Coolier - 新生・東方創想話

アタイはバカだから(後編)

2025/11/21 21:21:32
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はじめに
 本作品は『アタイはバカだから』の後編になります。
 前回の中編投稿から9カ月近くが過ぎ、もはや新作という香りがいたしますがなんとか完結したということでお納めください。
 前編・中編をお読みいただくのはまこと大歓迎でございますが、さすがに長い。もちろん梗概をお付けいたします。こちらお読みいただいた上でもしご興味示されればどうかさらっと流して振り返りいただくだけでも結構にございます。まあまあ。なんてったって前中編の文字数を和したって本編のにすんとも届かぬものですから、本編にお手をかけなさる覚悟お有りとならばこのくらいもイケてしまう口かと。あいえ、失礼しました。どうかご自由にっ。

梗概
(前編)
 幻想郷は、人間と妖怪、それから妖精の住まう自然色豊かな佳郷である。そこの妖精は独特な方言のようなものを持ち、呆れるほど楽観的で遊び尽くす毎日を過ごす。また独自の能力を持ち、しばしば人間はこれを利用することがあった。霧の湖に棲む氷精チルノは製氷業に携わる一方で楽観に過ごす一員であったが、ある雷雨の日、親友の妖精大ちゃんが凶弾を受けて倒れ、昏睡となったことで自ら行動する意思が身に着き始める。
 悪い方向へ変容していく幻想郷の自然、それは博麗の巫女によると〈騒動〉と名付けられ、また人々からは〈異変〉と嘆かれた。原因は近年人々の活動に影響を与えている土木・製造業等を営む「河童組」とされているが、博麗の巫女ら〈騒動解決チーム〉は人々の生活にすっかり馴染んでしまった河童組の活動に対して積極的な排斥行動を行えずにいた。ここに言う博麗の巫女とは博麗神社の巫女博麗霊夢の母親である。大ちゃんを昏睡から救いたいと思ったチルノは博麗神社に助けを乞いに向かうが、この事態であるためほとんど相手にされなかった。この騒動(異変)が起因して大ちゃんの昏睡が引き起こされたとは理解されたが、だとして何をすればいいかチルノは分からない。そこで霊夢の親友の魔法使い霧雨魔理沙は橋渡し的に働き、チルノの強さを認めた際にはチームへの加入が許可されることとなり、チルノは己の弱さを一旦認める。ここからの成長がチルノの行動理念になる。馬鹿だからこそ無謀にも立ち向かえる。魔理沙はチルノを慰め鼓舞した。
(中編)
 頭の成長。このためにチルノは〈人の街〉にて寺子屋という教育機関の理事に携わる上白沢慧音を頼った。彼女の教育法は異質で戸惑うことも多々あったが適応し、チルノは妖精が通常身に着けることのない思考さらに熟考の力を得ていく。それはチルノの世界観を良くも悪くも揺るがしていく。後には本屋「鈴鈴堂」の世話になり、店主の娘本居小鈴と交友を深めた。これと並行して戦闘術の成長には放浪の吸血鬼レミリア・スカーレットを師とする。彼女は幻想郷を訪れて間もない幼き少女だった。自らが元々の姿と異なる形態として幻想郷に顕現した、この運命に混乱したレミリアは霧の湖全域を文字通り真っ二つにする。チルノの憩いの家であったが、チルノは怒りもせずにむしろその絶大な強さに目をつけて師匠に立てたのである。レミリアから弾幕の扱いなどに関して指導を受け、着実に戦闘術も身に着けていく。そのうち二人は懇意にしていった。成長して得るものだけとは限らず、学習や会得に没頭していくにつれチルノは他の妖精との交友を薄れさせていった。サニー、スター、ルナの三人とはよく遊ぶ仲だったが関係に亀裂が生じ、遊びに加わらないチルノを不満に思えばついに、チルノの日常に悪戯を仕掛けるようになる。彼女らは妖精特有のきつい方言を変わらず発するが、ついにチルノはうまく聞き取れなくなった。
 チルノが成長を志してから一か月余り経った秋麗の一〇月初旬、幻想郷に雪が降った。騒動及び異変の確かにあることを思い出させる。しかし霊夢や霊夢の母親、魔理沙を含む〈騒動解決チーム〉は依然として目立った動きは取っておらず、代わりに「博麗巫女《はくれいふじょ》代交代式」の手筈を整えていた。元来の慣例と比べ四年早い、次期博麗の巫女霊夢が齢十六での開催である。異変の収まるための節目になればという願掛けであり、霊夢の母親にとっては何らかの焦燥の類あっての大幅な予定の前倒しであった。二〇〇〇年一〇月八日。日曜日。その日も雪の空だった。チルノは悪い予感を掴んでいた。代交代式は人の街の広場で行われ、大勢の観衆が集う。チルノや本居一家、またレミリアやその従者紅美鈴も姿を現した。レミリアもまた悪い運命を視ていた。順調に式次第が運んでいき、最後の式目へ。ここでは霊夢がその場で妖怪を一人退治しなくてはならなかった。チルノは驚愕する。退治されるべく召喚されたのが、闇を操る妖怪ルーミアだったのである。チルノにとって彼女は日頃大きに世話になっている友で、特に昏睡状態の大ちゃんの寝床に彼女の住処の洞窟を借り面倒を見させていた。ルーミアを助けなくてはならない。しかし式の進行を妨げてはどうなるか分からない。〈騒動解決チーム〉に動きがほしいチルノには霊夢たちの邪魔は憚られ、大勢の観衆も意識された。チルノの思考力は葛藤をつくるまでに及んでいたのである。それは果たして賢いのか、馬鹿なのか。チルノは疑念を表した。結局チルノはその場で蟠るばかり、しかし幸か不幸か、霊夢は感情的な理由でルーミアをすんでのところまで追いつめて退治し切れなかった。霊夢の母親は激しく叱咤した。
 その時は来る。雪は豪雪に変わり、厄払いの願い虚しく、霊夢の母親の焦燥、チルノの予感、レミリアの眼に映る運命は一つの形を以て実現する。式場へ何者かの襲来。世に知れいずれも正式を知らぬ「吸血鬼異変」。その血塗れの幕開けをチルノは覗き見た。

 さてさて。
 これからチルノのパーフェクトな一人称語りによる長い長い旅路に出でます準備は完璧万全にございますでしょうか。〝おてんば恋娘〟はかけましたか。暖房はおつけになりましたか。甘味は持ちましたか。これからあなた様はこの氷精の声にひたひたと曝されつづけるのです。くれぐれも卒倒なさらぬよう。
 楽しんで、ご高覧ください。




 一


 本書を公開するにあたって、まずは多くの協力があったことをここに記さねばなるまい。私は幻想郷の人里または人の街の教育に動き教鞭を振るい、寺子屋を伝統を残しながら大きくし理事に就いた。生徒数は参百とまで計上され、幾年昔に妖精を迎え入れてからまた随分賑やかになったものだ。一ツ目に感謝するは私を信じ応じてくれた保護者の皆さんと教員の皆さんである。この摩訶不思議なる古里に腰を据えて久しき私の膨れた智慧ぶくろをこうまで刺激する実験であったのだ。私はついに叶えることができたのである。
 二ツ目に感謝するは子どもたちと妖精たちである。当初子ども多数対妖精三人から始まった混合授業にこの坩の中身がどう混じり合うか懸念したもので、初期にして最大の不安だった。しかし見事に親和してくれた。これについては勘弁と言うほどこれからいくらでも語るつもりだが、子どもたちのほうから歩み寄ったではなく、〈妖精の大順応〉が働いていることが分かった。このせいで翅さえなければ生徒の種族は判別しないし、今や喧嘩声が届いてもまた聞き分けられぬほどに同化していたのである。実験の段取りとしてはただ授業をする・それを受けることで概ね達成される始末だったため生徒は特段何か気にすることはなかったろうが、既に大きな貢献があったということだ。
(略)
 そこで私は一ヶ仮説を立て、十分な証左を得た。すなわち無為自然たる妖精は学びの空間に入れることで人智に及べる。ここでは仮説と言っているが立てた時点で既に持論と言える確信があった。こちらの実験は、妖精の発話に着目した本実験とは少し逸れた話になっているが、この副題に関してもまた点在させる形で考察の補助に取り入れているので確認されたし。協力してくれた氷精の一人に今謝意を示す。
(略)
 私は既に若者への教育に身を賭し尽くすつもりの者だ。そしてこの若者とは私にとっては数多の人間を指している(知っての通り私は人のなりをして出自を異にする長命のけものである)。今ひとたび、あなたたち若者たちへ、私は本書を通じ幻想郷の特有する言語が如何なる性質を持つのかを再確認、発展して妖精の発話の仕組みを人間と比較しながらの把握、さらに発展して妖精そのものの独自の生態を認識し誤解や偏見をなくす契機へと連ねて語り伝えたい。お手に取ってくださったならば、第一章からお読みいただくとおのずとそれは達成されよう。
 暦は晩秋へ。眺めは初冬へ。これもまた異変か悪戯なるか、さりとて彼の異変の残響にして本書の出版はやや悠長の勘を否めない。本居店主はじめ、一般に触れるべく協力添えいただいた方があった。最後に格別の御礼を申し上げる。
(二〇〇〇年一一月一日 上白沢慧音)


 ぴちゃん。
 ぴちゃん。ぽたり、ぽたり。
 ぴちゃん。と。
 耳のそばにしずくがはねた。
 その何度めかを聞いているうちに。
「はっ!」
 意識と体がはねおきた。まっくらやみだった。目をぬぐってもぬぐっても黒のまま。だけどあたたかいにおいがして、世界に線がだんだんと引かれていってアタイの知っている場所だと思いだす。そこはただのくらやみじゃなくて、上の岩天井のすき間からひとすじだけまっ白な光がさしていた。すき間にはツル草がいくつかからんでいて、下へ下へ、しずくをたらしながら岩のかべにぴたり、またぶらりとたれ下がって、ここまで成長させた「主」にかさをさしている。
 アタイのだいっだいっだいすきな親友の大ちゃん。たっぷりと光のすじを浴びて、たっぷりとした寝息を立てている。アタイは大ちゃんのとなりで眠っていたみたい。もともと、大ちゃんのためにその辺の草をかりとって作ってあげたベッドはみるみる広がって、踏むこところどこでも眠れちゃいそうなくらいだ。それは大ちゃんの能力かもしれない。取ってきた草とはゼッタイに違う種類の草も伸びてて、きっとどこかから飛んできて草にまじっていた種にも大ちゃんの能力が効いたんだ。
 大ちゃんはいつも自分には能力がないんだ、とかって言った。「じつは幻想郷のきせつはわたしがあやつってるんだよ」とか「じつは霧の湖の霧はわたしが生みだしてるんだ」とかって大げさなジョウダン言うだけなんだ。
「植物を成長させる能力」? けっきょく、くわしいとこまでは分からない。けど、どんな能力なのか、それだけすごい能力、どうしてかくしてたのか、他にどんなことができるのか、大ちゃんが起きたらアタイはきいてやるんだ。
 膝を立ててお顔をのぞきこむ。
「おきてぇ」ほんのちょっと耳にささやきこむ。
 しばらく何もしていなかった気がして、ひょっとしたら目を覚ますかも。二回、三回まばたく。
 なんてね。
 がんばるよ、アタイ。
 いっぱいにおいを吸いこんで立ちあがった。
「あ、起きてる」
 雪の結晶声。
 それがすべてを思いださせた。結界の外の大雪あらし。観客大勢の大声あらし。叱り声とうめき声と叫び声とふるえ声の空間にどすぐろい太陽。その前に。なぐられけられつかれぶたれうたれ、ひどい姿で、ひどい目にあった──
「ごめんなさいッ!」
 ルーミア。生きてた。ルーミアが。ああよかった。
 どうくつのせまい通路のすき間からのぞいたルーミアをそのまま抱きしめに行った。ルーミアだ。かべのゴツゴツに服がこすれたけど気にならなかった。だってルーミアだったから。
 アタイは何度もあやまった。ぽろぽろ、目から氷があふれた。
「いい、いいよ……う、るさ、さ、さむ、いって……!」
 ルーミアはいろいろとメイワクそうにした。だけど抱きしめとあやまりはもうちょっと続いた。胸のなかの冷えたトゲがあばれまわるから。
 おざしきみたいな草の床に座って向かいあう。
 博麗の巫女のギシキにルーミアが呼びだされて、ルーミアが退治されそうなのにアタイがなんにもしなかったこと、イイワケばかり浮かんで動けなかったこと、ルーミアはちっとも怒らなかった。それはルーミアが人のせいにしないとってもやさしい子だっていうこともある。だけど、どちらかというと、ってルーミアは言う。
「死ぬと思った。でも、生き延びた。回復は、早い……し、痛まなくなって、から、だいぶ、時間経った。怒りなんて、もとから無いし。今さら」
「だいぶって、どのくらい?」
 ルーミアはちょっと目をはなし、もどした。
「一か月とか」
「……今って何月何日?」
 おどろきの声も出なかった。
「一一月、六日かな」
 一〇月八日の博麗の巫女の代交代式から、本当にほとんど一か月だった。アタイはそのあいだ、ずっとここに二人で眠ってたの?
「ルーミア、知らない。あの日、目が覚めて、周り、誰もいない。分かんなかった。とにかく、苦しいから、どうにかここに帰って、みたら……いた」
 ルーミアは指をさす。大ちゃんの寝ている方。
「いた、って……」
「チルノがいた。大ちゃんって、妖精のとなり。お世話する妖精、が、ひとり増えた」
 あの日。霊夢のお母さんの勘でヨゲンされた、血にうえたヤクサイが降ってきた。どんな姿をしていたかは覚えていない。頭のきおくはどずぐろいモヤモヤ。それが通りすぎると霊夢のお母さんの腕がちょん切れて、霊夢が「お母さん」と叫んだ。アタイはそれからどうしたっけ。そこからがまるっきりない。
 そもそも、アレからどうなった? 霊夢は。霊夢のお母さんは。レミリアおじょうさまは。小鈴は。モヤのヤクサイは。街は。
「だから、そんな、迫っても。ルーミア知らない。ルーミアは街に行かない、し、あの巫女のことなんか、も、もっと知らないっ」
 か細い熱がくうどうにひびいた。
 ……。
「とにかく。いつも通り、の暮らしに戻った、だけ。少なくとも、そんな厄災? いっかいも見てない。夜に狩って、昼に眠れる。それで充分。もう二度とアイツに会わないように。次会ったらッ、くいこ……気にしないで」
 あいかわらずのキブンの上がり下がり。だから気にしないことにする。ルーミアは足の裏についた草っきれをはたいていた。
 ルーミアの話を聞いていると、自分の頭のきおくが信用できなくなってきた。大きなヤクサイがあの方向から、あの角度で降ってきた。ゼツボウ。叫び声、霊夢のお母さんの腕が飛び散って、霊夢が「お母さん」って白いぴらぴらつきの棒を強くにぎりしめる。ちょっとだけきおくがよみがえってきた。でもシンジツかは別。
「アタイ、博麗神社に行ってくる」
 行くのは色んな意味で怖いけどたしかめなきゃ。
 ルーミアは弱い光でもお顔を苦そうにしたのが分かった。
「まあ……いってらっしゃい」
「あ、いつもごめんなさいだけど。大ちゃんのこと」
「見てるから。気にしないで」
 思いっきり抱きしめようとしたら思いっきりよけられた。でもいつもありがとう、ルーミア。ルーミアはあんまり人と関わるのが得意じゃないと思う。なのに、人のためになることをひき受けてくれるがんばり屋さんだ。悪い妖怪じゃない。霊夢のお母さんはまちがってた。
 どうくつの外へ。
 今は朝か夕方。ルーミアがちょうど帰ってきたんだったら朝方かも。
「ねえ、チルノ」ほわんとまとわりつくような声。
 出るしゅんかん、言った。
「目的、忘れないで。チルノは、大ちゃんを、救うのが目的。そのために」
「あたりまえじゃん。サボってなんかないんだぞっ。そのために強くなったんだ」
 アタイが騒動解決に向けていつまでたってもなんにも動けてない(むしろ天気がひどくなってるしジタイが悪化してる?)ように見えて、かくしイライラしてるのかな。でもアタイだってがんばってるんだ。
「大ちゃんのことなんか、いっかいも忘れたことないんだぞっ。こんなソウドウ、すぐに解決してやるんだ!」
 アタイは博麗神社に向けて飛びだした。飛ぶのはつかれることだけど、今のアタイはそうかんたんにバテたりしない。
 霧の湖は、一か月前と同じ穴ぼこだらけの森(〝森〟? 〝林〟、それか場所によっては〝木〟かも)に、さけ飛んだ湖で、一か月前とちがって枯れてチリチリになった木たちに、霧がうすまってカラッとした空気。見わたしやすい霧の湖。
 小山をいっここえたとき、〝赤くない秋〟に気づいた。幻想郷二〇〇〇年の秋は、冬景色だった。アタイはいよいよ、カクゴしなきゃいけなかった。

 二

 アタイは一か月くらい眠ってたみたいだけど、それでもそろばんは覚えてたし今までたくさんお勉強してきた漢字とか言葉も忘れた気がしなかった。だけど、お勉強してた時期でも「あれ、この前覚えた言葉、なんだっけ」「これなんて読むんだったっけ」みたいにうっかりそこだけ穴ぬきになるってことはめずらしくなかった。
 博麗神社の、社務所。目の前の景色を見て、アタイの頭のなかにいっこ言葉が打ちあがりそうになった。のに、はじけずそのままカランところがってもどかしく、それから、何を言ったらいいか分からなくて、何も言わずにふすまをしめた。
「あ、待ちなさいっ」
 まさかいるとは思わなかった。神社に来て色んなところをさがしてもおとしよりのお参りに来たフウフ以外だれもいなくて、社務所に入っても物音が聞こえないから「きっとお出かけ中だ」とこころのなかでつぶやきながら開いたしゅんかんの、だった。景色は、なんだか〝キシキシ〟とした。
 手をかけたふすまはすぐ逆にすべる。
 一か月前から、前にいっかいだけ見た巫女のふだん着っぽいかっこうに戻っていた。
「あなた。チルノ」
 アタイ、チルノ。どういう感情で呼びかけたのか、たぶん自己しょうかいするときじゃないのは分かる。口が半開きでプルプルふるえて、今からとんでもない言葉がそこから飛びだすんじゃないかってアタイもふるえた。ふるえはくちびるに伝わって、歯もかゆい気がしてとっとと何かを言いだしたくて仕方がなかった。
「ご、ごめんなさ」
「ありがとう、あのときは」
 逆の言葉が同時に放たれた。冷たいとぬくい。暗いと明るい。青と赤。
 その巫女は膝を折ってアタイの両肩にもたれようとした。アタイは肩の手をとっさにすくい上げてはなした。こんな季節に人がアタイに触れちゃいけない。そうしたら今度はふすまの溝の上にせいざしてアタイの服をひっつかんだ。
「ありがとう。おかげでお母さんが生き延びた……こんな姿だけど」
 もうひと感謝する、そのお顔はおかみの後ろの赤いおかざりが、お花がしおれたみたいに見えて、力がなかった。くずれてはないけど、立っているのがキセキみたいな風の日の積み石みたいだった。たおれて眠る巫女と、たおれかけの巫女。お母さんと、娘──霊夢。うまく言えないけど、やっぱりキシキシしていた。命があったことで、どちらも折れずにすんでいた。
 霊夢は第○○代博麗の巫女になれなかった。なぜかというと、ギシキをカンスイすることができなかったから。妖怪ひとり、退治できなかった。霊夢はお母さんのそば、見つめながら言う。
「だけど、世間的には私が第○○代になったとしているわ。ただでさえ凶悪な異変があったのに博麗の巫女がいないんじゃあ治安も悪化してどんな二次災害があるものかしら。それに手続き上、私は確かに前博麗の巫女、つまりお母さんから任命されているの。そのあとの妖怪退治が上手くいかなかったっていう、お母さんからの当然の呵責、それから私自身の呵責の問題だけ」
 霊夢は重く後悔していた。呼びだされた妖怪──ルーミアをたおすのをためらっちゃったこと。お母さんを信じて、悪い妖怪と割りきって、とどめのテッツイを振りおろせばよかった! 自分はナンジャク者だ、巫女舞だけのハンニンマエだ! だから、妖怪がカクセイするスキをあたえてしまったんだ──妖怪がカクセイ?
 その異変のことをアタイはききたかった。
「あの日、空からふってきたのはなんだったの? ふってきてから、どうしたの? それからみんなとか、街はどうなったの? この異変はかいけつしそうなの?」
 あふれる疑問を霊夢にぶつけた。すると霊夢は首をかしげた。人に疑問を投げかけたときため息をつかれたり頭を抱えられたり首をかしげられたらいつも、アタイにはカンチガイしていることがある。
「異変は空からではなく地から顕現したでしょう?」
 何を言ってるんだろう。力強くけんけんぱするのかな。こころのなかで〝ひねくれ聞き〟してみたけど、どう考えても「地から」で「顕現」だった。アタイのこんらんをほぐしてやわらげようとしてくれたのか、かくにんするように言う。
「異変は、もう九割がた解決したし、街の被害も食い止められた。他でもないあなたのおかげね。本当に感謝してる」
「えっ」
 ますますからまってきた。
 霊夢の話は異変の始まりにさかのぼる。
 代交代式のシュウマクをかざる妖怪退治。霊夢はショウカンされた妖怪(ルーミア!)をトントンびょうしでとっちめちゃってとどめを刺そうとするけどにっくき情がわいてそれどころじゃなくなった。お母さんが登場したときにはもう後悔をしていたが、そのときはまだ情が上回っていてお母さんやミンシュウのコブをすなおに受けいれられず抵抗した。けっか、危ない状況になった妖怪はその本能をばくはつさせて復活しちゃった(ここがおかしい?)! 妖怪は吸血鬼だった(ウソ?!)。カクセイしてケイタイ変化したんだ。かっこうはうろ覚えだけど、背中に生えたいびつなハネとくちびるがめくれたときの見えかくれするキバはたしかにきおくしているみたい。お母さんの腕をちぎってモテアソんで空にタタズんでいた。どうしようもない後悔にふるえ、本当の妖怪退治に入ろうとする。
 だけど目にモウ吹雪、耳に叫び声がして霊夢はハッとした。広場の結界はそれを張った主、お母さんが気を失ったから消えちゃって、ギシキを見に来ていた人たちがあやういんだ──アタイもゼツボウの白いかべを思いだした。結界は雪とか風とか寒さも通さないスグレモノだったけど、そのせいで結界の外っかわに雪がどんどんどんどんつもっていって、ムキムキの人くらいしかよじのぼれない雪のまるい囲いができちゃった。このまま戦いに入ったら多くのミンシュウがまきこまれるかもしれない。霊夢はぬさ(ずっと名前が気になっていたあの白いぴろぴろつきの棒)をにぎりしめながら吸血鬼をにらみつけることしかできなかった。
 そのとき、吹雪の白よりもまっ白な「光」が吸血鬼をおそう。五、六発吸いよせられたみたいに命中した。霊夢の脇をぬけていった影は──青い氷精(アタイ?!)。吸血鬼はスキを見せている。向かっていく氷精とは他に、もう一人、カクトウ家のようなかっこうのセキハツの女性がまたたく間に飛びぬけて『隙だらけですっ』空中の吸血鬼をけり落とした(めーりん!)! すると上空で吹雪がみぞれに、あられに、ひょうに、それ以上の大きな氷のかたまりに変化し、その何百何千が地面にうち落とされた吸血鬼に向かって降りそそいだ。文字通り自然をミカタに退治する。しかし。体が溶けるくらいの熱気をふくんだばくはつがして、ひるんでいるスキに吸血鬼はいびつなハネをあおいで通りへ飛びだし消えた。ゲキタイには成功したらしい。
 霊夢はずっと凍りついちゃったみたいに動けなかったが、まだ状況をつかめていないミンシュウは叫び声や泣き声をあげて白いかべにもがいていて呪文がとけた。そばでたおれている埋もれかけたお母さんも目についた。
『母君はこちらにお任せください。民衆は貴女の鎮撫の言葉を求めています』
 救世主のセキハツの女性は「腕」を持って現れて、一礼したあとお母さんを抱え、さらに一人の妖怪少女をもうかたほうに抱え(おじょうさまだ)、サッソウと飛びさった。もういっぽうの救世主もすでに見あたらなかった。あんまりにみじめなキモチがした。だけど、迷っているヒマはなかった。
『みんな、聞いて────!』
「もう、大丈夫よって、声を張り上げたわ。情けない。私は何にもしてないのに。むしろ敵に情を施した大たわけなのに。でも情けない声で言っても、混乱は鎮められないじゃない、でしょ? 情けない顔をしても、引き出せるのは不安だけ、でしょ? 堂々と、しなきゃ、きっとまたお母さんに怒られるわ……でも、あのときの私……あんまりにお母さんの声と似てなかった」
 霊夢は語るにつれて、なみだをぽろぽろ、ぼろぼろいわせた。
「民は安堵した。民は私を一斉に見て安堵した。あの、目。怖かった。怖かったッ! 冷たい冷たい、無数の白い目玉よ。安堵の声に覚《さと》る恐怖よ。この動揺を気取られまいとしつつ雪を掻き起こす神経の氷食よ!」
 霊夢は世話の道具を置いた平たい台の上につっぷしたり、アタイの指先をつかもうとしたりした。冷たいのがイヤならアタイに触れちゃダメでしょ。身を少しよじってよけるとあきらめて、台につっぷしなおしてピクピクとして、止まった。
 これが一か月前の話。ちょっとまちがってる気がする、とか。それからは? とか。言う気にはなれなかった。カッパ組関係の異変も、これからどうするのかいちばん気になることだけど、今はやめておく。目をあっちらこっちらトンボみたいに飛ばしていると、おふとんの上に横たわる包帯と赤いお札まみれの腕にとまった。息のネが聞こえた。
「あなたは、あのあとどこに行ってたのよ」
 ヒトリゴトみたいだったけど、いちおう拾いあげた。
「覚えてない。その吸血鬼があらわれたときから、今日まで、もうアタイのきおくはないんだ」
「……どういうこと? あなたも傷を負って眠ったとか」
「分かんないんだ。たたかったきおくもないから。でもそしたら、アタイはたたかう前に気を失っちゃったはずなのに、なんで霊夢がそんなこと覚えてるのかも分かんないし、もし霊夢のきおくが合ってるなら、なんでアタイにそのきおくがないのか分かんないんだぞ。だけど霊夢が合ってるなら、アタイは大ケガしちゃったり、その吸血鬼が起こしたばくはつで溶けちゃったのかも。──ところでなんだけど、やっぱりアタイの最後のきおくだとね、その吸血鬼は呼びだされた妖怪(ルーミア!)じゃなくて空からふってきたまったく別の妖怪だと思うんだ」
 霊夢はつっぷしたままむっくりとお顔を横にして言った。
「ずいぶん、理性的にしゃべるようになったのね」
「うん」リセイってなんだろう。いつものクセで口が開きかけた。
 それから、もうひとつ気づいたことがあるらしい。
「暑いの?」
「あ、うん」
 うなずくとぽたぽた、おかみの前からしずくがたれた。
 部屋の温度は下げられないからアタイと霊夢はいっしょに外に出てもう少しお話することにした。そのついでに、って霊夢はアタイにほうきを持たせた。お母さんのお世話でサボりぎみだった参道のおそうじを手伝ってほしいんだって。一一月に入ってどっさりと落ちてきた葉っぱは道の石のところに好きほうだい積もっちゃってる。茶色じゃなくて緑のも多い。まだ元気いっぱいだったのに、寒さにたえきれなくて落ちてきちゃったのかも。たしかにひとりで全部はきだすのはたいへんそうだしがんばったらおだちんくれるみたいだし、手伝ってあげよう。
 サッ、サッ……ん?
 サッサッ、サササササ──
「ねえ、かれ葉、ひっついちゃってる」
「たまに雪が降るからねえ。ぴったりひっついたり凍ったり。もっと力を込めるのよ。どうしても無理なら靴で掃うしかないけれど、あなた裸足だったわね。細かいところは私がやるから、とにかく大まかに掃き出してくれるだけでも助かるわ」
「さいきんも雪は降るのか?」サッ、サッ。ちょっと楽しい。
 さっきまでいたさんぱい客のフウフもいなくなって聞こえる会話はアタイたちのだけ。この神社はあんまり人気がないのかな。
「そうね。時季にしては降るほうよ。代交代式ほどひどいのはないにしろ、ここは山の上だしよく積もるわ。ここ数日は晴れたけれどね。それよりもこの冷え込みのほうが人間には堪えるの。あなたには分からないでしょうけれど部屋はあれぐらいあたためないと布団をかぶっても冷えてくるのよ。はあ、さむいさむい」
「アタイ、寒さは分かんないけど暑さは分かるぞ。いくらなんでもあれはあたためすぎだぞっ。小鈴の家はもうちょっとマシだった」
 ちょっとのあいだ、知り合いのことでおしゃべりした。霊夢は落ちこんでたのがすっかり消えて、小鈴ほどじゃないけど明るくしゃべった。すごい役割についている女の子って忘れちゃうくらい。だけど前に感じていた「オーラ」がまた、浮かびあがったような。ふしぎな言い方だけど、近いのに距離を感じていた。
 アタイはほうきをうまく使いこなせなくてぜーはー言う。霊夢もひとまわり大きなほうきが手に余っているみたいに見えた。
「この際、吸血鬼が天地いずれから現れたかを考えるのは詮無きことよ」
 おそうじが進んで、神社のうちそとの参道の見える限り百分の十くらいきれいにできた(〝トホホ〟もない!)。そんなとき霊夢は部屋でのお話をめくりだした。
「せんなきって?」今はきける。
「意味がないとか、どうでもいい。けっきょくその凶悪な妖怪は捕まえられたのだから」
「つかまえたんだ。すごいじゃん、霊夢」
「私は何にもしてないの」
 霊夢はほうきにおでこをひっつけた。
 すぐにもとの姿勢にもどった。
「はあ、いけないわ。これで暗くなったら魔理沙にも怒られちゃう。せっかく励ましてくれたのに」
 霊夢の親友ははげますのがじょうずみたい。アタイの親友だって、はげますとか、しないけど、いつもアタイのそばにいて、元気づけてくれるんだ。そう、そもそも落ちこんじゃうのとかつらくなる前に元気づけてくれるからはげますとかないんだ。大ちゃんのほうがいっちばんじょうず。
「何にもしてないって、他の人がつかまえたの? もしかして魔理沙が」
「いいえ。捕まえたのはあの日の救世主よ、つまり」
「アタイ?!」
 ウソ、ホントにアタイ、寝てるとき何してたの? 寝てるときっていうか、眠りにつく前の記憶がない部分でどんだけ活ヤクしちゃったの? 天才? 最強?
「……違うわよ」
 霊夢はのどを吹かしてひていした。
「え」
「もう一人の救世主のほう。はあ、いけないわ。自惚れすぎよ」
 口をおさえてケタケタ笑った。
 アタイはもだえた。何が起きたのか分からないけどとにかく苦しかった。体の中心からほのおがふきだして、とける、とけるっ。ほうきをほうり出してそばにあった水場に顔からお腹までまっさかさまにつっこんだ。ためてあった水はすぐに固くなった。
「ちょっと、手水舎が壊れるでしょう。あと私の箒なんだから大切に扱いなさい」
 氷の中は安心した。霊夢が呼んでいるけど、腰を起こそうとしても抜けだせないことにした。
「まったくもう。面倒くさいことになったわねえ」
「手をお貸しいたしましょうか」
 霊夢のため息とは別の声。誰かが来たらしい。というか、この声。
「あら、噂をすれば救世主が来なすった」
「──ん!」めーりん! 口に氷がはりついて声が出ない。
 やっぱり久しぶりのめーりんの声だ(みんな久しぶりになるんだけど)。だったらレミリアおじょうさまもいるのかな。何の用があって来たのかは分からないけどアタイはさっきまでのキモチを忘れてうれしくなった。
「これ以上、あなたの手を煩わせちゃいけないわね」
 霊夢の声はけわしかった。アタイは霊夢が来る前に氷のふういんをカンタンにくだいて体を起こした。
「なによ。自力で抜け出せるんじゃない」
「やっぱりめーりんっ。久しぶり」レミリアはいないみたい。
「おやそれは良かった。さて、霊夢様。おはようございます。今朝は捕縛した吸血鬼の件でお話に参った次第でございます」
 そこにはまっ赤なおかみをしてすらっと身長が高いめーりんが姿勢よく立っていた。アタイはあいさつしようとした。でもめーりんは、ふいっとお顔を横に向けた。
「わざわざご足労いただいて申し訳ないわ。今は迂闊に神社の外に出られなくて」
「存じ上げております。そちらこそご苦労様です。それにしてもよくこちらに召集のお下知くだされたものです。所在については一切触れられていなかったはずですが」
「先代の連絡網があってね。郊外の湖に住居を構えたのは最近?」
「まだ施工途中ですが完工はもうほど近い日です。寝食に滞りはありません」
 霊夢とめーりんがマジメなお話をするみたい。アタイは声を上げるのをやめた。口をはさみたいことはたくさんあるけどそれをしちゃったら……アタイは霊夢のお母さんの目を思いだして、目をそらした。お話しているのがタイクツってワケじゃないけど、手がヒマそうにうずくからちょうずやのバラバラになった氷のかけらに触れたりペキペキしたりしてまぎらわせた。
 めーりんが言う。
「手紙でやり取りいたしましたが、今いちど述べておきましょう。かの吸血鬼は破壊に長けた能力を有する妖怪です。外に出せば湖一帯の生物は忽然と姿を消すでしょう。ゆえに家の地下に封印しております。霊夢様はこちらを引き渡すよう求めておりますが、結論大変危険ですのでお断り申し上げているところです」
「封印に関してはよくやってくれたわ。異変解決への貢献としてあとで褒美を取らせるから。それで、連れて来るのが無理なら私から出向いて退治して差し上げるわ」
「こちらにお越しになるおつもりで? 博麗の血族は飛行能力を有すると言えど、行って帰るまでにそれなりの時間は要しますでしょうし、その間に母君の容体が急変すればそれこそ招かざる異変ではありませんか」
「容体は安定しているわ。半日もかけるつもりはないし、今からこの妖精を留守番にしてとっとと行ってやることやって昼に帰るのでもいいわね」
「再三申し上げます。霊夢様。それは危険な行為です。貴女にも、母君にも」
 めーりんは表情ひとつ姿勢ひとつ変えずに細目を光らせている。りょーじゅーみたいだ。見つめるのが怖い、怖い穴だ。霊夢は霊夢でマジメそうなお顔をくずさずに、ただ大きなほうきの棒の部分をぬさを構えるようにめーりんに向けた。
「あなた、手紙でも思ったけれど」
 しずかでのどかな朝早い神社の空気が重さを持って、だんだんとぎすぎすしはじめた。
「どこかその吸血鬼を庇う節があるわね。もしかして、あなたが起こした火? だったら褒美は無しね。罰したっていいわ」
「どうしてそう思われるのか。もはや褒美など私にはどうでもよいことであり、身に覚えのない罪で罰せられても構わない所存でございますが、とにかく吸血鬼の消滅を望んでおります。さきほど家に関して寝食に滞りなくと申し上げましたが正直な話、家の地下に危険因子があっては眠るも臥薪、食するも嘗胆たる心地でままなりません」
「ならばいざ、ゆきましょう。今宵は満腹でぐっすり眠れるわ」
「なりません。貴女にも、母君にも、私の同居人に害となり得ます。先に申し開いておきます。私には主人がおります。また、そのご友人の魔法使いと、その眷属も同居しております。特にその魔法使いのお方においてはお体が弱く、外出は容易ではありません。つまり万一があれば避難し損なうでしょう。しかし地下に封印を施したのはこの方になります。こちらの封印は向こう百年破られることはまずない堅牢なものであり、内部の妖怪はいつしか誰からも忘れ去られ緩やかな衰弱のもと消滅の一途を辿るでしょう。博麗の巫女様が何もお手を煩わせることはないのです」
 めーりんの知り合いの魔法使いがそんなことしたんだ。魔理沙じゃないと思うけど、誰だろう。
「どうも話に何か紛れているわね。あなたは違っても、同居人のうちその吸血鬼と何らかの関係を持つ者がいて庇っているのかしら」
「いいえ」
「ならその主人、もしくは魔法使いの眷属は吸血鬼か、それに類する者なのかしら」
「いいえ、まさか」
「えっ」
 口からもれたしゅんかん、アタイは口をおさえた。めーりん、びっくりするぐらいすばやくウソついた。じっさい、びっくりしちゃってアタイは二人から別々のにらみつける視線を感じた。
「あなた、何に驚いたの? というかあなたたち、共闘してたし知り合いなんでしょうね。さっき、めーりん、と呼んでなかった?」
「言った。めーりんとはお友だちだよ」
 めーりんとアタイが知り合いだってことは、もうクツガエしようがない。問題は、それよりさらにつっこんだ話。めーりんは、めーりんとアタイがつかえているレミリアおじょうさまの正体をかくそうとしている。
「もしかして、彼女の主人のことも知っているんじゃない?」霊夢がつめよる。
「ううん、知らない。めーりんにご主人サマがいるなんて考えてみても信じられなくて、それでびっくりしちゃった」
 理由は分からないけど協力しようと思う。霊夢がさっきした話だと、あの異変の日、霊夢はめーりんが霊夢のお母さんとレミリアをいっしょに担いだのを見ている。でも、そのつばさを生やした妖怪少女がまさか主だってことには気づかないだろうな。
 とっさに用意したウソは、意外とすんなり口の外に出ていった。言ってるあいだ、霊夢の目が見られなかった。寺子屋の少年にウソを押しとおそうとしたときは、もう少し抵抗があったのに。
 言いおわってやっと、じっと霊夢の目を見つめた。バレて、ない?
「ねえ、チルノ。お利口さんだから」
 霊夢は草むらの野ウサギをかんさつするように腰をかがめてアタイに目線を合わせた。
「分かるでしょう。私の気持ち。私はとても後悔しているの。それを遣る瀬がないの。私の手で憎き妖怪を屠るまで、これはどうしたって片づけきれないの。私が博麗の巫女であるがため。──あなたから、あのめーりんって人に説得して来てくれない?」
 優しかった。それでいて、本気だった。
「仮にも二度手を借りた人間に、私からあまり強く言えないの。彼女は知り合いでしょ」
 アタイだって霊夢に二回手を貸してるのに。(覚えてないけど)吸血鬼のゲキタイと、参道の落ち葉のおそうじ。それだけ霊夢は追いつめられてるってことなら。だけどアタイには霊夢のキモチがいまひとつ分からなかった。それとは別に、たしかなことがあった。
「霊夢」
 アタイはもう、目をそらさなかった。
「霊夢の手でその妖怪をやっつけるのが、いちばん良いことなの?」
 するとため息をつかれた。
「言ったでしょう。私はとっても後悔して」
「自分のことばっかりユウセンして、人のメイワクとか、考えないんだ」
「えっ」
「何におどろいたの? そういうことでしょ」
 アタイは生まれてはじめてのことをする。
 それは怒る、じゃない。
 それは、しかる。
「めーりん困ってるよ。せっかく吸血鬼をつかまえて異変がかい決しそうなのに、霊夢が自分でやっつけたいってワガママ言うから」
「彼女が異変の火付け役でウソをついているかもしれないじゃない。信用なんないから直接手を下しに行くのよ。博麗の巫女たる以上、どんなちんけな燻りもアヤシければ徹底して片づけなければならないわ。そこから逃げる理由はないの」
「ウソ、ついてるかもね。でも、霊夢もウソついた」
「はあ? 何、言ってみなさいよ!」
 霊夢はどうどうとして、とても声が大きい。だけどアタイも負けない。
「何ヶ月も前から起こってる異変があるのに、霊夢たちはずっと逃げてる! アタイも大ちゃんも、すっごいメイワクしてる!」
「河童組の自然破壊騒動? あれは長期的な対策が必要なの。別に逃げてるってわけじゃないし、目の前の異変に集中すべきだわ」
「目の前の景色を見てごらんよッ!」
 神社のまわりの景色を指さした。
 山の上に建っているからよく見える。山の斜面の色が。そこにうごめくものがないことが。
「赤くない元気な葉っぱがどっさり落ちてる。秋だよ? 秋は夏でも冬でもないよ? ここに来るとき、だれも見なかった。いつもより木の下は見やすかったのに、いつもよりだれも見えなかった! 秋のみんなは出るタイミングをのがしてコウヨウも動物たちのための実りもできなくて、冬のみんなはまだじゅんびができてないから現れない、だから、さびしいきびしい景色なんだっ!」
 季節の妖精が四種類いる。そのみんなはおしゃべりしたり遊んだりしない。ひとりでいることが好きらしい。みんなとすごすかわりにだいじなおしごとをする。つまんないと思ってあまり関わったことはないから、どんなおしごとかたくさんは知らないけど、春の花開きとか、夏の緑を濃くするとか、秋の実りとか、冬の葉っぱの最後のお役目はたしをさせる(これはちょっと知ってて、葉っぱは落ちる最後になると、木に自分の栄養を全部あげて、それからひらりと落ちる。葉っぱが枯れて茶色くなるワケ)とか、いろんなお手伝いをするんだ。
 足もとにある緑色の葉っぱは、あっちゃいけないんだ。
「でも、耐えられないってワケじゃないし……どっちかって言ったら」
 霊夢はうつむいてほうきをしがみつくようにつかんだ。ぐなりと葉っぱを踏みつける。
「それは霊夢の〝卑見〟だよ」
「ヒケン?」
「霊夢だけのつまんない意見ってこと」
 アタイはけーね先生の言葉を借りた。本当は、卑見は相手の意見に対して言うのはちょっとまちがっているらしい(自分の意見を下げるためのけんじょー語だって。あとで知った)。だけど言葉のことではじめてユウイに立ててコウフン感があった。いいや、このコウフンは言葉だけじゃない。そもそもしかるって、立場からユウイになるんだ。
「アタイはもちろん、大ちゃんが早く起きてほしいんだから、このソウドウにはこらえきれない。でも、アタイ以外の街のみんなだって、おかしな天気とか、そのせいで食リョウが足りなくなるとか、あのおかっぱ組の電波トウがうざったいとか、もううんざりとか、いろいろ言ってるの、アタイ聞いた。耐えられてるのは、霊夢だけかもしれないよ」
「そんな言い方、私はただ博麗の巫女としての面目を」
「前から思ってた。霊夢とか、霊夢のお母さんも、いつも変なオーラはっして人を寄せつけない。だからだぞ。街の人のキモチぜんっぜん分かってない。博麗の巫女って、いっちばんえらい人になるんだったらもっとおしゃべりしないと。じゃないと代交代式のときみたいに、いざみんなの前に現れても外見しかほめられないんだぞ! アタイは馬鹿だからあんまりほめられないけどたくさん話しかけて、話しかけられて、ウワサ話とかでもりあがって、うんと街のことくわしくなったし。だいたい、代交代式はもともとこの自然ハカイソウドウがどうにかおさまりますようにってカミ頼みする意味もこめたんでしょ? なのにこれのせいで、ずるずる。ずるずる。目的すら忘れちゃってかい決が遅れちゃってるんじゃん。馬鹿じゃん。霊夢たちのほうがよっぽど────」
 シュッ。
 まだまだ言いたりないそのとき、ほっぺたをはたかれた。
 はたいたのは風で。
「チルノさん」
 風はめーりんのひと振りが起こした。
「叱るのと、悪口は違いますよ」
 そのとき霊夢はひざをついて泣きくずれた。ちょうどつむじ風がまき起こって足もとがカサカサと、ざわついた。
 正しいことを言っていると思っていたアタイはめーりんの言うことをすなおに受けいれられなかった。霊夢が分からず屋だから、悪口っぽくてもとにかく強く言ってやんないといけないじゃない。どうしてめーりんはアタイをぶつの?
「叱るときは、相手の身上を知った上で相手の成長を信じて為すのです。私も、貴女がもうただのお馬鹿さんでないと信じて、口を塞ぐのではなく頬を少しはたきました」
 しかり方のおしかり。痛みがジンと、深く残った。
 めーりんは霊夢の肩に手を置いて向きあった。
「霊夢様。虚偽を疑われましたのは誠に遺憾でございますが、貴女様からすれば仕方がないことでしょう。私の元を訪れるのはきっと後で構わない、まずはそのお役目の重量に慣れるべきです。貴女様は今、四方の楚歌を耳にした心地でしょう。乱世における一国の君主とは常にその歌をうすらかに聞きつづけるようなもの。克服できぬようであれば、度重なる不幸に血吐け幣折れ、それで仕舞いと為らん。どうか、強くおなりください。それまで捕縛の封印は解かぬとここに約束いたします。先の異変を無事乗り越え、それで、時は来たと鶴の刮目を感じたときがよろしい。もし今の覚悟が残っていれば、お越しください」
 それはしかるのよりもずっと力がこもって、はげまされるような言葉だった。アタイのとはなにか違った。霊夢は聞いているのか聞いてないのか分からない。めーりんがしゃべる間ずっとコク、コクと、泣きながら水場の鳥みたいに首を振っていた。
 めーりんは去る。
「待ちなさい!」
 なみだと鼻水をついばみながら、それでも霊夢は声を張った。
「やはり褒美は取っていきなさい」
 と言って社務所の方へきれいだったりきれいじゃなかったりする道をかけ抜ける。めーりんはえんりょしようと思ったのか、そでから手を出してそれをほっぺたをかくのに使った。
「ところで、チルノさんは最近どうしていたのですか? レミリアお嬢様が心配しておいででした」
 いつもの調子で話しかけてきた。
「アタイは……自分でもよく分かってないんだけど」
 ──え、おか。あっ、きゃああああ!
 それはまぎれもない叫び声だった。

