Coolier - 新生・東方創想話

悪魔の(柴)犬

2025/09/15 20:34:18
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 天気の良い昼下がり、いつものように昼寝をキメているといつもの様に額に鋭い痛みが走った。
「咲夜さん、寝ている様に見えるかもしれませんが、これは決して昼寝とかじゃあないんです。ナイフを投げないでくだ……さ……い?」
 ゆっくり目を開けるといつもと状況が違った。
 視界を塞ぐ様に茶色の毛皮が私の顔に覆い被さっていた。
「えっ? はっ?」
 想像もつかない状況ではあったが、事実を述べると私は犬に額を噛まれていたのだった。
 こう見えても冷静さには一定以上の自信があるので、目の前のモフモフを刺激しない様、そっと腋に手を差し入れて毛皮を優しく持ち上げる。
「柴犬?」
 眉間に皺を寄せ、牙を剥き出しにする柴犬がそこにいた。
「あらら、凄い怒っているね。私が何かしてしまったかい?」
 返事など期待していないが、私は柴犬に問いかけた。
「やっと起きた。あんたが目を覚ますまで顔を引っ掻いたり鼻や耳を噛んだのだけれど随分と苦労したわ」
 信じられるだろうか。柴犬が喋ったのだ。

 余りに驚いたので柴犬を投げ飛ばす様に手を離してしまったが、瀟洒に着地を決めてこちらに抗議の視線を向ける柴犬。
「えっと?」
「えっとじゃあないわ。口調でわかるでしょう?」
「もしかして咲夜さん?」
「その通りよ。昼食後に庭先のベンチで日向ぼっこをしていたら気持ち良くてついついうたた寝をしてしまったの。そして目を覚ましたらこんな姿になっていたわ」
「咲夜さんもうたた寝するんですね」と、最高の笑顔を向けたが、太ももを噛まれた。
「あのう、咲夜さん」
「何よ?」
「狂犬病の予防注射などは受けられていますか?」
「受けている訳ないでしょう。まだ犬になって一時間も経っていないのだから」
「今からでも遅くないので人里の保健所に行きましょう。犬と飼い主の義務です」
 今度は無言で脛を噛まれた。

「しかしどうして突然犬になられたのでしょうか? 悪魔の犬なんて呼ばれているのでその辺りも考慮された結果ですか?」
「知らないわよ。どうせパチュリー様の魔法の実験でしょう。紅魔館で起こる不思議な出来事は八割方そうなんだから。股からナニか生えたり、性転換したり、触手が現れたりね」
「何を言っているのか私にはさっぱりわかりませんが」
 ちょこんとおすわりをしている柴犬咲夜さんが可愛かったのでそっと手を伸ばして顎の下を優しく撫でてみた。
「こら、やめなさい。ま、また、か、噛むわよ」
 強がっているがピンっと尖った耳が垂れて、たわしの様な尻尾が左右に揺れている。
「よーしよしよし、よーしよしよし」
 今度は両手を使い、顎下から頬、首回り、頭と撫で回すと柴犬咲夜さんは仰向けになり所謂、へそ天ポーズを瀟洒に決めた。チョロい女だぜ。

 

「失礼しました。一先ずパチュリー様の所に行ってみましょうか。咲夜さんの予想だとパチュリー様が怪しい様ですから」
 私の激しいスキンシップで警戒してしまったのか、芝犬咲夜さんは私の少し前を歩く。
 歩く度にクルッと巻いた尻尾と色々丸見えのお尻がプリプリと左右に動くので私は必死に衝動を抑えながら歩いた。
 広い広い紅魔館を進み、図書館の入り口へと向かう。
 柱や廊下の角を通る度に芝犬咲夜さんが足を止め、一生懸命臭いを嗅ぐので普段よりも時間がかかってしまったが、何か言うと噛まれてしまいそな予感がしたので大人しく待ってあげた。

 芝犬異変の首謀者と思われる犯人が生活する図書館の入り口へたどり着くと大きな張り紙が大きな扉に貼られていた。
『外出中、図書館に用があれば小悪魔まで』

「あらら、パチュリー様は出かけていらっしゃる様ですね。どうします?」
「犯人の言う事を素直に信じるの?」
「まだ犯人と決まった訳ではない人を悪く言うのは良くないですよ」と芝犬咲夜さんの頭にぽんっと手を乗せる。
 眉間に皺を寄せ、剥き出した牙を向けられたので慌てて手を引っ込める。
「すぐに噛もうとするのはやめて下さい。こんな凶暴では引き取り手も見つからないですよ?」
「何処を噛まれたいか言いなさい」
「冗談ですよ。私がちゃんと貰ってあげますから。お嬢様が駄目と言っても私が責任持ってお世話しますから」と、素敵な笑顔と一緒にサムズアップする。
 噛まれるかな。と思っていたけれど芝犬咲夜さんは照れた様で床を一生懸命ホリホリしていた。可愛い。

