夜の森を一人の女が歩いていた。
年の頃は六十恰好に見えて、老婆といっても差し支えないくらいだったが、すっかり日焼けして光沢のある頑健そうな肉体にはすこしも年齢故の緩みは見てとれない。じっと動かずにいれば、人というよりむしろ一個の木彫りの像がそこに佇立しているような印象を与える女だった。
月光を梢に遮られてあるかなしかの獣道を進むその足取りには危ういところが少しもなく、けして急がず、しかし確信を持って森を歩く彼女の確かな熟練を窺わせた。事実、彼女は猟師だった。この郷の女の身には珍しい生業と言えたが、さりとて別段深い理由のあるわけでもなかった。元はといえば彼女の夫が猟師であった。腕の良いことで知られていた彼は、しかしある日森から戻らなかった。よくある不幸な話である。彼女は男の具体的な末期を知らなかったし、知る余裕とてなかった。彼女の生活にとっては育てるべき子らと一丁の銃が残されたという事実こそが重大であり、だから今度は彼女が森に行くようになったというだけの話だった。
そうして彼女はその後半生を森の人として過ごした。彼女は罠も仕掛けたし、矢を射ることも不得手というわけでは無かった。それらは亡夫が教えてくれた技術であって、彼はむしろこちらの方を得意とした。しかし、彼女に最も馴染んだのは銃を撃つことだった。それは体格というよりも、むしろ彼女の才覚の問題だった。良い獣撃ちになるためには無暗に力があるというだけでは何にもならない。必要なのは、遠く離れたところからでも獲物のため息ひとつ見逃さない眼の良さであり、思ったところに正しく弾を放つ射撃の腕であり、そしてなかんずく、藪に身を沈めて半日でも一日でも独り待ち続ける忍耐力であった。幸いにして、女の肉体にはそれが全て備わっていた。だから彼女は獣を撃った。
畑を荒らす猪、茂みから飛んで出る兎、水辺に戯れる雁の群れ。豊かな森はいつでも狩りの対象をたっぷり提供したから、幸い食うには困らなかった。銃と獲物を担ぐ女の姿は、長く村の夕暮れの景色のひとつであった。そんな調子で女手一つ子を育てる彼女はついぞ趣味というべきものを持たず、彼女の楽しみといえば、子供の成長と、自らの仕事道具を撫でるように磨くことだけだった。
幻想郷への銃の供給はほとんど絶たれて久しいけれど、もとよりそう簡単に壊れるようなものでもないから、大結界成立前に運び込まれたものがまだそれなりに残っている。女の銃もそういう内の一丁であった。先込め式の、古いつくりの銃である。弾薬の継続的な調達は、あるいは銃そのものを手に入れるよりも困難なことだったし、時の流れとともに疲れ切って些細なことで壊れる部品達の修理や、日々の手入れの煩雑さが彼女を幾度うんざりさせたかわからないけれど、それでも彼女はこの銃のことが好きであった。
元を辿れば、海のずっと向こうで作られて、戊辰戦争で用いられたエンフィールド銃の払い下げられたものだが、女にその由緒を知るすべはない。ただ、事実としてそれは女の生活に無くてはならないものであったし、森の中で直接彼女の命を救った数も一度や二度ではきかない。だからその当然の報いとして、女はそれをなるべく優しく磨くのだった。
しかし今夜彼女はその愛銃はおろか、寸鉄も帯びてはいない。身一つで滑るように木々を縫った。それはこの幻想郷においては単に自殺行為である。もちろん、女がそのことを知らぬはずもない。つまり、彼女はもはや死を恐れてはいなかった。彼女はどのみち自らがこの夜を越せぬ身であることを知っていた。それが病故か、それとも身体の自然な機能としての衰弱、すなわち老い故のものなのかはわからないまでも。
余人がこれを聞けば一笑に付したであろう。それくらい、傍から見た彼女は健康そのものだった。今まさに軽々と道を塞ぐ大蛇のような倒木を一息に跨いでのけた。