 三

 霊夢のお母さんが目を覚ました。
 アタイはふてくされたキブンになって、遠い景色を見晴らした。めーりんは赤いひもで結ばれた黒い箱をしぶしぶってお顔で持って神社を出る。あいさつしたほうがいいんじゃないかって思ったけど、めーりんはあんまり乗り気じゃないみたいで引きとめず、アタイひとり社務所に上がった。
 目が合った。おふとんの上からまじまじと見つめて。
「一か月前よりも凛々しくなったか」
 ひばちでわかしたお湯を口にしながら寝おきの声をふるわせて言った。
「お母さん。あれからもう一か月経ってるの。今日は一一月六日」
 霊夢は痛む腰を気にもしないで湯飲みとお母さんの体を支えている。後ろから支えるのはひょっとしたらみっともないお顔を見られたくないからかもしれない。えんがわに放りだされたぞうりはととのえておいてあげた。
「この札はなんだ」お母さんは自分の包帯まみれの腕をぶきように持ちあげた。「随分手の凝った術が施してある」
「下の布施屋《ふせや》やってる仏道の人たちから、食糧と一緒にお裾分けしてもらったの。再生を促す程度の護符のようだわ」
「今回ばかりは助けられたな。毎度同教の分派と言い張るがごとく振る舞いおって迷惑甚だしく参拝客も横取りする異端に。(舌をはじく)癪だが礼を示さねば」
「ウチに渡せる品はあったかしら」
「早急に櫃《ひつ》に詰めるもん詰めて持って参れ。一件はこれっきりであると早々明言せねば尾を曳かれる。日頃から安易に人を頼るなと言っているがあの連中は信仰違えば特にいかん」
「い、いま?! お母さん、お腹すいてるでしょ。おかゆとか」
「要らんっ。支度しろ」
 お母さんがパンと太ももをたたくと霊夢は大あわてで戸を開いてばたばた飛びだした。流れるようにぞうりをはいてどこかへ。
 そんなやり取りをせいざかあぐらか分かんないカッコで見ていたアタイは博麗の巫女ってどっちなんだろうってぼんやりと考えていた。
「すまない、冷えるのでそっちの戸を閉めてほしい」
 アタイからしたら暑いので戸を開けたいってキモチだった。スーッと閉めたらぱちぱちって火の音が二か所からよく聞こえた。
 お母さんはアタイに背を向けてふとんにもぐりこんだ。
「はあ。想像以上に疲弊しておるの。一か月というのに幾十路をも往《ゆ》いた心地ぞ。こりゃ当面動けまい。そうだ、お前」
 ぐるりと寝がえる。
「代交代式後の里は如何ようか」
 外ではバタ足が聞こえる。
「アタイもあんまり最近の街のことは知らないよ。霊夢から聞いた話になるけど」
「構わん。話せ。私は腕が飛んだと記憶したのが末のようだ」
 ガタンッ「お母さんっ、詰めるモノって何!?」
「銭に決まってるだろう! 満杯にして坊主の物言う口を塞げてしまえ。あと沓《くつ》を忘れるな!」
「うん!」
 バタンッ。
 二人は叫ぶと、どっちがどっちか分からなくなるような声質をしていた。親子っていう関係がだんだんとおもしろく感じる。
 お母さんは二、三回せき込んだ。弱々しいのに、弱くない人だった。
「声を張るにはちと急すぎたかな。こふっ。気にするな。話してみよ」
 どこから話そうかちょっとなやんでみた。アタイはこういう説明でいつも「そんなこと訊いてない」って文句言われちゃうから。だから、先にけつろんを言ってみた。
「街はね、めちゃくちゃ寒いってこと以外、たぶんそんなにいつもと変わってないよ。霊夢から聞いたら吸血鬼がおそってきて、ほとんどヒガイがなかったみたいだし」
「降ってきたのは妖怪か。ふむ。大結界の様子も見に行った方が良いな」
 やっぱり吸血鬼は降ってきたのであってるっぽい。二対一。やったね。
「その吸血鬼はね、アタイとめーりんでとっちめてやったんだ。あ、めーりんっていうのはアタイの友だちで、カクトウ家みたいなカッコウとか戦い方する女の人で……あ」
 しまった。これがさっきの「そんなこと訊いてない」じゃん。アタイったら学習しない。
「えっと、気にしないで」
「お前とそのメエリンが共闘して打ち勝ったと言うのか」
 少し低い声だった。おふとんに横たわっているからじーっと、だけどぼーっと、見てくるみたい。
「そうだよ。そのあとは……なんやかんやあって、吸血鬼をめーりんの家の地下室に閉じこめたとか」
「それは何の御伽草子だ?」
 お母さんはため息をついて、わざわざ数少ない使える腕を頭に持ってきて抱えた。
「人の腕を軽々切り飛ばす凶悪な化け物、妖精ごときが立ち向かえたもんじゃなかろう」
「ううん、ホントっ」
「お前は実際にその襲来に居合わせたのか。先程『ほとんど被害はなかったみたい』だと言って後に襲来を聞き及んだといった風だったが」
「あ、えと、それはね……」
 説明しきれないよ! アタイはたしかに代交代式中ずっとその場にいて空から降ってくるモノがあったところまできおくあるけど、そこから先はきおくが消えちゃっているけど、霊夢はアタイの戦うところをばっちり覚えているけど、それがどうしてなのか分からないけど──アタイの能力でぎゅっと、うまくまとめられるワケなかった。
「名誉や報酬欲しさに戯言を抜かすとは。あれから随分な成長っぷりだな」
「ちがうっ。本当に代交代式のとき、アタイいたんだよ。ただ、ただ、戦うのに夢中だったからヒガイのこととかあんまり覚えてないんだ」
 あんまりどころか、まったくだけど。
「とにかく霊夢にきけば分かる」
「ワハハ。分かったぞ」お母さんはかすれ笑いした。「霊夢が対峙するのを遠くから羨望し自らに重ねたのだな」
「霊夢は、あそこで、戦わなかった……」
「さすが我が子よ。真に試練が迫れば揺らいだ意志を持ち直したか。未だ青き霊夢に重役を継承するのは尚早に思われたが為せば成るものぞ。やはり博麗の巫女を名乗らせる時が来たのだ」
 胸のなかで何かがドキンとはねた。
 考えなくても分かった。このあと霊夢と霊夢のお母さんが話すときどんなことが起こるのかって。
 ウソをつくのか正直に話すのか。さっき、霊夢の事情をたくさん聞いたし、霊夢にウソついちゃったし、どっちにしても、アタイは責められない。けどバレたら『ナンジャク者』『ハンニンマエ』お母さんは、どうしたって責めるよ。
 今は満足そうなお母さん。
「ともかく、大した異変無く済んで良かった。にしても腹が減ったの。霊夢は今頃仏社へ参っているだろうか。おい、お前は飯を作れねえか」
「異変は、まだなくなってない」
 ウソつきあつかいされたのもあっていいかげん、ぶっきらぼうな言い方になった。しかたないじゃん。霊夢のお母さんは大ケガしても起きたのに──
 だけど小声だったせいかな、お母さんはそれで何を言うかと思ったら「火鉢の炭を足してくれ」って注文してきた(いっそ消してやろうかっ)。
「炭は台所にある。火鉢に入れる時は」
「新しいのを下に入れるんでしょ。それくらい知ってるよ。小鈴ん家でお勉強したし」
 ムキになって言葉をふうじた。お母さんのほうは小鈴のことを知らないからうっかりしてたけど、新しい炭を用意して入れるあいだ何もきかずにだまって見ていた。
「ああ、すまない水の精ではなく氷の精だったかな。これは無理をさせてしまった」
「んッ……」
 手に持ったおはしにグッと力が入る。このアツアツを突きさしてやろうかなんてキモチがわき上がる。なんだろう、コレ。今まで感じたことないや。
「火元がいくつも必要なほどの寒冷っぷり。一一月の初旬にこれか。たしかお前が言うには、『人の街はめちゃくちゃ寒いってこと以外はいつも通り』なのだったな。外患去《い》にぬれど内憂は」
 お母さんは少しだけ体を起こして換気用に引かれた戸のすき間をのぞく。
「そうだよ。みんな、苦しんでるよ」
 一か月前ですら風が吹けばみんなお顔をしかめまくってたのに、もう寒すぎて外にお顔をしかめに出ている人さえいないかもしれない。
「おかっぱ組がいけないの? それとも他に原因があるの?」
 アタイは切りだした。
 ここまでがんばってお勉強とか体の修行をやってきたんだ。いいかげん、異変のゼンボウを教えてほしかった。
「お前に告げるとも詮無きことよ」
「お願いします」
 アシをくずしたたいせいから立ちあがって手を前に組み頭をさげた。めーりんの一礼だ。
「教えて、ください。アタイはこの異変をかい決するためだったらなんだって、します。役立たずだったかもしれませんけど、もうアタイはそうかんたんに話に置いてけぼりになったりイタしません。きっとかんたんにたおれたりイタしません。ですから、この異変をかい決するための方法を教えてください。そうしましたら、アタイはまた、がんばる、がんばりますから」
 しんちょうに言葉を重ねた。小鈴が矯正した発声だ。しゃべるとき鼻にかかりがちだと言われたのは、できるだけノドボトケを意識することで落ち着きを感じられるように。「イ音」が苦手なのは口を横に引っぱってあいまいにならないように。「アタイ」って言うときは「タ」をはじかないように。他の音も、できるだけはじかずやさしく、大人の発声を思いうかべるように。そのようにすれば、かしこく聞こえますよ。って。
 礼をしながら何も見ずに話したから落ち着いてしゃべるのに集中できた。でも霊夢のお母さんは返事しない。どんな顔をしているだろう。興味ないってそっぽ向かれているかもしれない。
「はずれの河童組工業団地と通じた廃液土管なるものから近辺の川を汚濁、樹木を枯死させる液体が垂れ流されていることが分かった。幻想郷の片っ端から森林を木材に狩り払わせているのはこの下請けであることも確認している。恐らく他の手法でも自然破滅に加担していることだろうし私が預かり知らぬうちに行為は加速しているであろう」
 霊夢のお母さんはかたい口を開いた。
 アタイはまだ信じられなくてちょっと目を上に集めることで見た。体を起こして正面からアタイに視線を当てている。
「そう簡単に話に置いてけぼりにならないんじゃなかったか」
「理解できなかったんじゃないっ」あわてて首を振って見せる「いいよ、話して! あ、話してくださいっ」
 認められた。
 よろこびが胸いっぱいにあふれてくる。やっぱり、アタイったらだ。最強《さいっきょー》の天才《てんっさい》だ! ひょっとしたらアタイはもう馬鹿な妖精なんかじゃない。もっとこう、妖精をこえた、人や妖怪とはちがう、なんだかもっとすっごい存在だ。
 ばんっどたどたどた。スーッ。
「ただいまっ! ご飯作るね!」後ろのふすまが急に開いて霊夢がひょっこり。
 スーッ。とんっ。
「おい! ちゃんと櫃は取らせたろうな」
 スーッ。
「もちろん!」
「よし」
 スーッ。とんっ。
 ふせやのある山の下まで行ったはずなのにどうしてこんなに早く帰ってきたのかと思ったけど霊夢、ふつうに飛べたじゃん。それにしてもせわしない。家事はぜんぶ霊夢がやってるのかな。
 台所のあわただしい音を聞きながら、アタイはまだちょっとキブンが良かった。
 どうだサニー。ていねいにしゃべることができないのを馬鹿にしてやりたい。
 見たかスター。弾幕をてきとうにばらまくことしかできないのを笑ってやりたい。
 オマエとは違うんだルナ。そろばんを持っててもアタイの暗算には勝てないのを知らしめてやりたい。
 霊夢のお母さんはとうとう異変のくわしいことをアタイに告げた。ううん、前にもお母さんのかわりにひきょうな魔法使いの魔理沙が教えようとはしてくれていた。アタイの頭が足りなかったんだ。
 でも聞いていると、この場にいない魔理沙の〝ひきょう〟がまたひとつふくれた。
「え」ハトが、鉄砲を食らったよう?「おかっぱ組と戦っても勝てないの?」
「ああ、明らかだ」
 うなずいておかゆをすする。
「以前に私は友好的な名目をして河童組の製造拠点へ足を踏み入れた。あれはちょうど里の中心に電波塔が聳え立った頃だったか、今ほど大規模ではなかった。内部は青空の工場《こうば》で川を挟み、自然と共生しているかのようだ。部門ごとの区切り線は無さそうだったが部品や工具類やがらくたの散らばり具合で境界が出来上がっており、真摯に開発に打ち込む河童の姿があった。見知らぬ機械ばかりで案内の解説もそぞろに聞いてばかりおったが〈火器部門〉という所で強烈な発砲音がほとばしった。猟銃なんかよりはるか強大な威力を誇る銃火器だ。試射をさせてもらったが体面もなく肝を冷やしたな。引き金を引くも引くも途端に彼方の土嚢が弾け、撃った弾が一切のこと見えんのだ」
 リョウジュウに最悪な印象があるアタイにとってそれ以上に強い武器なんてありえなかった。いいや、そもそもの話。大ちゃんにぶっぱなしたのはきっとリョウジュウじゃなくてそのジュウカキだったんだ。あのおじちゃんは、おかっぱ組のシタウケで、霧の湖の森をばっさいしていた。勝てるわけないよ。魔理沙は前に「あたしたちにかかれば余裕だぜー」みたいなおっきな口してたのに。なんだ。やっぱりちゃんとウソつきじゃん。
「ややお調子者というか、うむ、家出娘なりの屈強な肝の成りをしておるのだ」
 お母さんはさらにおわんの中身をかっこむ。
「魔理沙ったら、妖精にも強がりしちゃって」
 霊夢も白い汁をすすってごくうす切りの野菜をすくった。おまゆがへこむのを視界のはしにとらえた。
 二人には受けいれられているらしい。アタイは立ちのぼる湯気にちょっと引きぎみになりながら「ふーん」って鼻を鳴らした。
 お母さんは四杯目を霊夢にたのんでから言う。
「幻想郷において河童と人間は太古より協働ないしは不可侵の関係を築いてきた。過去の代ではいっ所に居住することもあったそうな。近年では関わりが薄れたように思われたがここにきて会社を構えたり自社製品を売り出したり頭角を生やしてきた。それ自体不可侵破りに非ず協働の現れとして良きことと受け入れられ、河童組印は世に遍く行き渡り、行いが目に立ってくるも『触らぬ神は』と看過した。先の、これよ。対案は、ああ、こちらの神様に拝して手ほどき願うことくらいか。お前は何か浮かぶか」
 しっかり聞いて、たずねられたから気になったことをしっかり分かるように言う。
「おねがいしに行かないの? あなたたちのしていることは自然をこわしてしまうのでやめてくださいって」
「それをして最も困るのは民だ。民は河童の技術に依存している。里から井戸が消え水道が土に埋まった。元に戻すのにどれほど苦労するだろう? 電気の源を失った家庭からはいくらかの趣味が取り除かれ、小さな箱型の氷室も使えぬから氷点下に雪を掻き集め或いは炎天下に市場にまめに食糧を求めねばならん。〈にとりグリセリン〉だかなんだか知らぬが強心剤を失くしたお婆は明日よりいつ来るかも知れぬ発作とどう向き合い生き抜かねばならぬか?」
 アタイの知っているイゾンが「それに頼りすぎてしまうこと」だったら、そうとも限らないよって言おうとした。だって、街の人はけっこうおかっぱたちをフシンがってる。「悪い天気なのがそいつらのせいならカンベンだ」「あの鉄塔はきんめぇ」だけど、本当にみんながみんなそう感じているっていうわけじゃないんだ。そのとき気づいた。たとえばアタイはそのお薬がずっと必要なおばあちゃんには会ったことがない。他にもおかっぱ組がいなくなって何かで困る人はいるだろうし、やっぱりおかっぱがいなきゃ街はうまくいかなくなっちゃったっていうことなのか。
 コッコッコッ。外から戸をたたく音。
「はい、出ます」
 霊夢が食器を置いて部屋を出た。「ついでに甘酒を持って来い」お母さんが背中に命令する。
 せわしないのを横目にふと、どうでもいいような言葉が浮かんだ。
「そういえば、おかっぱ、アタイ見たことないなあ」
「かねてより感じていたどうでもいい訂正だが『おかっぱ』はただの髪型の一種だ」
「えっ、かっぱに『お』をつけてていねいな感じにならないの?」
「米に具を加えるのにより丁寧に感じるのは上か、中か、考えてみようか。ああくだらん」
 へ? なんのつもりで言ったのか、首を振られた。
 おニンゲンとかおキュウケツキはまったく聞かないけどおカッパだけはなぜか口になじんだからいつもこっちで言っていた。これからは気をつけよう。
 お母さんはとつぜん首の動きをとめた。
「河童を見ない……?」
 それがおわんとおはしを両手にしてぼーっとした姿だからまぬけっぽいんだ。
「おかしいな。以前は里中蔓延って。塔は河童が建て。あの現場に河童は居たか。そういえば見ない。どこにも? 河童組の河童はいずこへ」
 あごに手をそえてかっぱ、かっぱっぱとぶつぶつ口にする。
 それからやっぱり首を振る。「くだらん」って。
「それよりも早う我らが神々へ拝さねば。生き長らえたのも彼の御業に違いない」
 おふとんの上にじっとしていたはずのお母さんはそんなことを言って急に立ちあがってふらふらとしょうじの方に進んだ。カミガミへはいするって、今から寒いお外に出ておまいりに行くの?!
「あぶない!」
 お母さんの足がいろりの角に引っかかった。中央にはおかゆがアツアツににえたぎるおなべ。
 アタイはすでに自分を守るために発動していた能力をおなべに向けてはっしゃした。ひっしだった。強さとかはんいとか、考えているヒマはなかった。
 だけど少なくとも、部屋ぜんたいを凍らせるつもりはなかった。
 パラパラパラパラッ。
「くぁッ……!」
 部屋をいっしゅんで満たした白い霧の正体は──霧で、くずれ落ちるキラキラした氷のようなものの正体は──氷だった。アタイにいちばんなじみあるふたつなのに、大量のそれがなんなのか理解するのにとても時間がかかった。いろりのおなべの中身もでっかい氷、その横で大量の氷のつぶに押しつぶされそうなお母さんが見えた。
「わ、ごめんなさい!」
 馬鹿やっちゃった。あせって威力を調節するのミスしたんだ。怒られるのはもうどうしようもない。とにかくお母さんを起こさなきゃ。
 氷の層はぶ厚かったけど手をつっこむと思ったより軽かった。お母さんのほうが重かった。だからお母さんを引っぱるよりも上に乗った氷をかき分けることにした。部屋の外から霊夢らしい声がする。何を言っているかは分からない。霊夢にとって今日は感情がいそがしい日なのにまちがいはなさそう。
 そうこうしているうちに目の前の氷の面が自分からむくりとふくれてお顔を出した。地面からお顔を出して咲かせた表情は────
「けっこう効いたぞ。湯気の飽和を利用するとは、考えたな」
 いっさい読みとれなかった。笑ってるのに、笑った感じがしない。
「たたかおうとしたんじゃないよっ。アタイは助けようと思って」
「かまわん」お母さんはすんっと真顔にもどってさけぶ。「霊夢。私の巫女衣と沓、幣と鈴を持って来ないっ」
 えっ。と、凍ったふすまの向こうから。
「これより神々の御前へ参り祈祷する」
 アタイのこうげき(そんなつもりまったくないけど)を受けて何もなかったみたいにふるまった。部屋の温度がどれくらいか知らないけど、アタイがカイテキだって思えるならきっとお母さんは冷え冷えのはずだ。そもそも起きたてでよわよわのはずなのに。
 アタイはしょうじの前に立った。
「行っちゃダメだよ。その体で」
「絶命必至の状況から生き延びた御加護賜わりし体だ」
 言いながらよろっとたんすにもたれる。
「それだったらめーりんにお礼言わないと。カミサマなんか、いるかも分かんないし、めちゃくちゃな幻想郷をお空のかなたから見守るだけでなんにもしてくれない役立たずだぞ!」
 ユウノウなカミサマがいたらアタイたちには想像もできないようなでっかな力を放って異変なんかきれいさっぱり片づけちゃえるでしょ。
 そういう思いで口から飛びだした、それは、なんだか変な味がこびりついた。
 お馬鹿の味だった。
 気づいたときにはおそかった。
「失せろッ!」
 考えてしゃべっているつもりだった。だけどお母さんをとめなきゃっていうあせりからか、巫女であるお母さんに言っちゃいけないこと言っちゃった。
 ズシりとお腹が、バキりと背中がめりこむのを感じながら、アタイはしょうじといっしょにお空のかなたにおサラバした。もう二度と立ちよることはないと思う。

 四

「オレ、最近〈ミニ四駆〉って新しいオモチャ買ってもらってさ、むっちゃカッケーちっこい四輪車がむっちゃカッケーコースをむっちゃカッコよく走んだけど、そいつまっすぐにしか走んないんだ。だけど気になって外で走らせてみたんだ。オレ追いつけなくてさ、そのままハイスイコウにドボンで壊れちった。何やってんだよオレ、ってなあ。母ちゃんにバレておこづかい一か月ゲンガク食らったー。アハハ」
「……」
「だれでもうっかり馬鹿やっちゃうことあるって、チルノちゃん、気にすんなっ。団子食って元気出そうぜ」
 男の子は気軽にアタイの肩をたたいた。さっきから、なんども。
「あのさ、さっきから気になってたんだけど」
 アタイはじいっとお顔を見つめた。
「え、なに?」
 気になることっていうのは男の子自身のことだった。
「オマエ、だれ?」
「万太郎だよっ!」
 神社を追いだされたアタイはその重いハネで人の街のようすを見に行った。まっ昼間も晴れわたってキモチぽかぽかする気がしたけど、あの部屋で味わった冷えは抜けきらないでいた。アタイって冷やす天才だから仕方ないね……こういうの〝カワニク〟って言うんだっけ。
 お空からまずかくにんできたのは電波塔。無傷のピカピカギラギラな電波塔だ。その足元の広場は霊夢の話だとはげしい戦いがあって荒れている、かと思えば、ひとつもでこぼこしてなくて人が上を歩いていた。
 代交代式があった一か月前から変わったものはほとんどなかった。人も、建物も、だいたいそのまま。葉っぱをなくしちゃった公園の木々とか、建物の白い表面をのぞかせてきた寺子屋近くの〈学校〉とか。目につくのはそのくらい。
 地面に降りたってテキトーにヒマそうな人に声をかけようとした。知り合いでもよかったしはじめて会う人でも最近の街のことをきくだけだったから問題なかった。
 すると逆にひとりの男の子から声がかかった。
 暑そうなぶかぶかのカッコウで口を白い紙でおおっている、見たことないようでどこかで会ったような男の子だった。話しかけ方がちょっと気軽だったから、そのかんかくはまちがってなかった。だけど声を聞いてもにおいをかいでもだれか思いだせなくて、気がつけばアタイが落ちこみぎみなのに変ななぐさめを受けていた。
 マンタロくん。アタイがケガさせちゃった寺子屋通いの子。背中のむらさきはもうなおったのかな。
「ああケガ? なおったなおった。それよりもオレ、チルノちゃんにずっと、謝りたかったんだ。ふたつ」
 大きな黒い手袋をして口の前の紙をととのえる。たぶん病気を取りこまないようにするための布と同じものだ。そのせいでちょっと声がこもりがち。
「あやまるって……」アタイのほうじゃないの。
「まず、あんときはチルノちゃんの団子をぬすもうとしてゴメンナサイ。オレが言ったんじゃねえけど、祐樹のヤツがテイアンしてきてよ。アイツ、ムカつくんだよ。いっつもテイアンするくせに自分はしないで人に押しつけんだ。何が『ユウキ』だよ、あンおくびょう者っ! いけすかねえから最近ケンカしてゼッコーした」
 おだんご屋さんへ足を向けて歩きながらそのユウキくんの悪口をぺちゃくちゃ話すマンタロくん。そこからさらにふだんの寺子屋生活の話をするマンタロくん。今のアタイにはどうでもいい。人がアタイに「そんなこと訊いてない」って言うときのキモチが分かったような気がした。でも実はちょっぴり楽しかった、し、道行く人に「久しぶり」といくつか手を振られることもあって、だんだんとハネがぴしりと伸びるみたいなキブンになってきた。思うことがあるとすれば、そのアタイの知り合いたちはどうしてか、大人も若い人もご老人もみんな、ふやけた、いいや、にやけたお顔をして手を振っていること。となりのマンタロくんは気づかないみたいだった。
 マンタロくんの話いっぱいでおだんご屋さんに着いちゃった。
「いらっしゃ……あんれま、チルノちゃんじゃあないの、それに神田さんトコのぼうや」
 お店からほわんとただよってくる甘いにおいはいつまでも変わらない。できたてのおだんごを前にならべたいつものおばちゃん、アタイはいつもの調子であいさつした。
「久しぶり、おばちゃん。最近どう?」
 自分の声が思ったよりもはねていた。
「ボチボチだね。今にも潰れちまうってくれえ困窮はしとらんが、この寒さに一ぺんも体調くずしちゃおれんよ。ささっ、なんか買ってっておくれ」
「うん、いいよ。あ、だけどお金」
 あんまり持ってなかった気がする。霊夢からムリ言ってでもおそうじのおだちんもらってればよかった。
「オレがおごるっ」
 となりからお会計の皿にべしんとすっぱだかの変に折りたたまれたお札がたたき落とされた。アタイの知らないもようをしたお札だった。
「この前のおわび。好きなもんいくらでもたのめよ」
 アタイはまだ何をおわびしたいのかひとつ目しか聞かされてない。けっきょくおだんごはぬすまれなかったんだし、それでさらにおだんごをくれるなんて。
「おやおや、男前だねえ。ステキじゃないか……ニハハハ」
 引きしまったシワがしゅわしゅわとふやけて変な笑い方。
 もうしわけない気もしたけど目の前におだんごがならんで見ないふりなんてできなかったから、ここは甘えていくつか選んだ。マンタロくんはアタイのとおんなじにして、って言った。
 袋におだんごをつめたりお会計したりするついでにおばちゃんはしゃべる。
「ウチの団子は長いことやって親しまれとる言っても最近は甘味の競合が多くて困ったもんさ。安い駄菓子はええが、ぱふぇとか、けーき? なんていう不健康そうな砂糖の塊が間食に上がるとか、ウチの景気が上がったりだっての。あと、ぽてとちっぷすとか、絵の具みてえな色のしゅわしゅわしたじゅーす。あら、なんだい。なあにが旨いんだか知れねえが流行ってら。あんたらも間食するならせめて駄菓子とラムネまでにしときなね。あんなもん飲み食いしちゃりゃ幻想郷の民にゃ舌が馬鹿になっちまうさ。
 そうそう。チルノちゃんは、ホントは『妖精語』を話すんだろい? おばちゃんよりもうちっと前からチルノちゃんを知っとうモンに聞いたよ。あんた、働いとったとね。そう。妖精語。聞いた話だけど、むかしむかしの里のモンはみんな妖精語をしゃべっとって、他の里モンにゃもんのすんげえ訛ったもんで聞けたもんじゃねかったって。なんでも妖精は『生きた化石』としてそれを証明しとるとか……おばちゃんにゃ難しゅうてよう分からんけえ」
「……なにそれ」
 さしだされた袋を前に、考えが追いつかなくなる。ようせいご? 妖精が話す言葉? それだったら、アタイは妖精だから、アタイがお話すれば、それが妖精語だ。ホントは妖精語を話すんだろって、アタイは今、妖精語を話していないの? 妖精語を話さない妖精って、それはもう妖精じゃないんじゃないの? ──え、どういうこと? 考えるほど、背中のハネがかゆくなる気がした。
「どっかで食べよーぜ」
 マンタロくんが言った。
「え、でも」アタイはもっとおばちゃんのお話を聞きたい。
「いいんだいいんだっ。おばちゃんつい話が長くなっちゃうから、二人のアイダの邪魔になっちゃうわ。また来なさんね」
 おばちゃんは手を振った。にんまりとした表情を忘れずに。
 それでもアタイはしどろもどろとした。
「い、く、よっ」
 マンタロくんは置いたままだった袋を取ってそれをアタイに抱かせて、そしてアタイの手をぎゅっと〝強引した〟。人はどうしてアタイの冷たい手をにぎるんだろう。
 街からはなれていく。
 冷たくないの。アタイはきいた。
 手袋している。マンタロくんは言った。
 街の外に予定があるの。アタイはきいた。
 チルノちゃんとすごすのが今のひとつだけの予定。マンタロくんは言った。
 マンタロくんのぶかぶかの腕がふるえるのが伝わった。
 前におとずれたピーマンのなってた畑にやってきた。
 この畑のピーマンはちゃんとしゅうかくしてちゃんと食べられたかな。きいた。
 オレはピーマンも残さず食べられる。言った。
 マンタロくんは意地でも手をはなさない。
 来年の一月から〈学校〉に通うんだ。チルノちゃんみたいな妖精はそのまま寺子屋に残るんだっけ。
 そうみたいだね。けーね先生にきいた。
 離ればなれは、ヤだな。
 アタイと?
 カンチガイすんなっ。オレ、けっこう妖精が気に入ってんだ。おもしれーし。馬鹿ばっかだし、意味分かんねーし、ケンカもすっけど……たのしいからさ。
 腕に力が入らないみたいだった。
 やっぱり手をつなぐのは冷たくて寒いんじゃないか。きいた。
「ここで食べよ」
 ようやく結びをといた。別にたいして街からはなれたわけじゃない。畑をいくつかこえ一本道を横へそれた、なんてことない、お日様が当たって風が通るうすい木々の下だった。マンタロくんはそこに腰をおろして、おだんごを取りだそうとしてうまくつかめず、三回ためしたあと反対の手を出した。
「お、コイツうめえ」
 さいしょに取りだして食べたのは黄色のきびだんごだった。白い紙の下の顔はほんのり赤い。アタイもそばに座って同じのを手に取った。
「きびだんご。いいよね、アタイも好き。おばちゃんの作るおだんごはみんなお玉がおっきいからいいんだ。はむっ」それにおばちゃんの手のぬくもりのようなものを感じる。
 もきゅもきゅと、かむ一回いっかいが甘くて、とろけただ液が口の中へおくへしみわたる。そうして味わっていると、マンタロくんはもう一本食べおわっていて次によもぎだんごを取りだしていた。
「オレこの緑の、あんま好きじゃねんだよな」
 おだんごの残りを口のはしに寄せる。「じゃあアタイと同じにしなきゃよかったじゃん」
「べつに。キライとは言ってねえし」
 歯をむき出してがしりとかみついた。
 それから二人ともしゃべらなくなって、あいまいににじんだ空気を吸いながらアタイはこれからのことを考えていた。
 騒動解決チームは、もうどうだっていい。あんな、カミサマ頼みのちっとも動いてくれない人たち、頼ってられない。せんなきだよ、せんなき。
 アタイは、自分で動ける。
 自分で動くためにきたえた頭や体じゃなかったけど、もうそれくらいの「強さ」はきっと身に着いたし、情報がある。「自然が馬鹿なことになってるのは河童組のせいだけど河童組がいなくなると困る事情がこの街にある」この意味をアタイはかんぺきに理解した。そして仮にその困ることがどうにかなってくれたとしても「河童組は最強の武器を持っている」からたおすのがむずかしい。アタイはどうしたらいいか。
 まずはレミリアに会おう。もっと戦い上手になろう。最強よりも最強になろう。それから、街じゅうの人たちとお友だちになろう。一人ひとりに河童組の良くないことを言っていけばきっと──
「冷たい、って言って、ゴメンナサイ」
 マンタロくんがつぶやいた。
「言わないで、って言ったのに、言っちゃった。傷ついたよな」
 それが、ふたつ目にあやまりたかったこと。実は、そうじゃないかって思っていた。あやまってほしくはなかった。
 何も言えなかった。胸のトゲがふるえてくる感じがして、次のおだんごを色も見ずに取って口にした。よもぎの苦みだった。
「オレ忘れられなかった。妖精ってさ、寺子屋にたくさんいっけどすげえワガママで自信マンマンなヤツらばっかで、変な能力持ってるのジマンしてくんのすげえムカつくんだけど……チルノちゃん、かんっぜんに逆じゃなかった? 自分の能力をおさえこもうとしてた。手、つかまれたときとかぶつかられたとき、冷たくなかったけどものすごく、つらそうでさ。どうしてなんだろって。ふつうだったらとっくに忘れてると思うけど、ケガで寺子屋休んで家でなんもすることなかったからかな、ずっとチルノちゃんのこと考えてた。ケガなおってからはずっとさがしてた。『つめたっ!』って叫んだときのチルノちゃん、目から氷出してて。ホントに忘れられなかったんだ」
「冷たい」っていう言葉がとじこめている意味を知ったときだ。はじめて、人のメイワクそうな顔が見えだした。冷静を知ったとき、アタイはいちいち自分のする行動をたしかめることにした。冷淡を知ったとき、自分の親切さを思いかえした。冷笑を知ったとき、視界にうつる笑顔の色をのぞいてみた。冷酷を知ったとき、リボンがついた自分のお顔を純粋な氷の中にながめた。アタイの「冷たい」はアタイそのものだ。アタイはどうやっても手放せないし、逃げだすことができない。気にしないほうがいいかもしれない。だけどアタイの「冷たい」はアタイそのものだ。
 マンタロくんは真顔を向けた。
「ゆるしてくれる?」
「あやまらなくていいよ。アタイはどうせ冷たいんだし。あやまるのはアタイのほう。ケガさせちゃって、ケガをさらに痛めつけちゃって」
「気にすんな。なおったってったろ」
 服のうしろをめくって見せる。あまりよく見えなかった、というか見てなかった。手元のくしにならんだふた玉のよもぎにほとんど目を落としていた。口はすでにさびしい。食べるかわりにしゃべる。
「ずっとあやまりたくてアタイをさがしてたの?」
 と、きくと。
「は?」思ったよりずっとキツイ反応をされた。
「ありえねー、オレ、まーじでムカついてたんだよっ。変な妖精にケガさせられて、いみふめーなこと言ってきて、しかも押したおしてケガ悪化させるしよー。次街ん中で見かけたらまーじでぶっころしてやる! ……って思ってた。だけど。チルノちゃんのカッケーとこ見て、あやまんなきゃって思ったんだ。ほら、あの日だよ」
 マンタロくんは声をはやめて「うんと、えっと」とこめかみをたたく。なんだろう。アタイは今のうちにくしを片がわからかじった。
「博麗の巫女サマのギシキの日」
「ん」
 それを言うってことは、霊夢の言ったことは本当だったんだ。
 アタイは戦ったんだ。能力をクシして。
「むっちゃカッコ良かったっ! オレもう、大きいほうの巫女サマがぶっ殺されて、泣いてねーけどビビって動けなくなっちゃって。マジでゼツボウだったんだけど、チルノちゃんがいっちゃんさいしょに怪物に攻撃かまして、そっからいっきに潰しにかかったろ? 怪物をボッコボコにな! あの必殺技、マジですっげえカッケーっ! ピシュン! ピシュン! って上から氷のりゅーせーぐんドドドドド! って、いっしゅんでトドメさしちゃった! 怪物は消し炭だぜ」
 手の動きをあわせてコウフンぎみにしゃべる。
 もちろん実はアタイにそのきおくがないなんてマンタロくんが考えることはないだろうけど、そうとう強い戦士に見えたらしかった。
「オレはそんなカッケー正義の味方の『強さ』に文句言っちゃったんだ。チルノちゃんの、いっちばんだいじな──ほこりに。良くなかったよ」
 ホコリ? それは、だいじなモノ?
 どうして部屋のすみっこにあるゴミのことを急に言ってきたのかは置いといて、アタイのハネはムズムズして、イライラしてきた。「冷たい」がマンタロくんの口のおかげで〝偉大〟になればなるほど、「冷たい」そのもののアタイは酷い存在だって気がふくらんだ。冷たさにうちひしがれた景色を前に、アタイにとっての「冷たい」が良い方向の意味を持つことがなくて、言ってくれる〝偉大〟のうち、アタイは〝大〟だけを取りこんでいた。
「氷はやわらかくてあたたかいモノだと思ってた。もう、信じらんないや」
 また口がさびしくなった。その口がかってにしゃべった。口をつぐむ。でも中途ハンパに言ったせいで困らせたらいけないからもう少し話そうと口を開く。けれど、何を言おうとしたか忘れて舌を口の中にしまった。こんどはおだんご用に大きく口を開けて、緑のやわらかいのを横からひきちぎった。よもぎ以外の味がとけた。雪でも入ってきたかな。
 マンタロくんはもう最後の三色たんごを手に「よく分からない」って顔をして固まっていた。アタイは自分の顔を折りまげた膝の間にうずめた。
 ザク、ザク。
 地面を踏みならす音が聞こえる。マンタロくんが立ちあがってアレを踏んでいる(名前は知らない。冬のおたのしみのひとつ。一日じゅう踏んでまわることもあったけど、はだしはアタイだけだった)。
 音はアタイの耳の横まで来ていた。
 そのとき、手のひらに熱が走った。
 他のなんでもない、マンタロくんのはだかの手の感触だった。
「つめたっ!」
「……え?」
 マンタロくんは叫んだ。はじめて出会ったときとまったく変わらないおどろきをふくんで。胸のなかのなにかがはね飛んだ。
 顔を上げたとき、マンタロくんはまっすぐに言った。
「────って言ったら、真夏のかき氷はキレんのか? 『あ? つめてーとか言うんじゃねえ!』って」
 ぽけーっとだまるアタイに反対の手の三色だんごの先っちょろを向ける。
「ちげーだろ。『どうぞ、このキンッキンに冷えたオイラを食べとくれ』って言うぜ! なんでかっ言《つ》ったら、それがかき氷のいっちばんの『強み』だからさ。オレはこんなクソ寒くて冷《ちべ》てえ冬が大キライだね。クソ暑《あち》い夏がいい。だって、ちょー冷たくてうめーかき氷が食えんだからな」
 ふいに、夏のお祭り景色が広がった。
 ザクり、ザクりと食べすすめる人のお顔は、ゆたかな笑顔だ。
──二、悪いという言葉の良い面をせつ明せよ。
──「悪い」に「良い」があるとして、「冷ややか」に「あたたか」はあるのかな。
 けーね先生が出した問題を思いだした。面。それだ。アタイはきっとかんちがいしていた。
「悪い」そのものに、「良い」を混ぜこんだモノを説明するのかと思っていた。そんなモノ、どこにあるの? アタイはなやみっぱなしで問題とまともに向きあえなかった。
 本当に言わなきゃいけないのは、モノに「悪い」と「良い」の面がある。
 夏のかき氷は暑さをしのげるしお祭りキブンも上げてくれてすごく良い。だけど裏がえして見る。冬のかき氷はたいていの人には悪いおしながきだ。「冷たい」は人にずいぶんメイワクをかけた悪。だけど見る方向を変える。アタイの「冷たい」は悪をゲキタイしたでしょ。「悪い」はあっちがわに回れば「良い」。そんな面があって、こっちがわとあっちがわにいる人によって感想は違う。たとえば、アタイには桜色が見えて、マンタロくんにはよもぎ色が見えている。人によっては白色か、ぜんぶが見えている。アタイは「冷たい」に対して、いつもこっちがわにいただけ。それで、ようやく裏がえし方を知っておびえたんだ。石の裏のムカデのたいぐんみたいに。でも気づいた。
 アタイそのものの「冷たい」は冷酷のことでも冷淡のことでも冷笑のことでも冷静のことでもない。アタイは氷の妖精。夏でも冬でも関係なく、「氷の冷たい」がアタイそのものだった。アタイは「氷の冷たい」をアイする妖精だった。
 そのうち、桜色はマンタロくんの口の中に消えて、ぱかっと開けたときにはなくなっていた。
「つまり、何が言いたいかっていうと、そんなカッケー能力持ってんのが、ピーマンみたいにキライキライしちゃかわいそうだろってこと。──オレは別にキライじゃねえけどっ」
 あんまりにきっぱり、おかしく言いはるから笑っちゃった。
 うん、晴れた。
 マンタロくんははじめからおわりまで変ななぐさめ方だった。複雑な話をアタイに合わせて分かるように伝えるためのたとえ話たちだったのかもしれない。ひっしに考えて言いぬいてくれた、そう思うとうれしかった。
 アタイも残った三色だんごをじっくりと味わった。マンタロくんはとなりでずっとしゃべりかけてくれた。おっきな体、イカついおめめとおまゆ、キョウソウ好きのニオイ。アタイはてっきりヤないじめっ子だと思っていた。
 でもね。これもきっと見方なんだ。お友だちの提案でアタイのおだんごをぬすんだマンタロくんだけど、今、こうしてアタイにあやまってくれた。提案をことわらないのもアタイにうめあわせしたのも、マンタロくんのセイジツさだ。
「オレん家来ない? このあとくらいにオレの好きなおもしれーラジオ番組が始まるんだ。菓子もあるし、食いながらいっしょに聞こうぜ。もちろんオレの部屋を氷づけにすんのはナシな」なんてじょうだん言っちゃって。
 すっかり打ちとけちゃったみたい。この子に興味がわいてきた。でも──
「また、こんどがいいな」
 アタイは自分のやるべきことを忘れていない。なみだはとまって、休けいはおわり。「ごめんね」
 悲しそうな顔するマンタロくん。「そっか」
「どうしても、ダメ?」
「うん」
「むちゃくちゃうめえミカンもあるよ」
「じゃあ、こんど行くのがもっと楽しみだぞ」
「……そっか」
 しんみりしちゃった。向こうがたくさんやさしくしてくれたのにこっちははねのけちゃうの、ちょっとセイジツじゃないな。
 そう思ったアタイの体は自然と動いた。
 いっしゅんのデキゴト。
 ──っ──
 アタイはこの動作を知らなかった。なのにそう動いた。
 知っている動作の中でいちばん似ているのは、言うなら「花をかぐ」だ。いいや、「花のみつを吸う」? でもそれは花じゃない。花とはちがうやわらかさで、ちがうあたたかさ。みつが出ないのに吸いつけたあと感じたのは、ただ疑問。アタイはこの動作を知らなかった。なのにそう動いた!
 次のしゅんかんには飛びだしていた。えっ。ただれるような焼ける全身は信じられない速度を生んだ。えっ、えっ? 前なんか見ないで頭のなかのまっ白しか感じられなかった。ただ疑問。ただ疑問!
「チルノぉーっ!」
 背中に打ちつけるような大声。
 うずまく疑問のなかにも名前だけは引っかかった。
「好きだああああああああああっ!!」
 ???????????????????

 五
 
「──ぷはあっ!」
 はあ。
 はあ。
 はあ。
 ……ふう。
 湖の上に手をついてぷかぷかとする。
 ぼーっとするのに気がすんだら、またどぷんともぐる。霧にかすんだ夕日の色とまざった水中を泳ぎつづけて息が続かなくなったら上の氷をつきやぶって顔を出す。さっきからそのくり返し。
 なにかの練習ってわけじゃなくて、こうするとただ落ち着く。心地良いんだ。湖が一面びっしり氷でしきつめられる時季が来た。この上をすべりまわるのももちろん楽しいに決まってるけど下にもぐればまた違った楽しさがある。どうしてかな。トクベツ感があるんだ。そこが、アタイしかタンノウすることができない世界だからかな。なんてったって、極寒の湖のキンッキンな水中に上から思いっきりもぐりこむことができるのは氷精くらいなんだからっ。全身を包みこんでくれるこの「冷たさ」。霧の湖の冷たさ。ぜんぶがアタイに集まってチカラをくれるような──守ってくれるような──ステキな色、ニオイ、感触が満ちている。
「ぷはあっ!」
 ────
 でも、どうしてかな。体の内がわがちっとも冷えてくれない。体の内がわでなにかがトク、トクと鳴りつづける。息がいつもより短い。数か月前よりも、アタイの体は少しずつ、少しずつ弱って、そのうちビョウキするようになっちゃったのかもしれない。
『好きだああああああああああっ!!』
 熱なんて。一回もかかったことないのに。アタイの体はどんどん、どんどん、人に寄っていく。そう、これは人がよくかかっている熱っていうビョウキ。
 なおすためには? アタイはまた冷えた水の深くにもぐる。
 ど真ん中のキレツ。レミリアがまだ幻想郷に来たばかりのころ、あばれてまっぷたつ切りさいちゃった湖の底のキレツ、痛そうな痛そうな。
 上から見れば、霧や、特に今は氷におおわれてあまり見えない。レミリアに悪気はなかった。けれど、アタイは胸にくっきり覚えておくだろう。
「ぷはあっ!」
 もう何十回目か、足あとみたいに穴をあけつづけてまた浮かんでくると、霧の向こうがわにきょだいなかげがボヤっとうきでてきた。
 ──郊外の湖に住居を構えたのは最近?
 ──まだ施工途中ですが完工はもうほど近い日です。寝食に滞りはありません。
 あれが、そうなのかな。
 ぽつんとした、つくりかけだと言う小さな赤い家。周りの緑や茶色や青とまったくとけこまず、浮いた赤。本当に地面から浮いているんじゃないかって思えるくらい。
 ザバンと飛びだす。水のしずくはすぐに氷のつぶになってキラキラと後ろに流れおちる。背中の氷のハネが軽い。体を持ちあげようと力を入れなきゃいけなかったのが、気持ちを入れるだけで自然と持ちあげてくれる。
 スーッと飛ぶ。スイスイと泳ぐように飛ぶ。キラキラとつま先から散らしながら。
 だんだんと全体が見えてくると、つくりかけとは思えないくらい完成したさんかく屋根のお家だ。赤い家のお庭、周りはまた赤いりっぱなさくが建っていて。門は黒い金属づくりでしっかりしているけどアタイだったら軽く飛びこえられた。玄関のとびらはあった。でも飛んでいてキブンが良かったアタイは、そのままキブンで二階に開いていた窓から中へ入っていった。
 さっきのあの会話もあって、ここはなかよしのレミリアおじょうさまやめーりんみたいな知り合いがどうせいるって疑わなかったし。
 中に入ったしゅんかん、かいだことのないにおいがした。
「え?」「──?」「──?」「──?」
 説明しよう(だいぶ得意になった)。
 まずけつろんから言うと、そこにはだれも見えなかった。だけどそこには三人いた。たぶん、みんなアタイの知り合いだ……あれ、やっぱり説明ヘタかも。えっと。そこそこ広いお部屋でうす暗くて火のにおいがただよってて、たぶんお料理のにおいだ。だけど一階につづく階段の手すりがあるくらいで目立った家具とかはひとつもなかった。きっと新しいお家だからまだほとんど何もそろえていないんだ。なんにも人のかげはない。だけどそれは見えないだけ、聞こえないだけ。アタイにそのまやかしは通用しない。そう。元気なサニーと、こわいこわいルナと、おっちょこちょいのスターが、おそいかかってくる。
 おそいかかってくる?!
「うわああ──」ああああッ!
「────」いいここ来ちゃんたらっ。手ぃかさんな。
「────」チルノちゃん、久っとろー。
「────」やーやっ、いい考い有いやっ。チルノちゃん、ちょーどいっそッ。
 それはなつかしい感覚だった。
 話し声がおたがいにひびかない。
 表情がおたがいに伝わらない。
 はなればなれにならないように、耳をすませて体を触れあわせる。
 まばゆい金色ギラギラな糸であまれたまゆ、青い暗闇のようにしずかにぬぐい取る手ぬぐい、いつも、アタイをフシギな体験に連れていってくれるセカイが「──ふっ」と首の後ろから包んで、そしてだれかが肩を組んだ。それもまたなつかしいにおいで、おそわれると思って身がまえた体はほろりとほぐれた。
 考いっちゃなんね、スター? と、サニーの声。
 こん階段《ダンダン》ん上《あま》ぎかんこのバケツん水バシャッたんらば。うりゃあ、「なんたらんちゃ?」って下ん人《いと》ココん上ぎ来なんめ、ったらあ、チルノちゃんカッチカチおんブシャッたりゃんっ。上《のぼ》りん人「チュルーッ」って滑《ちゅべ》っちゃんにょ! と、スター。
 ルナはしずかにクスリと笑う。ようけえにぁ。と。
 そして三人はみんなアタイの方を見た、という空気でシンとする。ものすごくわくわくとした空気だ。なんとなく聞いてみると、アタイといっしょにイタズラか何かしたいって感じかな。
 一か月まるっきり会わなかったことがみんなとアタイの間のバチバチをゆるくしたのかもしれない。だとしてこんな、何の抵抗もないんだ。〝前の仲〟にもどることに。氷はとける、風は吹く、太陽は照らす、月は見守る、星はきらめく、なんていうふうに、それは何の抵抗もないみたいだった。
 アタイだけだった。〝前の仲〟を遠くの方へ〝置きざらし〟にしたがったのは。なぜなら。
「────」イタズラはヤだよ。アタイは人にメイワクかけたくない。
 前のイタズラする仲良しは、アタイにはもうかがやいて見えなかった。きらめかなかった。たとえ、きらめいても。オマエたちがキラキラしてたって、見上げたって、どんよりとした雲がお腹を見せてはいずり回っている。
「────」イタズラなんかして、何の意味があるの? ちっとも面白くないよ。
 言葉よりも、こぶしよりも先に、弾幕がはじけた。うす暗い部屋にいくつもの光がともる。飛んでくる暴れる言葉はいよいよ理解できない。きっと聞く価値もなかった。
「チルノちゃん変《まが》りよってまーたッ!」
「チルノちゃんの馬鹿んだらッ!」
 あ。
 それは分かる。
「知ってるよ」
 アタイは首をちょっとたてに振って弾幕をし返した。
 よけながら、アタイの弾幕はかくじつにみんなの小さな体を傷つけた。いつまでも、痛みには慣れないみたいだった。
 考えるよゆうがあった。見慣れた──見飽きたしっちゃかめっちゃかのケンカの中。アタイは「馬鹿」ってことに考えをめぐらせた。
 アタイはきっとかしこくなった。言葉をたくさん覚えて、そろばんできて、いっぱい考えられるようになって、話し方も矯正して。だけど、アタイはたしかに馬鹿なんだ。
 魔法使いの魔理沙は「馬鹿は難しい挑戦に恐れず立ち向かえる権利だ」って言った。
 ──馬鹿──
 アタイは馬鹿をくしにさしてみた。おだんごみたいに。
 くるくると回してみる。うすっぺらくておいしくはなさそう。だけど回してみることがだいじだった。
 そのしゅんかん、サニーたちが表情をゆがめてさけぶ「馬鹿」もまたはずむような、こころおどらせるモノになった。
 そういえば、表情が見える。声がひびく。弾幕がかべを打ちつける。
 もうおまじないのセカイはすっかりはがされていた。
 そのとき、背筋が凍る心地がした(もう凍ってるのに!)。
 アタイも、サニーもスターもルナも、それぞれの姿勢のまま階段の方を見た。
「びぎゃあッ!」
 みんながお星様になるところを見るのは何回目かな。光の線が部屋を突きぬけて、モロ受けた小さな体がみっつ窓からイイカンジにかなたへ。
「……あと一匹」闇を口の中に飼っているかのようなくぐもった暗い声。
 ドドドドドッ。
 ひと目で分かる、それは魔法だ。相手は魔理沙とおんなじ、魔法使いだ。
 アタイはおくびょうにならなかった。ビビんなかった。というより、ビビる前に体がかってにユウカンに動いたんだ。かってに動いた体から放たれた冷気は飛んできた魔法攻撃をつぎつぎとぼろぼろと落としていった。思ったよりも戦えそう。
 だけどその自信はにぎったしゅんかんにぼろりとくだけちった。
 ほそく白い光に全身を突きさされ──
 大ちゃんがよこたわっていた。
 あいかわらずのよこたわり。みどりのかわのうえに。よくかくにんしてみると、みどりなのはそのかわの大ちゃんがいるところだけだった。あとはおそらいろをしている。まってて、いまたすけるから。こうおもうのは、そういうじょうきょうだってアタイはしっているから。あとのことはどうだってよくて、とにかく大ちゃんにむちゅうで、そのせいかけしきはにじんでいる、とかくにんする。ただひたすらはしっていた。しかいはうごくたびにおおきくゆれた。なのにけしきはかわらない。はしらなきゃ、もっとはやく。あせってそくどをあげたつもりでもなぜかうまくいかない。そうして、アタイはみた。大ちゃんはそのみどりいろのながれのうえで、ちっともしあわせそうじゃなかった。大ちゃんのおかおは、なみだぐんでいた──
 妖精だけは、しなない。
 体はおとろえない。致命傷をおったら間をおいて回復する。回復できないくらいひどいキズだったら体ごと消えちゃって、いちにのさんでもとどおり。それが不安定になってきている。
 変な感覚から覚めたアタイは、夜の光にすらっと手を伸ばした。
 フシギなのは、大ちゃんはその不安定のせいで寝っぱなしなのに、アタイはやっぱりさっぱりよみがえってこられること。
 ただよう光の粒子をクルりとにぎった。
 そのときアタイの頭はとんでもない考えを生みだした。
 本当は、大ちゃんは妖精じゃ──
 落ち着かなくて、だれも何もいなくなった家の二階をかたすみずつぐるぐるとわたり歩いた。
 大ちゃんは昔からちょっとおくびょう者というか、しんちょう者で危険にビンカンだった。たとえば、天気が荒れるのをヨゲンしてどうくつとかに隠れるかヒナンするように言うことが何回かあった。ヨゲンはだいたい当たって、でもだいたいみんな聞かずに遊ぶ(大ちゃん自身「ま、いっか」と遊びに加わる)からだいたい叫び声を上げて雨雲から逃げまわるハメになる。危険は自分のことだけじゃなくって、もう限界そうにひからびた草花を見つけてはふらりとよっていっておせわした(遊んでいるとちゅうに急にいなくなったときはだいたい何かのおせわをヤいている。アタイは「ヤケドさせるから」って、生きている植物にはふれられなかった。少なくとも大ちゃんの前では)。大ちゃんが目をつけた草花は決まってみんなみるみる元気を取りもどした。
 今思えば。
 それは「植物を成長させる」とかっていうトクベツな「能力」じゃなくて、大ちゃんのモノシリだったのかもしれない。アタイはぜんぶぜんぶ大ちゃんがこりごりなくらい隠しつづける能力のいっこなのかってふつふつ思ってたけど。
「あら。再結晶が完了してお戻りですわ、パチェさん」
〝足の下〟から声がして、アタイはすくみ上がって足がふわついた。
 ドドドドドッ!
 そばの階段をすべってころんで大なだれ。上から下までまっさかさまに落っこちた。考えごとに夢中だったアタイは部屋を〝タテヨコむじん〟に歩きまわって、ぐうぜん階段の下からレミリアおじょうさまにのぞきこまれたのに気づかなかった。
 分かっていたけど、やっぱりここはめーりんが言っていたレミリアたちの家だった。
「ッだあ……」
 痛くないとこ探すほうがむずかしいくらいだよ。
「ダイヤモンドと言うよりは螢の瞬きのようだったわ」
 闇っぽいあの声。
 レミリアは振りむいてその魔法使いに声を投げかける。
「本気でおっしゃって? ダイヤモンドさえ、螢さえなくてはブリリアントでなくってよ。この氷精が火を吹かすだなんて、まったくもってナンセンス!」
「レミィさん……ああ、それはそう。なぜなら彼女を実際に砕いてこの目に焼きつけたのはわたくしのみなのです。ではどうすればいいか。今すぐキッチンの棚からアイスピックを取らせることよ」
 いつぶりか、また背筋が凍えた(カンペキに凍ってるのに!)。パチパチと部屋のだんろがはじけて、あたたかいお食事がならんできた居間からアタイは今すぐなにか急な用事を思いついて逃げださなきゃいけないみたいな。
 レミリアがこっちに向きなおった! えっと、えっと、このあと霧の湖の表面を浮き沈みする遊びをしなきゃいけないから──
「なんて顔してるのよ、アナタ。冗句に決まってるでしょう」
 レミリアはいつもの笑みをして言った。
「とっくの昔にいくつも砕いたのだから、今さら確かめること無いわ」
 レミリアはレミリアの冷たさをもって。
 そうだった。アタイは郷入りしたばかりのこの人にいくつもくし刺しにされて……それで変な感覚におそわれたんだ、さっきも、それとおんなじ、だけど、どんな感覚だったっけ。
「レミィさんレミィさん。天気が妙なことになり出しましてよ。あんなに月が光るのに降ってきた。霧雨だなんて。妖精を四匹も撃ちやって呼ばれるところの霧の湖がオイオイと嘆き悲しむのだわ」
 階段のある部屋のひとつの角のしかくなまどを見て、ぼんやりとしたことをつぶやく魔法使い。アタイたちをぶちのめしたのにザイアク感とかはないみたいだった。
 二人とも、似たような口調をしている。ていねいだけど、小鈴とかめーりんのていねいさとは違う。かしこくて位の高い人って感じ。霊夢や霊夢のお母さんを話し方をそのままていねいにしたような──だけどクセがある。なんだかマネしたくなるのだわ。
 二階に比べて一階はかなりゆったりと広くて、木のあたたかみに囲まれた落ち着きのある空間なようで、だけどアタイはキュウクツでなぜかむせる感じすらした。食タクとかイスとかだんろとか、家具はまだ少ないけど、上からせんさいなつくりのガラスの照明が照らすのだけごうかだった。きっと寝るところとか他の重要なのはいくつかあるとびらの向こうか、めーりんの言っていた地下にあるんだ。そのめーりんはちゅうぼうに続いていそうなとびらからでてきて食器を運んでいた。
 おじょうさまは食タクにつく。
「わたくしも悲しくってよ、このチルノという氷精は特別なの。突き刺して遊ぶなど。可愛がるにしても意味合いが違くって……さてパチェさん。そろそろアフターブレイクをいただきましょう」
「先に召し上がっていて」
 パッチェとかっていうむらさき魔法使い(こう言うのは、その魔法使いは、だぼだぼなねまきがむらさきなら足までのばしたととのったおかみもむらさきなら眠そうなおめめもむらさきだから。もしそばの小さな引き出しの上にあるぼうしもパッチェのものならなおさら)はこう言って手に持ったモノをまじまじと眺めていた。ゆったりとした長イスで〝人〟をお膝に寝かせておいて、その人の「音が鳴るオモチャ」みたいなハネをうすい手袋(これは白かった)をした手ですくい上げて、ハネの先にみのった赤い青い黄色い黄緑色いむらさき色い空色いだいだい色い果実みたいなでこぼこな石を、もう片方に持った、そのどれとも言えない色をした似た形のキレイな石と見比べていた。
 そう、人を寝かせていたんだ。
 それは、あのおそろしい──
「ヤクサイッ! 地下に」閉じこめたんじゃないの?!
 叫びあげようとしたとき、この口はふさがれた。まっ赤なおおいがかぶさって。
「お静かに」お料理するかっこうのめーりん。「フラン様がお目覚めになってしまいます」
 ヤクサイはフランと言った。フランは地上でほくほくと眠っていた。この家に地下なんてなかった。ふういんなんてウソっぱちだった。めーりんはもっとずっと根っこのところで霊夢に、へーきでウソをついていた!
「わたくしって、何歳に見える?」
 レミリアおじょうさまはアフターブレークを置いて混乱しっぱなしのアタイを自分のお部屋に呼んだ。外の霧雨に目を向けていた。部屋のすみっこに、ひとつだけすかーれっとのコートがきれいにかけられている。
 どうして、ヤクサイが。あぶないあぶない、ヤクサイの吸血鬼が。なんにもないみたいに居間で寝ころんでいるの。何よりもアタイをぐるぐるとかき乱したのは、居間で魔法使いのお膝に、けっこうかわいらしく横たわっていたことだった。
 その子はレミリアの妹だとはっきり告げられる。でもそれ以上のことは教わらない、〝ダシがしぶい〟んだ(けーね先生みたいに!)。おとなしく、レミリアおじょうさまの質問に答えてみた。
「二〇〇さい、とか」
 むっちゃてきとーな数。妖怪だし、どうどうとしたふるまい方しているから、と、てきとーに答えてみたけれど、言ったしゅんかんまちがいだって気づいた。
 だってレミリアには「第一の人生」がこの幻想郷の外にあった。それはぼやぼやとしていてつかみ取ることができなくても、たまに思いだされるらしいもの。たしか、人間だったらしい。
 クックック──
 馬鹿にした笑いよ。ちょっとは考えてみればよかったのだわ。
「本気でおっしゃって?」
「ごめん、まちがえた。もっとずっと幼いよね。一四とか──」
「いいえ」
 レミリアは両手をつばさの下に回して組んで見せながら片目だけこっちに飛ばす。
「きっかり五〇〇歳よ」
「えっ」
 きっかり?! 五〇〇歳?!
 クックック──
 ユウガっぽい笑い声がさらに大きくなった。
「ということにしたの」
 レミリアはやさしい口調で言った。
「アナタの言う通りわたくしは、『わたくしの記憶の残滓』が正しければ、たかが一〇回ほどお誕生日パーティのケーキを味わった記憶しかないわ。きっと良くっても一二か一三程度でしょう。けれどね、この郷里を渡り飛んでみるとこの数字は妖怪において塾未熟を測るれっきとした項目のようなの」
 そのとき、はき捨てるように笑った。
「ヤな気持ちが甦るのなんの。ティーカップ片手に、何と言って虚勢を張り詰めたかしら……他家の娘友達と虚無を交わして笑い、紅茶を飲む。嗚呼……お父様を褒めたっけ。ティーに染まった海があったならそこへ身を投げてしまいたかった、とは後づけの気持ちかしら」
 レミリアはなみだをふいた。いや、ふく動作だけだった。
「きっとどの郊外でも都でも必要なことなのね。わたくしは少しずつ箱の外を知っていくの。お父様のようにふんぞり返るの。妹から憧れられるようなフェイク・シスターを演じるの」
 目もとを指でなぞった。なぞるだけだった。泣きだす三秒前の音すらした。だけどそこからこぼれだすことはまったくなかった。
 うるむような、かわいた目で、言った。
「チルノ。わたくし、ゆめもつゆも、泣けないのだわ」
 その声はだんろを凍らせるかもしれなかった。悲しみの温度だ。レミリアは笑うのに、花の水分をぜんぶ吸いとってからしちゃうかもしれなかった。なみだ声にイッテキもかぶさるしずくもなかったの。レミリアののどは「クックック──」と鳴って、イタズラっぽいふるえた笑い顔だった。
 ──過去の精神が寸時甦り語りかけた。けれどもわたくしは悪魔となり果て、悲しむことすら赦されない。悲しみはとうに嗤いと自嘲とに分解された。
 後ろを向いてついにアタイを抱きしめた。そのキョリは、頭の底に押しこんで冷やし固めていた昼のデキゴトに触れかけた。
「河童組に言ってこの家を建ててもらったわ。外観は瞬く間に仕上がって、中身はこれからね。チラシにあった通り一銭も取られないようだった。けれど、代わりにインタヴューが始まったわ……紅茶とともにね。わたくしの元住んだ世界に興味津々というまなざしで、記憶の限りを濁しながらも話したけれど、身分を質されて。(いっこの呼吸)、呪い、あるいは契約のように、低俗なこといっさいを赦されなかった。相手は河童だもの。童《わらべ》の妖怪に劣って何の面目が有って? むしろ嘘で示したのが誇り高くさえ感じた」
 一か月前(だから代交代式のすぐ後ぐらい)に河童組本部というところでお話をしたらしい。ウソをまじえながら。
 ウソをついたっていうのは自分が五〇〇歳だって言ったことだけじゃない。人間だったってことも隠さなきゃいけない。そのためには家族のこともいつわらなきゃいけない。そのためにはふだんの暮らし方もどうにか「コッチ」がわに寄せていかなきゃいけないし、そのセカイへの視点は〝ひと風〟変わってなきゃいけない。そのための自分の歴史を大カイヘンをするための頭脳は、とっくにあった上使いこなしていた。「いいえ。使えこなす、かしら」レミリアは語った。「わたくしはこの異常なまでに加速する〝猛きクイーン〟のごとき思考能力の『思うがまま』なのだから」
 フフフ。首に息がかかった。
 冷たいんだか、あたたかいんだか、分かんないや。
 一〇さいちょっとの女の子。それがジジツとしてアタイの体のうちがわをひびかせる。アタイはこの年で(そろばんのケタじゃ足りないよきっと)ようやくウソをつくのがどんなにたいへんでめんどくてつらくてってことを考えだして、ようやく今肩をピタリとそろえて抱きよせることができるんだ。レミリアの言うことはいちいち回りくどい。どれだけのウソをひどいように積みかさねていったのかだけ、ぬくもりや冷たさが流れこむみたいに伝わった。それでじゅうぶんだった。
 気が晴れたというおじょうさまは、居間でお食事を取りに行った。過去の習慣ってことでテーブルについてキチンとするお食事のときはいっさいおしゃべりをしないみたいだから、その間は別の人と話すことにした。
 お食事も忘れてまじまじじろじろと石いじりしている魔法使いだ。
「ねえ」
 真正面から声をかける。
 だけど魔法使いは目を石に落としたまま。
「こんばんはっ。パッチェさん。えと、ごきげん、よー?」
 あいさつはキチンとしないといけなかったね。
 だけど反応ナシ。霧雨のサーサー、食器のカチャカチャ、だんろのパチパチ、そして魔法使いのお膝の上のスースーがよく耳に入る。風は吹いてないみたいだ。
 なんなのよ、まったく。無口なの? でもさっきあんなにレミリアと会話してたのに。
 もちろんここで大声を出して無理やり構ってもらおうとするほどアタイは馬鹿じゃない(さっきめーりんにすごいお顔で注意されたし。実は怖かった)。お膝の眠るお顔に目をうつす。このフラン様とかっていうのはけっきょく何者だっていうのよ。
 レミリアは妹とかって言って、みょーにかばうふんいきだ。この魔法使いの魔法にかかって深い眠りに落ちたかのように、やすらかな表情。ホントにかけてあるのかも。じゃないとお膝の上に乗せとけるもんか。
 はじめて会ったしゅうげきのとき少なくともじゃあくで恐ろしい表情だったのはまちがいない。いかにも悪魔って感じの。今はそんな空気が体じゅうから抜けきっちゃったように、きれいでへいわなお顔をしていた。赤いおじょうさまの服を身に着けた、疑う必要もないおじょうさま。ひとつだけ疑うところがあるとすればやっぱり、その〝ハネ〟だった。
「待って、それアタイのじゃん!」
 むらさき魔法使いのパッチェが手にしているレミリアの妹のフランのハネじゃないほうのきれいな石の正体に、アタイはようやく気がついた。アタイの氷のハネだ。
 横からものすごい目の光が向けられる。また大声出しちゃった(アタイったらバーカバーカッ)。これで二回目。次叫んじゃうことがあったらそろそろつまみ出されちゃう前に湖に穴をあける用事を思いだしてすたこらさっさしよう、とこころに決めた。
「……返してほしいの?」
 今さら気づいたって感じでパッチェは目線だけ上げる。そういえば、誰かに似ている声だと思ったけど、この暗さはルーミアの細さとそっくりだ。お口の中がどうくつのようで、どうくつの底から響いてくるような。
 声を小さく、言う。
「べつに。ほしいならあげるけど」どうせ生えるモノだし。
 ちめい傷をくらったときに落としたみたい。自分の体の一部が人の手ににぎられてじっと観察されるのはフシギな感覚だ。
「そのフランって子、危ないんじゃないの? おひざの上に寝かせてたら、急に起きてあばれだすかも」
「ならアナタは帰ればいいのだわ」
 バッサリ。
 草むらをひと振りかり取るみたいに言われた。温度差がひどすぎて熱じゃなくて今度はカゼをひくかもしれない。
「そんなキツく言わなくてもいいじゃん。しんぱいしてるだけなのに」
「じゃあ気持ちを受け取っておくわ。ご苦労様、出口はあちらにございますわ」
「う、んー」
 おかしいなー、寒くなってきた。冷たい。冷たいよ。
 アタイはもうちょっとこの人のことを知りたいだけだった。
「パッチェさんは、レミリアおじょうさまと、どういう関係なんですかっ」
 膝もとのフランをちらちら様子見しながらたずねる。
「青い……」
 ぼそり、と口にして。
「ん?」
「ただの、すっからかん……」
 青い……ただのすっからかん……な関係? またまたこの人たちの得意な回りくどい言葉づかいだ。考えるのもめんどくさい。悪そう、なんか悪そうなカンケイ。悪いってことでいい?
「でもさっきあんなに仲良さそうに」話してたのに。
 そこまで言いかけて、パッチェはお膝のフランを持ちあげた。
 しんちょうにしんちょうに、するりと自分の体を長イスから起こし、お膝にあったフランの頭の下にはふかふかの物体をすべりこませる。
 何のつもりよ。それで眠りがとけちゃったらどうすんの。
 問いかけたり、考えたりすることはできた。でもその人の行動がそうさせなかった。パッチェはレミリアおじょうさまが食事している食タクに向かっていって、その手前でしゃがみこんだ。
 だんろがあった。布みたいになめらかにととのったおかみがたれて、パチパチメラメラとした炎がうっかりうつっちゃわないかって気になった、そのとき。パッチェは大事そうに手に持っていたアタイのハネをそのだんろのそばにコトリと置いた。
 角から溶けていった。
 だんだん丸くなっていった。
 だんだん小さくなっていった。
 水が床にうすくのびていった。
 パッチェはただじっと眺めていた。しゃがんで、組んだ腕の上にあごを乗せて。その先には首にかけた布で口もとをおさえてまた食器をかまえるレミリアと、さらにおくにはピシッとした姿勢でそれを見守るめーりん。
「ただの氷じゃない」
 パッチェの声はあきれたみたいだった。ポッとひと息はいて、そのまま立って食タクについた。アタイは誰かと目を合わせていっしょに首をかたむけたかったけれど、そばにいたのはひとみを閉じたヤクサイだったからきびしかった。何となくかゆくなったおしりをかく。パッチェはそのまま食タクについた。
 レミリアおじょうさまがかわりばんこになるみたいにめーりんに料理の感想を言ってこっちにやってきた。
「今夜、時間はある?」
「あるよっ」
 息苦しさから解放される。レミリアとだったらこんなにウキウキするのに。パッチェとアタイは相性が悪いみたいだ。
 レミリアは満足そうにうなずいた。
「いいわ。じゃ、お出かけするわよ。支度するから、アナタはあそこの傘を取っておきなさい」
 めいれいにしたがって、おじょうさまが部屋に行く間に玄関のわきの小さな部屋にもたれかかっていたかさをしっかり抱えて待った。居間よりも玄関は涼しくて体に張っていた力を少しやわらげた。そうして待った。かべぎわでじっと動かず待ちつづけた。めーりんみたいに、せすじピンとしてガマン強く。
 一本の木になって雨音を聞く。
 おそいな、と思って居間の方を見る。
 ──ッ。フランとまぶたが合った。目をそむける。
 早く出かけたかった。この家は居心地が悪い。
 人の街をおそったあのフランがいるせい、相性の悪いむらさき魔法使いがいるせい、っていうのもあるけど。二階の窓からこの家に入ったそのときから、うまく息が吸えないじょうたい、それでいて、体がむずがゆいじょうたいで、まるでこの家の空気がアタイをテキシしているみたい。胸もとをかきむしる。かきかきする腕は見るとケガしたみたいにひじの上が赤くなっていた。
 もう外で待ってようか。
 そう思ったらおしゃれな黒い玄関のとびらがアタイを逃がさなかった。「ふんっ」どれだけの力も、足踏んばってもつうようしなくって「もうっ」。
 ちょうどガチャリと、自分の部屋からおじょうさまが出てくる音がした。
 コートで身を包んだレミリアおじょうさま。は、そのままこっちに来るんじゃなくて、玄関とびらのそばから見えない居間の中央にそれる。
「行ってくるわね」と声をはり。
「行ってくるわね」ともういちど、小声でくり返す。すると──
「レミリア……どこに?」
 アタイが知るだれのものでもないヨワいヨワい声が。
「……探しに行くの」
「今日こそ、つれてってぇ」ネコみたいな声。まっくらにすきとおった声。
「いけないわ」
「つまらないわ……こんどは暴れないもの。ねえ、おねがい。フラン知ってる。フラン思いだしたのさっ。『あの子』とはぐれたのはうすぐらい森の奥なの」
「大人しくおしよ。ウソ言ったってダメ。『そのメイドの子』は必ず連れ戻すから。アナタはとにかく外へ出てはいけないの」
 そろりそろりとかべをつたって角から居間をのぞいた。
 長イスのフランは起き、その前にレミリアがしゃがんで見上げながらいっしょに両手をにぎって会話していた。
 金のおかみの裏、まぶたは開けばレミリアと同じ血だった。他のなんでもない、血。
「……お父様と同じこと言う」
「いいえ。そうはさせないわ。愛しの我が妹よ。そんなつもりはない」
 姉妹でなにか悲しい、重い前世界の記憶を、いっしょにそのにぎり合った両手の中で持ち上げている。
 レミリアははっきりとした口調で言った。
「聞いて。これは夢ではない。愚かなお父様の計画によってスカーレット家の牙城は儚く散れり、之きついた末のこの幻想郷は最後の砦よ。わたくしたちには仲間が必要だわ。今度こそ息絶えてしまう前に」
「吸血鬼《アンデッド》になっても? 死なんて恐るるに足らないわ!」
「アナタもわたくしも、アンデッドゼロ歳でしょう? 腐っても未熟者が、下手打って暴れ回って、檻の中で永遠這いずり回る運命でもごらんに?」
 フランのお顔が急にひきつり、頭をかかえる。
「ひっ、ヤダッ! 檻の中なんか、ヤダッ! 助けてッ! 巨大なインドゾウが鉄の檻を振りかざしてフランを襲ってくるわ!」
「もう」
 長イスの上に脚をたたんでちぢこまるフランを抱きしめた。
「もっとアナタの目に世界を映してあげなきゃね。もう少し、時間がいるわ」
 アタイはフランが「襲ってくるわ!」と言ったのがじょうだんだと思った。だけどあまりにビクビクして呼吸がはげしかったのを見て、それを代交代式をしゅうげきしたあの姿と見比べて、アタイは思った。
 これは不幸だ。
 かわいそうな不幸だ。

