Coolier - 新生・東方創想話

火吹き山の蛇

2026/06/22 03:19:17
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八つの御岳が連なる偉大な連峰。
人々は、その地を「八つ山」と呼んでいる。
その中腹に、ひとつの社があった。

「アリヤ様」

しゃがれた声が、社に響く。

「火吹き山の民が、助けを求めております」

老人が高座に座る女に進言する。
女の顔は白い布で覆い隠され──そこには大きく「目」の印が描かれていた。

「火吹き山、ですか」

アリヤと呼ばれた女は、静かに呟いた。

古き山の神である彼女にとって、山とは本来火を吹くものである。
大地の血を吐き、岩を砕き、煙を上げる。
されど、それらの多くは長き時の流れの中で穏やかとなり、今のこの地で「火吹き山」と言えば、民はひとつの峰を思い浮かべる。

他に火を吹く山が無い訳ではなかった。
だが、それだけその山は特別なものとしてそこに在った。

「あの山も、今しばらくは静かな物だったと思いますが」
「何かあったのですか?」

「遣いの者が言うには──山で大蛇が暴れているとの話です」

大蛇。
思っていたのとは違った方向に飛んだ話に、アリヤが首をかしげる。
そこへ、老人が続けた。

「ただの大蛇ではありません」
「鹿も丸呑みするような──龍と見まがう程の巨大な蛇です」

「……その蛇は、元々火吹き山に居たものですか?」

しばし何かを考えてから、アリヤはそう尋ねた。

「十三年程前、突如として山に現れたそうです」

老人は、ゆっくりと続ける。

「とは言え──それからずっと、民を襲うこともなく静かに暮らしていたそうで」
「それがひと月程前から、理由も知れぬままに暴れだしたと聞いております」

「ふむ」
「確かに、それは私が見に行くしかないでしょうね」

そう言ってアリヤはその腰を上げる。
その背からは、色あせた骨のような翼と尾が覗いていた。

「そこのお前」

アリヤは社を掃除していた若者に声をかける。
突然名指しされた若者は、思わず肩を震わせた。

「わ、私ですか?」
「他に誰が居るのです」

白布に描かれた「目」に睨まれた心地で、若者は周囲を見回した。
誰も助けてはくれなかった。

「山の生き物には詳しかったでしょう、同行しなさい」



突然に神との同伴を命じられた若者は、身を縮ませながらその後を付いて行く。

若者は、八つ山の麓の集落のひとつに生まれた、狩人の息子だった。
だが狩りには身が入らず、ふらふらと生き物ばかりを眺めていたため、雑用にでも何にでも使ってくれと、アリヤの社へと放り込まれたのだった。

鹿を呑み込む程の巨大な蛇。
それは恐ろしい響きではあったが──
どんな姿なのか、見てみたいという気持ちも確かにあった。

(殺してしまう、つもりなのだろうか)

若者は、前を進む神の、骨の翼の生える背を見つめる。

──生き物を殺すというのは、どうにも昔から苦手だった。

南の地では「ノウギョウ」というものが広まりつつあるとも聞くが、この地では狩りこそが生きる術そのものだ。
それは若者にも分かってはいたが、こればかりは自分でもどうしようもなかった。
だから両親に神の社で働くように言われた時には、随分とほっとしたものだったのだが──

「ちょ……ちょっと……待ってくださ……」

火吹き山へと向かう道の途中、息も絶え絶えに若者が音を上げる。
アリヤは若者に振り向くと、首をかしげる。

「人間の歩調は、これくらいかと思ったのですが」

アリヤの歩調は殊更に速いものでは無かったが、その速度は一定で、一向に衰えを見せる気配が無い。

「それでも……ずっと歩き続けるのは、無理ですよぉ」

社を降りたふたりは、盆地の集落で一夜を明かしていた。
集落を出た時には顔を出したばかりだった太陽も、今は真上にある。
遮るものの無い日差しと、盆地の湿気が若者の体力を削っていた。

「ふむ」
「では、ここで一度休みましょうか」

「ほ、本当ですかっ」

「火吹き山まで、あと半分という所です」
「ここで休んでおけば日が沈む前には到着出来るでしょう」

「は、半分……」
若者の笑顔が強ばる。
それはここで休む以上は──残りの行程を、遅れず着いていかねばならないということだ。

若者が腰の水袋を必死に煽る横で、アリヤは火吹き山の方角を見つめていた。

この場所からでもよく見える、形の良い三角の峰。
多くの山々が鎮まった今もなお内に火を秘め──これから先も幾度となく火を吹くであろうその山は、今は静かにアリヤ達を見下ろしていた。



