「何を読んでいるの?」
「……」
「何よその目。言葉にしてくれないとわかんないんだけど」
人里の図書館で見知ったやつ、と言っても話したことはないけど、とにかく知っているやつには違いないから知り合いだ。私のことはみんな知っているはずだから。そいつが1人で寂しそうに本を読んでいたので、親切心から声をかけてみた。決して咲夜を待っている間、暇だったからではない。『Noblesse oblige(位高ければ徳高きを要す)』ってやつだ。響きがかっこいいよね。昨日読んだ漫画に書いてあった。
「……」
「おいこら」
古明地さとりは何も言わずに読書を続ける。とても失礼!なので少し野蛮な手段にでることに。今日の私のモットーは、『礼には礼を、無礼には暴力を』。
「『Noblesse oblige』はどこにいったんですか」
「ここの司書と一緒にどこかに消えたんだろう」
「司書の方なら随分と前に席を外しましたよ。私を避けて」
「随分と嫌われているんだな」
「恐れられているんです。貴方も席を外して構いませんよ。引き止めたりはしないですから」
これで話は終わりといった様子で、さとりはページをめくる手を止めない。カチンときた私は、さとりの正面に座る。こいつの能力は知っているし、心を読まれることに不快感がないわけではない。話して楽しいタイプではないことも、この短時間で十二分に理解した。しかし、ここまで言われて席を外せば、私はさとりを恐れた者達と同類ということになる。それは許諾できない。居座る意思を行動で示せば、ようやく2つの目が不機嫌そうに、もう1つの目が無感情にこちらを見つめる。そんな目で見つめられるとぞくぞくする。特殊な性癖を持っているように聞こえるが、そんなことはないはず。これはなんだろう。既視感?
「図書館ではお静かに」
「それは庶民のルールだろ」
「社会のルールです」
「本質を考えずにルールに固執するのは馬鹿のやることだ。図書館で静かにするのは、他の利用客の迷惑になるから。私達しかいないのだから、今は守る必要がない」
「私の迷惑は?」
「レミリア・スカーレットと話せることを光栄に思うべき」
「その言葉が皮肉であってほしかったです」
さとりが疲れたようにため息をつく。本当に失礼な奴だな。せっかく私が話し相手になってやっているのに。ここが人里だということを忘れて、思わずぐーでぱんちしそうになる。沈まれ私の右腕。またあの惨劇を引き起こすわけにはいかない。一週間おやつ抜きの日々はもう耐えられない。
「人里で揉め事は厳禁。理解していないわけではないでしょう」
「理解しているから煽るのをやめなさい。お互いの不幸な運命を防ぐために」
「……素直に従いましょう。平和主義なので」
「そうよね。暴力は良くない」
「鏡で自分の顔を見たことありますか?」
「残念ながら映らないんだ。さぞ美しいのだろうけどね」
「鼻毛が出ていますよ」
「嘘!?」
両手の甲を見せるようにしてポーズを決めたところに、とんでもない発言で殴られる。慌てて自分の顔をペタペタと触って確認する。冷静に考えれば、咲夜が身嗜みを整えてくれているのだからそんなはずはないことに気付く。咲夜もこれでいいのだって言ってくれたもん。揶揄われたことを理解した時には、既にさとりの興味が本に戻っている。顔に熱が集まるのを感じる。しかし、ここから何を言ったところで恥の上塗りにしかならない。大人の余裕を見せつけるためにも、まずは大きく深呼吸。仕切り直し。とりあえずさとりに倣って、机の上に置かれていた本を読み始める。窓の外から流れる心地よい風の中、2人の美少女、まあ一括りにするには気の毒だが、ここは寛大な心でもって2人の美少女ということにしておいてやろう。2人の美少女(天地の差がある)が読書をする中で静かな時が流れる。やがて時計の針が1周した頃に私が声を上げる。
「飽きた」
「まだ1分程度ですが」
「私は体を動かすほうが好きなの。せめて漫画とかないのかしら」
本を閉じてあくびを1つ。立ち上がって適当に探してみる。どこかの嫌われ者のせいで司書がいないから、自力で探さなければない。ぼんやりと本棚を眺めていると、見知ったタイトルを見つけたので、さとりに声をかける。
「面白いものを見つけたぞ」
「『幻想郷縁起』ですか」
「どうして分かった……!」
「馬鹿なんですか貴女は」
さらっと暴言を吐かれたが、さとりの顔面はリーチの外。近づいてどの角度から1発入れようかと考えているうちに、ここが人里であることを思い出す。毎朝お魚を食べている私の脳味噌は記憶力もばっちりである。そうよ、レミリア・スカーレット。今日の私は『Noblesse oblige』。
「これは失礼。つい思った言葉がストレートに出てしまいました」
「こちらもストレートで返すところだったから気をつけなさい」
「えぇお互いのために」
「お互いのために」
シュッ!シュッ!とシャドーボクシングをしたら、その勢いで『幻想郷縁起』が落ちてきて頭にぶつかった。痛い。渋々それを拾って、再びさとりの正面に座りなおす。ぱらぱらとページをめくっていく。
