Coolier - 新生・東方創想話

逆さまの人形劇

2026/03/23 21:53:52
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 万が一にも誰かが今この部屋を覗いたら、アリス・マーガトロイドが声も出さずにガッツポーズしている姿を目撃して度肝を抜かれたことだろう。ガッツポーズは二回やった。一回目は起き上がった瞬間、二回目は歩いた瞬間。二回目の方が拳の握りが強かったのは歩行の方が技術的難度が高いからである。
 もっとも、覗く者がいたとしたらアリスは人形より先にそちらを始末していたに違いない。

 テストは二時間で一通り終えた。視覚、聴覚、触覚、温度感覚、平衡感覚、反応速度、関節可動域。どれも水準を超えている。いくつかの調整点はあるが致命的なものはない。数十年の歳月が、今朝、結果を出した。
 アリスは自室の机に向かい、研究ノートを広げた。ペンを取る。数値を記入し、所見を書き添え、次の試験項目を書き出す。手が勝手に動いている。書きながら計算が走り、計算しながら次の構想が浮かぶ。
「魔力充填から起動まで設計値マイナス十四パーセント、これは結晶の純度を上げたのが効いてる……歩行時の重心補正はまだ甘いけど初回としては……」
 つぶやきが途切れた。ペンの先が紙の上で止まる。
「——やった」
 小さく、本当に小さく、アリスはそう言った。
「やった、やった……」
 二度目と三度目は最初よりさらに小さかった。声というよりは吐息に近い。口元が緩んで、引き締めて、また緩む。鼻歌のようなものが喉の奥で生まれかけて、それを飲み込んで、飲み込みきれなくて、小さな旋律がひとつ漏れた。
 ノートのページの隅に、無意識に星型の落書きが描かれていた。アリスはそれに気づいて消そうとして、やめた。消す必要もなかった。誰に見せるノートでもない。
 部屋の隅に、人形が立っていた。
 子供ほどの背丈の、衣装をまだ着ていない白い素体。目を開けてアリスの方を向いている。
 アリスはびくりとした。
 忘れていた。完全自律人形には停止機能がない。上海や蓬莱なら魔力を切れば止まるが、この子は——この人形は、アリスが意識していない間もずっと起きている。ずっと見ている。
 ガッツポーズを見られただろうか。
 鼻歌を聞かれただろうか。
 慌ててノートを閉じかけて、閉じる必要のないことに気がついた。人形が見ていたとして、人形にはまだそれが何を意味するか理解できない。嬉しさも、恥ずかしさも、人形にとっては未知の概念だ。
 アリスは呼吸を整え、ノートを開き直した。
 人形はアリスを見ていた。
 アリスのペンを走らせる手を、声を、表情を、見ていた。共感として理解しているわけではない。ただ、目の前のこの存在の振る舞いを観察している。
 そしてこの人形が、ひとつの漠然とした判断を形成しつつあったとしても、アリスにそれを知る手段はなかった。
 すなわち。この存在の真似を上手にすることは、良いことらしい。

 午前中いっぱいを使った追加テストでは、人形の学習速度がアリスの設計値を大きく上回った。
 弾幕の基礎パターンを展開してみせると、二度目にはほぼ同じものを再現し、三度目には左右反転のアレンジを加えた。どのテストでも同じだった。一度見せれば覚え、二度目で修正し、三度目にはアレンジを入れる。
「すごいじゃない。設計値の三倍のペースよ」
 声に出して褒めていることに気がつかない。普段の自分なら絶対にやらないことだった。
 アリスはこの日の夕方、人形に衣装を着せた。青い布地に白い襟、胸元に薄い黄色のリボン。衣装を着ると人形は見違えた。研究ノートの最新ページに、アリスは迷った末にこう記した。

  名称:上海(二号機)

 後継機なのだから上海でいい。合理的な判断。名前に凝るのは完成品を披露する段になってからでいい。

 翌朝、人形は部屋の隅でうずくまっていた。
 いや、正確にはうずくまっていたのではなく、何かをしていた。
 アリスは棚から上海を呼び出して朝の雑務を指示しようとしたところで気がついた。上海が——一号機の上海が、人形の前にいる。呼んでいないのに棚から出ている。
 人形が右手を上海に向けていた。指先の形がアリスの手つきに似ている。いや、似ているどころかほぼ同じ形だ。しかし糸は出ていない。当然だ、この人形に糸の機構はない。
 上海は動いていなかった。
 人形は手の角度を微妙に変えて、もう一度試みる。上海は動かない。もう一度。動かない。
 アリスは声をかけずに観察を続けた。
 人形の指先が震えている。集中しているのだ。持てる能力の全てを使って、魔力を糸の形に整形しようとしている。無心にと言ってもいいのだろうか、ただただ試み続けている。
 五回目で、上海の右手がぴくりと動いた。
 目の錯覚かもしれない。アリスは息を止めた。
 六回目。上海の右手が、今度は明確に上がった。一センチにも満たない距離を、震えながら持ち上がって、すぐに落ちた。
 人形は手を下ろした。そしてまた上げて、同じことを繰り返した。
 アリスの胸の中で何かが引っかかった。
 この光景に見覚えがある。
 自分がそうだった。魔界にいた頃、神綺の力を見て、真似しようとして、何度も何度も失敗して、それでも繰り返した。あの不格好な手つき。出力の経路がないのに力を押し通そうとする、無茶で非効率な試み。
 人形のやっていることは、かつてのアリス自身がやっていたことだった。
 アリスは腕を組んで壁にもたれた。止めるべきだろうか。魔力糸の制御系は搭載していないのだから、無理をすれば内部に負荷がかかる。しかし——
 かつて自分を止めた者はいなかったし、止められていたら今の自分はいない。
 それに、失敗しながら要領よく修正していく速度は尋常ではなかった。あの学習ペースならばあるいはと思わせられたのである。
 そんな予感を裏付けるように、数日で上海人形を歩かせるところまでトントン拍子に進んでしまった。
 アリスが席を外しているときだけ練習していたのは面白いことだった。アリスが部屋にいる間は別のことをしている。弾幕パターンの自主練習とか、家の中の構造を調べ回るとか。しかしアリスが台所に立ったり風呂に入ったりすると、すぐに上海を引っ張り出して操作の練習を始めていた。
 隠しているのだ。
 秘密の練習。
 アリスは苦笑した。理由までは推測しない。推測してしまうと自分の過去と重ねすぎてしまいそうだったから。

