来たの?」
「目的のひとつってやつです。本題はそれを着てる上白沢さんの方ですね。実は――」
庭師の説明によると、先日の事を主に話したところ、着た姿を見て来いと言われたらしい。
でもなんかおかしい。
「見て来いって、普通は本人が見たがらない? そういう場合」
「私もそう思うんですが、幽々子様の考える事ですから……」
そう言っている庭師は眉間に皺を寄せている。
色々と苦労があるのだろう。
「何か思惑があるって事か」
「毎度の事ですから、今はもう意図を読むのは諦めてます」
「まぁ考えても仕方なさそうね。今丁度慧音が朝ご飯の支度してるとこだから、居間で待ちましょう」
庭師の返事も待たず、くるりと反転。居間へと向かって歩き出すと、庭師が少し慌てた様子で「は、はいっ」なんて言いながら付いて来た。
居間へと通して、先日のように、今度は私が座布団を勧める。庭師は座布団に腰を下ろすと、落ち着き無くきょろきょろと居間を見渡している。
「何か珍しい?」
「あ、いえ。此処は初めてなものですから、つい……すみません……」
「いいわよ、別に。それより、朝ご飯はもう食べたのよね?」
「……」
……?
庭師は急に黙り込んだ。何故か俯いてもいる。
どうしたんだろうと思って訊こうとすると――
くぅ~、きゅるるるる
なんて、何とも可愛らしい音が聴こえた。
庭師は聴かれたのが恥ずかしいのだろう。俯いて顔を真っ赤に染めている。
普段は背格好の割にしっかりして見えるけど、まだまだ子供らしいところもあるようだ。
「――成る程。待ってて。慧音に言ってもう一人分用意して貰ってくるから」
「す、すみません……」
そんな恥ずかしいような恐縮しているような、なんとも微妙な声を尻目に私は居間を出て台所へと向かった。
そして慧音に庭師が来てる事ともう一人前朝ご飯を用意して欲しい事を伝え、私は再度居間へと戻った。
「お待たせ。貴女のところがどんなご飯なのかは知らないけど、慧音の作るご飯は自信を持って美味しいと言えるから、楽しみにしてなさい」
「はい。楽しみです」
その言葉通り、庭師の顔は何とも楽しげだ。
それから庭師と雑談を交わしていると、不意に廊下側の障子が開く気配を感じた。そちらへと顔を向けると、予想通り朝食の乗った盆を持った慧音がいた。
「あ、お邪魔してま――」
不意に、庭師の言葉が途切れた。
どうしたんだろうと見てみると――
笑顔のまま固まって口から白いモノを吐き出しながら半霊どころか全霊になりかけていた。
それからは首にナナメ45度の角度でチョップ入れてみたり上空へと昇る魂を無理やり押し込んでみたりとてんやわんやだった。
あぶねーあぶねー。
そのまま幽霊主従になるところだった。
「お見苦しいところをお見せして申し訳御座いませんでした」
なんて、どうにか生き返った庭師は頭を下げてきた。
私としては、魂飛ばした庭師の気持ちは凄く良く分かる。故に責めはしない。
むしろこの場で悪いのは――
「あーいいわよ、別に。いいから顔上げなさい。それにね、むしろ謝るべきは慧音なのよ?」
「は? 何故朝食を運んできただけの私が謝らないといけないんだ、妹紅」
そう言いながら、慧音は不思議そうな表情で私の顔を見ている。
むぅ、その顔もまた凄く可愛い。
可愛いので言ってやった。
容赦なく。
「そんなの決まってるじゃない。慧音が反則的に可愛いからよー」
「ってまたかコラァーっ!!」
そして容赦なく抱き締めてやった。
頬擦りもしてやった。
別に昨日の慧音の説教を聞いてなかった訳でもないし、軽んじてる訳でもない。言ってる事だって理解はしている。
ただ、それでも抑えられないものはあるのだ。
つまりはまぁ――
慧音可愛いよ可愛いよ慧音。
という事だ。
もう満月は過ぎたからcaved!!!!の心配もなく、私は安心して慧音を愛でられる。
慧音がじたばたしたところで、所詮は子供の力。怒っている顔も仕草も可愛いというものだ。
それからどれくらい経ったかは分からないが、漸く満足して慧音を解放しようとしたところで、ふと視線を感じた。それも何故か熱視線のような感じ。
視線をそっちに遣ると、庭師が羨ましそうに指を咥えて見ていた。
「どしたの?」
慧音を解放しながら尋ねる。
「へっ? あ、ああ、いぇ、何でもない、です……」
頬をぽっと紅く染めて俯きながら、庭師。声の最後の方は、蚊の鳴くようなか細さだった。
成る程。ピンときた。
「もしかして、貴女も抱き締めたかった?」
「そ、そのような事はっ……」
「ふぅん……」
否定したところで、顔も態度もそう言っていないのは明白。
にやにやしながら見てやる。
すると、庭師は指をもじもじさせたり視線をあちこちに飛ばしたりと、見てて面白いぐらいの反応を見せてくれた。
そうして数分。
もう少し見ていたい気はするけど、庭師が可哀相になるぐらい顔を真っ赤にさせてるから助け舟を出してやる事にした。
――まぁ、昨日は結局晩御飯食べられなくて、そろそろ空腹が限界に来ているだけだったりもするんだけど。
「大丈夫よ。慧音は今そこで伸びてるし、私は何言ったって笑わないから」
私の隣でぐてーっと大の字で寝ている慧音を指差しながら。
「その、抱き締めたりとかは流石に恥ずかしいので、ただ、その……」
「その?」
どうにも歯切れが悪い。
そんなに言いにくい事なんだろうか?