「お前のことが書いてある」
「でしょうね」
「私のことも書いてある」
「そうですか」
「……」
「……」
「読んだことある?」
「ないですよ。ついでにもう1つ答えておくと、あまり興味もないのでお気になさらず」
「はいはい、そうですか」
なにか弱点でも書いてないだろうかと、さとりのページを読んでみる。危険度極高。友好度皆無。嫌われ者ばかりの旧地獄でも群を抜いて嫌われている。
「……お前」
「その憐れみの目をやめていただけませんか。非常に不愉快です」
嫌味を言うにも限度ってやつがある。その他にもあまりにひどい書かれようだったので、内容は伝えずに私の心のうちに秘めておくことにする。流石にちょっと可愛そう。
「……お前は読まない方がいいよ」
「今更そんなことを気にしませんよ。そこにも書いてあるとおり、私には家族、妹やペットたちがいるので」
「ふーん……そっか」
強がり、ではないような気がした。幸せは人それぞれ、周りが決めることじゃない。寂しいと言うなら友人にでもなってやってもいいかと思ったが、こいつにもちゃんと心を許せる相手がいるようだ。
「要らぬお節介ですよ。いつでも高圧的で、誰に対しても友好度の低い吸血鬼さん」
「……かわいくないやつ」
ほんの一瞬だけ見せた微笑は、皮肉かそうでないのか。その後、自分のページの挿絵を見ながら、絶対に本物のほうが美しいと散々文句を言ってやる。さとりはこちらを見もせずに、はいはいだのそうですねだの、適当な相槌を打ってくる。ふと、さとりが何を読んでいるのか気になって、背表紙を覗き込む。ん?これって……
「あっ」
「……」
それまで動揺する素振りを欠片も見せなかったさとりが、ピシッと音を立てて固まる。ゆっくりと本から顔を上げる。その目に宿るのは、明確な怒り。まずい。
「なにがまずいんです?」
「あー……ごめん」
「私も迂闊でした。貴方には本を読むような学がないと思っていたので」
嫌味たっぷりに告げてくるが、今回は私が悪いから許そう。さとりが読んでいたのはファンタジーの名作。昔、図書館でパチェの用事が終わるのを待っている時に偶々見つけて、そのままハマって一気に読み切ってしまったのを覚えている。もちろんその話の結末も。
「私の2時間48分を返していただきたい」
「無茶なことを言うな」
私との会話の終わりを強調するように、さとりは乱暴に本を閉じる。図書館の本は丁寧に扱うのでは、と喉元まで出た言葉を飲みこんでいると、さとりが立ち上がって出口に向かおうとする。
「おいおいどうした?」
「帰るんですよ」
「いやそうじゃなくて。これ、この本。借りていかないのか?まだ途中なんだろう?」
「もう興味がなくなったので」
「面白かったぞ?」
正直なところ、随分昔に読んだから大雑把に内容を覚えている程度。それでも最後まで読んだのだから面白かったことは間違いない。
「あなたが思い浮かべた結末を見てしまったので」
「ふーん……そういう考え方をするのは少し意外だな」
「私が読書において求めているのは未知です」
「……それってそんなに特別でもないと思うぞ。読書家じゃないから詳しく知らないけど」
「違いますよ」
そのまま去ろうとしていたさとりが、立ち止まって振り返る。
「生き物は基本的に行動の前に思考を挟みます。読書しようと思って本を手に取る、殴ろうと思って拳に力を込める。それは貴女のように思い付きで行動する人も例外ではない」
「ウスノロ共と違って頭の回転が速いんだ。マッハ5くらいある」
「世間はそれを考えなしというのです」
「頭でっかちよりは人生が楽しいもん」
さとりがジト目で私を見つめた後に、こほんと1つ咳払いをして、いいですか?なんて持論を展開しようとする。あー、そういうことか。自分でも少し疑問に思っていた。私は『高圧的で誰に対しても友好度の低い吸血鬼』。可哀想というだけで、この面倒で性格の悪い引籠り相手に、気の迷いとはいえ友人になってやろうと考えるなんて。その理由がわかった。
「とにかく、思考が読めるということは、その人の行動、ある意味で少しだけ先の未来が見える言い換えることができます。しかし文字を通して読む物語では、登場人物の心情は文章からしか知ることができません。普通の人と同じ視点、先のことがわからないというスリルを楽しむことできます」
こいつ、うちの紫色に似ている。頭でっかちで自分の見識が全てであり、それが正しいことを疑いもせず、自分の殻にこもって他者の意見に否定から入る頑固者。かわいい私の知識人。
「心が読めることを嫌がっているように聞こえるが、ひょっとして自分の能力が好きじゃないタイプ?」
「まさか。これほど素晴らしい能力はないと自負しております。しかし偶には気分を変えてみたい時もあるでしょう」
「朝食が納豆ばかりだと飽きるから、たまにはお茶漬けを食べるようなものか」
「朝食はパンに目玉焼きとコーヒーです」
「話が逸れそうだな。とにかくお前が物語を好む理由は納得することができた」
