「博麗の巫女って、何で人間でなければならないんだろうな」
「……は?」
侮蔑、罵倒、驚愕、呆れ、悲嘆。
霊夢は魔理沙へ数多の負の感情を込めた一言を返す。
ただでさえ、寒い早春の風がさらに音を立て、縁側に座る魔理沙の体を打ちつける。
「いや、そんな顔すんなって」
「人間の味方である博麗の巫女へ喧嘩を売っているようにしか聞こえなかったからね」
「いやあ、お前だって普通の人間じゃないだろ」
魔理沙は内心しまったと顔を強張らせるが、当の本人はどこ吹く風と澄ました顔をして茶をすすっている。
「まぁ、普通じゃないから異変解決しているのよね」
それはごもっともで、否定できる要素のない回答である。自分達のように空を飛び、弾幕や体術を張れるからこそ、妖怪と太刀打ちができる立場として異変を調査することができる。
冷静に考えれば、本人が一番理解できる立場だろう。人里ではない、幻想郷の外れに暮らすことを求められ、立場上里の人間を妖怪から守らなければならないのだから。
魔理沙は返す言葉もないと自分用の湯呑みを手に取る。すっかりぬるくなってしまった。
「そろそろこの出がらしは変え時じゃないか?」
「まだいける」
閑古鳥が鳴く博麗神社だが、そこまで困窮しているわけではない。相変わらず、霊夢の貧乏性には困る。
普段、妖怪と戦い、巫女として振る舞う様は人間離れした美しさと神秘さを兼ね備えているというのに、こういうところは人間くさい。
(だから、皆惹かれちまうんだよなあ)
「なんか言った?」
「いんや、別に」
その惹かれている者の中に自分も含まれている。勘の良い霊夢なら察しているかもしれない。
自分達の普通が普通ではなく、そして彼女に抱く感情も普通ではないことを。魔理沙とて人の子と人の子の間から産まれた人間。男女の交わりによって人は子を成し、子孫を繁栄させていくことぐらい知っている。
それが少女同士が愛を育みたいと思う感情は愚か者のすることだろうか。
霊夢を横目で見る。相変わらず澄ました表情でお茶を飲んでは、冷えた手を温めるように湯呑みを両手で強く握っている。
はたしてこれが歪んだ愛なのだろうか。許されない愛なのだろうか。
普通に生きることを捨て、こちら側に来た人間に与えられたいわゆる罰なのだろうか。
「さっきから難しい顔してるけど、さっきのことまだ気にしてるの?」
「……いや、気にするな」
霊夢は睨んでくる。心中までは悟られないだろうが、勘の良い彼女のことだからそれでカバーされてしまっているかもしれない。
人間の良さを捨て、妖怪の良さを取る。魔法使いとしてのメリットは計り知れない。周りの魔法使い達があまりにも良い例を示している。
「うー、寒くなってきたからそろそろ中に上がるわよ」
「じゃあ、お邪魔させてもらうな」
「誰も良いなんて言ってないわよ」
「私が言った」
「ここは私の家なんだけど」
「細かいことは良いんだよ。ついでにみかんと夕飯も一緒にな」
「あんたの頭を割って脳みそが入っているか確かめようかしら」
「なら、お前の頭に春が入っているか確かめないとな」
「……何枚?」
「三枚で」
同じタイミングで立ち上がり、境内に出る。いつも通り誰もいないため、好き放題に暴れられる。
「中で温まる気は失せたか?」
「ええ、あなたのおかげでさらに温かくなりそうだわ」
二人は同時に空へと飛ぶ。
華々しいごっこ遊びはそれから数十分続いた。
「あーあ、今日は負けた負けた」
自宅に帰ると傷のできた帽子を放り投げ、ベッドに身を預ける。
勝って機嫌の良い霊夢から「やっぱ入っても良いわよ」と言われてしまい、やってやれるかと箒にさっさと跨ってきた。
食べ物をかけてしまったのが悪かったのか、今日は久々の完敗だった。前回、前々回と連勝していただけに悔しい。
今年に入って、三勝三敗。
去年の四勝一二敗に比べればまだまだ良い方だ。これが成長というものなのだろう。
そして、まだまだ成長したい。
その原動力は間違いなく、今日戦ってきたあの巫女である。
「やっぱり、あいつがいないと駄目なんだよな」
目標があるからこそ頑張ることができる。
誰でも良い。どこの誰だろうと目標にすべき者がいるから現状維持にこだわることなく、研鑽を積むことができる。
それが自分にとってたまたまあいつなだけの話。
