Coolier - 新生・東方創想話

スパイシー

2026/09/23 14:02:26
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 それは、目覚めてから最初のまともな食事の席でのことだった。
 布都にとっては千数百年ぶりのちゃんとした食事だった。その前日にも一昨日にも食事は摂っていたが、「目覚めてからいきなり固形物を食べては体を壊します」という邪仙にしては真っ当な提言により、青娥が作った粥のみで空腹を満たしていたのだ。医学的に正しいとは分かりつつ、飢餓の感情に苛まれる身からすれば「青娥殿らしい人の心のなさだな」だったが。
 布都が目覚めてから始めてまともに饗されたのは、白米、煮浸し、目玉焼き、味噌汁という並びだった。現代におけるごく基本的な朝食である。布都にとっても、質の改良はともかく、意外と自分がかつて生きていた時代とは変わらないのだなという見た目だった。目玉焼きという調理はしなかったが、鶏卵を食したことはある。薬として。千年の眠りから覚めたところなのだからそういうものを処方されることもあるだろう。加熱してるのが解せないが、そうするのが現代医学ってやつと見える。なおこの時点での布都は味噌を知らなかったので、右下の椀についてはなんだこのけったいな色の汁はと思っていた。
 その上で、布都にはこの食卓には致命的に何かが欠けているように思えて仕方なかった。
「なあ青娥殿、味付けの皿がないではないか」
 布都が生きていた時代は、料理に味をつけることはなく各自小皿に盛られた数種類の調味料を組み合わせて味付けを行うという食文化だった。ちなみに付け加えるならば尸解前の布都は自由に調味料を使えた超上流階級の身分だった。
「ああ、当時はそうでしたわね。今の時代はこうなのです」
 青娥は卓上調味料として置かれた塩の小瓶を布都に渡した。布都はガラス瓶も知らないが、そういうのにまで一々驚いていたらキリがない。少なくともそういう容器というのは分かる。幸い中身の塩は布都が見ても塩だし漢字も読めるから、布都は慣れた手つきで食材に――既に味がついた煮浸しにも――塩をつけることで塩分過多の朝食を錬成した。
 それで塩を食卓中央に戻すときに、塩以外にもいくつかの調味料があると分かった。まずは液状の物が二本、限りなく透明に近い薄黄色が酢で、黒は醤(ひしお)
だろう。
 問題は塩のような固形物が入っているものがもう一本あることだった。それは灰色だった。布都の知識範囲にこのような調味料はない。「胡椒」と書いてるが読めない。一見山椒(これは布都の時代にもあった)から連想可能なようで、布都にとっての山椒とは「薑(ハジカミ)
」と呼ばれていた代物なのだ。その後の本草学に基づく命名の歴史とか大航海時代とかは知ったことではないこの場の布都にとってはなんの手掛かりもない謎の粉末である。
 滑稽なことには、その色合いから埃を集めてるのではないかとすら布都は一瞬疑った。現代の技術力は凄いっぽいので自動埃収集道具の一つや二つ発明されてたとしてもおかしくはない。
 とはいえ他の調味料と似た瓶で同じ場所に置いてあるのだから流石にこれも調味料ではあるのだろうとは思い直した。調味料なのだとしたら味を知っておかなければならない。現代初心者の布都は今の食生活の豊かさを知らないので、調味料は知り尽くしておかないと味のレパートリーがすぐになくなるものと危惧していた。
 そこで小皿を用意して中身をあけ(瓶の穴が小さく少しずつしか出てこない。よほどの高級品と見えるが、味を知るための探求なのだからたくさん使うのも許されるだろう。なんか青娥殿も屠自古の奴も特に止めないし)、指でとって一思いに舐めた。
「むほぉ!!」
 布都は卒倒した。