「何よりです。では私はこれで。できればもう2度と私の前に現れないでください。そして脳内とはいえ、目玉焼きに納豆をかけないでください」
立ち去ろうとするさとりの手をパシッと掴む。一応、痛くならないようには配慮した。こいつも見るからに軟弱者だし。
「なんですか」
「2度目の邂逅を望まないようなので、今回で言い残しがないように。つまりは話が終わっていない」
「……」
「睨んでも怖くないんだから、もう少し笑ったほうがいいぞ?スマイル、わかるか?」
「ハンッ」
こいつすげえな。笑顔どころか、鼻で笑うのすら下手糞だ。
「そもそもの話、この間合いで私のスピードなら、お前がいくら心を読もうとも無意味。それに私に害意がないことはわかっているだろう。それどころかネタバレの件については申し訳ないとすら思っている」
「その割には態度が大きいことで」
「謝罪の意を表する。えっへん」
鼻高々に胸を張る。さすがにこいつよりは私のほうが、いや、あれ?どうだ?……もうちょっと胸を張ってみる。これならどうだ?お?
「両の目では誠意を読み取れませんが、付き合った方が賢明でしょうか。じゃないと帰れそうにないですし」
「賢い選択肢をとれる奴は好きだよ」
「貴方にとって都合のいい選択肢の間違いでは」
「強いやつに従うことを賢い選択肢っていうんだ。それで話は戻るが、納豆は何と併せてもおいしい万能食」
「そっちの話をするつもりなら本当に時間の無駄なので諦めていただけませんか。吸血鬼相手に腕力で挑むなんて、愚かな選択肢を取ってしまいそうです」
美味しいのに。そんなところまでうちの紫色と似なくてもいいものを。
「侘び寂びが分からん奴だな。まあいい。もう一度聞くがこの本を借りていかないのか?」
「先ほど理由を述べ、貴方は納得しました。質問を返すようですが、それ以上に何が必要ですか?」
「私が納得したのは、あくまでお前が物語を好む理由、ただそれだけ」
「私が求める未知は、結末を知った時点でもう得ることができません。ゆえに興味が失せた。こう言えば空っぽの頭でも理解できますか?」
「結末を知ったら、その過程を楽しむことは不可能なのか?」
「不可能でしょう」
取り付く島もないとはまさにこのことだな。本に書いてあった通りの会話下手糞妖怪。だが私はこういう頑固者をみると、自分の意見を通したくなってしまう。一種の性癖かもしれない。かわいいよね、井の中の蛙、図書館で動かないパチェ、地霊殿に籠るさとり。いじめたくなる。
「そりゃあお前の求めていたスリルとやらは、多少は薄れてしまっただろう」
「大部分」
「……大部分が薄れてしまっただろう。でも地上までやってきて、周囲を追い払ってまで、3時間近くも熱中した程の作品だろう?」
「2時間48分」
「面倒くさいなぁ……。まあいいけど。しかもその面白さはこのレミリア・スカーレットの保証付きだ。紅魔館御用達」
「詳細も覚えていないくせに」
「面白かったという記憶だけで十分。さすがに無理に読めとまでは言わない。過去に同じように本のネタバレをしてしまった時、親友は私を魔導書の角でひたすら叩いたからな」
その後、3か月ほど館を追い出されたが、これは私の沽券にかかわるので秘密だ。お腹がすいても無暗に川魚を食べてはいけないという教訓を得ることもできた。
「では結論が出ているではないですか。ネタバレは悪であると」
「世の中が白と黒で判別できると思っているのは、世間知らずの愚者か閻魔くらいさ。それでもネタバレ自体はよくない行為だということは理解しているつもりだ。その上で古明地さとりに問いたい。知った結末までの過程を楽しむことはできないのか」
「それこそ貴女の言う通り、1か0かとはいきませんが、限りなくYESに近いと思います。だからこそ貴女の魔女も怒ったのでしょう」
「パチェとお前とでは少し話が違う。自分で言っていたじゃないか。読心は少し先の未来予知だと。じゃあお前は人生を、少し先が見える世界を楽しむことができていないのか?」
「話が飛躍しすぎてはいませんか」
「自覚しているから問題ないさ。私の能力は知っているか?」
「お節介に持論を押しつけてくる程度の能力でしょうか」
「運命を操る能力。お前なんかよりもずっと正確な未来が見える。その上で私はその過程を楽しむことができる」
「……それで?」
「すごいだろう」
「はぁ」
「えっへん」
胸を張ってドヤ顔を決め、尊敬の眼差しを受け入れる。
「もしも今の発言で、称賛が得られる運命を見たとおっしゃるなら、虚偽申告で訴えられる前に『幻想郷縁起』の修正を依頼するべきかと」
「まあたしかに、お前の言う未知とやらを望む気持ちも分かる。私も結果が分からない方が面白そうだからという理由で、わざと運命を見ない時だってある」
つまりは気分転換。たまに食べるお茶漬けは美味しい。いつの間にか好物なのが知れ渡ったのか、他所に遊びに行くと結構な頻度で出てくる気がする。
「だが、先が見える私達が、見えた上でその過程を楽しめないと人生がつまらないだろう。先を見ることと、実際に体験することは違う」