 仰々しい図書館の扉がゆっくりと開くと隙間から小悪魔が顔を出した。
「あの、煩いんですけど」
「あぁ、すみません。パチュリー様にお会いしたくて」
「文字読めないんですか? 外出中って書いてありますよね?」
「え、あぁ、外出されてるのですね」
「ちっ。1時間ほど前にご実家へ向けて出発されましたー。戻りは来週って言ってましたー、急用であればお話伺いますー」
「いや、大した用ではないのでまた来ますね、あはは」
 キリッと睨みを利かせると無言で扉を勢いよく閉める小悪魔。

「何あの子、機嫌悪いのかしら」
「私と二人で会う時はいつもあんな感じですよ、きっとストレス溜まってるんです。ははっ」
「怖っ。見ちゃ行けないものを見た気がするわ」
「パチュリー様がご実家に帰られているとなると、この問題の解決は難しくなりそうですね」

 私は柴犬咲夜さんを見下ろした。尻尾をくるんと巻いた姿は本当に可愛らしく、つい顔が緩んでしまう。
「とりあえず、お嬢様にご報告しましょうか。犬の姿では給仕もできないでしょうし」
「そうね。でも、お嬢様にこんな姿を見られるのは……」
 柴犬咲夜さんは耳をぺたんと倒して困ったような表情を浮かべた。
「大丈夫ですよ。お嬢様は優しい方ですから、きっと解決策を考えてくださいます」
 そう言いながら、私たちは図書館を後にしてお嬢様の居室へと向かった。廊下を歩きながら、柴犬咲夜さんが時々立ち止まっては何かの匂いを嗅いでいる。犬の本能というものなのだろうか。

「あの、咲夜さん。犬になられて何か変わったことはありませんか?」
「変わったこと? 全部変わったわよ。匂いがやたら気になるし、なんだか無性に走り回りたくなるし……」
 そう言いながら柴犬咲夜さんはドリルのように身震いした。
「あと、美鈴に撫でられると……」
「と?」
「な、何でもないわ! とにかく早くこの姿を元に戻したいの」
 慌てたように歩き出す柴犬咲夜さん。その後ろ姿を見ながら、私は苦笑いを浮かべた。


 
 お嬢様の居室に着くと、扉の前で柴犬咲夜さんが躊躇しているのだろうか、その場でクルクルと回り出した。
「便意ですか? 流石に主人のお部屋前は避けた方が良いかと」
「違うわよ! こんな姿でお嬢様の前に……。恥ずかしいわ」
「大丈夫ですって。私が一緒にいますから」
 私はそっと扉をノックした。
「お嬢様、美鈴です。咲夜さんと一緒にお伝えしたいことが」
「入りなさい」
 その声を聞き、私は扉を開いた。室内ではお嬢様がティーカップを手に優雅に座っていらっしゃった。

「あら美鈴、咲夜はどこ?」
 お嬢様の視線が床の柴犬に向かうと、その場が静寂に包まれた。
「……もしかして、咲夜?」

「はい、お嬢様」
 柴犬咲夜さんがしょんぼりと答える。
「ちょっと待ちなさいっ! 説明を求めるわ」
 そしてお嬢様は静かにティーカップをソーサーに置いた。その表情は必死に笑いを堪えているように見えた。
「実はですね――」

 私は事の経緯を説明し始めた。パチュリー様の実験の可能性、そして当のパチュリー様が実家に帰っていることまで。
「なるほど。つまり咲夜が犬になってしまい、原因も解決策も分からないということね」と、ニヤけているであろう口元を優雅な手付きで誤魔化している。
「申し訳ございません」
 柴犬咲夜さんが申し訳なさそうに頭を下げる。
「貴方が謝ることはないわ。でも」
お嬢様の口元に微かな笑みが浮かんだ。
「とても可愛いじゃないっ! さぁ、お座り」
「お嬢様、茶化さないであげて下さい!」と、慌ててお嬢様と柴犬咲夜さんの間に入るが、我らの主人はそんなことお構いなしで満面の笑みを浮かべている。
「ほらっ、お座りよ。お座りっ!」

 なぜか柴犬咲夜さんの体が勝手に動き、きちんとお座りのポーズを取った。
「良い子っ! 流石咲夜ね、犬になっても動きに品があるわ。ご褒美にこれをあげましょう」
 お嬢様がクッキーを一枚取り出すと、柴犬咲夜さんの目がキラキラと輝いた。
「待て」
「お嬢様、からかわないでください!」
 抗議する柴犬咲夜さんを見て、お嬢様は楽しそうに笑った。
「あはは、ごめんなさい。でも本当に可愛いのよ。しばらくこのままでも……」
「だめです!」
 私と柴犬咲夜さんが同時に声を上げた。
「分かったわ、分かった。解決策を考えましょう。パチュリーが戻るまでの間、何か手がかりを探してみましょう。それと外に情報が漏れても咲夜が可哀そうだから、この件は他言無用よ、フランにも館の者にも口外しないように。他のメイド達には咲夜が休みを取っているとでも伝えておくわ」
「ありがとうございます、お嬢様」
「でも条件があるわ」
「条件ですか?」
「咲夜のお世話は美鈴がすること。散歩も、食事も、全部よ」
 私は柴犬咲夜さんを見下ろした。彼女の顔が赤くなっているように見えたが、犬なのでよく分からなかった。
「承知いたしました。責任を持ってお世話させていただきます」
 こうして、私の犬の飼い主生活が始まったのだった。



