Coolier - 新生・東方創想話

ステファンの鐘

2026/05/27 22:13:19
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 布団からゆっくりと起き上がり、眠気を覚ますように伸びをする。そのままぼんやりと部屋を見渡しながら、頭の中を整理する。

「誰ですか」
「……どのくらいで気付くか楽しみにしていましたが、まさか寝起きにすぐとは思いませんでした」

 掛け軸をぺろっとめくって裏から現れたのは、おそらく妖怪。ナイトキャップと謎のまんまるがいくつもついているモノクロのワンピースを身に纏い、牛のような尻尾をゆったりと揺らしながら、胡散臭い笑みを貼り付けてこちらを見ている。緩み切った態度から敵意は感じられないが、とりあえず友人ではない。

「もしもそうであれば謝罪しますが、八雲紫様、もしくはその使いの者ではないですよね?」
「彼女の名は存じていますが、友人ではありません。というより彼女に友人がいるかも……おっとどこで聞いているかもわかりませんのでこれ以上は。ふふっそれよりどこで気づいたんですが?これが夢だと」
「これって夢なんですか?」

 お互いに顔を見合わせて首を傾げる。現状、わからないことだらけ。しかしどうやらそれはお互い様、向こうもこちらのことを正確には把握していない様子。まずはそこから始めよう。

「私は深夜に、自室の机で読み物をしていました。そこから布団に入った記憶がありません。普段から無断で誰も入るなときつく言っているので、布団の中で目が覚めるという時点でおかしい。十中八九、うたた寝をしてしまったはずなので」
「なるほど。稗田の記憶と合致しないということは、何かがおかしい。介入したものがいるとの判断ですか。面白いですね」
「それで、ここは夢だと仰っていましたが」

 立ち上がって部屋を見渡す。状況が違ったから気づけたとは言え、改めて見てもいつもの自室、違いはほとんど見られない。完璧と言っていいかもしれない。それでも重箱の隅をつつくのであれば、寝る前に読んでいた小説も飲みかけの紅茶も机の上には置かれていなかった。

「貴方は夢の妖怪でしょうか」
「如何にも。御阿礼の子と会うのは初めてですね」
「そうなんですか?」
「貴方達は夢を見ませんから。夢とは睡眠時に行う記憶の整理、その際に現れる無意識の領域」
「御阿礼の子には完璧な記憶がある。記憶の整理が必要ないから夢を見ない」
「ご名答」
「だとすればこれは非常に稀な機会ですが、生憎とまだ幻想郷縁起の執筆は始めておりません」
「それは残念。こちらも長く生きていましたが、取材を受けたことはないので。もし次があれば楽しみにしておりますよ」

 その言葉が嘘か真か、妖怪は緩い笑みを浮かべたまま、現実世界で私が眠りについているであろう席に我が物顔で腰掛ける。どこからともなく取り出されたカップで、美味しそうに紅茶まで飲みながら。

「それで、この夢の世界からはどうすれば帰れるのですか」
「面白いことを聞きますね。人は皆、その答えを経験で知っているものです。しかし、貴女が知らないのも無理はない」

 にやにやと笑いながらこちらを誂うような態度が鼻につく。ここは相手のペースに乗らないことが大事。

「真に恥ずかしいのは無知ではなく、無知のままでいることです。それに、知ってしまえば私は忘れない」
「時間が経過すれば勝手に出られますよ。眠りから覚めるのと同じです」

 だいたい予想した通り。くどい言い回しと気の抜けた表情とは裏腹に、疑問には割と素直な答えが返ってくる。そこまで意地の悪い性格でもないらしい。少なくても、彼女には私を閉じ込める気はないようだ。

「では何のために、私をここに招待したのですか?」
「因果関係が異なります」
「ほう?」
「私が支配しているのはあくまで夢の世界。夢を見ない者には干渉できません」
「ならば、私を夢の世界に連れ込んだ人物がいると。ではその目的は」
「さあ?でも推測はできるかもしれません」
「それってどういう」

 こちらの問いかけの途中で、妖怪は机に突っ伏すように倒れる。突然のことで驚きはするものの、相変わらず力の抜けたような笑顔でこちらも見上げてくるので、調子が悪いわけではないようだ。夢の世界とはいっても、殴りてえと思うだけでダメージを与えることがないことに安堵する。

