よく考えてくださいね。
説明の義務がありますので、よく聞いてくださいね。
えー、まずこの薬自体が何をしてくれるのかというと、人間というのはホルモンバランスと電気信号で感情や欲求を制御していますので……しているという事になってますので、どんなホルモンが分泌されたときにどういう精神状態になるかという関連付けと、そのホルモンを実際に分泌させるという働きが実現できれば……つまり、私はそれが全て出来るので、人間がどういう風な変化を起こす薬にしろ作ることが可能です、という処までは良いですか? 詳しい具体的な信号とかホルモンの名前出されても困りますよね? よろしいですか?
はい。
それでこの「働きたくなって結婚したくなって子供が欲しくなる薬」というざっくりした名前の薬の効能なんですが、これは要は、患者は社会に迎合して生きやすくなる、社会は敬虔な歯車が一つ増えて嬉しい、そういうWin-Winを目指して作られてます。
まず、働きたくなるというのは、社会に貢献したくなります。まあ、私から言わせれば社会、というか共同体に全く貢献したい気持ちがない人間というのはまずそう居ませんので、そういう欲求を表面化及び増幅するという言い方になりますが、そのようになります。
働きたくなりますので、働き始めるための努力も惜しまなくなります。
幻想郷には職業を斡旋するところと、業種によってはその勉強を無償でさせてくれる処がありますし、その説明も併せて服用後に行われますから、大抵はそれに行くか、あるいは家業をひたむきに頑張るようになるでしょう。
副次的な効果として、本人の性能によって働くことが難しいといった生きづらさを避けるために、有り体に言うと有能になります。
次に結婚したくなるというのは、働くのと同じように、そのための努力を惜しまなくなります。
身ぎれいにするようになります。
アプローチをしようという勇気に恵まれ、程度によりますが失敗しても問題のない精神的な強度を得ます。
人間同士の関係性について、不得意であればぶつかっていきながら勉強するようになります。
お見合いといった活動を行う方も多いです。
真面目に働いて小奇麗で、段々誠実になっていく方なわけですから、多くの場合、結婚にこぎつけます。
最後に子供が欲しくなると言うのは、異性同士なら性行為によって子宝を得ようとします。
この薬は大抵の不妊要因を同時に治療します。
この薬は性的指向は変えませんから、同性同士の場合は養子を求めます。
性的指向を変える薬は別でありますので、希望があれば同時に処方しています。
凡そ、自分たちの経済状況で無理のない範囲ですが、多くの場合で2~3人程度の子供を欲しがります。
そして家庭を守ることに喜びを覚えます。
この三つが主な効能ですが、他の元からある本人の個人的指向が消え去ってしまうようなことはありません。
ただ、先に挙げた三つの欲求が上回りますから、自ずとその三つを阻害しない程度に他の欲求は抑えられます。
要は適度な範囲になります。
また、この薬を飲むにあたって、自己連続性が著しく損なわれる……つまり、自分が自分でなくなったような感覚に苛まれ苦痛を表明するケースがほぼ全てでしたので、それを抑える薬を同時に服用することが義務付けられています。
最後に、このような薬を飲みそのような状態になることを幻想郷は強要しておりません。
望ましいことには違いありませんが、あくまで本人がそのようになることを望んだ場合にのみ薬を処方しています。
更に、この変化は一度飲めば一生続きますが、特に不可逆的なものではありません。
つまり、この変化を元に戻す薬がありますので、希望があればこれを処方することが可能です。
良いことづくめに聞こえますか? では少し不穏な話もすれば却って安心するかもしれませんね。
元々は幻想郷の人間すべてが服用義務のある薬を開発してほしいと言う依頼を受けていたのです。
というのも、幻想郷が維持されるためのリソースの内、結構な量が「人間たちがほんわか生きていくため」に使われているのです。
要は、人間が過度な悪意や絶望を抱かないように直接的にコントロールされていたのです。
私がそのような薬を作り、人間に服用させるという運用に変えれば、そのリソースを節約できるという事でね。
少し話がズレますが、幻想郷を運用するためのリソースも年々少なくなってきているらしいので、常にこのような節約施策が必要になるようですね。
幻想郷も永遠の楽園と呼ぶには余りに頼りない薄氷の上で成り立っているというわけですが。
どこも世知辛いですね。
ですがバランス問題でしてね。
私はあまり興味がなかったので詳しくは聞かなかったのですが、すべての人間がまるっきり社会に迎合しているというのもそれはそれで幻想郷としては問題があるという話だったようです。
なので、希望した人間には服用させる程度が塩梅としては丁度よいということになりまして。