「…………ちゃん、って」
「え? 何? 声が小さすぎて最初の方が聴こえないんだけど?」
「だから、その~……ぉ……ちゃん、って?」
いや、だから肝心の部分が聴こえないんだってば。
お……何だろう?
「お、おー……おばかさぁん?」
「違いますっ。お姉ちゃんですっ――あっ」
庭師は自分の失言……? に気づいたのか、はっとした表情の後すぐにまた顔を真っ赤に染めて俯いた。
それはそれとして、お姉ちゃん?
「……えーっと、それは一体どういう意味?」
「だから、その……お姉ちゃんって呼んで欲しいなって思いまして……」
成る程。
私は別に呼んで欲しいとは思わないけど、人それぞれって事なんだろう。きっと。
そう呼ぶ事を強要されて慧音がどんな反応を見せるかは興味が沸く。協力しよう。
「そ、分かったわ。そんな訳で――――慧音、大丈夫ー? そこの庭師が呼んでるわよー」
未だにぐてーっとしたままの慧音の肩を揺すり、そう呼びかけてみる。
暫く揺すっていると、漸くのろのろとした動作で慧音が起き上がった。
「お疲れのところ悪いんだけど――」
「疲れてるのはお前の所為だろう」
慧音は私を睨みながらぶー垂れている。やっぱり可愛い。
また抱き締めたい衝動に駆られてしまうが、ここは庭師の為に我慢だ。
「鼻血を出すな、鼻血を」
「あ、しまった」
なんだかんだ言いながらもちり紙を渡してくる慧音はやっぱりいいヤツだった。
「っと、見苦しいところを見せて申し訳ない。それで、魂魄殿。何かご用事が?」
慧音は庭師の視線に気づくと、先ほどの疲れを微塵も感じさせない素早さでたたずまいを正した。
そんな慧音の様子に、庭師は一瞬気の毒そうな顔を見せる。
言いにくいんだろうなぁ。
私は頑張れ、という意志を込めて視線を庭師に飛ばす。
庭師は気づいたらしく、一瞬こっち見た後、何やら頬を両手でぱんっと叩いて気合を入れた。
そして――
「その、私の事を……妖夢お姉ちゃんってっ、呼んで下さいっ!」
言った。
両拳を胸の前でぐっと握りこんで、眸を固く閉じながら。
それはさながら、恋人の父親に娘を下さいと言ってるかのよう。
そして言われた慧音はというと――
うわ、唖然呆然としちゃってるよ。
庭師は相変わらず眸を固く閉じたままで、多分、慧音の返事を待っているのだろう。
そして慧音も相変わらず呆然としたまま。
さて、どうやって助け舟を出そう?
慧音を見る。やっと我に返ったらしく、どう声を掛けていいか迷っている様子。
庭師を見る。そのまま。
うーん……ここは必死な方を助けるのが道理、なんだろうなぁ。
そんな訳で庭師の望みを叶えるべく、私は慧音をかどわか……説得する事にした。
「あー……まぁ言うだけだし、言ってあげたら? 慧音」
「言う理由がないだろう」
「理由なんて言って欲しいってだけで十分だと思うけどなぁ。それにさ、言うだけなんだから言ってあげればいいじゃない」
「いや、しかしだな……」
良く分からないけど、慧音は渋っている。けどこっちとしては今更慧音の都合に気を配るワケにもいかない。ここは慧音の弱点をちょっと利用させてもらう事にする。
「ほら、庭師を見てみなさい。あんなに必死な”人間”の頼みを無碍にしちゃっていいの?」
「そ、それは……」
効果覿面。
慧音は腕を組んで考え出した。
そして数分程悩んでから
「――――はぁ、分かったよ。言えばいいんだろう」
漸く、こっち側の要望を聞き入れた。
庭師もその返事を聞いていたらしく、顔を上げてパッと表情を輝かせた。
相当に嬉しいらしく、次の瞬間にはわくわくした面持ちで四つん這いの格好で慧音に詰め寄った。
慧音は傍から見たら過剰に見える反応に一瞬気後れをした様子だったが、すぐに表情を元に戻した。
そして――
「よ、妖夢、お姉……ちゃん」
と、何故か顔を赤くしながら言った。
何気に恥ずかしいセリフだったりするのだろうか。
さて、当の庭師はどうだろう?
そう思って視線を移すと――
幸せそうな顔しながら鼻血垂らしてた。
慧音はまた呆然としている。
うーん……これはもしや?
「ねぇ慧音。もっかい言ってあげてくれる?」
「へ? あ、あぁ――妖夢、お姉ちゃん?」
その瞬間、ぷしっという隙間から液体が噴き出るような軽い音とともに、庭師が盛大に鼻血を噴きながら後ろに倒れ込んだ。
慌てて駆け寄って表情を見てみると、めちゃくちゃ幸せそうだった。
「なぁ妹紅」
「何? 慧音」
「魂魄殿を見る目が少し変わったんだが」
「私はだいぶ変わったけどね」
うん、少なくとも100度ぐらいは。
ああ、妖夢ったらあんなに幸せそうな顔しちゃってぇんっ。
妹が欲しいなら欲しいって言ってくれれば、一肌どころか全部脱いで協力してあげてるのにぃ~。
幽霊が妊娠するわけないって?