***


 策謀家として第一に考えるべきことは足元を掬われぬこと、というのが布都の信条であった。なのでこの観点に立つならば、何たる不覚という恥辱と後悔があった。食卓など、一番毒を盛りやすい場所ではないか!!
 だが起こってしまったものは仕方ない。こういう場で次に考えるべきはこれ以上の失血の芽を摘むことだ。
 一旦、自分の安全は確保されている。催涙性とか喉への害とかはあるにしても、幸い致死性はなさそうだった。
 ならば周りを見る余裕はある。尸解前と違い、疑惑を向ける相手は多くない。布都と相互干渉がある「社会」は今のところまだ極めて狭いからだ。しかもうち一人、芳香に関してはあまりにも馬鹿という理由で容疑から外していいときている。残り二人だ。
 第一容疑者、青娥殿。ああもう駄目だ。明らかに毒薬を与えた実験用の鼠を観察しているときの表情をしている。数時間後には解剖されるんだろうな、我。死にそうにはないけど。
 まあ数秒で犯人は見つかった。これが名探偵よ。一応屠自古も見ておくか。
 ……笑いをこらえてないか? その上で、明らかにこらえきれてないぞ。謀があまりにも上手くいったときの童の顔ではないか。
 つまり屠自古の奴も犯人で、共犯? 青娥殿は青娥殿だし、屠自古は当然我に恨みはあるので、二人とも動機もある。
 あれ、尸解を経ても我の周囲、敵多くね?
「謀りおったなあ!!!!」


***


 その後の顛末について、わざわざ描写する必要もあるのかというのも疑問だが、一応書こう。
 布都の卒倒を見届けた青娥と屠自古両名は、普通に胡椒を目玉焼きに「適量」使って見せることで身の潔白を証明した。これまたわざわざ言う必要があるのか疑問だが、十割布都の無知が悪いという事件だったのである。
 強いて挙げるならば、なぜ布都の奇行を止めなかったのかについては二人に非があると言えないこともないが……。この理由は概ね布都が推理した通り。
 もっとも故意にしたことではなかったにしても、「もし食卓の場で無知から布都自身に害のある行為をしたとしても二人は止めてくれない」という前例が生まれたことは布都にとっては由々しき問題で、しばらく布都は怯えながら食事をせねばならなかった。
 布都の心配が杞憂ではなかったことには、顛末を見た青娥と屠自古にはそれぞれ知的好奇心と復讐心とは別の「そもそも娯楽として布都の失態を見るのが面白い」という感情が湧き上がっており、隙あらば第二弾を、とは確かに狙い続けていたのである。布都の警戒心の高さにより中々機会は訪れなかったが(警戒のあまり現代社会への適応を放棄されても困るという事情がブレーキになっていたというのもある)、「生前の食生活を鑑みるにそもそもあいつの辛さへの耐性は低いだろうから奇をてらう必要もないんじゃないか」という屠自古の閃きにより辛口のカレーを用意することとなった。首謀者二人に芳香含めた三人が何食わぬ顔で食べているのを見て安心しきった布都はこの茶色い半液状の謎の食べ物を大匙で掬って口に入れ……。
 と一度のみならず二度までも香辛料の洗礼を受けた布都だったが、繰り返しの摂取によりこちらにも当初とは別の感情が湧き上がっていた。「美味くね?」という感情。
 昔の人間が現代の食文化に触れたとき、ギャップを感じ場合によってはのめり込む、そういうポイントはいくつもある。ある場合には脂っこさであり、ある場合には甘味であり、この布都の場合には"Spicy"であった。
 数日前には胡椒を食べ物と認識せず武器転用の可能性について脳内理論をこねくりまわしていた布都だったが、今度は真っ当に食べ物として香辛料を欲した。
「なんと、万物がありそうなこの時代にあってなお、気楽に手に入れられるものではないのか」
「この時代、というよりはこの場所では、ですわね。あれらは熱帯の植物なのです。ここは温帯の中でも寒い場所で、しかも外界からは隔絶してますので」
 「まあ私なら出入りできますけど」と青娥は付け加えようと思ったがそれは喉の位置で飲み込んだ。うっかりこの策謀家系道化が外の世界に興味を持ってしまった場合の面倒は自慢で得られる自尊心を十倍程上回る。
「とはいえ全く手に入らないというわけではないのだろう? 現にここで食べれているのだから」
「あー、旧地獄でね、栽培しているらしいのです」
 間違った情報ではない。それ自体は。なお青娥らが旧地獄産香辛料を使っているとは言っていない。「バーモン○」と書かれた箱を秘匿し続けていれば隠し通せる嘘だ。
「九地獄とは地獄が最低九もあるのか。千年も経つとあの世も随分と面妖になると見える。なんにせよそういうことなら譲って貰いに行かねばならぬな」


