日本の何処かに存在する辺境の地、幻想郷。博麗大結界によって外の世界から隔離されたこの地は、妖怪と僅かな人間が共に暮らし、独自の文化が築かれている。
これは、そんな幻想郷に迷い込んだバーテンダーの男と幻想郷の住人たちによる、酒(カクテル)に彩られた日常の物語である──。
太陽が地平線の向こうへと沈んでからしばらく経ち、暗くなった辺りは月明かりに照らされている。季節が秋ごろということもあり、暑くもなく寒くもない。草木を撫でるなんとも気持ちのいい夜風が道を駆け抜けていく。
そんな幻想郷の某所に、明らかにそぐわない洋風の建物が建てられている。レンガ造りに木造扉のその建物には、「ミヤコワスレ」と掘られた小さなプレートが掲げられていた。
開店時間の三十分ほど前、店主は準備をあらかた済ませ、氷の入ったグラスにウォッカを注ぐ。すると、木製の扉が開き、備え付けられていた鈴の音が響く。
入って来た人物の見た目は、鮮やかな緑の髪に白のブラウス、襟元には黄色いリボン、赤いチェックの上着とスカートが見事にその上品さを醸し出していた。幻想郷のフラワーマスターこと、風見幽香である。
「あぁ、いらっしゃい。風見さん。といっても、まだ開店前ですがね」
「こんばんは、ミヤコくん。ちょうど前を通りかかったのよ。少しぐらい良いでしょう?それに──」
彼女の目がカウンターのグラスに向けられる。
「もうお酒は用意されているみたいだし、ね?」
ミヤコと呼ばれた店主は彼女の言葉にやれやれと肩を竦めながら笑うと、カウンター席へと通す。
本当は自分で飲もうとしていたのだが、彼女はこの店の仕入先であり、いつも良くしてもらっている。開店前に融通するぐらい、何でもないことだった。
「もう少し入れてもらえる?」
彼女は席に座るや否や、すでに半分ほど注がれていたウォッカのグラスを持ち上げてそう言った。
「なにで割りましょうか?」
「ロックでいいわ」
この世界へ迷い込んだばかりの自分であったなら耳を疑ったであろうその言葉も、今や特に驚きはない。どうやら”妖怪”という者たちは、物理的な強さだけでなく、お酒の強さも並ではないらしい。
ミヤコがグラスにウォッカを注ぎ足すと、彼女はさも当然かのようにそれを飲み干す。可憐な印象を受ける彼女もやはり妖怪であることを、ミヤコは改めて思い知らされた。
しばらく幽香と談笑していると、また鈴の音が鳴った。どうやらもう開店時間を過ぎていたようだ。
入ってきた人物は紅白の巫女服に身を包んだ少女だった。この店の先にある博麗神社の巫女、博麗霊夢である。
「いらっしゃい」
幽香の時同様、バーらしくないなんとも気さくな挨拶だが、彼女は気にした様子もなく幽香の隣へと座る。
「うん、いつものちょーだい」
「かしこまりました」
霊夢の注文に、ミヤコは小さく頷く。ベースとなるウォッカは既に出ているため、後ろの棚からクレーム・ド・カシスを取りカウンターに置くと、冷蔵庫からグレープフルーツとレモンを一つずつ取り出し、果物ナイフでそれぞれカットし始める。
ちなみにこのフルーツたちは幽香から仕入れたものだ。
「にしても、”らいと”って本当に明るいのね。確か前までは光らないって言ってたわよね、どうやって使えるようにしたの?」
霊夢は天井の照明を見上げ、眩しそうに目を細めながら聞いた。
「にとりさん達が近くの川に水力発電所を作ってくれたんだ。河童があんなに物作りに詳しい人たちだとは知らなかったよ」
そう言って、ミヤコはナイフで窓の方を指した。窓からは回る水車が見える。
「あれでどうにか、必要最低限の電力は賄えるようになったかな」
同じ人間同士。そして年下ということもあり、霊夢相手だとミヤコの口調も砕けたものになる。
話しながらも淀みない手付きで材料を計量しシェーカーへと入れていくと、ストレーナーとトップを順番に被せ、胸前で構えた。シェーカーを振るごとにシャカシャカと、中の氷がぶつかる小気味いい音が静かな店内に響く。流石バーテンダーだけあって、やはりシェークする様は堂に入っている。
「明かりをつけるだけでそれだけ手間がかかるんだったら、やっぱり蝋燭の方が楽ね。来るのも妖怪ばかりなんだし、きっと新しい怪談として人里で語り継がれるわよ」