「何をしているんですか」
「何をしていると思います?」

 少しむっとしてしまう。これは先程の問とは意味合いが異なる。知ってるか知らないかの話ではなく、考えればわかると言っている。知識ではなく知性を試されている。かといって彼女の動機を理解できるほどの人生経験はなくて。結果として黙り込んだまま、じっと見つめることしかできない。机に突っ伏したときに倒れたカップから、紅茶が溢れてしまっている。それが本にじんわりと滲んでいくのを見て、夢の中の出来事と理解していても嫌な気持ちになる。

「本当に?」

 妖怪の放つ短い言葉が胸に刺さる。まるで心を読まれたのかと錯覚するような。背筋に冷たいものが走った気がした。もう1度考えて、じっくりと観察する。理解した。慌てて机の上の本を手に取って検める。中身は白紙だが、書かれているタイトルは貸本屋で借りた小説、私が寝る前に読んでいたもの。さっと血の気が引く。他人事ではなかった。机の上で零れた紅茶と、それが染み込んで駄目になっていく本、その光景は私の部屋で現実に起こっているもの。

「気づいたようですね」
「どうしよう……」

 思考が浮かんでは消えて、どうすればいいのか定まらない。そんな私を他所に、妖怪は濡れた服を着替え、新しい紅茶を取り出す。相変わらずゆったりと寛いでいる。

「混乱しているようなので、思考をまとめるお手伝いをして差し上げましょうか?暇つぶしとして」
「……お願いします」

 この妖怪は信用には値しないが、この言葉自体はありがたい。今のパニックに陥っている頭でいくら考えたところで、いい方向に進むとは思えない。思考整理の手段として、他者との会話は実際に有効である。

「貴方は何を困っていますか」
「自室でうたた寝してしまい、その際に……恐らく零したであろう紅茶で、借りていた本を駄目にしてしまったこと」
「ではその失敗に対してどういう解決策を取るべきですか」
「正直に謝罪したうえで弁償するべき」
「ではその選択を取れない理由はなんですか」
「……私は御阿礼の子、幻想郷で最も読まれるべき本を執筆するもの。そんな人物が他者の本を蔑ろにすると思われてはいけないから」
「なぜ?」
「本を大事にしない作者の本を、読者はきっと大事にはしてくれないから」

 これは私自身のちっぽけなプライドによるものではなく、私の天命に関わる問題だ。

「では、貴女が本を蔑ろにする人間だと思われないようにするには、どうすればいいですか?」
「えっ」

 私自身ではそこで思考が止まっていたので、さらに次のどうするのという問いかけに、答えを窮してしまう。

「……証拠隠滅。燃やす?」
「貸本屋をですか?」
「いや、そこまでする必要はないですね。私が本を借りたことを知っている人物を闇に葬れば……」

 いつもは女中を使いとして送っているので、顔は見たことのない貸本屋の店主。家の者にはまだバレていないだろうから、その人物だけ消せばいい。いや、もう1人、目の前の妖怪を見つめる。

「……」
「……」
「……あの」
「別の方法を考えましょうか」
「そうですね」

 そもそもこれは自己責任。名誉挽回のために他者を巻き込むほど身勝手なことはない。目の前の妖怪は別。私が頼んでないのに、向こうからのこのこやってきたから、こいつは自業自得。

「先回りするようですが、信用を取り戻すことはもちろん可能です。しかし、それはとても地道で時間のかかる行為です」
「あまりお勧めしないと」
「人間は時間が限られていますからね。貴方は特に。経験談ですよ」

 貴女が信用されないのは、普段の立ち振る舞いとそのにやにや顔のせいではないかと思ったが、発言それ自体は正しいので突っ込まないでおくことにする。

「加えて先人からのアドバイスです」
「先人」
「何か問題でも?」
「失礼ですが、おいくつですか?」
「私は夢の支配者、夢の中では貴方達の世界と同じ時間が流れているわけではありません。よってその質問はただ失礼なだけで何の意味もありませんよ」
「まあでも年上でしょうね」
「本当に失礼ですね」

 にやにやと笑っている表情は崩さずに、セリフとは裏腹に特に不快に感じた様子もなく答えてくれる。そして薄々思っていたが、やはりここは時間の流れが異なるようだ。起きてみれば思ったよりも時間は経過していないのかもしれない。

