幻想郷のどこかにあるリリーの家。リリーは、どこからか微かに流れてきて甘く鼻孔をくすぐる香りにつられ、目を覚ました。
「この香りは……もしかして」
窓から顔を出し周囲を見渡すと、ついこの間までは枯葉と溶け残りの雪に覆われていた地面から、一輪の花が、それらの隙間を縫って青空に手を伸ばしていた。
凍えてその身を細く縮こまらせていた木々の枝には数羽の鶯がとまり、ホー、ホー、ホ、ケキョ、ケキョ……と、合唱の練習をしている。
その様子を見て思わず相好を崩しながら、そっと目を閉じて、耳を澄まし、香りを探る。
寸刻そうしていると、それは彼女の頬をふわりと撫でた。
瞬間、リリーは、ぱあっと表情を輝かせ叫ぶ。
「この香り、この風、やっぱりこれは……春の気配です!待ちに待った春が、来るのですよ!」
雪のカーテンと分厚い雲の天井に閉ざされた長い冬が、ようやく春の暖かな光を受け入れたのだ。
南方より流れ来る風に手を引かれ、身体がうずく。
高鳴る胸の鼓動が、早く燦然と輝く太陽の下に飛び出したいと叫ぶ。
いよいよ我慢できなくなって戸を開けると、そこに乱れ咲くのは、羽化したばかりの蝶や、親元から飛び立たんとする小鳥たち。
今年はこの子達と共にゆこう。きっと賑やかで楽しいに違いない。
リリーは春風を掴む羽となって、春の肌触りを全身に感じながら舞い上がった――
―――
――
―
太陽の畑。葉月の頃には一面を向日葵が埋め尽くすその草原は、長く雪に閉ざされた暗い夜を耐え忍び、春の朝日で目覚める。
向日葵に代わるまで春を謳歌せんとする花々は、その開花の時を静かに待っていた。
「――そう。春の気配を、感じているのね。」
花を愛する妖怪――風見幽香は、小さく武者震いをする花たちの声を聴いて、そう呟いた。
腰掛けている彼女の横の窓枠には水差しが置かれており、中では、早起きし過ぎてしまった勿忘草(わすれなぐさ)が独り、花弁を揺らしている。
「心配しなくても、もうじき仲間たちと一緒に歌えるわよ。――彼女が、来るからね。」
幽香がそう言った直後、花畑の斜面が波打った。見れば、先程まではいなかったはずの小鳥や蝶が舞っている。
そして、その奥に見えるのは、彼女――リリーホワイトであった。
一輪、また一輪と、目を覚まし、せっかちな勿忘草に色とりどりな挨拶をする。
彼女の引き連れてきた風が波を起こす度、花畑はみるみるうちに春の様相を呈していく。
「いらっしゃい、小さな春の子たち。今年は随分と賑やかで、色鮮やかな春ね」
窓を開け歓迎の挨拶をする幽香の前に、リリーがふわりと舞い降りた。
「はい、みんな元気いっぱいです!鳥さんたちもお花さんたちも、一緒に踊っているみたいでとても綺麗なのですよ〜!」
リリーは両腕を広げ、自身も舞うかのように、くるりくるりとはしゃいでいる。
幽香が微笑んで見守る中、彼女等は太陽の優しい眼差しも受けながら、極彩色に地を彩る花吹雪となって、春の色を舞い散らす――
―――
――
―
「春ですよ~!」
毎年、その声が響くと、私たち花や草木は目を覚ます。そして彼女と一緒に通り抜ける風が、私たちの発した香りを運んでくれる。そうして、私たちの長い一日が始まるのだ。
遠くに、その声が聞こえた。もう、起きる時間らしい。
早く目を開けて、あの風に向かっておはようを言わなくてはならないのだけれど。
うぅ、ん。眠いなあ……。
周りのみんなはもう起きているのだろう。おはようと空へ挨拶しているのが聞こえ始めて、どんどん賑やかになっている。
――もうすこし、寝ていてもいいかなあ……?