しかし、果たして女の身体は蝕まれていたし、彼女自身もまたそのことを確信していた。
彼女が獲物を狙うとき、引き金に手をかける前からきっとこの弾は当たるだろうと直感することがしばしばあった。例えば、葦の葉もすっかり凍り付いてしまって風にさえ身じろぎしないような冬の沼地で、肥えた鴨を狙うようなときに。そういうときは、だんだん自分の白く吐く息遣いも遠のいて、深い青に輝く風切り羽の一枚一枚さえも容易に見分けられるほどに鮮明に獲物が見えた。自らと、これから奪う命が指呼の間にあるように感ぜられた。手を伸ばせばそのまま握りつぶせそうだった。こうなってしまえば不思議と外さなかった。外しようがなかった。それは卓越した生と死の感覚であり、狩人としての得難い素質であって、しばしば森の中で窮地に陥った彼女をよく助けたが、今度はその力がむしろ死の逃れ難さを教えた。今朝いつもと変わらぬ目覚めを迎えた女は、空気の匂いからその日の天気を知るような気軽さで死神の弾丸が今日、己が身を貫くことを悟ったのだった。彼はきっと外さないだろう。
だから彼女は死に場所を求めて森に入った。ずっと以前から、自らの終わりは森の中で迎えることと思い定めていた。そこは彼女の人生にもたらされたものすべての源であったから。
といっても、それは必ずしも感傷ばかりによる決意でもなかった。彼女なりに実際的な理論があった。つまりは死体を家に残すことによって後始末の面倒をかけることを厭ったのである。彼女の息子はとうに独立し、娘たちも皆嫁いて家を離れていたから、思い残すことはなにもなかった。そうすると、彼女に言わせれば、狩りを通じて集落に食糧を供給できなくなる自身の肉体はもはや全く無用の長物であり、そんなものを仰々しく箱に入れたり、わざわざ穴を掘って埋めたりするというのは、金と労力の無駄でしかなかった。だから、自らの処分こそが彼女が全うすべき最後の義務であると女は信じていた。
彼女が少なからぬ愛着を抱いていた相棒をこの死出の旅の供としなかったのにも全く同じ理屈が働いていた。あの銃身のやたらと長くて取り回しが悪い年季の入った厄介者は、しかしそれに値するだけの威力を持つ装置であり、持ち主と違って未だ変わらぬ有用性をこれからも認められるはずである。ならばその始末は先のない自分ではなくて、残された者たちにこそ委ねられるべきであった。
もっとも彼女は子らの誰一人として狩人としては育てなかったから、きっと銃は売り払われていくらかの銭に変えられるに違いなかったが、それでも構わなかった。いずれにせよ、誰か必要とするものがそれを担いできっとまた森に分け入るのだ。彼女がかつて、そうしたように。
やがて女は、木々の海に取り囲まれるようにしてぽっかりと開けた草地に出た。そこは去年の大嵐の夜に樫の老木が倒れたところであった。思わぬ陽当たりを得た若木たちは、突如現れた勢力圏の空白を自らこそが埋めるべく熾烈な競争を繰り広げていたが、それは未だ差し込む月光を完全に遮るほどではない。天から降り注ぐ光が深い森の暗中にその一角だけを白く切り取って、踏み込んだ女に、自らが昼日中に突如放りだされたような一瞬の錯覚さえ与えた。
草地の真ん中に、件の樫が半ば朽ち、ところどころを草に覆われながら横たわっている。その傍らに寄り添うようにして、一叢の桜草が紫の蕾をいくつも膨らませていた。
朝を待つ彼らをみて、女はここにしようと、そう思った。足はまだ力を失ってはいなかったが、深く進むことは別段彼女の望みでは無かった。もとより、あてど無い旅である。女が満足したところこそが、終着点となるべきだった。そして女はもうすっかり満足していた。