「でもいい方法を教えてくれるんでしょう?」
「えぇもちろん。私はとてもいい妖怪ですので」
「もし覚えていたらそう記載しておきましょう。夢は見ると言いますし」

 果たして私の能力は夢にも適応されるのだろうか。それは起きてみないとわからない。

「諦めが肝心です」
「無用の長物、竹頭木屑、夏炉冬扇、遠水近火、記問之学」
「その豊富な語彙の知識も、まさに今この状況では私と同じく役立たずですね。無理なものは仕方ないではありませんか。正直に言って、謝って弁償して、貸本屋には秘密にしてもらう」
「黙ってもらえる保証はないですし、それを弱みに強請られでもしたらどうするんですか」
「同族でしょう?少しは信用してはいかがですか?覆水盆に返らずという言葉もありますし、同じ本が手に入るわけでもない。明日はちょうど貴方と同じ年頃の娘が店番をしているはず。秘密を共有するというのは仲を深める方法としては悪くないと思いますよ?これを機に友達を作っては如何ですか?友好的になるのに有効。ふふふ」
「……」
「……今のは仲を深めるという意味の『友好』と、効果があるという意味の『有効』を」
「本当にそうでしょうか」
「どこに異議が?」
「零れた水は元に戻らない。これは自然の摂理です。しかし幻想郷ならこの程度の摂理、いくらでも捻じ曲げることはができるのではないでしょうか」

 常識的に考えれば、この妖怪の言葉がまさに正論、正しい理屈である。しかしここは幻想郷、その程度の常識に囚われる世界ではない。

「まあできる方もいるでしょうが、貴女はできるのですか」
「できません」
「できる方が知り合いにいるのですか」
「いません」

 あと数年後、もう少し八雲紫と強いコネクションがあれば話は違ったかもしれない。しかし今から会いに行って、初めまして助けてください!と言える相手ではない。

「やっぱり不可能では」
「もう1つの選択なら可能です」
「もう1つ?……同じ本を手に入れる方ですか?てっきりこの里には同じ本がもうないから悩んでいるのだと思っていましたが、あるならそれを買って代わりに返せば解決ということですか」
「いいえ。貴女の仰る通り、幻想郷にこれと同じ本はありません。もし売っているのであればそもそも購入しています。貸本屋を使ったのは、売っておらず借りることしかできない、あそこにしかなかったからです」
「ダメじゃないですか」
「ないなら作ればいいんですよ」
「はあ……」

 呆れたように妖怪が机の上でびちょびちょになった本を手に取り、それをこちらに見せる。夢の中のコピーは白紙だが、おそらく現実では紅茶が滲んで、ほとんど字が読めなくなっているだろう。

「原本がこれでどうやって」
「私の能力で。幸いにも読み終えてから寝落ちているので、全てを記憶しています。それこそ全文、記号や段落分け、元から本についていた傷や汚れまで。完璧に」
「理論はわかりました。しかし実践できるのですか?」

 やっと見えた希望に気持ちも上がってきたところで、覆水を頭にかけられたような気分だ。結局の所、彼女の言う通り。いくら完璧に記憶していたとして、それを再現するのは不可能。もちろんぱっと見でわからない程度でも構わないが、それでも時間と道具が足りない。机上の空論、絵に描いた餅、夢物語。

「……しかし、面白い発想だとは思います。ふむ、その夢物語がどのような形になるのか見てみたくなりました。夢の世界における初回特典のサービスです」

 妖怪の右手に現れたのは白紙の本。見た目は借りた小説とそっくりそのまま。そして左手に握られているのは筆。

「筆」
「私の尻尾の毛で作りました」
「ばっちいですね」
「ばっちくないです」
「そんなことより」
「ばっちくないです」

 どうでもいいことなのに意外と食い下がってくる。本当に汚いのだろうか。

「印刷って知っていますか?」
「知っていますよ。活字拾いが原稿を元にパーツを組んで組版を行い、それを使って印刷する」
「その工程に筆は必要ないですよね」
「生憎と私には、『活字印刷と似た質感の文字を書くことができる筆』を生み出すことはできても、『貴方の読んだ本に使われた活字と全く同じパーツ』を生み出すことができません」
「理由を聞いても?」
「私はその本を読んでいません。貴方のように完全に記憶しているわけでもありません。いくら夢の中でも、『本に書かれたものと完璧に一致する活字のパーツ』を作ることができません。それがどんなものかがわからないので」

