睦月吉日 記す
この頃、貧乏神の紫苑が頻繁に家へ来る。目的は穣子の作る食事のようだ。穣子が食事を与え、紫苑がそれを美味しそうに食べる様子を見て穣子は満足している。どうやら交際云々と言うよりは、ギブアンドテイクに近い関係のようだ。しかし何にしろ「仲良きことは美しき哉」という言葉もあることだし、そのこと自体は特に気にすることはないだろう。むしろ、我が妹に仲の良い友人が出来たという事実のほうが喜ばしいくらいだ。ここはひとつ、姉として出来ることをしなければ……。
□
朝、いつものように静葉が囲炉裏で新聞を読んでいると、穣子が台所からやってくる。どうやら朝早くから何かを仕込んでいたようで、彼女は調理用のたすきを両肩に掛けたままだ。
「おはよう穣子」
「おはよう姉さん」
「……ふむ、どうやらその様子だと今日もあの子が来るようね」
「まぁ、そういうこと」
「そう、それじゃ私は出かけるとしましょう」
そう言ってすっと立ち上がる静葉に穣子は言う。
「……あのさぁ。いっつも思うんだけど、別に姉さんを邪魔って思ってるわけじゃないんだからね?」
「ええ、知ってるわ。姉からの粋な計らいってやつよ」
「はぁ……」
要領を得ない様子の穣子を尻目に静葉は、とっとと家を出て行ってしまう。
その少しあとに紫苑がふらふらとやってきた。
「おはよー。おイモさーん」
「お、来たわね」
「ん? なんかいいにおいするー」
「あ、わかるー? お雑煮作ったのよ」
「わぁ! お雑煮ぃー!?」
「今、用意するから、そこに座ってて。どうせ腹ぺこでしょ」
ほどなくして目の前に出された雑煮を見て、目をキラキラと輝かせていた紫苑だったが、ふとあたりをキョロキョロ見回すと穣子に尋ねる。
「……そういえば、静葉さんは?」
「ああ、なんか知んないけど出かけちゃったわ」
「そっか……」
「ま、どうせ夕方には帰ってくるわよ。外寒いし」
特に気にしていない穣子を見て、紫苑は思わず物憂げそうな表情を浮かべた。
□
そのころ静葉は妖怪の山へ来ていた。目の前には一面の銀世界が広がっている。
雲一つない晴天の空は青く輝き、陽の光が雪面に反射してダイヤモンドダストのような輝きを生んでいた。その対比は、あたかも雪景色を真っ白で神聖なものに見せていた。
「……ふむ。静かね」
まるで生の気配を感じない様子に、思わず静葉が目を閉じ、大きく息を吸い込んだそのときだ。
「あら、誰かと思えば、珍しいじゃない」
声に気づいた静葉が振り返ると、そこには冬の妖怪レティ・ホワイトロックの姿があった。
「ようこそ。秋神様。真冬の世界へ!」
レティは仰々しく一礼すると、ニヤッと笑みを浮かべて尋ねる。
「……で、秋の神様がどうしてこんな極寒の地へ?」
静葉は表情変えず答える。
「……ま、色々あるのよ」
「ふーん? もしかして失恋とか?」
レティは皮肉っぽく笑いながら静葉の顔をのぞき込む。静葉は表情変えずに黙っている。
「……って、そんなキャラじゃなかったわね、アンタは。どういう風の吹き回し?」
そう言って、からかうように笑うレティに静葉は静かに答える。
「……そうね。強いて言えば、姉の粋な計らいってやつかしら」
「は……?」
怪訝そうな表情を浮かべるレティに、静葉は話を続ける。
「穣子に仲の良い友達が出来たのよ。ここはひとつ姉として、ぜひ親睦を深めてもらいたいので、二人だけの時間をできるだけ作ってあげようと思ったの」
「……へー。それでアンタは一人でここいるわけ……?」
「ええ。そうよ」
そう言って静葉はふっと笑みを浮かべると、レティは嘲笑混じりに言い放つ。
「バッカじゃないの!? そんなコトして何になるのよ?」
「あら、穣子のためになるわ」
静葉が平静を保ったまま答えると、レティは一瞬、静止するかのように見えたが。
「ぷっ……あっはっはっはっはっは!!」
と、突然大笑いし始める。
「……なにがそんなにおかしいのかしら」
思わず静葉が少し強い口調で尋ねると、レティは笑いながら答えた。
