倒れる男がいた。
男の前には一匹の妖怪。その名は多々良小傘。
そう、この瞬間、多々良小傘は里人を驚かせることに成功した。
それもたっぷりと。
具体的には気絶させるくらいに。
「わちきは驚かせるプロ故に!」
小傘にもプライドはある。妖怪として、ひいては人を驚かせるプロとして。
プロのくせに成功率が半々どころか一割切っているのはどういうことだとか、大人相手だと一割どころか五厘切ってないかとか、その辺りは色々と脇に置いて。
それでも小傘は喜んだ。
倒れている中年男の回りできゃっきゃっと歓びの舞を龍宮の使いさながらに踊る小傘。ここまで驚かれたのは本当に久しぶりなのだ。プロだけど。
いつものようにオーソドックスに、夜道を一人で歩いている男に向かってベロをフリフリしながら「驚けーっ!」と突貫したのだ。そう、いつものように。代わりばえもなく、何の変哲もなく、工夫もなく変化もなくルーティンワークで。
なんで驚かれたのか。
小傘は疑わない、自分を信じているから。自分が自分を信じずして誰が自分を信じるのか。小傘は間違っていない。多分。
ひとしきり踊っていた小傘はぴたりと止まる。
おかしい。何かがおかしい。
人間が驚いたのは良い、おかしくない(おかしい)
驚いて気絶したのも良い、おかしくない(おかしい)
なんで気絶からすぐに目覚めないのか、おかしい(おかしくない)
「あの、もしもし?」
小傘が呼びかけても人間は動かない。
それどころか、息もしていないような気がする。
「おどろけー!」
心臓に向かって驚かせてみる。
守矢の風祝に教えてもらった「えーいーでぃー」、心臓ショックというものである。人間ならばこれで息を吹き返すはず。
吹き返さない。
「あれ?」
もしかして、死んでる?
もしかして、殺した?
え、わちきが?
人間を?
殺した?
……………………やべぇ
里の外ならまだしも、ここは思いっきり里の中。アウトかセーフかと聞かれればアウト中のアウト。
多々良小傘は見事に、里の中で里の人間を殺してしまったことになる。これはあのレミリア・スカーレットですらなしえなかった快挙である。やったぜ。
つまり博麗事案である。
上白沢事案でもある。霧雨事案かも知れない。東風谷事案もある。
もっと言えば八雲事案の可能性も。
要は大ピンチ。
「待って、これは不幸な事故」
小傘は少し賢かった。
不幸な事故であると、その賢さから導き出された理屈が告げる。
しかしその理屈は博麗には多分通じない。東風谷にも上白沢にも。
八雲と霧雨が恐らくぎりぎり。
……………………やべぇ
「おにいさん、起きて」
「おにいさま、起きて」
「起きろや」
人間は目覚めない。
言葉は無力だった。
小傘は膝をついてしまう。
どうしよう。
驚かせのプロとしての力がこんな風に作用するなんて。
ああ、なんて罪作りなのだろう、驚かせのプロとは。
小傘はプロとしての矜恃に悶えていた。
しかしここに異を唱えるモノがいた。
何故、小傘の使い古された手段で大の男がここまで驚いて倒れ、さらには気絶、ショック死までしているのか。
おかしい、と考えるモノがいた。
その名は射命丸文。鴉天狗にして幻想郷のブン屋である。ただし、今は酔っている。
「あやややや、これはちょっとおかしいですね」
射命丸文はブン屋、鴉天狗かつ新聞記者としてのプロである。
プロ、すなわち玄人(くろうと)。Crow(カラス)だけに。やかましわ。
今日は特にめぼしい事件もないので稗田阿求を訪ねたところ、たまたま有力者の寄り合いが行われていた。文は喜び勇んでアポ無し突撃取材を敢行したのだ。