 翌朝、私は普段より早く目を覚ました。
 いや、正確に言うと起こされたのだ。
「美鈴、美鈴!起きなさい!」
 耳元で聞こえる咲夜さんの声に目を開けると、柴犬の顔が目の前にあった。
「おはようございます、咲夜さん。どうかされましたか?」
「どうかされましたかって? 私、お腹が空いて仕方がないの。それに、なんだか体がムズムズして。あぁ、走りたい! ご飯も食べたい! とにかく朝日が差し込んできたら落ち着かないの」
 確かに柴犬咲夜さんは落ち着きなくソワソワしていた。
「朝食の時間にはまだ早いですが……」
「人間の朝食じゃなくて! 犬としてお腹が空いているのよ!」
 そう言われても困ってしまう。犬の餌など用意していないし、そもそも何を食べさせればいいのか分からない。
「とりあえず台所に行ってみましょうか」

 台所に向かう途中、柴犬咲夜さんが突然立ち止まった。
「どうしました?」
「……匂い」
 鼻をクンクンと動かしている。
「何の匂いですか?」
「分からないけど、すごく気になる匂いがするの。こっちの方から」
 そう言って廊下の角を曲がっていく柴犬咲夜さん。慌てて後を追う。
 
 着いた先は洗濯場だった。
「咲夜さん、ここは――」
「この匂い! この匂いよ!」
 柴犬咲夜さんが興奮して洗濯カゴに飛び込んだ。お嬢様の洋服にスリスリと頬をいや、全身を擦り付けている。
「咲夜さん、それは……」
「お嬢様の匂い、なんて良い匂いなの」
 うっとりと目を細める柴犬咲夜さん。これは犬の習性というやつなのだろうか。犬だから許される行為であって、犬でない咲夜さんが同じことをしていたら、多分私は口を聞かなくなると思う。

「あ、あのぅ、咲夜さん、朝食のことを忘れていませんか?」
「そうだった」
 慌てて洗濯カゴから出てくる。毛がぼさぼさになっていた。
「身だしなみを整えてから台所に行きましょうね」
「身だしなみって言われても、犬なのよ?」
「それでも咲夜さんは咲夜さんです」
 私は柴犬咲夜さんの毛を優しく撫でて整えてあげた。
「ありがとう……」
 小さくつぶやく咲夜さん。いつもなら照れて怒るのに、素直にお礼を言うなんて珍しい。

 台所に着くと、どうやって朝食を用意したものか悩んだ。
「普通のパンでも大丈夫でしょうか?」
「パン?」
「あ、犬はパンを食べちゃいけないんでしたっけ?」
「知らないわよ! 私も犬になったのは初めてなんだから!」
 柴犬咲夜さんが慌てふためいている。普段の冷静さはどこへやら。
「とりあえずお肉を焼いてみましょうか」
「それは美味しそうね」
 尻尾がパタパタと揺れている。本当に分かりやすい。

 お肉を焼いていると、お嬢様がふらりと台所に現れた。
「おはよう。随分と早いのね」
「おはようございます、お嬢様。咲夜さんがお腹を空かせていたので」
「あら咲夜、おはよう。よく眠れた?」
 柴犬咲夜さんはお嬢様の姿を見ると尻尾を扇風機の羽根のように勢いよく回した。回し過ぎてもげてしまわないか心配になる程に。
 そしてお行儀よく私の足元にちょこんと座る。
「お嬢様おはようございます」
「よしよし、撫でてあげるからおいで」
 お嬢様が膝を軽く叩くと、柴犬咲夜さんがためらいがちに近づいていく。
「だめです。お嬢様。私は犬じゃなくて――」
「今は犬でしょう? 素直になりなさい」
 優しくお嬢様が頭を撫でると、柴犬咲夜さんの目が段々とろ〜んとしてくる。
「気持ち良い……って、違う!これは犬の本能でっ」
「分かってるわよ。でも気持ち良いものは気持ち良いのでしょう?」
「それはそうですけど」

 焼けたお肉をお皿に盛って床に置くと、柴犬咲夜さんが飛んできた。
「いただきます」
 そう言ってから、がつがつと食べ始める。
「咲夜さん、お行儀が」
「仕方ないでしょう! 手が使えないんだから!」
 確かにその通りだった。犬の体で上品に食事をするのは無理がある。我ながら無茶なことを言ってしまったものだ。
「美味しいですか?」
「うん、美味しいわ。ありがとう」
 満足そうに尻尾を振る柴犬咲夜さん。見ているだけで癒される。