そんなの些細な問題よぉんっ。
亡霊嬢の意図がこんな阿呆な事では、妖夢に読めないのは致し方ない事であろう。
先ほどの痴態から見れば、知らず知らずの内に影響を受けているのは明白ではあるが。
ともあれ、西行寺幽々子は誰にも知られぬまま窓の外でくねくねとしながら悦に浸っていた。
そうした窓の外の事など微塵も知らない慧音と妹紅は、それぞれ朝食の温め直しと妖夢の介抱をこなしていた。
「慧音ー。あの子目ぇ覚ましたわよー」
「ああ、解った。こっちも準備出来たからすぐ行くぞー」
台所へと顔を出した妹紅の言葉に、慧音は再度朝食を盆に乗せながらそう返事を返す。
妹紅が居間へと戻ると、そこには最初にやって来た時の焼き直しかのようにして妖夢が座っていた。
まぁ、その時は鼻にちり紙など突っ込んではいなかったのだが。
妹紅はその姿を見てクスリと忍び笑いを零し、同じく卓袱台の前に腰を下ろした。
「今から朝ご飯持ってくるみたいよ」
「ふぁい、申し訳ございまふぇん」
鼻にちり紙詰めてるせいで思いっきり鼻声である。
そして妹紅が「早く止めないと朝ご飯食べ辛いわよ」と言ったところで、障子がすっと開き、やはり最初の焼き直しのようにして盆を持った慧音が姿を見せた。
そうして今度は何事もなく朝食は済み、妖夢は仕事があるから、と席を立った。
そして玄関にて。
「もう少しゆっくりして行けばいいのに。せめて食後のお茶ぐらいは」
「いえ、本来ならこの時間は既に仕事を始めている時間ですから。もし服が足りなければまた訪ねて来て下さい。まだ何着かありますので」
「ああ。一応心配はないと思うが、その時はまた妹紅を向かわせるさ」
「はい。では、これで失礼致します」
そう言って、妖夢はペコリと頭を下げた。
そして姿勢を戻すと、くるりと反転し、冥界へと返るべく空へと飛び上がった。
「またな、妖夢”お姉ちゃん”!」
その背に向かって慧音がそんな事を言うと、妖夢は空中で盛大に鼻血サマーソルトをかましていた。
そうして早朝の来客の姿が見えなくなると、二人は庵の中へと戻った。
居間へと向かう道すがら、妹紅は慧音が妙に上機嫌である事に気づいた。
――この日は朝から慧音にとってはたいへんに疲れる展開だった筈。
それなのに上機嫌な慧音の様子を妹紅は不思議に思う。
そして二人は居間にて食後のお茶の続きへと戻り、この機会にと妹紅はその疑問をぶつけてみる事にした。
「さっきから妙に機嫌がいいけど、どうしたの?」
「ん、そうか?」
「うん。あの子が帰る時からそうだった気がする」
慧音自身、自分が上機嫌である事に気づいていなかったらしい。
腕を組んで考え込んでいた。
そしてややあって理由に思い当たったのか、成る程、と慧音は口元に笑みを浮かべて小さく頷いた。
「ふふ。考えてみれば、上機嫌になるのは当然だったよ」
上機嫌になる出来事を思い出し、慧音はくすくすと笑っている。
妹紅には当然分かる筈もなく、頭上にはてなマークをいくつも飛ばしている。
「笑ってないで教えてよ、慧音。こっちはさっぱり分からなくて反応に困ってるんだから」
「ああ、それはな――」
言いかけ、すぐに口を噤んだ。
そして僅かにかぶりを振ってから再度口を開いた。
「いや、やめておくよ」
「何でよ」
「なに、言わない方がいいってだけさ。お前はきっと否定するだろうからな」
「否定するって、私は否定するような事した覚えないわよ?」
訝しげな顔の妹紅に対し、慧音は「だから言わないのさ」と言って急須を持って立ち上がり、居間を後にした。出る前に「昨日の庭師の土産を茶菓子に持ってくるから、それで忘れろ」などと楽しげに言い、残された妹紅はますます頭にはてなマークを飛ばしていた。
それからは特に何事もなく……妹紅が再度暴走したりなど、慧音にとってはお馴染みになってきたハプニングがあったものの、取り敢えずは昼夜ともに平和に過ぎ去った。
そうして次の日――
どたたたたたた!
ばんっ!
がくがくがく。
「おぉ、起きろ妹紅っ! 大変なんだっ!!」
「はぁー……はぁー……」
んん……?
何やら騒がしい……?
ていうか、頭揺れてる。
「ふえぇ? ぁぅ、ぅぁぁ……?」
「だから早く起き起き起きぎゃあぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーー」
ますます騒がしい。
取り敢えず大変な事が起きてるのは解る。
うーん、と……?
半端に寝た頭のまま目を擦り、どうにか不完全ながら覚醒。
そうしてる間も私の周りではどたどたと騒々しい事この上ない。
足音は二人分。誰か来ている?
ともあれ、まずは足音を止めるのが先決らしい事は分かった。
「ていっ」
「ふぎゅっ」
適当に足を出すと、どっちかが上手く引っかかってくれた。
さて、誰だろう? と寝ぼけ眼で見やると、つい最近見かけたような気がする、メイド服の女が倒れていた。
「た、助かった、妹紅……。――――はぁぁぁぁ」
反対側を見やると、脱力してへたり込む慧音の姿。
うん、今日も庭師の服が似合っている。
「朝っぱらからどうしたのよ」
「それがな、起きて朝食の準備をしようと廊下に出たら、玄関の戸を叩く音が聴こえたんだよ。で、出てみたら……」
慧音が私の先へと視線を移す。
そこには相変わらず倒れたままのメイド服……もとい、変態メイド。
成る程。
「暴走して襲い掛かってきたってワケね」
私の言葉に、慧音は頷いて肯定を示す。
まぁ、確かにそこの幼女好きメイドに今の慧音が破壊力抜群なのは手に取るように分かる。朝っぱらから厄介なヤツが来たものだ。
未だにメイドは倒れたままの格好でピクリとも動かない。打ち所でも悪かったのかもしれない。
まぁ後頭部ってワケでもないから、時間が経てば起きるだろう。
取り敢えず、起きるまでにやる事をやっておこう。
私の服の裾を握って怯えた表情で絶賛気絶中のメイドを見る慧音を、私は出来るだけ優しく抱き締める。
「私から離れなかったら大丈夫よ」
慧音は不安そうな眸で私の顔を見上げている。
……やっぱりというか何と言うか、慧音が物凄く可愛い。
胸の奥から、ここ三日間ちょくちょく訪れている衝動が滾々と湧き上がってきている。
しかしここで暴走しては、慧音にそこの変態メイドと同等と見なされてしまう。それは絶対に避けなければならない。慧音は小さくなってから、どうにも小動物ちっくになっている。らしさは残っているんだけど、こう、平静を失ったらというか。ともあれ、こっちは平静を保たなければならないのだ。
見下ろすと、慧音は不安そうな表情のまま俯いていた。
しかし、ここまで怯える程そこの変態メイドは何かやらかしていたんだろうか?
