「二人ともお疲れ様、もう息もばっちりね」
人里の集会場での演奏会を終え、ステージ裏の控えスペースに戻ったところで雷鼓が言った。
汗こそかいているものの、軽くウェーブのかかった赤髪は全く乱れていない。
それに応えるように妹の八橋が水筒の水を一口飲んでから元気な声で言った。
「雷鼓姐のドラム今日もかっこよかった! 次の演奏も楽しみ、ね、姉さん?」
私は髪を整える手を止め、二人に応えた。
「うん、お客さんもみんな楽しそうでよかったわ。雷鼓さん、いつもありがとうございます」
八橋は相変わらず上機嫌のまま、今度は差し入れのお饅頭を美味しそうに頬張っている。
雷鼓は頬を緩め、私達二人に順に視線を送ってから言った。
「お礼なんていいのよ、やっぱりみんなで演奏すると楽しいわ」
飾り気の全くない、爽やかな笑顔。
私達より頭半分ほど高い背丈に、落ち着き払った立ち振る舞い。
それはただ一緒にいるだけで安心、心強さを与えてくれるような気がする。
そのまま着替えと片付けを終え、長屋に向かって歩を進める。
陽が傾き始めているからか、人里を歩く人妖の数は少ない。
前を歩く八橋が左右に並ぶ商店にせわしなく視線を走らせていた。
雷鼓はと言うと用事を一つ済ませて帰るからと、鍵を私に預けて人里の外れの方に向かって歩いて行った。
以前は妖怪の自分が人間の里の近くで暮らすなんて、考えてもみなかった。
気付けば私達が彼女の世話になり始めてから既に二週間以上が経過している。
それでも、この幻想郷に生を受けてからは未だ一カ月と経っていない。
勿論、人間に使われるだけの道具から生まれ変わり、自由に動ける身体を手に入れられたことは本当に嬉しかった。
それでも生まれたばかりで右も左も分からない、先の見えない不安はすぐに私の足をすくませた。
だからこそ、自分と同じように音楽が大好きで同じ不安を胸に抱えていた八橋と姉妹の契りを交わしたことは半ば必然だったのかもしれない。
道具だった頃の記憶は、全くない。
自分の元となる楽器をどこの誰が作り、誰が弾いたのか。
確かなことは何一つとしてない。
今になって思えば、別に人間に恨みがあったわけでもない。
家族が出来て共通の目標、下剋上に向かってがむしゃらに突き進むことがただ、楽しかっただけなのかもしれない。
上手くいく保証なんかどこにもなかったのに、あの時の私に迷いは全くなかったから。
それに、私に勇気を与えてくれたのは八橋だけではなかった。
弱者、道具が平和に暮らせる楽園の創造を願って秘宝の小槌を振るい、私達を生んでくれたあの子。
小さな体に大きな想いを秘めた、私達の生みの親。
……それに、もう一人。
いや、どうでもいい。
あんな、あんな最低な奴。
嫌い、大嫌い。
物思いに耽っていると、八橋がこちらを振り向いて言った。
なにやら心配そうな顔をしている。
「姉さん、疲れてるの?」
慌てて首を振り、自分でもオーバーだと思うほどに身振りを交えて答える。
「ううん、大丈夫よ」
「本当? それならいいんだけど」
一瞬怪訝な顔をしながらも一応は私の返事に納得したのか、再び前を向いて歩き始める。
疲労が溜まっている自覚はないけど、無意識のうちに表情が険しくなっていたのかもしれない。
しっかりしないと。
観客は思った以上に奏者をよく見ている。
そしてそれは、演奏中だけに限らない。
人里の出口から草地に向かってしばらく飛行すると、古びた長屋が見えてきた。
私と八橋はここに居室を持つ雷鼓の好意で居候させてもらっている。
部屋は全部で五つあるようだが、他の部屋はどれも荒れ放題で私達以外に住民がいた形跡はない。
預かった鍵をノブに差し込み、軽く押してから回す。
錆の噛み込む音とともにドアが開いた。
三和土で靴を脱ぎ、お互いに荷物を下ろす。
「先に水浴びしててもいいわよ」
「本当? ありがとー!」
私がそう言うと八橋は小走りで脱衣所の方に駆けていった。
さて、待つ間少し掃除でもしようか。
水に浸した雑巾で窓や床を拭き、終わった個所は乾拭きをしていく。
単調な作業だけど、嫌いじゃない。
それにこういうことは姉の自分が率先してやらないと、妹に悪い影響を与えかねない。
一番奥の部屋以外の拭き掃除をおおよそ済ませ、一息つく。
雷鼓曰く、個人的な物があるからここは開けないで欲しいと言われている。
珍しく厳しい表情をしていたのを思い出す。
勿論、私室に勝手に入るようなことはしない。
今度は干してあった布団を寝室に一枚ずつ敷いていく。
横、所謂川の字に三枚の布団が並んだ。
真っすぐ敷き終えたところで、枕を見ると急に胸がちくりと痛んだ。
深く考えるほどではない、取るに足らないことのはずなのに。
今朝の出来事だった。
普段、私は八橋よりも先に目が覚める。
前日私の方が床に就くのが遅くても、それは変わらない。
どちらかというと彼女が少し寝すぎな気がしないでもない。
雷鼓はと言うと、いつも通り既に姿を消していた。
日課の散歩に出かけたのだろう。
玄関に一番近い位置の布団が綺麗に畳んである。
その隣の布団では八橋が微かに口を開け、あどけない寝顔で気持ちよさそうに小さな寝息を立てている。
時折彼女は言葉になっていない寝言を口にする。
それを確認するとつい、自分でもはっきりと分かるほどに頬の筋肉が緩んでしまう。
今日はなにか聞こえてくるだろうか。
起こさないように注意しつつ、耳をすませる。
すると呟くようなトーンながら明瞭な言葉がその口元から紡ぎ出された。
「むにゃ、雷鼓姐……」
最近は日中に何度も聞いた、八橋からあの人への呼び名。
お世話になり始めてすぐに、八橋は彼女のことをこう呼び慕っている。
確かにあの人は、身寄りも行き場もなかった自分達の面倒をずっと見てくれている。
それも今のところ、なんの見返りも求めずに。
勿論、いつまでも迷惑をかけるわけにはいかない。
同居を始めて三日目の夜、八橋が既に眠ったのを確認して今後のことについて相談したことがある。
その時も彼女は「そんなこと気にしなくていいのよ、三人の方が投銭もずっと多いし私も助かってるんだから」と笑いながら軽く言ってのけた。
実際のところ、行動をともにするようになって二週間が過ぎた今でも自分と八橋だけで生きて行ける確かな自信はない。
衣食住、生きていくにはとにかくお金がかかるし下準備も必要になる。
お金を稼ぐ方法についても、悔しいが自分達二人ではまだまだ知名度が低い。
無論、演奏の腕前なら他の演者達に決してひけを取らない自信はある。
それでも、今の自分達が人里で多くのファンに囲まれ投銭を得られているのは少なからず雷鼓のおかげだと認めざるを得ない。
だから、八橋がそんな雷鼓のことを慕うのは当然のことだ。
それに八橋が彼女を雷鼓姐、と呼んでいても私を呼ぶ時は今までと変わらず「姉さん」と呼んでくれる。
決して蔑ろにされてなどいない。
だからなにも、変わっていない。
そのはずなのに。
八橋の短い寝言が耳から離れなくなった私の指は、無意識に自分の胸元をワンピースの上からかきむしっていた。
この出来事があってから、日中に八橋が雷鼓を呼ぶ度にそれを意識するようになってしまった。
八橋は私のように、姉妹二人での活動は考えていないのだろうか。
いっそ、私も同じように雷鼓にどっぷり甘えてしまえたら楽になれるかもしれない。
実際に彼女は魅力的だし、とても強い。
でも、出来ない。
勿論、分かってる。
雷鼓に妹を奪う気などないだろうし、八橋にだってきっとそんなつもりはない。
それでも、私は必要以上に彼女と距離を縮めることに躊躇いを感じている。
認めたくないけど、私は彼女にやきもちを焼いている。
みっともないことだと思う。
これだけ恩を受けておきながら、呼び名ぐらいで嫉妬心を抱くなんて。
だが、私の胸を刺す棘は一本ではない。
異変が終焉を迎えた日、忘れられない夜。
あの子と私達姉妹を裏切ったあいつ、鬼人正邪。
……もう、裏切られるのは嫌だ。
掃除と布団の用意を終え、八橋と入れ替わる形で水浴びを済ませたところで丁度雷鼓が帰宅した。
夕食の席での話題は明日の演奏会と、その後の予定についてだった。
「明日は午前に一件だけだよね、雷鼓姐」
「ええ、お昼には終わると思うわ」
「ねえねえ、終わったら三人で買い物行こうよ。服とかアクセサリー見たいな」
明日の予定について、言葉を交わす二人。
一応、得られた投銭は毎回三人でほぼ均等に割っている。
本来は雷鼓の取り分だけもう少し多い方が自然な気がするけど、彼女はこれも気にならないようだ。
八橋が引き続きお金の使い道について話し始める。
「あのね、夏になったらお祭りがあるんだよ。私浴衣着てみたいな。雷鼓姐は持ってないの?」
「私は持ってないわ。嫌いなわけじゃないけど、似合わない気がするのよね」
「そうかなあ、背が高いし髪も綺麗だから絶対似合いそうなのに」
「私より二人の方が似合うわよ、知り合いの付喪神で呉服屋さんに住み着いてる子がいるから今度相場を聞いてみましょ」
八橋が急にこちらを向いて嬉しそうに言った。
「やった! その時は姉さんの長い髪、私が結ってあげるからね」
「弁々の髪は本当に綺麗よね」
雷鼓までこっちを見てくるので、驚いて大根の煮付けを喉に詰まらせそうになった。
落ち着き、一呼吸置いてから応える。
「あはは、ありがとう」
逆さ城で八橋に髪を褒められた時は「手入れをしっかりしてるからね」と返したものだが、
今は自分でも分かるほどに言葉がぎこちなくなってしまっている。
毎日手入れに時間をかけているのは本当だし。
幸い、八橋は特に気にした様子もなく続けた。
「知ってる? この前の演奏会に来てた人間の女の子がお母さんにこんなこと言ってたんだよ。『私もあのお姉ちゃんみたいな長い髪にしたい!』って」
それを聞いた雷鼓が微笑みながら言った。
「ふふ、もうすっかり人気者ね」
今の私は、間違いなく縁に恵まれているのだと思う。
こうして屋根のある場所で日々を過ごし、家族、仲間とともに大好きな音楽で少しずつでも日々の糧を得ることが出来ているのだから。
だから、今に不満なんて持っちゃいけない。
もっと思考を軽くして、今を楽しむことに意識を向けるべき。
そうしていれば、この胸に刺さった棘もいずれは消えてなくなるはず。
それになにより、あの子にもう一度会いたい。
今どこにいるのか、有力な手掛かりは未だ見つかっていない。
人里の往来を通る時間や演奏の合間合間に噂話に耳を傾けるように努めてはいる。
だが、その大半はただの世間話でしかない。
鬼人正邪が未だ捕まっていない、という話だけは二度耳にした。
その日の夜。
八橋と雷鼓の小さな寝息が聞こえてくる。
窓から差し込む月の光は枕元に置いた私の半身の覆手を薄く照らしている。
今夜も寝つくのは私が最後のようだ。
私はゆっくりと目を閉じた。
ここに至るまで、本当に色んなことがあった。
異変が終息を迎えた日、四人で過ごした最後の夜が記憶を過る。
雲よりも高い、幻想郷の遥か上空。
完全に陽が落ちた宵闇の空で、渦を巻く紫色の雲海。
そこにはほんの僅かな時間だったけど、私達が一緒に暮らした家、逆さ城がある。
あの子が小槌に願いを込めることで生み出された、綺麗で立派なお城。
私は攻め込んできた紅白の巫女を食い止めるため、必死に戦った。
けど、あの人間は強かった。
悔しいけど、もう一度戦って結果が変わるとは全く思えないほどに。
結局終わってみれば手傷の一つすら満足に与えられなかった。
戦いの最中に八橋ともはぐれてしまい、後で聞いた話だが彼女もまた別の人間に打ち倒された。
それでも、敗けた私にもまだ出来ることがあると、ふらつく体で城まで辿り着く。
城の外周部分に佇んでいたのは針妙丸の従者で私達にとっても仲間「だった」妖怪、鬼人正邪。
同じように紅白巫女に敗れ傷を負った彼女の姿を見て、私は出来る出来る限りの介抱をしようとした。
きっともうすぐ、あの子の最後の戦いが始まる。
ろくに動けなくても、戦えなくても。
傍で見届けてあげたい。
それなのにあいつは私、いや私達に向かって酷い言葉を平然と投げつけた。
『私は最初からずっと、お前らのことなんて駒としか思っていなかった。
だからこれきりだ、得られたばかりの命を落とさずに済むだけ、幸運に思えよ』と。
思えば初対面の印象は、あまりよくなかった。
私達だけでなく針妙丸に対してもなにかとぶっきらぼうな言い方をすることが多かった気がする。
それでも、あの子が正邪と二人で旅していた頃の話を嬉しそうに語るのを聞くと、あいつの印象は初対面のそれから大きく変わった。
相変わらず、普段から決して優しい物言いをするタイプではないしどちらかと言うと皮肉屋っぽかったけど。
でも、私達の話や質問には常に迅速に答えを投げ返してきた。
異変達成に関わる話の時は特にそうだ。
話を先延ばしにしたり、曖昧な回答はしなかった。
その頃生まれて数日しか経っていなかった私は、妹の前では常に強い姉でいたいと思っていた。
正邪のように、強い信念とともに大切な人を守れる存在になりたかった。
いつの間にか、私は自分の中の弱い部分をあいつにさらけ出していた。
そして私はその時から微かに彼女に惹かれ始め、密かに決心した。
この異変は必ず成功させる。
人間なんかに邪魔はさせないと。
勿論、裏切られた今となっては私の目が曇っていたとしか言いようがない。
今でもあの子の、針妙丸の無邪気な明るい笑顔を思い出す度、信じられない気持ちになる。
あいつは長い時間一緒に旅をして、あれだけ懐いていたあの子を平然と見捨てた。
あの子を信じ、戦いを最後まで見届けようとしなかった。
私は立ち去ろうとするあいつを引き留めようとした。
だがその直後、一瞬の妖力の変化を感じ取った次の瞬間には後ろを取られていた。
慌てて背後を振り返ろうとしたときには肩を強く押され、吹きすさぶ魔力の嵐に身体を持っていかれた。
コントロールが利かないまま、城がどんどん遠ざかっていく。
最後に見えたのは、城の窓や開口部から漏れていた小槌の金色の光が失われた光景だった。
あの子が巫女に敗れた事実を否応にも理解する。
異変は、私達の下剋上は終わったのだ。
その後、私の躰は突如発生した乱気流に激しくかき回された。
気付けば先程まであった魔力の雲海が消えかけている。
眼を開けていることも出来ないまま強風に身体を打たれ続け、平衡感覚すら曖昧になったのを最後に私の意識はなくなった。
次に目を覚ました時、真っ先に感じたのは強い陽射しが肌を焼く感覚だった。
軽い頭痛を感じながらも目を開けると、昨日の嵐が嘘のような真っ青な天空がそこにあった。
本当に、終わったんだ。
この雲一つない綺麗な空、まるで今の空っぽの私みたい。
どこか他人事のような気持ちがこみ上げてくるあたり、まだ自分の心の部分は受け入れられていないのかもしれない。
だからだと思う。
眼前に広がる湖に薄く立ち込める霧の向こう側。
湖畔に横たわる妹の八橋にすぐに気付くことが出来なかったのは。
慌てて駆け寄り、声をかけると幸い彼女はすぐに目を覚ました。
彼女も私と同様に身体のあちこちを怪我していた。
一応、手足に負った傷こそ私より少ない。
代わりに服の焼け跡は私以上に激しく、痛々しい。
私が状況を説明するまでもなく、自分達が敗けたことはすぐに理解したようだった。
しばしの間無言の時間が続いたが、出した結論は同じだった。
仲間を、あの子を探しに行かなければ。
地上からの視界を遮る雲海が完全に消えていたため、城までの道のりは一直線だった。
その道中で昨夜正邪に裏切られたこと、小槌の魔力を持った同胞の道具達を持ち逃げされたことを伝えると、八橋は声を裏返して憤慨した。
「酷い……あいつ、絶対許さない!」
本人がいたらすぐにでも飛び掛かりそうな勢いだった。
「あ、姉さんはあいつになにかされなかったの!?」
「私は大丈夫よ、それよりごめんなさい。……あいつを止められなかった」
「姉さんが無事ならそれが一番だよ、早く針ちゃんも探さなきゃ」
「……ええ、そうね」
八橋が腕を振ってスピードを上げるので、急いで追従する。
正直私自身は昨夜から一晩を経て、怒りよりも悲しみの感情の方が大きくなっていた。
正邪に吐かれた言葉が棘のようにずっと胸に刺さっている。
『お前らのことは最初から捨て駒としか思っていなかった』。
もしも。
八橋はまだしも、あの子が同じ言葉をぶつけられていたら。
きっと、耐えられない。
とにかく、今は私がしっかりしないと。
手分けして城を一通り探索したが、あの子の姿はなかった。
これからどうしようかと考えていたところ、逆さ城が不気味に揺れ始めていることに気付く。
振動は徐々に大きくなり、ついには立っていられないほどになった。
このままここにいるのは危険だと判断し、私達は急いで城を離れた。
城主とも言うべき針妙丸が姿を消した影響なのだろうか。
二人で行く当てもないまま空を彷徨う。
妖怪だから当分は食べなくても平気とはいえ、徐々に飛ぶ力も限界が近付いていた。
城に残っていた食糧を持ち出しておくべきだったと後悔しながら、人間の里の入口近くに着地し膝をつく。
ここなら食べ物はある。
八橋がお腹を抑えながら弱々しい声で呟く。
「……姉さん」
「……大丈夫、ここで待ってなさい」
こうなったら最悪盗みを働いででも、と覚悟を決めようとしていたところで一人の赤髪の妖怪に声をかけられた。
黒の上着に白のジャケットとスカートが目立つ。
「あら、琵琶に琴なんて素敵な組み合わせね」
それが堀川雷鼓との出会い。
彼女は実に気さくで、面倒見のいい人物だった。
私達二人が生まれたばかりの付喪神であることを知ると、色々なことを話して聞かせてくれた。
それはここ幻想郷の大まかな力関係についてだったり、生きていく上で最低限守らなければならない暗黙のルールであったり。
聞けば彼女も自分達と同じ付喪神らしい。
普段は人里から少し離れたところにある廃墟の長屋で暮らしており、私達もそこに住まわせてもらうことになった。
そうして、今に至る。
……思えば雷鼓は、何故こんなにも自分達によくしてくれるのだろうか。
途端、あいつの言葉が再度フラッシュバックする。
『お前らのことなんて―』
うるさい。
黙れ、黙れ、黙れ!
