Coolier - 新生・東方創想話

シャーロック・ホームズの片眼鏡

2026/05/10 19:15:24
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 私は咲夜が苦手だ。

「お食事をお持ちしました、妹様」

 そう告げた瞬間、私のための夕餉(どうせこの地下室に光は入らないのだから、全部が夕餉みたいなもんだけど)が一瞬にして食事用のテーブルに並ぶ。それはもちろん咲夜の、十六夜咲夜という人間の能力、時とか空間とかを操る程度の能力の所為。別にそれは構わない。確かに瞬きする間に無から物体が生じる(生じてるわけではないか)様子は奇妙ではあるけど、もう慣れたし、こっちとしては普通に便利だし、苦手に思うほどじゃない。
 そんなんじゃない。私が咲夜を苦手な理由……。

「うん、そこ、置いといて」
「承知しました。では、失礼いたします」
「あ! ちょっと! ちょっとさ……」
 
 しかしまったく、咲夜を呼び止めるのって至難の業だ。自分の用事が済んだらパッと消えてしまう。その当人は不思議そうに首を傾げて私を見返す。そいつの、馬鹿みたいに綺麗な銀の髪が揺れる。一切瑕疵のない真っ白な肌。地下室の薄暗い灯りを受けて月みたいに輝いて見える。

「妹様?」

 にこりと微笑む咲夜の口元から白い歯が覗く。その並びの美しい事と言ったら無い。どこを取っても完全で完璧。究極の美の化身が空から降りてきたみたいな、いっそ嫌味ったらしい造形美。
 でも。

「……何でもないわ。もう行っていいから」

 でも、私には見えている。きょとんとした咲夜の表情。その上にうっすらと張り付いている、魔力が。
 そう……魔力。
 もちろん目には映らない。並の人間はもちろん、妖怪やその他の種族であっても、特別な魔力への感度、センスが無ければ気がつかないだろう。それくらい巧妙にカモフラージュされている。
 けれども私には見えている。
 言うまでもなく吸血鬼の魔力感度は並じゃない。特に私は(自慢だけど)魔法使いとしては天才の部類だし。一度も修行なんてした事ないけど魔力操作は生まれた時から完璧にこなせたし。ああええと……だから! だから、咲夜の施した魔力のマスク(そう、それは正に魔力でできた仮面だった)も否が応でも見えてしまう。

「では、今度こそ失礼いたしますね」

 考えてみて欲しい。
 自分と同じ屋敷に住んでいる使用人が(使用人なんて雇えない? 貧乏ならせめて想像力を働かせなさいよ)、どんな時も仮面を被って過ごしていたら? もちろん普通の仮面と違ってその表情は伺える。でも、魔力の一枚越しに見えるものなんてアテになるもんじゃない。魔力とは、魔法とはそういうものだ。自然の法則を捻じ曲げる力だ。たった一枚の薄い膜を通しただけで、全てが幻想に変わる事もあるんだから。
 咲夜が音もなく部屋から消える。まだ温かい夕餉が後に残されている。私はそれに手を付ける。素晴らしい味わい。私の面倒くさい好みを完全に把握した味付け、焼き加減、付け合わせのチョイス、それでいて飽きさせない献立……。
 十六夜咲夜はパーフェクトなメイドだ。あいつが入れ込む理由もわかる。だからこそ、解せない。あの魔力の仮面。もちろんそれは今に始まった事じゃない。たぶん昔からなんだろう……昔は私の方がそれどこじゃ無かった。この頃は柄にもなく余裕が出てきた。そうなると、今度は日常のちょっとした事が気になるものじゃない? 
 いや……不可視とは言え四六時中何かの仮面を被った使用人なんて、やっぱり「ちょっとした」の域を超えている。だから私はすっかり咲夜のことが苦手になってしまった。あの子が何を隠しているのか、何故それを隠しているのか、そもそも隠すための魔法なのか……考えがまとまらなくなる。昔からの性分だった。一つの事が気にかかると、他のあらゆる事が手につかなくなるのよ。