「なのに、何で私の心はさらに求めようとしているのかねえ……」
理由を知らないほど乙女ではない。だが、理解しようとするほど素直ではない。
自分でそれに関するスペルを持っておきながらそれさえも認められない。我ながら実に良い性格をしていると思う。
「あーあ、やっぱり捻くれ者は辛いねえ」
「自覚しているんだからなおのことね」
文字通り、ベッドから飛び上がる。置いたままの魔導書が背骨に当たって痛い。
擦りながら声の主を睨む。
「不法侵入は感心しないな」
「専売特許ですもの」
「最近、秘神が出しゃばりだから何とかしてくれないか?」
「苦情ならご本人にどうぞ」
「言って聞いてくださるなら苦労しねえって」
「そうよねえ。そういう奴ですもの」
紫はぬるりとスキマから体を出し、丁寧に頭を下げてくる。どうやら機嫌は良いらしい。
「不法侵入を咎めたのに入ってくるとはこれいかに」
「専売特許ですもの」
「これは苦情なんだが」
「なら、善処いたしますわ」
「じゃあ、とっとと出てい……」
「霊夢に振られてご機嫌斜めね」
この覗き魔のことは助走を付けて一回ぶん殴ってやりたい。
「どこまで見てたんだよ」
「博麗神社は幻想郷の要ですから」
常日頃の一部始終を見続けているということになる。何となくだが、彼女の機嫌の良さの原因が分かった。
「人の不幸は蜜の味ってか」
「人でも妖怪でも思いは強いほど、良い味を出してくれますから」
「美食家なことで」
「好き嫌いはいけないことですから」
そういう話をしたいんじゃない。
口から出そうになった言葉を飲み込む。はぐらかされて終わるのが脳裏に光景となって見えた。
「あいつは本当に誰でも平等に接するくせに、自分のことになると鈍感なんだよな」
「博麗の巫女として適任でしょう?」
「お前らにとってはな」
「人間にとっても」
魔理沙の舌打ちが部屋に響く。何にも縛られずに人間や妖怪に平等に接する霊夢を慕う者は多い。彼女は同時に皆から一線を引いているため、何にも縛られない。
それを霊夢らしいと笑う者もいれば、もどかしく思う者もいる。後者も大半は諦めている連中ばかりだ。たとえ分かっていても、魔理沙は諦めることができない。星に憧れ、願い、手に取りたいと思うように。
「ずいぶんとお悩みのようね」
「誰かのせいでより深くなったな」
「人間は欲深いこと」
「お前らと違って、弱くて短命だからな」
「あなたは本当に素晴らしいわね」
「嫌味か?」
「褒めているのよ」
紫は扇子を口元に付けて微笑む。その仕草が本当に胡散臭く、真偽を把握できない。
「何が起こるか分からないこそ面白いのです」
紫は眉間にしわを寄せる魔理沙をよそに話を続ける。
魔理沙が考えていることを見透かすかのように。
「止めないんだな」
「何事もきちんと自分で縛り付けておかないと全てを失った時に全てが遅過ぎるのよ」
「式神にその式神。充分だと思うがな」
「そういう問題ではないのです。では、御機嫌よう」
都合が悪くなって逃げた。
彼女の過去など知りたくもないが、そういった思いを持ち、諦めたことがあったのだろう。
彼女が皆から心底嫌われないのは、妙に人間くさいところもあるのだろう。
彼女に止める気はないらしい。
「なら、良いんだな……」
自分が何をしようと。自分達がどうなろうと。
博麗の巫女の朝は早い。
昨日は宴会があったため、その片付けをしてから境内の掃除をして、朝食の準備に取りかかる。
基本的に目覚めが良い霊夢にとって苦になることではない。
(なんでこうなっているのか……)
今日もそのつもりで朝日の気配を感じて、立ち上がろうとした。しかし、両腕を縛られて薄暗い部屋の柱に吊られ、声を発せられないように轡を噛まされている。
妖怪の仕業か。
昨晩、宴をした。だが、参加者は魔理沙、早苗、咲夜の人間組だけ。
解散した後に妖怪が忍び込んできたか。そう思ったが、あり得ないと首を横に振る。
侵入者がいれば優秀な狛犬が気付いてくれるはずだ。
顔見知りの犯行となれば、一体誰の仕業なのか。
「おはよう、よく眠れたか?」
悶々と考えていると下手人から現れてくれるのはよくあること。だが、一番犯人ではないと思っていた相手の声を聞けば、精神的な衝撃は驚きさえも通り越してしまう。
「そんな呆けた顔するなよ、ここは私の家の地下だ」