「それにしても」お嬢様が微笑みながら言った。
「咲夜がこんなに素直だなんて、珍しいじゃない」
「お言葉ですが、私はいつも素直だと思いますよ?」
「全く自己理解が足りていない。主人の顔を見てみたいもんだ。普段はもっとツンツンしているのに、今は全身を使って感情を表しているわ」
 私はお嬢様の言葉に合わせて大きく頷きながら柴犬咲夜さんへ目線をやる。嬉しい時は尻尾を振り、困った時は耳を垂らし、とても分かりやすい。
「犬になると性格も変わるのでしょうか?」
「さあ? でも悪い変化ではないと思うわ。ね、咲夜?」
 柴犬咲夜さんが顔を赤くして俯いた。犬でも赤くなるのか、と私は感心した。

 
 朝食後、私は咲夜さんを連れて庭に出た。
「散歩ですか?」
「まあ、そんなところでしょうか。普段の見回りを一緒にしてもらおうと思って」
「そういえば私の仕事はどうなっているの?」
「お嬢様が『しばらく休養』とおっしゃっていました。代わりに私と妖精メイドちゃん達が頑張りますから」
「ごめんなさい」
 申し訳なさそうにする柴犬咲夜さん。
「謝ることはありませんよ。そもそも咲夜さんがこの館に来るまでは私が家事全般を取り仕切っていましたし。それより、一緒にいられて嬉しいです」
「え?」
「普段は忙しくてゆっくりお話しする時間もありませんからね。これも良い機会だと思っています」
 柴犬咲さんがじっと私を見つめる。可愛い。
「美鈴って、本当に優しいのね」
「そうでしょうか? 普通だと思いますけど」
「普通じゃないわよ。普通の人なら迷惑がるもの」
「迷惑だなんて思いませんよ。むしろ……」
「むしろ?」
「可愛くて、ついつい構いたくなってしまいます」
 そう言って柴犬咲夜さんの頭を撫でると、また例の如く尻尾がパタパタと揺れた。
「もう、からかわないで」
「からかってませんよ。本心です」

 庭を歩いていると、向こうからフランドール様が走ってきた。
「あ、美鈴! それに犬?」
「フラン様、おはようございます。この犬は――」
 そこまで言うと柴犬咲夜さんが私を見上げて、睨みを効かせてきた。犬になってもこの人の眼力に圧倒されてしまうのはなぜなのだろうか。
「わかってますよ、他言無用のことは覚えています。それより、咲夜さんこそ人語を発さないように」と、小声で伝える。
「可愛い〜! 触っても良い?」
 フラン様が目を輝かせながら柴犬咲夜さんに近づいてくる。
「あ、あの、フランドール様、優しくですよ、優しく」
 柴犬咲夜さんが困惑している。
「よしよし〜、良い子ね〜」
 フラン様が柴犬咲夜さんを抱き上げる。
「フラン様、あまり強く抱かないでくださいね」
「大丈夫よ〜。あら、この犬、なんだか咲夜に似てる気がする」
 ドキッとする私と柴犬咲夜さん。
「気のせいでしょう」
「美鈴は見る目がないわね。この子名前は?」
「え〜っと、サクちゃんです、サクちゃん。知り合いからしばらくお世話を頼まれまして、あはは」
 咄嗟に出た名前に柴犬咲夜さんがジト目で私を見る。
「サクちゃんね。よろしく、サクちゃん」
 フラン様が柴犬咲夜さんの肉球を握手させる。
「わ、ワン」
 ここでまさかの人語。私は耐えきれずに吹き出してしまったが、咲夜さんも申し訳なく思ったのか、スルーしてくれた。

 その後しばらく、フラン様と柴犬咲夜さんが庭で遊ぶのを私は見守った。
 普段、フラン様の相手は主に咲夜さんがしているが、犬の姿でも結局フラン様の遊び相手をしているのは面白い光景だった。
 ボール投げに付き合わされて、柴犬咲夜さんが本気で走り回っている。
「サクちゃん、早い〜!」
「はぁはぁ」
 息を切らしながらも、どこか楽しそうな柴犬咲夜さん。
 こんな無邪気な表情を見たのは初めてかもしれない。
 
「日差しが強くなるお時間ですので、そろそろ館の中へ入られたらどうでしょう」
「憎き太陽めっ! 私からサクちゃんを取り上げるのね」
「見回りが終わったら私達も館に戻りますので。その後におやつを食べるのはどうです? 今日は咲夜さんがお休みされているので私が特製の杏仁豆腐をご用意しますよ」
「美鈴が作ってくれるなんて久しぶりね! うーんと甘くしてね」
 
 やがてフラン様が満足して館内に戻っていくと、柴犬咲夜さんがへたり込んだ。
「疲れた……。でも、楽しかった」
「それはそれは」
「フランドール様と遊ぶのって、こんなに楽しいものだったのね。普段は気を遣いすぎていたのかも」
 柴犬咲夜さんがぽつりと呟く。
「犬になって、良いこともあるということでしょうか」
「そうね、案外、悪くないかもしれない」
 空を見上げながらそう言う柴犬咲夜さん。
 その横顔は、いつもより穏やかに見えた。