太陽がついに山々の向こうに沈もうという頃、アリヤと若者は火吹き山の麓の集落へと辿り着いた。

「ああっ、貴方が八つ山の神様! よくぞ来てくださいました!」

ぜぇぜぇと息を荒げる若者に対して、アリヤは平然と民の話を聞いている。

「まずは、大蛇について聞かせてください」
「貴方達は、私にそれをどうして欲しいのですか?」

アリヤの問いに、火吹き山の民は顔を見合わせる。

「私達は……あの蛇を助けて欲しいのです」

思いもよらない答えに、若者が顔を上げる。

「あの蛇は、この山に現れてからずっと、人間を襲うことはありませんでした」
「山に深入りした狩人と出くわした時でさえ、それは同じだったといいます」

「鹿だって丸呑みするような大蛇が──それよりずっと足の遅い人間のことは決して食べないのです」
「まるで自らの意思で、そうと決めたように」

「今暴れているのだって……きっと理由があるのだと思います」

民はそこで一度、言葉を切る。

「……我々は、その蛇のことを『アサマ様』と呼んでいます」
「アサマ様、ですか」

アリヤは民が呼ぶ名を反芻するように口にする。
その言葉は、火を吹く山を広く指す呼び名であった。

(この山の民達は、山と蛇を同一視し始めている)

それは、ひとつの信仰が形を持ちはじめる瞬間であった。

アリヤは、それについて是非を断じることはなかった。
ただ、その名を静かに胸の内へと留めていた。

「そうですね」
「日が明けたら、まずは様子を見に行きましょう」



麓の民の話を頼りに火吹き山に足を踏み入れてみれば、その痕跡はすぐに見つかった。
草は剥げ、木々が薙ぎ倒されたその跡は、山奥へと進むように続いていた。

「うわっ……」
若者が思わず声を漏らす。
巨大な蛇、とは聞いていたがこれは予想以上かもしれない。

「この木はへし折れてから然程時間は経っていませんね」
アリヤが倒木に手を触れながら言う。

「まだあまり遠くには行っていないかもしれません、すぐに──」
その時。

──何処からか、メキメキと木の倒れる音がした。

「!」

若者が顔を上げる。

続いて、もう一度。
メキメキ、と。

若者が探るように辺りを見回すと、アリヤは既にひとつの方角を見据えていた。

「……居ましたね」

アリヤが歩む方へ、若者も慌てて付いていく。

──そこに居たのは、美しい生き物だった。

まるで誰かが意図して描いたかのように、規則正しく走る金の模様がその身を覆っている。
その合間からは、雪のように白い鱗が覗いていた。

息を呑むほど整ったそれは、どこか現実離れしていて──

「──綺麗」
アリヤは思わず、そう零していた。

「織物みたい」

未だ人の手には遠い、神々の身に纏うもの。
絢爛なそれに、アリヤは大蛇を重ねていた。

麓の民が、神の化身と思うのも無理はない。
そう思わせるだけの存在感が、その大蛇にはあった。

「うわぁ」
若者もまた、大蛇の姿を見て感嘆の声を上げていた。
この土地で、あんな模様の蛇は見たことがない。

長く生きた蛇の変化だとしても──何処か遠い場所からやって来たのだろうか。

ふたりが思わず見惚れていると──

メキメキメキッ。

大蛇が身を捩らせ木々を薙ぎ倒した。

若者は息を飲む。
人は襲わないとは言うが、それが今も同じとは限らない。

若者の腰が引けそうになったその時──

「お前は──あれをどう見る?」
アリヤが問いかけた。

「ど、どう見るって……」

「何でもいいのです」
「普通の蛇と違う所が分かりますか?」

そうだ。
このために自分は連れてこられたのだろう。

若者は、今も暴れ続ける大蛇へと目を凝らす。

「……首のあたりに、薄い皮のようなものがめくれているのが見えます」
「あれは多分……皮を脱ぐのが、うまくいっていないのだと思います」

「暴れているように見えるのも、もしかしたら……」

躊躇いがちに、若者は言葉を続ける。

「……どうにか皮を脱ごうとして、木々に身体を擦り付けているのかもしれません」

「ふむ」
「皮を脱がせてやれば──あれは大人しくなると思うか?」

「どう、でしょうか」

正直、蛇の気持ちまでは分からない。
それでも──

「それで助けられるものなら……私は助けたいです」

「……分かりました」
「では、どうすればいいか──お前の知恵を聞かせてください」

若者は、少しの間考え、神へと答える。

「まずは……水場に誘導してやる必要があるかと思います」



麓の民に聞いた所、山にほど近い場所に豊かな水源を湛える大沼があるそうだ。
そこならば、あの大蛇もゆったりと浸かれるだけの広さが有るだろう。
問題はどうやって大蛇を誘導するかという所だが。