「私の聞いた話によると、貴方のご友人は経験よりも知識を重んじているらしいですが」
「頭でっかちでかわいいだろう。これ以上お前が隙を見せるなら、私は惚気話を始めるぞ」
「お話を終えたようなら失礼したいのですが」
「初めて出会ったのは満月の夜。私はあの日のことを一生忘れることはないだろう」
「……」
さとりが無言のまま、『幻想郷縁起』の角で叩いてくる。痛い。仕方ないからこの話はまた今度。
「心が読める私と運命が見えるとほざく貴女、結末の知っている物語と少し先の見える人生。類似点はあるかもしれませんが、同一に語るのは無理があるかと思います」
「細かいなお前」
「貴方が大雑把すぎる」
「いいもん大雑把。お前なんかよりも人生楽しいもん」
「結局何が言いたいんですか」
「私は失ったお前の3時間とやらを返してやることはできない。お前の時間は私のものじゃないからな。でも結末を知って尚、それを楽しむことができれば、無駄だと切り捨てた3時間を有意義なものに変えることができるかもしれない。お前のその目を通して見える世界を、少しだけ楽しくすることができるかもしれない」
「楽しむことができずに、さらに2時間ほど無駄になる可能性を無視しています。そもそも返してほしいのは3時間4分です」
「あれ?増えてない?」
「この話をしている時間も足しました」
「……まあいいや。今日の私は『Noblesse oblige』。高貴な振る舞いの日、それも寛大な心で許そう。たしかにお前の言う通り。お前の時間は有意義なものに変わるかもしれない。それともさらなる無駄な時間の浪費になるかもしれない。まさに未知だな。好きなんだろう?未知」
机に置かれた本を差し出せば、未だにこちらを疑いの目で見つめてくる。
「もしこの本を私が受け取らないなら……やめてください、納豆を食べた口でキスしようとしないでください気持ち悪い」
「まだ想像しただけじゃん」
「私にとっては同じです」
「バンパイアキスだぞ?光栄に思え。しかも今なら健康効果も付いてくる。ナットウキナーゼって知ってる?」
「知りたくないので結構です。全く……こちらが貴女の後ろめたさの清算に付き合うのですから、当然何か見返りはいただけますよね?『Noblesse of rude(失礼な貴族)』さん?」
それでも渋々と言った様子で、さとりはそれを受け取る。
「それをいうなら『Noblesse of rouge(紅の貴族)』だ。かっこいいだろう?ちゃんと最後まで読んだら、うちの図書館で好きな本を貸してやる。少なくてもここよりは蔵書がたっぷりだ」
「それならいいでしょう。たとえ時間を無駄に浪費することになったとしても、それだけの価値がある。どちらに転んでも私に損はない。貴女の言う通り、過程とやらを楽しむ努力をしてみましょう」
「どうせ生き物の結末は皆等しく死であり、人生はその結末までの過程でしかない。結論を急ぐな若人よ。過程を楽しめ」
「500年生きた程度で人生を語ってほしくはありませんよ」
さとりが本を持って立ち去っていく。姿が見えなくなった所で能力を使おうとして、やめた。あいつの性格なら見つけた答えに関係なく、報酬目当てに本を借りに来るだろう。その時に内容について語れるように、帰ったらパチェと一緒に読みなおすことにしよう。
「……」
「何よその目。言葉にしてくれないとわかんないんだけど」
人里の図書館で見知ったやつ、と言っても話したことはないけど、とにかく知っているやつには違いないから知り合いだ。私のことはみんな知っているはずだから。そいつが1人で寂しそうに本を読んでいたので、親切心から声をかけてみた。決して咲夜を待っている間、暇だったからではない。『Noblesse oblige(位高ければ徳高きを要す)』ってやつだ。響きがかっこいいよね。昨日読んだ漫画に書いてあった。
「……」
「おいこら」
古明地さとりは何も言わずに読書を続ける。とても失礼!なので少し野蛮な手段にでることに。今日の私のモットーは、『礼には礼を、無礼には暴力を』。
「『Noblesse oblige』はどこにいったんですか」
「ここの司書と一緒にどこかに消えたんだろう」
「司書の方なら随分と前に席を外しましたよ。私を避けて」
「随分と嫌われているんだな」
「恐れられているんです。貴方も席を外して構いませんよ。引き止めたりはしないですから」
これで話は終わりといった様子で、さとりはページをめくる手を止めない。カチンときた私は、さとりの正面に座る。こいつの能力は知っているし、心を読まれることに不快感がないわけではない。話して楽しいタイプではないことも、この短時間で十二分に理解した。しかし、ここまで言われて席を外せば、私はさとりを恐れた者達と同類ということになる。それは許諾できない。居座る意思を行動で示せば、ようやく2つの目が不機嫌そうに、もう1つの目が無感情にこちらを見つめる。そんな目で見つめられるとぞくぞくする。特殊な性癖を持っているように聞こえるが、そんなことはないはず。これはなんだろう。既視感?
