阿求を見送って何年経ったんだろうか。
当時はわんわん泣いた。涙が枯れるかもしれないほど泣いた。でも阿求は戻ってこないのは分かっていて。それでも泣いて、泣いて、泣いた。
でも、それにも慣れてしまって。涙はいつの間にかどこかにいってしまったのだ。それでも阿求の影を未だにどこかに探している。それでもいいのだ、まだそっちに行きたいとかないけど、あんたの影を追いかけていい?
*
ああ、今日も暑い。八月の真っ盛り。ジリジリと照りつける光を一身に浴びながら私は里の中を歩いていた。
「もう、お母さんたら、自分で行けばいいのに……」
文句を言いながら私は歩き続ける。稗田のお屋敷にお盆になるからお供えものを持っていきなさいって言われてこの暑い中歩いていく。
近所のおじさんから貰ったスイカをよいしょと持ちながら進んでいく。
いつぶりだろ、稗田のお屋敷に行くのは。阿求がいなくなってから私はお屋敷に近づかなかった。阿求の思い出が蘇ってしまうから。過ごした日々をまだ思い出したくはなかったから近づかなかった。そうしているうちに鈴奈庵が忙しくなって、行かなくなったのだ。
阿求がいなくなってから何回の夏を過ごしただろうか。二人で暑い暑いと言いながらアイスクリームを買い食いして、笑いあった日々を。あの時は私が食べ終わって手持ち無沙汰で空を見ていたら、阿求が言ったんだ、「飛行機雲ってどんなのだろうね」って。私は答えたんだ、「早苗さんから聞いた話だと、真っ直ぐの雲が出来るんだってさ。そんな雲見たことないけどね」
その後の阿求はなんて言ったんだったっけ?もう思い出せないんだ。
よいしょと、稗田のお屋敷にやっと着く。門を通してもらって、私はばあやに渡しに行く。
「すみません、お供え物持ってきたんですけど」
「あら、小鈴さん、ありがとうね。せっかくだし阿求様に手を合わせていくかい?」
スイカを机の上に置いて、ばあやと顔を合わせる。少し老けただろうか。
「うん。そうさせてもらうね。ありがとうございます。あ、それと失礼しますね」
そう言って仏間に入っていく。写真立てが目に入る。阿求が笑った写真が飾られている。こんなにも阿求がいたことは本当なのにもう触れ合うことすら出来なくて、こんなにも小さくなってしまったのが未だに信じられずにいる。店番していたらひょっこり顔を出しそうでまだ来ないなんて思ってしまう時もあるのに。
おりんに手を伸ばして、チーンと鳴らす。
『冥界で待ってる』
手を合わせて数秒、阿求の声が聞こえた気がして振り返る。……誰もいなかった。今のはなんだったんだろうか。
そうして私は、ばあやにあいさつをして、稗田のお屋敷を出ていく。門をくぐりぬけて、人混みの中に入っていく。行きも暑かったけれど帰りの方が暑くて嫌になる。気温はじりじりと上がり続けている。文句を思っていても仕方がないので歩き出す。
「暑い……」
汗が吹き出して、私の頬を伝っていく。暑くて倒れてしまうと思ったので建物の日陰に入る。
「おや、小鈴ちゃんじゃないか。久しぶりだねえ」
「……あ、アイスクリーム屋のおっちゃんじゃない」
影に入ったと思ったら声をかけられて驚く。アイスクリーム屋のおっちゃんが店を構えてこっちを見ていた。
「最近暑いねえ。こういう時にアイスクリーム、どうだい?」
「アイスクリームの魅力には抗えないから買うわ。いくらだったっけ?」
こういう時は冷たいものを食べるに限る。
「今はねえ、15銭だよ」
「15銭!前より安くなった?前は20銭くらいしなかったっけ?」
「氷の妖精がね、前より協力してくれるようになったからかな。それでも15銭よりは下げられないけれどね」