私は乱暴に布団を被り、思考を放り投げた。
翌朝、目を覚ますと目元に微かな腫れを感じた。
指で触れてみると、おそらく涙の跡だった。
思ったよりも疲れているのかもしれない。
指先で適当に拭い、上体を起こす。
そのままいつものように枕元の琵琶に手を伸ばし、撥面に指を乗せる。
覆手や赤く光る弦にも指を滑らせると、指先に小さな温もりが沁みてくる。
それはまるで自分以外の誰かの手、人肌のような温かみ。
私も八橋も、道具だった頃のことは覚えていない。
でもきっとこれが、自分が誰かの手で弾かれた証なんだと思う。
私を、私達を弾いてくれた人がいた。
そう、信じたい。
今日は珍しく、起きたのは私が最後だった。
いつも通りに布団を外に干す。
窓を閉めて居間に戻ると、八橋がなにか言いたげにこちらを見ている。
「どうしたの?」
「あのさ、姉さん」
「うん?」
物をはっきり言うタイプの彼女にしては珍しく、歯切れが悪い。
再度聞き質そうとしたところで、玄関のドアが開かれた。
雷鼓が日課の散歩から帰ってきたようだ。
八橋があからさまに焦った様子で私を見て言った。
「ううん、なんでもない。ご飯、用意しなきゃ」
それだけ言うとそそくさと台所の方に行ってしまった。
彼女が何を言おうとしていたのかが気になる。
とはいえ、あまり悠長なことはしていられない。
とりあえずは朝食を済ませなければ。
今日も朝から演奏会が控えているのだから。
さっきのことについてはまた次に二人きりになったタイミングであらためて聞けばいいだろう。
私はそれ以上問い詰めることはしなかった。
普段通りに朝食を済ませ、昨日と同様に三人で人里を目指す。
最初こそ雷鼓の後ろをついていかないと道に迷いそうだったけど、今ではすっかり慣れた。
三人横並びで飛行を続けていると、一番右を飛ぶ雷鼓が言った。
「魔力の乗り換えからもう何日か経つけど、二人とも調子はどう?」
「はい、大丈夫です」
中央の八橋を挟んで左端を飛ぶ私が少し大きめの声で応えると、次いで八橋も元気に答えた。
「ばっちりだよ!」
私達は元々、打ち出の小槌から解き放たれた魔力によってここ幻想郷に生を受けた。
だが、雷鼓と出会ったその日にそれが有限の命であることを告げられた。
小槌の魔力は少しずつ消え始めている。
このまま放っておけばそう遠くないうちに私達は動けなくなり、元の道具に戻ってしまうと。
正直、初めて聞いた時は半信半疑だった。
でも、今思えばその兆候は確かに出ていた。
その話を聞いた日の夜、久しぶりの食事で空腹を満たしたのに躰の疲労や気怠さが完全には抜けなかった。
なにより、私達の半身たる紅い弦の光が僅かながら弱まっていた。
気のせいなんかじゃない。
多分、この時既に魔力が消え始めていたんだと思う。
翌日、私達は雷鼓に案内されるままに無縁塚という場所を訪れた。
そこには無数の道具が文字通り無造作に放り捨てられていた。
家具や書物のように用途が分かる物もあれば、何に使うのか見当も付かない変な物も多い。
特に規則性もなく、それらの散らばりようはただひたすらに混沌としていた。
雷鼓曰く「外の世界から流れ着いた」らしい。
でもなんとなく得体の知れない、不気味な場所だ。
彼女は私達と同じ楽器の付喪神。
ただ、違うのは道具だった頃の記憶をある程度持っていたことだ。
昔は和太鼓として人間に音を奏でられていたらしい。
そのおかげか、彼女は付喪神として生まれ変わってすぐに自分の身体に違和感を感じた。
この魔力は自分が生み出した物ではない、どこかから供給されたものだと。
そして私達が異変を起こしていた頃。
彼女は独自の調査でこの魔力の始点が特別な道具、打ち出の小槌であることを突き止めた。
自分でも制御し切れなくなりかねないこの魔力は、いずれ必ず失われる。
そこで彼女は一つの賭けに出た。
小槌の魔力とリンクしているのは自分の生まれながらの依り代、和太鼓だ。
ならば依り代を変えることで小槌の魔力に頼らずとも生きていけるのではないか。
そう考え、依り代を和太鼓から無縁塚で発見したドラムに乗り換えた。
その試みは無事成功し、彼女は今もその存在を維持出来ている。
ただし、当時見つけたドラムは今の依り代のように大きくなかったしもっとボロボロだったと言っていた。
つまり、新しい依り代がそのまま自分の半身に納まるわけではないということのようだ。
この話を聞き、私と八橋は考えた。
小槌の魔力に依存することなく、自分の存在を繋ぎとめられる依り代。
自分の身を預けてもいいと思える存在。
出した答えは同じだった。
まだ短い付き合いだけど、共に音を奏で時には戦いの相棒にもなってくれた大切な半身。
この紅く輝く弦楽器を捨てることは出来ない。
実はこの時、本当は声に出したいほど嬉しかった。
八橋がいつも明るくプラス思考の持ち主なのは間違いないし、それは私にとって惹かれる要素の一つだ。
ただ、どうも考えるより先に行動したがる傾向が強く私がストッパーの役割を担っている部分も大きい。
この時も、「雷鼓姐みたいに私達も依り代と同じか似た楽器を探して乗り換えればいいってことね!」とすぐに言う予感がしていたのだ。
無論その発想が的外れ、考えなしなどと言うつもりはない。
ただ、彼女が自分と同じように短い時間ながらも一緒に過ごした楽器に愛着を持っていたことが嬉しかった。
その事実はたとえ血が繋がっていなくとも、私達が姉妹であることを暗示しているように思えたから。
……それに二人一緒なら、最悪のことがあっても。
八橋がここまで考えていたのかは、分からないけど。
私達はその後二時間ほどかけ、果てしなく散らばる道具の山を掻き分け続けた。
そして、長い時間をかけた甲斐があってか私達はそれぞれ古く痛んだ物ながら、二つの弦楽器を見つけた。
手に抱えるタイプを私が、床上に置いて使うタイプは八橋が手に取った。
私の方は雨に打たれたせいか全体が腐食していたし、八橋の方は弦が二本切れていた。
外の世界で使われなくなり、忘れられた楽器だ。
勿論、これらの楽器をそのまま依り代にしたわけではない。
大切なのは楽器に込められた想い、魂。
忘却、より悪い予想をすれば廃棄という形で外の世界から隔絶されたこの子達の魂。
それをここ幻想郷が、私達の身が器となって受け入れる。
琵琶と琴。
実はこの時まで、私も八橋も人間達が使う楽器としてのそれをちゃんと見たことがなかった。
でも、不思議と迷いはなかった。
それぞれが選んだ楽器を胸に抱き、目を閉じる。
すると先程まで聞こえていた風や虫の鳴き声が止んだ。
代わりに両手で抱え込んだそれが熱を帯び、弦を弾く音が耳朶に響き始める。
張られている弦はすっかりへたれて張力などろくにかかっていないはずなのに。
「まだ音を奏でたい」、「たくさんの人に聞いて欲しい」。
そんな気持ちを現すかのように、響く音は力強かった。
どれだけの時間が経っただろうか。
気が付くと音は止み、抱いていた楽器は跡形もなく消失した。
それでも、私達の中には先程までの温もりがはっきりと残っていた。
……大丈夫、この想いは私達がこの幻想郷に、音にして響かせてあげる。
こうして、私と八橋は半身をそのままに魔力の乗り換えをやり遂げた。
人里が見えてきたところで雷鼓がぽつりと言った。
「……本当に、よかった。私が上手くいったからといって二人も成功する保証はなかったから。
本当に、よかったわ……」
いつも落ち着きのある彼女にしては珍しく、弱気な発言だ。
私達の知らないところでなにかあったのだろうか。
「もう、しゅんとしてるのなんて雷鼓姐らしくないよ! ほらほら、もうすぐ演奏会なんだから!」
八橋の言葉に雷鼓が顔を上げたところで、私も軽く頭を下げて言った。
「感謝しないといけないのは私達の方です、本当に、ありがとうございます」
「……二人に出会えてよかったわ。うん、今日の演奏会も頑張りましょう」
雷鼓の言葉に八橋はガッツポーズ、私はお辞儀で応えた。
やっぱり、これだけ親切で感情豊かな人が裏切るつもりで接触してきたとはとても考えられない。
いつか、自分達だけで十分にお金を稼げるようになったらきちんとお礼をしないと。
もう、私の魂は私一人の物ではない。
あの子、針妙丸が小槌の魔力から与えてくれた命。
名前も知らない外の世界の、忘れられた楽器に込められた奏者の想い。
みんなに恥ずかしくない生き方、しなきゃ。
演奏会は特に大きな問題もなく幕を閉じた。
最近は応援してくれるファンも少しずつ増えている。
私たち一人一人を名前で呼んでくれる人も多くなってきた。
控室を出てから人里の往来に出る。
まだお昼時だからか、道には多くの人間がいた。
川を挟んだ向かいの道を見ると寺子屋の帰りなのか、何人かの子ども達が大声で鞄を振り回しながら駆け回っている。
思えば今の生活が始まってから、のんびり買い物をするなんて初めてのことだ。
それだけで、なんだか楽しい気持ちになってくる。
十分かどうかは分からないけど、自分達で稼いだお金もちゃんとある。
昨日八橋は服やアクセサリーが見たいと言っていたからまずは呉服屋さんに行くのかな。
そんなことを考えていると前を歩いていた雷鼓が急に後ろを振り返り、真剣な顔をして言った。
「ごめん、弁々。ちょっといいかしら」
「どうしたんですか?」
「私が所属してる付喪神の会合があるんだけど、そこでちょっとした厄介事があってね」
「……厄介事?」
「人里に忍び込んで盗みをはたらいている妖怪がいるの。
それだけならともかく、それが私達付喪神の仕業じゃないかって噂が広がりつつあるの」
次に雷鼓の口から出る言葉はなんとなく想像がつく。
野放しにしていては自分達、ひいては付喪神全体が風評被害を被ることになる。
だから自分達の手でそいつを捕える、ということだろう。
勿論、ここは是非協力を申し出よう。
これまでに受けた恩を多少でも返せるかもしれない。
そう言えば、八橋が何も言わないのは何故だろうか。
こういう話にはすぐに飛びつきそうなものなのに。
さておき、私は彼女の目を見て言った。
「勿論、私も協力します」
だが、雷鼓の反応は私の予想とは違った。
彼女は片手を振り苦笑いを浮かべながら応える。
「ううん、仲間の話じゃ大した奴じゃないみたいだから大丈夫よ。ただ」
私の考え過ぎだったのだろうか。
昨日と一緒で今日も少しの間別行動、ということか。
しかし、次に飛び出した言葉は私にショックを与えるに十分な威力を持っていた。
「八橋を連れて行ってもいいかしら、実は」
「え?」
私は雷鼓の言葉に割り込む形で思わず間抜けな返事をしてしまった。
何故、八橋だけを連れて行く?
どうして私は着いて行ってはいけない?
ここに来てもなお無言の妹に視線を向けると、彼女はびくりと肩を震わせた。
でもそれはほんの一瞬のことで、すぐに破顔して滔々と喋り始めた。
「ちょっと雷鼓姐、大事な部分を言わないと姉さんがショック受けるでしょ。
……姉さん、今日珍しく起きるの遅かったよね。実は今日、何回も起こしたんだよ」
「……え?」
「……全然起きないから、ちょっと怖かった」
妹にこんなことを言われる日が来るとは夢にも思っていなかった。
これに付け加えるように雷鼓も続けた。
こちらは申し訳なさそうに先程より声を落としている。
「ごめんね。帰って落ち着いてから説明するつもりだったんだけど、この件は思ったより急を要するみたいなの。
ここしばらくずっとお休みがなかったし、きっと疲れが溜まってるのよ。だから今日は早めに帰って、先に休んでて頂戴」
まさか、自分がそこまで疲労を溜めこんでいるとは思っていなかった。
二人が嘘を言っている感じもしないし、ここで意地を張ってもいいことはないだろう。
私は大人しく二人の言葉に従った。
「……うん」
「姉さん」
「…ん?」
「泥棒なんか私がどかーんってやっつけちゃうから、姉さんはゆっくりしてて。
明日は里で甘い物いっぱい食べに行こ!」
「今日は掃除もしなくていいからね、いつも綺麗にしてくれてありがとう」
「……うん」
二人はこのまま会合に顔を出し、軽く準備をしてから盗人が連日姿を現す区域に張り込む。
雷鼓曰く、元々はこの件が落ち着き次第私達姉妹のことをグループに紹介するつもりだったらしい。
会合と言ってもメンバーは十数人で、その多くは私達と違って戦いの経験など全くない。
雷鼓は以前も仲間に危害を加えた野良妖怪を撃退したことがあるらしく、組織内で彼女が頼られているのはそういった事情もあるようだ。
さて、このまま大人しく長屋に帰るべきか。
あてもなく人里の出口に向かって来た道を引き返していると、急に後ろから声をかけられた。
振り向いて顔を見ると少女が肩で息をしていた。
初対面だが、その容姿から彼女が人間でないことはすぐに分かった。
手に持った紫色の和傘にはぎょろぎょろとこちらを見つめる大きな一つ目。
ライトブルーの髪に左右でそれぞれ色の違う瞳。
「……誰?」
私の問いに彼女はよくぞ聞いてくれた、と言わんばかりに傘を振り大仰な身振りを交えて答えた。
「私は多々良小傘! 貴女と同じ付喪神よ」
もしや、彼女も雷鼓の言う会合のメンバーの一人だろうか。
とりあえず、探りを入れてみる。
「……貴女も、小槌の魔力で生まれたの?」
「ううん、私はずっと昔からこの姿。ねえ、ここじゃなんだしちょっと入ろ」
小傘はそう言って通りの少し先にある茶屋を指差し、私の手を引っ張った。
「え、ちょっと」
彼女に先導されるまま、私は四人掛けのテーブル席に向かい合う形で座らされた。
「ねえねえ、今日は演奏会あったの?」
どうやら相手は私のことをある程度知っているようだ。
一見すると危険な雰囲気は感じられない。
むしろ先程ずっと昔、という言い方をしていた割にはどこか子どもっぽささえ感じる。
相手の思惑は分からないが、今すぐ帰らなければならない理由も無い。
私はとりあえず質問に答えた。
「うん、丁度さっき終わったけど」
すると彼女は残念そうに言った。
「あー……。急いで仕事終わらせてきたのに」
もしかして、これまでにも来てくれたことがあったのだろうか。
普段から極力ファンの顔は覚えるよう努めているのに全く記憶にない。
しかし、こんなに目立つ容姿の彼女を覚えていないなんてことがあるだろうか。
「……もしかして、来てくれたことあったの? もしそうなら……ごめんなさい」
「ううん、会うのは今日が初めてだよ。本当はちゃんと客席で聴きたいんだけど……」
聞けば彼女は人を驚かせ、恐怖心を食べることを生き甲斐とする唐笠お化けだった。
普段はそれ以外に鍛冶やベビーシッターもして生計を立てているらしい。
特に鍛冶の仕事は人妖問わず依頼が入ってくるとのことで、その腕前は本物なのだろう。
ベビーシッターの方も、一部の親御さんからは定期的に依頼を受けている。
しかしこちらはまだまだ賛否両論というところなのか、一部の区域の大人達からは「人攫いの怪しい傘妖怪」と酷い噂を立てられることもあるのだとか。
そのため彼女は日中の人里の催事にはあまり表に出ないようにし、私達の演奏も屋根裏からこっそり聴いていた。
なんにせよ、自分達の演奏を気に入ってくれていたことは私を嬉しい気分にさせた。
「ありがとう、嬉しいわ」
「えへへ、もし刃物が痛んだら私に言ってね。ぴかぴかにしてあげるから」
小傘はそう言いながら得意げに微笑む。
自分の特技を生かして人間とここまで共存出来る。
こんな付喪神とは初めて知り合った。
下剋上を企てた私達とは正反対。
でも、彼女は今幸せそうに見える。
こういう生き方も、あるんだ。
そこまで思考を巡らせたところで、私は話を戻そうとした。
「……えっと」
私が言わんとしていることを汲み取ったのか、小傘が慌てて言った。
「あっ、ごめん。声をかけた理由なんだけど」
彼女はそう言って一呼吸置いてから話し始めた。
「私、実は付喪神同士が情報を交換する会合に参加してるの。もしかして、弁々も知ってる?」
「うん、雷鼓も所属してるのよね」
「そうそう。私と雷鼓を入れて十六人のグループなんだけど、最近ちょっと物騒なことが起きてるの」
「もしかして、盗人が出た件のこと?」
「うん、そうなんだけど……雷鼓がちょっと」
話が不穏な方向に進んでいる気がする。
おそらく私達三人と違い、小傘はかなり前からこの辺りで暮らしている。
付喪神としては先輩、と言える。
だが彼女も雷鼓もかなり人当たりは柔らかいタイプに見え、仲違いを起こすイメージはあまり沸かない。
嫌な予感がしつつも、私は続きを話すよう促した。
「この前私達で一番小さい、筆の付喪神の子が盗人の目撃情報をくれたの。
深夜に米や野菜の貯蔵庫がある通りの近くを人影が猛スピードで通り過ぎたのを見た、って。
実際に翌日人間達が集まって騒いでたから、私もその人影が犯人だった可能性は高いと思ってる。
夜間だったし、グレーの外套と笠で顔も見えなかったみたいだけど」
「走りが人間には無理な速さだった、ということね」
「うん、前にそこの近くの民家でも何度か盗みの被害が出てたからこれも同じ妖怪がやったんだってみんな言ってるわ。
ただ、うちのグループは荒事なんてしたことない子ばっかりだし私もあんまり強い方じゃないの。
それでどうしようかって話をしてたところに雷鼓がやってきて」
「……なんて言ったの?」
「……『教えてくれてありがとう、もう大丈夫。そいつは確実に絞める』って」
そこまで言い終えた小傘の顔色は先程より青ざめている。
先の台詞も、顔すら知らない盗人一人に対するものにしては中々に物騒だ。
一体、どういうことなのだろうか。
言葉を失う私に、小傘が付け加えた。
「勘違いしないでね、雷鼓は普段はとっても優しいの。
戦えば私達の中で一番強いし、メンバーが他所の野良妖怪に襲われたところを助けてくれたこともあったの。
だから、あんなに怖い言い方にちょっとびっくりしちゃって……」
「……グループのトップは雷鼓なの? それとも小傘?」
「一応私が一番長くいるからみんなにお願いされたことはあるけど……私そういうの、苦手なの。
みんな同じ立場で、のびのびお話したいし」
今日会ったばかりだが、確かに彼女は積極的に前に出るのが好きなタイプには見えない。
リーダーが不在の組織。
そのメンバーは皆盗人に困らされている。
そこに「私が退治する」と雷鼓が現れれば、諸手を振って任せるのは必然だろうな、と思った。
「じゃあ私に声をかけに来たのは?」
「……なにか、嫌な予感がするの。
これまでに一度も姿すら見せたことがなかったのに急に目撃情報が上がってきたのも変だし、
普通の人型の妖怪が立て続けに同じ区域を狙ってくるのも、ペースからして食べるのに困った妖怪がやってるとは思えないわ」
どうやら狙われる物には全く規則性がなく、量も少しだけしか盗まれないらしい。
「……それは確かに、そうかもしれないわね」
「……ごめんね。いきなりこんなこと言われても困ると思うけど、
グループの子達はこれでもう安心だって浮かれてしまってて相談できる相手もいなかったの」
「それで、雷鼓と一緒にいる私のところに来たのね」
「……うん」
仮に今日これから二人を探し出し、説得出来たところで代替案がなければ被害は続く。
そうなればやはり食糧庫周辺を張り込むべきじゃないか、と言われるだろうしそれを否定出来る強い根拠もない。
私が黙っていると、小傘がさらに言った。
「そうだ、それからこれ……」
小傘は鞄から四つ折りにした紙片を取り出し、テーブルの上に広げた。
それはいつのものだろうか、新聞記事を切り抜いた物だった。
そこには白黒で映りこそよくないものの、あの子の姿があった。
私達の生みの親、少名針妙丸。
そしてその隣にいた人物は先日の異変で私達を打ち倒した博麗の巫女、博麗霊夢その人だった。
背景もほとんど見えないが、これは神社の縁側で向かい合っているのだろうか。
引きの構図で撮られているため、二人の表情は全く読み取れない。
それに気のせいか、あの子が異変の時よりも小さく見える。
見出しから記事の本文と読み進めていくと、どうやらこの書き手は取材をしたというより遠目から撮影をしただけのようだ。
「博麗神社に小さな同居人、巫女との関係は」という見出しの通り、詳しいことは分かっていないも同然の内容。
「これ、どういうこと? どうしてあの子が巫女と一緒にいるの!?」
私の問いに小傘は気圧されたように肩をびくりとさせた。
慌てて気を沈め、声を落として謝る。
「あっ、ごめんなさい……大きな声出して」
「ううん、大丈夫。……えっと、これはついさっきうちのグループで古本屋に住み着いてる子が新聞からこっそり切り取ったのを渡してきたの。
雷鼓から針妙丸って子の情報が見つかり次第楽団のメンバーに教えて欲しいって言われてたから」
これも雷鼓が裏で動いてくれていたおかげなのか。
とにかく、あの子が無事であることは私を安堵させた。
よかった、本当によかった……。
私は頭を下げて小傘にお礼を言った。
「……よかったわ。ありがとう、小傘」
「……大切な人なんだよね」
「え?」
「雷鼓から聞いたの、弁々達を生んだのがその子なんだって」
「……うん」
勿論、八橋との姉妹関係と同様に血のつながりがあるわけではない。
だが、彼女の弱者が平和に暮らせる世界を創りたいという願い。
私達がその想いから生まれた存在であることに変わりは無い。
依り代が変わっても。
魔力の基が変わっても。
ずっと、ずっと。
早く、会いに行きたい。
あの子がどこまで現状を知っているかは、分からない。
きっと心細い思いをしているに違いない。
写真を見てもよく分からないけど、もしかしたらあの巫女からひどい扱いをされているかもしれない。
記事の切り抜きを握る手に力が入る。
しかし、盗人の件はどうするか。
私達の中で頭一つ抜けて高い実力を持つ雷鼓が盗人ごときにそう易々と不覚を取るとは思えない。
小傘が不安に思う気持ちも分かるけども。
ああでもないこうでもない、と考えている私に小傘が呟くように言った。
「……行ってあげて」
「え?」
「たった一人のお母さんなんでしょ? だったら早く行ってあげなきゃ」
お母さん、という言葉。
他人に言われると不思議と妙なくすぐったさを感じてしまう。
「でも、小傘がさっき言ってたことは」
小傘は言葉とは裏腹になんでもないことのように応える。
「うん、心配だよ。でもそっちは私も出来る範囲で注意してるから。それに……」