***


 布都は青娥及び芳香と旧地獄に赴くこととなった。
 その道中、布都は磐船で縦穴みたいな洞窟を降りていた。一人で。
 磐船が実質一人乗りというのは仕方ない。設計上は二人乗りうるが往復それぞれで荷物を積むから結局二人目は乗れない。それに青娥と芳香は二人一組で行動せねばならないから結局三人船旅というのは無理だった。
 しかし無理なら無理でせめて護衛として脇につくくらいのことはしてくれてもいいんじゃないかと布都は思っている。してくれなかったので一人で迫ってくる危険の全てに対処しなければならない。そのくせ、呪符を通して時折指示は飛ばしてきた。
「右方向、落石注意」
 監視してるんじゃろうな。厚意なのだろうがあまりありがたくない。どうせなら対処を手伝えか、さもなければ覗くなだ。
 青娥は時折他人の感情の機微に乏しいことがある。そういうのを読み取る才にはむしろ優れているはずなのだが、の割に読み取ったものを無視するのだ。多分、青娥にとってはあくまで人と付き合うことは従で自分こそが主であり、かえって面倒にならない範囲で自分の楽を追及している、そういうことなのだろう。
「……淋しいものじゃな」
 この考え方の通りなら、自分と同行するのは青娥殿にとっては面倒にあたるらしい。程なくして洞窟は抜けたが、抜けた場所の空洞がやけに広く見えた。
 そこに現れるは青娥と芳香二人。
「寂しがるなんて可愛いところもあるんですね」
「……お前、盗み聞きとは本当に趣味が悪いぞ」
「札で連絡を取れる状態で言葉にする方が悪いのです。ちゃんと理由はありますよ。隠れ家からの出発になったのと蚤で船を通す穴を開けるのは結構大変なのと」
「理由が尽く自分本位じゃな……。まあよいわ、来てくれただけ」
「随分とハードルを下げられたもので」
「波阿土留(はあどる)
なるものは知らぬが、評価ということならそれを下げたのはこれまでのお主の言動じゃ」
 布都はため息をついた。吐いた息は広大な地下空間に吸い込まれていく。三人揃ってからも地底は異様に広かった。足元にこんなものがあって地上は大丈夫なのかと布都は気が気ではない。
「上の地盤の厚さと硬さが十分なのでこんなものは誤差ですよ」
 布都の心配を聞いた青娥の反応は実にそっけないものだった。
「ならいいんじゃがの。杞の国の御仁よりは現実的な心配じゃろ?」
「地底に埋まった霊廟住まいが気にすることじゃありませんがね……。そう、霊廟ですよ。太子様も無事復活されたというのにスパイス探しなどしてて大丈夫なので?」
 布都がカレーをお見舞いされた次の日くらいに太子こと豊聡耳神子は復活を遂げた。当然関係者は多忙を極めている、極めていなければならないはずである。
「するべきことはした上でだから問題はなかろう。そもそも地獄にあるという情報を提供したのはお主ではないか」
「あるとも言いましたし取りに行くなら同行するとも言いましたが、まさかすぐにとは思いませんでしたよ。よほどの熱の入れようなようで」
 「ああ、私が旧地獄に赴いているのは死霊がまとまった数必要という業務のためですので」とも青娥は付け加えた。それは別に聞いてはいない。
「鉄は熱いうちに打てとは我が氏族の家訓よ。武器製造で財と地位を築いた家だからの。まあ我にとっては家は障害でもあったから適度に滅ぼしもしたが」
 布都は大笑いした。
「それにこれは太子様のためでもあるぞ。今の食生活に慣れて頂かねばならぬのだからな」
「そうですね」
 青娥は流した。現代幻想郷の食生活という意味では香辛料は一般的ではないし、身内で使う分は青娥が調達している分で十分だから布都が取りに行く意味はない。というのはあるが、それらをわざわざ指摘したところで聞く耳は持たないだろうから無益である。先に進むことにした。
 旧地獄の市街地の屋根の端が地平線に見えたところで(太陽のない暗い空間だが、青娥は邪仙故に暗視が可能なのだ)青娥は一旦立ち止まった。香辛料を調達するとして、卸している業者と掛け合うか農場と交渉するか、二通り考えられる。前者なら街に入るべきだし後者なら入らないルートになる。
「香辛料について何も知らないまま、ということは流石にないでしょうね?」
「青娥殿の蔵書は一通り読ませてもらったぞ」
 その範囲で分かるのはせいぜい薬としての効能だったり粉になったものの調理法くらいなので、未加工の実を渡されても持て余すということは確定した。そもそも、利用可能な情報源の制約を踏まえれば布都が青娥よりも知ることはあり得ないのだった。つまり業者から加工済みのものを貰うべきである。街に入ることとした。