15銭か、財布に入ってたかな。ポケットに入れていた財布を出して確認する。あ、20銭入ってる。高いけど買っちゃおうかな。
「おっちゃん、アイスクリーム一つくれない?二つ買いたいけど無理そうだな」
「おや、阿求様の分かい?それならまけとくよ。一つの値段でいいぞ」
「いや、流石に申し訳ないから大丈夫。私一人の分くださいな」
そこまでまけてもらう訳にはいかない。向こうも商売だから。そうして15銭を渡す。
「そうか……まあまた買ってくれればいいよ。ほら、アイスクリーム、日陰で食べていきな」
「うん、ありがとうおっちゃん。いただきまーす」
白く綺麗なアイスクリームにかぶりつく。ひんやりとして冷たくて甘くて美味しい。
「……一緒に食べたかったな」
思わず声に出てしまった。ああ、あの笑って話した日々、飛行機雲がなんだろうってくだらない話をしたあの日。
確か……阿求はなんて言ったのだろう、話したことは覚えているのに答えを忘れてしまったんだろうか。そんなことを思いつつ、アイスクリームを食べ切る。うん、美味しかった。
「おっちゃんありがと、美味しかったよ」
「それなら良かった。小鈴ちゃんも元気でいるんだよ」
「おっちゃんこそ!暑さで体調崩さないようにね!」
そう言って手を振りながらまた歩き出した。
*
「ただいまー」
「おかえり、小鈴」
そう言って汗をかきながら私は開け放った扉を潜る。暑すぎて汗が滝のように流れてくるのだから嫌になる。
「ほら、使いなさい」
そう言って手ぬぐいを渡してくれるお母さん。
「あー……ありがとうお母さん」
はあ、暑い……手ぬぐいで汗を拭いて少し楽になる。
「ちょっと疲れたから部屋戻るね。何かあったらまた声掛けて」
手ぬぐいを持ちながら私は歩きかける。
「わかったわ。とりあえず休んできなさいな」
「お母さんも気をつけてね」
そう言うと私は階段を上がっていく。窓を開け放った部屋の熱気は相も変わらず暑い。窓の近くじゃなくて影に入って、ふう、と休む。
少し寝ようかな……なんでぼんやりとしていたら私の意識は暗くなっていた。
*
ハッと目が覚める。……ここはどこだろうか?
石畳の階段に、周りは木々に覆われている。石畳の灯篭がぼんやりと光っているのが見える。
まるで誘蛾灯のように私は灯篭の方まで近づく。光が消える。そうしてまた前にある灯篭に灯る。まるで私に着いてこいと言うかのように。それに従って私は石畳の階段を上がっていく。
「待って……待ってよ!」
灯篭は私を置いていくかのように光を先の方まで光らせていく。
ボッと全て消えて何も見えなくなる。
「な、何!?」
暗闇、何も見えない、分からない。気がつけばここは階段ではなく、開けた場所にいることが足元の感覚で分かった。
「どこ……」
怖くなって私はしゃがみこむ。ぽうと私の胸が光る。それに驚いて立ち上がると、目の前に大きな桜の木があった。木の下には誰か立っていた。特徴的な水色の帽子に、ピンクのような髪、ワンピースみたいに広がる水色の着物。確か私はどこかで見たような……
「……あなたは誰ですか」
「あら、生者が迷い込んでるわね。誰かが引き寄せたのかしら……はじめまして小鈴さん」
「ええっと、はじめまして?」
「どうして疑問符がつくのかしら。私たちは、はじめましてでしょう?ね、小鈴さん」
「私のことを一方的に知っているような人は知らないのですが……あなたのお名前は?」
はじめてなのに名前すら分からなくてなんて呼べばいいのか分からないので答えて欲しい。そう切に願う。
「私は幽々子よ。これでわかるでしょう?」
ゆゆこ……幽々子?……あっ!西行寺幽々子!