一度言葉を切った後、静かな口調で続けた。
「私もその子に、会ってみたいな。ね、今度紹介してくれる?」
「……勿論よ、小傘は私達の先輩なんだから」
行こう。
行って、あの子の無事を確認しないと。
それに、妙な胸騒ぎがする。
異変は、私達の下剋上は確かに一度幕を閉じた。
でもまだなにかが、終わっていない。
ふと、ある一つの仮説が頭に浮かぶ。
小槌の魔力は既に失われつつある。
だが、全てではない。
これが意味することは。
この考えが正しいかどうか、それを知るためにも。
私は小傘にお礼を言い、人里の出口に向かって駆け出した。
門を出てすぐに地を蹴り、飛行を開始する。
高度を十分に上げたところで神社がある目印の森を目指し、ひたすらに前進する。
目的地は先日見た地図で言うとこの幻想郷の東端に位置するらしい。
風を切る音が甲高く聞こえるほどの速さで飛んだのは先日の異変以来かもしれない。
あの後、小傘は彼女が知っている範囲で逆さ城が現れてからの世情についても教えてくれた。
鬼人正邪は現在も逃走を続けており、既に一部の区域ではお尋ね者として指名手配されている。
(ついでに私達姉妹のことについても聞いてみたが、演奏以外は特に話題になっていないとのことだった)
小傘に記事の切り抜きを渡した付喪神は十年以上も前から同じ古本屋に住み着いている。
店主と客の会話を盗み聞きしたり、夜中に店の新聞をこっそり読み漁ることで日々情報を集めているらしい。
今度、直接お礼を言いにいかないと。
一つ確かなのは世間は決してあの子、針妙丸と鬼人正邪を同じ立場としては見ていないということだ。
もし二人とも指名手配されているなら、あの巫女が先に捕まえた針妙丸を拘束もせず一緒に暮らしているのはおかしい。
黒幕はあくまで鬼人正邪。
世間の目はそう捉えている。
針妙丸は今、何を思っているのだろう。
私のように直接言葉をぶつけられたわけではないとは言え、既に薄々気付いているはずだ。
自分は神社に留め置かれ、正邪は指名手配されている理由に。
あの博麗の巫女が大人しく私を迎え入れてくれるとは思えないし、先日の惨敗を思い出すと正直怖い。
でも、ここ数日で私なりに学んだこともある。
急ごう、あの子のもとに。
眼下に広がる森林地帯を注意深く眺めていると、赤い鳥居が視界に映った。
あそこだ。
私は覚悟を決め、一気に手前の石段に向かって急降下を始める。
足が着く寸前でブレーキをかけ、静かに着陸する。
小石が軽く宙を舞った。
鳥居を潜り、境内に足を踏み入れる。
縁側、賽銭箱、離れと順に視線をやるも誰もいなかった。
ふと、縁側の方でなにかが動いたように見えた。
慎重に一歩一歩近付くと、それが私の探していた人物の後姿であることに気付く。
綺麗な着物にお椀の帽子から見え隠れする薄紫色の髪。
写真で見た通り、背丈が異様に小さいのは気のせいではなかった。
一体、どうしたのだろうか。
とにかく。
やっと、やっと会えた。
ようやくの再会に喉元から緊張しているのが分かる。
声をかけようとしたところ、背後から声がした。
「あんた、なにしてんの」
腰が抜けた。
同時に「ひっ」と間抜けな声も漏れ出てしまう。
慌てて振り向くとそこにいたのは箒を持った博麗の巫女。
気配はなかったはずなのに、全く気付けなかった。
私が言葉を失っていると、針妙丸がこちらをくるりと振り向く。
そして、口をぱくぱくさせる私を見て、頬を緩めるとそのままとことことこちらに向かって駆けてくる。
着物の裾を握って転ばないようにしている姿が可愛らしい。
「弁々!」
私は彼女をそっと抱きかかえた。
その背丈は私の膝にも届かない。
異変の時から半分ほどに縮んでしまっている。
話したいことは山ほどあったが、今は早急に済ませなければならないことがある。
嬉しそうに白い歯を見せて笑う彼女を一旦静かに縁側に下ろし、霊夢の方に向き直る。
落ち着き払った表情からこの巫女が何を考えているかを窺い知ることは出来そうにない。
あからさまに警戒しているわけでも、かと言って歓迎されているわけでもない。
私は一歩近づき、ポケットから硬貨を二枚取り出してから一息に言った。
「お祈りがしたいんだけど、いいかしら」
すると霊夢ははっきりと笑顔を見せ、本堂の前を指差した。
「いらっしゃい、素敵なお賽銭箱はそこよ」
「暑かったでしょ、はい」
「あ、ありがとう」
今、私は針妙丸を間に挟む形で霊夢と縁側に腰かけている。
「お賽銭を持って行けば大丈夫」という小傘のアドバイスに内心で感謝した。
よく冷えた麦茶が乾いた喉を潤してくれる。
私が器を置いたところで、霊夢が言った。
「で、どうしたの? あの天邪鬼の情報でも持ってきてくれたの?」
思わず針妙丸の方を見たが、視線が下に向いておりその表情は見えなかった。
霊夢の口ぶりからして既にこの子も事の真相を知っているということなのか。
私は慎重に言葉を選んだ。
「……いいえ、あれから一度も会ってないわ」
「ま、そうよね。もうすぐ正式に捕縛のお触れが出るからいずれ捕まるでしょうけど」
「お触れ?」
「ええ、詳しいことは私もまだ聞いてないけど」
ここ幻想郷には私なんて全く太刀打ち出来ないほどの強者が多くいることは知っている。
それらが一斉に捕縛に乗り出すとすれば、正邪も逃げきれないのではないか。
相変わらず、無言のままの針妙丸が気になる。
さっき見せてくれた笑顔は、異変の時となにも変わらなかった。
子どもらしい、飾り気のないそれは異変での戦いに臨む私達姉妹に不思議と勇気を与えてくれた。
本心が気になる。
動悸が激しさを増してくるが、話を聞かないことにはなにも分からない。
会話が一段落し、霊夢がお茶請けを取りに炊事場に行ったタイミングで声をかける。
「……針妙丸」
私の言葉に、針妙丸がゆっくりと顔を上げる。
被っていたお椀を脱ぎ、整ったショートヘアが露わになる。
「……来て、くれたんだね」
「……ごめんね。こんなに遅くなってしまって」
「……ううん、いいの。八橋も元気?」
「ええ、今度連れてくるわ」
「人間の里で演奏会、やってるんだよね」
「知ってたの?」
「うん、この前霊夢が教えてくれたの。ドラムの付喪神の子も一緒なんだよね」
どうやら私達の動向については霊夢が教えているらしい。
巫女というだけあって人間の里にも出入りしているのだろうか。
ここまで言葉を交わした限り、精神的に不安定ということはなさそうに見える。
少し踏み込んだことについて尋ねてみようか。
そこまで考えを巡らせたところで、針妙丸が言葉を続ける。
「……弁々、ごめんね」
思いがけない謝罪の言葉に、私は動揺した。
「どうしたの?」
「……私、小槌の魔力のこと、全然分かってなかった。
弁々と八橋が、小槌の魔力と一緒に消えてしまうなんて、知らなかった。
私、とんでもないことをしたんだって」
「それなら、もう私も八橋も新しい依り代に身体を乗り換えたから平気よ」
「でも、もしその呪法を知っている人に出会えてなかったら……」
確かに、考えてみれば針妙丸の言う通りではある。
私も八橋も、雷鼓に依り代を変える呪法を教わらなければ。
おそらく身動き一つ取れなくなり、最後には消滅していただろう。
でも、私は今ここに至るまでそのことをただの一度も考えなかった。
八橋だってそうだ。
雷鼓の導きで新しい依り代を得て、無事私達姉妹は「今」を手に入れた。
きっとその時点で私達にとって、消滅の危機は振り返るに値しない過去と化していたのだと思う。
「この小さくなった身体も、きっと罰が当たったんだ」
彼女の消え入りそうな呟きが聞こえた。
確かに、以前は私の腰ほどまであった身長が今では半分以下になっている。
でも、それはあくまで小槌の魔力を解き放った代償に違いない。
彼女が真相を知らなかったことに対する罰などでは、断じてない。
初めて会った日の宴会で、お酒に酔った八橋が膝に乗せて可愛がってたっけ。
私は考えるより先に、針妙丸の小さな体を両手でしっかりと抱きかかえた。
着物越しでもたしかな温かさが伝わってくる。
彼女は抵抗こそしなかったがびっくりしてこちらを見上げてくる。
私は目線を逸らさずにゆっくり、しかしはっきりと言った。
そうだ、私も本当はこうしたかった。
あの時はつい八橋に遠慮したんだった。
「……かわいい」
私の呟きを聞いた途端、針妙丸の小さな白い頬は真っ赤に染まった。
「え、え?」
「今の姿、私は好きよ」
「え、ちょっと、一体何言ってるのさ」
「ねえ」
私が一度言葉を切ると、彼女は相変わらず口元をあわあわさせていた。
構わずに続きの言葉を紡ぐ。
「私、針妙丸に生んでもらって本当に幸せよ。貴女のおかげでたくさんの素敵な仲間に出会えたんだもの」
「……弁々」
「確かに私達は消滅するかもしれなかった。けど、私も八橋も消えなかったわ。
それは、雷鼓さんとの出会いのおかげね。でも、私達が仮に依り代を何度変えたとしても」
人里で赤ちゃんを抱くお母さんが、こんな風にしていたのを思い出す。
針妙丸を肩の高さまで抱き上げて続ける。
「私のこの命は、貴女からもらったたった一つの大切なものなの。
だから、貴女がそんな風に悲しい顔をしているのは見たくないわ」
肩越しに嗚咽混じりの掠れた声が聞こえてくる。
針妙丸の柔らかい髪をそっと撫でた。
「ひっく、うぅっ……」
「……大好きだよ、お母さん」
「あら、もう話は済んだの?」
針妙丸が落ち着いたところで丁度霊夢が戻ってきた。
手に持った盆にはお饅頭が三つ乗っている。
きっとタイミングからして気を遣ってくれたのだと思う。
先日の異変で対峙した時の風景が追想される。
輝針城に続く雲路での、一騎打ち。
こちらが仕掛けた弾幕は全て悠々と避けられ、気付いたら距離を詰められていた。
最後の攻撃のつもりで放った大量の光線型の弾幕も、彼女の放つ無数の光弾によってあっけなく撃墜された。
文字通りの、完敗。
「あっ、お饅頭!」
すっかり元の調子に戻った針妙丸が盆に乗ったお饅頭を見つめている。
すると霊夢が盆を縁側に置いて言った。
「はいはい、今切ってあげるから」
そのまま一緒に持ってきた短めの包丁で三つのうちの一つを四等分した。
受け取った針妙丸が口を大きくあけて頬張り始める。
その幸せそうな表情に自然と自分の口元が緩んでいるのが分かる。
霊夢は残った二つのうち一つを指差して言った。
「もう一つはあんたの分よ。運がよかったわね、丁度三個しか残ってなかったから」
「あ、ありがとう。いただきます」
「せっかく買ってきてもいろんなのが来てすぐ減っちゃうのよね、まったく」
霊夢はそう言いながら自分もお饅頭を食べ始めた。
その姿は彼女も平時は普通の人間の少女なのだということを私に改めて認識させた。
思えば彼女は私が心配したような、針妙丸へのひどい扱いなどしていなかった。
それどころか私に対してもまるで普通の客のように接してくれている。
(これは多分お賽銭のおかげかもしれないけど)
針妙丸も決して霊夢に怯えたり、毛嫌いをしている様子はない。
もしかしたら、鬼人正邪から裏切られた精神的ショックを軽減する役割を彼女が担ってくれていたのかもしれない。
霊夢がそれを意識しているのかどうかは、分からないけど。
この神社には人間の参拝客こそ少ないが妖怪の出入りは多い、と小傘が言っていた。
人と妖怪の違いはあれど、彼女がいろんな縁を持っているのはこういった面があるからなのかもしれない。
お饅頭を食べ終え、残っていた麦茶で喉を潤す。
さて、後はあの裏切者の件だけ。
ふと、頬に餡子をつけて満面の笑みで饅頭にかじりつく針妙丸が視界に入る。
彼女の古傷を抉る話なだけに、話題に出しづらい。
かと言って、話すならさっさとしないとそろそろ夕陽も沈みかけている。
夜道は危険だし、小傘が言っていた件もある。
針妙丸がちょうど一切れ目を食べ終えたタイミングで、私は意を決して口を開いた。
「……針妙丸」
「なあに?」
「気を悪くしたらごめんなさい。その、裏切ったあいつのことだけど」
「……ひどいよね」
「……針妙丸?」
「私、楽しかったの。こんなこと言ったら霊夢は怒ると思うけど、異変を起こしてたあの頃が。
みんなで下剋上を目指していたあの頃が、本当に楽しかったの」
ちらっと視線をやると霊夢が自分の分の麦茶を飲み終えてからすまし顔で言った。
「聞かなかったことにしてあげるわ」
そのまま盆を持って立ち上がり、炊事場の方に歩いて行く。
彼女の後姿が見えなくなったところで、私は応えた。
「……私も、楽しかったわ。八橋以外で初めて出来た友達、仲間だから」
「さっき、言ってくれたよね。私のおかげでたくさんの仲間が出来た、って。
私にとっては、弁々と八橋がそうなんだよ。……だから」
針妙丸が一呼吸置いて続けた。
「私、異変が失敗したことよりも、みんなが離れ離れになったことの方が、悲しかったの。
霊夢には勝てないって分かった時、心のどこかで思ってしまってたの。それでもみんなが一緒なら、大丈夫、って。
だから……」
「針妙丸……」
針妙丸が着物の袖で目元を拭って言った。
「最初は、ずっと泣いてたの。でも、弁々と八橋のことを思い出してたら、泣いてばかりいちゃだめだ、って思えたの。
いつかもう一度会えた時に、かっこ悪いところは見せられないもん」
私達の母は、想像していたよりもずっと強かった。
自分が長い間一緒にいた相手に裏切られたこと以上に、私達がバラバラになってしまったことを悲しんでいるとは思っていなかった。
あいつの去り際の言葉が今も記憶にこびりついている私よりも、ずっと立派だった。
私は彼女の髪をそっと撫でた。
針妙丸が嬉しそうに頬をほころばせる。
「えへへ」
彼女曰く、既に各地で小槌の魔力が消え始めているらしい。
とはいえ中には未だ力が残っている道具もあり、完全に消えるのはまだまだ先になると思う、とのことだった。
私は今日の小傘とのやり取りと、里に現れた盗人が異様なペースで食糧の貯蔵庫周辺を荒らしていることについて話した。
犯人と見ている人物についてはあえて言わなかったが、彼女の顔つきは私の考えに見当が付いているように見える。
「……正邪が弁々から逃げる時、魔力の籠った道具を持ち逃げしたって言ったよね」
「……うん、袋に包まれてて見えなかったけど命の気配は七つか八つあったわ」
「多分、正邪の狙いは―」
私と針妙丸の考えは一致していた。
最後に彼女の小さな指を握り、私は言った。
「……私、行くわ」
「……弁々、もし正邪に会ったら」
続きを促す意味で彼女の顔を見返すと、俯いたままその小さな手を震わせている。
やがて、顔を上げて言葉を続けた。
「――」
その言葉に、私は思わず言葉を失った。
「……ごめん。でも、私どうしても」
「……うん」
分かってる。
あいつは、ひどい奴よ。
貴女を傷つけて、なんの罪もない道具達を攫って。
私も八橋も裏切って。
みんなにこんな辛い思いをさせて、本当に最低で、ひどい奴。
だから―
私は針妙丸にお礼を言ってから、神社を発った。
既に日は暮れており、あともう半刻もすれば幻想郷に暗い夜が訪れるだろう。
幸い、帰り道が完全に分からなくなる前に人里が見えてきた。
私とあの子の考えは一致していた。
問題は、あいつが目的とするであろう区域に先に張り込めるかどうか。
普段は決してしないことだけど、高度を下げずに人里上空をそのまま飛行する。
日中に妖怪がこんな真似をすれば大騒ぎになるかもしれないから。
こちらに敵意、害意がなくとも関係ない。
未知の存在に対する恐怖心は、憑りついた者の心を一瞬で堅牢な鉄の檻へと変える。
幸い、もう遅い時間だからか商店はその大半が店を閉め、往来は閑散としている。
昼間に小傘と入った茶屋が目に入る。
既に営業は終了しているのか、灯りはついているが客の気配はない。
そのまま通り過ぎようとしたところ、私は慌ててブレーキをかけた。
今日は雨どころか雲一つない快晴だった。
そんな天候に不似合いな大きな傘を広げる知人を私は一人しか知らない。
高度を下げていくと、傘の一つ目が瞳を小さく収縮させた。
傘が下ろされたのと私が往来に着地したのはほぼ同時だった。
そのまますぐに傘の主に声をかける。
「小傘」
私の声に驚いたのか彼女は傘を落としそうになった。
「ひゃっ!」
「貴女が驚かされてどうするのよ。それより、会合の方は?」
小傘は小さく首を横に振って答えた。
「いつもの集合場所に行ってきたんだけど、やっぱりみんな雷鼓の行先は知らないって」
やはり雷鼓は今日も同じ区域、人里の東側に位置する食糧庫周辺に盗人が来ると考えているのだろうか。
食糧庫や書庫は十、二十ではきかないほどのいくつもの建屋に分かれ、それらはある程度ばらけた位置に建てられていると聞いている。
人里には一応自警団があり、夜間は見回りをしている。
しかし、彼らは原則民家の多い地域を優先する。
人数自体もかなり少なく、貯蔵庫の方まではとても手が回っていないのが実情だ。
私は神社に行ってからのことと合わせて、自分の考えを告げた。
小傘が結論を出すのは早かった。
「……私も、そう思う。多分、泥棒の狙いは食べ物じゃないよ」
控えめながらはっきりと答え指差した先は道具、資材の保管庫がある方角。
間髪を入れずに私は言った。
「行こ、小傘」
「……うん!」
私達が地を蹴ったのは同時だった。
小傘が指差した方向を目指す。
私と針妙丸の読み通りなら、今日あいつは東の食糧庫の方には来ない。
何度も同じ場所で騒ぎを起こして。
それまで姿一つ見せない完璧な立ち回りをしていたのに不自然に一度だけ姿を晒して。
そこまでして注意をそっちに引く狙いはきっと。
ふと気になったことを小傘に尋ねる。
「……そういえば、いつ頃からあの店で待ってたの?」
「集合場所から戻ってからだから、多分四時間ぐらいかな」
小傘はなんでもないことのように平然と口にした。
当然ながら、私は彼女と待ち合わせなどしていない。
そもそも、考えてみれば昼に初めて会った時後で戻ってくると答えたわけでもない。
今日会ったばかりの自分をそこまで信じて待っていたことに、私は動揺が隠せなかった。
「……ずっと、待ってたの?」
「……ごめん、言い出しっぺなのに。私、心細かったの。
資材庫に一人で行くかどうか、正直迷ってた。
でも、弁々ならきっと来てくれるって、思ってたから……」
私は片手を傘の柄に、もう片方の手を彼女の手に重ねて言った。
「……その、えっと、お待たせ」
「えへへ、おかえり」
「……無事あの子にも会えたわ、今度小傘にも紹介しなきゃね」
小傘は嬉しそうに私の手を握り返して言った。
「いつでも呼んで。……私、待つの得意だから」
そのまま目的地がある人里西側に向かって飛行を続けていると、段々と長屋や民家が少なくなってくる。
足を運ぶのは今日が初めてだけど、目的の倉庫がある区画はもうすぐのはずだ。
そこまで考えを巡らせたところで、木造の大きな建屋が見えてきた。
ここには様々な道具や資材が保管されている。
建屋は三階建てぐらいの高さで四棟が固まっているのが遠目からでも確認できた。
飛行したままこれ以上近寄るのは不味い。
小傘の案で一度高度を下げ、一番近い倉庫から別の家屋二軒を挟んだ路地裏に身を隠すことに決めた。
この二軒はどちらも荒れ放題で人が住んでいるようには見えない。
人里の地理に明るい小傘の知識に感謝しつつ、二人同時に高度を下げようとした。
次の瞬間、こちらから見て最も遠い建屋の裏口でなにかが蠢いた。
目で追った矢先、人影は革袋片手に地を蹴り、飛び上がった。
グレーの装束を纏ったフード姿は小傘の言っていた人相と一致する。
そしてこの幻想郷で空を飛べる者は一部の例外を除いて人外と相場が決まっている。
あいつは十中八九妖怪だ。
それに、はっきりと感じ取れる。
あいつの握る袋の中で胎動する命の気配。
小槌の魔力で力を得た道具に間違いない。
人影は袋を抱えるように持ち替え、人里の外に向かって飛行を始めた。
その軽快な身のこなしに、一瞬だけ見えたメッシュの入った前髪。
犯人の正体が推測から確信に変わる。
全力で飛行するのは見たことがないけど、私より速いかもしれない。
少なくとも、大きな傘を抱えた小傘が追い付ける速さではない。
「みんなにこのことを知らせて」
小傘は一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐに口を引き結んで応えた。
「……無理はしないで、絶対帰ってきてね」
「ええ」
短く応え、再び高度を上げ人影の後を追い始める。
コントロール出来るギリギリの出力を維持しつつ、私はひたすらに飛行を続けた。
あいつは脇目一つ振らない。
気付かれるリスクはあるが、空中で隠れる場所などないし少しでもブレーキをかければ見失いかねない。
私は必死に後を追いかけた。
風圧が肌を容赦なく打ち叩いてくる。
不味い。
このままでは引き離される。
逃がすわけにはいかない。
逃がさない。
針妙丸との、母とのやり取りが追想される。
私達の大切な人を傷つけて、なんの罪もない道具達を攫って。
私も八橋も裏切って。
みんなに辛い思いをさせて、本当に最低で、ひどい奴。
だから私はあいつを―
私はあいつを、どうしたい?
八橋は得られた「今」を全力で生きている。
雷鼓は行き場のなかった私達に手を差し伸べてくれた。
……今なら分かる、雷鼓が会合の仲間の前で小傘を怯えさせるほどの迫力を見せた理由。
おそらく、二人も泥棒の正体に気付いている。
八橋は裏切られたことに強い怒りを露わにしていた。
きっと雷鼓も同じ、仲間の道具達を悪事に巻き込もうとするあいつが許せないのだと思う。
不意に先ほどまで手を握っていた友人の姿が追想される。
多々良小傘。
彼女は人と共存する妖怪の生き方、私が知りもしなかったそれをその身を持って教えてくれた。
そして、雷鼓に負けないぐらいに友達想いの優しい妖怪だ。
動く動機は雷鼓と同じに違いない。
付喪神の仲間たちを案ずる気持ち。
ただ、彼女はおそらく犯人の討伐、捕縛よりも仲間の身を第一に考えている。
針妙丸は悲しみに打ちひしがれながらも、前を向いて生きる決意をしていた。
そして彼女は私にある願いを言った。
―じゃあ、私は?
私自身は、本当はどうしたい?
一体、誰が正しい?
私は今、なんのためにここにいる?
私の本当の気持ちはどこにある?