***


「飛鳥をも遥かに凌ぐ繁栄ぶりじゃな」
 布都は旧地獄繁華街の街並みに驚嘆していた。丹塗りの柱が並ぶ宮殿のような場所では決してなく、あくまで木造に黒い瓦の平屋か二階建てかを並べた地味な色合いの街だが、却ってそれが「平民の」生活水準の高さを反映しているように布都には思えた。
 仁徳天皇に民の竈という逸話があるが、その例に従うならば各所で煙が乱立するこの街は凄まじく繁栄しまくっているのだろう。
 ただ、これは必ずしも悪いこととも言い切れないのだが、街全体が妙に酒臭い。歩いているだけで腹の奥の部分が熱くなってくる。
「なんじゃここは、酒樽の底か?」
「酒樽の底とは言い得て妙ですね。この辺りは凄いようで。あの建物から酒蔵酒蔵酒蔵酒屋居酒屋酒蔵酒屋」
「もう聞き取れんし聞き取れなくても分かったわ。しかし困ったの。我は飲みに来たのではなく香辛料を調達に来たのじゃが」
「居酒屋で聞きましょう。香辛料を育ててるということはここでも需要があるということでしょうし」
 その知恵の回り方も、すぐに聞きに入る行動力も尊敬に値する。ただ、「嬢ちゃん見ない顔だね」に対して「あらやだ忘れてしまったのです?」から
「こちらで前に食べたカレーの味がどうしても忘れられなくてできれば家でも作りたいのですが……」はよくもまあいけしゃあしゃあと、と布都は内心で毒づいていた。
「まあ、悪い奴じゃねえんだろうな。仕入れ先は教えてあげよう。ただ、この街で『よそ者が』取引を行おうってんなら先に姐さんの方に筋を通さねえといけねえんだ。『地上の』嬢ちゃん」
 居酒屋の店主は旧地獄産の、やたら厚みがあって色焼けした紙に店の名前と地図を書いて青娥に渡した。
「こっちが姐さんがいつもいる温泉宿だから先に行けよ」
 店主の指示通りに布都達は宿に向かった。
「ここの者ではないとバレているではないか」
 布都は呆れていた。
「別いいじゃないですか。それで何か不利益があるでもなし」
「最初からそう名乗っていたらな。お主は身分を偽装していたのだから幾分筋が悪かろう」
「まあなんとかなるでしょう。そもそも買えなかったところで困るのは貴方であって私は困りませんし」
「なんと他人事な。まさか『面倒になったからご破算にしましょう』とか思ってはいるまいな?」
「まさか」
 青娥は真顔で否定したが、どうせ肯定だったとしても同じ顔で同じ答えが返ってくる。真意は本人にしか――もしかしたら本人にすら――知り得ない。
 だから布都は感情の外側にある損得勘定でのみ状況を判断するしかなかった。
「お主に交渉は任せられぬな。次は我が行こう」
「はいはい」
 店主に指示された場所は三階建ての、旧地獄基準ではかなりの巨大建造物だった。布都の認識ではこのくらいの建物は寺院か宮殿か城かしかなかった。いずれにせよ圧倒されるというものだった。
 青娥にそう言った手前布都は自ら交渉せねばならなくなったが相手は想像以上の権力者のようだ。そう布都は身構えたが、一行を待ち構えていたのは意外にも接待だった。
「遠方からよく来たな。まあまずは温泉でゆっくりしていけ」
 宿泊ではなく取引に来たのじゃがな、と布都は思ったが、そんな気持ちは露天風呂に入った瞬間に吹き飛んだ。
「極楽とは地獄にあるのじゃなあ……」
「地獄と極楽は別だぞー。しっかりしろー」
「芳香よお主だけには言われたくないぞ。大概お主の顔もとろけているではないか」
「顔だけではないぞー。腕もほら」
「……柔らかくはなってないようじゃが」
「なってるぞ、気分だけは」
 温泉から上がると座敷に通されて食事を饗された。豪華な会席料理である。
 接待によりいい気にさせて交渉を有利に進めようという意図があったり、あえて和風の料理に香辛料を使ったものを混ぜることで旧地獄産香辛料の品質を宣伝する意図があるのだろうな。そういう策士っぽいことは布都は全く考えてない。考えているのは「美味い」の三文字だけである。猪肉か何かの串に香辛料をまぶしている料理が出てきたが、こういう使い方もあるんじゃのう。