「幽々子さんって幻想郷縁起に書いてた!」
「そう、その幽々子よ。以後お見知りおきを。ほら小鈴さん着いてきて、ある人がお待ちかねよ」
そう言って気がつくと朝焼けのように明るくなってきたこの空間に目を取られながら幽々子さんに着いていく。
さっきは暗くて気が付かなかったが、こんなに大きなお屋敷を見た事がなかったので驚いた。
「すごい大きなお屋敷ですね」
小走りで走って幽々子さんの隣を歩く。
「そうでしょう?管理は大変なのよ」
くすくすと笑う幽々子さん。お屋敷の玄関を開けて入っていく。幽々子さんに着いていく。どこに案内するつもりなんだろうか。
廊下を歩き続けると次第に奥の大きな庭が見えてくる。
「ほらここよ」
「信じられない……」
庭先に立っていたのは……阿求その人だった。
紫の髪、花の髪留め、緑の着物、黄色の羽織……私の記憶そのものの阿求がそこに立っていた。
「あきゅ……!」
思わず阿求と叫んで走り出しそうになった。私は耐える。本物の阿求なのか分からなくて、精巧な偽物じゃないか、なんてことを思ってしまったから。駆け出すほど私はもう子供じゃなかった。もう大人になってしまった。阿求と馬鹿ばかりしていた頃にはもう戻れなくて。でも大人になりきったなんて未だに言えなくて。子どもと大人の境界で板挟みになっている。
「そうね、小鈴。あんたはあの頃より大人になったね。昔なら駆け寄って来たものね」
振り返る阿求はどこか美しく見える。まるで今にも消えてしまいそうな姿は怖くなる。でも大好きだった阿求のままで、私は耐えられなくなって側に駆け寄る。
「阿求!会いたかった、あきゅう……」
気がついたらもうハグをしていて。体温を確かめるかのように抱き着いてしまった。生きていた頃より少しひんやりとしたような温度が、阿求がいなくなったことをさらに実感させた。
「馬鹿ねえ、小鈴、こんなところに迷い込んでまで、私に会いに来るなんて」
「阿求、あんたがいなくなってから大人になったんだよ、あんたがいない日々はつまんないよ……」
泣きそうになる。抱き締めた阿求は私の背に手を回してきて。
「馬鹿ね、私といる日々も楽しかったけど、今だって楽しいでしょ?」
「バカ!あんたといた日々の方が楽しかったわよ!でも、いなくなっちゃったんじゃない!ならあんたと馬鹿が出来ないじゃない!」
ぽんぽんと私の背中を叩く阿求。
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。でも寿命だったんだもの仕方ないじゃない。あんたがきちんと大人になってくれると嬉しいな」
うううう〜……阿求のバカ!バカバカバカ!抱き締めるのをやめて私は阿求の胸をぽかぽか叩く。
「痛い痛い痛い!小鈴痛いってば!」
「バカバカバカ〜!いなくなるのはわかってたけど、それを受け入れられるなんか別じゃない!あんたのこと大好きだったんだよ、バカヤロー!」
胸を叩く手が止まる。ひっく、ひっくと涙が止まらない。
「ふふ、小鈴、ありがとう。そう言ってくれて。私も好きだったよ」
「……過去形?」
その言い方に引っかかって私は阿求に突っかかる。
「ううん、今も好き。私が私でいられなくなるまでずうっと大好きだよ」
「バカ〜私も好き……ねえ阿求、あんた、アイスクリーム一緒に食べた日のこと覚えてる?」
唐突に言われて阿求は驚いたような顔をする。
「覚えてるけど……どうしたの?飛行機雲の話のやつでしょ?」
「うん、阿求がなんて言ったのか全く思い出せなくて」
「小鈴が早苗さんから聞いた話の後でしょう?それね……『また一緒に見よう?』って言ったよね。一生見れないのにね」
「阿求、あんた出来ない約束したの?」
驚いて顔を見る。
「うん。夢くらいあってもいいかなって」
「一生見れない夢を約束するな!あんたとやりたいこと沢山あったのに!」
「ごめんね、もう無理だけど、転生するまで、小鈴のこと見てていいかな?」
「……いいよ。大好きなあんたが見ててくれるなら生きてられそう」
そう言うと阿求はバサッと私を押し倒す。紫の髪が私の頬を撫でる。すっと近づく顔、まさかと思って逃げようとすると阿求に頬を掴まれた。唇に柔らかい感覚、人間の温度よりひんやりとした温度。怖気付いて目を瞑っていたので感覚と温度しか分からなかった。
「この感覚と温度を覚えていて、一生忘れないで」
「……バカ……そんなの忘れられない……バカ、いなくなっても傷跡をつけるなんてなんて亡霊……」
涙で前が見えなかった。私は笑う、阿求のために。
「バイバイ阿求、あんたのことずっと大好き」
「バイバイ小鈴、またいつか」
私は阿求から離れて立ち上がる。ぼんやりと薄れていく阿求を見ながら私は前を見据える。
幽々子さんが近づいてきて私に話しかけてきた。
「満足したの?」
「はい。またいつか、会えると思うので」
「阿求!またいつか!」
「小鈴、大好きよ」
そう言って阿求は消えた。幽霊だったのだろうか、そんな疑問は絶えないけれど今はそんなことどうでもいいのだ。
また、会えた、それだけでよかったのだ。
「ほら、あなたも帰る時間よ」
「えっ、あっ?」
私の体が薄れていく。あれ私もそっちに行っちゃうのか……な。
私の意識は徐々に薄くなっていった。
*
目が覚めたら知らない天井だった。
……あれ?ここどこだろう……そう思い、起き上がる。ありゃ体に力が入らない。
「師匠!小鈴さんが目が覚めました!」
そう言ってうさぎ耳の誰かが走っていくのを見た。あれ私倒れてたの?