「……突き止めたるか」

 あまり周りの連中は理解してないみたいだけど、私は静かなのが好きなんだ。静かって言うのはつまり、頭の中がぐしゃっとしていない事。余計な考えが湧いてこない事。このままじゃ、毎晩毎晩(外の世界での毎朝毎晩に相当する)顔を突き合わせるたびに、あの魔力の仮面の事が私の頭の中をかき乱す。
 だったらその秘密、突き止めて、破壊するまでだ。いつだってそれこそが私流のやり方なんだからね。


 ◯


「やめておいた方が良いでしょう」

 開口一番、パチュリーの返答はにべも無かった。私は口をへの字に曲げて対抗する。意味なし。この魔女は愛想というものが私以上に無い。

「なんで? パチェも見えてるでしょう? 咲夜の、あの……」
「妹様……あれは別に、やましいものじゃありませんよ」
「はあ? どう考えたってね、やましいというか、怪しいわよ。ずっと顔のあたりで魔力が渦巻いてんのが見えてたら、気持ち悪いでしょう……あなたならわかるでしょ」
「……妹様。それはもちろん、私も魔女の端くれですから。仰ることは理解できる」
「じゃあ!」
「魔力の仮面と仰いましたね。それは言い得て妙というか……妹様、仮面を被るのは何のためですか?」
「なぞなぞが聞きたいんじゃ無いのよ」
「誰しも謎の一つや二つは抱え持っているものですよ」
 
 いの一番に頼った相手はハズレだった。というよりこいつ、たぶん、グルだな。私の吸血鬼としての勘がそう告げている。
 確かに咲夜の才能は天才的だけど、顔面に薄い魔力を維持し続けるとか、そういう細かい芸をやるには大味すぎる才能だ。その手のはむしろこの魔女、知識の宝庫、動かない大図書館の得意分野。何やら訳知りって風の口ぶりも尚更に怪しかった。
 とは言えそれは、裏を返せば、パチェからは絶対に何も出てこないって事だ。事情を知っていてあえて黙ってるんだもの。私が何と言おうと絶対に口を割らない……むしろあまりがっつくと、咲夜にまで話が行きかねない。咲夜本人に警戒させてしまえば話が余計にめんどくさくなっていく。

「……ま、いいわ。ちょっと気になっただけだし。そこまで言うならやめとく」

 ちらりとパチュリーの視線が持ち上がる。けれどすぐに元に戻った。
 それでいい。私は気まぐれなフランドール。そう思ってくれたらいい……ふん、こっちにだってまだまだ手段はあるのよ。

「あーあ、ちょっと散歩にでも行こうかな……」
「誰か人をつけましょうか?」
「いらないわよ。それより魔理沙は今日は来てないの?」
「別に毎日来るような用事もないでしょう」
「あっそう」
「もし会いにいくなら本の回収をしていただけると、助かりますね」
「気が向いたらね。重いのは嫌だから」

 空虚な世間話の牽制球もそこそこに、我がフランドール調査隊(隊員総数1名)は魔法の森へと向かった。迷った。こんな場所に家を構えるな。ようやく辿り着いた家の扉を蹴っ飛ばす。応答がない。まだ夜だっていうのに寝てるのかしら? もう一度何度か(日本語って難しいわ)蹴っ飛ばすと、「やめろ! わかった! 降参だ降参!」と好意的な返事があった。扉が開かれ、片手に箒、頭から鍋をかぶって武装した霧雨魔理沙が姿を見せた。おまえ、そんなものより強い武器がいくらでもあるでしょ。

