Coolier - 新生・東方創想話

祝福と呪い

2025/10/16 00:47:35
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―紅魔館。霧の湖の畔に存在するその洋館は、濃霧と静寂に包まれていた。
湖面には紅い月がぼんやりと映り、風一つ吹かない。
だが、それは窓ガラスが割れる音で破られた。
「この魔導書は頂いたぜ!」
割れた窓から、広いつばのとんがり帽子と白黒の衣装に身を包んだ金髪の人間の少女―霧雨魔理沙が箒に乗って飛び出した。
「今日という今日は許さないわ、魔理沙!」
淡い紫色のネグリジェのようなローブを着込んだ、同じく紫色のロングヘアの少女―パチュリー・ノーレッジが追いかける。
「へっ!やるってのか?面白い!」
魔理沙は空中で方向転換すると、短く詠唱する。手に持つミニ八卦炉へ魔力が収束し、無数の魔法弾をパチュリーに向けて放つ。
「…ふん、この程度」
パチュリーは詠唱しつつ、魔理沙の弾幕をひらりと回避する。詠唱が完成し、中空に生成された大量の火球が魔理沙へ放たれた―

紅魔館の割れた窓から、頭と背中に蝙蝠のような羽の生えた、洋装をした赤髪の少女―小悪魔が空中で戦いに興じる二人を見上げていた。
「はぁ、また始まった…」
首を横に振り、半ば呆れたような表情で苦笑する。
魔理沙が本を盗み、パチュリーがそれを追う…忙しないが、紅魔館にとって日常的な光景…の”はず”だった。

空中の二人はしばらく魔法弾による応酬を繰り返すも、お互い回避しあい決着はつかない。
魔理沙は懐からスペルカードを取り出し宣言した。
「恋符・マスタースパーク!」
長いスペルを詠唱し、ミニ八卦炉が光を放ち魔力が凝縮される。
「ふん…私の大魔法で相殺してあげるわ。日符・ロイヤルフレア!」
パチュリーも応えるようにスペルカードを宣言し、複雑な韻を含んだ詠唱を始める。
前方の空間に膨大な魔力が集中し、核融合を模した反応が生じ、疑似太陽が生成される。
ぐんと周囲の気温が上昇し、パチュリーの額にうっすらと汗が滲む。

詠唱によりお互いの魔法が完成し、今まさに放たれようとした瞬間、パチュリーは不意に喘息の発作に襲われた。
「…!?ゴホッゴホッ…!!く…こんな時に…ごほっ…!!」
その発作は従来のものよりもかなり激しく、身体を折り曲げ、胸を押さえ苦痛に耐える。
パチュリーの前方に浮かんでいた完成間際の疑似太陽は、詠唱が途絶えたことで霧散した。

ミニ八卦炉に収束された魔力のレーザー…マスタースパークの発射と、ロイヤルフレアの魔法が消滅したのはほぼ同時だった。
「―!?まずい…避けろっ!」
既に射出された魔法は制御が効かず、魔理沙が叫ぶ。
苦しそうに咳き込んでいる無防備なパチュリーに向かって、魔力が凝縮された極太のレーザーが照射され、彼女を包みこんだ―

 ◆

―紅魔館の一室。洋装の豪華な作りのその部屋には窓がなく、ランプの淡い光だけが室内を照らしていた。
大きなベッドの上で、パチュリー・ノーレッジは半身を起こしていた。
頭と腕には包帯。息を吸うたびに、胸がわずかに上下する。
「パチェ…」
そう呟いたのは、白を貴重としたドレスに身を包んだ、背中に蝙蝠のような羽の生えた幼い少女…レミリア・スカーレットだった。
ベッドの周囲には魔理沙、レミリア、小悪魔が心配そうな表情でパチュリーを囲んでいた。