完全にのほほんとコントロールされていた時に比べると、人間にとってはかなり厳しい……というより人間本来の情動でもって生々しく振舞うようになったのですが、それでも幻想郷を運営していくのに不都合ではないくらいの治安と信仰を保てているようです。
ああ、もちろん内緒話ですよ。
あなただけに喋っているという事にしておいてください。
つまり、社会からはみ出ていることに傷ついたり疲れたりした方、あなたの様な方が相談に来て、私の説明を受け、同意に至れば薬を飲むことができます。
私がよく考えてくださいと言ったのは、やはり、自分を改変する行いだからです。
重大な決断です。
確実に人生が大きく変わる行為なわけですから。
沢山のサンプル……サンプルという以外に適切な言葉が浮かばないので失礼しますが、とにかくサンプルを見てきました。
多くの場合で通り一遍の幸せを掴むために頑張っているように見受けられます。
……少なくとも、周囲と違うという疎外感に苛まれることはなくなります。
それを選ばれるのかということです。
誰も彼も社会人、家庭人として生まれてくるわけではありません。
お母さんやお父さんになるために生まれた訳ではありません。
あなたも勿論そうです。
産まれてきた時に、社会という枠組みと、沢山の人と、あなたがいるだけです。
ただ、社会という枠組みの適応度が著しく低いだけでなく、能力も高くないといった諸問題も手伝って、平均より生きているだけで体力を消耗してしまう人間というのはどうしても居ますからね。
あなたがそういう人間であるかというのは私が決めることではありませんが。
悩んでらっしゃるようですね。
無理もないことです。
特に期限の決まっていることではありませんから、一度持ち帰って考えて頂いても構いませんよ。
大丈夫ですか?
決心なさったんですね?
では、これとこれとサインいただけますか?
籍に服用者であることが明記されること、服用したことによる諸問題について責任を負うものは誰もいないことに同意するアレです。
よろしければ。
はい。
はい。
それでは私の前でこれとこれを服用してください。
その後についてはまた係の者が説明しますので――
こんにちは。
えー、以前に来院なさったのは四年半前で、あの薬を飲んで以来ですね。
お久しぶりです。
どうなさいましたか?
はい。
はい。
はい。
ええとですね。
まずはお悔やみ申し上げます。
そのようなことがあって、大変つらかったでしょう。
はい。
ええ、まずは全て話していただくことです。
関係なさそうなことでも構いませんよ。
愚痴をこぼすようなものでも、世間話をするようなものでも構いませんから。
ええ。
はい。
ありがとうございます。
お話しされたことでつらかったでしょう。
大変お疲れ様です。
まずですね。
以前来院なさった時になんとなく感じたことかもしれませんが、私は特にお医者さんというわけではないんです。
薬師です。
ええその、つまり、今から言い訳をさせていただくつもりで話しています。
本当は、あなたのような方を診させていただく時に、えー、人間的に? 医学的にというんですかね? 正しい態度というのがあると思います。
私はそういうものが苦手です。
共感性があまり高くないのです。
先に謝っておきます、ということです。
私からするとあなたは大変好ましい方です。
あの薬を飲んだからといって「幸せになる」というわけではないことを理解していらっしゃる。
各々、頑張って、幸せを得やすいようにするくらいの力は、もしかするとあるかもしれませんがね。
やはり、起きてしまうことを防いだりすることはできません。
どう頑張っても結婚できない方や、できても離婚してしまう方、仕事の人間関係でうまくいかない方だっているし、それらが出来て順風満帆に行っても、あなたのように妖怪だの火災だの事故だのですべてを失ってしまう様な方だっていらっしゃる。
そうやって出来た心の傷まではあの薬でカバーできないのです。
というより、カバーすべきでない。
幻想郷のためにも、あなたのためにもね。
あの薬は社会への適合と貢献に幸せを感じる薬と言い換えても良い。
今のあなたのようにそれがとてもできない状態になると、却っておつらいでしょう。
あの薬の作用を消す薬……この薬は「反駁薬」と言うのですが、こちらの服用をおすすめします。
大丈夫です。
大切だったものが大切でなくなるわけではありません。
仕事を頑張ったり、大切な人と過ごした記憶はそのまま残ります。
今は負った傷を癒すことに集中するため、あなたを元の状態に一度戻すべきだというのが私の考えです。
そうしてから、あなたのその……恐らくは心的外傷ということになると思いますが、それとゆっくり向き合っていきましょう。
そのために必要な薬はまた考えて処方していきましょう。
まあ、休職するかどうかは通院していただきながら考えましょうか。
忙しい方が却って良い場合も往々にしてあります。
ししょ……間違えた。
八意先生は今日は不在ですので、私が対応しますね。
減薬が進んでますが、今回は希望はありますか?
