Coolier - 新生・東方創想話

私のことは見捨てたクセに

2025/04/20 15:15:16
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「女苑、あれほどお酒をウチに持ち込まないよう言いましたよね?」

 命蓮寺の一室、袈裟に身を包んだ疫病神が正座させられていた。部屋が広いせいか、どこかちんまりとして見える。もっとも当人は縮こまっているわけではなく、表情から反省している様子は窺えなかった。
 その傍にはこの寺の住職、聖白蓮の姿があった。

「わからないかなー。需要があるから供給が生まれるのよ」

「女苑!」

「はいっ、申し訳ごぜ〜ませんでした。このと〜り深〜く反省しております」

 女苑と呼ばれた少女は、わざとらしく平伏した。その態度に聖は深いため息をつく。

「まったく、当然一輪も後で目が覚めたら叱りますが……貴女がお酒を持ち込むから、彼女だってあんな風に酔い潰れて……」

「そう?私が持ち込まなくても、あんまり変わんないんじゃない?」

 そう言って女苑は首をこてん、と傾けた。
 確かに言われてみれば、彼女が酒を持ち込むのを禁じたところで、不飲酒戒が破られることに変わりないのは想像に難くなかった。聖はとにかく、と言って咳払いして仕切り直す。

「別に手土産なくても、みんな貴女を歓迎するのに」

 女苑はたじろいだ。
 毎回彼女がお酒を持参するのは、受け入れられるか不安だからということを聖は理解していた。疫病神である彼女は、最後にはいつも嫌われる人生を送ってきたのだろう。ゆえに人一倍そういうところに気が回る。

「……そんなんじゃないし。たまたま良い酒をもらったから来ただけよ」

 図星だったのか、バツが悪そうに女苑はそっぽを向く。
 たまたま良い酒が手に入ったという言い訳は、寺に足を向ける理由にもなるし、自然に手土産に酒を用意できて一石二鳥なのだろう。
 もっとも酒を寺に持ってくるために、わざわざ購入していることは聖には筒抜けであった。彼女が利用している酒屋は命蓮寺の檀家であり、店主から話を聞いている。
 呆れ半分、もう半分はそんな彼女をいじらしく思ってまう。ただ、彼女も寺の一員と考えるなら、何もお咎めなしとはいかない。

「里の方でまた問題を起こしたとも聞いてます。一輪が起きたら一緒に写経なさい」

「ゲェーッ!そんなつまらないことしてる暇ないのよ私の人生には!」

「どうせ人里をほっつき歩いてロクでもないことをしてるだけでしょう。つべこべ言わずに……」

 縁側の方向から視線を感じ、聖ははたと言葉を止めた。
 振り返ると、境内に青色の長髪が特徴的な少女がいた。冬であるにもかかわらず、マフラーを巻いただけで、服は半袖にミニスカートという何とも寒そうな出立ちだ。真白い肌は新雪のようで、彼女の周囲だけ一段気温が低いように感じられる。

「女苑、帰るよ」

「あ〜私姉さんにお昼ご飯作らないとだから!」

 姉の依神紫苑の姿を認めると、渡りに船といった感じで、妹は跳ねるように畳から立ち上がった。
 いつも喧嘩ばかりの二人だが、こうして姉がわざわざ迎えに来るあたり、何だかんだでかなり仲が良い姉妹だなと聖は思う。
 女苑は縁側の下に置いてあったブーツを履いて、境内へと逃げ出した。

「女苑、まだ話は終わっていません。待ちなさーー」

 彼女を咎めようとして、紫苑と目が合った。
 聖は息を呑む。
 女苑へ伸ばした手が止まった。

「じゃーねー聖、あばよ!」

 女苑は姉の手を引いて駆け出した。嵐のように去っていった。一人残された寺に、静寂が流れる。冬のせいか、音が空気に吸い込まれてしまったようだった。
 女苑は袈裟を着たまま帰ってしまったが、それは問題ない。どうせ次来るときに持ってくるだろうし、そもそもあれは女苑のためにあつらえたものだ。
 そんなことよりも、聖の関心ごとは姉の方にあった。

「……」

 先ほどの紫苑の目が、脳裏に焼き付いてしまっていた。
 睨め付けるような、あの眼差し。

 視線の残像を振り払うようにして、聖は振り返った。今度は部屋の中に置かれた、昨晩写経した経典が目に入る。しかしそれからも目を逸らすように、聖は足元に視線を落とした。