夜露が月明かりに輝いて柔らかに伸びる下草を死の床として、老樫の中ほどが中から腐って大きく洞になっているところに、寄り添うように背をもたれかけ、そして女は物思いにふける間もなく、ゆっくりと眼を閉じた。
夜の森を一匹の妖が歩いていた。
ヒトの形をしていたから正しくは一人というべきかもしれず、その背には柔らかな羽毛に覆われた一対の羽を備えていたからあるいは一羽と呼ぶべきかもしれなかった。
名のある妖怪というわけではなかった。元は多少力のある獣に過ぎなかった一羽の鳥が、長く生きるうちに郷に充満する妖気に当てられて、遂には妖怪に変じたのであった。はじめ、彼女はその変化を素直に喜んだ。世界がこれまでよりずっと広く見えた。翼を一打ちすれば、どこまでも行ける気がした。しかし今や、彼女は暗い森で惨めに死にかけている。
この幻想達の残酷な楽園は、新参者に甘くはなかった。さして広いわけでもない土地で繰り広げられる生存競争は苛烈で、彼女はたちまち落伍者となった。いくらかの不運とありふれた悲劇の果てに、彼女は傷を負い、生まれ育った縄張りを追い出された。彼女がその美しさを誇りとしていた翼はすっかり艶を失い、萎えていまやものの役には立ちそうもない。それはつまり、彼女がこの地で生き残る為に有していた僅かばかりの優位性を完全に失ったことを意味していた。
かくして飛ぶことも叶わなくなった彼女は泥と血にまみれて這いずるように森を彷徨っている。いかなる運命が自らをかくのごとき境地に導いたものか、彼女には思い返す力さえ残っていなかった。今や飢えこそが彼女の支配者であり、わずかに残ったあらゆる身体機能はただ口にすることのできるものを探すことにのみ注がれている。もう幾日食べていないだろうか。限界はすぐそこまで迫っていた。先ほどまで切実に感じていた、腹のあたりを刺すような鋭い痛みすら、もはやいずこかへ消え去っている。
星が木々に笑いかける美しい夜に、彼女はただ土の上にばかり眼を走らせていた。その顔からはすっかり表情が抜け落ちて、その歩みはじれったいほどに遅い。一挙手一投足に気力をふり絞らねばならないのだ。例え幸運にも鼠の一匹を見つけてたとて、今の彼女に捕まえられるはずもなかった。それは報われぬ足掻きのように思われた。眠ってしまえばきっと楽になれた。それでも彼女は歩くことはやめなかった。生きる為に。
そして彼女は草地に出た。それはどうやらここの主であった巨木が失われて出来た空間らしかった。そのことを示すように、真ん中に一本の大きな樫の倒木があった。差し込む月明かりによって、夜目のあまり利かない彼女でも充分に見通せたから、苔むした樹皮の剥がれ落ちかけて夜風に揺れている様子さえよくわかった。
そして、彼女は見た。
一個の死体があった。倒木を背にして、夜空を見上げるような格好で息絶えていた。女の死体だった。それは年の割には肉付きの良い死体だった。死んでからさして時間の経ってはいないようだった。そのことは、未だ艶を失わない肌からも、そして死体が完全な形でそこにあることからも窺えた。それはまた、その肉を狙う先客がこの場にいないことをも意味していた。
つまり、今やすべては彼女のものだった。彼女はほとんど閉じかけていた眼を見開いて、普段なら決して怠らなかった周囲の警戒もすっかり忘れて、ただ本能的に、わき目も降らず、縋るようにその身体に飛びついた。
彼女は無我夢中にその肉を喰らった。初めは弱り切ってぎこちなかった顎の動きもじきに活発さを取り戻し、小さな草地を満たす虫の鳴き声に、水気のある咀嚼音が混じった。
やがて女の死体が誰のものともわからぬ肉塊に変じ果て、返り血が自らの衣をすっかり赤黒く染めてしまっても、妖は貪ることをやめなかった。いつしか、彼女は泣いていた。泣けるだけの生命力がもはや彼女にはあった。それからも、嗚咽交じりの晩餐は長く続いたけれど、一刻も経つ頃には彼女の泣き声も、咀嚼音も途切れがちになり、遂にはぱったりやんで、もはや二度と聞こえなかった。辺りは再び、虫時雨に沈んだ。