こちらとしてはもう完全に断ってしまって、一度様子を見てみるのがよいと思いますが……。
そうしますか? はい。
ではそのようにしましょう。
次の来院はいつも通り一月後でよろしいですか?
はい。
はい。
もう少ししたら、わざわざここまで通わなくても人里の病院で充分になるでしょう。
そうなったら紹介状を書きますからね。
もう復職も考えているのだとか?
例の薬はまた服用されますか?
これ、一応聞いておけって言われたんですよ。
そうですか。
わかりました。
まあ、所詮薬ですべて制御しきれるというものではありません。
いえ、本当のことを言えば可能なのです。
八意先生はすべてを忘れる薬をすら作ることができます。
というかあります。
あの人はそうすべきでないと思っているだけです。
人間というのは過去に縛られるべきですから。
過去から何も得られないなら生きている甲斐がない。
あの人のではなく、私個人の考えですがね。
人間に限らず、私自身もですけど。
あなたが本当にすべてどうなっても構わないと絶望しきっていたら、ししょ……もう師匠でいいか。師匠もきっと記憶消去薬を処方する提案をしたんじゃないですか?
自分の力で傷を癒して、過去を消さず前に進んでいきたいと思ったからこの道を選んだんですよね?
ええと、つまり、私が言いたかったのはですね。
一度その、薬を飲んで過ごしたという約五年間があるかぎり、それで充実していたという過去がある限り、それはあなたを応援してくれますよね?
それから薬の効果を消したって、その事実までは消えないですよね?
そういう意味で、薬とは関係なく、あなたには不可逆的な変化が起きているんですよ。
良い意味で。
社会と迎合しやすいかとか、そういう尺度ではなくて、人生に深みが出たとまで言ったら、流石に説教臭いですかね?
薬の効果がなくても働こう、人との関係を新しく築いていこうと思った今のあなたを、それは薬の効果が消えてないせいだと思うかもしれないんですけど、実際にはただの人生経験の結果で、薬の効果じゃないですよってことです。
え? いや、薬自体が良い悪いって話をしたいわけではなくてですね。
メリットが上回るなら飲めば良いんですよ。
ただ、飲まないで生きていけるなら飲まないのが良いって言うのが並大抵の考え方でしょう。
実際あなたも飲まなくて良さそうだから飲まないって選択をしたわけですよね? 今。
よかったですねと言っているだけです。
そんなに悪い顔をしていないので、そう思ったという話ですよ。
口下手ですみません。
そうですね。
すごいぶっちゃけた話すると、病院にくる元気があるうちに病院に来れて、しかも病院に来たことで元気になれるなんてかなり恵まれた方ですからね。
あなたが病院にも来れない程追いつめられることがなくて、こちらも嬉しいですよ。
まあここは厳密には病院ではないんですけど。
ああ、ああ。
師匠は口が軽いのでそういう話もしますね。
たしかそれが大体二百年くらい前の話だったと思いますよ。
実は最近も色々相談されてるんです。
薬ってアプローチで幻想郷を長引かせる方法が考えついたら教えてくれ~みたいなことを。
実際の処どれくらいピンチなんでしょうね? 教えてくれないから分からないですよね。
どこまで性急で、どのくらい倫理を尊重するかによって選べる手段は変わってくるって、師匠は言ってましたけど。
案外あと数十年くらいで幻想郷終わっちゃったりして?