だって、まだ寒いんだもの。あたたかい土の布団から手を出したくない。
そうして身を縮こまらせていると、なにやら周りが騒がしい。みんなの会話が弾んでいるわけではなさそうだけど、それなら一体、どうしたんだろう。
そして突然、
「まだおねむさんがいるのですよ~」
目の前で、彼女の声がした。
「芍薬(しゃくやく)さん、出てきてほしいのです。まだすこし寒いですけど、もう春になるのですよぉ……」
彼女は私に顔を近づけ、そっと囁いてくる。彼女の纏う柔らかな空気は藤の香りがして、私の意識を持ち上げてくれた。
「あなたの『はにかみ』、可愛いお顔を見せてください……!」
暖かくて、くすぐるようなその声につられて、細く目を開け、引き寄せられるかのように手を伸ばしてしまう。
「ふふっ、出てきてくれてありがとうございます。おはようなのですよ~!」
伸ばした手は彼女に受け止められ、目の前にある嬉しそうな顔を見て、私も嬉しくなって赤色の花弁を開いて笑みを返す。そして、
おはよう、と。春の香りに包まれて、華やかな挨拶をする――
―――
――
―
ここは人里にほど近い田園地帯。各所で田起こしが始まり、早いところでは水が引かれて、鋭くとがった陽光をきらきらと反射させています。
そんな田園地帯と川に挟まれた場所は地面が盛り上がり、小さな堤防のような丘を形作っていました。
そんな今日の丘には、妖精が寄り集まっていて、なにやら騒がしいですよ?
「おまえたちーっ、もちもちのお米は持ってきたかーっ!?」
「当然よっ!」
「あんこはーっ!?」
「持ってきたよ、チルノちゃん!」
「サクラの葉っぱはーっ!?」
「あるのですよ~!」
おやおや、みんなお米の入った飯櫃(めしびつ)や、あんこの乗ったお皿を手に持っていますね。
材料を見るに、桜餅を作ろうとしているのでしょうか?意気揚々として、地面に敷いた麻布の上にそれらを広げています。
「あんこをお米で包んでいくのですよ~!」
もちもち、ぎゅっぎゅっ。
みんなで輪になって座り、仲良くはしゃぎながらお菓子を形作っていく様子は、無邪気、和気あいあいといった言葉を体現したかのよう。
寒さに張り詰めていた晩冬の空気も心なしか和らいだようです。
「はふはふ……ん!このお米、あまい!」
「チルノちゃん、つまみぐいしちゃダメだよぉ」
「このお米、なんでピンク色なのかしら?」
「さあ。最初からそんなんだったわよ?」
あら。どうやらあの食材は、彼女たちが自分で“用意した”わけではないようですね。元の持ち主には……まあ、もう一度頑張って準備してもらうことにしましょう。
さてさて、そうこうしているうちにあんこを包み終わったようです。
ところどころ餡がはみ出たり形が歪だったりしていますが、それも個性です。妖精たちによって心を込めて包まれたそれらは、早く桜の葉で着飾りたいと言わんばかりにウズウズしながら待っています。
「あとは、葉っぱでくるんで――完成ね!」
くるくる。はがれないように押さえて……できた!
ほんのり甘く、桜色に微笑む身体に葉っぱを巻いてコーディネート。アクセサリーにはほのかに塩気を纏って、その可愛らしさを引き立てます。
みんなの分の桜餅を作り終わったら、さあお楽しみ。
手と声を合わせて……
「「「いただきまーす!」」」
―――
――
―
やんや、やんや。
見知った人妖たちの騒ぐ声が聞こえてきた。
どうやら春の気配を追いかけて飛び回るうちに、博麗神社にやってきていたようだ。
ここは毎年桜が満開になるから、リリーの大好きな場所のひとつである。
見たところ宴会をしているようだが、ここの桜はまだほとんどが蕾で、花見をするには早い気がする。気になって降りていくと、歓声に出迎えられた。
「いいじゃない、前夜祭よ。それに、ちょうど貴女も来てくれたことだし……。いらっしゃい。歓迎するわよ」
聞けば、桜が咲くのを待ちきれなくて、ノリで宴会を始めてしまったとのこと。それが、リリーが来たことによって本番の花見になるとあって、さらに盛り上がっているようだ。