 都合のいい筆を作ることはできても、知らないものは作れない。そういう理屈らしい。できるできないの真偽はともかく、この妖怪はこれ以上をする気がなさそうだ。ならば私のすることは1つ、目を閉じて本の内容から、汚れやシミ、活字の癖まで完全に思い出していく。

「一晩でやってやりますよ」

 筆を執り、本に物語を思い出させていく。これが稗田阿求の初めての執筆。













「できた!!」
「おめでとうございます」

 どれくらい時間が経ったかは分からないし、夢の中ではそんなものには意味もない。肉体的な疲労感はないが、代わりに精神的な疲労を強く感じる。これらを踏まえると、あくまでざっくりとした体感にはなるが、宣言通りの一晩と言ったところだろうか。

「見せていただいても?」
「……構いませんけど」

 私の執筆中に不可解な踊りをしていた妖怪に、完成した本を手渡す。彼女が他者の努力を無得にすることに愉悦を感じるタイプであれば、わざわざ助けた上でどん底に突き落とす可能性はある。不用意に本を渡すのは危険かもしれない。しかし、それなら本の損害は妖怪の仕業だと、何の躊躇いもなく言うことができる。そうすれば稗田の責任問題はおおよそ解決する。しかし、妖怪は中をぱらぱらと捲ると素直に本を返してきた。

「原本を知らないので何とも言えませんが、ぱっと見は何も問題なく普通の本のように見えますね」
「普通の本?甘いわ。ほぼ完全な写本といって差し支えがない。ページに残っている折り目の癖から、字の間隔の細かなずれまで忠実に再現している。少なくても人間の目では、たとえ本物と見比べたとしても、その違いは分からないでしょう」

 ちょっとテンションがおかしいのは自覚しているが、体感時間で徹夜明け。仕方ない。それだけ夢中でやったのだから。

「さて、あとは夢の中でできたことを現実の世界でも繰り返すだけですね」
「ぶっ殺しますよ?」
「冗談ですよ。言った通り、初回特典のサービスです。こちらとしても中々に面白い見世物でしたので」
「いい御身分ですよね」
「その言葉を否定はしませんが、今回の件は自業自得でしょう?貴方が私に言うべき言葉は本当にそれで正しいのでしょうか?」
「……助けてくれてありがとうございます」
「いえいえ、困ったときはお互い様ですから」

 最後まで腹の内の読めない妖怪だった。しかし助けてもらったのは事実、礼は尽くすべき。今更ではあるけれど。

「では、できた本を抱えてください」

 素直に言う通りにすれば、妖怪の手には私の身長よりも大きな斧。刃にはわざとらしくべっとりと血が付いており、それを思い切り振りかぶっている。

「……何をしています?」
「そろそろ現実の世界に返してあげようと」
「他に方法は?」
「もちろんありますよ」
「ならなぜこんなバイオレンスな手段を」
「……趣味でしょうか?」
「やっぱり最低ですね」

 最後に見たのは妖怪のにやにや笑い、振り下ろされる自分の体重より遥かに重い鉄の塊の気配、前世も含めて経験のない頭に響くような重い衝撃。

「っ!?」

 慌てて飛び起きる。背中に汗をびっしょりかいて、寝間着が肌に張り付くのが気持ち悪い。わかっていたことだが、机に突っ伏すようにして眠っていた。飲みかけの紅茶が零れているところまで、全て知っている。机の上に置かれたびしょびしょに濡れた本も。しかし、それとは別に懐に抱えている、私が夢で作った本は濡れていない。時刻を確認する。まだお昼前、湯浴みしてから本を返しに行っても余裕がある。身嗜みを整え直し、遅めの朝食を取る。出かける前に夢の妖怪について簡単にメモでも記載しようかと思い、筆を執ったがすぐにやめた。昨夜のことは記録には残さないでおこう。













 家を出てから1刻は過ぎただろうか、今も私は鈴奈庵の近くで様子を伺っている。バレる心配はないと思っているが、それでもいつものように女中に返却を任せるのは避けた。何か揉めた時に誤魔化す必要があるから。自らの足で返しに行くしかない。お昼前、鈴奈庵に到着したまではいいものの、いざ返しに行こうとすると色々なことが頭を巡り、足が前に進まない。そうしている内に、お店はお昼の休憩に入ってしまう。仕方なく、こちらも近くの定食屋さんでお蕎麦を啜ることに。食べ終わって改めて店の前に到着し、外から様子を伺ってみたところ、店番をしているのは自分と同じくらいの年の頃の少女。こんな子供1人騙すために、ここまで苦労しする必要があったのかと疑問に思えてくる。勝てる勝負に身を投じないのは慎重ではなく臆病。頭の中でのシミュレートも5周目、結論は変わらず。やってしまえばこれだけ悩んだのが馬鹿らしくなる程、あっけなく終わるのは百も承知。大丈夫、何度も心の中で念じて、やっと歩を進める。