内緒ですよ。
内緒。
あはは。
はい。
ではお大事になさってください。
てゐー、次の人呼んでー。
説明の義務がありますので、よく聞いてくださいね。
えー、まずこの薬自体が何をしてくれるのかというと、人間というのはホルモンバランスと電気信号で感情や欲求を制御していますので……しているという事になってますので、どんなホルモンが分泌されたときにどういう精神状態になるかという関連付けと、そのホルモンを実際に分泌させるという働きが実現できれば……つまり、私はそれが全て出来るので、人間がどういう風な変化を起こす薬にしろ作ることが可能です、という処までは良いですか? 詳しい具体的な信号とかホルモンの名前出されても困りますよね? よろしいですか?
はい。
それでこの「働きたくなって結婚したくなって子供が欲しくなる薬」というざっくりした名前の薬の効能なんですが、これは要は、患者は社会に迎合して生きやすくなる、社会は敬虔な歯車が一つ増えて嬉しい、そういうWin-Winを目指して作られてます。
まず、働きたくなるというのは、社会に貢献したくなります。まあ、私から言わせれば社会、というか共同体に全く貢献したい気持ちがない人間というのはまずそう居ませんので、そういう欲求を表面化及び増幅するという言い方になりますが、そのようになります。
働きたくなりますので、働き始めるための努力も惜しまなくなります。
幻想郷には職業を斡旋するところと、業種によってはその勉強を無償でさせてくれる処がありますし、その説明も併せて服用後に行われますから、大抵はそれに行くか、あるいは家業をひたむきに頑張るようになるでしょう。
副次的な効果として、本人の性能によって働くことが難しいといった生きづらさを避けるために、有り体に言うと有能になります。
次に結婚したくなるというのは、働くのと同じように、そのための努力を惜しまなくなります。
身ぎれいにするようになります。
アプローチをしようという勇気に恵まれ、程度によりますが失敗しても問題のない精神的な強度を得ます。
人間同士の関係性について、不得意であればぶつかっていきながら勉強するようになります。
お見合いといった活動を行う方も多いです。
真面目に働いて小奇麗で、段々誠実になっていく方なわけですから、多くの場合、結婚にこぎつけます。
最後に子供が欲しくなると言うのは、異性同士なら性行為によって子宝を得ようとします。
この薬は大抵の不妊要因を同時に治療します。
この薬は性的指向は変えませんから、同性同士の場合は養子を求めます。
性的指向を変える薬は別でありますので、希望があれば同時に処方しています。
凡そ、自分たちの経済状況で無理のない範囲ですが、多くの場合で2~3人程度の子供を欲しがります。
そして家庭を守ることに喜びを覚えます。
この三つが主な効能ですが、他の元からある本人の個人的指向が消え去ってしまうようなことはありません。
ただ、先に挙げた三つの欲求が上回りますから、自ずとその三つを阻害しない程度に他の欲求は抑えられます。
要は適度な範囲になります。
また、この薬を飲むにあたって、自己連続性が著しく損なわれる……つまり、自分が自分でなくなったような感覚に苛まれ苦痛を表明するケースがほぼ全てでしたので、それを抑える薬を同時に服用することが義務付けられています。
最後に、このような薬を飲みそのような状態になることを幻想郷は強要しておりません。
望ましいことには違いありませんが、あくまで本人がそのようになることを望んだ場合にのみ薬を処方しています。
更に、この変化は一度飲めば一生続きますが、特に不可逆的なものではありません。
つまり、この変化を元に戻す薬がありますので、希望があればこれを処方することが可能です。
良いことづくめに聞こえますか? では少し不穏な話もすれば却って安心するかもしれませんね。
元々は幻想郷の人間すべてが服用義務のある薬を開発してほしいと言う依頼を受けていたのです。
というのも、幻想郷が維持されるためのリソースの内、結構な量が「人間たちがほんわか生きていくため」に使われているのです。
要は、人間が過度な悪意や絶望を抱かないように直接的にコントロールされていたのです。
私がそのような薬を作り、人間に服用させるという運用に変えれば、そのリソースを節約できるという事でね。
少し話がズレますが、幻想郷を運用するためのリソースも年々少なくなってきているらしいので、常にこのような節約施策が必要になるようですね。
幻想郷も永遠の楽園と呼ぶには余りに頼りない薄氷の上で成り立っているというわけですが。
どこも世知辛いですね。
ですがバランス問題でしてね。
私はあまり興味がなかったので詳しくは聞かなかったのですが、すべての人間がまるっきり社会に迎合しているというのもそれはそれで幻想郷としては問題があるという話だったようです。
なので、希望した人間には服用させる程度が塩梅としては丁度よいということになりまして。
