クラウンピースは、博麗神社の台所に、つま先で踏み入った。音を立てずに炊飯釜の蓋を取っ払うと、湯気があがった。蒸らしてあったご飯の温かさと匂いを顔に受けて目を細める。
立ち上る湯気を首を傾けいなしつつ、釜の中身を覗いた。白米に加えてヒエ、アワ、その他穀物が混ざった"かて飯"だった。細めた目のまま白色の割合を測る。
(うーん……ギリギリ当たり!)今日は、一番美味しいと感じる白米の割合が多い"当たり"の日だった。クラウンピースは口角を上げて、そばに置いてあるしゃもじを持った。
ーー「ピース、何してるのぉ?」しゃもじでご飯をすくったところに声がかかる。
「うわっ!」クラウンピースはご飯が落ちそうになるのを咄嗟に押さえて振り返った。「あ、ご主人様~!」見開いた目はすぐに緩んだ。
地獄の女神へカーティアが立っていた。「つまみ食いはいけないわよ~」手を後ろに組んで上体を傾け、クラウンピースの背後の、つまんでいたものは何かとにやけている。
クラウンピースは「へへへ」と他所を見ながら笑い、しゃもじのご飯を食べた。
「ここでの暮らしはどう?」クラウンピースが食べ終えた頃合いに、へカーティアは尋ねた。
「あっはい!」クラウンピースは米粒一つなくなったしゃもじを流しにほうって向き直る。「ずっとここにいたいです! 食べ物も美味しいし」
「つまみ食いするほどにってことね」さらに言えば、つまみ食いそのものを楽しんでいるように見えたが、部下の「はい!」という悪びれない返事を受けて、もはや聞くまでもないと、微笑みを返した。
「で、人里の方には行ってみたのかしら? 色々観察できた?」へカーティアがいった。
「はい! 色々と見てきました!」
クラウンピースが松明を片手に台所の隅や棚の中を照らしながら答えた。
「色々っていうのは、食べ物の話かしら?」へカーティアは鼻で笑ってから尋ねた。
「はい!」
へカーティアは、ちょっとした皮肉で尋ねたつもりだったが、またしても真っ直ぐな返事と笑顔を受け、無言で目を右上に向けて口元を掻いた。最近は、主に洋食や、ファストフードと呼ばれるものを"他所"で楽しんでいたへカーティアは、部下がここで口にしているもの、たまには違うものもーーと思った。
「ピース……時間もちょうどいいし、私も行ってみたいわ、案内してちょーだい」
「おおぉん! いいですね! 行きましょう行きましょう! 私が里の美味しい食べ物をご紹介いたしまーす!」クラウンピースは、ご主人様と一緒ならおよそ好きなだけご馳走してもらえるということが分かっていたので、飛び跳ねて神社の出口に向かった。
ーー二人と入れ替わりで、霊夢が台所にやってきた。一歩踏み込んだところで足を止めて見回す。「……?」小首を傾げて流しの前に立つと、そこに置いた覚えのないしゃもじを見つけた。
霊夢は小さく息を吐いた後、何事もなかったかのように昼食の準備を始めた。
○
へカーティアとクラウンピースは里の大通りに訪れた。昼時なので、道沿いの大きい店には人が集まっていた。満席だとすぐに分かった。クラウンピースはその人だかりを何度も見ながら、まだ灯っていない松明を持った手を、おもむろに胸へ寄せた。口元に力が入り、硬直している。
「ピースちゃん? イタズラしに来たのではないでしょう?」へカーティアはにやけて言った。
「へへ……」分かってますよと言わんばかりに、クラウンピースも口を緩ませにやけ顔を返した。そしてへカーティアの少し前に駆け出して、松明で道を照らす振りをして「こっちです」と、先導を始めた。
大通りから折れて進んだ先は、惣菜や一膳飯の小店や路地売りが立ち並ぶ、煮売茶屋街だった。さっきよりも人と店が密集した光景に、へカーティアは両手を腰にあて、首を伸ばして見回した。
「まあまあ、色々あって楽しそうねぇ」へカーティアはまず、すぐそばの野菜と出汁の香りのする屋台に歩み寄った。クラウンピースは「あー」と間延びした声を出す。「それはすいとんですよー。お団子と野菜のスープ」体を動かすことなく続けた。
「じゃあ、一杯もらいましょうか」へカーティアは鍋のそばの値札に何気なく視線を落とした。書いてある値段のあまりの安さに声を出しそうになったが、黙って器を受け取り、代わりに微笑んだ。
クラウンピースはすいとんを食べなかった。踵を上げ下げしながら隣の主人の様子を見守る。人間たちの往来のすぐ側、シミや歪みが目立つ屋台の隅っこで、立ちながら汁を啜っている女神の姿に、吹き出しそうになって拳で口を押さえた。
「これ、いくらでもいけちゃうわね、もう一杯もらおうかしら」へカーティアは平べったい団子を吸い込むようにしてあっという間に食べた後、屋台の鍋に再び顔を向けた。
「え、それより他のものも見ましょうよー」
クラウンピースはへカーティアの腰を片手で軽く押して、通りの先へと促した。
「ははーん、ピースちゃん、もっと高くて良いもの買ってもらいたいのね~」へカーティアが言った。
図星を突かれたクラウンピースは、首をすくめ、歯を見せて笑った。今日は霊夢や自分では中々買えない、食べられないものを食べるチャンス。美味しいとはいえ既に馴染み深くなったすいとんで、お腹を膨らませたくはなかった。また、主人が満腹になったら、そこでこのお出かけは終わりになってしまうことも危惧していた。
「よしよし、でも大丈夫よ。私のお腹はそう易々といっぱいになったりしないから。じっくり見ていきつつ、あなたが食べたいものも買いましょうねえ」そう言って、へカーティアはすいとんの汁を飲み干した。
クラウンピースは、"そんなにも食べられるのか"と、固まった笑顔のままぱちぱち瞬きした。
へカーティアは通りの店を順番に見ていった。その中で、おから寿司、お握り(麦飯)、漬物、佃煮、などなどを食べていった。
次にクラウンピースの希望で鮎の塩焼きを買った。