 ある朝、研究ノートの名称欄を見て、アリスは少し眉をひそめた。
 上海(二号機)。
 この名前は良くない、と突然思った。理由はうまく言えないが、二号機は上海ではないのだ。上海と同じ造形だが、上海と同じ存在ではない。何か、もっと根本的なところで、この人形には自分の名前があるべきだという感覚。
 ノートの隅にいくつかの候補を書いてみた。消して、書いて、消した。
 顔を上げると、人形が上海を歩かせていた。
 隠さずに、堂々と。アリスの前で上海を操作するのは初めてだった。人形の指先から出ているのは魔力の糸ではなく——もっと原始的な、力の塊のようなものだが、それで上海を立たせ、歩かせ、腕を振らせている。制御は粗い。しかし動いている。
 人形はアリスを見た。何かを待っている。
「……上手になったわね」
 アリスの顔がほころんだ。名前のことは後でいい。お茶でも淹れよう。
 立ち上がって台所に入り、やかんに火をかけた。棚からカップを出して、茶葉を量って。

 居間に戻ると、人形がいなかった。



 初めて体感する森の道は湿っていて、落ち葉が足の裏に貼りつくのが気になった。
 朝の森は静かだった。木の間から光が差し込んで、地面にまだらの模様を作っている。光の中を歩くと暖かく、影に入ると冷たい。温度の変化を足の裏と顔の皮膚で交互に感じながら、上海は歩いた。
 行き先は決めていない。ただ、アリスが呟いた「二号はよくない」の意味がまだわからなかった。

 森が開けた。
 木の密度が急に下がって、草地になった。草地の先に湖が見えた。水面が光を反射していて眩しい。目を細める。
 湖の手前に、何かがいた。
 いくつかの小さな影が草地の上を飛び回っている。人間よりずっと小さい。上海と同じくらいか、少し小さい。翅がある。光を通す薄い翅が背中から生えていて、飛ぶときにぶんぶんと音がする。
 妖精、というものだと上海は判断した。アリスの本棚にあった図鑑で見た。幻想郷に大量に生息する自然の精霊。知能は高くないが好奇心が強い。
 一人が光の弾を撃ち、もう一人がそれを避け、三人目が横から弾を撃つ。弾はゆっくり飛んでいく。当たった妖精が「きゃっ」と声を上げて草地に転がった。すぐに起き上がって笑っている。
 遊んでいるのだ。
 光の弾を撃ち合って、当てたり避けたりする遊び。ごく基本的な形だろう。アリスのテストで弾幕パターンは覚えたが、このように相手がいる形でやるのは見たことがなかった。

 上海が近づくと、緑髪の妖精がこちらに気づいた。
「誰、あの子」
 残りの二人も振り向いて、三対の目が上海をとらえた。
「自然の力は感じないから、新顔の弱小妖怪かしら」
「誰だっていいさ!遊び相手に不足なしよ!」
 妖精たちは互いに顔を見合わせてから、ふわりと上海の周りに集まってきた。至近距離で観察される。顔を覗き込まれる。髪を触られる。上海人形にも興味を示して、つんつんと突く。上海人形が揺れた。
「ねえ、弾幕ごっこしない?」
 控えめな印象の緑髪の妖精がそう聞いた。
 遊ぶ。
 弾幕を撃ち合う遊び。
 上海は頷いた。
「じゃあ、あたいとやろう!あたいはチルノ!最強だから覚えておきな!」

 弾幕ごっこ。
 アリスのテストでは弾幕のパターンを展開して精度を見た。ここでは相手がいる。相手が弾を撃ち、こちらも弾を撃ち、当てるか避けるかする。
 チルノが先に動いた。
 氷の粒が扇状に広がって飛んでくる。速度は遅い。粒と粒の間隔は広い。上海は最小限の動きで隙間を通り抜けた。通り抜けながら弾幕の配置を記録する。粒の間隔、速度、拡散角度、チルノの手の振り方と弾の出る方向の関係。二秒で全てを把握した。
 次の波が来る。さっきより密度が上がっているが、パターンの法則は同じ。隙間の位置を計算して、そこに体を置く。弾が周囲を通過していくが、一発も当たらない。
 チルノが三波目を撃った。今度は左右に揺さぶるような配置になっている。少しだけ工夫が加わった。それでも法則は読める。上海は三歩横に動いただけで全弾をやりすごした。
「うーっ、当たんない!」
 チルノが叫んだ。顔が赤い。悔しそうだ。
 上海は自分のターンだと判断した。弾幕を展開する。
 パターンは——テストで最も精度が高かった配列を選んだ。六角格子状に弾を配置し、格子の間隔を漸減させながら相手に収束させていく。理論上、相手の回避可能な経路は一本だけ残る。その一本に相手が入れば、次の波で塞ぐ。
 チルノの顔から笑みが消えた。
 一波目で三発が体をかすめ、二波目の途中で直撃した。
 草地に転がったチルノはすぐに起き上がったが、さっきのように笑ってはいなかった。
「もう一回!」
 もう一回。
 チルノが弾幕を撃つ。上海が避ける。上海が弾幕を撃つ。チルノが当たる。
 三回繰り返した。
 三回とも同じ結果だった。