「お待たせしました”オーロラ”です」
コースターの上に鮮やかな赤いカクテルを置いたミヤコは、ついでに「ひどいな」とも付け加えた。
「妖怪だろうとお金を払ってくれればお客さんだよ」
「払ってもらえるの?」
「三割くらいはね。七割はツケ払いかな…」
「隣は?」
霊夢は、かれこれウォッカのロックを五杯は飲んでいる幽香を指す。
「風見さんは三割の方だね。ありがたい話さ」
「苦労してるのね」
全くそう思っていなさそうに言う霊夢──何を隠そう七割筆頭は彼女だが、せっかくの酒の席をそんな話で冷ましたくはない。ミヤコは喉元まで出かかった言葉をバーボンと共に胃袋へ流し込んだ。営業中の飲酒もここ幻想郷では全く問題ない。なんとも心の広い場所である。
「それにしても、やっぱりこの”オーロラ”ってお酒……かくてるだっけ? おいしいわね」
満足気にそう呟く霊夢。このカクテルはミヤコが彼女と初めて出会った日に振る舞ったものだが、以来、彼女はこの店に来ると決まって最初はこのカクテルを頼むようになった。
オーロラはカシス、グレナデンの甘みがしっかりあるので飲みやすいが、その割に度数が強い。更に言えばグレープフルーツとレモンについても一般的には甘口にしたジュースを使うものだが、霊夢は本物の果実を使った、甘さ控えめでストレートな味わいのオーロラを好む。中々の通だ。
「──そういえば、ミヤコさん記憶の方はどう? なにか思い出せた?」
オーロラを飲み終えた後も、様々なカクテルをペースを落とすことなく飲んでいく霊夢が、ふとそんなことを聞いた。
「なーんにも」
ミヤコは肩を竦める。
「未ださっぱり思い出せないんだ。もはや今の名前がしっくりきちゃってるくらいさ。まぁでも、今のところ不便はないかな」
彼がなぜ”ミヤコ”と呼ばれているかというと、店名のミヤコワスレから取って皆が呼び始めたからであって、彼の本名ではないのだ。そもそも、彼は幻想郷に迷い込む前の記憶がほとんどない。知識や常識などに欠けはないが、自分に関することは殆ど覚えていない。それこそ名前も思い出せないほどに。
しかし彼は唯一、自分が”バーテンダー”だということは覚えていた。また、彼はこの店と共に幻想郷へ迷い込んだ。正確に言えば、目を覚まして店の外に出たら幻想郷だったのだ。そしてその時にはもう、自分のことは忘れてしまっていた。
「ふーん、まぁ貴方がそれでいいなら私は別に構わないけど。そもそも、ここのお店の名前、なんで”ミヤコワスレ”なわけ? あまり明るい印象は持てないわよ」
「それも覚えてないんだ。このお店自体、自分が始めたのか、それとも誰かから継いだものかすらわからないし」
「そ、まぁいいわ」
ミヤコの言葉に、霊夢はいたってあっさりと答えた。実際、そこまで気になっていたわけではなさそうだ。
「それじゃ、私そろそろ帰るわ。ごちそうさま」
十杯ほど飲んだところで席を立つ霊夢。あれだけ飲んだというのに、その足取りはしっかりしたものだ。もしこの幻想郷でお酒の強さランキングが作られるとするならば、彼女は間違いなく上位に位置するだろう。
「ありがとうございました。またのお越しを」
店を出ていく彼女に軽く頭を下げて見送ると、霊夢がいるあいだ黙々とウォッカを飲んでいただけの幽香が口を開く。
「支払いはよかったの?」
しまった、と彼は息を飲むも、すぐ諦めたように苦笑しながら鼻を掻いた。
「ところどころ支払いに関する話題は出していたんですけどね。どうやらここの住人は、お金にあまり執着がないようだ」
「(そんなことないと思うけれど……)」
普段賽銭箱を覗きながら一喜一憂している霊夢の姿を思い出し、内心では首を横に振る幽香だが、それを言葉にすることはしなかった。
「ねぇ、私にも何か一杯作ってもらっていいかしら?」
「もちろん。どういったものが飲みたいですか?」
「そうねぇ……」
ミヤコの問いに、幽香は顎に手を当てて考える。そんなちょっとした所作でも、彼女が行なうととても絵になる。
「それじゃあ、私もウォッカを使ったカクテルをお願いしようかしら」
「かしこまりました」