有力者達はたっぷりと話ができ、文はたっぷりと話を聞き、まさに双方お得の有意義な取材だったと自賛しているが、阿求を始めとする有力者達はゲッソリとした表情を隠せなかったという。
首尾良く取材を終え、鯢呑亭で軽く一杯やって山へ帰ろうとした文は、店の入り口を開けた瞬間回れ右した。
「おう、ブン屋」
運が良ければ気付かれずに退散できるかと思ったが、相手はやはり鬼だった。
「まあ、座れよ。お? まさか、私に姿を見せておいて一杯も飲まずに帰るってか?」
伊吹萃香の声に文は愛想笑いで答える。
「め、滅相もない、ちょっと忘れ物を思い出して」
「鬼は嘘が嫌いだよ」
「よく考えたら忘れ物なんてなかったなぁ、お酒飲みたいなぁ」
アルハラ全開、鬼さんこちら。の世界だった。
天狗は鬼に逆らえない。飲むしかない。文も酒は好きだが、鬼とはレベルが違う。朝までコースで数日寝込むことすら覚悟した文だが……
「駄目ですよ、無理強いは」
美宵の取りなしで無事泥酔に済ますことができた。無事じゃない。
そして何とか逃がしてもらえた泥酔状態でふらふらの文は、小傘とその犠牲者を目撃したのだ。
小傘はどうでもいい。問題は犠牲者だった。文は犠牲者に見覚えがあった。泥酔中とは言えそこは有能な射命丸文。記憶ははっきりとしている。
かつて取材したことのある里人である。
外来人として幻想郷にやって来てそのまま居着いた大道芸人。外の世界ではパフォーマーだったという青年。
姓は「須田」、名は「忠」
取材の題目は「外の世界の奇怪な芸」
そして須田に見せられた芸は「リビングスタチュー」と呼ばれるもの。要は「ぴくりとも動かずに彫像の真似をする芸」である。言い換えると、死体の真似とも言える。
つまり、そういうことだ。
小傘は、からかわれてるのだ。人間に。
「えーと、小傘さん」
「わちき知らない」
「え?」
「わちきはこの倒れている人間とは関係ない。全くの無関係。タダの通りすがり。だから巫女に連絡してもわちきは無罪。オッケー?」
「ノー」
「なぜぇっ!」
「いや、どう見ても関係者ですよね。なんなら加害者」
「Nooooooo!」
「発音いいですね」
「ありがとう。……そうじゃなくて、わちきはこの人間とは無関係だよ」
「最初から見てましたし」
「最初って」
「この人間が歩いているところからですね」
詰んだ。と小傘は思った。
「で、ものは相談なんですが」
小傘に希望の光。何を要求されるのかはわからないが文との交渉次第では……
「守矢と博麗、どっち呼びます?」
希望はなかった。
頭を抱えながら振る小傘。
その姿を冷静に眺めていた文は気付く。
須田が動いている。正確には震えている。さらに言うと、笑いを我慢している。
駄目だ、と文は判断した。ここで終わらせてはならない。ここからが面白いのだ。
一応、本気で霊夢や早苗を呼ぶつもりはない。その辺りは泥酔していても間違えない。 呼んだら自分も怒られる。というか、「面倒くさいことしてんじゃねえ」としばかれる。最近は早苗もそんな感じになっていて、妖怪の山は戦々恐々としている。
さらに、ここからの小傘による七転八倒七難八苦を文は熱望している。
明日の一面は決まりだ。《お化け唐傘が里内で殺人!?》 続けて小さな字で《と、誤解した》
嘘ではない。ちゃんと誤解と書くのでセーフ。
だからこそ、ここで終わっては面白くない。もっともっと小傘には粘ってほしいのだ。必死で隠匿しようと足掻いてほしいのだ。
須田には芸を続けてもらわなければならない。
(もうちょっと頑張りなさい。私の新聞のために!)
