マッチ棒の小さな火が細長い棒へと移る。少しの間があってから勢いよく火花が噴き出た。幼い少女たちは目を輝かせてそれを楽しんでいる。小さな笑い声が響き渡る中で、それをかき消すような叫び声が遠くから聞こえてきた。目の前の巫女装束を着た少女は行かなきゃと呟くと、そのまま花火を水の中に放り込んでから階段へと向かい始めた。最初から一人ぼっちだったかのように、金髪の少女は漂う火薬の香りと虚しさを感じていた。
* * *
夕暮れが少しずつ濃い深みを増していく中で、ようやく目が覚めた。障子から赤み掛かった淡い光が漏れ出している。なにか昔のことを夢に見ていた気がするが、重い頭では思い出すことが出来なかった。軋む背中を伸ばしながらため息を吐く。なにか小さな胸騒ぎを感じて、胸の奥が重くなった。
櫛で髪を梳かす。さらりと櫛が流れていく。軽く梳かし終えてから赤いリボンで結んだ。鏡に映る自分は疲れたような目をしている。寝間着を脱いでいると、タンスの隙間から声が聞こえてきた。普段のように姿を見せれば良いものを。悪い予感は的中するもので、紫が次に口を開く前になんとなく事を理解した。
「霊夢、多分もう察しているのでしょうけれど、成ってしまったわ。川辺に住んでいる老人。その息子よ。里にまで危害が及ぶ前に、いつも通り任せるわ」
そう言い終えると隙間から覗いていた目はゆっくりと暗闇に消えていった。頭の裏が重みを増していくのを感じる。少しずつ髪を引っ張られていくような、不愉快な重みだった。
川辺の老人といえば、私がこの神社で物心ついた時から人里を離れて一人で暮らしている人だった。何度か里で暮らすように説得をしても川辺というものにこだわっているようで、頑固者といった風な人だ。何故そうなったのかは分からないが、彼の息子が人としての姿を保てなくなったというのなら、私が手を下すしかない。
秋の夕日は足早にその姿を消す。肌を撫でる風の冷たさに少し身震いしながら川辺へと向かった。小さく灯りのともった民家が一軒、ひっそりと建っているのが見えた。
民家の扉をコンコンと叩く。返事はない。軽く戸を引けばよいだけなのに、ひどくそれをためらう自分がいた。それでもゆっくりと戸を引き、中を確認する。家の中には誰も居なかった。争った形跡もない。中央にある囲炉裏には鍋が吊るされていて、その下にはまだ火が燻っていた。しかし炭の上には灰が覆われ、急いで火を消したような跡があった。
まだ近くにいる。直感で外へ飛び出し、辺りを見回した。目の前がぱっくりと開き、扇子を持った手が河原を指し示す。こちらが声を出す前に不気味な空間は静かに閉じられた。
小さく鳴る砂利を踏み、示された方向へ歩いていく。何かの間違いであってほしいという反面、自身に課せられた責任が頭の中で反響する。懐に隠した細長い針を手に持ち、河原に向かう。
静かに流れる川面に丸い月が揺れている。さらに冷たくなる風に身震いしながら、人影を探して目を凝らした。一町ほど先にうずくまる人影が見えた。きっとあれがそうだろう。胸の奥に嫌な重さを抱えながら、その人影まで歩いていくことにした。手に持った針を握りなおしながら、ゆっくりと人影に近づく。こちらに飛びかかってきたときのことを考え、すぐに反撃を取れる体勢を整えた。人影までの距離がひどく遠く感じた。
近づくにつれ、すすり泣く声が聞こえてきた。聞こえるのは懺悔の言葉だった。妖怪化した息子の声かと思っていたが、意外にもそれはあの老人の声だった。
肩を震わせる老人に声をかける。
「こんばんは。博麗の巫女です。用件は言わなくても分かると思うけど」
「分かっておる。もう終わったんじゃ。全部片づけた。終わったんじゃ」
老人はこちらの言葉を遮り声を荒げた。血にまみれた服を着た老人はそう言うと、胸の中の息子と思われるなにかを強く抱きしめた。
「遺体はこちらで引き取ります。息子さんは、丁重に弔いますので」
「なぁ巫女さん。何がいけなかったんじゃ? 儂らはただ普通に暮らしていただけなんじゃ。それがこんな……」