 六

 レミリアおじょうさまが一二歳だとしたら、フランおじょうさまは一〇歳らしい。つまりレミリアが一三歳なら一一歳で、一〇歳なら八歳ってことだ。レミリアおじょうさまは、その差の二って数字を深く、覚えていた。「すでに風化し、さらりと洗い去られた〝ガラ〟の記憶に、滅多には数字が残されていないわ」だけど、この数字とそれからもうひとつの数字は消えずに残っている。
 四年と、九か月と、五日。
「それがいったい何を表す数字だったか、わたくしは、その指を折り始めた日にちを覚えていない。ねんねんねんと指折る日々を覚えてはいない。けれど極めて重要そうに数字がわたくしにうったえかけてくるよう、それは、わたくしとフランの寝室が初めて分けられた日かしら。それともフランが『檻』に投じられたと知った日から? 夜光? お母様の手のぬくもり? お父様のキス? ああ……〝破れやぶれ〟に甦るわ。四年九か月と少しの間。間はほとんどがらんどう。ゆいいつはっきりとしているのはその終わりなの。なぜならそれが、わたくしたちの家庭が終わりを迎えた忘れられもしない日だったから。『檻』の外と中から目を揃えた。しかし、当時に湧き上がった感情はもう……」
「……」
 サアサアと、霧雨がふる。それなのに、窓の外に見えていたようにお月様は明るくて、おかげで飛ぶまっ正面にある木たちを怖がるひつようはなくなった。大雨だと飛べないからダメだけど、これくらいの霧雨なら飛ぶ間にかわいて気持ちがいいや。
 アタイたちは今、あるメイドの子をさがしている。
 フランはレミリアと同じように「忘れさられて」幻想郷にやってきた。ただ、ひとつトクベツだったのが、「もうひとりといっしょに来たんだ」って言う。その人はおじょうさまふたりにとってとても思い入れが深い人だった。
「たしか幼いメイドよ。年が近いこともあって、仲良くお遊戯して時を共にしていた……いえ、ただの推測かもしれないわ。時にわたくしの頭脳は星と星をそれらしく結びつけそれらしい星座を描き出してしまう」
 レミリアおじょうさまの長く赤いツメの先がスーッと線を引いて三角形をつくる。とりあえず「記憶をでっち上げちゃう」ってこと?
 たしかに。レミリアは「忘れた」って言うクセにじっさい言うことすること、あまりに前世界を覚えすぎているような気がする。ひょっとしたら、これはビックリだけど、アタイが今まで聞かされてきたのはぜんぶぜんぶ、お母さんが子どもの寝るそばによみきかせする現実ばなれした物語ってだけのことかもしれない。
「でもこの前、アタイと似たメイドの子の話、してたぞ。アタイと似た身長で、おじょうさまに〝べたぼれ〟だって……すごくせいかくに話してたけど、その子のこと?」
「そうね。ま、ベタ惚れは美化が過ぎたのかも。仲睦まじい雰囲気であってはほしいけれど、とにかく。彼女はわたくしたち一家の終わりの日に、わたくしたち姉妹を引き合わせてくれた」
 あおーん。
 アタイたちの飛ぶ下から、オオカミの高い鳴き声がする。
 レミリアはかさをかたむけ見上げてほほえんだ。
「少なくともこの世の望月は奪いたくなるほどの魔性を秘めているわね。フランは、最後に見たのはいつだったのかしら」
 となりのバサリバサリという音はいつもより力強い気がした。
 広大な霧の湖を抜け、まばらな森を抜け、山を高く飛びこえ、そのころには霧雨がやんだからかさを受けとって、それからだんだんと人の街の明るさが目に入ってきた。街灯やきらびやかな看板の下に人々のカゲがたくさん濃く歩いて、冬場なのに熱気が伝わるみたいだ。目をこがしちゃう前に視線を上へ飛ばした。だれもアタイたちの方を見上げたりはしない。アタイたちも人の街には用がないからそのままスイスイと反対がわへ、お月様の方へ飛んでいく。代交代式の日にヤクサイ──フランおじょうさまが現れた方角だ。その名前も知らないメイドの子の居場所についての情報はこれくらいしかないんだ。フランおじょうさまをこのソウサクに参加させなかったのも、人の街をおそった罪深さでうかつに外に出せないっていうか、そもそもそれは人の街をおそうくらいおじょうさまは気が狂って──レミリアが霧の湖を切りさいた、アレみたいに──幻想郷に来たさいしょの記憶がほとんどなくて、なんのソウサクの助けにもならないからだ。気が狂ったおじょうさまふたり。そこに残る記憶はタナゴコロにかすかに光るみたい(とりあえず「ある」って意味ね)で、レミリアおじょうさまの場合(アタイは忘れたいけど)、アタイと出会ってアタイをなんども打ちくだいたこと。フランおじょうさまの場合、別の人がいっしょにいてその人はよく見知ったメイドさんだったこと。
 この話を聞いたとき、アタイの頭はなぜかイワカンを覚えた。考えようとするとアツい湯気がばらまかれたみたいな頭になっちゃうから深入りしないんだけど、今でもなにか引っかかっている。
「さて、もうひとっ飛びあの山のあたりから捜しましょうか」
 人の街をすぎるとまばらな小さな民家に広大な田んぼに畑。だけど枯れはてちゃったみたいな印象を受ける。この季節に田んぼはもちろん育たないし、畑はうわってるけどみのり方がバラバラで小さくて、まるでそのへんの雑草だ。あっちのメンはちゃんとしゅうかくされた後なのか、それとももともとの「つき」が悪かったのか。
 さらにおく、赤黒い山のふもとまで来た。
 ふと空を見て、山のてっぺんの雨雲に気づいた。霧雨よりけっこう降りそうな。
「ねえ、雨が降りそう。かさ」
 って言ってかさを開き「はい」って渡そうとしたら返事がない。
 ぽたっぽたっ。
 腕とかふくらはぎに当たるかんしょく。レミリアの方にも降ってきたみたいで「あら、降ってきた」ってアタイを見る。ぼーっとしてたみたいだ。
「アタイ、ぬれちゃうと飛べないから、先におりるね」
「それは本当? さっきは平気そうだったし、見たところアナタの翅はそういうタイプではなさそうだけれど」
「うん。みんなとちがってちょっとなら平気なんだ。大雨はダメなんだけどね」
 大ちゃんやあの星の妖精たちみたいな〝ぺったりした〟ハネはぬれちゃうと「しなしな」「ぐったり」としちゃってうまく飛べなくなる。アタイのは……
 なぜか飛べなくなる。
 あれ。
 そういえば、考えたことなかったな。みんなとちがうアタイのハネのこと。
「大雨は厳しいの?」
「うーん、けっこうはげしめに降りそう」
「違う。その翅でも大雨には敵わないのはなぜかと問いたいの」
「えー。うーん、雨ってむっちゃ重いじゃん」
「この傘のほうが何倍も重いわよ」
「そんなことないよ。雨の日は晴れの日よりも何ばいも体が重くなるし、雪の日は何ばいも軽く──うわっ!」
 ズンッ。
 あ。
 大雨にとつにゅうするのが想像以上に早かった。お顔から背中、足さきまでビシャビシャり雨に打ちつけられ、高さを保てなくなる。
 上へ、上へ。あがれ、あがれと力いっぱい体をそらせる。そのムリな力のかけ方がダメだった。グッと体じゅうからしぼりだしたそれは前へ進むボウダイな力になってものすごい速度をうんだ。
 上手な紙ヒコーキみたいにビューンと風を切り、道がほとんど消えた草原のまんなか、おおぞらをかけくだる。そこから先頭を持ちあげることはできない。叫び声も雨音も何がなんだか自分でも聞きとれないまま、ゆるやかにきゅうそくに落下していく。
「──! 川っ」
 だけど天任せの手からはなれた小石じゃなかった。向きだけソウサして木々をかわし、その速度のまま──突っこむ。
 水の流れをぜんぶ氷に。
 ……
 氷はがしゃがしゃとやわらかくくだけた。アタイを受けとめた。ケガはなかったみたいだ。ひといきつく。
 だけどそんなヒマもなくキョウレツな感覚におそわれてガラリと氷の中から飛びあがった。
「うっげぇ! くっさッ!」
 いつもよりも氷がやわらかいワケだ。ぶにぶにとしていた。この川の水は霧の湖近くの川と質がちがうみたい。おかげでショウゲキはやわらいだけど、さいあく。鼻をつまんで、氷のかたまりに流される前に川の外へひょいと脱出する。
「あーっ!」
 そこの岩はだは急すぎた。しかもツルツルとしてひっしにでこぼこをつかもうとしてもズルズルとすべって、素手と素足のツメがガリガリとけずれる。どういうこと? コケが生えているワケじゃない。むしろおかしいぐらいコケも、枝も草もひと束すらもすき間から生えてない。意味分かんないくらい四角かった。ぜんぶ、ぜんぶ!
 アタイははい上がろうともがきつづけた。別の脱出手段を考えるよゆうはぜんぶはげしい雨に洗いながされ、考える勇気は川のキョウレツなニオイにうち消され、ふりむくこともできないまま、ずっと坂のねもとでもがきつづけていた。アリジゴクにのみこまれそうなアリのように。
「あーっ! あーっ! ん、アーッ……!」
 アタイのつかみかかる岩、どこかで見たことがあるならび方だと思ったら、お城だ。アタイはその昔、お城というたてものを見たことがある。あのときはまだ〝この見た目〟をしてなかったと思うし、ひどくにじんでボロボロの記憶だ。それでも少なくとも、今アタイが手足の指を引っかけているギッシリ整った岩はだとおんなじ景色、そこに〝とまった〟、という記憶がある。遠い、遠い昔。アタイはなんだったか、思いだせそうな気がする。
 なつかしんでいる場合じゃなかった。とっくに体力は限界に近かった。
 四角い岩たちのすき間の大きさはせいぜい指一本入るくらい。コケをむしていないクセに岩はだはヌルヌルして面を足がかりにするなんてほとんどできっこなかった。なんどもなんどもズルズルとすべり落ちるあいだに腕もひじも膝もすねも岩はだにこすってズルズルとすりむけた。大雨は、そのキズによくしみた。口の中はずっとすっぱくて、たまんなくてなんどもツバをはきだした。
「……アーッ! ペッ、アーッ…………アー……」
 体が熱いんだか冷たいんだか分からない。
 息が苦しすぎる。のどがしみる。体よりなにより、目がいっちばん痛い。
「ゼーッ……ゼーッ……」
 アタイの気力はみるみる溶かされていった。つかれはみるみるたまっていった。
「レミリアぁ────ッ!」
 最後の力だった。これで来ないなら。
「……」
 来ないんだ。
 そっか。
 体は動かない。かわりに頭がはたらいた。
 自然は、アタイの敵になったのかもしれない。なんて暗い考え。
 ──そうそう。チルノちゃんは、ホントは『妖精語』を話すんだろい?
「……」
 ──チルノちゃん変りよってまーたッ!
 ──チルノちゃんの馬鹿んだらッ!
 それとも。
 ──アナタ。本当に妖精?
 アタイが敵になった?
 ふっ。笑いがもれた。
 どうしてか、あふれたのは笑うための感情だった。
 まるで〝センを無くした〟ように、頭から手足の先のすべての力が「ふっ」と抜けた。とうぜん、岩からずり落ちた。
 背後から、ヘンな明かりを受けていた。月明かりじゃない。
 落下のさなか、視界にうつった、まっ四角い建物のかずかず。
 河童組工業団地。
『はずれの河童組工業団地と通じた廃液土管なるものから近辺の川を汚濁、樹木を枯死させる液体が垂れ流されていることが分かった。──』
「オマエらかああああ!!」
 ピキンッ。
 さっきまでの新しい感情から、またさらに新しい感情へと変わる。それは、アタイの眠りかけた体にいっしゅんだけ大きな力をあたえ、能力を少し目覚めさせた。アタイは川にぽちゃんと沈まないでふたたびピキンと氷を固め、その船の上に乗る。このままだと流される。
 いやっ、流されていいんだ!
 いけっ。川をくだっていくんだ!
 新たな脱出手段を思いついてアタイは船にしがみついた。船というか、イカダ下りだ。
 大雨で流れが速く、水かさが増えた川。落っこちたらひとたまりもない。前方のたおれた大木はイカダにふせる、突きだした岩はイカダの片方をつけ足して片方を切りだしてよける、ぐなりぐなり曲がった進路にはただただイカダにしがみついて回転しながらたえる。アタイはイカダのソウジュウの天才だった。あれくるう流れに乗って下っていくのはソウカイで、気持ちよかった。いけっ、いけっ、いけっ──!
 だけどまた問題があった。
 工業団地からはなれればはなれるほど光が少なく視界が見えづらくなってきた(ああ、こんなときサニーがいてくれればなあ!)。
 もうすでに、ほとんど見えていない。
「──んあっ!」
 空を飛ぶ感覚。まさか、がけ?
 ピシャンッ。着地。
 あぶなかった。イカダごと落っこちたのかと……待って。
 この先に続いているのがガケとか谷じゃないって言いきれるの?
 アタイはいつもよりもやわらかくふくれた氷を手のひらにしながらたぶん青ざめた。
 ひどくくさい川とすっぱくしみる大雨にはさまれ、まっ暗くら。どの感覚ももはやアテにならない。
 けれど地ひびきがし始めた。せいかくには、アタイがはりついている氷が細かくふるえ出した。まわりの空気もなんだか振動している気がした。
 ゴゴゴゴゴ────。
 そしてアタイはかくしんした。
「あ。アタイ……馬──」
〝終わり〟はあんがい早かった。
 こんどのフユウ感は本物。
 目の下に、本物のまっ暗闇の口が開いている。
 なにかに引っかからないか。
 アタイは最後の最後の力を振りしぼって氷の上に立ちあがり、とんだ。

 七

 妖怪の山は、実はいっかいも来たことがない場所だった。
 そこはおそろしい妖怪が石の裏をのぞいたみたいにうじゃうじゃといるマキョウだって、大ちゃんが言ったんだ。アタイはぞわぞわと寒気を覚えて、まったく行かないようにした。
 でも思ったら、とんでもなく馬鹿なカンチガイをしたもんだ。アタイは妖怪が怖いワケじゃちっともなかった。ただ石をひっくり返してたいりょうにうごめく虫たちを見るのが苦手なだけで、大ちゃんの遠出した話のたとえからそれを想像して行きたくない場所だと決めつけただけ。……もしもその妖怪たちがみんな虫の見た目をしてギチギチに山をはい回ってるんなら行かなくて正解だけど、冷静になって、そんな光景考えられないじゃん。
 それはそれとして。
 けっきょく考えられないような光景ってことに変わりはないんだけどね。
 まだまだ夜は続く。
「ひゃっひゃっひゃっ。妖精を捕まえたぞー!」
 ムチのようにしなってたたきつけるような雨に、ふたすじの光を〝あみ〟の中から浴びて、叫ぶ人のカゲを見た。それは巨人だった。巨人の胸のあたりから光がさしていた。
 なにがおこった?
 飛びだし、飛びあがり、飛びこむ。そのまま落下、しかけたら。
 横からものすごいいきおいでなぐられて……落下を回避した?
「おう、おうおう。もしかして死んじまったかー? ちぇっ、捕獲網が無駄になっちまったじぇ。まったく、弱っちいの」
 巨人がアタイの目の前でピタリととまった。コウテツの筋肉が雨をはね返しているみたいだった。
 ホカクって言った? アタイを食べる気だろうか。でも妖怪も人も、妖精を食べるなんて聞いたことがない。そもそも巨人を見たことがなかった。巨人のことはアタイまったく知らないけど、ひょっとしたら巨人は妖精を食べるのかもしれない。
 ヤバイ、にげなきゃ。
 アタイは自分の頭の上におおいかぶさっているあみをどかそうとした。だけどあみは信じられないくらい重くて地面からぜんぜん浮きあがらなかった。
 巨人はかん高く笑った。
「おや。ニシシ、生きてるじゃないかー。抵抗してもムダだよん。ソイツはたしかに標的をやさしく包みこむが一度絡みつかれると抜け出すのは難しい。そう、愛してしまった女のテユビのようにな!」
 そして自分の目をうたがった。
 アタイの目が正しければ、そうやってどちらかっていうと小人のような高い声でしゃべる巨人のまるい頭は、カッパリふたつにわれて「中にかくれてあった頭」が真上にぶっ飛んだ。
 大雨、あれくるう川……ジュウセイ、ぶっちぎれて中からキラキラがあふれだす大ちゃんの首。忘れられない、思いだしたくないできごとがよみがえった。
「頭」は巨人とアタイのあいだに降りたった。そう、あしがあったんだ。腕もあった。
「うおっととッ。射出速度はもすこし落とさせるべきだね……さあ観念しな。オマエは我々河童の養分となるのだぞ」
「ひっ」
 ん? カッパ?
 地面にのびながらちらっと人のカゲを見る。後ろからの強い光で見えづらいけど。
 子どもだ。
 子どものカゲの外がわにアタイとおんなじあお色のおかみが、みぎひだりにたれていた。
 子どもはかがんでアタイの体をじろじろと見ている。
 ──なんだ。キコクセーじゃねえんけ。
 ぼそりと小声がした。
 かと思うと大きな笑い声を出して言った。
「冗談だってー。ささ、ここいらの雨は良くない。解放してやっから川遊びなんかしてないでとっとと」
「オマエらカッパが自然をこわした! どうしてこんなことするの? オマエらのせいでアタイのトモダチはずっと目覚めない!」
 キッと彼女をにらみつける。下から見上げるのは目がしみてしょうがない。すっぱい雨水か、なみだか、冷や汗か、感じわけようもない。
 こわい。どう考えたって、今言うべきことじゃなかった。アタイはカッパという妖怪のことをぜんぜん知らない。ひょっとしたらカッパこそ妖精を食べるのかもしれない。アタイはつかまっているのに、彼女はかいほうしてやるって言ってくれているのに、これで気が変わったりしちゃったら何をされるか。その女の子は外がわの表情だけでもくもりがかったのが分かった。
 けど何が起ころうとどういうじょうきょうだろうと、とアタイがこころのなかでためこんでいた、カッパに出会ったしゅんかんにしかってやりたいことだった。おしかりというより悪口かもしれない。悪口ともちがうなら、おしかりと悪口の間の感情を持って言ってやったんだ。
「そうかい」
 カッパはたしかにどうようした。そりゃもちろん、急に責められたんだから。だけど、声は落ち着いていた。そういうふんいきの声はこれまでもたくさん聞いたことがある。
 パチン。パチン。
 カッパは別に泳ぐのがそんなに得意じゃなさそうな手──言っとくけどアタイは別に泳ぐのがそんなに得意じゃない──に道具を取ってあみを二かしょ切った。
「それは……それは。ああ、悪いことをしたね。ああ。そうかい。いやまったく。まったくだ」……と……もうし……ね……ないのさ。と、工具を手の上でくるくる回しながら。
 かぶっているぼうしを深く落として、どんどんとどんより声の調子も落ちてく。下からよく見えるのは表情よりも手、手よりもどろんこの足だ。
 アタイとかルーミアとおんなじ、はだしだ。
 はだしと言えば、アタイはクツやげたやぞうりをはいている人のキモチが分からなかった。思いっきり走ったり飛んだりすることができないじゃない。げたやぞうりだったら足の指をずっと意識しておかないと走ってすっぽ抜けたり飛んですべり落ちたりするだろうし、クツはしっかりと足をおおうぶん川や水たまりの上をかけ回れないんだ。
 アタイは自分のクツを持ってはいる。でもはいて走れば地面のかんしょくがしなくてきもちわるいしはいて水平に飛ぶにしてもなんだか身軽じゃない。だから捨てたんだ。どこに捨てたっけな。みんなはだいたい捨てていない。そこらへんは分かれている。ふだんははだしの友だちも冬になるとクツシタとクツをどこかから引っぱりだしてくる(もしも木の穴にクツやクツシタが入りこんでいたらそこは妖精のげた箱だよ)。夏も冬も関係なくはきものしている子もいる。アタイもほんとうは夏の、お祭りのテッパンみたいな砂道を溶かされず歩くのに便利かもしれないけど、クツを〝足ばなした〟ころのアタイがそんなこと考えるワケなかったし。飛ぶか、「凍っちゃえ」かで解決だったからそんなに苦労はなかった。
 最近は人の家におじゃますることが増えた。小鈴のリンリン堂、霊夢の博麗神社の社務所、レミリアのさんかく屋根、あとはけーね先生の寺子屋だって。だから目の前ほどひどくないとしても、土と砂まみれの足で上がるのは良くないのかしら?
 話をもどすよ(関係ない話しちゃって)。
 アタイはつかまっている。目の前のカッパの女の子はアタイを食べようとしているのか、していないのか、よく分からない調子で話していて……
 あれ。
 カッパはどこ?
 光は浴びせられたまま、あの女の子だけがすっかりいなくなっちゃった。
 それからもぞもぞと体を動かしていると、さっき二かしょ切れて大きくなった穴から脱出することに成功した。立ちあがって、足がペタペタと音を立てる。すごい固さ。ここは大岩の上かな。光をふたすじ出している巨人はあいかわらずぴくりとも動かないで、触りにいってみると、これまた固い。大きな大きな乗り物のキカイだった。たたくと「ゴウンッ」って初めて聞くような音が返った。
 何をしよう。
 頭が回らない。あの子はほんとにどこへ?
「おい、カッパ! どなぁすっとと……あー、どこ行ったの!」回らないのは頭だけじゃないっぽい。
 気になっていた。
 どうしてアタイの言葉を聞いたしゅんかん、それをはね返しちゃわないでお腹が苦しくてしょうがないみたいにうつむいたのか。「気づいたってもう遅いのさっ!」なんてふんぞり返ったってアタイは何もフシギに感じないでつかまったままうずくまったと思う。ただただアタイを救いだして、ただただアタイにもうしわけなさそうにしただけ。ただの、イイ子……?
「う、アツい」
 体が溶けていると感じているのは幻覚じゃないにちがいない。だって、火にかけられたときとまったくおんなじ感覚なんだから。冷気はアタイにとってのばんそうこう。ぺったりひんやりとはりつけたらすぐにおさまるはずだった。
 なのに。
「アツい……アツいよぅ」
 なにコレ。どこもかしこも、なんていうか。
『いたっ!』
『どこがいたいの、レミリア?』
『全身。翼も。ヒリヒリするわ』
『ひりひり?』
 そう、ひりひりだ。ヒリヒリするんだ。
 雨はいつやむだろう。雨をよける木はどこにある。
 次の一歩をふみ出したそのとき、ガクンと視界が落ちた。固い地面が横顔をなぐりつけて受けとめた。全身、川べりの岩にこすりつけてできた全身のキズから火の玉みたいな雨つぶが、ヒフのすき間をはってシンニュウして内がわからぐちゅぐちゅとアワ立つようにシンショクする。アワは中に入ると無数のハリへと姿を変える。それは目の裏がわにまで回りこんでくしざしにした。人間は冬になると耳が痛くなるらしい。それはハリがコマクに穴をあける痛みのことだろうか。
「────ぁ──ちゃ──ん……」
 のどはかれたとかはれたとかのお話じゃない。
「……だい──ちぁ──ぁん」
 大ちゃん。大ちゃん。アタイたち、こんなやさしくない雨の下で遊んだことなかったぞ。雨の日は田んぼのあぜ道の水たまりの上を飛びはねて、人間が置きっぱなしにした水おけに雨水がたまっていくのを観察して、流れが速くなった川の上に浮かぶ葉っぱや木の枝を追いかけたよね。みんなと、いっしょに。服がびしょびしょになるのはキモチがいいものじゃなかったけど、いっしょに叫びあうからキモチよかった。
「スターぁ……ルナ……サニーぃ……」空気だけでつぶやく。
 何もかもおかしくなったのはどうしてだ。
「大ちゃん……」
 リボンのお飾りは、大ちゃんがくれた大きな大きなかみ飾りはさいしょ、しめつけるようだったのが、頭の後ろの一部みたいになじみきっている。手で引きよせて抱えようと思っても魔法使いの魔理沙につけられてからはずしかたを知らなかったからどうしようもない。ちょんと、かんしょくをたしかめる。
 大ちゃんのどんな星よりもまぶしい笑顔がうかんだ。
 大ちゃんのアタイより高くてたまにうらがえる声が聞こえた。
 大ちゃんの夏のお花みたいなすずしいかおりがただよってきた。
 大ちゃんのことがたくさん胸にあふれかえる。
 大ちゃんはモノシリだった。湖の草で笛を吹くことをならった。
 大ちゃんは旅人だった。いつも色んなところを飛びまわってアタイたちにおみやげとおみやげ話をくれた。──そうだ。あのころはそこからさらにアタイたちと遊べるくらい、大ちゃんもみんなも体力がムゲンにわきだしていた。自然と妖精は「面のウラオモテ」。自然に元気がなくなったから、アタイたちもちょっと走るだけで息が上がる。
 大ちゃんはいつも能力を発動しているところを見せなかった。生きているようにしんでいるように息を深くすってはいてきもちよさそうに眠っている今になってようやく、かくれんぼしてたのがおしりだけちらっと顔を出した(おしりにお顔? わすれて)。光がほとんどささない岩どうくつのおくにボーボーと草やツルを成長させる能力を見せた。あれはほんとうにおどろいた。
 というか、気づいた。
 アタイ、大ちゃんのことぜんぜん知らなかったや。
 こんなジタイになる前、「遊んでくれる存在」ただそれだけでじゅうぶんだったから。能力がなんだって、アタイといないとき何をやっているかなんて、ふだん何を考えて飛びまわっているかなんて、どうしてそんなにモノシリなのかなんて──ほんとうはどういう妖精なのかなんて────ほんとうの名前が何かなんて。
 アタイがずっと呼んでいたのはあだ名だった。
 大ちゃんが目覚めなくなってから、アタイがあの岩どうくつに帰ったとき大ちゃんがしてくれていたみたいにおみやげ話聞かせて、体くっつけて眠ると泉みたいにみなぎるパワーをやさしいにおいといっしょにくれるのは、「季節の妖精」なのか「現象の妖精」なのか「土着の妖精」なのかまったくエタイの知れない妖精だった。
 アタイの上をおおうみたいなモノが、こころにどんよりとしたキモチを、疑問をつくる。
 アタイはどうして大ちゃんがこんなに大好きだったんだっけ。
 ……。
 これ以上、考えちゃいけない気がした。アタイは今でも大好きだ。このキモチがウソじゃないなら考える必要なんかない。
 がむしゃらに地面をはい進んだ。考えてはいないから、この雨からのがれるアテがあるワケでもない。地面はすこしかたむいていてのぼり坂っぽかったからこのまま進んでももとの川にもどるだけ、とは考えつかないまま。
 体を引きずるたんびこげるような感覚がした。夏祭りのやきそばのテッパンはここにあった、どこまでも続いた。次にまた腕を前に伸ばしたとき、なにかやわらかいものをつかんだみたい。ソレはトク、トクと手のひらに伝わるものがあった。
 このペトペト感……カエルだ。
 ぴくりとも動かないのは冬眠のためか、しにかけか。どっちにしたってこんなすっぱい大雨にいたら弱ってしんじゃうよ。なぜか連れていきたくなって、頭の上に乗せてまた進みだした。
 小屋を上から半分に切りわけたみたいな小さなたてものがぽわわっと光をもらしていた。あきらめずに進みつづけてよかった。とびらはなくて、そのまま屋根の内がわに入ったしゅんかん雨に打たれない感覚がおかしくて慣れるのにちょっと時間がかかった。
 床にぐったりと寝ころがったまま息をととのえていると、外の雨音が変わってハッとした。ちょっと眠りに入っていたみたい。外ははげしいみぞれになっていた。みぞれとニンシキできるくらいには目と耳が回復していた。痛みはある。
〈断龍之滝 次・山麓(終点)〉
 なにか看板のようなところに書いてある。見上げてみると。
 ポロッ。
「あ、カエルっ」
 頭の上からずり落ちたのは初めて見る種類の茶黒いカエルだった。口を大きくぱっくりひらいて床の上で全身を「大」の字にしてひっくり返っていた。やっぱりもう……
 アタイに助けてあげられる能力はない。むしろヤケドさせちゃうんだから。
 それでも手を伸ばしてみる。今日はほんとうに、しんでいるか、しんでいるかのように寝ている生きものと人をたくさん見る日だ。
 トクッ、トクッ、トクッ、トクッ──。
 さっきよりも音はよわよわしい。ゲコともクワとも言わない。目はいちど完全に「一」の字にとじきっちゃったらもうひらかないだろう。
 氷漬けにしてやろうか。そしたら、冬眠しているのとおんなじ状態になるんじゃないか。馬鹿みたいな考えだ。分かってるよ。というかなんで「夏眠」はないんだろう。アタイはそれをしたっていいぐらい最近の夏にはこりごりしているけどいっしょに夏眠してくれる人がいなくてとってもさびしいんだ。それともまわりがみんな知らないだけで夏眠は存在する? こんど小鈴のとこに行って調べてみよう。
 ああ、また関係ないことばっかし。どうしたって気が散っちゃう。
「生きかえって……しんじゃダメだよ」
 両手にはさんで強く念じた。手足はだらんとぶらさがって、お腹におやゆびを強く押しあてたせいで長いシタがベロンと飛びだした。
「……」スゥ。
 このあたりで弱ったカエルはきっとこの子だけじゃない。なんじゅうなんびゃくのカエルが冬眠ボウガイされてひどいくらい弱っているだろう。来年の春、カエルの鳴き声は妖怪の山にほとんどひびかず、それは他の生きものだって──さびしいさびしい春だ。そうなれば、妖怪の山はだまる。春の妖精は鳴き声がないのを楽しくないと思ってよりつかず、芽吹きが少ない冷たい春をむかえるだろう。そうなれば、夏の妖精は涼しすぎる妖怪の山が近づきにくくなって、葉っぱや草たちは色がうすくなったまま目を引かない風景になるだろう。そうなれば、秋の妖精はもっとあざやかで赤くしがいのある森があるあさっての方へ飛んでいって、植物たちが妖精をどっしり待つばかり、コウヨウとさらに実りのタイミングをのがすだろう。そうなれば、冬の妖精は妖怪の山からいいにおいがしないのに興味をなくしてそこをはなれて、生きものたちに冬眠のタイミングを教えてあげないだろう。
 はるなつあきふゆの妖精たちの考えることは深くは知らないけれど、妖精の感情のいっちばん根っこの部分ならよく知っているから。アタイたちはとにかく、楽しくなさそうな方へはなにがなんでも行かないんだから。もし行くとしたら、ほんとうに強いイシがなくっちゃ。
 今年の冬の妖精はどこに行っただろう。すでに生まれていたとしても、これからだとしても、ひからびたカエルがあちこちに転がっていたら気味が悪くて飛んでっちゃうよ。そうじゃなくたって、この雨じゃなおさら──アタイが今いちばん逃げだしたいのに。
 ブルブルブル──。
 ? そのとき、指がヘンにふるえた。
「クククッ」
「わっ!」
 手のひらのカエルが急に目をかっぴらいて鳴いたんだ。ポロリとまた落としちゃった。だけど「大」にはならなくてしっかりと両手足でぺったりと体を支えた。
「しんだふり? なあんだ」
 そういえばカエルはそんなことをした気もする。
「クククッ。ケケ」聞いたことない高い鳴き声。
 カエルは元気よく鳴いて元気よくはねて。「あれ」そのまま、小屋の外に出てっちゃった。お外はみぞれなのに。
 とめるべきだったかな。だけどもう、つかれたや。
 床に寝ころがったまま、もういちど目をつむる。
「クククククックワワワックケケケワワワワカカカカカッ」……。
「なに……え、ギャーッ!」
 また起こされてゴキゲンナナメなところ、そのキモチもねむけもいっしゅんでふっ飛んだ。小屋の中でさっきのカエルとおんなじ種類のカエルがなん百匹も大集合して大合唱していたんだ。
 小屋の角に逃げてみんなをにらみつける。みんなにらみ返してくる。
「お、おうい! なんだオマエらっ、アタイに凍らされたいのか? アタイは、うんと冷たいんだぞ!」
「クワクワワワワックククカカカコココココ────」お……い。
 耳が痛い。せっかく回復しそうなのに、小さい部屋だから鳴き声がうんとひびく。
「ええい、だまれー!」
 腕を振りはらってさけんだ。
 するとアタイを囲む鳴き声はみんなやんだ。
「ほんとにだまるんだ……」
 でもそれはいっしゅんで。また誰かひとりが「クワ」と言うとみんなも「クワ」だ。さらに今度はいっせいにアタイにつめよってアタイの前をはねまわりだした。まだ外からやって来る子もいる。
「クカカカックワックルワワワワワックククッ────」お……けく……い。
 アタイを追いだそうとしているのかもしれない。この小屋から。この山から。
 レミリアは無事かな。どちらにしても合流しなきゃだし、こんなに圧力かけられてるし、もう出てしまおう。カエルよりも高くとび上がって小屋の外へ。
 カエルたちは、なぜかそれをとめた。まるでおうぎみたいに集合して急にひらいてかべになり、お膝の上の服にまではりついてきた。
「クルルルルクワワワワカカカカ────」だい……さま……お……さい。
 出てってほしい、というより、むしろアタイにかまってもらいたいみたいだ。
 みんながアタイを見ている。アタイはおひめさまにでもなったみたいだ。
「ククククク────」……せいさま……すけください。
 なにか聞こえる。
 水の中から語りかけてくるようなあいまいな「声」は、みんなのアタイに対するうったえだった。
「だいようせいさま。おたすけください────」クカカカカワワワッコココ。
「え?」
 それはなんど聞きかえしてもお腹をふるわせた同じ鳴き声でしかないのに、「声」が聞こえだした。
「おたすけください。おたすけください。だいようせいさま」
 やがて「声」ははっきりに聞こえるようになった。もうとまらなかった。
「どくのあめがやまないのです」
「つちのなかでいきがくるしゅうございます」
「さあさあ、このどくのあめをじょうかせしめくださいまし」
「だいようせいさま」
 男とか女とか、若いとか年老いてるとかそういった聞き分けはできなくてただカエルの声でしかなかったけれど、ひどく苦しいってことだけは分かった。そしてアタイはなぜか「大妖精」ってうやまわれているんだ。
「わがこらはどくのとけこんだぬまのあさせにいきをつまらせ、みんないってしまいました」
「まだまにあいます。あめさえたちどころにやめば、われらはつちにもぐりてこのわざわいのごときふゆをこし、のどかなるはるべにいでてこをのこすでしょう」
 こんな寒い(らしい)時期にカエルがこんなにあふれかえるところなんて見たことない。たとえ「言葉」が聞こえなくってもきっと苦しくて苦しくてたまらないだろう。本当はひどく眠たいはずだもん。でも。
「アタイにそんなキセキの力はないよ」
 カエルの言葉が分かるキセキは起きたけど。
「さあさ、てんのじゃあくにむかってそのおちからをふるいくださいまし」
「みちをあけよ。だいようせいさまがとうとうわれらをわざわいからときはなちたまう」
 カエルたちは耳を「ドクの雨水」でやられたのか(そもそも耳はあるのか)アタイのうったえは聞かずに不自然なくらいきっちりとみぎひだりのカベにそろって、後ろからアタイを押すようにはねた。そのまま小屋のお外、屋根がとぎれる手前、まっくらやみのまんまえまで押しすすめられ、ピタリと立ちどまる。空モヨウは攻撃的だ。
 この雨雪は……あと三日は続きそう。
 なぜかそうヨホウすることはできた。アタイにできるのはそれまでだ。
「さあさあ!」クワクワ!
「さあさあ!」クワクワ!
 きっと振りかえったら、さっきの倍ぐらいに増えたみんなが目をそろえてほっぺたとお腹をぴょこぴょこさせている。いっぴきいっぴきはかわいいんだけどこんなにミッシュウしているとあまり相手にしたくはないかも。めちゃくちゃ期待してくるし。
 ため息がもれた。
 これって霊夢とおんなじかも。
『なにやってんだ! ○○代博麗の巫女!』ガヤガヤ!
『務めを果たせ!』ガヤガヤ!
 どなり声のあらしのどまんなか、霊夢は最後のギシキをやりきれなかった、そのあとさらに情けないことになった。大きな大きな後悔をかかえて自分をせめ、泣いた。
 博麗の巫女──大妖精様。
 期待、ってそんなに、うれしいものじゃないね。メイワクというか、メンドイというか。どうにもならないって分かっているのに振りかえったりうつむいたりすることはもう許されなくて、よく分からない感情で見上げているよ。
 お空を見上げる。といえば、大ちゃんはよくそうしていた。そこにあるのがお日様でも、お月様でも、まんてんのお星様でも、おおいつくすくもりや張りめぐらした霧ばかりでも、いつも視線は高かった。それから、まるでウサギがいるみたいに、もふもふと天気をめでるんだ。
 こんな風にね。
 すくっ。と、前方の天に向かって手をかざす。なでるみたいに、さするみたいに。かるく指でなぞってやる。
 ちょん、ちょん。ナニカに〝ふれている〟。
 なんだろう。
 ────。
 ?
 ふれている? 手の中はちょっとしめってドロや砂がついているだけでもちろんからっぽだ。
 指みっつでつまんでみると〝つまめた〟。
 手の中にはなんにもないのに。アタイは屋根の内がわにいて、たまたま上から「クモ」が糸を垂らしてひゅーっと手のひらの上に転がりこんだワケじゃない。どっちかっていうと感触は「雲」だ。まだ「わたがし」って言ったほうがありえる……いや、ありえないでしょ。
 にぎりこんでみた。すると〝にぎれた〟。パサパサなのにしっとりした感じだ。
 つかんだのは右手で、思いきって左胸の方に引っぱってみた。
 ──バリバリバリッ、ピシャーンッ!!
「うぎゃーッ!」
 そのとき、なんにも気配がしなかったのにトツゼン四、五発くらいのかみなりがいっきに落ちた。かなり近くにも落ちたみたいだ。地面が大きくゆれた。いちど小屋の奥にヒナンすると、カエルたちのほとんどが「大」の字にギョウテンしてしんだふりをして床にちらかっていた。
 それでもお外のようすを見るユウカンなカエルのいっぴきが「クカカカカ」と言った。
「なんということでしょう。かのにっくきぶあついどんてんにはれまがみえたではありませんか」
 なんて?
 おそるおそると(なんびきかふみつけちゃいながら)歩んで顔を出す。
 そこにはお月様の光がさしていた。げきりゅうの川と、重くひびいている滝が見えた。
 キセキだった。
 クワックワワワ。
「さあさ、もういっちょう! だいようせいさま、もうひとなぎ、ふたなぎにございます」
「……」
 手を伸ばす。しっかりにぎりこむ。皮をはがすようにはらう。かみなりが落ちる。つかんで、引きはがし、落雷。シュッ、ドーンッ。シュッ、バリバリバリッ。ピシャーン。
 けっきょく一〇回くらいくり返して、そのうちにさっきのカエルもひっくり返っちゃった。だけど雨やみぞれは完全に消えさって、さっきレミリアおじょうさまといっしょにながめたまんまるお月様がと星々がうかぶ平和な夜空になった。
 アタイはホッと一息つくと、できるだけケガをしないように前にぶったおれた。
 アタイは期待にこたえたんだ。
 ……。
 ──。
 期待にこたえた……?