クラウンピースは鮎の刺さった串を松明のように掲げて喜んだ。
「ピース、お行儀悪いわよぉ」へカーティアはようやく部下の希望を聞けたことに微笑みつつ、声をかける。
「あたいこれ食べたかったんです」クラウンピースは口角を緩ませて鼻息を吐き、「霊夢は買ってくれなかったから」さらりとぼやいた。
「えっ、これを?」
へカーティアは口走った後、小さく肩をすくめ、唇に鮎の尾鰭を重ねた。確かにすいとんに比べたら値段が高くはあるが、微々たるものだと思ってしまった。
(あの子、普段なにを……やっぱりすいとんなのかしら……?)へカーティアは霊夢の食卓の想像と、かじった鮎の旨味に、上を向いて目を閉じた。
ーー
食べ歩き、やがて道が再び大通りに近付いていくにつれ、路地売りではない、ちゃんとした席やもてなしのある店舗が見られるようになってきた。価格もその分上がっていた。
「ご主人様、これはどうですかー? あたいこれも食べたいです」
次にクラウンピースが求めたのは天ぷらだった。
お店の人は、収穫した"新鮮な"具材を一つ一つ手間をかけて処理して衣をつけて揚げている等と熱弁しながら、カゴの器に天ぷらを盛り付けた。そして出汁と抹茶塩を添えて二人に提供して、まずは何もつけずに食べるよう勧めた。
先にクラウンピースがひと口で頬張り、小さくのけぞって熱がった。だがすぐに慣れ、噛み締めながら感嘆の鼻息を漏らして背筋を緩めた。
へカーティアをそれを見届けた後、山菜の天ぷらを少し冷ましてからかじった。
「あー……おいしいわ、何もつけなくても……これが"素材の味"ってやつねぇ?」
「美味しいですね!」クラウンピースは同調しつつ、早くも調味料をつけて食べた。
天ぷら屋を出たところで、へカーティアはお腹をさする。もっといけると思っていたが、満腹が近かった。クラウンピースも同様だった。
そうして食べ歩きは自然と終わりを迎えた。二人は町を見物しながら歩いた。
ふと横を見るとそこは手打ち蕎麦屋だった。開け放たれた店の土間では、蕎麦職人が、大きなまな板の上で蕎麦生地を切っている。何度も同じところを切ってると見紛うほど繊細な動きを、へカーティアは遠目から眺めた。
店の隅には周りの床ごと白っぽくなった石臼が置いてあり、床には幾重にも重なった足跡が見えた。毎日毎日粉を挽いているのだろうと想像できた。
しばし眺めていたへカーティアは、蕎麦職人が切り終えた蕎麦をまとめたタイミングで、無意識に遅くなっていた呼吸を短い溜め息で戻し、視線を他所へ切り替えた。
店先には、なま蕎麦も売っている旨の看板と値札があった。
「ここの蕎麦、お土産に買っていきましょうか」へカーティアが呟いた。
クラウンピースは「いいですね!」と声を張るが早いか店に跳ねた。
店の人がなま蕎麦を包んだ。
それは、まさしく先ほどへカーティアが感心して眺めていた、職人の手によって成ったばかりの、打ち立て切りたての蕎麦だった。
へカーティアはなんとなく得をした気持ちになった。
「じゃあピース、これは霊夢へのお土産に持っていきなさいね」そう言ってクラウンピースに包みを渡した。
「あはい!」クラウンピースは、霊夢に渡すということは結局自分にももらえると、深く考えず返事をした。
○
お腹いっぱい食べ歩きした次の日。へカーティアは、霊夢の食事の様子を覗いていた。
へカーティアが見たのは、かて飯、すいとん、おから、かて飯、味噌汁、漬け物、すいとん、めざし、炊いたアワ、汁、おから、漬け物、伸ばしたおかゆーー
「……博麗神社って儲かってないのかしらねえ」へカーティアは呟いた。
(こんな神社からつまみ食いしたら可哀想よピースちゃん)あの時の光景を思い出して半目気味に笑い、見守りを続ける。
食事どきに誰が訪れても拒まず、相手が望めば(文句や悪態は吐けども)茶や食事を用意する霊夢の姿に、へカーティアはいじらしさを覚え、目元を緩ませた。
訪ねてくる者達(クラウンピース含む)が食材を持ち込んで、分かりやすく喜ぶ姿に、へカーティアは微笑んだ。
「…………」
そうして眺めた後、しばらくは地上に行かなくていいかと思っていたへカーティアは、もう一度降り立つことを決めた。
○
霊夢は昼前にヒエを炊く準備をしていた。そろそろお米を買おうかなどと考えながら、ヒエを釜にざざっと入れ、水をーー
「霊夢ッ!」
クラウンピースが霊夢の背後から腰に飛び付いた。「ぐっ!?」押された拍子に下腹部が流し台のフチに当たり、霊夢は声を漏らした。ヒエの入った釜も同時に鳴って、手の器からは水が溢れた。
「こんのっ、なにしてんのよっ……こらピース!」
霊夢の自炊を阻止したクラウンピースは、怒声など気にせず、持ち上げかねない勢いで強引に胴を引っ張る。
「ちょっと、離せ! ご飯あげないわよ!」
「まあまあこっちこっち!」その紫の瞳の先は居間。霊夢は引っ張られるまま後ろ歩きで向かった。
クラウンピースは、霊夢の胴を投げるようにして、ちゃぶ台前の座布団に座らせた。霊夢は「このっ……」と眉を吊り上げクラウンピースを叱ろうとしたが、先に正面、ちゃぶ台の向かい側に目が行き、停止した。
ーー「待ってたわよん。よく来たわね博麗の巫女」
へカーティア・ラピスラズリが、両サイドに出した手の上に地球と月の球を浮かせながら、正座で待ち構えていた。
「いや、来たのはあんたでしょ」霊夢は思わずツッコミを入れたが、気になるところは多々あった。
へカーティアは、いつものシャツの上から、白いエプロンをつけていた。腹ポケットの上には、黒い文字で『welcome to hell's kitchen!』とある。そして、右隣には神社のものではないおひつが置いてあった。
ちゃぶ台の上には、複数の器、調味料が用意してある。やはりどれも神社のものではない。器には布が掛かっていて、中に入っているものが何なのかは判らなかった。