「すいません」
「はーい」

 自分の声が少し上ずってしまっただろうか、意識し過ぎているだけで気のせいか。店員の女の子はそんな私を内心で訝しんでないだろうか、笑っていないだろうか。顔を見ることができないからわからない。

「あれ?……稗田様、ですよね?」
「はい。本を返しに」

 こちらが何も言わずに固まっていると、女の子の方から声をかけてくる。そうだ、私は稗田乙女、今は貴女と同い年くらいかもしれないが、こちとら人生9周目。超ベテランのお嬢様。何事にも動じない鋼の心で対処する。大丈夫、簡単なこと。私はただ本を返しに来ただけ。

「珍しいですね。いつもは女中の方が返しに来るのに」
「そういう日もあります」

 今その話って必要ですか?と口から出そうになるのを慌てて引っ込める。こちらから攻撃的になってはいけない。威圧に怯えて大人しくしてくれるならいいが、反撃してくるようなら藪蛇になる。できるだけ会話は簡潔に少なく、綻びを作らない。大丈夫。何もおかしなところはない。……いや、本当か?さすがに今の態度は冷たすぎないだろうか。バレないためとはいえ、稗田家の当主として相応しい態度ではなかったかもしれない。反省。努めていつも通りに振舞うだけでいい。稗田乙女が貸本屋の娘に取るべき態度はなんだ?深入りしない程度に友好的。これだ。友好的なことは有効。誰だ今の。女の子がすっと手を出してきた。なんだこれは?とりあえず友好的だと示すためにも握手に応じてみる。HANDSHAKE。私は欧米文化にも詳しいお嬢様。好きなものはTEAとJAZZとBOOK。対戦よろしくお願いします。

「えっ」
「はい?」
「あの、本を……」
「……」

 彼女の右手は握手で封じられているのだから、左手に持った本で頭を殴れば防げない。これで彼女の記憶を消すしかない。だめだ、和綴じだから硬さが足りない。仕方がないので、諦めて本を手渡す。

「じゃあ確認しますね」

 手渡した私の本(私のものではないが私が作成したものだから語弊はない)を女の子がぱらぱらと捲って検める。拍子抜けなくらいに雑に。

「あれ?」

 彼女からの疑問の声、まずい!バレたか!?もうやるしかないじゃない!!左手の本で彼女の頭を。だめだ、本は渡してしまっている。そもそも和綴じ。いや、そうじゃない。落ち着け。大丈夫。私は人生9周目。数多の困難を乗り越えてきた。こんなものは屁でもない。そもそもバレるはずがない。

「……」

 彼女はしばらく本を見つめた後、えっ?何?……本のページを開いて顔を押しつけて、匂いを嗅いでいる?何?きもい。そして表紙の角の所をペロッと……舐めている?えっなんで?わかんない。人生9周目にして知らないことが出てきた。怖い。

「えーっと……稗田様?これ、うちの本じゃないですよね?」
「ごめんなさい!!」

 でも大丈夫、まだきっと誤魔化せる。まずは話を聞いて、どこがおかしいと思ったのかを確認して、そこから論破すればいい。私は幻想郷縁起の執筆者、里で最も言葉を使うことに長けた人物。小娘1人騙すなんて朝飯前。まずは、ごめんなさいの次の言葉を……あれ?私、今謝った?認めちゃった?ここからでも食らいボム間に合う?もうコンティニュー画面じゃない?決着―っ!!