「あっはっはっは……っ! アンタさ。もしかして、秋が終わって本当に枯れ果てちゃった? それとも寒さで頭まで凍り付いちゃった?」
「どういうことよ」
「だってさあ、それ、別に本人から頼まれたわけじゃないんでしょ? 『姉さんはどっか行ってて。私たちの邪魔はしないでね!』とかさ。言われたわけじゃないんでしょ?」
「……まあ、確かに言われてはいない、わよ」
「それじゃ、向こうからすれば、アンタが勝手にいなくなってるだけじゃないの」
「まぁ、そうかもしれないわね」
「きっと二人とも困惑してるんじゃないの?」
「ふむ……」
「それにさ。『粋な計らい』なんて格好つけて。そんなのアンタのエゴじゃないの? 求められてもいないのに自己満足に浸っちゃってさ!」
静葉はだまってレティの言葉を聞いている。レティは更に続ける。
「どうせ生きるなら、もっと自分に素直に生きなさいよ。私のように!」
レティは自信たっぷりに宣言する。
「アンタさ。本当はそいつらと一緒の場にいたいんでしょ?」
彼女は挑発的に静葉を見つめる。静葉はレティの視線から思わず目をそらすが、すぐに目線を上げる。
「……なのにそうやって我慢してるってわけ? それがアンタの美徳ってヤツなのかしら。バカバカしすぎて反吐が出るわね」
「……そういうあなたは少し、自己中心的すぎるわよ。もう少し周りをよく見回したらどうかしら」
「何、説教閻魔ぶってるのよ。自分を大事にして何が悪いの。そういや、アンタさ。前に私にこんなセリフ言ったわね『みんな違ってみんないい』って。違うわ! 『みんな違ってどうでもいい』のよ。他人のことなんて気にしても仕方ないの! アンタこそもっと周りを見回したら?」
「……ふむ、どうやらこれ以上言い合っても仕方なさそうね」
静葉は静かに白い息を吐き、しばらく熟考する。そしてレティを見つめ、はっきりと言い放つ。
「私とあなたでは決定的に価値観が違うわ」
静葉はレティを静かに見据える。レティは思わず肩をすくめると。
「……ええ、そうね。同感」
と、返すが、その目には挑戦的な光がまだ残っていた。
「でもさ、これだけは言っておくわよ!」
「……なによ」
「アンタ。きっと気づかないうちに誰かを傷つけてるわよ? ……ま、今の枯葉みたいなアンタに言っても、きっとムダでしょうけどね。せいぜいそこで、身も心も氷漬けになってなさいな! 枯葉神様!」
レティは言いたいだけ言うと、姿を消してしまう。
静葉は思わず首を傾げると大きくため息をつく。
「……まったく、言ってくれるわね」
静葉はもう一つため息をつくと、空を見上げる。
青々とした広がりが彼女の視界を満たし、山々が、その青さに溶け込んでいるかのように見えた。
□
それから静葉は雪山を散策し始めた。レティの挑発が心に刺さり、その心のもやもやを、雪のように溶かしたかったのだ。
彼女は歩きながら、雪の美しさや静けさの中で、心を落ち着かせようと試みた。
静葉は妖怪の山のあらゆる場所をひたすらに歩いた。
雪で埋もれた山道は足を踏みしめるたびに、冷たい感触が伝わってくる。分厚い氷の張った池の上では、氷の透明感が、下の水面の様子を映し出していた。
「……当然だけど、誰もいないわね」
静葉は一人歩き続けた。立ち止まっては深呼吸し、何かを見つけようとするかのように辺りを見回した。しかし、それでも彼女の心のわだかまりが晴れることはなかった。
「……気にし過ぎなのかしら」
静葉は自分に問いかけるようにつぶやくと、珍しく眉間にしわを寄せて困惑した表情で、山の斜面の岩に座り込む。
心の重みがその表情に表れているようだった。そして、ふうと白い息をはくと、ふと、目の前の雪をつかみ取る。
ただでさえ寒さでかじかんだ手の感覚が、雪の冷たさで更に麻痺していくのがわかった。雪はゆっくりと、静葉の手のひらで溶け始め、最初は硬い結晶から徐々に小さな水滴へと変わり、ついには手のひらに広がる冷たい水の膜を作った。
――そんなのアンタのエゴじゃないの? 求められてもいないのに自己満足に浸っちゃってさ!