小傘が見ていない隙に素早く背中を叩く。
ぽんっと、「頑張りなさい」との意志を伝えるつもりで。
ごすっ
おかしな音がした。
まるで、力加減を間違えたような音。
軽く手を置いたつもりが、泥酔していて力加減が効かずにうっかり致死の力で殴りつけてしまったような音。
……………………やべぇ
じわり、と赤いもの。赤い液体がじわじわと倒れたままの須田の胸元から地面に吸い込まれつつ拡がっていく。
「あ、血出てきた」
「なんで」
「今殴ったよね? 天狗パワーで。天狗パワー強いね」
「知らないですね」
「わちき、見たよ。よし、人間を殺したのは射命丸文に決定」
「待ちなさい。先にショック死させたのは多々良小傘で決定でしょう」
「ショック死で血は出ないよ」
「うぬぅ」
「霊夢と早苗、どっちに連絡する?」
ニヤリと笑う小傘に文は静かにハッキリと告げる。
「私じゃないですよ」
「わちきでもない」
「では、二人とも違うと言うことで」
「それだ」
馬鹿だなぁ。と、身を隠して眺めていた鈴仙・優曇華院・イナバは思った。
なんでうつ伏せに倒れた男を背中から叩いて、地面側の胸元から血が出るのだ。
冷静に判断すればわかることだろうに。これだから地上の妖怪どもは愚かだと言われるのだ。
いついかなる時も冷静沈着な判断、そう、兵士のプロたる自分のように。
プロは違うのだ、プロは。
いや、今夜は医療のプロとして里に来ている。
稗田家で定期的に行われる有力者の会合では、一つの重要な作業がある。それは献血であり、その目的は紅魔館との取引である。
かつての異変において幻想郷の一員となった紅魔館勢だが、管理人たる八雲紫との取り決めの中にこのようなものがある。
「里の人間を襲ってはならない。かわりに吸血鬼に必要な血液は八雲が提供する」
その血液は里の有志から提供されているのだ。提供者には八雲、スカーレットから何かしらの礼が渡されることになっている。
少し前まで採血は八雲藍の役目だったのだが、永遠亭勢の出現によって「医療行為はプロの方が良いのでは」との意見が出た。そのため、永琳と鈴仙が試験的に採血をしたことがある。
鈴仙のブレザーもとい玉兎制服を見た提供者一堂はこう言った。
「どうせならそっちがいい」
モフモフ尻尾付道士服はウサ耳ブレザー服に負けたのだ。
なお、永琳の恰好には全く言及されなかったことを付け加えておく。
それから、定期的に鈴仙が採血にやってくるようになったのだ。
正確には鈴仙は医者ではなく元兵士なので採血のプロではないのだが、提供者達にとってそんなことはどうでもよかった。
ウサ耳ブレザーが優しくちくりと針を刺す。なんなら終わったあと優しく擦ってくれる。それが全てだった。よくわかる。
阿求は大いに呆れていたという。
さて、今夜も鈴仙は採血のため稗田邸を訪れていた。
寄り合いに射命丸文が乱入するなどという珍事もあったが、その後の採血に支障は無かった。皆、憔悴しきった顔をしていたが、あのブン屋の徹底取材を受けた人間は大体そうなると鈴仙は知っていたので特に気にしなかった。新鮮な血さえ採れればいいのだ。プロは余計なことに目を向けないのだ。
ちなみに、採血した血液は鈴仙が紅魔館へ運ぶわけではない。
人間からの提供である、と言う意志表示のために人間が運ぶのだ。無論、直接運ぶのは道中の危険が大きいが、里の外れまでは紅魔館から誰かが引き取りに来ることになっている。
鈴仙はその運び役をいつも通り、須田忠に依頼した。寄り合いの余興に呼ばれることの多い須田だが、余興の後の一仕事をいつも機嫌良く引き受けてくれる。
「鈴仙の頼みだからじゃないの? 隅に置けないわね」
などと姫は笑っていたが、今夜顔を合わせたときに
「あの、鈴仙さんって、あの、団子屋の垂れたウサ耳さんとお知り合いなんですよね」
とテンパった目で聞かれたので、鈴瑚に隠して清蘭に紹介しようと企んでいることは黙っていようと鈴仙は考えている。
そんなアクシデントのためか、鈴仙は一つのミスを犯してしまった。
採血した血液を入れるパックを間違えてしまった。
てゐが悪戯目的で盗んでいた不良品パックをとりあげたはいいものの、そのまま持ってきてしまい、あまつさえ純正パックと間違えて血液を保存してしまったのだ。
純正と違って不良品はすぐ破れてしまう。懐に入れてちょっと転んだくらいで破れてしまうのだ。