「安心して、命に別状はないわ。相当分厚い魔法障壁が作用したのか…
見た目ほど大きな怪我もないし、何日か安静にしていれば元気になるでしょう」
赤と青の看護帽と衣服を着た銀髪の女性、八意永琳は診察道具を鞄にしまいながら言った。
「…世話を掛けたわね。ありがとう」
レミリアが永琳に向かって頭を下げて礼を言う。
「パチュリー…本当にすまなかった。もしお前になにかあったら…私は…」
魔理沙が神妙な面持ちで謝罪する。僅かに手が震え、その表情には悔恨の痕が滲んでいた。
「…気にしなくていいわよ。スペルカードバトルは疑似決闘とはいえ、時には命を落とす危険もある…
それを承知の上でやってるんだから」
パチュリーは苦痛で時折顔を歪めながらも、優しく魔理沙に応える。
「パチェの言う通りよ。場合によっては、逆の立場になっていたかもしれない…」
レミリアも魔理沙を慰める。
「…まあ、仮にそれでパチェが死んでいたら…話はまた変わってくるけどね」
レミリアは小さな声でぼそりと呟き、ほんの僅かな一瞬、恐ろしい表情を見せた。
それをたまたま目の当たりにした小悪魔は、背筋に悪寒が走り体を震わせた。

「身体の弱い私が何の対策もしていないわけないじゃない。対物理と対魔法それぞれの障壁を常時何重にも掛けているから
たとえ事故があっても大事には至らないわよ」
パチュリーは少し胸を張って答えた…が、直後にゴホゴホと咳き込んだ。

―紅魔館の廊下。豪奢なビロードが敷き詰められた広い通路を、小悪魔が永琳と魔理沙を玄関ホールまで案内していた。
「…もし喘息さえなければ、あんな事にはならなかったんです」
小悪魔が暗い表情で俯きながら呟いた。
廊下を進む三人。壁に吊るされた燭台の炎が、足元の絨毯を赤く染めていた。
「魔法使いにとって、喘息は致命的だよな…基本的に強力な魔法ほど詠唱は長くなるしな。
よくあの弱い体と病気であれだけの魔法を使いこなせてるなと感心するぜ」
魔理沙が本人の前では決して言わないであろう賛辞を述べる。
「あの…永琳さん。喘息って、どうにか治すことは出来ないのでしょうか」
小悪魔が縋るように永琳を見上げた。
「残念だけど…気管支喘息の根本的な治療方法はまだ見つかってないの。
せいぜい、ステロイド系の薬で炎症を抑えるか、気管支を拡張する薬による対症療法しかないのが現実ね…」
永琳が気の毒そうに小悪魔に教える。

…しばらくの沈黙。燭台の炎が三人の暗い顔を照らす。
「そうなんだよな…となると、医療ではない別の超自然的な力に頼るしか無いんだが…
例えば魔法、奇跡、妖怪の特殊能力…けど、そう都合の良いものは無いんだよな」
魔理沙は考え込んで、首を横に振る。
「そうですか…どうもありがとうございます」
小悪魔は深く頭を下げた。その手は、知らぬ間に強く握りしめられていた。

 ◆

―翌日。
パチュリーの喘息の症状はこの日も芳しくなかった。
長時間に渡ってかなり酷く咳き込み、息はほとんど喘鳴に近かった。
その白皙の肌はより一層、病的に青白くなり、名職人の手によって造形されたフランス人形のように美しかった容貌は
今はやつれて目の下に隈が出来ている。美しい艶のある髪もボサボサになっており、見る影も無かった。
「ぜぇ…ぜぇ…」
慎重に、細く息をする。少しでも強く呼吸をすると、また発作が起こってしまうからだ。
その目には薄く涙が浮かんでいる。
血混じりの痰が喉に絡み、小悪魔が差し出す陶器の壺に定期的に吐き出す。
会話すら困難で、ペンと紙で筆談する有り様だった。
「パチュリー様…大丈夫。この小悪魔がついておりますから。安心してください」
小悪魔は優しく声をかけ、濡れたタオルでパチュリーを清拭し、甲斐甲斐しくパチュリーの看護を続けていた。
定期的に、永遠亭から処方された吸入器で薬を吸入する。
小悪魔にとって、何より主人の痛ましい姿を見るのが辛かった。

―さらに翌日。館の中からはわからないが、外は白み始めていた。
ようやくパチュリーの喘息は静まり、普通に会話できるまでになった。
「だいぶ治まってよかったです」
小悪魔が少し安心した表情でパチュリーに話しかける。丸一日介護に徹していたせいか、その顔からは
明確に疲労の色が見て取れた。ふらつきそうになる足元を、意志の力でしっかり踏みしめる。
「…こあ、昨日からずっとすまないわね。貴方も疲れたでしょう。
今日は喘息の調子がいいから、貴方は下がってゆっくり休みなさい」
パチュリーが笑顔で小悪魔に告げる。
小悪魔は上司の提案を素直に受けて休むことで、パチュリーに余計な心配をかけさせなくて済むと考えた。
「お心遣い、ありがとうございます。…ではお言葉に甘えて、少し休憩させていただきますね」
小悪魔は一礼すると、部屋から退室した。