 
 数日後、私は意を決して柴犬咲夜さんを人里へ散歩に連れて行くことにした。
「人里に連れて行く? 本気なの?」
「たまには外の空気を吸った方が良いですよ。それに、そろそろ買い物をしないと館の食糧が底を付きますので」
「でも人間に見つかったら?」
「人語を発さなければ、ただの可愛い柴犬ですから」
「余計に緊張しちゃうわ」と、大きく欠伸をする。犬は緊張感が強いと欠伸をするのだ。これはパチュリー様の本で読んだ豆知識。
 
 人里への道中、柴犬咲夜さんは興味深そうにあちこちの匂いを嗅いでいた。
「すごいですね、そんなに色々な匂いが分かるんですか?」
「ええ、これまで気づかなかった匂いがたくさん。花の匂い、土の匂い、それに……」
「それに?」
「美鈴の匂い」
「私の匂いですか?」わざとらしく、両手で胸を隠す仕草をする。
「安心する匂い。温かくて、優しくて」
 そう言ってから柴犬咲夜さんは慌てたように俯いた。
「べ、別に変な意味じゃないわよ! 犬の嗅覚がそう感じるだけで!」
 
 人里に着くと、案の定人々の注目を集めた。
「あら、可愛い犬ね」
「柴犬かしら? 毛並みが綺麗」
 通りすがりの人たちが柴犬咲夜さんを見て微笑む。
「人気者ですね、咲夜さん」
「なんだか恥ずかしいわね」
 しかし嫌がっているようには見えなかった。むしろどこか誇らしげにしている。
 
 八百屋の前を通りかかった時、店主のおばさんが声をかけてきた。
「いらっしゃい美鈴ちゃん、今日はメイドさんは一緒じゃないのね。あら犬を飼い始めたの?」
「いえ、知り合いからお預かりしていて……」
「可愛い子ね。お利口そう」
 そう言っておばさんが柴犬咲夜さんの頭を撫でると、咲夜さんの尻尾がパタパタと揺れた。
「あら、人懐っこいのね。良い子、良い子」
「ありがとうございます」
 私が答えると、おばさんは人参を一本取り出した。
「この子にあげて。犬も野菜を食べた方が良いからね」
「ご親切にどうも」
 その後も人里の人たちは皆親切で、柴犬咲夜さんを可愛がってくれた。
 茶屋の店主は水を出してくれたし、子供たちは一緒に遊んでくれた。
「みんな優しいですね」
「そうね。人里の人たちって、こんなに温かいものだったのね」
 柴犬咲夜さんがしみじみと呟く。
「普段は忙しくて、こういう交流はありませんからね」
「私、損をしていたのかもしれない」
 
 帰り道、柴犬咲夜さんが突然立ち止まった。
「どうしました?」
「美鈴ありがとう」
「何のことですか?」
「こんな体験をさせてもらって。普段なら絶対に味わえないことばかり」
 柴犬咲夜さんはそっぽを向きながらそう言ったが、一瞬見えたその瞳は潤んでいるように見えた。
「私の方こそ、咲夜さんと一緒に過ごせて楽しいです」
「本当?」
「本当です。いつもとは違う咲夜さんを見ることができて、とても新鮮で」
「いつもと違う私。まあこんな容姿だものね」
「あーそう言う意味じゃなくて、はい。もっと自然で、素直で」
「わかってるわよ。照れ隠し」
「ふふ、とても魅力的だと思います」
 私の言葉に、柴犬咲夜さんの頬が赤くなった……気がした。
 

 その夜、満月が紅魔館を照らしていた。空には雲ひとつなく、星々が宝石のように散りばめられている。いつものように夜警をしていると、柴犬咲夜さんがとてとてと小走りで付いてきた。小さな足音が石畳に響いて、まるで子犬のようで微笑ましい。
「無理をしなくても良いんですよ」
「体は犬でも、心は紅魔館のメイドだからね、やれる事をやらないと」
 そうは言いながらも、普段とは違う夜の散歩を楽しんでいるようだった。時々立ち止まっては夜風に鼻を向けて、何かの匂いを確認している。その仕草がとても犬らしくて、私は思わず微笑んでしまう。
 湖畔のベンチに座って休憩していると、柴犬咲夜さんが私の隣にぴょんと飛び乗った。普段なら絶対にしないような、距離感の近さだ。
 月明かりが湖面に反射してきらきらと光っている。まるで水面に星屑を散らしたみたいに美しい。夜の静寂に包まれて、虫の声だけが響いている。
「綺麗ですね」
「ええ、いつもは気づかなかったけれど」
「いつもは急いで見回りをしていましたからね」
「そう。でも今は、ゆっくりと景色を眺める余裕がある。誰かさんの居眠りがピタリとなくなったから」
「あはは、警備の他に咲夜さんのお世話、家事全般は妖精メイドちゃん達が手伝ってくれますが、夜以外寝る暇がなくなりましてねぇ」と、悪戯っぽく言ってみたが柴犬咲夜さんは可愛いらしく鼻を鳴らすだけだった。
 柴犬咲夜さんが深く息を吸った。夜の湿った空気を味わうように、ゆっくりと。