「なんだぁ、おまえかよ」
「なんだって何よ」
「恐ろしい化け物が襲って来たのかと思った」

 それはそうなんじゃないのか? まあいいけど。

「入っていい?」
「ん? ああ、それ、あれか。吸血鬼だから招かれないと入れないのか? それってどういう感じなんだ? 見えない壁に阻まれるのか?」
「いや……招かれてない場所に入るなんて、気味が悪いわ」
「私は招かれてない場所に入る方がテンションが上がる」
「人間と違って礼儀正しいのよ、私たちは」
「あっそう。入れよ。コーヒーでも淹れた方がいいのか? そういうもてなしを期待するタイプにも見えないが」
「紅茶はないの?」
「丁度切らしてる」
「ちぇ。甘いものは?」
「そこの茶菓子入れにマシュマロが入ってるよ」
「自分で食うの?」
「自分で食うからあるんだよ。コーヒーは?」
「砂糖とミルク、ありありで」
「血液とはだいぶ遠い成分だよな」
「趣味と実益は別なのよ」

 私はマシュマロを齧りながら魔理沙がコーヒーを淹れる後ろ姿を眺めていた。ミルを回すガリガリという音。その細い指先。そこに見える血の赤色。腹が減る。

「どうしたのよ、その」
「あ?」
「あかぎれ」
「ああ。別に。ちょっと実験で、保護手袋ばっかりしてたから、荒れちゃってさ」
「頬のにきびもそのせい?」
「はあ? まあな……徹夜も多かったし、実験用のマスクは蒸れるから……気持ち悪いな。そんなこと普通、思っても言わないだろ」
「暇なんだもん。待ってるだけだからさ」
「いい気なもんだよな……」

 しかし事実なのだから仕方ない。私をもてなしたのは魔理沙の意思だ。そこに更に気を遣って粛々としているのは不合理だ。それに実際、咲夜以外の人間と会うたびに思ってしまうから。
 その不完全さ。あかぎれた手、噛み跡の残る爪、にきびのある頬、そばかす、枝毛……そういう私の視線に気がついたのか(そういう感覚だけはこいつ、人間離れしている)、言い訳と批難の中間くらいの声が上がる。

「あのな、夜だからだぞ」
「はい?」
「おまえなあ、私だって人と会うってわかってたら、もっとちゃんとするからな。こんな真夜中に叩き起こされたら、そりゃ、整ってなくて当然だからな」
「ああうん。別にいいよ」
「おまえふざけんなよ」
「仕方ないじゃん。意識が肉体に隷属する人間と違って、私らの場合は、妖怪の場合は、肉体が意識に隷属するもの。肌荒れもないし、保湿もいらないの」
「喧嘩売りに来たの? おまえ」
「いやね、だからさ、そういうのを見ると思うから」
「何を」
「うわー、人間だなーって」
「はあ」
「あんたらも、たとえば私が蝙蝠になったりとか、血をゴクゴク飲んでたら、うわー吸血鬼だなーって思うでしょう。それと同じよ。鶯がほーほけきょって鳴いてたら、うわー鶯だなーって思うでしょう」
「思うかなあ。お前が引きこもってたからじゃないの?」

 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。魔理沙がコーヒーをかちゃかちゃ言わせて持ってくる。砂糖と砂糖と砂糖でドロッドロになった飲み物を流し込む。魔理沙がコーヒーを冷まそうと黒の水面へ息を吹きかけているのを見る。口の中がざらつく。甘すぎる。これは流石に嫌がらせだ。そういう意趣返しも人間らしくある(まあ吸血鬼を恐れないのが普通の人間の対応なのかはともかく)。
 
「それで?」
「んぇ」
「マシュマロ食って私のすっぴん拝むために来たのか?」
「ああ忘れてた」
「あのなぁ」

 呆れてコーヒーを啜る魔理沙に、私は説明してやった。違和感について。十六夜咲夜の違和感。あれが常に纏っている奇妙な魔力の仮面について。

「どう思う?」

 もちろんこいつは、私ほどじゃないにせよ、咲夜としょっちゅう顔を合わせる間柄のはず。そして魔力への感度も充分に高い。事実、魔理沙は私の言葉を否定したり、問い返したりしなかった。
 私が手元に引き寄せていた茶菓子入れを自陣側に引き寄せて、マシュマロを摘み上げる。その白いふわふわしたのが魔理沙のかさついた唇の間に消えていく。リップクリームが無いと人は唇の瑞々しさも保てない。不便で、不完全な生物……。

