※二本掌編がありますが、それぞれの話は独立していて互いに無関係です
アサガオ
大坂方面に行くために電車に乗っていると、自分の背の高さの半分はあろうかという鉢植えを持った小学生が乗り込んできた。アサガオの鉢植えである。まだ蕾が出てきたくらいの成長具合のようで、細い毛の生えた蔦が支柱に何周も絡みついているのが目立つ。
「あれは何?」
メリーがその子の様子を数度見て私に質問した。
「アサガオよ」
「いやアサガオは知ってるわよ。聞きたいのはなんでアサガオを抱えて歩くという苦行を」
「夏休みの宿題として定番なの。アサガオの観察記録」
メリーは一瞬驚きの表情を見せた。生き物の観察記録をつける宿題なんて、どの国にもありそうなものだが。
「この国の文化なのね。それにしたって子供に運ばせるには重すぎるんじゃない? あの子、他にも手提げの鞄やらリュックみたいな袋やら五個くらい持ってるわよ」
この子は人間というよりは荷物の塊に小さい手足が生えた付喪神の一種みたいな見た目になっていた。ドア近くの客がすぐに席を譲ってくれて座れてはいたが、そこまでの足取りも随分とおぼつかなかった。今のところ転んだ様子がないのは奇跡と言ってもよい。
「あれは無計画」
「どっかの誰かさんみたいね」
「そうだね」
互いに相手のことだと思っているに違いない。
***
そのときの子の様子がいじらしかった、というのもあるのだろう。私は無性にアサガオを育ててみたくなってしまい、翌日、その衝動に任せるままに花屋で鉢を買った。
子供にとっては背の高さの半分でも私にとっては持て余すようなサイズではない。それはいいのだが、大きさとは別の問題があった。私の下宿は日当たりがあまり良くなく、植物を育てるにはあまり向いていないのだ。
そこで私は代わりにメリーの家で育てようと向かった。
メリーは大学生の分際で古い借家とはいえ一軒家に住んでいた。昔メリーに「東北人かセレブのどっちかでしょ」と聞いたことがあって、そのとき私は彼女が実は東北人だと考えていたが、実はセレブなのかもしれない。まあ、別な時に一軒家なことを聞いたときは「裏ルートよ」とだけ言っていたから事故物件か何かという可能性が高くはある。
ともあれ私が向かった先は一軒家という事であり、閑静な住宅街の路地で、私は玄関から出てくる呆れ顔に対応しなければならなかった。
「ペットは責任を持って最後まで育てなさいって言わなかったっけ?」
「言ってない」
私が即答するとメリーはため息をついた。
「しかし、よりにもよってアサガオねえ」
「よりにもよってに続く言葉がアサガオなことってあるんだ。嫌いなの?」
「止められてるのよ」
「はい?」
あまりにも情報が不足しているので問いただしたところ、メリーの家のタブーに「アサガオを育ててはならない」があったらしい。
「それで昨日一瞬変な顔になってたのね」
「変な顔とは失礼ね」
「しかし随分とまあピンポイントな。アサガオって海外だとそんなメジャーなの?」
「全く。だからこそ覚えてたんだけれどね。我が家には変なしきたりがあるんだなって」
「だとするとやめとく?」
私が聞くと、メリーは逆にアサガオの鉢を両手で持ってズイと自分の方に引き寄せた。
「いいえ。どうせ蓮子のとこだと枯らすでしょ? そこは責任を持って最後まで生き永らえさせるわよ。それに、どうなるか見たいし」
メリーはイタズラっぽく笑った。
***
オカルトサークルの常識として、大抵のタブーは破った時に何か起こるからタブーなのだが、メリーの身に何か起こることはなかった。私達は童心に戻ったかのように観察日記までつけたが、特に何事もなく蕾を膨らませ開花するまでの記録が残るだけだった。せいぜい、花が朝に咲くというので早起きを強制させられたのが面倒だったくらいだ。
観察を続けるうちにタブーの話は徐々に忘れて、花が咲くのを見届けたらそれで満足したのとある種の緊張が切れたことで薄れていた記憶もアサガオを買った動機も一気に霧散してしまった。自分の研究のこともあって研究「ごっこ」をしてる場合でなかったこともあり、開花の記録をつけてから三日ほどはメリーの家にも行かず会いも連絡もしない日が続いた。
***
何日かぶりにメリーの家に行ったのはアサガオが目的ではなかった。例会に来ず、電話しても出なかったので心配になって行ったのだ。
なんなら正直アサガオのことは来るまで忘れていた。が、家に近づいた途端に否が応でも思い出さざるを得なくなった。
蔦で覆われた巨大な構造体があった。メリーの家だったはずの場所にだ。道を間違えたのだろうか? それにしたって路地を一本外れただけでこんな現実離れした大自然の脅威が、と息を飲んだ。
いや、場所は確かに本来メリーの家がある場所だ。近づいて方形の蔦の塊の一面をかき分けると、産毛の生えた薄緑の蔦が草の匂いを放ちながら折れていき、濃い茶色の柱が手のひら大くらいだけ露出した。