「夜の空気も気持ち良い」
 しばらく静寂が続いた。湖面に映る月が、さざ波で揺らいでいる。遠くでフクロウの鳴き声が聞こえた。こんなに静かな時間を咲夜さんと過ごすのは初めてかもしれない。普段の慌ただしい日常とは正反対の、穏やかで温かい時間。
 柴犬咲夜さんがぽつりと口を開いた。
「美鈴……私、実は」
「はい?」
「この数日間、とても楽しかった」
 彼女の声には、いつもの凛とした調子とは違う、どこか弱々しい響きがあった。
「それは良かったです」
「でも同時に、怖くもあるの」
「怖い?」
「このまま犬でいたいと思ってしまう自分が怖いの」
 柴犬咲夜さんの声が震えていた。小さな体がわずかに震えているのが分かる。
「どうしてですか?」
「だって、メイドとしての責任も、プライドも、全部放り出している。それなのに、こんなに気楽で幸せなんて」
 月光に照らされた彼女の表情は、普段の完璧なメイドとしての仮面を完全に脱ぎ捨てていた。そこにあるのは、ただの一人の女の子の、素直な気持ちだった。
「咲夜さん……」
「あなたと一緒にいると、心が軽くなる。重い荷物を下ろしたみたいに」
 私はそっと柴犬咲夜さんの頭を撫でた。毛がふわふわで、温かい。
「重い荷物?」
「完璧なメイドでいなければならないという重圧よ。失敗は許されない、常に冷静でなければならない、感情を表に出してはいけない」
 彼女の声が段々と小さくなっていく。まるで長い間溜め込んでいた想いを、やっと吐き出しているかのように。
「でも今は?」
「今はただの咲夜でいられる。犬だから、完璧である必要がない」
 涙がポロポロと頬を伝っていた。月光がその涙を銀色に光らせている。
「咲夜さん」
 私は優しく彼女の涙を拭ってあげた。
「おかしいでしょう? メイドが主人を差し置いて、自分の幸せを考えるなんて」
「おかしくありません」
「え?」
「咲夜さんも一人の人間です。幸せを願って当然です」
 私の言葉に、柴犬咲夜さんが驚いたような顔をする。
「でも……」
「それに、完璧なメイドである前に、まず咲夜さん自身が幸せでなければ、本当の意味でお嬢様を支えることはできないのではないでしょうか」
 夜風が優しく二人を包んでいる。湖の向こうから、夜鳥の鳴き声が聞こえてきた。
「美鈴」
 柴犬咲夜さんの瞳が、月光を反射してキラキラと輝いている。
「普段の咲夜さんも素晴らしいです。でも、今の素直な咲夜さんも、とても魅力的ですよ」
「本当に?」
「本当です。だから、無理に元に戻ろうとしなくても良いんです。咲夜さんが望むなら、私がずっとお世話します」
 柴犬咲夜さんが私の膝の上に頭を乗せた。その温もりが、優しく伝わってくる。
「ありがとう……美鈴。あなたがいてくれて、本当に良かった」
「私の方こそです」
 月明かりの下、二人でじっくりと語り合った夜だった。時々、柴犬咲夜さんが小さなため息をついて、私の膝により深く顔を埋める。その度に、彼女の心の重荷が少しずつ軽くなっているような気がした。

 
 翌週の午後、図書館から本を整理する音が聞こえてきた。予定通りパチュリー様が実家から戻ってこられたのだ。私と柴犬咲夜さんは、急いで図書館へ向かった。
 大きくて重たい扉を開けると小悪魔がお出迎えしてくれた。
「美鈴さん、いらっしゃいませ。パチュリー様ならあちらに」と、仕事モードに戻っていたので内心安堵した。

 そこにはいつもの紫の帽子を被ったパチュリー様が、大量の荷物と共に図書館の椅子に突っ伏していた。旅の疲れからか、いつもより顔色が悪く見える。
「パチュリー様、お帰りなさい」
「お疲れ様でした」
 柴犬咲夜さんも小さく頭を下げる。その律儀な仕草に、私は思わず微笑んでしまう。
「あら美鈴、ただいま。ん、喋る犬? あんたの使い魔? よくレミィの奴が許したわねぇ」
 パチュリー様が柴犬咲夜さんを見て、疲れた表情に微笑みを浮かべる。
「実は、この可愛い柴犬ちゃん、咲夜さんなんです」
「……色々と端折らずに話をしなさい。こちらは長旅で疲れて頭が働かないのだから」
 
 私の話を一通り聞き終わるとパチュリー様が重そうな魔導書をぺらぺらとめくる。ページをめくる音が図書館に響く。
「私が旅行に出かける少し前だと新しい魔導書の解読と実験をしていた時かしらね。魔力周波の記録を遡れば何の魔法が発動したのか記録されているはずだけど……。小悪魔にアレを生やした時の実験……じゃ無さそうね。ああ、これね、小悪魔をネコにした時の魔法だわ」
 ページを指差す。そこには複雑な魔法陣と、難しそうな文字がびっしりと書かれていた。
 