 チルノは地面に座り込んだ。
「……なんか」
「なんか?」
 上海が聞き返した。声を出したのは初めてだったかもしれない。喉の機構は搭載されているが、使う場面がこれまでなかった。音が少し掠れた。
「なんか、つまんない」
 チルノはそう言った。
 見物していた二人の妖精も似たような顔をしている。一人がぼそっと言った。
「すっごく強いけど、なんかその割に地味だよね」
「そんなに強いなら、もっと綺麗にも出来るんじゃない?」
 きれい。
 きれいじゃなかった。
 上海は自分の弾幕を思い返した。六角格子の弾配置。漸減する間隔。回避経路の制限。どれも効率的で、無駄がない。無駄がないことが良いことだと——そう判断していた。
「きれいって何」
 チルノに聞いた。チルノは腕を組んでうんうんと唸った。
「こう、どーんって広がって、目が離せなくなるようなやつ。キラキラしてさ」
 それは説明ではなかった。しかしチルノの手振りと顔の表情から、チルノが何を求めていたかの輪郭はわかった。効率ではない。広がり、輝き、圧倒される感覚。弾幕の機能ではなく、弾幕の印象。
「もう一回やろう」
 上海がそう言うと、チルノは顔を上げた。
「今度はもーちょっと楽しめそうね」
「わからない。でも、さっきとは変える」
 チルノの目が少し光った。立ち上がった。
「まあいいさ!ビギナーズラッシュが続くと思うなよ!」
「……ビギナーズラック?」
 四回目、五回目と続けた。チルノの弾幕はどんどん密度が上がる。怒りが弾の量に出ている。上海はそれを避けた。
 自分のターンで六角格子はやめた。代わりに何を出すべきか、一瞬迷った。迷うこと自体が初めてだった。
 とりあえず弾を出した。配置は考えずに、散らした。
「うわっ! バラバラになった!」
 その通りだった。適当だった。しかし、チルノは笑っていた。
 次のターンではさっきの散漫なパターンをベースに、弾の色を変えてみた。理由はない。上海人形が光を浴びたときの色がきれいだったことを思い出して、似た色にしただけ。
 弾が広がった。色が混ざった。きれいかどうかはわからない。
「あっ」
 と声を上げたのはチルノではなく、見物していた妖精の一人だった。
「今のは綺麗だったよ!まあ、たぶん弾幕じゃないけど……」
「いいなー沢山の玉が出せて」
 チルノには全弾避けられた。勝負としては上海の負けだ。弱い弾幕で相手を倒せなかった。
 しかしチルノの顔にはさっきまでの不満がなかった。
「ねえ、あんたさ」
「なに」
「名前なんていうの」
 名前。
 上海は一瞬、答えに詰まった。
 上海。それが自分の名前だ。アリスのノートにそう書いてあった。二号機、という注釈つきで。
 隣に浮いている上海人形を見た。この子も上海だ。
 同じ名前。
「……上海」
「しゃんはい?」
「上海」
「ふうん。あたいはチルノ。さっき言ったけど」
「覚えてる」
「よし上海! お前は弟子だから今日はここまでで勘弁してやる! 今度はもっとばーっとしてキラキラでお願いね!」
 ばーっとキラキラ。
「じゃあねー。楽しかったよー」
「それにしてもボコボコにされてたねえ」
「なんだとーっ!」
 三人の声が遠ざかっていった。
 上海はその言葉を記録した。意味はまだわからないが、チルノの顔が最初に「つまんない」と言ったときと最後の顔で違っていたことは記録した。
 何が違いを作ったのか。
 効率の高い弾幕は拒否され、適当で弱い弾幕が受け入れられた。
 それは何だろう。
 上海は湖のそばの草地に座って、しばらく考えた。上海人形を膝の上に置いて、水面を見ている。
 水面に映っている自分の顔を見た。
 その顔は何の表情もしていなかった。チルノの顔には怒りも悔しさも喜びもあった。妖精たちの顔にも驚きや退屈や感嘆があった。自分の顔には——何もない。
 何もないことが問題なのか。
 わからない。
 わからないが、このわからなさは、家の中にいたときのわからなさとは少し違う。家ではテストに合格すればよかった。合格の基準はアリスが決めていて、アリスが「合格」と言えばそれで終わりだった。
 チルノが「つまんない」と言ったのは不合格の宣告だったが、何が不合格なのかの基準が示されなかった。「きれい」だと妖精が言ったのは合格だったのかもしれないが、何がきれいだったのかの基準もなかった。

 上海は立ち上がった。
 もっと知りたい。もっとやってみたい。
 そうだ、弾幕ごっこを繰り返せばわかるかもしれない。今度はチルノではなく、別の誰かと。きれいな弾幕を撃つ誰かと。
 上海は上海人形を浮かせて、湖の周りを歩き始めた。



 弾幕ごっこの回数が増えた。
 湖のほとりを歩き、妖精を見つけては「遊ぼう」と声をかけた。断られたら引く。受けてもらえたら弾を撃ち合う。終わったら次を探す。
 問題は声のかけ方だった。
 三日で十五回。草地の一角、倒木が横たわっている場所が拠点になった。湖が見渡せるのと、妖精が通りかかりやすいのがいい。上海人形を隣に座らせて、通りかかるのを待つ。
 上海は表情を作れる。笑顔の形も、アリスの顔を観察して覚えた。口角を上げて、目を少し細める。
 試してみた。妖精に近づいて、笑顔を作って、「遊ぼう」と言った。
 妖精は逃げた。
 前より速く逃げた。
 笑顔がまずかったらしい。何がまずいのかはわからない。形はアリスの笑顔と同じはずだ。口角の角度も目の細め方も計測して再現した。なのに——結果が違う。
 次の妖精には笑顔なしで声をかけた。逃げなかった。代わりに少し怯えた顔をされた。
 笑顔ありだと逃げる。笑顔なしだと怯えられる。
 どちらにしても相手の反応が自分の望んだものにならない。弾幕ごっこを受けてくれる妖精もいるが、それは好奇心の強い一部だけで、多くは距離を取る。
 上海は倒木に座って考えた。
 能力の問題ではない。弾幕は日に日によくなっている。チルノが「まあまあじゃん」と言ったし、別の妖精は「綺麗」と言ってくれた。問題は弾幕ごっこの外にある。弾幕を撃つ前の段階、声をかけて、受けてもらうまでの段階に問題がある。
 何が足りないのか。


