Coolier - 新生・東方創想話

蹴撃

2025/02/03 17:46:21
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 河童が大人になるまでに、童の大人というのも変だが、ともかく大人になるまでに、必ず習得しなければならない技能がある。そう、ドロップキックだ。

 河童というのは毎日毎日年がら年中機械をいじくっている。機械を扱うのに事故はつきものだ。当然起こらないのに越したことはないから、事故を起こさないための正しい機械のいじくりかたを最初に習う。例えば人間の子供が『桃太郎』の桃が川を流れるくだりを音読している頃、河童の子供はアルカリ土類金属を水に投げ入れると大爆発することを学ぶ。
 とはいえ種族関係なくガキはガキなので、三十人いると一人はむしろ知ったからこそアルカリ土類金属を川にぶち込み大爆発を起こす。そういう事件が起こるとその日の午後から投げ入れた子供はクマさん人形に置き換わり(残った子供には悪いことをしたから「退場」したのだと伝えられる。無論本当にこの世から退場してクマさん人形の姿でしかお見せできない肉屑と化していることもままある)、川に有害物質を流してしまったときの処理と周辺勢力への言い訳の仕方について学ぶことが始まる。こうして技術伝達の要点は事故の予防からもし事故が起きてしまったら、に切り替わり、その先にドロップキックもある。
 機械事故の定番、感電。肉と血でできた全ての生物にとって下手すると死ぬという危険なものだが、河童にとってはより脅威度が高まる。水は電気に弱い。某有名RPG以来この事実はファンタジーの常識になっている。そして河童は水タイプなのだった。もしも複合が鋼ではなくて地面なら電気を無効化できたのに。
「地面? 土? 誰だ今土蜘蛛野郎の話をしやがったの!?」
 ……。電気に触れて筋肉が収縮してしまった哀れな同胞を救出するのにただ触って電気に触れている腕を引き剥がそうというのは愚策だ。触れた瞬間、哀れな同胞→お前→地面の電気の流れ道ができ、
「地面? 土? 誰だ今土蜘蛛野郎の話をしやがったの!?」
 ……。ミイラ取りがミイラになってしまう。
 必要なのは己を絶縁体と化し、同胞と電気を引き剥がす弾丸と成すこと。宙からの救いの一撃、名医が病巣にメスを切入れるが如く。
 そう、ドロップキックだ。





 にとりは目を半分にして教官の話を聞いていた。話のうちおよそ五割は、自分の瞼のように上半分を閉じた脳の入り口にブロックされて入っていない。
 一瞬横を向いて一緒に話を聞いている同輩の顔を見る。彼女は十字に切れ目を入れた焼きシイタケみたいな目を教官の方に向けていた。いざとなったら後からこいつに話を聞いておけばレポートは出せるか、と思う。一個懸念があるとするならば、こいつの目はいつもシイタケみたいだということだ。魚のように瞼がなく、このキラキラした目で実は寝ている、という可能性も否定はできない。
 にとりは不服だった。自慢じゃないが、自分はファニーな暴力兵器を次々に発明する谷一番の天才河童として名が通っている(自慢だよ)。本来ならむしろ教官の側に立っていてしかるべきだ。それが「君、そういえばまだ安全講習受けてなかったよね?」の一言でこれだ。子供扱いすんな。
 そもそもだ、とにとりは心のなかで独りちる。河童という種族は集団行動に向かんのだから、部屋に閉じ込めて並べた机に隊列を組んで座らせて授業を長々と聞かせるとかいう寺子屋ごっこに耐えられるわけがない。