 それから瞳を閉じて、今度は逃げずに、先ほどの紫苑の目を思い返した。
 ひょっとすると睨んでるわけではないかもしれない。
 境内にいて視線が下からになっているせいか、それとも彼女が猫背なせいか。はたまた少し目つきが悪く見えただけにも思える。
 しかし聖にはそのどちらでもなく、彼女が自分を恨んでいるかのように見えた。





『私のことは見捨てたクセに』





 更生の見込みがある妹は寺に、更生の見込みがない姉は神社に引き取られた。
 その判断をしたのは聖ではない。しかし聖はそのことを後ろめたく思っていた。

 聖は僧侶だ。しかも阿闍梨とい位を持っているような、端的に言うなら立派な僧侶だ。
 だから衆生全てに救いの手を伸ばさなければならない。一切衆生悉有仏性というのなら、貧乏神の中にも仏性は宿ると考えて良いはずだ。そうでなくても、疫病神が救えて貧乏神が救えない道理はない。
 あの貧乏神も救済の対象であったはずだ。

 姉の方は寺では引き取らず、博麗神社に預けると判断したのは、幻想郷の守護者こと八雲紫その人である。聖は深く考えることなく、その決定を受け入れた。あの姉妹を近くに置いておくと、また悪だくみをするだろうというのもあり、妥当な判断に思えた。
 しかしその際、姉の方は手を差し伸べても無駄だろうという判断が、毫もなかったと言い切れるだろうか。無意識のうちに切り捨てる判断をしてはいなかっただろうか。
 仮に聖が両方とも引き取ると主張したのなら、それが全く受け入れられなかったとも考えにくい。

 密教では修行によって悟りを開き、自身が仏となることを最終目標としている。しかし衆生を導かなければならない立場にもあるのも間違いない。
 更生の見込みがありそうな妹だけに手を差し伸べて、難しそうな姉からは手を引っ込めるというのは、あまりに自分に都合が良い勝手な話だ。不誠実ですらあると聖は感じていた。
 妹の方だって結局寺から逃げたではないか、と言われてしまえば身も蓋もないが、聖はその点については然程問題視していなかった。驕りかもしれないが、命蓮寺での日々は彼女に良い影響を与えていると思っていた。
 もちろんできれば寺に帰ってきて欲しいとも思っている。しかしそれはどちらかと言えば、独り立ちした娘に対する母親のような感情であり、仏道とはまた別の話だ。

 ともあれ、聖白蓮は依神紫苑に対して、負い目を感じていた。
 誰かがこの話を聞いたとしたら、聖が真面目すぎるだけだ、考えすぎだと言う者もいるだろう。
 しかし実際、紫苑が聖を見る目は普通と少し違っていた。彼女は猫背であり、自然と睨め付けるように見えてしまうだけかもしれないが、聖に対する視線は僅かに、しかし明確に敵意を孕んでいた。気のせいと切って捨てられるような様子ではない。
 会話を二言三言交わすこともあったが、それも何処か素っ気ない態度であった。
 
 紫苑は澄んだ深い青色の瞳をしている。
 しかしその澄み切った色が、何処か自分を責めているような気がした。





「というようなことを考えているのだろう、君は」

 聖の目の前に座っているのは、かの高名な聖徳王である。
 仏門について学べば学ぶほどその顔を見ることになる、仏教において最も重要な人物の一人だ。もっとも実際の当人は結構気さくだし、そもそも道教を信奉している。聖は彼女に対しては、尊敬というよりむしろ友人一歩手前くらいの感情を抱いていた。二人は過去に色々あったのだが、神子はあまり気にしていないようで、そこに甘えている部分もあるかもしれない。

「まったく人との会話中に物思いに耽るとは失礼だね。そんなんじゃ屠自古の代わりは務まらないよ」

 神子と聖がいるのは、人里の茶屋であった。
 妻とのデートの予定だったらしいのだが、直前で相手にすっぽかされて暇になり、仕方なく予定していた茶屋に一人で訪れた。店前で帰宅途中の聖を見かけたので、代わりとして捕まえたとのことだった。
 ちなみに屠自古が直前でデートをやめたのは、人里の井戸端会議面子のお茶会を優先したからである。良い感じに軽んじられてるな、とその愚痴を聞いた聖は微笑ましく思った。