魔理沙は落ち着いた声で、場所まで教えてくれる。そして、人をこのような状態にさせておいてよく言う。
動機を知りたいが、轡が邪魔で声を出せない。抗議を言わんばかりに唸り声を上げる。すると、彼女は笑って首を横に振ってきた。
「なあ、ここまで来てどうして賢者達はお前を救わないんだろうな」
霊夢の眉間のしわが自然に寄った。
時刻は分からないが、体感で朝だと分かる。紫は睡眠時間が長いから起きれば動いてくれる。
だが、彼女の式神も動かないのは違和感を覚える。まさかと思いながら、その先にあるであろう真実を否定したくなる。
否定しなければ、自分は自分の存在意義を失う。これまで博麗の巫女として人間と妖怪の間を取り持ってきた。博麗の巫女のだからできた。
膝、指、唇が震える。
何ものにも縛られないはずなのに、奪われる恐怖の感覚が足から這いずる虫のように気色悪く全身を駆け巡る。
「要は、誰でも良いんだよ」
魔理沙が静かに浴びせた致命的で暴力的な言葉。
自分でも分かる。目から生気が失われていくのが。
やはり、誰からも頼りとしなかった彼女が最後に頼った者は幻想郷の賢者達だった。
見放された今、どれだけの絶望を味わい、孤独感を抱いているのか。
魔理沙の目には筆舌に尽くしがたい自分の絶望の表情が映っているだろう。縛られないはずが、孤独を恐れている。博麗霊夢の名が聞いて笑える。
むしろ笑えない。こんな無様な姿を見られたら、幻想郷を守護したきた者としての名誉、尊厳が崩れる。
「大丈夫。私がお前のことは一生面倒見るから」
優しい笑顔で強く握り返される手。
爪が立てられ、皮膚に食い込む。
痛いのに、快楽。
徐々に抱き、支配する依存という感情。
覚妖怪でなくても分かる。
魔理沙なしでは生きていられない精神状態に陥っている。
だが、彼女は今の自分でも受け入れてくれる。心の底から愛してくれている。
霊夢は気付くと頷いていた。
人間ではなくなり、一生魔理沙の奴隷となる。
それが何よりも心地良い。博麗の巫女から一人の霊夢として見られる幸せが今ここにある。
より強い温もりが彼女の体を支配した。
『号外 新たな博麗の巫女、就任する 先代巫女 突然の失踪』
「……は?」
侮蔑、罵倒、驚愕、呆れ、悲嘆。
霊夢は魔理沙へ数多の負の感情を込めた一言を返す。
ただでさえ、寒い早春の風がさらに音を立て、縁側に座る魔理沙の体を打ちつける。
「いや、そんな顔すんなって」
「人間の味方である博麗の巫女へ喧嘩を売っているようにしか聞こえなかったからね」
「いやあ、お前だって普通の人間じゃないだろ」
魔理沙は内心しまったと顔を強張らせるが、当の本人はどこ吹く風と澄ました顔をして茶をすすっている。
「まぁ、普通じゃないから異変解決しているのよね」
それはごもっともで、否定できる要素のない回答である。自分達のように空を飛び、弾幕や体術を張れるからこそ、妖怪と太刀打ちができる立場として異変を調査することができる。
冷静に考えれば、本人が一番理解できる立場だろう。人里ではない、幻想郷の外れに暮らすことを求められ、立場上里の人間を妖怪から守らなければならないのだから。
魔理沙は返す言葉もないと自分用の湯呑みを手に取る。すっかりぬるくなってしまった。
「そろそろこの出がらしは変え時じゃないか?」
「まだいける」
閑古鳥が鳴く博麗神社だが、そこまで困窮しているわけではない。相変わらず、霊夢の貧乏性には困る。
普段、妖怪と戦い、巫女として振る舞う様は人間離れした美しさと神秘さを兼ね備えているというのに、こういうところは人間くさい。
(だから、皆惹かれちまうんだよなあ)
「なんか言った?」
「いんや、別に」
その惹かれている者の中に自分も含まれている。勘の良い霊夢なら察しているかもしれない。
自分達の普通が普通ではなく、そして彼女に抱く感情も普通ではないことを。魔理沙とて人の子と人の子の間から産まれた人間。男女の交わりによって人は子を成し、子孫を繁栄させていくことぐらい知っている。
それが少女同士が愛を育みたいと思う感情は愚か者のすることだろうか。
霊夢を横目で見る。相変わらず澄ました表情でお茶を飲んでは、冷えた手を温めるように湯呑みを両手で強く握っている。
はたしてこれが歪んだ愛なのだろうか。許されない愛なのだろうか。