ちょうど今、うつ伏せに倒れている須田の胸元から溢れている血がそれだ。
「馬鹿はそこまで。須田さんも早く起きなさい」
倒れているのは須田忠だと確認して、鈴仙はゆっくりと二人の前に姿を見せた。
須田は起きない。この男もプロである。小傘に対して死んだふりをしているのだから、起きる道理はないのだ。プロの意地というものである。
鴉天狗に背中を叩かれて中途半端な芸を注意されたのは屈辱だった。ならば、今度こそ芸を完遂させてみせる。
それが自分の、須田忠の、パフォーマーとしての誇りでありプロの意地。
かけられた言葉が、一目惚れした可愛い愛しの団子売りウサギ娘の多分恐らくきっと関係者であり、上手く行けば紹介してもらえるかもしれない怪奇妖怪採血ウサギ女のものだといえども。それでも自分にはプロとしての意地があるのだ。
「ところであの子、清蘭って名前なんだけど、いつ会いたい?」
須田は起きあがった。
ぎゃあ、と小傘が叫んでひっくり返った。
文がゲラゲラと笑ってカメラのフラッシュを焚いた。
十六夜咲夜は怒っていた。
里外れの定位置で待っているのに、血液パックがまだ届かないのだ。
お嬢様と妹様のための血液パックである。万事に優先されるべきものである。
紅魔館メイドのプロとして、咲夜はこの使命を重く認識していた。
多少の遅れは人間相手ならば仕方が無いとは思う。だが、これだけ遅れるのは論外だ。
咲夜は里の中心へと急ぐ。
と、足を止めた。
血の匂い。
匂う方向へと足を速めた咲夜はそこにおかしな集団を発見する。
倒れている唐傘お化け。
ゲラゲラ笑いながらカメラのフラッシュを焚いている酔っぱらい天狗。
呆れたように頭を抱えている玉兎。
そして、何故か胸元を血に染めた彫像。
なるほど。
咲夜は瞬時にして理解した。
この天狗が、お嬢様と妹様の血液パックを駄目にしたのだと。
酔っ払った挙げ句、彫像に叩きつけて駄目にしたのだろうと。
それは咲夜にとって、許してはならない無礼である。
勿論、それを防げなかった玉兎も同罪である。
何故いるかわからないが、唐傘お化けも同罪だろう。
「貴女たち、覚悟はいいわね」
「え?」
「はい?」
「なんでぇ!」
(俺は彫像)
その翌日。
レミリアはいつものように目覚めると咲夜の用意した朝食の席に着く。
今日は新鮮な血液が飲める日だ。贅沢を言えば若い娘の血液が一番なのだが、里の有力者達の血液も素朴な味わいがして悪くない。
「お嬢様、本日は趣向を凝らして変わった血液を用意してみました」
「あら、何かしら」
「はい。唐傘お化けと鴉天狗と玉兎ですわ」
「なんで?」
男の前には一匹の妖怪。その名は多々良小傘。
そう、この瞬間、多々良小傘は里人を驚かせることに成功した。
それもたっぷりと。
具体的には気絶させるくらいに。
「わちきは驚かせるプロ故に!」
小傘にもプライドはある。妖怪として、ひいては人を驚かせるプロとして。
プロのくせに成功率が半々どころか一割切っているのはどういうことだとか、大人相手だと一割どころか五厘切ってないかとか、その辺りは色々と脇に置いて。
それでも小傘は喜んだ。
倒れている中年男の回りできゃっきゃっと歓びの舞を龍宮の使いさながらに踊る小傘。ここまで驚かれたのは本当に久しぶりなのだ。プロだけど。
いつものようにオーソドックスに、夜道を一人で歩いている男に向かってベロをフリフリしながら「驚けーっ!」と突貫したのだ。そう、いつものように。代わりばえもなく、何の変哲もなく、工夫もなく変化もなくルーティンワークで。
なんで驚かれたのか。
小傘は疑わない、自分を信じているから。自分が自分を信じずして誰が自分を信じるのか。小傘は間違っていない。多分。
ひとしきり踊っていた小傘はぴたりと止まる。
おかしい。何かがおかしい。
人間が驚いたのは良い、おかしくない(おかしい)
驚いて気絶したのも良い、おかしくない(おかしい)
なんで気絶からすぐに目覚めないのか、おかしい(おかしくない)
「あの、もしもし?」
小傘が呼びかけても人間は動かない。
それどころか、息もしていないような気がする。
「おどろけー!」
心臓に向かって驚かせてみる。
守矢の風祝に教えてもらった「えーいーでぃー」、心臓ショックというものである。人間ならばこれで息を吹き返すはず。
吹き返さない。
「あれ?」
もしかして、死んでる?
もしかして、殺した?
え、わちきが?
人間を?
殺した?