思考に耽る彼女の姿に見惚れていたことなどおくびにも出さず、ミヤコは彼女の注文に応え、手早くバックバーへと手を伸ばす。
数多並ぶ酒瓶の中から迷うことなくキュラソーとアプリコット・ブランデー、ライムジュースを手に取ってカウンターへ置くと、新たにシェーカーを取り出し、メジャーカップでそれぞれの材料を量って順番に入れ、最後に氷を入れて再びシェークする。
流れるように行われる一連の動作を、幽香は目を細めて楽し気に眺めていた。
「──”しばしの憩い”」
「え?」
ふとそう呟いた幽香に、ミヤコはシェークが完了したカクテルをショートグラスに注ぎながら聞き返す。
「ミヤコワスレの花言葉よ。他にもいくつか花言葉があるのだけれど、ほとんどは寂しい内容だから。このお店の雰囲気を考えれば、この花言葉が一番しっくりくるんじゃないかしら?」
どうやら彼女は、先程彼が霊夢と話していた店名のことについて言っているようだ。流石、こと植物の事となればフラワーマスターの二つ名に違わぬ知識量である。
「へぇ、ミヤコワスレって花のことだったんですね。見てみたいな。にしても、なるほど”しばしの憩い”ですか……。それが由来なのかは思い出せませんが──うん、気に入りました。今度から聞かれたらそう答えるようにします」
彼はニコリと微笑むと、注ぎ終わったグラスの上からふわりとオレンジピール絞りかけ、幽香の前にカクテルを差し出した。
「”アクダクト”です」
幽香はグラスを手に取ると、その淡いオレンジ色のカクテルをしばし眺め、静かに飲む。途端、彼女の口の中にアプリコットの芳醇な香りと微かな甘味が広がり、喉を通り抜けた後には、オレンジの爽やかな後味が口に残る。
少しの間をおいて、幽香は閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
「おいしいわ。とっても」
「それは良かった。実は、カクテルにも花言葉のようにカクテル言葉というものが存在するんです」
幽香は興味深そうに片眉を上げた。
「へぇ。それじゃあ、これにもそのカクテル言葉があるのかしら?」
「もちろん。アクダクトのカクテル言葉は”時の流れに身を任せる”です」
「あら、今の貴方にぴったりね」
その言葉に、ミヤコは目を丸くすると声を出して笑った。
「ははっ、その通りですね。それじゃあ自分も、アクダクトに肖からせてもらうことにします」
そう言うと、彼は自分用に残していたバーボンのグラスを持ち上げた。幽香は彼の意図をすぐに理解すると、微笑しながら持っていたショートグラスを彼のグラスに軽くぶつける。チンと、乾いた音が一つ鳴り、二人は共に酒を呷った。
「さて、私もそろそろお暇するわ──そうだ」
「?」
なにか思いついたような彼女に、ミヤコは首を傾げた。
「──私も今日はツケてもらおうかしら」
彼女はお酒で頬を赤く染めた顔で、悪戯っぽい笑みを浮かべた。彼女のような美人にそんな表情を向けられては、どんなお願いでも聞き入れてしまいそうだ。
思わず縦に振りそうになった首を寸でのところで止め、ミヤコはフッと苦笑を零す。
「勘弁してください」
「ふふっ。冗談よ」
そうして今日飲んだ分のお金をキッチリと払った彼女は、また来るわと言い残して店を出ていった。
誰もいなくなった店で幽香の飲んでいたグラスを片付けようと手を伸ばすと、その傍らに一輪の花が置いてあった。
薄紫の花弁を付けたその可愛らしい花を手に取り不思議そうに眺めるミヤコだったが、少し考えるとその花の正体に思い至り、彼は小さく微笑んだ。
「次はサービスしなきゃだな」
そう呟いてベストの内ポケットからペンを取り出すと、足元の棚から取ったタンブラーの側面に短く文字を書き綴る。そのタンブラーに半分ほど水を注ぎ、小指で挟んでいた花を差すと、バックバーの端に置き、彼は少し遠目から眺めて満足気に頷く。
程なくしてチリンチリンと、扉の鈴が来客を知らせる音を鳴らした。
「いらっしゃい」
気さくな挨拶とともに来客をカウンター席に案内する。夜はまだまだ長い。幻想郷に突如現れたバーは今夜も妖怪・人間隔てなく酔いと憩いを提供する。