いつのまにこんなものをーー霊夢は唇を曲げたままへカーティアとちゃぶ台を交互に見た。
クラウンピースが息を弾ませながらへカーティアの左側に駆け寄る。
「さあっ! では今からご主人様とあたいで、霊夢にオモテナシをしたいと思いまーす!」クラウンピースが手を叩き、宣言した。
「はい?」という霊夢の声は、「イッツクッキングターイム!」「いえーい!」と騒ぐ二人の声と拍手で掻き消えた。
「どういう風の吹き回し……」霊夢が少し眉をひそめた。
「それはあれよ、ピースがお世話になってるからね? そのお礼だと思ってくれればいいわ」
「ふーん……。ていうか、あんたらが揃うと目が痛いわね」
幻想郷でもとりわけ風変わりな衣服、装飾のコンビネーションに、霊夢は眉をそのままに顔を横に向けた。
「あら、それじゃあもっと痛くなっちゃうわよん?」へカーティアが言った。
同時にその背後から、もう一人の青髪のへカーティアが姿を現した。間髪入れずにさらにもう一人、黄色髪のへカーティアが現れる。へカーティアがもつ三つの体のうちの、地球と月にあたる体だ。全ての体が、博麗神社に揃い踏みとなった。
「きゃははは! いよーっ!」クラウンピースがけたたましい拍手をしながら囃し立てた。
三体のへカーティアは、おひつとクラウンピースの間で詰まりながら、一斉に霊夢を見た。
「じゃあ霊夢、どんぶりを、それもいっちばん大きいやつを用意してくれるかしら?」
「じゃあ霊夢、どんぶりを、それもいっちばん大きいやつを用意してくれるかしら?」
「じゃあ霊夢、どんぶりを、それもいっちばん大きいやつを用意してくれるかしら?」
「同じこと同時に喋んじゃないわよ、三人して」
表情と声色まで一致させてきた女神に、霊夢は口を右側に縮めて、頬と目元の震えを抑えた。
「霊夢! 言っとくけどこんなこと滅多にないんだからね! 有り難さ三倍だと思いなよ!?」クラウンピースが目力強く興奮した顔で霊夢に訴えた。
「さ、三倍? はあ……」向こうの勢いに霊夢は押され気味だった。ただ、ご馳走してくれると分かって、態度はまだ不服そうにしながらも、台所へ向かったーー
「これでいい?」
霊夢が持ってきた器は変哲もない五寸丼だった。へカーティアはどんぶりを受け取り、三体でまじまじ眺めたあと、「ちょっと小さい気もするけど、ごうかく!」と言った。
そして黄色のへカーティアが、おひつをちゃぶ台に持ち上げ、霊夢に向けて蓋を開けた。
「ほら見て! 炊き立ての白米100%! 久々に食べるでしょ?」
おひつに詰まった曇りのない白一面に、霊夢は思わず腰を浮かせ、上体を乗り出した。
「そ、そうよ。最近はアワとかヒエばっかだったわ……!」白米のきらめきがそのまま移ったかのように、目を輝かせた。
三体のへカーティアはふふふと笑い、クラウンピースにどんぶりを持たせた後、立ち上がってちゃぶ台から少し離れる。
「さあ霊夢、月、地球、異界……ご飯をよそってもらいたい身体を自分で選んでね!?」
三体のへカーティアが、それぞれしゃもじを手に、期待に細めた目で霊夢を見下ろす。
「えっ……別に、どれでも、いいんだけど……」その奇妙な光景に、霊夢は浮かせていた腰を戻した。意味の分からない選択を迫られ、戸惑ってしまう。
三体のへカーティアは顔を見合わせ、楽しそうにくすくすと笑った。
「それでは特別に、三体全員でよそってあげましょうね」青色のへカーティアが言うと、残る二体もこくこくと頷く。
それに合わせて、クラウンピースがふんふんと得意げに鼻を鳴らして、両手で持ったどんぶりをおひつに寄せた。
三体はどんぶりに白飯を盛り始めた。
「ね? 霊夢は頑張っているからね? たくさん食べてほしいから、三倍盛りにしちゃうわよん♪」赤へカーティアが、悪戯っぽく霊夢にウィンクした。しゃもじが三本、おひつとどんぶりの間を絶え間なく行き交う。
「きゃはあっ! ご覧ください! 三体の女神様達が、一つのどんぶりにご飯を盛っていきます! これぞまさに三身一杯(さんみいっぱい)というところでしょーか!!」
クラウンピースが、黄色い声を張り上げて実況する。その声援に煽られるように、女神達はみるみるうちに白飯の山を築いていく。
「いやちょっとちょっと! そんなに食べれないって!」
霊夢が再び腰を上げ、慌てた制止の声を発した。その口調とは裏腹に、口角は上がっていた。
「ふふ、じゃあこんなもんかしらね?」
ご飯をよそうのを終えたへカーティアは、おひつを戻し、しゃもじを置く。クラウンピースも、どんぶりをちゃぶ台に置いた。
白米だけでも相当に嬉しかった霊夢は、ちゃぶ台にある布のかかった器にも素直な興味を示し始めていた。最初より随分表情が緩んで、体を背けることなくへカーティア達にまっすぐ向き合っている。
それを見てへカーティアは小さく笑い、次のステップへ。
「さて、霊夢ちゃんは、普段新鮮なものってなかなか食べられないんじゃなくて?」
「新鮮……うーん……まあ最近はそうかもね」来客者からの差し入れ等が浮かびはしたが、自分自身の普段の食事を思い、霊夢は頷いた。
「それに普段、素材の味ってやつを意識したことはあるかしら?」
「素材の味ねえ……薄味って意味なら……」霊夢はふっと息を吐いて微笑した。
「味わってもらいたいのは良質な素材の味よ! そこで私達がご馳走するのはこちら!」
へカーティアは布を一斉に取り払った。
そこには、三つの器。それぞれに、藁苞納豆、自然薯、卵が乗っていた。
黄へカーティアは納豆を指す。「これはもっっとも質の良い大豆でできた、いっっちばん美味しいと評判の納豆! 豆腐と迷ったんだけど、兼ね合いもあってこっちにした!」
青へカーティアは自然薯を指す。「これは豊穣の神の指導の元、私とクラウンピースで丁寧に丁寧に、先日掘り出したばかりの新鮮な自然薯です」その説明の後、クラウンピースが得意げに笑顔を強めた。