 その日の昼過ぎ。湖の外れに、光の三妖精がいた。
 サニーミルクが光を曲げて三人の姿を透明にし、ルナチャイルドが三人の立てる音を消している。噂の辻斬り弾幕妖怪とやらを、遠くから観察していた。
 倒木に腰かけた子どもほどの人影が、湖を眺めている。
「気のせいか、こっちを見ているような……」サニーが小声で言った。「透明になっても関係ない側の妖怪なのかな」
「ちょっ……! それって大丈夫なの? あの子ヤバイ気配がするし、やっぱ帰ろうよ」ルナが袖を引っ張る。
「でもこっちの子は一緒に遊んでたらしいじゃん?」
「遊んだっていうか、辻斬り弾幕妖怪に絡まれたって話が多いけどね」スターサファイアが腕を組んだ。「それより、あの子の位置がどうも引っかからないのよねえ」
「引っかからない?」
「私の力、生き物ならわかるでしょ。なのに、あの子だけ何も引っかからないの。見えてるのに、あそこに誰もいないみたいで」
「「ぞぉーっ」」
 サニーとルナは青ざめた顔で抱き合った。
「ちょっと、木が揺れたら隠れられないじゃないの」
「だってスターが怖いこと言うから……」
 倒木の人影が、ふいに立ち上がって三人のいる方向を向いた。
 三人は一瞬で飛んだ。光の屈折も音の遮断もかなぐり捨てて、全速力で湖から離れた。

 着地するなり、ルナが叫んだ。
「やっぱこっち見えてるじゃん! どういうことよサニー!」
「あんまり不気味だから逃げちゃったけど、悪いことしちゃったかな」サニーが少し申し訳なさそうに言った。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
「あの子、生き物なのかしら」スターが静かに言った。
 二人がスターを見た。
「じゃ、じゃあ生きてないってこと?」
「そういうことかしら。単に私の力が効かないだけなのか、それとももっとおぞましいものなのか。そう、それは座っていて声を出すナニカで……」
「「ひぃーっ!」」
「……冗談はさておき」スターが咳払いした。「変な妖怪がいるのは確かでしょ。霊夢さんに報告した方がいいと思う」
「そうだね。あたしたちじゃどうにもならないし」
「行こう」
「ところで、アリスさんが近くに居なかった?」

 上海は倒木に戻って座った。水面が午後の光を散らしている。上海人形を膝に置いて、次の妖精が通りかかるのを待った。



 翌日の昼過ぎ、霊夢は湖に足を運んだ。
 弾幕ごっこを仕掛けてくるが楽しくない。笑顔が変。生き物の気配がない。——光の三妖精から聞いた話をまとめるとそんなところだ。よくわからないが、放っておける手合でもなさそうだった。
 水面が午後の光を散らしている。
 湖の外れ、倒木のそばに人影が見えた。
 子どもほどの大きさ。青い衣装。傍らに小さな何かが浮いている。倒木に腰かけて湖を見ている。
 霊夢はしばらく離れたところから観察した。
 近づいた。足音を消すつもりはなかったので、相手はすぐにこちらに気づいて振り向いた。

 目が合った。
 深い青の目が霊夢を見ている。
 わずかに首を傾けている。好奇心か警戒か、どちらともつかない。

「あんた、名前は」
「上海」
「上海。ふうん。私は霊夢。博麗霊夢」
「霊夢」
 それだけだった。博麗、に何の反応もない。幻想郷で博麗の名を聞いて何も思わないのは、相当な世間知らずか、つい最近ここに来たか、あるいは生まれたばかりか。
「そ。ここらへんで弾幕ごっこやりまくってるのはあんた?」
 上海は頷いた。
「原住民たちが困ってるってうるさいのよ」
「困っている。なぜ」
 その「なぜ」に嘘がないことは霊夢にもわかった。本当にわかっていないのだ。
 霊夢は倒木のもう片方の端に腰を下ろした。