そうしてすっかり満腹になった彼女はその場にうずくまり、ほっそりとした指を櫛にして、ずいぶん長い間荒れるがままにしていた自慢の翼の羽繕いを始めた。
彼女の傍らで、桜草の蕾が来るべき朝の陽ざしを予感して綻びつつある。
しかし、夜明け前にはきっと翼は活力を取り戻し、彼女はまた飛び立てるだろう。
コメントありがとうございます。返信というか、これを読んだら追加でフレーバーテキストめいたものを書きたくなったので口実にして置かせてもらいます
実際のところ、彼女は死後自らが妖怪に食われることを概ね予見していました。幻想郷における猟師の生活水準がそれなりに高い背景として、妖怪の存在からくる森の恵みの希少価値の高さを無視することはできません。単身で森に入る大きな危険の代償として、幻想郷では供給の不足しがちな火薬を継続的に利用してなお、一人で一家を養って余りあるほどの収入を彼女は得ています。また、妖怪たちの脅威に常に晒され続ける周縁部の村落にとって、曲がりなりにも火器で武装した村民の存在はどれほど頼もしいものだったでしょう。その腕が良いとなれば尚更です。村外れに住み、畑を耕さない彼女は農村共同体においては明白な異端分子でありながら、村民達から一種の尊敬を勝ち得ていましたし、そのことによって種々の便宜も図られたはずです。そしてこれは幻想郷の人里においては普遍的な景色でもあります。
これらの意味で、猟師にとって妖怪達は油断ならぬ捕食者であると同時に、その存在自体が生活の前提でもありました。そして、猟師と普段事を構えるような力の弱い妖怪達にとっても、狩人は手痛い一撃を与えてきて、時として自らを殺すことさえあり得る手強い存在ですが、時として解体された獲物の残りは彼らにとってもご馳走たり得たでしょう。そして言うまでもなく、人の恐怖こそが彼らの存在を担保しています。
このように、幻想郷森林部では、人と妖がお互いを敵視しながらも、まさにその敵視に支えられる互恵的で奇妙な共存関係が緩やかに成立しています。
彼女がこういう構造にどこまで自覚的であったかはわかりませんが、おおまかなところは肌感覚で理解しています。彼女の心中には森に対する巨大な感謝の念がありますが、ここで彼女のいう"森"にはそこに住まう妖怪たちも包含されていました。
彼女にとって最も大切な存在が家族であったことについては疑いの余地はないですが、それを超えた部分、すなわち人間全般に対する彼女の利害感覚は地縁共同体に生きる人々のそれと同一ではなかったはずです。
半ば森の人、半ば里の人を自負していた彼女が人と妖の大きな対立軸のどこに自らを位置付けていたのか、正確なところはもはやわかりませんが、例え自らを貪った鳥妖怪が巡り巡って彼女の子や孫を取って食ったとしても、彼岸の彼女はちょっと顔を曇らせこそすれ、後悔はしないはずです
描写も美しかったです。特に、最後の三文(「そうしてすっかり満腹になった彼女は」以降)だけでも、妖のこれまでの状況や生き方が察せられ、また、それまでで説明されている妖の状況を改めて、別の角度から目の当たりにできるような描写になっており、奥行きが感じられてとても良かったです。
ご馳走様でした、面白かったです。
命の輪廻とでも言うべき生きざまが素晴らしかったです
食物連鎖の名のもとに食って食われて円となす美しい話でした
幻想郷らしさがないように見えて、絶妙な塩梅で匂ってくるのがバランスとして良く感じられました。
文章が上手くて読んでいて楽しかったです。
有難う御座いました。