 もう目覚めてからそれなりの日は経っている。布都が見慣れぬ料理を前に奇行に走ることもほぼなくなった。結局元来貴族なのだ。所作自体はちゃんとしている。もっとも、この場の集団全体として見たときには芳香という青娥の介助が途切れた瞬間あらゆる食べ物を犬食いする存在がいるので、布都だけ上品に食べてたところであまり意味はないのたが……。
「いい食べっぷりじゃないか」
 幸い、鬼はそういうマナーを気にしないので食べ方のせいで始まる前に交渉が破綻することはなかった。親玉の一本角の鬼は巨大な赤い盃を片手持ちして三人の対面であぐらをかいた。
「私は星熊勇儀。ここの温泉街を仕切らせて貰っている。既に話は聞いているが、スパイスを買いに来たそうじゃないか、地上の民よ」
「おお、そういえば名乗っていなかったの。我は物部布都という者じゃ……」
 布都は小声て青娥に耳打ちした。
「のう青娥殿、素波伊素(すはいす)
とはなんじゃ」
「香辛料のことですわ」
「成る程」
 布都はわざとらしく咳払いした。
「……その通りじゃ。地上だと香辛料がどうにも手に入らないらしくの。どうしても欲しいのじゃが、可能か?」
「理由は聞いておかないとな」
「理由? それは、単に家の料理に使いたいというだけじゃが……」
「それに嘘はないな」
「無論じゃ」
「ならばよし。変なことに使われてこっちにまで責任が追及されてはたまったものではないからな。もう一度聞くが、本当だな?」
「仮に嘘だったらもう少し見栄を張るわ」
「よし、よし。私ら鬼は嘘が大嫌いなんだ。もし嘘だったらお前さんたちを果てまでぶっ飛ばさなければならなかった」
「そうか」
 布都は横を向いた。
「そうか」
「何ですか」
「残念ながら骨は拾えぬが……」
「本当に何ですか?」
 布都は青娥よさらばと思っているし、青娥は仮に私が処されるなら布都さんもこれまでの所業から割と真っ黒ですよと思っている。勇儀の方が両名のパーソナリティを知らなかったため普通に交渉はまとまる流れになったが。
 しかし、そのまとめ方が「鬼流」であり。
「ただ、うちにも面子があってね。『どこの馬の骨とも知らぬ軟弱者』と取引したとなれば鬼の名折れだ。と、いうわけで」
 勇儀は盃を畳に置き両手を鳴らした。人の手ならあり得ない大木をへし折ったときのような音がなる。無論、自傷で骨を折っているのではなく、関節が鳴る音だけでそれなのだ。
「戦(や)
ろうじゃないか」
 布都は呆然とした意識の中で考える。遺書って書いてたじゃろうか。書いてないよな。仮に書いてたとして多分尸解前に書いた、「もし目覚めなかった場合の財産の処分について」とかそういうのだ。
 そりゃ仙人のやることの一つに「鬼神を調伏すること」というのもあったような気はする。が、少なくともこやつは、尸解してから最初に戦う相手としては明らかに強すぎるじゃろ。
 この戦いがいかに理不尽か、ということを考えていると、その頭の脇を拳がかすめた。拳は後ろの襖に当たり、襖は衝撃で外れた。拳との衝突面に穴が空いているし、枠も若干歪んでいるからもう元には戻るまい。
 はっとしたところでもう片方の拳も飛んできた。それをかわしたことで後ろにあった別の襖も壊れる。
 布都は戦士ではない。仙人あるいは風水師、もうちょっと端的に性質を表すならば策謀家か術師かだ。だから鬼がするみたいに、戦士の論理でこの戦いを分析することはできない。自分の言語で考えるしかない。そうすると……。
 一つ、今の二撃は明らかに遅い。二発目は見てから回避できたし、一発目に至っては見てなかったのにその通過を横目で追うことができた。
 ただし、故にこの鬼の攻撃が弱い、とはならない。そもそも自分を見ていないほぼ棒立ち状態の相手に拳を当てることなど童でもできる。そうならなかったのだから、攻撃は「外れた」のではなく「外した」のだ。
 布都は矢弾を放った。勇儀は拳を振り下ろして全ての矢を撃ち落とした。無茶苦茶だが現にそうなったのだから仕方ない。初撃の遅さと不正確さはわざとという仮説は裏付けられた。
 それにしても。布都は襖の成れの果てをもう一度見た。意図的に手加減した殴り方でもこの強さである。これですらまともに食らえば無事では済むまい。そしてずっと手加減してくれる保証もない。五体満足で帰ろうと思ったら全ての攻撃を回避し続けなければならないと考えるべきだ。