じりじりと引き離され、気付けば最早「あいつ」の姿は微かな輪郭しか見えない。
人間の里を抜けてしばらく経つのにスピードを緩める気配もない。
これがあいつの普通の速度なのか、それとも既に私の存在に気付き撒こうとしているのか。
微かに水の音が聞こえることから、近くを河が流れていることだけは分かる。
だが、私にとって幻想郷は人里の周り以外のほぼ全てが未知の世界。
今も既に自分がどこを飛行しているか、分かっていない。
帰り道がない以上、最早後を追う以外の選択肢はない。
その直後、前方を飛行していた「あいつ」との距離が不意に縮まった。
だが、その意図を考えるだけの猶予が私に与えられることはなかった。
目の前に強い白光が広がる。
反射的にかけた急ブレーキの反動で身体が強く揺れた。
弾幕か、それともまさか爆発物か。
横に飛びのこうにも、バランスを崩した私の躰はコントロールが利かない。
直後、両手は無意識に顔面を庇っていた。
だが、予想していたような熱や衝撃はなかった。
数秒の後に腕を下ろし、ゆっくりと眼を開ける。
眸に焼き付けられた黒く眩い残像が視界を著しく制限する。
両目をかきむしるように擦り、周囲を見回したが「あいつ」の姿は完全に消えていた。
あいつは私が後を追ってきていることにはとっくに気付いていた。
多分、今のは照明弾かなにかだったのだろう。
このままでは逃げられる、そう思いながらも眼を閉じ意識を集中させる。
同胞の気配を感じることが出来れば、きっとまだ後を追える。
思った以上に冷静な自分がまるで他人のようにすら思えてくる。
そうだ、私に帰り道はない。
とことんまで前に進むしかないんだ。
網膜に焼き付いた残像がようやく消える。
瞳の中に広がる黒い世界に、微かな紫色の光が灯る。
間違いない、あの子が振った小槌の魔力。
手を伸ばし、目を開けたがそこにはなにもなかった。
眼前に広がるのは幻想郷の暗い夜空だけ。
それでも、私は確信を持って自分の手が指し示す方角に向かって飛行を再開した。
まだ、生きている仲間がいる。
あの子が解き放った魔力を受けた子達が。
時折目を閉じ気を静めると、紫色の光はその存在を確かに示してくれた。
少し進んでは目を閉じ、少し進んでは目を閉じ、を繰り返すうちにやがて光との距離が縮まってきた。
そしてついに、先程までは不規則な動きで揺れるように浮遊していた光の動きが完全に止まった。
地面に降りて息を整える。
そのまま再度目を閉じて意識を集中させると、林の奥で光が大きく明滅を繰り返している。
再び動き始める気配はない。
私は一分ほどその場で気を落ち着かせた。
やがて意を決し、奥に向かって歩を進める。
今日一日でかなりの距離を飛行したのもあって、身体ははっきりと休息を求めている。
それでも、立ち止まっている余裕は無い。
しばらく進むと、そこには小屋があった。
大きさはかなり小さい、六帖ほどだろうか。
屋根も壁も老朽化が激しく、塗装はほとんど落ちてしまっている。
だが四方のうち二面に設けられた窓からは灯りが漏れ、ここに誰かがいるのは間違いない。
眼を閉じると、案の定そこには同胞の纏う紫色の光があった。
それもその数は先程までより、遥かに多い。
私は確信した。
ここはあいつの隠れ家で、今日盗んだ道具以外に逆さ城から持ち出された道具もここに置かれているんだ。
ようやく、ここまで来た。
あいつの気配は感じ取れないけど、それでも間違いない。
こちらをここまで素通しして灯りも点けているあたり、一度振り切った私がここまで来たことにはまだ気付いていないはずだ。
一先ずは様子を見ようと、慎重に入口と思われる勝手口に近い方の窓に近づく。
もし運悪く目が合ったら、覚悟を決めよう。
正直、自分が本当はどうしたいのかは、未だに分からない。
でも、今確実にやらなければならないことははっきりしている。
仲間達を、取り戻す。
同胞達を悪事に加担させるわけにはいかない。
犯人に最も近い場所にいるのは、私なんだから。
私は足音を立てないように窓からそっと中を覗いた。
そこにあったのはあいつ、鬼人正邪の後姿だった。
畳上に腰を下ろし、手元で何かを動かしている。
角度を変えて覗き込むと、布巾で何かを磨いている。
四角くて小さい箱のような形をしたそれは、多分天狗が用いるカメラという道具だったと思う。
彼女の左手側には他にも多くの道具が置かれている。
その中には今日盗んだと思われる物も含まれていた。
そして右手側には磨き終えた物なのか、短い棒のような道具が立て掛けられている。
視線に気付いている様子はなく、ただ黙々とカメラを磨く。
時折手拭いで額の汗を拭う以外は同じ動作が続いた。
斜め後方から微かに横顔が見えた。
それは城で一緒に過ごしていた頃よく目にした、感情に乏しい細目のすまし顔。
私はなぜか、目が離せなかった。
正邪は一つ、また一つと道具を磨き終えていく。
部屋内に視線を走らせると、道具と布団以外は火の点いたランプがあるだけだったが床に汚れやゴミは全く見当たらない。
意外に綺麗好きなのだろうか。
そんなことを考えている場合でないことは分かっている。
だが、私は次の行動を起こすタイミングを決めかねていた。
道具が正邪のすぐ傍にある以上見つからないように取り返すことは不可能。
そうなると選択肢は自ずと、交渉するか実力行使に出るかのどちらかしかない。
気付けば磨かれていない道具は、あと一つだけ。
「おい」
一瞬、その言葉が正邪から自分に向けられたものであることに気付けなかった。
咄嗟に身を隠そうとしたが、それより先に振り返った正邪と眼が合った。
正邪はそのままどこか面倒くさそうに、道具を革袋に詰めて小屋の外まで出て来た。
私の口は考えるより先に言葉を発した。
「……私に気付いていたの?」
「お前だけが後を追ってきたのは分かっていたからな」
泳がされていた。
それは正邪にとって、私一人なら問題なく対処出来るということに他ならない。
思わず歯噛みした。
悔しいけど、現実に私一人で正邪を捕縛出来る自信はない。
「……連日食糧庫の近くに現れた泥棒は」
「付喪神の連中は全員そっちに引き付けるつもりだったが、そこまで上手くはいかなかったな」
正邪の態度は台詞に反して残念がっているわけでも、焦っているわけでもない。
やはり予想した通り、狙いはこちらの注意を食糧庫側に引き付けることだった。
自警団が人数不足で居住区以外の警備が手薄なことも計算ずくだったのだろう。
私は正邪の持つ革袋を指して言った。
「……みんなを返して」
正邪はさして驚いた様子もなく、平坦な口調で応えた。
「別にお前の所有物じゃないだろ」
「そうよ、でも貴女の物でもない。だから貴女の悪事に巻き込まれなきゃいけない理由もないの。
お願い、その子達を返して」
「悪事じゃない、下剋上に協力してもらうだけだ」
あの忘れられない夜、裏切りを告げられた時の光景が再び脳裏を過る。
目の前の、妹と母以外で初めて心を許した相手との最後の時間。
胸に刺さったままの、抜けない言葉。
忘れたくとも忘れられない、針のように鋭利な言葉。
『私は最初からずっと、お前らのことなんて駒としか思っていなかった。
だからこれきりだ、得られたばかりの命を落とさずに済むだけ、幸運に思えよ』
「……貴女は私を、私達を裏切った」
無意識のうちに握り拳に力が入る。
「お前一人で私をどうにか出来るとでも?」
「……もうすぐ幻想郷全体にお触れが出るわ、そうなればどっちみち捕まるのよ。
大人しく自首しなさい」
正邪は自分の前髪を無造作に弄び、呆れたように言った。
「私がはいそうですか、なんて言うと本気で思ってるのか」
勿論、分かっている。
こんなことで素直に降伏するぐらいならそもそも一人で逃亡などしない。
私はその問いには答えずに言った。
「……今日、針妙丸に会ったわ」
正邪は表情一つ変えず、なにも応えない。
私は構わずに続けた。
「……あの子は信頼していた貴女に裏切られ、深く傷ついたわ。
でも、私に今日ここで貴女を討てとは言わなかった。……どうしてだと思う?」
正邪はひらひらと手を振りながら言った。
「私の知ったことじゃない」
私は努めて動揺を見せないよう、強い口調で言った。
「あの子は今、博麗神社にいるわ。そこで貴女が自首するのを待ってる」
正邪の視線が一瞬、斜め上に向いた。
そっちには暗い夜空があるだけのはずだが。
一呼吸を挟み、私は続けた。
「あの子は貴女と一緒に降伏することを望んでる。
……分かる? あんなに酷いことをされてもなお、あの子は貴女を想っているの。心配しているの」
神社での別れ際、針妙丸は私に頼んできた。
もしも正邪に会うことがあれば、自首するように言って欲しい。
自分が一緒に降伏しようとしていると伝えて欲しい、と。
針妙丸の、母の想いは伝えた。
けど、私の想いは。
少なくとも針妙丸は報復を望んでいない。
だがおそらく、雷鼓と八橋は違う。
今この場に彼女達がいれば、正邪を討ち取ろうとするだろう。
私自身、仕返しをしてやりたいと考えたのは一度や二度ではない。
胸に刺さった言葉が夢にまで出てくることに、苦痛と怒りの感情を抱いたのも事実。
私達二人の距離は歩数にして五、六歩分しか空いていない。
どちらかが弾幕を放つ構えを見せればすぐにでも戦いが始まる。
でも、私の腕は一向にその一手を繰り出そうとしない。
正邪もまた、こちらに対して攻撃を仕掛けてくる様子はない。
居場所を知られた以上、このまま逃げるつもりなのだろう。
先程の光景が思い起こされる。
目の前の、かつて自分達を裏切った妖怪が道具を一つずつ丁寧に手入れする姿。
それは想像もしていなかった姿だった。
「弱者と道具の下剋上」を掲げながら、私達道具のことは平気で裏切ったのだから。
あの道具達にはまだ小槌の魔力が残っている。
正邪がそれを狙って盗みをしたことだって、勿論分かっている。
それなのに。
私の心は最後の一歩を踏み出せずにいる。
なにかとぶっきらぼうな言い方ばかりだったけど、針妙丸が大将なら正邪はチームの参謀役だった。
勿論、全てはまやかしだった。
彼女が姫を守る従者そのものに見えたのも、その姿に自分が少なからず惹かれていたことも。
なにもかもが、幻でしかなかった。
正邪はやはり何も言わない。
私に顔を向けてはいるが、ふと気づく。
眸が、私を映していない。
途端、沸々と感情が湧き上がってくる。
散々みんなを、私の心をかき乱したくせに。
この期に及んで、私をまともに見すらしないのか。
気に入らない、本当に気に入らない!
「……貴女はこれからも、ずっと一人で生きていくつもりなの?」
浅く短い息を吐き、正邪はようやく返事をした。
「さあな」
「……一人が怖くないの?」
「怖くないね」
「どうして?」
「少しは自分で考えろ」
「……聞き方を変えるわ。下剋上なんて、本当に一人でやり遂げられると思ってるの?」
途端、先程まで気怠そうな応答を繰り返していた正邪が上方、私が飛んできた方向を見て眼つきを鋭くした。
それからもう一度こちらに向き直り、言った。
今度は瞳にはっきりと、私の貌を映して。
「弁々」
一瞬、自分の呼吸が乱れたことを自覚する。
私はかつて、仲間「だった」頃は正邪のことを名前で呼んでいた。
袂を分かった今は「貴女」と呼んでいる。
もう味方でも同士でもないのだから。
別に意地になっているのとは、違う。
正邪が私を名前で呼んでくれるまでは随分かかった。
というより、こちらからお願いしないと呼んでくれなかった。
たった、それだけのこと。
それでも、私にとっては自分で考えていた以上に大きなことだった。
今こうして、微かに動悸が高まるぐらいには。
だが、正邪の次の台詞はより大きく私の呼吸に乱れを生んだ。
「ああ、確かに一人というのは大変だ。
……もし、もう一度私に手を貸してくれると言うなら、望み通り針妙丸の奴に会ってやる。
だが、あくまで会うだけだ。
自首なんかしないし二人きりで邪魔の入らない場所をそっちで用意することが条件だ」
予想もしていなかった突然の提案に自分の頭が熱で悲鳴を上げているのが分かる。
この話が本当なら、母の願いを半分だけでも叶えることが出来る。
だが、その代償は。
もう一度正邪と手を組む。
それはみんなを裏切ることに他ならない。
それに、これがそもそも嘘であるなら。
少しでもヒントを得るため、私の頭は回答を僅かでも先伸ばそうとした。
「……だから今日はこのまま見逃せ、というの?
そのまま逃げるつもりなんじゃないの?」
「誰もただで逃がせとは言ってない」
正邪は先程まで丁寧に手入れしていた道具の入った革袋を押しつけるように手渡してきた。
「こいつらは返してやる」
それだけ言うと正邪は困惑する私を置いて地を蹴り、宙に飛びあがった。
どうする、まだ後を追うべきか。
それとも道具だけでも取り返せたことをよしとするべきか。
そんな私の心中を見透かしたように、上方から声がする。
「なにも今すぐ答えろとは言わない。
明日の正午、もう一度ここに来る。私ともう一度組む気があるならその時間までにここで待ってろ」
今日はもう夜遅いが、明日の昼ならそれまでに雷鼓や八橋と相談し、策を練ることが出来る。
それにどっちみち、一日飛行して疲労が溜まった身で重い道具袋片手に正邪をまともに追跡することはもう出来そうにない。
私は返事はしなかったが、小さく首を縦に振った。
直後、正邪は一息ついて服の汚れを手で払い始めた。
このまま立ち去るのだろう。
一方で袋を支える私の腕は疲労で限界を迎え、それを静かに土の上に下ろした。
そのまま緊張の糸が切れたように、身体全体にどっと疲れが出てくる。
暗い夜空を見上げると、冷たい夜風が肌を撫でてくる。
正邪はまだ、そこに居た。
何も言わず、ただその場に滞空している。
そして、その指先はまるで何かを弄ぶように動いていた。
微かな妖力の気配を感じた途端、あの夜の最後の邂逅が三度脳裏に過る。
あの時、私は正邪から一方的な決別を告げられ、それを止めようと腕を掴んだ。
だが正邪が微小な妖力を練った直後。
私達二人の位置は入れ替わり、私はそのまま拘束から逃れた正邪の手で吹きすさぶ魔力の暴風の中に突き落とされた。
冷水を浴びせられたように、背筋が急速に冷える。
何故、すぐに立ち去らないのか。
不可解な行動の意図に気付き、私が足元の道具袋から離れようとしたのと正邪の声が聞こえたのは同時だった。
「素直過ぎる奴とは組めない」
彼女の細い指が見えないなにかを弾くように動いた直後、足元から白光が発生した。
そこにあったのは先程下ろしたはずの道具袋ではない。
追跡中に使われた物と同じ、照明弾。
この至近距離でまともに見たら完全に目をやられる。
私は急いで眼を閉じ、顔面を庇った。
最後に一瞬、道具袋を脇に抱えて飛び去って行く正邪の立姿が目に焼き付いた。
「子どもはもう寝る時間だ」
両目を押さえ、膝をつく。
至近距離で閃光を浴びたせいか、一向に目を開けられなかった。
次に視界が開けたとき、そこにあったのは燃え尽きて真っ黒になった照明弾の残骸だけだった。
煙の強い臭いが鼻を刺してくる。
そのまましばし呆然としていると、不意に上方から声が聞こえてきた。
それがよく聞き慣れたものであることに気付いた途端、私の身は糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
「弁々!」
「姉さん!」
翌朝、目を覚ました私が最初に見たのは見慣れた天井の模様だった。
いつの間にか布団に寝かされている。
横を見ても部屋に敷かれているのは私の物だけだ。
寝室を出ると炊事場の方から水音が聞こえてくる。
テーブルの上の時計を見ると時刻は既に午前八時過ぎ。
今日は演奏会の予定こそないが、随分長い時間眠っていたようだ。
そんなことを考えていると、前掛けを着けた八橋が出てきた。
「姉さん! もう起きても大丈夫なの?」
二日連続で寝坊するとは、我ながら情けない。
だがそれよりも、まずは昨日のことについて謝らなければならない。
理由はどうあれ大人しく帰って休む約束を破ったことには変わりないのだから。
「……うん、大丈夫。その、ごめんなさい、昨日は」
八橋が手に嵌めていたオレンジ色のミトンを外し、テーブルに置く。
そのまま私の謝罪を遮るように、八橋が言った。
「……姉さん、昨日は嘘ついてごめん」
「えっ?」
「昨日、姉さんを何回も起こしたのに起きなかったって言ったよね」
「……うん」
「ごめん、あれ嘘だったの」
「え、でも」
話が見えず、私は返事になっていない返事をしている。
それが嘘だったとしても、昨日私がいつもより遅く起きたのは事実。
だから先に帰って休んでいて欲しいと言われるのもおかしなことではない。
八橋は続きを話すのを躊躇っている。
だが、沈黙の時間は長くは続かなかった。
玄関の扉が開く。
部屋の主である雷鼓が日課の散歩を終えて帰ってきた。
タオルで汗を拭きながら部屋に足を踏み入れる。
居間で向かい合っている私達姉妹を見つけ、言った。
「ただいま……と、よかった。起きてたのね」
私は頭を下げ謝意を示した。
「その……昨日はごめんなさい」
しかし彼女は全く気にした様子もなく応える。
次いで、気まずそうにしている八橋に声をかけた。
「いいのよ、そんなこと。それより、もう全部説明したの?」
「ま、まだ……」
八橋は相変わらず口をもごもごさせていたが、やがて覚悟を決めたように再度私のいる方向に向き直った。
ゆっくりと話し始める。
「姉さん」
「……うん?」
「私さ、昨日の朝は姉さんより先に起きたの」
「……うん」
「そうしたらその……姉さんが苦しそうな顔でうなされてるの、見ちゃって」
昨日の朝のことを必死に思い出す。
確かに寝起きはよくなかったし、目元には涙の跡らしきかさつきまであった。
私は続きを促すように首を小さく縦に振った。
「まだ出発には時間があったから、そのままもう少し寝かせておいてあげようと思ったの。
でも、私が部屋を出ようとしたら後ろから姉さんの声がしたの」
「……私、なんて言ってたの」
「お母さん……って」
それを聞いた途端、私は思わず視線を逸らしてしまった。
寝言とはいえ雷鼓もいる前だ。
恥ずかしい。
しかし、八橋の告白にはまだ続きがあった。
「すぐに後ろを振り向いて寝顔を見たら、もう一言言ったの」
雷鼓のいない前で言って欲しいのが本音だったが、今更ここまで来て話の腰を折ることも出来ない。
私が視線を戻したのを確認してから、八橋が続けて言った。
「『正邪……』って。その時姉さん、涙流してた」
「……え?」
私は八橋が誤解をしている可能性を危惧した。
自分が母たる針妙丸だけでなく、あいつにもある種の感情、未練のようなそれを残していると。
違う。
確かに裏切られ心をかき乱された悲しみと怒りへの報復という意味では、私の気持ちは未練と呼ばれるのかもしれない。
だがそれとあの子、針妙丸に向ける想いは同じ寝言でも全くの別物。
動揺で思考がまとまらない私をよそに、八橋が慎重に言葉を選ぶように、途切れ途切れの口調で続けた。
「……それを聞いた時私、あいつのこと絶対に許せないって思ったの。
姉さんにひどいこと言って辛い思いをさせた、あいつのこと。
いつかなんて言わずに、今すぐやっつけてやりたいって。
それで、雷鼓姐に……」
八橋は私の気持ちを誤解してなどいなかった。
勿論彼女が自分の手で正邪を討とうとしていたのは、道具達のためでもあるのだと思う。
でも八橋は、私の大切な人は、それ以上に姉の自分のことを想ってくれていた。
私を戦いから遠ざけるために、先に帰っているようにと慣れない嘘までついて。
先程まで話の成り行きを見守っていた雷鼓が口を開く。
「相談してきたのは八橋だけど、ついた嘘は全部私が考えたことなの。
八橋はただ弁々が心配で、そのためにやったことだから怒らないであげて」
私は慌てて頭を下げた。
「勿論です、それに雷鼓さんにもまた迷惑をかけて、ごめんなさい」
私に合わせるように、八橋も雷鼓に頭を下げる。
すると彼女は苦笑とともに、どこか遠くを見るような眼をして言った。
「迷惑なわけ、ないわ。……私も救われたのよ、貴女達二人に」
話が見えず、八橋が困惑した様子で応える。
「……え?」
すると雷鼓は私と八橋に交互に視線を送った後、頬を緩めて語り始めた。
「……小槌の魔力はいずれ失われるもの。
だから私は依り代の道具を変えることで身体を維持する呪法を編み出し、結果それは上手くいったわ。
……でも、私が救えた命はほんの僅かな数だけだった。
次の依り代が見つからなかった子、乗り換えが上手くいかなかった子……」
気付けば彼女はその眸に涙を浮かべている。
私は思わず言った。
「そんな、雷鼓さんのせいじゃありません!
少なくとも私と八橋は貴女の助けがあったからこそ、こうして生きていられるんです!」
雷鼓は小さく頷き、続けた。
「……ありがとう。でも、やっぱり辛いの。
助けられると思っていた子達が元の道具に戻ってしまうのは」
彼女の視線が開かずの間となっている私室に向かう。
私ははっとした。
「もしかして、その扉の奥に……」
「ええ、付喪神から元の道具に戻った子達はみんなそこにいる。
……でも、みんなは死んだわけじゃない。ちょっと長いおやすみをしてるだけ。
これからもっと長い時間を経ればきっと、神様が宿ってまた動けるようになる。
私はそう信じているわ」
「雷鼓姐……」
八橋の消え入りそうな掠れ声が聞こえた。
雷鼓がジャケットの袖で眼を拭い、続けた。
「……また、泣いちゃったわ。どうしても、不意に思い出してしまうのよね。
でも、弁々と八橋と一緒に暮らし始めてからは毎日が本当に楽しいのよ。
みんなで演奏するのって、こんなにわくわくするんだ、って。
私はいつも一人じゃないんだって。」
私は昨日の小傘とのやり取りを伝え、最後に付け加えた。
「……小傘が言ってました。
雷鼓さんはいつもグループを盛り上げてくれるし、怖い妖怪がきてもやっつけてくれるとってもかっこいい人だって」
小傘の名前を聞いた彼女は一瞬意外そうな顔をしつつも、苦笑いを浮かべながら答えた。
「……私はそんなに大層な存在じゃないわ。
昨日も肝心な時に筋を読み違えて、見当外れのところを張ってたんだから。
小傘が知らせてくれなければ、弁々の元にも辿り着けなかった」
自分の知らない話が出て来たことに驚いていると、それまで黙っていた八橋が口を開いた。
「私達が食糧庫の近くの路地で張り込んでたら、いきなり知らない子が大声で『助けてー!!』って叫ぶ声が聞こえてきたの。
急いで声のする方に行ったら、小傘って子がいて」
続きを引き継ぐように雷鼓が言った。
「居場所が分からない私達を呼び寄せるために、なりふり構わず大声で呼びかけてくれたの。
案の定近くに住んでた人間達も起き出してきて騒ぎになったけど」
自分が正邪を追っている間、そんなことになっていたとは知らなかった。
しかし、それでは小傘が非難を受けたのではないか。
私は恐る恐る訊ねた。
「小傘はその……非難されなかったの?」
私の問いに雷鼓がはっきりした口調で答えた。
「非難……とまではいかなかったけど、騒動にはなってたわね。
私と八橋が合流した時には結構な人だかりが出来てたから。
でも、あの子はすぐに頭を下げて言ったの。
『こんな時間に大声を出してごめんなさい、その……物影がお化けみたいに見えたんです』って。
そうしたら中にはぶつぶつ言ってる人間もいたけど、大半は笑うか呆れるかしながら自分の家に帰っていったわ」
元は小傘が私に依頼したこととはいえ、知り合ったばかりの相手のために演技をして頭まで下げていた。
私が言葉を失っていると、雷鼓が続きを口にした。
「昨日は私が暴走したせいで小傘にも迷惑をかけてしまったわ。
あいつの、天邪鬼の動きを正確に見抜いていたのはグループで小傘だけだった。
あの子は自分では認めないけど、きっと誰よりもリーダーの素質があるわ」
雷鼓が喋り終えると、居間にしばし無言の時間が流れた。
昨日から今日この場に至るまでの出来事が脳内を駆け巡る。
針妙丸はあの日以来私達がバラバラになってしまったことに涙を流しながらも、懸命に前を向いて生きようとしていた。
八橋は私が思っていたよりもずっと、自分のことを想い心配してくれていた。
完璧な女性だと思っていた雷鼓はその実、抱えた古傷を隠しながら自分達に優しく寄り添ってくれていた。
新しく出来た友人、小傘は本人が思う以上に物事の本質、人妖の気持ちを理解出来る思いやりの心を秘めていた。
昨夜、私は偶然にも鬼人正邪に最も近づくことになった。
でも、私はみんなの望みを何一つ叶えることが出来なかった。
針妙丸の自首させて欲しいという願いも、雷鼓達の討伐、捕縛したいという願いも。
もっといい説得の仕方はなかったのか。
それとも、後先を考えず実力行使に出るべきだったのか。
過ぎたことを今更悔やんでも仕方がないことは分かっている。
長時間の飛行で疲労が溜まっていたというのはあるかもしれない。
だが、それ以上に私自身の中に「迷い」があったせいで思い切った行動に出られなかったのは否定のしようもない。
そうだ、みんな、心になにかを抱えて生きてる。
不安や苦しみに折り合いをつけて生きてる。
でも、一人で耐えられなくなりそうになったら。
折れそうになったら。
私は床に向けていた顔を上げ、二人に言った。
「八橋……雷、鼓」
少なくとも、私は何も得られなかったわけではない。
最後は少し声が萎んでしまった。
直後、雷鼓が口元を緩めた。
「……随分待ったわよ」
一時はつまらない嫉妬心で一方的に心に壁を作っていたことを心中で詫びた。
いつか、もう少し落ち着いたらちゃんと謝ろう。
八橋が嬉しそうに笑って囃し立てる。
「ついに恥ずかしがり屋の姉さんも呼び捨てデビューね!」
そうだ、私達は独りぼっちじゃない。
悲しい時は、誰かを頼ればいい。
辛いことがあったら、聞いてもらえばいい。
代わりにその子が辛そうにしていたら、今度は自分から話を聞き力になってあげればいい。
下剋上に燃えていたあの頃から思えば、私はいろんなことを体験した。
それは決して、楽しい思い出ばかりではなかった。
人間に敗れた直後の、チームの崩壊。
信じて心を許していた仲間の裏切り。
小さな嫉妬心から生まれた、胸の痛み。
私は半身の琵琶を抱きながら言った。
「……我儘、言ってもいいかな。今日は、たくさん演奏したい」
間髪を入れずに二人の返事が重なった。
「ええ、勿論」
「今日は姉さん主導ね!」
「ありがとう……二人とも、大好き」
言い終えたところで、急速に膨らんだ涙粒が頬を流れ落ちる。
それを隠すため、私は一番に玄関から外に出た。
八橋の慌てる声、次いで雷鼓の笑い声が聞こえる。
「ちょ、待ってよ姉さん!」
「ふふ」
大好きなお母さんと、もう一度会えた。
新しい依り代を得ることで消滅の危機も乗り越え、大切な妹とこれからもずっと一緒に生きていけるようになった。
それだけじゃない。
優しさと強さを兼ね備えた、頼れる女性の雷鼓。
周りを温かい気持ちにさせる天賦の才を持つ、可愛い先輩の小傘。
新しい出会いもたくさんあった。
人里に向かって風を切り、一直線に突き進む。
八橋と雷鼓もすぐ後ろを飛んでいる。
里に着いたら今日はどこで演奏しようかな。
小傘は今日もあの茶屋の近くにいるかな。
お母さんも今度、連れて行ってあげたいな。
それに。
昨日の「あいつ」の顔、ぶつけられた言葉。
今も「私」の中に浮かんでくる。
でも、突き刺さったそれが私の心を揺るがすことは、もうなかった。
次に会ったら、本気で勝負してやる。
一人じゃない私はあんたよりずっとずっと、強いんだから!