――アンタ。きっと気づかないうちに誰かを傷つけてるわよ?
レティの言葉が頭から離れず、静葉は雪を握ったまま、手のひらに水がたまっていくのを感じた。そして、その水が手のひらからこぼれ落ちていく様を静葉が見つめていたそのときだ。
「静葉さん……」
声に気づいた静葉は、ハッとして振り返る。
「……あら、どうしたの」
そこにいたのは全身に防寒具を身につけた紫苑だった。彼女は静葉の横に座り込む。
「雪、冷たいわよ」
「平気。寒いのは慣れてるし……」
そう言って紫苑は白い息を吐く。
「静葉さんこそ……。寒そうだよ?」
「そうね。……でも、まぁ平気よ」
「よかったらこれ使ってよ」
紫苑はつけていた手袋を取り静葉に差し出す。
「……あら。ありがとう」
静葉はそれを受け取り、手にはめる。今まで紫苑がはめていたことも相まって、一層ぬくもりを感じた。
そのとき、近くで、どさっと雪が落ちる音が聞こえる。目を向けると、すぐ近くの岩から滑るように雪が次々と地面に落ちているのが見えた。
紫苑もそれに気づき、目を丸くして雪が滑り落ちていく様子を追う。彼女の瞳にその動きが映り、あたかも冬の魔法か何かを見ているように輝いていた。
ふと、空を見上げると、雲が出始めていた。
「……ねえ、その防寒具、穣子のね」
静葉が話しかけると、紫苑はハッとして答える。
「……あ、うん。外に行くって言ったら貸してくれたよ」
「そう、あの子らしいわ」
紫苑は、はにかむような表情で静葉に話しかけた。
「……ねえ。おイモさ……穣子さんって、優しいよね」
「ええ、そうね。ガサツに見えるけど、悪い子じゃないわよ。なんてったって私の妹だもの」
静葉はそう言ってフッと笑みを浮かべる。紫苑もつられて笑みを浮かべるが、すぐに視線を落としてしまう。
「どうしたの」
「……あのさ。静葉さん」
紫苑はおずおずとした様子で静葉にたずねた。
「……私って、本当にあの家にいて、いいの……かな……?」
紫苑は不安そうに声を震わせる。
「……もしかして穣子とケンカでもしたの」
静葉は心配そうに紫苑を見つめる。
「いや、そうじゃなくて、その……」
紫苑はうつむいてしまう。
「……私が家に来るときって、いつも静葉さんいないよね?」
彼女は声を詰まらせながらも、絞り出すように言葉をつむいだ。
「……だから、も、もしかして、私のこと嫌ってるんじゃないかなって思って……。ほ、ほらさ。私って貧乏神だから、他人に好かれるところなんて全然ないし……」
だんだん声が小さくなってしまう紫苑の様子を見て、静葉は思わず、微かに目を見開く。
――……ああ。
思わず静葉は心の中で感嘆の声をもらす。
「……ごめんなさいね。紫苑」
静葉は、うつむく紫苑の頭をそっと撫でると、目を閉じて静かに告げた。
「どうやら私は……」
静葉は言葉を詰まらせ、思わず深呼吸する。
紫苑はその沈黙に動揺し、うつむいたまま静止してしまう。やがて、静葉は再び口を開いた。
「……どうやら私は、知らないうちにあなたを傷つけてしまっていたようね」
静葉は紫苑の頭を撫でながら話を続ける。
「……私はね。嬉しかったのよ。穣子に仲の良い友達が出来たことが。だから早く親睦を深めてもらいたくって、あえて二人だけの場を提供していたの」
静葉の言葉を聞いた紫苑は思わず顔を上げる。その目は少し赤く充血していた。
「……そうだったんだ。私てっきり……」
「いえ。決してあなたを嫌ってるわけじゃなかったのよ」
「そっか。……よかった」
紫苑はほっとしたような、少し涙ぐんだような表情を見せる。静葉は彼女に優しく告げた。