「図書館ではお静かに」
「それは庶民のルールだろ」
「社会のルールです」
「本質を考えずにルールに固執するのは馬鹿のやることだ。図書館で静かにするのは、他の利用客の迷惑になるから。私達しかいないのだから、今は守る必要がない」
「私の迷惑は?」
「レミリア・スカーレットと話せることを光栄に思うべき」
「その言葉が皮肉であってほしかったです」
さとりが疲れたようにため息をつく。本当に失礼な奴だな。せっかく私が話し相手になってやっているのに。ここが人里だということを忘れて、思わずぐーでぱんちしそうになる。沈まれ私の右腕。またあの惨劇を引き起こすわけにはいかない。一週間おやつ抜きの日々はもう耐えられない。
「人里で揉め事は厳禁。理解していないわけではないでしょう」
「理解しているから煽るのをやめなさい。お互いの不幸な運命を防ぐために」
「……素直に従いましょう。平和主義なので」
「そうよね。暴力は良くない」
「鏡で自分の顔を見たことありますか?」
「残念ながら映らないんだ。さぞ美しいのだろうけどね」
「鼻毛が出ていますよ」
「嘘!?」
両手の甲を見せるようにしてポーズを決めたところに、とんでもない発言で殴られる。慌てて自分の顔をペタペタと触って確認する。冷静に考えれば、咲夜が身嗜みを整えてくれているのだからそんなはずはないことに気付く。咲夜もこれでいいのだって言ってくれたもん。揶揄われたことを理解した時には、既にさとりの興味が本に戻っている。顔に熱が集まるのを感じる。しかし、ここから何を言ったところで恥の上塗りにしかならない。大人の余裕を見せつけるためにも、まずは大きく深呼吸。仕切り直し。とりあえずさとりに倣って、机の上に置かれていた本を読み始める。窓の外から流れる心地よい風の中、2人の美少女、まあ一括りにするには気の毒だが、ここは寛大な心でもって2人の美少女ということにしておいてやろう。2人の美少女(天地の差がある)が読書をする中で静かな時が流れる。やがて時計の針が1周した頃に私が声を上げる。
「飽きた」
「まだ1分程度ですが」
「私は体を動かすほうが好きなの。せめて漫画とかないのかしら」
本を閉じてあくびを1つ。立ち上がって適当に探してみる。どこかの嫌われ者のせいで司書がいないから、自力で探さなければない。ぼんやりと本棚を眺めていると、見知ったタイトルを見つけたので、さとりに声をかける。
「面白いものを見つけたぞ」
「『幻想郷縁起』ですか」
「どうして分かった……!」
「馬鹿なんですか貴女は」
さらっと暴言を吐かれたが、さとりの顔面はリーチの外。近づいてどの角度から1発入れようかと考えているうちに、ここが人里であることを思い出す。毎朝お魚を食べている私の脳味噌は記憶力もばっちりである。そうよ、レミリア・スカーレット。今日の私は『Noblesse oblige』。
「これは失礼。つい思った言葉がストレートに出てしまいました」
「こちらもストレートで返すところだったから気をつけなさい」
「えぇお互いのために」
「お互いのために」
シュッ!シュッ!とシャドーボクシングをしたら、その勢いで『幻想郷縁起』が落ちてきて頭にぶつかった。痛い。渋々それを拾って、再びさとりの正面に座りなおす。ぱらぱらとページをめくっていく。
「お前のことが書いてある」
「でしょうね」
「私のことも書いてある」
「そうですか」
「……」
「……」
「読んだことある?」
「ないですよ。ついでにもう1つ答えておくと、あまり興味もないのでお気になさらず」
「はいはい、そうですか」
なにか弱点でも書いてないだろうかと、さとりのページを読んでみる。危険度極高。友好度皆無。嫌われ者ばかりの旧地獄でも群を抜いて嫌われている。
「……お前」
「その憐れみの目をやめていただけませんか。非常に不愉快です」
嫌味を言うにも限度ってやつがある。その他にもあまりにひどい書かれようだったので、内容は伝えずに私の心のうちに秘めておくことにする。流石にちょっと可愛そう。
「……お前は読まない方がいいよ」
「今更そんなことを気にしませんよ。そこにも書いてあるとおり、私には家族、妹やペットたちがいるので」
「ふーん……そっか」
強がり、ではないような気がした。幸せは人それぞれ、周りが決めることじゃない。寂しいと言うなら友人にでもなってやってもいいかと思ったが、こいつにもちゃんと心を許せる相手がいるようだ。
「要らぬお節介ですよ。いつでも高圧的で、誰に対しても友好度の低い吸血鬼さん」
「……かわいくないやつ」