―図書館。紅魔館の地下に存在するそれは、空間魔法により無限とも思えるほど広く拡張され、
無数の蔵書を有している。初めて訪れた者は埃とかび臭さが鼻につくだろうが、
小悪魔にとっては長年通った勤務先であり、既に何も感じないようになっていた。

主の居ない図書館の書斎で、小悪魔は幾つかの本を参照しつつ、一人考え込んでいた。
(どうすれば、パチュリー様の喘息を治せるのだろう)
読んでいた本をパタンと閉じて思索にふける。

(例えば魔法、奇跡、妖怪の特殊能力…けど、そう都合の良いものは無いんだよな)
昨日の魔理沙の言葉を思い出す。魔法、奇跡、妖怪の特殊能力…頭の中で反芻する。
その瞬間、小悪魔の脳天からつま先まで電流が走った。それは天啓だった。
「そうだ!あの人なら、治せるかもしれない!」
思わず声に出した。その思いつきをすぐにでも確かめるべく、
小悪魔は力強く立ち上がり、迷いなく羽ばたいた―

 ◆

―三途の川の彼岸。
生気が一切感じられない、暗く寂寥とした河岸にせせらぎの音が僅かに聞こえる。
枯れた彼岸花の群生が僅かに風に揺れていた。

赤いメッシュの入った金髪に金色の羽を持つ少女―庭渡久侘歌は、
急速に近づいてくる存在に気が付き、思わず身構えた。
周囲の静けさを破り、猛スピードで飛んできたそれは、頭と背中に蝙蝠のような翼を生やした赤髪、洋装の少女―小悪魔だった。
速度を緩め、久侘歌の前で着地する。
「はぁ、はぁ…」
よほど飛ばしてきたのか、身をかがめて息切れをしている。その髪は乱れ、汗ばんだ肌に張り付いていた。

「…私は庭渡久侘歌。地獄の関所の見張りをしています。貴方は…?」
久侘歌は警戒を解かず、訝しげに尋ねる。
「わ、私は…小悪魔といいます。紅魔館の魔女、パチュリー様に仕える使い魔です」
ようやく息が整ってきたのか、汗を拭い、背筋を伸ばして自己紹介をする。
「ここに至るまでに、二人の妖怪が居たはずですが…?」
久侘歌が目を細めて、探りを入れる。
「あぁ…あの方達には素直に通してもらえなかったので…スペルカードバトルで”分かって”いただきました」
小悪魔は髪をかき上げ、淡々と言った。温和で誠実な印象だった小悪魔の表情がほんの一瞬、冷たいものに変わった。
目的のためなら何をするのも厭わない…そんな不退転の強い意志を感じた。

「ふむ…ここは三途の川の彼岸。こんな場所に一体何の用ですか?」
より一層警戒し、いつでも戦えるように構えつつ、久侘歌が聞いた。
「突然の訪問すみません。実は地獄に用があるのではなく、貴方にお願いがあって来ました」
「私に…?一体何でしょう?」
久侘歌は首を傾げる。どうやら、相手に害意などは無さそうだと判断した。
「私の主人は、酷い喘息を患っています。喘息は通常の手段では完治は出来ないのですが、どうしても治したいのです。そこで…」
小悪魔は一呼吸を置いて、思い切ったように尋ねた。
「貴方の『喉の病気を癒す能力』で、パチュリー様の喘息を治せないでしょうか?」
その表情は真剣そのものだった。

久侘歌は顎に手を当て一瞬考えた…が、すぐ大きな問題点に気づいた。
「小悪魔さん…と言ったかな。悪いけど…それは出来ません。なぜなら、喘息は喉の病気ではないからです。
喉は声を生む器官。でも、喘息はもっと奥。息そのものを生み出す“管”が焼け付く病ですから…」
久侘歌が気の毒そうに告げた。それを聞いた小悪魔は、目を伏せて沈黙した。
一瞬の静寂。三途の川のせせらぎだけが辺りを包み込んだ。