「ねぇ慧音。あいつ、そんなに怖かったの?」
「……アレは見たやつでないと分からないぞ。怖い怖くないというよりは……」
「というよりは?」
慧音は思い出したのか、身体をますます強張らせた。
「言い方は悪いんだが……当て嵌まる言葉がこれしか思いつかない」
私を見上げ、慧音は再び口を開いた。
「キモイ」
率直で単純な、その三文字。
メイドはうつ伏せに倒れていて、生憎と表情は分からない。
単純故に、どうにも想像がつかない。
まぁ目覚めれば追々分かるだろう。
そう思ったところで、倒れていたメイドが僅かに身じろぎを始めた。
お目覚めらしい。
ゆっくりとメイドは起き上がり、そして、顔を上げた。
――ああ、成る程。
あれは、確かに……キモイ。
「……安部さんだ」
私の口から出た言葉は、そんなヨクワカラナイものだった。
ていうか安部さんって誰よ?
誰だ、そんな言葉を私の頭に植え付けた阿呆は。
輝夜の顔が浮かんだ。よし、あいつで決定。今度殺そう。
その安部さんちっくな顔した紅魔館のメイドは、私の胸に顔を埋めて怯えている慧音を見て、口を開いた。
「 い い 幼 女 や ら な い か 」
うわ、トチ狂ってるよほんと。
取り敢えずまぁ……正気に戻させた方が良さそうだ。
慧音の身体を少し離して隙間を作り、懐から一枚スペルカードを取り出す。
「不死『火の鳥 -鳳翼天翔-』!」
例のあのツナギ着たポーズの安部メイドに向かって容赦なくぶっ放してやった。
そして鳳翼天翔が直撃してからおよそ一刻。
「申し訳ありません。あまりの美幼女っぷりについ取り乱してしまいました」
目を覚ましたメイドは、望み通り正気に戻っていた。そして正気に戻ったら顔も戻っていた。このメイド、ほんとに人間?
訊くのは何となく躊躇われるから、訊かないでおく。
ちなみに鳳翼天翔で焼失した部分は慧音に頼んで焼失した歴史を食べて無かった事にしてもらった。
慧音は現在私の背中に隠れていて、メイドに姿を見せないようしている。見せるのは非常に危険だという事を察知したのだろう。
「美幼女っぷりってあんた……ああいいや、訊かないでおく。分からないでもないし」
「ご理解と寛容なお心に感謝致します」
と言って、メイドは座ったままペコリと頭を下げてきた。
それにしても……
「あのさ。一応はもう許したんだから、そういう態度はもうしないでくれると助かるんだけど。何か企んでるようにしか思えないし」
すると、頭を上げたメイドの表情は柔らかいものになっていた。
多分、こっちがこのメイドの普段の表情なのだろう。さっきまでの無機質な印象の顔は、所謂外向けというヤツだ。
場の空気も漸くいつもの我が家のものに戻って、内心でほっと息を吐く。
「んで、そろそろ何しに来たのか教えてくれる?」
「そうね。あれは昨日の事――」
説明によると、昨日の午後3時頃に白玉楼に行ってそこで庭師から朝の出来事を聞き、小さくなった慧音に興味を持ったから、との事だった。
興味というのがどういう類のものかは……考えるまでもなく分かってしまうからサッサとどうでもいい事として処理しておく。
「つまり、見に来ただけって事?」
「まぁ目的はそうね」
「そう。じゃあ見たからもう帰るんでしょ?」
そう笑顔で言ってやった。
このまま居座られたら慧音が不憫なので、悪いがメイドには帰ってもらう。
「あら、連れないわねぇ。目的っていうのは欲求。欲求は満たせばまた湧いてくるのが人間ってものなんだから」
「帰る気はないってわけ?」
「目的があるのに帰るなんて、間抜け以外の何者でもないでしょう?」
まぁそれならそれで、こっちとしては気楽だ。あれこれ言い合うのは性に合わない。
「そう。そっちに譲る気がないのなら、やる事はひとつね」
「話が早くて助かりますわ」
そう言って、メイドはころころと笑っている。
私はその挑発を無視して立ち上がり、居間を後にする。
玄関に手を掛けた時にチラリと一瞬だけ後ろを見てメイドの姿を確認してから敷居を跨ぎ、外へ出た。
そして背の高い竹林の中程の高さまで飛翔し、私はメイドと対峙する。
私は紅蓮の翼を。
メイドはナイフを。
それぞれ構え、弾幕勝負の火蓋は切って落とされた――
~少女弾幕中~
んで、結果はと言うと……
「ふふ。思った通り、うちのメイド服が良く似合うわぁ」
なんで負けるかなぁ、こんな時に……。
今や慧音はメイドのおもちゃだ。
そんなサイズのメイド服を何故用意しているのかは分からないが、決着が着いた後、メイドは時間を止めながら急いで取りに戻ったらしい。
慧音は先ほどからずっと私を恨みがましい眸で睨んでいる。
何か言い訳しようにも、負けは負けなので何を言ったところで慧音はますます不機嫌になるだけだろう。
対照的に、メイドは上機嫌。弾幕勝負をしていなければ、きっと私も上機嫌だっただろう。
正直似合ってるし。メイド服。
と、そういえば……
「暴走してない……」
ぽつりと呟く。
その呟きは慧音にも聴こえたらしく、はっとした表情でメイドを見上げた。