ほんの一瞬だけ見せた微笑は、皮肉かそうでないのか。その後、自分のページの挿絵を見ながら、絶対に本物のほうが美しいと散々文句を言ってやる。さとりはこちらを見もせずに、はいはいだのそうですねだの、適当な相槌を打ってくる。ふと、さとりが何を読んでいるのか気になって、背表紙を覗き込む。ん?これって……
「あっ」
「……」
それまで動揺する素振りを欠片も見せなかったさとりが、ピシッと音を立てて固まる。ゆっくりと本から顔を上げる。その目に宿るのは、明確な怒り。まずい。
「なにがまずいんです?」
「あー……ごめん」
「私も迂闊でした。貴方には本を読むような学がないと思っていたので」
嫌味たっぷりに告げてくるが、今回は私が悪いから許そう。さとりが読んでいたのはファンタジーの名作。昔、図書館でパチェの用事が終わるのを待っている時に偶々見つけて、そのままハマって一気に読み切ってしまったのを覚えている。もちろんその話の結末も。
「私の2時間48分を返していただきたい」
「無茶なことを言うな」
私との会話の終わりを強調するように、さとりは乱暴に本を閉じる。図書館の本は丁寧に扱うのでは、と喉元まで出た言葉を飲みこんでいると、さとりが立ち上がって出口に向かおうとする。
「おいおいどうした?」
「帰るんですよ」
「いやそうじゃなくて。これ、この本。借りていかないのか?まだ途中なんだろう?」
「もう興味がなくなったので」
「面白かったぞ?」
正直なところ、随分昔に読んだから大雑把に内容を覚えている程度。それでも最後まで読んだのだから面白かったことは間違いない。
「あなたが思い浮かべた結末を見てしまったので」
「ふーん……そういう考え方をするのは少し意外だな」
「私が読書において求めているのは未知です」
「……それってそんなに特別でもないと思うぞ。読書家じゃないから詳しく知らないけど」
「違いますよ」
そのまま去ろうとしていたさとりが、立ち止まって振り返る。
「生き物は基本的に行動の前に思考を挟みます。読書しようと思って本を手に取る、殴ろうと思って拳に力を込める。それは貴女のように思い付きで行動する人も例外ではない」
「ウスノロ共と違って頭の回転が速いんだ。マッハ5くらいある」
「世間はそれを考えなしというのです」
「頭でっかちよりは人生が楽しいもん」
さとりがジト目で私を見つめた後に、こほんと1つ咳払いをして、いいですか?なんて持論を展開しようとする。あー、そういうことか。自分でも少し疑問に思っていた。私は『高圧的で誰に対しても友好度の低い吸血鬼』。可哀想というだけで、この面倒で性格の悪い引籠り相手に、気の迷いとはいえ友人になってやろうと考えるなんて。その理由がわかった。
「とにかく、思考が読めるということは、その人の行動、ある意味で少しだけ先の未来が見える言い換えることができます。しかし文字を通して読む物語では、登場人物の心情は文章からしか知ることができません。普通の人と同じ視点、先のことがわからないというスリルを楽しむことできます」
こいつ、うちの紫色に似ている。頭でっかちで自分の見識が全てであり、それが正しいことを疑いもせず、自分の殻にこもって他者の意見に否定から入る頑固者。かわいい私の知識人。
「心が読めることを嫌がっているように聞こえるが、ひょっとして自分の能力が好きじゃないタイプ?」
「まさか。これほど素晴らしい能力はないと自負しております。しかし偶には気分を変えてみたい時もあるでしょう」
「朝食が納豆ばかりだと飽きるから、たまにはお茶漬けを食べるようなものか」
「朝食はパンに目玉焼きとコーヒーです」
「話が逸れそうだな。とにかくお前が物語を好む理由は納得することができた」
「何よりです。では私はこれで。できればもう2度と私の前に現れないでください。そして脳内とはいえ、目玉焼きに納豆をかけないでください」
立ち去ろうとするさとりの手をパシッと掴む。一応、痛くならないようには配慮した。こいつも見るからに軟弱者だし。
「なんですか」
「2度目の邂逅を望まないようなので、今回で言い残しがないように。つまりは話が終わっていない」
「……」
「睨んでも怖くないんだから、もう少し笑ったほうがいいぞ?スマイル、わかるか?」
「ハンッ」
こいつすげえな。笑顔どころか、鼻で笑うのすら下手糞だ。
「そもそもの話、この間合いで私のスピードなら、お前がいくら心を読もうとも無意味。それに私に害意がないことはわかっているだろう。それどころかネタバレの件については申し訳ないとすら思っている」
「その割には態度が大きいことで」
「謝罪の意を表する。えっへん」
鼻高々に胸を張る。さすがにこいつよりは私のほうが、いや、あれ?どうだ?……もうちょっと胸を張ってみる。これならどうだ?お?