「えっ、ほら、泣かないで大丈夫ですから。ね?怒って……ないでいいのかな。いや貸本屋としては怒った方が、まあいいや。とりあえず私は怒ってないですから。何があったか教えてください」

 優しい手つきで頭を撫でられる。泣いているわけがないだろう。今は同い年でも、人生経験が違うのだから。というか触るな、本の匂いを嗅いで味見するきもい女。冷静に考えるまでもなく意味が分からな過ぎて本当に気持ち悪いな。とりあえず負けてしまったら後は敗戦処理、どこまで被害を減らして穏便に済ませるか。そのためにも簡潔に、理路整然と何が起こったのかを説明する。言葉がうまく出てこない。これでは埒が明かないので、自身の罪の証を見せる。

「うーん、なるほど。これはまた派手にやりましたね……」

 紅茶に濡れた方の本(濡れた後、無理やり乾かして懐に仕舞っていたせいで、本どころか紙と呼べるかも怪しくなってしまった)を受け取った彼女は、私の顔と何度か見比べて少し悩む素振りをすると、ため息をつく。人の顔を、稗田乙女の顔を見てため息をつくなんて失礼な。

「さすがにここまでいくと、もうどうにもなりませんね」

 彼女は本(だったもの)を机の上に置くと、そのままわざと湯飲みをひっくり返す。何が起こったのかわからない私を他所に、もともと濡れて駄目になっていた本(だったもの)はさらに水分を吸ってふにゃふにゃになっていく。

「ぎゃあああああ!?!?」

 深呼吸をしたと思うといきなり叫び声をあげる彼女。心臓が止まるかと思った。危うく全てから逃げ出して10周目に突入するところだった。

「何!?どうしたの!?」

 奥から彼女の母親らしき人がやってくる。机の上の惨状を見て状況を誤って理解したであろう母親が、こちらに謝ってくる。

「稗田様、うちの不出来な娘が申し訳ございません。これは借りる予定の本でしたか?」
「えっいや、これは返却しに来た……」
「そうでしたか。それなら不幸中の幸い、ほらあんたも謝って。だから店番中に湯飲みを持ってくるなっていったじゃない!!」
「ごめんなさい」
「いや、いいのです。その、お気遣いなく」

 こうして私の犯した罪は綺麗に丸く収まった。2度も茶を被った本と、私の代わりに罪を被った彼女によって。せっかく庇ってもらったのだから、彼女の善意を無駄にすることはできない。そんな都合のいい言い訳を盾に。本を渡す直前から繋いだままだった手を離すと、こちらの汗でびっしょりと濡れていて。犯行現場から逃げる犯人のように、そそくさと店を後にする。店を出た後も、彼女が母親から叱られる声は聞こえていた。













 あれから1週間が経過した。あの時は状況に流されて何も言わずに帰ってしまったが、あの子に口止めをしたわけでもなければ、そもそも信用していい理由もない。もちろん、あの子が改めてお茶を零した時点で、私の罪を示す証拠はなくなっている。だから、今さら蒸し返したとて、口八丁でどうにでもなる。しかしそれは、一時的にでも自分を庇ってくれた相手を蹴落とす行為。最も恥ずべき行いだ。でもこれはあくまで私個人の感情の話。対して私の作者としての信用、幻想郷縁起の価値自体は、稗田の家どころか幻想郷における積み重ねた歴史の重みがある。天秤にかけて比べていいものじゃない。だからどれだけ悩もうとも答えは決まり切っている。私にできるのはそうならないことを祈るだけ。自室でため息をついていると、外から女中が声をかけてくる。

「9代目」
「なんでしょう」
「鈴奈庵のものが本の引取にきております」

 1週間前に返却したのは1冊だったが、それ以外にも鈴奈庵からは本をいくつか、というか結構な量を借りている。返却の際に、量が多い時は出張で引取に来てくれるサービスがある。普段は当日朝までに準備して、女中がそれを渡しているため、やはりここでも貸本屋と顔を合わせることがない。しかし今回はすっかり忘れてしまっており、準備をしていない。

「少し待ってもらってください。急いで準備しますので」
「それならお手伝いしますのでお気になさらず」

 女中の横からひょこっと顔を出したのは、鈴奈庵の少女。私が今、最も会いたくない相手。少女は女中に軽く会釈すると、ずんずんと足音を響かせるような勢いで(実際には髪留めがちりんちりんと、前見た時には気づかなかったけど記憶を辿ればその時も付けていた。なんで鈴をつけているんだろうか。変な奴)部屋に入ってくる。女中はそのまま下がってしまう。取り残されて2人きり。もうやるしかないのか?今日は洋綴じの本も手元にあるぞ。