人里の集会場での演奏会を終え、ステージ裏の控えスペースに戻ったところで雷鼓が言った。
汗こそかいているものの、軽くウェーブのかかった赤髪は全く乱れていない。
それに応えるように妹の八橋が水筒の水を一口飲んでから元気な声で言った。
「雷鼓姐のドラム今日もかっこよかった! 次の演奏も楽しみ、ね、姉さん?」
私は髪を整える手を止め、二人に応えた。
「うん、お客さんもみんな楽しそうでよかったわ。雷鼓さん、いつもありがとうございます」
八橋は相変わらず上機嫌のまま、今度は差し入れのお饅頭を美味しそうに頬張っている。
雷鼓は頬を緩め、私達二人に順に視線を送ってから言った。
「お礼なんていいのよ、やっぱりみんなで演奏すると楽しいわ」
飾り気の全くない、爽やかな笑顔。
私達より頭半分ほど高い背丈に、落ち着き払った立ち振る舞い。
それはただ一緒にいるだけで安心、心強さを与えてくれるような気がする。
そのまま着替えと片付けを終え、長屋に向かって歩を進める。
陽が傾き始めているからか、人里を歩く人妖の数は少ない。
前を歩く八橋が左右に並ぶ商店にせわしなく視線を走らせていた。
雷鼓はと言うと用事を一つ済ませて帰るからと、鍵を私に預けて人里の外れの方に向かって歩いて行った。
以前は妖怪の自分が人間の里の近くで暮らすなんて、考えてもみなかった。
気付けば私達が彼女の世話になり始めてから既に二週間以上が経過している。
それでも、この幻想郷に生を受けてからは未だ一カ月と経っていない。
勿論、人間に使われるだけの道具から生まれ変わり、自由に動ける身体を手に入れられたことは本当に嬉しかった。
それでも生まれたばかりで右も左も分からない、先の見えない不安はすぐに私の足をすくませた。
だからこそ、自分と同じように音楽が大好きで同じ不安を胸に抱えていた八橋と姉妹の契りを交わしたことは半ば必然だったのかもしれない。
道具だった頃の記憶は、全くない。
自分の元となる楽器をどこの誰が作り、誰が弾いたのか。
確かなことは何一つとしてない。
今になって思えば、別に人間に恨みがあったわけでもない。
家族が出来て共通の目標、下剋上に向かってがむしゃらに突き進むことがただ、楽しかっただけなのかもしれない。
上手くいく保証なんかどこにもなかったのに、あの時の私に迷いは全くなかったから。
それに、私に勇気を与えてくれたのは八橋だけではなかった。
弱者、道具が平和に暮らせる楽園の創造を願って秘宝の小槌を振るい、私達を生んでくれたあの子。
小さな体に大きな想いを秘めた、私達の生みの親。
……それに、もう一人。
いや、どうでもいい。
あんな、あんな最低な奴。
嫌い、大嫌い。
物思いに耽っていると、八橋がこちらを振り向いて言った。
なにやら心配そうな顔をしている。
「姉さん、疲れてるの?」
慌てて首を振り、自分でもオーバーだと思うほどに身振りを交えて答える。
「ううん、大丈夫よ」
「本当? それならいいんだけど」
一瞬怪訝な顔をしながらも一応は私の返事に納得したのか、再び前を向いて歩き始める。
疲労が溜まっている自覚はないけど、無意識のうちに表情が険しくなっていたのかもしれない。
しっかりしないと。
観客は思った以上に奏者をよく見ている。
そしてそれは、演奏中だけに限らない。
人里の出口から草地に向かってしばらく飛行すると、古びた長屋が見えてきた。
私と八橋はここに居室を持つ雷鼓の好意で居候させてもらっている。
部屋は全部で五つあるようだが、他の部屋はどれも荒れ放題で私達以外に住民がいた形跡はない。
預かった鍵をノブに差し込み、軽く押してから回す。
錆の噛み込む音とともにドアが開いた。
三和土で靴を脱ぎ、お互いに荷物を下ろす。
「先に水浴びしててもいいわよ」
「本当? ありがとー!」
私がそう言うと八橋は小走りで脱衣所の方に駆けていった。
さて、待つ間少し掃除でもしようか。
水に浸した雑巾で窓や床を拭き、終わった個所は乾拭きをしていく。
単調な作業だけど、嫌いじゃない。
それにこういうことは姉の自分が率先してやらないと、妹に悪い影響を与えかねない。
一番奥の部屋以外の拭き掃除をおおよそ済ませ、一息つく。
雷鼓曰く、個人的な物があるからここは開けないで欲しいと言われている。
珍しく厳しい表情をしていたのを思い出す。
勿論、私室に勝手に入るようなことはしない。
今度は干してあった布団を寝室に一枚ずつ敷いていく。
横、所謂川の字に三枚の布団が並んだ。
真っすぐ敷き終えたところで、枕を見ると急に胸がちくりと痛んだ。
深く考えるほどではない、取るに足らないことのはずなのに。
今朝の出来事だった。
普段、私は八橋よりも先に目が覚める。
前日私の方が床に就くのが遅くても、それは変わらない。
どちらかというと彼女が少し寝すぎな気がしないでもない。
雷鼓はと言うと、いつも通り既に姿を消していた。
日課の散歩に出かけたのだろう。
玄関に一番近い位置の布団が綺麗に畳んである。
その隣の布団では八橋が微かに口を開け、あどけない寝顔で気持ちよさそうに小さな寝息を立てている。
時折彼女は言葉になっていない寝言を口にする。
それを確認するとつい、自分でもはっきりと分かるほどに頬の筋肉が緩んでしまう。
今日はなにか聞こえてくるだろうか。
起こさないように注意しつつ、耳をすませる。
すると呟くようなトーンながら明瞭な言葉がその口元から紡ぎ出された。
「むにゃ、雷鼓姐……」
最近は日中に何度も聞いた、八橋からあの人への呼び名。
お世話になり始めてすぐに、八橋は彼女のことをこう呼び慕っている。
確かにあの人は、身寄りも行き場もなかった自分達の面倒をずっと見てくれている。
それも今のところ、なんの見返りも求めずに。
勿論、いつまでも迷惑をかけるわけにはいかない。
同居を始めて三日目の夜、八橋が既に眠ったのを確認して今後のことについて相談したことがある。
その時も彼女は「そんなこと気にしなくていいのよ、三人の方が投銭もずっと多いし私も助かってるんだから」と笑いながら軽く言ってのけた。
実際のところ、行動をともにするようになって二週間が過ぎた今でも自分と八橋だけで生きて行ける確かな自信はない。
衣食住、生きていくにはとにかくお金がかかるし下準備も必要になる。
お金を稼ぐ方法についても、悔しいが自分達二人ではまだまだ知名度が低い。
無論、演奏の腕前なら他の演者達に決してひけを取らない自信はある。
それでも、今の自分達が人里で多くのファンに囲まれ投銭を得られているのは少なからず雷鼓のおかげだと認めざるを得ない。
だから、八橋がそんな雷鼓のことを慕うのは当然のことだ。
それに八橋が彼女を雷鼓姐、と呼んでいても私を呼ぶ時は今までと変わらず「姉さん」と呼んでくれる。
決して蔑ろにされてなどいない。
だからなにも、変わっていない。
そのはずなのに。
八橋の短い寝言が耳から離れなくなった私の指は、無意識に自分の胸元をワンピースの上からかきむしっていた。
この出来事があってから、日中に八橋が雷鼓を呼ぶ度にそれを意識するようになってしまった。
八橋は私のように、姉妹二人での活動は考えていないのだろうか。
いっそ、私も同じように雷鼓にどっぷり甘えてしまえたら楽になれるかもしれない。
実際に彼女は魅力的だし、とても強い。
でも、出来ない。
勿論、分かってる。
雷鼓に妹を奪う気などないだろうし、八橋にだってきっとそんなつもりはない。
それでも、私は必要以上に彼女と距離を縮めることに躊躇いを感じている。
認めたくないけど、私は彼女にやきもちを焼いている。
みっともないことだと思う。
これだけ恩を受けておきながら、呼び名ぐらいで嫉妬心を抱くなんて。
だが、私の胸を刺す棘は一本ではない。
異変が終焉を迎えた日、忘れられない夜。
あの子と私達姉妹を裏切ったあいつ、鬼人正邪。
……もう、裏切られるのは嫌だ。
掃除と布団の用意を終え、八橋と入れ替わる形で水浴びを済ませたところで丁度雷鼓が帰宅した。
夕食の席での話題は明日の演奏会と、その後の予定についてだった。
「明日は午前に一件だけだよね、雷鼓姐」
「ええ、お昼には終わると思うわ」
「ねえねえ、終わったら三人で買い物行こうよ。服とかアクセサリー見たいな」
明日の予定について、言葉を交わす二人。
一応、得られた投銭は毎回三人でほぼ均等に割っている。
本来は雷鼓の取り分だけもう少し多い方が自然な気がするけど、彼女はこれも気にならないようだ。
八橋が引き続きお金の使い道について話し始める。
「あのね、夏になったらお祭りがあるんだよ。私浴衣着てみたいな。雷鼓姐は持ってないの?」
「私は持ってないわ。嫌いなわけじゃないけど、似合わない気がするのよね」
「そうかなあ、背が高いし髪も綺麗だから絶対似合いそうなのに」
「私より二人の方が似合うわよ、知り合いの付喪神で呉服屋さんに住み着いてる子がいるから今度相場を聞いてみましょ」
八橋が急にこちらを向いて嬉しそうに言った。
「やった! その時は姉さんの長い髪、私が結ってあげるからね」
「弁々の髪は本当に綺麗よね」
雷鼓までこっちを見てくるので、驚いて大根の煮付けを喉に詰まらせそうになった。
落ち着き、一呼吸置いてから応える。
「あはは、ありがとう」
逆さ城で八橋に髪を褒められた時は「手入れをしっかりしてるからね」と返したものだが、
今は自分でも分かるほどに言葉がぎこちなくなってしまっている。
毎日手入れに時間をかけているのは本当だし。
幸い、八橋は特に気にした様子もなく続けた。
「知ってる? この前の演奏会に来てた人間の女の子がお母さんにこんなこと言ってたんだよ。『私もあのお姉ちゃんみたいな長い髪にしたい!』って」
それを聞いた雷鼓が微笑みながら言った。
「ふふ、もうすっかり人気者ね」
今の私は、間違いなく縁に恵まれているのだと思う。
こうして屋根のある場所で日々を過ごし、家族、仲間とともに大好きな音楽で少しずつでも日々の糧を得ることが出来ているのだから。
だから、今に不満なんて持っちゃいけない。
もっと思考を軽くして、今を楽しむことに意識を向けるべき。
そうしていれば、この胸に刺さった棘もいずれは消えてなくなるはず。
それになにより、あの子にもう一度会いたい。
今どこにいるのか、有力な手掛かりは未だ見つかっていない。
人里の往来を通る時間や演奏の合間合間に噂話に耳を傾けるように努めてはいる。
だが、その大半はただの世間話でしかない。
鬼人正邪が未だ捕まっていない、という話だけは二度耳にした。
その日の夜。
八橋と雷鼓の小さな寝息が聞こえてくる。
窓から差し込む月の光は枕元に置いた私の半身の覆手を薄く照らしている。
今夜も寝つくのは私が最後のようだ。
私はゆっくりと目を閉じた。
ここに至るまで、本当に色んなことがあった。
異変が終息を迎えた日、四人で過ごした最後の夜が記憶を過る。
雲よりも高い、幻想郷の遥か上空。
完全に陽が落ちた宵闇の空で、渦を巻く紫色の雲海。
そこにはほんの僅かな時間だったけど、私達が一緒に暮らした家、逆さ城がある。
あの子が小槌に願いを込めることで生み出された、綺麗で立派なお城。
私は攻め込んできた紅白の巫女を食い止めるため、必死に戦った。
けど、あの人間は強かった。
悔しいけど、もう一度戦って結果が変わるとは全く思えないほどに。
結局終わってみれば手傷の一つすら満足に与えられなかった。
戦いの最中に八橋ともはぐれてしまい、後で聞いた話だが彼女もまた別の人間に打ち倒された。
それでも、敗けた私にもまだ出来ることがあると、ふらつく体で城まで辿り着く。
城の外周部分に佇んでいたのは針妙丸の従者で私達にとっても仲間「だった」妖怪、鬼人正邪。
同じように紅白巫女に敗れ傷を負った彼女の姿を見て、私は出来る出来る限りの介抱をしようとした。
きっともうすぐ、あの子の最後の戦いが始まる。
ろくに動けなくても、戦えなくても。
傍で見届けてあげたい。
それなのにあいつは私、いや私達に向かって酷い言葉を平然と投げつけた。
『私は最初からずっと、お前らのことなんて駒としか思っていなかった。
だからこれきりだ、得られたばかりの命を落とさずに済むだけ、幸運に思えよ』と。
思えば初対面の印象は、あまりよくなかった。
私達だけでなく針妙丸に対してもなにかとぶっきらぼうな言い方をすることが多かった気がする。
それでも、あの子が正邪と二人で旅していた頃の話を嬉しそうに語るのを聞くと、あいつの印象は初対面のそれから大きく変わった。
相変わらず、普段から決して優しい物言いをするタイプではないしどちらかと言うと皮肉屋っぽかったけど。
でも、私達の話や質問には常に迅速に答えを投げ返してきた。
異変達成に関わる話の時は特にそうだ。
話を先延ばしにしたり、曖昧な回答はしなかった。
その頃生まれて数日しか経っていなかった私は、妹の前では常に強い姉でいたいと思っていた。
正邪のように、強い信念とともに大切な人を守れる存在になりたかった。
いつの間にか、私は自分の中の弱い部分をあいつにさらけ出していた。
そして私はその時から微かに彼女に惹かれ始め、密かに決心した。
この異変は必ず成功させる。
人間なんかに邪魔はさせないと。
勿論、裏切られた今となっては私の目が曇っていたとしか言いようがない。
今でもあの子の、針妙丸の無邪気な明るい笑顔を思い出す度、信じられない気持ちになる。
あいつは長い時間一緒に旅をして、あれだけ懐いていたあの子を平然と見捨てた。
あの子を信じ、戦いを最後まで見届けようとしなかった。
私は立ち去ろうとするあいつを引き留めようとした。
だがその直後、一瞬の妖力の変化を感じ取った次の瞬間には後ろを取られていた。
慌てて背後を振り返ろうとしたときには肩を強く押され、吹きすさぶ魔力の嵐に身体を持っていかれた。
コントロールが利かないまま、城がどんどん遠ざかっていく。
最後に見えたのは、城の窓や開口部から漏れていた小槌の金色の光が失われた光景だった。
あの子が巫女に敗れた事実を否応にも理解する。
異変は、私達の下剋上は終わったのだ。
その後、私の躰は突如発生した乱気流に激しくかき回された。
気付けば先程まであった魔力の雲海が消えかけている。
眼を開けていることも出来ないまま強風に身体を打たれ続け、平衡感覚すら曖昧になったのを最後に私の意識はなくなった。
次に目を覚ました時、真っ先に感じたのは強い陽射しが肌を焼く感覚だった。
軽い頭痛を感じながらも目を開けると、昨日の嵐が嘘のような真っ青な天空がそこにあった。
本当に、終わったんだ。
この雲一つない綺麗な空、まるで今の空っぽの私みたい。
どこか他人事のような気持ちがこみ上げてくるあたり、まだ自分の心の部分は受け入れられていないのかもしれない。
だからだと思う。
眼前に広がる湖に薄く立ち込める霧の向こう側。
湖畔に横たわる妹の八橋にすぐに気付くことが出来なかったのは。
慌てて駆け寄り、声をかけると幸い彼女はすぐに目を覚ました。
彼女も私と同様に身体のあちこちを怪我していた。
一応、手足に負った傷こそ私より少ない。
代わりに服の焼け跡は私以上に激しく、痛々しい。
私が状況を説明するまでもなく、自分達が敗けたことはすぐに理解したようだった。
しばしの間無言の時間が続いたが、出した結論は同じだった。
仲間を、あの子を探しに行かなければ。
地上からの視界を遮る雲海が完全に消えていたため、城までの道のりは一直線だった。
その道中で昨夜正邪に裏切られたこと、小槌の魔力を持った同胞の道具達を持ち逃げされたことを伝えると、八橋は声を裏返して憤慨した。
「酷い……あいつ、絶対許さない!」
本人がいたらすぐにでも飛び掛かりそうな勢いだった。
「あ、姉さんはあいつになにかされなかったの!?」
「私は大丈夫よ、それよりごめんなさい。……あいつを止められなかった」
「姉さんが無事ならそれが一番だよ、早く針ちゃんも探さなきゃ」
「……ええ、そうね」
八橋が腕を振ってスピードを上げるので、急いで追従する。
正直私自身は昨夜から一晩を経て、怒りよりも悲しみの感情の方が大きくなっていた。
正邪に吐かれた言葉が棘のようにずっと胸に刺さっている。
『お前らのことは最初から捨て駒としか思っていなかった』。
もしも。
八橋はまだしも、あの子が同じ言葉をぶつけられていたら。
きっと、耐えられない。
とにかく、今は私がしっかりしないと。
手分けして城を一通り探索したが、あの子の姿はなかった。
これからどうしようかと考えていたところ、逆さ城が不気味に揺れ始めていることに気付く。
振動は徐々に大きくなり、ついには立っていられないほどになった。
このままここにいるのは危険だと判断し、私達は急いで城を離れた。
城主とも言うべき針妙丸が姿を消した影響なのだろうか。
二人で行く当てもないまま空を彷徨う。
妖怪だから当分は食べなくても平気とはいえ、徐々に飛ぶ力も限界が近付いていた。
城に残っていた食糧を持ち出しておくべきだったと後悔しながら、人間の里の入口近くに着地し膝をつく。
ここなら食べ物はある。
八橋がお腹を抑えながら弱々しい声で呟く。
「……姉さん」
「……大丈夫、ここで待ってなさい」
こうなったら最悪盗みを働いででも、と覚悟を決めようとしていたところで一人の赤髪の妖怪に声をかけられた。
黒の上着に白のジャケットとスカートが目立つ。
「あら、琵琶に琴なんて素敵な組み合わせね」
それが堀川雷鼓との出会い。
彼女は実に気さくで、面倒見のいい人物だった。
私達二人が生まれたばかりの付喪神であることを知ると、色々なことを話して聞かせてくれた。
それはここ幻想郷の大まかな力関係についてだったり、生きていく上で最低限守らなければならない暗黙のルールであったり。
聞けば彼女も自分達と同じ付喪神らしい。
普段は人里から少し離れたところにある廃墟の長屋で暮らしており、私達もそこに住まわせてもらうことになった。
そうして、今に至る。
……思えば雷鼓は、何故こんなにも自分達によくしてくれるのだろうか。
途端、あいつの言葉が再度フラッシュバックする。
『お前らのことなんて―』
うるさい。
黙れ、黙れ、黙れ!