小悪魔は目を開いた。
「ええ、確かにそうです。喘息は喉の病気ではない…」
その瞳が強い決意の色を帯びた。
「ですが、これならどうでしょうか?」
小悪魔は自分の考えを説明した―

 ◆

―人間の里。明治~大正を思わせる家屋が並ぶ。通りには様々な人々が往来しており、活気があった。
所々で商店の店員が元気に呼び込みの声掛けをしている。

「お前、知ってるか?例の…」
「ああ、あの薬売りの話だろ?里中の噂になってるよ」
二人の男性が立ち話に興じている。その内容を要約すると、以下の通りだった。

ここ数日、里では妙な薬の噂が流れるようになった。
何でも、「どんな喉の病気でも治る」薬を謎の行商人が売っているらしい。ばら撒かれた藁半紙のビラにはこう書かれていた。
効能:喉の痛み、扁桃炎、そして『喘息』─と。
実際、喉を痛めた子供がその噂の薬ですぐに完治したという。
丁度風邪の流行り始める季節の移り変わりの時期だったため、薬の需要は大きく、たちまちその噂は人里に広まった。

「喉の痛み、扁桃炎、『喘息』をあっという間に治す!喉の病気に効く薬だよ~」
外套を着込み、深くフードを被った人物がのぼりを立てて呼びかける。噂の行商人だった。
その呼び込みにつられ、何人かの人が集まってきた。
人が人を呼び、たちまち人集りが形成される。薬は飛ぶように売れていった。

「毎度あり、お大事にしてくださいね」
行商人が最後の客に薬を渡して金を受けとると、手早く仕事道具を片付け、何かから逃れるようにそそくさとその場を去ろうとした。
─その瞬間、ぞくりと悪寒が走った。強烈な圧を感じる。
眼の前にとある人物が立ちはだかった。
紅白の巫女衣装を着込んだ、気の強そうな黒髪の少女…博麗の巫女、博麗霊夢だ。

「…あんた、こんなところで何やってるのよ」
腰に手を当てギロリと見下ろす。少女に似合わぬ威圧的な雰囲気を纏い、その様は下手な妖怪より恐ろしかった。
霊夢は行商人のフードを無理やり脱がした。
フードに隠されていた人物の正体、それは赤い髪の持ち主…小悪魔だった。魔法で錯覚させているのか、頭と背中の羽根はなかった。
「あ、霊夢さん…えへへ、奇遇ですね」
小悪魔は愛想笑いをしつつ、上目遣いで伺うように答える。
「えへへ、じゃないわよ。あんた、人里で何を企んでいるの?パチュリーの差し金?場合によっては…」
霊夢は鬼神のような恐ろしい形相で、指をバキバキと鳴らす。たまらず小悪魔は悲鳴を上げた。
「ひぃ!ぜ、全部話しますから!」
涙目になりながら、小悪魔は事情を説明した。

「…ふん、なるほどね。大体の事情はわかったわ」
霊夢は納得したように頷いた。
「けど…おいそれと許すわけにはいかないわ。あんたのやり方には多くの問題点がある…
結果的に、偽薬を売りつけてるってことでしょ」
霊夢が睨みつける。小悪魔はびくりと首を竦めるも、強い意志を宿した瞳で見返して反論した。
「…まず、この薬は永遠亭で作ってもらったもので、喘息以外の病気には実際に効果があります。
私の手段と目的も永琳さんに告げて、難色を示されましたが許諾も得ています」
霊夢は無表情で、黙って聞いている。小悪魔は続ける。
「また、事前に人間の里の全戸を対象に身上調査を実施し、喘息患者が居ないことも確認済みです」
霊夢は驚き、思わず声を上げた。
「全員を調べたっていうの…!?あんた、よくそこまでやるわね…」
感心…いや、半ば呆れるような表情だ。そして少し考え込んだ。
「それでも倫理的にはギリギリの線だけど…まあ、なにか悪さをしたわけじゃないし、今回は見逃してあげるわ」
小悪魔はそれを聞いて、思わず安堵の表情を浮かべた。