赤へカーティアが卵を指す。「そしてこれは栄養豊富なたっぷりの飼料で育った鶏の、産みたて新鮮卵よん! これら三つの素材の味をお米と味わってもらうわ!」
説明を受けた霊夢は、目を丸くしたまま、無言で両手を胸の前でぎゅっと握り締めた。
クラウンピースは、霊夢の頭のリボンがさっきより大きく、ぴんと立ち上がっているように感じた。
「さあ始めよう!」黄へカーティアが、藁苞納豆を別の器に開けた。そして箸を手に、納豆をかき混ぜていく。それを見てクラウンピースは食材説明の間黙って抑えていた高揚感を爆発させた。
「おお~っ! 練っております! 納豆を、おお! 滑らかで丁寧な手つきだ! 女神様直々に納豆を! これを神授と言わずしてなんと申しましょうかー!」
「真心よピース、まごころ♡」赤へカーティアが言った。
そして、黄へカーティアは十分に混ぜた納豆に調味料を加えて再度混ぜた後、どんぶり上の三分の一の面にかけていく。
「次は自然薯よ」青へカーティアが微笑んで自然薯(下処理済)を手に取り、おろし金ですり鉢に向けすりおろし始める。
「きゃはー! 擦ってます! 女神様が物凄くジネンジョを擦ってます! 慈愛に満ちた動きっ……これを賜与と言わずしてなんと申しましょうかァ!?」
「ふふ、落ち着いてピース」熱く実況する部下に、青へカーティアがすりながら言った。
そして、仕上げに調味料を加えながらとろろをすり鉢で練り上げた後、納豆の隣にかけた。
「さあ、仕上げは卵よ!」赤へカーティアが卵(消毒済)をとり、器に割り入れた。箸を手にして溶き始める。
「あー! 卵も溶いております! この自信に満ちたパーフェクトな手捌き! これを神の御業と言わずしてなんと申しましょうかーッ!」クラウンピースが握った拳を震わせた。
「あんたっ、いつにもましてすっごい喋るのね! どうしたの! 普段の三倍うるさい!」霊夢が笑って言った。
クラウンピースは、紅魔館のメイドが"完全でショウシャ"と言われてるという旨の話を、知り合った妖精達から聞いたことを思い出したーーだがとんでもない、完全でショウシャとはうちのご主人様のことだ。今度言ってやろうと思った。
「今この世界にこれほど有り難い食べ物は存在しないよ~ッ!」そして霊夢だけではない、幻想郷全ての存在に知らしめるように、腕を振り上げ、天に向かって吠えた。
卵を溶き終わった。いよいよ三色の主役が揃う瞬間。へカーティアは動きを止めることなく滑らかに、器とどんぶりを繋ぐように箸を添え、器を傾け卵を伝わらせ、ご飯へ
ーーその勢いは、どんぶりに収まらなかった。
黄金色の津波が、白飯山の傾斜をあっという間にくだり、止める暇など一切なく、どんぶりの縁を乗り越えて滝のように滑り落ちた。「あ、あ、あ、ああ~~~っ!?!?」クラウンピースが声を上げた。みるみるうちにどんぶりの下が黄色に染まっていく。
「こぉれはひどいッッ……!!!」
クラウンピースは思わず言葉に出してしまい、すぐさま口をつぐむ。まだだ、ご主人様ならここから巻き返す手や保険があるはず。いや、そもそもこれは"あえて"なのだ、きっと自分には想像もつかない考えがあってのことなのだと、絶対的な力を持つ主人への信頼から、へカーティアを見つめた。
へカーティアは、眉が弧を描いて下向きになり、目元から鼻にかけてを赤くして震えていた。瞳と口の輪郭は、ぐにゃぐにゃに崩れている。他二つの体はいつのまにかいなくなっていた。
それを見たクラウンピースは「あ……」と小さく声を漏らした。手も保険もなかったのだ。
ーーもてなされる側の霊夢が、「あーあー」と立ち上がり、もてなす二人の側へ行く。霊夢は、魔理沙や行儀の悪い野良妖怪、はしゃぐ妖精達が、食べ物飲み物をこぼした数々の記憶を想起した。日常茶飯事であった。布巾を手にし、固まる二人の前に身を乗り出し、ちゃぶ台の上に広がった卵を掻き集めるようにして拭いていく。
「箸まで浸かってんじゃない、なにやってんのよ」と半笑いで、布巾や食器をお盆に乗せた。そしてそのお盆を持って、台所へ向かった。
○
へカーティアとクラウンピースは、悲惨な出来事のあったちゃぶ台から離れ、居間の隅っこの方で体育座りしていた。
「……というかご主人様、卵は溶かない方がよかったんじゃ……? 納豆やとろろと違ってすごく緩いし、ただでさえご飯三倍盛りでどんぶりいっぱいだったし……見栄え的にも黄身のままの方が……」
「ピースちゃん、そういうのはね、先に言ってほしいわ~……」
せっかくのおもてなしが台無しになってしまった。へカーティアは両膝に顔をうずめ、深いため息をついた。
やがて、台所から霊夢が戻ってきた。その手には、三つのご飯茶碗が乗ったお盆がある。それぞれの茶碗には白飯ーーその上に納豆ととろろ、少しの卵が乗せられていた。
「ほら、せっかくなら食べていけば? 三人分くらいあったし、どうせ一人じゃ食べきれないんだから」霊夢はそう言うと、ちゃぶ台にお椀と箸を置いた。
そして、久々の白飯と、新鮮なとろろ納豆を前に、そわそわと早い調子で座布団に座った。
へカーティアとクラウンピースは、顔を見合わせた後、おずおずとちゃぶ台に向かった。
「まああれよ、例え失敗しようともね? 気持ちが大事ってことをね? 何より伝えたかったのよん」へカーティアが膝ずりで移動しながら言った。
「ご主人様の場合例えじゃないけど、その通りだと思います!」クラウンピースは、元気よくまっすぐ言った。
今日の博麗神社の昼食は、人間と女神と妖精の組み合わせで始まった。
それはへカーティアが先日覗いていた時に見た団欒ーー妖怪の時とも神霊の時とも変わらない、普通のものだった。
へカーティアは、多くのものがここへ来る理由が、一層理解できた気がした。
この博麗の巫女が維持する世界を、これからも見守り、また遊びに来ようと思った。