「困ってるって言ったのは、あんたが怖いからよ。弾幕ごっこ自体は問題ない。断っても何度も誘ってくるのと、笑い方が恐ろしいのだと」
 上海はしばらく黙った。
「私は——」
 言葉が止まった。
 私は何だ。
 人形。それが事実だ。事実だが、その言葉を口に出すことに抵抗がある。抵抗の理由は自分でもわからない。
「人形みたいなもの」
 上海はそう言った。
「人形みたいなもの?」
「……うん」
「人形なの? それとも人形みたいなだけ?」
「みたいなもの」
 それ以上は言いたくなかった。霊夢はそれを察したのか、単に興味が薄いのか、追及しなかった。
「ふうん。で、あんた弾幕ごっこがしたいのよね」
「うん」
「なんで?」
「わからないことがあるから。きれいな弾幕が何なのか、わからない」
「きれいな弾幕」
「妖精に言われた。私の弾幕はきれいじゃないって。でも何がきれいかわからない」
 霊夢は少し黙った。
「あんた、弾幕ごっこのスペルカードに名前つけてる?」
「ない。番号で呼んでる」
「番号……。口上は?」
「口上?」
「スペルカードを出すときに一言あるでしょ。名乗りとか、文句とかそういうの」
「何を言えばいいかわからない」
 霊夢の眉が寄った。
「あんたさ、そもそも弾幕ごっこをやるときに、相手に何か伝えたいとかないの。自分はこういう奴だぞ、とか。ここは譲れないぞ、とか」
「ない」
 きっぱりと上海は言った。
「弾幕のパターンを試して、相手の反応を見たい。それだけ」
 霊夢は何かを言おうとして、またやめて、深くため息をついた。
「あのね。遊びなんだから趣ってもんがあるでしょうが。弾幕ごっこってのは、力比べでも実験でもないの。お互いに自分の弾幕を見せて、避けて、見せられて、避けられて、そういうやりとりなの。伝わる?」
「やりとり」
「そう。一方的に試すんじゃなくて、行って、返ってくるの。あんた、返ってくるものを受け取ってないでしょ。だから相手が物足りないのよ」
 上海は首を傾げた。
 言っている意味はわかる。言葉としては理解できる。しかしそれが自分の弾幕の何をどう変えればいいのかには繋がらない。やりとり。伝える。受け取る。それは——
「わからない」
 正直に言った。
「わからない、か」
 霊夢は少し苛立った顔をした。それから、ふっと表情が変わった。
「じゃあやるか」
「やる?」
「弾幕ごっこ。あんたと。こういうとき言葉で言ってもしょうがないのよ。撃って避けて、体でわかんなさい」
 霊夢は立ち上がった。倒木から離れて距離を取る。
「スペルカード、何枚持ってるの」
「三枚」
「名前は」
「弾幕一、弾幕二、弾幕三」
 霊夢の片眉が上がった。
「……まあいいわ。私は二枚で。先にあんたから」
 上海も立ち上がった。
 弾幕ごっこを挑まれている。受けるべきだ。相手が「やる」と言った。自分も「やる」と答える。ここまでは理解できる。
「よろしくお願いします」
 霊夢が固まった。
「……なんでお辞儀なの」
「弾幕ごっこを始めるとき、そう言うものだと思った」
「思ったって何を根拠に」
「本で読んだ」
「どんな本よ」
「礼儀作法の本。家にあった」
 霊夢は片手で顔を覆った。しばらくそうしていた。
「いいわ。始めるわよ。あんたから撃ちなさい」

 うなずくと、上海は機械的にカードを切っていった。
  弾幕一——六角格子の漸減配置。最も効率的なパターン。
 霊夢は半歩横に動いただけで全弾をやりすごした。体の軸がほとんどぶれない。
「次」
 弾幕二——螺旋状の拡散パターン。色を混ぜたもの。妖精に「きれい」と言われた配置。
 霊夢は一歩も動かなかった。弾と弾の間を体が通過していく——いや、弾が霊夢を避けているようにさえ見えた。
「次」
 弾幕三——直線の高速弾と曲線弾の複合。最も密度が高い。
 霊夢は三歩動いた。三歩の中に無駄がない。一歩目で姿勢を作り、二歩目で抜け、三歩目で元の位置に戻っている。
「終わり?」
「終わり」
「じゃあ次は私ね」

 弾が来た。
 遅い。疎ら。上海は横に動いて——
 避けた先に第二波がいた。
 右に戻る。第三波。
 速度は妖精と大差ない。密度も上海の六角格子より低い。なのに避けにくい。一波ごとに配置が変わり、前の波の避け方が次の波で裏目に出る。予測の前提が一波ごとに書き換わる。
 全力で考えた。四波目を抜けた。五波目も抜けた。六波目で腕をかすめた。
 かすめた瞬間に何かが走った。計算の前の、速い何か。
 七波目。体が勝手に動いた。計算が追いつく前に膝が曲がり、弾の下を潜った。
 八波目。今度は計算が追いついた。弾の配置が見え始めたその瞬間に配置が変わった。肩に被弾。
 霊夢がスペルカードを掲げた。
「夢符『封魔陣』」
 弾幕の密度が一段上がった。
 御札が円形に展開し、その間を光弾が縫うように飛んでくる。配置に法則がある——しかし法則の上に霊夢の「気分」が乗っている。同じ法則でも弾の速度が微妙に揺れ、角度が一射ごとに変わる。
 上海は避けながら記録した。霊夢の弾幕のパターンを、偏差を、揺れ方を。記録と同時に何かが変わり始めていた。
 弾幕一の六角格子ではこうはいかない。あれは計算で組んだパターンだから、相手も計算で解ける。霊夢の弾幕は計算で組まれていない部分がある。組まれていない部分が——強い。
 スペルカードが終わった。上海は何発か被弾していた。
「夢境『二重大結界』」
 弾幕の質が変わった。
 二層構造。外側の弾幕と内側の弾幕が異なる速度で回転している。隙間はある。しかし隙間が移動する。外の隙間と内の隙間が重なる瞬間だけ通過できる。
 回転のタイミングを計算した。隙間が重なる位置を予測し、そこに体を持っていく。一回、二回、三回通過した。
 ここだ。上海の中で何かが切り替わった。
 避けながら同時に、反撃の最適解を探し始めていた。上海人形が動いた。上海の意図で——相手の弾幕の死角から回り込む軌道を描いて。上海人形から弾幕を撃ち、霊夢はそれも避けた。
 足りない。
 上海の指先から魔力が糸のように伸びた。六日間かけて覚えた操作の経路——しかし人形を操るためではなく、糸そのものを武器として。高密度の魔力のワイヤーが空間を埋め始めた。逃げ道を塞ぐ配置。直接捉える配置。
 上海の指先に力が集まった。