──ここはミヤコワスレ。”しばしの憩い”と書かれたタンブラーの中で、薄紫の花がクスリと笑うように揺れた。
これは、そんな幻想郷に迷い込んだバーテンダーの男と幻想郷の住人たちによる、酒(カクテル)に彩られた日常の物語である──。
太陽が地平線の向こうへと沈んでからしばらく経ち、暗くなった辺りは月明かりに照らされている。季節が秋ごろということもあり、暑くもなく寒くもない。草木を撫でるなんとも気持ちのいい夜風が道を駆け抜けていく。
そんな幻想郷の某所に、明らかにそぐわない洋風の建物が建てられている。レンガ造りに木造扉のその建物には、「ミヤコワスレ」と掘られた小さなプレートが掲げられていた。
開店時間の三十分ほど前、店主は準備をあらかた済ませ、氷の入ったグラスにウォッカを注ぐ。すると、木製の扉が開き、備え付けられていた鈴の音が響く。
入って来た人物の見た目は、鮮やかな緑の髪に白のブラウス、襟元には黄色いリボン、赤いチェックの上着とスカートが見事にその上品さを醸し出していた。幻想郷のフラワーマスターこと、風見幽香である。
「あぁ、いらっしゃい。風見さん。といっても、まだ開店前ですがね」
「こんばんは、ミヤコくん。ちょうど前を通りかかったのよ。少しぐらい良いでしょう?それに──」
彼女の目がカウンターのグラスに向けられる。
「もうお酒は用意されているみたいだし、ね?」
ミヤコと呼ばれた店主は彼女の言葉にやれやれと肩を竦めながら笑うと、カウンター席へと通す。
本当は自分で飲もうとしていたのだが、彼女はこの店の仕入先であり、いつも良くしてもらっている。開店前に融通するぐらい、何でもないことだった。
「もう少し入れてもらえる?」
彼女は席に座るや否や、すでに半分ほど注がれていたウォッカのグラスを持ち上げてそう言った。
「なにで割りましょうか?」
「ロックでいいわ」
この世界へ迷い込んだばかりの自分であったなら耳を疑ったであろうその言葉も、今や特に驚きはない。どうやら”妖怪”という者たちは、物理的な強さだけでなく、お酒の強さも並ではないらしい。
ミヤコがグラスにウォッカを注ぎ足すと、彼女はさも当然かのようにそれを飲み干す。可憐な印象を受ける彼女もやはり妖怪であることを、ミヤコは改めて思い知らされた。
しばらく幽香と談笑していると、また鈴の音が鳴った。どうやらもう開店時間を過ぎていたようだ。
入ってきた人物は紅白の巫女服に身を包んだ少女だった。この店の先にある博麗神社の巫女、博麗霊夢である。
「いらっしゃい」
幽香の時同様、バーらしくないなんとも気さくな挨拶だが、彼女は気にした様子もなく幽香の隣へと座る。
「うん、いつものちょーだい」
「かしこまりました」
霊夢の注文に、ミヤコは小さく頷く。ベースとなるウォッカは既に出ているため、後ろの棚からクレーム・ド・カシスを取りカウンターに置くと、冷蔵庫からグレープフルーツとレモンを一つずつ取り出し、果物ナイフでそれぞれカットし始める。
ちなみにこのフルーツたちは幽香から仕入れたものだ。
「にしても、”らいと”って本当に明るいのね。確か前までは光らないって言ってたわよね、どうやって使えるようにしたの?」
霊夢は天井の照明を見上げ、眩しそうに目を細めながら聞いた。
「にとりさん達が近くの川に水力発電所を作ってくれたんだ。河童があんなに物作りに詳しい人たちだとは知らなかったよ」
そう言って、ミヤコはナイフで窓の方を指した。窓からは回る水車が見える。
「あれでどうにか、必要最低限の電力は賄えるようになったかな」
同じ人間同士。そして年下ということもあり、霊夢相手だとミヤコの口調も砕けたものになる。
話しながらも淀みない手付きで材料を計量しシェーカーへと入れていくと、ストレーナーとトップを順番に被せ、胸前で構えた。シェーカーを振るごとにシャカシャカと、中の氷がぶつかる小気味いい音が静かな店内に響く。流石バーテンダーだけあって、やはりシェークする様は堂に入っている。
「明かりをつけるだけでそれだけ手間がかかるんだったら、やっぱり蝋燭の方が楽ね。来るのも妖怪ばかりなんだし、きっと新しい怪談として人里で語り継がれるわよ」
「お待たせしました”オーロラ”です」