霊夢は一拍おいて、腰に手を当てて身を乗り出す。
「けど、そういった事はこれからは事前に私に相談しなさい。特に人里で何かするのなら、ね」
小悪魔は身を縮こまらせて恐縮する。
「は、はい…以後は気をつけます。ただ、概ね目的は達成したので、里での活動はどちらにしろ今日で終わる予定でした」
「そう…」
霊夢はそこでようやく笑顔を見せた。
「パチュリーは幸せものね…」
小悪魔に聞こえないよう小さく呟き、小悪魔の肩をぽんと叩いた。
「…あんたの目論見、上手くいくことを祈ってるわ」
霊夢がウインクをする。小悪魔はその意外な優しさに驚き、そして輝く笑顔で答えた。
「はい!ありがとうございます!」
緊張と、やり遂げたという達成感から来る喜びが、小悪魔の胸を強く脈打っていた─

 ◆

―紅魔館の一室。ランプの光が揺らぎ、室内をぼうっと照らす。
静寂の中に、本の頁をめくる音が僅かに響く。

パチュリーはベッドで半身を起こし、分厚い本を読んでいた。
体調は大分良くなっているようで、包帯は既になく、その顔色には血色が戻っていた。
ベッドの周りには、沢山の本が山積みになっていた。

ドアをノックする音が響く。
「…どうぞ」
パチュリーが本から視線を外さず答える。
「失礼します」
小悪魔が入ってくる。パチュリーが視線を移すと、その後ろに見慣れない妖怪が居た。
「…?誰?」
パチュリーが当然の疑問を呟く。
「こちらは庭渡久侘歌さんです。私が頼んで来ていただきました」
小悪魔が久侘歌を紹介する。
「どうも初めまして、パチュリーさん。久侘歌と申します。では早速…」
久侘歌がにこりと挨拶すると、ベッドに近づき、手をパチュリーにかざした。
「ちょ、何なの?何をしようというの」
パチュリーはわけも分からず戸惑っている。
「パチュリー様、大丈夫です。そのままじっとしていてください」
小悪魔が優しく伝える。
久侘歌は目を閉じ、手に意識を集中する。すると手が淡く光りだした。
久侘歌の周囲に不可視のエネルギーらしき何かが漂っているのが感じられる。
そのままパチュリーの喉に手を当てる。
「―はッ…!」
その掛け声とともに、部屋全体が光に包まれた。…そして、訪れる静寂。

「これで私の能力は発動しましたが…」
久侘歌が告げると、小悪魔が軽く頷き、祈るように手を合わせた。
そして意を決し、緊張した面持ちで尋ねた。
「パチュリー様。喘息の具合はどうでしょうか」
パチュリーは小悪魔の真剣な表情から、自身も自然と改まって、慎重に答える。
「…今日は調子が良かったけど」
パチュリーは深く息を吸い、吐いてみた。スムーズな呼吸のように思えたが、途中で喘鳴が起こり、喉に痰が引っかかった。
ごほ、ごほと咳き込む。
その咳を聞いた小悪魔は、目に見えて落胆した様子だった。そして、久侘歌と残念そうに顔を見合わせる。
「…すみません、小悪魔さん。力及ばなかったようです」
久侘歌が申し訳無さそうに小悪魔に頭を下げる。
「いえ、とんでもないです!紅魔館までわざわざご足労いただいて、感謝の念しかありません」
小悪魔が深く頭を下げる。

「パチュリーさん、貴方は良き部下をお持ちですね」
久侘歌の言葉に、パチュリーが目を瞬いた。
「小悪魔さん…残念です。けれど、願いを込めた貴方の祈りは、必ずどこかに届くはず…
では、これで失礼いたします」
久侘歌は一礼して退室した。
パチュリーは困惑の表情を浮かべる。一体何がなんだか、よくわからないと言った風だ。
「結局…何だったの?」
小悪魔に尋ねるも、小悪魔はただただ項垂れていた。頭と背中の羽も、しょんぼりと垂れ下がっている。
「パチュリー様…いえ、何でもないんです。…久侘歌さんを玄関まで案内しなきゃ。わ、私もこれで失礼しますね…」
ひどく落ち込んだ様子で、小悪魔も退室した。