「それにね。紫苑。うちは貧乏神がいるくらいで、どうかなるような家じゃないのよ」
「え……? どうして?」
「だってほら。元々、金目のものなんてないもの」
「……確かに。だからかな、妙に居心地良いのよね。あの家……」
そう言って、紫苑がふっと笑みを浮かべたそのときだ。
「おーい! ふたりともー! もう帰ろーよぉー! 寒いよぉー!」
遠くから穣子の声が聞こえてくる。
「……あら。この声は」
「おイモさんの声だ!? もしかして、私たちを探しに来たのかも?」
「……よし、それじゃそろそろ帰りましょうか」
そう言って静葉がすっと立ち上がると、目の前に、はらはらと粉雪が舞い降りてくる。空に目を向けると、いつの間にか青空はすっかり消え失せており、かわりに鉛色の雲が一面を覆い尽くしていた。風も徐々に強くなってきていて、どうやらこのまま吹雪となりそうな気配だ。
「……ふむ。そうだわ」
静葉は、ふと上空を見上げる。雲に覆われ何も見えなかったが、彼女は、目を細めると空に向かって軽く一礼する。
「……どうしたの?」
「なんでもないわ。さあ、かえりましょう。紫苑」
静葉は不思議そうな様子の紫苑にほほえみかけると、空へ舞い上がる。
紫苑も追いかけるように空へ浮き、そのまま二人は帰路へとついたのだった。
□
睦月末日 記す
人を気遣うというのは大事なことである。気を遣うことによって周りと調和が取れ、付き合いも円滑になる。しかし、それも度が過ぎると、かえって周りに悪影響を及ぼしてしまう。よかれと思ってやっていることが、逆に相手を傷つけてしまうことになるのだ。これではまさに本末転倒。もはやただの自己満足行為に過ぎない。やはり何事も中庸を保つのが肝要なのである。私はそれを最近この身をもって体感した――
「ちょっと姉さんったら! また日記なんか書いてんの? 夕ご飯出来たって言ってるでしょ!」
「あらあら、ごめんなさい。書くのに夢中で全然聞こえなかったわ。もう少し書いたら行くわね」
「せっかくの魚の煮付けが冷めちゃうでしょ! 自信作なのに! もういいわよ! 紫苑と先に食べてるからね!?」
「……と、いうわけで静葉さーん! おイモさんと先に食べちゃってるねー?」
「……まったく賑やかなことね。今書き終わったから行くわよ」
静葉はふっと笑みを浮かべると日記を閉じ、二人が待つ温かい囲炉裏へと向かった。
――さて、春が来れば雪は溶けて水となり、やがて消える。残念ながら暦の上では春はまだ先の話である。しかし、我が心は一足先に雪どけを迎えたようだ。今、私の心には、みずみずしい雪どけ水が溢れている。しかし、この水はいずれ消えてなくなってしまう。それは仕方のないことである。とは言え、例え、この水が消えてしまっても、この心地のよい冷たさと、このすがすがしい今の気持ちは、これからも心に残り続けることだろう。……そう、あの二人がそばに居る限りは。
この頃、貧乏神の紫苑が頻繁に家へ来る。目的は穣子の作る食事のようだ。穣子が食事を与え、紫苑がそれを美味しそうに食べる様子を見て穣子は満足している。どうやら交際云々と言うよりは、ギブアンドテイクに近い関係のようだ。しかし何にしろ「仲良きことは美しき哉」という言葉もあることだし、そのこと自体は特に気にすることはないだろう。むしろ、我が妹に仲の良い友人が出来たという事実のほうが喜ばしいくらいだ。ここはひとつ、姉として出来ることをしなければ……。
□
朝、いつものように静葉が囲炉裏で新聞を読んでいると、穣子が台所からやってくる。どうやら朝早くから何かを仕込んでいたようで、彼女は調理用のたすきを両肩に掛けたままだ。
「おはよう穣子」