見渡せば、付近には演奏の準備をしていたのだろうプリズムリバー三姉妹や雷鼓、九十九姉妹もいる。
そうこうしているうちに、
――ぽこっ、ぽこっ。
――ぱっ。
ひとつ、ふたつと周囲の桜の蕾が開き始めた。
どんどん桃色に染まっていく木々に、どっと歓声が湧く。リリーは奏者たちや連れていた鶯たちと共に、この地に満開の”生命(はな)”を咲かせんとする歌声となって、春の音を奏でて舞い踊る。
「この香りは……もしかして」
窓から顔を出し周囲を見渡すと、ついこの間までは枯葉と溶け残りの雪に覆われていた地面から、一輪の花が、それらの隙間を縫って青空に手を伸ばしていた。
凍えてその身を細く縮こまらせていた木々の枝には数羽の鶯がとまり、ホー、ホー、ホ、ケキョ、ケキョ……と、合唱の練習をしている。
その様子を見て思わず相好を崩しながら、そっと目を閉じて、耳を澄まし、香りを探る。
寸刻そうしていると、それは彼女の頬をふわりと撫でた。
瞬間、リリーは、ぱあっと表情を輝かせ叫ぶ。
「この香り、この風、やっぱりこれは……春の気配です!待ちに待った春が、来るのですよ!」
雪のカーテンと分厚い雲の天井に閉ざされた長い冬が、ようやく春の暖かな光を受け入れたのだ。
南方より流れ来る風に手を引かれ、身体がうずく。
高鳴る胸の鼓動が、早く燦然と輝く太陽の下に飛び出したいと叫ぶ。
いよいよ我慢できなくなって戸を開けると、そこに乱れ咲くのは、羽化したばかりの蝶や、親元から飛び立たんとする小鳥たち。
今年はこの子達と共にゆこう。きっと賑やかで楽しいに違いない。
リリーは春風を掴む羽となって、春の肌触りを全身に感じながら舞い上がった――
―――
――
―
太陽の畑。葉月の頃には一面を向日葵が埋め尽くすその草原は、長く雪に閉ざされた暗い夜を耐え忍び、春の朝日で目覚める。
向日葵に代わるまで春を謳歌せんとする花々は、その開花の時を静かに待っていた。
「――そう。春の気配を、感じているのね。」
花を愛する妖怪――風見幽香は、小さく武者震いをする花たちの声を聴いて、そう呟いた。
腰掛けている彼女の横の窓枠には水差しが置かれており、中では、早起きし過ぎてしまった勿忘草(わすれなぐさ)が独り、花弁を揺らしている。
「心配しなくても、もうじき仲間たちと一緒に歌えるわよ。――彼女が、来るからね。」
幽香がそう言った直後、花畑の斜面が波打った。見れば、先程まではいなかったはずの小鳥や蝶が舞っている。
そして、その奥に見えるのは、彼女――リリーホワイトであった。
一輪、また一輪と、目を覚まし、せっかちな勿忘草に色とりどりな挨拶をする。
彼女の引き連れてきた風が波を起こす度、花畑はみるみるうちに春の様相を呈していく。
「いらっしゃい、小さな春の子たち。今年は随分と賑やかで、色鮮やかな春ね」
窓を開け歓迎の挨拶をする幽香の前に、リリーがふわりと舞い降りた。
「はい、みんな元気いっぱいです!鳥さんたちもお花さんたちも、一緒に踊っているみたいでとても綺麗なのですよ〜!」
リリーは両腕を広げ、自身も舞うかのように、くるりくるりとはしゃいでいる。
幽香が微笑んで見守る中、彼女等は太陽の優しい眼差しも受けながら、極彩色に地を彩る花吹雪となって、春の色を舞い散らす――
―――
――
―
「春ですよ~!」
毎年、その声が響くと、私たち花や草木は目を覚ます。そして彼女と一緒に通り抜ける風が、私たちの発した香りを運んでくれる。そうして、私たちの長い一日が始まるのだ。
遠くに、その声が聞こえた。もう、起きる時間らしい。
早く目を開けて、あの風に向かっておはようを言わなくてはならないのだけれど。
うぅ、ん。眠いなあ……。
周りのみんなはもう起きているのだろう。おはようと空へ挨拶しているのが聞こえ始めて、どんどん賑やかになっている。
――もうすこし、寝ていてもいいかなあ……?