「正直申し上げると、私には分かりません。月の影響か、それとも空気が悪いのか。それでも、これは誰にでもあり得ることです。そして、ここでは妖怪になることは許されない。それだけなんです」
さぁ、と亡骸を引きとろうとすると、老人はまた口を開いた。
「巫女さん、儂にはこいつを立派に育て上げるという責任があった。だからこそ、こいつがこうなってしまった責任は儂にもあるはずじゃ。どうすればよかった。儂はこの先どうすればいい……」
責任という言葉が耳の奥で鳴り響く。この老人は責任を果たしたのだろう。子に対する責任を。どんなに重いものを背負ったのだろう。そして私もこの先、同じようなものを背負い続けていくのだろうか。胸の奥の黒い塊が、頭の奥にかかったもやに流れ込んでいくのを感じた。
魔理沙は、これからどうするのだろう。昔、一緒に花火をしたことを思い出した。
* * *
まだ外は暗い。鳥が徐々に鳴きはじめる中、自然と瞼が開いた。額と背中に湿り気を感じて不愉快な目覚めだった。なにか夢を見ていた気がする。幼いころの私がいた。それ以上深くは思い出せない。頭の奥がズシリと重い。軽く首に手を当て、ゆっくりと捻る。パキリと子気味の良い音が耳の奥で鳴った。
灯りを点けるほどでもない薄暗い部屋の中、ゆっくりとベッドから立ち上がり洗面所へと向かった。少しだけぬるい水で顔を洗い、鏡を見た。鏡の中にはいつも通りの顔をした私がいた。
寝間着を脱ぎ捨て、服をクローゼットから取り出す。そのまま袖に腕を通して頭を出す。癖毛が絡まって思うように頭が抜けなかった。
姿見の前で髪に櫛を入れる。櫛を入れる度に引っ掛かる癖毛に嫌気が差して一思いに流してしまおうかとも思ったが、痛いのでやめた。少しずつ櫛を揺らし、なんとか全体の絡まりを解いた。左側の髪をまとめ、三つ編みに結んでいく。霊夢の直毛が羨ましい。
窓の外はまだ暗いが、朝食をとることにした。米を炊き、味噌汁を沸かし、質素な朝食を準備する。一口ずつ噛みしめながらゆっくりと味を感じる。飯を食うという行為、いつかは無くなってしまうのだと考えると、妙に感慨深いような気もした。
朝日がゆっくりと昇り、暖色が青紫色の空を食べ始める。差し込み始めた光が部屋の中に少しずつ満ちていく。自分の手元が明るく輝いていた。
食器を洗いながら、今日するべきことに思考を巡らせる。いつも通りの実験と研究はもちろん欠かせないが、なんだか妙に胸が騒いで気が休まらなかった。
妙な緊張感を気にしていてもしょうがないから、結局本を読むことにした。いつだか、遠い昔に手に入れた魔法使いの本だ。きらきらと輝く魔法、夜空に星を浮かべる魔法を使う魔法使い。私はこの魔法使いに憧れて魔女になることを決めたんだっけな。それから紆余曲折を経て今に至っているのだから、やはり情熱と欲望というのは恐ろしい。
ぱたりと本を閉じて、研究机に向かいあう。計算式を書き直して、それを実行へと移す。不思議と焦りを感じることはなかった。少し発想を転換しただけで、あれほど行き詰まっていたはずの実験に驚くほどの成果が表れた。詰まっていたはずの研究が、パズルのピースが嵌まったように進んで行く。 次々に新しいアイデアが浮かぶ。それを形にする作業が楽しい。思考と行動を行うだけ、それだけで背中がぞわぞわするような感覚と充足感が湧いてくる。自分でも驚くほどの集中力で没頭し続けていた。気付いたとき、窓からは暗く赤い夕陽が差し込んでいた。
びっしりと書き込まれた本から手を離し、宙を見上げた。何時間も没頭していたはずなのに、不思議といつものような重たい疲労は感じなかった。そのままぼんやりと天井の木目を見ていた。なんだかとても心地よい
私は、いつか魔女になる。実感を伴った自信がじわりと胸の奥に満ちていくのを感じる。魔女となったその先に何があるのか、今はまだ分からない。少しずつ光が満ちていくような、しかし靄がかかっているような、目の前にはそんな感覚が広がっている。けれども、一つだけ確かなことがある。その先にはきっと霊夢がいる。今までとは変わり果てた関係で、お互いに何か大事なものを抱えながら。