「おはよう姉さん」
「……ふむ、どうやらその様子だと今日もあの子が来るようね」
「まぁ、そういうこと」
「そう、それじゃ私は出かけるとしましょう」
そう言ってすっと立ち上がる静葉に穣子は言う。
「……あのさぁ。いっつも思うんだけど、別に姉さんを邪魔って思ってるわけじゃないんだからね?」
「ええ、知ってるわ。姉からの粋な計らいってやつよ」
「はぁ……」
要領を得ない様子の穣子を尻目に静葉は、とっとと家を出て行ってしまう。
その少しあとに紫苑がふらふらとやってきた。
「おはよー。おイモさーん」
「お、来たわね」
「ん? なんかいいにおいするー」
「あ、わかるー? お雑煮作ったのよ」
「わぁ! お雑煮ぃー!?」
「今、用意するから、そこに座ってて。どうせ腹ぺこでしょ」
ほどなくして目の前に出された雑煮を見て、目をキラキラと輝かせていた紫苑だったが、ふとあたりをキョロキョロ見回すと穣子に尋ねる。
「……そういえば、静葉さんは?」
「ああ、なんか知んないけど出かけちゃったわ」
「そっか……」
「ま、どうせ夕方には帰ってくるわよ。外寒いし」
特に気にしていない穣子を見て、紫苑は思わず物憂げそうな表情を浮かべた。
□
そのころ静葉は妖怪の山へ来ていた。目の前には一面の銀世界が広がっている。
雲一つない晴天の空は青く輝き、陽の光が雪面に反射してダイヤモンドダストのような輝きを生んでいた。その対比は、あたかも雪景色を真っ白で神聖なものに見せていた。
「……ふむ。静かね」
まるで生の気配を感じない様子に、思わず静葉が目を閉じ、大きく息を吸い込んだそのときだ。
「あら、誰かと思えば、珍しいじゃない」
声に気づいた静葉が振り返ると、そこには冬の妖怪レティ・ホワイトロックの姿があった。
「ようこそ。秋神様。真冬の世界へ!」
レティは仰々しく一礼すると、ニヤッと笑みを浮かべて尋ねる。
「……で、秋の神様がどうしてこんな極寒の地へ?」
静葉は表情変えず答える。
「……ま、色々あるのよ」
「ふーん? もしかして失恋とか?」
レティは皮肉っぽく笑いながら静葉の顔をのぞき込む。静葉は表情変えずに黙っている。
「……って、そんなキャラじゃなかったわね、アンタは。どういう風の吹き回し?」
そう言って、からかうように笑うレティに静葉は静かに答える。
「……そうね。強いて言えば、姉の粋な計らいってやつかしら」
「は……?」
怪訝そうな表情を浮かべるレティに、静葉は話を続ける。
「穣子に仲の良い友達が出来たのよ。ここはひとつ姉として、ぜひ親睦を深めてもらいたいので、二人だけの時間をできるだけ作ってあげようと思ったの」
「……へー。それでアンタは一人でここいるわけ……?」
「ええ。そうよ」
そう言って静葉はふっと笑みを浮かべると、レティは嘲笑混じりに言い放つ。
「バッカじゃないの!? そんなコトして何になるのよ?」
「あら、穣子のためになるわ」
静葉が平静を保ったまま答えると、レティは一瞬、静止するかのように見えたが。
「ぷっ……あっはっはっはっはっは!!」
と、突然大笑いし始める。
「……なにがそんなにおかしいのかしら」
思わず静葉が少し強い口調で尋ねると、レティは笑いながら答えた。
「あっはっはっは……っ! アンタさ。もしかして、秋が終わって本当に枯れ果てちゃった? それとも寒さで頭まで凍り付いちゃった?」
「どういうことよ」
「だってさあ、それ、別に本人から頼まれたわけじゃないんでしょ? 『姉さんはどっか行ってて。私たちの邪魔はしないでね!』とかさ。言われたわけじゃないんでしょ?」
「……まあ、確かに言われてはいない、わよ」