……………………やべぇ
里の外ならまだしも、ここは思いっきり里の中。アウトかセーフかと聞かれればアウト中のアウト。
多々良小傘は見事に、里の中で里の人間を殺してしまったことになる。これはあのレミリア・スカーレットですらなしえなかった快挙である。やったぜ。
つまり博麗事案である。
上白沢事案でもある。霧雨事案かも知れない。東風谷事案もある。
もっと言えば八雲事案の可能性も。
要は大ピンチ。
「待って、これは不幸な事故」
小傘は少し賢かった。
不幸な事故であると、その賢さから導き出された理屈が告げる。
しかしその理屈は博麗には多分通じない。東風谷にも上白沢にも。
八雲と霧雨が恐らくぎりぎり。
……………………やべぇ
「おにいさん、起きて」
「おにいさま、起きて」
「起きろや」
人間は目覚めない。
言葉は無力だった。
小傘は膝をついてしまう。
どうしよう。
驚かせのプロとしての力がこんな風に作用するなんて。
ああ、なんて罪作りなのだろう、驚かせのプロとは。
小傘はプロとしての矜恃に悶えていた。
しかしここに異を唱えるモノがいた。
何故、小傘の使い古された手段で大の男がここまで驚いて倒れ、さらには気絶、ショック死までしているのか。
おかしい、と考えるモノがいた。
その名は射命丸文。鴉天狗にして幻想郷のブン屋である。ただし、今は酔っている。
「あやややや、これはちょっとおかしいですね」
射命丸文はブン屋、鴉天狗かつ新聞記者としてのプロである。
プロ、すなわち玄人(くろうと)。Crow(カラス)だけに。やかましわ。
今日は特にめぼしい事件もないので稗田阿求を訪ねたところ、たまたま有力者の寄り合いが行われていた。文は喜び勇んでアポ無し突撃取材を敢行したのだ。
有力者達はたっぷりと話ができ、文はたっぷりと話を聞き、まさに双方お得の有意義な取材だったと自賛しているが、阿求を始めとする有力者達はゲッソリとした表情を隠せなかったという。
首尾良く取材を終え、鯢呑亭で軽く一杯やって山へ帰ろうとした文は、店の入り口を開けた瞬間回れ右した。
「おう、ブン屋」
運が良ければ気付かれずに退散できるかと思ったが、相手はやはり鬼だった。
「まあ、座れよ。お? まさか、私に姿を見せておいて一杯も飲まずに帰るってか?」
伊吹萃香の声に文は愛想笑いで答える。
「め、滅相もない、ちょっと忘れ物を思い出して」
「鬼は嘘が嫌いだよ」
「よく考えたら忘れ物なんてなかったなぁ、お酒飲みたいなぁ」
アルハラ全開、鬼さんこちら。の世界だった。
天狗は鬼に逆らえない。飲むしかない。文も酒は好きだが、鬼とはレベルが違う。朝までコースで数日寝込むことすら覚悟した文だが……
「駄目ですよ、無理強いは」
美宵の取りなしで無事泥酔に済ますことができた。無事じゃない。
そして何とか逃がしてもらえた泥酔状態でふらふらの文は、小傘とその犠牲者を目撃したのだ。
小傘はどうでもいい。問題は犠牲者だった。文は犠牲者に見覚えがあった。泥酔中とは言えそこは有能な射命丸文。記憶ははっきりとしている。
かつて取材したことのある里人である。
外来人として幻想郷にやって来てそのまま居着いた大道芸人。外の世界ではパフォーマーだったという青年。
姓は「須田」、名は「忠」
取材の題目は「外の世界の奇怪な芸」
そして須田に見せられた芸は「リビングスタチュー」と呼ばれるもの。要は「ぴくりとも動かずに彫像の真似をする芸」である。言い換えると、死体の真似とも言える。
つまり、そういうことだ。
小傘は、からかわれてるのだ。人間に。
「えーと、小傘さん」
「わちき知らない」
「え?」
「わちきはこの倒れている人間とは関係ない。全くの無関係。タダの通りすがり。だから巫女に連絡してもわちきは無罪。オッケー?」
「ノー」
「なぜぇっ!」
「いや、どう見ても関係者ですよね。なんなら加害者」
「Nooooooo!」
「発音いいですね」
「ありがとう。……そうじゃなくて、わちきはこの人間とは無関係だよ」
「最初から見てましたし」
「最初って」
「この人間が歩いているところからですね」
詰んだ。と小傘は思った。
「で、ものは相談なんですが」
小傘に希望の光。何を要求されるのかはわからないが文との交渉次第では……
「守矢と博麗、どっち呼びます?」
希望はなかった。
頭を抱えながら振る小傘。
その姿を冷静に眺めていた文は気付く。
須田が動いている。正確には震えている。さらに言うと、笑いを我慢している。
駄目だ、と文は判断した。ここで終わらせてはならない。ここからが面白いのだ。
一応、本気で霊夢や早苗を呼ぶつもりはない。その辺りは泥酔していても間違えない。 呼んだら自分も怒られる。というか、「面倒くさいことしてんじゃねえ」としばかれる。最近は早苗もそんな感じになっていて、妖怪の山は戦々恐々としている。
さらに、ここからの小傘による七転八倒七難八苦を文は熱望している。
明日の一面は決まりだ。《お化け唐傘が里内で殺人!?》 続けて小さな字で《と、誤解した》
嘘ではない。ちゃんと誤解と書くのでセーフ。
だからこそ、ここで終わっては面白くない。もっともっと小傘には粘ってほしいのだ。必死で隠匿しようと足掻いてほしいのだ。
須田には芸を続けてもらわなければならない。
(もうちょっと頑張りなさい。私の新聞のために!)