「最初に見たから耐性ついてるだけよ。早々何度も暴走してたら今頃うちのお嬢様からクビにされてるわ」
「どんな耐性よ」
思わず突っ込んだ。
「美幼女の耐性」
そして即答された。
そんな耐性あるのか、と更に突っ込もうとしたが、また理解不能な解答をされるだけだろうと思ってやめておいた。
「十六夜殿、ちょっといいだろうか?」
と、ここでメイドが来てからというもの、ずっと口を開かなかった慧音が漸く口を開いた。
「私で楽しんでいるところ済まないのだが、少々用事を頼まれて欲しいのだが……」
「用事? えぇいいわよ。今なら何だって聞くわ」
「そうか。感謝する」
慧音は軽く頭を下げ、言葉通りの意を示す。メイドはその様子をにこにこしながら見ている。
用事は出来るだけ私が聞かなければならないのだが、慧音がメイドを指定するのなら仕方ない。弾幕勝負に負けた手前、進言するワケにもいかないし。
「で、用事というのは、近辺の人里に行って里長から異変が無いかどうか訊いて周る事なんだ。今から私が証明書を一筆したためるから、それを持って行けば問題ないだろう。この時間ならそうそう厄介な事は起きないだろうが……いいだろうか?」
そういえば、慧音はここ三日間、里に行っていない。迂闊に此処から出るワケにはいかないから、仕方ない事だ。
自身が不測の事態に陥ったところで、慧音だったら絶対に気にかける事だけは忘れないだろう。それは目に見えている。そして、その事は私が気づくべきだった。現状で一番深く関わっているのは当人の慧音を除けば私だけだから。
そう、だからこそ――
「待って。それ、私がやるわ」
弾幕勝負に負けた事とか、そういう諸々による自分の立場は無視するべきだ。
「あら。私では不安?」
「そうじゃない。ただ、これは私がやるべき事だから」
「いいよ、妹紅。これ以上お前に負担は掛けられないから。お前の気持ちは嬉しいが、今回は十六夜殿に任せておきたいんだ」
「気遣いはいいわよ、慧音。今言った通り、これは私がやらないといけない事。負担になんて私は思わないから」
食い下がるが、慧音は済まなそうな表情を浮かべるばかり。
メイドは口を出そうとはしない。空気を察したのだろう。
少しだけ感謝した。
そうして暫く沈黙が続く。
慧音の表情は変わらず、メイドも相変わらず沈黙を保っている。
半ば根競べのような雰囲気が漂い始めた頃。
「悪いが、私の意志は変わらない」
慧音が口を開き、本当に済まなそうな声と顔でそんな事を言った。
――はぁっ。
そんな風に言われたら
「分かったわよ。今回はソイツに任せるわ」
折れるしかないのよ、私は。
「有難う、妹紅」
そう言って、慧音は先ほどメイドに対して下げた時よりも、深く頭を下げた。
「話は纏まった? 纏まったなら、慧音さん。悪いけど、証明書を書いて頂けるかしら」
「あ、あぁ、そうだったな。済まない、すぐ書くよ。妹紅、墨と硯と筆と、それから紙を一枚借りたい」
「うん、ちょっと待ってて」
助かった。
何となく気まずい空気になりかけたところでメイドが間に入ってくれた。しかしまぁ、ほんとに良く気のつくメイドだ。完全で瀟洒なメイドっていう肩書きは伊達じゃないっていう事か。
部屋の隅の棚から注文通りの品を取り出し、慧音の前に並べる。慧音は墨を磨り、さらさらと筆を走らせて証明書とやらをしたためていく。数分程で完成して墨が乾いたのを確認し、慧音は紙を四ツ折りにしてメイドへと手渡した。受け取ったメイドはエプロンのポケットに書を仕舞うと「じゃあ行って来るわね」と声を掛けて居間を後にした。
「ふぅ。やっと落ち着けた」
庵から十六夜殿の気配が消えると、私はその言葉とともに重苦しく息を吐いた。
「ねぇ慧音。改めて訊くんだけど、私だと不安?」
足を伸ばして全身の力を抜いていると、妹紅が少し不安げな声と顔で訊いてきた。
確かに妹紅がそう言うのは良く分かる。
けど、まぁ――
「不安ってわけじゃないさ。お前にこれ以上の負担を掛けたくないっていうのは確かに本音だが、本当の意図は別にあるんだ」
「別の意図?」
「言葉は少し悪くなるんだが、単に十六夜殿を少し離したかっただけなんだ。この姿ではどうにも不安でな。いつ暴走するやらと、な……」
天井を見上げ、あの言い様の無い不安を思い出す。
あの顔は正直トラウマだ。玄関を開けた途端見たら、誰だってトラウマになったっておかしくない筈。おもちゃにされるのはどう譲歩したところでいい気分ではないし、負けた妹紅に対して拗ねてしまったのも否定はしないが、何よりあの不安感が大部分を占めていたのが事実だ。
「なんだ、そういう事だったんだ。思ってたより慧音から信頼されてないのかなぁって本気で落ち込むとこだったわよ」
「お前の事は信頼してるさ。ただ言った通り、お前の負担は出来るだけ減らしたいし、今回は事情が事情だったからな。また何かあれば、今度はお前に頼むよ」
そうして微笑みかけてやる。
思った通り、妹紅は頬を赤くして照れた。