「それじゃ、向こうからすれば、アンタが勝手にいなくなってるだけじゃないの」
「まぁ、そうかもしれないわね」
「きっと二人とも困惑してるんじゃないの?」
「ふむ……」
「それにさ。『粋な計らい』なんて格好つけて。そんなのアンタのエゴじゃないの? 求められてもいないのに自己満足に浸っちゃってさ!」
静葉はだまってレティの言葉を聞いている。レティは更に続ける。
「どうせ生きるなら、もっと自分に素直に生きなさいよ。私のように!」
レティは自信たっぷりに宣言する。
「アンタさ。本当はそいつらと一緒の場にいたいんでしょ?」
彼女は挑発的に静葉を見つめる。静葉はレティの視線から思わず目をそらすが、すぐに目線を上げる。
「……なのにそうやって我慢してるってわけ? それがアンタの美徳ってヤツなのかしら。バカバカしすぎて反吐が出るわね」
「……そういうあなたは少し、自己中心的すぎるわよ。もう少し周りをよく見回したらどうかしら」
「何、説教閻魔ぶってるのよ。自分を大事にして何が悪いの。そういや、アンタさ。前に私にこんなセリフ言ったわね『みんな違ってみんないい』って。違うわ! 『みんな違ってどうでもいい』のよ。他人のことなんて気にしても仕方ないの! アンタこそもっと周りを見回したら?」
「……ふむ、どうやらこれ以上言い合っても仕方なさそうね」
静葉は静かに白い息を吐き、しばらく熟考する。そしてレティを見つめ、はっきりと言い放つ。
「私とあなたでは決定的に価値観が違うわ」
静葉はレティを静かに見据える。レティは思わず肩をすくめると。
「……ええ、そうね。同感」
と、返すが、その目には挑戦的な光がまだ残っていた。
「でもさ、これだけは言っておくわよ!」
「……なによ」
「アンタ。きっと気づかないうちに誰かを傷つけてるわよ? ……ま、今の枯葉みたいなアンタに言っても、きっとムダでしょうけどね。せいぜいそこで、身も心も氷漬けになってなさいな! 枯葉神様!」
レティは言いたいだけ言うと、姿を消してしまう。
静葉は思わず首を傾げると大きくため息をつく。
「……まったく、言ってくれるわね」
静葉はもう一つため息をつくと、空を見上げる。
青々とした広がりが彼女の視界を満たし、山々が、その青さに溶け込んでいるかのように見えた。
□
それから静葉は雪山を散策し始めた。レティの挑発が心に刺さり、その心のもやもやを、雪のように溶かしたかったのだ。
彼女は歩きながら、雪の美しさや静けさの中で、心を落ち着かせようと試みた。
静葉は妖怪の山のあらゆる場所をひたすらに歩いた。
雪で埋もれた山道は足を踏みしめるたびに、冷たい感触が伝わってくる。分厚い氷の張った池の上では、氷の透明感が、下の水面の様子を映し出していた。
「……当然だけど、誰もいないわね」
静葉は一人歩き続けた。立ち止まっては深呼吸し、何かを見つけようとするかのように辺りを見回した。しかし、それでも彼女の心のわだかまりが晴れることはなかった。
「……気にし過ぎなのかしら」
静葉は自分に問いかけるようにつぶやくと、珍しく眉間にしわを寄せて困惑した表情で、山の斜面の岩に座り込む。
心の重みがその表情に表れているようだった。そして、ふうと白い息をはくと、ふと、目の前の雪をつかみ取る。
ただでさえ寒さでかじかんだ手の感覚が、雪の冷たさで更に麻痺していくのがわかった。雪はゆっくりと、静葉の手のひらで溶け始め、最初は硬い結晶から徐々に小さな水滴へと変わり、ついには手のひらに広がる冷たい水の膜を作った。
――そんなのアンタのエゴじゃないの? 求められてもいないのに自己満足に浸っちゃってさ!