 八

「……ダメだね。こらぁかんッぜんに絶命してら」
「処理はどうするんですか」
「さあ……? 旨いんかねえ。煮るなり焼くなり、熔鉱炉にぶち込むなり好きにするがいいさ。あたい、キョーミなーいワンッ」
「押しつけられても困ります。さんざん薬剤を投与していじくり回した挙句、こんなアヤシイ液体に沈めた死体なんか何が濃縮しているやら、食えやしないです。ガスが蓄積していれば斬った途端、あるいは、今に爆発するかもしれません」
「イイ色だよねーホルマリン! ジョッキに満たして浴びるように飲んだって良い!」
「専門外なので踏み入ったことは言いませんが、外界由来の代物の扱いはくれぐれもお気をつけくださいよ。すでに我々の生活を脅かしているのです。あなたたちは幻想郷を破滅に導きたいのですか」
「まーま、そう疑りなさんな。我々は明確な理念あってここまでやってきたんだぞい。──ことの起こりは二〇〇年ほど前」
「哨戒にもどっていいですかー。長居しちゃ隊長に怒られちゃいますんで」
「もとはと言えばキミが死体を押しつけて……!」
 ガタンッ。
「おいおいおーい。そりゃないよ、モミジクン」
 パキッ。こりっ、こりっ。
「キカエいじりはトクエっちゃけど」
 ムグムグ。ぴゃっ。
「シタエいじりはアタエも好まんさ」
 ガツ、ガツ。ピピピ。
「出血多量だよねー。あと栄養失調かねー。胃に穴空けるとか聞くけんど、ドリルはいかんし……街に採血に行っちゃあさすがに怒られる……血、かあ。霧の湖の畔……吸血鬼。なにか利用できるやも────ん?」
 カチャリ。
 ヤバイ。むっちゃ目が合った。
 え、来てる?
 ペタ、ペタ、ペタ。来てる来てる!
 とびらのすき間から目をひょいと出していたらビシッと、バシッと、テッポウ当てられたみたいにあっちの目がチョクゲキした。どうしてとびらに張りついてぬすみ聞きするだけにしておかなかったの?
 さっき出てった子は知らないけど、あの子はカッパだ。
 つかまったら何される? あの巨大なビンみたいなのには魚かなにかを飼っているらしい。アタイも上からあのカッパが手ににぎっているキュウリ色をした液体を注がれて飼われちゃうんだ。それか、カッパトクセイの最強のジュウカキで──。というか、すでにつかまっているみたいなものだ。アタイが今いる部屋はむちゃくちゃせまくて窓もない。たくさん文字や絵がかいてある紙とか鉛筆とかかみどめとかキュウリの食べかすみたいなのが固い床とやわらかいベッドの上そこらじゅうに散らかって足の踏み場もない。アタイはさっきまで、そこのベッドに横になっていた。
 なんか、ブキとかないかな。足もとには先が細い工具みたいなのも落ちている。
 いや、もういっそ──
 ガチャッ。
 カッパが部屋に姿をあらわす。
「やあ、さっきぶり! 元気してた……どぅわあ!」
 アタイはカクゴを決めてソイツの上を飛びこえた。ベッドの上からカエルみたいにぴょんととび上がって、ちょっと高さが足らないせいでドゴッと鼻をけとばした。
 逃げることしか頭になかった。
 見たこともないまっ白けな部屋はこうぞうがよく分からなくて、なんども飛びながら体をぶつけた。
「ちょちょちょ、おんどりゃあ妖精、危ないったら……!」
 てんじょうの近くに大きなまるい穴を見つけてもぐりこもうとする。ほんのすこしだけ、外のにおいがした。だけど手を突っこんだしゅんかん「バリバリバリッ」と手の先が痛んだ。なんで? 分かんない分かんない!
 でも止まったら殺される。うたれる。それかつかまって金魚みたいに飼われる。
 そんな気がしてまた別の灰色のカベにげきとつする。
「止まらんかいっ! この部屋は危ないんだッ」
 床にも、てんじょうにもお膝や鼻をぶつけ、あのガラスのビンにも体当たりしていた。そのとき、あまりの〝ショウゲキ〟で床にしりもちついたまま、もう立ちあがれなくなった。
「ひ、ひ、ひひ……と」
 人だ。
 ビンの中に飼われているのは、女の子だ。うっすらとひらく、あおいひとみ。白いおかみが液体の中、ヒラヒラただよう。
「人が、おぼれてるよ……」
 アタイは何を思ったのか、ふるえる指さきをそっちに向けながらカッパに言った。
 カッパは告げた。
「それは……もう死んじゃったんだ。服装を見るに外界の人間みたいだね。死因は多岐に推測されるが──」
 それ以上は聞いちゃいなかった。
 人を飼う。カッパは悪いヤツ。
 人をおぼれさせる。カッパはひどいヤツ。
 人を殺す。カッパは悪。
 アタイもおぼれさせる。悪いカッパだから。
 アタイを殺す。カッパだから。
 カッパはアタイを殺す!
 アタイは状況を再ニンシキして飛びあがった。さっき外のにおいがかすかに感じられた上の穴。もうそこからしか出られない。
 背後からカッパのどなり声がひびく。
 冷静でなんかいられない。だけどさっきのあわてっぷりに比べてちょっとあせりが溶けた。穴をじっくり見て、さっき手をいれたしゅんかんはさまれた感覚がしたのは、そこでなにかが高速で回転していたからってことに気づいた。
 すぐに弾幕を穴に発射。それと同時に体ごと飛びこむとこんどははじかれなかった。
「けほっ、けほっ」
 はいずって進めるくらいのせまさ、ゴウンゴウンとぶきみな音が鳴る。何よりひどいのがホコリっぽさ。一本道の先にお日様の光を感じて身をよじりながらはう、その間、昔に、人里でずっと使われていなさそうな物置小屋を友だちとたんけんしたのを思いだしていた。ずいぶん暗くて、ホコリくさい。
「げほっ……」
 ゴウン、ゴウン。
 目も鼻も口も開きたくないこころ細い一本道の先、光がもれているのがはっきりと見えてきた。悪者が後ろから追ってくるケハイはしない。脱出だ。
 お顔いっぱいに光がもれだす出口にはフタがしてあった。開け方なんか分かんなかったし、これも弾幕いっぱつでぶちぬいちゃう。てんじょうの近くから入ったはずなのに、地面の近くからはい出てきた。
 頭の上にやさしくほほえむお日様。
 せきこみながらペタリ、ペタリととりあえず歩く。服どころか全身、足先からお飾りのリボンの先までホコリまみれだろうけどこの辺の水で洗いながしたくはない。
 少し歩いたところで振りかえると、ウエタ子どもの腕みたいな木々の枝のすき間に、がっしりとそびえ立つ灰色の建物が。
 風がアタイに教えた。
 てっきり昨日の今日だと思いこんでいたこのお昼は、あのザーザー雨の夜から三日はたったお昼だってこと。
 踏みしめる大地の下からはいくつものいくつものお腹の音が感じられた。あれからおねんねをジャマするジャアクな雨あられは降っていないみたい。
 カッパは、何もかもこわそうとしている。
 カッパは悪。
 アタイのお腹は、もう決まっていた。
 ──ぎゅるぎゅるぎゅる。
「……」
 
 九

 いちど霧の湖に帰って凍った水面に、またひとつ新しい穴を空けて全身に冷水をあびてから人の街へ向かった。じっさいは飛べるように体をかわかす時間がひつようだったから、ルーミアのどうくつにいる大ちゃんとルーミアにちょっとあいさつして、それから湖の反対にあるレミリアおじょうさまの家にも行った。レミリアはアタイが無事だったことをとてもよろこんでハグして、いつものせけん話が花開きそうになったけれど「やることがあるから」って、かわいたハネで街へひとっ飛びしてきた。お腹がぎゅるぎゅる鳴ってしかたがないけど、どうにかならないかな。
 博麗の巫女の代交代式のあとの街のようすは、上空からも中からもほとんど変わってないと思っていた。寒そうに厚着してビクビクとはだをさすっている人がたくさんいたけど、それは前からそうだったし。
 そんなとき、耳を疑う異変が、雪のように急に飛びこんできたんだ。
「チルノちゃん! ひさびさっちゃい!」
 声の色を聞いたことがあった。街のはしっこからひとりで中心の方に、なつかしいお顔やお店がないかちょっと散歩っぽい足で景色を流していると、女の子のあつまりが駄菓子屋さんの前にあった。知っているお顔がちらほらある。
 向こうから声がかかったけど寒さのせいか、舌が回ってなさそう。
「あ、ひさしぶりー」
 こう返してはみたけど、名前が思いだせない、し、アタイが近づいちゃ凍えさせるどころか凍らせちゃうからっていうのもあって手を振るだけにした。でもそこはカゼノコゲンキノコって言うみたいにみんなしてアタイを囲んできた。
「チルノちゃん、たあ。あんなーどこいっちょーたかいやっ」
「わー、わー、さむかえカッコ、へぇきとー?」
「こい『チョッコリト』いうおかしだっぺ、食べん?」
「ぺはちがんけぇ?」
 やいや、やいや。
 とまどうアタイ。笑い声があふれる女の子たち。
 アタイはシンケンに、この子たちが何を言っているのか分かんなくてひとりひとりのお顔を見る。けれど、どれも「特に問題はない」って感じ。
「おかしめっぱい買ったしー、これからたぁちゃん家でおかしパーティしんゆんけんどどー、チルノちゃん?」
 なにかをきかれている。返すべき言葉はたぶん二タクだ。
「ごめん」
 遊びか何かにさそっているんだ。
「このあとちょっと用事があって、だから行けないや」
 アタイの返答に女の子たちは不満そうだ。ふくれっつら。おまゆのさがりっつら。
 でも不満っていうのはアタイが「行けないこと」に対してじゃないみたいだった。
 巫女みたいな赤白のリボンでおかみを二つ結んで両後ろにたらしたいちばんオシャレな女の子が言った。
「チルノちゃん、『妖精語』使わん」
 他の子も色々口々に言う。
「妖精なんに、妖精なんに!」
「ニセモンっぺいや?」という子はアタイのハネに触れてあやうくヤケドしかけた。
「『ぺ』は可笑しかね」
「『ぺ』かわゆかかわゆか!」
「『ぺ』はなんか……オッサンぽか」
「なんじゃらほいっ! チルノちゃん、どー思ーぺぇ?」
 こっちはこっちでなにか言いあらそいをしている。
 つれだって歩きながらみんなの話を聞いていると、とうとう知った。
 これが、あの「妖精語」だ。おだんご屋さんのおばちゃんが口にして、しばらく気にしていたけれどけっきょくその場で知ることはなかった。妖精語っていうのはつまり、街の流行だったんだ。子どもたちの間では特に人気で、寺子屋にも毎日妖精語があふれかえって、先生たちはやめさせようとしてくるそうだ。
 妖精語の話し方はカンタン──いっちばん自然に出てくる言葉づかいで話すこと。ヘンな意識をせず、何も考えず、ただいっちばん始めに思ったことを口にすること。そうすると、言葉がイイカンジにくずれてかわいく、たまにイミフメイな言葉づかいになっておもしろくなる……らしい。
 なるほど。たしかに妖精だ。
 アタイだって、きっと前はそうだったんだ。言葉づかいどころかふるまいも、何もかも、思ったとたん動かす、というより、動く。ホンノウそのままに動く。あんまりなたんじゅんさ。
 けど。それをしなくなったからって言って妖精じゃないワケじゃない……よね?
 それとは別に、ある疑問が浮かんだ。
「なんで急に妖精語がはやったの?」
 すると表情をゆがませて返される。
「よーせーご!」妖精語で質問してくれないなら答えてあげないもんね!
「えと……」考えないように、考えないように「なしにびゃんと妖精語ふやっちゃけろ?」
 本当にテキトーに言ってみた。伝わったのか分かんないけどみんな満足した表情で。
「知らえん!」「いつん間にかー」「さー?」「どーでもえーっぺぇ」
 テキトーな返事をされた。
 女の子たちとはなれてからも、街のいたるところから聞こえる声に耳をかたむけながら晴れ空のにぎやかな街をあゆんだ。「──連日雪予報はハズレ、向こう数日は晴れ」どこかの家のラジオが言っている。帰るとちゅうで学習カバンを持っている子どものすがたがあるからちょうど寺子屋は放課後の時間みたい。目的地は寺子屋だった。
「さーならだらーッ!」
 出入り口からダーッと男の子が飛びだしてくる。
「コラ、『さようなら』でしょう?」
「ヒャッハー!」
 いつもは荷車に引かれるかもしれないってしかるのに。みんなが言ったとおりじゃん。
 アタイは子どもたちのお見送りをしている先生のとこに行って、中にけーね先生が残っているか確認した。
 変わらないゲタ箱。廊下を歩けば、穴とへこみがカベにも床にもてんじょうにも柱にも、しゅうふくされたり新しくできたり。中庭には風が吹きつけて、ちらほらと子どもが遊ぶ。妖精たちも。池にはった氷が気になるらしい。庭のすみっこに放置されたほうきは今になってもまだ片づけられていなかった。
 けーね先生が放課後の教室でまだお勉強のめんどうを見ているんだとしたら、もう少し先のおざしきに向かわなくちゃ。にぎやかな廊下を、ひとりてくてく。そばのとびらから出てきた、知らないおもちゃを「うち合う」子どもと妖精の間をすれ違って、おゆうぎ会をしている教室の前を通りすぎ、ナゾめいた明るい言葉がたまにはじけ合うのを聞きながら、やがていちばん静かなようすの教室にたどり着いた。
 ホウガクになる前、けーね先生がいっかいだけ授業をしてくれた教室だ。前もイノコリがたくさんいて、だけどアタイひとりのために、授業するために払ってくれた。
 のぞいてみて、けーね先生はいなかった。だけどそこにいる子たちはみんな、タクに書物や巻物をのせてモクモクと読んだり書きいれたりしていた。さすがけーね先生の教室、と思う。
 中でわずかな会話が聞こえた。
「飲みモンいる? これ、コオラって言うんだけどめっちゃウマいよ」
「お茶あるし、十分ス」
「てか今日早めに帰りたいんよ、キミどうする? 残る? いっしょに帰るならなんかおごるけど」
「オレ、もうちょっといます。今日もアザマス」
 そう言って書物に見入りなおすのは、ものすっごく見覚え聞き覚えがある男の子。
 ──チルノぉーっ!
 ──好きだああああああああああっ!!
 おかみの後ろの方からひびいてくるような。でも男の子は、マンタロくんは今ねっしんな姿で前にいる。
「そっか。ま、がんばんなー」
 もうひとりの男のほうがそう声をかけてシタクする。マンタロくんよりも五、六歳くらい年上で若者って感じで、先生ではなさそう。となりのマンタロくんを置いて先に帰るみたい。
 アタイは自分のくちびるを押さえた。それからできるだけ音を立てないようにその場を去ろうとした。
 ぐーっぎゅるぎゅるぎゅる。
 バシバシバシッ。
 キョウレツな調子の悪いお腹の音に反応したキョウレツな教室じゅうの視線をあびる。マンタロくんはそのとき、自分のほっぺたを押さえていた。ヤバイ、熱い。湖の氷水でも冷めてくれないごう火がまたやってきた。
「チルノちゃんっ」
 せまってくる姿がモウジュウにさえ見えた。もともと大きなずう体をしている分、勢いがすごい。となりのふすまを開けようとするけど、どうしてかうまくいっていない。このたてつけが良かったらアタイもまだ平気だったかもしれない。マンタロくんはすぐにあきらめて反対がわのふすまにとんでもない速度で走って、開けて、目をかっぴろげにしたとんでもないギョウソウでかけだしてきた。アタイは怖くなったんだ。ありえないのに、歯を光らせて四つ足で走ってきているようにうつった。クマだ! ありえないのに。
「うわああああッ!」
 来た道を走りだす。
「待って、チルノ、止まれ!」
 なぜか追ってくる。
「そっちが止まったら止まるよっ!」
 大声で提案する。
「オマエが止まったらオレも止まれんだよっ!」
 まだ追いかけてくる!
「なんでこっちに走ってくるの!?」
「なんでかそっちに走っていくからだよ!」
 どうにもこうにもかみ合わないやり取りをしながら、玄関のゲタ箱までバタバタと戻ってきて。
 ドシンッ──。
 だれかとぶつかった。
 あ、おめあてのニオイ。草が焼けたようなニオイがしみついた服。
「げっ、けーね先生」
 やっぱり。アタイとぶつかったのにぜんぜんビクともせず手を腰に当てている。
 マンタロくんは約束どおり止まって、言葉をつまらせた。「げっ」?
「違うんス。廊下走ったのは、あの、たまたまチルノちゃんを見つけて話しかけようと思ったら急に走りだすから……本当です!」
 廊下は走っちゃいけないって決まり、ああ、たしかにそんなちゅうい書きがあったかも。
 けーね先生はギロリとアタイとマンタロくんをにらんだ。
「とりあえず職員室に来い。二人ともな」
 一か月ぶりの再会をよろこぶって感じじゃなさそうなキビシイ声だった。
 アタイは体勢を起こしてしたがおうとしたけど、マンタロくんが。
「待ってください。コイ……チルノちゃん、むちゃくちゃ腹空かせてんです。家近いんで、メシとか持って来ます」
 お腹が空く。
 ああ、そっか。
 この、お腹がヘンに苦しくなったり奇妙な「ぎゅるる」って音を鳴らしたりするのは、空腹って現象のことだったじゃん。
 アタイはどんどん、どんどん人間に近づいているな。
「なんだ。てっきり万太郎君にいじめられたのかと思った。杞憂だったな」
「マンタロくんはイイ子だよ。体がおっきいからちょっと怖いけど」
 なつかしさあふれる、職員室のけーね先生の仕事づくえ。あいかわらずの散らかりぐあいだけどイスだけ座りごこちがいいのにおきかわっている。あいかわらず足が届かないからぶらぶら、ぶらぶら。けーね先生は他の先生の席に座っている。
 マンタロくんが家に行って帰ってくるその間、けーね先生のゴカイを解いた。するとキビシイ表情をしていたのがふわっとやわらいだ。軽く最近の街のことをおしゃべりする。そこでさっきの「妖精語」についてもしゃべった。
「ああ……まあ、不思議な言葉だ」
「どうしてはやったんだろ」
「さあな」
 けーね先生にしてはめずらしく、言葉はつまらせるし、まともに返してくれない。
 しーん。
 もともと紙がめくれたりたんすをあけしめしたりする音しかない職員室で、このチンモクはいごこち悪い。
「そういえば放学から一か月経ったのだったな。だから来たのだろう。また新たに学びたいのか」
「えっとね。きょう来たのはね、ちょっとききたいことがあって」
 アタイはちょっとせすじを伸ばした(ぶらさがる足もまっすぐ!)。
「カッパが悪いコトをするのをやめさせたいの。どうしたらいい?」
「河童……河童組のことか」
 すると先生の表情はまたぎゅっとひきしまった。
「たしかに、この頃の幻想郷の自然の乱痴気騒ぎの真因は河童組と世間が謳っている。〈妖怪の山〉に工業団地ができた時期とこの騒動もとい異変の発現時期はおおよそ一致するし、おかげで凶作続き。いくらかの森と川があられもない姿になっているとか」
「でしょ」
 べつに街のみんなは「自然ハカイはカッパのせいー」なんて〝歌〟ってはないと思うけど、そう〝歌〟いたくなるぐらいフシン感をただよわせているってことだ。アタイはあいづちを打った。
 だけど、けーね先生はアタイのその頭を指ではじくみたいなとんでもないことを言った。
「だが。だとしてこの河童の行いが悪質かと言われれば──それは疑わしく、言い切れないところだ」
「うんうん……え。なんて?」
「彼女らは敵ではないと言っている。その高い技術力を以て懸命に、勤勉に社会貢献する古馴染みの友なのだ。おかげで我々の暮らしは数年前に比べてずいぶん豊かになったものだ」
 そんな。けーね先生がカッパをかばうなんて。
 でもおかしい。前はたしか、先生もカッパ組にたいしてすごいうたがいの目を向けてたはずじゃ。
「なんで? けーね先生、カッパ組がアヤシイとか信用なんないとか、言ってたじゃん。ほら、土地ケンリがどうたらって」
「あの宿題はやってきたか」
〈一、じっさいのじょうきょうとくらべ明らかにおかしな点を指てきせよ。

  かっぱ組は学校を早く安く建せつするかわりに、寺子屋の土地けん利をようきゅうした。なお、寺子屋の運えいはそのまま行ってもよいとする。幻想郷の子どもの人口が多くなった今、新たに教育しせつをかくほできるのは大きな利点である。土地けん利を渡すため、研究しせつをしき地内に建てられたり、穴をほられたりしてはたまらないものの、私は利点を取って四か月ほど前にけい約を結んだ。かっぱ組の動向しだいでは寺子屋にはようせい、学校には人間とせきを分けなければならないだろう。

 二、悪いという言葉の良い面をせつ明せよ。

 三、ちるの通りに生きるとはどういうことか、りかいせよ。〉
 ポケットから取りだしたシュクダイの紙は折れまがったりはしっこがやぶけたり雨水を吸ってふやけたりしているけれど、文字は読める。アタイはけーね先生の仕事づくえに紙を広げ、たたいた。
「そう、これこれ! 土地ケンリなんてだいじなもの、カッパ組はけーね先生からうばっちゃったんだよ」
 じつはどうしてそこまでだいじなものなのかは理解していない。でもこのことになると色んな人がだいじそうな口ぶりで話すようになるからだいじなんだと思う。
「まだ気づかないのか」けーね先生はせめるように言った。「この寺子屋の土地を手に入れたはずのその河童がひとっこひとり寺子屋に姿を現さないことに」
 中庭、廊下、教室、もちろんここにも。言われてみれば、見なかった(逆にばったり会ったりでもしたりすぐ逃げだしてたけど)。
「……おかしいじゃん」
「そう、〝おかしかった〟んだ。何かしでかそうものなら警戒するが、何もしなければしなければで警戒する。契約から半年近く経った今──向こうの学校の工事の音がほとんどやみかけた今なお、こちらにはちっとも音沙汰なし」
「わかった! じゃあ学校の工事がおわったしゅんかんに寺子屋をメチャクチャにする気なんだ……!」
「まあ妥当、だが残念。我々はまんまと騙されたっ……! 河童はすでにこちらを侵略していた!」
「エエッ」
 先生が急に太ももをたたいて大きくどなるからびっくりして声がウラ返っちゃった。「こンちくしょうが!」っていかりというより「コイツは一本取られた」ってカンシンみたいだった。いったいどういうことだろう。
 先生はひじをまげて自分の背中がわ──職員室の出入り口、廊下の方を指さして言う。
「寺子屋の裏手には何が広がっているか覚えているか」
「えっと……いろんな人たちのいろんな家」
 ここに通ってくる子どもが出かけるのを見ることもある。もしかしたらマンタロくんもそこに住んでいるかもしれない。そろそろ来ないかな。
「そう住宅街だ。比較的新しめのな。何を隠そう、そこの土地の一部は河童組の有する所となっている」
「ええっ」
「さらにその住宅街の奥には何があるか知っているか」
「大きな公園があるよ。まさか」
「そこも河童組の私有地だ」
 カッパ組のれんさは終わらなかった。公園のさらに奥にある畑、さらに奥にある田んぼ、あき地まで、街にはカッパ組の土地でできあがった一本の筋が通っていた。その一本筋の先には──。アタイはシュクダイの紙にツメを立てた。ふるえがとまらなかった。
「さて、実に明解単純な問題だ。彼女らはいったいどのようにしてこの寺子屋に侵入したか」
「地面から」
「────正解。川の竜から土の竜の仲間入りを果たしたというワケだ」
 先生はクツ、アタイははだしの方を見おろした。
 一本筋の先は妖怪の山。つまり今日の朝までアタイがいたカッパ組の本きょ地だ。アタイはそこから脱出するとき、部屋のてんじょう近くのカベから地上の地面に抜けた。そこから伸びていたんだ。農家さんたちがせっせと田んぼや畑のおせわをする下、飼い犬をさんぽさせる下、みんなが生活して遊んだりする下、子どもや妖精たちがおべんきょうをする下、まるでどんぐりみたいに、外から少し穴を空けて、中身だけほってほってほりまくってった。
 けーね先生がそう気づいたのはアタイがホウガクになった後の、わりと最近。そこでデンワっていうキカイを使ってカッパにたずねた。職員室のカベに突きささっている黒いヤツだ。デンワは相手と声だけで会話できるものらしい。
 向こうの担当のひとは隠していたワケじゃないと言った。ケイヤクしたとき、「神聖な学び舎を冒すのはよろしくない」って意見があってじっさいにほるかどうかは決めてなかったから、話さなかった。だけど「別にいいじゃん」ってのもいて、担当のひとも知らないうちにけっきょく新しい部屋が地下に生まれちゃったみたい。そこは今、子どものためのおもちゃとかをつくるコウバになっているらしい。工業団地からはえる地下の一本筋はそうやって、いろんなせい品をつくるための場所になっていたんだ。アタイも先生も、街のみんなも、カッパ組印の商品が工業団地でつくられてはこばれていると思いこんでいた。まさか地面の下から植物のかわりみたいにはえてくるなんて。
「技術力の高さに限らず河童は戦略性に長け、市場の領域に限らず物理的な領域さえ次々と独占しようとしている。こうなっては『信用できるかな』じゃない。『信用するしかない』のだ。別段好意的になれないワケでもない。十分な実績があるのだから」
「でもっ……でもっ。それじゃ自然が──大ちゃんが」
「その『自然』だが……」
 けーね先生はアタイの前に指を一本立てて、言いはなった。
「先生は『自然』は壊れていないと判断する」
 それはだれにも思いつくことができない、受けいれられない、馬鹿みたいな考え方だった。
「そもそも自然とはなんだろうか。悠々と聳え立つ山、お日様の光射し清く流れる川、森や平原には植物が青々と茂り、動物たちが弱肉強食の仕組みのもと生を謳歌する。恐らくこの叙景を受けこの自然に疑問を呈するはないだろう。ところがここに人間が入ってきた。動物と森林を狩り尽くし刈り尽くし人里のような集落が生まれだし景観は大きく変わった。といってもこの景観もまた自然。現在の、〝人による〟自然だ。チルノが『自然が壊される』と言っているこの『自然』とは、人間が中心となって生みだした新たな自然のカタチになる。そして、我々がまた新たに迎えようとしているものこそが──〝人と河童による〟自然だ」
 アタイはけーね先生が好きだった。ズバズバと言って、イイカゲンなことを言わない、大人らしい先生はあこがれで、会うとき会うときソンケイした。
 でも今は、そんなはっきりと言ってくるのが、イヤだ。
「人による自然では一部の森が切り拓かれ一部の動植物の生態が脅かされた。だがどうやら人と河童による自然ではより大規模な気候の乱れ、河川の水質の大きな変容など、生物は生き残るのにさらに厳しい条件をくぐり抜けなければならない、そういう自然へと移り変わったらしい。もう後戻りはできない。これから生き残るには河童を受け入れ河童の製品を受け入れ、そうして河童と協調し合うことが必要だ。例えば茹だるような暑さ、魂の火も吹き消えるような極寒に耐えうる策としてはエアコンという室温調節する機械が販売されているらしい。今年の冬は火鉢で間に合わせるが、来年の夏からは取り入れていきたいところだな。このようにして自然に適応していけば」
「うっさいッ!」
 机をこぶしでなぐりつける。散らかった紙や小さな箱みたいなものをつぶした。
「アタイは〝大ちゃんの目が覚める自然〟にもどってほしいの! 大ちゃんがいない自然なんか……!」
「おい、よせっ」
 けーね先生は目の色を変えてアタイの腕をつかんだ。だいじな書類をやぶりそうになったのか。
 と思ったら、先生がだいじそうに手に取ったのは箱の方。
〈外界由来 ストレス・不安解消成分配合 煙草〉
 カッパ組印だ。先生の服にこびりついているニオイ。それが、どうしてか「その箱の中から」強く、濃く感じる。
 先生は箱の中身を確認して息をつき、アタイを見た。
「後戻りは、できないんだ」
 その姿は、アタイが見てきたものとゼンゼン真逆だった。両手の指のカゴにそのよく分からない小さな箱を包みこんで、どうしようもない、って、力をなくして肩を落とす、頼りない姿だ。
「その大ちゃんって妖精は変わりゆく自然に適応できなかったのだな。変化に身がもたなかった。妖精が昏睡するなど聞いたこともないが……ああ、これはもしかするとの話でありまったくのデタラメかもしれないが……〝現在の〟自然に必要なくなったからかもしれない」
 やめて。スイソクしないで。
「妖精は一人ひとり自然において役割を持っている。不可欠ゆえ仮に全身が消し飛ぼうが復活を果たす、とは有名だ。だが、もし今の自然において〝可欠〟なら」
「……ッ」
 目覚めるかもしれない可能性を、その頭のよさでヒテイしないで。
 先生をにらみつける視界がゴロゴロしだす。
「……ああ、いや、分からないぞ。復活や覚醒が見られなくともその役割が不要とは限らない。あるいは──他の妖精への力の継承があるかもしれない……ああ、でもその場合もその継承する妖精は要らなくなるということに……」
「もうイヤだッ!」
 机の上に置いてあったものを何もかも腕で振りはらった。イスから飛びおりて、けーね先生を押しのける。職員室の戸まで走る。こわれても知らないってぐらいの力で引っぱり、またかけだす。
 ゴンッ!
 目の前の頭に自分の頭をぶつけた。
 どうしてこんなところに頭があるのか。感情がはげしくあらぶっていた。こころがハリ山の上をチクチクと転がるような叫びたくなるキモチで、うざったくてうざったくてしょうがなかった。
「あ、チルノちゃん」
「どいて!」
 ソイツのことも「ドンッ」と突きだして走りだす。
 床になにかがドサドサとこぼれ落ちた。
 アタイはそれを踏みつけて通りすぎた。
 外に出て飛びあがってからしばらく、アタイの足にはずっと果汁のにおいがこびりついていた。

 一〇

 頭なんか良くったって、なんの解決にもなんないんだ。
 それよりもあっとうてきにカンタンな解決法がころがっている。
 強くなればいい。
 カッパに、勝てばいい。そうしてもとの、大ちゃんが生きられる自然にもどす。
 どうして気づかなかったのさ。
「チルノ、戻ってきた。でも、ぐるぐる、ぐるぐる、してるね」
 ルーミアのどうくつにもどって彼女に自分の思いをぶつけたら、そんな言葉が返ってきた。ぐるぐる? ルーミアがよく分からないことを言うのはいつも通りだ。言いたいことを言ってすっきりしたアタイは気にしないことにして、今日も眠る大ちゃんに向かって語りかけた。
「あのね、大ちゃん。だからね、アタイ、これからレミリアんとこに行ってたたかう練習をうんとしてくる。うんと強くなって、カッパどもをボコボコにする。そうすれば、きっと自然がよみがえる。そうなれば、大ちゃんも目を覚ます!」
 やさしく、つよく、大ちゃんの手をにぎる。抱きしめる。あたたかくて、ぽかぽかなにおい。ナニカって言えない力がアタイの体に伝わってくる。
 ──力が、移る?
 ……
 考えない。考えないよ、アタイ。考えたってどうにもならないんだから。
 あれ、でもこのアタイの手がかみなり雲をおさめたのって。
 考えないよ、アタイ!
 あれ、でもカエルとか風がアタイにものを教えてくれるようになったのって。
 考えないで!
 目をとじれば生きもののケハイが感じられるこの力って。
 考えるの、どっかいけ!
 急にそんなありえない能力がつぎつぎとこの手に入ったのって実は。
 ……やめてよ。
「チルノ」
 トウトツの空気の流れがほっぺたをなでた。
 草のベッドの上に寝っころがって大ちゃんを抱きしめる。その背後で、アタイの肩に手を、すーっとすべってハネを、支えるようについた。
「なーなーにょー」
 なだめるような声の色。なんとなく「だいじょうぶ」それか「心配ないよ」って感じ。聞きとれないはずなのに、そんな気がする。それは前にもあった感覚。
「ルーミア?」
「馬鹿ら考いぬらんねっとなーりゃん。ただ、いっこ、考いんねゃ」
 今度はちょっと聞きとれず、首をかしげる。
「聞けんねゃー? (吐息で笑う)、せっかく、勇気出したのに」
「ルーミアってもしかして……」
 その先を言おうとしたとき、上を向けているほうの耳をはさまれる感覚がした。ルーミアの熱い吐息が勢いよくかかって、かまれたんだって分かった。息は、動物の血のニオイがした。
「どっち、だと、思う?」
 動けなくなって、同時に思考も固まる。ほとんどまっくらやみで、水がぽちゃんとしたたる音だけ時をきざんでいる。ただかみつぶされるまでの時を。
「まあ、どーでもいいや」
 耳の吐息が遠ざかる。まだ熱は残ったまま。何を考えていたかもぜんぶ忘れた。ルーミアはもとのほっそい声で言った。
「言いたい、のはね。チルノ、は、馬鹿」
「え?」
「絶対に、馬鹿。チルノは、本来、たっ……たた、たった、ひとつのことしか考えられないアホ」
「言いすぎでしょ! アタイ、最近、けっこう、がんばってるんだぞっ」
「──無理してる。だから、そうやって、ぐるぐる、してる。目が回る、くらいたくさん、頭を回し、ちゃってる。考えるの、ダメじゃない。でも考えるの、ひとつでいい」
 ルーミアは暗闇の中、アタイの手を取って指をからませた。
「約束」
 ゆびきりげんまんだ。
「チルノが考えるの、大ちゃんを救うこと。それだけ」
 それはルーミアが大ちゃんを自分のどうくつでお世話することにうんざりした、いいかげん終わりにさせて、ってワケじゃない。アタイのことをおもって、言ってくれた。
「もし、何か、別のこと、考えなきゃいけない、なら、別の人、頼るの。余計なこと、考えないの。分かった?」
「……分かった」
 流されるまま、アタイはうなずいた。
 ゆびきりげんまん。ウソついたらはりせんぼんのーます。ゆびきったっ。
 約束しちゃったアタイはさっきまで「ぐるぐる」していたことを話すことになった。すると、ルーミアは聞いたこともないくらい大きな、でも細い声で言った。
「絶対に、その能力は、使っちゃダメ……!」
「なんで?」
「チルノ、考えないでいいこと! とにかく、ダメ! だよ」
「ほら」ってルーミアはまたアタイの小指をつかむ。これも約束しなきゃいけないみたい。
 ゆびきりげんまん。ウソついたらはりせんぼん……と熱湯一〇〇〇杯、
 え?
 とビー玉一〇〇〇コ、
 うげっ。
 とニンジン一〇〇〇本、
 むりむりっ。
 と雷一〇〇〇閃、
 入んないよ!
 と砂と毛虫とカエルの死骸すりつぶして練り込んだ飴玉一〇〇〇コ、
 いやだーっ!
 とおかわりではりせんぼんのーます。ゆびきったっ。
 どうくつにはアタイとルーミアの笑い声がひびいた。そうしてアタイは大ちゃんのとなりで眠りにつく。だけどルーミアは、そこからはなれるように言った。
 そう。そこからはなれるように言ったんだ。

 一一

 ズドン、ズドン。
 レミリアおじょうさまの弾幕が飛んでくる。湖にはった氷にいくつも穴があく。アタイは攻撃をすり抜けて接近し、おもいっきりなぐりかかった。
「ねえ、チルノ」
 こぶしを受けとめながら問われる。
「強いって、どういうことか分かる?」
 なんて? 答えているヒマはない。姿勢をかがめて足をすべらせる。うまくすくって相手を転ばせた。数えられっこない色とりどりの弾幕を浮かばせ、まとめて相手に放火する。
 相手の尻もちつく湖の面の氷に触れたとたん、はじける。何万の氷の破片が飛びちって水しぶきが高く舞う。そこで瞬間冷却して閉じこめてしまう。あられが降る。
「勝ったッ……」
 両手をかかげて特大の一球を生み出す。「くだけちゃえ」全身を使って思いっきり投げた。
 反動で湖の氷上をすべる。いっしゅんだけできた氷の山はこなごなにくだけちった。光って、爆風がして体勢をくずし、おしりをついたままさらにつつつとさがって中央から岸の方まで来た。目の前にかぶせていた両腕をはずす。
「う、ぐ」
 のど元に熱が走った。
「投降か、死か」
 白く、赤く、黒く、かがやく槍のきっさき、見下すひとみ。──あー、負けた。
「し」
 アタイが言うと、アタイはしんだ。
「ヨシ」とか「アシ」とかって言う丈夫な草がゆれているところから視界はあけた。手をにぎにぎとして動くのをたしかめてから草を引きよせ、かみちぎって寝たまんまはしっこをくわえた。
「回復が遅くなっているわ」
 レミリアは膝を折ってアタイのそばに丸くすわっていた。
「大地の力が弱まっているのね。いずれアナタは復活すらできなくなるでしょう」
「ぷー」そのほうがいいかもね。大ちゃんといっしょにナカヨシコヨシ、眠られる。
「でもきっと、霊夢たちが何とかしてくれるわ。今回の〈異変〉は、やりすぎだもの。総力を込めて元凶を根絶やしにしてくれるはずよ」
「ぷうー、ぷ」期待してないけど。なんにも知らないクセに。
「だからアナタがこうまでして強さに固執する必要はないの」
「ぷぷぷー、ぷぷ」負けてばっかだからってそんなこと言わないで。アタイがやんなきゃいけないの。
 と鳴らしたら取りあげられた。それか、アタイが吹いているのを見てほしくなったみたい。
「チルノ」レミリアはきいた。「強いって、どういうことか分かる?」
「アタイは強くないっていうこと」
「質問と噛み合ってないわ。アナタにとって『強い』とはどういうことなのかを訊いているの」
「アタイにとって強いのはオマエだぞ」
「はあ……もう」
 草の笛を指のあいだでするすると回しながら、とんちんかん、って言われた(「ん」がいっぱいだ)。何を馬鹿にされているんだろう。アタイはもうとにかく強くなることしか頭にない。レミリアは強い。アタイはまだ強くない。アタイが求める『強い』はレミリアの強さなんだから。
「質問を変えるわ。どうしてアナタは強くなりたいの」
「アタイが強くないから」
「本当に? アナタ以外の妖精はまずそんなこと考えないわ。どうしてアナタだけ」
「だって」アタイは言った。「アタイは馬鹿だから」
 馬鹿でいい。
 冷静な他の人には、馬鹿なのだろう。アタイががんばっていること。アタイがつらい思いをしていること。指さして、手たたいて、馬鹿にするんだろう。アタイ自身馬鹿だって認めちゃったんだから、まぎれもないショウシンショウメイの馬鹿だ。
 馬鹿だろうが天才だろうが、大ちゃんを救えるなら、なんだっていい。
 そんなカクゴをこめた言葉は、なっとくしたみたいなそうじゃないみたいな「ふーん」で返された。それからレミリアは指で回していた草の笛を吹いたけれど、空気だけスカってもれた。秋の虫たちは、声をあげている。
「仲間がちょっとしか生き残ってやしない。どうなってんだ」リリリリリ。
「凍えちまって動けねえ。助けてくれ」リリリリリ。
 氷のような音色だ。もう、勝手に聞きとれちゃうんだから、どうしようもない。ルーミア、ごめんね。
 レミリアとは師弟のイイ関係をいかして毎晩まいばん「おけいこ」に付き合ってもらっている。だけど、どうして強くなりたいのかっていう理由はくわしく伝えていない。ちょっと深めのワケがある。っていうのは、レミリアの家はこんどカイチクコウジをするみたいなんだ。カイチクコウジっていうのはようするに、家をおやしきぐらい大きなお家に大工事しちゃうってこと。だれがするのって、もちろんカッパ組。あの家はカッパ組がかってに霧の湖のほとりに建てたものだ。従者のめーりんが霊夢のとこからお礼としてもらってきたお金がものすごい金額だったみたいで、家具もろくにそろえてなかったはずだけれど家のほうを今の何倍も大きくする予定なんだって。
 そんななのに「カッパ組をたおすために」なんてこと言っちゃそっぽ向かれちゃう。今までの戦いの練習をさらにジッセンテキに強化してもらってなんじゅうなんびゃくとくりかえしてきた。一回もレミリアには勝てていない。それでもあきらめずに戦いをいどみつづけるアタイには疑いっぱなしなんだ。
 レミリアは近くの大きな倒木に飛びのって言った。
「にしても、荒れたわねえ」
 戦えば、もちろん弾幕が飛ぶ。弾幕は妖精の遊び道具。だけどキモチをこめてぶん回すからキョウレツな威力になる。能力を使えば湖面はぐちゃぐちゃに、氷の破片も飛びちる。やられて吹きとばされて地面はえぐれ、草花が折れて木はたおれる。たぶん、動物や昆虫もたくさんまきこまれている。
 どうだろう。このままここで戦う練習をしつづけるのはいけないんじゃないか。霧の湖をたくさん傷つけて、それは、マズい? 「景観澄み透り、棲みよき湖畔が台無しね」レミリアもああ言っている。
 考えるのがめんどうくさい。
 アタイが悪いカッパどもをとっちめればぜんぶ済んじゃうんだから、きっと、どうだっていい。
 それよりももっと気になることがある。あれはレミリアといっしょにおじょうさまたちのメイドをさがしに飛んだ夜。妖怪の山のはげしいしみる雨に打たれながら出会ったカッパが、アタイが「自然をメチャクチャにして!」と責めるとほんとうにもうしわけないってふうなたいどを取ったこと。
 認めるの? 認めるんだったら、どうしてそれでも自然をメチャクチャにする活動を続けるの? これはきっと大ちゃんにも関わる重要なこと。
「そうだわ。館が建ったら使用人をたくさん呼ばないと」
 上から声。倒木の上で、ついにアタイの草の笛を鳴らすのをあきらめて捨てたレミリアが声を上げた。となりにおなじように飛びのりながら。
「シヨウニン?」
「要はメイドのこと。今はめーりんただ一人に料理も買出しも洗濯も(このあたりから指を折っていって)掃除もでしょう、あとお庭の剪定〈せんてい〉に夜警、パチェの身の回りの手伝いもさせているし、空いた時間に門番も……いくら彼女が優秀でも館中面倒見廻ってちゃあその目を回してしまうわ。アナタはわたくしの遊び相手であったり心の休まりどころとしてお仕事を全うしているけれど、アナタのお仲間にこちらで働く気概のある者はない?」
「……さあ」
 友だちとだったら楽しいのかもしれないけど、さ。みんな、最近はどうしてるだろう。
 ──そういえば、ひとつ「ザンネンなお話」がある。
 アタイたちがさがしていたあの、フランおじょうさまといっしょに幻想郷に迷いこんだあのメイドは、もうしんでいる。いっしょにさがして死体を見つけたワケじゃない。だいぶ日がたってもうどっかでノタレジニしているだろうって決めつけたんでもない。アタイがいっしゅんだけ見かけていたんだ。
 あのカッパ組の地下シセツで。
 あの草の色とは似ても似つかない緑色のジッケン容器の中に。あそこに閉じこめられていたのは女の子だった。はだかだった。そして、まっ白いおかみをしていた。青いひとみがうすく暗くうかんでいた。アタイが伝えたたったそれだけの特ちょうでレミリアはザンネンな運命をお察しして、受けいれた。「そんな運命は感じなかったのだけれど」とくやみながら。その横で、アタイはさらにさらにカッパへのいかりをためこんだもんだよ。
「どうする? もう一戦交える?」
 と首をかたむけてくる。
 うなずこうとする。
 ビユウウウゥゥゥ────
「これからかみなりぃ、それからぁ、ゆきもようなりぃー」
 ぴゅいいいぃぃぃ────
「風が吹いてきたわね」レミリアは前がみに手を入れる。
「だね」
 その夜のおけいこはこれで終わりにしておいた。
 来る晩来る晩、いっしょうけんめいぶつかってまき散らして、そうして戦いまくった。お昼の間は眠るか、街に来て上空を行き来していた。
 カッパ組のせい品がどこからわきだしているか探っていたからだ。けーね先生が言ったとおり、見つけだしたせい品の出どころは妖怪の山から寺子屋までをむすんだ一本筋にある穴とか小屋とか建物の中からだった。きっとそこから地下に続く階段かなにかがあるんだ。運び屋さんが出てくるところをいつもチョクゲキするんだけど、決まってしっしと追いかえされるから中のことは知らない。ちなみにその運び屋さんはみんな人間、たまに妖精。妖精だけってことはいちどもなかった。妖精の子のひとりは〈飲料類〉とかって書かれた箱を台車にのせながら、ここではたらいてお金をもらって、それでじうすやけえき買うんだと言っていた。カッパ組はダメだなんて言ってもコイツらはみんな分からず屋だ。
 ようやく寒さが安定してきたころのお昼、なんとなく地上におりていくつものお店をチリンチリン、カランカランと回った。お買い物を楽しもうってキブンじゃあない(アタイのポケットはあいかわらず一円二〇銭。かき氷一〇〇ぱいはいけるけど、この時期は売ってない)。商品だなにならぶカッパ組印を見て回っていた。カッパ組は自分たちのお店を持っているんじゃなくて、色んな種類の商品をつくって色んな種類のお店においてもらっているみたい。ハデなもようが箱や袋にしてあるから見わけるのはカンタンだ。
 チリンチリン──
「らっしゃい」と入店したのはお薬屋さん。ここには。
「何をお求めかい。妖精に効くかは知らんが、お医者じゃ出してくんないモンもつくるぞ」
 どうやらここはお薬をならべて売っているんじゃなくてお客さんの相談を聞いてお薬をつくるところみたい。だったら用はないや。
「ごめん、おっちゃん。ここじゃなかったや」
 気まずくなる前に背中を向けた。
 チリンチリン──。しゃん、しゃん──
 出ていく前に新しいお客さんが入ってきちゃった。ん?
「すみませーん……」しゃん、しゃん……
 同時に叫んだ。
「わあ、チルノちゃん!」
「わっ、小鈴じゃん!」
 本屋さんとこの、ナントカ小鈴が口に〝おおい〟をして外に出てきているなんて。「ひさしぶり」と言うより先に、そういうおどろきだった。たしか、小鈴の親、特にお父さんは小鈴を家からなかなか外に出そうとしないガンコ者みたいな人だった気がするけど。
 話を聞くと、小鈴が出かけているのはその親カンケイのことらしい。家出?
「違いますからね! わたしは非行になんか走りませんよ!」
 そりゃ〝飛行〟するなら走らないだろうけど、何の話?
「色々勘違いされている気がしますがとにかく、わたしのお父さんとお母さんが二人ともこの寒さ祟ってか病気して寝込んじゃったんです。お父さんの普段の言いつけもこのときばかりは守ってもいられません。わたしが看病しなくちゃ。なのでキチンと効くお薬をいただきに参りました」
 お薬屋さんのおっちゃんが身を乗りだした。
「おやまあ、それは大変だッ……強いのを調合してやろう。どんな症状だね? ──」
 特せいのお薬ができると、アタイと小鈴は〈リンリン堂〉へ向かった。アタイはあっためておいたお部屋を冷やしちゃうってえんりょしたんだけど、小鈴は身を寄せて言った。
「実は心細かったんです。一人でおつかいなんて初めてで、通りを歩くのも怖くて……実はさっきも、薬種屋さんの前でずっとうろちょろしてたんです。入ってから何をすればいいのか頭の中でよおく考えて再現して。そんなこんなしているとまさかのチルノちゃんが現れてすうっと入っていって、つまり偶然を装って後から追っていったんです。友達がいると安心して話せますね。ほんとにありがと」
 ほら、考えるのは良くない。
 ただただかしこくて明るい女の子だと思っていた。そんな不安いっぱいでふるえることがあるなんて──。汗ばんじゃうからあまりトクイじゃないけど、家までは手をつないであげた。家に着いてからは、ムアッとキョウレツな暑さに手をふりはらっていっかい外で能力を強めてから再入店した。いちおう足のうらははたいておいた。
 小鈴は「お料理をする」とおくの部屋へ。アタイもついていこうとしたけれど、電球の消えたうす暗い店頭で足がとまる。本の山があった。五、六だんくらい積んである上のを取った。パラパラパラッ。
〈公園の片隅で木漏れ日を楽しんでいる時、貴方は妖精の発する「奇怪なことば」を耳にすることがあるだろう。〉
〈だが標準な言葉づかいをすることもある。どういうことだろうか。彼女らは意図して使分けているのだろうか。答は否。これらは言うなれば押並べて妖精語なのである。〉
〈暦は晩秋へ。眺めは初冬へ。これもまた異変か悪戯なるか、さりとて彼の異変の残響にして本書の出版はやや悠長の勘を否めない。本居店主はじめ、一般に触れるべく協力添えいただいた方があった。最後に格別の御礼を申し上げる。(二〇〇〇年一一月一日 上白沢慧音)〉
 パタンッ。
 すうっ。
「妖精語はやらしたの、先生じゃん」
 本を脇に抱えてアタイもおくの部屋に行った。
 おくからはおいしそうな料理のいいにおいが……しない。
 台所に行くと、小鈴がかまどの前でじっとすわってお顔をつきあわせていた。クルッとこっちを見る。おおいをしているけれどすけるような、ものすごく気まずそうなニターッとした表情。
「ね、ねえ、お米ってどうやって炊くんでしたっけ」
 そんななのに看病しようと思ったんだ。ユウカンだけど……あんがい、アタイのお仲間? 家族おもいなのにちがいはない。けどアタイこそお料理のことはさっぱりだ。お母さんにきいたらどうかと言ったら「寝てるのに起こしたくない」だって。
「もっとお母さんのお手伝いしておけばよかったなあ。本ばっかり読んでなんにも家事してこなかった。女の子なのに。見苦しくてごめんなさい」
 メガネを取って目もとをふいている。からんと小さくかみかざりが鳴る。
 ぜったいになぐさめなきゃダメだ。こんなに赤っぽいおかみと赤白のぱっと明るい服なのに見るからに「青暗い」姿に落ちこんじゃっている。
「まあ、まあ」
 ですませていいの? もっと、もっと「ドーンッ」とした気のきいたヒトコトを言いたいのに。
「あ。アタイの知り合いで家事のおてつだいしてくれる人をさがしてる(吸血鬼? 妖怪? ま、いっか)人がいたぞ。だれでもいいみたいだし、もしよかったらそこでシュギョウしにいってみる?」
「……ありがと。気が向いたら、紹介してもらうかも……しれません」
 今後、レミリアおじょうさまに小鈴を紹介する日は、二度とこなかった。
 けっきょく、気まずい。台所は、食材はあるけれどお料理の火の音も水の音も包丁の音もなんにもしない。まるで、家ぜんたいが病気になっちゃったみたいにひどくしんとしている。
「──ごめんくださーい」
 とまった空気にまた流れをつくったのはアタイでも小鈴でもない、来客。っていうか。
「あ。はーい!」かけだす小鈴。
 待って、この声って。
 アタイも小鈴の背中を追う。本屋さんの部屋と家の廊下の出入り口のあたりで小鈴は急にとまった。おもいっきり背中にぶつかる。
 お店の入り口の方──やっぱりそうだ。
 小鈴はそっちを見てあわあわと、急いでおおいを脱いで口から泡を出しちゃいそうなくらいアワアワとして言う。
「わわわわわ、み、巫女様。ははは博麗の巫女様。ようこそ『鈴鈴堂』へおいでくださりまして、誠有難きに候《そうろう》」
「やっほー、霊夢」
 こんな気軽なあいさつじゃマズかったのかな。片手を腰にあててぬさをもう片手にさげている、いつもの服そうの霊夢は少なくとも、気にとめてなさそうだった。
 小鈴は「アワアワ」と電球のスイッチを入れに飛びだす。
「やっと見つけたわ」ぬさの先を向けられる。
「え、アタイ?」
「ええ、アンタ」
 本じゃなくて、アタイ? まわりがパッと明るくなった。霊夢のどうどうとしたお顔、というか無表情がくっきりと見える。
 白くて赤い高級そうなふうとうを取りだした。
「まずはこれね」
 アタイにくれるらしい。あけてみる。ん? 一、二、三、……
「一〇円!? いいの?」かき氷一〇〇〇ばい分!
「先日参道の落葉掃きを手伝ってくれたお礼よ。渡し損ねたから」
 それにしたって、氷売りのおっちゃんとこではたらいていたときのお賃金三日四日分だ。神社のおそうじなんか数時間くらいだったのに。
「そのついでなのだけれど」
 アタイの肩に手をついて霊夢はたのみごとを言った。
「アンタたち妖精の『弾幕』とやらの扱いを私に教えなさい」