「両の目では誠意を読み取れませんが、付き合った方が賢明でしょうか。じゃないと帰れそうにないですし」
「賢い選択肢をとれる奴は好きだよ」
「貴方にとって都合のいい選択肢の間違いでは」
「強いやつに従うことを賢い選択肢っていうんだ。それで話は戻るが、納豆は何と併せてもおいしい万能食」
「そっちの話をするつもりなら本当に時間の無駄なので諦めていただけませんか。吸血鬼相手に腕力で挑むなんて、愚かな選択肢を取ってしまいそうです」
美味しいのに。そんなところまでうちの紫色と似なくてもいいものを。
「侘び寂びが分からん奴だな。まあいい。もう一度聞くがこの本を借りていかないのか?」
「先ほど理由を述べ、貴方は納得しました。質問を返すようですが、それ以上に何が必要ですか?」
「私が納得したのは、あくまでお前が物語を好む理由、ただそれだけ」
「私が求める未知は、結末を知った時点でもう得ることができません。ゆえに興味が失せた。こう言えば空っぽの頭でも理解できますか?」
「結末を知ったら、その過程を楽しむことは不可能なのか?」
「不可能でしょう」
取り付く島もないとはまさにこのことだな。本に書いてあった通りの会話下手糞妖怪。だが私はこういう頑固者をみると、自分の意見を通したくなってしまう。一種の性癖かもしれない。かわいいよね、井の中の蛙、図書館で動かないパチェ、地霊殿に籠るさとり。いじめたくなる。
「そりゃあお前の求めていたスリルとやらは、多少は薄れてしまっただろう」
「大部分」
「……大部分が薄れてしまっただろう。でも地上までやってきて、周囲を追い払ってまで、3時間近くも熱中した程の作品だろう?」
「2時間48分」
「面倒くさいなぁ……。まあいいけど。しかもその面白さはこのレミリア・スカーレットの保証付きだ。紅魔館御用達」
「詳細も覚えていないくせに」
「面白かったという記憶だけで十分。さすがに無理に読めとまでは言わない。過去に同じように本のネタバレをしてしまった時、親友は私を魔導書の角でひたすら叩いたからな」
その後、3か月ほど館を追い出されたが、これは私の沽券にかかわるので秘密だ。お腹がすいても無暗に川魚を食べてはいけないという教訓を得ることもできた。
「では結論が出ているではないですか。ネタバレは悪であると」
「世の中が白と黒で判別できると思っているのは、世間知らずの愚者か閻魔くらいさ。それでもネタバレ自体はよくない行為だということは理解しているつもりだ。その上で古明地さとりに問いたい。知った結末までの過程を楽しむことはできないのか」
「それこそ貴女の言う通り、1か0かとはいきませんが、限りなくYESに近いと思います。だからこそ貴女の魔女も怒ったのでしょう」
「パチェとお前とでは少し話が違う。自分で言っていたじゃないか。読心は少し先の未来予知だと。じゃあお前は人生を、少し先が見える世界を楽しむことができていないのか?」
「話が飛躍しすぎてはいませんか」
「自覚しているから問題ないさ。私の能力は知っているか?」
「お節介に持論を押しつけてくる程度の能力でしょうか」
「運命を操る能力。お前なんかよりもずっと正確な未来が見える。その上で私はその過程を楽しむことができる」
「……それで?」
「すごいだろう」
「はぁ」
「えっへん」
胸を張ってドヤ顔を決め、尊敬の眼差しを受け入れる。
「もしも今の発言で、称賛が得られる運命を見たとおっしゃるなら、虚偽申告で訴えられる前に『幻想郷縁起』の修正を依頼するべきかと」
「まあたしかに、お前の言う未知とやらを望む気持ちも分かる。私も結果が分からない方が面白そうだからという理由で、わざと運命を見ない時だってある」
つまりは気分転換。たまに食べるお茶漬けは美味しい。いつの間にか好物なのが知れ渡ったのか、他所に遊びに行くと結構な頻度で出てくる気がする。
「だが、先が見える私達が、見えた上でその過程を楽しめないと人生がつまらないだろう。先を見ることと、実際に体験することは違う」