 不満が溜まっていくとその矛先が一人称、二人称、三人称へと人称を増やし最終的に社会そのものに喝を入れたくなる、というのは種族を問わず共通の性だ。ただ、元が逆恨みな愚痴とはいえ、これは当たらずとも遠からずでもあった。にとりの席は後ろの方だったので首を不自然な方向に向けずとも七割くらいの後ろ姿か側面は見えたが、真面目に聞いてるかその演技をしてるかしてるのはそのうちの半分もいない。残り半分はペンを回すか、ペンの形にした機械に組み込まれた歯車かネジかを調整しているか、上半身で船を漕いでいるかだった。
 我々が今している真似事のモデル、人間の寺子屋だって上手くいってるのか怪しいものだ。今頃里の子供も、先生のくっそつまんねえ話を子守唄に夢の世界にダイブしてるに違いないね。にとりは愚痴の最終形態、他所の社会を腐す段階に突入していた。こっちの方は真実なのかどうか知らない。白狼天狗のように千里眼が使えれば分かっただろうが。
 にとりが霧がかかった頭で濃霧みたいに何も見えない話を聞いているさなか、機械いじりをしていた河童の手元がバチッという音を立てた。すかさず音に向けて教官がチョークを投擲し、それは極小の配線を覗くために前傾姿勢をとっていた河童の眉間にクリーンヒットした。彼女はギャンと断末魔を立てて気絶する。その様子が滑稽だったので、にとりはその瞬間だけは教官の味方になってニヤニヤした。しかしそれが不真面目ととられたのか、今度はにとりの方角にチョークが放たれた。にとりはひゅいと交わし、これは一個後ろの机に突っ伏していた河童の帽子の頂点に刺さった。
 チョーク乱舞が行われたのは教官の話の最後の方だったらしい。らしいとしか言えないくらいにとりの頭には内容が入っていない。もっとも真面目に聞いていたとして、話の起承転結が分かったのかどうかはまた別の問題だが。
 話の後に休憩が挟まれることもなかった。時計の上では十五分しか経ってないのでスケジュールとしては妥当なのだが、主観時間では懲役二時間ぐらいの拷問だったのでにとり達にとっては甚だ理不尽な話だ。でも教官はそんな理不尽はこの世には存在しないかのように淡々と機材に電源を入れ、教習ビデオの上映になった。
 にとりはこのビデオを作った奴は天才だと思った。コミカルな動きで感電する河童に(本当に感電してるのではなく、スタントマンと呼ばれる職業なのだろう。にとりは河童にスタントマンがいることを初めて知った)、別の河童が思い切りドロップキックを食らわせるという一枚絵だったら物凄く笑える題材。これを欠伸が出るくらい退屈な構成にまで落としに落としているのだから、制作陣は素材を腐らせることに並々ならぬ努力を払っていると言わざるをえない。否、努力だけでここまでつまらなくはならない。カレーを不味く作ることと同じく、やはり、これもまた一つの才能なのだ。
 にとりは心の中で負の喝采を浴びせ続け、そのまま、「なんかもう逆に凄かった」という小学生並の感想以外は何一つ心に濾過されなかった無の十分間、教官の話と間の準備合わせて三十分、は終わった。





 座学がこんな時点で実技ができるわけもなく。にとりが結果どうだったのかは、公式格闘ゲームに参戦経験があるにも関わらず、技の中にある体術は片足での蹴りまでで、ドロップキックがないという時点で推して測るべきである。
 にとりは大人にはなれなかった。別に大人じゃないと機械操作が許されないということはなく、単に機械が弄れるガキと扱われるだけだから、「子供扱いすんな」という精神的不利益以外の実害はないのだが。
 悪いのは自分じゃない、教え方だというのはにとりとその他大半の河童の持論だ。今回の講習、三十人くらい受けて座学も実技も合格点に達したのは一名だけ(ちなみにあのシイタケ()
だ。あいつは何かと要領がいい)。絶対何か間違えている。今年が特別出来が悪かったのではなく、毎年こんなものなのだ。
 でも改善はされない。ドロップキックができず、大人になれなかった九割五分が社会のほとんどを構成しているからそれが普通になっている。河童は大人になるまでにドロップキックを習得しなければいけないが、実はだいたい習得できないので「もう子供でいいです」ということで、逆に子供にも飲酒喫煙、選挙被選挙の権利を与えて法的責任などの諸々の義務を課すことでバランスをとっている。故に河童は河「童」なのだった。