医者……永琳さんによると熱中症になって私は永遠亭まで運ばれたらしい。早くにお母さんが倒れているのを見つけていなかったらこの世にもういなかったと。ええ、いつの間に……
暑い部屋で寝るな、暑いなら影に行けとうるさく言われた。まだお陀仏したくないので言うことを素直に聞こうと思った。
*
阿求を見送って、私たちは心を繋げた。気がついたら大人になっていたと思っていたんだけれど、まだ子どものままだった。でも大好きな人と心を繋げたことはとても嬉しいことなんだ。
お盆が繋いでくれた縁なのかな、またどこかで見ているのかな阿求。
いつかまた抱き締めさせて、いつかまた。
あんたの影を追い続けて、いつかそっちに至れたら、また話させて。
私の旅の話を。
当時はわんわん泣いた。涙が枯れるかもしれないほど泣いた。でも阿求は戻ってこないのは分かっていて。それでも泣いて、泣いて、泣いた。
でも、それにも慣れてしまって。涙はいつの間にかどこかにいってしまったのだ。それでも阿求の影を未だにどこかに探している。それでもいいのだ、まだそっちに行きたいとかないけど、あんたの影を追いかけていい?
*
ああ、今日も暑い。八月の真っ盛り。ジリジリと照りつける光を一身に浴びながら私は里の中を歩いていた。
「もう、お母さんたら、自分で行けばいいのに……」
文句を言いながら私は歩き続ける。稗田のお屋敷にお盆になるからお供えものを持っていきなさいって言われてこの暑い中歩いていく。
近所のおじさんから貰ったスイカをよいしょと持ちながら進んでいく。
いつぶりだろ、稗田のお屋敷に行くのは。阿求がいなくなってから私はお屋敷に近づかなかった。阿求の思い出が蘇ってしまうから。過ごした日々をまだ思い出したくはなかったから近づかなかった。そうしているうちに鈴奈庵が忙しくなって、行かなくなったのだ。
阿求がいなくなってから何回の夏を過ごしただろうか。二人で暑い暑いと言いながらアイスクリームを買い食いして、笑いあった日々を。あの時は私が食べ終わって手持ち無沙汰で空を見ていたら、阿求が言ったんだ、「飛行機雲ってどんなのだろうね」って。私は答えたんだ、「早苗さんから聞いた話だと、真っ直ぐの雲が出来るんだってさ。そんな雲見たことないけどね」
その後の阿求はなんて言ったんだったっけ?もう思い出せないんだ。
よいしょと、稗田のお屋敷にやっと着く。門を通してもらって、私はばあやに渡しに行く。
「すみません、お供え物持ってきたんですけど」
「あら、小鈴さん、ありがとうね。せっかくだし阿求様に手を合わせていくかい?」
スイカを机の上に置いて、ばあやと顔を合わせる。少し老けただろうか。
「うん。そうさせてもらうね。ありがとうございます。あ、それと失礼しますね」
そう言って仏間に入っていく。写真立てが目に入る。阿求が笑った写真が飾られている。こんなにも阿求がいたことは本当なのにもう触れ合うことすら出来なくて、こんなにも小さくなってしまったのが未だに信じられずにいる。店番していたらひょっこり顔を出しそうでまだ来ないなんて思ってしまう時もあるのに。
おりんに手を伸ばして、チーンと鳴らす。
『冥界で待ってる』
手を合わせて数秒、阿求の声が聞こえた気がして振り返る。……誰もいなかった。今のはなんだったんだろうか。