「まあ、そっとしといてやれよ」
「ふん……そんな事言うんじゃないかと思ってた」
「他人の家の事情に首突っ込む気はないよ」
「私にとっては我が家の事情なのよ」
「もちろん気がついてはいるけどさ……魔力の仮面ね。言われてみりゃ確かにあれは、あいつが使う魔力と似てるね。時間を操る方じゃない方。空間操作の魔法……でもちょっと他の色も混ざってる気がするが」
「やっぱり? たぶん、パチュリーよ。あいつが協力してんのよ」
「だね。つまりそりゃ、紅魔館の中で当然に把握されてる事情ってことだろ。ならいいじゃ無いか」
「なぜ私には何も言わないのよ」
「聞いてないからじゃないか? おまえ、咲夜に一度でも聞いてみたのかよ」
「聞けるわけないわ」
「私には好き放題言うくせに?」
「そりゃ……そりゃあそうよ……咲夜は……あいつのものだからね」
「あいつ?」
「姉貴」
「ああ」

 結局は、そこだ。十六夜咲夜は紅魔館のメイド長であると同時に、紅魔館のメイド長である以上に、なにより、あいつの……レミリア・スカーレットの所有物だから。そしてあいつが自分の所有物の機微を把握していない筈がない。
 問題は、そこなんだわ。
 咲夜のあの魔力の仮面にどんな魔法が込められているにせよ、だ。当然あいつが承知しているという事だ。そういう事が、そういう水面下の何かしらの意思が、私の断りの一つもなく、あの館の中で平然と起きている事。それが突きつけられるから、私は咲夜が苦手になるんだ。
 また私だけ仲間外れなのかしら?

「あの仮面を剥がしてやりたいわ」
「実際それは比喩であって、仮面とは違うかもしれんぜ。保湿パックのようなものかもよ。美容には気を使うだろうからな。あいつもあれで結構、ほら、紅魔館の顔だから」
「そんなんじゃないって事がわからないような魔法使いなら、確かにあんたに用はない」
「なんだよ、ちょっとした冗談じゃないか……」
「あれは間違いなく認識を歪める魔法だわ。私の目は誤魔化せない」
「まあ、誤魔化されてるんだけどな」
「誤魔化してる事を誤魔化せないって意味よ」
「わかってるよ。あんまり苛ついてカップを割らないでくれよ。弁償してくれるならいいけど」

 ばきっ、と音がして手の中でカップが砕ける。コーヒーはもう飲み終えていたけれど、底に溜まった砂糖が机にべしょりとこぼれ落ちる。やれやれと魔理沙が首を振って、笑った。

「いちばん気に入ってないのにして良かった」
「魔理沙、協力してよ。私、館の中に味方がいないわ」
「そう重く捉えるものじゃないかもよ」
「あなただって自分の家の中で使用人がずっと仮面を……しかも魔力でできた、特注の仮面を……被ってたら、そしたら気味が悪いでしょ!?」
「そういうのが面倒くさいから一人で暮らしてるんだな、これが」
「魔理沙ぁ」
「わかった、わかったよ……」

 別に猫撫で声で籠絡出来たわけじゃないと思うけど、とにかく魔理沙は重い腰を上げてくれた。たぶんこいつもこいつで好奇心が強い方だから、何だかんだ言っても気になるんだ。

「とにかく、あの仮面をぶっ壊す方法を考えたいの」
「そんなもんおまえ、私の手を借りるまでも無くないか?」
「馬鹿。正面切ってそんな事したら悪いでしょ」
「悪いと思うならやるなよ」
「じゃなくて、私の立場が悪い」
「ああそう」
「事故に見せかけてやりたいのよ」
「暗殺の相談をしてるみたいだな」
「そういう悪い事をするための魔法なら、あんた一番得意でしょ」
「何だと思ってるんだ」
「魔女」
「普通の魔法使いだよ。魔女はお前んとこのだろ」
「そういえばパチェが本を取り返してこいって言ってたな」
「さてと。咲夜か。強敵だな……」