私は乱暴に布団を被り、思考を放り投げた。
翌朝、目を覚ますと目元に微かな腫れを感じた。
指で触れてみると、おそらく涙の跡だった。
思ったよりも疲れているのかもしれない。
指先で適当に拭い、上体を起こす。
そのままいつものように枕元の琵琶に手を伸ばし、撥面に指を乗せる。
覆手や赤く光る弦にも指を滑らせると、指先に小さな温もりが沁みてくる。
それはまるで自分以外の誰かの手、人肌のような温かみ。
私も八橋も、道具だった頃のことは覚えていない。
でもきっとこれが、自分が誰かの手で弾かれた証なんだと思う。
私を、私達を弾いてくれた人がいた。
そう、信じたい。
今日は珍しく、起きたのは私が最後だった。
いつも通りに布団を外に干す。
窓を閉めて居間に戻ると、八橋がなにか言いたげにこちらを見ている。
「どうしたの?」
「あのさ、姉さん」
「うん?」
物をはっきり言うタイプの彼女にしては珍しく、歯切れが悪い。
再度聞き質そうとしたところで、玄関のドアが開かれた。
雷鼓が日課の散歩から帰ってきたようだ。
八橋があからさまに焦った様子で私を見て言った。
「ううん、なんでもない。ご飯、用意しなきゃ」
それだけ言うとそそくさと台所の方に行ってしまった。
彼女が何を言おうとしていたのかが気になる。
とはいえ、あまり悠長なことはしていられない。
とりあえずは朝食を済ませなければ。
今日も朝から演奏会が控えているのだから。
さっきのことについてはまた次に二人きりになったタイミングであらためて聞けばいいだろう。
私はそれ以上問い詰めることはしなかった。
普段通りに朝食を済ませ、昨日と同様に三人で人里を目指す。
最初こそ雷鼓の後ろをついていかないと道に迷いそうだったけど、今ではすっかり慣れた。
三人横並びで飛行を続けていると、一番右を飛ぶ雷鼓が言った。
「魔力の乗り換えからもう何日か経つけど、二人とも調子はどう?」
「はい、大丈夫です」
中央の八橋を挟んで左端を飛ぶ私が少し大きめの声で応えると、次いで八橋も元気に答えた。
「ばっちりだよ!」
私達は元々、打ち出の小槌から解き放たれた魔力によってここ幻想郷に生を受けた。
だが、雷鼓と出会ったその日にそれが有限の命であることを告げられた。
小槌の魔力は少しずつ消え始めている。
このまま放っておけばそう遠くないうちに私達は動けなくなり、元の道具に戻ってしまうと。
正直、初めて聞いた時は半信半疑だった。
でも、今思えばその兆候は確かに出ていた。
その話を聞いた日の夜、久しぶりの食事で空腹を満たしたのに躰の疲労や気怠さが完全には抜けなかった。
なにより、私達の半身たる紅い弦の光が僅かながら弱まっていた。
気のせいなんかじゃない。
多分、この時既に魔力が消え始めていたんだと思う。
翌日、私達は雷鼓に案内されるままに無縁塚という場所を訪れた。
そこには無数の道具が文字通り無造作に放り捨てられていた。
家具や書物のように用途が分かる物もあれば、何に使うのか見当も付かない変な物も多い。
特に規則性もなく、それらの散らばりようはただひたすらに混沌としていた。
雷鼓曰く「外の世界から流れ着いた」らしい。
でもなんとなく得体の知れない、不気味な場所だ。
彼女は私達と同じ楽器の付喪神。
ただ、違うのは道具だった頃の記憶をある程度持っていたことだ。
昔は和太鼓として人間に音を奏でられていたらしい。
そのおかげか、彼女は付喪神として生まれ変わってすぐに自分の身体に違和感を感じた。
この魔力は自分が生み出した物ではない、どこかから供給されたものだと。
そして私達が異変を起こしていた頃。
彼女は独自の調査でこの魔力の始点が特別な道具、打ち出の小槌であることを突き止めた。
自分でも制御し切れなくなりかねないこの魔力は、いずれ必ず失われる。
そこで彼女は一つの賭けに出た。
小槌の魔力とリンクしているのは自分の生まれながらの依り代、和太鼓だ。
ならば依り代を変えることで小槌の魔力に頼らずとも生きていけるのではないか。
そう考え、依り代を和太鼓から無縁塚で発見したドラムに乗り換えた。
その試みは無事成功し、彼女は今もその存在を維持出来ている。
ただし、当時見つけたドラムは今の依り代のように大きくなかったしもっとボロボロだったと言っていた。
つまり、新しい依り代がそのまま自分の半身に納まるわけではないということのようだ。
この話を聞き、私と八橋は考えた。
小槌の魔力に依存することなく、自分の存在を繋ぎとめられる依り代。
自分の身を預けてもいいと思える存在。
出した答えは同じだった。
まだ短い付き合いだけど、共に音を奏で時には戦いの相棒にもなってくれた大切な半身。
この紅く輝く弦楽器を捨てることは出来ない。
実はこの時、本当は声に出したいほど嬉しかった。
八橋がいつも明るくプラス思考の持ち主なのは間違いないし、それは私にとって惹かれる要素の一つだ。
ただ、どうも考えるより先に行動したがる傾向が強く私がストッパーの役割を担っている部分も大きい。
この時も、「雷鼓姐みたいに私達も依り代と同じか似た楽器を探して乗り換えればいいってことね!」とすぐに言う予感がしていたのだ。
無論その発想が的外れ、考えなしなどと言うつもりはない。
ただ、彼女が自分と同じように短い時間ながらも一緒に過ごした楽器に愛着を持っていたことが嬉しかった。
その事実はたとえ血が繋がっていなくとも、私達が姉妹であることを暗示しているように思えたから。
……それに二人一緒なら、最悪のことがあっても。
八橋がここまで考えていたのかは、分からないけど。
私達はその後二時間ほどかけ、果てしなく散らばる道具の山を掻き分け続けた。
そして、長い時間をかけた甲斐があってか私達はそれぞれ古く痛んだ物ながら、二つの弦楽器を見つけた。
手に抱えるタイプを私が、床上に置いて使うタイプは八橋が手に取った。
私の方は雨に打たれたせいか全体が腐食していたし、八橋の方は弦が二本切れていた。
外の世界で使われなくなり、忘れられた楽器だ。
勿論、これらの楽器をそのまま依り代にしたわけではない。
大切なのは楽器に込められた想い、魂。
忘却、より悪い予想をすれば廃棄という形で外の世界から隔絶されたこの子達の魂。
それをここ幻想郷が、私達の身が器となって受け入れる。
琵琶と琴。
実はこの時まで、私も八橋も人間達が使う楽器としてのそれをちゃんと見たことがなかった。
でも、不思議と迷いはなかった。
それぞれが選んだ楽器を胸に抱き、目を閉じる。
すると先程まで聞こえていた風や虫の鳴き声が止んだ。
代わりに両手で抱え込んだそれが熱を帯び、弦を弾く音が耳朶に響き始める。
張られている弦はすっかりへたれて張力などろくにかかっていないはずなのに。
「まだ音を奏でたい」、「たくさんの人に聞いて欲しい」。
そんな気持ちを現すかのように、響く音は力強かった。
どれだけの時間が経っただろうか。
気が付くと音は止み、抱いていた楽器は跡形もなく消失した。
それでも、私達の中には先程までの温もりがはっきりと残っていた。
……大丈夫、この想いは私達がこの幻想郷に、音にして響かせてあげる。
こうして、私と八橋は半身をそのままに魔力の乗り換えをやり遂げた。
人里が見えてきたところで雷鼓がぽつりと言った。
「……本当に、よかった。私が上手くいったからといって二人も成功する保証はなかったから。
本当に、よかったわ……」
いつも落ち着きのある彼女にしては珍しく、弱気な発言だ。
私達の知らないところでなにかあったのだろうか。
「もう、しゅんとしてるのなんて雷鼓姐らしくないよ! ほらほら、もうすぐ演奏会なんだから!」
八橋の言葉に雷鼓が顔を上げたところで、私も軽く頭を下げて言った。
「感謝しないといけないのは私達の方です、本当に、ありがとうございます」
「……二人に出会えてよかったわ。うん、今日の演奏会も頑張りましょう」
雷鼓の言葉に八橋はガッツポーズ、私はお辞儀で応えた。
やっぱり、これだけ親切で感情豊かな人が裏切るつもりで接触してきたとはとても考えられない。
いつか、自分達だけで十分にお金を稼げるようになったらきちんとお礼をしないと。
もう、私の魂は私一人の物ではない。
あの子、針妙丸が小槌の魔力から与えてくれた命。
名前も知らない外の世界の、忘れられた楽器に込められた奏者の想い。
みんなに恥ずかしくない生き方、しなきゃ。
演奏会は特に大きな問題もなく幕を閉じた。
最近は応援してくれるファンも少しずつ増えている。
私たち一人一人を名前で呼んでくれる人も多くなってきた。
控室を出てから人里の往来に出る。
まだお昼時だからか、道には多くの人間がいた。
川を挟んだ向かいの道を見ると寺子屋の帰りなのか、何人かの子ども達が大声で鞄を振り回しながら駆け回っている。
思えば今の生活が始まってから、のんびり買い物をするなんて初めてのことだ。
それだけで、なんだか楽しい気持ちになってくる。
十分かどうかは分からないけど、自分達で稼いだお金もちゃんとある。
昨日八橋は服やアクセサリーが見たいと言っていたからまずは呉服屋さんに行くのかな。
そんなことを考えていると前を歩いていた雷鼓が急に後ろを振り返り、真剣な顔をして言った。
「ごめん、弁々。ちょっといいかしら」
「どうしたんですか?」
「私が所属してる付喪神の会合があるんだけど、そこでちょっとした厄介事があってね」
「……厄介事?」
「人里に忍び込んで盗みをはたらいている妖怪がいるの。
それだけならともかく、それが私達付喪神の仕業じゃないかって噂が広がりつつあるの」
次に雷鼓の口から出る言葉はなんとなく想像がつく。
野放しにしていては自分達、ひいては付喪神全体が風評被害を被ることになる。
だから自分達の手でそいつを捕える、ということだろう。
勿論、ここは是非協力を申し出よう。
これまでに受けた恩を多少でも返せるかもしれない。
そう言えば、八橋が何も言わないのは何故だろうか。
こういう話にはすぐに飛びつきそうなものなのに。
さておき、私は彼女の目を見て言った。
「勿論、私も協力します」
だが、雷鼓の反応は私の予想とは違った。
彼女は片手を振り苦笑いを浮かべながら応える。
「ううん、仲間の話じゃ大した奴じゃないみたいだから大丈夫よ。ただ」
私の考え過ぎだったのだろうか。
昨日と一緒で今日も少しの間別行動、ということか。
しかし、次に飛び出した言葉は私にショックを与えるに十分な威力を持っていた。
「八橋を連れて行ってもいいかしら、実は」
「え?」
私は雷鼓の言葉に割り込む形で思わず間抜けな返事をしてしまった。
何故、八橋だけを連れて行く?
どうして私は着いて行ってはいけない?
ここに来てもなお無言の妹に視線を向けると、彼女はびくりと肩を震わせた。
でもそれはほんの一瞬のことで、すぐに破顔して滔々と喋り始めた。
「ちょっと雷鼓姐、大事な部分を言わないと姉さんがショック受けるでしょ。
……姉さん、今日珍しく起きるの遅かったよね。実は今日、何回も起こしたんだよ」
「……え?」
「……全然起きないから、ちょっと怖かった」
妹にこんなことを言われる日が来るとは夢にも思っていなかった。
これに付け加えるように雷鼓も続けた。
こちらは申し訳なさそうに先程より声を落としている。
「ごめんね。帰って落ち着いてから説明するつもりだったんだけど、この件は思ったより急を要するみたいなの。
ここしばらくずっとお休みがなかったし、きっと疲れが溜まってるのよ。だから今日は早めに帰って、先に休んでて頂戴」
まさか、自分がそこまで疲労を溜めこんでいるとは思っていなかった。
二人が嘘を言っている感じもしないし、ここで意地を張ってもいいことはないだろう。
私は大人しく二人の言葉に従った。
「……うん」
「姉さん」
「…ん?」
「泥棒なんか私がどかーんってやっつけちゃうから、姉さんはゆっくりしてて。
明日は里で甘い物いっぱい食べに行こ!」
「今日は掃除もしなくていいからね、いつも綺麗にしてくれてありがとう」
「……うん」
二人はこのまま会合に顔を出し、軽く準備をしてから盗人が連日姿を現す区域に張り込む。
雷鼓曰く、元々はこの件が落ち着き次第私達姉妹のことをグループに紹介するつもりだったらしい。
会合と言ってもメンバーは十数人で、その多くは私達と違って戦いの経験など全くない。
雷鼓は以前も仲間に危害を加えた野良妖怪を撃退したことがあるらしく、組織内で彼女が頼られているのはそういった事情もあるようだ。
さて、このまま大人しく長屋に帰るべきか。
あてもなく人里の出口に向かって来た道を引き返していると、急に後ろから声をかけられた。
振り向いて顔を見ると少女が肩で息をしていた。
初対面だが、その容姿から彼女が人間でないことはすぐに分かった。
手に持った紫色の和傘にはぎょろぎょろとこちらを見つめる大きな一つ目。
ライトブルーの髪に左右でそれぞれ色の違う瞳。
「……誰?」
私の問いに彼女はよくぞ聞いてくれた、と言わんばかりに傘を振り大仰な身振りを交えて答えた。
「私は多々良小傘! 貴女と同じ付喪神よ」
もしや、彼女も雷鼓の言う会合のメンバーの一人だろうか。
とりあえず、探りを入れてみる。
「……貴女も、小槌の魔力で生まれたの?」
「ううん、私はずっと昔からこの姿。ねえ、ここじゃなんだしちょっと入ろ」
小傘はそう言って通りの少し先にある茶屋を指差し、私の手を引っ張った。
「え、ちょっと」
彼女に先導されるまま、私は四人掛けのテーブル席に向かい合う形で座らされた。
「ねえねえ、今日は演奏会あったの?」
どうやら相手は私のことをある程度知っているようだ。
一見すると危険な雰囲気は感じられない。
むしろ先程ずっと昔、という言い方をしていた割にはどこか子どもっぽささえ感じる。
相手の思惑は分からないが、今すぐ帰らなければならない理由も無い。
私はとりあえず質問に答えた。
「うん、丁度さっき終わったけど」
すると彼女は残念そうに言った。
「あー……。急いで仕事終わらせてきたのに」
もしかして、これまでにも来てくれたことがあったのだろうか。
普段から極力ファンの顔は覚えるよう努めているのに全く記憶にない。
しかし、こんなに目立つ容姿の彼女を覚えていないなんてことがあるだろうか。
「……もしかして、来てくれたことあったの? もしそうなら……ごめんなさい」
「ううん、会うのは今日が初めてだよ。本当はちゃんと客席で聴きたいんだけど……」
聞けば彼女は人を驚かせ、恐怖心を食べることを生き甲斐とする唐笠お化けだった。
普段はそれ以外に鍛冶やベビーシッターもして生計を立てているらしい。
特に鍛冶の仕事は人妖問わず依頼が入ってくるとのことで、その腕前は本物なのだろう。
ベビーシッターの方も、一部の親御さんからは定期的に依頼を受けている。
しかしこちらはまだまだ賛否両論というところなのか、一部の区域の大人達からは「人攫いの怪しい傘妖怪」と酷い噂を立てられることもあるのだとか。
そのため彼女は日中の人里の催事にはあまり表に出ないようにし、私達の演奏も屋根裏からこっそり聴いていた。
なんにせよ、自分達の演奏を気に入ってくれていたことは私を嬉しい気分にさせた。
「ありがとう、嬉しいわ」
「えへへ、もし刃物が痛んだら私に言ってね。ぴかぴかにしてあげるから」
小傘はそう言いながら得意げに微笑む。
自分の特技を生かして人間とここまで共存出来る。
こんな付喪神とは初めて知り合った。
下剋上を企てた私達とは正反対。
でも、彼女は今幸せそうに見える。
こういう生き方も、あるんだ。
そこまで思考を巡らせたところで、私は話を戻そうとした。
「……えっと」
私が言わんとしていることを汲み取ったのか、小傘が慌てて言った。
「あっ、ごめん。声をかけた理由なんだけど」
彼女はそう言って一呼吸置いてから話し始めた。
「私、実は付喪神同士が情報を交換する会合に参加してるの。もしかして、弁々も知ってる?」
「うん、雷鼓も所属してるのよね」
「そうそう。私と雷鼓を入れて十六人のグループなんだけど、最近ちょっと物騒なことが起きてるの」
「もしかして、盗人が出た件のこと?」
「うん、そうなんだけど……雷鼓がちょっと」
話が不穏な方向に進んでいる気がする。
おそらく私達三人と違い、小傘はかなり前からこの辺りで暮らしている。
付喪神としては先輩、と言える。
だが彼女も雷鼓もかなり人当たりは柔らかいタイプに見え、仲違いを起こすイメージはあまり沸かない。
嫌な予感がしつつも、私は続きを話すよう促した。
「この前私達で一番小さい、筆の付喪神の子が盗人の目撃情報をくれたの。
深夜に米や野菜の貯蔵庫がある通りの近くを人影が猛スピードで通り過ぎたのを見た、って。
実際に翌日人間達が集まって騒いでたから、私もその人影が犯人だった可能性は高いと思ってる。
夜間だったし、グレーの外套と笠で顔も見えなかったみたいだけど」
「走りが人間には無理な速さだった、ということね」
「うん、前にそこの近くの民家でも何度か盗みの被害が出てたからこれも同じ妖怪がやったんだってみんな言ってるわ。
ただ、うちのグループは荒事なんてしたことない子ばっかりだし私もあんまり強い方じゃないの。
それでどうしようかって話をしてたところに雷鼓がやってきて」
「……なんて言ったの?」
「……『教えてくれてありがとう、もう大丈夫。そいつは確実に絞める』って」
そこまで言い終えた小傘の顔色は先程より青ざめている。
先の台詞も、顔すら知らない盗人一人に対するものにしては中々に物騒だ。
一体、どういうことなのだろうか。
言葉を失う私に、小傘が付け加えた。
「勘違いしないでね、雷鼓は普段はとっても優しいの。
戦えば私達の中で一番強いし、メンバーが他所の野良妖怪に襲われたところを助けてくれたこともあったの。
だから、あんなに怖い言い方にちょっとびっくりしちゃって……」
「……グループのトップは雷鼓なの? それとも小傘?」
「一応私が一番長くいるからみんなにお願いされたことはあるけど……私そういうの、苦手なの。
みんな同じ立場で、のびのびお話したいし」
今日会ったばかりだが、確かに彼女は積極的に前に出るのが好きなタイプには見えない。
リーダーが不在の組織。
そのメンバーは皆盗人に困らされている。
そこに「私が退治する」と雷鼓が現れれば、諸手を振って任せるのは必然だろうな、と思った。
「じゃあ私に声をかけに来たのは?」
「……なにか、嫌な予感がするの。
これまでに一度も姿すら見せたことがなかったのに急に目撃情報が上がってきたのも変だし、
普通の人型の妖怪が立て続けに同じ区域を狙ってくるのも、ペースからして食べるのに困った妖怪がやってるとは思えないわ」
どうやら狙われる物には全く規則性がなく、量も少しだけしか盗まれないらしい。
「……それは確かに、そうかもしれないわね」
「……ごめんね。いきなりこんなこと言われても困ると思うけど、
グループの子達はこれでもう安心だって浮かれてしまってて相談できる相手もいなかったの」
「それで、雷鼓と一緒にいる私のところに来たのね」
「……うん」
仮に今日これから二人を探し出し、説得出来たところで代替案がなければ被害は続く。
そうなればやはり食糧庫周辺を張り込むべきじゃないか、と言われるだろうしそれを否定出来る強い根拠もない。
私が黙っていると、小傘がさらに言った。
「そうだ、それからこれ……」
小傘は鞄から四つ折りにした紙片を取り出し、テーブルの上に広げた。
それはいつのものだろうか、新聞記事を切り抜いた物だった。
そこには白黒で映りこそよくないものの、あの子の姿があった。
私達の生みの親、少名針妙丸。
そしてその隣にいた人物は先日の異変で私達を打ち倒した博麗の巫女、博麗霊夢その人だった。
背景もほとんど見えないが、これは神社の縁側で向かい合っているのだろうか。
引きの構図で撮られているため、二人の表情は全く読み取れない。
それに気のせいか、あの子が異変の時よりも小さく見える。
見出しから記事の本文と読み進めていくと、どうやらこの書き手は取材をしたというより遠目から撮影をしただけのようだ。
「博麗神社に小さな同居人、巫女との関係は」という見出しの通り、詳しいことは分かっていないも同然の内容。
「これ、どういうこと? どうしてあの子が巫女と一緒にいるの!?」
私の問いに小傘は気圧されたように肩をびくりとさせた。
慌てて気を沈め、声を落として謝る。
「あっ、ごめんなさい……大きな声出して」
「ううん、大丈夫。……えっと、これはついさっきうちのグループで古本屋に住み着いてる子が新聞からこっそり切り取ったのを渡してきたの。
雷鼓から針妙丸って子の情報が見つかり次第楽団のメンバーに教えて欲しいって言われてたから」
これも雷鼓が裏で動いてくれていたおかげなのか。
とにかく、あの子が無事であることは私を安堵させた。
よかった、本当によかった……。
私は頭を下げて小傘にお礼を言った。
「……よかったわ。ありがとう、小傘」
「……大切な人なんだよね」
「え?」
「雷鼓から聞いたの、弁々達を生んだのがその子なんだって」
「……うん」
勿論、八橋との姉妹関係と同様に血のつながりがあるわけではない。
だが、彼女の弱者が平和に暮らせる世界を創りたいという願い。
私達がその想いから生まれた存在であることに変わりは無い。
依り代が変わっても。
魔力の基が変わっても。
ずっと、ずっと。
早く、会いに行きたい。
あの子がどこまで現状を知っているかは、分からない。
きっと心細い思いをしているに違いない。
写真を見てもよく分からないけど、もしかしたらあの巫女からひどい扱いをされているかもしれない。
記事の切り抜きを握る手に力が入る。
しかし、盗人の件はどうするか。
私達の中で頭一つ抜けて高い実力を持つ雷鼓が盗人ごときにそう易々と不覚を取るとは思えない。
小傘が不安に思う気持ちも分かるけども。
ああでもないこうでもない、と考えている私に小傘が呟くように言った。
「……行ってあげて」
「え?」
「たった一人のお母さんなんでしょ? だったら早く行ってあげなきゃ」
お母さん、という言葉。
他人に言われると不思議と妙なくすぐったさを感じてしまう。
「でも、小傘がさっき言ってたことは」
小傘は言葉とは裏腹になんでもないことのように応える。
「うん、心配だよ。でもそっちは私も出来る範囲で注意してるから。それに……」
一度言葉を切った後、静かな口調で続けた。
「私もその子に、会ってみたいな。ね、今度紹介してくれる?」
「……勿論よ、小傘は私達の先輩なんだから」
行こう。
行って、あの子の無事を確認しないと。
それに、妙な胸騒ぎがする。
異変は、私達の下剋上は確かに一度幕を閉じた。
でもまだなにかが、終わっていない。
ふと、ある一つの仮説が頭に浮かぶ。
小槌の魔力は既に失われつつある。
だが、全てではない。
これが意味することは。
この考えが正しいかどうか、それを知るためにも。
私は小傘にお礼を言い、人里の出口に向かって駆け出した。
門を出てすぐに地を蹴り、飛行を開始する。
高度を十分に上げたところで神社がある目印の森を目指し、ひたすらに前進する。
目的地は先日見た地図で言うとこの幻想郷の東端に位置するらしい。
風を切る音が甲高く聞こえるほどの速さで飛んだのは先日の異変以来かもしれない。
あの後、小傘は彼女が知っている範囲で逆さ城が現れてからの世情についても教えてくれた。
鬼人正邪は現在も逃走を続けており、既に一部の区域ではお尋ね者として指名手配されている。
(ついでに私達姉妹のことについても聞いてみたが、演奏以外は特に話題になっていないとのことだった)
小傘に記事の切り抜きを渡した付喪神は十年以上も前から同じ古本屋に住み着いている。
店主と客の会話を盗み聞きしたり、夜中に店の新聞をこっそり読み漁ることで日々情報を集めているらしい。
今度、直接お礼を言いにいかないと。
一つ確かなのは世間は決してあの子、針妙丸と鬼人正邪を同じ立場としては見ていないということだ。
もし二人とも指名手配されているなら、あの巫女が先に捕まえた針妙丸を拘束もせず一緒に暮らしているのはおかしい。
黒幕はあくまで鬼人正邪。
世間の目はそう捉えている。
針妙丸は今、何を思っているのだろう。
私のように直接言葉をぶつけられたわけではないとは言え、既に薄々気付いているはずだ。
自分は神社に留め置かれ、正邪は指名手配されている理由に。
あの博麗の巫女が大人しく私を迎え入れてくれるとは思えないし、先日の惨敗を思い出すと正直怖い。
でも、ここ数日で私なりに学んだこともある。
急ごう、あの子のもとに。
眼下に広がる森林地帯を注意深く眺めていると、赤い鳥居が視界に映った。
あそこだ。
私は覚悟を決め、一気に手前の石段に向かって急降下を始める。
足が着く寸前でブレーキをかけ、静かに着陸する。
小石が軽く宙を舞った。
鳥居を潜り、境内に足を踏み入れる。
縁側、賽銭箱、離れと順に視線をやるも誰もいなかった。
ふと、縁側の方でなにかが動いたように見えた。
慎重に一歩一歩近付くと、それが私の探していた人物の後姿であることに気付く。
綺麗な着物にお椀の帽子から見え隠れする薄紫色の髪。
写真で見た通り、背丈が異様に小さいのは気のせいではなかった。
一体、どうしたのだろうか。
とにかく。
やっと、やっと会えた。
ようやくの再会に喉元から緊張しているのが分かる。
声をかけようとしたところ、背後から声がした。
「あんた、なにしてんの」
腰が抜けた。
同時に「ひっ」と間抜けな声も漏れ出てしまう。
慌てて振り向くとそこにいたのは箒を持った博麗の巫女。
気配はなかったはずなのに、全く気付けなかった。
私が言葉を失っていると、針妙丸がこちらをくるりと振り向く。
そして、口をぱくぱくさせる私を見て、頬を緩めるとそのままとことことこちらに向かって駆けてくる。
着物の裾を握って転ばないようにしている姿が可愛らしい。
「弁々!」
私は彼女をそっと抱きかかえた。
その背丈は私の膝にも届かない。
異変の時から半分ほどに縮んでしまっている。
話したいことは山ほどあったが、今は早急に済ませなければならないことがある。
嬉しそうに白い歯を見せて笑う彼女を一旦静かに縁側に下ろし、霊夢の方に向き直る。
落ち着き払った表情からこの巫女が何を考えているかを窺い知ることは出来そうにない。
あからさまに警戒しているわけでも、かと言って歓迎されているわけでもない。
私は一歩近づき、ポケットから硬貨を二枚取り出してから一息に言った。
「お祈りがしたいんだけど、いいかしら」
すると霊夢ははっきりと笑顔を見せ、本堂の前を指差した。
「いらっしゃい、素敵なお賽銭箱はそこよ」
「暑かったでしょ、はい」
「あ、ありがとう」
今、私は針妙丸を間に挟む形で霊夢と縁側に腰かけている。
「お賽銭を持って行けば大丈夫」という小傘のアドバイスに内心で感謝した。
よく冷えた麦茶が乾いた喉を潤してくれる。
私が器を置いたところで、霊夢が言った。
「で、どうしたの? あの天邪鬼の情報でも持ってきてくれたの?」
思わず針妙丸の方を見たが、視線が下に向いておりその表情は見えなかった。
霊夢の口ぶりからして既にこの子も事の真相を知っているということなのか。
私は慎重に言葉を選んだ。
「……いいえ、あれから一度も会ってないわ」
「ま、そうよね。もうすぐ正式に捕縛のお触れが出るからいずれ捕まるでしょうけど」
「お触れ?」
「ええ、詳しいことは私もまだ聞いてないけど」
ここ幻想郷には私なんて全く太刀打ち出来ないほどの強者が多くいることは知っている。