「ぼさっとしないで、ちゃっちゃとやっちゃいましょう。あんまり長居させられちゃうと、追加料金を取らないといけなくなるので」
「えっ、あ、はい」

 手をパンパンと叩いてこちらを急かしてくるので、それに従って返すべき本を集めていく。彼女はそれを受け取ると、1冊1冊を検本していく。もちろん特に問題はない。

「そういえば」
「ひぃっ!」
「なんで本を駄目にしちゃったか聞いてなかったですよね」
「……夜更かしして本を読んでいて、眠気覚ましに紅茶を入れたんだけど、寝落ちして、ひっくり返して、それで」

 改めて自分で言葉にすると自業自得でしかない。危機管理不足。稗田乙女の恥さらし。

「なるほど。気持ちは非常にわかりますが、うちも商売でやらせてもらっています。本は商品なので、これからは気を付けてください」
「はい、その、すいません」
「まあお得意様ですし、普段返却されてくる本の扱いを見れば、わざとではないのは理解していますので」

 しかし彼女は、責めるというよりもどちらかというと共感を示し、その上でこちらに注意する。言っていることにおかしな点は何もない、強いて言うなら甘すぎるくらい。だから、こちらにも少しだけ心の余裕ができて、ついつい余計なことまで聞いてしまう。

「その、大丈夫だった?」
「さすがにあの本はもう商品にはならないので」
「そうじゃなくて、怒られたのでは」
「それはもうすっごく!」

 今まで大人しく、はなかったな。我が物顔でずかずか部屋に入ってきたし。

「あれから罰として、お小遣いなしでずっと店番させられているんですよ。ひどくないですか?本当に私がお茶を零したのだとしても、わざとじゃないのはわかっているはずなのに。そのおかげで今日だってこうして」

 自分は悪くないのに、私を庇ったせいで向けられた矛先。しかし、真実を告げて避けることもできずに、ただただ不満を抱えながらその身に受けきることになったのだろう。そしてその不満を愚痴として吐き出せる相手は、共通の秘密を持った私だけ。こちらの様子を気にせずに、よく回る舌から発せられる矢継ぎ早で、思いついた言葉をそのまま発するような文句が止まらない。この子、会話が下手糞だ。きっと友達も少ないのだろう。

「稗田様はどう思います?」
「えっ……いや、貴方の言う通りだと思うわ」
「やっぱり年齢が変わらないのに、稗田様って呼ぶのは変ですよね。じゃあ阿求って呼ぶことにします」

 何がやっぱりなんだ?中身のない話だと思って聞き流しながら本を集めていたら、いつの間にかそういう話に?呼び捨てを承諾してしまったらしい。撤回するには、自分のせいで発生した文句を聞いていなかったと認めないといけない。さすがにそれはできない。

「改めて、私は本居小鈴、鈴奈庵の看板娘をやっている……っていうのは知っているか。小鈴でいいよ」
「あぁ、えっと、小鈴ね、わかりやすくて、いい名前じゃないかしら」
「やっぱり?読み聞かせの時の声が鈴の音のように綺麗な私にぴったりだよね」

 動くたびに音を鳴らす髪飾りを見ていったんだけど、幸か不幸かそれは伝わらなかったらしい。

「いやーよかったよかった。勢いでさっきの女中さんに友達だから大丈夫って言って入れてもらったから、これで嘘じゃなくなった」
「それって事後承諾で、その時点では嘘よね。というか今も承諾してないけど」

 言われっぱなしの私でも、さすがに突っ込みを入れる。というかこの子、突っ込みどころしかない。友達……?風が吹けば桶屋が儲かる。本に紅茶を零せば友達が生える。物事の因果関係というのは実に複雑怪奇である。襖を空けて女中を呼びつけて、軽く会話している小鈴を見てため息をつきながら、待って。

「何してるの」
「紅茶を飲んでみたくて。外国の作品に出てくるから1度体験してみたかったのよね。里では貴重だから高くて手に入らないし」
「うちでも貴重なものには変わりないんだけど」
「スコーンも焼いてくれるって。女中さん、9代目が友達連れてきたってすごくうれしそうにしていたけど。阿求って友達いないんだ?」
「……あんたもでしょ」
「そ、そんなことないよ!?ないけど……でももし仮にそうだとして、なんでわかった、というか違うからえっと、なんでそう思ったの?その、参考までに」
「会話と距離の詰め方が下手糞」
「友達いないやつに言われたくないけど!?」
「私は作らないだけ。人生9目よ?悪いけど同年代はもちろん、大人とも目線が合わないの。人外とは立場上、友人なんて関係にはなりえない」
「要は他人を見下している性格の悪さのせいで友達ができないんだ」
「見下しているんじゃなくて、私が高い位置にいるから、相手を見ようとすると結果的に見下ろすことに」
「わっ美味しそう!」
「話を聞けよ」