椅子から立ち上がり、そのままベッドへと倒れ込んだ。甘く痺れるようなまどろみの中、昔の景色がフラッシュバックした。
勢いよく火花が噴き出る。魔法みたいだと心を躍らせてそれを振りかざした。霊夢は笑いながらそれを見て、線香花火の方が好きだと言った。それでも楽しそうに笑っていた。
少しずつ意識が遠のいていく。意識が沈む瞬間、最後に見えたのは暗がりの中で階段を下る霊夢の背中だった。
目が覚めた頃、窓からは月明かりが差し込んでいた。白く差し込む光をしばらく眺めていると、コンコンと玄関の戸が鳴った。勢いよく起き上がり帽子を被る。妙な時間の来客だなと警戒して戸を開けた。
珍しいことに、そこには霊夢が立っていた。
* * *
「花火をしましょう、だって? こんな時間に?」
魔理沙は首を傾げてもう一度尋ねる。霊夢はこくりと首を縦に振ってから、束になった花火を差し出した。
「どこからそんなもん拾ってきたんだ? というか花火なんて久しぶりに見たな」
「紫がね、たまには昔を思い出して遊ぶのも悪くないんじゃないかって寄こしてきたのよ。言われて思い出したけど、私たち昔はよく遊んでたわよね」
「あー……、私がまだ里で暮らしてた頃か。懐かしいな」
静寂が二人を包む。夜更けに花火をしようという霊夢に、魔理沙は普段とは違うなにかを感じたが、そこに触れようとはしなかった。
無言のまま、。黒髪の少女は手に持った花火の束から二本を取り出し、一つを金髪の少女へと手渡した。
マッチ棒が擦れる音と共に、少女たちの手元が赤く揺れる。指先で持った線香花火に火が移り、パチパチと弾け始めた。赤い光を見つめながら、少女たちはそれぞれに想いを馳せる。考えている内に、赤く弾ける珠はゆっくりと火花を散らし、そのままぽとりと地面に落ちた。次の花火に火を点ける間、何度かマッチの擦れる音がした。二人は口を開かずにそれを聞いていた。
暗がりの中、ようやく火が点くと二人はお互いの視線に気づいた。花火に火を映すことも忘れ、じっと互いの目を見つめていた。マッチの火が消え、フフっという笑い声が漏れ出る。
「なに見てんのよ。笑っちゃったじゃない」
「それはお互い様だろ。第一、先に見てたのはそっちじゃないのか?」
軽い笑い声が響き渡る中で、どちらが長く線香花火を落とさずにいられるか、そんなことを言い合いながら二人はもう一度火を点けた。
パチパチと音を鳴らしながら小さな火の玉は輝いている。いつか見た大きな火花とは違うが、今はこれも良いなと感じる。何も大きく輝くものだけが魔法じゃない。弾幕となれば話は違うが、小さな魔法にも力がある。見るだけで心が動かされるような、そんな小さな魔法もあっていい。私は小さな魔法も、派手で大きな魔法も使いこなしてみせる。
その先に何が待ち受けているのか、それも分かっている。今はまだ、そんなことを気にしてもしょうがない。いつか魔女になって、それからは……。
私には、責任がある。幻想郷の巫女というだけでなく、そんなことなんてどうでも良くなるくらい大きな責任が。もしも魔理沙が魔女になったら? そんな考えが頭をよぎる。そんなことが起こったら、私はどうするのだろう。答えは出ている。理性では分かっている。それでも、それは途方もなく悲しい結末で、耐えようのないことだ。
ふと魔理沙の目を見た。赤い火花が大きな目に映っている。赤く光るその目はとても輝いている。それは光の反射か、それともなにかを決めたのか。分かりたくなくて、目を閉じた。瞼の裏に焼き付いた魔理沙の目が浮かぶ。私はそんな魔理沙の目を美しいと感じてしまった。けれど、それ以上に恐ろしかった。
これから先、どうするのだろう。楽しいことも、悲しいことも、全てに手を掛けなくてはいけないのだろうか。魔理沙は、どうするのだろう……。
線香花火は火花を散らしながらゆっくりと揺れている。少しずつ、少しずつ黒髪の少女の持つ花火が小さくなり始めた。金髪の少女は自身の持った花火を近づけると、それらはくっつきあい、一つの塊になった。少女たちは互いが何を思っているのか気づいているのかもしれない。ただ、今はこの時間だけが続いてほしいと、そんなことを願ったのかもしれない。