立ち上る湯気を首を傾けいなしつつ、釜の中身を覗いた。白米に加えてヒエ、アワ、その他穀物が混ざった"かて飯"だった。細めた目のまま白色の割合を測る。
(うーん……ギリギリ当たり!)今日は、一番美味しいと感じる白米の割合が多い"当たり"の日だった。クラウンピースは口角を上げて、そばに置いてあるしゃもじを持った。
ーー「ピース、何してるのぉ?」しゃもじでご飯をすくったところに声がかかる。
「うわっ!」クラウンピースはご飯が落ちそうになるのを咄嗟に押さえて振り返った。「あ、ご主人様~!」見開いた目はすぐに緩んだ。
地獄の女神へカーティアが立っていた。「つまみ食いはいけないわよ~」手を後ろに組んで上体を傾け、クラウンピースの背後の、つまんでいたものは何かとにやけている。
クラウンピースは「へへへ」と他所を見ながら笑い、しゃもじのご飯を食べた。
「ここでの暮らしはどう?」クラウンピースが食べ終えた頃合いに、へカーティアは尋ねた。
「あっはい!」クラウンピースは米粒一つなくなったしゃもじを流しにほうって向き直る。「ずっとここにいたいです! 食べ物も美味しいし」
「つまみ食いするほどにってことね」さらに言えば、つまみ食いそのものを楽しんでいるように見えたが、部下の「はい!」という悪びれない返事を受けて、もはや聞くまでもないと、微笑みを返した。
「で、人里の方には行ってみたのかしら? 色々観察できた?」へカーティアがいった。
「はい! 色々と見てきました!」
クラウンピースが松明を片手に台所の隅や棚の中を照らしながら答えた。
「色々っていうのは、食べ物の話かしら?」へカーティアは鼻で笑ってから尋ねた。
「はい!」
へカーティアは、ちょっとした皮肉で尋ねたつもりだったが、またしても真っ直ぐな返事と笑顔を受け、無言で目を右上に向けて口元を掻いた。最近は、主に洋食や、ファストフードと呼ばれるものを"他所"で楽しんでいたへカーティアは、部下がここで口にしているもの、たまには違うものもーーと思った。
「ピース……時間もちょうどいいし、私も行ってみたいわ、案内してちょーだい」
「おおぉん! いいですね! 行きましょう行きましょう! 私が里の美味しい食べ物をご紹介いたしまーす!」クラウンピースは、ご主人様と一緒ならおよそ好きなだけご馳走してもらえるということが分かっていたので、飛び跳ねて神社の出口に向かった。
ーー二人と入れ替わりで、霊夢が台所にやってきた。一歩踏み込んだところで足を止めて見回す。「……?」小首を傾げて流しの前に立つと、そこに置いた覚えのないしゃもじを見つけた。
霊夢は小さく息を吐いた後、何事もなかったかのように昼食の準備を始めた。
○
へカーティアとクラウンピースは里の大通りに訪れた。昼時なので、道沿いの大きい店には人が集まっていた。満席だとすぐに分かった。クラウンピースはその人だかりを何度も見ながら、まだ灯っていない松明を持った手を、おもむろに胸へ寄せた。口元に力が入り、硬直している。
「ピースちゃん? イタズラしに来たのではないでしょう?」へカーティアはにやけて言った。
「へへ……」分かってますよと言わんばかりに、クラウンピースも口を緩ませにやけ顔を返した。そしてへカーティアの少し前に駆け出して、松明で道を照らす振りをして「こっちです」と、先導を始めた。
大通りから折れて進んだ先は、惣菜や一膳飯の小店や路地売りが立ち並ぶ、煮売茶屋街だった。さっきよりも人と店が密集した光景に、へカーティアは両手を腰にあて、首を伸ばして見回した。
「まあまあ、色々あって楽しそうねぇ」へカーティアはまず、すぐそばの野菜と出汁の香りのする屋台に歩み寄った。クラウンピースは「あー」と間延びした声を出す。「それはすいとんですよー。お団子と野菜のスープ」体を動かすことなく続けた。
「じゃあ、一杯もらいましょうか」へカーティアは鍋のそばの値札に何気なく視線を落とした。書いてある値段のあまりの安さに声を出しそうになったが、黙って器を受け取り、代わりに微笑んだ。
クラウンピースはすいとんを食べなかった。踵を上げ下げしながら隣の主人の様子を見守る。人間たちの往来のすぐ側、シミや歪みが目立つ屋台の隅っこで、立ちながら汁を啜っている女神の姿に、吹き出しそうになって拳で口を押さえた。
「これ、いくらでもいけちゃうわね、もう一杯もらおうかしら」へカーティアは平べったい団子を吸い込むようにしてあっという間に食べた後、屋台の鍋に再び顔を向けた。
「え、それより他のものも見ましょうよー」
クラウンピースはへカーティアの腰を片手で軽く押して、通りの先へと促した。
「ははーん、ピースちゃん、もっと高くて良いもの買ってもらいたいのね~」へカーティアが言った。
図星を突かれたクラウンピースは、首をすくめ、歯を見せて笑った。今日は霊夢や自分では中々買えない、食べられないものを食べるチャンス。美味しいとはいえ既に馴染み深くなったすいとんで、お腹を膨らませたくはなかった。また、主人が満腹になったら、そこでこのお出かけは終わりになってしまうことも危惧していた。
「よしよし、でも大丈夫よ。私のお腹はそう易々といっぱいになったりしないから。じっくり見ていきつつ、あなたが食べたいものも買いましょうねえ」そう言って、へカーティアはすいとんの汁を飲み干した。
クラウンピースは、"そんなにも食べられるのか"と、固まった笑顔のままぱちぱち瞬きした。
へカーティアは通りの店を順番に見ていった。その中で、おから寿司、お握り(麦飯)、漬物、佃煮、などなどを食べていった。
次にクラウンピースの希望で鮎の塩焼きを買った。
クラウンピースは鮎の刺さった串を松明のように掲げて喜んだ。
「ピース、お行儀悪いわよぉ」へカーティアはようやく部下の希望を聞けたことに微笑みつつ、声をかける。