完全にのほほんとコントロールされていた時に比べると、人間にとってはかなり厳しい……というより人間本来の情動でもって生々しく振舞うようになったのですが、それでも幻想郷を運営していくのに不都合ではないくらいの治安と信仰を保てているようです。
ああ、もちろん内緒話ですよ。
あなただけに喋っているという事にしておいてください。
つまり、社会からはみ出ていることに傷ついたり疲れたりした方、あなたの様な方が相談に来て、私の説明を受け、同意に至れば薬を飲むことができます。
私がよく考えてくださいと言ったのは、やはり、自分を改変する行いだからです。
重大な決断です。
確実に人生が大きく変わる行為なわけですから。
沢山のサンプル……サンプルという以外に適切な言葉が浮かばないので失礼しますが、とにかくサンプルを見てきました。
多くの場合で通り一遍の幸せを掴むために頑張っているように見受けられます。
……少なくとも、周囲と違うという疎外感に苛まれることはなくなります。
それを選ばれるのかということです。
誰も彼も社会人、家庭人として生まれてくるわけではありません。
お母さんやお父さんになるために生まれた訳ではありません。
あなたも勿論そうです。
産まれてきた時に、社会という枠組みと、沢山の人と、あなたがいるだけです。
ただ、社会という枠組みの適応度が著しく低いだけでなく、能力も高くないといった諸問題も手伝って、平均より生きているだけで体力を消耗してしまう人間というのはどうしても居ますからね。
あなたがそういう人間であるかというのは私が決めることではありませんが。
悩んでらっしゃるようですね。
無理もないことです。
特に期限の決まっていることではありませんから、一度持ち帰って考えて頂いても構いませんよ。
大丈夫ですか?
決心なさったんですね?
では、これとこれとサインいただけますか?
籍に服用者であることが明記されること、服用したことによる諸問題について責任を負うものは誰もいないことに同意するアレです。
よろしければ。
はい。
はい。
それでは私の前でこれとこれを服用してください。
その後についてはまた係の者が説明しますので――
こんにちは。
えー、以前に来院なさったのは四年半前で、あの薬を飲んで以来ですね。
お久しぶりです。
どうなさいましたか?
はい。
はい。
はい。
ええとですね。
まずはお悔やみ申し上げます。
そのようなことがあって、大変つらかったでしょう。
はい。
ええ、まずは全て話していただくことです。
関係なさそうなことでも構いませんよ。
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ええ。
はい。
ありがとうございます。
お話しされたことでつらかったでしょう。
大変お疲れ様です。
まずですね。
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薬師です。
ええその、つまり、今から言い訳をさせていただくつもりで話しています。
本当は、あなたのような方を診させていただく時に、えー、人間的に? 医学的にというんですかね? 正しい態度というのがあると思います。
私はそういうものが苦手です。
共感性があまり高くないのです。
先に謝っておきます、ということです。
私からするとあなたは大変好ましい方です。
あの薬を飲んだからといって「幸せになる」というわけではないことを理解していらっしゃる。
各々、頑張って、幸せを得やすいようにするくらいの力は、もしかするとあるかもしれませんがね。
やはり、起きてしまうことを防いだりすることはできません。
どう頑張っても結婚できない方や、できても離婚してしまう方、仕事の人間関係でうまくいかない方だっているし、それらが出来て順風満帆に行っても、あなたのように妖怪だの火災だの事故だのですべてを失ってしまう様な方だっていらっしゃる。
そうやって出来た心の傷まではあの薬でカバーできないのです。
というより、カバーすべきでない。
幻想郷のためにも、あなたのためにもね。
あの薬は社会への適合と貢献に幸せを感じる薬と言い換えても良い。
今のあなたのようにそれがとてもできない状態になると、却っておつらいでしょう。
あの薬の作用を消す薬……この薬は「反駁薬」と言うのですが、こちらの服用をおすすめします。
大丈夫です。
大切だったものが大切でなくなるわけではありません。
仕事を頑張ったり、大切な人と過ごした記憶はそのまま残ります。
今は負った傷を癒すことに集中するため、あなたを元の状態に一度戻すべきだというのが私の考えです。
そうしてから、あなたのその……恐らくは心的外傷ということになると思いますが、それとゆっくり向き合っていきましょう。
そのために必要な薬はまた考えて処方していきましょう。
まあ、休職するかどうかは通院していただきながら考えましょうか。
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ししょ……間違えた。
八意先生は今日は不在ですので、私が対応しますね。
減薬が進んでますが、今回は希望はありますか?