「ここがメリーの家である」ということと、「メリーの家が完全に蔦で覆われている」ということは、そのあり得なさをさておくならば理論上両立可能なのだった。
蔦の具合と広三尖形(観察記録ついでに図鑑で調べて覚えた単語だ)の葉から、これがアサガオだというのは分かった。開花したらあとは実をつけて枯れるだけとばかり思っていたのだが、どういうわけか開花してからも枯れず、というかむしろその成長を急加速させて家を閉じ込める巨大な籠となってしまったらしい。
これはアサガオの化物だ。ただ、化物なのは大きさだけで例えば異常に蔦が強靭とか、近づいてきた私に絡みつき締め付けて栄養として食そうとするとか、そういう怪物性はなかったから、(蔦を千切るたびにあまりに植物な汁で汚れるのに目をつぶれば)突破可能な障壁ではあった。
外側からは。もしかしたら内側からは突破不可能とか、インフラが断絶して酷いことになってるとか、窒息しているとか、最悪な可能性が脳内を次々に駆け巡り、私は最低限開くようにした玄関の扉を勢いよく開けて叫んだ。
「マエリベリー・ハーン!!」
すると、中からこの異常事態に対しては随分と不釣り合いに暢気な声が返ってきた。
「んあ? 蓮子……? 今何時?」
「待って空を……見れるわけないか」
「夜でも星は出てるでしょ。というか夜だからこそ」
「今、昼だよ?」
「本当に?」
「本当」
部屋に入るとメリーは布団にくるまっていた。
「昼にしては暗すぎる」
「巨大アサガオがメリーの家を覆ってるのよ。気が付かないってことはないでしょ」
「B級映画の観すぎよ蓮子……。うわっ」
メリーは私と入れ替わりに玄関から顔を出し、あまりの惨事にうめき声を上げた。
「気が付いてなかったの……?」
「いや、起きても起きても暗いことはおかしいと思ってたわよ? 昼夜逆転したかあって」
メリーは暢気なものだった。
三日くらいあったら普通絶対どこかで異常を認めるだろうに、メリーは自分の生活習慣の乱れと誤認した挙句そのままこの仮説を受け入れ、かつアサガオの異常成長を発見できるような行動を一切とらなかった。このメリーの認知の歪みと行動の奇妙さは、彼女の家をアサガオが覆っていたという現象そのものより何倍も恐ろしかった。もしかしたらこれが、ハーン家でアサガオの栽培が禁忌とされた理由なのかもしれない。
「羹に懲りて膾を吹く」というわけではないが、以来私はメリーに植物の栽培を一度も持ちかけてはいない。
アサガオ
大坂方面に行くために電車に乗っていると、自分の背の高さの半分はあろうかという鉢植えを持った小学生が乗り込んできた。アサガオの鉢植えである。まだ蕾が出てきたくらいの成長具合のようで、細い毛の生えた蔦が支柱に何周も絡みついているのが目立つ。
「あれは何?」
メリーがその子の様子を数度見て私に質問した。
「アサガオよ」
「いやアサガオは知ってるわよ。聞きたいのはなんでアサガオを抱えて歩くという苦行を」
「夏休みの宿題として定番なの。アサガオの観察記録」
メリーは一瞬驚きの表情を見せた。生き物の観察記録をつける宿題なんて、どの国にもありそうなものだが。
「この国の文化なのね。それにしたって子供に運ばせるには重すぎるんじゃない? あの子、他にも手提げの鞄やらリュックみたいな袋やら五個くらい持ってるわよ」
この子は人間というよりは荷物の塊に小さい手足が生えた付喪神の一種みたいな見た目になっていた。ドア近くの客がすぐに席を譲ってくれて座れてはいたが、そこまでの足取りも随分とおぼつかなかった。今のところ転んだ様子がないのは奇跡と言ってもよい。
「あれは無計画」
「どっかの誰かさんみたいね」
「そうだね」
互いに相手のことだと思っているに違いない。
***
そのときの子の様子がいじらしかった、というのもあるのだろう。私は無性にアサガオを育ててみたくなってしまい、翌日、その衝動に任せるままに花屋で鉢を買った。
子供にとっては背の高さの半分でも私にとっては持て余すようなサイズではない。それはいいのだが、大きさとは別の問題があった。私の下宿は日当たりがあまり良くなく、植物を育てるにはあまり向いていないのだ。
そこで私は代わりにメリーの家で育てようと向かった。
メリーは大学生の分際で古い借家とはいえ一軒家に住んでいた。昔メリーに「東北人かセレブのどっちかでしょ」と聞いたことがあって、そのとき私は彼女が実は東北人だと考えていたが、実はセレブなのかもしれない。まあ、別な時に一軒家なことを聞いたときは「裏ルートよ」とだけ言っていたから事故物件か何かという可能性が高くはある。
ともあれ私が向かった先は一軒家という事であり、閑静な住宅街の路地で、私は玄関から出てくる呆れ顔に対応しなければならなかった。
「ペットは責任を持って最後まで育てなさいって言わなかったっけ?」
「言ってない」