 地獄のような――マイナスではなく何一つ遺るものがないゼロの無間地獄のような――講習からしばらくして、にとりは同僚の実験に付き合っていた。
 この同僚もまた子供だった。つまりドロップキックができない。しかしやはりその技術は本物だ。彼女は医療技師だった。本物の肺より小型の体内埋め込み型人工呼吸器『白金の肺』、瀉血を標準医療として妥当な効能にまで再構築した『ヴァンパイア・メス』、そして全自動遠隔手術装置『ゲンパク』。彼女がこの世に生を受けていたかいなかったかで河童の寿命は一割変わっていたと言われている。
 天才肌という点ではにとりと似ていたが、にとりが主に武器や兵器を発明するのに対してこの同僚は医療機器が専門だから、分野においてはある意味真逆だった。にとりが尻子器を発明しその特許を取得した時は「もしこの同僚が同じ発明をしていたら、尻子玉を抜く機械ではなく尻子玉を嵌める機械として特許が取得されていただろう」と半ば冗談交じりでささやかれもした。
 この同僚は白衣を河童風にしたような格好をしていた。にとりは正直なところ、白帽子に少し苦手意識を持っていた。具体的にどうこうというより、もっと概念的に、悪魔は神を前にしたら萎縮するものなのだ。ただその白い同僚の方は自分達が価値観を異にしているとは思っていなかった。
「命の終着点に目を向けて芸術をしている。そういう意味では私達は同じだと思うの」
 今回も白河童の方がにとりを誘って実験をしていたのだった。
 彼女曰く、それは蘇生装置なのだという。
「脳も心臓も電気信号で動く。つまり体というのはある意味電気駆動とも言えるの。だから外付けの電源を用意することで『電源が落ちかけている状態』までからなら復帰させることができる」
「にわかには信じがたい話だね。死人を復活させるなんて本当に神の領域じゃないか」
「流石に死人は無理よ。生命は電気駆動とも言える、であって電気が全てではないから他が欠けてたら復活できない。ただ死にかけからの蘇生には効果があるというのは、猿を用いた実験までなら実証されている」
 生体実験を要する場合の「猿」には、そのへんから捕まえてきたニホンザルという意味と、そのへんから捕まえてきた山童という意味の二通りの意味がある。どちらでも大した違いはない。
「猿までならか。次は河童で、そのための被検体としての私じゃないだろうね。お前の腕前には信用があるが、それでも今回ばかりはごめん被るよ」
 蘇生装置は巨大な箱と、そこから何本も伸びているケーブルで接続された半球形の帽子のような形をしていた。箱の方はよく見かけるタイプの電気を扱う大型機械ですねという感想だが、帽子のデザインがあまりにも刺々しく狂気を感じる。彼女が普段作っている発明に共通する「洗練された清潔さ」みたいなのが微塵もない。
 せめて一度動いているのを見せてからにしてくれというにとりの懇願から、マネキンに被せて一度動かすことになった。帽子側のケーブル根本の電極からバチンバチンという放電が忙しなく起きる。これは駄目だとにとりは思った。試す前に誓約書ではなく遺書が必要なタイプのアトラクション。
「勘違いしてるかもしれないけれど、今回は蘇生させるための電圧ではやらないわよ。お望みなら半殺しにして蘇生実験にしてもいいけれどね。強い電気でやると蘇生になるけれど」
 電子レンジの間違いじゃないかなとにとりは思ったがそれは口には出さなかった。
「弱い電気でやると体の働きを装置がサポートして血行促進やむくみに効くはず。装置の応用可能性を探る実験なの」
「弱い電気(当社比)」