「所謂『形態変化』の魔法の実験をしていたのよ。でも失敗したの。小悪魔はタチになってしまったから実験は中止」
「ちょっと何言ってるかわからないんですが、それが原因ですか?」
「魔力周波の記録上ではね。でも不思議だわ。なぜ咲夜に……。魔法陣の解れ? いや、余剰魔力のオーバーフローかしら」ブツブツと何か難しい表情のパチュリー様。
「咲夜、貴女の身体に私の残留魔力が残っていると思うから、髪の毛を一般よこしなさい」
「撫でてくださればいくらでも毛が取れますわ」
 何故か凛々しい顔でパチュリー様を見上げる柴犬咲夜さん。
「小悪魔、咲夜を撫でて。取れた毛を魔力分析用の魔法陣に置いて」

 魔法陣の前に立つとパチュリー様は興味深そうに頷いた。時々「ほう」とか「なるほど」とか呟きながらまるで面白い研究材料を見つけたような目つきをしていた。
「実は、咲夜がかかったその魔法は『一番なりたい動物になる』魔法だったのよ。魔導書のトラップね。形態変化の魔法ってのはモノによっては禁術に近い危険な魔法だからね。私がまんまとそのトラップに引っかかって、気が付かない間に半径100メートル位の範囲に『一番なりたい動物になる』魔法をかけてしまったようね」
 悪びれる様子もなく淡々と説明をするパチュリー様。
「え?」
 私と柴犬咲夜さんが同時に固まる。図書館の中に、しばしの沈黙が流れた。
「つまり、咲夜は無意識に犬になりたがっていたということ」
「そ、そんな!」
 柴犬咲夜さんが慌てふためく。尻尾がバタバタと床を叩いている。
「なりたい動物……ということは?」
「そう。咲夜の深層心理が犬になることを望んでいたの。自己愛の強い妖怪にはない、咲夜の人間らしい望みね」
 パチュリー様がにやりと笑う。その笑顔は、まるで面白いことを発見した研究者のようだ。
「でも安心して。元に戻る方法もある」
「本当ですか?」
「ええ。心からの安心感と信頼を感じれば、自然と元の姿に戻るわ」
「心からの安心感と信頼……」
「そう。例えその身を別の動物に変えても誰かに完全に身を委ねられるほどの信頼関係があれば」
 その時、図書館の重い扉が開いて、レミリア様が優雅に入ってきた。真っ赤なドレスが、午後の陽射しに映えて美しい。
「あら、パチェお帰りなさい」
「レミィ、丁度良いところに」
「何かしら? 咲夜と美鈴が深刻な顔をしているけれど」
「実は――」
 パチュリー様が再び、まるでお気に入りの本を紹介するかのように説明する。
「犬になりたがっていた?」
 レミリア様が可笑しそうにくすくすと笑う。
「確かに咲夜は『忠犬』と呼ぶのがぴったりね」
「お嬢様!」と、私は抗議の声を上げる。
 揶揄われていると言うのに柴犬咲夜さんはお嬢様を見て尻尾を勢いよく回している。その姿がますます犬っぽくて可愛らしい。
「でも、心からの安心感が必要なのね」
 レミリア様が柴犬咲夜さんを見つめる。その瞳には、いつもの茶目っ気と共に、深い愛情が宿っている。
「咲夜、美鈴といる時はどんな気持ち?」
「え?」
「正直に答えなさい」
 柴犬咲夜さんが私を見上げる。その瞳は、まるで子犬のように純真だった。
「……安心します。とても」
「どうして?」
「美鈴は、完璧でなくても、ありのままの私を受け入れてくれるから」
 私の心が温かくなった。胸の奥が、ぽかぽかと暖かい。
「美鈴は?」
「私は咲夜さんがどんな姿でも、大切な人に変わりはありません」
「大切な人」
 柴犬咲夜さんの目が潤む。午後の陽射しが、その瞳を宝石のように輝かせている。
 その瞬間、柴犬咲夜さんの体が優しい光に包まれた。まるで月光のような、温かくて柔らかい光だった。
「あ……」
 
 光が徐々に消えていくと、そこには元の咲夜さんが座っていた。いつものメイド服は少し埃っぽくなっているけれど、その姿は間違いなく咲夜さんだった。
「戻った」
 咲夜さんが自分の手をじっと見つめる。指を一本一本、確かめるように動かしている。
「元に戻りましたね」
「ええでも、少し寂しくもあるわ」
「え?」
「犬の時の方が、あなたに甘えやすかったから」
 咲夜さんが恥ずかしそうに微笑む。その笑顔は、犬の時と同じくらい素直で愛らしかった。