だって、まだ寒いんだもの。あたたかい土の布団から手を出したくない。
そうして身を縮こまらせていると、なにやら周りが騒がしい。みんなの会話が弾んでいるわけではなさそうだけど、それなら一体、どうしたんだろう。
そして突然、
「まだおねむさんがいるのですよ~」
目の前で、彼女の声がした。
「芍薬(しゃくやく)さん、出てきてほしいのです。まだすこし寒いですけど、もう春になるのですよぉ……」
彼女は私に顔を近づけ、そっと囁いてくる。彼女の纏う柔らかな空気は藤の香りがして、私の意識を持ち上げてくれた。
「あなたの『はにかみ』、可愛いお顔を見せてください……!」
暖かくて、くすぐるようなその声につられて、細く目を開け、引き寄せられるかのように手を伸ばしてしまう。
「ふふっ、出てきてくれてありがとうございます。おはようなのですよ~!」
伸ばした手は彼女に受け止められ、目の前にある嬉しそうな顔を見て、私も嬉しくなって赤色の花弁を開いて笑みを返す。そして、
おはよう、と。春の香りに包まれて、華やかな挨拶をする――
―――
――
―
ここは人里にほど近い田園地帯。各所で田起こしが始まり、早いところでは水が引かれて、鋭くとがった陽光をきらきらと反射させています。
そんな田園地帯と川に挟まれた場所は地面が盛り上がり、小さな堤防のような丘を形作っていました。
そんな今日の丘には、妖精が寄り集まっていて、なにやら騒がしいですよ?
「おまえたちーっ、もちもちのお米は持ってきたかーっ!?」
「当然よっ!」
「あんこはーっ!?」
「持ってきたよ、チルノちゃん!」
「サクラの葉っぱはーっ!?」
「あるのですよ~!」
おやおや、みんなお米の入った飯櫃(めしびつ)や、あんこの乗ったお皿を手に持っていますね。
材料を見るに、桜餅を作ろうとしているのでしょうか?意気揚々として、地面に敷いた麻布の上にそれらを広げています。
「あんこをお米で包んでいくのですよ~!」
もちもち、ぎゅっぎゅっ。
みんなで輪になって座り、仲良くはしゃぎながらお菓子を形作っていく様子は、無邪気、和気あいあいといった言葉を体現したかのよう。
寒さに張り詰めていた晩冬の空気も心なしか和らいだようです。
「はふはふ……ん!このお米、あまい!」
「チルノちゃん、つまみぐいしちゃダメだよぉ」
「このお米、なんでピンク色なのかしら?」
「さあ。最初からそんなんだったわよ?」
あら。どうやらあの食材は、彼女たちが自分で“用意した”わけではないようですね。元の持ち主には……まあ、もう一度頑張って準備してもらうことにしましょう。
さてさて、そうこうしているうちにあんこを包み終わったようです。
ところどころ餡がはみ出たり形が歪だったりしていますが、それも個性です。妖精たちによって心を込めて包まれたそれらは、早く桜の葉で着飾りたいと言わんばかりにウズウズしながら待っています。
「あとは、葉っぱでくるんで――完成ね!」
くるくる。はがれないように押さえて……できた!
ほんのり甘く、桜色に微笑む身体に葉っぱを巻いてコーディネート。アクセサリーにはほのかに塩気を纏って、その可愛らしさを引き立てます。
みんなの分の桜餅を作り終わったら、さあお楽しみ。
手と声を合わせて……
「「「いただきまーす!」」」
―――
――
―
やんや、やんや。
見知った人妖たちの騒ぐ声が聞こえてきた。
どうやら春の気配を追いかけて飛び回るうちに、博麗神社にやってきていたようだ。
ここは毎年桜が満開になるから、リリーの大好きな場所のひとつである。
見たところ宴会をしているようだが、ここの桜はまだほとんどが蕾で、花見をするには早い気がする。気になって降りていくと、歓声に出迎えられた。
「いいじゃない、前夜祭よ。それに、ちょうど貴女も来てくれたことだし……。いらっしゃい。歓迎するわよ」
聞けば、桜が咲くのを待ちきれなくて、ノリで宴会を始めてしまったとのこと。それが、リリーが来たことによって本番の花見になるとあって、さらに盛り上がっているようだ。
見渡せば、付近には演奏の準備をしていたのだろうプリズムリバー三姉妹や雷鼓、九十九姉妹もいる。
そうこうしているうちに、
――ぽこっ、ぽこっ。
――ぱっ。
ひとつ、ふたつと周囲の桜の蕾が開き始めた。
どんどん桃色に染まっていく木々に、どっと歓声が湧く。リリーは奏者たちや連れていた鶯たちと共に、この地に満開の”生命(はな)”を咲かせんとする歌声となって、春の音を奏でて舞い踊る。
花(芍薬)の視点からリリーに春を告げられる描写があるのが新鮮でよきでした。
リリーがひたすらかわいらしかったです
春が来ました