私が即答するとメリーはため息をついた。
「しかし、よりにもよってアサガオねえ」
「よりにもよってに続く言葉がアサガオなことってあるんだ。嫌いなの?」
「止められてるのよ」
「はい?」
あまりにも情報が不足しているので問いただしたところ、メリーの家のタブーに「アサガオを育ててはならない」があったらしい。
「それで昨日一瞬変な顔になってたのね」
「変な顔とは失礼ね」
「しかし随分とまあピンポイントな。アサガオって海外だとそんなメジャーなの?」
「全く。だからこそ覚えてたんだけれどね。我が家には変なしきたりがあるんだなって」
「だとするとやめとく?」
私が聞くと、メリーは逆にアサガオの鉢を両手で持ってズイと自分の方に引き寄せた。
「いいえ。どうせ蓮子のとこだと枯らすでしょ? そこは責任を持って最後まで生き永らえさせるわよ。それに、どうなるか見たいし」
メリーはイタズラっぽく笑った。
***
オカルトサークルの常識として、大抵のタブーは破った時に何か起こるからタブーなのだが、メリーの身に何か起こることはなかった。私達は童心に戻ったかのように観察日記までつけたが、特に何事もなく蕾を膨らませ開花するまでの記録が残るだけだった。せいぜい、花が朝に咲くというので早起きを強制させられたのが面倒だったくらいだ。
観察を続けるうちにタブーの話は徐々に忘れて、花が咲くのを見届けたらそれで満足したのとある種の緊張が切れたことで薄れていた記憶もアサガオを買った動機も一気に霧散してしまった。自分の研究のこともあって研究「ごっこ」をしてる場合でなかったこともあり、開花の記録をつけてから三日ほどはメリーの家にも行かず会いも連絡もしない日が続いた。
***
何日かぶりにメリーの家に行ったのはアサガオが目的ではなかった。例会に来ず、電話しても出なかったので心配になって行ったのだ。
なんなら正直アサガオのことは来るまで忘れていた。が、家に近づいた途端に否が応でも思い出さざるを得なくなった。
蔦で覆われた巨大な構造体があった。メリーの家だったはずの場所にだ。道を間違えたのだろうか? それにしたって路地を一本外れただけでこんな現実離れした大自然の脅威が、と息を飲んだ。
いや、場所は確かに本来メリーの家がある場所だ。近づいて方形の蔦の塊の一面をかき分けると、産毛の生えた薄緑の蔦が草の匂いを放ちながら折れていき、濃い茶色の柱が手のひら大くらいだけ露出した。
「ここがメリーの家である」ということと、「メリーの家が完全に蔦で覆われている」ということは、そのあり得なさをさておくならば理論上両立可能なのだった。
蔦の具合と広三尖形(観察記録ついでに図鑑で調べて覚えた単語だ)の葉から、これがアサガオだというのは分かった。開花したらあとは実をつけて枯れるだけとばかり思っていたのだが、どういうわけか開花してからも枯れず、というかむしろその成長を急加速させて家を閉じ込める巨大な籠となってしまったらしい。
これはアサガオの化物だ。ただ、化物なのは大きさだけで例えば異常に蔦が強靭とか、近づいてきた私に絡みつき締め付けて栄養として食そうとするとか、そういう怪物性はなかったから、(蔦を千切るたびにあまりに植物な汁で汚れるのに目をつぶれば)突破可能な障壁ではあった。
外側からは。もしかしたら内側からは突破不可能とか、インフラが断絶して酷いことになってるとか、窒息しているとか、最悪な可能性が脳内を次々に駆け巡り、私は最低限開くようにした玄関の扉を勢いよく開けて叫んだ。
「マエリベリー・ハーン!!」
すると、中からこの異常事態に対しては随分と不釣り合いに暢気な声が返ってきた。
「んあ? 蓮子……? 今何時?」
「待って空を……見れるわけないか」
「夜でも星は出てるでしょ。というか夜だからこそ」
「今、昼だよ?」
「本当に?」
「本当」
部屋に入るとメリーは布団にくるまっていた。
「昼にしては暗すぎる」
「巨大アサガオがメリーの家を覆ってるのよ。気が付かないってことはないでしょ」
「B級映画の観すぎよ蓮子……。うわっ」
メリーは私と入れ替わりに玄関から顔を出し、あまりの惨事にうめき声を上げた。
「気が付いてなかったの……?」
「いや、起きても起きても暗いことはおかしいと思ってたわよ? 昼夜逆転したかあって」
メリーは暢気なものだった。
三日くらいあったら普通絶対どこかで異常を認めるだろうに、メリーは自分の生活習慣の乱れと誤認した挙句そのままこの仮説を受け入れ、かつアサガオの異常成長を発見できるような行動を一切とらなかった。このメリーの認知の歪みと行動の奇妙さは、彼女の家をアサガオが覆っていたという現象そのものより何倍も恐ろしかった。もしかしたらこれが、ハーン家でアサガオの栽培が禁忌とされた理由なのかもしれない。
「羹に懲りて膾を吹く」というわけではないが、以来私はメリーに植物の栽培を一度も持ちかけてはいない。