 にとりの念押しは皮肉を込めた括弧内まで先方にきちんと伝わり、具体的に擦った下敷きを髪に当てたときに通る電気量の数倍くらいだという説明が加わった。冬のドアノブですらもう嫌ではあるが、そのくらいならまあ、と、にとりは被検体になることを了承した。常日頃感じてる微妙な苦手意識も込みでの同意だ。多分他の河童から同じことを頼まれていたら首は横に振っていた。
 諸々の設定や調整に時間がかかるとのことで白医者は作業に取り掛かり、彼女が手を動かしている間は雑談のひとときとなった。世間話の種の一つに、先日の無の講習も蒔かれる。
「あー。もうそんな季節なんだ。私も五年前に受けたわね」
「なんでお前だけそんな早くに受けてるんだよ」
「逆でしょ。五年前は第三アジトの鉄扉とその中のあんたで缶詰ができていたからあんた抜きで講習が進んだの」
河童(エンジニア)
なら機械ファーストだろ。何適正な日付けで受けてるんだ」
「ルールは守んないと駄目でしょ」
 直球の正論で顔面デッドボールを受けてにとりは何も言い返せなかった。やっぱり悪魔は神には勝てないのだ……。まあ、自分が悪魔で相手が神だと思ってるのはにとりの側だけなのだが。
「いやね、私も不真面目なままではいかんと、ついに一念発起して受ける気になったわけだ。つまり悪いのは私じゃなくてあまりにもつまらない講習の方だね」
「あれまだつまらないんだ。五年の技術進歩でまともになったものだと思っていたけれど」
「つまらん。実につまらん。座学もビデオもカスの極みだったね」
 にとりが征服者系の悪役みたいな表現で酷評するのを聞いて白衣側は首をひねった。
「ビデオもつまらなかったんだ?」
「スタントマンの腕はいいんだけれど、逆に役者の演技をそこまでドブに捨てることができるんだ、って感じだったね。お前の代はビデオだけまともだった感じか?」
「私のときはビデオじゃなくて紙芝居だったのよ。質はまあお察しね。で、それがあんまりだという当時の受講者の一人が、静止画じゃなく映像なら面白くなるだろうと発明したのがビデオ」
 そうだっただろうか、とにとりは記憶をたぐり、たぐった先には特に何もなかったのでそうだったのだろうと思うことにした。彼女の言う事が正しければ五年前にはビデオがなかったということになる。なかった気がする。
「でも結果はこのざまだよ」
「知らないわよ。強いて分かることがあるとするならば技術に罪はないってことね」
「それは前提だな。結局我々はエンジニアであってエンターテイナーではないらしい」
「それも前提」
 機械に入れているバッテリーが古くなっていることに、白帽子の河童は気が付いた。そういえばもうそろそろ交換の時期で、丁度数日前に新しいのが届いたのだった。
 動作確認が甘かったという点ではその後の悲劇についてこの医療技師にも多少の責任は確かにあるだろう。が、真に悪かったのはこのバッテリーを用意したもっと若い河童だった。河童も童だから所詮ガキはガキ。アルカリ土類を川に投げ込むような輩が、そうした破壊的ないたずら願望をもっと別なタイミングで発揮したら……。





 にとりは椅子に腰掛けるよう促された。
 電気椅子という死刑方法が外の世界にはあるらしい。それが具体的にどういう見た目のものなのか、どういう原理で動くものなのか、今までは想像するしかなかったが、これが現物なのだろうと思った。
「はーい。肩の力を抜いてゆっくりと深呼吸してねー」
 にとりの呼吸はむしろ浅く荒くなった。果たして自分がこの椅子に座るに値する所業をしてきたのか、というのを振り返ったときに、あまりにも心当たりが多すぎるのだった。特に前の祭りで守矢神社に屋台を出したときに、緑髪の方の巫女の金銭感覚の適当さに付け込んでショバ代を十銭ちょろまかしたこと。あれはよくなかった。例えば尻子玉を散々抜いて殺めてきたこととかはどうでもいいが、金の罪は実によくない。