小傘が見ていない隙に素早く背中を叩く。
ぽんっと、「頑張りなさい」との意志を伝えるつもりで。
ごすっ
おかしな音がした。
まるで、力加減を間違えたような音。
軽く手を置いたつもりが、泥酔していて力加減が効かずにうっかり致死の力で殴りつけてしまったような音。
……………………やべぇ
じわり、と赤いもの。赤い液体がじわじわと倒れたままの須田の胸元から地面に吸い込まれつつ拡がっていく。
「あ、血出てきた」
「なんで」
「今殴ったよね? 天狗パワーで。天狗パワー強いね」
「知らないですね」
「わちき、見たよ。よし、人間を殺したのは射命丸文に決定」
「待ちなさい。先にショック死させたのは多々良小傘で決定でしょう」
「ショック死で血は出ないよ」
「うぬぅ」
「霊夢と早苗、どっちに連絡する?」
ニヤリと笑う小傘に文は静かにハッキリと告げる。
「私じゃないですよ」
「わちきでもない」
「では、二人とも違うと言うことで」
「それだ」
馬鹿だなぁ。と、身を隠して眺めていた鈴仙・優曇華院・イナバは思った。
なんでうつ伏せに倒れた男を背中から叩いて、地面側の胸元から血が出るのだ。
冷静に判断すればわかることだろうに。これだから地上の妖怪どもは愚かだと言われるのだ。
いついかなる時も冷静沈着な判断、そう、兵士のプロたる自分のように。
プロは違うのだ、プロは。
いや、今夜は医療のプロとして里に来ている。
稗田家で定期的に行われる有力者の会合では、一つの重要な作業がある。それは献血であり、その目的は紅魔館との取引である。
かつての異変において幻想郷の一員となった紅魔館勢だが、管理人たる八雲紫との取り決めの中にこのようなものがある。
「里の人間を襲ってはならない。かわりに吸血鬼に必要な血液は八雲が提供する」
その血液は里の有志から提供されているのだ。提供者には八雲、スカーレットから何かしらの礼が渡されることになっている。
少し前まで採血は八雲藍の役目だったのだが、永遠亭勢の出現によって「医療行為はプロの方が良いのでは」との意見が出た。そのため、永琳と鈴仙が試験的に採血をしたことがある。
鈴仙のブレザーもとい玉兎制服を見た提供者一堂はこう言った。
「どうせならそっちがいい」
モフモフ尻尾付道士服はウサ耳ブレザー服に負けたのだ。
なお、永琳の恰好には全く言及されなかったことを付け加えておく。
それから、定期的に鈴仙が採血にやってくるようになったのだ。
正確には鈴仙は医者ではなく元兵士なので採血のプロではないのだが、提供者達にとってそんなことはどうでもよかった。
ウサ耳ブレザーが優しくちくりと針を刺す。なんなら終わったあと優しく擦ってくれる。それが全てだった。よくわかる。
阿求は大いに呆れていたという。
さて、今夜も鈴仙は採血のため稗田邸を訪れていた。
寄り合いに射命丸文が乱入するなどという珍事もあったが、その後の採血に支障は無かった。皆、憔悴しきった顔をしていたが、あのブン屋の徹底取材を受けた人間は大体そうなると鈴仙は知っていたので特に気にしなかった。新鮮な血さえ採れればいいのだ。プロは余計なことに目を向けないのだ。
ちなみに、採血した血液は鈴仙が紅魔館へ運ぶわけではない。
人間からの提供である、と言う意志表示のために人間が運ぶのだ。無論、直接運ぶのは道中の危険が大きいが、里の外れまでは紅魔館から誰かが引き取りに来ることになっている。