「無理じゃな」
 布都は心の中で諦めた。長いが、短い人生じゃったな。大半が眠りについていたのだから最早人ではなく蝉だ。走馬灯も大抵が「物部布都過去編」だろう。
 そう考えているのが半分。もう半分では諦めてもなお死にたくないと思っている。尸解してでも永遠の命を得ようとした連中の一員だ。むしろこっちが布都の本質なのだろう。その側の人格が、この状況下でごく当然に受け入れられているあることに気がついた。
「別に、物は壊しても構わんのじゃな」
 建物の所有者であろう鬼が襖の数枚を壊したところだ。この社会では決闘ないし喧嘩における器物損壊は罪に問われないと見える。物を壊してもいいならば多少やりようはある。「物を壊してはいけない」という意外と残っていた良心が相当枷になっていたというべきか。
 布都は最初の応酬でひっくり返った膳から皿を拾った。皿とは布都の依代でもある。だから、彼女の術においては文字通り自分の体のように扱える強力な武器に化ける。
 拾った皿を投擲していく。布都以外からは、布都が滅茶苦茶に皿を投げまくって、勇儀は自分に当たるものだけを落としていっている、そう見えている。しかしこの場合、逆に勇儀に向かう皿の方が囮なのである。本命たる外れた皿は勇儀の周りに浮かんだ。
「面白くなってきたじゃないか。それがお前の術か」
「うむ。じゃが、『これだけ』と思われても心外じゃな」
「そりゃそうだ。これだけなら大道芸人と大して変わらん」
 大道芸人とはなんたるかを知らないが、それよりはおそらく強いのだという自負は布都にはあった。その証明のために布都は火球を飛ばした。火球は皿の一枚に誘導されて、到達するとそれを割って別の皿へ向きを変えた。
「複雑なことをしてくる。どこからどう飛んでくるか、分かったもんじゃないね」
「計算された配置よ。お主には読めぬまい」
「ああ。だが残念だけれど」
 勇儀は浮かんでいる皿を一気に割った。
「この手(ちから)
しか知らないからそれで解決させてもらおう。見たところ皿から弾が飛んでくるんだ。なら、皿がなかったら飛ばない、だろ?」
 勇儀は破片のついた手の甲を見せびらかしたが、それを見た布都は不敵に笑った。
「お主は今の瞬間二つ罠にはまった。一つ、割っていない皿がある」
 勇儀の動きが止まった。力で全てをねじ伏せる以外を知らない狂戦士と言えども、想定外に対して一瞬硬直することはある。そしてその止まっているところに、い草の焦げる臭いが入ってきた。確かに浮かんでいる皿は全部割ったが、あえて布都が拾わずに残していた、床に転がったままの皿を勇儀は割っていなかった。布都はこの皿も経路の計算のうちに入れていたから、床で反射した火球が勇儀の死角から迫ってきていた。
「おっと!!」
 勇儀はほぼ反射で火球を蹴った。それが取りうる最善手ではあったし火球も割れたが、足に若干の火傷を負うことは避けられない。
「そして二つ目の罠。お主は皿を割ったな? 我の術には皿を一度に割ることを引き金とするものがあるのよ。破局の開門じゃ!!」
 布都が叫ぶと天井の下に黒い穴が開き、そこから円柱型の何かが勇儀の頭上めがけて落下した。
「なんだ!? 木桶か」
 勇儀は上を見て自分の後頭部を打ったものの出処を確認しようとしたが、その時にはもう穴は消えていた。上階から落下してきたのではなく(そもそも上の部屋に木桶はないはずだ)、どこかから転送されてきたものらしい。
「やるじゃないか。私に二撃も加えるとは」
 勇儀は何も気にしてないという様子で高笑いした。不興を買わなかったことは結構かもしれないが、戦いという意味では攻めが有効ではなかったということになる。
「割った皿の枚数が少なすぎたようじゃな……」
 ここは宿だから、再挑戦するための皿はあるだろう。それを手元に持ってくる必要はあるが……。
 そう考えている布都の眼前に拳が迫っていた。もし勇儀の動きに完全に注意を向けていたとしても回避は無理だっただろう。その速度でだ。だから拳に気がついたのとほぼ同時に、布都の目の前は真っ暗になった。