 視界から霊夢が消えた。
 消えた、のではない。いた場所にいなくなった。
 首筋に冷たいものが触れていた。
 大幣の先端。
 霊夢がいつの間にか真横に立っていた。

「そこまで」
 声が低かった。
 上海は動けなかった。首筋に当てられた大幣の感触が、動くなと言っている。
 空中に張り巡らせた魔力のワイヤーが力を失って散った。上海人形がゆっくり降りてきた。
 霊夢は大幣を下ろした。黙って倒木まで歩き、座った。額に手を当てて、しばらく黙っていた。
 上海もついていって座った。
 沈黙が続いた。湖面に風が立って、小さな波が光を散らしている。

「あのね」
 霊夢が口を開いた。
「さっきの。あれは……」
 言葉を探している。
「勝負にはね、覚悟なく踏み入るべきでない場所があるの。ルールには書いてないけど、ある。あんたのは——」
 霊夢はまた言葉に詰まった。
「——そういう勝負に踏み出している。でも、それは弾幕ごっこじゃないの。相手を壊しかねないし、自分も壊れるかもしれない、そういう覚悟を持った戦いでなければ相応しくない。私はそれを認めたくない」
 上海は黙って聞いていた。
「あんたに悪気がないのはわかってる。でもあのまま続けたら、遊びじゃなくなってた。端的に言えば、あんたを滅ぼすことが選択肢に入り始めた。これはわかる?」
 上海は頷いた。確かに、首元に凶器を突きつけられたあの感覚は遊びとは異なるものだった。自分はまた、どこかで間違えたのだろう。
 霊夢は「どう言えばいいのかなぁ」とぼやいて天を見上げる。悩んでいるようだった。
「あんたのはね、修行に近いのよ。回避と攻撃は上達しているみたいだけど、その上達は、弾幕ごっこが上手くなってるのとは、ちょっと違う」
 霊夢は自分で自分の言葉に頷いたり首を振ったりしていた。
「……うまく言えない。ごめんね、私こういうの得意じゃないのよ。いつもは体でやって、それで伝わるんだけど」
 上海は霊夢の横顔を見ていた。
 この人は困っているのだ。自分のために困っている。自分に伝えたいことがあるのに言葉にできなくて苛立っている。
 それが——自分の中に、記録とは別の何かを残した。
 怖い、嫌だ、に続く三つ目の何か。名前はまだつけられないが、感触だけがある。この人が困っている姿を見ていると、自分の中の何かが動く。
「ありがとう」
 上海がそう言うと、霊夢は少し驚いた顔をした。
「何に対して」
「わからない。でもありがとう」
 霊夢はまた溜息と笑いの中間のような呼気を漏らした。
「変なやつ」

「おーい、何やってんだ二人して」
 声は上空から降ってきた。
 箒に跨った魔法使いが湖の上を斜めに横切って、倒木の前にどさりと着地した。帽子の下から覗く金髪と、肩にかけたずだ袋。
「ああ、丁度いいところに弾幕マニアの魔法使いが」
「誰がマニアだい。紅魔館に用があって飛んでたら霊夢の弾幕が見えたもんだから、何事かと思ったんだよ」
「何事でもないわよ。ちょっと弾幕ごっこの手ほどきしてただけ」
「手ほどき?霊夢が?誰にだよ」
「この子。湖のほとりで弾幕ごっこをやりたがってるんだけど、色々と足りなくてね」
 魔理沙は倒木にどっかりと座って、上海を見た。上海は魔理沙を見返した。
「ふうん。見ない顔だな。弾幕マニアとしては気になるところだ」
「やっぱりマニアじゃない」
「こだわりがあるだけだっつの。で、何が足りないんだ」
「スペルカードの名前が『弾幕一』で、口上なし、撃つ理由なし。腕はいいのに弾幕に何も入ってない」
「空っぽか」
「そう。それを伝えたくてやってみたんだけど、私が説明するのは向いてないみたい」
「だろうな。おまえは体でやるタイプだから、言葉で教えるのは無理だろ」
「あんたなら説明できるの?」
「やってみるか。弾幕のことなら私の方が語れるぜ」
 上海はこのやりとりを見ていた。
 二人の間に流れているものがある。言葉の表面と裏が違う。「向いてないみたい」は自嘲だが、魔理沙に振っている。「やってみるか」は引き受けているが、霊夢を軽く突いてもいる。口調は突き放しているのに、座る距離が近い。
「弾幕ごっこってのはな」
 魔理沙が上海に向き合った。
「スペルカードに名前をつけて、口上を切って、自分はこういう奴だぞって見せびらかす。で、相手もすごいのを返してくる。それが楽しい」
「格好つける」
「そうだ。名前は宣言だよ。これから私はこれを撃ちます、って相手に宣言するんだ。宣言するからには見栄えにもこだわる。こだわるから弾幕の形が決まる」
「魔理沙のスペルカードの名前は?」
「恋符『マスタースパーク』とか、魔符『スターダストレヴァリエ』とか」
「恋符」
「おう」
「なんで恋なの」
 一瞬、魔理沙の動きが止まった。帽子のつばに手をやる。
「かっこいいからだ」
 霊夢が横からぽつりと言った。
「あんたのスペルカード、全部に星か恋が入ってるわよね」
「偶然だ。語感がいいだけだ」
「恋色マスタースパーク、恋心『ダブルスパーク』、恋符『ノンディレクショナルレーザー』——」
「おまえなんで全部覚えてるんだよ!」
「何度も食らってれば嫌でも覚えるわよ」
 魔理沙の首筋が赤くなった。
「別にさ。恋がどうとかそういうんじゃなくて。魔法に惚れ込んでるんだよ。才能じゃ妖怪に勝てない人間が、それでも惚れちまったもんはしょうがないだろ」
「ふうん。あんたがそんなこと考えてたとはねえ」
「そのニヤニヤやめろ」
「してないわよ」
「してるだろ今まさに。おい霊夢、人の本音を引きずり出しておいて茶化すなよ」
「引きずり出してなんかいないでしょ。名前を暗唱しただけよ」
「それを茶化してるって言うんだ!」