尚もにこにことして顔を見ていると、妹紅は「お茶淹れてくるっ」と慌てた様子で立ち上がった。
だが、そうはいかない。昨日まではずーっとお前のおもちゃみたいだったんだ。今ぐらいは主導権を握らせてもらうよ。
「まぁまぁ。お茶なら私が淹れてくるよ。折角この格好してるんだからな」
スカートの裾を握ってくるんっと回り、妹紅にメイド服を誇示してやる。
すると妹紅はくるりと反転して私に背を向け、そのまま座布団に腰を下ろした。
ふむ……ちょっと様子が妙だが、まぁ気にするような事でも無いだろう。
私はそのまま居間から廊下へと出る障子を引き、出掛けに
「少々お待ち下さいませ、ご主人様」
と言ってやった。
障子を閉じた後、何か水の噴出す音が聴こえたが……大方妹紅が鼻血でも噴いたのだろう。
その様子が手に取るように解ってしまった事に少し悲しさを感じたが、取り敢えず気にしない事にした。
お茶と茶菓子を準備して居間に戻ると、いつ帰ってきたのやら十六夜殿が腰を下ろしていた。
「おや、もう戻ってきたのか」
「移動時間は時間止めて短縮したんだってさ」
「行動は迅速且つ確実に。紅魔館メイドの鉄則ですわ」
まぁ一息つく、という意味では目的を達したのだから、これ以上何か言う事もあるまい。
それよりも、今はもう一人分お茶を追加する方が先だ。
「なら待っててくれ。もう一人分用意してくるよ」
そうして再度台所へと戻り、もう一人分の湯呑みと茶菓子を追加してもう一度居間へと向かうと、途中、向かっている居間の方で何やら賑やかな声が聴こえてきた。
声は二人分。妹紅と十六夜殿だ。
はて? この短時間の間に何が……?
疑問に思いつつ、入れば解るだろうと思って障子を引き、卓袱台を挟んで談笑する二人の間に腰を下ろす。
「やけに楽しそうだな、二人とも」
湯呑みを配って茶菓子を置きながら、そう問いかける。
「小さくなってからの慧音の事を聞きたいって言うから話してたのよ」
「とても有意義なお話ですわ」
この姿をネタにしているのは釈然としないものがあるが、まぁ二人が楽しそうだから不問にしておこう。
私だって流石に水を差す程に野暮ではないのだから。
でもまぁ、それはそれで置いておくとして。
「で、どんな事を話してたんだ? 妹紅」
「んー……初日の朝の事とか、昨日の事とか」
そう言っている妹紅はにこにこと上機嫌。
ふむ……これは、やっぱり……?
でもま、先日私自身が言った通り、言わぬが吉だ。
成り行きに任せてみるのも良いだろう。
「それで、先日の妖夢が来た辺りからの続き、聞かせて貰えるかしら?」
「あ、そうだったわね」
ちらりと、妹紅は私に視線を向けてきた。
”話してもいい?”とその眸は言っている。
あの”お姉ちゃん”と呼ばせられたのは、今日このメイド服を着せられてる事と大差ないから、構わないだろう。
頷く事で意思を伝え、受け取った妹紅は嬉しそうに笑って十六夜殿へと視線を戻した。
それからは二人の会話に偶に相槌を打ったりしながら時を過ごし、お昼少し前に十六夜殿はそろそろ仕事に戻らないとまずい、との事で紅魔館へと帰って行った。
見送る際、妹紅は少し寂しげな眸で「また今度ー」と声を掛けていた。
それを見て、私は確信した。
妹紅は少しずつ外に向けて――人と関わりを持とうと歩き出しているのだと。
本人は私の事情の所為か、この事を意識していない。
だが、それはこの際言わずにおくべきだ。
そんな感想を抱きながら、この日はそのまま終わりを迎えた。
ちなみにメイド服は十六夜殿が返さなくてもいい、との事なので貰っておいた。着るのは気が進まないし、誰かに強要されない限り着る事はないが、好意を無碍にするわけにもいかない。
元に戻りさえすれば、どうあっても着れないのだし。
……そういえば、私はいつ戻れるんだ?
翌日の昼。
慧音と食後のお茶を楽しんでいると、玄関の戸を叩く音が耳に届いた。
誰か来たらしい。
私が白玉楼を訪れて以来、連日で誰かが訪ねて来てるなぁ……。今日は一体誰だろうか?
玄関の戸をからりと開けると
「どうも、お久しぶりですわ」
輝夜のところの薬師が立っていた。
なんか妙にやつれている。目の下には隈が出来ていて、どうにも徹夜明けのように見える。
「……大丈夫?」
つい、不老不死の身にはまったく意味の無い心配をしてしまった。
ま、大方実験か何かしていたのだろう。もしくはこの間輝夜が言ってた「小さくなる薬」とやらを作らされているか。
「えぇ、大丈夫です。それより、上白沢さんはいるかしら?」
慧音に用事という事は、何か解決策を持ってきたのだろう。
「立ち話もなんだし、入って。腰を落ち着けてから話しましょう。慧音も居間にいるし、どうせ玄関で話せる程の短い話でもないだろうし」
「ご理解が早くて助かります」
そうして薬師を居間へと通し、恒例の慧音のお茶を交えて本題。
「で、八意殿。私に用事とは?」
「慧音を元に戻す方法か、或るいは薬か……どっちか用意してるんでしょう?」
「確実でもあり不確かでもある方法です」
……?