大蛇が、意思を持って人を襲わないのなら──

「私が試してみましょう」
アリヤは、躊躇いなく言った。

「試すって……何をです?」
若者の顔には、不安が浮かぶ。

白布の「目」が、真っ直ぐ若者を見ている。

「説得です」



アリヤは、今もなお木々に身体を打ち付ける大蛇に、静かに近寄っていく。

「……聞こえますか」
アリヤの呼び掛けに、大蛇の首が、わずかにもたげる。

「皮が脱げなくて、苦しんでいるのでしょう?」
「大人しく私に着いてきてくれたら……手助けできるかもしれません」

大蛇は、動きを止めてゆっくりとアリヤへ首を向ける。

「……大丈夫よ」
アリヤは、大蛇へと歩みを進めようとして──その前に顔を覆う白布を取る。

その下から現れた、うら若き少女の顔には──左目に被さるように赤黒い痣が広がっていた。

アリヤは微笑み、大蛇に語りかける。

「私は──私も、貴方を助けたいと思ってる」

「何でだろう、貴方があんまり綺麗だったからかな」

そう言って笑うアリヤの姿は、神というより屈託ない少女のようだった。

大蛇は、その顔をじっと見つめている。
アリヤが伸ばした手が、そっと大蛇の顎に触れた。

「……一緒に来てくれる?」

大蛇の赤い瞳が、返事のように薄く瞬いた。



「本当に連れて来ちゃった……」

一足先に大沼でアリヤを待っていた若者は、大蛇を伴い現れた彼女を見て思わずそう呟く。

大蛇は暴れることもなく、大人しく彼女の側を這い進む。

そこで若者は、普段彼女の顔を覆う布が取り払われていることに気付く。

「あれっ。アリヤ様、お顔が──」

その下に隠されていた痣に、言葉が途切れた。

自分が見てしまっていい物なのか?
若者は戸惑うが──

「ああ」
「みんなには内緒ですよ」

そう悪戯っぽく微笑むアリヤに、思わず呆気に取られる。

「それで……この大沼に浸かればいいのですか?」
そんな若者の様子も気にせず、アリヤは尋ねた。

「えっ、ああ、はい!」
若者は慌てて返事をした。

「水に浸かってしばらく待てば……いくらか皮も柔らかくなるはずです」

「分かりました」
アリヤは羽織っていた長衣を脱ぐと、若者に放る。
「わわっ」

「大丈夫? 冷たくない?」
ゆったりと大沼の中へ進む大蛇に寄り添いながら、アリヤは声をかける。

──なんだか妙に仲良くなってない?
そんなことを思いながら、若者はその様子を見守っていた。



「アリヤ様!」
「そろそろです!」

アリヤが大蛇と共に大沼に入ってからしばらく経つ頃、若者が大声で合図を送る。
それを聞くとアリヤは、懐から黒く艶を帯びた石片を取り出した。
それは八つ山の石を砕き、その欠片から削り出された──最も原始的な刃だった。

「……じっとしててね、心配要らないから」

水を吸った古い皮は、十分に柔らかくなっている。
一度大蛇を撫でると、アリヤは迷いなくその皮へ刃を当てた。

息を吸い込むでもなく、水に潜る。
大蛇の古い皮を一気に切り裂いていく。
何層にも積み重なったそれは、もう長い間、まともに皮を脱げていなかったことを物語っていた。

そしてその尾まで、アリヤの刃が走った時──
大蛇が大きく一度、その身をうねらせた。

(わっ!)