「だいぶ肩が凝ってるねえ。電圧ちょっと上げようか」
 白河童はにとりの心中など意にも介さず、単に体の調子が悪いのだろうと電圧調整のつまみを少し右にひねった。
 バンッという破裂音が一瞬して、そのときに機械は数センチ膨張したように見えた。
「はい!?!?」
 バッテリーが何か間違っていて表示の百倍の電気が流れた、というごく単純な事故なのだが、単純すぎるが故に、この天才河童は見たことがない現象で、原因の特定にも数秒かかった。天才は想定外の出来事に弱い。
 少し時間をかけて脳を一旦処理した彼女は機械をもう一度観察する。余裕を持たせた設計が幸いしてか、九割九分は壊れてはない。が、ある意味致命的なことに、電源のオンオフだけがおかしくなったのか電源を切ることができない。
「そういえばにとりは」
 どう考えてもまず被験者の安全を確保するべきなのだが、事故の混乱から出てきた素は機械よりも人に疎い工業系人格破綻者だったのでにとりの安全確保はこの順番になってしまった。
 彼女は、椅子に四肢をだらんと下ろした状態で座って、体幹は機能していないのか背中と首は十割椅子の背もたれに預け、その状態で時折痙攣していた。感電しているのだ。
 ここで、技師の白河童は己の無力さを思い知った。彼女の唯一の欠点、ドロップキックができない、その一点のばかりににとりを救うことができない。
「バッテリーを……」
 運悪く、バッテリーからは銀か何かの化合物が溢れ、それが端子の周りで固化していた。一番手っ取り早い方法はバッテリーを抜くことだったのだが、これでは線を切らないと抜くことができない。
 彼女は普通のペンチで線を切ろうとしたが、いまだ電気は流れ続けているのだから感電の危険があると、絶縁ペンチを道具箱から探しに向かった。足が震えて、その往復でも思うような速度が出せない。





 にとりは赤ん坊になった。ちょっと大きくなって、自分の隣の河童が大事故を起こしてクマさん人形になった。さらに大きくなって、大きくなった自分は菊一文字コンプレッサーの試作型を投擲していた。
 走馬灯だ。自分は死ぬのだろうか?
 場面はあのドロップキックの講習になっていた。にとりは死ぬか生きるではなくこの結末を許すか許さないかの問題だと思った。自分の一生は起伏はあれど概ね楽しいものだったと言って過言ではなかったはずなのに、その振り返りの最後の方に中々お目にかかることのできないレベルの平坦がきているせいで、なんだか自らの河童生全体がつまらないものだったかのような不当な錯覚を受けた。絶対許せん。
 愚痴はこじれればこじれるほどに社会全体、自分の属する社会の外側と対象を拡大させていくが、逆に恨みというのは深化すれば深化するほど、対象を特定個人に限定させていくものだ。あの講習も、本来は誰のせいでつまらなくなったとは言えないものだったはずなのだが(全部つまらなかったのだから論理的にはその責任の所在は全てであるべきだ)、にとりは講師と「ビデオ」の発明者の二人に標的を絞った。とりあえず真っ先にあの糞講師のところに化けて出てやろう。ビデオを発明した河童がその後どうなったかは聞きそこねたな。生きていたら講師のついでに化けて出て、死んでいたら……。そいつを極刑にしてもらえるように、閻魔様の袖の下に通しに行くとしよう。
 走馬灯の映像がふっと消えて白塗りになった。もう音も歌も聞こえない。私は死ぬ。死んでも太平は得られない。ファッキンブッダ。ファッキンブッダ。全くもってありがたくねえなこの野郎。





 上下に揺られる感覚でにとりは目覚めた。早速ゆりかごの中にReincarnationしたものと思い、おいおい私はまだ化けて出る仕事を終えていないぞとこぼしたが、よくよく考えるとゆりかごなら縦揺れではなく横揺れであるべきだった。それでにとりは自分がいるのはゆりかごではなく舟だと気がついた。