***


「あらあら。買い手がノックダウンされてしまったようですが」
 天井にまた黒い穴が空いた。先程は布都の攻撃でそうなったが、今回は作成者が違う。青娥が開けた穴だ。彼女は戦いのかなり序盤に芳香を連れて避難し上の階からこっそりと様子を観察していて、済んだのを見届けたから戻ってきたのだった。
「安心しな。気絶に特化した拳の当て方っていうのがあるんだ。ツボと同じさね。こいつは無傷だよ」
「布都さんのことは気にしてませんよ。私がいたらどうとでもなりますし。むしろビジネスとしてそちらは大丈夫なのか、というのが気になりますね」
「『私に勝てる』を基準にしたら経済が冷え切っちまうよ。誰も勝てやしないんだから。つまりはだね、面子と建前の問題だ。言った通り軟弱者と取引したとなれば名折れだし、だからといってこちらが負けるわけにもいかない。バランスが大事なんだ。『私に二回攻撃を当てた』という事実で売買の免状としては十分さ」
「豪放磊落なものとばかり思ってましたが、存外面倒なんですね、鬼さんの社会って」
「私は楽だよ。単純に戦えばいいんだから。今回は久しぶりに楽しい喧嘩だったね」
 勇儀は盃を拾って、部屋の隅に転がった瓶の中身を全部それに入れた。
「楽しんでた割には随分あっけない幕切れじゃないですか?」
「取引のための決闘には原則があってね、善戦させてもいけないんだよ」
「それはなぜ?」
「善戦したらどうなるか、逆に考えてみな」
 青娥は考えてみたが分からなかった。この世は「自分は分かるが鬼には分からない」ことばかりだと思い込んでいたが、どうもその逆もあるらしい。
「正解は『そんな強いなら自分も戦ってみたい』だ。ある意味でまともに地獄を歩けなくなってしまう。こっちでのしてしまった方が向こうさんのためなのよ」
 勇儀は頭を掻いた。
「それでいうと前に空気を読まずにこっちに勝った巫女と魔法使いがいるのだがね。もうそいつらには歓迎という代償を払ってもらうことにしたよ」
「ああ、あの二人、こちらにも来てたのですか。それはまた災難で」
「苦労するのは向こうでこっちは楽しめるから別いいんだけれどね。それはそれとして、香辛料問屋には怨霊に話を通しに行ってもらってるからまもなくここに来ると思うのだけれど、それまでに起きるかね?」
 布都は軽くいびきをかいている。気絶させる拳ってそういうものなのか? と青娥は医学的に興味を抱かざるを得ない。
「他人事ですわね。眠らさせたのは貴方でしょうに」
「面目ない。思いの外強く入れすぎたな」
「観察している限り、単に勝負を畳むため、にしては焦りのようなものがありました。別の理由があったと推理します」
「大した理由ではないよ」
 勇儀はため息をついた。怒りとは言わないまでも、若干の迷惑の感情があった。
「火気厳禁なんだよ、ここは」