――アンタ。きっと気づかないうちに誰かを傷つけてるわよ?
レティの言葉が頭から離れず、静葉は雪を握ったまま、手のひらに水がたまっていくのを感じた。そして、その水が手のひらからこぼれ落ちていく様を静葉が見つめていたそのときだ。
「静葉さん……」
声に気づいた静葉は、ハッとして振り返る。
「……あら、どうしたの」
そこにいたのは全身に防寒具を身につけた紫苑だった。彼女は静葉の横に座り込む。
「雪、冷たいわよ」
「平気。寒いのは慣れてるし……」
そう言って紫苑は白い息を吐く。
「静葉さんこそ……。寒そうだよ?」
「そうね。……でも、まぁ平気よ」
「よかったらこれ使ってよ」
紫苑はつけていた手袋を取り静葉に差し出す。
「……あら。ありがとう」
静葉はそれを受け取り、手にはめる。今まで紫苑がはめていたことも相まって、一層ぬくもりを感じた。
そのとき、近くで、どさっと雪が落ちる音が聞こえる。目を向けると、すぐ近くの岩から滑るように雪が次々と地面に落ちているのが見えた。
紫苑もそれに気づき、目を丸くして雪が滑り落ちていく様子を追う。彼女の瞳にその動きが映り、あたかも冬の魔法か何かを見ているように輝いていた。
ふと、空を見上げると、雲が出始めていた。
「……ねえ、その防寒具、穣子のね」
静葉が話しかけると、紫苑はハッとして答える。
「……あ、うん。外に行くって言ったら貸してくれたよ」
「そう、あの子らしいわ」
紫苑は、はにかむような表情で静葉に話しかけた。
「……ねえ。おイモさ……穣子さんって、優しいよね」
「ええ、そうね。ガサツに見えるけど、悪い子じゃないわよ。なんてったって私の妹だもの」
静葉はそう言ってフッと笑みを浮かべる。紫苑もつられて笑みを浮かべるが、すぐに視線を落としてしまう。
「どうしたの」
「……あのさ。静葉さん」
紫苑はおずおずとした様子で静葉にたずねた。
「……私って、本当にあの家にいて、いいの……かな……?」
紫苑は不安そうに声を震わせる。
「……もしかして穣子とケンカでもしたの」
静葉は心配そうに紫苑を見つめる。
「いや、そうじゃなくて、その……」
紫苑はうつむいてしまう。
「……私が家に来るときって、いつも静葉さんいないよね?」
彼女は声を詰まらせながらも、絞り出すように言葉をつむいだ。
「……だから、も、もしかして、私のこと嫌ってるんじゃないかなって思って……。ほ、ほらさ。私って貧乏神だから、他人に好かれるところなんて全然ないし……」
だんだん声が小さくなってしまう紫苑の様子を見て、静葉は思わず、微かに目を見開く。
――……ああ。
思わず静葉は心の中で感嘆の声をもらす。
「……ごめんなさいね。紫苑」
静葉は、うつむく紫苑の頭をそっと撫でると、目を閉じて静かに告げた。
「どうやら私は……」
静葉は言葉を詰まらせ、思わず深呼吸する。
紫苑はその沈黙に動揺し、うつむいたまま静止してしまう。やがて、静葉は再び口を開いた。
「……どうやら私は、知らないうちにあなたを傷つけてしまっていたようね」
静葉は紫苑の頭を撫でながら話を続ける。
「……私はね。嬉しかったのよ。穣子に仲の良い友達が出来たことが。だから早く親睦を深めてもらいたくって、あえて二人だけの場を提供していたの」
静葉の言葉を聞いた紫苑は思わず顔を上げる。その目は少し赤く充血していた。
「……そうだったんだ。私てっきり……」