 上海はそれを見ていた。
 あの二人は互いの弾幕を知っている。名前を全部覚えている。弱点を突ける。本音を引きずり出せる。引きずり出された方は怒るが、怒りの底に——怒りとは別のものがある。魔理沙の首筋が赤いのは恥ずかしさだが、恥ずかしさだけではない。自分の弾幕の名前を全部覚えてもらっていたことへの——
 上海にはその先の名前がつけられない。
 しかしその名前のない何かが、二人の間にあって、自分の中にはないことだけは、はっきりとわかった。
 ざわつきが大きくなっている。見ていると自分の内側がかき混ぜられるような感覚。あれが欲しい。いや、あれが「ある」場所に自分がいないことが——

「で、おまえは」
 魔理沙が上海を見た。
「おまえはさ。今の話聞いてて、何か思ったか。弾幕に込めるもの。自分の中にある何か」
 上海は口を開きかけて、閉じた。
 自分の中にある何か。ある。さっきから溜まっている。名前がないだけで。しかしそれを弾幕の話として答える言葉が見つからない。
「……わからない」
「わからないか。まあ、すぐにわかるもんでもないけどな」
 魔理沙は膝の上に肘を立てて頬杖をついた。何かを考えるようにしばらく上海を眺めてから、ふいに言った。
「仕方ないか。お前友達とか居なそうだもんな」
 友達。その言葉の意味が、上海の中でうまく結ばなかった。
「——いない」
 答えた瞬間、何かがチクリとした。
 チルノの顔が浮かんだ。あたいはチルノ、と名乗ってくれた。お前は弟子だ、と言った。また遊ぼう、と。あれは友達だったのだろうか。わからない。でも——また会いたかった。もっと、一緒に弾を撃ち合える相手が欲しかった。
 魔理沙と霊夢は互いの弾幕の名前を全部知っている。
 自分の弾幕の名前を覚えてくれる相手は、一人もいない。
「おい、なんか暗い顔してるぞ」
 上海は魔理沙を見た。
 この人は軽く聞いてくる。自分にとっては、痛い場所なのに。
「……あなたには関係ない」
「おっ、怒った?」
「怒ってない」
「怒ってるだろ。顔に出てるぜ」
 出ている。また、作っていないのに出ている。中にあるものが外に漏れる。止められない。
 箒の柄を指で弾きながら、魔理沙が続けた。
「名前は? こいつの名前、まだ聞いてなかったな」
「上海」
 湧き出るものを叩きつけるように名乗った。
 魔理沙の手が止まった。
「上海?」
「……うん」
「上海って……?」
 魔理沙の目がゆっくりと上海の全身を見た。衣装。襟の形。膝の上に抱えられている小さな人形。
 視線が鋭くなった。
「おい、霊夢。こいつ……!」
「何よ」
「上海ってのはアリスの人形の名前だぞ。一番よく使ってるやつの」
 霊夢の目が上海に向いた。少しの沈黙があった。
「……だから人形みたいなもの、って言ったの?」
「人形みたいなもの?」と魔理沙が聞き返した。
「さっき聞いたのよ。何者かって。そしたらこの子、人形みたいなもの、って」
「人形みたい、じゃなくて——」魔理沙が上海を見た。「アリスの人形、なのか?」
 上海は答えなかった。
「こいつが纏ってるのは魔力だろ。そんで、スターが生物として認識してなくて、妖力もない。何より、アリスがずっと研究していたのを知っている。操作なしで動いて、自分で考えて自分で行動する人形。すなわち、完全自律人形。こいつのことだ」
 霊夢が上海を見た。
「完全自律人形って……そういえばそんなこと言ってたっけ。本気だったんだ」
「もう完成しているのか? いやはや、ボディだけでも凄い完成度じゃないか」
「ほんと、全然わからなかったわ」
「もっとも、この様子じゃ『完全自律』なのかは半々ってところだろうが」
 ちくりとした痛みが内側に積もっていく。疑問が答えを拒絶する。何故? マスターが褒められているのに、何故こんなに痛い。研究を評価してもらう、そのために外に出て経験を埋めていたはずなのに。
「よくわからないけど未完成なの? それにしては真に迫ってた感じだったけど……」
「そこまではわからないな。とにかく、生まれたてなんだろ」
「アリスに話を聞きに行った方がいいんじゃない?」
「だな。保護者っていうか制作者に事情を聞こう」
「嫌だ」
 二人が止まった。
 上海は立ち上がっていた。いつ立ち上がったのか自分でもわからない。
「嫌って——」
「アリスのところには行かない。私は私だ。だから――」

 言葉が出ない。
 ただ、アリスの名前が出た瞬間に、二人の中で、何かが切り替わったのがわかった。
 霊夢に弾幕で教わり、魔理沙から言葉を受け取っていた自分が、二人の意識の中から消滅しかけていた。
「――だから嫌だ。立ち去らせない。アリスのところには行かせない」
 魔理沙が立ちかけた腰を戻した。霊夢の足が止まった。
 二人がこちらを見た。しかしまだ——まだ「アリスの作品」を見る目が残っている。制作者に事情を聞きに行く、その合理的な判断の中に自分が回収されようとしている。
「私はここにいる」
 上海は一歩前に出た。
「私はアリスのところにはいない。ここにいる。霊夢の弾幕を受けたのは私だ。魔理沙の話を聞いたのは私だ。アリスじゃない」
 沈黙が落ちた。
 霊夢の目が変わった。さっきまでの「制作者に聞こう」という実際的な目ではなく、上海そのものを見る目に。
 魔理沙の驚きも、種類を変えつつあった。
 二人が自分を見ている。アリスの付属品としてではなく。ここにいる一人の存在として。
「それで?」
 霊夢の声がした。
「どうするの?」
 挑発する声に期待が乗っている。
 おまえの弾幕を見せろ、とその目が言っている。
 上海は歯を食いしばった。
 内側からあふれるものが確かに私という輪郭を形作りつつあるのに、相応しい弾幕にするための経路をまだ見つけられずにいる。私は色を揃えただけで、まだ何も描いたことがなかった。今なら妖精たちが何を言おうとしていたか理解できる。幾何学的パターンも綺麗な火花も、溢れ出るものが伝わらない。でも、私には他に何がある?
 両腕に抱えていた人形が、かすかに身じろぎしたように感じた。