妙な言い回しだなぁ。
「どっちよ?」
「言った通り、両方ですわ。率直に言うと、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるって事ね。次の満月の晩――およそ一月後。あの時は上白沢さんそのものを”複製”する事でしたが、今回は上白沢さん自身の歴史を手繰ってその歴史を”複製”してもらいます。当然失敗するでしょうけど、幾度か繰り返せばもっとも”近い結果”を生み出す事は十分可能な筈です。何が起きるか解らない以上、当然ある程度の危険は伴いますが……どうします?」
確かに、ある意味では確実かもしれない。その”近い結果”というのがどういうものかさえ判らないし、慧音に危険が伴う事には正直躊躇う。でも、私は――
「慧音がいいんなら私は何も言わないし、出来るだけの協力はするわ」
やっぱりこのままでいい筈はないし、やれる事はやるべきだと思う。
どうする? と視線で慧音に問いかける。
問いに対し、慧音は小さく頷いた。
「妹紅は知っているだろうけど、長く里を留守にするわけにはいかない。最良でなかろうとも、最速であるのなら、やるさ」
薬師は私達を交互に見て、訂正は無い事を感じ取ったのか、はぁ、と深く息を吐いてから口を開いた。
「分かりました。では、次の満月の晩にもう一度来ますので。では、私はこれで失礼致します」
そう言って薬師は立ち上がり、庵を後にした。
しかし、何と言うか……
「始まりはあっさりとしてた割には、終わりは何とも面倒なものねぇ」
「仕方ないさ。そういう事は往々にしてあるのだから」
「ふと思ったんだけどさ。人の方の能力であの晩の能力行使の歴史を”食べる”事は出来ないの?」
「それだって結局は私自身に対する事柄だからな。失敗すれば、私そのものの歴史が消える事も考えられる。それだって大なり小なりあるだろうが……」
「予定外の過去を失うって事か……」
「ああ」
ほんと、元に戻るのかなぁ……。
そうして一月後。
やって来た薬師とともに、私達は満月の竹林の奥――妖怪さえも殆ど訪れないようなところで地面に降りた。
私と薬師が並んで立ち、その前方に慧音が立つ。
「じゃあ、始めるぞ」
開始の合図は、何とも簡素なものだった。
慧音は自分の髪を一本抜くと、それを口へと放り込んだ。
これは自身の歴史を取り込む行為。
もむもむと咀嚼する動きが止まると、慧音の身体が突然の白光に包まれた。
あまりの眩しさに、私は顔を両腕で覆い隠す。
それでも光は感じられ、まるで、唐突に世界に夜明けが訪れたような――
そんな錯覚を覚えた。
けど、それもやがて収束し、世界はまた元の夜闇に包まれた。
光を遮っていた両腕を下げ、ゆっくりと目を開く。
そして目の前には――
「慧音っ! 元に戻……?」
元の背格好の慧音が佇んでいた……んだけど……いやぁ、まぁ。
「……こういう失敗もまぁ、あるみたいねぇ」
なんて、薬師はしみじみと呟いていた。
気持ちは良く分かるなぁ。
なんてったって――
角、一本になってる上に額から生えてて、しかもなんか赤い。
なんか無機質的だし。
あれかな? 指揮官用。何のかは取り敢えず置いておこう。
吹き込んでくれた輝夜は今度3倍の力で殺すから。
「失敗、ね」
「……もう一回やるよ」
溜め息を吐きながら、慧音はもう一本髪の毛を抜いて口へと放り込んだ。
また発光するのかなって思ってたら、ぼわんっなんて音とともに慧音が煙に包まれた。
そして煙が晴れると、そこには――
二本の角が鼻の下に髭みたいにしてくっついてた。
今度は逆アルファベットらしい。
輝夜は背中にでっかい蝶の羽つけてお蝶婦人って馬鹿にしながら殺してやる。
ていうか、ごめん慧音。
「ぷ、くく、くくくくく……」
「だ、だめよ笑っちゃ……ぷっ」
「あ、あんただって……あーもうだめっ、あは、あははははははははははっ!!」
いやもうマジ勘弁してってばっ。
見れない。慧音をまともに見れない。見たら笑ってしまう。悪いと思っても笑ってしまう。
それから小一時間、私と薬師は腹抱えながら地面を転げまわった。
「……もう一回だ」
こめかみに青筋浮かべていて、声が憮然としている。
笑っちゃ悪いのは解ってたけど、さすがに我慢出来なかった。
慧音は少々乱暴な手つきで髪の毛を引き抜き、三度口へと放り込んだ。
今度は再度の発光。但し、光というよりはまるで雷光のようで、周囲の竹がばきばきと音を立てて数本が地面に倒れ込んだ。
やがてそれも収まり、私と薬師は慧音に注目。
さて、今度はどう――?
かくして、そこには――
えらく短い角が二本、定位置に生えているものの、何故か慧音は黄と黒の縞模様の、まるで水着のような布を身に纏っていた。
ああ、だから雷だったのか。
とりあえず輝夜は雷で殺そう。
「……どういう事だっちゃー!」
口調まで歴史に刻まれてますか。
慧音は三度の失敗と笑われた事でご立腹だったらしく、周囲の竹に当り散らしている。
当然雷で。
それが数十分続き、慧音は肩で息をしながら髪の毛を引き抜いて恒例のように口へと放り込んだ。
そうして幾度の失敗が続き、現在私と薬師は竹に背中を預けて座り込んでいる。
正直、致命的な失敗は一度も起こらなくて私も薬師もすっかり飽きてしまっていた。
慧音は相変わらず光とか煙とかなんか色々なものに包まれながら頑張っている。
「ねぇ。なんか話違わなくない?」
「そうねぇ……。もしかしたら、潜在的な自己防衛機能のようなものかもしれないわねぇ」
「どういう事よ?」
「つまり、自身に対して能力を使用して失敗しても、無意識に力の強さをセーブしてしまうのよ。だから失敗したところで、妙な事が起きるだけで済むって訳ね。それでもいずれは『上白沢 慧音』にもっとも近い歴史を得るっていう推論は揺るがないわ」
つまり、気長に待てって事か。
慧音を失う危険性が無いと分かると、不意に眠気を感じてきた。
「ふあぁ~……ぁ……」
「少し仮眠取る?」
「んー、そうねぇ……悪いけど、寝てる間、頼まれてくれる? 万が一の事態が起きたら叩き起こしてくれていいから」
「ええ、いいわよ」
「そう。じゃ、よろしく」
そうして私は目を閉じ、少しの間だけ睡魔に身を任せる事にした。
あれから幾度失敗しただろうか?