思わず、アリヤは大蛇にしがみつく。
引き上げられるように、彼女は水面へと浮かび上がり、そして──

──その腕の中に居たのは、白髪はくはつの美しい娘だった。
赤い瞳と、間近に目が合う。

「……あれぇ?」
アリヤは思わず声を上げる。

「私、私は……」
娘は何かを言おうとしてそのまま気を失う。
アリヤは慌てて、その身体が沈まぬように抱え直す。

「アリヤさまー! 上手くいきましたかー!?」
遠くから若者の声が聞こえる。

「こっち見ない!」
反射的にアリヤが叫ぶ。

娘は、何も身に纏っていなかった。

「とりあえず火、起こして! 火!」



娘が焚き火の側で目を覚ました時──隣には、顔を白布で覆った女が座っていた。

「あっ……」

娘が小さく声を漏らすと、女の肩がぴくりと跳ねた。

「……」「……」

「アリヤ、って呼ばれてたよね?」
「助けてくれて……ありがとう、アリヤ」

返事は、ない。
焚き火の音だけが、少し大きく聞こえた。

「顔」
「なんでまた隠しちゃったの?」
気を失ってる間に着せられた長衣の袖を握りながら、娘が聞く。

「いやぁ……」
白布の向こうから、バツの悪そうな声が聞こえる。

「蛇なら気にしないだろうと思ってただけというか……」
そう言いながら、女は白布の向こうで左目の位置にそっと手を添えた。

「……」「……」

「私だって、気にしないよ」
少しだけ、拗ねたような声に聞こえた。

「あっ」

アリヤが気付いた時には、娘はその白布に手をかけていた。

「……うん、やっぱり顔が見えてる方がいいよ」
娘は目を細めて、アリヤの顔を覗き込む。

「そう、かな」
「そうだよ」

娘は綻ぶように笑い──アリヤも釣られて口元を緩める。

焚き火に照らされる中、ふたりの少女はただ笑いあっていた。



それから娘は──ゆっくりと、自分のことを語った。

遠い場所にある王国の王女であったこと。
ある日やって来た軍勢に国が滅ぼされたこと。
自分ひとり生き残ったが──その者たちによって、大蛇の姿へと変えられたこと。

『お前たちが神の末裔だというのなら──先祖の姿へ還るがいい』

そして火吹き山に辿り着き、そのまま長い時を過ごしていたこと。

「……麓の人達が、私をそっとしておいてくれたのはありがたかったな」

そう語る彼女の瞳は、けれどどこか寂しげだった。

「……彼らは」
並んで焚き火に当たりながら、アリヤはぽつりと語り始める。

「貴方のことを、山の神として扱いつつありました」
「……貴方が、彼らの暮らしを尊重していたからだと思います」
「私に……貴方を助けて欲しいと求めたのも、彼らでした」

「私は……」
「これからどうすればいいと思う?」
娘は膝を抱えながら、アリヤを見る。

「……」
「彼らに話せば」
「貴方が暮らすための社くらい、用意してくれるはずです」

アリヤは娘の赤い瞳を見つめたまま、言葉を選ぶように続けた。

「貴方には既に──神としての格が備わっている」

それは彼女を先祖の姿に変えた呪いのせいか──
あるいは麓の民からの「名付け」によるものかもしれない。

「私は……」
何かを言おうとして、娘の言葉はそこで途切れる。

「少し、考えさせて」

焚き火のはぜる音だけが、ふたりの間に残っていた。



次の日、アリヤは若者を連れて自分の山へと帰ろうとしていた。
顔を覆う白布は、今は右半分だけは見えるようにずらされている。

「本当にありがとうございました」

火吹き山の民が頭を下げる。

「貴方様のお蔭で──アサマ様も本来の姿を取り戻せたようで」

「ええ、彼女は今や、正真正銘この山の神です」
「どうか──丁重に扱ってあげてください」

そうしてアリヤ達が集落を出て、正に出発しようとしたその時──

「待って!」

娘が、アリヤの元に駆け寄って来た。

「やっぱり私も……私もアリヤと一緒に行く」
その眼差しには、決意が滲んでいた。

「なっ……」
「何を言っているんですか!」
アリヤは、彼女には珍しく慌てて言い返す。

「私なんかに付いてきたって……良いことなんて何もありませんよ」
その言葉には、何処か自嘲めいた響きがあった。

「何が良いことかなんて、私が決める」
毅然とした言葉だった。

見つめ合うふたりの間に、しばし張り詰めた空気が流れるが──

「いいじゃないですか、来たいって言うなら連れていってあげれば」
「アリヤ様だって、あんなに仲良くしてたじゃないですか」

若者が、横から口を挟んだ。

「軽く言うけどねぇ」
「この娘はもう、この山の神として定義付けられてしまっているの」
呆れた調子で、アリヤが言う。

「それなら尚更、アリヤ様が神様の仕事を教えてあげた方がいいんじゃないですか?」
「その子、神様になったばっかりなんでしょ?」
若者の口調は、なおも軽い。

「こう……あっちの山で暮らしながら、こっちの山の仕事もしたり、とか……」
言いながら、流石に自分でも適当なことを言ったと思ったのか、だんだんと言葉がしぼんでいく。

「……」
「はぁ」
しばらくの沈黙の後、アリヤは溜め息をひとつ吐いた。

「まあ、方法については、帰ってから考えましょうか」

「……! それじゃあ!」
娘の顔に、笑みが浮かぶ。

「ええ」
「一緒に来ていいですよ、王女様」

「やった! ありがとうアリヤ!」
「ちょっ……」

娘は喜びの声を上げて、アリヤに抱き付く。
アリヤは半ば困惑しながら、ただ空を見上げていた。



「ところで、これから貴方のことをどう呼べばいいでしょうか」
「民からは──アサマ様、と呼ばれていくのでしょうが」

「ふふっ」
娘は小さく笑い、歩きながらアリヤのほうを振り返った。

「えっとね、私の名前はね──」

八つ山への帰り道を、三つの人影が進んでいく。
その足取りは、行きの時よりずっとゆっくりとした物だった。

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