普通に生きることを捨て、こちら側に来た人間に与えられたいわゆる罰なのだろうか。
「さっきから難しい顔してるけど、さっきのことまだ気にしてるの?」
「……いや、気にするな」
霊夢は睨んでくる。心中までは悟られないだろうが、勘の良い彼女のことだからそれでカバーされてしまっているかもしれない。
人間の良さを捨て、妖怪の良さを取る。魔法使いとしてのメリットは計り知れない。周りの魔法使い達があまりにも良い例を示している。
「うー、寒くなってきたからそろそろ中に上がるわよ」
「じゃあ、お邪魔させてもらうな」
「誰も良いなんて言ってないわよ」
「私が言った」
「ここは私の家なんだけど」
「細かいことは良いんだよ。ついでにみかんと夕飯も一緒にな」
「あんたの頭を割って脳みそが入っているか確かめようかしら」
「なら、お前の頭に春が入っているか確かめないとな」
「……何枚?」
「三枚で」
同じタイミングで立ち上がり、境内に出る。いつも通り誰もいないため、好き放題に暴れられる。
「中で温まる気は失せたか?」
「ええ、あなたのおかげでさらに温かくなりそうだわ」
二人は同時に空へと飛ぶ。
華々しいごっこ遊びはそれから数十分続いた。
「あーあ、今日は負けた負けた」
自宅に帰ると傷のできた帽子を放り投げ、ベッドに身を預ける。
勝って機嫌の良い霊夢から「やっぱ入っても良いわよ」と言われてしまい、やってやれるかと箒にさっさと跨ってきた。
食べ物をかけてしまったのが悪かったのか、今日は久々の完敗だった。前回、前々回と連勝していただけに悔しい。
今年に入って、三勝三敗。
去年の四勝一二敗に比べればまだまだ良い方だ。これが成長というものなのだろう。
そして、まだまだ成長したい。
その原動力は間違いなく、今日戦ってきたあの巫女である。
「やっぱり、あいつがいないと駄目なんだよな」
目標があるからこそ頑張ることができる。
誰でも良い。どこの誰だろうと目標にすべき者がいるから現状維持にこだわることなく、研鑽を積むことができる。
それが自分にとってたまたまあいつなだけの話。
「なのに、何で私の心はさらに求めようとしているのかねえ……」
理由を知らないほど乙女ではない。だが、理解しようとするほど素直ではない。
自分でそれに関するスペルを持っておきながらそれさえも認められない。我ながら実に良い性格をしていると思う。
「あーあ、やっぱり捻くれ者は辛いねえ」
「自覚しているんだからなおのことね」
文字通り、ベッドから飛び上がる。置いたままの魔導書が背骨に当たって痛い。
擦りながら声の主を睨む。
「不法侵入は感心しないな」
「専売特許ですもの」
「最近、秘神が出しゃばりだから何とかしてくれないか?」
「苦情ならご本人にどうぞ」
「言って聞いてくださるなら苦労しねえって」
「そうよねえ。そういう奴ですもの」
紫はぬるりとスキマから体を出し、丁寧に頭を下げてくる。どうやら機嫌は良いらしい。
「不法侵入を咎めたのに入ってくるとはこれいかに」
「専売特許ですもの」
「これは苦情なんだが」
「なら、善処いたしますわ」
「じゃあ、とっとと出てい……」
「霊夢に振られてご機嫌斜めね」
この覗き魔のことは助走を付けて一回ぶん殴ってやりたい。
「どこまで見てたんだよ」
「博麗神社は幻想郷の要ですから」
常日頃の一部始終を見続けているということになる。何となくだが、彼女の機嫌の良さの原因が分かった。
「人の不幸は蜜の味ってか」
「人でも妖怪でも思いは強いほど、良い味を出してくれますから」
「美食家なことで」
「好き嫌いはいけないことですから」
そういう話をしたいんじゃない。
口から出そうになった言葉を飲み込む。はぐらかされて終わるのが脳裏に光景となって見えた。
「あいつは本当に誰でも平等に接するくせに、自分のことになると鈍感なんだよな」
「博麗の巫女として適任でしょう?」
「お前らにとってはな」
「人間にとっても」
魔理沙の舌打ちが部屋に響く。何にも縛られずに人間や妖怪に平等に接する霊夢を慕う者は多い。彼女は同時に皆から一線を引いているため、何にも縛られない。
それを霊夢らしいと笑う者もいれば、もどかしく思う者もいる。後者も大半は諦めている連中ばかりだ。たとえ分かっていても、魔理沙は諦めることができない。星に憧れ、願い、手に取りたいと思うように。