途中から馬鹿らしくなって数えるのはやめたが、軽く30回は超えているだろう。
とは言え、未だ満足な結果は出ていない。
故に、続ける他はない。
私はまた髪の毛を一本引き抜き、口へと運ぶ。
うぅ、10円禿げでも出来てしまうぞ、この調子じゃ……。
心で泣きつつ、私は髪の毛を飲み込む。
自身の歴史を辿り、ぴったり2ヶ月前の自分まで遡って紐解き、同時にその歴史を現在の自分にそのまま上書きする。
慣れた工程を済ませると、私の身体を幾度めかの”異変”が覆い尽くす。
”異変”というのは自分ではよく分からないが、まぁ光とかそういうようなものだろう。
やがてそれが収まると、私は自身の身体を見下ろす。
背丈――うん、正常だ。
続いて手鏡を取り出し、顔を映す。
妙なものはついていないようだ。
続いて手鏡の角度を変え、頭を映す。
角の形状・位置は問題なし。
大きさは……若干小さくなったような気がするが……まぁ、問題はないだろう。
――あ、リボンがないな。
少々残念だが、この際諦めるとしよう。
念の為出来るだけ手鏡を使って背中やお尻を見てみる。
何度か翼やら妙な尻尾やらが生えたからな。
それも確認出来る限りでは何もなかった。
うん、取り敢えずは成功のようだ。
「や、やっと終わった……」
私はへなへなとその場に座り込む。
正直、相当に疲れた。過剰な能力行使で妖力の大部分を消費してしまっている。体力も同様。
っと、そうだ。妹紅と八意殿はっ?
私は反応の鈍い身体に鞭打って立ち上がり、二人の方へと顔を向ける。
そして私の視界に飛び込んできたのは、支え合うようにして眠る二人の姿だった。
「あいつら、いつから……」
私を放っておいて眠る二人に怒りが込み上げてきたが、空が青みがかっている事に気づくと、それもすぐに収まった。私のハクタク化が収まった事が、朝である事を雄弁に物語っている。
「まぁ、寝てしまうのも無理はないか。一度も危険な事は起きなかったからな」
取り敢えず、起こすとしよう。このままでは風邪を引いてしまうだろうから。
私はゆっくりとした足取りで二人の元へと向かった。
そして顔を覗き込むと不意に、起こそう、という意思が揺らいだ。
それも仕方ないと思う。
「幸せそうな顔して寝ているな、二人とも。まったく、普段はお互い見て見ぬ振りをしているというのに。素直ではないな」
私は口元に小さく笑みを浮かべる。
もう少しだけ、眺めていよう――
それから一週間後。
私はすっかりいつもの調子で里を周っている。
「さて、私が留守中に何か異変は起きなかっただろうか?」
「いえいえ。慧音様の張る結界のお陰で里は安泰ですじゃ。それより、ご病気は本当に宜しいのですか?」
「ああ、もう大丈夫さ。もういつも通りだから、安心してくれ」
「そうでございますか。里の者も安心して仕事に精を出せますわ。ほっほっほ」
そういったやり取りをいくつかの里で済ませ、私は一度妹紅の庵へと足を運ぶ事にした。
ちなみに病気というのは方便で、あの時十六夜殿に渡した書に書いておいたのだ。
「妹紅ー」
扉を二度叩き、中にそう声を掛ける。
やがてとたとたと玄関へと向かってくる足跡が聴こえ、からりと玄関が開いた。
「どうも、上白沢さん。お邪魔させてもらってます」
「おや、魂魄殿。来ていたのか。わざわざ断らなくてもいいよ。ここは妹紅の庵だからな」
「はぁ。どうにもこの間の事件から、お二人が一緒にいるイメージが強いものでして」
魂魄殿はそう言って照れくさそうに笑う。
「それより、上がらせてもらうぞ」
「えぇ。咲夜さんも来ていますので」
十六夜殿もか。
仕事は大丈夫なんだろうか、と思うが、まぁあの人の事だ。上手くやっているのだろう。
「賑やかなようだな」
「多分、もう少ししたらもっと賑やかになりますよ」
もう一度、魂魄殿は笑う。今度は柔らかく、楽しそうに。
さて、誰が来るやら。楽しみにしていよう。
これから先はもっと賑やかになる事だろう。
交流の始まりは小さなもの。けれど、それも拡がれば大きくなる。大きくなれば賑やかに、楽しくなるのは必然。困った時には誰かが力になってくれて、誰かが困れば力になって。
そうやって人は友達になったり、恋人になったり、家族になったりしていくのだ。
妹紅は永い間、そうした事を私一人で済ませていた。輝夜は……まぁ、あの調子で仲良く喧嘩する仲だし、な。
今は妹紅の事情を知っている”強い力”を持つ者だけでしか繋がりはないが、いずれは普通の人間と交流を持って欲しいと思う。
そして、それは私の役目。
妹紅がいつか言った”やらなければいけない事”だと思う。
-FIN-
とりあえず色々と鼻血噴きすぎだとかありますが
誰か阿部咲夜さんを絵板で書かないかというのが一番の心配です。
読んだ直後にこんな感想というのもどうかと思いますが…。
うーん、うろ覚えはいかんなぁ……。
この様子ですよ、描かれるような事はないでしょう。きっと。
……ちょっと見たいですが( ´∀`)