「しかし、よく私の考えていることが分かりましたね」

 神子との会話の途中でふと上の空になった聖は、彼女の言う通り紫苑のことを考えていた。確かにその直前で少し会話の内容があの姉妹について触れていたが、たったそれだけで内心思っていたことを完全に言い当てられるとは到底思えなかった。
 
「貴女の能力は、人の欲を聞くだけではなかったのですか」

「能力は使ってないさ」

 豊聡耳神子は人の欲を聴く天恵を持っている。しかし完全に人の心を読めるわけではない。彼女が知ることができるのは、あくまで欲が関係しているときだけだ。今回のように欲が直接的に絡んでいるわけではない内心を、能力で見通すことはできないはずだ。
 でもね、と神子は続ける。

「私は人の心を見たことのない君たちと違って、欲という形であれば人の心を見ることが可能だ。こういう振る舞いをしてる人は、内心こういう欲を抱えているのだという、問いと明確な解をずっと見続けてきた」

 人は生涯を通して、他人の心を直接知覚することはただの一度もない。しかし神子にはそれができる。

「私たちが一生きっとこうなんだろう、と推測し続けるしかない他者の心について、貴女は明確な答えを見つけることができる、と」

「その通り。問いと解を沢山持つことができれば、解がないときも自然と答えを導くことができる」

 なるほど、と聖は嘆息した。
 外見から得られるその人の振る舞いだとかの数式は、当然誰でも見ることができる。しかし内心がどうなっているかという解を得られるのは彼女とさとり妖怪くらいのものだ。
 数式と解を何百何千と見ていけば、その応用で数式だけ見て解を正確に予想する能力は自然と備わっていく。帰納的にその解法を身につけているのだ。
 人の心というものについて、神子は経験という形で大量のサンプルを持っている。したがって常人とは比べ物にならないほどに、人の心を推測する能力に長けているのだ。
 
「……貴女のおっしゃるとおりです。あの子は私を恨んでいると思うのです」

 聖は神子の推測が正しいことを認めた。
 そして続け様に、弱音が溢れるように聞いてしまう。

「神子さんから見ても、やはりそうなのですか?」

「さてね、あの貧乏神と会ったことはあるが、会話するような仲でもないしね」

「……そうですか」  

 聖は椅子に埋もれるように、少し姿勢を崩した。
 自分を救って欲しかった、とまでは紫苑も思っていないだろう。しかし誰も手を差し伸べてくれなかった記憶というものは、往々にして人を傷つける。
 紫苑の自分を見るあの目を思い出して、聖は小さくため息をついた。

「怖い……とは違いますね。何と言うか、後ろめたいんですよ。彼女の目を見ると、責められてるような気がするんです」

 いつだってそうだ、と聖は思い返す。
 自分が封印されたことだって、もっと上手く立ち回れたのではないかと思う。千年の研鑽を経てなお、悟りの境地ははるか遠くに感じる。目の前の少女一人すら救えずに、何が救世だ。
 聖は静かに目を伏せた。

「そんな気になるんなら、聞いてみれば良いんじゃないか?」

「……は?」

 思わず聖は聞き返してしまった。
 神子はあっけらかんと言ってのける。

「自分を恨んでいるのかどうか気がかりなら、聞いてみれば良い。そうしないのなら、気にしないことにすれば良い。どちらか二つに一つだろう」

「いや……しかし、そんな簡単な話ではないでしょう」

 直接自分を恨んでいるかなどと聞くことは憚られる気がした。
 今更どうこうできるような話でもないし、かえって傷つけるかもしれない。実際、関係が悪化する可能性もある。
 何よりこういった人間関係の根底部分に関わるような話は、そう気安くできるものではない。恥ずかしさや恐ろしさがないまぜになった感情が、重しとして心の中に蓋している。
 
「私と違って、君らは一生他者の心を覗き見ることは叶わない。であれば、話してみるしかないんだよ。それがたった一つの道具なんだから」

 神子はそう言ってお茶を啜った。
 完全な相互理解は得られないともわかっていても、人はコミュニケーションを取り続けるしかない。数式ばかりで解が得られなくても、近似値くらいは得られるはずだ。