一つの塊になった火花はその重さに堪えきれず、ただぽたりと垂れ落ちた。
* * *
夕暮れが少しずつ濃い深みを増していく中で、ようやく目が覚めた。障子から赤み掛かった淡い光が漏れ出している。なにか昔のことを夢に見ていた気がするが、重い頭では思い出すことが出来なかった。軋む背中を伸ばしながらため息を吐く。なにか小さな胸騒ぎを感じて、胸の奥が重くなった。
櫛で髪を梳かす。さらりと櫛が流れていく。軽く梳かし終えてから赤いリボンで結んだ。鏡に映る自分は疲れたような目をしている。寝間着を脱いでいると、タンスの隙間から声が聞こえてきた。普段のように姿を見せれば良いものを。悪い予感は的中するもので、紫が次に口を開く前になんとなく事を理解した。
「霊夢、多分もう察しているのでしょうけれど、成ってしまったわ。川辺に住んでいる老人。その息子よ。里にまで危害が及ぶ前に、いつも通り任せるわ」
そう言い終えると隙間から覗いていた目はゆっくりと暗闇に消えていった。頭の裏が重みを増していくのを感じる。少しずつ髪を引っ張られていくような、不愉快な重みだった。
川辺の老人といえば、私がこの神社で物心ついた時から人里を離れて一人で暮らしている人だった。何度か里で暮らすように説得をしても川辺というものにこだわっているようで、頑固者といった風な人だ。何故そうなったのかは分からないが、彼の息子が人としての姿を保てなくなったというのなら、私が手を下すしかない。
秋の夕日は足早にその姿を消す。肌を撫でる風の冷たさに少し身震いしながら川辺へと向かった。小さく灯りのともった民家が一軒、ひっそりと建っているのが見えた。
民家の扉をコンコンと叩く。返事はない。軽く戸を引けばよいだけなのに、ひどくそれをためらう自分がいた。それでもゆっくりと戸を引き、中を確認する。家の中には誰も居なかった。争った形跡もない。中央にある囲炉裏には鍋が吊るされていて、その下にはまだ火が燻っていた。しかし炭の上には灰が覆われ、急いで火を消したような跡があった。
まだ近くにいる。直感で外へ飛び出し、辺りを見回した。目の前がぱっくりと開き、扇子を持った手が河原を指し示す。こちらが声を出す前に不気味な空間は静かに閉じられた。
小さく鳴る砂利を踏み、示された方向へ歩いていく。何かの間違いであってほしいという反面、自身に課せられた責任が頭の中で反響する。懐に隠した細長い針を手に持ち、河原に向かう。
静かに流れる川面に丸い月が揺れている。さらに冷たくなる風に身震いしながら、人影を探して目を凝らした。一町ほど先にうずくまる人影が見えた。きっとあれがそうだろう。胸の奥に嫌な重さを抱えながら、その人影まで歩いていくことにした。手に持った針を握りなおしながら、ゆっくりと人影に近づく。こちらに飛びかかってきたときのことを考え、すぐに反撃を取れる体勢を整えた。人影までの距離がひどく遠く感じた。
近づくにつれ、すすり泣く声が聞こえてきた。聞こえるのは懺悔の言葉だった。妖怪化した息子の声かと思っていたが、意外にもそれはあの老人の声だった。
肩を震わせる老人に声をかける。
「こんばんは。博麗の巫女です。用件は言わなくても分かると思うけど」
「分かっておる。もう終わったんじゃ。全部片づけた。終わったんじゃ」
老人はこちらの言葉を遮り声を荒げた。血にまみれた服を着た老人はそう言うと、胸の中の息子と思われるなにかを強く抱きしめた。
「遺体はこちらで引き取ります。息子さんは、丁重に弔いますので」
「なぁ巫女さん。何がいけなかったんじゃ? 儂らはただ普通に暮らしていただけなんじゃ。それがこんな……」
「正直申し上げると、私には分かりません。月の影響か、それとも空気が悪いのか。それでも、これは誰にでもあり得ることです。そして、ここでは妖怪になることは許されない。それだけなんです」
さぁ、と亡骸を引きとろうとすると、老人はまた口を開いた。