コースターの上に鮮やかな赤いカクテルを置いたミヤコは、ついでに「ひどいな」とも付け加えた。
「妖怪だろうとお金を払ってくれればお客さんだよ」
「払ってもらえるの?」
「三割くらいはね。七割はツケ払いかな…」
「隣は?」
霊夢は、かれこれウォッカのロックを五杯は飲んでいる幽香を指す。
「風見さんは三割の方だね。ありがたい話さ」
「苦労してるのね」
全くそう思っていなさそうに言う霊夢──何を隠そう七割筆頭は彼女だが、せっかくの酒の席をそんな話で冷ましたくはない。ミヤコは喉元まで出かかった言葉をバーボンと共に胃袋へ流し込んだ。営業中の飲酒もここ幻想郷では全く問題ない。なんとも心の広い場所である。
「それにしても、やっぱりこの”オーロラ”ってお酒……かくてるだっけ? おいしいわね」
満足気にそう呟く霊夢。このカクテルはミヤコが彼女と初めて出会った日に振る舞ったものだが、以来、彼女はこの店に来ると決まって最初はこのカクテルを頼むようになった。
オーロラはカシス、グレナデンの甘みがしっかりあるので飲みやすいが、その割に度数が強い。更に言えばグレープフルーツとレモンについても一般的には甘口にしたジュースを使うものだが、霊夢は本物の果実を使った、甘さ控えめでストレートな味わいのオーロラを好む。中々の通だ。
「──そういえば、ミヤコさん記憶の方はどう? なにか思い出せた?」
オーロラを飲み終えた後も、様々なカクテルをペースを落とすことなく飲んでいく霊夢が、ふとそんなことを聞いた。
「なーんにも」
ミヤコは肩を竦める。
「未ださっぱり思い出せないんだ。もはや今の名前がしっくりきちゃってるくらいさ。まぁでも、今のところ不便はないかな」
彼がなぜ”ミヤコ”と呼ばれているかというと、店名のミヤコワスレから取って皆が呼び始めたからであって、彼の本名ではないのだ。そもそも、彼は幻想郷に迷い込む前の記憶がほとんどない。知識や常識などに欠けはないが、自分に関することは殆ど覚えていない。それこそ名前も思い出せないほどに。
しかし彼は唯一、自分が”バーテンダー”だということは覚えていた。また、彼はこの店と共に幻想郷へ迷い込んだ。正確に言えば、目を覚まして店の外に出たら幻想郷だったのだ。そしてその時にはもう、自分のことは忘れてしまっていた。
「ふーん、まぁ貴方がそれでいいなら私は別に構わないけど。そもそも、ここのお店の名前、なんで”ミヤコワスレ”なわけ? あまり明るい印象は持てないわよ」
「それも覚えてないんだ。このお店自体、自分が始めたのか、それとも誰かから継いだものかすらわからないし」
「そ、まぁいいわ」
ミヤコの言葉に、霊夢はいたってあっさりと答えた。実際、そこまで気になっていたわけではなさそうだ。
「それじゃ、私そろそろ帰るわ。ごちそうさま」
十杯ほど飲んだところで席を立つ霊夢。あれだけ飲んだというのに、その足取りはしっかりしたものだ。もしこの幻想郷でお酒の強さランキングが作られるとするならば、彼女は間違いなく上位に位置するだろう。
「ありがとうございました。またのお越しを」
店を出ていく彼女に軽く頭を下げて見送ると、霊夢がいるあいだ黙々とウォッカを飲んでいただけの幽香が口を開く。
「支払いはよかったの?」
しまった、と彼は息を飲むも、すぐ諦めたように苦笑しながら鼻を掻いた。
「ところどころ支払いに関する話題は出していたんですけどね。どうやらここの住人は、お金にあまり執着がないようだ」
「(そんなことないと思うけれど……)」
普段賽銭箱を覗きながら一喜一憂している霊夢の姿を思い出し、内心では首を横に振る幽香だが、それを言葉にすることはしなかった。
「ねぇ、私にも何か一杯作ってもらっていいかしら?」
「もちろん。どういったものが飲みたいですか?」
「そうねぇ……」
ミヤコの問いに、幽香は顎に手を当てて考える。そんなちょっとした所作でも、彼女が行なうととても絵になる。
「それじゃあ、私もウォッカを使ったカクテルをお願いしようかしら」
「かしこまりました」
思考に耽る彼女の姿に見惚れていたことなどおくびにも出さず、ミヤコは彼女の注文に応え、手早くバックバーへと手を伸ばす。