「そんな簡単な話じゃない、と君は言ったが、私から見れば簡単な話だよ。人間関係の悩みなんざ半分以上、腹を割って話せば何でもないことばかりだしね」

 ああ、もちろん表層的なコミュニケーションもとても大事だよ、と神子は付け足した。

 確かに気にしないことにする、というのも手だろう。別にこのままで何か支障があるわけではない。
 ただ、聖はそれができるような女ではなかった。きっとずっと気にし続けるだろう。そんな割り切りができるほど器用なら、弟を追って信濃から信貴山へ行ったりはしない。
 直接聞くのは配慮に欠くのではないかという思いもあったが、昔から自分は傲慢だっただろう、と諦めた。

「ありがとうございます」

 そう言って聖は席を立った。その足取りはどこか軽い。
 その背中を見送りながら、神子は目を細めた。そしてはたと気づいた。

「あっ、会計…………まあ奢りにしてやるか」

 聖徳王は寛大だった。
 






 人里の夜は早い。
 電気を引いている家もあるが、それは一部の富裕層に限られる。飲み屋であれば油の照明で夜も営業しているが、それでも外の世界のように日を跨ぐまで営業している店は存在しない。

 ただしそれは、鯨呑亭という店を除いての話だ。
 寝静まった人里の通りに、一軒だけぼんやりと店内が明かりを灯している店がある。
 その明かりは油を燃やしているのではない。鬼火の明かりだ。
 人間相手の営業時間は終わっている。丑三つ時の鯨呑亭は、妖怪相手の居酒屋になるのだ。

 聖は鯨呑亭の引き戸をガラガラと開き、暖簾をくぐった。
 普段の明かりと比べ鬼火は明度が低いのか、店内はどこか薄暗い。今は妖怪の時間なのだ。

「いらっしゃい……あら?」

 店の中には看板娘である奥野田美宵を含めて三人の少女がいた。残りの二人はカウンターに座っており、大きな角を生やした少女と、その奥側に突っ伏して酔い潰れている少女がいる。後者は青い髪がとても長く、うずくまっているとそいうもさもさとした妖怪にも見える。
 前者の方がカウンターの椅子に座ったまま重心を後ろに傾けて振り向く。

「おうおう、珍しい顔じゃないか。破戒僧になったのかい?」

 伊吹萃香の頬は赤らんでおり、フラフラして今にも椅子から転げ落ちそうだった。見てのとおりの泥酔状態だったが、これが彼女の平常営業だ。
 聖は黙って微笑みを返した。

「美宵さん、お茶と適当にお夜食をお願いします。それとこれを店に」

 聖は美宵に酒瓶を渡した。彼女は嬉しそうに酒瓶を抱える。

「わわわ、良いんですか?」

 あいにくお酒に詳しくなかったので、酒屋を営んでいる檀家に贈り物にはどれが良いかと選んでもらったものだった。

「居酒屋に入って何も飲まないのも失礼でしょうから、その代わりです。良ければ萃香さんたちにも」

「ありがとうございます〜。それじゃあ早速注いじゃいますね」

「へぇ、意外と気が効くじゃないか。まあとりあえず座んなよ」

 お言葉に甘えて、と頭を下げたが、萃香の隣に座らず、その奥側の突っ伏したもう一人の客を挟んで向こう側に腰掛けた。萃香は訝しげにその様子を見ていた。
 そもそも命蓮寺の僧侶が鯨呑亭を訪れている時点で、何かあったと考えるだろう。萃香も最初から一体何の用があるのかと疑問に思っているらしく、顔こそ赤らんでいるが目つきがどこか鋭い。
 そして萃香は酔い潰れている少女の椅子を軽く蹴飛ばした。

「おい、起きろ貧乏神。お前の好きなタダ酒だぞ」

「タダっ!?」

 そう言うと、突っ伏していた少女が跳ね起きる。酔い潰れていたのは依神紫苑その人であった。
 彼女は聖の姿を認めると、僅かに眉間に皺を寄せた。そしていつもの睨め付けるような目になる。

「こんばんわ、紫苑さん」

「……」

 聖が声をかけるも、紫苑はそれには答えなかった。相変わらず聖のことを睨むだけである。その様子は見知らぬ人間を警戒する猫のようだった。

「住職が酒を持ってきてくれたんだ。礼くらい言ったらどうだ?」

「……ども」

 聞こえるか聞こえないかくらいの小声で礼を言い、紫苑は僅かに頭を揺らした。頭を下げたつもりなのかもしれないと聖は解した。
 美宵がお猪口に酒を注ぎ、貧乏神はそれに口をつけた。
 その間、誰も喋らない。気まずい沈黙が降りる。いつも賑やかな小鬼も口を開かない。しかし興味深そうに聖の方を見ていた。
 「お通しです」と聖の前に料理を置かれる。食器がカウンターに触れるときのカタっという音が、やけに大きく感じられた。