 
 それから一週間が経った。
 秋の風が紅魔館の庭を吹き抜けて、色づいた木の葉がひらひらと舞っている。咲夜さんは元の仕事に戻り、私もいつもの門番の職務に就いている。表面的には、何も変わらない日常が戻ってきた。
 でも、以前とは確実に何かが違っていた。
「美鈴、お疲れ様」
 夕方の門番をしていると、咲夜さんが温かいお茶とクッキーを持ってきてくれた。銀のトレーに丁寧に並べられたティーセットからは、良い香りが立ち上っている。
「ありがとうございます、咲夜さん」
 彼女の笑顔は以前よりも自然で、温かい。何より、肩の力が抜けているような気がする。
「あの……美鈴」
「はい?」
「この前のこと、ありがとう。あなたのおかげで、大切なことに気づけた」
「どんなことですか?」
「完璧でなくても良いということ。そして、誰かに甘えることも時には必要だということ」
 咲夜さんが空を見上げる。夕日がゆっくりと沈んでいき、空をオレンジ色に染めている。
「それに、自分の気持ちに素直になることの大切さも」
「咲夜さん」
「もし、また何かあったら……」
「はい?」
「その時は、また頼りにしても良い?」
 咲夜さんの頬が、夕日に照らされてほんのりと赤くなっている。
「もちろんです。いつでも」
 私が答えると、咲夜さんの頬が薄っすらと赤くなった。その仕草は、あの時の柴犬咲夜さんを思い出させる。
「ありがとう。でも今度は犬にはならないわよ?」
「それは残念です。犬の咲夜さんも可愛かったのに」
「もう!」
 咲夜さんが照れて手をひらひらと振る。その仕草は、あの時の柴犬咲夜さんの尻尾を思い出させた。見ているだけで、胸が温かくなる。
 夕日が紅魔館を染めていく。屋根や窓ガラス、庭の木々まで、すべてが金色に輝いている。
 
 咲夜さんと並んでベンチに座っていると、彼女がぽつりと呟いた。
「でも本当のことを言うとね」
「何ですか?」
「時々、また犬になりたくなる」
「どうしてです?」
「だって、その方があなたに甘えやすいから」
 そう言って咲夜さんがいたずらっぽく笑った。その表情は、まるであの時の無邪気な柴犬のようだ。
「それなら犬にならなくても大丈夫ですよ」
「え?」
「今のままでも、甘えたい時はいつでもどうぞ」
 私がそう言うと、咲夜さんはとても嬉しそうな顔をした。まるで花が咲いたような、明るい笑顔だった。
「本当?」
「本当です。約束します」
 咲夜さんがそっと私の肩に頭を預ける。その温もりが、優しく伝わってくる。
「ありがとう、美鈴。あなたがいてくれて、本当に良かった」
 
 こうして、不思議な数日間は幕を閉じた。
 でもその経験は、私たちの関係を確実に変えてくれた。以前よりもずっと近く、そして温かい関係に。
 時々、咲夜さんが廊下で何かの匂いを嗅いでクンクンしている時や、無意識に腰を左右に振るような仕草をする時があって、その度に私はあの日々を思い出す。そんな時の咲夜さんは、決まって慌てたように姿勢を正すのだが、その慌てぶりがまた可愛らしい。
 
 そして思うのだ。
 人は時として、別の姿になることで、本当の自分を見つけるのかもしれない、と。
 咲夜さんが犬になりたがっていた理由も、今なら分かる気がする。
 それは決して現実逃避ではなく、もっと自由で、もっと素直でいたいという、心の奥底からの願いだったのだ。完璧なメイドという鎧を脱いで、ありのままの自分でいたいという。
 夜風が頬を撫でていく。秋の夜は少し肌寒いが、心は温かい。
 隣では咲夜さんが穏やかな表情で空を見上げている。星が一つ、二つと瞬き始めている。
 その横顔は、あの柴犬だった頃と同じくらい、いや、それ以上に美しく見えた。
「また明日も、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
 
 いつもの挨拶を交わして、それぞれの部屋に戻っていく。廊下に響く足音が、いつもより軽やかに聞こえる。
 でも今は、その「また明日」に、前よりもずっと大きな意味が込められている気がした。
 私たちの日常は、表面的には何も変わっていない。
 でも確実に、そこには新しい何かが生まれていた。それが愛情なのか、友情なのか、まだ名前を付けることはできないけれど。
 ただ一つ言えるのは、毎日がとても温かく、そして楽しいということだった。
 時々咲夜さんが見せる、あの時の柴犬のような無邪気な笑顔と一緒に。
こんにちは、酉河つくねです。
めーさくてぇてぇ!そんな気持ちから筆を取った次第でございます


酉河つくね
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コメント



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1.90ローファル削除
面白かったです。
全力で少女している咲夜も、包容力に溢れる美鈴も素敵でした。
2.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
3.100東ノ目削除
タイトル通りに犬度96点満点中96点の犬でしたね……。咲夜さんの瀟洒さをもってしても割と犬の本能を抑えられていないところに笑いました
4.100ねつ削除
すごく面白かったです!
ただ犬になって終わりじゃないしっかり紅魔館のお話、最高でした!
5.100のくた削除
よきめーさくでした。非番モードの小悪魔も良い
7.100南条削除
面白かったです
タイトルからすでに強いのにお話も最高でした
忠犬と見せかけて本当は甘えるために犬になりたいと思っていたのかと思うととても熱いものを感じました
8.100名前が無い程度の能力削除
かわいかったです。絶妙なほのぼの具合でした。