 最初からこのカードを切ればよかった。随分と回り道をした気分だ。とにかく魔理沙は本腰を入れて計画を練り始めた。こうなるとこの人間は、自分の世界に閉じこもってどうにもならない。私は特にやる事もなく、しかしマシュマロもいい加減口の中が甘ったるかったので、結局、雑談ってやつを続ける事にした。それで多少こいつの能率が下がっても、どうせこっちは不老不死なわけで、まあ気にするほどの事じゃない。

「それにしても、咲夜はあの仮面で何を隠してるんだろう」
「さあね」

 自分の薬品棚と本棚の間でうろちょろする魔理沙の返事は如何にも気のない感じだ。まあ、無視されるよかマシだ。

「咲夜は、とにかく、あれで素顔を隠してる。素顔を隠したい理由があるのかな?」
「案外、そうかもな。メイドってのは毎朝出勤だから大変だよな。いちいち化粧するより楽だからそうしてるんじゃないのか」
「そんなケチな理由かなあ」
「お前らと違ってこっちは普通に死ぬんだぜ。時は金なりだ。乙女の朝の支度に使われる時間がどれくらいのものかわかってんのか? 妖怪みたく手でさっと隠してワン、ツー、はい終わりって訳にもいかないんだからな」
「そりゃあね。そりゃそうでしょうさ。でもこと咲夜に関しては、あれは時を止められるんだから、朝の支度がなんぼのもんよ」
「時を止めても寿命は減るだろ」
「さあ? それさえ怪しいもんよ。そもそもあれを、あんたらと同じ人間にカテゴライズするべきかも怪しいし」
「あー、そうだなあ。あれどこやったかな……」
「やっぱりさ、咲夜の顔は本当の顔じゃないのよ。だってほら、咲夜ってちょっとありえないくらい美人じゃない? 作り物みたいに……ねえ、魔理沙。人間のあなたから見てどうよ」
「そうだねえ」
「……咲夜は素顔を隠してる。実は本物の十六夜咲夜はとっくに死んでいて、いつも見ているのは顔だけ変えた別人とか」
「時止めと紅魔館の家事全般をこなせる偽物?」
「ああうん、そりゃそうか」
「実際もっとデリケートな理由かもよ」
「デリケート? デリケートってなによ」
「そりゃあ……お、あったあった……なあ、やっぱりやめといたら?」
「なんで今更。自信ないの?」
「逆だね。多分これは上手くいく。上手くいくが……結局、そうまで必死に隠そうとしてるものを……」
「その話はさっきしたじゃない」
「さっきはそこまで深く考えてなかったから」
「今は深く考えたの?」
「まあね……おまえの言う事も一理あると思ってさ……」
「何が?」
「確かに咲夜は美人だって話」
「ああそう。まあ、当然よね。あいつ、姉貴の、あれのだから……所有物だから。美しい物にしかあいつ、興味ないもん。十六夜咲夜という最高に美しい人間を所有してる事が、あいつには、意味のある事なのよ。それがステイタスなのよ、吸血鬼の令嬢としての」
「よくわかってるんだな? 家族のことを」
「別に……あいつが私を知ってるよりは、私はあいつを理解してると思うけどね」
「卑屈なのか自信家なのかわからんね。ほれ」
「なに? これ……」

 ぽんと渡されたそれは、片眼鏡(モノクル)に見えた。実際確かにモノクルだった。魔理沙を見返すと、この魔法使いはやれやれと首を振って見せた。

「まあやり方は色々ありそうだが、こう言うのは結局、シンプルなのがいいんだよ」
「どうしろっての?」
「眼鏡なんてそうたくさん使い方があるわけでもないさ」

 手元のモノクルに目を落とす。もちろんただの眼鏡なんかじゃないのはわかる。薄っすらとだが魔力を帯びている。マジック・アイテム……そういえばこいつ、マジック・アイテムの蒐集癖があるんだった。