 聖は少しの間逡巡した。
 しかし変に迂回して一旦世間話でも挟む必要はないだろう。結局単刀直入に切り出した。

「紫苑さんは、私のことがお嫌いですか」

 貧乏神は少し目を丸くした。
 しかしその後、彼女は聖を睨み、恨めしいような低めの声で答えた。

「……ええ、嫌いよ」

 矢張りそうなのか、と聖は僅かに目を伏せた。心臓が冷えていく心地がした。
 当たり前だろう。更生が難しそうな姉には手を差し伸べず見捨て、何とかなりそうな妹だけ迎入れる。誰かを救ったという自己満足だけを欲しようとしているようにしか見えない。仏の道とは程遠い行為だ。
 またしても鯨呑亭に気まずい沈黙が降りる。誰も口を開かなかった。
 己の中の悔悟で息苦しくなったのか、聖は深く息を吐いた。
 
 紫苑はそんな聖の様子は眼中にないようだった。何か二の句を継ぐか悩んでいるようだった。
 しかしお酒と怒りに後押しされたのか、絞り出すようにしてその先を続けた。

「……だってお前、私から女苑を取り上げようとするじゃないか」

 先ほどよりもドスの効いた恨めしそうな声だった。今度は聖が少し目を丸くしていた。

「えっと、それは自分だけウチの寺に迎入れられなかったという……」

「はぁ?何で私が寺なんかに行かなきゃいけないのよ!」

 「意味のわからないことを言って誤魔化すな!」と紫苑は酔っ払いに相応しい危うげな動きで、お猪口をカウンターに叩きつけた。
 美宵は慣れっこなのか、それとも紫苑の非力さでは店のものが壊れたりしないと思っているのか、特に咎めはしなかった。

「寺に行ってから女苑も様子がおかしいのよ!質素な生活も悪くないかな、とかほざくし……」

 言葉尻に向かうほど声が震えていき、終いにはカウンターに突っ伏しておいおいと泣き始めた。怒り上戸の次は泣き上戸だった。
 聖は事態をまだ飲み込めておらず、挙句相手に泣かれてしまうものだからあたふたしていた。

「えっと、その、ごめんなさい?」

「謝るな!女苑は私と一緒にダメじゃないといけないのよ!!」

 紫苑は怒って、泣いて、また怒っている。酔っ払いらしく情緒が不安定で乱れているが、聖もそれに付き合うしかない。美宵が助け舟を出すような素振りを見せるが、萃香が手のひらでそれを制する。
 相手が酔っ払っているのを良いことに、紫苑にだけ本音を語らせるのは、何とも不誠実な気がした。かといって自分も酒をあおるわけにはいかない。少なくとも自分の心根を同じテーブルに上げるべきだろうと聖は考えた。

「私はきっと心のどこかで、紫苑さんの方には更生の余地がないと思っていました。だから女苑だけを寺にという提案を受け入れて……」

「女苑を気安く呼ぶな!呼び捨て禁止!!!」

 怒鳴られて聖は少し身じろぎした。
 聖の話は全く耳に入っていなかった。酔っ払いが人の話に耳を傾けるわけがなかった。ましてや他者の懺悔など聞くはずもない。

「寺なんて私はこれっぽっちも行きたくないわ!寺のしょぼくれた精進料理より、博麗神社の貧乏くさいご飯の方がマシよ!」

 萃香は「び、貧乏くさい飯だって」とその部分がツボに入ったのか大笑いしていた。椅子からひっくり返りそうになりながら、ヒィヒィと笑っている。美宵はいつもの困ったような笑顔を浮かべていた。

「……私は思い違いをしていたようですね」

 聖はぽつりとそう漏らしたが、紫苑は管を巻くばかりで聞こえていない。一方的に聖に捲し立てるが、ロクに呂律が回っておらず、半分くらい聞き取れない。

 何て自分勝手だったのだろうと、聖は自省した。というより恥じ入っていた。
 妹だけを引き取ったことを後悔しているのは他ならぬ自身なのだ。妹を自分から取り上げるなと、別の怒りを抱えている紫苑に、その後悔を宛てこんでいただけだ。自分の中の罪の意識を、勝手に投影していたのだ。
 紫苑との関係で思い悩むことではない。勝手に自分の中で後悔すれば良いだけの話に、紫苑を巻き込んでしまった。紫苑からすれば勝手にやってくれ、以外の感想はないだろう。
 その様子を見ていた萃香が「詳しい事情は知らないけどさ」口を開いた。