「あたいこれ食べたかったんです」クラウンピースは口角を緩ませて鼻息を吐き、「霊夢は買ってくれなかったから」さらりとぼやいた。
「えっ、これを?」
へカーティアは口走った後、小さく肩をすくめ、唇に鮎の尾鰭を重ねた。確かにすいとんに比べたら値段が高くはあるが、微々たるものだと思ってしまった。
(あの子、普段なにを……やっぱりすいとんなのかしら……?)へカーティアは霊夢の食卓の想像と、かじった鮎の旨味に、上を向いて目を閉じた。
ーー
食べ歩き、やがて道が再び大通りに近付いていくにつれ、路地売りではない、ちゃんとした席やもてなしのある店舗が見られるようになってきた。価格もその分上がっていた。
「ご主人様、これはどうですかー? あたいこれも食べたいです」
次にクラウンピースが求めたのは天ぷらだった。
お店の人は、収穫した"新鮮な"具材を一つ一つ手間をかけて処理して衣をつけて揚げている等と熱弁しながら、カゴの器に天ぷらを盛り付けた。そして出汁と抹茶塩を添えて二人に提供して、まずは何もつけずに食べるよう勧めた。
先にクラウンピースがひと口で頬張り、小さくのけぞって熱がった。だがすぐに慣れ、噛み締めながら感嘆の鼻息を漏らして背筋を緩めた。
へカーティアをそれを見届けた後、山菜の天ぷらを少し冷ましてからかじった。
「あー……おいしいわ、何もつけなくても……これが"素材の味"ってやつねぇ?」
「美味しいですね!」クラウンピースは同調しつつ、早くも調味料をつけて食べた。
天ぷら屋を出たところで、へカーティアはお腹をさする。もっといけると思っていたが、満腹が近かった。クラウンピースも同様だった。
そうして食べ歩きは自然と終わりを迎えた。二人は町を見物しながら歩いた。
ふと横を見るとそこは手打ち蕎麦屋だった。開け放たれた店の土間では、蕎麦職人が、大きなまな板の上で蕎麦生地を切っている。何度も同じところを切ってると見紛うほど繊細な動きを、へカーティアは遠目から眺めた。
店の隅には周りの床ごと白っぽくなった石臼が置いてあり、床には幾重にも重なった足跡が見えた。毎日毎日粉を挽いているのだろうと想像できた。
しばし眺めていたへカーティアは、蕎麦職人が切り終えた蕎麦をまとめたタイミングで、無意識に遅くなっていた呼吸を短い溜め息で戻し、視線を他所へ切り替えた。
店先には、なま蕎麦も売っている旨の看板と値札があった。
「ここの蕎麦、お土産に買っていきましょうか」へカーティアが呟いた。
クラウンピースは「いいですね!」と声を張るが早いか店に跳ねた。
店の人がなま蕎麦を包んだ。
それは、まさしく先ほどへカーティアが感心して眺めていた、職人の手によって成ったばかりの、打ち立て切りたての蕎麦だった。
へカーティアはなんとなく得をした気持ちになった。
「じゃあピース、これは霊夢へのお土産に持っていきなさいね」そう言ってクラウンピースに包みを渡した。
「あはい!」クラウンピースは、霊夢に渡すということは結局自分にももらえると、深く考えず返事をした。
○
お腹いっぱい食べ歩きした次の日。へカーティアは、霊夢の食事の様子を覗いていた。
へカーティアが見たのは、かて飯、すいとん、おから、かて飯、味噌汁、漬け物、すいとん、めざし、炊いたアワ、汁、おから、漬け物、伸ばしたおかゆーー
「……博麗神社って儲かってないのかしらねえ」へカーティアは呟いた。
(こんな神社からつまみ食いしたら可哀想よピースちゃん)あの時の光景を思い出して半目気味に笑い、見守りを続ける。
食事どきに誰が訪れても拒まず、相手が望めば(文句や悪態は吐けども)茶や食事を用意する霊夢の姿に、へカーティアはいじらしさを覚え、目元を緩ませた。
訪ねてくる者達(クラウンピース含む)が食材を持ち込んで、分かりやすく喜ぶ姿に、へカーティアは微笑んだ。
「…………」
そうして眺めた後、しばらくは地上に行かなくていいかと思っていたへカーティアは、もう一度降り立つことを決めた。
○
霊夢は昼前にヒエを炊く準備をしていた。そろそろお米を買おうかなどと考えながら、ヒエを釜にざざっと入れ、水をーー
「霊夢ッ!」
クラウンピースが霊夢の背後から腰に飛び付いた。「ぐっ!?」押された拍子に下腹部が流し台のフチに当たり、霊夢は声を漏らした。ヒエの入った釜も同時に鳴って、手の器からは水が溢れた。
「こんのっ、なにしてんのよっ……こらピース!」
霊夢の自炊を阻止したクラウンピースは、怒声など気にせず、持ち上げかねない勢いで強引に胴を引っ張る。
「ちょっと、離せ! ご飯あげないわよ!」
「まあまあこっちこっち!」その紫の瞳の先は居間。霊夢は引っ張られるまま後ろ歩きで向かった。
クラウンピースは、霊夢の胴を投げるようにして、ちゃぶ台前の座布団に座らせた。霊夢は「このっ……」と眉を吊り上げクラウンピースを叱ろうとしたが、先に正面、ちゃぶ台の向かい側に目が行き、停止した。
ーー「待ってたわよん。よく来たわね博麗の巫女」
へカーティア・ラピスラズリが、両サイドに出した手の上に地球と月の球を浮かせながら、正座で待ち構えていた。
「いや、来たのはあんたでしょ」霊夢は思わずツッコミを入れたが、気になるところは多々あった。
へカーティアは、いつものシャツの上から、白いエプロンをつけていた。腹ポケットの上には、黒い文字で『welcome to hell's kitchen!』とある。そして、右隣には神社のものではないおひつが置いてあった。
ちゃぶ台の上には、複数の器、調味料が用意してある。やはりどれも神社のものではない。器には布が掛かっていて、中に入っているものが何なのかは判らなかった。
いつのまにこんなものをーー霊夢は唇を曲げたままへカーティアとちゃぶ台を交互に見た。
クラウンピースが息を弾ませながらへカーティアの左側に駆け寄る。