「シャーロック・ホームズの片眼鏡さ」
「本物なの?」
「さあ? 私がそう呼んでるだけだからな」
「はぁ」
「元より鑑定書なんてつまらん物はついてなかった。だから言ったもん勝ちだよ。まあでも、悪くないネーミングだと思うね。その片眼鏡に込められた魔法にはピッタリなんだよ」
「何となく予想はつく……」
「そいつはものの真実を看破する。そういう魔法がかかってる。使い方は簡単。ただレンズ越しに見るだけさ」
「……蒐集癖も役に立つんだ?」
「役に立つものなんて集めても仕方ないんだがな。それだって、人生のほとんどの局面で役に立たないはずだったのに」
「じゃあ、これ、借りてくから」
「おい……ちゃんと返せよ?」
「あんたが言う? ていうか一緒に来るもんだと思ってたけど。来ないの?」
「だからやっぱりやめとくって」
「なんでそうなるのよ」
「でも結果は教えろよ」
「はあ?」
「私は寝る。元々おまえに叩き起こされたんだからな」
「あ、そう」
「コーヒーなんて飲むんじゃなかったなぁ。いつも、考えなしに動いちまう」
「知らないわよ……」

 それっきり魔理沙はもう本当に閉店モードだし、私はほとんど追い出されるようにして魔法の森を後にした。でも成果はあった。ホームズのモノクル? ふざけた名前だわ。ホームズは頭脳と推理で謎を解き明かすのであって、これじゃデバガメ、一足跳びに謎の答えを得るただのチートじゃないの。
 まあ、私は探偵じゃない。そういうアーキテクチュアルな努力を積み重ねていくよりは、積み上がったものを蹴り飛ばして崩す方が性に合ってるもの。
 

 ◯


 釣り人になった気分だった。本質的に十六夜咲夜という人間は神出鬼没、呼べばどこにでも現れるが、偶然(を装って)出会うにはだいぶ骨が折れる(その点、私なんかいつも同じ場所にいるからわかりやすいだろうな。誰も会いに来ないことを除けば)。
 もちろん呼びつけるのはダメだ。咲夜は頭がキレるというよりは動物的感覚で危険を予知するタイプだと思う。そして私は隠し事が苦手だ。だいたい急にモノクルなんぞつけて始めて、誰がどう見ても不審な行動というやつだ。
 結局、ナンパ待ちのかったるい町娘みたいな素振りになる。月のほの明るい庭園でぼうっと風を感じている。私は何してるんだろう。しかし館の中を彷徨くとなんだかその全部が咲夜のテリトリーな気がして落ち着かない。少なくともここは、半分は外だ。パチュリーから借りた本のページをめくってみる。内容は頭に入ってこない。だいたい、片眼鏡のせいで視界が半分ずれている……。

「はぁ……」

 咲夜は来るだろうか? 多分来るだろう。私がこんな風に滅多な事をしていたら、紅茶の一杯でも差し入れに来る。そういう気がまわる。当然、あいつの所有者の妹である私が、夜風にあたってアンニュイになっていれば、それは主人が夜風にあたっているも同義なんだ。
 誰かに所有されるっていうのはどんな気分なのかね? だいたい……私は咲夜が苦手だ。パチュリーは理解できるもの。ウィン・ウィンの関係。あの魔女は本さえあれば何でもいいわけだし、姉貴はそういう知恵の結晶を財産として抱えていること、そのキュレーターまで備えていることが「箔」になる。
 咲夜は、あいつに所有されて何を得てるんだ? まあ家と、飯と、そういうのは昔は得難いものだったけど。この頃は豊かになったものだ。そりゃあ、吸血鬼の脅威も廃れるわ。確固たる基盤と無限の自己治癒力を備えた人間社会の前では、もう、私みたいなのが巻き起こす破壊もたちまち飲み込まれてしまうわけだ。
 そういうご時世で、咲夜は、別に紅魔館に留まる必要もない。だから……いや、私が頭を捻ったりする必要もない事だ。私には従者も眷属もいないし、いらない。そういう事だ。だから……そろそろじゃないのか? そろそろ咲夜が気を利かせてくれる頃だ。ほうら。