「更生の見込みがない姉の方は神社に、というのは紫の差配だろ?単に余ったから霊夢に押し付けたんじゃなくて、色々考えて神社が合うと思って預けたんだろう。アイツはああ見えて真面目ちゃんだからね」

「……そうですね」

 恐らく紫は、神社での生活が更生になるとは思っていなかったものの、寺よりも良い変化をもたらすと考えていたのだろう。
 貧乏神ははじめから仏の手を必要としていなかった。

「おい、聞いてるのか!」

「紫苑さん」

 聖は向き直り、真っ直ぐに紫苑の方を見た。
 先程まで一方的に捲し立てていた彼女の方も、その様子を見て真剣さを感じたのか、一応聖の方に視線を向ける。

「何よ」

 双子の割にあまり似ていないと思っていたが、不機嫌なときの表情は姉妹そっくりだな、と聖は微笑ましい気持ちになる。

「これからは紫苑さんも、女苑と一緒に寺に遊びに来てください」

「だからっ……ああもう、わからないやつだなお前〜!」

 地団駄を踏みながら憤る紫苑に、聖は目を細めた。
 深夜の人里の暗闇の中で、鯨呑亭の灯りだけが揺れていた。









感想等いただけると創作の励みになります。
具体的に言うともう一本くらい書けるかも。
真坂野まさか
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コメント



0.350簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
2.100名前が無い程度の能力削除
短編ながら依神姉妹と聖の微妙な関係性が細かく描写されてて良かったです。
神子と萃香もチョイ役ながら彼女達らしさが出てて流石だと思います。
次回作もお待ちしてます!
6.100名前が無い程度の能力削除
嫉妬しちゃうのかわいい
7.90ローファル削除
明快で簡潔な助言をする神子のかっこよさが光っていました。
面白かったです。
9.100東ノ目削除
憑で聖が女苑を引き取ったくだりを一人救えたではなく一人救い損ねたという後悔で発想するのが上手いなあと思いました
10.90福哭傀のクロ削除
  面白かったというのは前提として、このタイトルとこの視点なら勘違いではなかった世界線を、それも信頼できる腕を持つ作者様の筆で描かれたものを見たかったという思いがどうしても拭えない。おそらく題材から逃げたのではなく、元からこういう勘違いだったという話にするつもりだったと思うので、本当に読者としての身勝手で独りよがりな感想で、大変申し訳ないのですが、これを長編で、タイトル通りでどうしても見たかった。サイズを見た時点でそうならないのを察してしまったのだけが少し残念でした。
 聖のいい人としての側面と、独善的な側面とのバランスがいい感じに魅力的でした。
14.100夏後冬前削除
タイトルとかママだけは~の思い出とか入り混じってかなり警戒しながら読みましたが後味スッキリな感じで、ホッとしました。緊張と緩和。
15.90めそふ削除
面白かったです。
普通なら重くなるような題材が思ってた以上にすっきり爽やかに書かれていてどこかほっとした感じがあります。聖はやっぱり思い込みがあるというか、ある種の傲慢さがあるのがなんか分かるなあって感じでした。
16.100名前が無い程度の能力削除
良かったです。「謝るな!女苑は私と一緒にダメじゃないといけないのよ!!」これに全部感情が詰まっている感じがしました。
17.100南条削除
面白かったです
タダ酒に反応する紫苑がかわいらしかったです
18.100名前が無い程度の能力削除
聖のいい意味でどこか歪な人間臭さを、読んでいて感じました。読む人の状態で、味が変わる気がする不思議な話だと思います。
ご馳走様でした、面白かったです。
19.100名前が無い程度の能力削除
とても面白かったです
重く話が長くなりそうなテーマを、さっくりと短いお話に落とし込んでいるのが上手かったです。
神子らしい正論で聖に道を示して、聖も持ち前の善性を発揮して逃げずに正面から紫苑に向かうところ、とても良かった。勘違いで的外れな考え方ではあったものの、これこそが聖の善性なんだ……と良い気持ちになれました。
ありがとうございました。
20.100のくた削除
やはりこの姉妹はいいな、と思いました
そして聖や周囲との関係性も