それらが一斉に捕縛に乗り出すとすれば、正邪も逃げきれないのではないか。
相変わらず、無言のままの針妙丸が気になる。
さっき見せてくれた笑顔は、異変の時となにも変わらなかった。
子どもらしい、飾り気のないそれは異変での戦いに臨む私達姉妹に不思議と勇気を与えてくれた。
本心が気になる。
動悸が激しさを増してくるが、話を聞かないことにはなにも分からない。
会話が一段落し、霊夢がお茶請けを取りに炊事場に行ったタイミングで声をかける。
「……針妙丸」
私の言葉に、針妙丸がゆっくりと顔を上げる。
被っていたお椀を脱ぎ、整ったショートヘアが露わになる。
「……来て、くれたんだね」
「……ごめんね。こんなに遅くなってしまって」
「……ううん、いいの。八橋も元気?」
「ええ、今度連れてくるわ」
「人間の里で演奏会、やってるんだよね」
「知ってたの?」
「うん、この前霊夢が教えてくれたの。ドラムの付喪神の子も一緒なんだよね」
どうやら私達の動向については霊夢が教えているらしい。
巫女というだけあって人間の里にも出入りしているのだろうか。
ここまで言葉を交わした限り、精神的に不安定ということはなさそうに見える。
少し踏み込んだことについて尋ねてみようか。
そこまで考えを巡らせたところで、針妙丸が言葉を続ける。
「……弁々、ごめんね」
思いがけない謝罪の言葉に、私は動揺した。
「どうしたの?」
「……私、小槌の魔力のこと、全然分かってなかった。
弁々と八橋が、小槌の魔力と一緒に消えてしまうなんて、知らなかった。
私、とんでもないことをしたんだって」
「それなら、もう私も八橋も新しい依り代に身体を乗り換えたから平気よ」
「でも、もしその呪法を知っている人に出会えてなかったら……」
確かに、考えてみれば針妙丸の言う通りではある。
私も八橋も、雷鼓に依り代を変える呪法を教わらなければ。
おそらく身動き一つ取れなくなり、最後には消滅していただろう。
でも、私は今ここに至るまでそのことをただの一度も考えなかった。
八橋だってそうだ。
雷鼓の導きで新しい依り代を得て、無事私達姉妹は「今」を手に入れた。
きっとその時点で私達にとって、消滅の危機は振り返るに値しない過去と化していたのだと思う。
「この小さくなった身体も、きっと罰が当たったんだ」
彼女の消え入りそうな呟きが聞こえた。
確かに、以前は私の腰ほどまであった身長が今では半分以下になっている。
でも、それはあくまで小槌の魔力を解き放った代償に違いない。
彼女が真相を知らなかったことに対する罰などでは、断じてない。
初めて会った日の宴会で、お酒に酔った八橋が膝に乗せて可愛がってたっけ。
私は考えるより先に、針妙丸の小さな体を両手でしっかりと抱きかかえた。
着物越しでもたしかな温かさが伝わってくる。
彼女は抵抗こそしなかったがびっくりしてこちらを見上げてくる。
私は目線を逸らさずにゆっくり、しかしはっきりと言った。
そうだ、私も本当はこうしたかった。
あの時はつい八橋に遠慮したんだった。
「……かわいい」
私の呟きを聞いた途端、針妙丸の小さな白い頬は真っ赤に染まった。
「え、え?」
「今の姿、私は好きよ」
「え、ちょっと、一体何言ってるのさ」
「ねえ」
私が一度言葉を切ると、彼女は相変わらず口元をあわあわさせていた。
構わずに続きの言葉を紡ぐ。
「私、針妙丸に生んでもらって本当に幸せよ。貴女のおかげでたくさんの素敵な仲間に出会えたんだもの」
「……弁々」
「確かに私達は消滅するかもしれなかった。けど、私も八橋も消えなかったわ。
それは、雷鼓さんとの出会いのおかげね。でも、私達が仮に依り代を何度変えたとしても」
人里で赤ちゃんを抱くお母さんが、こんな風にしていたのを思い出す。
針妙丸を肩の高さまで抱き上げて続ける。
「私のこの命は、貴女からもらったたった一つの大切なものなの。
だから、貴女がそんな風に悲しい顔をしているのは見たくないわ」
肩越しに嗚咽混じりの掠れた声が聞こえてくる。
針妙丸の柔らかい髪をそっと撫でた。
「ひっく、うぅっ……」
「……大好きだよ、お母さん」
「あら、もう話は済んだの?」
針妙丸が落ち着いたところで丁度霊夢が戻ってきた。
手に持った盆にはお饅頭が三つ乗っている。
きっとタイミングからして気を遣ってくれたのだと思う。
先日の異変で対峙した時の風景が追想される。
輝針城に続く雲路での、一騎打ち。
こちらが仕掛けた弾幕は全て悠々と避けられ、気付いたら距離を詰められていた。
最後の攻撃のつもりで放った大量の光線型の弾幕も、彼女の放つ無数の光弾によってあっけなく撃墜された。
文字通りの、完敗。
「あっ、お饅頭!」
すっかり元の調子に戻った針妙丸が盆に乗ったお饅頭を見つめている。
すると霊夢が盆を縁側に置いて言った。
「はいはい、今切ってあげるから」
そのまま一緒に持ってきた短めの包丁で三つのうちの一つを四等分した。
受け取った針妙丸が口を大きくあけて頬張り始める。
その幸せそうな表情に自然と自分の口元が緩んでいるのが分かる。
霊夢は残った二つのうち一つを指差して言った。
「もう一つはあんたの分よ。運がよかったわね、丁度三個しか残ってなかったから」
「あ、ありがとう。いただきます」
「せっかく買ってきてもいろんなのが来てすぐ減っちゃうのよね、まったく」
霊夢はそう言いながら自分もお饅頭を食べ始めた。
その姿は彼女も平時は普通の人間の少女なのだということを私に改めて認識させた。
思えば彼女は私が心配したような、針妙丸へのひどい扱いなどしていなかった。
それどころか私に対してもまるで普通の客のように接してくれている。
(これは多分お賽銭のおかげかもしれないけど)
針妙丸も決して霊夢に怯えたり、毛嫌いをしている様子はない。
もしかしたら、鬼人正邪から裏切られた精神的ショックを軽減する役割を彼女が担ってくれていたのかもしれない。
霊夢がそれを意識しているのかどうかは、分からないけど。
この神社には人間の参拝客こそ少ないが妖怪の出入りは多い、と小傘が言っていた。
人と妖怪の違いはあれど、彼女がいろんな縁を持っているのはこういった面があるからなのかもしれない。
お饅頭を食べ終え、残っていた麦茶で喉を潤す。
さて、後はあの裏切者の件だけ。
ふと、頬に餡子をつけて満面の笑みで饅頭にかじりつく針妙丸が視界に入る。
彼女の古傷を抉る話なだけに、話題に出しづらい。
かと言って、話すならさっさとしないとそろそろ夕陽も沈みかけている。
夜道は危険だし、小傘が言っていた件もある。
針妙丸がちょうど一切れ目を食べ終えたタイミングで、私は意を決して口を開いた。
「……針妙丸」
「なあに?」
「気を悪くしたらごめんなさい。その、裏切ったあいつのことだけど」
「……ひどいよね」
「……針妙丸?」
「私、楽しかったの。こんなこと言ったら霊夢は怒ると思うけど、異変を起こしてたあの頃が。
みんなで下剋上を目指していたあの頃が、本当に楽しかったの」
ちらっと視線をやると霊夢が自分の分の麦茶を飲み終えてからすまし顔で言った。
「聞かなかったことにしてあげるわ」
そのまま盆を持って立ち上がり、炊事場の方に歩いて行く。
彼女の後姿が見えなくなったところで、私は応えた。
「……私も、楽しかったわ。八橋以外で初めて出来た友達、仲間だから」
「さっき、言ってくれたよね。私のおかげでたくさんの仲間が出来た、って。
私にとっては、弁々と八橋がそうなんだよ。……だから」
針妙丸が一呼吸置いて続けた。
「私、異変が失敗したことよりも、みんなが離れ離れになったことの方が、悲しかったの。
霊夢には勝てないって分かった時、心のどこかで思ってしまってたの。それでもみんなが一緒なら、大丈夫、って。
だから……」
「針妙丸……」
針妙丸が着物の袖で目元を拭って言った。
「最初は、ずっと泣いてたの。でも、弁々と八橋のことを思い出してたら、泣いてばかりいちゃだめだ、って思えたの。
いつかもう一度会えた時に、かっこ悪いところは見せられないもん」
私達の母は、想像していたよりもずっと強かった。
自分が長い間一緒にいた相手に裏切られたこと以上に、私達がバラバラになってしまったことを悲しんでいるとは思っていなかった。
あいつの去り際の言葉が今も記憶にこびりついている私よりも、ずっと立派だった。
私は彼女の髪をそっと撫でた。
針妙丸が嬉しそうに頬をほころばせる。
「えへへ」
彼女曰く、既に各地で小槌の魔力が消え始めているらしい。
とはいえ中には未だ力が残っている道具もあり、完全に消えるのはまだまだ先になると思う、とのことだった。
私は今日の小傘とのやり取りと、里に現れた盗人が異様なペースで食糧の貯蔵庫周辺を荒らしていることについて話した。
犯人と見ている人物についてはあえて言わなかったが、彼女の顔つきは私の考えに見当が付いているように見える。
「……正邪が弁々から逃げる時、魔力の籠った道具を持ち逃げしたって言ったよね」
「……うん、袋に包まれてて見えなかったけど命の気配は七つか八つあったわ」
「多分、正邪の狙いは―」
私と針妙丸の考えは一致していた。
最後に彼女の小さな指を握り、私は言った。
「……私、行くわ」
「……弁々、もし正邪に会ったら」
続きを促す意味で彼女の顔を見返すと、俯いたままその小さな手を震わせている。
やがて、顔を上げて言葉を続けた。
「――」
その言葉に、私は思わず言葉を失った。
「……ごめん。でも、私どうしても」
「……うん」
分かってる。
あいつは、ひどい奴よ。
貴女を傷つけて、なんの罪もない道具達を攫って。
私も八橋も裏切って。
みんなにこんな辛い思いをさせて、本当に最低で、ひどい奴。
だから―
私は針妙丸にお礼を言ってから、神社を発った。
既に日は暮れており、あともう半刻もすれば幻想郷に暗い夜が訪れるだろう。
幸い、帰り道が完全に分からなくなる前に人里が見えてきた。
私とあの子の考えは一致していた。
問題は、あいつが目的とするであろう区域に先に張り込めるかどうか。
普段は決してしないことだけど、高度を下げずに人里上空をそのまま飛行する。
日中に妖怪がこんな真似をすれば大騒ぎになるかもしれないから。
こちらに敵意、害意がなくとも関係ない。
未知の存在に対する恐怖心は、憑りついた者の心を一瞬で堅牢な鉄の檻へと変える。
幸い、もう遅い時間だからか商店はその大半が店を閉め、往来は閑散としている。
昼間に小傘と入った茶屋が目に入る。
既に営業は終了しているのか、灯りはついているが客の気配はない。
そのまま通り過ぎようとしたところ、私は慌ててブレーキをかけた。
今日は雨どころか雲一つない快晴だった。
そんな天候に不似合いな大きな傘を広げる知人を私は一人しか知らない。
高度を下げていくと、傘の一つ目が瞳を小さく収縮させた。
傘が下ろされたのと私が往来に着地したのはほぼ同時だった。
そのまますぐに傘の主に声をかける。
「小傘」
私の声に驚いたのか彼女は傘を落としそうになった。
「ひゃっ!」
「貴女が驚かされてどうするのよ。それより、会合の方は?」
小傘は小さく首を横に振って答えた。
「いつもの集合場所に行ってきたんだけど、やっぱりみんな雷鼓の行先は知らないって」
やはり雷鼓は今日も同じ区域、人里の東側に位置する食糧庫周辺に盗人が来ると考えているのだろうか。
食糧庫や書庫は十、二十ではきかないほどのいくつもの建屋に分かれ、それらはある程度ばらけた位置に建てられていると聞いている。
人里には一応自警団があり、夜間は見回りをしている。
しかし、彼らは原則民家の多い地域を優先する。
人数自体もかなり少なく、貯蔵庫の方まではとても手が回っていないのが実情だ。
私は神社に行ってからのことと合わせて、自分の考えを告げた。
小傘が結論を出すのは早かった。
「……私も、そう思う。多分、泥棒の狙いは食べ物じゃないよ」
控えめながらはっきりと答え指差した先は道具、資材の保管庫がある方角。
間髪を入れずに私は言った。
「行こ、小傘」
「……うん!」
私達が地を蹴ったのは同時だった。
小傘が指差した方向を目指す。
私と針妙丸の読み通りなら、今日あいつは東の食糧庫の方には来ない。
何度も同じ場所で騒ぎを起こして。
それまで姿一つ見せない完璧な立ち回りをしていたのに不自然に一度だけ姿を晒して。
そこまでして注意をそっちに引く狙いはきっと。
ふと気になったことを小傘に尋ねる。
「……そういえば、いつ頃からあの店で待ってたの?」
「集合場所から戻ってからだから、多分四時間ぐらいかな」
小傘はなんでもないことのように平然と口にした。
当然ながら、私は彼女と待ち合わせなどしていない。
そもそも、考えてみれば昼に初めて会った時後で戻ってくると答えたわけでもない。
今日会ったばかりの自分をそこまで信じて待っていたことに、私は動揺が隠せなかった。
「……ずっと、待ってたの?」
「……ごめん、言い出しっぺなのに。私、心細かったの。
資材庫に一人で行くかどうか、正直迷ってた。
でも、弁々ならきっと来てくれるって、思ってたから……」
私は片手を傘の柄に、もう片方の手を彼女の手に重ねて言った。
「……その、えっと、お待たせ」
「えへへ、おかえり」
「……無事あの子にも会えたわ、今度小傘にも紹介しなきゃね」
小傘は嬉しそうに私の手を握り返して言った。
「いつでも呼んで。……私、待つの得意だから」
そのまま目的地がある人里西側に向かって飛行を続けていると、段々と長屋や民家が少なくなってくる。
足を運ぶのは今日が初めてだけど、目的の倉庫がある区画はもうすぐのはずだ。
そこまで考えを巡らせたところで、木造の大きな建屋が見えてきた。
ここには様々な道具や資材が保管されている。
建屋は三階建てぐらいの高さで四棟が固まっているのが遠目からでも確認できた。
飛行したままこれ以上近寄るのは不味い。
小傘の案で一度高度を下げ、一番近い倉庫から別の家屋二軒を挟んだ路地裏に身を隠すことに決めた。
この二軒はどちらも荒れ放題で人が住んでいるようには見えない。
人里の地理に明るい小傘の知識に感謝しつつ、二人同時に高度を下げようとした。
次の瞬間、こちらから見て最も遠い建屋の裏口でなにかが蠢いた。
目で追った矢先、人影は革袋片手に地を蹴り、飛び上がった。
グレーの装束を纏ったフード姿は小傘の言っていた人相と一致する。
そしてこの幻想郷で空を飛べる者は一部の例外を除いて人外と相場が決まっている。
あいつは十中八九妖怪だ。
それに、はっきりと感じ取れる。
あいつの握る袋の中で胎動する命の気配。
小槌の魔力で力を得た道具に間違いない。
人影は袋を抱えるように持ち替え、人里の外に向かって飛行を始めた。
その軽快な身のこなしに、一瞬だけ見えたメッシュの入った前髪。
犯人の正体が推測から確信に変わる。
全力で飛行するのは見たことがないけど、私より速いかもしれない。
少なくとも、大きな傘を抱えた小傘が追い付ける速さではない。
「みんなにこのことを知らせて」
小傘は一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐに口を引き結んで応えた。
「……無理はしないで、絶対帰ってきてね」
「ええ」
短く応え、再び高度を上げ人影の後を追い始める。
コントロール出来るギリギリの出力を維持しつつ、私はひたすらに飛行を続けた。
あいつは脇目一つ振らない。
気付かれるリスクはあるが、空中で隠れる場所などないし少しでもブレーキをかければ見失いかねない。
私は必死に後を追いかけた。
風圧が肌を容赦なく打ち叩いてくる。
不味い。
このままでは引き離される。
逃がすわけにはいかない。
逃がさない。
針妙丸との、母とのやり取りが追想される。
私達の大切な人を傷つけて、なんの罪もない道具達を攫って。
私も八橋も裏切って。
みんなに辛い思いをさせて、本当に最低で、ひどい奴。
だから私はあいつを―
私はあいつを、どうしたい?
八橋は得られた「今」を全力で生きている。
雷鼓は行き場のなかった私達に手を差し伸べてくれた。
……今なら分かる、雷鼓が会合の仲間の前で小傘を怯えさせるほどの迫力を見せた理由。
おそらく、二人も泥棒の正体に気付いている。
八橋は裏切られたことに強い怒りを露わにしていた。
きっと雷鼓も同じ、仲間の道具達を悪事に巻き込もうとするあいつが許せないのだと思う。
不意に先ほどまで手を握っていた友人の姿が追想される。
多々良小傘。
彼女は人と共存する妖怪の生き方、私が知りもしなかったそれをその身を持って教えてくれた。
そして、雷鼓に負けないぐらいに友達想いの優しい妖怪だ。
動く動機は雷鼓と同じに違いない。
付喪神の仲間たちを案ずる気持ち。
ただ、彼女はおそらく犯人の討伐、捕縛よりも仲間の身を第一に考えている。
針妙丸は悲しみに打ちひしがれながらも、前を向いて生きる決意をしていた。
そして彼女は私にある願いを言った。
―じゃあ、私は?
私自身は、本当はどうしたい?
一体、誰が正しい?
私は今、なんのためにここにいる?
私の本当の気持ちはどこにある?
じりじりと引き離され、気付けば最早「あいつ」の姿は微かな輪郭しか見えない。
人間の里を抜けてしばらく経つのにスピードを緩める気配もない。
これがあいつの普通の速度なのか、それとも既に私の存在に気付き撒こうとしているのか。
微かに水の音が聞こえることから、近くを河が流れていることだけは分かる。
だが、私にとって幻想郷は人里の周り以外のほぼ全てが未知の世界。
今も既に自分がどこを飛行しているか、分かっていない。
帰り道がない以上、最早後を追う以外の選択肢はない。
その直後、前方を飛行していた「あいつ」との距離が不意に縮まった。
だが、その意図を考えるだけの猶予が私に与えられることはなかった。
目の前に強い白光が広がる。
反射的にかけた急ブレーキの反動で身体が強く揺れた。
弾幕か、それともまさか爆発物か。
横に飛びのこうにも、バランスを崩した私の躰はコントロールが利かない。
直後、両手は無意識に顔面を庇っていた。
だが、予想していたような熱や衝撃はなかった。
数秒の後に腕を下ろし、ゆっくりと眼を開ける。
眸に焼き付けられた黒く眩い残像が視界を著しく制限する。
両目をかきむしるように擦り、周囲を見回したが「あいつ」の姿は完全に消えていた。
あいつは私が後を追ってきていることにはとっくに気付いていた。
多分、今のは照明弾かなにかだったのだろう。
このままでは逃げられる、そう思いながらも眼を閉じ意識を集中させる。
同胞の気配を感じることが出来れば、きっとまだ後を追える。
思った以上に冷静な自分がまるで他人のようにすら思えてくる。
そうだ、私に帰り道はない。
とことんまで前に進むしかないんだ。
網膜に焼き付いた残像がようやく消える。
瞳の中に広がる黒い世界に、微かな紫色の光が灯る。
間違いない、あの子が振った小槌の魔力。
手を伸ばし、目を開けたがそこにはなにもなかった。
眼前に広がるのは幻想郷の暗い夜空だけ。
それでも、私は確信を持って自分の手が指し示す方角に向かって飛行を再開した。
まだ、生きている仲間がいる。
あの子が解き放った魔力を受けた子達が。
時折目を閉じ気を静めると、紫色の光はその存在を確かに示してくれた。
少し進んでは目を閉じ、少し進んでは目を閉じ、を繰り返すうちにやがて光との距離が縮まってきた。
そしてついに、先程までは不規則な動きで揺れるように浮遊していた光の動きが完全に止まった。
地面に降りて息を整える。
そのまま再度目を閉じて意識を集中させると、林の奥で光が大きく明滅を繰り返している。
再び動き始める気配はない。
私は一分ほどその場で気を落ち着かせた。
やがて意を決し、奥に向かって歩を進める。
今日一日でかなりの距離を飛行したのもあって、身体ははっきりと休息を求めている。
それでも、立ち止まっている余裕は無い。
しばらく進むと、そこには小屋があった。
大きさはかなり小さい、六帖ほどだろうか。
屋根も壁も老朽化が激しく、塗装はほとんど落ちてしまっている。
だが四方のうち二面に設けられた窓からは灯りが漏れ、ここに誰かがいるのは間違いない。
眼を閉じると、案の定そこには同胞の纏う紫色の光があった。
それもその数は先程までより、遥かに多い。
私は確信した。
ここはあいつの隠れ家で、今日盗んだ道具以外に逆さ城から持ち出された道具もここに置かれているんだ。
ようやく、ここまで来た。
あいつの気配は感じ取れないけど、それでも間違いない。
こちらをここまで素通しして灯りも点けているあたり、一度振り切った私がここまで来たことにはまだ気付いていないはずだ。
一先ずは様子を見ようと、慎重に入口と思われる勝手口に近い方の窓に近づく。
もし運悪く目が合ったら、覚悟を決めよう。
正直、自分が本当はどうしたいのかは、未だに分からない。
でも、今確実にやらなければならないことははっきりしている。
仲間達を、取り戻す。
同胞達を悪事に加担させるわけにはいかない。
犯人に最も近い場所にいるのは、私なんだから。
私は足音を立てないように窓からそっと中を覗いた。
そこにあったのはあいつ、鬼人正邪の後姿だった。
畳上に腰を下ろし、手元で何かを動かしている。
角度を変えて覗き込むと、布巾で何かを磨いている。
四角くて小さい箱のような形をしたそれは、多分天狗が用いるカメラという道具だったと思う。
彼女の左手側には他にも多くの道具が置かれている。
その中には今日盗んだと思われる物も含まれていた。
そして右手側には磨き終えた物なのか、短い棒のような道具が立て掛けられている。
視線に気付いている様子はなく、ただ黙々とカメラを磨く。
時折手拭いで額の汗を拭う以外は同じ動作が続いた。
斜め後方から微かに横顔が見えた。
それは城で一緒に過ごしていた頃よく目にした、感情に乏しい細目のすまし顔。
私はなぜか、目が離せなかった。
正邪は一つ、また一つと道具を磨き終えていく。
部屋内に視線を走らせると、道具と布団以外は火の点いたランプがあるだけだったが床に汚れやゴミは全く見当たらない。
意外に綺麗好きなのだろうか。
そんなことを考えている場合でないことは分かっている。
だが、私は次の行動を起こすタイミングを決めかねていた。
道具が正邪のすぐ傍にある以上見つからないように取り返すことは不可能。
そうなると選択肢は自ずと、交渉するか実力行使に出るかのどちらかしかない。
気付けば磨かれていない道具は、あと一つだけ。
「おい」
一瞬、その言葉が正邪から自分に向けられたものであることに気付けなかった。
咄嗟に身を隠そうとしたが、それより先に振り返った正邪と眼が合った。
正邪はそのままどこか面倒くさそうに、道具を革袋に詰めて小屋の外まで出て来た。
私の口は考えるより先に言葉を発した。
「……私に気付いていたの?」
「お前だけが後を追ってきたのは分かっていたからな」
泳がされていた。
それは正邪にとって、私一人なら問題なく対処出来るということに他ならない。
思わず歯噛みした。
悔しいけど、現実に私一人で正邪を捕縛出来る自信はない。
「……連日食糧庫の近くに現れた泥棒は」
「付喪神の連中は全員そっちに引き付けるつもりだったが、そこまで上手くはいかなかったな」
正邪の態度は台詞に反して残念がっているわけでも、焦っているわけでもない。
やはり予想した通り、狙いはこちらの注意を食糧庫側に引き付けることだった。
自警団が人数不足で居住区以外の警備が手薄なことも計算ずくだったのだろう。
私は正邪の持つ革袋を指して言った。
「……みんなを返して」
正邪はさして驚いた様子もなく、平坦な口調で応えた。
「別にお前の所有物じゃないだろ」
「そうよ、でも貴女の物でもない。だから貴女の悪事に巻き込まれなきゃいけない理由もないの。
お願い、その子達を返して」
「悪事じゃない、下剋上に協力してもらうだけだ」
あの忘れられない夜、裏切りを告げられた時の光景が再び脳裏を過る。
目の前の、妹と母以外で初めて心を許した相手との最後の時間。
胸に刺さったままの、抜けない言葉。
忘れたくとも忘れられない、針のように鋭利な言葉。
『私は最初からずっと、お前らのことなんて駒としか思っていなかった。
だからこれきりだ、得られたばかりの命を落とさずに済むだけ、幸運に思えよ』
「……貴女は私を、私達を裏切った」
無意識のうちに握り拳に力が入る。
「お前一人で私をどうにか出来るとでも?」
「……もうすぐ幻想郷全体にお触れが出るわ、そうなればどっちみち捕まるのよ。
大人しく自首しなさい」
正邪は自分の前髪を無造作に弄び、呆れたように言った。
「私がはいそうですか、なんて言うと本気で思ってるのか」
勿論、分かっている。
こんなことで素直に降伏するぐらいならそもそも一人で逃亡などしない。
私はその問いには答えずに言った。
「……今日、針妙丸に会ったわ」
正邪は表情一つ変えず、なにも応えない。
私は構わずに続けた。
「……あの子は信頼していた貴女に裏切られ、深く傷ついたわ。
でも、私に今日ここで貴女を討てとは言わなかった。……どうしてだと思う?」
正邪はひらひらと手を振りながら言った。
「私の知ったことじゃない」
私は努めて動揺を見せないよう、強い口調で言った。
「あの子は今、博麗神社にいるわ。そこで貴女が自首するのを待ってる」
正邪の視線が一瞬、斜め上に向いた。
そっちには暗い夜空があるだけのはずだが。
一呼吸を挟み、私は続けた。
「あの子は貴女と一緒に降伏することを望んでる。
……分かる? あんなに酷いことをされてもなお、あの子は貴女を想っているの。心配しているの」
神社での別れ際、針妙丸は私に頼んできた。
もしも正邪に会うことがあれば、自首するように言って欲しい。
自分が一緒に降伏しようとしていると伝えて欲しい、と。
針妙丸の、母の想いは伝えた。
けど、私の想いは。
少なくとも針妙丸は報復を望んでいない。
だがおそらく、雷鼓と八橋は違う。
今この場に彼女達がいれば、正邪を討ち取ろうとするだろう。
私自身、仕返しをしてやりたいと考えたのは一度や二度ではない。
胸に刺さった言葉が夢にまで出てくることに、苦痛と怒りの感情を抱いたのも事実。
私達二人の距離は歩数にして五、六歩分しか空いていない。
どちらかが弾幕を放つ構えを見せればすぐにでも戦いが始まる。
でも、私の腕は一向にその一手を繰り出そうとしない。
正邪もまた、こちらに対して攻撃を仕掛けてくる様子はない。
居場所を知られた以上、このまま逃げるつもりなのだろう。
先程の光景が思い起こされる。
目の前の、かつて自分達を裏切った妖怪が道具を一つずつ丁寧に手入れする姿。
それは想像もしていなかった姿だった。
「弱者と道具の下剋上」を掲げながら、私達道具のことは平気で裏切ったのだから。
あの道具達にはまだ小槌の魔力が残っている。
正邪がそれを狙って盗みをしたことだって、勿論分かっている。
それなのに。
私の心は最後の一歩を踏み出せずにいる。
なにかとぶっきらぼうな言い方ばかりだったけど、針妙丸が大将なら正邪はチームの参謀役だった。
勿論、全てはまやかしだった。
彼女が姫を守る従者そのものに見えたのも、その姿に自分が少なからず惹かれていたことも。
なにもかもが、幻でしかなかった。
正邪はやはり何も言わない。
私に顔を向けてはいるが、ふと気づく。
眸が、私を映していない。
途端、沸々と感情が湧き上がってくる。
散々みんなを、私の心をかき乱したくせに。
この期に及んで、私をまともに見すらしないのか。
気に入らない、本当に気に入らない!