「私の聞いた話によると、貴方のご友人は経験よりも知識を重んじているらしいですが」
「頭でっかちでかわいいだろう。これ以上お前が隙を見せるなら、私は惚気話を始めるぞ」
「お話を終えたようなら失礼したいのですが」
「初めて出会ったのは満月の夜。私はあの日のことを一生忘れることはないだろう」
「……」
さとりが無言のまま、『幻想郷縁起』の角で叩いてくる。痛い。仕方ないからこの話はまた今度。
「心が読める私と運命が見えるとほざく貴女、結末の知っている物語と少し先の見える人生。類似点はあるかもしれませんが、同一に語るのは無理があるかと思います」
「細かいなお前」
「貴方が大雑把すぎる」
「いいもん大雑把。お前なんかよりも人生楽しいもん」
「結局何が言いたいんですか」
「私は失ったお前の3時間とやらを返してやることはできない。お前の時間は私のものじゃないからな。でも結末を知って尚、それを楽しむことができれば、無駄だと切り捨てた3時間を有意義なものに変えることができるかもしれない。お前のその目を通して見える世界を、少しだけ楽しくすることができるかもしれない」
「楽しむことができずに、さらに2時間ほど無駄になる可能性を無視しています。そもそも返してほしいのは3時間4分です」
「あれ?増えてない?」
「この話をしている時間も足しました」
「……まあいいや。今日の私は『Noblesse oblige』。高貴な振る舞いの日、それも寛大な心で許そう。たしかにお前の言う通り。お前の時間は有意義なものに変わるかもしれない。それともさらなる無駄な時間の浪費になるかもしれない。まさに未知だな。好きなんだろう?未知」
机に置かれた本を差し出せば、未だにこちらを疑いの目で見つめてくる。
「もしこの本を私が受け取らないなら……やめてください、納豆を食べた口でキスしようとしないでください気持ち悪い」
「まだ想像しただけじゃん」
「私にとっては同じです」
「バンパイアキスだぞ?光栄に思え。しかも今なら健康効果も付いてくる。ナットウキナーゼって知ってる?」
「知りたくないので結構です。全く……こちらが貴女の後ろめたさの清算に付き合うのですから、当然何か見返りはいただけますよね?『Noblesse of rude(失礼な貴族)』さん?」
それでも渋々と言った様子で、さとりはそれを受け取る。
「それをいうなら『Noblesse of rouge(紅の貴族)』だ。かっこいいだろう?ちゃんと最後まで読んだら、うちの図書館で好きな本を貸してやる。少なくてもここよりは蔵書がたっぷりだ」
「それならいいでしょう。たとえ時間を無駄に浪費することになったとしても、それだけの価値がある。どちらに転んでも私に損はない。貴女の言う通り、過程とやらを楽しむ努力をしてみましょう」
「どうせ生き物の結末は皆等しく死であり、人生はその結末までの過程でしかない。結論を急ぐな若人よ。過程を楽しめ」
「500年生きた程度で人生を語ってほしくはありませんよ」
さとりが本を持って立ち去っていく。姿が見えなくなった所で能力を使おうとして、やめた。あいつの性格なら見つけた答えに関係なく、報酬目当てに本を借りに来るだろう。その時に内容について語れるように、帰ったらパチェと一緒に読みなおすことにしよう。
二人のテンポのいいやり取りが良かったです。
さとりの嫌なところを前面に出しつつも堂々と相対するレミリアに器のデカさを感じました
言葉のドッヂボールでした
「たまに食べるお茶漬けは美味しい。いつの間にか好物なのが知れ渡ったのか、他所に遊びに行くと結構な頻度で出てくる気がする。」「2人の美少女、まあ一括りにするには気の毒だが、ここは寛大な心でもって2人の美少女ということにしておいてやろう。2人の美少女(天地の差がある)」みたいな心地よい脱線が、無駄を受け入れるレミリアらしい語りだなあと感じました。
でも確かにナットウキナーゼについて知りたくはないかも