鈴仙はその運び役をいつも通り、須田忠に依頼した。寄り合いの余興に呼ばれることの多い須田だが、余興の後の一仕事をいつも機嫌良く引き受けてくれる。
「鈴仙の頼みだからじゃないの? 隅に置けないわね」
などと姫は笑っていたが、今夜顔を合わせたときに
「あの、鈴仙さんって、あの、団子屋の垂れたウサ耳さんとお知り合いなんですよね」
とテンパった目で聞かれたので、鈴瑚に隠して清蘭に紹介しようと企んでいることは黙っていようと鈴仙は考えている。
そんなアクシデントのためか、鈴仙は一つのミスを犯してしまった。
採血した血液を入れるパックを間違えてしまった。
てゐが悪戯目的で盗んでいた不良品パックをとりあげたはいいものの、そのまま持ってきてしまい、あまつさえ純正パックと間違えて血液を保存してしまったのだ。
純正と違って不良品はすぐ破れてしまう。懐に入れてちょっと転んだくらいで破れてしまうのだ。
ちょうど今、うつ伏せに倒れている須田の胸元から溢れている血がそれだ。
「馬鹿はそこまで。須田さんも早く起きなさい」
倒れているのは須田忠だと確認して、鈴仙はゆっくりと二人の前に姿を見せた。
須田は起きない。この男もプロである。小傘に対して死んだふりをしているのだから、起きる道理はないのだ。プロの意地というものである。
鴉天狗に背中を叩かれて中途半端な芸を注意されたのは屈辱だった。ならば、今度こそ芸を完遂させてみせる。
それが自分の、須田忠の、パフォーマーとしての誇りでありプロの意地。
かけられた言葉が、一目惚れした可愛い愛しの団子売りウサギ娘の多分恐らくきっと関係者であり、上手く行けば紹介してもらえるかもしれない怪奇妖怪採血ウサギ女のものだといえども。それでも自分にはプロとしての意地があるのだ。
「ところであの子、清蘭って名前なんだけど、いつ会いたい?」
須田は起きあがった。
ぎゃあ、と小傘が叫んでひっくり返った。
文がゲラゲラと笑ってカメラのフラッシュを焚いた。
十六夜咲夜は怒っていた。
里外れの定位置で待っているのに、血液パックがまだ届かないのだ。
お嬢様と妹様のための血液パックである。万事に優先されるべきものである。
紅魔館メイドのプロとして、咲夜はこの使命を重く認識していた。
多少の遅れは人間相手ならば仕方が無いとは思う。だが、これだけ遅れるのは論外だ。
咲夜は里の中心へと急ぐ。
と、足を止めた。
血の匂い。
匂う方向へと足を速めた咲夜はそこにおかしな集団を発見する。
倒れている唐傘お化け。
ゲラゲラ笑いながらカメラのフラッシュを焚いている酔っぱらい天狗。
呆れたように頭を抱えている玉兎。
そして、何故か胸元を血に染めた彫像。
なるほど。
咲夜は瞬時にして理解した。
この天狗が、お嬢様と妹様の血液パックを駄目にしたのだと。
酔っ払った挙げ句、彫像に叩きつけて駄目にしたのだろうと。
それは咲夜にとって、許してはならない無礼である。
勿論、それを防げなかった玉兎も同罪である。
何故いるかわからないが、唐傘お化けも同罪だろう。
「貴女たち、覚悟はいいわね」
「え?」
「はい?」
「なんでぇ!」
(俺は彫像)
その翌日。
レミリアはいつものように目覚めると咲夜の用意した朝食の席に着く。
今日は新鮮な血液が飲める日だ。贅沢を言えば若い娘の血液が一番なのだが、里の有力者達の血液も素朴な味わいがして悪くない。
「お嬢様、本日は趣向を凝らして変わった血液を用意してみました」
「あら、何かしら」
「はい。唐傘お化けと鴉天狗と玉兎ですわ」
「なんで?」