「巫女さん、儂にはこいつを立派に育て上げるという責任があった。だからこそ、こいつがこうなってしまった責任は儂にもあるはずじゃ。どうすればよかった。儂はこの先どうすればいい……」
責任という言葉が耳の奥で鳴り響く。この老人は責任を果たしたのだろう。子に対する責任を。どんなに重いものを背負ったのだろう。そして私もこの先、同じようなものを背負い続けていくのだろうか。胸の奥の黒い塊が、頭の奥にかかったもやに流れ込んでいくのを感じた。
魔理沙は、これからどうするのだろう。昔、一緒に花火をしたことを思い出した。
* * *
まだ外は暗い。鳥が徐々に鳴きはじめる中、自然と瞼が開いた。額と背中に湿り気を感じて不愉快な目覚めだった。なにか夢を見ていた気がする。幼いころの私がいた。それ以上深くは思い出せない。頭の奥がズシリと重い。軽く首に手を当て、ゆっくりと捻る。パキリと子気味の良い音が耳の奥で鳴った。
灯りを点けるほどでもない薄暗い部屋の中、ゆっくりとベッドから立ち上がり洗面所へと向かった。少しだけぬるい水で顔を洗い、鏡を見た。鏡の中にはいつも通りの顔をした私がいた。
寝間着を脱ぎ捨て、服をクローゼットから取り出す。そのまま袖に腕を通して頭を出す。癖毛が絡まって思うように頭が抜けなかった。
姿見の前で髪に櫛を入れる。櫛を入れる度に引っ掛かる癖毛に嫌気が差して一思いに流してしまおうかとも思ったが、痛いのでやめた。少しずつ櫛を揺らし、なんとか全体の絡まりを解いた。左側の髪をまとめ、三つ編みに結んでいく。霊夢の直毛が羨ましい。
窓の外はまだ暗いが、朝食をとることにした。米を炊き、味噌汁を沸かし、質素な朝食を準備する。一口ずつ噛みしめながらゆっくりと味を感じる。飯を食うという行為、いつかは無くなってしまうのだと考えると、妙に感慨深いような気もした。
朝日がゆっくりと昇り、暖色が青紫色の空を食べ始める。差し込み始めた光が部屋の中に少しずつ満ちていく。自分の手元が明るく輝いていた。
食器を洗いながら、今日するべきことに思考を巡らせる。いつも通りの実験と研究はもちろん欠かせないが、なんだか妙に胸が騒いで気が休まらなかった。
妙な緊張感を気にしていてもしょうがないから、結局本を読むことにした。いつだか、遠い昔に手に入れた魔法使いの本だ。きらきらと輝く魔法、夜空に星を浮かべる魔法を使う魔法使い。私はこの魔法使いに憧れて魔女になることを決めたんだっけな。それから紆余曲折を経て今に至っているのだから、やはり情熱と欲望というのは恐ろしい。
ぱたりと本を閉じて、研究机に向かいあう。計算式を書き直して、それを実行へと移す。不思議と焦りを感じることはなかった。少し発想を転換しただけで、あれほど行き詰まっていたはずの実験に驚くほどの成果が表れた。詰まっていたはずの研究が、パズルのピースが嵌まったように進んで行く。 次々に新しいアイデアが浮かぶ。それを形にする作業が楽しい。思考と行動を行うだけ、それだけで背中がぞわぞわするような感覚と充足感が湧いてくる。自分でも驚くほどの集中力で没頭し続けていた。気付いたとき、窓からは暗く赤い夕陽が差し込んでいた。
びっしりと書き込まれた本から手を離し、宙を見上げた。何時間も没頭していたはずなのに、不思議といつものような重たい疲労は感じなかった。そのままぼんやりと天井の木目を見ていた。なんだかとても心地よい
私は、いつか魔女になる。実感を伴った自信がじわりと胸の奥に満ちていくのを感じる。魔女となったその先に何があるのか、今はまだ分からない。少しずつ光が満ちていくような、しかし靄がかかっているような、目の前にはそんな感覚が広がっている。けれども、一つだけ確かなことがある。その先にはきっと霊夢がいる。今までとは変わり果てた関係で、お互いに何か大事なものを抱えながら。
椅子から立ち上がり、そのままベッドへと倒れ込んだ。甘く痺れるようなまどろみの中、昔の景色がフラッシュバックした。
勢いよく火花が噴き出る。魔法みたいだと心を躍らせてそれを振りかざした。霊夢は笑いながらそれを見て、線香花火の方が好きだと言った。それでも楽しそうに笑っていた。