こちらとしてはもう完全に断ってしまって、一度様子を見てみるのがよいと思いますが……。
そうしますか? はい。
ではそのようにしましょう。
次の来院はいつも通り一月後でよろしいですか?
はい。
はい。
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そうなったら紹介状を書きますからね。
もう復職も考えているのだとか?
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そうですか。
わかりました。
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いえ、本当のことを言えば可能なのです。
八意先生はすべてを忘れる薬をすら作ることができます。
というかあります。
あの人はそうすべきでないと思っているだけです。
人間というのは過去に縛られるべきですから。
過去から何も得られないなら生きている甲斐がない。
あの人のではなく、私個人の考えですがね。
人間に限らず、私自身もですけど。
あなたが本当にすべてどうなっても構わないと絶望しきっていたら、ししょ……もう師匠でいいか。師匠もきっと記憶消去薬を処方する提案をしたんじゃないですか?
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ええと、つまり、私が言いたかったのはですね。
一度その、薬を飲んで過ごしたという約五年間があるかぎり、それで充実していたという過去がある限り、それはあなたを応援してくれますよね?
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良い意味で。
社会と迎合しやすいかとか、そういう尺度ではなくて、人生に深みが出たとまで言ったら、流石に説教臭いですかね?
薬の効果がなくても働こう、人との関係を新しく築いていこうと思った今のあなたを、それは薬の効果が消えてないせいだと思うかもしれないんですけど、実際にはただの人生経験の結果で、薬の効果じゃないですよってことです。
え? いや、薬自体が良い悪いって話をしたいわけではなくてですね。
メリットが上回るなら飲めば良いんですよ。
ただ、飲まないで生きていけるなら飲まないのが良いって言うのが並大抵の考え方でしょう。
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よかったですねと言っているだけです。
そんなに悪い顔をしていないので、そう思ったという話ですよ。
口下手ですみません。
そうですね。
すごいぶっちゃけた話すると、病院にくる元気があるうちに病院に来れて、しかも病院に来たことで元気になれるなんてかなり恵まれた方ですからね。
あなたが病院にも来れない程追いつめられることがなくて、こちらも嬉しいですよ。
まあここは厳密には病院ではないんですけど。
ああ、ああ。
師匠は口が軽いのでそういう話もしますね。
たしかそれが大体二百年くらい前の話だったと思いますよ。
実は最近も色々相談されてるんです。
薬ってアプローチで幻想郷を長引かせる方法が考えついたら教えてくれ~みたいなことを。
実際の処どれくらいピンチなんでしょうね? 教えてくれないから分からないですよね。
どこまで性急で、どのくらい倫理を尊重するかによって選べる手段は変わってくるって、師匠は言ってましたけど。
案外あと数十年くらいで幻想郷終わっちゃったりして?
内緒ですよ。
内緒。
あはは。
はい。
ではお大事になさってください。
てゐー、次の人呼んでー。
私達の造る薬は精神全てをコントロール出来ます。
でも貴方が体験した過去は薬と関係なく貴方が積み上げたものですから
出来ることなら大事にしてください、という話の繋げ方が良かったです。
話し方自体は淡々としているのに冷たさが感じられなかったのもよきでした。
あとは恐怖と記憶力の増強と他者に経験を喧伝したくなる作用があれば完璧ですね