 一二

「まさか巫女様に霊験あらたかなる手料理をいただけるとは。地獄の縁を彷徨う魂も瞬く間に引き上げられるような温もりで、ああ、ありがたや」
「あんまりかっ込んじゃ毒になるわよ。どうかご自愛なすって」
 小鈴の両親の寝間。なんの前ぶれもなく博麗の巫女が現れておっかなびっくり、お父さんもお母さんも目をこするヒマもなくかっ開いてやっぱり小鈴みたいにアワてちゃったけど霊夢の料理を「ありがたや、ありがたや」ってしあわせそうに口にしている。寝間の中が暑すぎるからアタイはそんなようすを廊下からのぞいていた。
「なら私はこの辺で。用があったのはそこの妖精なの。お気遣いは不要よ。そんなもん用意している余裕があったらさっさと治してちょうだい」
 霊夢はぬさを拾って歩いてくる。
 その背中でお父さんが「ハハア」と頭をさげた。
「博麗の巫女様」
 そう呼びとめたのはお母さんのほうだ。
「何?」振りむく霊夢はいらだっているようにさえ見えた。
 小鈴のお母さんはおふとんからたたみの上に正座しなおして言った。
「無礼千万な献言致しますこと、どうかおゆるしください。しかしながら。若き娘を持つ母として二十路《ふたそじ》足らぬ貴女様の身を案じずにいられますでしょうか。ゴホッゴホッ……失礼。こたび。巫女様は娘から悪寒に震える私どものことを聞き及び、なんの見返りも求めず、丹念な滋養強壮の手料理をおふるまいになりました。大変美しい所業に感極まるることです。ですが、これは巫女様の品位を損なう〝おふるまい〟になりかねません。私ども凡庸なる庶民との距離が近くなってしまう。巫女様の神秘はさらなりと言えどもそれが穢されかねないと申しておるのです。博麗家の方々はどなたもあまりに偉大で、気品高く、由緒を継ぎつつ幻想郷の守護者として大義を全うし、そして幻想郷の統治者として安寧を築き上げてきたと聞きます。実際かくのごとくして現在があるのでしょう。私は物心つく頃から先代の巫女様お治めの下暮らしておりましたが、あの方はとにかく無法者に容赦がない、良民であっても畏怖する厳しいお方でした。だからこそ世は平安でした。もしかするとお耳にタコができるほどその先代様に諭されているやも。貴女様はお優しすぎる。お姿は若かりし頃の先代様と見紛う麗しさなれども、冷厳さはというと、それは雰囲気を装っているのみ。人のうちに囁かれた『鬼巫女』の仮面をただ借りてきたのみ。いずれやお隠れになった日に崩れる偽りの品であり、さらでも、実情、すでに貴女様はまったく親しみやすい」
「これ、おまえ、黙らんかッ! ゴホッ」
 お父さんが、お、や、と何度か口をはさもうとしてようやくすべりこんだ。
 まただ。また霊夢はだれかにしかられる。アタイに、めーりんに、霊夢のお母さんに、そして小鈴のお母さんに。こんどのことはどうしてしかられているのかアタイには分からないけど、いいかげんうっとうしいと思っているだろう。
 霊夢は変わらず無表情だった。
「ご忠言どうも。ならとっととこの家から退散すべきね」
 アタイの脇を抜けて歩いていく。
「アンタも来るのよ」
「あ、うん。えと、おじゃましましたっ」
「た、祟られるぞおおぉぉぉ……ゲホッ、ん、んんッ」
 まくらの下でおびえる小鈴のお父さんをシリ目に、アタイもリンリン堂をあとにした。
 外にはちょっとした人だかりがあった。霊夢の方を見て「何かあったのだろうか」って感じ。
 霊夢は無視して真上へ飛びだし、アタイもついていった。ハネもないのにけっこうな速度で飛んでいく姿はなんだか不自然だ。
 人けがないところに行きたいらしい。それまでは空を飛びながらてきとーにお話する。
「霊夢のお母さんはあれから元気になったの?」
「元気とは言いがたいわね。安定はしてきたわ。衰弱して布団から起き上がるのも一苦労だけれど、私は見廻りしなくちゃならないの。アンタのことも怨んでたわよ。アンタの能力のせいで極寒の思いをして、しかも火鉢を使えなくしちゃったから」
「うひゃー、それはゴメンナサイ。だけどっ、あのときは霊夢のお母さんがいろりの方にこけちゃってたいへんなことになりそうだったから……!」
「ええ、そんなとこでしょうね。あの人は自分のことを棚に上げがちなの。むしろ私のほうから礼を述べたいわ」
 霊夢の口調は、母親にあきれているようにしか聞こえない。今は少し、仲が悪いのかも。
「弾幕の使い方を教えてって言うけどさ、べつにアタイじゃなくてもそのへんの妖精が『弾幕ごっこ』してるのにまじっちゃえばよかったのに」
「〝その辺の妖精〟、ね。いくらか接触したわよ。でもアイツら、まともなやり取りができないのよ。『弾幕の使い方を教えなさい』と言えば私に向かってその弾幕を撃ちつけてくるし、『どうやるのか』って訊いても変な言葉づかいしてきて煩わしい。何の妖精か知らないけれど話してたら私を眠らせようと能力を発現させる餓鬼もいたしね。私の知る中でいちばん賢くて理性的なアンタじゃないと無理だと思って捜したの」
 そう言われて、悪いキブンにはならなかった。
 かしこい。
 アタイがかしこくなったのは、アタイがかしこい環境にテキオウしたから。テキオウの言いかえはジュンノウ。そしてけーね先生は、アタイたち妖精が持つこういった特ちょうを〈妖精の大順応〉と名づけた。
 さっき聞いた話だ。霊夢が小鈴のお父さんとお母さんのためにお料理を作っている間、アタイが脇に抱えて持ってきていた本に目をつけた小鈴が内容のサワリを教えてくれた(こういうことだよね、ルーミア)。
 けーね先生は前々から妖精のフシギなセイタイについて気になっていて、寺子屋で教えるついでによく観察していた。その中でも特にフシギなのが妖精のしゃべり方だった。妖精は人間とおしゃべりするときはあまり問題なく、ちょっと聞きとりづらい鼻声っぽい子どもらしいしゃべり方をする。だけど妖精どうしでおしゃべりするとき、あきらかに存在しない言葉を口にするんだって。先生はそのことをシテキしてみた。だけど、その妖精たちに存在しない言葉をしゃべったジカクはなかった。どうしてこんなことが起こるのか、これが「妖精語」の入り口みたい。結論は「妖精は〈大順応〉によって無意識に場に適正な話し方を選択する」。妖精は暑い、寒い、まぶしい、暗いっていう環境の急な変化にすばやくテキオウするのは有名な話で、それがしゃべり方にも表れているのだ、と。まさに大順応。この能力というカセツは、氷精の一人──アタイの協力した実験によってもシジされている。
〈実験開始当初、氷精は十にも満たぬ知能年齢であった。だが読み書きそろばんを中心に集中的な学習を習慣化させると僅か一か月で語彙、論理的思考性、集中力並びに精神性が働き始めの若年のそれと大差なくなった。教室に通う妖精と比肩しえぬ成長速度、必要だったのは周りに子どもも妖精もいない職員室という学習環境である。教師のみ作業に徹するはずのこの場において異分子たる氷精は自らを教師並みの知能に適合させるしかなかったのだ。──〉
 だからだ。だからけーね先生はアタイをおざしきの教室じゃなくて職員室に通わせたんだ。そんなにかしこくなったって鏡を見ても変化は感じないけど、よけいなことまでたくさん考えるようになっちゃったのはたしか。そのついでで最近はやってる妖精語を逆にアタイは話さなくなった(せいかくに言うと〝人間にテキゴウした〟妖精語になった)。
「ねえ、霊夢。アタイは変な言葉づかい、しなくなった?」
 霊夢はちょっと首をかたむけて考えた。
「どうかしら。アンタは元からそんなにひどい言葉づかいじゃなかった気がするわ。と言ってもアンタと初めて会ったのが数か月前だからそれより前がどうでも知らないわよ」
「そっか」
 妖精と話すとどうなるのかは知らないけど、人と話すぶんには問題ないみたい。もともと人にとって変じゃないっていうのは、もともとせい氷のお仕事とかで人とたくさん関わってきたからかもしれない。この変わっていく自然でもまだ元気にやっていけているのはそういうことだから……? そのショウコに。アタイや寺子屋の妖精はあい変わらずはしゃぎ回っているけれど、季節の妖精は────ダメだ、ルーミアとの約束をやぶっちゃう。これは大ちゃんを救うのに関係ないことだ。
「さて、この辺でいいでしょ」
 弾幕の練習に選んだのは山の岩場。でこぼこして教えるのにあまりかいてきじゃないけど人けも〝動物っけ〟もない。
「教えるのはカンタンだからいいんだけど」アタイはきいた。「どうして弾幕がうてるようになりたいの? もしかして、弾幕の力でカッパ組をボッコボコにたおすとかっ。やっと霊夢もその気になってくれたの?」
「そうね、似たようなものよ。少なくともアンタの害にはならないわ」
 意外と期待できるかも?
 魔法使いの魔理沙をふくめて「騒動解決チーム」はいつまでたってもカッパ組に対して戦うしせいを見せてくれなくて、ずいぶんうらぎられたもんだ。魔理沙とかしばらく見てなくて何やってんのって感じだし霊夢のお母さんの印象は下がりっぱでも、霊夢のことは信じなおして、弾幕ごっこの授業を始めた。
「────弾幕はキモチがすべてだよ! 自分の内がわにあるチカラを自分のまわりでギョウシュクさせるってキモチでっ!」
「ああっ、何よその説明ッ! っはあッああ……! アンタも大概意味不明だったわ!」
 霊夢の周りを赤白い光の球が一〇〇、二〇〇、ううん、もっとかも。岩場をおおいつくしていく。
「っとぅわあ!」
 ビュンッビュンッ!
 それが霊夢の合図で弾幕となって風を切る。
 ドッカーンッ!
 大岩にはげしくうちつける。無数のがれきが飛んできてアタイたちをおそう。
「ちょっ」
 そんなことは分かっていたからすぐさま霊夢の前に飛びだしてごっ寒の冷気をかぶせてやった。すると凍ったがれきはそのままアタイたちの前にゴロゴロと落っこちていった。
 振りかえって言った。
「ねっ、カンタンだったでしょ!」
 教えている人がせいかを出すのはうれしいもんだ。けーね先生もアタイにはそんなふうなキモチだったんだろう。ニコニコとほめたたえてやった先で、霊夢はお膝も背中もたたんでしょぼんだようにたおれて息をついていた。
「簡単というか……感覚は掴めたけれど……自分の体力を千切って投げるかのようだわ……ぜえ、ぜえ」
「よけいなチカラ使ってるからだよ。もっとらくにテンカイするのよっ、ほら!」
 両手をかかげて天をおおいつくしちゃうぐらい、いっしゅんのうちに一〇〇〇、二〇〇〇の光の球を生みだしていく。雪の結晶みたいな形にととのっていった。
「わあ、きれい」
「きれいなだけじゃないよ!」
 霊夢は子どもみたいに声をあげる。アタイは弾幕を空にうちあげて灰色の雲をつきやぶって見せてやろうと思った。だけど思ってもみないことがあった。
 なにかのケハイがこっちへ向かってくる感覚がしたんだ。それは悪いゾクゾクするようなものじゃないけど良いモノのケハイとも言えない。思わずその方向を見た。
 人でも動物でもない────妖精だ。妖精が弾幕みたいないきおいでつっこんできた! しかもアタイがよく知る。
「うきゃっ」
「な、スター!?」
 だれもいないこのさびれた岩場にとつぜん飛びこんできたのはスターだった。ってことは、アイツらもいるんだな。またアタイにイタズラしかけようとたくらんでるんだ。とっちめてやる!
 アタイはちょうどかまえていた弾幕をスターに向けて放った。
「ひっ、しんばちょー! せんばちょー!」
 そう叫びながらひょいひょいと岩の上をとんだりはねたりする。なぜかよけるばっかしで向こうからこうげきはしてこない。ケンカだろうが遊びだろうが、弾幕ごっこはおたがい数えきれないほどやってきている。スターだってそのひとり。そんなアイツがよけるのに集中しちゃったらあわててもなかなか当たらない。
「当たれ! あっちいけ!」
「ちょっと、やめなさいよ!」
 大岩のかべの方へ追いこめたと思ったら視界のはしから霊夢が出てきてスターをかばった。
「じゃまっ!」
「いきなり攻撃するとは何事よ! しかもアンタの仲間でしょうが」
「ソイツはテキ! ルナとサニーもきっとかくれてるけどソイツらもテキ!」
 ま、アイツらが能力を使って隠れようたってアタイの「心の眼」には見えるんだけどね────使っちゃよくない? まあ、ちょっとだけ。
 ……あれ。
 見えない。
 アタイは目を閉じてサニーとルナがどこにいるのかさぐった。でもまったくケハイをたどれなかった。どういうこと? スターひとりでアタイをイジメようとこっちに飛んできたってこと? あの三人がはなればなれになるところなんかほとんど見たことないのに。というか、スターはこっちに「飛んできた」と言うより「ふっ飛んできた」みたいなふんいきだった。
「とにかく弾幕を納めなさい」
 霊夢の強い言い方にしかたなくあまった球をてきとうに空に放った。あたりがさらに冷えてちょっとメイワクそうにした。
 霊夢の背中にかくれたスターにたずねる。
「スター、何かあったのか?」
 スターの表情ははっきりおびえていた。
「……わたいっち、しれんととようせきゅうにきちょーてきっちょうたうっ。チルノちゃん、たすけて。サニーとルナと、みないでがっちゅきおうてもかてんばー、なんしんようちゃらいいけえわかっちゃらん……」
「ごめん何言ってるか分かんない」
 ものすごく困っているってことは分かる。でもアタイも困ってるし、霊夢はもっと「は?」ってなってる。
 あらためて、すごい言葉だと思う。これがけーね先生の言う「妖精語」で、スターがとうぜんのようにアタイにそれを使うってことは、アタイは前まで「コレ」をしゃべって会話をセイリツさせていたってことだ。それでどうして今のアタイが「コレ」を理解できないのかって言ったら、小鈴によると、けーね先生によると、向こうが〝妖精のための妖精語〟をしゃべってアタイは〝人間のための妖精語〟をしゃべるから。逆にどうして向こうこっちの言葉が通じるのかって言ったら……さあ。
 霊夢はどこか笑うような声できいた。
「えっと、スター? って言うのね。私は霊夢と言うわ。アンタを助けたいと思っているの。何があったのか、落ち着いてもう一回言ってくれる?」
 スターの妖精語があわてているせいだと思ったみたい。なんど試してもいっしょだよ。
 アタイはこころのなかで首を振った。
「……霊夢さん。あの、だからあ、知れん人と妖精急に来っちょーてわたしらの棲む木、伐っちょろーしっちょーけえ。皆《みない》でがっつきしっちゃら勝てんばった、どなんしーきゃ分からんちゃ、お助けくんりゃあ……」
 おっ?

 一三

 アタイが霧の湖にすむように、スターたちは森の大木にすんでいた。そして前に木こりのおじちゃんが妖精をひきつれて霧の湖の周りの森の木をばっさいしていたように、スターたちの家をだれかがかりとろうとしているらしい。
 そのことがなんとか聞きとれたアタイはまだ「は?」の霊夢に伝える。
 すると霊夢はすぐさま飛びだした。スターがふっ飛んできた方向へ。
「速ッ」
 アタイは霊夢の能力を見くびっていた。「空を飛べる」だなんて、めずらしくもなんともない。だけどその速度は、アタイたちがハネで空を泳いでいるって言うなら、霊夢は能力で空をけって走っている。
 アタイとスターは後を追った。
「サニーとルナは?」
「さあ……みないべっぽーこにぶっとばってんなん?」
「そっか」
 うん、やっぱりアタイと話すときはちゃんと元どおりだ。きっと「さっき霊夢に話したみたいに言って」って言ったって、スターに話し方を変えることはできない。ジカクがないんだから。アタイだって、そうだったんだから。
 聞きかえすのはよして、それより飛ぶ速度をあげてスターたちの家に向かった。
「……ッ! よけれっ!」
「へ?」
 いきなり首をつかまれて、ガクンと高さを下げさせられる。
 すると頭の上を大きな岩みたいなものがすぎていった。いや岩じゃない、妖精?
「きぃきりばったようせーさー」木をきっていた妖精だよ?
 妖精はミガルとも言えるけれどそのぶんふっ飛びやすい。だれかに力強くなぐられでもしたら、あんな大砲みたいに飛んでいくんだろう。ってことは、もう霊夢が戦っている? そう考えている間にスターたちの巨大な巨大なお家が見えてきた。
 ──ダァーンッ!
 最悪な音がそこから鳴りひびいた。鳥が見える大木のあたりいったいからいっせいにバッサリバッサリ飛びたつ。
「ぅえっ? なん、いまん?」スターがおびえてさけぶ。
『りょーじゅーだよ』
『それっていいモノ?』
『うんによる』
『──ばあんっ』
 よみがえる記憶。ふっ飛ぶ大ちゃんの首。大ちゃんの色の粒子をまきちらしながらたおれる大ちゃん。
 でもたしか、りょーじゅーはいっかいうったらスキが生まれる。霊夢ならだいじょうぶ。
「とりあえずかくれて」
 森の木の下にそろりそろりと浮かんでいく。
 今近づくのはキケンだ。アタイはレミリアとのセントウで何度もやぶれてはふっかつしているからしぬ痛み以外まだ問題はないけれど、スターみたいな妖精は分からない。もし、スターが「〝今の自然〟に必要ない存在」だったら、りょーじゅーでうち抜かれて、いっかいしんだらいっしょうふっかつできないかもしれない。今は、考えることができる頭にかんしゃする。
 ……もちろんカノウセイの話。そんなことが起こるかもしれないってだけの話。もしこの話をかんぜんに受けいれたら、大ちゃんはほんとうに「必要なかった」ってみとめることになる。やっぱり考えちゃう頭はイヤかもしれない。
 ──ダァーンッ! ダァーンッ!!
 まだ鳴ってる……待って。
 これ、りょーじゅー?
 アタイが前にいっかい聞いた音よりも、なんだか固いというか鉄っぽいというか。それに、連続でうってる。
 ──ダァーンッ! ミシミシ。
 ジュウダンを受けた木がたおれる。
 わざとか、ぐうぜんか。アタイたちが身をひそめていた木だ。「ぐえっ」おっちょこちょいのスターはその下じきになった。ある意味それが正解だった。うっかりよけちゃったアタイは「戦場」にばったりそうぐうすることになった。
 しかもそこは、もう勝負が決しかけていた。
 戦場は大木の前。草むらの小広場になっている。霊夢がたおしたのか、オノが散らばってたくさんの妖精が地面にのびているなか、立っているのはふたりだけだった。
 赤い服をさらにあざやかに血で染めてあらく息する霊夢。
 そのにらむ先には────
「何奴ッ、動くな……! ん、お主は……」
 前よりもパワーアップした黒く光るジュウをかまえる、あのおじちゃんだ。
「いつぞやに仕留め損ねた水の精ッ!」
 チャキッ。
 まがまがしい黒い穴がアタイを見た。
「撃つ気だ! 避けなさい!」ザワザワザワッ。
 ダァーンッ!
 大木の方からの声に反応して地面をけった。戦いはすでに再開していた。とにかくあのジュウダンに当たっちゃいけない。アタイ以外がしんじゃいけない。アタイがいっかいしんでもみんなが危ないからいけない。
 色とりどりの弾幕を乱れうちしながらすばやく飛ぶ。木は傷つけちゃうけどガマンして。さらに冷気もばらまいて霧を生みだす。ジュウセイがする。あれに当たるかは運に任せるしかない。
 周囲で木々が風にゆられてざわめいていた。ふしぎと、そのざわめきがアタイへのはげましに聞こえた。ここががんばり時だ。霊夢が消えた。きっと何か作戦を考えているはず。アタイはおじちゃんの前に立ちはだかって時間をかせごう。
「おのれ、ちょこまかとお」
 びちゅんっ。
「ぐふっ!」
 おじちゃんはたまに弾幕にヒダンしていた。それで不利になるのはこっちだった。キモチやチカラをこめた弾幕とちがって乱射する弾幕にたいした威力はない。ちょっと後ろの方にのけぞるか軽くふっ飛ぶていど。それは、遠いところからこうげきできちゃうおじちゃんにとってむしろやりやすい。始め小広場にいたのがだんだんと木のおいしげる方に下がっていっている。これじゃあ木をタテにして弾幕をかわせちゃう。
 それでも弾幕は放ちつづけて、それから冷気も出しつづけた。おかげであたりいったい濃い霧に包まれて相手からは完全に見えなくなった。アタイも木の後ろにかくれて動きをとめる。ジュウセイがしなくなった。そうだ。こっちが有利なのは、向こうのたまには限りがあるけどこっちの球にはないこと。
 考えよう。今はゼッタイに考える。だれにも頼れない。だれがなんと言おうと、どんな約束をしていようと考えなきゃいけない時間。どうやってアイツを追いつめる?
 そもそも戦う必要はあるの? 逃げたら……霊夢ひとりで戦うことに。アタイは後悔するかもしれない。
「大妖精様……お頼み申す。アヤツめを退治したまえ」ザワザワ、ザワリ。
 そんな声──大木からの声が聞こえる。さっきのも──。苦しそうな声だった。さっき戦場を見わたしたとき、スターたちのお家でもあるあの大木の幹にきょ大なノコギリみたいなキカイがつきささっているのを見ていた。
「ヤツらの横行を許せば、森じゅう刈り尽くされてしまいます」
「寒い、痛い。だが、大妖精様がやっつけてくださるのならば耐えましょう」
 大妖精サマ。大妖精サマ。
 もう、アタイにテッタイの選択はなかった。
 レミリアとの戦いの練習を思いだしていた。
 弾幕をうちつけ、凍った湖の下からふきだす水をさらに凍らせて相手を閉じこめる。結果として失敗しちゃったみたいだけど、あれはけっこういい作戦だったと思う。
 といってもここはただの地面。アタイの能力は水や氷とあいしょうはいい(だからといって「水の精」って間違われるのはシンガイだ!)けれど、ここにつごうよくあったりはしない。せめて雨か雪でも降ってくれればな。サワサワとこすれる葉っぱの向こうにややくもりぎみな、赤くなってきた空が広がっている。期待はできないか。
 ……いや、そうだ!
 アタイはいい考えを思いついた。
 雨や雪が降ってこないなら自分で生みだしちゃえばいい。できるよ、アタイ!
 目を閉じる。動くものの熱に、呼吸音に、振動に集中する。
 近くはだいじょうぶ。遠いところにひとり「見えた」。周りの霧をケイカイしているのかほとんどその場から動いていない。今から、あそこいったいをシュウゲキする。
 木から体を出す。じゅうぶんな弾幕をじゅんびする。だいじょうぶ。向こうからは見えていない。ねらえる。もういちど、目を閉じた。
 おじちゃんのカゲ。ねらって、ねらって──
 だけどそのとき。もうひとり動くカゲがアタイの目の裏にうつった。
「──なっ!」
「ふんっ!」ガギンッ。
「このっ!」どんっ。
「ていやっ!」グワンッ。
 霊夢!
 霧にまぎれて不意打ちする作戦だったのか。霧のせいで相手の位置が分からなくてばったり出くわしたのか。霧のあっちがわでふたりのあらそう声がしだした。
「こりゃ、離せっ!」
「離すもんかっ!」
 ダァーンッ! ダァーンッ!!
 ちんたらしている場合じゃない。目を開く。
 弾幕を放った。方向はふたりのいる、真上だ。霊夢までまきこんじゃうかもしれない。だけど、霊夢だけがたおれることはたぶん防げる。
「そらっ、観念しな!」
 チャキッ。
「しくった……!」
 まにあえ!
 にじ色の弾幕がふたりの真上に来た。
 凍れ! アタイはひと振り念じた。すると「完全に凍結した」真っ白い弾幕。
 ────落ちろッ!
 さっき弾幕ごっこの練習をしたとき、ふき飛んでくるがれきを凍らせて落としたのと同じ。自分の弾幕をあやつって凍らせてつららのような武器にした。おねがい、うまくいって。
 ゴオオオオオオオ────────ッ!!!
 そのごうかいな音がしたと思ったら、地面がゆれだしてアタイはこけた。おじちゃんのジュウの音じゃない。アタイの氷の弾幕が落下した音でもない。
 霧の向こうは、なつかしいようなにじ色の太い光の線で埋めつくされていた。氷の弾幕はぜんぶそのレーザーにとけてじょうはつしたらしい。
「あたしの親友に手ぇ出したってことは、」
 ひきょうな魔法使いは言った。
「地獄に堕ちる覚悟もできてんだろうな! ここで逢ったが……! あー、二ヶ月半目くらいのオッサン!」
 うたがいようのない声が空高くから降りそそいだ。
「ナイスっ、魔理沙!」霊夢の声。
 あっちの風景がどうなっているのかは分からないけれど、戦いの流れはいっきにひっくり返った。霊夢と、それから魔理沙がおじちゃんを押している。アタイも加わったほうがいい? 
 足もとに生きもののケハイがした。
 黒ネコ。あ、マリサだ。
「スキマから見てたよ。つよくてゆうかんな大妖精さん。ありがとう」クルル、みやあ。
 と魔理沙とちがってせんさいに鳴いて、霧のおくへともぐっていく。すき間? 引っかかることがありながら、しっぽをスイスイと追いかけていった。
「──くうっ」
「ハッ、ハッ……やっと捕まえた……! 魔理沙!」
「もう構えてる」
 ギュイイイィイィィイ────ンッ。
 エネルギーがたまるような音。ついに霧から抜けだす。目の前には。
 ぬさをつえにしてなんとか立つ霊夢。
 赤白のお札がクモの巣みたいにまとわりついて身動きが取れなくなったおじちゃん。そばに投げすてられたジュウ。
 そして真っ正面に、空飛ぶホウキの上に立って光る武器を両手に構えた魔理沙。キュイキュイキュインッ!! 魔理沙のところだけあらしのように木々は吹きあれた。
「コイツはあたしもどうなるか分かんねえぞ」
 黒い三角ぼうしがふき飛んだ。魔理沙は狂ったように、だけど相手を冷静に見つめて、笑っていた。
「せいぜい地獄で後悔しなッ! 必殺────『マスタースパーク』!」

 一四

「いやあ、しくった。今度こそ捕まえて有ること無いこと吐かせようと思ったのに、怒りのあまり西日の燃料にしちまった、ハハハ」
「笑ってないでそこから早く抜け出しなさいよ」
 西日色の森林。笑い声がして、だんだんにぎやかさを取りもどす。
 魔理沙はケガ人の霊夢を博麗神社につれていくことにした。アタイは霊夢のお母さんと出会いたくないからついていくのはあきらめた。かわりに、ききたいことをきいた。
「どうしていつも、つごうが良いときばっかりあらわれるの、魔理沙?」
 前にも、りょーじゅーを構えるおじちゃんにねらわれたアタイを魔理沙は助けてくれた。そのときとちがうのは今回はギセイがなかったこと。
 まだ大木に背中がうまっている魔理沙はほっぺたをかきたそうにしながら、けっきょくそのまま言った。
「まあ、それはなあ。カミサマのお告げっつか、風のお告げっつーか」
「スキマ風が吹いたのかしら」霊夢が口をはさむ。うんざりって感じで。
「そういうことだ」
 霊夢はなっとくしたみたいだけどアタイはちっとも。まあ、いい。
 魔理沙は体ごと回転させて、幹とのゴウカイなショウトツで接着しちゃった背中を無理やりねじり切って脱出した。かわりに黒い服の背中がやぶけちゃって「オウ、マイ、ガッ!」とヘンに嘆いた。
「弾幕の扱いを教えてくれてありがとうね」
 去りぎわ。魔理沙のビリビリな背中に抱きつきながら魔法のホウキに乗って霊夢が一言。けっきょく弾幕で何をするかは教えてくれないんだ。
「河童組を潰したりはできないけれど、もとの自然を取り戻す計画があるの。アンタに教わった弾幕は、きっとその計画に貢献するわ」
「え?」
 それは思ってもみない良い知らせだった。「ホントに!?」
「ええ、近いうちに実行するわ。ただ、このことは私のお母さんには内緒なの。世間を大きく揺るがす一種革命だから、誰にも私たちが動いていること言わないでね」
「もちろん」
「実行する日が来たらチルノも呼ぶぞ。協力してくれるな」
「もちろん!」
 そうしてぷかぷかと暗くなるおおぞらに浮かんでいく魔理沙と霊夢に手を振って見とどけた。
 森はだんだんと静まっていった。かんしゃのこすれが耳に届く気がした。それも、スターを木の下から土を掘りおこして救いだすころにはすっかり静まって、あたりも真っ暗に、木の中からは動物の寝息がしだした。おじちゃんといっしょに来ていたという妖精はそのへんでたおれていたはずだけど、いつの間にかみんな消えさっていた。
「ありがと。サニーとルナに言《ふぅ》ちょろーねっ。チルノちゃん、ぐるわったいやっちゃボカボカにしっちょれまあたごてー」
「あ、うん」
 スターはアタイの手をにぎってかんしゃをのべたいみたいだ。
「とまりっさ! なーがぶりっちゃいけんばー」
「ん、魔理沙?」
 スターは首を振る。大木の方を指さした。
「泊まりっしゃん!」
 アタイはみんなといつ、どんなふうに出会ったのか覚えていない。出会ってそこから、たくさんの思い出があったはずだけど、それもたいていは──。キケンなたんけん。知らない土地へのぼうけん。川遊び。土遊び。雪遊び。おっかけっこ。弾幕ごっこ。たのしかった。たのしかったっていう感情だけ、そのころは何も食べなくたって生きてけたから、感情を栄養みたいにたくわえて過ごしていた。ちょっとしたいざこざで怒ったりしたと思うけど、その理由はどれもさっぱり忘れている。
 そんな忘れっぽさが。何万年もの仲良しの輪をちぎっちゃわないですむようにしてくれた。弾幕ごっこでもないのにおたがいに弾幕を飛ばしあうのは、おたがいの身に異変が起きたせい。おたがいに、怒りの感情をきおくできるようになったせい。この自然なんだ。だけど、仲直りはできる。自然とね。
 サニーとルナはまだ帰ってこない。しょうじき、こころは落ちつかない。それでも、アタイとスターは指をつないで、大木のてっぺんに寝そべっておしゃべりしながらほしぞらをながめていた。するとちょっとは、こころがやすらいだ。
 おしゃべりなんかできないでしょ。
 って思うでしょ。
「大ちゃん、元気かめー?」
「寝んつぉ、もんた寝んとっつー。ふえ笑《はら》ってーしあわせほかったい」
「いっとり行《す》ったろっちょー?」
「来ね来ね! 霧ん湖んちょかえがった(ちょっと離れた)とこん洞窟なぁ、ルーミアいう妖怪んすねやっちゃ」
 どうも、テキオウしたみたい。それとも向こうがテキオウした? 分かんない。アタイは変な言葉づかいをしていないはずだし、スターも変なことを言っていない。アタイにそれ以外のことは意識できない。アタイが知っているしゃべり方はひとつだけで、アタイは今までいちども変えたことがないその方法を使ってしゃべっているだけ。いいや、ウソつきだった。敬語はうんざりするほど意識が必要だ。そうじゃないなら、いつも通りにアタイの口も舌も動く。でも。どうしてこんなに話しやすいんだろう。
「サニー、ルナ、おろーてなん?」
「……ぐろおろーちか」
「さがしにっとー?」
「まんまんらー、チルノちゃん」
 スターはめんどくさそうに声をあげてお顔をぐいっと近づけてくる。
「ねんときゃうち、けーってくったん。きばっちゃん。あたーらはねんねん、ねんねんらー」
「でも……そん〝きばっちゃん〟が、大ちゃん戻んないいうこたなっちゃれたんな。こないもそん〝きばっちゃん〟でみないどーちゃれしっけえばー……」
 スターはさらにアタイにお顔を近づける。もう抱きついて寝ているみたいなもの。
「星きんきらきん、パッパしんりゃん。星が二人《とい》やい見ぃつーとう。てやあ、だーじょーばんっ」
「本意《ほのい》にだいじょばん?」
「決ばっちゃんじょっ」
 スターは考えなしだ。その「きばっちゃん」の態度がキケンなことに気づいていない。星が見ているって言ったって、星はあんなに遠い。もし二人が今しにかけていたとして、助けに行くのにアタイたちのほうがずーっと近いんだ。
 それでも、スターはひさびさにアタイといっしょにいるのがよっぽどうれしかったみたいだ。あまえるような表情でくっついてあしをおまたにいれてくる。
「また、みないであすぶっけやー」
「……うん」
 アタイのキモチとは反対にピカピカな笑顔を咲かせる。
 しんぱいだ。アタイの胸には雨水のようなものがトクトクとたまっていくような感じがする。
 そんなキモチは、だけど、うらぎられた。
 スターは気がついたら眠っていた。アタイもそれにつられてうとうとして。
「なしにチルノちゃんおるったい!?」
 とびはねるような叫び声に起こされた。
 大木の枝のすき間から星あかりに照らされて、ふたりとも帰ってきた。スターが起きるのがもう少しおそかったらふたすじのながれ星にボッコボコにされるところだった。
 スターはサニーとルナに事情を説明した。ふたりはいちいち「ウソだ!」なんて否定するからようやく「ありがとう!」って態度に変わるころにはお月様がいい高さだ。
 サニーはアタイにイタズラをいろいろしかけたのを謝った。そんなことだとは思っていたけれど、今までのイタズラを考えついたのは主にサニーだった。
 ルナは(やっぱり)口をもごもごさせて何を言っているかは分からなかったけれど、夏祭りのときにアタイのお腹を蹴りとばしたのを謝っているらしかった。
 スターもあらためて、今までのイタズラに参加したのを悪かったと言った。
 アタイも、みんなと遊ばなくなったことをおわびして、それから言った。
「んだら、もう忘《ポカ》ってけらっ。みないポカって、仲良仲良しーちゃん!」
「そーらねっ」
「(コクリ)」
「ポカらってけろ!」
 思えば、そうだ。ケンカしているときはいっしょうかけてもしゅうふくされない関係のヒビだと思っても、明日には、明日じゃなくてもあさってには元通りになっている。今回は、それが数か月先だったってだけ。アタイたちの輪になおせないヒビがつくことはなかった。
 サニーとスターとルナとアタイは、よにんあおむけでおたがいの頭をおたがいに向けて寝ころんで暗闇の空をながめ、さっきまでスターとふたりでしていたようにおしゃべりをした。みんなのお家だと言うけれど、家具と言えば何も入っていない鳥の巣ぐらいでかべも天井もない。でもこの大解放なひと部屋はルーミアのどうくつよりも寝やすい。もっと風が吹くなら霧の湖の草むらとおなじくらいカイテキだ。
 頭を寄せあって輪っかになって、そうしてここに足りないモノに気づきため息が出る。
 アタイが今までみんなと離れて何をしていたか話していると、自然とそれを口にすることになった。
「大ちゃんは、なんしやっても起きちゃらん。魔理沙って魔法使いがふぅた『自然の弱まりごたあ妖精の弱まり』。なんしでけらんやって(なにかできないのかって)、アタイいろいろしーよったい。こん自然はぐにょったれんな。みないもアブいけらい」
「あたーらもアブい?」
「しんじゃればっちゃーそんまんま起きなんけらい……大ちゃんとおないに」
「ウソらめ! ウソらめ!」
 スターはガバッと、さっき木に押しつぶされた体を起こしてペタペタとたしかめていた。「アタシん体、がちれたりゃんとなんりしーりゃんろー」しにかけても無事だったよと。サニーもルナも他の妖精とあらそって痛い目にあったけどだいじょうぶだったって首を振った。
 でもそれはせいぜい「しにかけ」だったからかもしれない。「しにかけ」なら、まだみんなの回復力が勝っている。問題は「し」。いちだんと強い回復力がいる。アタイはまだ、それをイジできているみたいだけどこの前、「回復が遅くなっている」とレミリアに指摘されたところだ。本当の意味での「し」はきっと近い。アタイの回復力でギリギリ「し」は「しにかけ」なんだ。他のみんながどうかは分からない。
 気がついたらみんな起きあがって向かいあって座る形になっていた。不安げな表情を向かいあわせて。
 アタイはきいた。「こんとこ体、ヘンなえん?」
 サニーは足の裏を押さえて言った。「クツ履いちゃなんばどこも歩《みっ》けなんないじゃあ。小石ぶっけど辛かー」痛みを感じるようになった。
 スターはあくびをして言った。「こんとこなー……ずっと遊《あす》びりゅーねんもー。寝んともいかれん」疲れを感じるようになった。
 ルナは「ぽんぽん」とお腹をたたいた。空腹を感じるようになった。
 生まれてから、少なくとも去年まで、こんなことは起こらなかった、はっきり言って妖精らしくない現象の数々。ひょっとしたら、よりくっきりとこんな現象が発生するようになったのが最近なだけで、去年よりずっと前からアタイたちの身を、たしかな異変がイモムシみたいに食いあらしていたのかもしれない。アタイの愛した自然はいつの間にか弱まり、〝人間による自然〟が強まる。そして最近、〝人間による自然〟が〝カッパと人間による自然〟へと、せい力をうつしている────ここらへんはまだあまり理解したくない話だし、みんなに理解させるのもむずかしい話だ。それに……よけいなことを考えさせたくはない。頭をうんうん悩ませるのは、アタイだけでじゅうぶん。
 アタイはただ、「自然が弱まっている。だから、アタイたちも弱くなっている。キケンになっている」とだけ言った。ルナは声に出さないでもゼツボウしたみたいな「ボーンッ」って音がひびくような顔になった。
「なんしやってゃいいん……?」
 サニーもおびえている。寝て起きたらきれいさっぱり忘れられるような話じゃない。それどころか今日は眠れなくさせちゃったかも。
 他にもらすなって言われたことだったけど、しかたないから言うことにした。
「あんね、さっきん魔理沙と博麗の巫女ん霊夢ってんが、そん自然弱《ぐにょ》ったれんば解決しんとあーやこーやしっとー。たぶん、だーじょーぶっ」
 するとそのずぅーんとした暗さがウソだったみたいにみんなの表情が明るくかがやいた。サニーなんか、星のあかりを吸いこんでほんとうにぼわっと明るくなっちゃってる。
「ふんだりゃー、霊夢さんここ、お手ってーに行《す》ってーが良ーけえ?」
 スターがきく。
 魔理沙は「実行する日が来たらチルノを呼ぶ」って言っていた。そのときになったらみんなも呼ぶことにしよっか。どんな計画を実行しようとしているのか、弾幕を使うってことしか知らないけど、どうせ戦いをすることになるんだったら人数は多いほうがいい。アタイたちは弾幕ごっこの名人なんだ。きっとかつやくするに決まってる!
 サニーとルナとスターはすっかり安心してまた寝っころんだ。アタイはみんなといない間、どんなことを経験したか。ルーミアとの出会い、レミリアとの戦い、けーね先生とこでひっしに頭を焼いたこと、おだんご屋のおばちゃんや本屋の小鈴みたいな街の人たちとの交流、博麗神社の鬼巫女のこと、代交代式、カッパとのそうぐうのこととかっていう、いろいろなお話をした。いつの間にか、だれも聞いていなかった。
 ここちいい風を肌に、こすれあう葉の音を耳にしながらアタイも眠りにつく。
「────人間を信ずるか、大妖精様や」サワサワサワ。
 体を起こす。
 そろそろ慣れてきた。自然の声。これは、大木からの声。このひとも、またアタイのことそう呼ぶんだ。
 無視する?
 でも……あー。
 おしゃべりしたい。聞こえるようになった、フシギなフシギな自然の声と。
「カッパを信じるよりはマシでしょ」たしかにアイツらは期待をうらぎることがあるけど。
「さて」パキッ。「悪鬼は河童なりや」ザワザワザワッ────。
「え?」
 そのあとは、ただ夜の声がひびくばっかりだった。
 あっきはカッパなりや。悪いのはカッパなのか。悪いのがカッパじゃないなら……なんだって言うのさ。他の妖怪? 妖精? それとも人間?
 星々がアタイたちを見ている。ゆれる木の葉のすき間からまたたいている。昼間のお日様のにおいも好きだけど、夜中のお星様お月様のにおいも落ちついて好き。のはずなのに。胸をザワザワとこすってく感覚。これは──?
 霊夢、魔理沙。もう、うらぎらないよね?
 サワ、サワ。
 シンシンシン。
 キラキラ、ピカピカぱっぱ。
 ひゅうううぅぅぅ────。
 …………。
 ……いや。
 うらぎるのか。アイツらは。
 準備がいるから。
 倫理的にダメだから。
 カッパは強いから。
 代交代式があるから。
 お母さんのお世話をしなくちゃだから。
 中にはしかたないこともあるかもしれない。だけどヤツら、そもそも異変解決のことを考えてやしないんだ。考えているのは自分たちの都合と、アタイをだますことだけ。
 うらぎるんだ。アイツらは。

 一五

〈   発令之触
 幻想郷においていっさいの人妖はこれを赦さず。ここにおいて人妖たるは人、妖怪、半妖、神霊、妖精並びに本令を判読しうる者なり。

  一、人妖が人妖を殺める。
  二〇〇〇年一二月一日 発布
  二〇〇一年一月一日  施行  第○○代博麗巫女博麗霊夢

 本令にかかる事案発生にあたりて、博麗大明神が御名のもと博麗巫女は抵触せし人妖に対し適切なる措置を講ずる。いかなる時も厳に遵守せよ。
 以下、殺める|予定|の人妖を甲、被殺|予定|の人妖を乙とする。
 次の特例に適合する場合、これを放赦とする。
  イ、博麗巫女の許可したる乙を甲が殺める。
 次の特例に適合する場合、これを放赦または赦宥とする。
  ロ、甲が事故によりて乙を殺める。
  ハ、甲が乙自身の依頼によりてこれを殺める。
  ニ、甲がやむをえず乙の攻撃に対する防衛としてこれを殺める。
  ホ、甲が乙を自然物から独立せし半妖と知らずこれを殺める。
 ただし、悪徳性の高い由あらば、減刑に至らず。
(略)
 世に望まれたるは生殺与奪の脅威滅するにあり。博麗巫女の成すべき大命なれどもそれ、世を成したるは博麗巫女ならず、民たる人妖なり。民は皆、いさかいごとを発起せぬように努めよ。事案成りかねぬいさかいのある時、下述を参考に一件を落着せよ。
  レ、当事者が対談によりて宥和する。
  ソ、以て決せぬ時、第三者を交え鼎談によりてさらに宥和を探る。
  ツ、以て決せぬ時、第三者立ち合いのもと非殺生性の保障されし勝負を以て公平に決闘する。
  ネ、以て決せぬ時、博麗巫女は博麗大明神が御宣託を賜りて一件の優劣を判じる。
 ツ項、非殺生性の保障されし勝負にはあらゆる種の遊戯、賭博、競技を適用すべし。なお、正式は次項に定めし規則に基づく弾幕合戦とし、これを奨励する。────〉
 あれから一週間くらいかな。
 晩のおけいこが終わって、今日もダメだったって悔しさとそれからあせりをかみしめているとレミリアおじょうさまはお家にアタイを呼ぶ。
 家はちゃくちゃくとカッパ組の工事が進んでいって地面はまったいらに、そして赤色のれんががしきつめられはじめた。だけどまだひとつも部屋はできていないように見える。年が明けるころには住めるようになるんだって。それまではまだ、あのさんかく屋根だ。
 けれど実はひとつだけもう完成していた。
 地下牢だ。
 めーりんは霊夢と約束しちゃっていた。ヤクサイ──フランおじょうさまは霊夢が来るまで地下にふうじこめておく、って。前までは守られていなかった。で、しかもこの先も守るつもりはないらしい。霊夢が訪れそうになったとき、むしろフランを守るために押しこむお部屋。それか、フランが悪いことをしちゃったときのバツにでもするかもしれない。
「──あるいは、ちょっと秘密のティーパーティに花を匂わせるときとか」レミリアはくちびるに指を立てる。
「ヒミツ?」
 牢屋の中。低いテーブルの上にくるくる巻かれた紙が広げられる。地下牢って言うけど、鉄のオリに何もないさびしい箱ってワケじゃない。しっかりカベ紙が張られてベッドや机や本だなとか家具が少ないなりにそろっている。電気なんか小鈴のとこよりも高級そうだ。
 やわらかいくっしょんの上にあしをたたんで紙をのぞき見る。文字が書いてある。手紙? アタイにはまったくジュンノウできないような言葉づかいだ。「あっ」けど、この一行。
〈二〇〇一年一月一日 施行  第○○代博麗巫女博麗霊夢〉
 アタイは霊夢が「霊夢」って字をすることを知らなかった。でも霊夢が「第○○代」博麗の巫女になったってことは知っていたから。
「これは霊夢からのお手紙?」
「そんな感じ。正確にはわたくしだけに宛てたのではなく幻想郷に棲むあらゆる人妖にばらまいて呼びかけるためのお手紙ね。新しい決まりごとをつくったからちゃんと読んで守りなさいって内容よ。────彼女、ついに動いたのね」
 お手紙の内容をていねいに教えてくれた。
 聞いていくうちに、胸が苦しくなった。
 レミリアはきょとんとしている。アタイの目じりからなみだがこぼれることに。「いいよ、続けて」
 霊夢たちはやっとうらぎらなかった。
 人妖が人妖を殺めてはいけない。そんなの当たり前だけどつまり、カッパたちのジュウカキをふういんしたってことだ。少なくとも取っかかりを引くだけで殺せちゃう武器は使えなくした。それでもヤツらが他にどんな強い武器を隠しもっているか分からない。だから霊夢は教わった「戦いを有利に運ぶため」の弾幕ごっこからかんっぜんに新しい弾幕合戦をしたてあげることでけっこう強引に「有利な戦いを運んできた」。カッパをたおすための準備がちゃくちゃくと整ってきた。けど──
「なしにハツフとシギョウ? が、一か月も空いてるんだろう」
「ええと? あー……発布《はっぷ》と施行《せこう》ね。良い質問よ。──そうね、理由のひとつは公布のための期間を設けることよ。発布は博麗の巫女が新しい法令を出すこと、対して公布はそれが幻想郷の人妖に広まること。例えばここに『一二月一日発布』とあるけれどわたくしのもとに届いたのは今日、四日だったの。わたくしは幻想郷の住み事情に明るくはないけれどものすごく辺鄙な山奥にも届けなきゃいけないなら一か月は要るのでしょうね。世間の混乱を避ける意味もあるわ。いきなり妖怪を殺しちゃいけないなんて、仮に今まで妖怪ハンターとして生計を立てていた者は暮らしぶりを見直すか、霊夢に申し出するかしなくてはならないわ。発布と同時に施行なら、何のお告げもなく我が身から親愛なる妹が引きはがされるようなものよ。理不尽に声も出ないわ」
 なるほど。親友が手をつないでいる先でとつぜん消えるみたいなことか。それはサイアクだ。
「ここからが本題よ」
 レミリアはテーブルに両腕を組んできれいな姿勢でアタイを見すえる(どうしたらくっしょんの上でそんなビシッと背すじを伸ばしてられるの?)。
「なん、本題って?」
「わたくしたち、今すっごく都合の良いリングの上にいると思わない?」
 リング……土俵。都合が良い土俵。
「どういうこと?」
「んもう、察しが悪いのね。このところ、ちょっとお馬鹿さんにでもなった?」
「さあ」最近はまたあの三人と遊ぶようになった。もしかしたらうつっているのかも。
「弾幕合戦ならこれまでさんざんやってきたでしょう? わたくしたち」
「あ、そういうこと。ならそう言ってよ」
 どんだけ頭が良くなってもこういうややこしい、回りくどい言い方にはいっしょう慣れないと思う。
「ねっ。もちろんこの『スペルカード』なり『被弾確認』なり細かいルールには適応しなければならないけれど、この新令が施行されたとたんわたくしたちは相対的に絶大な力を得るということ。幻想郷を手中に収められるほどのね」
 手を振りあげてここから見えないはずのお月様を見上げてにぎった。
 おしばいの悪役を演じるみたいだ。けどレミリアは大マジメだった。
「わたくしはね」
 キバを光らせる。
「〝わたくしの初めて〟を博麗霊夢で遂げたい。だから、ひと騒ぎ起こそうかと思うの。幻想郷じゅうを巻き込む異変が幕を裂けば博麗の巫女は必ずこちらへやって来るでしょう。めーりんとの契りで霊夢はいずれフランを殺《と》りに来るそうだけれどこちらから出迎えてやるのよ。もし手懐けることに成功したら、むしろフランは自由に外を飛び回れるようになるわ」
 レミリアはうっとりと語った。これが、ヒミツと言っていたお話。そんなにワクワクとはしなかった。
「楽しみね。アナタにも手伝ってもらうから」
「……う、ん」
 今までたくさん戦いの練習をさせてくれたレミリアの頼みだ。そもそも主従関係だし、断ることはできなかった。
「だけど、今は霊夢、自然ハカイの異変でいそがしいと思うから、まだ後のほうがいいと思う」
「分かってるわよ。そもそも令はまだ施行されてないし、館が建つのもまだ先の話だもの。ひと月ふた月、じっくりと時を伺いましょう」
 話が終わるとアタイはすぐ地下牢から出たいと言った。またあの症状が出たから。ヒフがところどころかゆくなって、息がしづらくなった。レミリアによると、新しく建ったばかりの建物は建チク材料の残がいがフユウしていてその空気のせいで病気しちゃったりすることがあるんだって。それ以外にも理由がある気がする。
 それはともかく。それからは湖の水辺でふたり、スペルカードについて考えていた。
 これは必殺技。〈弾幕合戦〉のルールを簡単に説明すると、通常は弾幕をうちあって「被弾」させたら一点って感じで点をかせいでいくゲーム。ただ、ひとりが出せる弾幕の量や種類とかには制限がある。そこで「スペルカードを発動する」って宣言することで、いったんその制限をなくした攻撃ができる。でもこれは時間制限つき。もしスペルカード発動時間内に相手に「被弾」させることができなかったら相手に一点、「被弾」させられたらふつうに自分に一点。そうやってやり取りしていって、決着はどっちかが目標の点を取りきるか、どっちかが降参するか。
 スペルカードは発動させたらなにがなんでも相手を打ちとらないといけない。どんな弾幕をうてばいいだろう。能力はどうやっていかそう。どんな名前がいい?
「眠いの?」
「……うん。もう今日は、ここでねんねんかなって」
 いろいろと考えていたら眠くなっちゃった。目の前に広がる湖から流れるほどよくしめった風、やわらかな天然の草ぶとん、ほほえむお月様。やっぱり霧の湖はいちばん寝やすい。
「よし、よし」
「……?」
 横たわったその横にどうしてかレミリアも横になって、風のようにアタイの頭をなでた。
「ふわあ……わたくしも少し、ひと眠りしようかしら。良い月の差しだわ」
「こんなとこでおじょうさま寝んなったら、朝になって焼けこげちゃうぞ」
「冗談よ。ほら、その玉露のごときつぶらな瑠璃のおめめを閉じて。安心してお眠りなさい」
 そうしてゆっくりと、ネコの毛みたいにおかみをなでてくる。
 やさしいな。やさしいな。おちつくな。
 でもレミリアは悪者になろうとしているんだな。幻想郷にとっての悪い人。でもアタイにとっては良い人。
 アタイも、もしレミリアことをうらぎったら悪い人。レミリアにしたがったら良い人。でも幻想郷にとっては、レミリアとおんなじ悪い人。
 良い、悪い、良い、悪い……