そうして私は、ばあやにあいさつをして、稗田のお屋敷を出ていく。門をくぐりぬけて、人混みの中に入っていく。行きも暑かったけれど帰りの方が暑くて嫌になる。気温はじりじりと上がり続けている。文句を思っていても仕方がないので歩き出す。
「暑い……」
汗が吹き出して、私の頬を伝っていく。暑くて倒れてしまうと思ったので建物の日陰に入る。
「おや、小鈴ちゃんじゃないか。久しぶりだねえ」
「……あ、アイスクリーム屋のおっちゃんじゃない」
影に入ったと思ったら声をかけられて驚く。アイスクリーム屋のおっちゃんが店を構えてこっちを見ていた。
「最近暑いねえ。こういう時にアイスクリーム、どうだい?」
「アイスクリームの魅力には抗えないから買うわ。いくらだったっけ?」
こういう時は冷たいものを食べるに限る。
「今はねえ、15銭だよ」
「15銭!前より安くなった?前は20銭くらいしなかったっけ?」
「氷の妖精がね、前より協力してくれるようになったからかな。それでも15銭よりは下げられないけれどね」
15銭か、財布に入ってたかな。ポケットに入れていた財布を出して確認する。あ、20銭入ってる。高いけど買っちゃおうかな。
「おっちゃん、アイスクリーム一つくれない?二つ買いたいけど無理そうだな」
「おや、阿求様の分かい?それならまけとくよ。一つの値段でいいぞ」
「いや、流石に申し訳ないから大丈夫。私一人の分くださいな」
そこまでまけてもらう訳にはいかない。向こうも商売だから。そうして15銭を渡す。
「そうか……まあまた買ってくれればいいよ。ほら、アイスクリーム、日陰で食べていきな」
「うん、ありがとうおっちゃん。いただきまーす」
白く綺麗なアイスクリームにかぶりつく。ひんやりとして冷たくて甘くて美味しい。
「……一緒に食べたかったな」
思わず声に出てしまった。ああ、あの笑って話した日々、飛行機雲がなんだろうってくだらない話をしたあの日。
確か……阿求はなんて言ったのだろう、話したことは覚えているのに答えを忘れてしまったんだろうか。そんなことを思いつつ、アイスクリームを食べ切る。うん、美味しかった。
「おっちゃんありがと、美味しかったよ」
「それなら良かった。小鈴ちゃんも元気でいるんだよ」
「おっちゃんこそ!暑さで体調崩さないようにね!」
そう言って手を振りながらまた歩き出した。
*
「ただいまー」
「おかえり、小鈴」
そう言って汗をかきながら私は開け放った扉を潜る。暑すぎて汗が滝のように流れてくるのだから嫌になる。
「ほら、使いなさい」
そう言って手ぬぐいを渡してくれるお母さん。
「あー……ありがとうお母さん」
はあ、暑い……手ぬぐいで汗を拭いて少し楽になる。
「ちょっと疲れたから部屋戻るね。何かあったらまた声掛けて」
手ぬぐいを持ちながら私は歩きかける。
「わかったわ。とりあえず休んできなさいな」
「お母さんも気をつけてね」
そう言うと私は階段を上がっていく。窓を開け放った部屋の熱気は相も変わらず暑い。窓の近くじゃなくて影に入って、ふう、と休む。
少し寝ようかな……なんでぼんやりとしていたら私の意識は暗くなっていた。
*
ハッと目が覚める。……ここはどこだろうか?