残されたパチュリーは、少し考え込み…目を伏せた。
―ランプの光がパチュリーを照らし、壁にその影を落としていた。

 ◆

―数日後、紅魔館の図書館。
無数の文字と知識を蓄えたその空間は、久々に主を迎えていた。

すっかり元気になったパチュリーは、書斎で本を読んでいた。
そこに、小悪魔が紅茶を運んできた。
「ありがとう」
パチュリーは礼を言い、紅茶を口にする。
「うん、美味しいわ。貴方の淹れてくれた紅茶を味わうのも久しぶりね」
その言葉に、小悪魔は嬉しそうな表情をするが、どこか元気がなさげだ。
パチュリーはその様子を見て本を閉じ、声をかけた。
「ねえ、こあ。少しクイズをしましょうか」
パチュリーの突然の提案に、小悪魔は戸惑いを隠せなかった。
「は、はい…クイズ、ですか…?」
思わず聞き返す。その真意を確かめるように。
「ちなみに、もし正解したら私が一つだけ貴方の頼みを『何でも』聞いてあげるわ」
パチュリーのその言葉を聞いた瞬間、小悪魔の目がギラリと光った。
「…今、『何でも』とおっしゃいましたね?やります!絶対正解します!!」
先程までの元気の無さが嘘のように、鼻息荒く意気込む。
それを見て、パチュリーが一瞬不安げな表情になった。
(ちょっと言い過ぎたかしら)
コホン、と咳払いしつつ、気を取り直して出題する。

「では問題よ。韓非、ジョン・ミルトン、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン…この三名の共通点を上げなさい」
小悪魔は顎に手を当て、首を傾げて考える。
「う~ん…時代も国もバラバラですね。事績も…強いて言えば文物や音楽など、文化方面、というくらいしか…」
悩む小悪魔に、パチュリーがヒントを出した。
「それぞれの生涯をなぞっていけば、分かるはずよ」
それを聞いた小悪魔は、ぽんと手を叩いた。
「そうか!三人とも、大きな事績を残していますが、それぞれの分野において致命的な障害を持っていますね」
パチュリーはその答えに、満足そうに頷く。
「ええ、その通りよ。韓非は重度の吃音、ミルトンは失明、ベートーヴェンは重度の難聴…
思想家にとっての弁舌、詩人にとっての視力、作曲家にとっての聴力、どれも無くてはならないものよ」
パチュリーは一旦そこで区切った。そして、まるで生徒を試す先生のように小悪魔を見つめた。

「…私がなぜこの問題を出したか、分かるかしら?」
その言葉が小悪魔の頭の中に浸透し…そこで、ハッと気がついた。主人が何を言いたいのかを。
「パチュリー様…」
思わず呟く。パチュリーは軽く頷き、小さく笑みを浮かべた。

「…韓非は弁舌が出来ない代わりに、『韓非子』にその思想の全てを著し、秦の始皇帝に多大な影響を与えた。
ミルトンは完全に目が見えなくなっても、口述で『失楽園』を完成させた。
ベートーヴェンはほとんど耳が聞こえない状態でも作曲を続け、むしろ難聴後の方が傑作を多く生み出しているの。
…私の喘息も、同じだと思ってるわ」

小悪魔は込み上げる様々な感情に胸が苦しくなり、手で押さえた。今にも泣きそうな表情になっていた。
「私は膨大な魔力と魔法の知識を持っている…が、喘息のせいでスペルを唱えきれない」
パチュリーは目を瞑り、思いを馳せた。
「…正直言って、一度や二度ならず、この喘息を呪ったこともあるわ。もしも健康体ならば、
あらゆる魔法を行使し、その威力は神話に残る神の御業にも匹敵するのに…と」
その声が僅かに震えたのを、小悪魔は感じた。

パチュリーは目を開き、ふっと微笑んだ。
「けどね…それもひっくるめて、私なのよ。詠唱しきれないなら、短いスペルの中に多くの術式を折り込めば良い。
多重言語で複数のスペルを同時に発音すれば良い…そうやって工夫と努力を重ねて、今の私があるの」
胸をぎゅっと押さえる。小悪魔は胸の中に、何か熱いものが広がっていくのを感じた。
「さっき述べた偉人たち…彼らは障害をも乗り越えて偉業をなした。私も喘息を嘆くのではなく、それに倣いたいと思っているわ」