数多並ぶ酒瓶の中から迷うことなくキュラソーとアプリコット・ブランデー、ライムジュースを手に取ってカウンターへ置くと、新たにシェーカーを取り出し、メジャーカップでそれぞれの材料を量って順番に入れ、最後に氷を入れて再びシェークする。
流れるように行われる一連の動作を、幽香は目を細めて楽し気に眺めていた。
「──”しばしの憩い”」
「え?」
ふとそう呟いた幽香に、ミヤコはシェークが完了したカクテルをショートグラスに注ぎながら聞き返す。
「ミヤコワスレの花言葉よ。他にもいくつか花言葉があるのだけれど、ほとんどは寂しい内容だから。このお店の雰囲気を考えれば、この花言葉が一番しっくりくるんじゃないかしら?」
どうやら彼女は、先程彼が霊夢と話していた店名のことについて言っているようだ。流石、こと植物の事となればフラワーマスターの二つ名に違わぬ知識量である。
「へぇ、ミヤコワスレって花のことだったんですね。見てみたいな。にしても、なるほど”しばしの憩い”ですか……。それが由来なのかは思い出せませんが──うん、気に入りました。今度から聞かれたらそう答えるようにします」
彼はニコリと微笑むと、注ぎ終わったグラスの上からふわりとオレンジピール絞りかけ、幽香の前にカクテルを差し出した。
「”アクダクト”です」
幽香はグラスを手に取ると、その淡いオレンジ色のカクテルをしばし眺め、静かに飲む。途端、彼女の口の中にアプリコットの芳醇な香りと微かな甘味が広がり、喉を通り抜けた後には、オレンジの爽やかな後味が口に残る。
少しの間をおいて、幽香は閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
「おいしいわ。とっても」
「それは良かった。実は、カクテルにも花言葉のようにカクテル言葉というものが存在するんです」
幽香は興味深そうに片眉を上げた。
「へぇ。それじゃあ、これにもそのカクテル言葉があるのかしら?」
「もちろん。アクダクトのカクテル言葉は”時の流れに身を任せる”です」
「あら、今の貴方にぴったりね」
その言葉に、ミヤコは目を丸くすると声を出して笑った。
「ははっ、その通りですね。それじゃあ自分も、アクダクトに肖からせてもらうことにします」
そう言うと、彼は自分用に残していたバーボンのグラスを持ち上げた。幽香は彼の意図をすぐに理解すると、微笑しながら持っていたショートグラスを彼のグラスに軽くぶつける。チンと、乾いた音が一つ鳴り、二人は共に酒を呷った。
「さて、私もそろそろお暇するわ──そうだ」
「?」
なにか思いついたような彼女に、ミヤコは首を傾げた。
「──私も今日はツケてもらおうかしら」
彼女はお酒で頬を赤く染めた顔で、悪戯っぽい笑みを浮かべた。彼女のような美人にそんな表情を向けられては、どんなお願いでも聞き入れてしまいそうだ。
思わず縦に振りそうになった首を寸でのところで止め、ミヤコはフッと苦笑を零す。
「勘弁してください」
「ふふっ。冗談よ」
そうして今日飲んだ分のお金をキッチリと払った彼女は、また来るわと言い残して店を出ていった。
誰もいなくなった店で幽香の飲んでいたグラスを片付けようと手を伸ばすと、その傍らに一輪の花が置いてあった。
薄紫の花弁を付けたその可愛らしい花を手に取り不思議そうに眺めるミヤコだったが、少し考えるとその花の正体に思い至り、彼は小さく微笑んだ。
「次はサービスしなきゃだな」
そう呟いてベストの内ポケットからペンを取り出すと、足元の棚から取ったタンブラーの側面に短く文字を書き綴る。そのタンブラーに半分ほど水を注ぎ、小指で挟んでいた花を差すと、バックバーの端に置き、彼は少し遠目から眺めて満足気に頷く。
程なくしてチリンチリンと、扉の鈴が来客を知らせる音を鳴らした。
「いらっしゃい」
気さくな挨拶とともに来客をカウンター席に案内する。夜はまだまだ長い。幻想郷に突如現れたバーは今夜も妖怪・人間隔てなく酔いと憩いを提供する。
──ここはミヤコワスレ。”しばしの憩い”と書かれたタンブラーの中で、薄紫の花がクスリと笑うように揺れた。