***


 起きた布都は勇儀が五体満足なことに落胆したが(曰く、夢の中では完膚なきまでに叩きのめしていたらしい)、胡椒や唐辛子だけではなく、ターメリックやクミンまでも袋入りで並べられているのを見て、訳がわからないが勝ったということになったらしいとすぐに機嫌を取り戻した。
「もっともこれはいいものだし俺も商売人だからな。相応には頂かないといけない」
 香辛料問屋の鬼が手を出したのを見て布都は鬼とは皆「こう」なのかと過剰に警戒したが、その鬼は人差し指と親指で円を作って見せてきた。暴力的な何かではないらしい。ただ、暴力以外の何なのかは分からない。
「お金を払わなければならない、ということらしいですわ」
 青娥は助け舟を出したが。
「『意加尼(おかね)
』とはなんじゃ」
 思い出した。布都はとんでもなく古い人間だから貨幣経済を知らない。
「一方的にこっちが商品を貰う、というわけにはいかないでしょう。いわば市(いち)
の取引なんですから」
 とはいえ、経済そのものを知らないわけではない。布都が生きていた時代にも市場はあって人々は生活必需品をそこで得ていた。貨幣がなくても経済活動は可能なのだ。
「おおそういうことか合点がいった。必要に備えて価値のあるものをいくらか保存していたのでな。それで取引できるといいのじゃが」
 物々交換によって。布都は外に停めていた磐船に物があると告げて一度退席して、しばしの後に戻ってきた。
 価値があるもの、というのは存外長い歴史を経ても変わらない。成る程千年の時を経て当時は存在しなかったものが価値を持つようになっている、というのはあるが(それこそ世界の大半の地域における香辛料がそういうものだ)、逆に千年前に価値があるからと取引の材料に使われたものは割と多くが現代に持ち込まれても値がつくものとして通用する。多くが装飾品や貴重品としての価値だったからだろう。千年前の人間が綺麗と思ったものは千年後の人間が見ても綺麗なのだ。この問屋の鬼も中々面白いと交換に応じた。
 かくして布の巻物やら瑪瑙、翡翠玉などが布都の元から離れ香辛料に化けた。
「まさかとは思いますが、霊廟の資産に手を付けてはいませんよね? 後から太子様から追及されたら面倒なので確認させてください」
「心配するでない。あれらは我の私物じゃ。どちらにせよ、物というのは無闇にため込んでいても仕方ないからな。放出してこそ経済は回転するというものよ」
 この頃から布都に若干の浪費癖の萌芽が現れていたと言える。後に彼女は皿代でもって霊廟の財政を大いに圧迫するのだが、それはまた別の話である。この話においては大量の香辛料を積荷に船での帰還を果たしたのだから紛うことなきハッピーエンドだ。いつの時代だって香辛料を運ぶのは船便と相場が決まっている。


***


 ところでこの話には神霊廟の主たる豊聡耳神子がほとんど出てこない。布都が現代食文化に初見殺しされていた時期は未だ眠っていたというのもあるが、目覚めたら目覚めたらで彼女の方はあっさりと適応してしまい、特に面白みもなかったためだ。要領はいいし、何よりも人の欲が読めるのが強い。ただ完璧な人の話とは時として語るにはあまりにも退屈なものなのである。
 強いて語るとするならば、信じて先鋒として送り出した部下の片割れが「カレーをスパイスから自作する」という同居するには割と面倒な趣味に目覚めたことについては、その熱が冷めるまでのしばらくの期間頭を悩ませることになったという。
凡海さんの作品(『古代人何食べる?』)に触発され、布都って香辛料知らなかった可能性あるよなと思い書いてみました。
布都食文化作品自体は前にも書いたことがあり、そちらではひたすら周りが振り回されていたので今回は布都ちゃんにも努力させてます(周りが振り回されないとは言ってない)
東ノ目
https://x.com/Shino_eyes
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0.50点簡易評価
2.100点ケスタ削除
相変わらず、生活とか時代の応じた文化とか描かせたらめちゃくちゃ上手い人だなあと恐縮させられます
3.100点初瀬ソラ削除
古めかしいような現代小説のような。
厳格な面持ちで物語してるのが急に「バーモン○」とか「物部布都過去編」とか〝クワッ〟と目を見開いて舌を弾くのが余計に面白い。ひさびさに創想話開いてみましたが相変わらず良い味で。

やっぱり創想話の雰囲気はよいなあ。
また短編でもよいからひとつのっけてみようかしら。

とと、独り言失礼しましたッ。たいへんよかったです。
4.90点奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
5.100点名前が無い程度の能力削除
オチで笑いました!面白かったです。
6.100点のくた削除
最初に食べたのがL○E×30じゃなくて良かった
面白かったです
7.90点ひょうすべ削除
なんだか勉強になりました
8.100点名前が無い程度の能力削除
食文化の探訪、面白かったです。胡椒一気はさすがに布都が悪いと思います。
9.100点ヘンプ削除
スパイス買いに行くだけの話なのにめちゃくちゃ面白かったです。
10.100点南条削除
面白かったです
あまりにもフットワークが軽い布都ちゃんが最高でした
夢の中では勝ってたってなんだよ