「寝心地悪すぎるだろ。毛布ぐらい敷いておけよ」
「お前これをゆりかごか何かと勘違いしてるだろ」
 前方に鎌で舟を漕いでいる赤髪の女性がいた……。いや、漕ぐのに使ってるのはちゃんとオールで、鎌は後ろに背負っているだけだ。まだ寝ぼけている。言い訳をするならば、それだけ鎌が目立つということだ。
 死神らしい。やんなっちゃうねとにとりは思った。仕事熱心な死神に拾われたらしく、このままだとトントン拍子に進展していって、化けて出る計画がパーだ。
「それに毛布なんかなくたって寝れるだろ」
 訂正。不真面目な死神だ。しかしこれはこれでよくない。こいつの気分次第で永劫に目的地に到着しないなんてことになりかねない。
 にとりは前の死神が突然ごろんと寝転んだりはしないだろうねと目を皿にしてそれを睨んだ。死神はそれを死んだことへの不満によるものと勘違いして勝手に話を進めた。
「まあ、天寿を全うしてじゃない事故での頓死なんだから納得がいかないという気持ちになるのも分かるさ。でもまあ、あんたはまだマシさね。今日亡くなった豆腐屋の源さんはね、立ち上がった拍子に棚から落ちてきた豆腐の当たりどころが悪くてお陀仏さ。豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ人って本当にいるんだね。『どうせその豆腐が凍って硬くなっていたんだろ』って思うだろ? あたいも思ったさ。でも常温で高野でもない普通の木綿豆腐だったらしいじゃないか。不思議なこともあるもんだよ。でもあり得ないことじゃないらしい。前に聞いた話だと『確率次第では生きながらにして人体が幽霊みたいに壁をすり抜ける』なんて現象も起こりうるらしいんだ。ま、この話したの、博打でボロ負けしてそれでも賭け事やめらんなくて最期自分の命を賭けたっていう気狂いの蟒蛇なんだけれどね。ときに源さんは落ちてきたのが木綿じゃなくて絹ごし豆腐なら助かっていたんじゃないかとも思うんだ。お前さんはどう思う?」
 知らねえよとにとりは思った。思ったのはこいつなんなん? ということだけだった。にとりはこの死神を知らない。多分格ゲーに登場した時期が絶妙に被っていなく互いに面識がなかったからとかそういう事情だろう。
「まああんたはもう喋れないか。死人に口なしだねえ。この答えは来世にでも聞くとするよ」
 にとりは死神に、こいつ人の死を冒涜しやがってという感情を抱いた。彼女が真人間――真河童のほうがいいね――の感性の持ち主だったら他の人の死に様を面白おかしく語るという方に憤慨していただろう。だが、にとりは真河童ではなくにとりだったので、自分の死が大したことではないかのような言い方をされた方に怒った。源さんとか知らんが私の命の価値は少なくとも豆腐の角かそれと等価に命を交換したどっかのおっさんよりは高いんだよこの野郎。
「おっと、今日の三途の川は時化てるねえ。ちょいと舟を落ち着かせるから待ちな」
 死神はにとりに背を向けて舟の操作に集中し始めた。
「早くしてくれ」
 にとりはそう思ったが、しかしそう思うと同時に本当にそれでいいのか? という疑念が急激に湧き上がってきた。死んだ後どうするかという、死ぬ直前まで考えていたことは、実は誤った前提じゃないか。死に対してけちょんけちょんな総括を下された今、そうですねと審判を受け入れて閻魔様に袖の下を通しに行くよりも、もっとすべきことがあるのではないか。
 そして、そのすべきことをすべきなのは今だった。死神は自分を視界にも入れず、一切の警戒をしていない。
 何をすべきかにとりは知っていた。で、その心構えはなんだったっけな。確か、「己を超伝導体と化し、怪獣と地面を引き剥がす在来線爆弾と成すこと。水中からの一撃、肉屋が豚をお肉屋さんに並べるが如く」とかそんなの。