「ずいぶんとお悩みのようね」
「誰かのせいでより深くなったな」
「人間は欲深いこと」
「お前らと違って、弱くて短命だからな」
「あなたは本当に素晴らしいわね」
「嫌味か?」
「褒めているのよ」
紫は扇子を口元に付けて微笑む。その仕草が本当に胡散臭く、真偽を把握できない。
「何が起こるか分からないこそ面白いのです」
紫は眉間にしわを寄せる魔理沙をよそに話を続ける。
魔理沙が考えていることを見透かすかのように。
「止めないんだな」
「何事もきちんと自分で縛り付けておかないと全てを失った時に全てが遅過ぎるのよ」
「式神にその式神。充分だと思うがな」
「そういう問題ではないのです。では、御機嫌よう」
都合が悪くなって逃げた。
彼女の過去など知りたくもないが、そういった思いを持ち、諦めたことがあったのだろう。
彼女が皆から心底嫌われないのは、妙に人間くさいところもあるのだろう。
彼女に止める気はないらしい。
「なら、良いんだな……」
自分が何をしようと。自分達がどうなろうと。
博麗の巫女の朝は早い。
昨日は宴会があったため、その片付けをしてから境内の掃除をして、朝食の準備に取りかかる。
基本的に目覚めが良い霊夢にとって苦になることではない。
(なんでこうなっているのか……)
今日もそのつもりで朝日の気配を感じて、立ち上がろうとした。しかし、両腕を縛られて薄暗い部屋の柱に吊られ、声を発せられないように轡を噛まされている。
妖怪の仕業か。
昨晩、宴をした。だが、参加者は魔理沙、早苗、咲夜の人間組だけ。
解散した後に妖怪が忍び込んできたか。そう思ったが、あり得ないと首を横に振る。
侵入者がいれば優秀な狛犬が気付いてくれるはずだ。
顔見知りの犯行となれば、一体誰の仕業なのか。
「おはよう、よく眠れたか?」
悶々と考えていると下手人から現れてくれるのはよくあること。だが、一番犯人ではないと思っていた相手の声を聞けば、精神的な衝撃は驚きさえも通り越してしまう。
「そんな呆けた顔するなよ、ここは私の家の地下だ」
魔理沙は落ち着いた声で、場所まで教えてくれる。そして、人をこのような状態にさせておいてよく言う。
動機を知りたいが、轡が邪魔で声を出せない。抗議を言わんばかりに唸り声を上げる。すると、彼女は笑って首を横に振ってきた。
「なあ、ここまで来てどうして賢者達はお前を救わないんだろうな」
霊夢の眉間のしわが自然に寄った。
時刻は分からないが、体感で朝だと分かる。紫は睡眠時間が長いから起きれば動いてくれる。
だが、彼女の式神も動かないのは違和感を覚える。まさかと思いながら、その先にあるであろう真実を否定したくなる。
否定しなければ、自分は自分の存在意義を失う。これまで博麗の巫女として人間と妖怪の間を取り持ってきた。博麗の巫女のだからできた。
膝、指、唇が震える。
何ものにも縛られないはずなのに、奪われる恐怖の感覚が足から這いずる虫のように気色悪く全身を駆け巡る。
「要は、誰でも良いんだよ」
魔理沙が静かに浴びせた致命的で暴力的な言葉。
自分でも分かる。目から生気が失われていくのが。
やはり、誰からも頼りとしなかった彼女が最後に頼った者は幻想郷の賢者達だった。
見放された今、どれだけの絶望を味わい、孤独感を抱いているのか。
魔理沙の目には筆舌に尽くしがたい自分の絶望の表情が映っているだろう。縛られないはずが、孤独を恐れている。博麗霊夢の名が聞いて笑える。
むしろ笑えない。こんな無様な姿を見られたら、幻想郷を守護したきた者としての名誉、尊厳が崩れる。
「大丈夫。私がお前のことは一生面倒見るから」
優しい笑顔で強く握り返される手。
爪が立てられ、皮膚に食い込む。
痛いのに、快楽。
徐々に抱き、支配する依存という感情。
覚妖怪でなくても分かる。
魔理沙なしでは生きていられない精神状態に陥っている。
だが、彼女は今の自分でも受け入れてくれる。心の底から愛してくれている。
霊夢は気付くと頷いていた。
人間ではなくなり、一生魔理沙の奴隷となる。
それが何よりも心地良い。博麗の巫女から一人の霊夢として見られる幸せが今ここにある。
より強い温もりが彼女の体を支配した。
『号外 新たな博麗の巫女、就任する 先代巫女 突然の失踪』
逆に霊夢としても大分ましな終わりだったのではないでしょうか