「いえ。決してあなたを嫌ってるわけじゃなかったのよ」
「そっか。……よかった」
紫苑はほっとしたような、少し涙ぐんだような表情を見せる。静葉は彼女に優しく告げた。
「それにね。紫苑。うちは貧乏神がいるくらいで、どうかなるような家じゃないのよ」
「え……? どうして?」
「だってほら。元々、金目のものなんてないもの」
「……確かに。だからかな、妙に居心地良いのよね。あの家……」
そう言って、紫苑がふっと笑みを浮かべたそのときだ。
「おーい! ふたりともー! もう帰ろーよぉー! 寒いよぉー!」
遠くから穣子の声が聞こえてくる。
「……あら。この声は」
「おイモさんの声だ!? もしかして、私たちを探しに来たのかも?」
「……よし、それじゃそろそろ帰りましょうか」
そう言って静葉がすっと立ち上がると、目の前に、はらはらと粉雪が舞い降りてくる。空に目を向けると、いつの間にか青空はすっかり消え失せており、かわりに鉛色の雲が一面を覆い尽くしていた。風も徐々に強くなってきていて、どうやらこのまま吹雪となりそうな気配だ。
「……ふむ。そうだわ」
静葉は、ふと上空を見上げる。雲に覆われ何も見えなかったが、彼女は、目を細めると空に向かって軽く一礼する。
「……どうしたの?」
「なんでもないわ。さあ、かえりましょう。紫苑」
静葉は不思議そうな様子の紫苑にほほえみかけると、空へ舞い上がる。
紫苑も追いかけるように空へ浮き、そのまま二人は帰路へとついたのだった。
□
睦月末日 記す
人を気遣うというのは大事なことである。気を遣うことによって周りと調和が取れ、付き合いも円滑になる。しかし、それも度が過ぎると、かえって周りに悪影響を及ぼしてしまう。よかれと思ってやっていることが、逆に相手を傷つけてしまうことになるのだ。これではまさに本末転倒。もはやただの自己満足行為に過ぎない。やはり何事も中庸を保つのが肝要なのである。私はそれを最近この身をもって体感した――
「ちょっと姉さんったら! また日記なんか書いてんの? 夕ご飯出来たって言ってるでしょ!」
「あらあら、ごめんなさい。書くのに夢中で全然聞こえなかったわ。もう少し書いたら行くわね」
「せっかくの魚の煮付けが冷めちゃうでしょ! 自信作なのに! もういいわよ! 紫苑と先に食べてるからね!?」
「……と、いうわけで静葉さーん! おイモさんと先に食べちゃってるねー?」
「……まったく賑やかなことね。今書き終わったから行くわよ」
静葉はふっと笑みを浮かべると日記を閉じ、二人が待つ温かい囲炉裏へと向かった。
――さて、春が来れば雪は溶けて水となり、やがて消える。残念ながら暦の上では春はまだ先の話である。しかし、我が心は一足先に雪どけを迎えたようだ。今、私の心には、みずみずしい雪どけ水が溢れている。しかし、この水はいずれ消えてなくなってしまう。それは仕方のないことである。とは言え、例え、この水が消えてしまっても、この心地のよい冷たさと、このすがすがしい今の気持ちは、これからも心に残り続けることだろう。……そう、あの二人がそばに居る限りは。
削りつつ3人の仲をなおしていったのは
さすが雪女だと思いました。
長く生きた妖怪ならではの価値観って感じでかなり好きな台詞です。
不器用な静葉もかわいくてよきでした、面白かったです。
気を遣ってる静葉がお姉ちゃんしててよかったです