 理念は何一つ合っていなかったが、ともあれ繰り出された技はまさに必殺の一撃となって死神をK.O.した。そう、ドロップキックだ。
「きゃん!」
 死神は蹴られた犬のような鳴き声を断末魔に三途の川に没した。犬のような、というか死神なのである意味閻魔の犬そのものだが。にとりも蹴ったのちの慣性が水没コースだったが、こっちは舟からの転落を予見できる加害者側だったので後ろ手で舟の縁を掴み、黄昏フロンティアではなく任天堂の方の格闘ゲームでステージに復帰するが如く戻ってきた。この完成度なら参戦の手紙が届くかもしれないとにとりはほくそ笑む。
 いや悦に浸っている場合ではない。死神も川が主戦場故また戻ってくるだろう。その前に此岸に戻らねばならぬ。
 幸いオールの回収には成功したから舟で帰れる。にとりは死神の八割くらいしかないちんまい体躯の全てを動かして一心不乱に今までと百八十度別の向きに進んだ。あの世から逃げるための鉄則の一つは顧みぬこと。古事記にもそう書かれている。





「おーい、にとりー、いるー? ……。入るよー……。ってうぉぉぉい!!!!」





 にとりが目覚めたときも彼女は電流帽子を被っていた。一つ感電したときと違うことがあるとするならば、椅子に座ってるのではなく銀でコーティングされた鉄が天板になっている硬い手術台の上に寝転がっていたこと。
 その場にいた河童数名の証言を総合すると、現世視点では以下のようにしてにとりは蘇生したということになるらしい。
 まず、にとりが完全に気絶してしまった直後、たまたまにとりを探していたシイタケ河童が部屋に入り惨状を見つけた。彼女はドロップキックができたので、間髪入れずににとりを蹴飛ばしてさらなる被害拡大を食い止めた。
 しかしにとりが死にかけなことには変わりなかった。病院に運ぶ余裕もない。かといって、この部屋で可能な処置は限られていた。
「やむを得ん。こいつで蘇生する」
 頼れる同志を得て前後不覚の状態から復帰した医療技師河童の結論は、件の機械に正しいバッテリーを入れて本来の目的で使うというものだった。シイタケ目の同志も異論はなかった。河童のアジトに転がっているバッテリーの数は外の世界の自動販売機の数より多いので、病院ににとりを運ぶよりバッテリーを持ってくる方が早いのだ。感電した河童に電流式の蘇生装置を接続することへの色々な是非は一顧だにされなかった。蘇生装置って書いてるんだから繋げば蘇生するやろというのが装置の原理を知らないシイタケ河童の理解だったし、蘇生装置として作ったんだから蘇生するやろというのが開発者の自信だった。
 かくして電流刑に処されたにとりは解放されたから三分も経たずしてまた電流漬けにされた。
「うぅ……」
 目覚めたにとりはうめいた。体中が内側からハンマーでぶん殴られたみたいな痛み方をしていた。水タイプに電気。こうかはばつぐんだ。
「水を……」
 にとりはプラスチックのコップに入った水を飲んだ。舌の痛みのせいで、なんだか炭酸みたいな苦い味がした。今後の人生の全てで口に入れたものが炭酸風味になってしまうのだろうか。確かににとりは三ツ矢サイダー派だったが、そうだとしてもこれは悪夢だった。
「蘇生した直後は体を流れる電流がいつもより大きくなるの。言ってしまえば硬いレバーを操作するのには大ぶりな力のかけ方が必要になる、みたいなものね。そのうち体の信号系とか運動系とかが正常に落ち着いていったら普通に戻っていくから心配しなくてもいいよ」
「分かったようなこと言いやがって。お前試したことないだろ」
「確かに私は試してないわね。でも猿はそう言っていたから」
 ここでの猿はそのへんから捕まえてきて半殺しにしたニホンザルという意味と、そのへんから捕まえてきて半殺しにした山童という意味の二通りの意味が考えられる。どちらでも大した違いはない。大事なのは河童にもそれが当てはまるかどうかということだが。