小悪魔は俯いた。自然と、目から一筋の涙が流れていた。
「パチュリー様…私…」
その声は震えていた。
「こあ、貴方がしてくれたこと…全て魔理沙から聞いたわ。魔理沙は霊夢から聞いたみたいだけど…
久侘歌の『喉の病気を癒す能力』で何とか喘息を治すべく、人里で『喘息は喉の病気だ』と人間たちに認識させようとしたのよね」
小悪魔は無言で頷いた。
「…正直、貴方の着眼点は特筆すべきものだわ。妖怪の存在や能力は人間達の伝承や思い込みが基となっている。
喘息は喉の病気ではないけど、人間達に喉の病気だと思い込ませられれば、久侘歌の能力自体を変質できるかもしれない、という仮説…
極めて理にかなっている」

パチュリーは椅子から立ち上がった。そして、泣いている小悪魔に歩み寄り、優しく抱きしめた。
「私のために、考えて、工夫をして、実践をして…結果的には、上手くいかなかったかもしれない。けどね…
貴方のその気持ちが、何よりも嬉しいのよ」
愛おしい我が子をあやすかのように、背中をさする。
「うぅ…ぱ、パチュリー様…私…お役に立てず…申し訳、ありません…」
小悪魔は涙でぐしゃぐしゃになりながら、顔をパチュリーの胸に埋めた。
パチュリーは小悪魔の頭を優しく撫でた。その表情は、普段見せたことのない、慈愛に満ちた笑顔だった。
「こあ…どうもありがとう」
小悪魔の流した涙は、パチュリーの胸の中に、確かに温もりを残した―

 ◆

―後日、紅魔館の図書館。
本の整理をしていた小悪魔は、ふと書籍の題に目がついた。それは偉人伝だった。
何かを思い出したように、その手を止めた。
「そういえば、あの時のクイズ…正解すれば一つだけお願いを聞いてくれるんでしたよね」
小悪魔がパチュリーに尋ねる。
「え、あ、ああ…そうだったわね。何がいいのかしら?」
パチュリーは内心ぎくりとしながらも、平然を装って答える。
「ぐへへ…では遠慮なく、パチュリー様…」
パチュリーはその小悪魔の邪悪?な笑みを見て、一瞬血の気が引いた。
(一体何を要求されるのかしら…)
まさかあんな事やこんな事では…などと頭の中で想像を膨らませる。
身の貞操の危険を感じ、無意識にネグリジェのようなローブの外套を胸元に寄せた。

「私のお願いは…」
そこで、小悪魔は打って変わって真剣な表情になり、真っ直ぐにパチュリーを見据えた。
「パチュリー様…貴方に生涯寄り添い、お仕えすることです」
小悪魔が満面の笑みを浮かべて答える。
パチュリーは一瞬、虚を突かれたが…にこ、と笑い返した。
「ふふ…それは私からのお願いでもあるわね。こあ、これからもよろしくね」
「はい!」

―季節外れの暖かい風が、静かに流れた気がした…
初投稿です。
公式でもあまり触れられない、パチュリーの喘息設定にフォーカスしてみました。

せっかく魔法の天賦の才があるのに、喘息によって十二分に発揮できない…
パチュリーは一体、どんな気持ちで100年もの間、日々魔法の研鑽を積んできたのだろうか。
という疑問に対する、自分なりの解釈です。
Fio
https://twitter.com/Fio6786
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コメント



0.50簡易評価
1.100やんたか@タイ削除
面白かったです。
作者様の博識さと発想力に感嘆しました。
優しい世界観が大好きです
2.90東ノ目削除
読み始めのときに、「現実世界で医療技術の進歩が明らかに社会の有り様を変えてきたように、パチュリーの喘息が完治することがあればパチュリー個人・幻想郷の魔法技術の双方に変革が起きるんじゃないか」と思ったんですよね。ところがこの発想とはほぼ真逆の所に話が着地し、その着地点も確かに納得がいくなあと唸らされました。そういう小説の一つの醍醐味を楽しませて頂きました。
3.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
4.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。丁寧に喘息に向き合う展開がとても良かったです。
5.100南条削除
面白かったです
小悪魔の喘息に対するアプローチが唯一無二でとてもよかったです
病気を受容しているパチュリーも前向きでした
7.90ローファル削除
面白かったです。
パチュリーの持病に対する向き合い方も、小悪魔の主人を想う気持ちもとても素敵でした。