 一六

「ウェルカム・トゥ・魔理沙ズ・マギカル・ハウス!」
 はじめて魔理沙のお家にしょうたいされたのは良い雪の日。「アタイたち四人」はぞくぞくと中に入っていく。
「広かー広かー」サニーは自分が電球がわりに光りながら電球のスイッチを探している。
「家具ばシャレとーりぃ」スターはあちこち見回って机の上に開かれた本に興味シンシン。
「(もふ、もふ)」ルナったらさっきから手の中のリスをひたすら眺めるのに夢中だ(冬眠中でしょ、あとでかえしてあげんね!)。
 アタイはいちおうケイカイして鼻をスンスンしながら入った。ふゆかいなニオイはしなかった。しかもそんなに暑くない!
「あら、いらっしゃい。来たのね、アンタたち。お茶を出すわ。適当に好きなとこに座んなさいね」
 暗かったからだれもいないかと思ったらおくの部屋から霊夢が下着姿のまま出てきた。胸のところには包帯みたいなのを回してお腹のあたりには赤白のお札がはってある。
 最後に入ってきた魔理沙が玄関口にあったスイッチをパチッと入れて明かりをつけた。
「おい、霊夢! そんなくつろいだ登場して、まるでお前が家主じゃねえか。あとフツーに明かりはつけろよ」
「ま、最近泊まり込みだったし。けれどうっかりしてた。一応お客人だものね、着てくる。明かりに関しちゃ、社じゃお昼はつけない決まりなの。節電になるしアンタもそうするといいわ」
「いいから早く着てこい。コイツらには刺激が強いだろ」
 霊夢はお家の裏に干してあったいつもの巫女服を着て戻ってきた。魔理沙のお家は森のどまんなかにあって、雪がちょっとおさえめになるといってもじゃっかん服がしめっていたみたい。
「さて皆の衆、注目ッ!」
 魔理沙の号令でいよいよカイギが始まる。みんなベッドやイスや床の上に座ったり立ったりしながら聞く。
「今日は集まってくれてありがとうな。ここにいるメンバーが幻想郷の未来を担っていると言っても過言ではない。あたしたちは来月、この幻想郷自然異変を解決すべく、河童組の本拠地へ乗り込む。今日はその計画を伝達する」
「ちょっといい?」
 霊夢が手をあげる。
「この子たちはちゃんと私たちの言葉を理解しているの? だいぶ扱う方言が違うみたい」
「んー、どうなんだ、チルノ?」
 魔理沙は霊夢の視線を受けてアタイの方に流す。
「だーじょーぶだよ、霊夢! むずったい言葉づかいしんやってら」
 基本的に霊夢たちの言葉を聞くぶんには問題はない。まあ、集中力の問題はあるけど(ねっ、ルナ! しゃんとしぃ!)。
「……なんか、アンタまで変になってない?」
「そう? たぶん、最近みないとたくさん遊ぶよーなったせいかな。気にしんやいで!」
「ふーん、不思議なこと」
「さて」
 魔理沙が机を「カタカタンッ」と軽く爪でたたいて場の空気を整えた。
「早速異変解決計画の説明に入っていく。できるだけ簡単にな。まず、今回の異変。それは幻想郷の自然がおかしなことになっていることだ。みんなは数か月前、とてつもない雷雲に襲われたことがあるだろう? チルノから聞いた話だと友達の妖精もひどく弱っているみたいじゃないか。それも含めて他に夏のイミフメイな暑さとかイミフメイに早い冬入りとかだったり、川がひどく汚れたり雨が農作物をダメにするくらい酸っぱくなってしまったりと、やっべー被害を出している。あたしたちはこれをどうにかしたい。そうだろう?」
 魔理沙はみんなの反応を確かめながらゆっくり、ゆっくりと告げていく。しかも身振り手振りつき。アタイにとっては、けーね先生の難しいお話できたえられすぎてあくびが出ちゃうくらいだ。
「異変をどうにかしたい。となれば、異変を起こしている原因を探してそれを取り除いてやったらいい。今回は、それが『河童組』という、ものづくりの組織が原因だと分かっている。だったら河童組を退治しちゃえばいい……と、思ったひと!」
 バッと急に手をあげる。
「はーいっ!」スターとサニーがつられてすなおにあげる(ルナ!)。
 あ、なつかしい。アタイも数か月前、魔理沙の説明を受けてそう思ったんだ。──来るぞ。
「ところがどっせぇーい!」魔理沙はドクトクな不正解音を鳴らして言った。「河童組は予想をはるかに超えて強いことが分かった。しかも、さっき河童組はものづくりの組織だと言ったが、この河童組のつくるモノに幻想郷じゅうのたくさんの人々が依存しちまってるから良くない。依存ってのはつまり……夢中、みたいな感じだ。みんなが河童組のモノに夢中になっているもんだから、河童組を倒しちゃったらみんな困っちまうだろ?」
 うんうん。
 ここまでは理解している。ここから先、計画はどう進んでいくんだろう。カッパ組をたおさずにカッパ組に自然ハカイをやめてもらうには? 新しいホウレイはどういかす?
「計画は段階的に進める。(一)河童組の所に行って、自然に悪い影響を与えるようなものづくりの活動をちょっと控えてもらう、って感じの色んな〝お願い〟を伝える。それが上手くいかなかったら、(二)正々堂々と弾幕ごっこで勝負する。みんなの出番だぜ、これは負けられない戦いだ。だがもし万が一にも敗北する、それかそもそも弾幕ごっこを向こうが拒否したときを考えないといけない。そんときは仕方ない。(三)博麗の巫女であるコイツが河童組を〝幻想郷の脅威〟……つまり敵だと見なして、殺すつもりでボコしにいく」
「カッパはそんそん悪《わぐ》るっちかじゃなんけえ?」
 質問の声があがった。なんと、ルナの声だ。手の中に閉じこめていたリスはいつの間にか脱いだぼうしの上に休ませていた。話を聞いているとも思わなかったし声を出すなんてずいぶんめずらしい。逆に他ふたりはなんだか眠そうに見える。
 魔理沙がアタイを見る「えー、なんだって?」
「カッパはそもそも敵じゃなんけえ? なしに幻想郷のキョウイごと見なすん後にしぐるっちゃあ、って」
「おーおー、翻訳になってるか怪しいが分かるような気がするぞー。良い質問だ、ルナ。ここでもう一度前提……今のあたしたちのスタンス……立場を整理してみよう。今、現在。あたしたちは河童組が敵だとは思っていない。なぜかというと、さっき言ったように河童組のものづくり活動はこの幻想郷に必要なもので、ただ『その活動がいきすぎた、やりすぎたことだとアイツらは気づいていない』ってあたしたちは信じているからだ。あたしたちが一番にやりたいことはあくまで説得だ。ぶっ叩くことじゃあない。ぶっ叩くときは、アイツらが『わざと自然を壊してまでものづくり活動をしている』と分かったときだ。まあ正味難しい話だが、みんなに理解しておいてほしいのは説得が上手くいかず、その『わざと』って事実が分かったときが出番だ、ということだ」
「それに、もうひとつ信じていることがあるの」
 霊夢が話を加える。……なぜかアタイのことをじっと見て。
「そもそも河童は今回の異変の真犯人じゃないって」
「え?」
 なにか頭のなかでくずれる音がした。
「真犯人は────」
 カイギが終わると、魔理沙は自分がふだんしている魔法の研究をみんなに見せびらかして楽しませていた。もうあんなに仲良くなってる。
 カイギでなっとくできない部分があった。だからたずねたかったけど魔理沙はムリそうだし霊夢にきこう。どこに行ったかな。
「あ、霊夢」
 すぐ見つかった。台所でお湯をわかしていた。そういえばまだお茶をもらってない。霊夢は湯わかしついでにおこした火にあたりながら、アタイに気づいたようすで言う。
「冷気で火を消さないでね。今の私の生命線だから」
 けっこう震えてる。思ったよりもしめった服のせいで冷えたみたい。
「冷気で火は消っさなんで。傷はだーじょーぶ?」
「さっき見たでしょ。脇腹行かれたのがいちばん重傷だったけれど御札貼っとけばまあ不具合ないわ」
「よかった」お札ってそんなカンタンに傷がなおるものなの?
 すぐとなりは熱気にあたっちゃうから裏手に続くとびらの涼しいところから話しかける。
「でさ、ききたいことあって」
「何?」
「なしに……カッパは悪《ごろわ》ったいやっちゃならんどー?」
「……アンタたちの言葉って聞こえるか聞こえないかの絶妙な瀬戸際よね。もしこの一件を軍記物に認めるなら上手い具合に書き換えるのに苦労しそう。──いいわ。アンタには説明してあげる」
 笑って感心した声をあげ、言った。
「理由はね、河童の意思も姿も見えないからよ。まず意思。うちの蔵本を漁ってみたのだけれど河童って妖怪はね、実は妖精とちょっと似ているの。精神は年端も行かない子どものまま、そして自然を愛し調和しながら暮らす生態なの、本来。特に綺麗な清流を好んでそこへ棲むそうよ。純粋な心の持ち主であるそんな彼女らが自らの信条に背いて森を壊しながら川を穢しながら暮らすなんて非現実的でしょう。何者かのそそのかし、あるいは実権の遷移があったと考えるほうが自然だわ。しかも姿。彼女らの姿がまるっきりどこにもない。幻想郷を見廻るのが私の日課のひとつなのに、どこにもない。さ来週には完工するあの《学校》にも工事に取りかかるのは人間、妖精、河童以外の妖怪ばかりで、やはりない。全体像はきっとこうよ。河童組の運営権を得た真犯人は技術力のある河童を何か強制力のある手段をして工場《こうば》で過度な生産活動に働かせしめている。工事依頼などあれば技術担当は河童でも現場は他の者を雇うことで効率よく完遂できる。それでがっぽり儲けている。極めて悪徳よ。
 だからさっき魔理沙はかなり簡略化して説明していたけれど、私たちの真の目的は『河童組からその悪だけ取り除くこと』よ。それさえできれば河童はおのずと、自然を大切にする生産活動を再開するでしょうし、河童組がなくなって社会が混乱することもない。一挙両得の策よ」
 アタイとおんなじ裸足で、アタイとおんなじ青いおかみをした女の子。
 カッパは、あのとき。アタイが責めたとき……申し訳ないって言ったんだ。
 カッパは悪くないんだ。あやつられていたんだ。
 もしかしたら、カッパ組をあやつっているのはこの前のおじちゃんみたいな人間かもしれない。
 考えている間、霊夢はできたお茶を出しに魔理沙たちのところへ行った。
『悪鬼は河童なりや』その答えあわせみたいなものだ。もしもカッパが川を愛するっていうのが本当なら、あんな臭くてぐちゃぐちゃな川じゃ生きられるワケないよ。
 でも、あの子。ふつうに健康そうではあった。アタイに責められて気分を悪くしていたけど、元気さは妖精と良いショウブするくらい。川がなくちゃ生きられないとかじゃないのか。しかも、あの子は人間の女の子を────。あれは、だれかに指示されて沈めていたの?
「妖精が難しい顔するのって違和感甚だしいわ。ハイ、頭冷やしなさい」
 霊夢が来てアタイにもお茶を渡した。ちゃんと冷たいお茶。
「ありがと」また余計な考えごとだ。しっかり冷やそう。
「妖精って案外馬鹿にできないのねえ」
 かまどの前にしゃがんで、残った火にまた手をかざしながら震える声で霊夢は言う。パチパチパチ……
「今日アンタだけ来ると思ったらあの子たちもいっしょに来てもう馬鹿騒ぎになる未来しか見えなかったのに、意外とみんな静かに聞くじゃないの。アンタに至っては下手な大人よりも呑み込みが早いし」
 静かというか、寝かけてた子もいたけど。
「へへ。楽しかごと興味あうごた、みないシンケンにすっちょーね。あ、そうそう、霊夢。あったらきーホウレイ? ってん見たよー」
「ホウレイ?」
「人妖は人妖をアヤめちゃダメってん」
「ああ、法令。そうよ、それを制定するためにしばらくここに泊まり込んだのよ。社じゃお母さんは寝込んでいるとはいえ万一にもバレちゃいけないから」
「なんしに?」
 霊夢はちょっとだまった。かまどの火はもう間もなく見えなくなる。立ち上がって、アタイの後ろのとびらを押した。そっちは家の裏庭だ。寒いはずなのに。だけど、他のひとに聞かれたくないんだと思う。
 アタイも出てくると、霊夢はチュウに弾幕を浮かべた。すごく落ちついた表情だ。
「ひそかに練習しているの。狙いをつけるのはまだへぼっちょろでも、取り出して投げつけるのは造作もないわ。実に簡単で、そして奥深い」
 森のうす暗がりへ軽く投げつける。その方にある木はすでにいくつか倒れていて、いくつかはボコボコに幹がへこんでいる。たしかに練習したあとって感じ。ちょっとかわいそう。
 霊夢は両手を胸の前で広げて見ながら。
「はっきり告げるわ。私、弾幕が好きになった。元はと言えば、〝非殺生性の武器〟と聞き及んで辿り着いたもの。されど、アンタが目の前に展開した千紫万紅の弾幕、自らの手によって浮かぶ麗しい造形の光球に、私はすっかり魅せられた。とうに沈み切ったはずの乙女心がときめき上がっちゃった。正直、河童組を攻める手段として有効だと思って厳かな調子で定めた『弾幕合戦』だけれど、本当はただ弾幕ごっこが私もしてみたいと思ったの。そして願わくは、遊びとして、競技として、決闘として普及させたい。ルールを定めているうちにそんな風なこと、思い描いてた。いつか郷《くに》の武芸のひとつとならないか、ってね」
 言いながら、また浮かばせて投げる。まだ、飛び方を忘れたノロマな妖精くらいしか落とせなさそうな遅い弾速だ。アタイはその横から冷気をはいた。霊夢の弾幕がボトボトと地面に落ちる。
「あんま森を傷つけなんだげぇい?」
「ごめんなさい」
 霊夢はすなおに謝った。そしてクスッと笑った。
「また叱られちゃった。妖精にこうも叱られるなんて馬鹿な子どももいいとこだわ。お母さんも馬鹿な娘を持ってさぞ困ることでしょう」
 霊夢の笑顔はカイホウ的だった。いつも身にまとっていたオーラは消えて、アタイは街のそのへんの通りにいるようなふつうの女の子を見た。
「でもねぇ、チルノ」
 だけど次のしゅんかん、お顔が引きしまった。
「お母さんはいつも、神様に祈っておけば万災は解決するって言う人なの。お母さんはいつも、妖精や妖怪は低俗で人間こそ高貴だって言う人なの。私は、あの人のほうがめっぱい馬鹿だって思う。社に祀ってある博麗大明神がどんな神様なのか、一番近い位置にいるはずの私たち巫女でさえよく知らない。それなら、崩れゆく自然に背を向けて神前に祈祷するのは巫女でなく道化じゃないかしら。妖精がただ乳臭い弱者、妖怪がただ鼻摘み者の悪と認めてばかりいるあの人こそ小物臭くはないかしら。賢い妖精も、善人の妖怪もいるのに。特に妖怪は存在だけで煙たがれている。あの人が妖怪に対して手厳しく、世論もそれに乗じるから。でもこれからは、私が世論をつくっていくのよ。
 生きとし生けるもの、魂魄は平等。そんな思いも『人妖は人妖を殺めてはならない』のお触れに込めた。批判は、あったわ。つい先日、令を公布してすぐ、不幸にも妖怪に息女を奪われた父親は『年明けの施行後には、娘を帰らぬ身にさせられ復讐もできなくなるのか!』と。……報復じたいは発令前も、後でも条件次第でこちらが代理して行うことができる。けれど、被殺者の家族が復讐するのは非合法になるわ。〝二次災害〟が起こるもの。この手の災害はたいてい、残された家族が自らの手で復讐しようと現場に赴いて、ああ──。って、なる。それは避けるべきでしょう。
 いつか、妖怪がみな人間に対する欲を制御しながら正しく生き、人間が妖怪を憎むことなく清い心を持って暮らせるようになれば────────それが、私の思い描く幻想郷という楽園よ。その一画目は、案外妖精から始まるのかも」
 見上げるアタイのおかみをつまんで後ろに流す。
 なんだか、変わった。
 霊夢から、博麗の巫女に。まとい出したオーラは前と色がちがってくっきりと浮かぶようになった。でも、それでいてパッと明るい。少女だ。夢見る少女だ。それはきっと強い。この少女はきっと近いうちにとんでもない弾幕使いになる。
「ねえ。またアンタの弾幕を見せてくれない?」
 アタイはけーね先生のことも、レミリアおじょうさまのことも尊敬していた。
 でも霊夢に対しては、もっとすごいキモチがわいている。なんていうのかは分かんないけど。
「いいよ」
 好きだ。
 それからいくつもの日が過ぎた。
 あけましておめでとう。ついに、その日はやってきた。

 一七

 くもり空の朝。妖怪の山は上も下も真っ白け。雪はまたいつでも降ってくる気配がする。よけいな寄り道はなし。霊夢、魔理沙、サニー、スター、ルナ、それからアタイはかたまってただひとつの目的地、河童組工業団地へ。後ろは遠足みたいににぎやかで、前は緊張感たっぷりに無言。
「なあに、心配すんな」
 もうすぐ着くってころ、魔理沙は空飛ぶホウキに乗りながら霊夢に告げた。
「お前は博麗の巫女、この郷《くに》の王だ。歴史上、王の命に背く輩は少なからずいたが、相手は企業。社会の信用がなけりゃ成り立たん組織だ。もちろん最悪の事態は常に想定しておくべきだが、それが起こる確率は、今日ここに隕石が降ってきてお前の顔面に直撃する確率より低いだろう」
「笑わせるわね。はんっ、今はアンタの外界かぶれに感謝するわ、〝マさん〟」
 少しひしゃげさせていた〈勅〉をにぎる手がゆるんだのが後ろから見えた。
 そうしてふたたび出会うことになった灰色の建物の群れ、わきに流れる清流とはちっとも言えないにごった川。灰色のへいが伸びる手前でいったん着地する。
 門があるけど門番みたいなひとはいない。先頭をどうどうと歩く霊夢がそのままどうどうと門をくぐっていくのについていった。地面が固い。ざらざらしてて、足の裏がけずれて痛む。雪が積もっているところだけを歩くようにした。他のみんなはクツをはいている。
「外にはいないのね。適当な建物に入って従業員を見つけましょう」
 霊夢がどしどしと通りの中央を歩いていく。
 モノをつくっているような音は聞こえなかった。山をきりひらいてできた広大な土地にただビシッと建物が整列してキカイが放置されているだけで、かんじんの作業するひとが見当たらない。
「霊夢さん、霊夢さん。いとばそっかしこおっけらんちゃ?」
 発言したのはスターだ。
 霊夢は立ちどまってきき返した。
「何、『いとば』?」
「人《いと》ば、其処《そっこ》らい、居《お》っけらんちゃい?」周りに手を振りわたす。
「ひとはどこにもいないって?」
「ちがう」アタイは目を閉じながら言った。「ひとなら、そっこらじゅうにいるっちゃん? って。──霊夢、もう囲わっちゃる」
 スターは能力で、アタイも目の裏で感じとった。従業員はたしかにほとんど建物の中にいるみたい。だけどフシギなことにアタイたちのいる通りの方にやたらと集中している。外から中は見えず、中から外を見ることができる技術があるのかもしれない。もしもそんなことができるのなら、そのまま中から外にだけ攻撃もできちゃうかもしれない。
 霊夢が「河童は犯人じゃない」って言ってたけど、アタイはまだ信用しきれていない。ケイカイを強めて、目を開けた。
 みんながまた進みだしている。いちばん後ろをついていく。
 通りが「十」に重なるところの中心に来て、霊夢がちょっと先を行くと。
 はーっ…………すうっ。
「我が名は博麗霊夢、第○○代博麗の巫女なり! 汝らに告ぐ。ここに勅命のある由、汝らが首長に伝えただちに身柄を寄こせ!」
 重々しく、まるでかみなりが落ちたかのようにひびいて、建物や体を内がわから震わせる。アタイの体はちぢこまった。何も変わらない、霊夢のお母さんの声そのまんまだったからだ。
 少しして、こっちに近づいてくる子どもの姿があった。もちろんそれは人間の子じゃない。川を捨てた、川の子だ。くちびるを結んで、ムッとしたお顔をしている。アタイたちは囲むようにしてソイツを見た。
「アンタが首長?」
 霊夢の目の光にちっともひるまない様子で。
「首長じゃねけんど代表さ、盟主様。勅命とはなんですかい。そちらの紙に認めとるってんなら承って我らがリーダーにお渡しするべ」
 カッパは霊夢の手から勅命を取ろうとするけど霊夢はそれを高くかかげて、厳しい目つきを強めてぬさをさしむける。
「言ったでしょう。首長をここに寄こせと」
「あの人は忙しい身。外になんざよう出払えやせんでさ。なにがなんでも会うてかれるってんなら連れてくんでその方から来られてくだせい」
「博麗の巫女の命は何にも優先さるべし。無礼な連中ね」
 といっても霊夢の予想なら悪いのは首長、カッパをあやつるそのりーだーだけ。無礼なのはりーだーだけでじゅうぶんだ。なのに、このカッパの口調もなんだかぶっきらぼうで無礼な気がするのは気のせい? 話はなかなか思うように進まない。おたがい意地張っちゃっている。りーだーのもとに連れてってくれるそうなのに、ダメなの? カッパはちょっと背を向けて、デンワみたいな黒い四角のキカイを取ってぼそぼそ口を動かしている。足をもた、もた、腰に手を当てたりほっぺたこすったり、落ちつかない感じで。その間にたずねることにした。
「霊夢」
 だけどそのとき。
 となりにいたルナの表情が急にクワッと引いた。何かあったのか。問いかけるヒマもなく、ルナはアタイにぴったりひっついて、アタイの両耳をその両手でふさいだ。
「────あー、んだらもう、やっちゃっていいスか」
 何の声? いっしゅんとまどったけど、すぐに冷静になった。
「ラジャ。──あー、こちら哨戒分隊、哨戒分隊。総隊、準備完了につき報告されよ」
 このキョリで聞こえるはずがない、あの背を向けたカッパの声だ。何気なく足を動かしていつの間にかかなり離れている。
 ルナが能力を使ってできる基本的なことは「音を消す」こと。だけど、それを応用すると「逆に音を大きくする」「ある地点からある地点へ音をつなぐ」なんてことができる、らしい。
『固定砲撃部隊、準備完了』
『機動部隊、準備完了』
『哨戒本隊、いつでもどうぞー』
『パネラー、オーケー』
 何かが。何かがアタイたちの周りで動こうとしている。
「何よ、チルノ。てか、アンタたち遊んでんじゃないわよ」
 声を聞いていたのはアタイだけじゃなかった。スターと、サニーも。まるでふだんからやってて通じあうみたいにいっしょに、ルナの手がふさぐアタイの左右の耳に自分たちの耳を近づけていた。霊夢と魔理沙には不審がられた。ルナの能力が届かなかったみたい。それでもかまわずアタイたちは行動した。周りにナニカ不審なところがないかキョロキョロする。
 今思ったけど、こういうときアタイたちの言葉は強いのかもしれない。
 スターは言った。「あっこらいんなんかぐるわったーてなん」あそこらへん、なんかおかしい気がする。
 サニーはきいた。「ぐるわっちゃい? なんばってんぐるわっちゃいん?」おかしいって、どういう感じにおかしいの?
 スター。「おっけらいんにみらえん。ほのいはごたりむったりおっけろー」いるはずなのに見えないの。ほんとは五、六人いるはずなんだけど。
 アタイ。「サニー。じゃばーそこらびかりんぱっぱしんねい」試しにそこらへんに光を当ててみよう。
 思ったとおりだ。霊夢も魔理沙も、さっぱりアタイたちの言うことがちんぷんかんぷんって眉をひそめている。それなら、あんなに遠くにいるカッパにだって疑われる心配はない。
 サニーに指示して、何気ない手つきであっち──目の前にある建物の屋上を照らさせる。
 別に何もない。
 サニー。「なーもなーね……ん、かげんぼ?」
 ナニカ違和感を覚えたみたい。集中している。必要なのか勝手に動くのか、手がネジを回すようにかちゃかちゃしている。
 すると────
「あっ……!」
 口をふさぐ。目をそらす。
 まさかとは思った。
 でも本当にそういう技術だった。こっちからは見えない。でも向こうからは見える。それは、サニーが光の屈折をあやつることでようやく姿を現した。一、二、三……六人が六つの大砲みたいに大きなジュウコウを光らせて、アタイたち六人にねらいを定めている。
「あれは」
 霊夢もついに気がついた。
『──固定砲撃部隊より連絡、エネミーに気づかれた。砲撃許可を求める』
「撃てッ!」
「避けてッ!」
 ズドン、ズドン!
 青くかがやくエネルギーのかたまりみたいな弾! つまり、弾幕!?
 霊夢、魔理沙、アタイ、サニー、スター、ルナはみんなすぐに跳びあがった。弾はかなり遅かった。おかげで見てからもよけられたけど爆風が大きかった。跳びあがりが足らなかったルナは軽々とふっ飛んだ。へいの外まで飛ばされるかと見ていたら、空中で〝ナニカ〟にはじき落とされた。どこかで見たことある現象だ。
「ルナっ! うひゃっ!?」
 視線を落とすはしからびゅんびゅんと弾幕がかすって飛行が乱れる。
「お前ぇら、撤退だ」
 魔理沙が叫ぶ。それが良いと思う。
 だって、どう考えたってアタイたちが思っていた展開じゃない。どう見たってカッパはアタイたちの味方じゃない。どうしたってセイセイドウドウと弾幕ごっこなんかできやしない。でも────
 魔理沙はキンキュウカイヒのせいか、ひっくり返った体勢でホウキにしがみついている。じゃあ、きっと。アレを見てないんだ。
「テッタイはムリったい」
「あ?」
「これ、結界だ。アタイたち、結界ん内っかわたい」
「なんだと?」
 ルナが空中でたたき落された動きは、代交代式で霊夢に退治されかけたルーミアのあれとまるっきりおんなじだ。かなりの勢いをはね返されて、たぶんそうとう強い結界だ。
 魔理沙はかろうじて落とさなかった三角ぼうしからいつもの武器を取りだす。うちやぶるつもりだ。だけどあわてているせいか武器がポロッと手からこぼれる。
「やべっ」
 拾いに飛びこむ。
 アタイは見ることしかできなかった。びちんっ。横から大量の弾幕になぐられる魔理沙を。
「魔理沙っ」
 人の心配をしている場合じゃなかった。まるで川を集団で泳ぐ小魚みたいな大勢の小さな青い弾幕がいっきに押しよせてくる! 屋上で砲げきするのとは別。きょ大な動くキカイがどっかから現れて次々と発射してくる。耳にバチバチと音がこすりつく。
 弾幕には弾幕だ。
 カッパはとんでもない技術力をもって新しいホウレイができてから数週間で弾幕をうちだすキカイをつくったらしい。だけど、こんなのハリボテだ。不格好だし、整列しているからよく見ればカンタンによけられるじゃない。
 展開。虹色に光って、アタイを包みこむ。
「アタイのが最強だ!」
 押しよせる弾幕に反げきする。アタイの色が青い小魚弾をはじき返し、ぬり返していく。だけど弾幕をうち出している本体は弾幕を受けてもちょっとへこむくらいでビクともしない。むしろガシン、ガシンとこっちに歩いてくる。
 ぱちゅんっ。
「あーっ、もうっ! イッタイッ!」
 霊夢の叫び声がした。
 建物の三、四階あたりの窓に手をついてもう片方の腕をぶんぶん振っている。よかった。霊夢はまだ無事だ。他のみんなは……
「チルノ!」
 霊夢が別のキカイを相手にしながら言う。
「屋上に構えていた砲兵はみんな潰したわ。あとはこのデカブツたちだけ!」
「霊夢、みないはどう? ルナはあっち、魔理沙は下でたおれてらい! うわっ」
 弾幕の重なりが濃い。前から後ろから横から、それなりの速さでおそいかかってくる。霊夢は建物の屋上に逃げ、アタイもそれについていった。攻撃からいったん隠れる。すると、どこからかサニーがやって来て、それからスターも集合してきた。さすが、無傷だ。
 霊夢は大きく息をついてこころを落ちつかせてから言った。
「いい。デカブツをぶっ倒す作戦を練るわよ。河童組からは問答無用の攻撃があった。私は彼女らを〝幻想郷の脅威〟と見なす、よって私はアンタたちに彼女らの駆逐を許可する。弾幕でも能力でも好きに使っていいわ」
「霊夢」アタイは首を振った。「魔理沙、テッタイって言《ふぅ》た。逃げんとが良いきらい」
「でも、魔理沙を置いて……アンタたちのお仲間も置いていくことになるじゃない」
「んじゃば、霊夢だけ逃げん」
 今、サイアクなのはみんなが殺されるかつかまって閉じこめられること。せめて霊夢だけでも逃げることができれば幻想郷のキョウイになった河童組をたおすために戦う人をたくさん集めることができる。
「ルナと魔理沙はアタイらが助けっちゃ。だーじょーぶ。弾幕ごっこは強えー」
「逃げるって、それができれば苦労しないわよ。見た? 結界が張ってあって、弾幕も何も効かないわ。河童の技術って言ったら何でもアリなのっ? まったく」
 いや。
 アタイは頭の上を見る。
 とうめいな結界。そのさらに上、ぶ厚い雲。もう雪が降りはじめていたみたいで、結界にさえぎられてアタイたちのもとには届いてこない。くもり空の先はあらしの予感。そう、かみなりだ。
 手を見てみる。
 アタイならできる。
 考えなくても、なんとなく勘づいてきた。これは借りモノの能力だ。誰からかって、それは……知らない。知らないけど、ものすごく手になじんでいる。アタイには使いこなせる。
 もういちどだけ、借りさせて。
「ごめんね」
 手をさし伸ばす、天に向かって。
「ごめんね、あらくすんね」
 にぎりこむ。
 引きこむ。その感覚は、たとえるならタコあげ。建物の屋上を走りだすアタイの手にはタコ糸がにぎられて、その先には雪雲がつながっていて、そしてその先にあるきょ大なあらし雲を引きよせるんだ。ぐいぐいと、ぐいぐいと。
 空があっという間に暗く、白くなった。季節はずれのお入道様がゴロゴロと怒りをたくわえておなりだ。
 雪雲から手を離す。今度はそのお入道様を思いっきりひっつかんで────
「食らえッ!」
 ピシャアアァァ──ンッ! ズガアアァァ──ンッ! ズドオオォォ──ンッ!! ガラガラガラガラ────ッ!
 一〇発くらい同時にかみなりが落ちた。舌の根もともしびれて味がするようなすさまじい青白い光、打ちつける音! 立っているか転んでいるかも分からない。だけど、生きている。体じゅうヒリヒリ、いやビリビリする。それでも、生きている。かみなりを落とすなんて、どんな考えなしだ。アタイたちは高い高い屋上にいるのに。でも生きているから。かみなりが言った気がした。アタイの友だちになってくれるって。
 目の白み、耳鳴りがおさまる。
 大雪大風が降りつけて吹きつけてきていた。てことは、結界は壊れたんだ。かみなりが落ちる直前、工場全体をぶ厚いお入道様が暗くしたことでいっしゅんだけ外灯がついていた。だけどようすを見るとこのかみなりですぐに壊れたみたいだ。電気が壊れたってことはまた結界が張られる心配もないだろう。
「なにが……起こった、の?」
 霊夢はよたよた、目を回しながらもぬさは落とさず周りをたしかめる。妙な震えがあったり、髪の毛があちこち逆立っていたりするけれど特に傷はない。他のみんなも散り散りになって寝ているいるけど無事だ。
「行かんね、霊夢! 結界はぶっこわったい!」
「い、言ってる場合ですかこの馬鹿ッ!」
 すると霊夢のかみなりが落っこちた。
「アンタ、もし落雷が直撃したらどうするつもりだったの!? というか当たる確率の方がずっと高かったわよ、隕石が当たるよりもねっ! 信じられない────!」
 口をガバッと開けて怒る。これからせっきょうが始まるのか。
 ──ってところで、なぜか急に止まる。大雪のあらしに目を向けて、震える腕をおさえ乱れたお髪をとかす。かかとを軽く動かす。
「……お説教は後ね。魔理沙っ」
 霊夢はすばやく屋上から飛びおりた。
 攻撃の音はしない。あの弾幕をまき散らすキカイもぜんぶ壊れたかな。今なら安全に魔理沙もルナも救助しに行けそう。
「アツい、アツいッ!」
 アタイも屋上から下りようとしたとき、叫び声がした。振りかえるとなんと、床にうずくまるスターだ。そばに寄る。
 目立った傷はない。無事だと思った。だけどひどく痛そうにして「アツい」って言う。熱いなら冷やせばいいのか。どこが熱いのか、アタイはきいた。するとスターは目をぎゅっとつぶったまま、がむしゃらにアタイの腕をつかんで手を自分のお顔の上に押しつけた。そして止まった。
 目だった。
「なんしっけらん?」
 やがてサニーが目を覚まして横にならぶ。サニーは完全に無事だった。でもスターを冷やすアタイをこわばった表情で見てくる。雪がかかるのがうっとうしそうだ。
「目ん目ばケガしよったい。『アツか』ふぅちょーかんて冷やしちょう」
「ルナは?」
「入り口かん近《けら》えめぇここたおれちゃんなん? しも、良ーけえばサニー、見ぃつくばっちゃくらえんな……」
 そう頼もうとしたとき。
 ペカッ。
 あたりのようすがまたがらりと変わった。ふたり、見わたして気づいた。光が戻ったんだ。そう思ったら、どさどさ降ってきていた雪がばったりやむ。
「結界が……マズい」
 ユウチョウしている場合じゃなかった。こんな、何が起こるか分からないテキ地なのに、結界なんかしばらくはもどらないでしょって油断した。すぐにスターをかついでルナを救って逃げだすべきだった。
 もう一回、やる?
 アタイは両手を見る。
「う、あ、アツい、アツいッ!」
 ドウヨウして手をスターから離していた。「ごめん。ほのいに」おさえなおす。
 いっしゅん見えた。黒く、ぬりつぶされた、つぶされたひとみの奥。ダメだ。もうかみなりは呼べない。呼んじゃダメ。アタイが馬鹿だった。
 でも今いちばん気にかかるのはルナのことだ。脱出できなくても、とにかくみんないっしょに行動したほうが安心だ。ルナの居場所はアタイが覚えているからアタイが出ることにした。その間、スターにはサニーがもともと屋上に積もっていた雪を使ってめんどうを見る。
 屋上から飛びたつ。
 魔理沙が弾幕にのまれた周りは何もない。霊夢と魔理沙は結界がなくなったしゅんかんにたぶんうまく脱出できた。アタイがすすめたことだし色んな予想外が重なったんだけど、結果としてアタイたちは置きざりだ。文句があるワケじゃない。でも今回の作戦をうったチョウ本人ふたりがいなくなったんだ。心細い感じはある。
 地面にいくつかかみなりが落ちたアトが真っ黒くくっきり残っている。その周りで大きなキカイが動かなくなってカッパもちらほら倒れている。攻撃の気配はない。けどケイカイはしながら、ルナが結界にはじかれて落ちたあたりを探しはじめた。
 居場所ははっきり記憶したはずだ。どうしてか、見あたらない。
 地面に下りたって「ビー、ビー」わめくキカイの下も調べてみるけど──。
 落ちついて。考えよう。
 ルナは最初の攻撃で大きく吹きとばされたけど、気絶はしてなかったのかも。だからどっか行った。もしかしたら自分の力で結界の外に出た。
 それか、カッパに捕まった。地下のどこかに閉じこめられているかもしれない。
 それか────
 目を閉じて、集中する。
 意識を外に向ける。
 気絶したカッパの気配。ビー、ビー。ナゾのキカイ音。みんなの弾幕が打ちつけて舞いあがった砂ぼこりのにおい。かみなりが起こした火とけむりのにおいと温度。
 ──その中にかすかに混じる、妖精のにおいと体温。
「ルナあああぁぁぁッ!!」
 黒くなった地面。そこに盛りあがっているナニカ。
 鉄の破片が足にささるのなんか気にもならない。全速力でかけよって黒いかたまりに犬のようにかぶって抱きよせる。やわらかな肉体があった。アタイは馬鹿だ。アタイは馬鹿だ。そう頭のなかに叫びちらかす。
 ルナだ。
 やっと見つけた。とても喜べやしない。
 真っ白だったかわいいお洋服はボク汁をかけられたみたいにススまみれ。ルナのミリョクだった巻き髪は雑草みたいにぼさぼさになって別人だ。三日月のせんさいな透きとおったハネはもう……あとかたもない。お顔は……見たく、ない。
「うぐっ……うっ……ぅえ?」
 胸の中に抱きとめることしかできなかった。ルナに謝るとか、自分を責めるとか。感情はこころのなかをはげしくぶつかりながら加速する。
 だけど。
 だけど。
 ああ。この感覚は。
 アタイは、ルナをできる限りやさしく、すばやく手放そうとした。今すぐに離れなきゃいけなかった。
 そのときだ。
 バーンッ!
 アタイと眠りにつくルナは無理やり抱きしめあわされる。視界が回転してその体勢でゴロゴロと地面を転がった。
「ッしゃあっ!」
 離さなきゃいけないのに。体がみじんも動かない。ナニコレ、あみ?
 ……あみだ! 見覚えがある。
 だれかがかけよってくる足音がした。
「やあっと捕まえたじぇ! ったく、まさか予備電源まで使わされるたあ思わなんだ」
 声の方向はルナの肩や胸にかぶっているけど発音の感じはカッパだ。なにより、アタイたちをとらえたのは前にこの山の滝でアタイをとらえたカッパのあみだ。
「お前さんたち、ただじゃおかんぞぉ。我々の養分にしてやる!」
 体があみごと浮きあがって移動する。こんなに重いのに。
 声の主が見えた。やっぱりカッパ。なにかキカイをそうじゅうしている。キカイはアタイたちのつかまったあみをつまんでいた。どこにつれて行くつもりだ。このままだったらゼッタイ悪いことになる。攻撃だ。弾幕は出せないこともない。
 そう思ったときには、遅かった。
 とつぜん、あみの中のアタイたちは地面に引っぱられた。キカイがあみを手放したんだ。だけど、すぐそこに地面はなかった。どこか、ずっとずっと真下にある地面に向かって吸いこまれていく。
 もし何も考えずすぐに弾幕を放って攻撃できていたら。
 どんどん、どんどん視界に光を失いながら。反応のないルナのあたたかい体を抱きながら。あみはあっとうてきな重さでちっとも浮きあがらず、浮かぶのは────後悔ばかり。

 一八

 首にするどい針がささる感覚がして目が覚めた。
 明るくて、金属のにおいがするお部屋。お日様が出ているワケじゃない。ここはどこ?
 片方の耳から声がした。
「やあ! 目が覚めたねー。ウチが今から簡単な質問すっから、答えておくれや」
 アタイはなにか台の上に横になっていた。顔を声の方に向けると、緑っぽいお髪の女の子。カッパだ。白い服を着ている。答えたほうがいいかな。
「んじゃ、まずキミは誰だーい?」
「アタイは、チルノ、妖精で、冷気操《みぃ》つんだ」
「お、文構造ができているぞー! いいね、いいねー。冬の季告精ねー。まー、見りゃ分かるさー……なんか他のヤツと見た目も違うけど……レア個体かなー」
 ん?
 この子は今なんて……気のせいか。なんだか意識がぼやぼやしてる。気を張ってないと今にも寝ちゃいそうだ。
「ここに鶴が五羽、亀が七匹いるとする。このとき足の数は全部でいくつかな?」
 ジャラララーッ。パチッパチッ、パチンッ。
「一二」
「ほうほう、ちょっと賢いじゃないかー。いいだろう、いいだろう。キミにはちょっと楽な仕事を振ってやろう」
 カッパは満足そうにうなずいてアタイを立たせた。おしごと?
 部屋のとびらを開いて「こっちに来て」と言う。外は夜だ。言われるままに行こうとするけど、となりの台に寝ている妖精に目がついた。
「あ、ソイツさ、真っ黒こげだけど明らかに季告精じゃないよねー。キミは何の妖精か知ってる?」
 ルナだ。ルナは何の妖精?
 というか、どうして。こんな姿になっているんだっけ。
 ここはどこだっけ。なんでこんな鉄くさい空間にいるの。このひとはだれだ。
 あれ、何の質問だったっけ。
 ダメだ。頭がぐるぐる、ぐるぐる。
「あー、ぼーっとして答えらんない? いいよ、別に。目も覚ましそうにないし、こっちで処分しとくから気にしなくていいよー。さ、来な来な!」
 腕を引かれる。でも足をふんばる。
 アタイはルナをここに置いていっちゃいけない。アタイはルナに申しワケないキモチがある。そんな気がする。頭がごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ。コンランしている。夢の中をわたり歩くみたいだ。
 そんなごちゃごちゃに気を取られていると、もう外にいた。
「ルナは? あれ……ルナは?」
「あの子はルナってんかい。季告精じゃないなら使いモンになんないし、外に放すかなんかすっから心配しなさんなー。おっと、足元には気をつけい。ここいらはまだ新しくてねー、舗装が進んどらんのだ」
 外は外でも、ここはどうくつの中だった。まっすぐ一本に伸びるうす暗いどうくつをジクにしてたくさんの不自然に明るい部屋がある。たくさんのカッパ、それから妖精を見た。あやふやな記憶を信じるなら、それはみんな秋か冬の季節のおとずれに関わる妖精だった。
「キミの部屋はこっちじゃないよー。ほら、ちゃんとついてきて」
「うん」
「翅もまた特殊だねー。なんか左に偏ってんけどこいはもともと? つか、欠けてないかい」
「うんうん」
 そのうちまた景色が飛ぶ。気がつけば、そこはまた電気がともったお部屋の中だ。部屋の中央を川が流れるように動く台の上をコトコトと色んな大きさの四角い箱が通っている。冬の妖精が数人いた。台の両わきに座ってなにかをパチパチはじいている。あれは、そろばん?
 カッパが言った。
「やることはカンタンさ。キミは、(動く台の上から箱をひとつ取って)この緑色っぽいの商品が目の前に流れてきたらここにあるそろばんの珠を一個上げてやるんだ。分かったかーい。そろばんの使い方はねー」
 ジャラララーッ。
「ありゃ、もう使い方を知っていただって?」
 パチ……パチン。
「そりゃ助かる。んじゃ、その調子で頼んだぞー」
 パチ、パチ。
 パチ、パチ。
 ────
 パチ、パチ。パチ、パチ。
 パチ、パチ。パチ、パチ。
 ────
 パチ、パチ。パチ、パチ。パチ、パチ。
 パチ、パチ。パチ、パチ。パチ、パチ。
 ────
 パチ、パチ。パチ、パチ。パチ、パチ。パチ、パチ。
 ……?
 となりにいた妖精って、冬だったっけ。
 パチ、パチ。パチ、パチ。パチ、パチ。パチ、パチ。
 ────
 アタイの正面、だれかいなかったっけ。
 パチ、パチ。パチ、パチ。パチ、パチ。パチ、パチ。
 ────
 そろばんって四つもあったっけ。桃色なんか数えてたっけ。
 コトコト、コトコト。モノが流れてくる。この色が来たら左上の、あの形は右下のそろばんをいち増やす。この細長いのは数えなくていい。右どなりの子がパチンと鳴らす。グゥーッ。ああ、お腹が鳴っている。お腹が空いた。お腹が空いた。湖の魚を取りに行こう。でもその間は数えらえないじゃない。ああ、それにしてもお腹が空いたなあ。湖の魚でも取りに行こうかな。でも手が離せないや。はあ────
 目の前が急に真っ黒ににじんで何も見えなくなる。とっさに前に手をつきだした。前にたおれちゃうのかと思った。だけどなんにも触れなくて逆に体重を後ろにかけたせいで────「わっぷッ!」
 がしり。
 背中にだれかのぬくもりがした。だれか、あきらかにひとの形をしただれかの胸と腕に支えられる感触がした。
「見にゃえたんらー、チルノっ」
 耳もとにささやく雪の結晶声。あのせまいどうくつじゃないから、もっと細く、だけど、のびやかな。
「……ルーミア」
 どうしてこんなところにいるの、ルーミア? なにしてんの、ルーミア?
 視界がもとの明るさを取りもどす。
 数えなきゃ。数えわすれたぶんは──パチ、パチ、パチ、パチ。
「チルノ」
 肩がゆれる。パチ、パチ。
「逃げんねゃ、チルノっ」
 パチ、パチ、パチ、パチ────
 どんがらがっしゃーんッ!!!
「ぅえ?!」
 目の前の動く台から箱がぜんぶ吹きとんだ。手元のそろばんもぜんぶ飛ばされて珠は散って転がりまわっている。さらに動く台じたいもめちゃくちゃにゆがんで完全にコショウした。ルーミアが使ったのは、弾幕だ。初めてかぐにおいだ。アタイの正面やとなりにならんでいた妖精はすることがなくなってみんなたましいを抜かれたかのように席からぶったおれた。
 ついに目が覚めた。
 どうしてこんなところにいるの、アタイ!? なにしてんの、アタイ!?
「ルーミア、ここばどったびゃ!? アタイ、なんばしーちょーと……」
「後な後なぇー、さっさ逃げんねゃー!」
 カチャカチャカチャカチャ。
「いた、いたぞ! ターゲットだッ!」
 ドタドタとブソウしたカッパが入りこむ。
 じゅ、ジュウコウ。
 ひるむアタイの手をルーミアがつかんだ。そのしゅんかんまたあたりが真っ暗になる。何も見えない。だけどしっかりにぎって引っぱってくれた。
「暗視ゴーグルが機能しない!」
「適当に撃っちまえっ!」
 弾幕ジュウの音がひびく。
 闇にまぎれてカッパの間をすり抜けることができた。あの部屋は今ごろこなごなにくだけちっているだろう。
 どうくつの一本道を進む。闇がとぎれた。アタイとルーミアは足音を出さないために手をつなぎながら天井が低いのをがまんして飛ぶ。
 ルーミアの飛び方にはシンキン感があった。妖精はハネがキホン的に固い(アタイは特に)。速いスピードで飛んでいるときにこのハネがショウガイ物とかにぶつかったら強いショウゲキが体に伝わってめちゃくちゃつらい。だからせまいところを飛ぶとき、特に曲がり角だと体の向きをかなり大げさに変えたりするんだ。
 ルーミアにはもちろんハネもつばさも生えてない。なのに、まるで妖精みたいにカベやショウガイ物をしっかり意識して、間をあけるようにしながら飛びすすんでいるように見えた。おまけに着地するときも体がかなりそる。アタイもよくそうなる。
「前《め》ぇかん来んねゃー、こんとこ隠れんかぁ」
 一本道の奥でひとの気配がした。アタイたちはわきの部屋に入って隠れることにした。サイワイ、この部屋にカッパはいないみたい。でもシアワセな光景じゃない。妖精が光を失った目をして、動く台のわきにきれいに整列して集中してモノをつくっている。
 妖精が……? キモチワルイ。
 アタイは見てられなくてはたらく妖精のひとりに声をかけたり、肩をゆらしたり、目の前をおおってみたりした。すると妖精はお顔を台に向けたままアタイの鼻先をたたいた。
「チルノ、来んにゃい。目立たばにゃえんっ」
「ごめん」
 ルーミアのそばに寄る。部屋にとびらはない。外からは見えないカベに張りついて静かにしてやりすごすしかない。
 ルーミアは小声で言った。
「〈出荷用昇降機〉使《ちゅか》んねゃ。こんカァドで。ふにゃら、外出んねゃー」
 ポケットから空色の小さな紙を取りだしてちらっと見せる。せきゅりてーかぁど。これがないと上にあがれないらしい。アタイは逃げなきゃいけない。でも、ここの妖精たちを見捨てるのはイヤだ。何より、アタイが見捨てちゃいけないのは──
 カチャカチャカチャカチャ。ダッダッダッダッ。
 金属がこすれる音に何人かの足音が部屋を通りすぎていく。
「行《す》っと?」
「……たぶん」
 部屋の外の状況が分からない。いっかい隠れちゃったからものすごく出にくい。どうにか、ここからようすを探れないか。
 アタイは一本道がわのカベにぺたりとミッチャクして目を閉じた。
「え?」
 目を開く。
 イヨウな光景の四角いお部屋。
 目を閉じる。
 イヨウな光景の四角いお部屋。それだけじゃない。部屋の外も──このどうくつすべての景色が、見えている。だれがどれくらい遠くの部屋にいるのか。何がどこで動いているのか。前までとらえることができたのはせいぜい生きものだけだったのに、まるでパワーアップしたみたい。あらゆる地形のようすが、今は見える。
「今は、近《けら》えめぇとこ居《あ》んなんぽか……」
「使かんじゃらんっ」
 ルーミアはアタイのほっぺたをつねった。目を開ける。本当に怒っていた。
「なぇしにょっなえ!? そんチルノんにょーにょくなんねゃーっ!」何してるの!? それはチルノの能力じゃないでしょ!
 そうだね。たしかに、アタイのじゃない。ルーミアにはおみとおしらしい。じゃあ、だれの……
 パリンッ!
 アタイの後ろで氷が割れた。
 だれの?
「もう……遅えんかも」
 ルーミアはそうつぶやいてアタイのほっぺたから手を離した。おまゆを下げて、上目にアタイを見る。まるでもう手がつけられなくなった冷たい体を見るように。
「いくねゃ」部屋の外に飛びだしていく。
「待って」アタイは引きとめて言った。「ルナを助《す》けなんちゃ」
 ここに落ちてきたこと、もともとはアタイが招いたジタイだ。アタイがかみなりなんか呼びよせなかったら。結界をやぶる他の方法、それか結界をやぶらないでも脱出する方法を考えていれば。少なくとも考え知らずじゃなければ。アタイが馬鹿じゃなければ。起こらなかったサイアクのジタイだ。
 ルナはこの近くのお部屋で寝ている。ちょっと寄り道するだけだ。
 ルーミアは頭を振った。「チルノん友だち? 知にゃえん。さっさ逃げんねゃー」
 アタイも頭を振った。「いけん。アタイが助かなんばだりも助かんば! ルーミア行ったらん言《ふぅ》ちゃれんだらアタイ、いとりで行っとー!」
 ルーミアは頭をグイッと近づけた。「〝るぅ〟は! チルノを! 助けに来たッ!」
 ダンッ!
 ドカーンッ!!
 部屋のうちそとで言いあらそいをしていたときだ。すぐそばのカベがくずれた。外に体の半分が出ていたルーミアはもちろん、カベに張りついていたアタイもどうくつの一本道から丸見えに。かろうじて無傷だけど。
「撃墜失敗!」
「見りゃ分かるさっ……って、あああっ!」
 遠くからの声が叫ぶ。
「一週間前に攻めてきた妖精だああ! 博麗の巫女の一味の……! 誰だ、こんなところに連れてきたの! アイツは季告精じゃないぞッ!」
 アタイのことだ。
 え、一週間前?
「こっち」
 ふたたびルーミアがアタイの手をにぎる。飛びたとうとする。だけどアタイのこころをうったショウゲキが強すぎて力が入らない。しかも今さら気づいたように空腹がおそいかかって立つこともできなくさせた。
「チルノ!」
 一週間……一週間? ペタンと両あしを地面につける。それだったらもう、ルナはもとの場所にいないかも。そもそもいつからルナがいないんだっけ。工場の地下に落ちて、目が覚めて、そのときはいた気がする。でもあやふやだし、どの時点で一週間がたってたのかも分からない。ひょっとしたら、ここに落ちてくるのに一週間かかったのかも。────ナニ考えてんの、アタイ?
 バーンッ!
 ……コレにかかるのは何回目だろう。アタイはお魚なのかもしれない。
 うたれたのは反対方向。はさみうちされていた。
 地面をはずみよく転がっていく。うす暗いどうくつの景色がぐるぐると回転して、たまにルーミアの頭とごっつんこして、とまった。地面にはいつくばって、その上にルーミアの体重がのしかかる。アタイよりもずっしりしている……気を失ったみたいだ。アタイはなんとか。でも。
「侵入者の無力化完了」
「よしよし」
 どうしようもない。お腹も空いた。どうしようもない。ねんのため立ちあがろうとしてみた……どうしようもない。
 パキッ。こりっ、こりっ。だれかが近づいてくる。
 ムグムグ。ぴゃっ。
「やあ、」
 片手にしていたのは、キュウリだ。
「久しぶり。覚えているかい」
「あっ」
 アタイとおんなじ青色のお髪。
「化学工学部門長のにとりさ。あり、名乗ってなかったかんねー? こっちのは、げげ、妖怪!? まさか人喰い……それが妖精を連れ出そうとするなんざ、どういった顛末だい」
 カッパのにとりは頭をかいてぶつくさ言い、かぷりとキュウリを食べる。
「キミも食う?」と半分くらい残ったのをさし向けたから、あみ目のすき間からかじりついた。びっくりしたにとりが残りをこぼす。地面に転がったのをつかみ取ってほとんど丸のみした。
「い、いい食べっぷり。後でなにか食べさせてあげよう。季告精以外は従えるのが難しいからね、捕まえても逃がすのがセオリーさ。キミはたぶん、勘違いされたんだにっ。たまにいんのさ。ふだん妖精捕獲に携わらないヤツが『やるよ』って。見れば『物象精じゃねえか!』『土着精でねえか!』。ったく。迷惑なヤツもいたもんさってね」
 アタイは氷。現象の精。おんなじルナたちとは仲が良い。だけどたしかに合わない妖精もいる。季節の妖精はそのひとつ。この妖精たちは似たような顔ばっかりならんでいるし、自分たちのおしごとをこなすことをなによりもユウセンする。マジメな性格だ。こっちから口をきこうとしても「ハルデスヨー」って口ずさんだりして通りすぎていくんだ。そんな分かりあえないヤツらだけどゼッタイにたしかなことがある。オマエたちのおしごとはソレじゃないでしょ。
 にとりはよっこいしょ、と地面にあぐらをかいて言った。
「ま、キミはかの巫女といっしょに攻めてきた敵でもあっからねえ。本当なら懲らしめてやるところだ。だがどうだ、おめぇさん、ちょっくら働いてくれたろ。それに免じて、今すぐその妖怪と退散することで勘弁してくれるわい」
「なしに、こんなごと、しぃちょん?」
 アタイがずっとききたかったシンソウだ。
「こんなこと?」
「自然の妖精ば使って、自然ば壊しんとしちょう。なぁで? ……っ、カッパったい、自然ばアイしんモンじゃら? うぐ、『ウラでだりか、糸引いちゃんね』って霊夢は言ぅた。だりなん? ……っ、だりに操やんじょん?」
 のどがヒク、ヒク、とつまってしゃべりづらい。叫びたくてたまらないキモチだ。なのに、体が震えるばっかりで力が入らない。ただただルーミアの「正しいぬくもり」を感じながら、地面と、その上にどっしりとしたカッパのすっぱだかのあしを見るだけ。
 わっはっは! ぶわっはっは!
 にとりは大きく大きく笑った。
「なんでい! そんつもりでこっちへ攻め入ったのかい。我々もずいぶんと甘く見られたってこって。巫女がお携えなった勅命がどんなモンか知んねえけんど、とにかくウチにそないな操り人形師は居らんでなあ」
「え?」
「お前《め》ぇさんはちょいと賢いようだ。教えてやろう、我ら河童組の野望を」
 にとりはかぶっているぼうしを取って、少しあおぐようなしぐさをしてまたかぶった。
「河童ってのはとりわけ好奇心旺盛で研究熱心な生きものさ。頭の皿の大きさは吸収できる知識の多さ、人の子の欲張りやこだわりに引けは取らねえ。そんな我々は幻想郷における技術の最先端を駆け抜けるに留まらず外界の様々な業界にも触れてきた。それ見てみろや! 幻想郷の人々の暮らしぶりは外界にそれに比しあまりに古ぼけ、劣っている。外では車が何千何万台と走っているのに人里のきゃつら、やあっとガスや電気を使うのを覚えたとこさ。一大改革が要る。我々河童の幻想郷内外の研究によって誕生した様々な技術を以て、我らが旧《ふる》き盟友たる人間たちの文明を飛躍させるのだ! そのためには多少の犠牲は厭わない、いいやッ、厭ってはならん。外では『芸術は爆発だ』という言葉が流行した。はなひらくと書き『開花』。この幻想郷という名花を開くに必要たるは爆発! その爆発にはすべからく巻き添えになるものがあるべきではないか!」
 そうだ! そうだ! ごおおぉぉん。
 周りで賛成の声があがった。それにつれ、にとりの口調も熱く、うっとうしくなる。
「皆は天の雲行きを確かめその曇天っぷりに訝ることだろうさ。しかれども、我々にはずっと向こうに広がる晴れ間が見えている。今が苦しい時代なのだ。旧き時代から新たなる時代に移る過渡期。うちわから扇風機に。氷室から冷蔵庫に。火鉢からエアーコンディショナに。回覧からラジオに。伝書烏から電話に。井戸から水道管に。疑わしい生薬から安心な製薬に。手狭な寺子屋から広々とした学校に。さらにさらに、外界風な食品・飲料・衣料、電気玩具や煙草みたいな新時代的娯楽も。徐々に徐々に取り揃えていく。快適な世界は、もはや目前ぞ!」
 そうだ! そうだ!
「そんなワケないっ!」
 ずしんっ。
 アタイは地面を思いっきりたたいた。だんだんとできてきた人だかりがおどろいたのかびくりと跳ねる。にとりすら立ちあがった。アタイは怒りをこめて言う。
「解放しぃ……! ここに居《あ》ん妖精みない。そうせんば、幻想郷は壊れる」
 にとりはアタイに目を細めて言う。
「む、むしろ壊れちまったほうがいい、『キュビズム』さ! 鎖国的なこの幻想郷という像を破壊し、またつなぎ合わせ再編成する。そうすれば凝り固まった文明は動き出し新たな光に照らされるだろう。我々は止まらないッ。個々が研究に没頭する性質であるがゆえ統率取りに苦心するが一同、河童組此処に結束し、不幸な盟友たちを救うその日まで、辛い雨に皿を濡らし、汚れた川水で育ったキュウリを食いながら、突き進むのみぞ!」
 そうだ! そうだ!
「ちがう! ちがう!」
 ずしんっ、ずしんっ。
 叫びながら小石の混じる地面にこぶしをなんども打ちつけた。正直、にとりが何を言っているのかたいして理解しているワケじゃない。知恵の差で、立場の差で負けている。だけどアタイはコイツらを否定しつづけないといけない。もはや、それは大ちゃんのためどころの話じゃなかった。幻想郷のためだ。
「壊すなんば、ありえんだいっ。取りかえしつけんごとなんな」
「うん、だからね、取り返しのつかないことになっていいのさ。生まれ変わるんだから」
「こんな妖精はたらかして、オマエらに春ば来ん。夏も来ん。秋も来ん。冬のまんま。さびしい、さびしい……」
「ほんなら氷精のキミには朗報だにっ」
「こんなごと、人間はだりも願ってらん!」
「ハハッ、そいつはいったいどういうデーターに基づいているんかいな」
 ダメだ。なんて言ったって、まるで、きかない。
「……うっ…………うっ。あ、アタイん、だい、すきな、げんそーきょー…………うばわんで……」
 こんなキモチ、今さら気づいた。
 アタイは幻想郷って居場所が大好きだったんだ。年がら年じゅう暮らす霧の湖が何よりも好きで、たまにそこから飛びだして幻想郷にすむたくさんのひとや景色とすごすのが好きだったんだ。
 知らず知らず、流れおちるアタイのなみだ──こつぶな氷の結晶がゴロゴロと地面に転がって吸われる。
 ……ちがうな。
 今になって気づいたんじゃない。
 これは、アタイが持っていたキモチじゃない。
 幻想郷のあらゆる声が聞こえる。幻想郷のあらゆる気配が見える。まだまだ眠っているモノがあるかもしれない。この能力がアタイに流しこんだ、この持ち主からあふれだすあたたかいオモイだ。アタイに「大妖精」の心を根づけ、まるで体の一部みたいな幻想郷の自然に触れてまわるたび、アタイに「この居場所を守りたい」というキモチを芽生えさせた。
 ねえ。どうしていつもいつも色んなところを飛びまわっているの?
 それはね。呼ばれている気がするからだよ。
 ──分かるよ。分かるよ、大ちゃん。
 もう、認めなきゃいけない、よね。
 大ちゃんは能力を隠していたワケじゃなかった。本当はいつも発動していて、でも冷気や光や音をあやつるみたいに分かりやすくはなくて、「気配を探れる」みたいに一言で表現できるくらい単純でもないから、アタイたちは理解することができず、のほほんとしてちょっぴりめんどうくさがりな大ちゃんは、いちいち説明しようだなんて思わなかった、だけ。
 そんなカミサマみたいに大いなる能力だ。
 そんなカミサマみたいに大いなる能力が────受けつがれた。アタイはやらなきゃいけない。
 だけど。
「泣きべそかいたって困るわい。妖精の摩訶不思議なんざ知らなんだ。科学はすべてを解決するんじゃい!」
「ううっ。イヤだっ、イヤだっ!」
 けっきょく、これでなにができる?
 カッパどもにいじくり回された土地はアタイになんの力もはげましも与えてくれない。ただそれを悔しむようにおしむように地面をたたくことしかできない。
「なんでい、さっきから……」にとりが不快そうに言う。「おい、そこの、ああ、誰でもいい。この網の中の獲物をさっさと地上へほっぽり出してしまえ」
「あいさー」
 まるでどこかへ出荷する荷物みたいにズルズル引きずられていく。にとりはどうくつの闇に溶けて見えなくなった。
「イヤダッ! イヤダッ!」
 アタイはカッパどもを止めなきゃいけない。このどうくつで働かされている妖精たちを解放しなきゃいけない。コイツらはアタイをコロすつもりはないらしい。だけどアタイだけ助かったって意味がない。牛や馬みたいに働く妖精たちの目に光をともしなおし、そんでもってカッパ組の工場をめちゃくちゃにしてやる。
「カッパなんか、みない馬鹿だら! バカのカッパ! バカッパめやっ!」
 ドカッ!
「うっせーわい。おとなしゅーしぃ、焼却処分せんだけありがたく思いな」
 あみ目から鼻をけり飛ばされた。まず周りのブソウしたコイツらをどうにかしなきゃ。なのに、弾幕を出そうったってふんばりがきかない。くそうっ、止まれ!
 ずしんっ。ずしんっ。どしんっ。ドゴッ。
「なんですかいね、さっきからこの揺れ……」
 ドゴッ。グシャッ。グシャッ。グチャッ。グチャッ。
 引きずられながら地面をたたいていると少しやわらかめなところを引きあてた。────だからなんだって話。抵抗すればするほど手が傷ついて痛みが強くなるだけだ。氷の粒子がさっそくはがれたツメを治そうとしている。でも治るまもなく、アタイ自身ワケも分からず地面をたたきつづけた。
 ズシャッ。グシャッ。ゴンッ。ガンッ。
「なんだろうね。地震? にしちゃあ、不連続的だなあ」
 そのとき、気づいた。
 アタイがこぶしを振りおろすのに合わせて、どうくつ全体が揺れていることに。
 妖精としての本能がアタイを突きうごかす。
 両手をいっしょに振りあげて────おろす!
 グワンッ!
「うおっ」「ぐわっ」
 動きが止まった。これは……いいぞ。
「おらっ! ぅらっ!」
 ズシーンッ! ミシミシ、ガラガラガラ──
「その妖精が犯人だ……!」
「気づいたって遅《おろ》ーてやい!」
 動きの止まったあみの中から弾幕をかかげ、前にも後ろにも放つ。逃げ場もないだろう!
「ぐぎゃああああああっっっ!!」
 つぎつぎと心地よいゲキトツ音を発してたおれるカッパ兵たち。
 ガラガラ、ガラガラガラガラ────!!
 アタイがもう何もしなくたってどうくつは揺れた。揺れはだんだんと大きくなって周りのカベや天井にヒビが入り、くずれ始めている。水がフンシャしているところもある。きっとアタイもルーミアも、コイツらも季告精たちもいき埋めになっておぼれてしぬんだ。それでいい。それがいい。みんなみんな、もとの自然に返すんだ。そしたら、悪いモノだけ沈んで良いモノだけまたそのうち浮きでてくる。
 金属のあみをつかむ。すると、ぽろりっていっていっしゅんでふやけるようにやぶけた。今のアタイはなんだってできる気がする。あみから抜けだし、アタイの鼻を蹴ったヤツの顔面をキックして揺れに任せて小おどりした。
 大ちゃん、大ちゃん。やったよ。
 これでカッパ組はいなくなる。
 自然が元通りに元気になる。
 そうすれば、大ちゃんもきっと元気に目を覚ましてくれるよね?
 グラグラグラグラ、ガラガラガラガラ────
 ふと振りかえるとルーミアが入ったままのあみが土砂につぶされていた。
 わきにあった部屋もとびらの枠だけ残って中身は妖精がちらほら埋まったがれきの山。
〈飲料類〉
 どこかで見たような箱が見えた。
「……」
 腕を組む。グラグラ────
「…………」
 ひび割れた天井を見上げる。ガラガラガラガラ────
「………………………………あ。アタイ、馬」
 ガッシャァァァ────ン!!!
 パリンッ!