少しずつ意識が遠のいていく。意識が沈む瞬間、最後に見えたのは暗がりの中で階段を下る霊夢の背中だった。
目が覚めた頃、窓からは月明かりが差し込んでいた。白く差し込む光をしばらく眺めていると、コンコンと玄関の戸が鳴った。勢いよく起き上がり帽子を被る。妙な時間の来客だなと警戒して戸を開けた。
珍しいことに、そこには霊夢が立っていた。
* * *
「花火をしましょう、だって? こんな時間に?」
魔理沙は首を傾げてもう一度尋ねる。霊夢はこくりと首を縦に振ってから、束になった花火を差し出した。
「どこからそんなもん拾ってきたんだ? というか花火なんて久しぶりに見たな」
「紫がね、たまには昔を思い出して遊ぶのも悪くないんじゃないかって寄こしてきたのよ。言われて思い出したけど、私たち昔はよく遊んでたわよね」
「あー……、私がまだ里で暮らしてた頃か。懐かしいな」
静寂が二人を包む。夜更けに花火をしようという霊夢に、魔理沙は普段とは違うなにかを感じたが、そこに触れようとはしなかった。
無言のまま、。黒髪の少女は手に持った花火の束から二本を取り出し、一つを金髪の少女へと手渡した。
マッチ棒が擦れる音と共に、少女たちの手元が赤く揺れる。指先で持った線香花火に火が移り、パチパチと弾け始めた。赤い光を見つめながら、少女たちはそれぞれに想いを馳せる。考えている内に、赤く弾ける珠はゆっくりと火花を散らし、そのままぽとりと地面に落ちた。次の花火に火を点ける間、何度かマッチの擦れる音がした。二人は口を開かずにそれを聞いていた。
暗がりの中、ようやく火が点くと二人はお互いの視線に気づいた。花火に火を映すことも忘れ、じっと互いの目を見つめていた。マッチの火が消え、フフっという笑い声が漏れ出る。
「なに見てんのよ。笑っちゃったじゃない」
「それはお互い様だろ。第一、先に見てたのはそっちじゃないのか?」
軽い笑い声が響き渡る中で、どちらが長く線香花火を落とさずにいられるか、そんなことを言い合いながら二人はもう一度火を点けた。
パチパチと音を鳴らしながら小さな火の玉は輝いている。いつか見た大きな火花とは違うが、今はこれも良いなと感じる。何も大きく輝くものだけが魔法じゃない。弾幕となれば話は違うが、小さな魔法にも力がある。見るだけで心が動かされるような、そんな小さな魔法もあっていい。私は小さな魔法も、派手で大きな魔法も使いこなしてみせる。
その先に何が待ち受けているのか、それも分かっている。今はまだ、そんなことを気にしてもしょうがない。いつか魔女になって、それからは……。
私には、責任がある。幻想郷の巫女というだけでなく、そんなことなんてどうでも良くなるくらい大きな責任が。もしも魔理沙が魔女になったら? そんな考えが頭をよぎる。そんなことが起こったら、私はどうするのだろう。答えは出ている。理性では分かっている。それでも、それは途方もなく悲しい結末で、耐えようのないことだ。
ふと魔理沙の目を見た。赤い火花が大きな目に映っている。赤く光るその目はとても輝いている。それは光の反射か、それともなにかを決めたのか。分かりたくなくて、目を閉じた。瞼の裏に焼き付いた魔理沙の目が浮かぶ。私はそんな魔理沙の目を美しいと感じてしまった。けれど、それ以上に恐ろしかった。
これから先、どうするのだろう。楽しいことも、悲しいことも、全てに手を掛けなくてはいけないのだろうか。魔理沙は、どうするのだろう……。
線香花火は火花を散らしながらゆっくりと揺れている。少しずつ、少しずつ黒髪の少女の持つ花火が小さくなり始めた。金髪の少女は自身の持った花火を近づけると、それらはくっつきあい、一つの塊になった。少女たちは互いが何を思っているのか気づいているのかもしれない。ただ、今はこの時間だけが続いてほしいと、そんなことを願ったのかもしれない。
一つの塊になった火花はその重さに堪えきれず、ただぽたりと垂れ落ちた。
将来に対するぼんやりとした不安を抱えながらも今日の楽しみを享受する二人がかわいらしかったです