「さあっ! では今からご主人様とあたいで、霊夢にオモテナシをしたいと思いまーす!」クラウンピースが手を叩き、宣言した。
「はい?」という霊夢の声は、「イッツクッキングターイム!」「いえーい!」と騒ぐ二人の声と拍手で掻き消えた。
「どういう風の吹き回し……」霊夢が少し眉をひそめた。
「それはあれよ、ピースがお世話になってるからね? そのお礼だと思ってくれればいいわ」
「ふーん……。ていうか、あんたらが揃うと目が痛いわね」
幻想郷でもとりわけ風変わりな衣服、装飾のコンビネーションに、霊夢は眉をそのままに顔を横に向けた。
「あら、それじゃあもっと痛くなっちゃうわよん?」へカーティアが言った。
同時にその背後から、もう一人の青髪のへカーティアが姿を現した。間髪入れずにさらにもう一人、黄色髪のへカーティアが現れる。へカーティアがもつ三つの体のうちの、地球と月にあたる体だ。全ての体が、博麗神社に揃い踏みとなった。
「きゃははは! いよーっ!」クラウンピースがけたたましい拍手をしながら囃し立てた。
三体のへカーティアは、おひつとクラウンピースの間で詰まりながら、一斉に霊夢を見た。
「じゃあ霊夢、どんぶりを、それもいっちばん大きいやつを用意してくれるかしら?」
「じゃあ霊夢、どんぶりを、それもいっちばん大きいやつを用意してくれるかしら?」
「じゃあ霊夢、どんぶりを、それもいっちばん大きいやつを用意してくれるかしら?」
「同じこと同時に喋んじゃないわよ、三人して」
表情と声色まで一致させてきた女神に、霊夢は口を右側に縮めて、頬と目元の震えを抑えた。
「霊夢! 言っとくけどこんなこと滅多にないんだからね! 有り難さ三倍だと思いなよ!?」クラウンピースが目力強く興奮した顔で霊夢に訴えた。
「さ、三倍? はあ……」向こうの勢いに霊夢は押され気味だった。ただ、ご馳走してくれると分かって、態度はまだ不服そうにしながらも、台所へ向かったーー
「これでいい?」
霊夢が持ってきた器は変哲もない五寸丼だった。へカーティアはどんぶりを受け取り、三体でまじまじ眺めたあと、「ちょっと小さい気もするけど、ごうかく!」と言った。
そして黄色のへカーティアが、おひつをちゃぶ台に持ち上げ、霊夢に向けて蓋を開けた。
「ほら見て! 炊き立ての白米100%! 久々に食べるでしょ?」
おひつに詰まった曇りのない白一面に、霊夢は思わず腰を浮かせ、上体を乗り出した。
「そ、そうよ。最近はアワとかヒエばっかだったわ……!」白米のきらめきがそのまま移ったかのように、目を輝かせた。
三体のへカーティアはふふふと笑い、クラウンピースにどんぶりを持たせた後、立ち上がってちゃぶ台から少し離れる。
「さあ霊夢、月、地球、異界……ご飯をよそってもらいたい身体を自分で選んでね!?」
三体のへカーティアが、それぞれしゃもじを手に、期待に細めた目で霊夢を見下ろす。
「えっ……別に、どれでも、いいんだけど……」その奇妙な光景に、霊夢は浮かせていた腰を戻した。意味の分からない選択を迫られ、戸惑ってしまう。
三体のへカーティアは顔を見合わせ、楽しそうにくすくすと笑った。
「それでは特別に、三体全員でよそってあげましょうね」青色のへカーティアが言うと、残る二体もこくこくと頷く。
それに合わせて、クラウンピースがふんふんと得意げに鼻を鳴らして、両手で持ったどんぶりをおひつに寄せた。
三体はどんぶりに白飯を盛り始めた。
「ね? 霊夢は頑張っているからね? たくさん食べてほしいから、三倍盛りにしちゃうわよん♪」赤へカーティアが、悪戯っぽく霊夢にウィンクした。しゃもじが三本、おひつとどんぶりの間を絶え間なく行き交う。
「きゃはあっ! ご覧ください! 三体の女神様達が、一つのどんぶりにご飯を盛っていきます! これぞまさに三身一杯(さんみいっぱい)というところでしょーか!!」
クラウンピースが、黄色い声を張り上げて実況する。その声援に煽られるように、女神達はみるみるうちに白飯の山を築いていく。
「いやちょっとちょっと! そんなに食べれないって!」
霊夢が再び腰を上げ、慌てた制止の声を発した。その口調とは裏腹に、口角は上がっていた。
「ふふ、じゃあこんなもんかしらね?」
ご飯をよそうのを終えたへカーティアは、おひつを戻し、しゃもじを置く。クラウンピースも、どんぶりをちゃぶ台に置いた。
白米だけでも相当に嬉しかった霊夢は、ちゃぶ台にある布のかかった器にも素直な興味を示し始めていた。最初より随分表情が緩んで、体を背けることなくへカーティア達にまっすぐ向き合っている。
それを見てへカーティアは小さく笑い、次のステップへ。
「さて、霊夢ちゃんは、普段新鮮なものってなかなか食べられないんじゃなくて?」
「新鮮……うーん……まあ最近はそうかもね」来客者からの差し入れ等が浮かびはしたが、自分自身の普段の食事を思い、霊夢は頷いた。
「それに普段、素材の味ってやつを意識したことはあるかしら?」
「素材の味ねえ……薄味って意味なら……」霊夢はふっと息を吐いて微笑した。
「味わってもらいたいのは良質な素材の味よ! そこで私達がご馳走するのはこちら!」
へカーティアは布を一斉に取り払った。
そこには、三つの器。それぞれに、藁苞納豆、自然薯、卵が乗っていた。
黄へカーティアは納豆を指す。「これはもっっとも質の良い大豆でできた、いっっちばん美味しいと評判の納豆! 豆腐と迷ったんだけど、兼ね合いもあってこっちにした!」
青へカーティアは自然薯を指す。「これは豊穣の神の指導の元、私とクラウンピースで丁寧に丁寧に、先日掘り出したばかりの新鮮な自然薯です」その説明の後、クラウンピースが得意げに笑顔を強めた。
赤へカーティアが卵を指す。「そしてこれは栄養豊富なたっぷりの飼料で育った鶏の、産みたて新鮮卵よん! これら三つの素材の味をお米と味わってもらうわ!」