 一九

  二〇〇一年二月八日〈人の街郊外・峠〉
〈────これより暫定。被災者。死傷五〇余人。負傷三〇〇余人。死因の最たるは建物損壊による圧死。次いで食糧不足による餓死に続き毒性の食物口にせしことによる病死。若干人の焼死。負傷要因の傾向これらに類似したり。住家被害。全壊又全焼一二〇余棟。半壊又半焼一〇〇余棟。幻想郷の住家地震に強かれども昨今事業拡充したる民間企業〈河童組〉の建築様式はこれに習わず脆弱なりたり。余すことなく全壊し尽くせり。公共事物被害────〉
 もう、いいか。そうか。なら……改めて、やや久しいな、チルノ。恐らく私の外見について決定的な質問があることだろうが気にしないでくれ。これは、まあ、ハクタクというのだが、元の姿と大した違いはない。
 はは。すまないが我慢してくれ、あっはは。……それはそうと、チルノ。お前も一か月前の地震に巻き込まれたのか。『さっきそこで目覚めたんだ』と、言うからには……。
 ……何?
 まさか、な。────────、本当なのか。
 おい、待てっ。(紙と筆をすばやく取りだして)今の話をもう一度、詳らかに教えてくれ。頼む! フシューッ、フシューッ……。
 あ。すまない……そんなつもりはなかった。
 ────
 チルノ。一つ、知恵を授ける。この幻想郷にまつわることだ。
 外界からひとが訪れたとき、私たちは此処が『忘れ去られた人妖棲む幻想郷』と告げる義務があるな。これは中身のない歓迎の挨拶とかではなく、きちんとした意味を内在している。忘れ去られたとは、外界から、だ。幻想郷は外界で絶滅や忘却の彼方に追いやられた事物のための受け箱なのだ。河童組の手を出した外界風の事物は翻って外界にありふれたものであるから幻想郷という器からこぼれやすい、定着しにくい。ゆえに、こたび河童組を襲った災害はある種必然であったと言える。チルノが災害の一端を握っていたとしても、いなかったとしても、いずれ何らかの形で河童組の事業は滅んだであろう。
 待てと言っている。聞けっ。さらにもう一つ。ハクタクは起こった出来事を、なかったことにすることができる。
 本来それは紙の上の話。歴史書の一節を消し去ることで些末な出来事は抹消しうる。しかし、強大な力を得さえすればこたびの河童組を発端とした一連の出来事、〝幻想郷から忘れ去らしめる〟ことができるやもしれぬ。仮にチルノが〝河童組を崩壊させるために〟地震を起こしたと言い張るなら『別の事由につき崩壊していた』『そもそも河童組が発足していなかった』などとすれば震災は起こらない。これがごく自然な地震だったならばどうしようもないがな。さて、チルノ。お前の語る所は誠に真実なりや。
 ふむ。いずれにせよ歴史を改竄するに非ずして改変するとなれば相応の変容が表れる。これぞ千変万化。ありとあらゆる出来事がありとあらゆる様に変化しうる。数百年前の歴史に筆の突くことがあれば、現在がさらに不都合な世の中になっていることもあるやも。お前にその覚悟があってなお、主張すると言うならやぶさかではないが……ところで実行にあたっては、その年で最も強大な光を湛えた月の満ち極める夜という条件もある。
 今日のことだ。
 ────
 一年、考える時間をやる。
 二〇〇二年二月二七日の夜、この地にて、お前の決断を聞かん。それまで、じっくりと考えることだ、チルノ。さらば。

  一一日〈三妖精の大木〉
 ──ズバババババッ!
 来んねやッ、チルノ! なんば無事だっちゃい! チルノん雷《ビカビカ》落《は》ねっちゃれて、めんずー辛ぇごとなったんじゃばい! 
 ウチにあやまえ!
 スターにあやまえ!
 ルナにあやあえ!
 あやまっちゃえたどってん、おめだんきゃゼッコーじゃばいっ!!
 ──ズドドドドドッ!

  一五日〈ルーミアの洞窟〉
 ぴちゃん、ぴちゃん。

  一六日〈ルーミアの洞窟〉
 ぴちゃん、ぴちゃん。
 サアー。サアー。

  一八日〈ルーミアの洞窟〉
 ゲーコッ、ゲーコッ────おいたわしや。
 遠方よりその雷名、轟いておりますぞ。我らが大妖精様。

  二三日〈霧の湖・上空〉
 さぅにゃおかぁ。
 ────
 わはー、わはー。
 ────
 さぅにゃおかぁ。

  二四日〈レミリアの館〉
 特に被害無いわよ。震源の街から離れた地に建てて良かった。その幻想郷の性質というのは恐ろしいけれど。忘れ去られたわたくしの記憶の館に似せて造らせたからかしら。何にせよ、河童組が消える前に完成して良かった。────アナタ、また例の症状? あと、ハネはどうしたの?
 ……もう寝る準備は終わらせたの。悪いけど出かける気にはなれないわ。
 ええ。妖精? まあ、好きに働かせているけれど。
 無理よ。
 ちょっと、落ち着きなさい。すぐカッとなって、その冷気は何のためにあって? アナタと敵対したくはない。ちゃんと説明するから。あのね、そこらで働いている妖精はわたくしが捕らえた者たちじゃないわ。皆勝手に寄りついてくるの。
 ────
 分かればいいわ。グッ・モーニン……チルノ。ねえ、忘れてないわよね。
 ティーパーティの約束を。

  二七日〈ルーミアの洞窟〉
 お帰りなさいませ、大妖精様。

  三月一日〈ルーミアの洞窟〉
 いいえ。誠に残念ながら。
 そう自暴自棄なされます……なッ!? 大妖精様、おやめください! 凍……!

  五日〈滅んだ人の街〉
 あれで最後の食糧だ。雨がやんでからまた市へ赴こう。
 燃料もいっしょにね。春の暖かさにありつくにはまだ少し遠く思います。安ければまとめて買いつけましょう。
 その春の訪れが暦通りだと良いが。
 ────
 お母さん、堪忍です! もうそこに、ありし貴女の息子さんはいない! 軒や梁が今に崩れますぞ!
 ああああああ────ッッ! 仙ちゃんやぁあああ!!
 堪忍っ、堪忍ですッ!
 ────
 冷てっ。おい、とぼとぼ歩いてんじゃねえ! 殺すぞ!
 ────
 ユレタッ?! 気のセイ、気のセイなのカ?!
 ────
 チルノちゃん、チルノちゃん。なんじゃけぇ、いつもと見た目違なんべ?
 来て。────あたしのおかあ。
 妖精さんってケガしてもすぐに治るっぺや。どーしりゃおかあも治るっぺいや?
 隠さんで。
 教えて。
 教えてっ!! ズルいよ! 妖精さんだけすごい能力を持ってるのって。妖精さんだけべんきょーせんで遊ぶだけでいいのって。妖精さんだけシんでも生きかえるのって。みんな妖精だったらいいのに! こんな『妖精語』やっててもイミないし! どーせあたしはニンゲンだし! トクベツなモノなんかなんにも持ってないし! チルノちゃん、あれでしょ。あたしたちのことなんにも持ってないひとだって見下してんでしょ!
 ────
 ハア、ハア。南の川が生きておりますのは幸いでしたね。
 雪は滅多に見なくなりましたが、氷雨《ひさめ》がいたく冷とうございますわ。ヨッコイショ。ああ、そこの瓦礫にはお気をつけを。金属片も混じって、前にかかとを擦り剥きました。
 あらお辛い。この鉄塔、こうも大胆に崩れてはラジオもしばらく聞けますまいわ。夫をお見送りしてからの楽しみでしたのに。
 アレ、それほどようござんしたもんで? 私はあのがびがびとした音がどうしても耳に慣れなくて、譲ってしまいました。この鉄塔もなんだか景観に合わないとばかり。私は流行りの『河童』とはたいへん相性が悪うござんしたようです。
 実は私も……ここ数年、古き佳き育ちのふるさとが冒されているような心地がしてなりませんでした。子どもの好奇心に和みはすれど、次から次へと新しい食べ物や飲み物、玩具に飛び入って私はついていくことができなんで、品の特性も知りませんからうかつに咎めることもできず。地震から、もうすっかりあの妖怪山へ立ち退いたみたいでホッとしております。
 ですが、なぜ急に消えてしまったのでしょう?
 さあ。──ありゃま、裾がやぶけて!
 ────
 おおっぴらにゃ言えんが──○○代の治世は終わってんな。
 そりゃそうだ。
 あん鬼巫女の勘も子煩悩に鈍ったんだ。代交代を行うにゃ間違いなく尚早だった。習わしを乱しちゃ世をも乱す。もはや博麗家の治世、これにて末世ってこった。
 聞いた話じゃ向こうの神社の三が日に参拝客が妖怪に襲われたそうじゃねえか。こないだの新令も、ついに博麗は妖怪の味方になりおったんかってな。参道もただの悪路、こいで安全も保障されないんじゃあ……二度と行くもんかっ、あンな妖怪神社!
 おい、声がでけえ。他のヤツに聞かれでもしたら……あん? なんだ、餓鬼。あっちいけ。
 ワハハ! なんだコイツ。どこの小娘だ。
 見ろ。背中に不良品みてえな翅がついている。コイツ妖精じゃねえか。
 ヒャッハー! 麗しき妖精様がこの末世の下衆どもに何の用かなあああ! ……潰されたくなけりゃなんか金目のモン置いてけよ。てめぇのカラダでも良いぜ。
 ──そこまでよ、下衆ども。
 なっ……。ケッ、噂すりゃあ本当に来やがった。あばよ、出来損ないども!
 はあ。
 ん。アイツらはまあ、放っておきましょう。チルノ……アンタとは話さなければいけないことが山のようにあるわね。ああ、でも今は仕事中なの。今日の夜は空いているかしら。
 ────
 両親はともに逝きました。家屋は強度が良く無事なのですが、父は居間の箪笥に潰され、母は台所の戸棚から吐き出された器具の打ちどころが悪く……ひどく不運なことでした。近所の方からは、自分たちのことで精いっぱいなはずなのにたくさんのお慰めをいただき、なんとか暮らしています。チルノさんはご無事でしたか。
〈鈴鈴堂〉の看板は剥がれ落ち店内も凄まじい荒れっぷりでした。ですが父の遺産である蔵書はほとんど損傷を受けていません。だいぶ片づいてきましたし、近々、また看板を掲げようかと思っているのです。屋号を改めて。──こう掲げます。
〈鈴奈庵〉
 面暗く足取り重い人々の耳にチリリンと癒しの〈鈴〉の音が〈大〉きく鳴り〈示〉され、ふと寄り集まって励まし合う憩いの〈庵〉となりますよう……そのためにはまず、(チリンチリン)、店主たるわたしの根暗を直さねばなりませんがっ。小鈴は、やりますよ!
 えへへ。ところでチルノさんは今日の夜、暇だったりしますか。
 ────
 隣の家の子もッ、その隣の家の子もッ、その隣もッ、親は無事だった! なんでわたしの家だけ! わたしだけ親を二人とも喪ったの!? グズッ。カミサマは本当にわたしたちを祟ったの!? そんなのってない。ひどい。ヒドイヒドイヒドイヒドイ!
 これからだったの。あれからやっと外に出してもらえるようになって、外の世界に少しずつ触れながら、ウッ、母に家事炊事を学んで、父には『将来の話』を持ち掛けられて商法のこととかたくさん学んで。一歩一歩踏み出して、行ってった先で! ズズッ。おかしいじゃん……おかしいじゃんっ!! お父さん、まだ〝読んじゃいけないあそこの本の秘密〟聞いてないよ! お母さん、まだわたし、ぜんっぜんお嫁にいけないよ!
 うわああああああああああああんっっっっ!!!
 ────
 ──ガラガラガラッ。
 酒は飲める?
 そう。なら甘酒があるわー。あ。でもあっだめちゃってるから、好きに冷やしてちょーせつしなさいねー。
 ────
 地震でだいぶ崩れたけれど建て直す目途は立ってないわ。ま、震源の人里のほうががもっと残酷に壊滅したんだけど。でもって? その災禍を怨みに怨んでクルッて? 私の元へ矛先をむけてッテッテッテー、って、ふざけんじゃないわよ! 自然現象よ? んなもん知ったこっちゃないわ。はあああっ、やってらんない! 治安維持のためにここんとこ毎日行ってるけれどそこらじゅうから陰口がこれ見よがしに陰から飛び出して来るんだから。十日に九日は気を悪くして帰ってきて、独り深酒祭りよ。ま、酒気帯びお巡りなんかした暁にはにぎやかな血祭りがおっぱじまるでしょうけれど。
 あん? お母さんは死んだわ。
 あの人らしくもない、あっけない最期よ。まだロクに動けた体じゃないから昼間っから床に就いて、するとグラグラ、天井ごと崩れて窒息死。ちょうどアンタの背中の襖を開けば当時の残骸が見えるわ。遺体は埋めたけれど。
 嫌ね。お酒がマズくなる。河童組を攻めた日の話をしましょう。アンタの無茶が功を奏して魔理沙を回収して結界を脱したわ。魔理沙のほうが傷がひどかったけれど治せないほどひどくなかったのは救いね。アンタは確か他の妖精を助けてから抜け出す感じだったでしょう。治療しているうちにアンタたちが帰って来るかと魔理沙ん家で待ってたんだけどこれが一向に来ない。数日も経って、諦めた。新たな作戦を立てるとともに徴兵用にばら撒く〈征伐河童組之檄〉を作成していた────そのときだったわ。アンタたちはこの間、一週間、何をしていたの?
 あのねぇ、私ねぇ、お酒を飲むとねぇ。
 ──ストッ。
 勘が冴え渡るの。この幾代に一代《いくよひとよ》もござらんまさに世紀の大地震には、目の前の妖精が深く絡んでいる、と、巫女の勘がそう言うのよ。
 てかアンタ飲んでる? 飲んでないわよねー、飲みなさいよ! 甘酒飲んでんの? そんなもん飲んだうちに入んないわー。ほらこれ、大吟醸ドーン! 今のご時世じゃ滅多に手に入んないわよー、さあさ飲みねい飲みねい! あー、なんか子どもにお酒を進める悪い大人になった気分だわ。でもアンタ、私よりずっと長生きでしょう。ふふっ。これくらいイケないようじゃねぇ。ほーらグイッと、グイッと! そんな唇引っつけてチビチビ飲むんじゃないわよ。ズズッ。ハァ、暑い暑い。もう脱ぐわ。グズッ。ちょっとアンタこっち来て、飲み相手のついでに、この火照りをっ、冷やしなさい……
 よっ。うぁっ、ぐっ。ズス────ッ。アア。アア、良い。丁度イイ氷嚢よ。そのまんまにしでで。うぐっ。ふえっ。飲み相手、いないの、づきあいなさい。ふああぁぁあっ。ひぐっ。ああ、────────ごめん、チルノ。泣くね。
 ────
 神へ祈祷ばかりしているからよ。グズッ。こんな早くに神の都に連れ去られた、神が鉄槌を食らわすついでに、こう、引ッ掴んで。そうよ。私の不信心の行き過ぎが招いた鉄槌じゃないわ。〝あの人の〟信心の行き過ぎが招いたことよ。チルノ、疑って悪かったわね。ズビーッ。
 きっと私で末代なのでしょう。度重なる失態。人々は見るからに信仰を薄れさせ、社へ金品を奉じる者は消え、そのうち暮らしに貧し、廃れ之く。これで『鬼巫女』が死んだとなれば一層──。実績がなくてはならないのに、河童組は討ち取れず退却するうちに勝手に潰えた。まるで私にはまだ早いと示すかのよう。でもそれなら。ひっく。どうして今いなくなっちゃったの? ひっく。私なんてっ、まだまだ半人前じゃない!
 博麗巫女なんか背負《しょ》えない!
 こんな大幣似合わない!
 神楽鈴がよっぽど相応しいわ!
 巫女舞だけ!
 半人前!
 甘ったれ!
 出来損ない! ッはあっ、はあっ、はあ────っ!
 んぐっ。まだ……まだ、貴女のお膝元でおてんばに過ごしたかった!
 そう思うのは間違い? 私、まだ一六よ。どうせ患うなら鬱病じゃなくて恋情が良いわ!
 ……は、なんでアンタが謝ってんの?

 二〇

  三月七日〈霧の湖〉
 アタイは馬鹿だ。アタイは馬鹿だ。アタイは馬鹿だ。アタイは馬鹿だ。アタイは馬鹿だ。アタイは馬鹿だ。アタイは馬鹿だ。アタイは馬鹿だ。
 自分が起こした地震に押しつぶされ、目覚めてから一か月。こころの声は、ずっとコレだ。それ以外のことなんかまともにこころでつぶやいちゃいない。
 サニーたちには今度こそゼッコーされた。おたがいに忘れない限りは。
 ルーミアにはずっと避けられている。めったに会えなくなったし、会ったとしてもなんだか今までのルーミアじゃない。「さぅにゃおかぁ」ってばかり言う。アタイは工場から助けだそうとしてくれた感謝を伝えたいのに。アタイが約束をやぶってそっけない態度を取られているのか、ただ土砂に頭をぶつけて記憶をなくしたのか狂ったのか、話にならない。でも生きかえったなら、それで良かった。
 人の街は────アタイは馬鹿だ。アタイは馬鹿だ。
「あっ、俺たちの街を壊した犯人だ!」そんな声が聞こえてきたとしても、カクゴはしていた。けーね先生はそのことを広めていないらしい。もちろん自分から言う気にもなれない。でも霊夢にはとうとうさらけ出しちゃって。三度目のつまみ出しを食らった。もう自分から会うことは間違ってもない。
 ルーミアのどうくつは無事だ。大ちゃんはまだよみがえらない。
 湖の上にはまだちょっとの氷の島が浮かんでいる。乗ってみたらひっくり返ってドボンした。アタイは馬鹿だ。あきらめて岸の方で湖の鏡をのぞきこむ。
 氷のハネがない。
 たくさんの知り合いがアタイの背中を指さして言うんだ。どうしたのか。アタイがいちばん知りたい。ゾッとする。自分が自分じゃないナニカになっているようで。せいかくにはハネがずいぶん小さくなった。数も減った。冷気をあやつる能力は弱まっていない。だけどこのまま氷が溶けだしていっちゃったら。
 頭にリボン、短く結んだお髪。一枚布のお洋服。ハネ無し。まんまルーミアじゃん。アタイは妖怪になるのかもしれない。そんなのヤダヤダヤダ。
 湖の手前に向かって冷気を発射する。強力な冷気が表面をコチコチと冷やしてアタイの姿ごとおおいかくす。だいじょうぶ。アタイは冷気をあやつる氷精。能力がある限りは氷精だ。
 ──ガンッ、ゴンッ、ゴンッ。
 何の音だろう。
 湖のできたてコチコチの氷の板を見た。
「げっ」
「お魚、獲ってた」
 急いでかち割って救いだしてみると、なんと、ずぶぬれのルーミアがこんばんは。「た、たたたすけ、たたたたた──」口にくわえた小魚がぽろりと落ちてびちびち地面をはね回っている。ルーミアはそれを手づかみして湖でよく洗ってから、頭からかぶりついた(ごめんね、助けられなかった)。
 今度のルーミアはどうしてか逃げない。話すなら今だ。でも、何から話せばいいのか。アタイも頭のなかを真っ白に食われたみたいで浮かばない。
 湖のそばでふたり、しゃがみこむ。
「『さぅにゃおかぁ』は?」
 だからって最初にたずねることじゃなかったと思う。
 ルーミアはしっぽまであぐ、あぐと飲みこみながら「?」と首をかしげた。
「最近、そう言って、アタイをさけてたじゃん?」
 ごくんっ。
「最近までの記憶、ない」
「え?」
「たまに、そういうこと、ある。気づいたら、目の前、血まみれ、彼岸花。後悔も、もう飽いた。特に最近、多い。チルノも?」
 ルーミアはアタイを無視しつづけていたことどころか、アタイを助けに工場に乗りこんだことも忘れているらしい。
「アタイは──むしろ記憶がはっきりしてて、それで……ものすごく後悔してる」
 アタイは自分がルーミアとの約束を思いっきりやぶって、(たぶん)大ちゃんの能力でかみなりや地震を起こしたこと、そうして地上の街を破壊したこと、どうにもできない大後悔、自分が妖精じゃないナニカになろうとしているんじゃないかってあせり、時間たっぷりに、告げた。
「後悔、憎悪、執着。それが妖怪。チルノは、妖怪に、近づいてる」
 ──〝るぅ〟も前は妖精だった。今も後悔してる。
 予想が当たった。ちっともうれしくない。
「やっぱり」でも、そぶりに妖精らしさがあるルーミアに、アタイは確信していた。「闇をあやつる妖精?」
 すると首を振った。
「『貪食』、司る、無邪気でおてんばな、妖精。この闇は、後から吸収しちゃった、今や、呪いの能力」
 ルーミアは語る。ほんのりいびつな白い肌の満月にきぬみたいな闇のおおいを足しながら。
「妖精、何も考えない。ほんとは、それが正しい。山、何も考えず、どっしりそこに聳える。湖、何も考えず、ずっしりそこに湛える。月、何も考えず、ぽっかりそこに映える。氷、もちろん考えず、ひんやりそこに冷える。自然、何も考えない、なら、妖精、何も考えない。〝るぅ〟だって、もちろん、何も考えず、そこにあるモノ、ただ、ただ、貪り喰らった。何千、何万年と。幸せ、だった。
 闇操る妖精、それは、友達。チルノにとって、大ちゃん。あまり覚えて、ないけど、仲良しだった。なのに、どう、して。〝るぅ〟は、無邪気に、友達を喰った。後悔と引き換え、吸収して手に入れた、闇の力、今さら、手放せない、吐き出せない。能力、〝るぅ〟を責めた。苛みつづけた。後悔を発散し、たくて、たくさん喰らう。でもその頃、から、貪食に疑問、するように、なった。よけいに考えること、増えた。自分からも、他の生物からも、憎悪が集まる。そのこと考えて、執着する。
 気がつけば、妖怪に、なった。もう、何も考えない時代、戻れなく、なった。妖精と、は、二度と、会わないように、した。────でもチルノ、おんなじにおい、した。大ちゃん、どうくつに匿って、チルノの無邪気を見守った。色んなこと、色んなひとから、学んで、習得して、それでも健気で、妖精らしく、チルノらしく、成長した。と思った。チルノなら、考える力、悪い方向に、行かない。そう、思った。でも、結果が、〝ソレ〟」
 アタイの背中に赤い目玉を向ける。ルーミアは、昔、赤みがかった四つバネがあったって言う。人の形になるころには、なくなった。
「今や、人の世。考えない妖精、たぶん、いない。でも、どこまでいっても、後悔も憎悪も、抱かない、し、能力は、ひとつだけ。その理やぶった、なら、それは、自然たる妖精、じゃない。不純物が混じった、醜い氷の妖怪」
「……ッ」
 息ができなかった。ミニクイ。元のきれいな自然を取りもどそうとして、アタイ自身が汚くなっていった……
「い、言いすぎた。ごめん。────まだ、妖精のまま、いたい?」
「どうすればいいの?」
 ぬそっと食いかかってきいた。
「まずは、能力、返さないと。やり方は、知らない。〝るぅ〟は、喰らって吸収した。どうしようもない。でもチルノは、たぶん、触れただけ。大ちゃんが、目覚めるまでに、考えよう。その間、街を潰したって後悔が本当なら、それだけの報いになる努力、しよう。それで、忘れるのだ。妖精として、不純なところ、取り除こう。──不純に適応し染まる、前に……手遅れになる、前に」
 ルーミアはその手先からわき出すおどろおどろした闇の帯でとうとうお月様をほとんどおおいかくし、最後の光もキュッと飲みこんだ。
 手遅れ。その言葉が恐ろしくてたまらなかった。
「ムクイ……『報いを受けろ!』とかのムクイ? アタイは処刑されなきゃいけないの? 街の人だけじゃない、スターたちにもムクいなくちゃ! 大ちゃんは目覚めるの? 何度もなんどもむかえに行ってるけど、ちっともそんなケハイないや。妖怪になったらどうなっちゃうの? 夜しか動けなくなっちゃうの?」
「落ち着いて。焦るの、良くないっ」
 しゃがみながら顔をおおった。
「どうしてこんな馬鹿なことしたんだろう。アタイが馬鹿だからだ! かしこくなったなんてウソっぱちだ。アタイはけっきょく馬鹿だ! 馬鹿だッ!! 馬鹿だあッ!!!」
「────おお、泣き叫ぶとは情けない。お月様がお前を見ているというのに……って、あれっ、なんか今夜の月黒くねえか?」
 背後の森からそう言って出てきただれか。
 それは、それは────つごうが良すぎる少女だ。
 前にこの水辺で、アタイはのんきに草笛を吹いていたのを覚えている。
「っ!」ルーミアはびっくりしたようすで月の前の黒幕ごと引っぺがして向こう岸の森の奥へと飛んでいった。本当に、妖怪らしくないおくびょうな子だ。
 彼女はこの場の空気を思いっきり吸いこんで(すら!)、明るくのんきな声を上げた。
「なあんだ、ただの日食かあ。あいや、月食だ。こりゃ珍しいもんを見れた! ……さて、森の囁き声に耳を澄ませてみれば何やら奇妙な対話がして、興味そそられるまま耳の穴を大きくしておればこれは、どうしたことか、席がひとつ空いてしまったのでここいらでちょいと座ってみんとするか。それ、どしんっ! っと」
 ザッ、ザッ、どしんっ。
 さらさらと横風がして、ざざんと湖が小さく波立って、さやさやととなりにあぐらをかく少女の金色の後ろ髪が流れた。
「魔理沙……」
「おや? これはこれは霧の湖に棲み着く氷精チルノではないか。後ろからじゃよく見えなかったがなんだかつらそうな様子だ。しかしその経緯については先ほど行儀悪くも盗み聞きをしていたおかげで何となく把握できている気がするぞ。後はあっちの方から悩みを打ち明けてさえくれれば、こっちも解決策をたぶん恐らく練ってやれる、いや、できないかもしれないが気の利いた一言でもきっと確証はないが放ってやれる、いや、あるいは厳しい可能性が無きにしも非ずだが──」
「馬鹿にしないでよ」
 アタイと話すのに気まずくしないためだと思う。だとしても、ほがらかならいいってもんじゃない。ウザい。トゲトゲしててムカムカする。
 けど。すぐさま。
「馬鹿にするぞ。なにせ、お前は紛れもない馬鹿だからな」
「あ……う」
 泣きさけぶこともできないように鋭い言葉の刃がアタイののどをかき切った。ムクイって、処刑ってこういうことか。しぬよりも痛いことだ。
「はあ、何やってんだか。ボスを倒すのに夢中んなって味方のパーティとばっちりの自爆呪文唱えるなんざ聞いたこともねえぜ。しかも使用者は呪いつき。おっかねえヒーローだなおい!」
「……ごめん、な、さい」
「馬鹿野郎だぜ、まったく、馬鹿野郎! 馬鹿、馬鹿、バーカ!」
「馬鹿だった……アタイ」
「バーカバーカ! あそれ、バーカバーカ! あよいしょ、バーカバーカ!」
「アタイは、馬鹿だ」
 ──パアンッ!
「だからどうした、って言えよおおおおッッ!!!」
「い────って……!」
 ほっぺたどころか頭も震えるビンタだった。魔理沙のテッツイはそれで終わらない。
「『あたしはそれでも最強だ』って、『天才だ』って言えよ!」バシィッ!
「あたしがお前に教えた唯一の呪文かつ特攻魔法だろうがよ!」ドゴォッ!
「なのにどうしてそんないつまで経っても塩ふったナメクジみてぇに溶けかかってんだ! てめぇは氷だろ! 溶けるなら氷みてぇに溶けろ!」ズガンッ!
 最後は魔理沙の逆手に持ったホウキになぎ倒された。目の前にまたたく星々は本物か、気絶スンゼンのきらめきか。魔理沙の叫びだけははっきりと耳に入る。
「人を何十何百殺したからってなんだ! そいつらが普段から地震対策してなかったのが悪いだろ! って言え! 胸張れ! あたしがてめぇらを環境破壊の危機から救いだしてやったんだ、これくらいの住宅破壊等価交換だ、お釣りも出るわ、って言え! ふんぞり返ってな!」
 魔理沙は本当に馬鹿だ。そんなの、ますます後悔が増えるだけだ。アタイは大妖精どころか、大妖怪になるかもしれない。
「さらに後悔するだろ馬鹿ってか!?」
 ああ、またこの魔法使いはこころを読みすかす。
「馬鹿が後悔すんな馬鹿! 背中バッカ気にしてんじゃねえ! 前見ろやボケェ! お前はさっきから肩越しに振り向いては『アタイは馬鹿だ』そんで躓いてはまた『アタイは馬鹿だ』うっせーんだよ! いいか、馬鹿! 『アタイは馬鹿だ』じゃない! 『アタイは馬鹿だから』! どーすんだ! それだけ考えて全身全霊燃やし尽くして生きろ!! 過去バッカ見てっから石とか電柱に躓く! それよりか機関車ばりに石橋とか電線の上を猪突猛進シュッポッポー! するほうがずぅっと気楽で安全だ! それでも万が一千が一百が一十が一一が一『やっべ、やっちまった』ってなってから初めて、冷静に考えりゃいい! 考えることはもちろん、『どうしてこんな取り返しつかないことしちまったんか』じゃない、『こんな取り返しつかないことしちまったから、さあどうするか』だ! 馬鹿の視界は常にクリアーだ。すると存外、ソイツは取り返しのつかない代物じゃないと判る。兆しが見える! ホンキのマジで後悔する時ってのはガチで光の見えねえ奈落の死地に堕ちたときだ。そんときだけ思い出の走馬灯でも流しとけ。コングラッチュレイション。でもお前は仮にも妖精だ! そんな瞬間は永遠と来ないなあ!!
 なあ、チルノ。馬鹿は才能だって、権利だって言ったよなあ。あたしもたまに馬鹿になるって言ったろ。あれ、どうしてか分かるか。あたしにはな、好きなヤツがいる。好きなヤツにアタックするとき馬鹿になるんだ。だがどうしても、いつだって、最後の一歩が踏み出せない。決して後ろを振り返りはしねえ。だがこれでもしも向こうに拒まれたらって逆に回り込んで要らねえこと考える。それは結果として失敗して後悔する準備だ。結局後ろをガン見している! あたしは失敗を恐れる非才、馬鹿失格だ!
 お前ならやり通してくれると思ったんだがなああ、残念だ。その鳩胸張って。お前が世界の中心だって謳って! 世界の中心で響かせてほしかったなああ! 『あたしってば最強だ』ってなああああ!!!」
「アタイったら、最強……」
 そんなの、馬鹿みたい。ずっと前に忘れていた。
 アタイは馬鹿だ、じゃない。アタイは馬鹿だから。
 そんなの、馬鹿みたい。馬鹿なのがダメなのに。
 星がひろがる空。ひとり、寝ころがって。寝苦しくかがやく、この〝星〟にあきれて。アタイはどっと疲れたキブンだ。思えば今まで、動けるかぎり頭も体も休ませることはしなかった。大ちゃんを救いたい、自然を守りたい。その思いをかかげてここまで飛びぬけた。
 もう休もう。
 次、起きたら。休めているハネが消えちゃっているかもしれないけど。
 ────。
 ……ヤだなあ。それ。
 知らない間に妖怪になっちゃうなんて。怖くて怖くてたまらない。
 どうしてこんな結末。何をうらんだらいいのかも分からない。なんなら、これは結末じゃない。オワリノハジマリ。取りかえしのつかないことはたしかに起こったのに、さらにまた取りかえしのつかないことが待っている。
 どうして。どうして。どうして。
 視界に無数の光がさんらんする。
「どうして。どうして……」気がついたらつぶやいていた。
「どうする」ズシッ。
 魔理沙はまだそばにいた。ホウキの持ち手の先でアタイのほっぺたを突く。今夜の魔理沙はやけにボウリョク的だ。
「どう、し」
「どう〝す〟」ズシッ。
「る」
「リピートアフタァミー。どうする」
「……どうする」
「どうする。どうしよう。どうすればいい」
「どうする……どうしよう──」
 どうすればいい。これから。妖精のままじゃいられないかもしれない。
 ──それとも、別にいいのか。妖怪になっても妖精にもどれないってルーミア、言わなかった。もしなっちゃったとしても妖精にもどるカイケツサクをさがせばいい。なんじゅう年、なんびゃく年だって。
 ストン。
 ? 落ちた。アタイのなかでナニカが落下した。
 でも。でもでもでもっ。ルーミアが言った。妖怪になるってことは、後悔してゾウオして、それをいっしょうぶんせおって生きるってこと。街を根もとからハカイしたこと、人のいのちをたくさんうばったこと、そのザイアク感にたえられるワケがない。
 ──魔理沙の言うみたいにエッヘンと胸を張ってザイアク感をはねとばすのはちがう。でも。でもでもでも。ルーミアが言った。ムクイをすればいい。冷静になって。ムクイは、処刑じゃない。うめあわせすること。それが報い。アタイがやらかしたサイアクを、サイゼンで返してザイアクを晴らせ。街をもとの姿にもどせ。なくなったいのちへ向かっていのれ。なくなった人のすべての知り合いをゼツボウから解きはなて。そうして毎日まいにち、しぬ気でつぐなえ。
 ストン。
 落ちた。胸のなかで、はがれ落ちるナニカ。すると、楽になる。
 あんなにけもくじゃらだったきょ大なカタマリがつるりとひとつぶ結晶肌を見せる。
 街をもどすったってどうやって。
 ──知らない。だから、考えるんでしょ。考えて考えて考えて、やってのけるんだ。たとえ。幻想郷にあるすべてのお山よりもたくさんできちゃった小さなお山を、ひとつひとつ取りのぞかなきゃいけないとしても。たとえ。幻想郷に落ちたいちばん大きなかみなりよりも開いた地面のひび割れを、ぜんぶぜんぶ埋めていかなきゃいけないとしても。
 どうやっていのちへいのる。
 ──おはかをつくろう。おはかは何でできてる? 土? 石? どんな? お花もたくさんつんでこないと。いったいどれくらいいるだろう。やってみなきゃ分からない。
 もしアタイの〝馬鹿〟がばれたら、みんなゼツボウはサツイになるかもしれない。
 ──それならそれでいい。仮にも、アタイは妖精。妖怪になった元妖精が復活するのはルーミアがショウメイしている。怖がることはない。みんなを救え。
 ストン。
 信じられないくらい軽くなった胸でアタイは起きあがった。
「刮目しただ前方を見やるだけ。恐れ知らずの馬鹿に早変わりさ。戻ってきたな、チルノ」
 混乱してる。でも。
「キブンは悪くないよ」
 未来のことは何もかも分からない。でもやるべきことだけがそこに決まっていて、もういちどだけ立ちあがる勇気を与えた。
「いいだろう」魔理沙はホウキのかまえを解かずに言った。「じゃ、安心してお前を殺せる──ズズッ」
 ドゴォッ!
「ギャッ!?」
「まずは愛猫を天井の下敷きにされたあたしの絶望感をどうにかしてもらおうかあああああッッッ!! グズッ、グズッ……あの地震、お前だったのかぁああぁぁ!」
 ドカッ! ドガッ! グシャアッ!
「良かったぜ、てめぇが気弱じゃなくなって。これでッ! ようやく!」
 グシャア! ズシッ、ドンッ!
「遣る瀬ねぇこの気持ちもおさめられるわあああああ!!」
 ズガンッ!