石畳の階段に、周りは木々に覆われている。石畳の灯篭がぼんやりと光っているのが見える。
まるで誘蛾灯のように私は灯篭の方まで近づく。光が消える。そうしてまた前にある灯篭に灯る。まるで私に着いてこいと言うかのように。それに従って私は石畳の階段を上がっていく。
「待って……待ってよ!」
灯篭は私を置いていくかのように光を先の方まで光らせていく。
ボッと全て消えて何も見えなくなる。
「な、何!?」
暗闇、何も見えない、分からない。気がつけばここは階段ではなく、開けた場所にいることが足元の感覚で分かった。
「どこ……」
怖くなって私はしゃがみこむ。ぽうと私の胸が光る。それに驚いて立ち上がると、目の前に大きな桜の木があった。木の下には誰か立っていた。特徴的な水色の帽子に、ピンクのような髪、ワンピースみたいに広がる水色の着物。確か私はどこかで見たような……
「……あなたは誰ですか」
「あら、生者が迷い込んでるわね。誰かが引き寄せたのかしら……はじめまして小鈴さん」
「ええっと、はじめまして?」
「どうして疑問符がつくのかしら。私たちは、はじめましてでしょう?ね、小鈴さん」
「私のことを一方的に知っているような人は知らないのですが……あなたのお名前は?」
はじめてなのに名前すら分からなくてなんて呼べばいいのか分からないので答えて欲しい。そう切に願う。
「私は幽々子よ。これでわかるでしょう?」
ゆゆこ……幽々子?……あっ!西行寺幽々子!
「幽々子さんって幻想郷縁起に書いてた!」
「そう、その幽々子よ。以後お見知りおきを。ほら小鈴さん着いてきて、ある人がお待ちかねよ」
そう言って気がつくと朝焼けのように明るくなってきたこの空間に目を取られながら幽々子さんに着いていく。
さっきは暗くて気が付かなかったが、こんなに大きなお屋敷を見た事がなかったので驚いた。
「すごい大きなお屋敷ですね」
小走りで走って幽々子さんの隣を歩く。
「そうでしょう?管理は大変なのよ」
くすくすと笑う幽々子さん。お屋敷の玄関を開けて入っていく。幽々子さんに着いていく。どこに案内するつもりなんだろうか。
廊下を歩き続けると次第に奥の大きな庭が見えてくる。
「ほらここよ」
「信じられない……」
庭先に立っていたのは……阿求その人だった。
紫の髪、花の髪留め、緑の着物、黄色の羽織……私の記憶そのものの阿求がそこに立っていた。
「あきゅ……!」
思わず阿求と叫んで走り出しそうになった。私は耐える。本物の阿求なのか分からなくて、精巧な偽物じゃないか、なんてことを思ってしまったから。駆け出すほど私はもう子供じゃなかった。もう大人になってしまった。阿求と馬鹿ばかりしていた頃にはもう戻れなくて。でも大人になりきったなんて未だに言えなくて。子どもと大人の境界で板挟みになっている。
「そうね、小鈴。あんたはあの頃より大人になったね。昔なら駆け寄って来たものね」
振り返る阿求はどこか美しく見える。まるで今にも消えてしまいそうな姿は怖くなる。でも大好きだった阿求のままで、私は耐えられなくなって側に駆け寄る。
「阿求!会いたかった、あきゅう……」
気がついたらもうハグをしていて。体温を確かめるかのように抱き着いてしまった。生きていた頃より少しひんやりとしたような温度が、阿求がいなくなったことをさらに実感させた。
「馬鹿ねえ、小鈴、こんなところに迷い込んでまで、私に会いに来るなんて」
「阿求、あんたがいなくなってから大人になったんだよ、あんたがいない日々はつまんないよ……」
泣きそうになる。抱き締めた阿求は私の背に手を回してきて。
「馬鹿ね、私といる日々も楽しかったけど、今だって楽しいでしょ?」
「バカ!あんたといた日々の方が楽しかったわよ!でも、いなくなっちゃったんじゃない!ならあんたと馬鹿が出来ないじゃない!」
ぽんぽんと私の背中を叩く阿求。
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。でも寿命だったんだもの仕方ないじゃない。あんたがきちんと大人になってくれると嬉しいな」