「……貴女はこれからも、ずっと一人で生きていくつもりなの?」
浅く短い息を吐き、正邪はようやく返事をした。
「さあな」
「……一人が怖くないの?」
「怖くないね」
「どうして?」
「少しは自分で考えろ」
「……聞き方を変えるわ。下剋上なんて、本当に一人でやり遂げられると思ってるの?」
途端、先程まで気怠そうな応答を繰り返していた正邪が上方、私が飛んできた方向を見て眼つきを鋭くした。
それからもう一度こちらに向き直り、言った。
今度は瞳にはっきりと、私の貌を映して。
「弁々」
一瞬、自分の呼吸が乱れたことを自覚する。
私はかつて、仲間「だった」頃は正邪のことを名前で呼んでいた。
袂を分かった今は「貴女」と呼んでいる。
もう味方でも同士でもないのだから。
別に意地になっているのとは、違う。
正邪が私を名前で呼んでくれるまでは随分かかった。
というより、こちらからお願いしないと呼んでくれなかった。
たった、それだけのこと。
それでも、私にとっては自分で考えていた以上に大きなことだった。
今こうして、微かに動悸が高まるぐらいには。
だが、正邪の次の台詞はより大きく私の呼吸に乱れを生んだ。
「ああ、確かに一人というのは大変だ。
……もし、もう一度私に手を貸してくれると言うなら、望み通り針妙丸の奴に会ってやる。
だが、あくまで会うだけだ。
自首なんかしないし二人きりで邪魔の入らない場所をそっちで用意することが条件だ」
予想もしていなかった突然の提案に自分の頭が熱で悲鳴を上げているのが分かる。
この話が本当なら、母の願いを半分だけでも叶えることが出来る。
だが、その代償は。
もう一度正邪と手を組む。
それはみんなを裏切ることに他ならない。
それに、これがそもそも嘘であるなら。
少しでもヒントを得るため、私の頭は回答を僅かでも先伸ばそうとした。
「……だから今日はこのまま見逃せ、というの?
そのまま逃げるつもりなんじゃないの?」
「誰もただで逃がせとは言ってない」
正邪は先程まで丁寧に手入れしていた道具の入った革袋を押しつけるように手渡してきた。
「こいつらは返してやる」
それだけ言うと正邪は困惑する私を置いて地を蹴り、宙に飛びあがった。
どうする、まだ後を追うべきか。
それとも道具だけでも取り返せたことをよしとするべきか。
そんな私の心中を見透かしたように、上方から声がする。
「なにも今すぐ答えろとは言わない。
明日の正午、もう一度ここに来る。私ともう一度組む気があるならその時間までにここで待ってろ」
今日はもう夜遅いが、明日の昼ならそれまでに雷鼓や八橋と相談し、策を練ることが出来る。
それにどっちみち、一日飛行して疲労が溜まった身で重い道具袋片手に正邪をまともに追跡することはもう出来そうにない。
私は返事はしなかったが、小さく首を縦に振った。
直後、正邪は一息ついて服の汚れを手で払い始めた。
このまま立ち去るのだろう。
一方で袋を支える私の腕は疲労で限界を迎え、それを静かに土の上に下ろした。
そのまま緊張の糸が切れたように、身体全体にどっと疲れが出てくる。
暗い夜空を見上げると、冷たい夜風が肌を撫でてくる。
正邪はまだ、そこに居た。
何も言わず、ただその場に滞空している。
そして、その指先はまるで何かを弄ぶように動いていた。
微かな妖力の気配を感じた途端、あの夜の最後の邂逅が三度脳裏に過る。
あの時、私は正邪から一方的な決別を告げられ、それを止めようと腕を掴んだ。
だが正邪が微小な妖力を練った直後。
私達二人の位置は入れ替わり、私はそのまま拘束から逃れた正邪の手で吹きすさぶ魔力の暴風の中に突き落とされた。
冷水を浴びせられたように、背筋が急速に冷える。
何故、すぐに立ち去らないのか。
不可解な行動の意図に気付き、私が足元の道具袋から離れようとしたのと正邪の声が聞こえたのは同時だった。
「素直過ぎる奴とは組めない」
彼女の細い指が見えないなにかを弾くように動いた直後、足元から白光が発生した。
そこにあったのは先程下ろしたはずの道具袋ではない。
追跡中に使われた物と同じ、照明弾。
この至近距離でまともに見たら完全に目をやられる。
私は急いで眼を閉じ、顔面を庇った。
最後に一瞬、道具袋を脇に抱えて飛び去って行く正邪の立姿が目に焼き付いた。
「子どもはもう寝る時間だ」
両目を押さえ、膝をつく。
至近距離で閃光を浴びたせいか、一向に目を開けられなかった。
次に視界が開けたとき、そこにあったのは燃え尽きて真っ黒になった照明弾の残骸だけだった。
煙の強い臭いが鼻を刺してくる。
そのまましばし呆然としていると、不意に上方から声が聞こえてきた。
それがよく聞き慣れたものであることに気付いた途端、私の身は糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
「弁々!」
「姉さん!」
翌朝、目を覚ました私が最初に見たのは見慣れた天井の模様だった。
いつの間にか布団に寝かされている。
横を見ても部屋に敷かれているのは私の物だけだ。
寝室を出ると炊事場の方から水音が聞こえてくる。
テーブルの上の時計を見ると時刻は既に午前八時過ぎ。
今日は演奏会の予定こそないが、随分長い時間眠っていたようだ。
そんなことを考えていると、前掛けを着けた八橋が出てきた。
「姉さん! もう起きても大丈夫なの?」
二日連続で寝坊するとは、我ながら情けない。
だがそれよりも、まずは昨日のことについて謝らなければならない。
理由はどうあれ大人しく帰って休む約束を破ったことには変わりないのだから。
「……うん、大丈夫。その、ごめんなさい、昨日は」
八橋が手に嵌めていたオレンジ色のミトンを外し、テーブルに置く。
そのまま私の謝罪を遮るように、八橋が言った。
「……姉さん、昨日は嘘ついてごめん」
「えっ?」
「昨日、姉さんを何回も起こしたのに起きなかったって言ったよね」
「……うん」
「ごめん、あれ嘘だったの」
「え、でも」
話が見えず、私は返事になっていない返事をしている。
それが嘘だったとしても、昨日私がいつもより遅く起きたのは事実。
だから先に帰って休んでいて欲しいと言われるのもおかしなことではない。
八橋は続きを話すのを躊躇っている。
だが、沈黙の時間は長くは続かなかった。
玄関の扉が開く。
部屋の主である雷鼓が日課の散歩を終えて帰ってきた。
タオルで汗を拭きながら部屋に足を踏み入れる。
居間で向かい合っている私達姉妹を見つけ、言った。
「ただいま……と、よかった。起きてたのね」
私は頭を下げ謝意を示した。
「その……昨日はごめんなさい」
しかし彼女は全く気にした様子もなく応える。
次いで、気まずそうにしている八橋に声をかけた。
「いいのよ、そんなこと。それより、もう全部説明したの?」
「ま、まだ……」
八橋は相変わらず口をもごもごさせていたが、やがて覚悟を決めたように再度私のいる方向に向き直った。
ゆっくりと話し始める。
「姉さん」
「……うん?」
「私さ、昨日の朝は姉さんより先に起きたの」
「……うん」
「そうしたらその……姉さんが苦しそうな顔でうなされてるの、見ちゃって」
昨日の朝のことを必死に思い出す。
確かに寝起きはよくなかったし、目元には涙の跡らしきかさつきまであった。
私は続きを促すように首を小さく縦に振った。
「まだ出発には時間があったから、そのままもう少し寝かせておいてあげようと思ったの。
でも、私が部屋を出ようとしたら後ろから姉さんの声がしたの」
「……私、なんて言ってたの」
「お母さん……って」
それを聞いた途端、私は思わず視線を逸らしてしまった。
寝言とはいえ雷鼓もいる前だ。
恥ずかしい。
しかし、八橋の告白にはまだ続きがあった。
「すぐに後ろを振り向いて寝顔を見たら、もう一言言ったの」
雷鼓のいない前で言って欲しいのが本音だったが、今更ここまで来て話の腰を折ることも出来ない。
私が視線を戻したのを確認してから、八橋が続けて言った。
「『正邪……』って。その時姉さん、涙流してた」
「……え?」
私は八橋が誤解をしている可能性を危惧した。
自分が母たる針妙丸だけでなく、あいつにもある種の感情、未練のようなそれを残していると。
違う。
確かに裏切られ心をかき乱された悲しみと怒りへの報復という意味では、私の気持ちは未練と呼ばれるのかもしれない。
だがそれとあの子、針妙丸に向ける想いは同じ寝言でも全くの別物。
動揺で思考がまとまらない私をよそに、八橋が慎重に言葉を選ぶように、途切れ途切れの口調で続けた。
「……それを聞いた時私、あいつのこと絶対に許せないって思ったの。
姉さんにひどいこと言って辛い思いをさせた、あいつのこと。
いつかなんて言わずに、今すぐやっつけてやりたいって。
それで、雷鼓姐に……」
八橋は私の気持ちを誤解してなどいなかった。
勿論彼女が自分の手で正邪を討とうとしていたのは、道具達のためでもあるのだと思う。
でも八橋は、私の大切な人は、それ以上に姉の自分のことを想ってくれていた。
私を戦いから遠ざけるために、先に帰っているようにと慣れない嘘までついて。
先程まで話の成り行きを見守っていた雷鼓が口を開く。
「相談してきたのは八橋だけど、ついた嘘は全部私が考えたことなの。
八橋はただ弁々が心配で、そのためにやったことだから怒らないであげて」
私は慌てて頭を下げた。
「勿論です、それに雷鼓さんにもまた迷惑をかけて、ごめんなさい」
私に合わせるように、八橋も雷鼓に頭を下げる。
すると彼女は苦笑とともに、どこか遠くを見るような眼をして言った。
「迷惑なわけ、ないわ。……私も救われたのよ、貴女達二人に」
話が見えず、八橋が困惑した様子で応える。
「……え?」
すると雷鼓は私と八橋に交互に視線を送った後、頬を緩めて語り始めた。
「……小槌の魔力はいずれ失われるもの。
だから私は依り代の道具を変えることで身体を維持する呪法を編み出し、結果それは上手くいったわ。
……でも、私が救えた命はほんの僅かな数だけだった。
次の依り代が見つからなかった子、乗り換えが上手くいかなかった子……」
気付けば彼女はその眸に涙を浮かべている。
私は思わず言った。
「そんな、雷鼓さんのせいじゃありません!
少なくとも私と八橋は貴女の助けがあったからこそ、こうして生きていられるんです!」
雷鼓は小さく頷き、続けた。
「……ありがとう。でも、やっぱり辛いの。
助けられると思っていた子達が元の道具に戻ってしまうのは」
彼女の視線が開かずの間となっている私室に向かう。
私ははっとした。
「もしかして、その扉の奥に……」
「ええ、付喪神から元の道具に戻った子達はみんなそこにいる。
……でも、みんなは死んだわけじゃない。ちょっと長いおやすみをしてるだけ。
これからもっと長い時間を経ればきっと、神様が宿ってまた動けるようになる。
私はそう信じているわ」
「雷鼓姐……」
八橋の消え入りそうな掠れ声が聞こえた。
雷鼓がジャケットの袖で眼を拭い、続けた。
「……また、泣いちゃったわ。どうしても、不意に思い出してしまうのよね。
でも、弁々と八橋と一緒に暮らし始めてからは毎日が本当に楽しいのよ。
みんなで演奏するのって、こんなにわくわくするんだ、って。
私はいつも一人じゃないんだって。」
私は昨日の小傘とのやり取りを伝え、最後に付け加えた。
「……小傘が言ってました。
雷鼓さんはいつもグループを盛り上げてくれるし、怖い妖怪がきてもやっつけてくれるとってもかっこいい人だって」
小傘の名前を聞いた彼女は一瞬意外そうな顔をしつつも、苦笑いを浮かべながら答えた。
「……私はそんなに大層な存在じゃないわ。
昨日も肝心な時に筋を読み違えて、見当外れのところを張ってたんだから。
小傘が知らせてくれなければ、弁々の元にも辿り着けなかった」
自分の知らない話が出て来たことに驚いていると、それまで黙っていた八橋が口を開いた。
「私達が食糧庫の近くの路地で張り込んでたら、いきなり知らない子が大声で『助けてー!!』って叫ぶ声が聞こえてきたの。
急いで声のする方に行ったら、小傘って子がいて」
続きを引き継ぐように雷鼓が言った。
「居場所が分からない私達を呼び寄せるために、なりふり構わず大声で呼びかけてくれたの。
案の定近くに住んでた人間達も起き出してきて騒ぎになったけど」
自分が正邪を追っている間、そんなことになっていたとは知らなかった。
しかし、それでは小傘が非難を受けたのではないか。
私は恐る恐る訊ねた。
「小傘はその……非難されなかったの?」
私の問いに雷鼓がはっきりした口調で答えた。
「非難……とまではいかなかったけど、騒動にはなってたわね。
私と八橋が合流した時には結構な人だかりが出来てたから。
でも、あの子はすぐに頭を下げて言ったの。
『こんな時間に大声を出してごめんなさい、その……物影がお化けみたいに見えたんです』って。
そうしたら中にはぶつぶつ言ってる人間もいたけど、大半は笑うか呆れるかしながら自分の家に帰っていったわ」
元は小傘が私に依頼したこととはいえ、知り合ったばかりの相手のために演技をして頭まで下げていた。
私が言葉を失っていると、雷鼓が続きを口にした。
「昨日は私が暴走したせいで小傘にも迷惑をかけてしまったわ。
あいつの、天邪鬼の動きを正確に見抜いていたのはグループで小傘だけだった。
あの子は自分では認めないけど、きっと誰よりもリーダーの素質があるわ」
雷鼓が喋り終えると、居間にしばし無言の時間が流れた。
昨日から今日この場に至るまでの出来事が脳内を駆け巡る。
針妙丸はあの日以来私達がバラバラになってしまったことに涙を流しながらも、懸命に前を向いて生きようとしていた。
八橋は私が思っていたよりもずっと、自分のことを想い心配してくれていた。
完璧な女性だと思っていた雷鼓はその実、抱えた古傷を隠しながら自分達に優しく寄り添ってくれていた。
新しく出来た友人、小傘は本人が思う以上に物事の本質、人妖の気持ちを理解出来る思いやりの心を秘めていた。
昨夜、私は偶然にも鬼人正邪に最も近づくことになった。
でも、私はみんなの望みを何一つ叶えることが出来なかった。
針妙丸の自首させて欲しいという願いも、雷鼓達の討伐、捕縛したいという願いも。
もっといい説得の仕方はなかったのか。
それとも、後先を考えず実力行使に出るべきだったのか。
過ぎたことを今更悔やんでも仕方がないことは分かっている。
長時間の飛行で疲労が溜まっていたというのはあるかもしれない。
だが、それ以上に私自身の中に「迷い」があったせいで思い切った行動に出られなかったのは否定のしようもない。
そうだ、みんな、心になにかを抱えて生きてる。
不安や苦しみに折り合いをつけて生きてる。
でも、一人で耐えられなくなりそうになったら。
折れそうになったら。
私は床に向けていた顔を上げ、二人に言った。
「八橋……雷、鼓」
少なくとも、私は何も得られなかったわけではない。
最後は少し声が萎んでしまった。
直後、雷鼓が口元を緩めた。
「……随分待ったわよ」
一時はつまらない嫉妬心で一方的に心に壁を作っていたことを心中で詫びた。
いつか、もう少し落ち着いたらちゃんと謝ろう。
八橋が嬉しそうに笑って囃し立てる。
「ついに恥ずかしがり屋の姉さんも呼び捨てデビューね!」
そうだ、私達は独りぼっちじゃない。
悲しい時は、誰かを頼ればいい。
辛いことがあったら、聞いてもらえばいい。
代わりにその子が辛そうにしていたら、今度は自分から話を聞き力になってあげればいい。
下剋上に燃えていたあの頃から思えば、私はいろんなことを体験した。
それは決して、楽しい思い出ばかりではなかった。
人間に敗れた直後の、チームの崩壊。
信じて心を許していた仲間の裏切り。
小さな嫉妬心から生まれた、胸の痛み。
私は半身の琵琶を抱きながら言った。
「……我儘、言ってもいいかな。今日は、たくさん演奏したい」
間髪を入れずに二人の返事が重なった。
「ええ、勿論」
「今日は姉さん主導ね!」
「ありがとう……二人とも、大好き」
言い終えたところで、急速に膨らんだ涙粒が頬を流れ落ちる。
それを隠すため、私は一番に玄関から外に出た。
八橋の慌てる声、次いで雷鼓の笑い声が聞こえる。
「ちょ、待ってよ姉さん!」
「ふふ」
大好きなお母さんと、もう一度会えた。
新しい依り代を得ることで消滅の危機も乗り越え、大切な妹とこれからもずっと一緒に生きていけるようになった。
それだけじゃない。
優しさと強さを兼ね備えた、頼れる女性の雷鼓。
周りを温かい気持ちにさせる天賦の才を持つ、可愛い先輩の小傘。
新しい出会いもたくさんあった。
人里に向かって風を切り、一直線に突き進む。
八橋と雷鼓もすぐ後ろを飛んでいる。
里に着いたら今日はどこで演奏しようかな。
小傘は今日もあの茶屋の近くにいるかな。
お母さんも今度、連れて行ってあげたいな。
それに。
昨日の「あいつ」の顔、ぶつけられた言葉。
今も「私」の中に浮かんでくる。
でも、突き刺さったそれが私の心を揺るがすことは、もうなかった。
次に会ったら、本気で勝負してやる。
一人じゃない私はあんたよりずっとずっと、強いんだから!
針妙丸の立ち位置的に正邪は父性なのかなあと思って読みました
父からのDV・ネグレクトとケアの話なのかもしれないなと思ったり
父であるにしてもこの正邪はゴッドファーザーみたいな感じでした
甘ちゃんだった弁々が一皮むけて歩み出していてうれしかったです
輝針城って本当にいいものですね
前作が綺麗に終わっていただけに、上手く文脈を繋いだ続編が来るとは思わずびっくりしました
面白かったです。有難う御座います