 にとりは願わくば二度とこの蘇生装置のお世話になることがないようにと思った。ところでにとりが三途の川から脱出したのとほぼ同刻、地底からも宮出口瑞霊という名前の怨霊が逃亡を果たしたのだが、ま、どうせ関係ないね。
「まーまー、なんにせよにとりが戻ってきてくれて本当によかったよ」
「そうね。色々な偶然が重なって紙一重ってところだったわね。あなたが来てくれたのとこいつが蘇生装置だったのと」
 にとりはむっとした。医療技師の河童はにとり復活の手柄を現世の自分達のものにしようとしている。戻ってくるための肉体の器を保存しておいてくれたことには確かに感謝はするが、妖怪の本質たる魂を帰還させたのはひとえに自助努力によってだ。
 にとりはその場にいた河童数名にいかにして自分が死神を打ち負かし戻ってきたのかという武勇伝を一本ぶち上げたが、失笑に終わった。河童というのは唯物論者の気があるのだ。

 幸運にも、にとりの名誉回復の機会はすぐに訪れた。天狗の新聞で「河童に負けた死神」の話がゴシップ調で報道されて三途の川で何が起こったのかが周知の事実となったのだ。にとりはこの件について取材を受けた記憶がとんとない。つまり記事の信憑性は実のところお察しなのだが、この際そんなことはどうでもいい。
 にとりは水を得た魚のように、いや、水を得た河童そのものだ、になって自らの功績を喧伝し始めた。心技体の全てが小童の老害が誕生するまでに時間はかからなかった。
 次の年の講習。にとりは早速演壇の側に立ち、聴取の顰蹙あるいはいびきを買ったのだった。
「河童が死ぬまでに、必ず習得しなければならない技能がある。そう、ドロップキックだ……」
一方そのころ、里ではボクシンググローブをはめた御阿礼の子が死神相手に3ラウンドK.O.勝ちを収めていた
東ノ目
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コメント



0.100簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
2.90名前が無い程度の能力削除
自分はサンガリアのサイダー派です
3.100鯉魚削除
一見不条理にみえて真面目なコメディ作品という感じでとても面白かったです。あとファニーちゃん(シイタケ目河童)が地味に活躍しててなんか嬉しくなっちゃいました
6.90ローファル削除
機械>命を地で行く河童たちの価値観とテンポのいい地の文で楽しめました。
ドロップキックの動機が「救命」から「自分の死をどこか面白おかしく語る目の前の死神を河に蹴落とす」になった途端本気で蹴りにいくにとり好きです。
7.90福哭傀のクロ削除
この作品は、ドロップキックへの道が作者によって丁寧に舗装されていた。……いうほど丁寧だったか?奇天烈な始点から結末までを滑稽に描いていた作品であるとともに、なんとなく頑張って作者が狂気に身をゆだねようとしている雰囲気を感じました。主題の割にはあまり狂気ではなく、ちょっと狂気なお話として楽しめました
8.90竹者削除
よかったです
9.100のくた削除
所々に妙に通った理屈があって笑ってしまいました
10.80ひょうすべ削除
小町は仕事しないのではなく、弱すぎてできなかった・・・?
11.100名前が無い程度の能力削除
説明文のひとつひとつが面白く、なんともコミカルな文章の滑稽さが、話全体の説得力を高めている気がします。
12.100南条削除
面白かったです
退屈だったり過電流だったり追い電流だったりとひどい目に遭い続けるにとりがとてもよかったです
これでもまだ起伏はあれど概ね楽しい人生だったと言えるのだろうかと思いましたが、きっと言えるのだろうという変な確信も生まれました
そこここに散らばった小ネタの回収っぷりも素晴らしかったです