うううう〜……阿求のバカ!バカバカバカ!抱き締めるのをやめて私は阿求の胸をぽかぽか叩く。
「痛い痛い痛い!小鈴痛いってば!」
「バカバカバカ〜!いなくなるのはわかってたけど、それを受け入れられるなんか別じゃない!あんたのこと大好きだったんだよ、バカヤロー!」
胸を叩く手が止まる。ひっく、ひっくと涙が止まらない。
「ふふ、小鈴、ありがとう。そう言ってくれて。私も好きだったよ」
「……過去形?」
その言い方に引っかかって私は阿求に突っかかる。
「ううん、今も好き。私が私でいられなくなるまでずうっと大好きだよ」
「バカ〜私も好き……ねえ阿求、あんた、アイスクリーム一緒に食べた日のこと覚えてる?」
唐突に言われて阿求は驚いたような顔をする。
「覚えてるけど……どうしたの?飛行機雲の話のやつでしょ?」
「うん、阿求がなんて言ったのか全く思い出せなくて」
「小鈴が早苗さんから聞いた話の後でしょう?それね……『また一緒に見よう?』って言ったよね。一生見れないのにね」
「阿求、あんた出来ない約束したの?」
驚いて顔を見る。
「うん。夢くらいあってもいいかなって」
「一生見れない夢を約束するな!あんたとやりたいこと沢山あったのに!」
「ごめんね、もう無理だけど、転生するまで、小鈴のこと見てていいかな?」
「……いいよ。大好きなあんたが見ててくれるなら生きてられそう」
そう言うと阿求はバサッと私を押し倒す。紫の髪が私の頬を撫でる。すっと近づく顔、まさかと思って逃げようとすると阿求に頬を掴まれた。唇に柔らかい感覚、人間の温度よりひんやりとした温度。怖気付いて目を瞑っていたので感覚と温度しか分からなかった。
「この感覚と温度を覚えていて、一生忘れないで」
「……バカ……そんなの忘れられない……バカ、いなくなっても傷跡をつけるなんてなんて亡霊……」
涙で前が見えなかった。私は笑う、阿求のために。
「バイバイ阿求、あんたのことずっと大好き」
「バイバイ小鈴、またいつか」
私は阿求から離れて立ち上がる。ぼんやりと薄れていく阿求を見ながら私は前を見据える。
幽々子さんが近づいてきて私に話しかけてきた。
「満足したの?」
「はい。またいつか、会えると思うので」
「阿求!またいつか!」
「小鈴、大好きよ」
そう言って阿求は消えた。幽霊だったのだろうか、そんな疑問は絶えないけれど今はそんなことどうでもいいのだ。
また、会えた、それだけでよかったのだ。
「ほら、あなたも帰る時間よ」
「えっ、あっ?」
私の体が薄れていく。あれ私もそっちに行っちゃうのか……な。
私の意識は徐々に薄くなっていった。
*
目が覚めたら知らない天井だった。
……あれ?ここどこだろう……そう思い、起き上がる。ありゃ体に力が入らない。
「師匠!小鈴さんが目が覚めました!」
そう言ってうさぎ耳の誰かが走っていくのを見た。あれ私倒れてたの?
医者……永琳さんによると熱中症になって私は永遠亭まで運ばれたらしい。早くにお母さんが倒れているのを見つけていなかったらこの世にもういなかったと。ええ、いつの間に……
暑い部屋で寝るな、暑いなら影に行けとうるさく言われた。まだお陀仏したくないので言うことを素直に聞こうと思った。
*
阿求を見送って、私たちは心を繋げた。気がついたら大人になっていたと思っていたんだけれど、まだ子どものままだった。でも大好きな人と心を繋げたことはとても嬉しいことなんだ。
お盆が繋いでくれた縁なのかな、またどこかで見ているのかな阿求。
いつかまた抱き締めさせて、いつかまた。
あんたの影を追い続けて、いつかそっちに至れたら、また話させて。
私の旅の話を。
大人になっても変わらず自分を想ってくれる彼女を見たからこそ少し大胆な行動に出られたのかなとか、色々考えてしまいました。
面白かったです。
いくつになっても忘れられないふたりの関係が尊かったです
よい