 頭上で何かが鳴った。
 風を切る音。一つではない。複数の何かが空から降ってきている。
 三人が同時に見上げた。
 人形だった。
 大小さまざまな人形が、ばらばらと空から落ちてきた。衣装を着た人形、素体のままの人形、手足の長さが違う人形、髪の色が違う人形。十体、二十体——数えきれない。ドサドサと草地に落ちて転がり、積み重なった。
「うわっ、なんだこりゃ!」
「十中八九、アリスでしょうね」
 人形の雨が止んだ。
 草地に散らばった人形たちは動いていない。糸で操られていない。魔力が通っていない。ただの人形だ。使い捨てタイプ——アリスが弾幕用に量産する、一回きりの消耗品。
 上海は散らばった人形を見た。
「マスター……いえ、アリス。見ていたのね」
 これらの人形には糸がついていない。アリスは操作せずに放り込んだ。遠くから、ただ投げ入れただけで――
 霊夢の弾幕を思い出す。予測の前提が一波ごとに書き換わる弾幕。計算で組まれていない部分が強い弾幕。気分で変わる弾幕。
 魔理沙の言葉を思い出す。格好つける遊び。名前は宣言。惚れたものを弾幕にする。恥ずかしくても出す。
 自分の中にあるもの——ここにいたい。見てほしい。アリスの作品じゃなく、私として。名前はまだない。でも名前がないことすら、今は、形にできる。
 上海が右手を上げると、一体が浮いた。二体目。三体目。ぎこちない。アリスのような精密さはない。しかし浮いている。動いている。
 草地に散らばった人形たちに向けて、力を通した。糸ではない。もっと粗い、力の塊。
 左手を上げる。五体、八体、十体と飛び上がり、さっきよりもなめらかに上海の周囲に展開される。
 人形たちが、舞台の上の役者のように、間隔を取って並んでいく。向かい合う者。背を向ける者。手を伸ばす者。それぞれの人形が、上海の力でゆっくりと姿勢を変えていく。
 劇の準備。幕が上がる前の、役者が位置につく時間。
 霊夢の期待に満ちた目が、上海の中に流れ込んでくる。わたしはアリスの作品としてではなく、今ここで弾幕を組み立てている者として見られている。
 見てくれている誰かがいるから、見せるものの形が決まる。さっきまで形にならなかったものが、形をとり始めている。
 魔理沙が箒を握る手を緩めた。人形の一体一体の動きを追っている。
「やれば出来るじゃないか。何も入ってないだなんて言って悪かったな」
「ええまあ……そうね……なんだか、やっと繋がったみたい」
 上海はなにかを確かめるように答えた。人形たちが配置を完了する。
 不敵な笑みを浮かべていた霊夢が問いかける。
「スペルカードは三枚でよかったかしら?」
「いいえ、一枚よ。一枚だけ受けてほしいの」
 手の中で、取り出されていた三枚のスペルカードが砂となって消える。『弾幕一』『弾幕二』『弾幕三』。番号だけの、空っぽの枠。もう要らない。
 その代わりに結晶化した輝きが上海の手元にはあった。
 それは一枚のカード。これは最初の人形劇。

「開演『逆さまの人形劇』!」

 ——話したいこと、表現したいことは山ほどある。湖の周りで出会った友達のこと。霊夢の弾幕と恐ろしさのこと。魔理沙の恥ずかしい告白のこと。
 ——あと、ちょっとだけ、アリスが覗き見してたのは許せないかな。

 緊張しているはずなのに、口元が緩んでいた。
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コメント



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1.100SYSTEMA削除
とても良い作品でした。
どこかのどかでありながらも、ほんの少しの寂しさと、気丈さとかが入り混じってとても素敵でした。ありがとうございます
2.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
3.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです
4.100名前が無い程度の能力削除
弾幕ごっこを通じて自律に近づいていく過程が丁寧に描かれていて良かったです。
5.80名前が無い程度の能力削除
恋の名前を付けている少女が恋に突っ込まれて赤くなるわけがないとは思います。
それはともかく素晴らしい作品だと思いました。
上海の成長から霊夢との対話、そこからスムーズに次の段階の変化を見せて、文量がふくまりすぎないうちにコンパクトに物語が締まっているのがお見事でした。
アリスも中盤から直接的な登場がないのに、最後まで存在感をみせて上海の成長に豊かさを与えていたのがとても良かったです。
全体的に描写が細かく丁寧だけに魔理沙を安易に恋に照れさせていたのが個人的に残念でした。
有難う御座いました。
6.100南条削除
面白かったです
弾幕ごっこという幻想郷を象徴する概念を学ぶことで、上海が幻想郷の住人として確立できたのだと思いました
素晴らしかったです
7.100のくた削除
最後に見守っていたのであろうアリスが無言で手を貸すところがとても良かったです。
8.100東ノ目削除
面白かったです
上海の描写もそうですが、個人的に妖精組の、決して聡いわけではないが天性の優しさが物語的に最適解を引き寄せているところが素敵だと思いました