 小鈴は運ばれてきた紅茶と、来客用のラスクを受取り、私を無視して机の上に。同じ轍は踏まないようにと本は全て避難させると、サクサクと食べ始める。

「なんだっけ?阿求の性格が悪いせいで友達がいないって話?」
「私が優秀だから同じ位置に立てないって話」
「これすっごく美味しい!?」
「なんなのよあんた……。というか、あんまり遅くなると追加料金を取るんでしょ?本を集めるのを妨害して、お茶とお菓子もらって長居してお金まで取る気?」

 ラスクを口いっぱいに含む姿は間抜けなリスのよう。さすがに口に物を入れながら喋るのはだめだと理解しているようで、黙って食べている。というか私の分まで食べられた。でも帰宅する様子はない。……こいつ、スコーンが焼き上がるまで居座る気だ。

「んむっ、んくっ。……大丈夫。今日の仕事はこれで終わりだから、お母さんには友達の家に行くって言ってあるし」
「じゃあ早く行きなさいよ。あんたの少ない友達が」
「紅茶って思ったより苦いね」
「話を聞けよ」
「砂糖いれちゃお」

 ティースプーンで机に置かれた砂糖を小さじで2杯。ゆっくりとかき混ぜて口にする小鈴。少し考えてもう1杯。やっと満足そうな顔に。そんな彼女を呆れた様子で見つめる。これだから行き当たりばったりの愚者はだめなのだ。私のカップには運ばれてくる時点で既に3杯の砂糖が入れられている。

「阿求のこと」
「何が?」
「私の友達」
「えーっと?」
「友達の家に遊びに行くって。阿求のこと」
「……大きく張ったわね」
「本のこと好きでしょ」
「そりゃあまあ」
「私も。いい趣味してると思う」
「貸本屋からみたら読書家はお得意様だものね」
「いや、阿求が借りた本。全部読んだ」
「……」
「それくらいには私も本が好き。でも私の周り、特に同年代はあんまりそういう子がいないの。だから友達になりにきた」

 再び差し出された手。あの時は本を返せという意味だったそれを、今の自分は正しく理解できているだろうか。

「……友達っていうのは、同じ目線の高さじゃないといけないものらしいのよ」
「友達のいない阿求が語るんだ?」
「うるさい」
「あ、だから伝聞なんだ?わかんないもんね」

 身体があまり丈夫じゃなくて、なにより健康に気を遣ったところで他の人よりも短い人生なのは変わらない。でも今日からは家に引きこもってばかりおらず、少しくらいは運動をしようと思った。小鈴相手ならちょっと頑張れば勝てる気がする。私の右ストレートがその顔面を捕らえ、ノックアウトのゴング代わりに、髪飾りの鈴を鳴らすその日まで。

「とにかく、小鈴ごときに全部私と目線を合わせるようになんて無茶は云わない。でも貸本屋の娘で本が好きなんでしょ?じゃあ本の知識でくらい、私と同じ目線に立ってみなさい」
「ねえ阿求」
「何よ」
「友達として忠告するけど、やっぱりその性格は直したほうがいいと思うよ」
「なら小鈴も失礼な態度を改める努力をしなさいよ」
「阿求相手に?」
「親しき中にも礼儀あり」
「そうだね。私達は親しき仲だし」

 秘密の共有が仲を深めるというのは誰の言葉だったか、私達の関係が友達なのか、友達になれるのか、お互いにわからない。でも少なくても、今回は差し出された手に対して正解で返せたようだし、その答えもまた2人で探せばいい。スコーンが焼き上がるまで、まだ時間はあるのだから。
阿求が一晩でやってくれました
福哭傀のクロ
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コメント



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1.100篠蔵昭奈削除
その握手はもう借りた本に紅茶こぼしたとか些末すぎてどうでもいい次元だと思うの。恥は掻き捨て、ですね。
全体、皮肉の応酬の様な掛け合いが小気味よくて好きでした。
御阿礼の子は夢を見ないというくだりも面白かったです。
3.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです