空に舞う紫色の輝きは不規則なスピードで真っ直ぐ地面に降ってくる。
「今年の桜は見事ね」
答える者は誰もいない。
自室の窓から見える石桜だけがそうだろうと胸を張るようにより一層の輝きを見せながら落ちてくる。
一見、鉱物の欠片に見えるそれらは純化した魂の結晶であり、花ではない。しかし、花の咲くような環境などない血生臭い地底にとって、これが地上の花見に代わるもので、妖怪や怨霊が好んで散り落ちるそれらを見て、喝采を上げている。
中に加わることができない釣瓶落としや橋姫は遠くからそれを眺め、仲の良い土蜘蛛もそれに付き合って比較的静かに飲める場所で観覧しているのだろうか。
妹もさすがに地底に戻って、地上の桜と地底の桜を見比べているのだろうか。
さらには、温泉街の元締めの鬼、星熊勇儀から地上との不可侵条約が形骸化して物好きな人間や妖怪が噂を聞きつけて地底に来ているとも聞いた。
所詮は死者の抜け殻だというのに。
あれを綺麗と思う者もいれば、毒々しい、不快と思う者もいる。
そして、石桜はこの世に恨み辛みを持つ怨霊にとって純化されたものは好物となる。
地上との不可侵条約の瓦解と怨霊を管理する地霊殿の主にとって、絢爛に乱れるあの石桜を喜ぶことができない自分もいる。
もっとも、嫌われ者の最上位である覚妖怪が外を出歩けば、周りの者達は楽しみどころではなくなるため、出る理由もない。
そして、これからもこの静寂と肌寒い春の地底生活が続く。
(そう思っていた時もあったわね……)
「なにか?」
「いえ、少々考え事を」
幽々子は「そう」と小さく返すと使役の幽霊から茶を受け取り、こちらに渡してくる。
春とはいえ、まだまだやや寒い日が続く中で、熱めの湯飲みはありがたい。
二人きりの白玉楼はあまりにも広く、狭い。
「寄り過ぎでは?」
「んー? まぁ、ひひじゃないれすか」
幽々子は山積みにされた団子を頬張っている。
「食べながら喋るのはやめてください。行儀が悪いですよ」
「らいひょうふ、らいひょうふ」
さとりからの苦情もよそにますます肩を寄せてくる。
鬱陶しい。だが、心地よく、良い匂いがする。
最近、香りに興味を持ち始めたと言っていたが、今日の少し甘く、清々しい香りは花見の桜を邪魔しない、良い塩梅となっている。
亡霊故に体温はひんやりしているが、厚手の和服がむしろ温もりを感じさせてくれる。
このままさらに体を寄せたい。
(いけないいけない)
溺れかけた理性が帰ってくる。幽々子の肩に寄っていた頭を止め、姿勢を正す。
『残念無念』
本当に残念がっている声を聞くと少し失敗したかと思ってしまう。だが、日はまだまだ高く、誰か来ることなどの滅多にない白玉楼とはいえ、気恥ずかしい。
『お固いんだから』
「なら、言葉にしてください」
「何のことか分からないわねえ」
「嘘をつくなら、従者にこの団子のことを言いますよ?」
団子がついた串を手に取り、幽々子の前でひらひらさせる。さすがの笑顔も引きつり、扇子を胸元から取り出して口元を隠している。
この団子は幽々子の従者が花見兼宴会用に取っておいたものの一部で、里の近くにある玉兎の団子屋から取り寄せた逸品らしい。
だが、さとりが来訪する今日のためにこっそりと拝借して、振る舞っている。
「まぁ、あなたも口にしたからバレたら一緒に怒られて頂戴」
「嫌です。そもそも、その実情を明かしたのは私が食してからなのですから、全ての原因はあなたにあります」
「えー……でも、あなたなら心を読んで食べる前にこのことを知ることも出来たはずよね?」
「心をなるべく読まず、読ませずにいるのはお互い様。そこでそれを言えば非はそちらにあると読めますが?」
「読むだけに?」
「ええ」
ころころと笑われると言い争いに勝ったのに釈然としない。
幽々子に非があるというのに、それを認めつつも何かしらの揚げ足を取らないと気がすまないのだろうか。
いつものことのため、慣れてしまったが、いつか絶対にぎゃふんと言わせてやりたい。
遠慮なく三色団子を一つ頂くとほんのりした甘味が口いっぱいに広がり、心が落ち着くのが分かる。
改めて見ると見事な庭園だが、とにかく広い。地霊殿の屋敷も負けていないが、庭師一人で対応するのはさぞ大変だろう。
以前従者に聞いた時、家事のできる幽霊は幾らでもいるが、庭の手入れは数が限られてしまい、最終確認は自分が行うので、結果的に変わりがいないらしい。
さらに給金も無く、基本的に幽々子が必要に応じて金を出してあげていると聞く。
確かに、白玉楼は地霊殿同様に地獄や賢者達の思惑によってできたため、利益となるものが無い。
地底のように温泉があれば少しは噛むことができるのかもしれないが、そのようなものは冥界には無い。
否、目の前に広がるそれらこそ利益になるではないか。
見事に整備された庭。見事に咲き誇る桜。
観光資源が広がっている。
交通の便は目を瞑らざるを得ないが、地底の怨霊に比べれば、冥界の亡霊など脅威にならない。
「今、何か変なことを考えていませんでした?」
「い、いえ……」
心臓が飛び跳ね、反射的に嘘で答えてしまった。
嘘をつくリスクを犯してまで隠したかったことであるかと問われれば、半分正解で半分不正解である。
白玉楼のことを思えばということで伝えれば、幽々子も納得してくれるだろう。だが、二人きりでいるのに経営的なことを考えるなど、野暮でしかない。
よく隠し事が出来たものだと自分で自分を褒めてしまいたくなる。
もしかすると心を許した幽々子だからこそ嘘をつけるのかもしれない。
彼女はこれぐらいの嘘なら許してくれるはずだという思いが自分にあるのだと。
「悲しいわ〜」
幽々子がわざとらしくよよよと袖に目を当てる。
「庭園を品定めするように目が動いていたのに、何も考えていないって嘘をつくなんて……」
口を噤んでしまう。それとなく見ていたつもりだったが、やはり彼女の観察眼は侮れない。
「……少し、白玉楼の利益になることを考えていました」
「花見会場で開くつもりはないわよ〜。賑やかなのは嫌いじゃないけど、過ぎたるは猶及ばざるが如しよ」
「なるほど、失礼いたしました」
「それにね。そんなことをしてしまったら、この時を楽しめなくなるわ」
「この時?」
「うーん、美味しい」
幽々子は問いを無視して団子を頬張っている。この時と団子を楽しむ。二人きりの時間が無くなってしまうこと。
自分が実に浅慮だったと思い、俯く。
何か別の話題へと切り替えなければと辺りを見回す。
視界に捉えたのは白玉楼の縁側からも異様な威圧感を放つ大木。
階段を上ってきた時から見えていた、他の桜の木以上に目立つ何も咲かない大木。
「ところで、あの木は桜を咲かせないのですね」
「あれね〜枯れてしまって、咲いてくれないのよ。西行妖と言うのだけれど、私が亡霊になってからここに来たらしくてね。あれだけの木が満開に咲いてくれれば素晴らしいと思わない?」
「ええ」
「咲いてほしいわね〜、生きている間に」
「死んでいるでしょう」
「いつ成仏するか分からないわよ〜」
返す言葉が見つからず、唇の内側を噛む。
『まぁ、あの西行妖は諦めているけど』
「何故?」
「心を読んだわね〜?」
「あ、失礼」
「まぁ、良いわ。でもね、前に咲かせようとしたら、幻想郷から春が無くなって大騒ぎになっちゃって、巫女も飛んできて大変だったわ」
「それはそれは」
会話が終わり、さとりは茶をすすり、幽々子は団子を頬張る。
そういえば、幻想郷縁起で幽々子の記事にそのようなことが書かれていたかもしれない。
四季に応じて生活をする幻想郷にとって、季節のバランスが崩れるのは死活問題である。
さりとて、見事な桜の木だというのに花の咲かないというのは何と勿体ないことか。
そういえば、以前に幽々子があの西行妖を咲かせようと幻想郷中の春を集めようと異変を起こしたことがあると聞いた。
それ以降、何もせずにいるのは彼女にとっての西行妖に対する価値がその程度になってしまったのだろう。だが、本当の桜の魅力を知ってしまったためか、あれほどの大木が満開の桜を咲かせたならばどれほどの輝きを見せてくれるだろうか。
ぞくり、とその懸想と共に背中に悪寒が走った。
さとりの意識から入ってこない、無意識の領域からのもの。
ふと、妹が付いて来たのかと辺りを見渡すが、そもそも隠密行動中の彼女を見ることは困難。
ならば、今のは何だったのか。
見えないものを恐れる。それは人間がするべきことであって、妖怪の名が廃る行為。だが、実際にさとりは何かに恐れた。背中を這い上がる何かがそのまま首筋を滑らかに、無機質に通っていくように気持ちの悪い。
「まぁ、今の桜達も充分よ。これだけの名所は幻想郷にはないと言えるからね」
本当に諦めているのは先程分かった。
それでも、さとりの心は溢れんばかりの好奇心が先程抱いた嫌悪感に勝り、もしものことを邪推してしまいたくなってしまう。
もし、西行妖が本当に西行寺家と関わりのあるものだとすれば、彼女がここに縛られ、西行妖もここに存在する理由になる。
そして、あの大木にある封印の根幹がここにいる西行寺幽々子だとしたら。目の前にいる亡霊は知らないとすれば、かつて起こした異変も全てが繋がる。
しかし、幽々子ほどの切れ者が西行妖のことを調べずに桜を咲かせようとするのだろうか。
「西行妖を知ったきっかけはあるのですか?」
「うーん、書物に書いてあったのよ。読む?」
さとりは首を横に振った。
「何故、枯れてしまったのでしょう」
「さあね。何かが封じられているらしいのだけど、それが原因なのかしらね〜」
幽々子は優雅に茶を飲むが、それが本当にお茶を飲みたいという思いからなのか、話を折ろうとしたからなのか分からない。
やはり、彼女はあの大木のことを調べていた。
書物を読んでさえ、気付くことが出来ないことを隠したかったのか。
密かに心を読むが、もう西行妖のことは見えず、目の前の団子と茶のことに頭が行っている。
仮に封じられた何かを解けば、あの西行妖の桜は咲き、満開になるのだろうか。
再び背中に悪寒が走る。先程よりもおぞましく、吐き気を催しそうになる。
そういうことなのだろう。さとりは気分を落ち着かせるために茶を口いっぱいに含めて喉を鳴らす。気分はすぐに良くなった。
確証を得てはならないのだろう。
自分もまた覚妖怪として地底へと追われ、封じられたような者のように。
この白玉楼が穏やかなままでいるために。
自分が幽々子と共にいるために。
「今年の桜も見事ね」
「ええ」
「今年の桜は見事ね」
答える者は誰もいない。
自室の窓から見える石桜だけがそうだろうと胸を張るようにより一層の輝きを見せながら落ちてくる。
一見、鉱物の欠片に見えるそれらは純化した魂の結晶であり、花ではない。しかし、花の咲くような環境などない血生臭い地底にとって、これが地上の花見に代わるもので、妖怪や怨霊が好んで散り落ちるそれらを見て、喝采を上げている。
中に加わることができない釣瓶落としや橋姫は遠くからそれを眺め、仲の良い土蜘蛛もそれに付き合って比較的静かに飲める場所で観覧しているのだろうか。
妹もさすがに地底に戻って、地上の桜と地底の桜を見比べているのだろうか。
さらには、温泉街の元締めの鬼、星熊勇儀から地上との不可侵条約が形骸化して物好きな人間や妖怪が噂を聞きつけて地底に来ているとも聞いた。
所詮は死者の抜け殻だというのに。
あれを綺麗と思う者もいれば、毒々しい、不快と思う者もいる。
そして、石桜はこの世に恨み辛みを持つ怨霊にとって純化されたものは好物となる。
地上との不可侵条約の瓦解と怨霊を管理する地霊殿の主にとって、絢爛に乱れるあの石桜を喜ぶことができない自分もいる。
もっとも、嫌われ者の最上位である覚妖怪が外を出歩けば、周りの者達は楽しみどころではなくなるため、出る理由もない。
そして、これからもこの静寂と肌寒い春の地底生活が続く。
(そう思っていた時もあったわね……)
「なにか?」
「いえ、少々考え事を」
幽々子は「そう」と小さく返すと使役の幽霊から茶を受け取り、こちらに渡してくる。
春とはいえ、まだまだやや寒い日が続く中で、熱めの湯飲みはありがたい。
二人きりの白玉楼はあまりにも広く、狭い。
「寄り過ぎでは?」
「んー? まぁ、ひひじゃないれすか」
幽々子は山積みにされた団子を頬張っている。
「食べながら喋るのはやめてください。行儀が悪いですよ」
「らいひょうふ、らいひょうふ」
さとりからの苦情もよそにますます肩を寄せてくる。
鬱陶しい。だが、心地よく、良い匂いがする。
最近、香りに興味を持ち始めたと言っていたが、今日の少し甘く、清々しい香りは花見の桜を邪魔しない、良い塩梅となっている。
亡霊故に体温はひんやりしているが、厚手の和服がむしろ温もりを感じさせてくれる。
このままさらに体を寄せたい。
(いけないいけない)
溺れかけた理性が帰ってくる。幽々子の肩に寄っていた頭を止め、姿勢を正す。
『残念無念』
本当に残念がっている声を聞くと少し失敗したかと思ってしまう。だが、日はまだまだ高く、誰か来ることなどの滅多にない白玉楼とはいえ、気恥ずかしい。
『お固いんだから』
「なら、言葉にしてください」
「何のことか分からないわねえ」
「嘘をつくなら、従者にこの団子のことを言いますよ?」
団子がついた串を手に取り、幽々子の前でひらひらさせる。さすがの笑顔も引きつり、扇子を胸元から取り出して口元を隠している。
この団子は幽々子の従者が花見兼宴会用に取っておいたものの一部で、里の近くにある玉兎の団子屋から取り寄せた逸品らしい。
だが、さとりが来訪する今日のためにこっそりと拝借して、振る舞っている。
「まぁ、あなたも口にしたからバレたら一緒に怒られて頂戴」
「嫌です。そもそも、その実情を明かしたのは私が食してからなのですから、全ての原因はあなたにあります」
「えー……でも、あなたなら心を読んで食べる前にこのことを知ることも出来たはずよね?」
「心をなるべく読まず、読ませずにいるのはお互い様。そこでそれを言えば非はそちらにあると読めますが?」
「読むだけに?」
「ええ」
ころころと笑われると言い争いに勝ったのに釈然としない。
幽々子に非があるというのに、それを認めつつも何かしらの揚げ足を取らないと気がすまないのだろうか。
いつものことのため、慣れてしまったが、いつか絶対にぎゃふんと言わせてやりたい。
遠慮なく三色団子を一つ頂くとほんのりした甘味が口いっぱいに広がり、心が落ち着くのが分かる。
改めて見ると見事な庭園だが、とにかく広い。地霊殿の屋敷も負けていないが、庭師一人で対応するのはさぞ大変だろう。
以前従者に聞いた時、家事のできる幽霊は幾らでもいるが、庭の手入れは数が限られてしまい、最終確認は自分が行うので、結果的に変わりがいないらしい。
さらに給金も無く、基本的に幽々子が必要に応じて金を出してあげていると聞く。
確かに、白玉楼は地霊殿同様に地獄や賢者達の思惑によってできたため、利益となるものが無い。
地底のように温泉があれば少しは噛むことができるのかもしれないが、そのようなものは冥界には無い。
否、目の前に広がるそれらこそ利益になるではないか。
見事に整備された庭。見事に咲き誇る桜。
観光資源が広がっている。
交通の便は目を瞑らざるを得ないが、地底の怨霊に比べれば、冥界の亡霊など脅威にならない。
「今、何か変なことを考えていませんでした?」
「い、いえ……」
心臓が飛び跳ね、反射的に嘘で答えてしまった。
嘘をつくリスクを犯してまで隠したかったことであるかと問われれば、半分正解で半分不正解である。
白玉楼のことを思えばということで伝えれば、幽々子も納得してくれるだろう。だが、二人きりでいるのに経営的なことを考えるなど、野暮でしかない。
よく隠し事が出来たものだと自分で自分を褒めてしまいたくなる。
もしかすると心を許した幽々子だからこそ嘘をつけるのかもしれない。
彼女はこれぐらいの嘘なら許してくれるはずだという思いが自分にあるのだと。
「悲しいわ〜」
幽々子がわざとらしくよよよと袖に目を当てる。
「庭園を品定めするように目が動いていたのに、何も考えていないって嘘をつくなんて……」
口を噤んでしまう。それとなく見ていたつもりだったが、やはり彼女の観察眼は侮れない。
「……少し、白玉楼の利益になることを考えていました」
「花見会場で開くつもりはないわよ〜。賑やかなのは嫌いじゃないけど、過ぎたるは猶及ばざるが如しよ」
「なるほど、失礼いたしました」
「それにね。そんなことをしてしまったら、この時を楽しめなくなるわ」
「この時?」
「うーん、美味しい」
幽々子は問いを無視して団子を頬張っている。この時と団子を楽しむ。二人きりの時間が無くなってしまうこと。
自分が実に浅慮だったと思い、俯く。
何か別の話題へと切り替えなければと辺りを見回す。
視界に捉えたのは白玉楼の縁側からも異様な威圧感を放つ大木。
階段を上ってきた時から見えていた、他の桜の木以上に目立つ何も咲かない大木。
「ところで、あの木は桜を咲かせないのですね」
「あれね〜枯れてしまって、咲いてくれないのよ。西行妖と言うのだけれど、私が亡霊になってからここに来たらしくてね。あれだけの木が満開に咲いてくれれば素晴らしいと思わない?」
「ええ」
「咲いてほしいわね〜、生きている間に」
「死んでいるでしょう」
「いつ成仏するか分からないわよ〜」
返す言葉が見つからず、唇の内側を噛む。
『まぁ、あの西行妖は諦めているけど』
「何故?」
「心を読んだわね〜?」
「あ、失礼」
「まぁ、良いわ。でもね、前に咲かせようとしたら、幻想郷から春が無くなって大騒ぎになっちゃって、巫女も飛んできて大変だったわ」
「それはそれは」
会話が終わり、さとりは茶をすすり、幽々子は団子を頬張る。
そういえば、幻想郷縁起で幽々子の記事にそのようなことが書かれていたかもしれない。
四季に応じて生活をする幻想郷にとって、季節のバランスが崩れるのは死活問題である。
さりとて、見事な桜の木だというのに花の咲かないというのは何と勿体ないことか。
そういえば、以前に幽々子があの西行妖を咲かせようと幻想郷中の春を集めようと異変を起こしたことがあると聞いた。
それ以降、何もせずにいるのは彼女にとっての西行妖に対する価値がその程度になってしまったのだろう。だが、本当の桜の魅力を知ってしまったためか、あれほどの大木が満開の桜を咲かせたならばどれほどの輝きを見せてくれるだろうか。
ぞくり、とその懸想と共に背中に悪寒が走った。
さとりの意識から入ってこない、無意識の領域からのもの。
ふと、妹が付いて来たのかと辺りを見渡すが、そもそも隠密行動中の彼女を見ることは困難。
ならば、今のは何だったのか。
見えないものを恐れる。それは人間がするべきことであって、妖怪の名が廃る行為。だが、実際にさとりは何かに恐れた。背中を這い上がる何かがそのまま首筋を滑らかに、無機質に通っていくように気持ちの悪い。
「まぁ、今の桜達も充分よ。これだけの名所は幻想郷にはないと言えるからね」
本当に諦めているのは先程分かった。
それでも、さとりの心は溢れんばかりの好奇心が先程抱いた嫌悪感に勝り、もしものことを邪推してしまいたくなってしまう。
もし、西行妖が本当に西行寺家と関わりのあるものだとすれば、彼女がここに縛られ、西行妖もここに存在する理由になる。
そして、あの大木にある封印の根幹がここにいる西行寺幽々子だとしたら。目の前にいる亡霊は知らないとすれば、かつて起こした異変も全てが繋がる。
しかし、幽々子ほどの切れ者が西行妖のことを調べずに桜を咲かせようとするのだろうか。
「西行妖を知ったきっかけはあるのですか?」
「うーん、書物に書いてあったのよ。読む?」
さとりは首を横に振った。
「何故、枯れてしまったのでしょう」
「さあね。何かが封じられているらしいのだけど、それが原因なのかしらね〜」
幽々子は優雅に茶を飲むが、それが本当にお茶を飲みたいという思いからなのか、話を折ろうとしたからなのか分からない。
やはり、彼女はあの大木のことを調べていた。
書物を読んでさえ、気付くことが出来ないことを隠したかったのか。
密かに心を読むが、もう西行妖のことは見えず、目の前の団子と茶のことに頭が行っている。
仮に封じられた何かを解けば、あの西行妖の桜は咲き、満開になるのだろうか。
再び背中に悪寒が走る。先程よりもおぞましく、吐き気を催しそうになる。
そういうことなのだろう。さとりは気分を落ち着かせるために茶を口いっぱいに含めて喉を鳴らす。気分はすぐに良くなった。
確証を得てはならないのだろう。
自分もまた覚妖怪として地底へと追われ、封じられたような者のように。
この白玉楼が穏やかなままでいるために。
自分が幽々子と共にいるために。
「今年の桜も見事ね」
「ええ」
変わらない関係の尊さを感じました