 二一

 それからアタイは、滅んだ人の街にせいいっぱいの報いをすることにした。妖怪になるかもしれない。その話は、いったんおいといて。今、いちばんしなくちゃいけないこと。それだけを考えて、それだけに突きうごかされて、すごした。

  四月
 ハルデスヨー。
 春の呼び声がする。もう彼女たちをしばりつける者はいない。少ない花びらが少しの人のこころをいやす。
 くずれた鉄塔から始めた。カッパ組が自分勝手なヤボウをもって人の街の市場に乗りこんだひどいショウチョウで、人の街を大地震がおそったことを示すむごいショウチョウだ。家やお店をいくつもつぶしていくつも道をふさいでいる。
 それを、先っちょろの方から氷のナイフでけずり取ってカイタイしていった。
 けっこうな音がした。近所の人やこれから市へ買いだしに行こうって人ににらまれた。どうしようか、と、ナイフの切れ味をなんとなく上げてみるとすっかり静かになった。出てきた大量の鉄クズは、かじ屋さんには断られたけれどちょっと遠く質屋さんに持っていったらよろこんで引きとってくれた。
 何をしているんだ、コイツは。
 色んな人に見られ、きかれ、馬鹿にされた。でも、アタイは必要なこと、この街がもとの姿にもどるために必要なことだと思ったから、続けた。
 すると、手伝う、なんて言う人がいた。少ないはずの食べモノやお金をおすそわけする人が現れた。ことわってもゼンゼン聞かなくて、鉄塔がすり減って使えないえんぴつみたいに小さくなるころには毎日人がたまるようになった。

  二七日〈人の街西・荒れた森〉
「何をしてるの?」
 今日も朝から作業をしに霧の湖から飛んでシュッキンだ。だけどとちゅうで人だかりがあった。
 見覚えのあるおっちゃん。前にお世話になったことがある、氷売りのおっちゃんたちだ。おっちゃん、まだ妖精をたくさんひきつれてはたらかせているんだ。
「ん? なんだァ、いつぞやに消えたサボり氷精じゃねえか。おめぇが主力だったってのにトんじまうからウチの製氷会社は倒産だ」
「ふんっ。妖精をそんなコクシするからだぞ。この子たちも今すぐ解放して」
「ああ。自然の子たる妖精を使役するなんざ冒涜もいいとこだと、ンなこと分かってら。だが幻想郷の自然を取り戻すには妖精の力が必要なんだ。この気温が穏やかなうちに、早く植樹を終わらせねえといけねえ」
「自然を取りもどす……ショクジュ?」
 あらためてまわりのはたらく妖精を見わたしてみる。
 ものすごく重そうな道具を使ってうんしょ、うんしょと土を掘りおこす妖精に、どろんこになりながら木の子どもを植えつける妖精。他のおっちゃんたちがていねいにやり方を教
えている。
 さや、さや。
 ここは霧の湖に近い森で、レミリアおじょうさまがふっとばしたこともあればカッパ組のおじちゃんが妖精にバッサイさせていた、さんざんなありさまの森。氷売りだった木植えのおっちゃんは言う。
「あの川じゃ製氷の他にも川の幸を採るやら上流の方に登って山菜狩りをするやらして地道に稼がせてもらった。これを元手にして苗木を方々から買いつけたんだ。だがそれでも足りん。しかも苗木だけそろえても時間も人手も足りんし、特に東の方は土壌からダメんなってら。あのクソ工場が出す色んなクソが原因でクソの川が流れたりクソの雨が降ったりしたせいだ。だからまったく厳しい。だがこっちの土壌は被害が薄いらしい。資本、時間、人手さえどうにかなればな……」
「使って」
 アタイはポケットの中身をがしりとつかんでさしだした。小銭がポロリとあふれる。そこにあるのは、本当はアタイが手にしちゃいけないものだから。
「最近、色んな人からもらっちゃうの。いらないからあげる」
「いいのか。けっこうな量じゃ」
「そのかわり、ゼッタイにとちゅうでやめないで。うらぎらないでね」

  五月
 復興。元に戻ること。
 街の人たちは「里づくり推進会」っていう集まりをつくった。忘れ去られし我らが〝人里〟を取り戻さん。そんな声を中心にみんながたくさん話しあって行動する組織だ。けーね先生の姿もあったしあのおっちゃんも来てて意見していた。このとき、自分たちが住む場所は「街」じゃなくて昔呼びでもある「人里」ってことになった。
 話しあいに妖精はひとりだけ。無理やり参加させられたアタイは話の輪っかからそっとはなれていたけど、けっきょく引きもどされて大きな拍手をもらっちゃった。復興のキッカケをつくった勇気ある行動家だってさ。照れくさい、とかじゃないの。ダメなの。そんなほめ言葉、もらっちゃいけないのに。
 真実を言うのは怖くはなかった。でも、せっかくのこのキボウの集まり。その場所をまたゼツボウで──サツイでぬりかえちゃいけないでしょ。
 この会にはリーダーが生まれた。神田さんっていう体格も性格も頼もしいおじさん。反対する人はいなかった。だけど、だれも幻想郷の守ゴ者の名前を口にしないのが、アタイには────。とにかく、何も言えなかった。
 天気はおだやかだ。
 どことなく新鮮に感じる空気。
 大ちゃんはまだ目覚めない。

  一〇日
 けーね先生に頼みごとで呼ばれた。
 寺子屋には家をなくした家族、親をなくした子どもたちがヒナンしている。とてもインウツなふんいきで悲しみや、イライラもたまっていて毎日まいにちあらそいごとが起こっちゃっているみたい。
「適当にうろついてくれるだけでいい」
 先生はそう言った。
「え、たのみごとは?」
「寺子屋じゅうをうろつくことだ」
 フシギな頼みごとだけど、けーね先生が意味のないことを言ったことはなかったから、言われたとおりにした。人でいっぱいいっぱいの中庭や教室、中庭や教室からもあふれた人がたくさんの廊下をぶらぶらとしてみる。
 教室の前を通ったとき。
「ちょい……ちょい、お隣さん。アンタ、ちょっと場所取りすぎなんでねえか」
「……あん?」
「寝るときにいつも思うんだ。アンタひとりしかいねえのに無駄に幅取ってるから窮屈で仕方がない」
「黙れ。そこは妹の居場所だ。てめぇだって毎度毎度いびきがうっせーんだよ」
「妹ったってアンタ、独りじゃ?」
「ぬがあああああッ!」
 あ。あの人、なぐる。
 ガツンッ──!
「きゃあ!」
 周りの人が悲鳴をあげる。教室のはしっこにつんであったタクに向かってなぐり飛ばされ、ガタンガタンとせい大にくずれて大ケガだ。
「は?」「え?」
 ────アタイが。
 でもケロッと起きあがってふたりの前に進みでる。
「なぐるなら、アタイにしてよ。それでこころが少しでも救われるなら」
 なぐった人はアタイの二倍大きなずう体をしていた。荒い鼻息がかかる。
 そして、その人はアタイよりも小さくなって、小鳥みたいに高く細く、泣きだした。一言も発さないで。
 みんな。みんな、そうする。
 世間知らずなまちむすめも。血の冷たい吸血鬼も。ひきょうものの魔法使いも。あんまりな役目を背負う博麗の巫女さえも。
 アタイを前にすると、泣く。

  六月
 あめあめ、ふれふれ。
 子どもたちが水たまりを鳴らして歌っている。そこへカエルを持っていくとよろこばれた。「だ、だだ大妖精様、お戯れを……!」凍らせたりしてみるともっとよろこんだ(もちろんあとでちゃんと返したよ)。
 雨がふると霧の湖から人里までは片道だけで日がくれちゃう。不完全なハネなクセに、やっぱり雨には弱い。だから、寺子屋とかにとめてもらう予定だったんだけど──

  一三日(一四日)
「チルノちゃんチルノちゃんっ。オハヨー、準備できた? ひと狩り行こうぜ」
 まだ真夜中なのに「おはよう」ってのはおかしい。「こんばんは」もちがうなら、なんだろう。
「ごきげんよう、万ちゃん」
「なんだそれ、イイとこのお嬢さんかよ」
 いつでも便利なあいさつだと思ったのに。神田万太郎──マンタロくん、じゃなくて万ちゃんは、ウケケと笑って下の階におりていった。じっさいにイイとこのおぼっちゃんなのは万ちゃんのほうだ。この家は人里を少しはずれた坂の上に建つ二階建てのおやしき。里づくり推進会会長の神田のおじさんも万ちゃんもそこに住んでいて、アタイはお部屋をひとつ借りていた。
 ────
 今年の夏もひどく暑くなりそうだ。アタイの氷はきっと役に立つ。木植えのおっちゃんはまた別のお仕事でいそがしいけれど、万ちゃんは話に乗ってくれた。お友だちも何人か連れてきてくれたから助かっている。週に数回、川へ氷狩りに行って朝の市場で、ひとかたまり小銭一枚で売って、かせいだ分も色んなところの寄付に回すんだ。
 作業していると、もうお日様の気配がする。
「うぃー、今日はこんなもんかあ」
「雨がふるよ。ワラかぶせとこ」
「ほいさっ!」
 ワラのむしろをかぶせたおんぼろの荷車が走りだす。ガラガラ、ゴトゴト。体重が軽いアタイは上に乗って作った氷が落っこちちゃわないように支える役割だ。
 雨は、ふる気がする、じゃない。
 雨は、ふる。
 自然を手に取るこのチカラはいちだんと、またいちだんと、強くなじむ。そうなるたんび、自然を愛するキモチも強くなる。でも、アタイはそれにすなおになりたくはなかった。この手にやどるチカラが確かなモノになればなるほど、怖いような、悲しいような。
 呼び声がする。風? 小鳥? バッタ?
「ちーるーのーちゃんっ!」
 なんだ、万ちゃんだ。ぼーっとしているから注意された。万ちゃんは後ろから荷車を押している。
 そうやって後ろへ視線を飛ばすと、すぎた道の先でメラメラとにじり出てくる大っきな赤いお顔。にぎりこむとあふれる白い光の粒子。アタイはあいさつを返した。

  七月
 八月の末日は例年通り夏祭りをしよう。
 神田会長は言った。里が灰色をかぶってどうも色どりがない。虹色の花火を里中に咲かせて活気づけようではないか。
 そんな暇も、立地も、花火師もどこにあるって言うんだ。あの空高く打ち上がる花火はみんな、とうにいなくなった河童の技術だったろうが。
 かつての花火師たちを呼ぶのだ。我らが馴染みの手持ち花火であれば大して場所も、費用もかかるまい。一人一本ずつ持たせて夏の夜空のもと、亡くなった方々をおもい手向けとして一斉に点火するのだ。
 今月の話しあいは長かった。アタイは思わずあくびをしちゃって大きく伸びまでしちゃって、今ではすっかり、すっきりと鉄塔がおそうじされた広場のはしっこで──
 やっと、一年なんだ。
 そんな思いがわき出していた。

  八月三一日
 ステキな夜だった。
 まだまだガタガタでデコボコな大通り、おそうじがすんでいないがれきまみれの建物だらけな景色だけど、夕方から夜へ、いったいどこから出てきたのか、まっ赤なちょうちんがいっせいに照らしていっきにお祭りキブンに。その赤さは、失ったものだけじゃないってことをアタイたちに教えた。
 売り物よりも見せ物のほうが多かった。妖精や子どもたちは七月から毎日集まってお歌やおどりを練習していて、広場でひろうした。まとめ役になったのはけーね先生だ。アタイが寺子屋で〝おまわりさん〟をするようになって、いつも練習のようすを見かけていた。すると大人たちも負けちゃいられない。いつ練習したんだろう。タイコをどどんと、シャミセンをべべんと、シブい歌声をイヨーッとひびかせて、中にはちょっぴりへたっぴなのもあったけれど、それもふくめて演ぶや演そうはすごくもり上がった。カンキャクさんはお酒はないけれど、氷でよく冷えたお水やシュワシュワの甘い飲み物を片手にけっこう楽しんでいた。
 アタイもひとつ、この夜のために練習していた。
「チルノちゃん、ハイ」
 万ちゃんが箱から取りだしてモノを渡そうとする。
 いよいよ最後のえんもく。広場に集まった里じゅうの人たち一人ひとりに一本ずつ細長い紙のボウが配られ、水が入ったバケツや火がついたロウソクが配置されていく。
「アタイはいいよ」
「氷精でも大丈夫。根もとを持てば熱くなんないよ」
「ううん。アタイ、することあるんだ」
 アタイは人の間をすり抜けて中心の方に近づいた。ど真ん中の所では神田会長が最後のえんもくのおんどを取っている。
「──エエ、それでは皆様方、花火を一本、お持ちになりましたでしょうか。我らがふるさと馴染みの手持ちの花火であり、伝統を継ぐ花火師たちがこの日のために丹念に作り上げてくれました。外の世の中で仮に忘れ去られてしまったとしても、幻想郷に住む我々は決して忘れてはならないこの形です。どうか皆様方ご起立ご脱帽の上ご一緒に、点火の儀を通じ亡くなった方々のご冥福をお祈りし、粛々と溢れ出す火花をして我々の心を清く洗わしめ、さらに皓々とした輝きの数百条をしてここに共に未来を彩らんと野望を宿らしめましょう」
 あれ、もしかして今からアタイがやろうとしてることってびみょう?
「では皆様方、お近くの燭台の前へ。参りましょう。三、二」
 ……いいや。しかられたときはそんとき、そんとき。せっかく練習したんだもん。
「一、────点火!」
 ぶおおっ。最初の音がする。続けてあっちからもこっちからも。地上に光があふれ始める。
 アタイも。真っ白にかがやく凍ったトクベツな弾幕を夜空に向けて放った。
 ──ひゅっ。
「なんだ」「なんだ」
 ただのひときわかがやくひとつ星に見えるかもしれない。でもそういう芸じゃない。集中する。ねらいをすませて。手の中にもうひとつつくった小さな弾を、天空の小さな小さな的に、思いっきり速く、正確に打ちだした──シュート。
 空に放った弾のカラに穴が空く。
 ズドドドドオォ────ン!!!
 中身がはじけ、広場は虹色のまばゆさに包まれた。
 消えてなくならないうちに次だ。
 ドドン、ドドン、ズドドドド!!
 花火とは違う。音も、においも、温度も。ハクリョクは向こうのほうが上かもしれない。だけど。
「すごい……きれい」
「すずしー」
「幻想的」
「おやおや、これぞ天然モノだ」
 見わたせば、どのひとみにも光がまたたいていて、みんな、アタイの打ちあげた虹色の弾幕に向かって手元の花火をかがげた。それは本当に、幻想的な光景だった。
 ──あ……きれい。
 聞き覚えがある少女の声だった。
 遠いとおい山の上から風が運んできた、いちばんなぐさめたかった少女の声。
 ──まったく。楽園に相応しい……素敵な妖精だことよ、あの子は。私は…………私も。

  九月、一〇月、一一月
 家の再ケンセツとがれきのテッキョ作業が進んでいる。気がついたら景色は秋で、だんだん住みなれてきた神田家から見下ろせる田んぼは金色に、収かくするお百姓さんの笑顔もかがやいている。まだまだゆたかでカイテキな暮らしってほどにはいかないけれど、ショクリョウにちょっと余裕ができてこころもゆるりと安心したキブンだ。
 でも全員じゃない。
 里で引ったくりにあった、家にゴウトウが出た、そんなお知らせを三日に一度は聞く。道沿いにすわって「おめぐみを」って手やうつわを出す人には、アタイはもちろんこたえるけれどゼンゼン足りていない。
 一〇月のカイギで、アタイははじめて意見を言った。
「だから、ヨユウがある人はもっと、たくさん、お金とか食べ物とか、キフしたりして」
「余裕があるっつーのはどういう基準だ?」
 すると広場のどこかから青年くらいの人の声がした。いっせいにみんながお顔を向ける。
「ソイツの総資産が何万円だから、食糧が何百斤だからこんぐらい寄附しろって税制度をつくるのか? んなもんいちいち調査してられないし自己申告ならいくらでもぼやかせるだろ。それかもし〝お気持ち〟で寄附を募るんだとしてもだ。八、九か月前の大揺れは収まっても動揺は皆収まってない。そんな〝気持ち〟でも『余裕がある』って言えるヤツがどこにいる? 皆いっぱいいっぱいなんだ。キミの衣食住の実態は知らないが、発言するならもう少し人間の視座を得てほしい」
 アタイの提案はあまり使えなかったみたいだ。クスクスと笑い声が聞こえる。
 ならどうしよう。それでも貧しい人は助けなきゃ。
「どうでしょうか。せっかくチルノさんから、私たちの小さな先導者からこのような善導の言を賜ることができたのです。しかもお初に。虫の知らせ、とは言ったもの。警鐘を打ち鳴らす虫に代わって妖精が我々に伝わる声でご忠告くださったのではないでしょうか。塗炭の苦しみのさなかにある貧賤の者をこのまま地に這いつくばらせておればいずれ、自らも足を取られ暗い地の底に沈められるだろう、と」
「そうだ! チルノさんのご意見だ」
「私はチルノさんに一票!」
 最近、アタイを「チルノさん」って呼ぶ人がバク増した。花火の日からは特に。なんか、みんなアタイとすれ違うと首をかたむけてくる。手を合わせる人もいる。アタイ、大妖精サマじゃなくて仏サマだった?
 今もそんなだれかの発言から場のいきおいがひっくり返った。虫の声は聞こえるけど、そんなお知らせ受けとってないのに。まあ、いっか。いいぞいいぞ。
 広場のダン上にいる神田会長は苦い顔をしている。
「いやしかし、今拳を突き上げている者は与えられることしか考えていないのでは……これでは与える者がただ不満なだけだ」
「じゃあ」アタイは考えた。「お金や食べ物を持っている人のお手伝いとかして、そしたら分けてもらうとか」
「働き口を作ったって、道脇で物乞いするしかもはや術のない病弱な貧民は救えまい」
「じゃあ、アタイがはたらくよ」
「ほう……」
 アタイは自然にさらりと言ったつもりで、場はざわりとした。
 まあ。妖精が働くなんてゼッタイに良くないことだ。あのどうくつでの光景が目に浮かぶ。けど、アタイはまだまだ報いきれていないから。地震が生んだすべての苦痛をなくすまでは──。それは、アタイにとって自然なことだ。
「それはもはや養うということか」
「お、オレも働く!」
 裏返った声。だけど勇気の声。
「万太郎、勢いに任せて出しゃばるんじゃない!」
 神田会長が息子をどなりつける。あんまりに大声だったからいっしょに声をあげようとした他の子どもも、見守る大人もみんな口を閉じた。霊夢のお母さんほどじゃないけど、あのお父さんもけっこう厳しい声でしかる。
「ちょっといいか」
 ひとりの男性が手をあげた。なんだろう、木植えのおっちゃんだ。
「震災前から商業と植樹や妖精保護など自然保全に関する事業に取り組んでいる、霧雨と言う。神田さん。アンタ、出し渋ってんだろ。自分の苦労して蓄え込んだ財産がひょっとしたら無償で飛んでいっちまうんじゃねえかってさ」
「至極当然、家族とウチの働き手を食わせるための財産なのだ。簡単に羽を生やして飛ばれてはそこの大通りの路肩が日夜人で埋まるぞ。背負うておるモノが違う。長女を家から追いやったアンタとは違ってな」
「……ハッ。背負うモノ、ねえ」
 いつからかそってないヒゲをなでている。
 木植えのおっちゃん(キリサメのおっちゃん)は氷売りだったときから思うけど、口が悪い。でも言いたいことをいう力、人にモノをしっかり伝えようとする力が強くある。
「そこの氷精がさ」急にアタイを指さして言う。「毎週金をくれるんだ」
 ざわり、ざわり。
「どういうことだ」
「ウチの事業に関心を持ってくれてな。正直願ってもねえでさ、片時にゃ女神を拝んだかと錯覚したもんだ。実際はただのちっこい妖精。だが、二度目の震災を……大地の怒りを買わねえようにそんなちっせぇ身でありながら俺たちに投資している。今ぁ、おめえは復興の目途が立って安心しているかもしんねえ。だがよ。こんなズタボロの、自浄作用も利かねえ自然でよぉ。……なあ、聞こえねえか。二度目の滅びの足音がよ。聞こえねえフリしてんじゃねえぞ!」
 あたりはさっきよりも静まった。お母さんが抱きよせている赤ちゃんの寝息も聞こえるくらい。
「その氷精は聞こえている。今『じゃあ自分が働く』と言ったが、すでに察知して復興に働き、さらにそれでもらった慰めを俺たちに預けている。──ソイツは何を背負っている? この人里に住む全員の安寧、いや、幻想郷という森羅万象それごとチビの一身に背負い込んでいるじゃねえか!」
「ま、待てっ。それは履き違えている! この妖精は退陣可能な投資だが、私は退去不能な完全なる扶養なのだから」
 いつものゴウカイさをなくして神田会長は押されぎみだ。
「つべこべ言わずに働き口を増やしてやれ。正攻法が開かれりゃあ下劣極まりない浅はかな盗みも減る。かえって火山の噴火も未然に防げるってもんだ。ちょこっとその〝腹〟を分け与えてやれば米騒動はおっ始まんねえだろう」
「よくもかような身勝手がぬけぬけと……あ、どうか上白沢先生からもひとつお訓示をやってくださいな」
 横へ視線を飛ばして言う。
 この集まりで会長は神田さんで、けーね先生はショキ係としてダン上でずっとじっと話しあいを見守っていた。
 そして呼ばれたけーね先生はと言うと、もう……頭を振りかぶっていた。
 ガチンッ!
 おどろきと悲鳴。と、おそろしいふんいきを感じたのか「えーん、えーん」と人ごみから泣き声がしだした。
「金太郎! 先の祭りの一幕が功を奏したのに浮かれ少し調子に乗ったか。己の膂力や機知の長ずるに酔いしれるは褌《ふんどし》一幕の頃と変わらぬそうで、まっこと飽き切れたものぞ。大衆を率いるとは大柄な図体をして抱きかかえることではないし、ましてや一束の大縄を放って引きずり回すことではない。むしろ、抱えられ引き回されとは自身の立場である。先導者は衆人の腕に担ぎ上げられ、最も之く末の見やすい所に在る。進路を示すには足る位置だが、どうして地の状態を衆人より多く知れようか。地の裂け目や障害物、撒菱《まきびし》なんぞ据え置かれているやも、その道を、警告有りて構わず『前進』と為せば、自ずと集団は崩壊の一途を得よう。本意にして、衆目をなんぞ軽んじられよう、況《いは》んや身勝手などと」
「先生……その衆目、イワンヤ、せがれを前にご訓戒なさるのはちょっと」
 ゴツンッ!
「説教は終わっとらんぞ!」
「あガッ、申し……訳、ございません……!」
 えーん、えーん。
 そのあとも色々と話しあいとかいざこざあって、神田会長の他にお金持ちの人は(おそれぎみに)推進会にいくらか寄付した。アタイは少なくともその金ガクのケタの数え方を聞いたことがなかった。このお金は復興に必要な道具を買うため、そしてお仕事のホウシュウのために使われる。たとえば、キリサメのおっちゃんは今度、近くの山の川のスイシツ調査を手伝う人をやといたくて会に「復興に必要なお仕事」として登録するように依頼する。それが認められたら、おっちゃんはお金がなくても人をやとえるし、やとった人はお金がもらえる。むずかしいけど、たぶんそんな感じ。
 お仕事は広場にケイジされることになった。みるみるうちにはり紙が増えた。働く場所にはきっと困らないだろう。
 まだまだ完ペキな復興は先の話だ。それはケイジ板からはり紙がぜんぶはがれるとき。だけどアタイは、胸のなかが……なんだか満足したような、黒くこげた重いカネが埋めこまれていたのがやわくすっきり溶けていったような、そんな感覚がして────
 気がつけば。
 もう、冬が戻ってきた。
 夏まであんなに長かったのに秋は、つるりといっしゅんで流れさっていた。

  一二月
 長い間、霧の湖に帰っていなかった。あの人たちのコキョウが人里なら、アタイにとってはやっぱりあの湖だ。復興のお手伝いは休んで、ちょっと帰ることにした。さんざん「ハネを休めろ」とか「伸ばしてこい」なんて言われてきたし。あとは……ひょっとしたら、が、あるし。

  四日
 いち面なめらかに張った氷の青さがアタイを迎えた。こんなおっきな氷のかたまり、他を探したってないない。さっそく飛びこんでみると、まだ張りたてだったみたいでバリンとやぶけてドポンと沈んだ。この冷たさもなつかしい。
 冷たさは平気だけど息はそんなにガマンできない。早く上がらないと。
「ぷはっ!」
 ──ガッ。
「ん?」
 ゴンッ、ゴンッ。
 水面からお顔を出して氷に手をつく。
 体から下が持ちあがらない。というか、〝氷に引っかかっている〟。──何が?
 しかたがないから体のまわりの氷をペキペキと折って無理やり体を氷の上にあげた。でもその氷ももろいからそろりそろりと岸の方まではいずっていく。こんなことして、ハネが休まるもんか。そんなふうにちょっとこころがあれもようだったんだけど、ふと湖をのぞきこんでびっくらこいちゃった。
 ハネがピンと伸びていたんだ。アタイの氷のハネ。ほとんど溶けて見えなかった、もしかしたらそのまま溶けきっちゃって妖怪になっちゃうんじゃないか、って後悔、どうにかかみコロした、前を向くことに決めて、決して振りむかなかった、不安のショウチョウは、目の前の天然の鏡に照らされて、霧のように散ってった。
 アタイだ。
 チルノだ。
 復興したんだ。
 どうして? どうして!?
 自然が回復してきたから? さっき湖に飛びこんだから?
 そんなことよりも……大ちゃん、大ちゃん!
 アタイ、元に戻ったよ。
 なんでか知らないけど。
 きっと大ちゃんだって。
 今にだって、目覚める。
 おねがい。おねがいだから。
 その目を覚まして。
 ルーミアのどうくつ。生きものの気配は、もうしない。大ちゃん以外は。
「え?」
 わずかに日がさしている。目をこらすとそこは、しんだ景色だった。
 お部屋みたいになっているどうくつの奥。前まで大ちゃんを囲うように伸びていたツルやツタは茶色くカサカサに、ぴちゃんぴちゃんと水がはねる音はなくなってただ無音。足もとのやわらかいのは何かと思えば、たいりょうのカエルのし体。声はもちろん、聞こえない。まるでどうくつじゅうにあったいのちをぜんぶ吸いつくしたかのように、お部屋の中心だけ色が残っていて、小さな小さな息の流れを感じた。
 ウキウキと飛びはねていたのが馬鹿みたい。跳びあがってかけよった。
 触れるのは怖かった。これ以上チカラを借りちゃわないか。むしろ返したいのに。
 でも、ぬくもりを確かめずにはいられなかった。
 手を取る。
 あったかい手だ。
 すると。
 ふわり。
 手は、消えた。黄緑色にかがやく粒子が形を残して。
「あ……?」
 まるで湧きだす温泉に手を入れたみたいな感覚だった。だからアタイは自分の手を確かめた。溶けきえたのは自分の手だと思った。そう思いたかった。その思いはうらぎられた。ひっつき虫みたいなつぶつぶはちょっとずつずり落ちて、すらりとした手が残された。
 でも膝もとの手は気がつくと腕まで光の粒に移りかわっている。触れても、触れないようにしても、どんどん、どんどん──。アタイは次に、ひどいイタズラだと思った。だから思い通りの反応をしないためにじっと動かなかった。いや、動けなかった。
 腕から肩へ────顔へ。もうたえられなかった。
 どうかとまって。体をがしりと抱きこんだ。
 ────ブワッ。
 黄緑の匂いが体じゅうにまとって、そして、花びらみたいに散っていく。
 遊ぶみたいに、笑うみたいに、ひらひらと。
 夢のようにぬくぬくと、ふわふわとした感覚にぼーっと、考えることを忘れていたら。
 粒子はひとつも形をつくらないほど離ればなれに。やがて、何もかも消えてった。
「────────────────────」
 どうして、も、どうすればいい、もない。
 そんなの考えたくもない。
 さや、さや。
 リリリ。
 びゅーびゅー。
 飛びかける青白さの中、自然が、幻想郷が、ヘイゼンとささやきかける。おねがいだから、呼ばないで。
 ぴゅるるるる。
 しん、しん。
 ガウ、ガウ。
 だれも呼ぶな。来るな。アタイは。
 ボコッ、ボコボコボコ。
 ぷくぷくぷく。
 アタイはチルノだ。どこにでもいるさ。大した妖精じゃない。そんなチカラはない。必要ない。
 ウカカカカ。
 がさり、がさり。
 おねがいだから、静かにして。
 びよおおぉぉ。ぴゅうううう。
 静かにしろ。だまれ。
 ザ、ザ、ザ、ザ。
 ひゅいいいい。ぴゅううう。
 ズズズズズ。
 空が赤くなる。どこまで逃げたか。このセカイのどこの片すみにも声がない所なんてない。それでも飛ぶ。気がちょっとはまぎれる。
 まだ手がぬくい。胸にまで体温がこびりついている。最後まで、大ちゃんはアタイに注ぎこんできた。そのときをずっと待っていたかのように、おのこししちゃいけないって、言うみたいに、ぐいぐいと押しこんできた。大妖精のすべてのチカラ、キモチ、そしてお役目。
 ここは、どこだ。
 暗い。知らないどうくつだ。振りかえる。
 なに。この、景色。
 アタイが「すべて」だと思っていたのはまっ赤な幻想。
 幻想郷が、うごめいている。幻想郷の何もかもを、感じている? どうりで。耳をふさいでもおさまらない。
 カアァ、カアァァァ。
 無数の「声」を前にぼーっとしていた。ひときわ大きなどなり声がアタイの耳に入る。
 大妖精さん、あぶないよ。
 大妖精さん、ででおいで。
 カラスたちがどうくつの外でひたすらそう呼びかけている。出ていくのがおっくうだった。うるさくてしかたないから中へ中へともぐっていった。
 グオッ。
 ……何かを踏んだ。
 グオオオオオオッ!
 謝ったっておそい。彼女は冬眠中を起こされたんだ。フキゲンなんてどころじゃない。
 鼻息ひとつ吹かれて地面にたおれ、次のしゅんかんには振りかぶる音がした。
 ひとおもいにやっちゃいな。アタイはもう、どうだっていいから。
 次に目覚めるのはいつだろう。いつだっていい。目覚めなくたっていい。──ああ、でももしそうなったら、大ちゃんとまるでおんなじ、どうくつの中の居眠り大妖精だ。そんなことをぼんやりと考えて。
 きょ大なツメ先が触れる。
 体がこわばる。でも──
 ほっぺたに、触れただけだった。
「冷たい……あらまあ、たいへん。これはこれは、大妖精様。毛皮もないのにまだ外を見廻っておいでなんだわ。いけない、いけない。どうかどうか、我が子といっしょにあったまって行って」
 お母さんはゆったりとうなって言った。よく見てみると、さっきお母さんが寝ていたところに子どももいる。小さい。きっと、生まれたてだ。──いのちのともしびが揺らめいて見える。体温が少し低いみたいだ。お母さんはなにごともなかったみたいにすぐに子どものもとに戻ってどしんと体を寝かせた。
 大地の脈打ち、声、色、におい、感じとるものが多すぎてもう疲れた。このどうくつなら、ちょっとはマシか(ケモノのにおいはちょっとキツイけど、それでもマシ)。
 眠ろう。今は何も感じたくない。考えたくもない。
 子どもを冷やしちゃうのはいけない。お母さんの背中のふかふかな毛皮に腰をあずけた。あたたかい。それはアタイにとってちっともうれしいことじゃないはずなのに。
 なぜか、なみだが出た。

  二〇〇二年一月
 なんべん確かめたって、大ちゃんはもういない。幻想郷のすべてを感じているはずのアタイがそう思うんだ。本当に。もう、いないんだ。
 なのにアタイは──
「ねえ、万ちゃん。もう目、開けていいの?」
「ダメ! いいから黙って、目ぇ閉じてモクトウしろ」
「……まだ?」
「だから黙れってッ」
 もう大して落ちこんでいない。もちろん失ったこと、手に入れたモノ、両方とも受けいれるのに時間は必要だったし、その時間はただつらさがこころを刺すつららとしておそってどうにかなっちゃいそうだった。
 けど。
 あのとき、大ちゃんに触れていなければ。
 それは後悔。アタイは、その後悔を決してしなかった。きっぱり言うと、あきらめた。それはさびしい? でも大ちゃんが溶けきえるのを看取ってからはむしろ、このチカラにそのカゲが見えるような、そばにいるようなキブンがしてくるんだ。もういちど体を起こして、もういちど顔を上げて、ふさぐものをぜんぶ開けはなってみたら────セカイはそんな、どぎつい色をしていなかった。大ジュンノウ。きっとそういうことだ。ピキンッと生えたハネで飛ぶと追い風が背中を押して、追いついてきた鳥たちが今日のキブンをたずねてくる。お日様が大地を銀色に照らすのを見おろしながら、飛びかけて、しばらく姿を見せていなかった滅んだ人の街、いいや、復興するみんなの人里へ向かう。「ずいぶん長いことハネを伸ばしてたんだな」万ちゃんにはそう言われて、アタイは両手を首に回して「まあね」と笑ってみせた。
「慰霊之碑」と刻まれたたいらなセキヒが広場のどまんなかにつきささっていた。式典の日がやってくると、そこには大量の花束が、っていうのは冬だしむずかしいからみんな思い出の品々を持ちよった。セキヒの前に置いたり、持ったままにしたり、多くの人が集まって式典に参加して、なみだを流した。やさしく晴れた日だった。
 なくなった人たちへ。アタイはあらためて謝った。もちろんこころのなかで。だけど、こころのなかではしょうじき、それ以上に何もなかった。謝ることばを、アタイは「ごめん」「ごめんね」「ごめんなさい」の三種類しか知らないんだ。くり返したってしかたがない。「アタイが馬鹿だった」そうやってアタイ自身に向かって言うこともできる。けど、自分を責めるのだってなんにもイミがない。アタイが馬鹿だなんて、そんなの昔からずっとだ。しかたないのを責めたって、やっぱりしかたがないんだ。
 謝るのも、責めるのも、トクベツだいじなことじゃない。イチバンは、そのザイアクに対して何ができるか。それを考えた、この一年。もう、ほとんど報いたと思うんだ。少なくともアタイのこころは晴れわたっている。
 広場のケイジ板には去年までには見なかった新しいお仕事のはり紙がしてある。もうひといきがんばることがあるとしたらそれだ。式典が終わって、アタイは案内所に立ちよった(ケイジ板のそばに仮建てしたお仕事についてお手続きする場所だ)。
 意外な人がいた。
「おや。帰ってきていたのか、チルノ」
 けーね先生だ。受付の人がいるはずの席にどっしり正座している。どんな場所でもこの人が座っていると授業するところに見えちゃう。他に人はだれもいなかった。
「祈念式典にきちりと参列したかったそうで代わったのだ。私もかつての教え子を亡くし気は沈んだと言えど……あたり散りぬる花は既に見過ぎた。何も、とは言うまいが、悲嘆というほど胸打つ感はない。──お前ならば分かるだろう。それはさておき。お前も参列したのだろう。黙祷を捧げにひと度出で則ち立ち返ったが、ちょうど式は済んだ頃かな」
「うん、そうだよ。なにかおしごとちょーだい」
「変わらぬよの。その真摯に業と相対する姿勢。いや」
 先生は頭をかきかきして言った。
「面持ちがずっと軽くなったようだ。つくづく妖精という存在は分からない。特にお前は私が集中的に面倒を見た教え子にして最も不可解だ」
「不愉快?」
「ふかかい。解す可《べ》からず。理解できない、の意。貶しや嘲りではないし、かえってこの郷里においては美しさの換言とも捉えられるかもしれない」
 ほーら、授業が始まった。
 別にキライじゃないよ。けーね先生の授業はいつだって好き(苦しいときも苦いときあったけどね!)。でもアタイの後ろからぞろぞろと人が入って列を作りだした。先生の今のお仕事はそれじゃない。
 アタイはテキトーにお仕事をえらんで必要なあれこれをすませて列から抜けた。
 去りぎわ。
「また寺子屋にも寄ってくれ。仮住まいは増え寒さや餓えが凌げるようになりつつも退屈凌ぎはできなんで、暇を持て余す餓鬼どもがあふれ返っている」
「分かった。また行くねー」
「ああ。もはや……その様子ならば、あの地に再びまみえることもないやもしれぬな」
 そのときは、その言葉の意味が分からなかった。不可解だった。
 それから三週間くらい経ったときだ。一月の終わり。
 満月をながめていた。
「……あ」

 二二

  二月二七日
「どこいくんだ」
 神田家のおやしき。家の人、住みばたらきの使用人みんなの寝息が聞こえる。アタイはお部屋の窓を開く。光りかがやく満月がさそう、ひんやりと空気がすみわたったお外。身を乗りだしかけて──
「起きてたんだ……万ちゃん」
 アタイは振りむいてぎょっとおどろいた、フリをした。
 今夜はひとりだけ聞かない寝息があった。部屋の外の寒い廊下で、かすかに吐息がしていた。だれのものかはっきりとはしなかったけれどなんとなく分かっていた。ブキミだとは思わない。前からカンづいていた。万ちゃんもたぶん、この夜をずっと待ちわびていたんだ。
「あのさ、良かったらこれから散歩に」
「ダメだよ」
 あの日、好きだって叫ばれた。それはトクベツな感情。
「カイランあったでしょ。今日の夜は妖怪が暴れまわるから外に出ちゃいけませんって」
「へっ。平気さ! オレ、ケンカむっちゃ強いし。ブジュツのおけいこもしてんだぜ」
 きっと、その大きな体はたのもしくアタイのとなりにいてくれる。
「いいじゃん、いいじゃん。チルノちゃんも外出たいんだろ。キレイだもんな」
「うん。キレイだね、満月」
 それできっと、アタイよりも馬鹿になってくれる。笑わせるために。安心させるために。
「でもね。アタイ、もう行かなきゃいけないんだ」
「……〝もう〟?」
 万ちゃんはきっと、代わりになってくれる。でも──
「なんだよその言い方。まるで、もう二度と会えないみたいな、さ」
「そうなるかもしれない。そうならないかもしれない」
 それは本当のアタイの望みじゃない。
「だから言うね。今までありがとう。また会えるといいね」
 つかみかかられる前にアタイは飛びたった。
 絶叫。
 満天の星空が白黒とまたたくような叫び声が弾幕のように背中からつらぬいた。
 なんて言っているのか、アタイの耳でも最後まで聞きとることができなかった。
 どんな声でも分かるはずなのに。それだけトクベツな叫び声が、残こくに、残きょうする。
 遠く。遠く。
 やがてひびきも、色も、すきとおっていって。
 目的のとうげに着くころには暗闇の空にすっかり溶けて、ひんやりとした風がアタイのほてりをいやした。
 ──まるで一年前から変わらずそこにいたみたいに、姿勢もそのままのハクタクがとうげの雪色がかぶった岩場にどっしり座っていた。
「やっほ。一年ぶり」
「まあ、ある意味ではな」少しほほえんで、言う。「さて、今宵は極み月のために自制もままならん。いざ単刀直入に尋ねよう」
 ハクタクは表情をなくす。片目に月をながめそして横顔のままギロリとアタイをにらんだ。まるでサイバンをするみたいに。
「汝、歴史の再編を請うか」
 ずしりと重く、重く、ひびく。この日だけアタイがもらった権利だ。答えも覚悟も、もう決まっていた。
「────うん。カッパ組の歴史を、なかったことにして」
 カッパ組って組織は外のセカイの技術をたくさん取りいれた、もともと幻想郷にはなじみづらい存在。この人のチカラなら、この満月の夜に限ってそれを幻想郷から忘れさらせることができる。そうすればきっと、カッパ組をつぶすために起こったあらゆるサイアクなできごとはなかったことになる。カッパ組は始めから存在しなかったから。
「なぜだ」
 ハクタクは意外、というより落たんの表情を見せた。
「経緯としてお前は大変なしでかしと罪悪、業を背負う羽目となった。しかし結末として復興の草分け隊長として名を揚げ、慕われるようになった。かつての牧歌的な面影を失いかけた我らが人里を取り戻す、一種良き攪乱であったとさえ言えるだろう。少なくない犠牲に贖うべしとはまた然りとしても、お前は充分に償い切った。チルノ。賢い我が弟子にして、我よりはるか万世渡りし大長老よ。なんぞ、この〝ただ一過点ぎり〟に執着することがある。お前の覚悟を疑うのではない。此度の一年はさぞ久しかったろう。幾度の自問自答の上に成り立つその覚悟であろう。それゆえ、解すまじ。一時の過ちのために全歴史を混沌へと放り投げ、次の犠牲はまた厭わずと言うのか」
 声のいきおいがおさえきれず、ほえるようにしかるハクタク。この人はどこまで先生をする気なんだろう。アタイのこの最後の選択にまで授業の道筋をえがいていた。いいや。そもそもこの選択をあたえたのもその考えがあったからなのか。その中で、アタイはまちがった教え子らしい。
 知るもんか。
 アタイの本気を伝えなきゃ。がんばれ、アタイ。──考えるのはこれで最後だ。岩場の下から見上げ、たっぷりと月の光を吸いこんで。
 言った。
「大ちゃんがしんだんだ。先生の考えは当たったよ。アタイは大ちゃんの能力を引きついだ。大ちゃんに眠りから目覚めてほしくて色んなこと……ホントにたくさんのことがんばってきたのに、救えたのはその能力だけ」
「永久を誓われたはずの友人にパタリと消えられれば立ち直るもまた難しと。ふむ、考えがやや幼稚な気もするが」
「聞いてってば」
 アタイは強く言葉をついた。ハクタクはぎょっと身を引いた。
「大ちゃんのためにたくさん努力して、救えたのは能力だけだけど、その間に手に入れたモノもたくさんあったんだ。戦うチカラとか、こころを落ちつかせる方法とか、言葉づかいとか、新しい友だちとか、人とのつきあい方とか……でもね、先生。ひとつ、手に入れちゃいけなかったモノに気づいたんだ」
「なんだ」
「考えるチカラ」
 ハクタクの赤くもえる目が開いた。
「今でもよく分かんないけど、先生はアタイたちが『妖精語』をしゃべるって言うんでしょ。アタイが最初に感じたイワカンはたぶんそれだった。他の友だちが言ってることが理解できないの。今になって考えてみたら『妖精語』はたしかに考えないおしゃべりのことだと思う。言葉のふんいきと表情だけで聞きとるもので、イミを考えたしゅんかんおいてけぼり。そんなの、きっとあたりまえだったのに。それでも考えながらしゃべるのは普通のしゃべり方でも『妖精語』でも、そうとう時間と慣れが必要だったよ。もちろん悪いことだけじゃないよ。考えるチカラがあれば、読み書きそろばんできて、むずかしいお話についていけて、色んなことを記おくできて、色んな人にそれをびっくりされて、ほめられるのはうれしかったな。でも考えるのに慣れていくと、アタイ、どんどんどんどんつらくなった」
 何かの問題にソウグウしたとき、テキトーな答えを持つことができなくなった。
 何かの問題に答えを出したとき、それが正解か不正解かはっきり気づくようになった。
 正しさとまちがいであふれるセカイを見たとき、アタイは動けなくなった。
 まちがうたび自分がキライになった。
 それをおそれて動けなくなる自分はもっとキライだった。
 アタイはもう、正解しつづけなきゃいけない。それがイヤなら、馬鹿になるしかない。でもいちど手に入れちゃった考えるチカラは、アタイの体にツルをまいて、アタイが自由気ままにふるまおうとしたしゅんかんそのトゲを刺してきた。そこで目が覚めてしまう。幻想郷に大きな罪をおかしたとき、どれだけ「アタイは馬鹿だ」と責めても、願っても、もとの自分を手に入れることはできない。
 魔法使いの魔理沙はアタイを〝馬鹿にする〟ためにたくさんの言葉を投げかけてくれた。それはアタイが冷静になるのをとめさせて不安とおそれの考えを押しやってくれるものだ。なのにまだこんだけつらいって思うのは、その思考を押しこむのにひっしでひっしで音を上げたまま精神がすっかりしびれてしまっているからだ。
 そんなことになるくらいだったら────
「最初から、考えるチカラなんか、ないほうがよかった」
「それは違う」
 ハクタクは強く息を散らして言いかえす。
「その事実に己自身の力で辿り着いたことにこそ価値がある。お前の……日々の、熟考のもとに実り実った、お前の財産だ……! 無下にしてはならん。むしろそれよりさらに積み上げていくべし。思考を辞め気のままに生きる術を問うこと、それもまた思考、そして熟考。その熟考力はお前の名のもとにようやく育ち始めた大樹である。なんと美しく立派なものだ。おめおめと枯らしては」
「それは〝アタイ通り〟じゃない!」
 ひさしぶりだ。こんな感情こめて叫ぶの。でも感情だけじゃ、この人は許さない。『妖精語』じゃない。弾幕でもない。アタイが学んだ人の言葉で、語りきるんだ。アタイのキモチを。
「アタイは生まれたときのことは覚えてないよ。きっと地面の中にこもっていたこともあるし、その辺の草むらでいっしょに葉っぱをゆらしてたこともある。けど、アタイはもう自由に羽ばたけるんだ。自由に羽ばたけるのが〝アタイ通り〟に生きることなの! 〝思考は根っこさ。思考力っていうのは地面にがっしり根を張るチカラのことなんだ。とても安定するけど、どこへも行けないままずっと立ちっぱなしの大木に逆戻りなんてヤだ!〟気がついたら考えごとしてるんだ。考えないで生きていた自分が信じられないんだ。〝あともどりは、できないんだ〟……アタイの知り合いで『それでも馬鹿になっちゃえばいい』って言う人がいるんだ。でもその人はけっきょく失敗してる。あたりまえさっ。馬鹿を演じようって考えるんだから。いちど手に入れたモノはそうカンタンに手放せないのに。もちろん、世の中が〝人による自然〟で妖精がまったく何も考えないことはないかもしれないけどさ。──アタイだけだよ。こんなに考えて人の言葉をぺちゃくちゃしゃべる妖精。不自然ッ。自分が気持ち悪くてしかたないの。自分がどんどん妖精じゃなくなっていくような感覚がするの。その感覚を、思考力を、植えつけたのは他でもない……けーね先生だよ」
「私はお前に」
「ザンネン。それは不正解だよ」
 けーね先生の言葉の裏に回りこんでふさぐ。
 先生は今、こう言おうとした。「私はお前に頼まれて頭を良くするための方法を教えたまでだ」ってね。たしかに根っこをたどっていったらあの打ちあげ花火の夜、アタイが頼んだのが始まりだった。向こうに責任は、実はない。
 でもね、アタイのアタマのししょー────
「今日から一年前。アタイはけーね先生に今日の〝権利〟をもらったんだぞ」
 アタイの生きザマを変えたのを責めておねがいする必要はない。
 だいじなのはけーね先生に責任があるかないか、じゃない。
 アタイには一年前。同じ満月の夜。歴史を消す権利が渡された。
 だいじなのはけーね先生が理由を認めるか認めないか、だ。
 権利を使う理由を理解させるために気持ち悪くてもガマンして話すんだ。
 っていうかそもそも──
「先生とアタイは〝師弟関係〟だね。でも権利を前にしたらどうかな」
「それは」
「まさか『ぜんぶ教育のイッカンだった』って言ってごまかすの? ふうん、それって先生の〝倫理〟に反してないの? アタイがどんな結論をだしても権利は使われない授業の流れをえがいてた? アタイが何を言ってもふうじこめられると思ってた?」
「いや」
「馬鹿にしてる? ありがと。でもアタイはもう馬鹿じゃない。アタイのノゾミはもとの自分を取りもどすこと。けーね先生の教え子じゃなかったことにすること」
「……」
「アタイが頭を良くしたかったのはカッパ組の〝騒動〟を止めるため。カッパ組の歴史がなかったことになれば……アタイのノゾミはかなう。もちろん地震も起こらない。人里は街にはならず人里のまま」それに、大ちゃんだって────
 先生は長くだまっていた。持っていた筆を口に押しあてて、目は一点、アタイじゃないどこか遠いところを見つめている。その間も森はざわめいたし風は吹いたから静寂ってワケじゃない。その声を耳にしながら、おしりをかきながら、先生の返答を待った。
「恐ろしく秩序立った論理、まさしく氷結晶のごとし。されど歴史の抹消百に百、望みを叶うること能わず」
「望むところさ」
 すぐに答えた。
「……よかろう。元はと言えば私の入れ知恵だ」
 先生は、ハクタクはそう言って息をついた。「私も老いたかな。弟子に一杯食わされるとは」
 大きな満月が、しぼりとったようなまぶしいおうごんの光を注いでいる。与えられたバクダイなチカラにおぼれ、森から狂ったいくつもの叫び声がこだまする。
 ハクタクはたいらな岩場の上にどっしりとあしをくずして、月に向きなおって光を全身に受けたままゆっくりと呼吸していた。ししょーって呼ぶのにふさわしい理性だ。アタイはやっぱり尊敬していた。ひどいことを言った。教え子じゃなかったことに、なんて。でもやっぱりこの人の授業は好きだった。それを伝えるべきか、アタイは迷った。やっぱり迷った。迷わなければよかった。「ギシキ」は迷っている間に始まっていた。
 いつの間にかハクタクの手には巻き物と筆がにぎられていた。
 巻き物が手から離れチュウに浮く。すると、いきおいよく結びが解かれ、巻き紙が「バララララ」と音を立てながらハクタクとアタイを囲うように展開していった。たえまなく、とぎれない、ひとつなぎの巻き紙。ハクタクが記した、幻想郷の記憶そのもの。周りの紙からひとつ読もうとしたけれど、アタイにはとうてい読めないたっぴつの文字だ。
 ピタリ。
 まだ〝巻き〟を残して展開が止まる。ハクタクの正面にピンと開かれた巻き紙が舞いおりる。いくつものつらなった黒ズミの文字の列。ハクタクは筆を構えた。そして────
「またアイツに、叱られてしまうな」
 そこにあった文章を、上から黒く塗りつぶしはじめた。
 そのしゅんかん、〝巻き〟がさらに開きだす。さっきとは比べ物にならない速度。まるでリュウが空をかけのぼるようないきおいでめくられ、つぎつぎアタイたちをとり囲み、過去へ、過去へ、さかのぼっていく。ハクタクは目の前の文字をスミで消す。それにしたがうように、周りのハクタクの文字が光り、さらさらと動きだした。
 歴史が再編される。
 幻想郷はいったん壊れる。ふたたびよみがえったとき、アタイはたくさんのモノを失っているだろう。だけど逆に見たら、アタイはたくさんのモノを取りもどすんだ。
 ハクタクのかれいな筆さばき。星くずみたいにピカピカと浮かぶ記憶の文字たち。ギシキを見守るまんまるお月様。立ちながら見とれていた。
 気づけば、意識はない。

 エピローグ

  六月〈霧の湖〉
 さああああ──
 さああああ──
 サアサアだんねー。
 霧雨ってふぅちゃんね。
 なしに知っとうば?
 ぴょんぴょ子ばおせーてくんろーた。
 また大ちゃんウソばったごろわってー! ぴょんぴょ子ふぅちゃんの「ピョン」か「ケロ」だねゃい。
 ぴょんぴょ子「ピョン」だらえんじゃ……
 あ、ぴょんぴょ子!
 ザバンッ──!
 あははっ。なぁで、なぁでおないにバシャッたらんちゃっ? ふふっ、チルノちゃんの馬鹿でーなっ!
 なんじゃらい! 馬鹿ってふぅちゃんな! 馬鹿って……!
 ──馬鹿、って。
 そう言われて、イワカンがした。
 なんて言ったらいいのかな。
 アタマのなかがチカチカするっていうか、まっくらくらの黒くぬりつぶしたアタマのなかからナニカがぴょっこりうつって見えるみたいな、そんなかんかく。
 ゲコゲコゲコ──
 気にすることでもないか。
 ゲコッゲコッゲコッ──
 え?
 ん。なぬしゃい、大ちゃん?
 空、見ない!
 あ、赤い! 青空が、どんどん赤空になっちゃんじょ! 大ちゃん、あれはなんっ?
 知らえんどー!
 アタイたちは霧雨の中を飛びまわってあたりのようすをたしかめた。空の青はその間にもすっかり赤く染まっていく。
 霧の湖の近くにきみょうな大きな建物を発見した。建物の二階のつきだしたところに、だれかいる。四、いや、五人くらい? そこから、赤い、モクモクとしたものが出てきていた。
 アタイはトツゲキしようとした。
 でも大ちゃんはアタイのハネを引っぱった。反対方向を指さしてこう言うんだ。
 そっちゃなぁけん! あないかんだりか来ないとう。
 だり来ないって?
 んと、赤い服着た……巫女しゃん? あっ、てこっちゃ、こん赤空のハンニンちゃい!
 待ちねぃ! 赤空んモクモクそっちゃなあでこっちゃかん来んだら!?
 決ばっちゃん、決ばっちゃん! だってさだって、どっちも赤えんだってに!
 向かってくる人の服が赤いから空を赤くしたハンニンだってさ。信じられない! そばでモクモクしている人たちがいるのに! イルカのツメとぎさ!
 ……どうしてこんな言葉を知っているんだろう。
 んじゃわたし、先すっちゃんね!
 アタイが動かずにいると、飛びだしていっちゃった。大ちゃんってたしか、スペルカードのこと知らなかったんじゃなかったっけ……?
 本当に、本当に、馬鹿だ。
 アタイはこんなにも天才なんだから、馬鹿のそばにいて助けてあげないといけないな。
 どうかあの巫女もなぜか馬鹿で、まちがって湖につっこんだりしちゃいますように。
 どうかこの建物の人たちもやっぱり馬鹿で、やっぱりまちがってたくらんでいることが失敗して建物ごとバクハツしたりしちゃいますように。
 おねがいごとはしっかりしておいて、アタイもハンニンに向かって飛びだす。あれ、ハンニンだっけ? どっちがどっちだっけ?
 湖の真上で赤い巫女が大ちゃんをうち落としたのが見えた。キレイな弾幕。じゃなくて、よくも! 大ちゃんをやってくれたな、イヘンのハンニンめっ! とっちめてやる!
 霧の中にまぎれて冷気をまきちらす。
「この湖こんなに広かったかしら? う、なんなの、この霧。見通しが悪いったらありゃしないわ。それとも私のほうが方向音痴?」
 やれるよ、アタイ。
 アタイは冷気をあやつる氷精、チルノ!
「へんっ! 道迷っちゃんは、アタイのしわざだっちゃい!」
 霧から飛びだす。
 幻想郷最強の氷精がおでましさ!

 おわり
〈あとがき〉
 お読みいただき本当にありがとうございました。
 結局、前編投稿より一年内に完結させることは叶わず。どうしてこんなことに……プロットはちゃんと組んだつもりだったのにッ!
「なんかこの展開のほうが楽しそう」
 だなんて! やったね、ついに私は妖精の視座を獲得したんだ。
 道から逸れに逸れまくったことで頂上が見えているのにいつまで経ってもたどり着けなんで(小町でもいたのかしら)、踏み跡だけ稼いでしまいました。おかげで物を書くようになって四年、人生最長の小説となりました。質はまあまあ、若い割に頑張ったほうだと一応褒める。

 そう私はまだ筆を執る者としてはあんまりに若い、らしいです。私自身いつからでも早くも遅くもなかろうという言い分ですが、ある文壇は三〇過ぎてからだとか言ったそう。理由は明確に覚えてません。単に人生経験の深度として語るに値するモノなどなかろうという言い分でしょうか。
 でも、でも。私は童心のうちに書いた物語にも年功者の知恵に勝る価値があると信じています。私は「童心は幸せそのものだ」と日々唱えながら暮らす若者です。だって。自分が楽しかったときっていつ? そこにあるのはいつだって愛しいほどの単純さじゃない。
 小説を書く。って行為。複雑なモノを生み出しているようで、そうじゃない。むしろ、自分自身のなかにある思考や自分の人生という膨大な選択の有り様を具象化し単純に整理していくことだと思っています。もちろんユーモアは忘れない。それじゃまるでエッセイだ。いいや、バラエティーが必要なんです。これは書き手としてのモチベーションの話。やっぱりキャラクターとストーリーがなくっちゃ。
 チルノは私の童心を映し出した者です。だから一人称。自然たる妖精なのに。自我持っちゃった。私は彼女の物語を通じて伝えたかった。何を? それを率直に、私は皆様に尋ねる。私は何を言いたかったか?
 時に(ずっと?)読みづらいこともあったでしょう。私が読み返したときでさえ詰まり詰まりだったのです。読者様はさらにガタガタの文章にイライラしっぱなしだったかも。まさかまさか、不快だってことも。でもね、後悔はないの。本当に申し訳はございませんが。チルノといっしょに、およそ一年幻想郷を翔け渡って、出来はともかく満足しました。筆執りとして成長を感じました。前の自分なら絶対に失踪していたから。チルノがもっと好きになりました。だけどこんな過酷なシリアス調の書体に巻き込むのは、しばらく辞めにしたい。

 これ以上書くとそろそろ自虐に走ってしまう。ここいらで。ここからは読者様が頑張る番。あとは野となれ山となれ湖となれ。あいや、これは失礼。もう読まれた後ですか。本当に、本当に感謝しかございません。
 このサイトを見つけられて良かった。でなきゃ書けなかった。シリアス好きの私にはもってこい。
 しばらく不応期になると思うけれど、また来ます。
初瀬ソラ
[email protected]
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コメント



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1.100やんたか@タイ削除
前編から読みました。とても面白かったです。
まず、長期間に渡ってこれだけの文量を書き上げた事に敬意を表します。
魔理沙周りに八雲紫の影がチラついた気がしたものの出てこず終いだったので、八雲紫や摩多羅隠岐は何をしてたの?とか諸々の疑問はありますが、それらを跳ね除ける力強さを感じました。チルノの内面描写が丁寧で、とても引き込まれました。
次回作も是非読ませてください