「妹様……」

 ほら、来た。善意を逆手に取るのは吸血鬼の十八番だ。いや、別に善意できたわけでもないか。それが仕事だから……仕事でもないか。私は振り返らずにいる。咲夜がすぐ背後に立っているのがわかる。

「珍しいですわね。お庭で読書だなんて……」
「別に」

 私は振り返らずにいる。私は振り返れずにいる。振り返れば、魔理沙から接収した魔法の片眼鏡が咲夜の秘密を暴くだろう。私に隠された秘密……紅魔館の他の皆は知っているだろう秘密を。

「何か軽食をお持ちしましょうか?」
「ああ、うん」
「お飲み物は、お紅茶で?」
「お紅茶で、うん」
「ではそのように」

 私はまだ振り返れていない。本の上に目を落としたまま、碌に内容もわからぬまま文字を追いかけている。多分、同じ箇所の上を何度も追いかけている。
 秘密を……暴くべきなのかしら? でもそんなものを公然と、仮面を、明け透けに(透けてないけど)被っている咲夜が悪いんだわ。
 そうよ。そう……だから、私は振り向く。振り向こうとして、ひょいと、誰かに片眼鏡を取り上げられた。

「んえ」

 いや、どころか、そこはもう夜の風のふく庭園でもなくて、その馴染み深い空間は、私の部屋だった。私は自分のクランベリー色に着飾ったベッドに腰掛けていた。目の前の椅子に姉貴が座ってた。その片手には、あの片眼鏡が輝いている。
 まったく咲夜は手強い相手だ。時止めなんて術は……。

「こんなもん、どこで見つけてきたの?」

 私は何故だか知らないが、怒られるのだと直感した。そうでもなかった。姉の、レミリアの声音はただ本当に感心したって感じで、相変わらずかちゃかちゃと片眼鏡の鎖を弄っていた。

「それが何かわかってるの?」
「わからないけど、概ね想像はつくよ。捻くれた魔力がこもってるし。うーん、当ててあげようか。誰から奪ってきたのか」
「奪ってないわ。魔理沙から借りただけ」
「だと思った」

 ふう、と息を吐いたのは私か、姉貴か。片眼鏡がテーブルに置かれる。姉の顔色は余裕ぶっている。嫌な感じだった。

「パチェから聞いたのね。私が咲夜の……その……」
「まあ、初めにあいつに尋ねたのは悪手だったね。私に伝わらないはずがないじゃない」
「ふん……まさかね、館ぐるみで私に何を隠し続けてるのか……聞かなかったから言わなかった、だけだと信じてたんでしょ。私はね。どうせ純朴で馬鹿な妹よ」
「何ぐずってんの? 別にそんなじゃないわ。ただ、パチェは改良する余地があると喜んでたね。完璧に馴染ませてるつもりだったのにね」
「何を隠してんだよ」
「それは私と咲夜の間のプライベートな問題なの。気にしないでいいわ」
「気にするだろ。一緒の屋根の下に住んでんのよ。いつもいつもおまえはそうやって私を……私のこと……」
「本当にそうじゃないんだよ。だから……」
「だから、お嬢様。正直に見せてしまった方が早いとお伝えしたではないですか」

 ニコリと微笑む、十六夜咲夜というメイドがそこにいた。時止めね。ほんと、心臓に悪い使い方だわ。使い手も使い手だわ。姉貴が肩をすくめる。その指先が鋭く片眼鏡を投げてよこした。

「はあ……おまえは本当、頓着がないね。少しは躊躇うものだよ、そういうのは」
「あら、そうなんですか?」

 今、例の片眼鏡は私の手元にある。咲夜は笑みをたたえたままもう逃げたりしない。姉貴はそっぽを向いて口をへの字に曲げている。私だけが取り残されている。でも、目で見れば分かることもあるのかしら?
 

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