説明を受けた霊夢は、目を丸くしたまま、無言で両手を胸の前でぎゅっと握り締めた。
クラウンピースは、霊夢の頭のリボンがさっきより大きく、ぴんと立ち上がっているように感じた。
「さあ始めよう!」黄へカーティアが、藁苞納豆を別の器に開けた。そして箸を手に、納豆をかき混ぜていく。それを見てクラウンピースは食材説明の間黙って抑えていた高揚感を爆発させた。
「おお~っ! 練っております! 納豆を、おお! 滑らかで丁寧な手つきだ! 女神様直々に納豆を! これを神授と言わずしてなんと申しましょうかー!」
「真心よピース、まごころ♡」赤へカーティアが言った。
そして、黄へカーティアは十分に混ぜた納豆に調味料を加えて再度混ぜた後、どんぶり上の三分の一の面にかけていく。
「次は自然薯よ」青へカーティアが微笑んで自然薯(下処理済)を手に取り、おろし金ですり鉢に向けすりおろし始める。
「きゃはー! 擦ってます! 女神様が物凄くジネンジョを擦ってます! 慈愛に満ちた動きっ……これを賜与と言わずしてなんと申しましょうかァ!?」
「ふふ、落ち着いてピース」熱く実況する部下に、青へカーティアがすりながら言った。
そして、仕上げに調味料を加えながらとろろをすり鉢で練り上げた後、納豆の隣にかけた。
「さあ、仕上げは卵よ!」赤へカーティアが卵(消毒済)をとり、器に割り入れた。箸を手にして溶き始める。
「あー! 卵も溶いております! この自信に満ちたパーフェクトな手捌き! これを神の御業と言わずしてなんと申しましょうかーッ!」クラウンピースが握った拳を震わせた。
「あんたっ、いつにもましてすっごい喋るのね! どうしたの! 普段の三倍うるさい!」霊夢が笑って言った。
クラウンピースは、紅魔館のメイドが"完全でショウシャ"と言われてるという旨の話を、知り合った妖精達から聞いたことを思い出したーーだがとんでもない、完全でショウシャとはうちのご主人様のことだ。今度言ってやろうと思った。
「今この世界にこれほど有り難い食べ物は存在しないよ~ッ!」そして霊夢だけではない、幻想郷全ての存在に知らしめるように、腕を振り上げ、天に向かって吠えた。
卵を溶き終わった。いよいよ三色の主役が揃う瞬間。へカーティアは動きを止めることなく滑らかに、器とどんぶりを繋ぐように箸を添え、器を傾け卵を伝わらせ、ご飯へ
ーーその勢いは、どんぶりに収まらなかった。
黄金色の津波が、白飯山の傾斜をあっという間にくだり、止める暇など一切なく、どんぶりの縁を乗り越えて滝のように滑り落ちた。「あ、あ、あ、ああ~~~っ!?!?」クラウンピースが声を上げた。みるみるうちにどんぶりの下が黄色に染まっていく。
「こぉれはひどいッッ……!!!」
クラウンピースは思わず言葉に出してしまい、すぐさま口をつぐむ。まだだ、ご主人様ならここから巻き返す手や保険があるはず。いや、そもそもこれは"あえて"なのだ、きっと自分には想像もつかない考えがあってのことなのだと、絶対的な力を持つ主人への信頼から、へカーティアを見つめた。
へカーティアは、眉が弧を描いて下向きになり、目元から鼻にかけてを赤くして震えていた。瞳と口の輪郭は、ぐにゃぐにゃに崩れている。他二つの体はいつのまにかいなくなっていた。
それを見たクラウンピースは「あ……」と小さく声を漏らした。手も保険もなかったのだ。
ーーもてなされる側の霊夢が、「あーあー」と立ち上がり、もてなす二人の側へ行く。霊夢は、魔理沙や行儀の悪い野良妖怪、はしゃぐ妖精達が、食べ物飲み物をこぼした数々の記憶を想起した。日常茶飯事であった。布巾を手にし、固まる二人の前に身を乗り出し、ちゃぶ台の上に広がった卵を掻き集めるようにして拭いていく。
「箸まで浸かってんじゃない、なにやってんのよ」と半笑いで、布巾や食器をお盆に乗せた。そしてそのお盆を持って、台所へ向かった。
○
へカーティアとクラウンピースは、悲惨な出来事のあったちゃぶ台から離れ、居間の隅っこの方で体育座りしていた。
「……というかご主人様、卵は溶かない方がよかったんじゃ……? 納豆やとろろと違ってすごく緩いし、ただでさえご飯三倍盛りでどんぶりいっぱいだったし……見栄え的にも黄身のままの方が……」
「ピースちゃん、そういうのはね、先に言ってほしいわ~……」
せっかくのおもてなしが台無しになってしまった。へカーティアは両膝に顔をうずめ、深いため息をついた。
やがて、台所から霊夢が戻ってきた。その手には、三つのご飯茶碗が乗ったお盆がある。それぞれの茶碗には白飯ーーその上に納豆ととろろ、少しの卵が乗せられていた。
「ほら、せっかくなら食べていけば? 三人分くらいあったし、どうせ一人じゃ食べきれないんだから」霊夢はそう言うと、ちゃぶ台にお椀と箸を置いた。
そして、久々の白飯と、新鮮なとろろ納豆を前に、そわそわと早い調子で座布団に座った。
へカーティアとクラウンピースは、顔を見合わせた後、おずおずとちゃぶ台に向かった。
「まああれよ、例え失敗しようともね? 気持ちが大事ってことをね? 何より伝えたかったのよん」へカーティアが膝ずりで移動しながら言った。
「ご主人様の場合例えじゃないけど、その通りだと思います!」クラウンピースは、元気よくまっすぐ言った。
今日の博麗神社の昼食は、人間と女神と妖精の組み合わせで始まった。
それはへカーティアが先日覗いていた時に見た団欒ーー妖怪の時とも神霊の時とも変わらない、普通のものだった。
へカーティアは、多くのものがここへ来る理由が、一層理解できた気がした。
この博麗の巫女が維持する世界を、これからも見守り、また遊びに来ようと思った。
クラウンピースがノリがいいだけでなくさりげに実況力も高いの好きです。
ひたすらやさしくにぎやかなメンツで読んでいて楽しかったです